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2009年4月20日 (月)

「判決とテロル」資料2:亀井志乃「準備書面(Ⅱ)-1」ー被告「準備書面(2)」への反論ー

事件番号 平成19年(ワ)第3595号
損害賠償等請求事件
原告 亀 井 志 乃
被告 寺 嶋 弘 道
            準 備 書 面(Ⅱ)-1
札幌地方裁判所民事第1部3係 御中
                             平成20年5月14日 
                             原告 亀井志乃 印

はじめに
 原告は去る平成20年4月9日(水曜日)、被告代理人弁護士・太田三夫氏よりファックスにて、「準備書面(2)」を送付されました。その内容は虚偽と事実の歪曲に満ちており、とうてい原告の「訴状」及び「準備書面」に対する反論たりえないものでしたので、原告は直ちに太田三夫弁護士より送付された「準備書面(2)」に対する反論に取りかかりました。ところが同年4月13日(水曜日)に開かれた法廷において、原告が太田三夫弁護士より渡された『証拠物写』の中に、被告の「陳述書」と(財)北海道文学館副館長・専務理事平原一良氏の「陳述書」が入っていました。田口紀子裁判長が「この通り陳述なさいますか」と確かめたのに対して、太田三夫弁護士は「はい」と答えました。よって、原告はこの2通の「陳述書」について、「準備書面(2)」を補強するために述べられたものであり、「準備書面(2)」に準ずるものとして受け取ることにしました。この2通の「陳述書」の内容は、まさしく「準備書面(2)」の補強にふさわしく、これもまた虚偽と事実の歪曲に満ちていました。
 原告はこれより「準備書面(2)」及び2通の「陳述書」に対する反論を述べる予定ですが、「準備書面(2)」及び2通の「陳述書」は三位一体のものとはいえ、3者の間にはそれぞれ異なる性質が見られます。よって原告は、原告による反論を3種に別け、「準備書面(Ⅱ)-1」を「準備書面(2)」に対する反論、「準備書面(Ⅱ)-2」を被告の「陳述書」に対する反論、「準備書面(Ⅱ)-3」を平原一良氏の「陳述書」に対する反論の形で、順次述べて行きたいと思います。よろしくご承知置き下さい。

○被告側「準備書面(2)」に対する反論
第1 被告代理人弁護士提出にかかる平成20年4月9日付「準備書面(2)」に対する原告の否認・反論
 被告代理人弁護士提出の「準備書面(2)」(以後、被告「準備書面(2)」と呼ぶ)は一つの基本的な事実に関する認識を欠いており、そのため原告の主張(平成20年3月5日付け「準備書面」)に対する否認・反論としては何ら根拠を持たず、かつ錯誤に満ちている。文意の通らない、あるいは文意の曖昧な書き方も見受けられる。故に被告の主張を認めることはできない。
 以下、(イ)基本的な事実の確認と被告の根拠なき自己主張の指摘、(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘(ハ)原告が主張する15項目に対する被告の反論に対する反論、の順序で反論する。

(イー1)基本的な事実の確認
 被告は道の施設である道立文学館に駐在する北海道教育委員会の職員、いわゆる「駐在道職員」であり、このことは被告自身も「準備書面(2)」の中で認めている。駐在道職員とは、業務の机が道立文学館の中にあり、常時文学館に駐在して与えられた業務を執り行なう道の職員のことであり、その立場や義務は他の道職員と変わらない。道立文学館に駐在することに伴う特別な権限や立場を与えられているわけではないのである。
 それでは、なぜ財団法人北海道文学館が指定管理者として管理と運営に当っている道立文学館に、北海道教育委員会の職員が駐在することになったのか。
 その理由は、財団法人北海道文学館と北海道との間で結ばれた『北海道文学館の管理に関する協定書』(平成18年3月。以後、『協定書』と呼ぶ。
甲34号証)の中に、次のような条文があるからである。
 
第14条 甲(北海道)は、本施設の事業を円滑に実施するため、乙(財団法人北海道文学館)が行う文学資料の収集、保管、展示、その他これと関連する事業に関する専門的事項について意見を述べるものとする。
 2 乙は前項の規定による意見を尊重するものとする。この場合において、乙は、甲に対し、当該専門的事項に関する業務の遂行について協力を求めることができる。
 3 甲は、乙から前項の協力を求められたときは、本施設に配置する学芸員に当該専門的事項に関する業務の全部又は一部を遂行させることができる。この場合において、乙は、当該学芸員が遂行する業務に係る経費を負担するものとする。
 4 乙は、指定管理業務の遂行に当たり、甲が行う調査研究が円滑に行われるよう配慮するものとする。
5 前各項までに定めるもののほか、本施設の事業を円滑に実施するために必要な事項は、甲及び乙が、別記6に定める方法により定期に協議して定める。

ちなみに、この第5項で言う「別記6」とは、「日常的な各部門間の情報の共有化や定期的な職員全体会議(職員全員参加)の開催により、円滑な館の管理運営を行っていくほか、必要に応じて適宜協議の場をもち、協働連携を図ることとする。」となっている。

 以上のような協定に基づいて、財団法人北海道文学館の神谷忠孝理事長が平成18年3月31日、北海道教育委員会教育長宛に、「北海道立文学館の管理に関する協定書第14条第2項に定める『当該専門的事項に関する業務』に係る協力について(依頼)」(甲35号証)と題する文書を送り、「このことについて、別添に掲げる業務に関して、北海道教育委員会が駐在させる学芸員に協力を求めたいので、その可否について回答願います。」と依頼した。それに対して、北海道教育委員会教育長・相馬秋夫は財団法人北海道文学館理事長・神谷忠孝に「北海道立文学館の管理に関する協定書第14条第2項に定める『当該専門的事項に関する業務』に係る協力について(回答)」(甲36号証)と題する文書を送り、「平成18年3月31日付けで依頼のあったこのことについて、承諾します。」と回答をした。(北海道教育委員会に保管されている「決定書」によれば、決定年月日はH18・3・31)。
 以上のような交渉を経て、北海道教育委員会は、従来から道立文学館に学芸員相当として派遣していたS社会教育主事(道職員)をそのまま駐在させ、ついでにA司書(道職員)を学芸員に変え、寺嶋弘道学芸主幹を道立近代美術館から移して学芸員として駐在させることになった。

 以上の経緯から分かるように、駐在道職員の任務は、財団法人北海道文学館が行う事業のうち、専門的事項に関して協力することであり、それ以外のことではない。神谷理事長が先の依頼状で言うところの「別添の業務」(甲35号証)によれば、駐在道職員が「指定管理者(財団法人北海道文学館)の求めに応じて行う専門的事項」は、大きく
 1 資料の収集、保存、管理、閲覧に関すること
 2 事業の企画及び実施に関すること
 3 解説資料、図録、要覧等の刊行物の作成に関すること
 4 広報活動に関すること
 5その他事業の専門的事項に関すること
に分かれ、更にそれが17項目に細分化されている。だがその中に、駐在道職員が財団職員の上司となることを認めるような文言は、一言も書かれていない。公務員の制度として許されていないからである。

(イー2)被告の根拠なき自己主張
 ところが被告「準備書面(2)」は
、「指揮監督する立場に被告は着任した」「事実上の上司として」「被告は、学芸班を統括する立場にあることから」「原告に対して事前に上司と相談してあらかじめ必要な協議を行い、命令を受ける必要がある旨指導した」「事実上の上司である被告の指導であって」「事実上の上司である被告の上記のような指導は適切かつ必要な行為であり」「学芸業務を主管する学芸班の総括者である被告」「文学館の学芸班の責任者である被告」「いずれも事実上の上司である被告として適切かつ必要な助言等であり」と、繰り返し被告が原告に対して指揮監督する立場にあり、学芸業務を主管する学芸班の総括者であり、事実上の上司であることを強調し、被告の原告に対する行為を「指導」と意味づけ、正当化しようとしている。そのためには、常軌を逸した主張」「文書事務の初歩的・基本的な知識のない原告」と、原告の人格と能力を貶め、原告の名誉を毀損することも辞さない書き方をしている。
 だが被告「準備書面(2)」は、被告が如上の立場にあることを制度的に保証し、または許容する規程が、如何なる文書のなかで、如何なる文言で表現されているかについて、全く一言も説明していない。被告はまず自分が如上の立場にあり得ることを保証し、または許容する公文書を証拠物として提出すべきである。その公文書の提示なしに自分が如上の立場にあると主張することは、それ自体が違法な行為なのである。
 もし北海道庁、または北海道教育委員会の内部に、「北海道の公務員は民間の財団法人の中で、財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、財団法人で働く民間人の上司となることができる」旨のことを規程した公文書があるとすれば、それは北海道庁または北海道教育委員会が地方公務員法に違反したことを意味する。
 また、もし財団法人北海道文学館の中に、「当財団法人は、道立文学館に駐在する公務員に、当財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、当財団法人で働く民間人の上司となることを許す」旨のことを規程した文書があるとすれば、それは駐在道職員に違法な行為を許すことを意味し、これまた違法な行為なのである。
 
 また、被告は繰り返し「指揮監督する立場」「事実上の上司」「学芸班を統括する立場」「学芸業務を主幹する学芸班の総括者」「文学館の学芸班の責任者」と自己の立場を主張しているが、制度的、組織的に全く根拠を持たない。平成18年4月1日付けの「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(
甲2号証)が示すごとく、被告は北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループの一員として道立文学館の駐在する学芸員であって、財団の業務課に属する〈学芸班〉との関係は「協働・連携」とされており、「指揮監督の立場」ではありえない。いわんや財団の職員によって構成される学芸班を「総括する立場」に立ち、学芸班の責任者となることはできない。「学芸業務を主幹する学芸班の総括者」という主張に至っては、そもそも「主幹」の意味が不明である。
 財団北海道文学館には職員各自の職務分担を決めた「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(
甲3号証)があり、「事務処理内容」の1、「学芸部門の統括および業務課との調整に関すること」には被告が主担当に、S社会教育主事(駐在道職員)が副担当に割り当てられている。被告の「統括する立場」という言い方はここから借りたのかもしれない。だが、「学芸部門の統括および業務課との調整に関すること」は、あくまでも他の分掌と横並びに列記された「事務処理」分掌の一つに過ぎず、「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)との関連で捉えるならば、「財団の学芸班と北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループとの業務の調整をはかり、まとめ役を務める」という意味以外の意味は出てこない。
 この事務分掌の主要な任務は、『協定書』(
甲34号証)の「別記6」に言う「日常的な各部門間の情報の共有化や定期的な職員全体会議(職員全員参加)の開催により、円滑な館の管理運営を行っていくほか、必要に応じて適宜協議の場をもち、協働連携を図ることとする。」であろう。だが被告は、原告が先に提出した「準備書面」から読み取れるごとく、また本「準備書面(Ⅱ)-1」において後に詳述するごとく、全くその任務を怠ってきた。
 以上の如く、被告の自己主張には何ら法的、制度的、組織的な根拠を持たず、それ故「法的な上司」「制度上の上司」「組織上の上司」ということはできなかった。被告はやむをえず、「事実上の上司」という言い方を乱発することになったと思われるが、「事実上」とは如何なる意味なのか。被告「準備書面(2)」を見る限り、そのことに関する説明もなければ、証明もない。ただ一つ明らかなのは、被告はこの概念の曖昧な言葉を極めて恣意的に用いながら、原告の業務に介入し、干渉し、妨害して、それを「指導」と称し、自己の行為の正当化を図ってきたことである。

(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点
 被告側は平成20年4月16日の法廷において「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(
乙2号証)という文書を提出した。この文書と被告「準備書面(2)」との関係については何の説明もなかったが、「証拠説明書(乙号証)」の立証趣旨に「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対して上司であること。」と説明されており、それ故ここではとりあえずこの文書が、「事実上の上司」という被告の主張の根拠をなすべく提出されたものとして受け取っておく。
 ただ、この文書は形式、概念、手続き等にわたって疑問点、問題点が多く、「事実上の上司」という被告の主張を裏づけるものとは見なしがたい。以下、その理由を列挙する。
A 書式上の形式的条件について
a)文書の日付が明記されていない。
b)如何なる組織の文書なのか不明である。
c)適用の期限が明らかではない。現在の学芸主幹が駐在している間にかぎり、の意味なのか、学芸主幹という肩書を持つ北海道教育委員会の職員が駐在する間は、という意味なのかが明らかではない。
B 概念について
a) 「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言のおける*印は何を意味するか。もし「但し書き」ならば、法律や規程における「但し書き」は、「一の条を前段と後段に区切った時において、後段が前段の例外となっている場合を「但し書き」と言い、但し書きの原則となっている前段を本文と言う」とされている。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所には、原則を示す本文がない。本文の原則に「但し書き」が付くのは、本文を機械的に適用した場合、本文制定の趣旨が損なわれるか、または不当な不利益を蒙る者が出る怖れのある時、それを是正する処置を定めるためであるが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所は如何なる不都合、不利益を是正するために付したのか。何一つ説明が見られない。
b)「規程の定めにかかわらず」の「かかわらず」の意味が明らかではない。「規程の定めを無視する」意味なのか、「規程の定めを廃止する」意味なのか、「規程の定めを停止する」意味なのか、「規程の定めを棚上げする」意味なのか、「規程の定めと無関係に」という意味なのか。いずれにせよ、この文言は明らかに現行の規程の適用の否定または拒否を意味している。現行の規程を否定または拒否する主体は何か。その主体に否定または拒否する権限は与えられているのか。
c)「かかわらず」がb)にあげた意味のいずれであれ、この言葉は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の「運用」という概念となじまない。「運用」とは現行の規程をいかに現実の実情に即して効果的、合理的に適用するかということであって、規程の否定または拒否とは相反する行為だからである。
d)「規程の定め」の概念が明確ではない。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」全体
を指すのか。同規程の第3条を指すのか。いずれにせよ、誰にとっての不都合や不利益
が生じたために、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」全体あるいは同規程の第3条の直接の適用を避けようとしたのか。
C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(
乙2号証)の第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
b)平成18年4月18日付けの「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(
乙3号)の記録において、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は議題になっていない。この会議において紹介されたとの記録も見られない。
c)「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(
甲2号証)との関係が明らかではない。
d)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」と、北海道立文学館及び(指定管理者)財団法人北海道文学館の名によって公表された『平成18年度年報』(
乙4号証)の組織図とは異なっている。これは、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が公に出来ない、違法な性質のものだからであろう。
e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない。
 以上の如く、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」そのものが合理性を欠いており、これをもって被告が原告の「事実上の上司」であったとする主張の裏づけにはならない。「(イー1)基本的な事実の確認」及び「(イー2)被告の根拠なき自己主張」で指摘した如く、被告が原告の「事実上の上司」であったという主張は、法的、制度的、組織的な根拠を欠いている。そしてこの「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で明らかになったことは、被告が原告の「事実上の上司」であったという主張は規程上の裏づけをも欠いており、それだけでなく、規程上の正式な手続きを経ない違法なものでしかないということである。
 
 上述の如く、被告の被告自身の立場に関する主張は全く合理的な根拠を欠いた、違法な主張であることは明らかである。被告が言う「事実上の上司」とは、正しくは「公にできない、違法な上司」と言い換えられなければならない。原告は、この違法な主張に基づいてなされた被告側「準備書面(2)」における主張を全て否認する。

(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘
 被告「準備書面(2)」において、被告は道立文学館に「着任」した日について、次のように書いている。
 
「被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の勘違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。/着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。したがって被告には『二組のデュオ展』の進行を阻害する意図などあり得るはずもなく、原告の主張は後日の言いがかりにすぎないものであり、被告の言動には法令違反の事実はいささかも認められない。」引用文中、/は改行を示す。以下同じ)
 この文章の前段は被告の記憶の誤り、すなわち錯覚であって、原告が先の「準備書面」で言及しておいたように、被告が着任したのは4月4日であった(
甲37号証の1・2・3)。この日付の勘違いによって明らかなのは、今般の被告「準備書面(2)」の記載内容が被告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。
 ただし、ここで指摘しておきたいのは、そのことだけではない。むしろ後段の「着任日には」から「着任したのである」までの記述についてであって、以下に分析するがごとく被告の文章の文意が極めて曖昧なことである。
A、まず指摘したいのは、
平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けた」ことと、いずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任した」こととの間の文章のつながり、あるいは因果関係が不明瞭である、という点である。普通に文章を読みなれた者ならば、誰しも以下のような疑問を禁じえないだろう。
a)「平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けた」ことが、被告が「指揮監督する立場に着任した」ことの裏づけとなったのか。すなわち、被告は平原一良学芸副館長(当時)によって「指揮監督する立場」に任命されたのか。もしそうならば、平原一良学芸副館長(当時)は被告に「指揮監督する立場」を与える権限を持っていたことにあるが、被告はそう主張をしていると解釈してよいか。
b)被告は誰かによって「いずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場」に任命され、その立場で平原一良学芸副館長(当時)と会い、「平成18年度の事務事業について説明を受けた」のか。もしそうならば、誰が如何なる権限に基づいて、被告に「いずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場」を与えたのか。

B、次に指摘しなければならないのは、文意が通らず、概念が曖昧な言い方をしていることである。
a)「指揮監督する立場に着任した」における「立場」とは地位、あるいは身分を指すのか。その場合、北海道教育委員会の職階制における地位または身分なのか。それとも財団法人北海道文学館における地位または身分なのか。
b)「指揮監督する立場に着任した」における「立場に」とは、「立場の人間として着任した」の意味なのか。それとも「着任してその立場に任ぜられた」あるいは「着任してその立場に就くよう求められた」の意味なのか。

C、第3に指摘できることは、被告の主張する立場は「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(平成18年4月1日現在。甲2号証)、及び「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在。甲3号証)とどう対応しているのかが不明なことである。
a)「いずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場」とは、「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」のどこに位置づけられるのか。
b) 被告が北海道教育委員会の学芸主幹であることと、「いずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場」とは如何なる関係にあるのか。

D、第4に指摘できることは、「指揮監督」という言葉が無限定に使われていることである。
a)被告がいう「指揮監督」は、先に言及した『協定書』第14条のどの文言と対応するのか。
b)被告がいう「指揮監督」は、先に言及した「指定管理者(財団法人北海道文学館)の求めに応じて行う専門的事項」におけるどの事項と対応するのか。

 被告側「準備書面(2)」は、上記の疑問に答えられる書き方になっていない。
 被告側「準備書面(2)」は、被告と原告との関係が北海道教育委員会の職員と財団法人北海道文学館で嘱託として働く民間人との関係であること、及び本訴訟の争点は公務員の民間人に対する人格権侵害(人権侵害、業務妨害)であることには一切言及していない。故意に無視して、上司と部下の関係であったかのようにすり替えようとしている。その結果、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で指摘したように制度的、法的、組織的、規程的に根拠のない、違法な主張を繰り返さざるをえなかった。そのようなすり替えを強引に行おうとした文章上の作為が、ここで指摘した文意の不明瞭、概念の曖昧さとして端的に露呈してしまったのである。

(ハ)原告が主張する15項目に対する被告の反論に対する反論
被告側「準備書面(2)」の原告側「準備書面」に対する反論は全てにわたって虚偽と事実の歪曲に満ちており、原告はこれを全面的に否認する。以下、被告側「準備書面(2)」の項目の順序に従い、――必要に応じて順序を変える場合もある――その理由を述べる。

1 「(1)平成18年4月7日(金曜日)」について
(2)同第2段
 被告と道立近代美術館のK学芸員とが如何なる関係にあったかは、本訴訟の争点に直接かかわらない故、原告の関知するところではない。ただ、被告に対するK学芸員の「相談」が被告の原告に対する態度に何らかの影響を与えたと主張するのであるならば、
① 原告がK学芸員の送った手紙を証拠物として提出し、原告の手紙の如何なる部分が
「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」であったかを証明しなければならない。
② 被告がK学芸員から相談を受けた日時、場所を可能なかぎり明示しなければならない。
 もし以上のことができないならば、被告側「準備書面(2)」におけるこの個所の記述は、要するに被告がK学芸員の言葉によってある種の予断を触発され、偏見をもって原告に対した事実を露呈したことにしかならない。それだけでなく、被告は、原告に対する自分の態度の責任を、K学芸員に押しつけたことになる。
 被告は
「したがって、近代美術館への原告の訪問調査を否定するいかなる理由も被告にはなく、むしろ調査が適切に遂行されるように指導する立場であった。」と言うが、原告は「被告が原告の訪問調査を否定した」という意味のことは書いていない。被告の誤読である。被告が原告を「指導する立場」になかったことは、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述しておいた。そもそも「指導する立場にあった」という文言は「指導した」ことを意味しない。

(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告は、「この時の被告の発言は、原告が同館を訪れ指導を受ける場合には、事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておくことが適切である旨を告げたものであって、被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である。」と言うが、もし本当に被告が、前段で言うごとく、K学芸員から被告の手紙の内容を聞いていたならば、このような記述はありえない。なぜなら、原告がK学芸員の送った手紙はまさに「事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておく」内容のものだったからである(
甲38号証)。その点でこの段と前段との記述は整合せず、被告の記述自体の信憑性が疑われる。
 被告が原告を「指導する立場」になかったことは、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述しておいた。被告が原告に対して、「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだから、ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と言い募ることは、「指導」であるどころか、「助言」でさえなく、如何なる意味でも駐在先の文学館における学芸関系の職員に対する「適切」な言動とは言いがたい。
 この会話があった4月7日は、被告が道立文学館に着任して僅かに4日目のことであった。仮に被告の「指導」という言い方に従うとしても、被告が言うが如き「通常の指導」など生まれるはずのない時期である。被告は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書を前提にして、自分を原告に対する「指導」を許された人間として正当化しようとしているらしいが、――それが法的、制度的、組織的、規程的に違法なものでしかないことは既にしておいた――それが被告たちによって作成されたのは4月18日のことである。これらの前後整合しない、錯乱した記述は、被告の主張が後日の作文でしかないのではないかを疑わせる十分な材料と言えよう。
 被告は
「双方の発言の子細は(原告の)準備書面のとおりではない。」と主張するが、それならば被告は、自分の証拠に基づいて「発言の子細」を明示しなければならない。それができなければ、被告が原告に対して「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだから、ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と言い募った事実を否定することはできないのである。

3)同第3段
 被告は、
被告は文学館に着任早々、年間事業計画及び各展覧会の企画内容について引き継ぎを受けており、」と言うが、「着任早々」とは何日のことか明らかではない。また、誰から「引き継ぎをうけた」のかも明らかではない。平原学芸副館長から年間事業計画及び各展覧会の企画内容の説明を受けることは「引き継ぎ」ではない。「引き継ぎ」と言う以上、それは被告には前任者がいたことを意味する。被告はこれらの点を明らかにし、その上で、原告の企画の如何なる点を評価して「『いいじゃない、やりなさい』と積極的に肯定した」のかを明らかにすべきである。そのことによって初めて原告の主張に対する被告の反論に一定の客観的な裏づけが生まれる。だが、この段における被告の反論はその裏づけを欠いている。
 被告は、
「『二組のデュオ展』の展示原案が文書としてまとめられていたこと、及び4月7日当日原告から示されたことは認めるが、その余は否認する。」と言うが、もし原告の「ところが被告は手にも取らずに、『いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい』と嘲笑的な口調で言い、無関心な態度を示した。」(原告「準備書面」)という記述を否認するのであれば、自分の側の証拠を提出し、それに基づいて否認の理由を明らかにしなければならない。

(4)同第4段
 被告が4月1日の土曜日、文学館に顔を出したことは認める。しかしそのことが直ちに「着任」を意味するわけではない。着任式が行われたのは4月4日である(
甲37号証の1・2・3)。被告は、被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。」と主張するが、事実はその反対で、被告の記憶のほうが曖昧であったことは、既に指摘しておいた。
 また、この段における「着任日には」から「着任したのである」までの記述は文意が不明であり、概念が曖昧であることに関しては、「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で明らかにしておいた。
 被告は更に続けて、
したがって被告には『二組のデュオ展』の進行を阻害する意図などあり得るはずもなく」と主張しているが、原告は原告側「準備書面」で「被告が『二組のデュオ』の進行を阻害した」とは言っていない。被告の誤読である。
 以上の如く、平成18年4月7日(金曜日)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、原告側「準備書面」の誤読や認識違いのため信ずるに足りぬものであり、かつ、被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がない、違法なものであった。故に、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

2 「(2)平成18年5月2日(火曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段、第3段
 被告が「ケータイによる文学碑写真コンテスト」を口にしたのは、4月7日、原告が被告に文学碑データ検索機を見せた際であった。その後、4月28日に日本博物館協会から「ケータイ・フォトコンテスト」のポスターが届き、それをきっかけに被告は「あの企画は進めなければならない」と言っていた(
甲17号証)。このような経緯の後、被告は5月2日に「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい」と言ったのであり、その方法に関しては、ケータイ・フォトコンテスト以外の方法は挙げなかった。被告は、「「ケータイ・フォトコンテストを前提にしていた」わけではなく、例として提示しただけである」と言うが、以上のような経緯から判断しても、被告の提案が「ケータイ・フォトコンテストを前提にしていた」ことは明らかである。
 なお被告は、前回の「準備書面(1)」では
「被告と原告の間で、文学碑データベースの話をしたことは認める。ただし、細部については否認ないし不知である。」と主張していたが、今回の「準備書面(2)」ではケータイ・フォトコンテストを話題にした事実を認め、かつ原告の「準備書面」の第1段、第2段、第3段について「内容は事実として認める」と訂正している。これは被告が、この日の話題が画像収集の方法に関することだったことを認めたことを意味する。このことは後に重要な意味を持ってくることなので、確認しておきたい。

(2)同第4段
 被告は
「その打ち合わせの際、実施に当たっては引き続き検討しなければならないいろいろな課題があることが明らかとなったので、引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続的に検討して企画書としてまとめるよう、原告に対して平原学芸副館長とともに指示した」と曖昧な言い方をしているが、5月2日の話し合いの、どのようなプロセスの中で、どのような「いろいろな課題」が明らかになったのかを説明していない。その説明ができなければ、この記述は虚偽に転じてしまう。
 以下にその理由を示すならば、
a)そもそも被告が持ち出した話題は、「文学碑検索機のデータの、画像がないものについて写真を集めたいので、原告に〈ペーパー〉を書いてほしい」ということだった(
甲17号証)。写真の集め方については、少なくとも被告が話を切り出した時点では、ケータイ・フォトコンテストを前提としていたことは、先に指摘しておいたとおりである。それ故原告はそれに伴う問題点として、業者にフォーマットを作り変えてもらうことやコンテスト実施のための予算の問題と、他の職員のスケジュールの問題を念頭に置いて、「私はそういうことができる立場では……」と言いかけたのだが、その途端、原告の言葉を遮り、話題を原告の身分問題に曲げてしまった。だが、錯綜する議論の中で原告は予算問題とスケジュール問題を指摘している。
b)被告が言う「いろいろな課題」は、予算問題とスケジュール問題の2つの問題を指すはずであり、そうである以上、
引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続的に検討して企画書としてまとめるよう、原告に対して平原学芸副館長とともに指示した。」という記述は事実に合わない。原告は予算問題とスケジュール問題の「解決に向けどのようなことが必要となるかを継続的に検討して企画書としてまとめるよう」求められた事実はなかったからである。原告は被告と平原学芸副館長から「指示」を受けたわけでもない。原告が受けたのは「(画像を集める)アイデアを出してほしい」という要望だけであった。何日までにアイデアを出すかについては、何の話もなかった(甲17号証)。
c)被告は先の文章に続けて、
準備書面第4段に書かれたフォトコンテストの課題について個々の議論をしたわけではなく、市民参加による画像データの収集についてはフォト・コンテスト以外にもさまざまな方法が考えることから、検討可能な複数の案をまとめるように原告に伝えた。むろん企画によっては経費発生も予想されることから、事業経費についても大まかに想定するように指示したのである。」と言うが、そもそもフォトコンテストの課題について個々の議論ができなかったのは、被告が原告の発言を遮って、十分な説明をさせなかったからにほかならない。被告は、「フォト・コンテスト以外にもさまざまな方法が考えることから、検討可能な複数の案をまとめるように原告に伝えた」わけではない。それまで固執していたフォト・コンテスト方式を、「私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている」と引っ込めたにすぎない(甲17号証)。「事業経費についても大まかに想定する」という「指示」はなかった。
 ただ、5月2日の話し合いについて、被告は、話題は画像収集の実施についてではなく、画像収集の方法に関するアイデアを出してほしいということに終始したことを認めた。このことは確認しておく。
 
(2)同第5段、第6段、第7段
 被告は、
この打ち合わせの時、原告から自分が担当であってよいのかについて質問があったので、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。」と言うが、この文の主語が明らかではない。もし被告が主語ならば、被告に「指示する」権限はない。そもそも被告は話し合いの場において、「前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように」という意味の発言を一度もしなかった。この個所は被告の自己合理化のために後日に作文したものである。
 被告は、原告が「私はそういうことが出来る立場では……」と言いかけた途端、原告の発言を遮って、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と、声を荒げて問い詰めてきた。被告は、
原告から、自分は財団職員ではないとの発言があったため」と言うが、これは虚偽の主張であって、原告は「自分は財団職員ではない」という意味の発言をしたことはない。原告は、身分上の問題に関しては、「自分は嘱託の身分である」旨の返事をしただけである。
 被告はそれに対して、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と声を荒げて力説するのみであったが、このような主張は、嘱託という身分に伴う社会的不利益や、それを代償として持ち得る権利とをことさら曖昧にして、「立派な財団職員」という美名によって(正職員に与えられる権利を伴わない)義務意識だけを押しつけようとするレトリックであり、それ故そのように主張すること自体がすでに「立派な」人権侵害なのである。
 被告はさらに、
なお、第7段中葉の安藤副館長の前年度3月の発言については、被告は不知である。」と言うが、無責任もはなはだしい。次の「(2)同第8段」で被告は平原副館長という言い方をしていたが、この時点の副館長は安藤孝次郎氏であった。財団における嘱託職員がどういう立場にあるかを被告が知りたければ、被告は安藤副館長に確かめればよい。平原学芸副館長と口を揃えて〈内鮮一体・五族協和〉のような、見せかけ反差別主義の強制的一体化論などを喋喋する必要はなかったのである。「自分が着任する前に原告と安藤副館長とがどんな話をしたか、自分には関係ない」と言い切るこの言葉からも、いかに被告の顔が平原学芸副館長にだけ向けられていたかを読み取ることができるだろう。
 
(2)同第8段
 この個所の被告の記述は虚偽と矛盾が錯綜しており、以下それを解きほぐしながら、幾つかの項目に別けて反論をする。
a)原告が平成18年度、どのような業務についていたかについて、「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(
甲3号証)で説明するならば、原告の事務分掌は、
8「定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること」の副担当(主担当はA学芸員/駐在道職員)
10「常設展示の企画調整、展示更新に関すること」の副担当(主担当はS社会教育主事/駐在道職員
13特別企画展「石川啄木」の副担当(主担当はS社会教育主事)
14「ファミリー文学館[知床の自然を描く―関屋敏隆絵本原画展]の企画、実施に関すること」の副担当(主担当はA学芸員)
18 企画展「人生を奏でる二組のデュオ」展の主担当(副担当はA学芸員)
28「収蔵資料目録、調査研究報告書の編集、発行に関すること」の主担当(副担当はO司書)
34「文学資料の解読、翻刻に関すること」の主担当(副担当はA学芸員)
であった。
 ただし、8「定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること」は、年度当初の「事務分掌」表にはなかった(
甲60号証参照)。ところが4月14日、原告は平原学芸副館長に呼ばれ、「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」については、表の上では担当はA学芸員、O司書になっているが、それを原告が手伝う形にして欲しいと言われて(甲62号証参照)、結局なしくずしに8「定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること」の業務が増え(甲60号証甲3号証とを比較参照)、また、それとのからみで、
20「閲覧室・共同研究室の運営および文学資料の閲覧に関すること」(主担当はO司書、副担当はA学芸員)
21「文学資料の貸し出しおよび特別利用に関すること」(同前)
に関しても、4月中旬から協力することになった(
甲3号証が作られた経緯及び平成18年4月1日に日付を持つ経緯については、被告の「陳述書」2ページ参照)。
 このように原告は、被告が引用した「文学館嘱託員任用にかかる取扱要領」に記された業務だけを遂行していたわけではない。また、文学碑検索機のデータベース作成に関して言えば、平成17年11月の道立文学館開館10周年の行事を目途として完了し、10周年記念行事の一環として来観者に公開した。平成18年度は各市町村から新たに情報が入った場合、原告が更新をすることになっていた。
b)被告は、
稼働したばかりの文学碑データベースについては毛利正彦館長(当時)からもその充実を被告は指示されていたので、事前に館長、副館長ら財団幹部職員とも協議し、更新業務の担当を原告に継続させるとの了解を得た上で、」と言うが、被告が館長から指示を受けた日時や場面が明記されていない。また、館長、副館長ら財団幹部職員と協議した日時や場面も明記されていない。被告は「この日、平原副館長とともに原告に対して業務の開始を指示したものであり、なんら法令に違反するところはない。」と主張するが、その主張を裏づけるためにも、上記の2点を証拠物に基づいて具体的に明記すべきである。それができなければ、被告は根拠のない主張をしたことになる。
c)なお2点注意をしておくならば、平成18年5月2日の時点における副館長は安藤孝次郎氏であって、平原一良氏ではない。原告は平成18年10月31日付のアピール文(
甲17号証)を神谷理事長、毛利館長(当時)、平原副館長、川崎業務課長、及び被告本人に渡したが、11月10日、毛利館長、平原副館長と話し合った折にも、その後においても、被告が言う「事前に館長、副館長ら財団幹部職員とも協議し、更新業務の担当を原告に継続させるとの了解を得た」というような経緯については、毛利館長から聞いたことがなく、それ以外の人からも一言の言及もなかった。この2点から判断しても、被告の主張の信憑性は極めて疑わしい。
d)さらに注意を促すならば、原告は、被告が「平原副館長とともに原告に対して業務の開始を指示した」ことについて、「法令に違反する」とは言っていない。存在しなかった「指示」について、そのコンプライアンスの是非を論ずることはできないからである。原告は道立文学館の過密スケジュールの中で、上記のような事務分掌に従事していた。その原告に対して、年間スケジュールにない、ケータイ・フォトコンテストによる画像収集の話が持ち込まれた。そのことについて、原告は、原告側「準備書面」において、「北海道教育委員会の駐在道職員である被告が思いついたケータイ・フォトコンテストは、平成18年度の過密スケジュールに追われている財団法人北海道文学館の業務課と学芸班の両方に大きな負担を強いる企画である。駐在道職員の被告は、年度途中に、財団法人北海道文学館の嘱託である原告に、原告が業務を担当することを前提として、企画作りを強圧的な態度で要求した。これは、財団に対しては、北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱して、「地方公務員法」第32条に反して行われた干渉行為であり、他の業務を抱えた原告に対しては業務強制の人権侵害の違法行為である。」と指摘したのである。
e)また、被告は、被告側「準備書面(2)」において、
原告の主張は今般の訴訟に際して作為的に記されたものにすぎず、さらに業務命令をも隠蔽しようとする意図が明白であって断じて認めることができない。」と言うが、5月2日の話し合いにおいては如何なる意味においても「業務命令」はなかった。いったい誰から出た、どのような業務に関する「命令」だったのか。被告が自分の思いつきを年間スケジュールに割り込ませようとしたことを、被告が「業務命令」と呼んだとすれば、それは被告の強弁である。原告が、存在しなかった「業務命令」を隠蔽する動機を持つはずがない。「作為的な」記述を行っているのは被告のほうである。
f)また、被告側「準備書面(2)」は、この段の結びにおいて、
なお、原告は準備書面のなかで、本データベースの更新作業を特別企画展『石川啄木―貧苦と挫折を越えて』(以下、「石川啄木展」という)の業務妨害だと今になって主張しているが、この日の打ち合わせにおいては、石川啄木展も他の展覧会事業についても話題にはならなかったものであり、原告の主張は事実に反する。」と言うが、支離滅裂と評するしかない。
 第1に、5月2日の話題は「データベースの更新」ではなく、「ケータイ・フォトコンテストによる画像収集」であった。
 第2に、原告は、原告が「石川啄木展」の副担当であった事実を挙げて、「被告はその『事務分掌』を無視して『啄木展』に介入し、原告を疎外し、他方、自分が思いついたケータイ・フォトコンテストの企画作り(原告の実施を前提とする)を原告に押しつけようとした。これは前項で指摘した規律違反であるだけでなく、原告に対しては業務の不当なすり替えであると共に、『啄木展』副担当という責任を原告に果たさせまいとした点で、『刑法』第234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である。」(原告「準備書面」)と指摘したのである。
 被告は、自分自身が
「本データベースの更新作業を特別企画展『石川啄木―貧苦と挫折を越えて』(以下、「石川啄木展」という)の業務妨害だと今になって主張している」という短絡的なとらえ方を行いながら、あたかも原告がそのように短絡的な言い方をしたかのように作文している。これは、被告が「事務分掌」を無視して啄木展に介入し、原告を疎外してしまった事実を隠蔽するための作為と見るほかはない。
 第3に、5月2日の話し合いにおいて、啄木展やその他の展覧会事業のことが話題に出なかったのは、5月2日の話し合いの話題の中心がケータイ・フォトコンテストによる画像収集の可能性や是非の問題にあったからである。別なことが話題になっている場で、原告が啄木展やその他の展覧会事業のことを話題にしなかったからと言って、被告が「事務分掌」を無視して啄木展に介入し、原告を疎外してしまった事実が消えるわけではない。原告がその事実を肯定していたことを意味するわけでもない。
 そして第4に、被告は
「この日の打ち合わせにおいては、石川啄木展も他の展覧会事業についても話題にならなかったものであり、原告の主張は事実に反する。」と言うが、この「事実」が何を指しているのか。もしこの「事実」が、この日の打ち合わせにおいては、石川啄木展も他の展覧会事業についても話題にならなかった」ことを指すのならば、その「事実」に反する原告の発言とは何か。先ほども言ったように、原告はその日、「啄木展やその他の展覧会事業のことを話題にしなかった」。そのこととこの「事実」とは、どこが反するのか。
 ただ、5月2日にケータイ・フォトコンテストが話題になった時、職員の多くが過密スケジュールに追われ、とてもケータイ・フォトコンテストなどというイベント性の強い企画を割り込ませる余裕はなかった(
甲16号証参照)。しかも被告は自分が主担当でもなければ副担当でもない「石川啄木展」に介入し、副担当の原告を疎外してしまった。そういう状況とのからみで、原告は、先に引用したような原告「準備書面」で、被告の違法性を指摘したのである。
 以上の如く、平成18年5月2日(火曜日)に原告が被告から被った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、信憑性の乏しい記述に終始し、かつ、文意の不明な箇所もなしとしない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

3「(3)平成18年5月10日(水曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段、第3段
 被告側「準備書面(2)」は、被告を「事実上の上司」としているが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述した如く、被告は法的、制度的、組織的、規程的の如何なる面によっても原告の「上司」たりえない。被告が言う「事実上の」は、「公開をはばかる、違法な」という言い方に置き換えるべきであり、被告はその違法性を糊塗するために「事実上の」という文言と思われるが、いずれにせよ被告が恣意的に用いている用語にすぎない。よって、被告が自分を「事実上の上司」と称して主張する自己正当化は全て無効である。
 なお、被告の勘違いを指摘しておくならば、
a)原告が出席しようとしたのは小樽啄木会が主催する「啄木忌」で行われる講演会であって、市立小樽文学館が主催する文芸講演会ではない。原告は平成15年、小樽啄木会に依頼されて、「心のスナップショット――石川啄木と同世代の青年たち―」という講演を行った(
甲39号証の1・2)。以来、小樽啄木会から毎年、招待状が届き、出席していた。会の性質から判断して、出張ではなく、早退としたのである。被告は「小樽で催される文芸講演会への出席であれば文学館の業務となるはずであり、」と主張するが、しかし被告は、5月10日の時点では、「啄木忌の講演であっても学術講演会扱いにできるから、出張の手続きをしたほうがいい」という意味のことを一言半句も言わなかった。ただ「なぜ休暇を取るのか」「何時間休暇を取るのか」というトリビアルなことに執拗にこだわっていた。そのことは、原告の「準備書面」を読んだ現在においてもまだ小樽の啄木忌の講演を「文芸講演会」と勘違いしていることでも明らかである。なぜ今になって「文芸講演会への出席であれば」などと言い出したのか。原告の休暇の取り方について執拗にこだわり、干渉しようとしたことを、「事実上の上司」の「指導」という虚構の行為に見せかけるための作文としか考えられない。
b)嘱託託員の休暇は、通常、休暇処理簿に記載するだけで、「あらかじめ館長に申請」(被告側「準備書面(2)」)することはしていない。また、その理由についても、これまた通常、個人的な都合であれば、「私事」と書くだけだった。
c)休暇処理簿への記載は必ずしも時間単位と決められていたわけではなく、分単位でも差支えなかった。休暇時間の計算は業務課が行ってくれた。
d)被告は、
原告から自分は嘱託員であるから休暇は自由に取得できる旨の発言があったため、」と言うが、原告は「自分は嘱託員であるから休暇は自由に取得できる」意味の発言は一度もしていない。被告は、如何なる会話の流れの中で原告がそのような発言をしたか、被告側の証拠物によって証明すべきである。被告はこの個所の第1段落で、5月10日に休暇の取得について話をしたことは認めるが、会話の文言やその意図は否認する。」と主張していたが、「否認」の理由を明らかにするためにも、被告側の証拠に基づいて会話の流れを再現することが必要であろう。
e)嘱託職員には年休がない、ということの意味は、嘱託職員には有給年次休暇日として決められている休みの枠がなく、それ故使わなかった有給年次休暇日を次年度に繰り越すこともできない、という意味である。
 被告は安藤副館長からe)について説明を受けたはずである(
甲26号証参照)。しかも原告からb)c)の説明を受けており、それで十分に原告に対する用事は済んだはずである。被告は、この日の翌日が原告の勤務日ではない(原告の勤務日は火曜日、水曜日、金曜日、土曜日とされていた)ことから、被告は早期に原告の理解を得ることが必要と考え十分説明し理解を得るよう努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することとなった(原告の勤務時間は9時15分から17時までとされていた)とはいえ、」と言うが、原告が13日の早退について職員の了解を得たのは9日(火)のことであり、12日(金)には出勤する。すでに9日に皆の了解を得たことについて、被告が「早期に原告の理解を得ることが必要」と焦る理由はどこにあったのか。また、一体どのようなことについて、原告の理解を得るつもりだったのか。被告がb)c)e)のことを理解していれば、原告の早退に関して、原告の理解を得なければならないことはなかったはずであり、いわんや「早期に」などと焦る理由も必要もなかったはずである。
ところが被告は、原告の退勤時間が近づいた午後4時半ころ、再び原告のもとにやってきて、午後5時半ころまで足止めをした。退勤後に約束や用事を持つ人間にとって、30分は決して「若干」ではない。しかも、原告の足止めをして語った内容は、「原告は嘱託ではない、立派な財団職員だ」という、5月2日以来の主張の蒸し返しだった。このような主張を押しつけることは、「2「(2)平成18年5月2日(火曜日)」について」の項で指摘した如く、それ自体がすでに人権侵害なのであるが、もしそういう主張を押しつけることが「早期に原告の理解を得ること」の動機だったとすれば、被告による原告の足止めは一そう悪質、不当な行為だったと言うほかはない。
 被告は、
これらのことをとらえ、原告に対する『プライバシーに対する干渉』であり、『退勤時間以後も原告を拘束し』『フルタイムの正職員とおなじ労働と責任を強制した』と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるをえない。」と言うが、上述の如く原告の主張は全く正当である。
 のみならず、原告は「退勤時間以後も原告を拘束し」たことをもって、「フルタイムの正職員とおなじ労働と責任を強制した」とは言っていない。文脈が異なる。原告は、「北海道教育委員会の職員である被告が、財団の嘱託として働く一市民の原告に対して、執拗に『原告は嘱託ではない、立派な財団職員だ』という考えを強制した。嘱託職員の立場と権利を無視し、フルタイムの正職員とおなじ労働と責任を強制したことは、憲法が保障する基本的人権を無視し、財団と被告が結んだ契約外の労働の強制した点で、『民法』第709条に該当する不法行為である」(原告「準備書面」)と指摘したのである。
 被告は原告の主張に関して「常軌を逸した」という人格誹謗の形容句を使っているが、そういう言葉を無自覚、無反省に使ってしまう無神経な発想こそが人権侵害を生んでしまったことに被告は気がつくべきであろう。
 以上の如く、平成18年5月10日(水曜日)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

4「(4)平成18年5月12日(金曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段及び①、②、第3段
 被告は、
被告が文学館の平成18年度の展覧会事業について年間の執行計画の見込みを立てるため、原告を含む3名の展覧会担当者に今後の支出予定額を照会した事実は認める。」というが、各展覧会事業に関する予算額は、平成18年3月3日(金)に開かれた理事会において既に決定されていた(甲40号証)。それ以後、5月12日に至るまで、展覧会事業の執行計画の見直しを図らなければならないほど、臨時に大きな支出を要するような事態は起こっていなかった。なぜこの時期、被告は、被告自身も「文学館の支出事務は財団の業務課が担当しており、被告はその事務処理に直接関与する立場にない」ことを認めているにもかかわらず、わざわざ原告とA学芸員を呼んで、展覧会事業の予算執行計画の照会を行わなければならなかったのか。その理由は、被告自身が予算の執行に失敗したからにほかならない。
(2)同第4段、第5段、第6段
 この個所の被告の記述は、虚偽と事実の歪曲に満ちているので、幾つかの項目に別けて反論をする。
a)被告は、
文学館においては、毎年度、文学館の事業量や職員体制などを勘案してそれぞれの展覧会の『主担当』『副担当』を決めて、全職員総掛かりで準備・実施している。」と言うが、不正確である。それぞれの展覧会事業の一つひとつに全職員が総掛かりで取り組んでいるわけではない。なぜなら、文学館の根幹とも言うべき日常的な学芸業務として、新たに購入または寄贈された資料の整理、登録、利用希望者への対応、肉筆資料の解読と翻刻、調査研究書の編集と発行などがあり、それらの業務に従事している職員が、各自の業務を中断して、展覧会事業に総掛りで取り組むことはあり得ないからである。「主担当と副担当とが責任をもって準備を進め、展示室の設営の段階で、手の空いている職員が主担当、副担当の作業に手を貸すやり方で実施している」と言うべきである。被告はそういう実態には言及せず、「全職員総掛かりで準備・実施している」と不正確な言い方をしたが、それは被告が事務分掌を無視して「石川啄木展」に深くかかわった行為を正当化する伏線であろう。
b)被告は、
被告は、学芸班を統括する立場にあることから、」と言うが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述した如く、被告が言う「学芸班」は架空なものでしかない。故に架空な「学芸班」を前提とした被告の「立場」も何ら正当な根拠を持たない。また、この「立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。被告は先の言葉に続けて、自ら協力したり、他の職員の協力を指示したりすることが重要な職務である。」と主張しているが、原告の知るかぎり、被告が「自ら協力した」事実はない。ただし、被告が主担当でもなければ副担当でもない「石川啄木展」に、被告が勝手に介入した事実はある
c)被告は
「『石川啄木展』においても、その準備は駐在道職員のS教育主事によって着実に進捗していた状況にあり、被告はもっぱら業務の進行状況を確認し必要に応じて指導と助言を行っていたものであって、そのことをもって『原告の重要な業務の一つを奪った』とし、『業務妨害である』という原告の主張は根拠のない暴論と言わざるをえない。」と言うが、被告は原告が「石川啄木展」の副担当であった事実を言い落としている。被告は、先には「全職員総掛かり」という不正確な言い方をし、ここでは「石川啄木展」が原告の「事務分掌」の一つであった事実を隠してしまったのである。
d)同じ駐在道職員である被告とS社会教育主事とが、北海道教育委員会の職階制上でどのような関係にあるかは、原告の関知するところではない。しかし原告は、被告がS社会教育主事に対して「指導と助言」をした点を挙げて、それをもって「原告の業務を奪った」とし、「業務妨害である」と主張したわけではない。被告は原告の「準備書面」を故意に読み違えている。原告は、「石川啄木展」の主担当でもなければ副担当でもない被告が、原告に何のことわりもなく「石川啄木展」に介入し、原告を疎外したことを「原告の業務を奪った」と主張したのである。原告に課せられ、原告が行うべき業務を、原告に遂行させなかったことを指して、「業務妨害」と指摘したのである。
e)被告はS社会教育主事と共に、ジュラルミン・ケースを持って、東京の日本近代文学館まで展示資料の借用に出張し、返却の際にもまた一緒に東京へ行くなど(甲41号証)、単なる「指導と助言」以上に、「石川啄木展」に深くかかわっていたことは明らかである。「石川啄木展」の当初予算は3,712,000円だった。被告はこの数字には言及しなかったが、5月12日の時点で、早くも予算執行が大幅に予算を超過してしまったことを明言している。その責任は全てS社会教育主事だけにある、と考えることはできない。
f)被告は、
第4段から第6段において、原告は展覧会の予算額等を挙げてこの5月12日に執行計画を議論したかのように記述しているが、被告が原告に対して求めたのは今後の執行予定額を整理するよう指示したのであり、原告の推論に基づく意見の列記は認めることができないものである。」と言うが、そもそも被告は原告に「指示」できる立場ではなかった。だが、その問題は差し置くとしても、被告が原告に対して「今後の執行予定額を整理」しておいてもらいたい旨を依頼するに際しては、その理由を説明したはずであり、被告が述べた理由は原告が列記したとおりのことであった。決して原告が「推論」で列記したのではない(甲27号証)。念のために、原告の「準備書面」からその個所を引用すれば、原告が列記したのは次の2点であった。

① 現在、「写・文交響―写真家・綿引幸造の世界から」展(期間・平成18年4月29日~6月4日 以下、「綿引展」と略)、「デルス・ウザーラ―絵物語展」(期間・平成18年6月10日~7月9日)、「啄木展」(期間・平成18年7月22日~8月27日)についてはすでに予算が執行されているが、「啄木展」のところで予算を大幅に超過している。
②指定管理者制度の下では、予算は4年間の間に使い回ししてよいことになっていたが、やはり単年度計算でなくてはならないということに一昨日(5月10日)に決まった。そのため、特別企画展「啄木展」と「池澤夏樹のトポス」展(期間・平成18年10月14日~11月26日 以下、「池澤展」と略)とであとどれだけ予算が使えるかを出すために、急遽、他の展示の担当者たちに、支出予定の内訳を算定してもらわなければならない。
 
 被告がこの2点を否定したかった一つの理由は、
甲28号証によって証明される如く、大幅な予算超過の支出をしてしまったことであろう。もう一つの理由は、「やはり単年度計算でなくてはならないということに一昨日(5月10日)決まった。」(甲27号証参照)と言った事実を、原告に記録されてしまったからである。5月12日の時点で「一昨日」と言えば、5月10日に当たるが、「3「(3)平成18年5月10日(水曜日)」について」の個所で見てきたように、被告はこの日、原告が13日に早退することについて執拗にこだわっていた。被告は「一昨日(5月10日)決まった」と言ったわけだが、この日に会議はなかった。被告は5月10日、どのような会議において、「やはり単年度計算でなくてはならないということ」に決まったのか、説明ができなかったのであろう。
 もし被告が、あくまでも原告の記述は「推論」にすぎないと主張したいのならば、被告自身の証拠物に基づいて主張すべきである。
g)被告はこの日、以上の2点だけでなく、「〈企画展〉の財布は一つしかない。だから、原告が主担当の『人生を奏でる二組のデュオ』展の予算1,516,000円は、他の2つの展示『書房の余滴―中山周三旧蔵資料から』(期間・平成18年12月9日~24日 以下、「中山展」と略)と『聖と性、そして生―栗田和久写真コレクションから』(期間・平成19年1月13日~1月27日 以下、「栗田展」と略)とでシェアしなければならない」と主張していた(原告「準備書面」)。ところが、被告は今回の「準備書面(2)」でこの発言には言及していない。それは被告にとって都合の悪い発言だったからであろう。なぜなら、「二組のデュオ展」は財団法人北海道文学館が道から受け取る管理・運営資金(平成18年度は142,914,000)、いわゆる「道負担金」によって実施される展覧会である(
甲40号証)が、「中山展」と「栗田展」は財団法人北海道文学館の自主財源によって行われる財団企画事業だったからである(甲40号証甲42号証)。すなわち「財布は二つ」であり、経理の上では厳密に区別しなければならないのであるが、被告は「財布は一つ」という言い方で、道負担金と財団自主財源とを一緒にしてしまい、自分が主担当の「栗田展」のために、原告に「二組のデュオ展」の予算の一部を割かせようとしたのである。
h)また、被告は、
またこの後、実際に原告が作成した支出予定表は空欄の多い未整理なものであり、あまり役立つ資料ではなかった。」と言うが、被告は、原告がサーバーに載せた「展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】」(甲29号証)の読み方を知らなかったのであろう。原告が出した「展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】」の17項目のうち、空欄にしておいたのは「ポスター・ちらし」「チケット」「屋内外看板(サイン)」「設営経費」の4項目だけであった。展覧会事業に通じた者ならば直ちに分かるように、最もフレキシブルに支出予定額を調整できる項目なのである。被告は「あまり役立つ資料ではなかった」と言うが、役に立てられるか否かは被告の能力の問題である。
i)被告は自分が業務課の仕事にまで介入したことについて、
文学館の支出事務は財団の業務課が担当しており、被告はその事務処理に直接関与する立場にはないが、適切な予算執行を考慮し、先の見通しを持って事務事業を遂行することは、財団職員、駐在職員の如何を問わず組織人として当然のことであり、なんら法令に違反するものではない。」と弁解しているが、「組織人」とは如何なる概念か、曖昧である。公務員としての職務に励み分限をわきまえるという鉄則を無視し、他人の権利を侵し、組織に損失を与えて、責任を取ろうともしない人間が、被告の言う「組織人」とすれば、そのような人間が存在すべきであるとも、必要だとも考えられない。のみならず、被告の予算執行が「適切な予算執行を考慮」したものであったとはとうてい考えることができない。
j)被告は、
また、企画展『写真家・綿引幸造の世界から』のポスター増刷等、財団の決定した支出行為を挙げて、原告に対する『極めて悪質な業務妨害』であり、『実害を蒙った』と、被告の責に帰そうとするのは理にかなっておらず、まったく不当な主張である。」と言うが、これまた誤読あるいは意図的な歪曲と言うほかはない。第1に、被告が言う「ポスター増刷」の実態は、増刷ではなく、作り直しである。第2に、被告はなぜ綿引展のポスター作り直しが必要になったか、その原因を隠している。第3に、原告は、「ポスター増刷(実態は「作り直し」)等、財団の決定した支出行為」を挙げて、原告に対する「極めて悪質な業務妨害」だとは言っていない。
 原告は、北海道教育委員会の職員である被告が、4月11日、自分が副担当の「綿引幸造」展で、ポスター作成に失敗して、ポスター300枚の作り直しをしたこと(
甲30号証)、及び啄木展では5月12日の段階ですでに当初予算を大幅に超える支出を行うなどを挙げて、「『地方公務員法』第33条に違反し、『地方公務員法』第28条または第29条に問われるべき失敗を重ねた」(原告「準備書面」)と指摘したのである。
 さらに原告は、「もし年間の展覧会事業に割り当てられた予算の再配分が必要ならば、財団職員の副館長あるいは業務課長からその必要性と理由の説明がなされるべきである。ところが被告は、北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱し、自らが再配分の権利を持っているかのごとき言い方で、原告の企画展に割り当てられた予算の支出に干渉した」(同前)事実を挙げて、「これは『北海道職員の公務員倫理に関する条例』第3条~第7条に違反する行為である」(同前)と主張したのである。
 その上で原告は、被告が敢えて倫理規程の違反を犯してでも原告の予算の一部を流用して自己の失敗を隠蔽し、自分の責任が問われることを回避しようとしたことを挙げて、「これは原告に対してなされた、『刑法』第233条、234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である」と主張し、「その結果原告は当初予算を切り詰め、展示構想を縮小するという不当な実害を蒙った」こと(同前)を挙げたのである。
 以上の如く、平成18年5月12日(金曜日)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

5「(6)平成18年7月11日(火曜日)・平成18年9月1日(金曜日)・平成18年9月8日(金曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段、第3段
 被告は、原告が財団法人北海道文学館の書式に則って業務課に提出した「復命書」の書き直しを強いた。被告は自己の行為を、「原告に対し指導したもの」と主張するが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 被告は、
復命書は直属の部署(本件の場合は学芸班)を経て決裁権者(本件の場合は副館長)まで順次回付されるものであって、第2段末尾の業務課に提出したとあるのは正しくない。」というが、「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)が示すように、原告の直属の部署は業務課であり、「復命書」を業務課に提出したのはまさしく正当な手順を踏んだ行為であった。被告は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を前提として、復命書は直属の部署(本件の場合は学芸班)を経て決裁権者(本件の場合は副館長)まで順次回付されるものであって、」と主張したものと思われるが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で指摘した如く、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は内容的にも手続き的にも何ら合理性のない違法な文書であり、被告が言うが如き「学芸班」は架空なものでしかない。
 また、被告は、
この書き直しの指示については、被告に回付された時点で、業務課担当のN主査に照会し、その回答に沿って修正を指導したものである。」と言うが、これは被告の越権行為であるばかりでなく、言うところの内容も信憑性に乏しい。なぜなら、原告が、道駐在職員の1人である(そして前年の平成17年度より道立文学館に勤務している)S社会教育主事に「復命書」の草稿を見せた時は、S主事は「これでいいでしょう、ただ、釧路で2日目には資料調査したのですから、その事も一応書いておかれるといいでしょう」と言っていたし、その「復命書」が被告に赤ペンで修正されて戻ってきた時には、S主事はそれを見て「去年は、業務課では、出張先であった事はなるべく書いて下さいという方針でしたけれどね…」という意味の事を言い、不審気な様子だったからである(甲11号証参照)。
 北海道教育委員会の職員である被告は、如何なる権限に基づいて財団の業務課の業務に介入したのか。また、被告は如何なる日時に、如何なる点をN主査に照会し、如何なる回答を得たか。それらを証拠に基づいて明示すべきである。
(2)同第4段
 被告は、
ニセコへの主張(出張?)に係る復命書についても同様の指導を行ったものであり、なんらの違法性はない。」と言うが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で指摘した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 以上の如く、平成18年7月11日(火曜日)・平成18年9月1日(金曜日)・平成18年9月8日(金曜日)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

6「(6)平成18年8月29日(火曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段
 ニセコ町の有島武郎記念会では当時、「有島武郎肉筆手紙展」という特別企画展(6月10日~9月3日)を行っており(
甲43号証)、原告は一度見学をしておきたいと考えていた。ところが原告は、「石川啄木」展の主担当・S社会教育主事から、啄木展が終わる8月27日頃、釧路在住の啄木研究家・K氏より借用した金田一京助の色紙を返却に行って欲しいと依頼された。――原告が「石川啄木」展にかかわることができたのは、この色紙貸借の1件だけだった。――原告がK氏に問い合わせたところ、9月1日(金)が都合がよいとの返事だったので、その日に訪れる約束をした。
 有島記念館の企画展の終わりも近づいており、原告は釧路出張とニセコ出張(日帰りの外勤)が続くのを避けたいと考え、ニセコ出張を8月30日に繰り上げることにし、8月29日の朝の打合せ会では以上の事情を説明し、職員の了解を得た(
甲31号証)。
 このことについて、被告は「突然の申し出」と言うが、そもそもS社会教育主事の依頼が「突然」だったのである。また、原告の行動が非難されるに当たらないことは、平原一良副館長も原告宛メールの中で認めている(
甲44号証)。
(2)同第3段
 被告は
「通常は出張予定日の1週間前までに上司に業務内容を告げて相談し、」と言うが、これは当時の財団法人北海道文学館の実情を知らない者の言い分である。通常、財団法人北海道文学館においては、原告が出張を希望する場合、原告が出張の概要を書いた「出張用務願」(特に書式は決まっていない)を業務課に提出し(甲45号証参照)、業務課がその内容を見て問題ないと判断すれば、「分かりました」と受理する。業務課では、財団法人北海道文学館の書式である「旅行命令(又は依頼)簿 兼旅費概算(又は清算)請求書」(甲12号証の2参照)に、原告が提出した「出張用務願」の内容に基づいて、N主査が日程と経路から旅費を算出し、「用務」「用務地」「日程」「旅費」等の欄に必要な事項を記入して、原告に確認を求める。原告は確認して捺印する(甲12号証を参照)。これで出張手続きは完了するのである。被告は「原告は事務の流れを知らなかった」という意味のことを言っているが、事務の流れを知らなかったのはこの被告側「準備書面(2)」を作文した人間である。
 ニセコ出張は、いわば日帰りの外勤であり、原告は7月8日、三岸好太郎美術館へ、同じく展覧会に関する予備調査・研究のために外勤に出向いた(
甲46号証)。この時、川崎業務課長はクレームをつけるようなことは何も言わなかった。8月29日の場合も、原告の予定を了解し、「それでは出張計画を出して下さい」と言った。被告がなぜ8月29日の朝の打合せ直後に原告の行動にこだわり、組織人論をぶち、「〈スタンドプレー〉と言われないようにしなさい」といきり立ったのか、原告には理解できない。
(3)同第4段、第5段
 被告は、再び
原告は資料調査のため有島記念館へ主張(出張?)する計画を前日の打合せ会において初めて申し立て」たことについて、「事務の円滑な流れを妨げることになる」と言い、原告に対する自己の行動を「原告に対し指導したもの」と主張するが、「(イー1)基本的な事実の確認」、「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で指摘した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 前段でも述べたごとく、出張の手続きを知らず、「事務の円滑な流れを妨げた」のは被告のほうであった。
 被告は、
これらの指導を行うにあたって、被告には、原告を誹謗中傷したり、名誉を毀損しようとの意図はなく、まして被告の業務を妨害しようとしたわけではないことは言うまでもない。」と言うが、問題は意図の有無ではなく、行為の有無である。被告は出張手続きを指導したかのごとく取り繕っているが、この日の被告は「手続きがどうのこうのという問題じゃない」、「組織で働く人間として、そもそもなっていない」、「スタンドプレーと言われないようにしなさい」と論点をずらしながら、原告に対する人格中傷の言葉を吐きかけ、原告がさらに「では、今回の出張に、私はこれから一体どういう手続きをとったら行けるのか」と質問を続けると、被告は結局、「行ってはいけないとは言っていない。行っていいんだ」という、投げ遣りで、無責任な言葉で怒鳴りつけた(原告「準備書面」)。これはとうてい「指導」とは言えず、「助言」とさえも言えない。傲慢で嗜虐的な嫌がらせと言うべきであろう。
 以上の如く、平成18年8月29日(金曜日)に原告が被告から被った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

7「(7)平成18年9月13日(水曜日)について
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 財団法人北海道文学館において、出張手続きがどのように行われるかについては、既に述べておいたごとく、原告が出張を希望する場合、原告が「出張用務願」(特に書式は決まっていない)を業務課に提出し、業務課がその内容を見て問題ないと判断すれば、「分かりました」と受理する。業務課では、財団法人北海道文学館の書式である「旅行命令(又は依頼)簿 兼旅費概算(又は清算)請求書」に、原告が提出した出張概要に基づいて、N主査が日程と経路から旅費を算出し、「用務」「用務地」「日程」「旅費」等の欄に必要な事項を記入して、原告に確認を求める。原告は確認して捺印する(
甲12号証の2を参照)。これで出張手続きは完了するのである。また、原告の「準備書面」においても、「財団法人北海道文学館においては、通常、展覧会の主担当が高額の出張旅費を要さない日帰り程度の出張をする場合は、朝の打合せ会で事前にその旨を告げ、出席者が特に文学館業務に差し支えないと考え、了解するならば、それで手続きが済んだことになっていた。」と説明しておいた。被告は、これとは異なる手続きが行われていた事実をしめす証拠を挙げていない。
 原告が朝の打合せ会で「これからの動き(資料提供協力先)9月後半~12月前半」(
甲5号証)を配布したことを、被告は「これもまた突然の文書配布であり」と、原告の非常識を咎める言い方をしているが、原告は9月後半から12月前半にかけて「外勤・出張の必要が生じる可能性のあるところ」を紹介したにすぎない。朝の打合せ会の性格と、原告がその機会を利用せざるを得ない事情については、原告は「準備書面」で次のように述べておいた。

「道立文学館は、平成17年度まではほぼ毎月1回、学芸課の課内打合せ会議を開いたが、平成18年度に入って以来、そのような会議が持たれたこともなく、会議が持たれる予定も聞いたことがない。原告はやむを得ず朝の打合せ会で行動予定を告げることにしてきた。原告は被告の主張に納得できなかったので、同日午後1時頃、平原副館長に出会った時、展覧会の主担当者の動きは学芸主幹と業務課長が決めることなのかと尋ねてみた。すると副館長は、「そのようなことはない。どこへ行くかは原告が(出張予定の)先方と相談して決めることで、被告はそれを聴き、『こういうことで学芸の人間が動くからよろしく』と業務課に伝えるだけだ」と答え、「この件については、被告によく話をしておくから」と言った。/さらにこの日の午後3時頃、原告は念のために、朝の打合せ会の性格について、いつも司会をつとめるS社会教育主事に確かめてみた。主事の返事は、「どんなことを言っていいとかいけないとか、何も決まりや申し合わせはありません」ということだった。」

 被告はこれを読んだはずであるが、被告の言うところは、それについて何の反論にもなっていない。
 
(2)同第2段
 被告は、「この日の昼、階段ホールで被告が原告と話をしたことは認めるが、会話の文言やその意図するところは否認する。」と言うが、否認は証拠に基づいて行わなければならない。
 被告は、被告が階段ホールで原告に声をかけたことに関して、
旅費の執行予定については業務課担当者の了解が得られているかどうかという点であり、未調整であるのなら早急に打ち合わせの必要がだと伝えた」と説明している。だが被告は当日、そのようなことを一言も言わなかった。被告の言うことは後日の作文である。後日の作文でしかない証拠は、原告が配布したのは「これからの動き(資料提供協力先)9月後半~12月前半」(甲5号証)という、ごく大まかな「外勤・出張の必要が生じる可能性のあるところ」だったにもかかわらず、被告は「旅費の執行予定」と勘違いしていることからも明らかであろう。実際に被告が原告に向かって言ったのは、「どのような出張予定になっているか、ペーパーを提出せよ。原告がどう動くかは、川崎課長と協議して決める」という意味のことだった。だからこそ、「原告は被告の主張に納得できなかったので、同日午後1時頃、平原副館長に出会った時、展覧会の主担当者の動きは学芸主幹と業務課長が決めることなのかと尋ねてみた。すると副館長は、「そのようなことはない。どこへ行くかは原告が(出張予定の)先方と相談して決めることで、被告はそれを聴き、『こういうことで学芸の人間が動くからよろしく』と業務課に伝えるだけだ」と答え、「『この件については、被告によく話をしておくから』と言った。」ということが生じたのである。被告がもし本当に、「旅費の執行予定については業務課担当者の了解が得られているかどうかという点であり、未調整であるのなら早急に打ち合わせの必要が打ち合わせが必要だと伝えた」と主張するのであるならば、被告の記録に基づいて主張すべきである。
 また、被告はこの個所において、自分の行為を原告に対する「指導」として自己正当化しているが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 また、被告は
特に本件は、複数の道外出張を含むため、原告の担当する『二組のデュオ展』の事業費全般に関わる案件であり、業務課長や予算担当者との事前協議が必須である。」と言うが、「二組のデュオ展」には年度当初から1,516,000円の予算がついていた(甲40号証)。その範囲内で原告が予算を執行するには、「6「(6)平成18年8月29日(火曜日)」について」の「(2)同第3段」で述べた手続きで十分なのである。
 また、原告が「二組のデュオ展」を構想するにあたって、道外在住者や道外の文学館との協力を考えているということは、平成18年3月29日の課内打合せの中で確認済みであった(
甲47号証の1・2)。被告を除く全ての学芸職員、および平原学芸副館長(当時)がこの打合せに出席していた。
 それに、被告が言う
「予算担当者」が誰を指すか不明である。財団法人北海道文学館の組織の中にはそのような名称のポストは存在しない。もし被告が自分を「予算担当者」と考えていたとすれば、財団業務課の領域に踏み込んだ越権行為であるだけでなく、身分の僭称である。
(3)同第3段、第4段
 問題は被告が原告に対して如何なる「理解を求めた」かではなく、如何なる行為を行ったかである。被告が言う「組織人」は、「公務員としての職務に励み分限をわきまえるという鉄則を無視し、他人の権利を侵し、組織に損失を与えて、責任を取ろうとしない人間」の意味にしか取れないことは、「4「(4)平成18年5月12日(金曜日)」について」の「(2)同第4段、第5段、第6段」の個所で指摘しておいた。
 また、被告は
「職員用の閉ざされた階段ホールでのこの日の立ち話が、」と言うが、主に職員利用する階段であっても、業者も利用すれば、文学館の内部構造に通じている理事や評議員も利用する。「閉ざされた階段ホール」というような空間はありえない。
 以上の如く、平成18年9月13日(水曜日)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

8「(8)平成18年9月26日(火曜日)について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段、第3段、第4段
 原告は9月26日(火)の朝の打合せ会で、被告と川崎業務課長に、「出張予定(亀井)」(
甲32号証の2)を渡し、朝の打合せ会の終了後に「二組のデュオ展」の準備に関係する今後の出張予定とおおよその足取りについて協議したい旨の説明をしようとした。ところが、被告がそれを遮って、「あ、そのことについては、このあと打合せをやるから」と言った。この日の朝の打合せ会の出席者は、原告と被告と川崎業務課長とO司書の4名だけだったので、朝の打合せ会が簡単に終わった後、原告と被告と川崎業務課長の3人は事務室のソファーの所で話し合った。被告は、またしても突然に配布した」と言うが、協議のための資料を被告と川崎業務課長に手交したのである。また、「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)を見れば、9月13日に配布し、職員の了解を得た「これからの動き」(甲5号証)における「外勤・出張の必要が生じる可能性のあるところ」と「これからの連絡次第により出張の可能性があるところ」をより具体的に説明したものであることを、被告は直ちに理解できたはずである。その意味で原告は、全く新しい、別な用件を「突然」に持ち出したわけではない。
 被告は5月12日(金)、原告に「展覧会支出予定内訳」(
甲29号証)をサーバーの所定の場所にアップしておくように依頼し、原告がそれに応じたにもかかわらず、被告は「原告が作成した支出予定表は空欄の多い未整理なもので、あまり役に立つ資料ではなかった。」と言い、きちんと読まなかった不誠実を自ら暴露している。丁寧に読めば9月26日の「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)の出張予定費が、「展覧会支出予定内訳」(甲29号証)の「出張費(調査等)」より遥かに抑えたものになっていたことに気がついたはずである。
 被告は、原告のそういう誠意と努力を理解しようとせず、原告の「出張予定(亀井)」に関する説明が終わると、「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して」と話題を展覧会のほうにずらし、原告が予め作っておいた「展覧会支出予定」(
甲32号証の3)を見せようとすると、「それは、打ち合わせの後でしょう!」と訳の分からないことを言い出した。
 被告は
「しかし、前項7の9月13日以降、この事案について業務課との間で協議がなされていなかったため、原告の計画した出張予定を展覧会事業費の総体の中で実現可能かについて検討したものである。」と言うが、それは後日の言い逃れで会って、この日の被告の発言はそのようなものではない。次から次へと原告に辻妻の合わないことを言い立てて、原告が戸惑っていると、あたかも原告が呑み込みの悪い人間であるかのごとくに怒鳴り立てた(原告「準備書面」)。これはとうてい話し合いによって合意を作り出そうと心掛ける人間に態度とは言えない。そもそも「展覧会事業費の総体」を狂わせてしまったのは、「石川啄木展」に介入してS社会教育主事と大幅な予算超過をしてしまった被告自身である。
 川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言ったのは、原告の「出張予定(亀井)」が当初予算(150万円強)の範囲に収まるだろうと見込まれたからにほかならない。それだけでなく、その場の雰囲気と発話のニュアンスから見て、川崎業務課長の言葉は明らかに、被告が自分の責任(「石川啄木展」の予算超過)を考えず、原告の予算にまで手を出そうとする越権行為をたしなめるものだった。被告は今に至るまで、そのことに思い当っていないらしい。
 以上の如く、平成18年9月26日(火)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

9「(9)平成18年10月3日(火曜日)について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段、第3段
 原告は10月3日の朝の打合せ会で、「〈人生を奏でる二組のデュオ展〉・出張予定(10月)」(
甲7号証)を配布し、職員の了解を得た。この予定表は、9月13日(水)に配布し、職員の了解を得た「これからの動き(資料提供協力先)9月後半~12月前半」(甲5号証)を具体化したものであった。準備が具体化している状況を他の職員に知っておいてもらうのは当然かつ適正な行為である。出張の手続きについては、既に述べたごとく、財団法人北海道文学館においては、原告が出張を希望する場合、原告が「出張用務願」(特に書式は決まっていない)を業務課に提出し、業務課がその内容を見て問題ないと判断すれば、「分かりました」と受理する。業務課では、財団法人北海道文学館の書式である「旅行命令(又は依頼)簿 兼旅費概算(又は清算)請求書」に、原告が提出した出張概要に基づいて、N主査が日程と経路から旅費を算出し、「用務」「用務地」「日程」「旅費」等の欄に必要な事項を記入して、原告に確認を求める。原告は確認して捺印する(甲12号証の2を参照)。これで出張手続きは完了するのである。被告がそれとは異なる手続きがあったと主張するならば、主張を裏づける証拠を提出すべきである。
 被告は、
この日配布された文書は、具体的な日程が決定事項として記載されたものであったが、事前に同僚職員や業務責任者との日程調整を行い、支出担当者の了解を経た上で上司に承認を求めるべきであって、原告の行動は円滑な事務執行を考慮したものではなかった。」と言うが、支離滅裂である。第一に、「〈人生を奏でる二組のデュオ展〉・出張予定(10月)」は「予定」であって、「決定」ではない。もし「決定」ならば、原告は上記の手続きに入っている。第二に、そもそも相手方(資料の閲覧や借用に関する)の時間的な都合を確かめずに、「事前に同僚職員や業務責任者との日程調整を行う」などという手順はありえない。原告は相手方の都合を確かめた上で、「予定」を立て、この日職員に紹介し、日程上問題ないとして、了解を得たのである。このように順序立てて説明しただけでも、被告の言う手続きがいかに非実際的で、ナンセンスなものであるかが分かるだろう。被告の非実際的で、空論的な手続き論は、被告が原告の仕事にケチをつけ、嫌がらせを続けてきた事実を誤魔化すため、「準備書面(2)」の段階で思いついた作文にすぎないことを如実に物語っている。そして第三に、原告の上司は川崎業務課長であって、被告ではない。
 原告の行動について言えば、原告の行為は9月13日の時点で確認した範囲を越えてはいない。もう一度確認しておけば、
「道立文学館は、平成17年度まではほぼ毎月1回、学芸課の課内打合せ会議を開いたが、平成18年度に入って以来、そのような会議が持たれたこともなく、会議が持たれる予定も聞いたことがない。原告はやむを得ず朝の打合せ会で行動予定を告げることにしてきた。原告は被告の主張に納得できなかったので、同日午後1時頃、平原副館長に出会った時、展覧会の主担当者の動きは学芸主幹と業務課長が決めることなのかと尋ねてみた。すると副館長は、『そのようなことはない。どこへ行くかは原告が(出張予定の)先方と相談して決めることで、被告はそれを聴き、『こういうことで学芸の人間が動くからよろしく』と業務課に伝えるだけだ』と答え、『この件については、被告によく話をしておくから』と言った。/さらにこの日の午後3時頃、原告は念のために、朝の打合せ会の性格について、いつも司会をつとめるS社会教育主事に確かめてみた。主事の返事は、『どんなことを言っていいとかいけないとか、何も決まりや申し合わせはありません』ということだった。」(原告「準備書面」)。
 それにもかかわらず、被告は繰り返し、現実に行われていたことを証明できない手続き論を述べ立てている。それは平原副館長が被告に「よく話をして」おかなかったか、あるいは被告がうわの空で聞いていたかのいずれかであって、原告の問題ではない。
 また、被告は、この個所において、自分を「事実上の上司」と呼び、原告に対する干渉行為を「指導」と正当化しようとしているが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 のみならず、被告はこの日、原告に対して、朝の打合せ会が終わった直後、同じ事務室内において、すなわち他の職員が見ている所で、いきなり「なぜ、先に話し合いをしないの」、「何度同じことを言わせるの」、「こんなところで予定を言って、“よろしいでしょうか”って言ったって、誰も、いいなんて言えないんだよ!」と怒鳴り始めた。原告は、「誰も何もおっしゃらないので、そのまま説明だけさせてもらったのですが」と述べたが、被告は「あんた、みんなに、いいって言って欲しいんでしょう。だったら、やることちゃんとやんなさい!」と言いつのった。原告が、「ならば、話し合いというのは、いつしたらいいんでしょうか?」と尋ねると、被告は「いつでもいいんだよ!」と原告を怒鳴りつけた(原告「準備書面」)。これはとうてい「指導」と言えるものではなく、「助言」とさえも言えない。相手の人格を認めない、嗜虐的な中傷と言うべきであろう。
 被告は
「会話の文言やその意図するところは否認する。」と言うが、根拠ある材料をもって会話を再現することはしなかった。「否認する」というだけでは、「否認」の効力を持たない。
 以上の如く、平成18年10月3日(火)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

10「(10)平成18年10月7日(土曜日)について
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告は、
原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。」と言うが、文意が不明である。誰が明治大学から紹介状を求められたのか。「原告から伝聞した」とは、どういうことなのか。考えられる、唯一まともな文章は、「原告が明治大学から紹介状求められたことを被告は伝聞した。」であろうが、被告は「伝聞」したのではない。原告とN主査の会話を小耳に挟んで口を入れたのである。
(2)同第2段
 明治大学図書館が求めたのは「紹介状」と「身分証明書」であり、それを本人が持参することだった(
甲33号証)。原告は業務課に属し、原告の紹介状は業務課で作成する。原告はN主査に明治大学からの依頼について説明し、「紹介状をよろしくお願いします」と言った。だが、平成18年度の4月から財団に勤務し、まだ半年ほどだったN主査は一瞬ためらい、「紹介状という書式があったかしら」と言いさした。そこへすかさず被告が口を挟んだのである。被告は、「N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子だったため、」と言うが、「紹介状」の発行はN主査の所管事務である。N主査は自分の所管事務に関わらないことを相談されて「困惑」していたわけではない。被告は「紹介状」云々を小耳に挟んで、「職員の派遣願い」と勘違いした。勘違いをしたこと自体を原告は咎めるつもりはないが、被告は自分の勘違いに気がついたら、固執すべきでなかった。
(3)第3段(「同第3段」?)
 被告が一般的な紹介状の書式について十分に承知していたか否かは本訴訟に直接かかわらない故、原告の関知するところではない。
(4)第4段、第5段、第6段(「同第4段、第5段、第6段」?)
 原告は明治大学図書館だけでなく、国立国会図書館、鎌倉文学館での調査を予定していた(
甲7号証を参照)。また原告は、12月2日には市立小樽文学館と市立小樽美術館の両方に資料調査に行き、また翌年1月には北海道大学附属図書館に外勤に行き、資料(写真画像)の借用について打合せをしている(甲48号証の1・2・3)。被告は、財団の職員が職務上、他の施設・機関等に出向き、資料の貸与や調査等を行う場合には、財団の代表者からあらかじめ相手方施設等に対し、職員を派遣するのでご協力願いたい旨の文書によって依頼するのが通例であり、」と言うが、北海道大学図書館等に出かける際に、業務課から、予め「職員の派遣願い」を送るよう助言を受けることはなかった。10月19日から21日までの出張においても、明治大学図書館だけでなく、国立国会図書館、鎌倉文学館にも「職員の派遣願い」を出すべきだという発言は、業務課からはなく、被告本人からもなかった。被告の言うところは一貫性がなく、その場かぎりの理屈に終始している。
 また、被告は、
原告の資料調査は企画展準備のための出張であり、公務(?)として執行されるものである。したがって、紹介状を携えて個人的に調査するのではなく、」と言うが、現在の大学図書館の状況を知らない者の言い草であって、大学の図書館は紹介状を持たない個人に対しても閲覧や貸出の便宜をはかってくれる。所属する職場の責任者の紹介状を携えていれば、それは個人としてではなく、公務(財団の仕事は、正しくは「業務」と呼ぶべきだろう)として訪れたことを意味する。その「紹介状」を持参すればよい、と言う明治大学図書館に対して――しかも国立国会図書館や鎌倉文学館を無視して――更に「職員の派遣願い」を事前に送っておくべきだという被告の主張は、無駄な書類作りを原告に強いる行為だった。
 また、被告は、原告が財団保有の文書(
甲10号証の3)を参考にして作成し、業務課によって添削してもらった文書(甲10号証の5)について、瑣末な文言の書き換えを強制した(甲10号証の1)。これは駐在道職員の「文学館グループ」に属する被告の越権行為である。被告はそのことについて、またしても自己を「事実上の上司」と呼び、原告に対する嫌がらせに等しい干渉行為を「指導」として正当化しようとしているが、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で指摘した如く、被告は原告を指導する立場にはなかった。それ故、「原告を指導する立場」を前提とした、被告の自己正当化の主張も何ら正当な根拠を持たない。
 被告は、瑣末な文言の書き換えを強制したことについて、
財団では、文書の作成に当たっては、「分かりやすく、親しみのある表現」によることとしており、事実上の上司である被告の上記のような指導は適切かつ必要な行為であり、」と述べ立てている。だが一方、被告は「原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。」というような主述の整わない文章を書き、財団の業務を「公務」と呼び、後に改めて指摘するが、本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。」という、これまた意味不明な文章を書いている。これらの文章のどこが「分かりやすく、親しみのある表現」なのか。再考を促したいところである。
 また、被告は
本件の決定書の作成における「合議」を「主管」に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案者として、起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている。」と言うが、もし被告が言う「学芸班」が「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)における「学芸班」を意味するものであるならば、そのような組織は根拠を持たない、架空なものでしかない。なぜなら「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」なる文書自体が何ら合理性も正当性を持たないからであり、そのことは「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で明らかにしておいた。被告自身による「学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告」という自己規定も根拠が曖昧なことは、「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で明らかにしておいた。被告は自己の行為を正当化するために、財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領」なるものを持ち出しているが、そのような「要領」を明記した「合意書」を被告は証拠物として提出していない。すなわち証拠によって裏づけられていない。
 ところが先の「職員の派遣願い」について、被告が原告に書き換えを強いた箇所を見ると、「業務課学芸班研究員 亀井志乃」を「当館学芸班研究員 亀井志乃」に直させ、「(業務課)」を「(学芸班)」に直させている。それほど被告は、架空の「学芸班」に執着していたのである。
 また、被告は、
これらの指導にあたって、被告は原告の業務を妨害しようとする意図はなく、また原告の名誉や人格権を侵害する行為は一切行っていない。」と言うが、「職員の派遣願い」という不必要な文書だけでなく、それに添付する「開催要項」の作成までも強いること自体がすでに業務妨害なのである。また原告が作成し、業務課の目を通して問題ないとされた文書について、高圧的、嘲笑的な言辞をもって書き直しを強いることは原告の名誉や人格権を侵害する行為以外の何物でもない。
(5)同第7段、第8段
 被告は、
本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。」と言うが、原告は「紹介状」を10月20日に持参すればよかった。明治大学図書館もそれを求めている。原告が持参するのであれば、10月10日以降に作成しても十分に間に合う。そもそも被告の「……協力要請文書は、……速やかに施行されねばならなかった。」という文章は、文意が曖昧である。仮に「施行」は「実行」の誤記だったと考えてもまだ文意が通らず、好意的に考えれば「送付」と書くつもりだったのではないかと推定できるが、なぜ10月7日に急遽その文書を作成しなければならなかったのか、理由が分からない。
 多分その理由は、被告がこの日は休みだったにもかかわらず、原告の退勤間際にわざわざ文学館へ顔を出し、原告を5時半頃まで足止めしたことを正当化したかったのであろう。被告はこの日、原告を足止めして、高圧的な態度で協力要請文書の作成を強制し、威嚇的な口調で原告を文書郵送の命令に従わせた。被告は、
ゆえに、被告は文書作成の趣旨を十分に説明し、原告の理解を得るように努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することになったとはいえ、そのことをとらえて『原告の自由を拘束しする(する?)憲法違反の不法行為である』と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるをえない。」と言うが、退勤後に用事や約束を持つ人間にとって週末5時過ぎの30分は決して「若干」ではない。それに加えて、被告は、原告による「被害の事実」の記述とそれに対する「違法性」の指摘に反論できないため、常軌を逸した主張である」と論点を逸らしている。だが、当日は休みであった被告が、原告の退勤時を狙ったとしか考えられない時間に顔を出して、30分も足止めし、自分の見当違いな主張を強制し、原告が折れるまで帰そうとしなかった。この被告の行動の意図は不可解であるが、被告が原告に行った行為が人権侵害の行動であることは論を俟たない。しかも被告は自分の人権侵害の行動は棚に上げ、原告の主張に対しては「常軌を逸した主張」と、原告の人格を誹謗する言葉を吐きかけている。これは裁判の過程において、被告と被告代理人によって行われた、原告に対する人格権侵害の行為である。
 以上の如く、平成18年10月7日(土)に原告が被告から被った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。のみならず、裁判の過程で行われた、被告と被告代理人の原告に対する人格権侵害の違法性も追加されなければならない。

11「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第1段
 被告は
「この日、閲覧室において被告が原告に文学碑データベースの話をしたことは事実として認めるが、発言の細部については否認する。」と言うが、正確ではない。正しくは「被告は5月2日(火)に、原告に、ケータイ・フォトコンテストによる文学碑の画像収集について話をした。だがこの日は、その事実を、文学碑データベース充実の話にすり替えて原告を非難した。そのことを事実として認める。」と言うべきである。また被告は、発言の細部については否認する。」と主張しているが、それならば、被告側の証拠に基づいて「細部」を再現すべきである。
 また、被告は、先には
「閲覧室において被告が原告に文学碑データベースの話をした」と言い、次には「この時の被告の発言は、5月2日の打ち合わせにおいて原告が担当者となって一般公募による写真収集の企画案をまとめることになっていた、とのべたものであり、」と述べている。これはフォト・コンテストの企画案のことであろう。ところが、次に被告は、被告は、5月2日から半年近く経過しても原告から検討の進捗状況について何らの報告もなかったことや、間もなく降雪により文学碑が埋もれてしまうことなどから、この日原告に対し、企画検討の進捗状況を問い質したものである。」と述べている。これらの発話内容は事実に反し、かつ前後矛盾している。以下その点を列挙する。
a)5月2日の話し合いに関して、「2「(2)平成18年5月2日(火曜日)」について」の「(2)同第4段」で指摘したごとく、原告が平原学芸副館長(当時)と被告から受けた要望は、「(画像を集める)アイデアを出してほしい」ということだけであった。何日までにアイデアを出すかについては、何の話もなかった(
甲17号証)。ところが、10月28日に被告が原告に問い詰めたのは、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのはあんたの仕事でしょ。どうするの? もう雪降っちゃうよ。」ということであった(原告「準備書面」)。この言い方は、原告が文学碑の写真を撮りに行く、あるいは雪が降る前に市民から文学碑の写真を集めることを急き立てる言葉だった、と受け取ることができるが、被告はそのように原告を急き立てながら、しかし「準備書面(2)」においては、この時の被告の発言は、5月2日の打ち合わせにおいて原告が担当者となって一般公募による写真収集の企画案をまとめることになっていた、とのべたものであり、」と、写真収集の企画案にすり替えてしまったのである。
b)被告は、「2「(2)平成18年5月2日(火曜日)」について」の「(2)同第4段」では、
その打ち合わせの際、実施に当たっては引き続き検討をしなければならないいろいろな課題があることが明らかとなったので、引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続して検討し企画書をまとめるよう、原告に対して平原学芸副館長とともに指示した。」と書いた。しかし原告は当該個所の反論において、そのような事実はなかったことを明らかにしておいた。つまり被告は虚偽の記述をしていたわけだが、その虚偽の記述自体の中にも矛盾が見られる。なぜなら被告は、5月2日に関する個所では、いろいろな課題が明らかになったので、引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続して検討し企画書をまとめるよう、原告に対して」と書き、しかし10月28日の個所では、一般公募による写真収集の企画案をまとめることになっていた。」と書いている。先の「企画書」と、ここに言う「企画案」とは明らかに性格が異なる。前者の「企画書」は課題解決のためのものであり、後者の「企画案」は写真収集の方法に関するものだからである。この矛盾によって、被告の主張が虚偽であることが一そう明らかとなったと言えるだろう。
c)仮に5月2日の「企画書」、又は10月28日「企画案」を作ることが、原告と被告及び平原副館長との間で合意されていたとしても、それは被告の
「間もなく降雪により文学碑が埋もれてしまうことなどから、この日原告に対し、企画検討の進捗状況を問い質したものである。」という説明と矛盾する。10月28日に被告が原告に主張したのは、「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ことだったからである(甲17号証)。「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ということ自体が被告の虚偽なのであるが、原告が「企画書」あるいは「企画案」を作成することと、原告が写真を撮りに行くこととは作業の性質が異なる。被告が虚偽に虚偽を重ねた矛盾が、ここに露呈してしまったと言うべきである。
 また、被告は、
文学館の学芸班の責任者である被告にとって、文学碑データベースの充実はできるだけ早期に解決を要する懸案事項であり、神谷忠孝理事長や毛利館長にも原告による業務着手を報告してあったことから、その進捗状況を原告に問い合わせたものであり、適切かつ当然の行為である。」と言うが、この個所も虚偽に満ちている。その点も以下に列挙する。
d)「2「(2)平成18年5月2日(火曜日)」について」の「(2)同第8段」で指摘した如く、被告は、
稼働したばかりの文学碑データベースについては毛利正彦館長(当時)からもその充実を被告は指示されていたので、事前に館長、副館長ら財団幹部職員とも協議し、更新業務の担当を原告に継続させるとの了解を得た上で、」と言うが、被告が館長から指示を受けた日時や場面が明記されていない。また、館長、副館長ら財団幹部職員と協議した日時や場面も明記されていない。原告は、被告の原告に対する度重なる高圧的な態度をアピールした、「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明 及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(平成18年10月31日(火)付け。甲17号証)を神谷理事長、毛利館長、平原副館長、川崎業務課長、及び被告本人に渡し、11月10日(金)、毛利館長、平原副館長と話し合いを持ったが、毛利館長は(被告が)事前に館長、副館長ら財団幹部職員とも協議し、更新業務の担当を原告に継続させるとの了解を得た」という意味のことは全く口にしなかった。平原副館長も口にしなかった。この話し合いの結果を、原告は「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(平成18年11月14日(火)付。甲18号証)にまとめた。その記述のついても、毛利館長や平原副館長から訂正の要求はなかった。神谷理事長は原告のアピールについては沈黙を守ったままだった。この点から考えても、被告の「事前に館長、副館長ら財団幹部職員とも協議し、更新業務の担当を原告に継続させるとの了解を得た上で、」という主張の信憑性は極めて乏しい。
e)被告は自らを文学館の学芸班の責任者と呼んでいるが、被告が言う「学芸班」は規程上の根拠を持たない架空なものでしかないことは、「(イー1)基本的な事実の確認」「(イー2)被告の根拠なき自己主張」「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」及び「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で詳述しておいた。
f)被告は原告に対する自分の態度を「適切かつ当然の行為」と主張するが、被告の原告に対する態度は根拠なき非難に終始し、公務員が市民に対する態度としては不適切かつ不当なものであった。
g)被告は「どうするの。理事長も館長も、あんたがやると思ってるよ」と原告を責め、原告が「わかりました。では、私が理事長と館長にご説明します」と自分の意志を表明したところ、被告は「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の意志を阻んだ。もし、被告の
「文学碑データベースの充実はできるだけ早期に解決を要する懸案事項であり、神谷忠孝理事長や毛利館長にも原告による業務着手を報告してあった」という主張が事実であったならば、原告が神谷理事長や毛利館長に事情説明をするのを阻む理由はないはずである。なぜなら、もし被告の言うことが正しければ、理事長や館長が被告の言う通りのことを原告に伝え、原告は納得せざるをえなかったはずだからである。だが被告は慌てて、原告が理事長や館長に会うこと阻んだ。ということはすなわち、被告の「どうするの。理事長も館長も、あんたがやると思ってるよ」という言葉が虚言であり、実際には理事長や館長には何も伝えていなかったからにほかならない。
h)原告が、もし理事長や館長が原告の業務について誤解しているならば、誤解を解いて自己の名誉を護らなければならないと考え、行動を起こすことは、日本国憲法に保障された権利であり、第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力にとって、これを保持しなければならない。」とある。被告は、権利を護るための原告の努力を阻んだのである。それにもかかわらず、
これらの(被告の)行為が名誉毀損や人格権の侵害だという原告の主張は認められない。」と開き直っている。恐るべきコンプライアンスの欠如と言うほかはない。
 以上の如く、平成18年10月28日(土)に原告が被告から被った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

12「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)(同日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告が、1階の来館者入口に近く、いつでも一般の来観者が入って来る可能性のある、入口が開け放たれていた閲覧室で、原告に対して、5月2日の事実を取り違えた内容の言いがかりをつけた。原告は被告の勘違いを訂正しようとしたが、被告が自分の取り違えに固執したため、来観者が来る可能性、及び話を聞かれる可能性のある空間で、1対1の言い合いを続けるのは好ましくないと考え、「もう昼にもなるので、事務室へ行ってお話をうかがいましょう」と言ってカウンターを立った。このことについて、被告は、
この時の原告の態度は被告との話を一方的に打ち切り、勝手に閲覧室を退出した」と言うが、事実に反する。被告は原告の非礼な態度を注意しようとしたが、原告の姿はすでになく、また、論点がずれると感じ気持ちを押しとどめたものである。」と被告は言うが、これもまた事実に反する。被告は階段を数段離れた位置を保ちつつ、原告の後に随いてきた。「原告の姿はすでになく、」などということはあり得ない。そもそも「被告は原告の非礼な態度を注意しようとしたが、原告の姿はすでになく、また、論点がずれると感じ気持ちを押しとどめたものである。」という言い方は文意明瞭とは言い難い。「論点がずれると感じ」は「非礼な態度を注意しようとしたが」を受け、「気持ちを押しとどめた」は「非礼な態度を注意しようとした気持ちを……」と受けるらしい。それならば、それなりの意味は通ずるが、しかしこれは文字通り論点のすり替えであって、もともと非礼だったのは被告のほうである。だが、被告にはその反省がなく、自分は原告の非礼を咎める権利を持っていると勝手に思い込んでいる。そういう被告の思い上がりが、人権侵害を惹き起したのである。
 被告は、
第4段末尾の『午後の勤務のために事務室を出た』時の状況も同様に勝手に退室していったものである。」と言うが、原告には閲覧室勤務があった。原告が平原副館長や川崎業務課長の立ち会いのもとで事情説明をしようとしたところ、被告はまたしても原告の行動を阻み、自分が学芸班を管理しているのだと、何ら合理的、合法的な裏づけのない自己主張を始めた。原告が被告の主張を音声記録に残そうと録音機を取り出したところ、被告は急に言葉少なになり、原告の性格を非難する言葉をぼそぼそと呟き、しかも最後は自分から話を打ち切っている(甲49号証。マイクロカセットテープレコーダーによる録音記録)。そうこうしているうちに昼休みも終わり近くなり、原告は閲覧室勤務にもどった。被告が言うように「勝手に退室した」わけではない。
(2)同第2段、第3段、第4段
 被告は、
原告は今般の訴状及び準備書面において、被告の発言を「 」で示し、いかにも被告がそのとおり発言したかのように主張し、」と言うが、原告はすでに「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明 及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(平成18年10月31日(火)付。甲17号証)の時点で、被告の発話を引用している。その引用を被告が不正確だと考えたのならば、原告に訂正を申し込む機会はあったはずである。また、今般の被告側「準備書面(2)」において、被告は自分の証拠に基づいて自己の発話を再現する機会があったはずだが、被告はそれを怠っている。それを怠って、原告の引用が不正確であるかのごとく主張するのは、適切な反論とは言えない。
 被告は更に、
あるいはまた、書面の作成において原告自ら振り仮名を振って『アブノーマル』と読ませるなど作為的な文言を列記し、被告の発言を歪めている。併せて、そのことによって、被告の発言を『傲慢な口調で』『恫喝的な言葉を発した』とか『被告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた』などと一方的、感情的に原告が受け止めていることを、正当化しようとしている。」と、原告の書き方を批判している。
 しかし、「普通じゃない」という言葉が、「慣例的に行われているのではない、例外的である」という意味に使われる場合にはunusual を使い、「人間の言動が正常ではない、異常である」という意味で使われる場合にはabnormalを使うことは、それこそ普通の(usual)用法である。被告は原告に向かって「あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」という言葉を吐いた。その「普通じゃない」という発話にアブノーマルと振り仮名したのは、被告の発話がunusual の意味ではなく、abnormalの意味だったことを明確にするためであり、よく行われる(usual)ところの正常な(normal)表現行為である。
 被告は、被告側「準備書面(2)」の記述において、既に2度、原告の主張に関して
「常軌を逸した」という形容句を用いている。これもまた、「世間で普通の行われている範囲からはずれた」、「エキセントリックな」、「アブノーマルな」の意味であり、被告は「準備書面(2)」においてさえ、このように原告の人格を誹謗・中傷する言葉を発してきた。被告の原告に対する、そのように傲慢な態度が、10月28日の事務室における発言にも露呈していたと見るべきであろう。
 また、被告は、
しかし、被告は、同人から指導を受けた際の原告のこれまでの態度、姿勢などから、冷静に対応するよう努めていたところであり、むしろ、原告は『私が理事長や館長に説明します』とか『私は、この問題について、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しました』などと極めて感情的、反抗的な態度に終始していたところであり、」と主張するが、被告の原告に接する言動は「指導」どころか、「助言」とさえも言えない、高圧的、侮蔑的な態度であった。常に冷静に対応しようと努めてきたのは原告の方であった。1対1の会話では水掛け論となってしまい、埒が明かないと考えたからこそ、原告は「では、私が理事長と館長にご説明します」と言ったのである。原告が録音機を取り出したのは、すでに午後の閲覧室勤務の時間が迫っており、後日ケータイ・フォトコンテストをめぐる5月2日の話し合いの問題が再燃する場合に備えて、原告と被告のそれぞれの主張を音声記録にとどめておこうと録音機を出したのである。ところが、この場面を問題にする被告は、原告の発話を正確に引用することさえもできず、原告の言葉の意味を取り違えている。原告は、自分自身の言葉を記録し、後々までも責任を持つつもりだ、という意味で、「私は、この問題については、これからも追及するつもりだ。そのことは、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから」と言ったのである。
 また、被告は、
まして自分自身でサボタージュと言い出しておきながら、それを『いわれのない名誉毀損』だとする原告の主張は、組織の一員として業務を進めるよう原告に対して指導した被告の言葉を、雇用不安を煽る悪質な脅迫行為だとする原告の主張は、断じて認められない。」と言うが、被告が言う「組織の一員」が、「公務員としての職務に励み分限をわきまえるという鉄則を無視し、他人の権利を侵し、組織に損失を与えて、責任を取ろうとしない人間の一人」の意味にしか取れないことは既に指摘しておいた。被告が言う「指導」がいかにまやかしであるかについても、すでに指摘しておいた。被告は抽象的な組織論や、架空の立場による「指導」論にすり替えることなく、自分の記録に基づいて10月28日に事務室で交わされた原告と被告との応酬を再現すべきである。その上で、原告の「北海道教育委員会の職員である被告は、財団の嘱託として働く一市民の原告に対して、あたかも自分が原告の管理者であるかのように主張した。/すなわち、被告は、自分が公務員でありながら、同時に民間の財団法人の管理職に就いていることを原告が受け入れ、原告が自らを部下の立場に置くように強要した。」(原告「準備書面」)という指摘、及び「北海道教育委員会の公務員である被告は、身分の不安定な原告の弱い立場につけこみ、被告自身が原告の使用者ではないにもかかわらず、将来の雇用に関する原告の不安を煽るような恫喝的な言葉を吐きかけた。」(同前)という指摘について、反論が可能ならば反論すべきであろう。
 以上の如く、平成18年10月28日(土)に原告が被告から蒙った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

13「(12)平成18年10月31日(火曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段
 被告は、毛利館長の指示により、原告との接触を控えることにしたと言うが、原告が「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明 及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(
甲17号証)でアピールしたのは、駐在道職員である被告の原告に対する態度が極めて高圧的であり、パワー・ハラスメントに当たるのではないか、という問題であった。そのアピールを受けた時、なぜ被告は自分の問題として受け止め、自分で対応しようとしなかったのか。被告は、それまでの原告に対する自分の態度に問題はない言い切れる自信があったならば、積極的に自分から原告に対応することができたはずである。被告が自分の取るべき態度を、毛利館長の指示を口実に回避してきたこと自体が、原告のアピールの内容が正しかったことを裏づける証拠にほかならない。そのことを確認した上で、更に被告の問題を次に指摘しておく。
a)北海道教育委員会の職員である被告は、原告のアピール文が出るまでは、あたかも民間財団の管理者の如くに振る舞い、原告の外勤・出張や書類作成に干渉を重ねてきた。だが、アピール文以後は財団幹部職員の陰に隠れて、責任を回避し続けた。自分に責任がある事態と向き合おうとしなかった。これは一個の人間として、とりわけ北海道の公務員たる人間として、恥ずべき態度であろう。
b)被告は、「財団においては、被告の説明を認め、かつ、複数の職員からも事情聴取した結果、パワーハラスメントがあったとは考えられないと判断し、館長及び副館長から直接原告に対してその旨回答したものと思われる。」と言うが、館長と副館長は原告との話し合いにおいて、事情調査の方法及び内容に関して何ら説明できなかった。
c)原告は話し合いの内容を、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(
甲18号証)という文書にまとめ、被告にも渡した。その中に記載された4項目の「取り決め」の内容から分かるように、館長と副館長は、被告の原告に対するパワー・ハラスメントの事実を認めなければ申し出るはずがないことを申し出ている。また二人は、被告の原告に対するパワー・ハラスメントの事実を認めなければ原告の要求を受け入れるはずがない「取り決め」をしている。原告はこの時の二人の言葉を、「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」(甲50号証)においても記録しておいたが、それを読めば分かるように、館長と副館長は被告の非を認める発言をしている。原告はこの文書も理事長、館長、副館長のほか、被告本人にも渡してある。
d)その後、原告の任用問題が起こり、原告は財団の任用方針に疑問を覚えたので、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」(
甲50号証)を、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、及び被告本人に手渡した。その際原告は改めて、「11月10日に、毛利館長と平原副館長との話し合いにおいて、先に要求しておいた2点が認められた。ということは、論理必然的に、毛利館長と平原副館長は、寺嶋主幹が私に対してパワー・ハラスメントを行なっていたことを認めたことになる。そのことを、あらためて確認させていただきます。」と再確認を行った。ところが毛利館長は12月27日(火)に、原告が渡しておいた「回答用紙」に、「先にもお伝えしましたが、私共としては、いわゆる『パワーハラスメント』があったとは考えておりません。」と回答を書いてきた(甲51号証)。原告としてはとうてい納得できる回答ではなかったので、原告は再度、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」(甲52号証)を神谷理事長、毛利館長、平原副館長、川崎業務課長および被告本人に手渡し、「もし毛利館長と平原副館長が『私共としては、いわゆる『パワーハラスメント』があったとは考えておりません』と主張したいのならば、私の挙げた具体的な事例に即して調査を行い、その調査結果を具体的に挙げて――何時、誰を対象に、どのような調査方法で行ったか、その結果をどのようなものであったか、を文章化して――結論を示すべきです。(中略)今までの対応から察するに、毛利館長以下の幹部職員はまだそのような調査を行っていないと見受けられます。早急に私の挙げた具体的な事例に即して調査を行って下さい。この調査の一番の対象は寺嶋学芸主幹であるはずです。その場合は馴れ合いにならないように、外部の第三者を交えて行って下さい。第三者を選定する時は、選定委員の中に私も加えていただきます。」と要求した。それに対する毛利館長の回答は、「これ以上、あなたの要求・質問にはお答えするつもりはありません。」(「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」平成19年1月17日。甲53号証)という、一方的な回答拒否、対話打ち切りの通告だった。この財団側の対応は単に不誠実というだけでなく、人権侵害の問題の調査を求める一人の市民の要求を集団的、強権的に無視、黙殺してしまった点で、原告に加えられた新たな人権侵害行為であるが、被告は財団側のこのような不誠実な対応と人権侵害行為の陰に隠れて、自己の責任を免れようとした。言葉を換えれば財団側の不誠実な対応と人権侵害行為をそのまま自己の対応に利用する形で、財団と共犯関係にあったことになる。
e)被告は原告からこれらの文書を渡され、当然読んでいたはずであり、それにもかかわらず、
財団においては、被告の説明を認め、かつ、複数の職員からも事情聴取した結果、パワーハラスメントがあったとは考えられないと判断し、」と主張するのは、事実を偽る作文と言わざるをえない。なぜなら、財団はただの一度も「被告の説明を認め、かつ、複数の職員からも事情聴取した結果」を客観的な形で、原告に示したこともなければ、一般に公表したこともないからである。
f)被告がこの二つの文書に記載された事柄を覆したいならば、被告が毛利館長から事情聴取を受けた日時、場所、事情聴取の内容の記録を提出しなければならない。
g)被告は、
むしろ、被告は、原告からアピール文が提出されるまで、被告の行為がいわゆるパワーハラスメントに該当する旨の申立を一度も受けておらず、」と言うが、原告が「準備書面」の「第1、原告が被告から受けた被害」の(1)~(11-2)までに書いた出来事の過程で原告が被告に対して抗弁した内容のすべてが、――その中には安藤副館長や平原学芸副館長を通して事情説明をしてもらったことも含まれる――被告のパワー・ハラスメントに対するアピールなのである。被告はそれを全て、自分に都合のいいその場限りの理屈で合理化し、無視し続けた。これは人権侵害を糊塗するために行われた更なる人権侵害と言うべきであり、基本的人権の回復をはかる原告の行為を故意に無視した違法行為である。
 以上の如く、被告は、平成18年10月31日(火)のアピールに始まる原告の人権回復の訴えに対して、更なる人権侵害の態度をもって対応した。この事実に関する原告の指摘に対する被告の反論は、証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

14「(13)平成18年12月6日(水曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段、第2段
 財団法人北海道文学館は平成18年12月12日、北海道立文学館公式ホームページ等において、正職員の学芸員と司書を採用する募集要項(
甲19号証)を公示した。この募集要項は年齢制限を設けた理由を明示せず、高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない、違法な募集要項だった。
(2)同第3段
 被告はこの違法な募集要項を決定した「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」(12月12日決定。
甲20号証)の「合議」の欄に押印している。これは北海道教育委員会の職員である被告が、民間の財団法人の人事に関する方針の決定に加わったことを意味し、公務員として違法な行為である。しかも財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。それにもかかわらず、被告はそれを阻止せずに、違法行為に加担した。その意味で二重に違法行為を行ったことになる。かつ被告は、この募集要項が実施されるならば、原告が応募の機会を失うことを承知していたはずであるが、あえて公務員としての分限を越えて、原告を失職に追い詰める違法行為に加担した。
 これは前項で指摘した、財団の人権侵害行為との共犯関係に新たに加えられた、被告と財団との共犯的違法行為である。
  以上の如く、平成18年12月6日(水)に始まる、財団法人北海道文学館の違法な原告解雇の策略に被告は加担した。この事実に関する原告の指摘に対する被告の反論は、証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。

15「(13)平成19年1月31日(水曜日)」について
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告側「準備書面(2)は、
「『二組のデュオ展』の展示準備を31日から行うとの職員の了解の取られていたわけではない。少なくとも被告は知らなかった。」と言うが、1月30日に「中山周三展」の撤収が終わり、翌日から「二組のデュオ展」の準備に入ることは、職員の皆が承知していた。道立文学館では前回の展示の撤収が終わった時点で次の展示の準備に入り、そうしなかった前例はないからである。被告が「知らなかった」とすれば、被告は文学館着任後10カ月経ってもまだ文学館の仕事の進め方を理解していなかった証拠にほかならない。
 また、被告が以上の慣例を知らなかったことは、2月の行事予定表はなかった「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(期間・平成19年2月3日~2月8日)を無断で割り込ませたことを正当化する理由にはならない。
(2)同第2段、第3段
 被告は、
特別展示室の入り口付近で『ロシア人のみた日本~シナリオ作家イーゴリのまなざし』が開催されたことは事実として認めるが、」と言うが、不正確である。乙11号証の図にある如く、「イーゴリ展」の実行者は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いでしまったのである。
(3)同第4段、第5段
 被告は、自分が特別展示室の配電盤に付箋を貼ったことを認めた上で、
ただし、この付箋は毎朝、展示室の照明を起動する機械設備警備係への周知のメモであり、また、この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能なものであった。」と言うが、この説明は不正確であるばかりでなく、虚偽も含まれている。第1に文学館の警備員の中に「機械設備警備係」なる肩書きの人物は存在しない。第2に、「照明を起動する」の意味が不明である。第3に、被告が配電盤に貼った「照明はライティングレールの点灯のみに設定しました 寺嶋」という付箋のメモは、決して被告が主張するが如く、この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能だ」という意味を伝えるメモとは言えない。むしろその反対である。展示室の照明点灯は配電盤ではなく、その真向かいの壁面にある複数個のスイッチによって行う。被告はそのスイッチによる照明の点灯や消灯が出来ないように配電盤の設定を変えてしまったのである。それ故被告の付箋メモは、「ライティングレールの点灯以外は控えて下さい」という意味を伝えていると言うべきであろう。被告はこのようなメモによって、他の人が展示室の照明を使うのを牽制し、手が出せないようにしてしまったのである。
 「イーゴリ展」が実行された経緯については、本訴訟に直接関係することではなく、原告の関知するところではない。ただ、被告の手によって実行されたことは明らかな事実であり、原告にとって重要な意味を持つ。
 また、被告は、
財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」と言うが、極めて疑わしい。平成18年12月中には内定していたのであれば、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定」(甲21号証)に記載されたはずであるが、記載されていない。予定表はその月の職員の動きや館内の使用状況を皆に周知してもらうためのものであり、貸館だからといって表に加えないなどということはあり得ないのである(甲54号証・甲55号証参照)。しかも被告は、2月6日(火)の朝の打合せ会で、「イーゴリ展をやることになりました……もう、やっております」と、職員に事後承諾を求めている。この事実は、原告の「準備書面」で指摘しておいた。被告が2月6日(火)に職員の事後承諾を求めたという事実は、被告自らが、前年の12月中旬から一度も職員に周知をはかったことがない事実を認めたことにほかならない。
 また、被告は
「『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、『二組のデュオ展』の会場設営のためには7日間の期間があり、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行い、会場設営には通常長くても5日間程度しか要しないことから、決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。」と言うが、全く実情に合わない。被告によれば、「他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行う」ことになっているが、これは文学館の展示業務を知っている者の言葉とは思えない。ただ、強いて被告の側に立って考えてみれば、被告が平成18年度に着任して担当した企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」の場合、作品はすでに綿引幸造氏のアトリエでフレームに入った状態にまで出来上がっていた。彼が担当したもう一つの企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」も、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示するか等については予め決まっていた。要するに被告はすでに出来上がった作品を搬入し、展示室に配列しただけであって、それならば5日程度の作業で間に合っただろう。(被告は更にもう一つ、企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(甲55号証参照)を担当することになっており、これも写真を借りてくるだけの作業だったが、被告が中止してしまった)。
 しかし、「二組のデュオ展」のようにさまざまなところから展示資料や作品を借り、オリジナルな構想に従って配置を決め、説明のパネルを用意する展示の場合は、準備は文学館内で行い、2週間近い準備期間を予定する。被告が言うような「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」などということはあり得ないのである。また、仮に原告が2月10日(土)から設営作業に入ったとしても、実際に作業ができるのは、僅かに2月10日(土)、14日(水)、16日(金)の3日間だけであった。なぜなら、嘱託職員の原告の勤務日は週に火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の4日間だけであり、2月11日(日)は非勤務日、12日(月)は建国記念日で原告は休日、13日(火)は12日の振替休日による休館、15日(木)は非勤務日だったからである(
甲56号証参照。なお、17日は「二組のデュオ展」のオープニング)。被告は「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」と非常識なことを主張しているが、仮にこの非常識な言い分を前提にしてさえも、原告に与えられた日数は5日間より2日少ない、3日間でしかなかった。この一事をもってしてだけでも、被告の原告の展示業務に対する妨害意図は明らかであろう。
 被告はさらに、
実際、この『イゴーリ展(「イーゴリ展」?)で使用した展示室の面積は25㎡程度であり、特別展示室全体(215㎡)の一割を越える程度に過ぎず、たとえ次回展のために展示作業が必要になったとしても、移動隔壁によって残りの大半の室内は作業可能であり、また非常口を兼ねた作業用の運搬出入り口も確保され、もちろん室内照明も点灯調整が可能であった。すなわち電気を点けて展示作業をすることはいくらでもできたのである。」と主張するが、被告はここでも肝心な点を誤魔化している。確かに「この『イゴーリ展』で使用した展示室の面積は25㎡程度」であったが、被告は25㎡程度の面積を「イゴーリ展」に割くために、特別展示室の入口を移動隔壁(正しくは稼働パネル)で塞いでしまったのである(乙11号証)。原告の「準備書面」で指摘しておいた如く、一般に文学館の展示作業は、来館者の目線を想定しながら展示物の配置を決めて行く。もう少し具体的に言えば、展示は観客入口の出発点から目線の高さにカラー糸を張り、その糸を基準にしてパネルの中心を決め、さらにパネル同士の横間隔を微調整しながら設置を進める。壁面の設定が仕上がって後、ガラスケースをあるべき位置に設置できるのである。被告はこの作業手順の起点を塞いでしまったのである。そしてこのために、原告は、「二組のデュオ展」の設計通りに稼働パネルを配置することが出来なくなってしまった(甲57号証参照)。
 また、被告は、
確かに被告は『イーゴリ展』について同実行委員会から展覧会の運営について相談を受けていたことは事実であるが、同展開催のために当該期間、文学館の施設の一部を貸与することを認めたのは財団であって、被告が『直前に突然』文学館の年間計画になかった同展を『割り込ませて』原告の業務遂行を妨害したとの原告の主張は、全く事実に反する。」と弁解にこれ努め、違法な正職員公募方法の問題以来、俄かに財団の主体性を前面に押し出し、自分の責任をその陰に隠そうとしているが、被告が「イーゴリ展」の実行者であった事実は否定できないはずである。イーゴリ展の展示品は写真が28点ほどあるに過ぎなかった。それを展示するには、ロビーの壁面で十分に間に合ったはずだが、なぜ特別展示室の入口をコの字型に凹ませて塞ぐ必要があったのか。なぜ配電盤の設定を変えなければならなかったのか。それらの点が合理的に説明できないかぎり、被告の行為は原告の設営作業を故意に遅らせるための妨害だったと見るほかはないであろう。

(4)同第6段
 「イーゴリ展」は2月9日に撤収されたが、原告はこの日は、岩内の木田金次郎美術館と道立近代美術館まで展示作品の借用に出かけ、翌10日には札幌市営地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事があった。これは、札幌市営地下鉄3路線の各駅の掲示板にポスターを貼って行く作業であり、原告を含む3名の職員がこの作業にあたらなければならなかった。11日(日)は原告の非出勤日であったが、前述の如く作業日の余裕がなく、時間的に追い詰められた状態だったため、原告は11日(日)、12日(月)、15日(木)の非出勤日を返上する形で出勤し、14日(水)、15日(木)、16日(金)の3日間は、作業は午後10時近くまで及んだ。特に14日と15日の夜は、その年2月最大の低気圧通過による猛吹雪だったため(
甲58号証の1)、岩見沢市から通う原告はJRのダイヤの混乱を懸念して、札幌市のホテルに泊まった。
 原告は嘱託職員であり、労災に入っていない。それ故財団は、原告に契約時間外の勤務を強いないように配慮する義務があり、被告もすでに平成18年5月10日の時点で原告の勤務条件を理解したはずだった。それにもかかわらず被告は、原告が契約時間外の超過勤務や札幌での宿泊を余儀なくされたことについて、次のように主張している。
原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実はない。」要するに被告は、労働基準法に違反する勤務を原告に強いる状況を作っておきながら、原告が自分の判断で非出勤日を返上し、午後10近くまで作業を行い、ホテルに泊まったのであるから、被告に責任はないと開き直ったのである。これは、一人の労働者を過酷な勤務条件の中に追い詰めながら、その労働者が自殺しても、あれは自分から死んだので、こちらに責任はないと言い張るのと同じ論法である。この被告の主張は、被告が犯した労働基準法違反や人権侵害を平然と肯定した発言として銘記されるべきであろう。
 続けて被告は、原告の住む岩見沢市と道立文学館の距離や、JRのダイヤに言及し、
平成18年度1年間で約22万5千円もの通勤手当を支給していた。」と恩着せがましい言い方をしているが、これは被告の原告に対する業務妨害や労働基準法違反の問題の本質とは関係ない。
 さらに被告は、次のように結んでいるが、これは被告の本音が見え隠れしている表現と言えるだろう。
したがって、原告は、被告の妨害により『午後10時過ぎまで文学館に残って準備作業を行い』、そのため『札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた』と主張しているが、その原因を『午後10時過ぎまでの時間外勤務』だけに帰するのは不当である。」たしかに原告は、札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた原因を、「午後10時過ぎまでの勤務時間外」だけに求めたわけではない。被告も「被告の妨害により」と書きこんでいたように、そもそも原告が午後10時近くまで残業をし、ホテルに2泊せざるをえなかった根本の「原因」を作ったのは、「被告の妨害」だったのである。それに加えて、2月中旬は最も天候が悪く、吹雪などによりJRのダイヤが混乱し、しばしば列車の運休事故が発生する。しかも平成19年の2月14、15、16日は低気圧が連続して通過し(甲58号証の2)、各地で吹雪や突風による被害が起こっていた(甲58号証の1・3)。それ故原告は、ダイヤの混乱によって作業が滞ることを恐れて、札幌市内のホテルに泊まったのである。
 以上の如く、平成19年1月30日(水)に原告が被告から被った「被害の事実」に対する被告の反論は証拠物を欠き、かつ、誤った認識に基づくものでしかない。故に被告が自己の行為を正当化する論理には何ら合理的な根拠がなく、原告が「準備書面」において被告の行為に関して行った「違法性」の指摘は依然として有効である。
 
第3 謝罪文を請求する理由
 被告側「準備書面(2)」は、「1 名誉毀損の事実」について、
全て否認ないし争う。」と書いているが、「否認」の理由を何一つ挙げていない。「否認」を主張する証拠物も示していない。何について「争う」のかについても何一つ書いていない。
 被告側「準備書面(2)」は、「2 謝罪文の請求」について、
否認する」と書いているが、「否認」する理由を何一つ挙げていない。
 それ故原告は、原告が「準備書面」で挙げた「1、名誉毀損の事実」について、被告は何一つ否認できなかったし、反論もできなかったと判断する。原告が「準備書面」で挙げた「1、名誉毀損の事実」は依然として有効である。
 また被告は、
原告が文学館の職を失ったのは、雇用期間の満了によるものであり、被告の言動とは全く無関係である。」と言うが、この主張は2つの点で誤っている。
 第一に、原告は「準備書面」において、「上記のごとき被告の言動により、原告は多大の精神的苦痛を被り、かつ人格と能力に関する社会的信用を損傷させられて、財団法人北海道文学館の嘱託の職を失った。以上の事柄に関して、原告は被告に対して、署名捺印した謝罪文を書き、原告に手交することを請求する。」と主張したのであるが、被告は「被告の言動により、原告は多大の精神的苦痛を被り、かつ人格と能力に関する社会的信用を損傷させられた」事実については全く言及していない。
 第2に、平成19年7月に原告の申し立てによって行われた労働審判において、S裁判官を長とする労働審判委員会は申立人(原告)の請求趣旨を認めて、相手方(財団法人北海道文学館)が和解金を申立人に支払う調停案を示し、申立人と相手方の双方が同意した。労働審判委員会が申立人の請求趣旨を認めた理由は幾つか考えられるが、その一つは、財団法人北海道文学館が申立人を解雇した手続きには正当性がないと判断したからであった。「14「(13)平成18年12月6日(水曜日)」について」で述べておいた如く、本訴訟の被告は財団法人北海道文学館が犯した違法な原告解雇に関わっていたのである。

第4 被告側「準備書面(2)」の結語について
 被告側「準備書面(2)」は
「以上の通り、原告の主張には何ら理由がないから速やかに棄却されるべきである。」と言うが、以上述べてきた如く、被告側「準備書面(2)」の主張には全く何らの合理的、合法的な理由がない。よって、被告は速やかに自身の違法行為を認め、原告が「訴状」で請求した通り、謝罪文を書き、また損害金として金○○万円及びこれに対する平成19年4月1日より支払い済みに至るまで民法所定の年5分の割合により遅延損害金を支払うべきである。のみならず、公開を旨とする本裁判の過程において、被告は「準備書面(2)」及び「陳述書」の中で公然と原告の人格と能力を誹謗し、原告の名誉を毀損する人格権の侵害を繰り返し行っている。被告によって行われた、この原告に対する人格権侵害の賠償金に関しては、被告本人の法廷尋問の後、慎重に検討した上で、別個に請求する。
                                      以上

|

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