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2007年1月28日 (日)

資料7「神谷理事長の回答を要求する」

〔北海道文学館嘱託職員・亀井志乃は、2007年1月17日、毛利正彦文学館長から「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」と題する文書を渡された。亀井志乃は1月21日、それを神谷忠孝理事長に返送すると共に、「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(以後、「神谷理事長の回答を要求する」と略記)を送った。数日後、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、川﨑信雄業務課長、寺嶋弘道学芸主幹にも、毛利正彦の文書と「神谷理事長の回答を要求する」を送った。
次に、
①毛利正彦文学館長の「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」
②亀井志乃の「「神谷理事長の回答を要求する」
を紹介する。〕

「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」

 財団と館の意思として申上げます。
 平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。

平成19年1月17日
亀井志乃嘱託員 様
                                                (財)北海道文学館 副理事長
                      北海道立文学館 館長
                                毛利正彦

②「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」

北海道文学館理事長 神谷忠孝殿

                                             財団法人北海道文学館嘱託職員
                     業務課 学芸班 研究員
                                  亀井志乃

 私は過日、平成19年1月6日の日付けを持つ「毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する」という主意書と、「再回答書」を、神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、川﨑信雄教務課長、寺嶋弘道学芸主幹の5人にお渡ししました。
 その理由は、平成18年12月27日、毛利正彦文学館長と平原一良副館長より私に渡された「回答書」の内容が納得できなかったからです。なぜ納得できないかについては、「「館長 毛利正彦」の名による回答と、それに対する疑問と批判」に書き、これも平成19年1月6日付けの主意書と一緒にお渡ししてあります。
 私は「再回答書」の期限を平成19年1月16日とさせていただきました。また、上記の人たちのうち、誰かが5人を代表して回答する場合は、神谷忠孝理事長の責任において回答してもらいたい旨、明記しておきました。

 しかし、平成19年1月16日に至っても、誰からも回答がありませんでした。ただ、翌日の1月17日、私は毛利正彦文学館長より館長室に呼ばれ、同封のような「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」というタイトルの文書を渡されました。
 毛利正彦文学館長としては、これが私の「毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する」に対する返答のつもりだったようですが、私にはとうてい返答の体をなしているとは思われません。よって、これは上記の5人にお返しし、改めて神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求いたします。
 回答は平成19年2月6日(火)までに、私に直接お渡し下さい。

 しかし、なぜ私が「返答の体をなしていない」と判断したか。毛利正彦氏は私の文章を読まないか、もし読んだとしても、私の文章を理解できないで、見当はずれの「返答」を書いている。しかも毛利正彦氏の文章は、文辞が整わない上に、理論的に混乱しているからです。
 以下、更にそれらの点を、(A)回答資格者、(B)主文(前段)、(C)副文(後段)の3点に別けて説明します。
 
(A)回答資格者について
1、私は前回、「館長・毛利正彦氏が「財団及び館」を代表して、「財団及び館としての考え方」を回答できる根拠は何ですか。」と質問しました。しかし、今回の「返答」では、その点の回答がありません。
 毛利正彦氏としては、「(財)北海道文学館 副理事長」と「北海道立文学館 館長」という肩書きを二つ並べて、その回答とするつもりだったのかもしれません。
 しかし、それは私の質問や要求とは性質や次元が異なります。念のため、前回の私の質問と要求を引用いたしましょう。

 「去る12月27日、私は館長室に呼ばれましたが、その少し前に、川﨑業務課長から「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と教えられました。確かにこの事自体は、財団の規定に照らしても客観的な事実であろうと考えられます。
 そうしますと、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあることになります。換言すれば、一連の問題に関して、これまで主に毛利正彦館長が私に対応してきましたが、それは館長の越権行為であることになります。それ故、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。

 その証明をお示し下さい。その証明がないならば、毛利館長が私に行った説明は全て無効となり、私の白紙撤回の要求は極めて正当な要求だったことになります。」
「これまで毛利正彦文学館長が亀井に対応してきたことは、全て神谷忠孝理事長の意向・決定に基づくことを証明して下さい。」

   
 もう一度言いますが、(財)北海道文学館副理事長/北海道立文学館館長・毛利正彦氏が私に渡した「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」は、その質問に対して何も答えていません。

2、以上により、私は、「毛利正彦氏は私の文章を読まないか、もし読んだとしても、私の文章を理解できないで、「返答」を書いている。」という心証を得たのですが、もう一例を挙げましょう。
 去る1月17日、毛利正彦氏は私に上記の「返答」を渡した際、「亀井さん、もっと規約を勉強しなさい。神谷理事長は理事長だからと言って、何でもかんでも決められるわけではないってことは、規約にちゃんと書いてあるでしょう。」と、要らぬおせっかいの補足を語っていました。それに対して私は、〈私は神谷忠孝理事長が自分で何でも決めているわけではない、と考えたから、前回のような質問をしたのだ〉という意味の反論をしようとしましたが、毛利正彦氏は私の発言を遮って「とにかく亀井さんには、もっと勉強してほしいんだなぁ」と繰り返しました。
 この点についても、前回の私の質問を引用します。
   
 「ただし私は、規定の上では「人事に関する決定権は神谷理事長にある」からと言って、この規定が神谷理事長に、「人事に関する決定権」を独占的、独裁的に許している、とは考えていません。この規定が意味するところは、次のようなものと考えられます。「人事に関する方針を議する、何らかの合議体があり、その合議体で決めた方針が、理事長の意志として表現される。この合議体の決定を経ない〈理事長の意志〉はあり得ないし、あってはならない。その合議体の決定は、〈理事長の意志〉として表現されて、はじめて効力を持つ。」
 私は、財団・北海道文学館における、この合議体は理事会だと考えますが、いかがでしょうか。
 そこで改めて質問致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」の正当性を保証するものは何でしょうか。
 それに関連して、もう一つお訊ね致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」が恣意的、独裁的に行使されるのを防ぐために、――例えば人選が私情や個人的な利害によって行われるのを防ぐために――当然、権限の幅が設定されていると思いますが、それはどのように設定されているのでしょうか。」

 もうお分かりでしょう。私は、〈神谷忠孝理事長が何でも自分で決定する/決定できる、とは思わない〉と考えたからこそ、このような質問をしたわけです。ところが毛利正彦氏はそれを無視して、「勉強しなさい」を繰り返している。「毛利正彦氏は私の文章を読まないか、もし読んだとしても、私の文章を理解できないで、「返答」を書いている。」と判断せざるをえません
   

 それとも、毛利正彦氏は、〈自分は北海道立文学館の館長であり、それ故、たとえ財団・北海道文学館における身分は副理事長であっても、理事長である神谷忠孝氏の立場と権限を侵しても差し支えない〉と考えているのでしょうか。また、神谷忠孝理事長はそれを容認して、毛利正彦氏の言動、言行を支持しているのでしょうか。
  その辺のお考えも是非知りたいところです。

(B)主文(前段)について
 1、利正彦氏は、(財)北海道文学館副理事長及び北海道立文学館館長の肩書きをもって私に、「平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。」と通告してきました。
 しかし、繰り返し言いますが、私が1月6日にお渡しした文書をじっくり、丁寧にお読みください。私は、私の「再任用にかかわっての要求・質問」をしたわけではありません。
 私は平成18年12月12日付けの「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」において、「毛利館長が(亀井に)述べた任用方針の説明、およびここに至るまでの経緯に鑑み、毛利館長を含む「我々」の任用方針は意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告であり、よって白紙撤回をし、改めて当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定することを要求いたします。」と要求しました。
 ところが、12月27日の「回答書」は、私が問題にした「来年度の任用方針に関する意思決定の正当性についての疑問」には答えていない。だからこそ私は、平成19年1月6日の「毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する」において、次のように要求したわけです。

 「これでは回答になっていません。前に私がお渡しした、12月12日付の「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」と、それに添えた「面談記録」をもう一度よくお読みください。私が白紙撤回を要求したのは、「毛利館長を含む「我々」の任用方針は意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告である」と判断したからです。毛利館長を含む「我々」は、私のこの判断に含まれる論理と主張に答えなければなりません。
   その論理と主張に答えず、「嘱託員の任用要領」を持ち出すのは、問題のすり替えでしかありません。故に、12月6日に毛利正彦館長から伝達のあった任用方針の撤回を再度要求すると共に、今回のこの回答の撤回も要求致します。」

 
 私の言うことはお分かりいただけると思います。日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。
 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般に通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです。
 毛利正彦氏の回答は、〈財団・北海道文学館の「嘱託員の任用要領」は単年度雇用制を取っており、雇用の決定は理事長が下す。その規則に則っている限り、「我々」の決定は正当なのだ〉という理屈に基づいているようです。しかし、規則適用の正当性や、規則運用の適切性を保証する一定の手続きを欠いた、そんな理屈が、民主的な市民社会で通用するはずがありません。私が疑問に思い、質問したのは、そういう決定のプロセスと合法性についてなのです。
 その点についても、もう一度繰り返しましょう。

 「「財団の意向を反映し代表する我々」とは、毛利館長自身の言葉です。こういう言い方をした以上、毛利館長は、「財団」と「我々」とは相対的に独立した組織であることを認めたことになります。なぜなら、相対的に独立した組織であればこそ、「反映し代表する」という関係が成立するはずだからです。
 また、もし毛利館長が言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と言い得るとすれば、それは一定の手続きを経て財団が決定した方針を遂行する場合だけです。今さら言うまでもないでしょうが、財団法人・北海道文学館の運営主体は理事会であり、「財団の意向」とは理事会の議を経て決定された方針を意味するはずです。財団が決めない方針を「財団の意向」として行うことは逸脱、または越権行為であり、直ちに停止しなければなりません。
 仮に毛利館長が言う「我々」が、理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)の4人であるとすれば、この4人の「責任」は理事会の決定した方針に基づき、それを遂行することにあります。
  
 以上は、毛利館長が言う「我々」4人のほか、寺嶋学芸主幹もよく口にする「組織」論のイロハですが、ここまで説明すれば、もうお分かりのことと思います。私が前回お訊ねしたのは、何月何日の理事会において、どういう議題に関する議を経て、どんな決定がなされたか、ということです。念のためもう一度言いますが、その裏づけなしには、毛利館長の言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と主張することはできません。
  
 では、改めて質問致します。財団法人・北海道文学館の理事会は来年度の任用方針について、何月何日の理事会で、どういう議題に関する議を経て決定したのですか。理事会の議事録のコピーを添えて、お答え下さい。」

 毛利正彦氏が、(財)北海道文学館副理事長及び北海道立文学館館長の肩書きをかざして私に渡した、「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」はこの質問に答えていない。神谷忠孝理事長といえども、その点はお認めにならざるをえないでしょう。

2、(財)北海道文学館副理事長にして北海道立文学館館長である毛利正彦氏は、先ほど紹介した主文において、「これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。」と答えています。また、口頭でも、「あんたへの回答は、この前の、12月27日の返事でつきていると私は思うよ。財団は、何より、いま現にやらなければならない仕事をやっていかなくちゃならないんだ」と、私に言い渡しました。
 しかし私は、一方的に解雇通告を受けた被雇用者として、その理由と経緯について質問をする権利を持っており、毛利正彦氏または(財)北海道文学館理事長の神谷忠孝氏はそれに答える責任と義務を負っています。にもかかわらず、このように回答拒否の姿勢を示すことは、自分(たち)の責任と義務の放棄であり、私の権利の侵害を意味します。
 1月17日にも、私はその点を指摘して、「現に生活権を侵害されているのは、こちらなんですよ。なのに、それがわずらわしいとか言う理由で、回答を打ち切られなければならないんですか。」と言いました。ところが、毛利正彦氏は「誰もわずらわしいなんて言葉を使っていないでしょう」などと、卑小な揚げ足取りで逆ねじを喰らわせ、はぐらかしてしまいました。
 こういうタイプの人物は、得てして私が先ほど挙げた喩えに関しても、「誰もあんたを死刑にするなんて言ってませんよ」などと揚げ足を取って、はぐらかしかねない。しかし神谷忠孝理事長はまっすぐに道理には道理をもって質問に答え、要求に対応して下さるだろう、と信じています。

(C)副文(後段)について
1、この文章は、文章の構成が稚拙で、内容は混乱に満ちています。念のために引用しましょう。

  「こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。」(下線は引用者)

 なぜこの文章の構成が稚拙かと言いますと、毛利正彦氏は、私が下線を引いた箇所全体を、「あなたの行動」にかかる連体修飾句としているからです。4行にも及ぶ長い1文の中で、主語を文末近くに置く。その主語に長大な連体修飾句をつけている。
しかも、「あなたの行動」という主語の述語は、「極めて不誠実であり」まででしかない。それに続く「強く抗議します。」の主語は明示されていません。

2、このように文脈を整理してみますと、毛利正彦氏が言う「私ども」(毛利正彦文学館長を含む、北海道文学館の幹部職員?)に対して、私(亀井)が質問や要求を出すことは、「財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つける」ことになるらしい。毛利正彦氏は、私がこれまで渡した文書のどこから、そういう認識を導き出したのでしょうか。
 神谷忠孝理事長もこの「返答」を支持するのであるならば、毛利正彦氏に代わって、私の文章から該当箇所を具体的に例示して下さい。
 私の立場から言えば、寺嶋弘道学芸主幹の私に対する言動こそ「個人の名誉と人権を不当に傷つける」パワー・ハラスメント以外の何ものでもありません。私は具体的な事例を挙げて、そのことをアピールしました。ところが、毛利正彦氏を含む文学館の幹部職員はそれに対する具体的な反証、反論を示すことなく、一方的に「パワー・ハラスメントはなかった」と結論し、外部の第三者にまでそのように説明している。これは寺嶋弘道学芸主幹と共犯的な関係を結んで、私の名誉と人権を不当に傷つける行動と言うほかはありません。毛利正彦氏はその点を頬かぶりして、あたかも自分たちのほうが被害者であるかのような言い方をしている。これは事態の本質を誤魔化そうとする、姑息なすり替えです。
 
3、次に、毛利正彦氏の作文した長大な連体修飾句によれば、私・亀井志乃が「一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」ていることになるらしいのですが、私はそのようなことをしていません。毛利正彦氏は何を根拠にそう言うのか。もしそれを示すことができなければ、毛利正彦氏こそ「根拠のない誹謗・中傷」を行っていることになる。
 そもそも寺嶋弘道学芸主幹の私に対する言動こそ「根拠のない誹謗・中傷」のくりかえしだった。その点を忘れてはなりません。また、その点から目を逸らさせるような言い方は許されません。

4、さて、毛利正彦氏の文章の拙さには目をつぶって、毛利正彦氏はじつは私の父・亀井秀雄を主語として、「一方ではインターネット上の父親のブログで」以下を言いたかったのだ、と考えてみましょう。
 確かに私の父・亀井秀雄は、「この世の眺め――亀井秀雄のアングル――」というブログで、平成18年の12月28日から何回か、北海道文学館の問題に言及しています。しかし私の見るところ、父・亀井秀雄は根拠のあることを書いているだけであって、決して「根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」ているわけではない。もし毛利正彦氏が、亀井秀雄は「根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」ていると考えるならば、毛利正彦氏が自分たちの具体的な、根拠ある事実を挙げて、それを証明しなけばならないでしょう。
 また、神谷忠孝理事長も毛利正彦氏のそのような見方を支持するのであるならば、毛利正彦氏に代わって、具体的な事例を挙げ、それに即して亀井秀雄が「根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」たことを証明して下さい。それができないならば、毛利正彦氏は私の父・亀井秀雄に対して「根拠のない誹謗・中傷」を行ったことになります。

5、また、毛利正彦氏は私の父・亀井秀雄のブログについて、「父娘関係をあえて伏せたまま」などと、何か不当な書き方をしているかのごとく匂わせていました。しかし、父・亀井秀雄は、北海道文学館の管理職的な立場の3人については実名を明かすが、それ以外の職員の姓名については、ローマ字書きにした場合の頭文字で表記する、という方針で書いているだけのことです。
 私の父・亀井秀雄は、私が平成18年10月31日、寺嶋弘道学芸主幹のパワー・ハラスメントをアピールした時期、ブログでその問題に言及することはしませんでした。北海道文学館の幹部職員のまっとうな対応を期待していたからでしょう。
 また、私の父・亀井秀雄は、平成18年12月6日、私が来年度の雇用に関して、毛利正彦文学館長から実質的な解雇通告を受けた時も、ブログで取り上げることはしませんでした。私がその通告に対して、12月12日、北海道文学館の幹部職員に、「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」を渡した時も、ブログで言及することは控えていました。まだ何ほどか北海道文学館の幹部職員の誠意を期待する気持ちが残っているからだ、と私は理解しています。
 しかし、平成18年12月27日、毛利正彦文学館長と平原一良副館長が私に対して、極めて不誠実な「回答書」を返した。その翌日から、父・亀井秀雄はブログで北海道文学館の批判を開始しました。
 私としては、至極当然な対応だと思っています。
 ただ、父・亀井秀雄はこの事態に対する一定のスタンスを保つため、寺嶋弘道学芸主幹以下の職員の名前は出さない方法を取ったものと理解しています。しかし、年が明けて、平成19年1月17日、毛利正彦氏から私に渡された「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」は、明かに私を愚弄するだけでなく、父・亀井秀雄を愚弄する文言で書かれていました。多分父・亀井秀雄は、今後は、全ての人間を実名で名指しする書き方に変えることでしょう。

 以上が、毛利正彦氏の「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」を、私が「返答の体をなしていない」と考える理由です。

 そのことを説明して、さて、改めて神谷忠孝理事長に要求致します。私が平成19年1月6日付けで、「毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する」と一緒にお渡しした「再回答書」の「質問事項」と「要求事項」の返事を、平成19年2月6日(火)までに、私に直接お渡し下さい。

 平成19年1月21日

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資料6「理事・評議員への第二次アピール・2種」

〔北海道文学館嘱託職員・亀井志乃は、資料4で紹介したアピールに次いで、平成19年1月7日、理事と評議員に宛てて、①「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」を送った。
また、資料4を送った後、新たに住所や仕事先の分かった評議員に宛てて、平成19年1月11日、②「北海道文学館におけるハラスメントと不当な解雇を訴える」を送った。

内容に重複するところも多いが、記録のため、アピールの挨拶文を紹介しておきたい。〕

「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」    

財団法人・北海道文学館 役員各位

                    財団法人北海道文学館嘱託職員
                     業務課 学芸班 研究員
                               亀 井 志 乃

 明けましておめでとうございます。今年の元旦は、珍しく爽やかな晴天に恵まれました。皆様にはご健勝にてよいお年をお迎えのこととお慶び申上げます。
 私もおかげさまで、元気に新しい戦いの年を迎えることができました。

 毛利正彦文学館長と平原一良副館長とは相変わらず言葉の意味をすり替えながら擬事実の捏造に勤しんでいるようです。暮の27日、私が「館長 毛利正彦」の名による回答書を受け取り、「それでは、こちら(文書)は確かに受けたまわっておきます」と言って退室したところ、二人は第三者に、「亀井は館の方針を了承した」と説明していると聞きました。
 同じく暮の20日、運営検討委員会が開かれました。この会議は何かを決定する会議ではないのですが、毛利館長は「何人かの委員から質問が出、館として説明させていただいた」という事実(?)を挙げて、「来年度の任用方針が承認された」と意味づけて、私には「亀井の雇用問題は“解決済み”」と伝え、第三者にまでそのように伝えているようです。
 パワー・ハラスメントの問題についても、私が挙げた具体的な事例を調査することなく、「いじめがあったとは認識しておりません」のパターンにしがみついています。

 12月の中旬に皆様にお送りしたアピールに対して、何人かの人がお返事を下さいました。その中には「長すぎる」とか「細かすぎて読む気がなくなった」とかいう苦情もありました。「文学館内部のことは我々の関知することではない。当事者で解決してくれ」と、言外に不快感を漂わせた返事を下さった方もいます。そういう人たちにとって、上のような毛利館長や平原副館長の説明は、できれば信じていたい言葉かもしれません。
 しかし、そういう方であっても、とにかくペンを取って書いて下さるだけのお気持ちはあった。無関心に放置されてしまうよりは、遥かにありがたいことだと感謝しています。

 ただ、私個人としては、条理はきちんと通しておきたい。2、3の方からは、事態を憂慮し、お気持ちの籠った励ましのお手紙もいただいています。おかげさまで、怯むことなく立ち向かう勇気をいただきました。心からお礼を申し上げます。
 今回お送りするのは、去る12月27日、毛利正彦文学館長と平原一良副館長から渡された「回答書」に対して、私の疑問と批判を述べ、再度回答を要求した文書です。それをお読みになるだけでも、事態がどう進んでいるか、ご理解いただけることと思います。が、前にお送りした「面談記録」と一緒にお読みいただければ、さらに立体的にお分かりいただけると思います。
 ぜひご一読の上、事の成り行きをお心にお止め下さいますようお願い申し上げます。

平成19年1月7日

「北海道文学館におけるハラスメントと不当な解雇を訴える」   

財団法人・北海道文学館 評議員各位

                    財団法人北海道文学館嘱託職員
                    業務課 学芸班 研究員
                               亀 井 志 乃

 明けましておめでとうございます。今年の元旦は、珍しく爽やかな晴天に恵まれました。皆様にはご健勝にてよいお年をお迎えのこととお慶び申上げます。
 私もおかげさまで、元気に新しい戦いの年を迎えることができました。

 さて、突然お手紙を差上げる失礼をお許しください。
 私は現在、北海道文学館で、財団の嘱託職員として働いております亀井志乃と申します。私は平成16年7月、嘱託職員に採用されて以来、自分の立場を弁えつつ、任された仕事に励んできました。ところが、去る12月6日、毛利正彦館長より突然、来年度からの任用予定がないこと、つまり今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。

 この一方的な通告は、現在の雇用問題に関する市民的ルールに反する行為と思いますが、更に不可解なのは、私がその理由の説明を求めたところ、毛利館長は「財団の事情」「理事の人たちのかねてからの意向」と言うのみで、明瞭な説明ができませんでした。誰がどういう立場と権限で来年度の任用方針を決めたのか、という意味の質問に対しても、「財団の意向を反映し代表する我々」と答えるのみで、具体的に決定主体とその権限を明らかにすることはしませんでした。

 私の解釈では、この不当な生活権の侵害は、駐在道職員・寺嶋弘道学芸主幹の私に対するパワー・ハラスメントと無関係ではありません。
 私は昨年の4月以来、寺嶋主幹から執拗にパワー・ハラスメントを受け、10月31日、それが堪えがたいまでに苦痛であることを、寺嶋弘道主幹だけでなく、神谷忠孝理事長、毛利正彦館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長にアピールしました。しかし5人は、私が文書による回答を求めた問いかけに答えることなく、また、抜本的な解決を図る取り組みも見せずに、12月6日、毛利館長による突然の解雇通告を突きつけてきました。
 それ以後、私は毛利正彦文学館長を始めとする幹部職員に来年度の任用方針の白紙撤回を求めているのですが、彼らは文学館のホームページに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」を出してしまい、また、一部の理事や評議員に「亀井は来年度の任用方針を了承した」などと説明をし、なしくずしに自分たちの方針を既成事実化しようとしています。

 じつは私は、昨年の12月と今年に入ってからと、2度、理事や評議員のうち、お住まいやお勤め先の分かる方々に、同封の資料をお送りして、以上のような経緯をアピールしました。その方の中には、「細かすぎて読む気がなくなった」とか、「文学館内部のことは我々の関知することではない。当事者で解決してくれ」とかと、言外に不快感をにじませて、関心を持つこと自体を拒むような手紙を下さった人もいます。
 しかし中には、事態を大変に心配され、そして私が住所未詳としておいた評議員の方のお住まいやお勤め先を、「自分の分かる範囲で」とお教えくださった方もいらっしゃいます。それに勇気づけられて、先生にもお送りさせていただくことに致しました。どうか事情をお察しの上、突然の押しつけがましい行為をご海容下さいますようお願い申上げます。

 何分にも資料が4種類もあり、参考資料①から読み始めるのに躊躇いを覚える方もいらっしゃるかと存じます。先ず参考資料③の「面談記録」を読み、次に、一番新しい「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」の中の「「館長 毛利正彦」の名による回答と、それに対する疑問と批判」をお読み下されば、事態の概要と問題点がお分かりいただけることと存じます。
 せめてその2部だけでもお眼通しいただきたく、その上で、現在、北海道文学館のなかで何が起っているか、引き続きご関心をお持ちいただけるならば、幸いこれに過ぎるものはありません。
                                     敬具

平成19年1月11日
 

 

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2007年1月24日 (水)

資料5「「任用方針」撤回の再要求」

〔資料3で紹介したように、亀井志乃は平成18年12月12日、北海道文学館の神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、寺嶋弘道学芸主幹の4人に、「「任用方針」の撤回を要求する」を渡した。そして12月27日、その「回答」を、毛利正彦と平原一良から受け取った。
以下に紹介するのは、亀井志乃が平成19年1月6日、上記の4人と川﨑信雄業務課長に送った、「毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する」(以後、「「任用方針」撤回の再要求」と略記)の全文である。再要求文と「別紙Ⅰ」と「別紙Ⅱ」の3部構成となっており、かなり長いが、一括して紹介する。

ただ、別紙Ⅰの「「館長 毛利正彦」の名による回答と、それに対する疑問と批判」は、少し理解しにくいかもしれない。亀井志乃は逐条審議的に、前回の「「任用方針」の撤回を要求する」の要求文や質問文を挙げ、次に「館長 毛利正彦」の回答文を朱字で翻刻し、それに対する疑問や批判を【亀井異議】として書き加えているのだが、逐条審議に入る前に、〈なぜ毛利正彦館長が「財団及び館としての考え方を回答」をするのか。なぜ、神谷忠孝理事長が回答しないのか〉を問題としているからである。
この問題意識さえ理解すれば、それに続く逐条審議的な箇所は一瀉千里に分かってもらえると思う。

朱字で引用した「館長 毛利正彦」の「回答」は、いずれもごく短い。しかしこれが「回答」の全文であって、亀井志乃が部分的な摘出を行ったわけではない。

亀井志乃はその「回答」を、「それでは、こちら(文書)は確かに受けたまわっておきます」と、「回答」への即答を保留しながら受け取った。だが、平原一良は評議員たちに、「亀井は文学館の方針を承諾した」と説明している。パワー・ハラスメントはなかったとも説明している。そのことが、私の耳にも伝わってきた。
寺嶋弘道は、前回の「「任用方針」の撤回を要求する」の受け取りを拒否し、「雇用の問題は自分に関係ない」と言って、亀井志乃の机に置いて行った、という。「「任用方針」撤回の再要求」のほうは、郵便で返してきた。

私自身について言えば、ここに赤字で翻刻された12月27日の「回答」を見た時から、自分のブログで北海道文学館の問題を取り上げることを決意した。「北海道文学館のたくらみ(1)」が2006年12月28日の日付けを持つのはそのためである。〕

毛利館長が通告した「任用方針」の撤回を再度要求する

財団法人北海道文学館理事長       神谷忠孝殿
北海道立文学館館長             毛利正彦殿
北海道立文学館副館長            平原一良殿
北海道立文学館業務課長          川崎信雄殿
駐在道職員・北海道立文学館学芸主幹  寺嶋弘道殿

 去る12月12日(火)にお渡しした、私の「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」に関して、12月27日(水)午後1時より、館長室にて、毛利正彦館長及び平原一良副館長から私に「回答書」が手渡され、その後20分ほどご説明がありました。ご回答くださいました誠意に感謝いたします。
 しかし、回答の内容とそれに関する説明は、いまだ私が納得できるものではありませんでした。ですから私は、「それでは、こちら(文書)は確かに受けたまわっておきます」と返事をして退室しました。帰宅後、回答書の内容を検討し、その上で態度を決めたいと考えたからです。
 その検討の結果、この回答書は、元々私が疑問に思い、問いかけたことの回答にはなっていないとの結論に達しました。よって、再度回答を要求いたします。

 私は、前回の撤回要求書において、「毛利館長が述べた任用方針の説明、およびここに至るまでの経緯に鑑み、毛利館長を含む『我々』(別紙資料を参照)の任用方針は意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告であり、よって白紙撤回をし、改めて当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定することを要求いたします」と、白紙撤回を求める理由を述べておきました。しかし、今回の回答は、それに答えていない、というよりは、毛利館長の説明の不備がはっきりと露呈しています。
 それだけでなく、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあり、これまで主に毛利正彦館長が対応してきたのは、館長の越権行為であることに思い当たりました。なぜなら、12月27日、館長室に行く前に、川崎業務課長が私に「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と示唆してくれたからであり、確かにこの事自体は、財団の規約に照らしても客観的な事実であろうと考えられるからです。とすると、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。その意味でも、私の白紙撤回の要求は正当なものだと思われます。

 それでは、別紙Ⅰに「『館長 毛利正彦』の名による回答と、それに対する疑問と批判」として、明らかになった問題点を指摘いたしますので、それをお読みになった上で、別紙Ⅱの「再回答用紙」に回答をご記入下さい。どなたか一人に回答の代表者を絞る場合は、神谷忠孝理事長を代表者にして下さい。回答の期限は平成19年1月16日(火)とさせていただきます。
 
  平成19年1月6日(金)

財団法人北海道文学館嘱託職員
業務課 学芸班 研究員
亀井志乃
付記
1、「「館長 毛利正彦」の名による回答と、それに対する疑問と批判」では、平成18年12月27日に毛利館長より手渡された「回答」の、「館長 毛利正彦」の名による回答を朱字で翻刻し、各回答の末尾に【毛利回答1】【毛利回答2】という具合に番号を付けました。
2、「館長 毛利正彦」の名による回答についての疑問や批判は、回答の次に【亀井異議1】【亀井異議2】の番号を付し、ゴチック体で書いてあります。
3、回答は「再回答用紙」に書き、平成19年1月16日(水)までに、私にお渡し下さい。「再回答用紙」に書き切れない場合は、恐れ入りますが、ご自身で「用紙」を補ってお書き下さい。

別紙Ⅰ
「館長 毛利正彦」の名による回答と、それに対する疑問と批判

氏名〔館長 毛利正彦
※財団及び館としての考え方を回答します毛利回答1】
【亀井異議1】
 館長・毛利正彦氏が「財団及び館」を代表して、「財団及び館としての考え方」を回答できる根拠は何ですか。
 去る12月27日、私は館長室に呼ばれましたが、その少し前に、川﨑業務課長から、「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と教えられました。確かにこの事自体は、財団の規定に照らしても客観的な事実であろうと考えられます。

 そうしますと、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあることになります。換言すれば、一連の問題に関して、これまで主に毛利正彦館長が私に対応してきましたが、それは館長の越権行為であることになります。それ故、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。
 その証明をお示し下さい。その証明がないならば、毛利館長が私に行った説明は全て無効となり、私の白紙撤回の要求は極めて正当な要求だったことになります。

 ただし私は、規定の上では「人事に関する決定権は神谷理事長にある」からと言って、この規定が神谷理事長に、「人事に関する決定権」を独占的、独裁的に許している、とは考えていません。この規定が意味するところは、次のようなものと考えられます。「人事に関する方針を議する、何らかの合議体があり、その合議体で決めた方針が、理事長の意志として表現される。この合議体の決定を経ない〈理事長の意志〉はあり得ないし、あってはならない。その合議体の決定は、〈理事長の意志〉として表現されて、はじめて効力を持つ。」
 私は、財団・北海道文学館における、この合議体は理事会だと考えますが、いかがでしょうか。
 そこで改めて質問致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」の正当性を保証するものは何でしょうか。

 それに関連して、もう一つお訊ね致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」が恣意的、独裁的に行使されるのを防ぐために、――例えば人選が私情や個人的な利害によって行われるのを防ぐために――当然、権限の幅が設定されていると思いますが、それはどのように設定されているのでしょうか。
 

1、要求事項
 去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。
  

 先にお伝えした方針を撤回する考えはありません。あなたには、嘱託員の任用要領により、あらかじめ期間を設けてお願いしていることをご理解下さい。毛利回答2】
【亀井異議2】

 これでは回答になっていません。前に私がお渡しした、12月12日付の「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」と、それに添えた「面談記録」をもう一度よくお読みください。私が白紙撤回を要求したのは、「毛利館長を含む「我々」(別紙資料※Ⅰを参照)の任用方針は意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告である」と判断したからです。毛利館長を含む「我々」は、私のこの判断に含まれる論理と主張に答えなければなりません。※1、「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」に添えた「面談記録」
 その論理と主張に答えず、「嘱託員の任用要領」を持ち出すのは、問題のすり替えでしかありません。故に、12月6日に毛利正彦館長から伝達のあった任用方針の撤回を再度要求すると共に、今回のこの回答の撤回も要求致します。

 
2、要求事項に関連する質問
イ、「財団の意向を反映し代表する我々」(毛利発言4)に、あなたも入っていますか。毛利館長が言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と言い得る理由は何ですか。
  
 
理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)は、職員の任用等に関し当然責任のある立場にあり、そのことは財団の寄附行為のとおりです。なお、学芸主幹は道教委の駐在職員であり、その任にありません。毛利回答3】
亀井異議3】
 「財団の意向を反映し代表する我々」とは、毛利館長自身の言葉です。こういう言い方をした以上、毛利館長は、「財団」と「我々」とは相対的に独立した組織であることを認めたことになります。なぜなら、相対的に独立した組織であればこそ、「反映し代表する」という関係が成立するはずだからです。

 また、もし毛利館長が言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と言い得るとすれば、それは一定の手続きを経て財団が決定した方針を遂行する場合だけです。今さら言うまでもないでしょうが、財団法人・北海道文学館の運営主体は理事会であり、「財団の意向」とは理事会の議を経て決定された方針を意味するはずです。財団が決めない方針を「財団の意向」として行うことは逸脱、または越権行為であり、直ちに停止しなければなりません。
 仮に毛利館長が言う「我々」が、理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)の4人であるとすれば、この4人の「責任」は理事会の決定した方針に基づき、それを遂行することにあります。
  
 以上は、毛利館長が言う「我々」4人のほか、寺嶋学芸主幹もよく口にする「組織」論のイロハですが、ここまで説明すれば、もうお分かりのことと思います。私が前回お訊ねしたのは、何月何日の理事会において、どういう議題に関する議を経て、どんな決定がなされたか、ということです。念のためもう一度言いますが、その裏づけなしには、毛利館長の言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と主張することはできません。
  
 では、改めて質問致します。財団法人・北海道文学館の理事会は来年度の任用方針について、何月何日の理事会で、どういう議題に関する議を経て決定したのですか。理事会の議事録のコピーを添えて、お答え下さい。
  

ロ、毛利館長の任用方針の通告における「財団の事情」とは、どういう事情ですか。
 
 
将来にわたって、館の学芸体制を担い、支える財団職員の育成が急務だということです。毛利回答4】
【亀井異議4】
 この理由は、私を解雇する口実としか思えません。私は12月6日、毛利館長から、突然、来年度から嘱託職員を任用する予定がないこと、つまり唯一の嘱託職員である私を今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。私はそれが一方的で、不当な解雇通告であることを指摘し、抗議しましたが、その時毛利館長は、なぜ来年度から嘱託職員を任用しないことにしたかの理由について、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉と説明しました。つまり、年齢制限を設けることによって私が「公募」に応募するチャンスを奪おうとしたわけです。
 それから約1週間後の12月13日、私は、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。

 その公募要項を見ると、雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用については、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取ることになっています。私には、「これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人」と説明しながら、10年先、20年先までも働いてもらう予定の常勤職員(正職員)を、単年度雇用して、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて」再募集する、あるいは契約を更新する。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。

 去る12月27日、毛利館長と平原副館長は、私がそうした疑問を口にしかけると、しきりに「財団には金がない」、「職員の身分保証はできない」、「これは苦肉の策だ」と強調しはじめました。ところが、募集要項の「学芸員、司書の募集について」では、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。普通に考えれば、その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。
毛利館長の言葉は矛盾ばかりです。

 ついでにもう一つ、毛利館長の疑わしい発言例を挙げておきます。12月20日、運営検討委員会が開かれました。そこで、次年度の任用方針についても説明がなされたと聞いています。ただ、その会議に出席した川﨑業務課長が私に語ったところによれば、「その委員会は何かを決める会議ではなく、方針説明だから、任用に関しても何かが決まったわけではない」ということでした。私の事について質問や反対意見が出されたか、と聞いたところ、特には出なかったとのことでした。
 ところが、12月27日、毛利館長は私に「運営検討委員会で、来年度の任用の方針が承認された」と告げています。そして「何人かの委員から質問が出、館として説明させていただいた」ということでした。どちらが本当なのでしょうか。
 それに、何かを決定する会議でないのであれば、館側としても、その会議で私の雇用問題が“解決”したというふうには主張できないのではないでしょうか。

 もし仮に毛利館長が言う「我々」4人が、来年度以降における私の不採用を望んだとしても、その決定は別な会議で議され、決定されなければならないはずです。

ハ、「理事の人たちのかねての意向」(毛利発言3)は、どういう人たちの、どのような会合において表明されたのですか。

 特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きしています。【毛利回答5】
【亀井異議5】
 【毛利回答3】のお答えに関する反論でお分かりのように、これは回答になっていません。それだけでなく、理事会の議を経ずに、「特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」というような根拠の曖昧な「意見、意向」で、来年度の任用方針を決めるのは、明らかに逸脱、越権行為です。このことだけでも、私の「白紙撤回の要求」の正当性が証明されたと言えるでしょう。

 それ故、改めて要求致します。去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。

以上のことと共に、次のことについて、回答を要求します。
A.「特定の会合に限らず」という言い方は、「特定の会合」もあったことを意味します。それは、何時の、どのような会合で、出席者はどなたですか。
B.「日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員から」における理事や評議員、会員、職員とは、どなたですか。具体的に名前を挙げて下さい。
C.「日常における意見交換」は何時、どんな場面で行われたのですか。具体的に時間、場面をお教えください。
D.毛利館長の回答によれば、毛利館長が言う「我々」4人は、「特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きして」来年度の任用方針を決めたことになりますが、その時、毛利館長が言う「我々」4人は自分たちのどのような権限に基づいてそれが可能だ、と考えたのですか。

二、「かねてからの問題」(毛利発言4)とは、どういう問題ですか。
 

質問ロに同じです。【毛利回答6】
【亀井異議6】
 【亀井異議4】と同じです。

3、確認事項
 私は、10月31日にお渡しした「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明、および北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」の【要求】のなかで、「もし、上記の〔結論〕に対して、11月10日までに反論等が文書の形で上がらなかった場合には、「当文学館においては、嘱託職員・亀井志乃に対するパワー・ハラスメントが行なわれていた」という〔結論〕に対して、異論が出なかったものと判断させていただくこととする。」と明言しておきました。
 更に続けて「また、もし〈当文学館においてパワー・ハラスメントが行なわれていた〉事を認める文書が亀井に渡された場合、あるいは、11月10日までに何らの回答が得られず、従って亀井の結論内容が認められたものと判断した場合には、亀井側から、次の二点を要求したい。」として、「現在の事務室における席の位置を変える事」「亀井の仕事上の書類承認手続きについて」の二点を挙げて置きました。
 そして11月10日に、毛利館長と平原副館長との話し合いにおいて、先に要求しておいた2点が認められた。ということは、論理必然的に、毛利館長と平原副館長は、寺嶋主幹が私に対してパワー・ハラスメントを行なっていたことを認めたことになる。そのことを、あらためて確認させていただきます。

 ※先にもお伝えはしたが、私共としては、いわゆる「パワーハラスメント」があったとは考えておりません。あなたの座席と仕事の指揮系統を変えたのは、あなたから強い要望があり、業務の円滑な遂行上、やむをえないと判断して行ったものでありますので、念のため。毛利回答7】
【亀井異議7】

 これも無責任な断定であり、言い逃れでしかありません。
 私は、寺嶋主幹の私に対する言動がパワー・ハラスメントであると考える理由を、具体的な事例を挙げてアピールしました。必要ならばもっと挙げることができます。
 また、そのアピールに対して、毛利館長以下の幹部職員がどのような対応を取るか、その対応次第によっては、〈毛利館長以下の幹部職員は、寺嶋学芸主幹が私にパワー・ハラスメントを働いたと認めたものと判断する〉と、判断の条件を示しておきました。毛利館長も平原副館長もそれを承知しているはずです。

 私はその条件に照らして、「論理必然的に、毛利館長と平原副館長は、寺嶋主幹が私に対してパワー・ハラスメントを行なっていたことを認めたことになる。そのことを、あらためて確認させていただきます」と念を押したわけです。
 ですから、それに対して、もし毛利館長と平原副館長が「私共としては、いわゆる「パワーハラスメント」があったとは考えておりません」と主張したいのならば、私の挙げた具体的な事例に即して調査を行い、その調査結果を具体的に挙げて――何時、誰を対象に、どのような方法で調査を行ったか、その結果はどのようなものであったか、を文章化して――結論を示すべきです。
 その調査結果が私の挙げた具体例と結論をくつがえすものでないかぎり、軽々しく「
いわゆる「パワーハラスメント」があったとは考えておりません」などと言うべきではありません。私の具体例に対する反証も挙げずに、そんなことを言っても、それは単なる一方的で、恣意的な、ご都合主義の感想でしかありません。
 今までの対応から察するに、毛利館長以下の幹部職員はまだそのような調査を行っていないと見受けられます。早急に私の挙げた具体的な事例に即して調査を行って下さい。この調査の一番の対象は寺嶋学芸主幹であるはずです。その場合は馴れ合いにならないように、外部の第三者を交えて行って下さい。第三者を選定する時は、選定委員の中に私も加えていただきます。
 

 なお、11月10日に行われた、毛利正彦文学館長と平原一良副館長との話し合いの結果、私の業務に関する指示は平原副館長から出ることになり、また、私の席を学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置に移すことになりました。その理由を、【毛利回答7】では、「あなた(亀井)から強い要望があり、業務の円滑な遂行上、やむをえないと判断して行ったものであります」の説明していますが、ここにも事態の把握に関する微妙なすり替えが見られます。
 私はその話し合いの内容を、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(11月14日付け)というタイトルの文章にまとめ、神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、寺嶋学芸主幹に渡しました。
 その後、上記の人たちから何の反論もありません。ですから、皆さんはその内容を異議なく承知したものと判断いたします。
 念のためそれを再読して見てください。私に対する業務の指示を平原一良副館長に一元化することについては、「毛利館長・平原副館長より真っ先に提示された」ことです。話し合いの場で、私が「強い要望」を出し、その結果お二人が「業務の円滑な遂行上、やむをえない」と譲歩したわけではありません。
 もし毛利館長が「譲歩させられた」という印象を持ったとすれば、それは毛利館長が〈緊急避難的〉という言葉を使い、それは妥当な言い方ではないと私に指摘されて、撤回せざるをえなかったからではないでしょうか。その経緯を書いた箇所を、私の「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」から引用させていただきます。

 「なお、この部分(亀井の業務に関する指示者の一元化)は、当初は毛利館長により〈緊急避難的に〉と表現された。しかし、この10日昼の時点において、今回質問状を手にした誰からも、亀井の側について非難されるべき問題点があると具体的に指摘されてはいなかった。そうである以上、亀井が、寺嶋主幹の日ごろの態度を高圧的・過干渉と受けとめざるを得ず、また、文学碑データの業務をサボタージュしていたかの如く表現されたことを不当と感じざるを得なかった事情については、〈誰もその事に対して反論できなかった〉と結論する事自体は許されるであろう。(なお、10月11日を過ぎた後も、反論ないし非難はどこからも亀井のもとに戻って来ていない。)
 従って、これは〈緊急避難的〉な措置などではなく、亀井が要求していた文学館側の対処として当然なされるべき事と考え、話し合いの中でそのように主張した。そして、毛利館長も、最終的には〈緊急避難的〉という言葉を撤回した。」

 実際はこのように話し合いが進んでいきました。それにもかかわらず、毛利館長はそれを失念し、あるいは無視して、〈亀井のごり押しと自分たちの譲歩〉という構図を作りたがっているように見受けられます。しかしそれは、毛利正彦文学館長や平原一良副館長が作り上げた虚構の構図にすぎません。
 よって「あなたの座席と仕事の指揮系統を変えたのは、あなたから強い要望があり、業務の円滑な遂行上、やむをえないと判断して行ったものでありますので、念のため。という理由づけは不正確であり、不当です。これを撤回して下さい。
 当然のことながら、このように不正確で不当な理由に基づく「私共としては、いわゆる「パワーハラスメント」があったとは考えておりません。という主張も撤回してもらうほかはありません。
                                      以上

別紙Ⅱ       
再回答書
氏名〔           〕
質問事項
Ⅰ.毛利正彦館長は亀井志乃嘱託職員に対して、来年度の任用方針は、毛利正彦館長を含む「我々」4人が、「特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」を受けて決めたことだ、と説明しました。
そのことについて、次の質問に答えてください。
A.「特定の会合に限らず」という言い方は、「特定の会合」もあったことを意味します。それは、何時の、どのような会合で、出席者はどなたですか。

B.「日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員から」における理事や評議員、会員、職員とは、どなたですか。具体的に名前を挙げて下さい。

C.「日常における意見交換」は何時、どんな場面で行われたのですか。具体的に時間、場面をお教えください。

D.毛利館長の回答によれば、毛利館長が言う「我々」4人は、「特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きして」来年度の任用方針を決めたことになりますが、その時、毛利館長が言う「我々」4人は自分たちのどのような権限に基づいてそれが可能だ、と考えたのですか。

Ⅱ.毛利館長が亀井に説明したように、来年度の任用方針は、毛利正彦館長を含む「我々」が、「特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」を受けて決めたとしても、それは財団法人・北海道文学館の理事会でオーソライズされる必要があると思います。では、来年度の任用方針について、何月何日の理事会で、どういう議題に関する議を経て決定したのですか。理事会の議事録のコピーを添えて、お答え下さい。

要求事項
Ⅰ.今後は、神谷忠孝理事長が亀井の対応に当って下さい。

Ⅱ.これまで毛利正彦文学館長が亀井に対応してきたことは、全て神谷忠孝理事長の意向・決定に基づくことを証明して下さい。

Ⅲ.毛利正彦文学館長が亀井に説明した、来年度の任用方針を白紙撤回して下さい。

Ⅳ.寺嶋主幹の亀井に対するパワー・ハラスメントについて、亀井の挙げた具体的な事例に即して調査を行い、その調査結果を具体的に挙げて――何時、誰を対象に、どのような方法で調査を行ったか、その結果はどのようなものであったか、を文章化して――結論を示して下さい。調査に当っては、第三者を交えた委員会を作って下さい。第三者の選定については、亀井の意見・要望も反映して下さい。

Ⅴ.前回の回答における、「先にもお伝えはしたが、私共としては、いわゆる「パワーハラスメント」があったとは考えておりません。あなたの座席と仕事の指揮系統を変えたのは、あなたから強い要望があり、業務の円滑な遂行上、やむをえないと判断して行ったものでありますので、念のため。」という文言を撤回して下さい。

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2007年1月23日 (火)

資料4「理事・評議員へのアピール、2種」

〔北海道文学館嘱託職員・亀井志乃は、平成18年12月13日、北海道文学館の理事に宛てて「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」というアピールを送り、12月15日、評議員に宛てて「北海道文学館におけるハラスメントと不当な解雇通告を訴える」を送った。
但し、この時は半数近くの評議員の住所や勤務先が分からなかったらしい。その後、平成19年1月11日、宛て先の判明した評議員に、同じタイトルのアピールを送ったが、まだ本ブログに紹介していない資料に言及した箇所もある。後日、改めて紹介したい。

なぜ、亀井志乃がこのようなアピールに踏み切ったのか。その経緯は、アピール文が語っているが、特に重要だと思われる箇所はゴチック体にした。

なお、今回紹介するアピール文で言う〔参考資料①〕、〔参考資料②〕、〔参考資料③〕は、それぞれ本ブログの「駐在道職員の高圧的な態度について」、資料2「質問状に対する意見交換」、資料3「「任用方針」撤回の要求」に対応する。〕

北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い

北海道文学館
理事各位

財団法人北海道文学館嘱託職員
業務課 学芸班 研究員                               
亀井 志乃

突然お手紙を差上げる失礼をお許しください。
 私は現在、北海道文学館で、財団の嘱託職員として働いている亀井志乃と申します。私は平成16年7月、嘱託職員に採用されて以来、自分の立場を弁えつつ、任された仕事に励んできました。ところが、去る12月6日、毛利正彦館長より突然、来年度からの任用予定がないこと、つまり今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。

 この一方的な通告は、現在の雇用問題に関する市民的ルールに反する行為と思いますが、更に不可解なのは、私がその理由の説明を求めたところ、毛利館長は「財団の事情」「理事の人たちのかねてからの意向」と言うのみで、明瞭な説明ができませんでした。誰がどういう立場と権限で来年度の任用方針を決めたのか、という意味の質問に対しても、「財団の意向を反映し代表する我々」と答えるのみで、具体的に決定主体とその権限を明らかにすることはしませんでした。
 その意味で、毛利館長の通告は、内容の面だけでなく、手続きの面でも正当性を持たない、極めて不当な人権と生活権の侵害だと言わざるをえません。

 私の解釈では、この不当な人権と生活権の侵害は、駐在道職員・寺嶋弘道学芸主幹の私に対するパワー・ハラスメントと無関係ではありません。
 同封した〔参考資料①〕と〔参考資料②〕を御覧下さい。(ただ、〔参考資料③〕を先にお読みになり、問題点を把握してから〔参考資料①〕と〔参考資料②〕をお読み下さると、更に経緯のご理解がより深まると思います)。
 私は今年の4月以来、寺嶋主幹から執拗にパワー・ハラスメントを受け、10月31日、それが堪えがたいまでに苦痛であることを、寺嶋弘道主幹だけでなく、神谷忠孝理事長、毛利正彦館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長にアピールしました。しかし5人は、私が文書による回答を求めた問いかけに答えることなく、また、抜本的な解決を図る取り組みも見せずに、そして12月6日、毛利館長による突然の解雇通告を突きつけてきました。
 その時の私の対応と、毛利館長の応答については、〔参考資料③〕を御覧下さい。

 この〔参考資料③〕を作成した時、私はただちに以上の経緯を皆さんにアピールするつもりはありませんでした。〔参考資料③〕で宛てた4名の人たちの返事を得てから、自分の態度を決めたいと考えていたからです。ところが今日(13日)、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。
 それを見ると、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。とすれば、毛利館長が言う「財団の事情」に財政の問題は含まれないことになります。では、それ以外のどんな「事情」で私を解雇するのでしょうか。私は嘱託職員となって足掛け3年の間、解雇されねばならないような手落ちを何一つ犯していません。〔参考資料①〕をアピールした時、【要求】の中に「私に手落ちや身勝手な行為があったら、具体例を挙げてほしい」という意味のことを書いておきました。しかし毛利館長をはじめ、上記の方々からは何の指摘もありません。では、私を解雇する理由は一体何なのでしょうか。

 更に不思議なのは、公募要項の雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取っていることです。常勤職員(正職員)を単年度雇用して、毎年再募集、あるいは契約更新をしてゆく。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。しかも毛利館長は、12月6日、私と面談した時には、「財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで」と年齢制限を設けて、私が応募する可能性を排除してしまいました(〔参考資料3〕参照)。ところが公募要項では、「10年先20年先」とは逆に、単年度雇用としている。筋の通らない話ばかりです。

 そういう疑問もあって、今日、毛利館長に会った時、すでに公募を始めている事実に言及したところ、毛利館長は「それは財団の方針で、もう決まったことだ。それを亀井さんからまかり成らんなどと言われる筋合いはない」、「説明はもう済んでいる。それを納得しないかどうかは、あんたの問題だからね」と言い始めました。
 このような毛利館長の応対は、問答無用、話し合いの拒否と見るほかはありません。しかも文学館では、来る20日(水)に運営検討委員会を予定しており、「財団の方針」の承認を得る形で、委員会決定にすり替えてしまうだろうことは、十分に推測できます。
 以上のような事情のため、私は、やむを得ず皆さんに経緯を告げ、二つのことをお願いすることに致しました。一つは毛利正彦館長に来年度の任用方針を白紙撤回するよう働きかけること、二つには同封のアンケートでご意見を伺うことです。

 年末のお忙しいところ、まことに恐縮に存じますが、ことは一人の人間の生活権と名誉に関する問題であることを御斟酌下さり、毛利館長に来年度の任用方針を撤回するよう働きかけていただきたく存じます。またアンケートにつきましては、アンケート用紙にお答えをご記入の上、同封の封筒にて、12月27日までに私の手元に届くように、ご投函くださるようお願い申上げます。
平成18年12月13日

北海道文学館におけるハラスメントと不当な解雇通告を訴える

北海道文学館
評議員各位

財団法人北海道文学館嘱託職員
業務課 学芸班 研究員                               
亀井 志乃
 

 突然お手紙を差上げる失礼をお許しください。
 私は現在、北海道文学館で、財団の嘱託職員として働いている亀井志乃と申します。私は平成16年7月、嘱託職員に採用されて以来、自分の立場を弁えつつ、任された仕事に励んできました。ところが、去る12月6日、毛利正彦館長より突然、来年度からの任用予定がないこと、つまり今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。

 この一方的な通告は、現在の雇用問題に関する市民的ルールに反する行為と思いますが、更に不可解なのは、私がその理由の説明を求めたところ、毛利館長は「財団の事情」「理事の人たちのかねてからの意向」と言うのみで、明瞭な説明ができませんでした。誰がどういう立場と権限で来年度の任用方針を決めたのか、という意味の質問に対しても、「財団の意向を反映し代表する我々」と答えるのみで、具体的に決定主体とその権限を明らかにすることはしませんでした。
 その意味で、毛利館長の通告は、内容の面だけでなく、手続きの面でも正当性を持たない、極めて不当な人権と生活権の侵害だと言わざるをえません。

 私の解釈では、この不当な人権と生活権の侵害は、駐在道職員・寺嶋弘道学芸主幹の私に対するパワー・ハラスメントと無関係ではありません。
 同封した〔参考資料①〕と〔参考資料②〕を御覧下さい。(ただ、〔参考資料③〕を先にお読みになり、問題点を把握してから〔参考資料①〕と〔参考資料②〕をお読み下さると、更に経緯のご理解がより深まると思います。なお、〔参考資料①〕と〔参考資料②〕を毛利館長以下5名に人に渡した時には、事実の詳細を示す資料を添えておきましたが、ここでは省略しました)。
 私は今年の4月以来、寺嶋主幹から執拗にパワー・ハラスメントを受け、10月31日、それが堪えがたいまでに苦痛であることを、寺嶋弘道主幹だけでなく、神谷忠孝理事長、毛利正彦館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長にアピールしました。しかし5人は、私が文書による回答を求めた問いかけに答えることなく、また、抜本的な解決を図る取り組みも見せずに、そして12月6日、毛利館長による突然の解雇通告を突きつけてきました。
その時の私の対応と、毛利館長の応答については、〔参考資料③〕を御覧下さい。

 〔参考資料③〕のような形で、毛利館長を始めとする4名の人たちに「撤回」を申し入れた時、私はただちに以上の経緯を皆さんにアピールするつもりはありませんでした。4名の人たちの返事を得てから、自分の態度を決めたいと考えていたからです。ところが13日、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。
 それを見ると、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。とすれば、毛利館長が言う「財団の事情」に財政の問題は含まれないことになります。では、それ以外のどんな「事情」で私を解雇するのでしょうか。
 私は嘱託職員となって足掛け3年の間、解雇されねばならないような手落ちを何一つ犯していません。〔参考資料①〕をアピールした時、【要求】の中に「私に手落ちや身勝手な行為があったら、具体例を挙げてほしい」という意味のことを書いておきました。しかし毛利館長をはじめ、上記の方々からは何の指摘もありません。では、私を解雇する理由は一体何なのでしょうか。

 更に不思議なのは、公募要項の雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取っていることです。常勤職員(正職員)を単年度雇用して、毎年再募集、あるいは契約更新をしてゆく。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。しかも毛利館長は、12月6日、私と面談した時には、「財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで」と年齢制限を設けて、私が応募する可能性を排除してしまいました(〔参考資料3〕参照)。ところが公募要項では、「10年先20年先」とは逆に、単年度雇用としている。筋の通らない話ばかりです。

 そういう疑問もあって、13日、毛利館長に会った時、すでに公募を始めている事実に言及したところ、毛利館長は「それは財団の方針で、もう決まったことだ。それを亀井さんからまかり成らんなどと言われる筋合いはない」、「説明はもう済んでいる。それを納得しないかどうかは、あんたの問題だからね」と言い始めました。
 このような毛利館長の応対は、問答無用、話し合いの拒否と見るほかはありません。しかも文学館では、来る20日(水)に運営検討委員会を予定しており、「財団の方針」の承認を得る形で、委員会決定にすり替えてしまうだろうことは、十分に推測できます。
 以上のような事情のため、私は、やむを得ず皆さんに経緯を告げ、次のことをお願いすることに致しました。それは12月20日に予定されている運営検討委員会が開かれる以前に、早急に、毛利正彦館長に対して、来年度の任用方針を白紙撤回するよう働きかけることです。

 年末のお忙しいところ、まことに恐縮に存じますが、ことは一人の人間の生活権と名誉に関する問題であることを御斟酌下さり、毛利館長に来年度の任用方針を撤回するよう働きかけていただきたく存じます。よろしくお願い申上げます。
平成18年12月15日

付記
1.私は評議員の皆さんの住所録を持っていません。私の分かる範囲で、こうしてアピールをお届しているわけですが、下記の方々のお住まいや、お勤め先が分かりません。もしお心当たりがございましたら、お手数を煩わせて申し訳ありませんが、同封の封筒を使ってお教えいただきたく存じます。
(但し、住所未詳の評議員名は、本ブログでは省略)

2.お送りした〔参考資料〕の①②③をお読みになって、文学館のやり方や私の対応について、ご感想やご意見がありましたら、同封の封筒を使ってお聞かせいただければ、幸いに存じます。

  

                                      

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2007年1月22日 (月)

資料3「「任用方針」撤回の要求」

〔北海道文学館の嘱託職員・亀井志乃は、平成18年12月6日、毛利正彦文学館長より、来年度からは嘱託職員を雇用しない旨の「方針」を通告された。あまりにも唐突、かつ一方的な通告であり、亀井志乃はなぜそういう「方針」となったのか、納得できる説明を求めた。だが、毛利正彦は言を左右にして明確な返事をしなかった。
よって、亀井志乃は「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」(平成18年12月12日付け)と題する文書を、神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、寺嶋弘道学芸課長の4人に渡して、「方針」の撤回を求めた。
以下に紹介するのは、「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」(以後、「「任用方針」撤回の要求」と略記)の全文である。
この文書は、①「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」、②「面談記録」、③「回答用紙」の3部より成る。少し長いが、その順序で、全文を一括して紹介する。〕

毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する

財団法人北海道文学館理事長      神谷忠孝殿
北海道立文学館館長            毛利正彦殿
北海道立文学館副館長          平原一良殿
駐在道職員・北海道立文学館学芸主幹 寺嶋弘道殿

要求事項
 去る12月6日(水)、毛利正彦館長より私に説明がありました来年度の任用方針は、実質的には私に対する解雇通告と解釈するほかはありません。
 その際毛利館長が述べた任用方針の説明、およびここに至るまでの経緯に鑑み、毛利館長を含む「我々」(別紙資料「面談記録」を参照)の任用方針は意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告であり、よって白紙撤回をし、改めて当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定することを要求いたします。

             財団法人北海道文学館嘱託職員
             業務課 学芸班 研究員
                                                       亀井 志乃

平成18年12月12日(火)

付記
1、私が、毛利館長の説明にかかわる任用方針を「意思決定の正当性を欠き、内容的にも極めて不当な解雇通告である」と判断した理由は、別紙の「面談記録」に書いてあります。
2、この要求書を神谷理事長以下、上の4名に宛てた理由は、「面談記録」に書いてあります。
3、要求に対する回答は各自別々に、「回答用紙」に書き、平成18年12月27日(水)までに、私にお渡し下さい。「回答用紙」に書き切れない場合は、恐れ入りますが、ご自身で「用紙」を補ってお書き下さい。

面 談 記 録

 亀井(以下、私と記す)は平成18年12月2日に、川崎課長から、12月6日(水)に毛利正彦館長による〈職員面接〉があるからと、「秘・自己申告書」という書類を渡された。そして、自分に該当すると思われる項目のみでよいから記入して、面接の前日までに提出するようにとの指示を受けた。そこで姓名、住所、履歴等の項目を記入し、5日(火)に提出した。

 12月6日午前11時30分頃、特別展示室で展示作業を行っていた私は、館長室に呼ばれた。はじめ、毛利館長から「現在の座席の位置になってから仕事はしやすいか」という意味の質問があった。亀井は「仕事に問題はなく、来年2月に予定している展示の準備も順調に行なっている」という意味の返事をした。
そのあと、毛利館長から、来年は、財団としては嘱託職員を任用する意向がないことを告げられた。
 毛利館長が言うその理由は、次の2点だった。
① 財団の事情として、来年度以降は、嘱託職員を任用することが難しくなった。
② 嘱託職員の任用を継続しないかわりに、正職員を採用したい。正職員は財団が公募する。

 私は、毛利館長の説明を納得することができなかったので、幾つかの質問をした。以下はその時の応酬の記録である。なお、記録に当たっては、毛利館長の発言に順次、(毛利発言1)、(毛利発言2)、……と、番号を付した。また【亀井注:……】の形で、前後の事情の説明や、毛利発言に関するコメントを述べておいた。

亀井「では、私がその公募に応募してもいいんですか。」
毛利「財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人、これからの財団を支える人材を取りたい。年齢としては、せいぜい30才くらいまで。」(毛利発言1)
亀井「それでは、ここで、私の任用を切るという事ですか。それは納得がいかない。今年度当初の理事会では、現在の財団の職員は、原則として4年間は任用するつもりだと、館長自身が言っていたではありませんか。」
毛利「“切る”という言い方は適当でない。誰も亀井さんの事を切るとか何とかは言っていない。ただ、財団としては来年度からは嘱託を取る意向はないという事であり、亀井さんは亀井さんの仕事があるから、3月末になってからでは伝えるのが遅いし、対応が出来ないと思って、今こうして伝えているのだ。また、理事会の時の発言は、正職員を前提としているもので、嘱託職員の事は頭になかった。」(毛利発言2)

【亀井注:正職員については“4年間の任用”は当然であり、言うまでもない事だろう。そうである以上、“原則として4年間は任用するつもり”は、非常勤職員や嘱託職員に関する発言だったはずである。“嘱託職員の事は頭になかった”と、頭から嘱託職員を無視していたような言い方は、嘱託職員を軽視した発言だと思う。
 そもそも嘱託職員の私に対して、来年度からは嘱託職員を任用しないと言い、正職員の公募に関しては年齢制限を設けて私に応募のチャンスを与えない、というのは、実質的には解雇通告、つまり首を“切る”ことではないか。
 また、毛利館長は「亀井さんには亀井さんの仕事がある」と言うが、私は道立文学館の嘱託職員以外の「仕事」を現在持っているわけではなく、また、そうした「仕事」につくあてもない。毛利館長が何を言っているのか、意味が分からない。】

亀井「それでは、私はもう高齢だから、10年20年は働けないということですか。」
毛利「誰もそんな事は言っていない。あくまで、理事の人たちのかねてからの意向に添って、職員の高齢化の問題に対処しようとしているのだ。岡本さん(司書)が定年で辞めることでもあり、職員の入れ替え時期に来ているので、対応に踏み切ることにした。」(毛利発言3)

【亀井注:私は事務室の職員(館長・副館長を除く)8名のうち、若い方から3番目に当たる。ちなみに、若い方から挙げれば、29才、42才、そして亀井の43才となり、その上は皆50代以上となる。そして〈財団職員〉に限れば、文字通り私が一番年が若い。高齢化を問題としながら、なぜ若い職員の「任用」を止めるのか。
 また、定年で辞める職員がいるのは事実だが、それは岡本司書一人だけである。別に、それを“職員の入れ替え時期”と位置づけるにはあたらないのではないか。】

亀井「理事の人たちがそう考えた、というのなら、当然、いつかの時点で(亀井の任用期限に関する)話し合いや決議が行なわれたわけですよね。それがなくて、職員の雇用を打ち切るとか切らないとかいう話は、そもそもあり得ないのではありませんか。」
毛利「誰があんたの事を辞めろと言ったとか、そんな事はない。それは、財団の意向を反映し代表する我々が、かねてからの問題を解決しようとして、そのように決めたのだ。それに、亀井さんは常設展の助っ人で入った人だし、それはあなたも分かっているはずだ。」(毛利発言4)

【亀井注:確かに私は平成16年8月に、平成17年には常設展を全面的にリニューアルする予定だから協力して欲しいと依頼されて、嘱託職員となった。そして平成17年11月の「道立文学館開館10周年」記念行事に合わせて、常設展のリニューアルを行なったが、平原副館長(当時は学芸副館長)はオープンセレモニー(11月2日)が目前に迫る頃になって、突然、これは「第一期工事」だとの位置づけを行った(時期は10月20日頃の時点)。今年度当初の理事会でも、平成18年度には「第二期工事」に着手する方針を述べて、承認してもらっている。常設展の予算として65万円がついている。
 ただ、今年度の10月より平原学芸副館長が副館長となり、学芸班から離れた形となる事が年度当初から内定していたため、駐在道職員である鈴木浩社会教育主事が常設展の担当となり、私が副担当となった。
 しかし平原副館長は、昨年秋に「第一期工事」と言い出してから、平成18年12月の現時点に至るまで、そもそもリニューアルの全体構想のうちどの段階までを「第一期工事」と言うのか、「第二期工事」ではどこまで実現しようとしているのか、今年度の担当に説明したことがない。意見交換を行なう会合を持ったこともない。

 私自身は平成16年7月に任用されて以来、依頼された仕事の手を抜いたことはなかった。常設展関係の業務にしても、「展示内容を決めてゆく会議の資料に必要だから」と平原学芸副館長に言われて、全道(主に道央)の大学図書館と札幌市内の公立図書館における北海道関係図書の収蔵状況を調査し、データベース化した。また、同じ理由から、常設展に関わる〈委員〉(主に財団役員等で構成されていた)から届いた文学各ジャンルの年表も、パソコンですべて図表化した。そして完成した時には、そのつど、学芸副館長に現物を見せて報告した。だが、私の知る限り、常設展の〈委員〉が一堂に集まっての会議は、一度も行われなかった。少なくとも、それらの会議資料が使われた事は一度もなかった。
 それ以外にも、外国からの観覧者のために常設展の英語キャプションを試作し、学芸副館長に提示していた。しかし、学芸副館長は、文面のチェックを依頼した英文専門の大学教授が家庭の事情で出来なくなった事を理由にそのプロジェクトを中断し(平成17年10月16日)、現在に至っている。また、一時常設展に展示されていた〈与謝野晶子百首屏風〉についても、いったん引き下げたものの、再び出す予定もあるとの事だったので、私が全文翻刻を行い、解読が完成したことを学芸副館長に告げていた。このように、私自身は、自分なりの立場で常設展の充実を図ろうと、ずっと基礎的な作業を続けていた。作業の結果は、私の使用しているパソコンにも、サーバーの方にもデータとして入っているし、プリントアウトしたもの(すべて報告済み)も私の手元にある。にもかかわらず、平原副館長は、どういう理由でなのか、いずれの場合も、それを棚上げにしたまま、その後、話題にすらのぼらせる事はない

 今年、平原副館長の指図のもとに、鈴木主事や寺嶋主幹が担当した特別展(石川啄木展と池澤夏樹展)は、年度当初、合わせて730万円を超える、巨額な支出を見込んでいた。その実際を見ると、当文学館が所蔵する資料をほとんど一つも生かそうとしていなかった(展示を見越しての図書の新たな購入などは除く)。
 私は以前から、公共の文学館はそうであってはならないと考えて、今度の、自分が担当する企画展では、できるだけ当文学館が所蔵している資料が生かせるように――ただ埃を払って展示するだけでなく、その資料の新たな価値を見出し、来館者の人たちに新たな発見を促すことができるように――研究をし、工夫を重ねている。実際、今回の展示でも、現段階で235点の出品物のうち、99点の北海道立文学館所蔵資料の出品を予定している。(これも、すでにリストは11月10日の時点で平原副館長に見せたが、副館長は簡単にしか目を通さず、即時に私の方に返してきている。)ちなみに、私の担当する企画展についている予算は151万円強。
 以上のように、私は常設展の仕事も、常設展以外の仕事もしてきたし、現にしている。また、他の職員や外部から、毛筆及び手書き文献の翻刻、漢詩文の解読等に関する不時の依頼があった時も、私が対応してきた。毛利館長はそういう事実を無視して、「常設展の助っ人」などと、ことさら私の立場と能力を貶めた言い方をしている。しかし、私の行った作業の大半を棚上げにしたまま有効活用していないのは、この文学館の方ではないのか。
 また、仮に私が単なる「常設展の助っ人」だとしても、常設展のリニューアルはまだ終っていない。もう私の仕事は終ったかのような毛利館長の言い方は、不当な決めつけだと言わざるを得ない。】

亀井「では、誰も私を辞めさせると言わないならば、私は来年の4月からも出てきていいんですね。空いている机に座って仕事していいんですか。」
毛利「いや、それは……、……。」(毛利発言5)

亀井「では、もう一つ、この前の寺嶋弘道主幹とのトラブル――私はこれを、寺嶋主幹の一方的ないやがらせと受け取っているが――その事も、この事に関わりないというのですか。」
毛利「寺嶋主幹のことは、この事とは何の関係もない。そのように言われるのは心外だ。亀井さんが仕事が普通に出来るようになったのなら、この問題はそれで解決済みだと思っていた。」(毛利発言6)

【亀井注:私は、現在の業務が普通に出来るようになったからと言って、寺嶋主幹のパワー・ハラスメントの問題が解決したとは思っていない。神谷忠孝理事長も毛利正彦館長も平原一良副館長も寺嶋弘道主幹も、私が文書による返事を要求した質問に、まだ一言も返答をしていない。毛利館長は、私に口頭で回答したが、その内容には納得できなかったので、きちんと検討したいから文書の形にして欲しいと、改めて要求した。しかし、なぜか毛利館長は「その必要はない」と頑なに拒んでいる。まるで毛利館長に、「必要があるかないか」を決める権限があるような言い方だった。だが、一人の弱い立場にある人間が、職場環境の問題を、職場の責任ある地位の人間に提起し、その改善を求めて、文書による回答を求めたのに対して、責任ある地位の人間が「必要ない」と拒んだとすれば、強権主義的に握りつぶしを図っていると見られても仕方がないと思う。
 また、ハラスメント問題の口頭による回答そのものについても、毛利館長は「皆に聞いたが、誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていた」、「みんな、亀井さんがそこまで反応する事はないと言っていた」と言ったが、事務室で確かめたところ、阿部学芸員も、鈴木社会教育主事も、岡本司書も、館長からは何も訊かれておらず、事情も知らないという返事だった。私が数日後、毛利館長にその事を問いただすと、「いやあ、まあ、それはあんた……」と言葉をにごして、にやにやしているのみであった。その意味で、館側の態度には未だ大きな問題が残っている。それなのに、「解決済み」と打ち切られるのは心外である。
 結局、毛利館長は、館長が言う「我々」の名前によって、私から仕事を取り上げ、私を除こうとしているのではないか。
 毛利館長は「財団の事情」とか「理事のかねての意向」と言ったり、「財団の意向を反映し代表する我々」と言ったりしているが、「理事」と「我々」との関係については何も説明しない。どういう資格の人たちが、どんな手続きを経て意思決定をしたのかについても、説明できなかった。取りあえず、ここでは、毛利館長が言う「財団の意向を反映し代表する我々」は、神谷忠孝理事長、毛利正彦館長、平原一良副館長、寺嶋弘道主幹の4名と考えておく。この4名が不当に私の解雇を謀った。これが、今の時点での、一番現実的な解釈だろう。】

毛利「要するにこれは、財団の任用の方針の問題であり、直前であれば、亀井さんが自分の仕事もあるので、対応できなければ困ると思うから言っているのであって、だから亀井さんがそれで納得してくれればいい話だと思うのだが。
それを、理事の誰がやめろ(辞めさせろ)と言ったとか、職員の誰がああいった、こう言ったとか、そのような話に受け取られるのは心外だ。」(毛利発言7)
亀井「私は、そんな事は一言も言ってませんよ。」

【亀井注:私は「誰がやめろ(辞めさせろ)と言ったか」と、そんな犯人探しのような事は一言も言っていない。私は「理事会の話し合いや決議があったのか」と、手続き自体を疑問に思って訊いただけだが、毛利館長はそれには答えないで、「財団の意向を反映し代表する我々」が決めたことだとし、亀井の方が“他人の悪口”にナーバスになっているかのように問題をすり替えている。毛利館長のこの過剰反応は、おそらく実際には毛利館長を含む「我々」の間で、「理事の誰がやめろ(辞めさせろ)と言ったとか、職員の誰がああいった、こう言ったとか、そのような話」があった事実を暗示している、と思う。
 だいいち、これは、私の立場からすれば、そもそも「亀井さんがそれで納得してくれればいい話」ではありえない。毛利館長を含む「我々」にとってだけ「都合がいい話」でしかないではないか。毛利館長はしきりに「理事のかねての意向」「財団の任用の方針」という言い方をしていたが、これは「皆に聞いたが」の「皆」と同じく、実体を持たない、まやかし言葉なのではないか。そういう疑問は禁じえない。実体があるなら、それを具体的に示し、その上で私の意向を問うべきだろう。
 ところが毛利館長は、根拠の曖昧な理由を持ち出して、一方的に解雇通告を行ないながら、「早めに通告してやったのだ」などと恩着せがましい言い方をしている。】

亀井「もう、この機会が(私の仕事に対する取り組み方を説明する)最後のチャンスかも知れないから、一言だけ言っておきたい。私はこれまで、日常の仕事もきちんとこなして来ました。文学碑の仕事だって、新たなデータが手に入ったら入力しようと、いつでも用意していました。そして今、自分の担当の展覧会の準備を進めています。誰にも相談せずに、一人で暴走して決めたことなど一度もありません。どんな時でも説明責任を果たせるようにとやってきたし、予算も150万円プラス印本代から、びた一文、足を出すつもりはありません。これからも予定通り進めてゆくつもりです。
 そういう私から見て、他方、計画を立てると言っても、いつ決めたか分からない、直前まで誰も知らないような計画を立てて、皆を慌てさせるようなやり方をし、お金は(予算外の分まで)どんどん使ってしまう。そんなやり方をしている人間がいる。それでも、正職員ならば勤めを続ける事が出来る。嘱託職員のほうは、きちんと仕事をしていても(任用を)切られる。そんな事で、納得できるはずがないでしょう。」
毛利「亀井さんがきちんと仕事をしてくれる人だということは、いつも評価している。平原君も、きちんと仕事をしてくれていると言っていた。亀井さんがこの仕事について能力がある人だということは、とっくに分かっている。」(毛利発言8)
亀井「それが分かっていて、足掛け3年勤めてきた人間を、必要なくなったから辞めてくれと言う。言われるほうの人間からすれば、どうして‘能力が評価されている’などと考えることが出来ますか。」
毛利「……、……。」(毛利発言9)

亀井注:平原副館長も、私が寺嶋主幹のハラスメントをアピールして以来、急に「いやあ、寺嶋さんも亀井さんの能力を高く評価していましたよ」などと、とってつけたように「評価」の安売りを始めた。どう考えてもこれは、私を宥めすかして、寺嶋主幹を庇うためとしか思えない。
 「寺嶋さんも悩んでいたんですよ」、「彼も、なかなかうまくコミュニケーションがとれないんで、だんだん、あんな風(に暴言を吐くよう)になっちゃったんじゃないかなあ」というのが、その時の、毛利館長と平原副館長の息の合ったやりとりであった。これは、たえ難いほど迷惑を受けてきた女性が、その不快感をアピールした時、上司がしばしば行いがちなレトリックであると思われるが、実際は、事態をきちんと把握し、迷惑をかけている人間に対して厳しい態度を取るのが怖いだけであろう。そのため、このように一見客観的で物分かりのよさそうな、「大人の常識論」に逃げ込んでしまう。そして、その自分の無責任な逃げ腰を取り繕うため、第三者に対しては、迷惑を受けた女性にも、いや、女性のほうにこそ根本的な問題があったように説明する。私はそういう例を、大学や前の職場で幾つも見てきた。】

私は次のように言って、この話の結びとした。
「今回の事は、館長が私に(任用の打ち切りを)伝えようとした事実に関しては、分かったと言っておきます。しかし、全然納得していない。辞めるなどとはとうてい言えません。」

回答用紙
氏名〔           〕

1、要求事項
 去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。

2、要求事項に関連する質問
イ、「財団の意向を反映し代表する我々」(毛利発言4)に、あなたも入っていますか。毛利館長が言う「我々」が「財団の意向を反映し代表する」と言い得る理由は何ですか。

ロ、毛利館長の任用方針の通告における「財団の事情」とは、どういう事情ですか。

ハ、「理事の人たちのかねての意向」(毛利発言3)は、どういう人たちの、どのような会合において表明されたのですか。

二、「かねてからの問題」(毛利発言4)とは、どういう問題ですか。

3、確認事項
私は、10月31日にお渡しした「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明、および北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」の【要求】のなかで、「もし、上記の〔結論〕に対して、11月10日までに反論等が文書の形で上がらなかった場合には、「当文学館においては、嘱託職員・亀井志乃に対するパワー・ハラスメントが行なわれていた」という〔結論〕に対して、異論が出なかったものと判断させていただくこととする。」と明言しておきました。
 更に続けて「また、もし〈当文学館においてパワー・ハラスメントが行なわれていた〉事を認める文書が亀井に渡された場合、あるいは、11月10日までに何らの回答が得られず、従って亀井の結論内容が認められたものと判断した場合には、亀井側から、次の二点を要求したい。」として、「現在の事務室における席の位置を変える事」「亀井の仕事上の書類承認手続きについて」の二点を挙げて置きました。
 そして11月10日に、毛利館長と平原副館長との話し合いにおいて、先に要求しておいた2点が認められた。ということは、論理必然的に、毛利館長と平原副館長は、寺嶋主幹が私に対してパワー・ハラスメントを行なっていたことを認めたことになる。そのことを、あらためて確認させていただきます。

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資料2「質問状に対する意見交換」

〔北海道文学館の嘱託職員・亀井志乃は、平成18年10月31日付けの「駐在道職員の高圧的な態度について」で、寺嶋弘道学芸主幹のパワー・ハラスメントをアピールしたが、それについて、11月10日、毛利正彦文学館長、平原一良副館長と話し合うことになった。毛利館長と平原副館長は、文書による回答を拒否した。また、二人は館長及び副館長の責任ある立場で、寺嶋弘道学芸主幹に対してどういう態度を取るかについては、何も語ろうとせず、むしろ寺嶋弘道をかばう発言をした。

ただ、亀井志乃の職場環境と指示系統について、幾つか合意に達した。亀井志乃は話し合いの内容を、11月14日、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(以後、「質問状に対する意見交換」と略記)という文章にまとめ、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、川崎業務課長、寺嶋学芸主幹に渡した。

以下に紹介するのは、質問状に対する意見交換」の全文である。

なお、亀井志乃が本文中で言及している、「添付資料:〈寺嶋主幹の訂正例〉」の紹介は省略した。これは亀井志乃がフォーマットに従って書いた報告書等を、寺嶋弘道が赤字で訂正し、書き直しをさせた「訂正例」である。皆さんに見ていただくには画像で紹介しなければならないのだが、私にはその技術がない。ただ、それを見なくても、亀井志乃が訂正の実態を具体的に書いているので、ある程度理解していただけるのではないか。そう考えて省略した。〕

11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて

                 亀井 志乃

 平成18年10月31日(火)、嘱託職員・亀井志乃は、神谷理事長・毛利館長・平原副館長・川崎業務課長・寺嶋主幹の五名に「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」という文書を手渡し、又は郵送し、各々の方からの意見ならびに回答を、11月10日(金)までに、文書の形でお返しくださるよう求めた。

 その後、10日当日の午前10時30分頃、館長室より呼び出しがあり、亀井は、毛利館長と平原副館長から、文書「去る10月28日に…」に対する回答を聞く機会を得た。ただ、亀井自身は、この文書に関する意見なり取り決めは文書の形で保存したいと思い、館長にその旨を説明したが、館長は「それはただ亀井が聞いて承諾すればよい事で、文書にしなければならないとも思わないし、その必要もない。組織のためのプラスにもならない」と文書回答を拒否し、あくまで口頭での回答をするとの姿勢を崩さなかった。

 そこで亀井は、依然として文書による回答を求める意志に変わりはないものの、とりあえず、その時に受けた回答及び交わされた取り決めを、自ら文章の形で心覚えとして残す事にした。主な内容は、以下の4点に集約される。なお、取り決めに際しての簡略な経緯または背景については、その次に若干補足説明を加えておいた。どうか、ご参考にしていただきたい。

① 亀井の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、亀井が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
② 亀井の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。亀井は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
③ 亀井の席の場所を、亀井自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
④ 亀井の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益となるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。

 ①・②に関しては、10日の話し合いの中で、毛利館長・平原副館長より真っ先に提示があった条項である。
 なお、この部分は、当初は毛利館長により〈緊急避難的に〉と表現された。しかし、この10日昼の時点において、今回質問状を手にした誰からも、亀井の側について非難されるべき問題点があると具体的に指摘されてはいなかった。そうである以上、亀井が、寺嶋主幹の日ごろの態度を高圧的・過干渉と受けとめざるを得ず、また、文学碑データの業務をサボタージュしていたかの如く表現されたことを不当と感じざるを得なかった事情については、〈誰もその事に対して反論できなかった〉と結論する事自体は許されるであろう。(なお、10月11日を過ぎた後も、反論ないし非難はどこからも亀井のもとに戻って来ていない。)
 従って、これは〈緊急避難的〉な措置などではなく、亀井が要求していた文学館側の対処として当然なされるべき事と考え、話し合いの中でそのように主張した。そして、毛利館長も、最終的には〈緊急避難的〉という言葉を撤回した。

 ③については、毛利館長・平原副館長より、「亀井がそれをあくまで要求するならばそのように対応しない事はないが、亀井が現在の席を移る必要はないというみんなの意見もある」との話があった。
 この時、実は、〈みんな〉というのがどの範囲の人々であるのか、また、どのような方法でその〈みんな〉から意見を集約したのか、という事については、最後まで具体的な説明がなかった。その意味で、必ずしも納得がゆく説明ではなかったが、一応、そうした意見が亀井に対して提出されたという話を受け入れた上で、現在までの〈学芸班〉の状況を取りまとめると、以下のようになる。
 学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべて鈴木社会教育主事や阿部学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
 これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した。

 また④については、今回の話し合いの終わりに、平原副館長から、業務関係の書類について、今まで寺嶋主幹からどのような〈直し〉がなされたか知りたいとの依頼を受けたこともあり、ちょうどよい機会なので、資料を添付して若干の説明と意見とを付け加えさせてもらうこととした。(添付資料:〈寺嶋主幹の訂正例(1)・(2)・(3)〉、〈寺嶋主幹の訂正例(3)の前段階で永野主査が手入れを行っていた文書〉及び〈寺嶋主幹の訂正例(3)における文書の下敷き…青柳氏文書〉を参照のこと。)ポイントは二点ある。

 一つには、用務の内容の記入についてである。本文書末尾の添付資料への手入れ跡を見ておわかりの通り、主幹は、亀井が“用務の目的ではないが、用務との関連で行って来た事”の報告も、“資料調査に関わる全体の動き”についても、すべて削除することを強要していた。
 しかし、このような用務内容の記入は、実は亀井の一存で書き込まれたものではない。実際、寺嶋主幹以外の道職員・鈴木社会教育主事や、財団職員の永野主査は、出張関連で行ってきた事や、行動予定の全体像を理解する上で役立つ事は、簡単にでも書き添えておくようにアドバイスしてくれた。特に永野主査は、「これこれの行動があって、でも、この施設へ行く時には文書が要り、この施設には要らなかった、等々ということがわかるように書いておけば、次の機会に他の人が見た時にわかりやすい」と教えてくれた。私もそれを聞いた時には、こうした公文書が後々まで保存されるという事には、そういう配慮も含まれているものなのだと、改めて感じ入った。

 しかるに、寺嶋主幹は、作成書類の主目的の事柄以外はすべて余計な文章であるかのように削除してしまった。しかも、啄木展関係資料返却の復命書(寺嶋主幹の訂正例(1))の場合などは、せっかく北畠立朴氏のご配慮で港文館に於いて啄木についてのレクチャーをお聞かせいただいたにも関わらず、「命令地(この場合は北畠立朴氏宅)以外の用務は記入しない事」と〈命令〉にあくまでこだわり、その簡単な事後報告まで抹消してしまった。
 しかし、仮に〈命令書〉にはなかった行動だったとしても、啄木展関係の目的の用務が一段落したのちも、啄木の事についてさらに知識・教養を深める事を、しかも相手の方が、こちらが文学館職員であることを配慮してして下さった事ならば、それを書類に記入して報告しておくのは、常識的に考えても、むしろ望ましいことであろう。それとも、果たしてそれは、復命書の範囲を逸脱した行為なのだろうか。
 亀井は、そうではないと考えて復命書を作成したのだが、寺嶋主幹は、あたかも、亀井が書類の書式に関して無知であるかのように、厳しく赤ペンで「旅行命令書に記載の「用務」どおりに!」などと記入し、また、大きくバツ印をつけて内容を削除した。だが、このようにあくまでも〈命令〉の文言だけにこだわり、それ以外の事は、内容的に関連があってもまったく何も書かせないというのは、文学館の使命に対して、本末転倒というべきではなかろうか。

 もう一つは、書式自体の問題である。鈴木社会教育主事・阿部学芸員の双方からかつて別々の機会に指摘があった事だが、道の書類の書式と財団のそれとは、決して同一ではない。だから、財団のものとして作成し、財団に保存されてゆく書類は、基本的に、財団の書式をクリアしていれば何も問題は生じないこととなる。
 亀井も、それが道理と思ったので、たとえば明治大学図書館に提出する〈職員派遣依頼書〉については、まず作成してから、川崎課長・永野主査・丹伊田主任に目を通していただいた。その時点で、誰からも異論は出なかった。レイアウトだけは、多少、永野主査からの直しが入った。ちなみにこの時下敷きにしたのは、文学館のサーバーに残されていた、青柳文吉事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)である。これはもちろん、この形式でその時に承認された書類であろうと思われる。
 だが、寺嶋主幹は、レイアウトや標題を訂正するのみならず、「四」を「4」と直し、「申し上げる次第です」を「申し上げます」、「伺う日時」を「調査日時」とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を行い、その書類を亀井に差し戻した(寺嶋主幹の訂正例(3))。

 亀井は、その時点(10月7日)では、誰の残した書類を参考にし、誰の訂正を受けたのか、いちいち言上げすることは責任転嫁になりかねないと考え、黙っていた。しかし、もし、寺嶋主幹の訂正が、本質的に重要かつ重大な訂正ならば、主幹は、それと同じ修正を、少なくとも亀井にしたのと同じやり方と言い方で、上に挙げた諸氏にも要求、または強制しなければならないだろう。そうでなければ、館長・副館長・主幹らが常日頃主張するところの〈平等〉や〈公平性〉を、自ら裏切っている事になる。
 また、そうではないとするならば、財団(嘱託)職員の亀井が、本質的でもない事について、ほとんど常に、道の主幹から少なくとも二回は書類を作り直させられ、起案の承認をそのつど遅らせられている実態を、この館の責任者諸氏は一体どのように考え、説明づけるのであろうか。この事に関して、こうして亀井が声をあげない限り、書類作りや業務の遂行が遅いのはいつも亀井の責任となり、対外的にも、亀井の信用が損なわれることになってしまうのである。

 この二点目に関しては、平原副館長が、11月10日当日、館長室での話し合いの席で、書類は先に業務課(財団)を通せば基本的には問題ない事、書面の文言についても、明らかに不正確なものとか、誤記を含むものでさえなければ、特に学芸班から修正を求められる理由もなく、まして処分(ペナルティ)の対象になることなどは決してないという事を亀井に対して断言した。亀井自身も、それが、普通は当然の措置であると考える。
 しかし公文書は、公式記録として保存されるものであるため書き方に一通りの心得が必要なものである。それだけに、記入の不備を理由に、侮蔑的な態度をとったり言葉を投げかけるなどして、繰り返し書き直しを要求するような行為は、組織の上位者が最も行いやすい嫌がらせ〈ハラスメント)の一つであるといえる。今回の事例以外でも、今後、そのような行為が当館で行われないよう、ここに切に願うものである。

 この文書は、先の文書と同様、神谷理事長・毛利館長・平原副館長・川崎業務課長・寺嶋主幹にお渡しするものとする。ただし、亀井の座席移動等の事について職員の誰かから質問等があった場合には、本文書を見せて説明に代えることがあり得る事をここにあらかじめ明記しておく。

  平成18年11月14日(火)

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2007年1月18日 (木)

駐在道職員の高圧的な態度について(その3)

〔以下に紹介するのは、(財団)北海道文学館の嘱託職員・亀井志乃が平成18年10月31日付けで、北海道文学館の神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長、寺嶋弘道学芸主幹に渡した、パワー・ハラスメントに関するアピールの全文である。アピール文のタイトルは「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明/及び、北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」であるが、以後は「駐在道職員の高圧的な態度について」と略記したい。

この「駐在道職員の高圧的な態度について」は、【発端】、「道立近代文学館覚書」(抜粋)、【経緯の補足と、問題のまとめ】の三部に分かれている。それに従って、ここでは、「駐在道職員の高圧的な態度について(その1)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その2)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その3)」と別けて紹介する。〕

駐在道職員の高圧的な態度について(その3)

【経緯の補足と、問題のまとめ】

 「5月2日」の記録をご覧になっておわかりのように、その〈打ち合わせ〉の場では、亀井自身がデータベースを充実させておかねばならないとか、亀井自身が碑の写真を撮りに行かねばならないとかいう話は一切出ていない。テーマになっていたのは、いわば、〈文学碑の写真を、文学館の外部の方々から提供してもらう企画のアイディアを亀井が提出せよ〉という事であった(「コンテスト」という言葉は保留されていたのでここでは用いない)。

 しかしこの時、亀井から提示された〈嘱託職員という立場でそうした仕事を主体となって進めていいのか〉〈なぜ、寺嶋主幹の思いつきなのに、主幹の企画として起案しないのか〉という疑問については、主幹が、終始高圧的な態度で押さえ込みにかかり、平原学芸副館長(当時)が“スタッフ”“テーブルプラン”等の曖昧な言葉に言い換えたにとどまり、充分な説明にはなり得ていなかった。その意味でこれは、未完の問題を含みながら形だけ結論をつけた、尻切れ的な打ち合わせだったと言える。

 しかも、学芸副館長が〈僕と寺嶋さんが見て、これで良さそうだという事になれば〉亀井に進めていって欲しい、と言っていたにもかかわらず、その後、10月28日に至るまで、2人の口からは、亀井に対して、文学碑データベースに関する話題は一切出なかった。経過の問い合わせも、推進の依頼もなかった。また、そもそも、企画の提出については期限も切られていなかった。

 以上のような点を勘案するに、要するに、10月28日、寺嶋主幹は、
・決定されていなかったばかりか、懸案にもなっていなかった事柄について、あたかも亀井がやると決まっていた事だったかのように言い、
・〈やっていなかった〉という事実のみを取り上げ、それが亀井のサボタージュだと決めつけ、
のである。
・亀井が〈打ち合わせでそのような事は決まっていない〉と訂正しても決して認めようとせず、しかし、なぜか事務室で、第三者がいる中では、その主張を続ける事が出来なかったのである。

【寺嶋主幹とのその他のいきさつ】

 ただ、事がこの〈文学碑データベースに関するサボタージュ問題〉のみにとどまるのであれば、寺嶋主幹の単なる記憶違いという考え方も可能であろう。しかし、私が記録する限り、今年度に入ってから、寺嶋主幹との間には、〔過剰管理〕とも言えるような、以下のようないきさつもあった。

・5月10日(水)
 5月13日に小樽の啄木忌に出席するのに午後から早退する旨、前日9日の打ち合わせ時に出席者に連絡し、了承された(その時点では寺嶋主幹は休み)。補足しておくと、嘱託である亀井には、本来〈年休〉はない。昨年までは一応形式上〈年休〉扱いとなっていたが、今年度からは本来的な扱いが徹底される事となった。その旨については、年度当初に、安藤副館長(当時)から直接伝えられていた。

 しかしこの10日、亀井は、寺嶋主幹から、“あなたはこの〈年休〉を何時間取ると思っているのか”という事から始まり、私の休みは〈年休〉であると強調された。亀井は安藤副館長に相談し、副館長は、亀井に〈年休〉はない旨、寺嶋主幹に伝えてくれた。
 ところが、この同日、16:30分頃に再び主幹が事務室の亀井の机の前に来て、
「それでは(年休がないなら)、何で休むかについては僕が聞いておかなくてはならないね」と言い、亀井が、休みの場合は通常〈私事〉とだけ書く、と述べたところ、
「それじゃ、何で休むかは聞かない。でも、業務に差し支えないかどうかは確認しておかなければならない」と言った。しかし、休暇届けの台帳に記載する以外、通常、他の職員は、わざわざ口頭での申告を求められたりしない。
 また、この日は、この直後から「あなたは嘱託ではない、立派な財団職員だ」(と亀井が認めよ)という5月2日の主張の蒸し返しとなり、退勤時間外(17:30頃)まで足止めされた。

(なお、その後、休みを取る理由について特に主幹に問われた事はない。しかし、では、なぜ、結局チェックしもせず、する必要もない事についてわざわざこの時言ったりしたのか、疑問が残る。)

・8月29日(火)
 「人生を奏でる二組のデュオ展」のための資料調査のため、8月30日にニセコの有島記念館に行って展示中の資料を見て来たいと思い、朝の打ち合わせ会でその予定について話した。川崎業務課長は了承し、「それでは出張計画を出してください」と言った。しかし、打ち合わせが終わった後、寺嶋主幹は、
「あなたがそういう動きをする事は、誰が知っているの。」
と言い、「今日、ここで初めて言った事です」と言うと、
「平原さんが知っていなければ、誰があなたに対して、そういう動きをしていいと承認するの」と詰問口調でたたみかけた。
 業務課長が「(それを承認するのは)寺嶋主幹です」と言うと、さらに亀井に向かい、
「そういう動きの事は、前もって私に言うべきだ」
「私が、学芸班内における動きを知らないというのはおかしい」、

さらには
「組織で働く人間として、そもそも、なっていない」
「〈スタンドプレーだ〉と言われないようにしなさい」と叱責した。

・9月13日(水)
 8月29日の例を受け、亀井は、それならば予定は早めに館の職員皆に伝えておこうと
考え、9月12日(火)の朝の打ち合わせ会の際に「これからの動き」というプリントを提示し、外勤・出張の可能性のある所とその時期について出席者に説明した。

 ところが13日昼過ぎ、階段の降り口のそばで寺嶋主幹から、「昨日の出張の件については、業務課の方とはもう話がついているの」と問われ、「いえ、昨日、初めてお話しした事ですから」と答えると、「打ち合わせ会というのは、すでに決まった事を報告するところだからこうしたいという事を話すところではない」と言われた。
 しかし、そんな主旨の合意について、一度も聞いたことがなかったので、「そんな風に決まったのですか」と尋ねると、主幹は、「いや、そうなんだ」と答えた。
 そして、亀井が出張でどのように動くかについては、主幹と川崎課長が協議して決めるのだと言った。

 なお、この直後、亀井は平原副館長に会い、〈私が主担当の展覧会なのに、出張先に行けるか行けないかについて、なぜ、主幹と業務課長とが決めなければならないのか〉と尋ねた。すると副館長は、
〈そのような事はない。どこへ行くかは亀井さんが相手先と話した上で決める事で、寺嶋さんはそれを聞き、「こういう事で学芸の人間が動くからよろしく」と業務課に伝えるだけだ〉と言った。そして、〈このことについては、いずれ、寺嶋さんともゆっくり話し合うから〉とも言った。

 また、朝の打ち合わせ会の趣旨や内容の決まりについては、この日夕刻頃、通常司会をつとめている鈴木社会教育主事に尋ねた。しかし、主事は、「別に、どんな事を言っていいとかいけないとかについて、何も別に決まりや申し合わせはありません」と答えた。

 この2日後の9月15日(金)、川崎業務課長が閲覧室に来た時に、亀井は、〈展示計画を進めるにあたっては、打ち合わせには寺嶋主幹だけではなく、業務課長も平原副館長も入って欲しいのですが〉と伝えたところ、課長は快諾してくれた。
また、〈計画を提出する際に、課長と主幹と、どちらかに先に出さなくてはならないという事はあるのだろうか〉と尋ねると、〈それは全く気にしなくてよい〉との答えだった。

・10月3日(火)
 出張計画がおよそ固まったので、朝の打ち合わせ会の時、「人生を奏でる二組のデュオ展・出張予定(10月)」と題したプリントを皆に配布し、内容を説明した。なお、この時行ったのは、あくまでも〈説明〉であって、特にその場での承認を求めたものではなかった。最後に「ほぼ、こんなところですが。よろしいでしょうか」と声がけをしたのも、質問等はないだろうか、という意味であり、ごく普通の締めくくりであった。

 しかし、打ち合わせ会が終わってから、寺嶋主幹は、
「なぜ、先に話し合いをしないの」
「何度同じ事を言わせるの」
「こんなところで予定を言って、“よろしいでしょうか”って言ったって、誰も、いいなんて言えないんだよ!」
と声を荒げた。そして
「あんた、みんなに、いいって言って欲しいんでしょう。だったら、やることちゃんとやんなさい!」と亀井を叱責した。
「ならば、話し合いというのは、いつ、したらいいんでしょうか」と聞くと、
「いつでもいいんだよ!」との答えだった。

【結論】

 このように経緯をたどってゆくと、寺嶋主幹の常に意図するところは、おおよそ、

1・亀井が、他の上司の誰よりも主幹を優先的に扱う事
2・亀井が嘱託として一任されている仕事の場合であっても、亀井がその責任を果たすた
めの行動については、すべて、あらかじめ、主幹の検閲を受ける事
3・亀井がその事項について承認してほしいと思う場合は、文学館の規約を守るよりも、主幹の感情にそむかないようにする事が大事なのだと、亀井に徹底的に知らしめる事

の3点であるように思われる。
 このうち、3点目についてそう判断するのは、主幹が主張する事柄に関して、他の職員に確認をしても、これまで誰一人として、「主幹の言う事が正当である。亀井はここで働く以上、その事を遵守しなければいけない」と言う人はいなかったからである。つまり、主幹の理論は、館の規約とも職業人の常識とも関わりないものであると言える。

 そして、以上の3つの意図が端的に現れたのが、10月28日の事例であると言えよう。
 これまでの経緯を見ても、寺嶋主幹との間では、〈話し合い〉に相当する対話は成立しない。そればかりか、学芸業務の依頼・指示すら一度もなされたことがない(展示作業・書籍整理・郵送等のいわゆる学芸業務について亀井に依頼していたのは、鈴木社会教育主事と阿部学芸員だけであった)。亀井に向けられる言葉の大半は、手続き論や形式論に関する詰問・叱責・命令である。
 主幹の方が、明らかに客観的に事実と違う事を言っている時でさえ、それを指摘されても、認める事も譲歩する事もない。主幹は常に、亀井の方が“基本的な事は何も知らない奴”だという事を前提として言葉を発している。また、〈誰があなたにそれを許しているの〉〈ちゃんとやんなさい〉〈組織人としてなっていない〉等の言葉は、明らかに、それを耳にしている周囲の者に対しても〈今、自分にこのように言われているこの者は一人前の人間ではなく、職業人としてまともに遇するに価しない奴なのだ〉というメッセージを含んだものとなっている。
 このような口の利き方は、とうてい、ある年齢に達していて一定の専門性が認められている同僚職員に対するものとは言えないであろう。

 さて、個人差もあるとはいえ、通常、女性は、自分に対してこうした言葉の暴力を振る
う傾向を持った人間と、2人きりで話す機会を持ちたいとは考えないものである。まして、それが職場の目上であり、自分が被雇用者の立場であれば、だれか第三者が側にいてくれる状況を求めるのが当然である。
 また、別な面からいえば、職場で仕事をする上では、同僚とのコンセンサスの共有が一番重要な課題である。それに、現在の道立文学館においては、事務室にいる職員は全員集まっても8人程度にすぎない。その人たちがなるべく多く集まっている時に、今、どういう仕事をすすめ、どんな予定で動いているのかという事を話しておくというのは、非難されるべきでないばかりか、むしろ推奨されるべき事であろう。

 ところが寺嶋主幹は、亀井のそのような動きをすべて否定し、〈すべて、まず、第一に私を通せ。私がお前を管理している。〉という内容の発言を繰り返し、また〈(たかがデータベースのことを)何で平原副館長や、川崎課長が揃ったところで説明しなければならないのだ〉と、聞きようによっては、財団職員をすべて自分より格下に見ているとしか受け取れない発言すらしている。
 このような言い方で自分を特権的に扱う事を、しかも、雇用身分が最も不安定な者にのみ強要することは、きわめて悪質なパワー・ハラスメント(上司の部下に対する言葉や態度による暴力)に相当するのではないか。また、今まで亀井は幾度か他の職員に事情を話し、一方、職員のうちの幾人かも、亀井が主幹に上記のような扱いを受けている場面をしばしば見かける機会があった。それにも関わらず、これまで何ら有効な対応もなされてこなかったということは、もしかするとこの〈北海道立文学館〉という組織そのものに、ハラスメントの素地があると言えるのではないだろうか。亀井は、そのように考える。

【要求】

○以上の点については、寺嶋弘道主幹以下、それぞれの関係者から、反論もしくは別の視点からの意見も提出される事もあろう。また、内容をお認めになるという場合もあるだろう。そうしたご意見・ご回答は、すべて文書の形で、亀井にお渡しいただきたい。これは、亀井としても、より正確な記録を残しながら、今後の対応を続けていきたいためである。
 例えば、
・亀井には、実際これまで、身勝手かつ無責任な行為、またはサボタージュ行為等によって、館の職員もしくは来客に迷惑をかけた例がある(ボランティア時代からを含めても可)
・亀井には、多少上司が圧力をかけてでも、その未然防止につとめなければならないような問題的な性癖・行動がみられる。あるいは、明らかに〈普通ではない〉と認められるような異常性がある
というようなご意見がある場合には、是非とも、具体的な事例や証言を添えて、亀井当人にお渡し下さるよう、切にお願いしたい。
 なお、文書でのご意見・ご回答は、11月10日(金)までにお渡しいただきたい。

○もし、上記の〔結論〕に対して、11月10日までに反論等が文書の形で上がらなかった場合には、「当文学館においては、嘱託職員・亀井志乃に対するパワー・ハラスメントが行われていた」という〔結論〕に対して、異論が出なかったものと判断させていただくこととする。

○また、もし〈当文学館においてパワー・ハラスメントが行われていた〉事を認める文書が亀井に渡された場合、あるいは、11月10日までに何らの回答が得られず、従って亀井の結論内容が認められたものと判断した場合には、亀井側からは、次の二点を要求したい。

1.現在の事務室における席の位置を変える事
 亀井の座席を、現在の学芸班の位置から変更したい。
 なぜなら、亀井は、本来、報酬を受けて仕事を請け負う嘱託職員であり、また、強いて財団職員の一員と考えるとすれば、今年度の所属は業務課だからである(「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」平成18年4月1日付文書を参照のこと)。
 故に、本来の雇用形態が目に見えるような位置に席を戻してもらいたい。それには、元の受付職員の席か、業務課内の席が適当と思われる。

2.亀井の仕事上の書類承認手続きについて
 亀井は業務課所属であるから、作成した書類の回覧は、まず先に業務課に回すこととする。業務課で回覧・決裁の印を受けた後、学芸班に回す。
 その際、学芸班からクレームをつけて差し戻す事が出来るのは、〈この業務が亀井によってとり行われた場合には、学芸班全体のスケジュールに支障をきたす〉〈学芸班の不利益(損害等)につながる〉など、具体的な被害・迷惑が予想される場合に限る。また、クレームは1人のみの憶測によるのではなく、学芸班の総意に基づくものとする。

 以上の要求について、ぜひともご回答をいただきたく、お願い申し上げる次第である。

 なお、この文書は、神谷理事長・毛利館長・平原副館長・川崎業務課長・寺嶋主幹にお渡しするものである事をここに明記する。

   平成18年10月31日(火)

                              亀井 志乃

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駐在道職員の高圧的な態度について(その2)

〔以下に紹介するのは、(財団)北海道文学館の嘱託職員・亀井志乃が平成18年10月31日付けで、北海道文学館の神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長、寺嶋弘道学芸主幹に渡した、パワー・ハラスメントに関するアピールの全文である。アピール文のタイトルは「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明/及び、北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」であるが、以後は「駐在道職員の高圧的な態度について」と略記したい。

この「駐在道職員の高圧的な態度について」は、【発端】、「道立近代文学館覚書」(抜粋)、【経緯の補足と、問題のまとめ】の三部に分かれている。それに従って、ここでは、「駐在道職員の高圧的な態度について(その1)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その2)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その3)」と別けて紹介する。〕

駐在道職員の高圧的な態度について(その2)

「道立近代文学館覚え書」(抜粋) 

5月2日(火)

○文学碑データの画像集めに関する企画の事で、続きの話あり。(※これに先立つ4月7日、亀井が初めて寺嶋主幹に文学碑データ検索機を見せた際、主幹が“ケータイによる文学碑写真コンテスト”を思いついていた。その後、4月28日に日本博物館協会から「ケータイフォトコンテスト」のポスターが届き、それをきっかけに、主幹が「あの企画は進めなければならない」と言った、という経緯があった。詳細をご希望ならば記録を提供する用意あり。)
少し煩雑な話になるので、以下、出来るだけ要点を整理して書きたいと思う。

〈発端〉
10:00頃、学芸課(※学芸班)の打ち合わせ
寺嶋学芸主幹(以下、主幹と略)より、「亀井さんと文学碑の写真の事について話をしとかなきゃいけない」と打ち合わせの申し入れがあった。
      ↓
「2人だけですか」と確認したところ、「誰でも入って欲しい人に入ってもらっていい」という事だったので、平原学芸副館長(以下、学芸副館長と略)(※その時点での職名)に入ってもらう事にした。
      ↓
11:00、館長室にて打ち合わせを始める
当初は、学芸副館長が〈事務室のソファーで〉と言っていたが、十数分後、同じく学芸副館長から〈館長が休みなので、館長室で〉と、変更を言って来た。

〈内容〉
文学碑検索機のデータの、画像がないものについて写真を集めたいので、私に〈ペーパー〉を書いてほしい、という事
 →一般の人に足を運んでもらい、写真を撮ってもらう。
・主幹の要求
企画書を書き、私が中心となって、その仕事を推進して欲しい、という事

〈私の感じた問題点〉
(1)まず最初に感じたのは、このような企画で、私がになり得るのかという事であった。

・4/7(※4月7日)の時点で、寺嶋主幹が口にしていたのは、〈ケータイで一般の人たちに写真を撮ってもらい、いい写真をえらんで、検索機にのせますからどんどん応募して下さいと言って、画像を集めればよい〉〈そうすれば、館の人間がわざわざ写真を撮りに行かなくとも、画像は向こうから集まって来る〉という事であった。

つまり、〈応募〉という言葉を使っていたからには、コンテスト形式を念頭に置いていたと考えられるし、4/28(※4月28日)にも〈ケータイフォトコンテスト〉のポスターを見てこの話題を思い出したのであるから、当然、やはりコンテストの事を考えていたはずである。

私(亀井)にもそういう認識があったからこそ、一応、自分なりに、4/28の時点で〈フォトコンテスト〉に関する〈意見書〉は書き上げていた。5/2、その〈意見書〉を出さなかったのは、まず、自分が出来る責任範囲を はっきりさせてから、書く事ももう一度見直してみたかったからである。
        

(2)文学館職員の過剰な情緒的反応について
 私(亀井)がこの企画について意見を述べるにあたって、まず、

○私は、どういう立場で、この話に関与すればよいかという事
○私は、館のこうした企画について、中心的なポジションにつく事の出来る人間なのかどうか、という事。
なぜなら、もし、コンテスト形式にするなら、改めて金銭的な動きも出て来るし、他の業務との絡みも出て来る。それを私が一存で事を推進していいのかという事。     

 以上2点をその時念頭において、学芸副館長及び主幹の前で明確に確認しておきたいと思った。

 ところが、私が「私はそういう事が出来る立場では…」と言いかけたとたん、主幹は、「そういう立場って、いったいどういう事だ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と、まるで、その言葉自体が、私の、何者かに対する否定(もしくは反抗)であるかのような強い口調で問いつめた。

 その直後、もちろん私は、自分が嘱託であるから、という事をはっきりと説明した。しかし主幹は、〈職員ではないとはどういう事か。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか〉という主張を続けた。

 私は、私の置かれた立場について、学芸副館長に、主幹への説明を求めた。それは、平原副館長こそ、私を〈嘱託〉として館に呼んだ当人であり、これまでの経緯を最も良く知る人物だと思ったからである。
  
 しかし、学芸副館長は、〈前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は、仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担しようという事になった〉と言った。

 ただし、私は、この時に至るまで、私の扱いが前年度に比べて少しでも変わったとは、誰からも、一言も説明をされていない。
 〈スタッフ〉という言葉も、文学館のどういう規約にもそうした役職名があるわけではなく、ただ単に学芸副館長が英単語を使ってみただけと思われる。
 一方、前年度末の3月に、安藤副館長(当時。平原副館長の前任者)からは、従来通りの嘱託に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われた。

 仮に、もしも私が、“今年度からの、嘱託に対するこの館の扱いの変化や申し合わせを知らなかった”という場合を想定してみても、その事だけで、主幹が、まるで私が重大な過失でも犯しているかのよに声を大きくするのは理屈に合わず、不自然。(私の、主題に対する説明よりも、私が文学館の一員であるとまず認めることの方が重要だった?)

(3)“〈企画〉を立てる”という事に対するあいまいさについて

・私は、〈フォトコンテスト形式にするなら、予算的な絡みも出て来るし、そういう事は一存で決められないと思う〉と言った。すると主幹は、〈私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている〉と言った。(その時はじめて。)

・私は、〈私の立場で(前年度から碑の仕事をしているものとして)意見を言えばいいのか〉と言った。すると主幹は、〈意見ではない〉という。あくまでも〈企画〉だと言う。

・学芸副館長と主幹は、〈要するにアイディアを出して欲しい。アイディアが出て来て、そのテーブルプランによって、業者との金銭的な絡みが出て来るところは寺嶋主幹が、画像のアップでインターネットに関わるところは鈴木さん(社会教育主事)がやることになる。亀井さんは自由にアイディアを出して欲しい〉と言った。アイディアは〈皆でもむ〉とも言った。

・私は、〈では私は、基本になるアイディアを出すのであって、それを館の人が検討して、実際のプランを固めるのか〉ときいた。すると、〈いや、亀井さんに柱となってやって欲しい〉と言った。

・そして主幹は、私に、日程的な面でもプランを立ててくれ、と頼んだ。私は、〈日程も立てるのか?私が日程を立てれば、他の人たちとのスケジュールのバッティングもあり得るが、そういう所はどう調整するのか〉とたずねた。すると、〈それは皆で話し合うからいい〉という事だった。
・しかし私が、〈それでは、アイディアが出来たら提出して、それを皆さんに見てもらって話し合って、それで具体的な仕事も日程も決まる、とそういう事か〉と改めてたずねると、学芸副館長は、〈いや、別に、全員という事でなくてもいい。なぜなら、必ず文句を言う人間は出て来るから、僕と寺嶋さんとが見て、これで良さそうだという事になれば、そこで亀井さんに進めていって欲しい〉と言った。

 このように書き出して見ると、皆(学芸)でもむ、皆で話し合うといいながら、“文句を言う人間をあらかじめ避けるために、平原と寺嶋2人だけで見て計画を許可する事があり得る”という含みをあらかじめ匂わせておいたりして、不自然。

 そして、この着想自体は寺嶋主幹のものなのだから、私は〈寺嶋さんの方から企画が出る、という事はないのか〉とたずねた。
 だがなぜか、主幹は、〈なぜ私がやるのか。文学碑の事は亀井さんの仕事ではないか〉と言った。

 そもそも勤務先のイベント企画を出すのは、まさに正規の職員(駐在の道職員であっても正規の職員であるには違いないだろう)のすることであって、私が出す・出さないに関わらず、着想があれば主幹自身が立案・提起しても何も問題ないはずである。
 ところが、学芸副館長・主幹共に、〈企画〉は絶対に私の方から出させなくては気がすまないように見える。これは、あくまで、“亀井自身が言いだした事”にしたいためか?
 そしてこれらは、“最終的には、結局、企画の収拾は全て亀井が負う事にしておきたい”という考えのもとの伏線作りのように思われる。(現時点における推測)

〈当面の結論〉
 ○相手側の要求
・亀井に〈アイディア〉を出して欲しい。(〈テーブルプラン〉〈アイディアのコンテンツ〉とも言い換え)

・案の段階では、他の方々とのスケジュールとバッティングするかも知れないが、あくまで当初の案という事で。

・最終決定は“皆でもんでから”にする。

・やるのは“亀井が柱となって”やる。

 (※以上、「5月2日」の該当個所、了。)

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駐在道職員の高圧的な態度について(その1)

〔以下に紹介するのは、(財団)北海道文学館の嘱託職員・亀井志乃が平成18年10月31日付けで、北海道文学館の神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、川崎信雄業務課長、寺嶋弘道学芸主幹に渡した、パワー・ハラスメントに関するアピールの全文である。アピール文のタイトルは「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明/及び、北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」であるが、以後は「駐在道職員の高圧的な態度について」と略記したい。

この「駐在道職員の高圧的な態度について」は、【発端】「道立近代文学館覚書」(抜粋)【経緯の補足と、問題のまとめ】の三部に分かれている。それに従って、ここでは、「駐在道職員の高圧的な態度について(その1)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その2)」、「駐在道職員の高圧的な態度について(その3)」と別けて紹介する。〕

駐在道職員の高圧的な態度について(その1)

【発端】

 平成18年10月28日(土)、亀井志乃(本人。以下、「亀井」もしくは「私」と表記)は朝から閲覧室勤務であった。亀井は、一人で業務を行っていた。そこに昼前(11時頃)、寺嶋弘道主幹(以下、「寺嶋主幹」もしくは「主幹」と表記)が訪れた。
 主幹は、閲覧室のプリンタを用い、印刷作業を行った。11時40分頃、作業を終え、閲覧室カウンター奥パソコンの前を離れた。そしてカウンター横を通り過ぎた時、突然、亀井に対し、
「そういえば、亀井さん、文学碑の仕事はどうなっているの」と尋ねて来た。

 亀井は、〈文学碑の仕事〉とは、〈北海道の文学碑データベース〉の作業であると解した。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、更新も行っていなかった。そこで、「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、主幹は、
「やってないって、どういう事。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの?もう、雪降っちゃうよ。」とたたみかけた。

 亀井は、〈データベースの充実〉と〈「もう、雪降っちゃうよ」〉という言い方とがどのようにつながるのか了解しかねたので、どういう事かたずねてみた。すると、寺嶋主幹の主張するところは、主に以下の2点であった。

・以前、寺嶋主幹と平原一良副館長(当時は学芸副館長)、それに亀井の3名は、館長室において文学碑データベースについて打ち合わせを行った。その際に、担当者である亀井が文学碑のデータベースをより充実させ問題点があれば見直しをはかり、さらに、亀井が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をする事に決まった。

・これらは、亀井が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、亀井のサボタージュに当たる。

 しかし、後に〔データベース打ち合わせ当日の記録〕の項で詳述するが、その“館長室における打ち合わせ”の際に、上記の如き決定や申し合わせはなされていなかった。そこで、亀井は、〈そのような事は決まっていない〉と反論した。しかし、主幹は、あくまで〈決まっていた〉と主張した。そして、
「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。

 それを聞いて亀井は、おそらく誤った情報が神谷理事長や毛利館長に伝わっているのだろうと思った。そこで「わかりました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。ところが、主幹は、
「なぜ、亀井さんが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、そのような事は不要だとした。

 亀井は、一対一で押し問答に終始すべきではないと思い、「それでは、もう昼にもなるので、事務室へ行ってお話うかがいましょう」とカウンターを立った。すると、主幹は、「なに、その態度は。」と言ったが、亀井は、「いいじゃないですか、みなさんのいる所でうかがっても。」と言い、事務室に向かった。主幹も「いいよ」と答え、しばらくして事務室に上がった。(なお、当時、事務室には鈴木社会教育主事・永野主査・丹伊田主任がいて昼食をとり、部屋を出入りするなどしていた。)

 昼食後、亀井は、改めて話を聞こうとした。だが、寺嶋主幹は、〈もう2度も話したから、その通りのことだ〉と言い、なぜか主張の詳細を事務室では口にしようとしなかった。〈要するに認識の相違だ〉とも言ったが、亀井の“文学碑に関してそのような仕事は決まっていなかった”という主張は、依然、認められないとの事だった。

 しかし、専門性を認められて報酬を受けている嘱託職員にとって、かりそめにも〈サボタージュ〉を行ったと職場の人間に決めつけられるのは、重大な問題である。だから、亀井は、〈では、その問題について、副館長も川崎業務課長も揃ったところで、説明させていただきます〉と言った。ところが、主幹は、
「いいかい。たかが、だよ。たかがデータベースの問題でしょう。それを、なんであんたが、平原さんや川崎課長に説明しなきゃなんないの」と、今度は一転、データベースの問題の重要さそのものを否定した。そして、
「説明したいんなら、まず、私に説明しなさい。」
「何かやるときには、まず、私に言いなさい。」と言い、亀井が〈2人の間に認識の違いがあるというのだから、その事について、他の方に意見をうかがいたいのだ〉と言うと、「説明してわかってもらいたいなら、わたしにまず説明しなさい。私がこの学芸班を管理しているんだ。そうした決まりを守らないなら、組織の中でやっていけないよ」と発言した。

 亀井は、事が、自分の雇用や勤務の在り方にまで関わる問題に発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、〈話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい〉と言った。
 すると主幹は、今度は話を続けることなく、急に
「あんたひどいね。ひどい。」
「あんた、普通じゃない。」と繰り返すにとどまった。

 亀井は、主幹に、〈私に話したい事があるなら、記録を取られるからといって、なぜ、話さないのか。誰がいたとしても、一対一の時のように、はっきり言えばいいではないか〉と言った。そして、〈私は、この問題について、これからも追求してゆくつもりだ。その事は、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから〉と言い、午後の勤務のために事務室を出た。

 これが、10月28日に起こった出来事の概要である。

【文学碑データベースに関する打ち合わせについて ―5月2日の記録―】

 28日に起こった〈文学碑データベースに関するサボタージュ〉問題について最も重要なポイントとなるのは、文学碑に関する〈打ち合わせ〉がいつ行われ、具体的にどのような事が決まったか、という事であろう。

 実は、この事に関しては、今年度に入ってから亀井が自宅で継続的につけていたノート「道立近代文学館覚え書」(手書き資料)に記録が残っている。次のページ(4ページ目)から、ノートの「5月2日」の項の、問題箇所に該当する部分をパソコンで打ち直したものをご紹介したく思う。
 なお、原本は、B5判リング綴じノート・ボールペン手書き稿。打ち直しにあたっては、文章は原本通りとしたが、一部、不要なカッコをはずし、漢字の誤り等を訂正している。※印(こめじるし)の箇所のみ、今回書き加えたものである。要望があれば、原本コピーを参考に供する用意がある。

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