天皇「発言メモ」の読み方(その2)

わが「作家」たちの能力
〇名乗り出た丸谷才一
 この3,4日、テレビ各局は、昭和天皇の言葉と称する富田朝彦のメモに言及することを控えている。あのメモの表現や、発表の経緯から見て、どうも眉唾っぽいところがある。これは迂闊に乗れないぞ。そんな反省が生れ、慎重になり始めたのだろう。

 それはそれで結構なのだが、このまま口をつぐんで、知らぬ顔の半兵衛を決められるのは困る。むしろ今こそ、総力を挙げて、あのメモが書かれた状況や、20年近く経った現在、にわかに公表に踏み切った経緯などを、「徹底検証」してもらいたい。そうする責任があるのじゃないか。
 そう考えていたところ、丸谷才一という「作家」が、〈じつは、あのメモ、しぶる日経新聞の記者の尻を叩いて、私が発表に踏み切らせたのですよ〉と、手柄顔で名乗り出てきた。

 『週刊文春』が8月3日号で、「総力取材「昭和天皇メモ」の衝撃」という特集を組み、「小泉首相 それでも行くか「8・15靖国参拝」」というテーマを立てて、「識者7人の審判」を求めた。丸谷はその「識者」の一人だったわけだが、彼自身が語るところによれば、「富田朝彦さんとは、彼の奥さんと私の妻が津田塾時代に寮で同部屋だった縁から、家族ぐるみの付き合いをしていました」という。
 その縁を知った日経新聞の記者が、富田メモについて意見を求めたらしいのだが、丸谷はその時のことをこんなふうに語っている。
《引用》
 
記者がもってきたメモはワープロで打ちなおされたものでした。A級戦犯を合祀した松平宮司のことを「親の心、子知らず」と言っている部分は面白いから、絶対に引用しなさいよ、と言ったら、彼(日経新聞の記者)は「天皇陛下に批判されることは、非常に不名誉なことだし、社内では恐れる声もある」と不安がっていた。あれだけの超特ダネを掴んでおきながら、記事にするのをためらっている日経新聞に不思議な思いがしましたね。
  富田さんは有能な官僚で、篤実な方でしたから、軽いゴシップ的な事柄など書き残していないでしょう
。その富田さんがメモに書き付けてまで手帳に残した昭和天皇の言葉ですから、極めて重大なことだと認識していたのでしょう。

 これによれば、日経の記者も丸谷才一も、昭和天皇の「親の心、子知らず」が、特定の人間を名指しで「批判」した言葉と受け取られることを、十分に承知していた。そうであればこそ、日経記者はその影響を考慮して、公表をためらっていたのだが、丸谷はその反対、「面白いから、絶対に引用しなさいよ」とけしかけたのである。
 この得々とした自慢話の口調から察するに、彼はその言葉の公表がどんな影響を及ぼすかについては、まるで無頓着だった。というより、彼は、ああいう言葉に対して反論も釈明もできない立場に苦しむ人間が出るだろうことを予想して、それを面白がりたかったのである。

 だってそうだろう、そもそも「親の心、子知らず」なんで言葉が、本当に昭和天皇の口から出たかどうか、疑わしい。にもかかわらず、昭和天皇の言葉だという触れ込みで公表して、一体どんな「面白い」ことが起るというのか。私には見当もつかない。だが丸谷は、「だから慎重に」とは考えず、こんな「超特ダネ」を放っとく手はない、もっと面白がろうぜ、とばかりに日経記者にはっぱをかけていたのである。

〇おかしな靖国神社論
 面白がってこういう唆しをやる人間が、総理大臣の靖国神社参拝に賛成するはずがない。
《引用》
  
僕は総理大臣という立場の人間が、靖国神社に参拝するのはおかしいと思っています。昭和天皇がA級戦犯の合祀をどう考えていようが、総理大臣は参拝すべきではない。
  靖国神社は軍国主義と結びついて出来たものですが、敵を祭る発想がない。昔の日本人は蒙古襲来、朝鮮侵略のときも敵味方を弔(とむら)っています。これならわかる。あの戦争のころ、僕は兵隊だったけれど、死んだら靖国神社に祀られて、うれしいなんて思ったことは一度もないですから。

 これが先の文章に続く、丸谷の結論だった。「昭和天皇がA級戦犯の合祀をどう考えていようが」などと、いかにも客観的な立場で発言しているように見せているが、ああいうメモが公表されれば、小泉の靖国参拝に対する反対論が勢いづくのは百も承知だっただろう。それをアテ込んで、「総理大臣は参拝すべきではない」と踏ん張って見せる。この人、性格悪そう。

 とはいえ、彼は彼なりに、総理大臣が靖国神社に参拝できる条件を考えてはみたらしい。「靖国神社は軍国主義と結びついて出来たものですが、敵を祭る発想がない。昔の日本人は蒙古襲来、朝鮮侵略のときも敵味方を弔(とむら)っています。これならわかる」と。
 「
これならわかる」とは、一体なにが「わかる」のか。最大限好意的にこの文章を解釈すれば、〈靖国神社が敵味方の区別なく弔う神社ならば、総理大臣の参拝は理解できる〉というほどの意味に取ることができるだろう。
 しかし「祭る」ことと、「弔う」ことは性質が異なる。「祭る」や「祀る」は、死者の魂を神として崇めることだが、「弔う」は人の死をいたみ、亡き人の冥福を祈ることだからである。丸谷は両者を同じ行為と見なしているが、「
敵を祭る発想がない」ことと、「敵味方を弔う」ことは、必ずしも矛盾しない。仮に靖国神社に「敵を祭る発想がない」としても、そこに参拝し、「敵味方を弔う」ことが妨げられているわけではないのである。

 こうしてみると、丸谷が言う「これならわかる」とは、一体なにが「わかる」のか、さっぱり分からない。
 ただ一つ、私なりに分かることがある。それは、彼が「
あの戦争のころ、僕は兵隊だったけれど、死んだら靖国神社に祀られて、うれしいなんて思ったことは一度もないです」と、戦争中、自分は反軍国主義の思想(心情?)を持つ兵隊だったように印象づけたがっていることである。

〇靖国神社のいわれ
 丸谷才一は私より10歳以上も年上で、この世代ならば、「
靖国神社は軍国主義と結びついて出来たもの」ではないことくらい、百も承知のはずである。

 いまさら私が解説するまでもないことだが、靖国神社の前身たる招魂社は、明治2年(1869)、王政復古を呼号する朝廷軍に加わって戊辰戦争を戦い、命を落とした人の魂を祭り、鎮める社(やしろ)として作られた。
 それが明治12年(1879)、靖国神社と改称されたわけだが、改称の理由の一つは、その2年前、西南戦争があり、祀るべき魂の範囲や、戦争の意味づけが変ってきたからであろう。
 そして多分それと前後して、戊辰戦争以後という時期設定の見直しが始まった。王政復古の戦争で死んだ人の魂を祀るのならば、尊皇攘夷と王政復古の魁(さきがけ)となって非命に倒れた人の魂はどうなるのか。議論はそう進んでいったからである。
 その結果、ペリー来航の嘉永6年(1953)にまで溯ることになり、吉田松陰も坂本竜馬も祀られることになった。当然これは、祀られる人の「死」の概念の変更を伴っていた。なぜなら、吉田松陰の死も、坂本竜馬の死も、いずれも戦死ではないからである。
 殉難者という言葉が何時から用いられるようになったか、今のところ、私には知識がない。おそらく明治前期にはなかったのではないかと思うが、ただ、例えそうだったとしても、松陰や竜馬を祀る議論と共に、殉難者に類する概念が始まった。そう考えて差支えないだろう。

 ともあれ、このような変更の結果、清川八郎の魂も、相楽総三の魂も祀られることになったわけだが、以上のことを「軍国主義と結びついて出来たもの」と見ることは、とうてい出来ない。
 松陰や竜馬を祀ることは、跡継ぎがいないため、途絶えてかけていた吉田家や坂本家を再興し、身寄り縁者から若者を選んで家名を継いでもらうことを意味した。とりわけ生前の功績を顕彰して、贈位し、金品を下賜する場合は、それを受け取る後嗣が必要だったのである。
 戦死者のなかにも、こうして家名を残し、家系を繋げることができた人が多かっただろう。それを家族制度と批判することは容易だが、名誉を受け、「家永続の願い」(柳田国男)が叶う。これは遺族にとって、せめてそうあって欲しいと思う、掛け替えのない慰めと喜びだったのである。(2006年7月30日)

〇靖国神社は「謝罪」の場?
 ついでに、『週刊文春』が選んだ「識者」の一人、石田衣良という「作家」の談話を挙げておこう。今どきの日本の「作家」のレベルがよく分かる。
《引用》
 
さらに、謝罪の方法としてぼくが提案をしたいのは、日本、中国、韓国の三国共同プロジェクトとして、靖国神社とは別の追悼施設を作ることです。天皇陛下がまったく顔を見せてはいない施設にずっと焦点が当たり続けているのはおかしなこと。誰もが参拝できる施設を作るべきです。三国で話し合い、東京のどこかに建てることが出来たら、つまらない空港なんか作るより、ずっと有意義だと思います。

 これは結論の部分であるが、石田はこれ以前、「謝罪」のことなど一言も語っていない。また、『週刊文春』の特集も「謝罪」をテーマにしているわけではない。
 当然のことながら、まず石田は、なぜ小泉首相の靖国参拝と「謝罪」が関連するのか、――そもそも石田が言う「謝罪」とは、誰が誰に対して行う、何について謝罪なのか――それを説明しなければならない。だが、彼はそれを飛ばし、まるで「謝罪」が自明の話題だったみたいに、「
謝罪の方法」を「提案」し始めたのである。
 ひょっとして石田は靖国神社を「謝罪」の場所と思い込んでいるのかもしれない。

 もちろん人が靖国神社に足を運ぶ動機は千差万別であり、なかには「謝罪」のために出向く人もいるだろう。
 ただ、制度としての靖国神社は、石田も一面では認めているように追悼の施設であり、慰霊と鎮魂の施設なのである。「
誰もが参拝できる施設を作るべきです」などと石田は、賢げなことを言っているが、靖国神社は誰を排除しているわけでもない、「誰もが参拝できる施設」なのです。

 いや、ボクが言ってるのは、そういう意味じゃない。天皇陛下が出向こうとしないことを問題にしているのだ。「天皇陛下がまったく顔を見せてはいない施設にずっと焦点が当たり続けているのはおかしなこと」。石田の、この舌足らずな言い方を、強いて解釈するならば、多分そう言いたいのだろう。
 しかし石田さん、あなたはあの富田メモをマに受けているらしいが、東条英機を首相に選んだのは昭和天皇であり、松岡洋右も白鳥敏夫も昭和天皇の親任を受けてドイツなりイタリアなりに赴任しているのですよ。

〇「指名」と「親任」の意味
 いま私の手元には、昭和天皇が東条英機に組閣を命じたドキュメントがない。やむを得ず、その代わりに、原敬(はら・たかし)の『原敬日記』第8巻(乾元社、昭和25年8月)から、大正7年9月27日の記述を引用させてもらう。
《引用》
 
午前十時半参内拝謁せしに、寺内内閣総理大臣辞職せしに因り卿に内閣の組織を命ずとの御沙汰あり、不肖の身を以て内閣組織の大命を拝し恐懼の至に堪へざるも謹んで御受致すべき旨言上し、猶ほ閣僚の詮考を致し奏上すべきに付数日の御猶予を願ふて退出せり。

 原敬は大正時代の代表的な政治家で、大正7(1918)年、日本で最初の政党内閣を組閣したことで知られている。彼は爵位を持たなかったため、平民宰相と呼ばれて、人気が高かったが、自分が総裁を務める政友会の絶対多数を背景に、強引に政策を進める手法が目立った。そのため彼の政治を怨嗟する人も多く、大正10年、東京駅で、大塚駅員の中岡艮一(こんいち)に暗殺された。
 『原敬日記』は言うまでもなく彼の残した日記を刊行したものだが、上に引用したのは、彼が大正天皇から〈内閣総理大臣に任命するから、内閣を組織するように〉と命じられた箇所である。

 分かるように、『大日本帝国憲法』時代の内閣総理大臣は、天皇が指名することになっていた。もちろん天皇が単独で人選することはなく、明治維新に功績のある元勲や、内閣制度の発足当時から深く政治の中枢にかかわってきた元老と相談し、その助言を得て任命した。だが、少なくとも天皇の意志による任命の形式を取っており、これは昭和天皇が東条英機を内閣総理大臣に任命した場合も変わりなかっただろう。

 現在の『日本国憲法』においても、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」(第6条)。ただしこの任命に、天皇の意志が介入することはない。まず初めに、「内閣総理大臣は、国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ」(第67条)ということが行なわれ、この指名を受けて天皇が「内閣総理大臣を任命する」のである。その点が『大日本帝国憲法』の時代と決定的に異なる。

 何だか要らざる贅言(ぜいげん)を重ねている気がしないでもないが、話を元にもどせば、昭和天皇は『大日本帝国憲法』時代の統治行為として、東条英機を内閣総理大臣に指名し、東条が組閣した閣僚を承認した。
 またこの時代、各国に派遣される大使は、対外的には天皇陛下を代理する者と位置づけられていた。それ故、天皇は、大使として派遣する者を宮中に呼んで、自ら直接に任命した。この行為を親任と言い、天皇より親任された者を親任官と呼んだ。富田メモにある、松岡洋右と白取(白鳥)敏夫が親任官だったことは言うまでもない。

〇「A級(戦犯)」は天皇のボキャブラリーか?
 このように天皇が首相として任命した者や、自身の代理として親任した者の中から、戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯の判決を受け、処刑される者が出た。それは昭和天皇にとって痛恨の極みだったと思う。
 だが彼らは、彼らが直接に責任を負う昭和天皇に対して罪を犯したわけではない。もし昭和天皇が、彼らに罪ありと判断したならば、直ちに罷免したはずである。その意味で、この人たちは昭和天皇にとって/対して戦犯だったわけではない。
 その点を制度的、理論的に区別しておく必要がある。
 
 私の考えでは、昭和天皇が東条英機以下の人たちを「A級(戦犯)」と呼ぶはずがなく、また呼びうる道理もない。なぜなら、彼らをそう呼ぶことは、『大日本帝国憲法』下の定めに従って彼らを指名し、親任した行為の法的正当性を、自ら否定するのに等しいことだからである。
 
〇石田衣良の「想像力」
 A級戦犯として処刑されたのは、以上のような指名や親任を経て、責任ある立場に就いた人たちであるが、石田衣良は彼らの「気持ち」をこんなふうに想像している。
《引用》
 
さらに、A級戦犯の方々の気持ちを想像すると、もし自分たちの存在によって日本という国の国益が損なわれていると知ったら、「自分たちのことは別にいいから。祀ってくれなくてもいいし、来なくたっていいよ」と多分おっしゃると思います。「大事なのは私たちではなくて、日本という国のことだから」と。それが分からないような人なら、A級戦犯の地位までいっていないはずですよ。一部の、国内でだけ威勢のいい人たちは、先走りすぎていて想像力が足りないように思います。

 お利巧な中学生が、自分たちに都合がいい「気持ち」をでっち上げるために、相手を物分りのいい人に仕立てている。そんな蟲のいい「想像」であるが、何を根拠にすれば、こんなに身勝手な想像が出来るのか。そこが分らない。
 おまけに、「
A級戦犯の地位まで」などという無神経な言葉を平気で使っている。そんな「地位」はないんだよ。
 
 石田は極東国際軍事裁判の論理と判決を正当なものと信じ込み、昭和天皇や処刑された人たちも、自分と同じく、納得づくで判決を受け容れたと考えているらしい。そうでなければ、こんな薄っぺらな思いつきをペラペラ喋るはずがない。もし東条英機以下の霊が口をきけるならば、「どうして私たちが、自分の存在を、国益を損ねているものと考えなければならないのかね」と反問するかもしれない。そのように考え直してみる程度の「想像力」さえ、石田には「足りない」のだろう。

〇奇怪な提案
 さて、そこで石田の提案であるが、念のためもう一度引用しよう。
《引用》
 
さらに、謝罪の方法としてぼくが提案をしたいのは、日本、中国、韓国の三国共同プロジェクトとして、靖国神社とは別の追悼施設を作ることです。……誰もが参拝できる施設を作るべきです。三国で話し合い、東京のどこかに建てることができたら、つまらない空港なんか作るより、ずっと有意義だと思います。

 ちょっと見には「三方一両得」の大岡裁き、これで四方八方が丸く収まる、結構な提案のようだが、でもねえ石田さん、「日本、中国、韓国の三国共同プロジェクト」と言う以上、それは三国が共同で「謝罪」する施設ということになりますね。では、「日本、中国、韓国の三国」は誰に対して、どんなことを「謝罪」するのですか? また、何故それを東京に作らなければならないのですか? そんな訳の分らない施設なんか作るより、空港を作るほうが「ずっと有意義だと思います」。

 それとも石田衣良は、日本が中国と韓国に謝罪する追悼施設を、「日本、中国、韓国の三国共同プロジェクト」として東京に作ることを考えているのだろうか。
 そして、そういう追悼施設ならば、平成の今上天皇は「心」にわだかなりなく謝罪に赴くことができる。石田はそう考えているのだろうか。
どうもそうらしい。
 で、平成の今上天皇は毎年そちらには謝罪に赴くが、靖国神社には出かけないと? 石田の言うところを整理してゆくと、どうしてもそうなる。思うにこれが、石田の考える、日本の国益にかなった天皇の追悼行為なのである。

 どうやら石田衣良の魂胆、語るにオチた感じだが、こういう賢いご意見には一つ、致命的な盲点がある。それは、一たん「日本、中国、韓国の三国共同プロジェクト」などということを始めたら、不可避的に排他と排除の理論を生んでしまう、そこに気がついていないことである。(7月31日)
 
○「愛・蔵太の少し調べて書くblog」との出会い
 ところで、さて、私は7月25日、このブログに「天皇「発言メモ」の読み方」を載せた。特に目新しいことを書いたわけではないが、驚いたことに、翌日から急にアクセス数が増えてきた。普段の7,8倍から、一挙に20倍近くまで跳ね上がった。〈ああ、やっぱり私と同じく、なんか今ひとつ腑に落ちないな、と疑問を感じた人も多いのだな〉。私はそう考え、励まされた。
 私はただ初発の違和感を大事にして、疑問を立て、問題点を洗い出してみるだけなのだが、そういうやり方に思いがけず沢山の人が関心を持ってくれた。そのことに励まされたのである。

 それにしても私のような地味なブログにもこれほどアクセスがあるのだから、ネットの上では相当に活発な意見交換が行われているにちがいない。そう考えて、googleで検索してみたところ、「愛・蔵太の少し調べて書くblog」が見つかった。私が見たのは27日の夜であるが、日経が「スクープ」して以来の新聞やテレビの反応を、時系列的に克明に辿っていて、特に自分の考えを強く打ち出しているわけではないが、再考を促すだけの強い説得力があった。
 私は内容だけでなく、その姿勢からも大切なことを学んだ。

 また、この「愛・蔵太の少し調べて書くblog」を通して、「きょうのこりあ」の「A級戦犯合祀メモと小沢一郎」や、「楽韓Web」の「日経新聞 昭和天皇A級戦犯合祀に不快感 疑惑まとめ」を知った。いずれも富田朝彦の手帳の該当ページの画像を、webから探し出し、拡大して、新聞やテレビがカットしてしまった箇所を復元し、分析を進めている。
 その分析を踏まえて、「きょうのこりあ」はマス・メディアの扱い方を批判し、「楽韓Web」は徳川義寛『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』との類似を指摘していたが、〈新聞やテレビの編集部もこれらのブログを見ているだろう。これだけ質の高い批判や意見に耐えられる報道ができるかどうか、そこがこれからの見所だな〉。私は感心し、そんな興味が湧いてきた。

 ただ、私のブログにもどって言えば、アクセス数にも波があり、28日には普段の5,6倍程度に「落ち着いて」きた。
 その後また急激に増えたのだが、ともあれこの頃から、テレビのほうでも、富田メモを話題にすることが目に見えて少なくなった。
 そこで29日の朝、〈まあ、あれだけきちんとデータを踏まえた批判がネットで出てきたのだから、テレビ局としても迂闊なことは言えない。トーンダウンせざるを得ないよネ〉。そんなことを家族と語り、この日は文学館へ出る日だったので、そろそろあのメモを取り上げた週刊誌が出る頃だが……と、小樽に着いてから『週刊文春』の8月3日号と、『週刊朝日』の8月4日増大号を買ってみた。
 ありがたいことに、私のものを読んでくれている人がいて、〈立花隆が日経のHPで、「立花隆の「メディアソシオ‐ポリティクス」」というタイトルの「ニュース解説」をやってるけど、凄いことを書いてますよ〉と教えてくれた。

○『週刊朝日』の取り繕い
 『週刊朝日』8月4日号の表紙は、大きく「
天皇も不快な靖国参拝」と打ち出している。いかにも大特集をやってるみたいで、さっそく買って見たのだが、これが全くの羊頭狗肉。「天皇も不快な靖国参拝」に対応する、『週刊朝日』自身の記事は一つもない。ただ一本、「山崎拓が語る「北朝鮮」「ポスト小泉」そして「昭和天皇も望まなかった靖国参拝」」というインターヴュ記事があるだけだった。
 多分『週間朝日』の編集部は、大きな特集を組むつもりだったのだろう。ところが、少し頭が冷えたところで、〈う~ん。考えてみれば、どうも今ひとつ信用しきれないところがあるな〉、そんな躊躇いが生れて、『週刊朝日』独自の「富田メモ」に関する調査、取材、解釈、意味づけは全て取り下げて、上記の記事一本に絞ってしまった。

 山崎拓はインターヴュ記者にかなり煽られたらしく、「天皇陛下が(参拝に)いらっしゃらない理由がメモによって明らかにされた」、「靖国神社に祀られているのは英霊なんです。英霊の定義は、天皇陛下万歳と心の中で叫んで散華された一般兵士のことを言うんです。内閣総理大臣万歳と言って死んでいった者はいないんです。……みんな天皇陛下万歳と心の中で叫んで死んでいったんです。これで神になって靖国神社に帰れるとね。そこに天皇陛下がお参りに来られないなんてことは、英霊としてこれほど心外なことはないでしょう」などと、一知半解の知識を振り回し、政治家って奴はこんな程度の認識で靖国神社問題に嘴を入れてるのか、と空恐ろしくなってしまうほどだが、本人は一向に気がつかず、泣き落としの大熱弁。
 これはこれで編集部の言いたいことを代弁してくれてるわけだし、結構カタルシスを覚える読者もいることだろう。もし後でメモの信憑性が問題になったら、〈いや、あれは山崎先生がおっしゃったことで……〉とやり過ごせばいいんだから。

 そんな経緯が読みとれるような内容なのだが、ただグラビア表紙だけはもう印刷に入ってしまった。これから差し替えることになれば、経費が嵩む。ま、仕方ないか。そこで、ノースリーブの広末涼子ちゃんの胸のあたりに、ドーンと大きく「天皇も不快な靖国参拝」が残った。この推測、多分当たっていると思う。

○衝撃的な日本の「作家」のレベル
 それに対して『週刊文春』は、14ページも使って「総力取材」の記事4本を載せているが、富田メモの引用文を昭和天皇の発言と見ることには、何の疑問も感じなかったらしい。その結果、メモの裏づけを取るよりも、メモを入手した日経新聞のA記者の追っかけに「総力」を挙げることになり、その記事によれば、A記者が最初に接触したのは、「昭和天皇独白録」をまとめた「
作家の半藤一利氏」だった。その後彼は、「秦郁彦日大講師や富田氏と親交のあった作家の丸谷才一氏に取材し」たらしい。
 
 なるほど、それで半藤一利の談話があちこちの新聞に載り、『週刊文春』は「識者」の一人として丸谷才一を選んだわけだ。それにしても、この二人といい、前に取り上げた山中恒や石田衣良といい、今どきの日本の「作家」は文献資料の扱いや読み方のレベルがあまりにも低い。想像力も貧困。
 これが今の日本の文学レベルかなと、むしろそのほうが私には「衝撃的」だった。

○立花隆と小泉純一郎:その差別と同一性
 さて、最後に、知人が教えてくれた立花隆の文章だが、富田メモで小泉純一郎が窮地に追い詰められたと見たのだろう、「
さあ、どうする小泉!」なんてはしゃいでいる。あんまり下司なので引用する気もしない。蓼喰う虫も好きずき、後味の悪い文章を読むのが好きだという、変った趣味の人もいるかもしれないが、そういう人は、日経のHP、「立花隆の「メディアソシオ‐ポリティクス」」の第78回、「靖国参拝論議に終止符 天皇の意志と小泉の決断」をどうぞ。

 小泉は郵政民有化をめぐる選挙では、なりふり構わぬあくどい手段で政敵を追い詰めて、狐顔に得意そうな薄ら笑い、だが半開きのまぶたの奥に光る酷薄な目は、決して笑っていなかった。あの粘っこい嗜虐的な感じは、寒気を誘うほどだったが、立花はちらちらと相手の表情を窺いながら、さあ困ってるぞ、弱ってきたぞとはしゃいでいる。そのしつっこさにも、何だか嫌~な嗜虐性が感じられる。
 案外この二人、容貌と体型は正反対だが、性格的には似たもの同士なのかもしれない。(8月1日)
 

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天皇「発言メモ」の読み方

天皇「発言メモ」の読み方
〇不見識なニュース
 先日私は、テレビを見ながら、まさかそんなことはないだろう、と強い疑問を感じた。アナウンサーの言うことが、こんなふうに聞えたからである。〈つい最近、昭和天皇のメモが発見された。そのなかに「A級戦犯が靖国神社の合祀されたことに不快を覚え、それ以来、靖国神社の参拝を止めた」という意味のことが書いてある〉。

 しかしこれは私の聞き違いで、アナウンサーが言う「メモ」は、元宮内庁長官の富田朝彦という人物が残したメモだった。そりゃ、そうだろうよ、天皇の直筆のメモなんてものが見つかったら、それ自体が大問題だからな。一応そのように納得したのだが、まだ釈然としない。落ち着きの悪い疑問が残った。

 ただ、その時私は、北朝鮮のミサイル発射問題にかまけており、〈まあ、これが終わって、それでもまだ富田メモの問題が尾を引きずっているようだったら、その時は書いて見よう〉。そう考えて疑問は先送りし、取りあえずインターネットで新聞記事を読み、翌21日(金)には、買い物に出たついでに、北海道新聞を買ってきた。

 あんなメモに引っかかるなんて不見識だし、不謹慎だ。放って置けばいいのに。そう思うのだが、今朝(23日)もまた幾つかテレビ局が話題にしていた。
 
もっとも、なぜ不見識で、どこが不謹慎なのか、かえってその方が納得できないという疑問もあるかもしれない。それについて少し書いてみたい。

〇直筆でないことの意味
 これまで私は、寡聞にして、近代の天皇が日記をつけているとか、メモを残したとか、そういう話を聞いたことがない。おそらくほとんどの人も同様だろう。
 また私はこれまで、天皇が誰かに直筆の私信を出したという話を聞いたことがない。多くの人も同様だろうと思う。

 しかしもちろん、日記やメモを書くことは全くなかったと断言することはできない。だが、もしそういう私的な記録が残ったとしても、宮内庁は固く秘匿して、決して公開することはないと思う。
 また「直筆の私信」について言えば、天皇はそういうものは書かなかった。万が一、いや百万に一つ、もしそういうことがあったとしても、受け取った人は固く公開を禁じられたか、そうでなければ、その人自身が深く慎んで来たにちがいない。

 なぜ私がそう判断するのか。それは、天皇の私情を語った言葉は、誰によってどんなふうに利用されるか分からないからだ。もしある時、ふと天皇が「あの男は信用出来ない」とか、「私はあの男が嫌いだ」とかいう意味の言葉を洩らしたとしよう。その言葉は巡りめぐって、天皇に名指しされた人物を失脚させ、時には死に追いやってしまう。そういう恐ろしい威力を秘めているからにほかならない。

〇綸言(りんげん)、汗の如し
 昔、帝王学という学問(?)があった。いや、現在も必要とされていると思うが、それは権威ある地位につき、その一言一句が巨大な影響を及ぼす立場の人間が身につけるべき、教養や心得を体系化した学問で、もちろん日本の天皇も必須の学問として学んできた。
 
 その心得の一つに、「綸言汗の如し」という鉄則がある。これは〈一たん君主の口から出た言葉は、汗が再び身体のなかに戻ることがないように、決して取り消すことは出来ない〉という意味で、これが守られなければ、朝令暮改の混乱を惹き起こしてしまうだろう。

 瀧沢馬琴の『南総里見八犬伝』で、安房の国の領主・里見義実は、敵の大群に取り囲まれ、「もし敵の大将の首を取って来る者がいたら、可愛い一人娘の伏姫(ふせひめ)を嫁にやろう」と約束する。すると、忠犬の八房(やつふさ)が矢庭に立って、一声高く吠えて駈け去り、ほどなくして敵の大将の首を咥えて来た。
 義実は大変に喜んで褒美をやろうとするが、八房は見向きもせず、しきりに伏姫を求める素振りを見せる。「おのれ畜生の分際で、わが娘を欲しがるとは……」。義実が怒って、槍を構え、あわや一突きに刺し殺そうとしたところ、伏姫が割って入り、「綸言は汗の如し。たとえ相手が犬であろうとも、一たん約束したことは守らねばなりません」。そう父を諌めて、八房と共に生きる覚悟を示し、富山の奥深く姿を隠した。
 これは物語の一エピソードであるが、つまり主君が口にする言葉というものは、まず本人自身が守らなければ、自ら信義を失い、他に対して信義を求める根拠も失ってしまう。それほど重いのである。

〇公表は天皇の意志か
 それとこれとは必ずしも同じではないが、〈天皇たる者、軽々しく個人的な心情や、他人の好悪など口にすべきではない〉という心構えの点では、相通ずるものがある。
 とはいえ、全く口を閉ざしていることには耐えられず、信頼する側近に洩らすこともあっただろう。だが、自らそれを書き留めたりはしない。証拠として残ってしまうからである。
 では、側近に書き留めさせたのか。そんなことはありえない。繰り返しになるが、その理由は、「天皇のお気持ち」なるものが独り歩きを始める危険があるからで、とするならば、側近がメモに書き留めたり、公表したりすることは、天皇から受けた信頼に対する裏切りになりかねない。
 富田朝彦は心覚えのためにメモを取っておいたのかもしれないが、彼自身、その公表を予定していただろうか。あるいは自分の死後、公表されることを望んでいたのだろうか。この疑問は、そもそもこの資料の出所はどこか、どういう経緯で公表に到ったのか、という疑問を誘発する。
 
 そのように考えを詰めてゆくと、次のような問題に行きつくだろう。〈昭和天皇は自分の言葉が富田メモにあるような科白の形で、しかもこのような経緯で公表されることを望んでいただろうか〉。

〇「発言メモ」の検討
 念のために、昭和天皇のものと見なされた言葉を見てみよう。(引用は、毎日新聞HP,「〈昭和天皇〉A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ」に拠る)
《引用》
 
私は 或る時に、A級が合祀されその上、松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思
 っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
(原文のまま)

 これを引用した毎日新聞が、末尾で「(原文のまま)」とことわっている。とするならば、「松岡、白取」の「白取」(白鳥敏夫?)もまた、富田のメモの「まま」なのであろう。

 同じく毎日の説明によれば、「発言メモは1988年4月で手帳に貼り付けてあった」という。「手帳」は富田の手帳である。
その前年の1987年(昭和62年)の9月、昭和天皇は腸の通過障碍を除くために入院し、術後の経過がよかったので一たん退院されたが、この年の9月、再び入院し、翌年亡くなられた。
 紹介された言葉は、とうてい首尾整った発言とは言えない。毎日新聞の記事が確かならば、天皇の発言は再入院の5ヶ月ほど前になるわけだが、――その直後の6月、富田朝彦は宮内庁長官を退任している――すでにこの時、あのように首尾整わない言葉しか言えないほど弱っておられたのだろうか。
 それとも、富田朝彦の記憶力および文章能力は、天皇の発話をちゃんとした文章の形では残せないほどお粗末だったのだろうか。
 まさか、そのいずれでもあるはずがない。常識的にはそう考えたいところであるが、とするならば、これがどんな性質の言語テクストなのか。そこをきちんと押えておかなければならないだろう。
 それに、果して昭和天皇が、靖国神社に出向く自分の行為を「参拝」と呼んでいたかどうか、その点も疑問がないわけではない。

〇テクスト論の視点
 先の引用を言語テクストの面から見るならば、それは、Aという人物の発話を、Bという人物が引用する形式であり、その引用の仕方は一見、直接話法の形を取っている。
だが、いかに正確な直接話法的再現を心掛けようとも、ロシアの文学理論家、ミハイル・バフチンが指摘するように、Bによる解釈や、イデオロギー的な屈折を免れることはできない。これはAが書いた文章を、Bが正確に引用するのとは全く異なる「引用行為」なのである。

 まして今回の場合、Aは昭和天皇、Bは宮内庁長官という、特殊な関係が介在している。宮内庁長官は侍従長と立場が異なり、必ずしも「お仕えする」関係ではないかもしれないが、私たち市民同士が対話するような関係ではありえない。これは否定できないところだろう。

〇半藤一利の読み方
 毎日新聞はこのようなテクストに関する、小説家・半藤一利の解釈を紹介している。
《引用》
  
あり合わせのメモが貼り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしていないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。

 これは半藤一利自身が書いたものではなく、取材した毎日新聞の記者が彼の談話を文章化し、それを半藤に見てもらったものであろう。
 もし毎日の記者が半藤に了解を取ることなしに、これを発表してしまったら、半藤は腹を立て、クレームをつけたにちがいない。私はそう考え、そうであるだけに、なぜ半藤はああいう形で昭和天皇の「発話」を活字にすることに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。

 また、この文章を見る限り、半藤は実際に富田の手帳とメモを手に取ってみた立場で発言しているように読める。が、仮にそうだとしても、「昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた」という判断には、飛躍がありすぎる。私の理解では、宮内庁長官が「その場」で、あり合わせの紙に、天皇の言葉を書きつけるなんて、そんな不躾なことはしない。
 これは半藤が言う「その場」の空間的な幅や、時間的なスパンの取り方にもよるが、まさか富田が天皇の前から退出してから、自動車のなかで書くことも「その場」に含めると、そこまで拡大して言ってたわけではないだろう。
 それやこれやを考えると、半藤が感じたという「臨場感」というのは、どうも嘘くさい。単なるレトリックではないか。

 もう一つ疑問点を挙げるならば、半藤は「昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた」と言っており、前半の部分は納得できる。だが、後半の「メモ」云々の意味がよく分からない。「メモでは案外に自分の考えを話していた」というのは、言い方そのものとしても可笑しいのだが、この一般論的な言い方から判断すれば、半藤は富田のあのメモ以外にも、幾つかのメモを見ていたことになる。それは誰のメモだろうか。

 それやこれや疑問が湧いてくる、不思議な文章なのだが、毎日新聞は、半藤一利の「話」を引用するに先立って、「「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さん」と紹介していた。
 たしかにこの本は「対話語録」というより、「独白録」というにふさわしい。ということはつまり、昭和天皇の発話は本質的に他者との対話性を欠いた、「独白」だったのではないか。そういう視点から、天皇の発話の性格を捉える必要があるのだが、どうやら小説家の半藤一利はその用意を欠いていたのである。

〇山中恒(ひさし)の読み方
 同じく作家の山中恒が「歴史認識 首相とかい離」という文章を、北海道新聞(7月21日)に書いているが、彼もあのメモが極めて特殊な引用テクストである点には関心がなかったらしい。
《引用》
  
昭和天皇は、ある意味で自己防衛にもたけた人だった。宮内庁長官に対して晩年にこういう発言をあえて残したのは、個人的なさまざまな思い、意図があったのだろうと思うが、小泉純一郎首相が靖国神社参拝を続ける理由を「こころの問題だ」と説明しているのに対して、昭和天皇がメモの中で「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と同様に心に言及している点が実に興味深い。ここに天皇と首相との歴史認識の違いがはっきり出ているではないか。

 もし昭和天皇が「個人的なさまざまな思い、意図があっ」て、「宮内庁長官に対して晩年にこういう発言をあえて残した」とするならば、天皇は宮内庁長官に口述筆記をさせるか、あるいは長官のメモに目を通して、文言の確認をしただろう。私はそう思う。
 あの「発言メモ」の不完全な文辞を見る限り、そういう手続きを踏んだとはとうてい考えることは出来ない。
 その意味でも、この「発言メモ」は慎重な扱いを要するのだが、それを飛ばして、あのカタコトめいた片言隻句からいきなり昭和天皇の「歴史認識」を引き出すのは、これは過剰解釈と言われざるをえないだろう。

〇ガセネタに要注意
 私は長年、文学研究を仕事とし、現在は文学館の館長をしている。その間、しばしばこの種の〈新資料発見〉事件を目撃し、私自身も新資料を紹介したことがある。

 私自身が行なった、最近の例としては、「戦略的な読み―〈新資料〉伊藤整による『チャタレイ夫人の恋人』書き込み―」(岩波書店『隔月刊 文学』第6巻第5号、2005年9月)や、「書き込みに見る多喜二と同時代」(『市立小樽文学館報』29号、2006年3月)があり、後者は私のHP(「亀井秀雄の発言」)にも載せてある。読んでもらえれば、大変ありがたい。

 ともあれ、そういう経験を踏まえて言えば、私たちは〈新資料〉が紹介された時、まず資料の出所や発見の経緯を検証し、さらに書体や内容が、その資料の書き手とされる人物にアイデンティファイできるかどうかを検討する。以上のうち一つでも曖昧な点があれば、当然私たちは〈新資料〉の信憑性を疑うことになるだろう。
 特に今回のように、別の人物によって引用された発言の真偽を問う場合は、以上の手続きだけでは決して十分とは言えず、テクスト論や言語行為論の視点と方法も必要となってくる。

 ここに書いたとこは、その初歩的な応用にすぎないのだが、書いているうちに「どうもこれはガセネタではないか」という心証が強くなってきた。
 数ヶ月前、民主党の坊や議員が、ライブドアの堀江貴文のメールなるもののコピーを国会に持ち出して、自民党の武部議員を追い詰めようとし、だが、そのメールがガセネタと分かって大笑い、坊や議員が辞職して一件落着となった。
 あれは文字通りガセネタだったらしく、今回の「発言メモ」とは性質が異なるが、検討すればするほど曖昧で、信じがたい点が増えてくる。
 眉に唾つけて読んだほうがいい。(2006年7月23~24日)

 

 

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マス・メディアの見え方(5)

出す国/貰う国の不思議な関係
〇貢ぎ続けの韓国
 前回、私は、『東亜日報』の「発射費用は600億ウォン…6年間の対北支援金は3兆ウォン」(2006年7月11日)という記事を紹介したが、その時引用した文章の次にも、常識では考えられないことが書いてあった。
《引用》
 
00年の南北首脳会談以来6年間、南北協力基金で北朝鮮に支援した総額は3兆2333億7900万ウォン。これを北朝鮮の市場為替レートで換算すれば、昨年の北朝鮮予算を基準にして26年分を上回る。

 さらに、金大中(キム・デジュン)前大統領が南北首脳会談開催のために与えた5億ドルの現金まで合算すれば、韓国側の支援が、北朝鮮のミサイルと核開発の土台を提供したと指摘する専門家も少なくない。

 もしこれが事実ならば――間違いない、と私は思うが、――何と!! 韓国は北朝鮮に、過去6年間、毎年、北朝鮮の国家予算の4倍強のお金を支援しつづけているのである。
 逆に言えば、北朝鮮は過去6年間、自国の国家予算の4倍以上の金を貰い続けているのである.
 もし日本が他所の国から、国家予算の4倍以上の金を貰って「国家」を運営しているとしたら、私たちは自分の国を独立国家と見なし得るだろうか。これは、そういう深刻な疑問に誘われるような事態なのである。

 総額3兆2333億7900万ウォンという金額は、ちょっとピンと来ないかもしれない。私も実感が薄いのだが、今年の7月11日現在で、100ウォンが12円(つまり1円は8.3ウォン)ほどに当る。これによって計算すると、3兆2333億7900万ウォンは3,880億円ほどになる。これを6で割れば、1年平均が出るわけだが、そうしてみると、約647億円ずつ、韓国は北朝鮮に毎年、支援してきたわけである。
 その他、金大中前大統領が、南北首脳会談の開催のために5億ドル与えた、という。今日(7月21日)現在、1ドルは116円ほどだから、580億円を与えた計算になる。

〇GDP較べ
 では、毎年これほどのお金を支援している韓国の経済能力はどの程度なのか。国家予算というのは国家体制によって組み方が異なり、素人の私には判断が難しいので、GDP(国内総生産)で比較してみたい。
 インターネットの『ウィキペディア/フリー百科事典』に、「市場為替レートベースのGDP(国内総生産)」が載っていた。それによると、2005年度のGDPの1位は言うまでもなくアメリカ(12兆4388億7300万ドル)だったが、以下、これから言及する国の数字を上げてみると、次のようになる。
  2位  日本        4兆7990億6100万ドル
  6位  中華人民共和国 1兆8431億1700万ドル
  10位 ロシア       7554億3700ドル
  13位 大韓民国     7207億2200万ドル
  20位 中華民国     3451億500万ドル
 ただし、これは国民全体の総数であって、以上の数字を、各国の人口で割り、国民一人当たりのGDP(国民総生産)で比較すると、どうなるか。
 15位 日本         37,566ドル(約535万円)
 35位 中華民国      14,860ドル(約174円)
 36位 大韓民国      14,728ドル(約170円)
 60位 ロシア        5,340ドル(約62円)
 111位 中華人民共和国 1,410ドル(約16万円)
  (以上の順位は、全179カ国の内の位置)

 北朝鮮のデータがないのは残念だが、ともあれこうして見ると、俗に言う「中国」、つまり中華人民共和国の一人当たりGDPは、「台湾」つまり中華民国の10分の1以下であり、日本の33分の1以下でしかない。
 別な面から見れば、「台湾」は、人口では北朝鮮とほぼ同じだが、国民一人当たりのGDPは韓国を上回り、「中国」に10倍する。もちろん独自の政府を持ち、自立的な経済を営んでいる。にもかかわらず、国連において北朝鮮は国家と認知され、台湾は国連に席を持たない。奇妙な話だ。

 そんなふうに、素朴な疑問がさらに湧いてくるのだが、ついでに東京都の平成16(2004)年の「都内総生産」を挙げておこう。東京都のホームページによれば、この年の都内総生産は約84兆2766億円だった。ただ、この年の円とドルの交換レートは正確には分からない。やむを得ず、いま仮に、今日現在の1ドル116円で計算してみれば、7200億ドルほどになる。
 この年の東京の人口は、約1,250万人で、韓国の3.7分の1程度だったが、それにもかかわらず、都内総生産は、韓国のGDP(国内総生産)とほぼ同額だった。その経済力の大きさがよく分かるだろう。

〇日本の対「中国」開発援助
 一つの国家が誕生して既に半世紀も経ちながら、インフラの整備が行き届かず、国民に窮乏生活を強いているとすれば、それは国家体制が劣悪であるか、政権担当者が無能な権力主義者であるか、またはそのいずれでもある。私は単純素朴にそう見ている。また、この視点を欠くならば、国家の本質を見失ってしまう。

 そういうごく当り前の視点からすれば、未だに日本のODA(政府開発援助)に頼っている北京政府は、自立した国家の条件を満たしているかどうか、大変に疑わしい。
 在中国日本大使館のホームページを覗いてみたら、2005年5月現在の記事として、こんなことが書いてあった。
《引用》
  
対中ODAは、1979年に開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力を1457億円、技術協力を1446億円、総額約3兆円以上のODAを実施してきました。

 つまり平均すれば、1年につき、有償資金協力1213億円、無償資金協力58億2800万円、技術協力57億8400万円、合計1329億1200万円。日本政府は毎年、これだけの金額を、25年間に渉って援助し続けてきたのである。
 このうち「有償資金協力」は、その言葉だけで判断すると、相手からの返済、あるいは見返りが期待できるように見える。だが、「
有償資金協力」とは、「緩やかな条件(低金利、長期返済期間)による資金貸与」であり、「基本的にアンタイド(無制限)」と説明されている。つまり「返せる時が来たら、返して下さいネ」という、まことにお人好しな「資金貸与」なのである。

 それがどれくらい巨きな金額か。韓国は6年間に渉って、1年につき約647億円を支援してきた。これは大変な金額だが、日本はその2倍以上のお金を、25年に渉って、北京政府に渡してきたのである。

〇北京政府の「やらずぼったくり」
 日本の外務省は、日本の民間から視察団を組織して、現地を案内し、感想文を書いてもらっている。それも外務省のHPに載っており、もちろん「大変に結構な事業だと思う」といった優等生の作文が多いのだが、ただ、共通する不満はただ1点、次のようなことだった。〈どこの施設を見ても、日本の援助によって出来たという説明が明記されていない。中国側が発行したパンフレット類にも説明がなかった〉。
 たぶん北京政府はお金の出所を、自分の国民にも知らせたくなかったのであろう。こういうのを、日本では、俗に「ねこばば」とか、「やらずぶったくり」とか言う。

 この話を家族にしたところ、「ふ~ん。それじゃ、歴代の国のなかで一番出来が悪いってことにならないかしら」。
 中国大陸には古来、いろんな王朝が出現したが、誕生から半世紀くらいが、おそらく最も盛況を誇っていた。この繁栄を背景に、周辺の国と朝貢(貿易)関係が結ばれたわけで、周辺の国は臣従の印として貢物を奉る。王朝はそれに数倍する賜物を返すという、この「恩恵」があればこそ、朝貢(貿易)関係の維持が可能だった。私たちはそう理解していたのだが、それに較べて、現在の北京政府は、独立国家の日本から、ただもう援助を受け取るだけで、「やらずぼったくり」のねこばば。
 そこで、我が家は先のような感想を持ったのである。

〇白石真澄の未消化発言
 ところで、さて、以上書いたことは、前回ことわっておいたように、7月17日(月)に新聞を買うまでの「つなぎ」だったわけだが、17日の昼、朝日新聞と毎日新聞に目を通しても、期待する記事がなかった。いや、朝日新聞には「北朝鮮非難決議(全文)」が載ってはいたのだが、どの文章もほとんど体言止めで、日本語の文章として熟していない。どうやらこれは各条項の内容をかいつまんで訳した、抄訳らしい。そう考えて、検討は諦めた。

 だが、それはそれとして、朝日新聞の「時時刻刻」という欄に、次のような記事があり、なるほどそうだったのか、と思い当たった。
《引用》
  
日本政府と中国との交渉は進まなかった。自民党内から「問題は中国とのパイプがないことだ」(閣僚経験者)との声も出たが、外務省幹部は「日中安保条約はないんだから、中国とはだれがやっても意味はない」と切り捨てた。
  加えて、中国と連携するロシアとのパイプも細っていた。日本政府は手詰まりで、米国を頼りとせざるを得なかった。
  日本国連代表部筋は「米政府の立場は日本を支えることだった」と言う。日本政府高官も「日米が一枚岩で突っ込んでくるんじゃないかと中国も思っただろう」。
  だが、実際には、米国はヒル国務次官補を2度にわたり訪中させるなど中国とも緊密に連絡を取り、流れを作った。

 私が「なるほど」と思い当たったのは、この記事から教えられたからではない。この日の朝、テレビ朝日の渡辺宜嗣の「スーパーモーニング」が「、非難決議」を取り上げていて、コメンテーターの白石真澄がこれとそっくり同じことを言っていたからである。
もちろん私たちはその時点で、朝日の記事を目にしていたわけではない。そんなわけで、「ホラ、また出た。お決まりの〈日本、蚊帳の外〉論だよ」と可笑しがったり、「国交があり、お互いに大使を派遣している以上、パイプがあるに決まってるじゃないか。ナニ、頓珍漢を言ってるんだ」と、不思議がっていたのだが、どういうわけか、この時は司会の渡辺も、コメンテーターの鳥越も妙な薄ら笑いを浮かべて、相槌さえ打たなかった。
その理由が、「ははあ、なるほど」と思い当たったのである。

 そこで、家族にも新聞を見せたところ、「おやおや、あの白石って美人コメンテーターさん、まるで蒟蒻を食べたみたいに、未消化のまま出してしまったのネ……。あら、ちょっとはしたない言い方だったかしら」。なるほど、いかにお約束とはいえ、新聞記事をモロそっくり暗誦されたら、そりゃ渡辺も鳥越も受けようがなかっただろう。

〇大国って何?
 それにしても、白石さん、「パイプがある」とか「ない」とか言うけれど、誰とどういう接点を持っていれば「パイプ」になるんですか。最終的な相手は胡錦濤ですか? それともプーチンですか? そう聞いてみれば分かるように、「パイプ」なんて単なる思わせぶりに過ぎない。
 要するに〈大国の中国やロシアからそっぽ向かれたら、ことがうまく運ばないよ〉と言いたいのだろうが、北京政府やロシアが「大国」の振りをすることが出来たのは、国連の安保理で拒否権を持っていたからにほかならない。だったら、「拒否権とは何か。それを特定の国が持つ根拠は何か」から捉え返してみればいい。正体は直ちに明らかだろう。

 そんな話をしていたところ、北京から帰った、民主党の小沢一郎がテレビのインターヴュで、精一杯笑みを浮かべて、〈あれはもう事前にアメリカと中国、アメリカとロシアの間で出来上がっていたシナリオですよ〉みたいなことを言っていた。
 こういうのを、俗に「下司の訳知り顔」と言うのだが、卒然として私は、むかし愛読した大和和紀の『はいからさんが通る』という楽しい漫画を思い出した。あれには冗談社という出版社があって、コビ・ウリタとか、ヘツラ・イワオとかいう編集者が出て来て、諷刺が利いた上等なギャグが多かったなあ。(2006年7月21日)

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マス・メディアの見え方(4)

『東亜日報』の記事から
〇驚くべき記事
 昨日(16日)の朝、国連の安保理で、「非難」決議が満場一致で採択されたことを知った。国連憲章第7章への言及はなかったらしい。ほぼ予想通りの結果だった。多くの人にとっても同様だったと思う。

 「だが、細かい文言はテレビでは分からない。検討は明日の朝刊を買ってからにしよう」。そう考えて庭に出た。草取りをしてからシャワーを浴び、その後、インターネットを検索していたところ、『東亜日報』の「発射費用は600億ウォン…6年間の対北支援金は3兆ウォン」(2006年7月11日)という記事を見つけた。すごいことが書いてある。
《引用》
 
5日に北朝鮮が発射した「テポドン2」を含むミサイル7発の製造と発射費用は約600億ウォンにのぼると、軍当局は推算している。外部世界から支援を受けなければ独自生存が困難だと言われている北朝鮮が、このような巨額を空中に打ち上げることができたのは、00年の南北首脳会談以来6年間、韓国の無条件な対北朝鮮支援があったおかげだという指摘が出ている。

 04年10月、北朝鮮最高人民会議の第11期3回会議で公表された北朝鮮の05年度予算は、北朝鮮ウォンで3885億ウォン。これを北朝鮮の公式為替相場(1ドル=150ウォン)ではなく、実際の市場の為替相場(1ドル=3000ウォン)で計算すれば、1億2950万ドル程度だ。今回のミサイル発射に使用した600億ウォン(約6369万ドル)は、1年間の予算の半分に迫る巨額になる。

 これは北朝鮮が、8ヶ月間6者協議に復帰せず資金凍結の解除を求めているマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行に凍結されている資金2400万ドルの3倍に迫る金額だ。

 一つの国の通貨の、公式の為替相場と、実際の為替相場の間に、何と!! 20倍の開きがある。そんなことがあり得るだろうか。日本の国内で、1ドルは115円だと言われ、そのつもりでアメリカへ行き、115円を出してドルに換金しようとしたところ、5セントにしかならなかった。これは、そんな悪夢みたいな話なのである。

〇矮小な国家予算
 まず私はそのことに驚かされたが、北朝鮮の予算規模にも驚いた。
 もし上の記事が本当ならば――もちろん間違いないと思うが、――北朝鮮の2005年度の予算は1億2950万ドル程度。1ドル115円で計算すれば、148億9,250万円ほどになる。驚くほど少ない。
 ただしこれは、実際の市場の為替相場(1ドル=3000ウォン)で計算した場合であって、北朝鮮の公式為替相場(1ドル=150ウォン)に従って計算すれば、その20倍、2,978億5,000万円となる。その場合でも、国家予算としては信じられないほど少ない。

 韓国の国家予算は、東京都の予算よりもずっと少ない。以前そういう話を聞き、〈ああそういう見方もあるのか〉と、インターネットで調べたところ、確かに韓国の予算は東京都より遥かに少なかった。
 北朝鮮のことは、日本の外務省のホームページに載っていない。不正確な情報で判断するのは危険だ。そう自戒して、憶測は避けてきたのだが、実際にこういう情報に接してみると、想像していたより遥かに少額だった。
 こんな少額の予算で、人口2300万ほどの国家を運営できるのだろうか。

〇長野県との比較
 実際にそれは、どの程度の規模か。
長野県の人口は221万人、北朝鮮の約10分の1なので、これを例に取るならば、平成18(2006)年度の歳入は8,250億円が見込まれている。
 ただしこれは県税のほか、地方交付税その他を含めた総額であり、北朝鮮の国家予算との比較は、むしろ県税に限定したほうがよいかもしれない。そこで、もう一度見直してみると、長野県は平成18年度の県税として、2,151億円を見込んでいる。これが221万人の予算であり、それを北朝鮮の人口に準じて10倍してみれば、2兆1,510億円となる。

 ちなみに、長野県のホームページに「本県と同等の人口をもつ群馬県や栃木県」という言い方があったので、群馬県を調べてみると、人口は201万で、北朝鮮の約11分の1。平成18年度の歳入は7,973億円、そのうち県税は2,210億円だった。この県税を、同じく北朝鮮の人口に準じて11倍すれば、2兆4,310億円となる。

 北朝鮮の国家予算を、公式レート換算で2,978億5,000万円と見るか、実際の交換比率の換算して148億9,250万円と見るか。額面では大きな開きがあるが、たとえ前者で比較したとしても、人口が10分の1の長野県の県税より、768億5,000万円多い程度。交付税などを含む総額と比較すれば、長野県の半分にも満たない。

〇行政なき国家
 これを別な面から見てみよう。北朝鮮の国家予算が全て国民(「人民」と言うべきかも知れない)のために使われたとして、公式レート計算による金額を2,300万人で割ると、一人につき12,950円程度となる。だが、実際レート計算の場合は、一人につき約648円にしかならない。
 
 同じ視点で長野県の場合を考えてみれば、県税だけで計算しても県民一人につき97,330円を支出することになり、交付税などを合せれば、約3.8倍の370,000万円ほどになる。群馬県の場合は、県税だけで一人につき109,950円となり、交付税などを合せれば、約3.6倍の395,000円ほどになる。
 いかに物価が違うとは言え、この開きは異常なほど大きい。そう言わざるを得ないだろう。。

 しかも長野県や群馬県は軍隊も持たなければ、ミサイルを作っているわけでもない。逆に言えば、北朝鮮はあの少額からピンはねして軍隊を持ち、ミサイルを作っている。これでは、国民のためにインフラを整備する余裕などあるはずがない。
 これは行政なき国家と言うしかなく、国民は自分の知恵、才覚で水や燃料を手に入れなければならないのである。

〇恐るべきダブル・スタンダード
 まるでウソのような話だが、現実に北朝鮮が「国家」として存続している以上、それを可能にするカラクリがあるにちがいない。
 私の見るところ、そのカラクリ一つが、先に紹介した交換レートのダブル・スタンダードなのである。

 北朝鮮の政府が設定した公式の為替相場では、1ドルが150ウォンだが、実際の為替市場では1ドルが3000ウォンで交換されている。
つまり国の中で通用する価値が、対外的には20分の1にしかならない。そういう話になるわけで、たとえば北朝鮮政府から100ドルに相当する給料として、15,000ウォンを貰った人が、実際にアメリカ製品を買いに行ったところ、5ドル相当の物しか買えない。そういう、泣くに泣けない事態が起ってくる。

 日本はダブル・スタンダードではなく、外貨との関係は変動性を取っていて、現在は1ドル115円前後で推移している。もし北朝鮮のような状況となれば、115円が6円以下の価値しかなくなり、大パニックが起るだろう。

 また、外国から見れば、ダブル・スタンダード制の国の通貨ほど怖いものはない。いま私が11,500円で、100ドル相当のアメリカ製品を買い、北朝鮮に持って行って、公式レートで売ったとしよう。このレートに従えば、私は15,000ウォン受け取ることになるわけだが、そのお金でもう一度アメリカ製品を買おうとすれば、5ドルの物しか買えない。つまり私は、差し引き10,925円の損をしてしまうのである。

 そんなわけで、もし北朝鮮と貿易をしたい人がいたとしても、その人は多分北朝鮮ウォンによる支払いを決して望まないであろう。このウォンは、北朝鮮以外の国では20分の1程度しか価値を持たない。そもそも北朝鮮ウォンで支払おうとしても、それを受け取ってくれるお店はほとんどないからである。

〇言語としての通貨
 以上のことを少し抽象化して言えば、〈ある国の通貨が国外で受ける評価は、その国の経済力や経済システムの評価の指標にほかならない〉。

 マルクスが言うように、通貨は言語以前の、あるいは言語を超えた「言語」であって、経済力や経済システムがその「言語」の意味や価値を形成する。ある国の通貨は、この意味と価値をバックに、他の国の通貨との対話(交換または翻訳)関係に入るのである。

 こうして見れば、日本の円がどんなに対話能力の高い言語か――つまりどんなに流通性の高い言語か、――外国旅行を一度でもしたことのある人ならば、すぐに納得するだろう。ついでに言えば、日本国が発行するパスポートもまことに流通性が高い。
 日本人の外国旅行ブームは依然として衰えないが、それはこの二つに支えられているからであって、その意味で日本は決して「孤立」してもいなければ、「蚊帳の外」に置かれているわけでもない。
テレビのコメンテーターたちが、分かったふうな顔をして、日本の「孤立」や「蚊帳の外」を言う。それを耳にする度に、私は、何を根拠にそんなことを言うのか、聞いてみたい気がする。

 この連中、「金が全てではありません。問題は信頼関係ですよ」と開き直るかもしれな。
 〈なるほど、なるほど、では、あなたの出演料や原稿料は、北京政府の人民元か、ロシアのルーブル、あるいは韓国のウォンか、北朝鮮のウォンでお支払いしましょう〉。そう言われたら、この連中、どう答えるだろうか。おそらく「喜んで」と答える人は、滅多にいない。要するに、口で言うほど信頼などしていないのである。
 〈では、円かドルでお支払いしましょうか〉。そう聞かれれば、おそらくヘラヘラと相好を崩してしまう。
 こういう反応が出てくるのも、各国の通貨に対話能力の高低や大小があるからにほかならない。

〇ダブル・スタンダードの悪用
 私は昨日、ここまで書いて中断し、今日(18日)また、改めて書き始めたわけだが、ともあれ、以上の視点からみれば、北朝鮮ウォンの国際的な対話能力がいかに低いか、一目瞭然だろう。
 だが、私の見るところ、それこそが、北朝鮮の政府高官、または指導者層が権力と特権を手に入れるカラクリのネタなのである。

 いま彼らが、国民の一人に150ウォン払って、ある品物を作らせたとしよう。それを国外のマーケットに出して、1ドルで売り、その1ドルを実際の為替相場でウォンに変えるならば、3000ウォンを手にすることができる。
 濡れ手に粟のボロ儲け、これほどウマイ話はまたとあるまい。

 これは単純な例であるが、もしこのボロ設けのカラクリを、政府機関が全機能を挙げて企んだとすれば、どうなるだろうか。
 マス・メディアの伝えるところによれば、北朝鮮はアメリカのドル紙幣を偽造し、覚醒剤を日本に密輸し、マイルドセブンの偽物を東南アジアで売りさばいている。おそらく事実だろうと思うが、こういう悪質な手口で荒稼ぎした巨額な円やドルを、さらに自国の実際の為替相場でウォンに換金するとしよう。天文学的な数字の利益が、政府の懐に転がり込んでくるはずである。

 その金額は公表した国家予算を遥かに上回る。そうであればこそ、あれだけの数の兵士を食べさせ、武器を持たせ、ミサイルを作ることができるのだ。私はそう思う。

 その反面、こういう旨い汁にありつけない、一般の国民にとって、日本の親戚や知人から送られる円やドルがどれほど貴重か、容易に想像できる。まさに「旱天に慈雨」にちがいない。
 そして、もしこの送金システムを仕切っている人間がいるとするならば、その人間は送金の上前をはねて、巨万の隠し財産を作っていることだろう。

〇「貧困」という仕掛け
 以上から二つのことが推定できる。
 一つは、以上の手口で作った金は公表できない、秘密の裏金であり、そうである以上、この金の調達と配分の中枢を握る人間の間から、独裁者や特権階級が生れるのは避け難い。それをめぐって陰湿な権力闘争が始まり、数限りない不正と腐敗が進行してゆく。
 軍の上層部もその闘争に巻き込まれ、または自ら積極的に関与し、かくして軍は独裁者の私兵と化してしまう。

 もう一つは、この金によって、巧妙な恩恵政治が可能になったことである。基本的な生活資材にも事欠く、窮乏状態に国民を追い詰めておいて、ナントカ記念日には、普段手に入らない、ちょっとした贅沢品を支給し、派手なイヴェントを開催する。このように恩に着せながら、日常の煩いを忘れさせ、昂揚した感情に酔わせてやるのである。
 あるいは国家への奉仕と貢献を動機づけるため、「きめ細かい」報償システムを作って、思いがけないほど法外な褒美を与える。
 こうして国内には、将軍様への感謝の言葉が満ち溢れることになるわけである。

 日本のテレビ局はそういう光景を映し、私たちに〈わざとらしいヤラセ〉と印象づけようとしているようだが、私は必ずしもそうは思わない。あの陶酔的な感謝の言葉は、むしろ自発的に口を衝いて出たものと見るべきだろう。
 
〇教師の困惑
 考えてみれば、独裁者やその取巻き、政府機関の上層部にいる人間にとって、これほど旨みのある、オイシイ国家はまたとないだろう。
 こういうカラクリを教えたのは、北京政府やロシアだったかもしれず、もしそうだとすれば、北京政府が北朝鮮の頑なさに困惑しながら、しかし他方、国連の安保理では拒否権発動をちらつかせて、北朝鮮を庇わなければならなかった「苦渋」がよく分かる。独走し始めた教え子の手綱かけに失敗し、朝鮮の現体制を崩壊させてしまえば、明日は我が身、自分たちのオイシイ国家にも累が及んで来かねないからである。
 
 以上、『東亜日報』に触発された感想は、まだ書きたい点もあるが、だいぶ長くなったので、ここで一たん中断し、近日中に再開したい。(2006/7/18)
 

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マス・メディアの見え方(3)

三文シナリオと大根役者
〇倒錯した魂胆
 今日は午後から天気が崩れるらしい。午前中は庭に出ておこう。そのつもりで仕度をし、居間に行くと、みのもんたの「朝ズバッ!!」が北朝鮮ミサイル問題を取り上げている。日本のテレビ局は、よほどマゾイストが好きらしいな。

 アナウンサーによれば、「北京政府とロシアが、日米の制裁決議案の対案として、制裁条項抜きの非難決議を提案したところ、フランスとイギリスが賛意を表明し、アメリカも歩み寄りの姿勢を見せ始めた。気がついてみると、日本だけが孤立」。
 そう言えば、先日も別なテレビ局のコメンテーターが、「日本は蚊帳の外」みたいなことを言っていた。この人たちは、何かにつけて日本を「孤立」させ、「蚊帳の外」に置きたがる。不思議な習性だ。

 そこで、みのもんたが、あの形容不可能な顔をことさら歪めながら、国会議員らしい男のゲストに、〈北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射した場合、日本には有効に反撃できない様々な制約がある〉ことを確かめ、軍事攻撃に弱い日本の現状を大仰に強調する。
 次に、女のコメンテーターが、まるで示し合わせておいたように、「ですから、北朝鮮が暴発しないように、そこは何とか……ね」と、変にしなしなと相手を宥める手つきをしながら、話を締め括る。

 かくして、〈本題はこれにて一件落着ぅ~〉というわけだが、この番組に限らず、民放の司会やコメンテーターに聞いてみたい。「北朝鮮て、そんなに分からず屋の乱暴者なのか?」。
 何を考えているのか分からない。理屈が通らない。下手に刺激すると、暴発しかねない。だから、「障らぬ神に祟りなし」で行こう。なにしろ日本は国際的に「孤立」しているのだから、北朝鮮が暴れたらお手上げだ。
 彼らが好んで口にする、この種の「良識」は、じつは北朝鮮に対する傲慢な蔑視を隠し持っているのだが、私が不快なのはそれだけではない。北朝鮮のどぎつい軍事的示威行為を、理屈の通らない乱暴者の我儘に見立てる。要するにこれは、北朝鮮のやり方を容認するためのレトリックなのではないか。
 このレトリックで、相手とサド・マゾ関係をずるずると続けて行こうという、その倒錯した魂胆が、何ともおぞましい。

〇団地の新聞事情
 そんなこともあり、今日は新聞を読んでみようと、近くのコンビニで北海道新聞と毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞を買ってきた。
 読売新聞と産経新聞を買わないのは、別に意図があってのことではない。コンビニに置いていなかったのである。

 だいぶ前のことだが、つくづく朝日新聞が嫌になって、今度は読売新聞を読んでみようと思つた。朝日の前は、毎日新聞を取っていたのだが、セールスマンが不快だったので、止めてしまった。更にそれ以前は北海道新聞だったが、学芸部の不誠実に腹を立てて止めてしまった。
 そんな次第で、今度は読売を、と考えたのだが、団地の新聞配達を仕切っている取次店が読売を扱っていない。それじゃあ産経新聞を、と思つたのだが、産経も扱っていない。仕方なく日本経済新聞を取ったのだが、あまりつまらないので、数ヶ月で止め、〈もう新聞を取るのは止めよう〉ということになった。
 高校野球が始まると、春の選抜大会は毎日を、夏の選手権大会は朝日を買いに行く。

 駅のキオスクまで行けば、読売も置いているはずだが、まあ今日のところは先の4紙で間に合わせて置こう。

〇「脅威」をめぐって
 一通り読んでみて、特に教えられる点はなかったが、一つだけ、ああそうだったのかと、自分の迂闊さに気づいたことがある。
 それは北京政府とロシアが提出した「制裁抜き非難決議」案の意図に関することで、前回書いたように、私はその意図を、北朝鮮に恩を売っておくための提案と見ていた。だが、それだけでなく、北京政府とロシアが〈自分たちがやってきた/これからもやるだろう〉ことの免罪符を得ておく意図を含んでいたのである。

 これは「国際連合憲章」の第7章にかかわることなので、念のため毎日新聞の記事を借りて紹介するならば、その内容は次のようになっている。
《引用》
 
平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為の存在を決定し、国際の平和および安全を維持または回復するため、勧告をし、または第41条および第42条に従っていかなる措置を取るか決定する。
 

 この紹介だけでは、何だか抽象的で、一向に要領を得ないかもしれないが、「脅威」をキーワードとして、毎日新聞が整理した「日米案」を見てみよう。「
北朝鮮が核兵器保有を宣言していることを考慮すれば、今回も将来もミサイル発射は国際的な平和と安全への脅威だ」と、北朝鮮の行為を「脅威」として認識している。
 ところが「中露案」は、「
地域の平和と安定に否定的な影響を与えたこと、ミサイル再発射示唆に懸念表明」となっており、「脅威」とは認識していない。
 つまり日本とアメリカは、北朝鮮の行為を「国連憲章」第7章の適用範囲に入ると見ているのに対して、北京政府とロシアは第7章に該当しないと見たのである。

 では、この認識の違いに、どんな政治的な意図が含まれているのか。先に紹介した第7章の「第41条および第42条に従っていかなる措置を取るか決定する」という文言に出てくる、第41条は「経済関係の中断を含む非軍事的措置を加盟国に要請することができる」と規定し、第42条は、それでも不十分な場合は「軍事的行動を認めている」(毎日新聞)。
 もっと簡略に言えば
、「(第41条は)禁輸などの経済制裁、運輸・通信手段の断絶、外交関係の断絶などが可能と規定する。(第42条は)非軍事的措置だけでは十分に対応できない場合、軍事行動に移ることもできるとしている」のである(日本経済新聞)。

 引用が重なって、かえって分かりにくかったかもしれないが、私が重要視したいのは、「非軍事的措置を加盟国に要請することができる」という点である。
 今回の場合で言えば、日本とアメリカの「制裁決議」案が採択されるならば、北朝鮮に対する「
禁輸などの経済制裁、運輸・通信手段の断絶、外交関係の断絶などが可能」となる。それだけでなく、北京政府やロシアに対しても同じく「断絶」などの措置を取るよう「要請することができる」。
 いや、これもまわりくどい。再び端的に言えば、北京政府やロシアは常任理事国の一員である以上、いったん「制裁決議」案が採択されるならば、いわば他の国連加盟国に先立って、「
禁輸などの経済制裁、運輸・通信手段の断絶、外交関係の断絶」などの措置を、率先して実行せねばならないのである。

 北京政府とロシアが「脅威」認識を拒むのは、こういう事態に陥ることを何としてでも避けたいためであろう。
 
 再び毎日新聞の整理によるならば、「制裁の根拠になる国連憲章第7章」に関して、「日米案」は「
第7章に基づき、ミサイル発射を非難」を提案している。だが、「中露案」は「(第7章には)言及なし」。つまり北京政府とロシアは、第7章に拘束される羽目に陥りたくないのである。
  
 そんなわけで、「加盟国に求める行動」に関する「日米案」は、「
ミサイル、大量破壊兵器開発につながる技術・物資・資金などの移転禁止」であるが、それに対して「中露案」は、「ミサイル開発に役立つ物資、技術移転防止のために全加盟国に警戒を要請」となっている。要するに拘束力のない「要請」にとどめておきたいわけだが、ついでに「日米案」にあった「大量破壊兵器」と「資金」の文言も抜け目なく削っている。
 そこが何ともいじましい。

〇ロシアの三百代言
 このような対立点を、朝日新聞は次のように整理している。
《引用》
 
大島賢三国連大使は安保理の協議で、北朝鮮の核兵器開発にふれながら、日本などの近隣地域だけでなく、国際社会全体の脅威という認識を共有するよう呼びかけた。英仏両国も「大量破壊兵器の拡散防止のために不可欠」(ドラサブリエール仏国連大使)と譲
れない一線と認めており、足並みをそろえている。

 
これに対して中国の王光亜国連大使は「地域の平和と安定に否定的な影響」という文言なら受け入れるとし、ロシアのチュルキン国連大使も「ミサイル発射は国際法違反ではない」と反論する。

 ロシアの言い方だと、まるで北朝鮮は自国内でミサイル発射実験をやったように聞える。しかし北朝鮮は、ロシアの領海のすぐ近くの公海に、そこを通る船舶には予告なしに、7発もミサイルを落としたのである。
 すると、あれかな、ロシアの理屈では、隣の住人が我が家の庭に危険物を放り込んだら、これに対しては非難し、抗議してもいい。だが、我が家のすぐ近くの道路に危険物を放り出しても、これは法律違反でない。だから、せいぜい「こんなことを続けると、お互いの関係に否定的な影響が生じますよ」と、懸念の意を表するにとどめるべきだ。そういうことになりそうだな。

 もしあの時、一発でもロシアの船舶に当り、人命の被害を出していたら、それでもロシアはこんな脳天気を言っていられるだろうか。そう考えてみれば分かるように、ロシアは北朝鮮がやったこと自体から目を逸らそうとし、また、国際社会の目を逸らさせようとしている。幸い被害を出さなかった偶然を一般化して、屁理屈を捏ね上げているにすぎないのである。

〇どこが「非難決議」なのか
 同じく朝日新聞の社説「安保理決議 一本化をめざす時だ」によれば、
《引用》
  
いま国際社会がなすべきは、違いを強調することではないはずだ。
  中ロ両国は歴史的に北朝鮮と親密な関係をもつ。とくに中国はいまも石油や食料などを支援している。その友好国を名指しする非難決議を自らつくったことの意味は大きい。それだけ今回のミサイル発射を深刻に受け止めていることの表れだろう。
  この認識こそが、安保理メンバー国を結束させる土台である。北朝鮮にミサイルを二度と発射させず、6者協議への即時復帰を求める。この点でも二つの決議案に大きな開きはない。日本をはじめ関係国は両決議案を一本化する努力を強めるべきだ。

 しかし、いま引用していて、ふと気がついたのだが、「中ロ案」は果して北朝鮮を非難しているだろうか。マス・メディアがこぞって「非難決議」「非難決議」と言っているため、つい私もそういう言い方をしてきたのだが、新聞に紹介されたかぎりで言えば、「懸念表明決議」と呼しかないような、骨抜き案に過ぎない。
 また、新聞を見るかぎりでいえば、北京政府は、朝日が言う「
とくに中国はいまも石油や食料などを支援している」という関係を止めるとは言っていない。「その友好国を名指しする非難決議を自らつくったことの意味は大きい」などと、朝日の社説は安っぽい浪花節を語っているが、あの「懸念表明決議」案はむしろこの関係を持続させるために作ったものと見るべきだろう。

〇落しどころ
 さて、最後に、はああと思い当たったことを一つ挙げておきたい。毎日新聞の社説「中露決議 実効ある行動が問われる」にこんな一節があった。
《引用》
 
北朝鮮のミサイル発射で最も脅威を受けるのは日本である。加えて、国連の甘い対応が北朝鮮を増長させてきたという指摘も過去の経緯を見れば否定できない。当たり障りのない表現で北朝鮮に誤ったメッセージを送ってはいけないという主張は当然だ。
  だが、安保理議長国のフランスが中露案を評価しているのに加え、米国の国連大使も「重要な一歩だ」としている。安保理内では日米などの案と中露案の妥協点を探る修正論議が活発化する見通しだという。そんな中で日中の対立だけがクローズアップされると、「日本は制裁を自己目的化しているのでは」などと受け取られる。日本にとって得策ではない。

なるほどみのもんたの今朝の番組は、この線に沿ってシナリオが出来ていたわけだ。
なんか一種のヤラセっぽさが感じられたのも、このせいだったのだな。しょうがない大根役者たちだ。

 私自身も、リアリズムで考えれば、実際の交渉はこの社説が素描した方向で進み、「脅威」認識をめぐるせめぎあいになるだろう。妥協点は多分、日本とアメリカは第7章への言及を譲歩して、「脅威」の文言を決議に盛り込ませる形となる。
 ただ、もしこれが芝居ならば、日本の代表が次のような見栄を切る場面があっても悪くあるまい。〈子供の使いじゃあるまいし、北朝鮮から「6カ国協議への即時復帰」や「核ミサイル発射凍結の再確認」の確約も取れずに、のこのこ帰ってきて、代案の提出とはおこがましい。順序が逆かしまだョ。顔を洗って出直してお出で〉。
 

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マス・メディアの見え方(2)

国連というピッチ
〇北京政府の手詰まり
 相変わらず私は、北朝鮮のミサイル発射問題については、新聞が何を言っているか、知りたい気にもなれないのだが、一昨日(7月11日)、健康診断のため、近所の病院へ行ったところ、待合室にスポーツ紙が一紙置いてあった。しかし、サッカーW杯の決勝戦におけるジダンの頭突き問題が紙面の大半を占め、国際問題の記事はほとんどなかった。案外これが、日本の人の正直な関心なのかもしれない。

 私の関心もそれと大差ないわけだが、今日(13日)の午後7時までの時点で言えば、中華人民共和国の北京政府は手詰まりになっているらしい。
 日本とアメリカが国連の安保理に制裁決議を提案し、10日(NY時間)に採決されるはずだった。が、拒否権を持つ北京政府とロシアが難色を示し、北京政府が説得を名目に武大偉外務次官を北朝鮮に派遣したため、安保理は採決を延期した。
 しかし、それから3日経った今日になっても、武大偉の説得が功を奏した気配は全くない。北京に入っていたアメリカのヒル国務次官補がインターヴュに答えたところによれば、「北朝鮮が6カ国協議に復帰する兆しはない」。
つまり国際社会が誇大に評価し、北京政府もそう見せかけていた、北京政府の北朝鮮に対する「影響力」は、その実態を疑われても仕方がない結果になってしまったのである。

 多分その非力さを取り繕うため、北京政府はロシアと共同して、制裁条項を含まない決議案を提案することにした。北京政府は以前から、〈厳しい姿勢で臨んでも、北朝鮮の態度を硬化させるだけだ〉と制裁決議に難色を示し、「議長声明」案を提唱していた。今回も同じ理由で「制裁なし決議」案を持ち出して、日本やアメリカの提唱する「制裁決議」を骨抜きにしようとしたのだろう。が、実はこういう形で北朝鮮に恩を売らねばならないほど、北朝鮮に追いつめられているのである。

 議長を務めるフランスの国連大使は「議長声明」案に色気を見せ、〈まず「議長声明」を。それで効果がなければ、「制裁決議」を〉という二段階方式を案出していたらしい。
しかし、誰がどういう根拠に基づいて「効果なし」と判断するか。その条件が盛り込まれないならば、事態は有耶無耶のうちに先送りされる結果に終わりかねない。フランスの狙いがそこにあったとすれば、北京政府の「制裁なし決議」案は、フランスにとっては渡りに船だろう。
 何だか三流高校の職員会議みたいになってきたな。
 フランスがせせり出てくると、大抵がそうなってしまう。
 
〇北京政府の失うもの。
 サッカーのW杯で、日本は1敗1分、さあ残るブラジル戦を、どう戦うか。それがホットな話題となった時、テレビのニュース・キャスターやコメンテーターも、日本の選手も口を揃えて、「もうここまで来れば、失うものはなにもない。思い切ってぶつかるだけだ」。
 〈当って砕けろ!! 負けてもともとだ〉と言いたいところを、こんなふうに取り繕ったのだろうが、「それじゃあ、初戦のオーストラリア戦はまだ何か〈失うもの〉を持っていたワケ?」。そういう皮肉が、思わず出そうになった。
 自分たちを代表する選手に、こんな空元気な戦いをしてもらいたくなかったからである。

 だが、それはそれとして、北朝鮮との関係で言えば、仮に北朝鮮が態度を硬化させたとしても、日本が失うものはほとんどない。アメリカも同様だと思う。逆に北京政府の失うものは、極めて大きいだろう。
 既に北京政府の「影響力」は〈どうやら虚像らしい〉弱みを曝露してしまったが、北京政府は北朝鮮に多くの権利、権益を持っている。それをちらつかせて強圧をかけようとすれば、北朝鮮はロシアとの同盟関係を選択しかねない。
 ロシアはウラジボストクの近海にミサイルを落とされ、一応ムッとして見せたが、北京政府の「制裁=態度硬化」論に同調してきた。北朝鮮に対する影響力を、北京政府に独占させるわけにはゆかないからである。
 そういうせめぎ合いの下、北京政府は北朝鮮に恩を売って、自分の優位性を確保したいのだろう。
 
 それだけでなく、万が一北朝鮮の共産党独裁政権が崩壊することになれば、北京政府は受けるダメージは計り知れないほど大きい。自分の「影響」下にあった(はずの)北朝鮮の共産党独裁政権を失う。これは、北京政府という共産党独裁政権が、東アジアで孤立してしまうことを意味する。
  もしそうなれば、中華人民共和国のなかに封じ込めていた「辺境」少数民族に対する支配力や、カンシー・チワン(広西壮)族自治区や、チベット(西蔵)自治区、シンチャン・ウィグル(新疆維吾爾)自治区、ニンシア・ホイ(寧夏回)族自治区、内モンゴル(内蒙古)自治区などの「自治区」に対する影響力の低下を惹き起こしかねない。
東ドイツの崩壊に連動してソ連邦の崩壊が起った。それと同じ事態が起らないとも限らないのである。

〇国連というピッチ
 中華人民共和国が崩壊して、幾つかの独立国に別れたとしよう。もしそうなれば、たとえ北京を中心に共産党独裁政権の国が存在したとしても、その国が国連で常任理事国であり得る正統性が揺らいでしまう。
 アメリカが言う「太平洋戦争」において連合国を構成していた中華民国は、現在も台湾を拠点に存続している。国連において中華民国が持っていた位置が、ある時点で中華人民共和国に移ったわけだが、この間の政治的駆け引きは、ここでは省略する。ただ一つ言えることは、もし先のような事態が中国大陸で起ったならば、国連の常任理事国という地位の根拠が問われることになるだろう、ということである。それと共に、中国大陸および台湾における20世紀の歴史の全面的な書き換えが始まるだろう。
 それは、現在の中華民国共和国政府が「反日」を口にする根拠も問い直されることにほかならない。
その意味で中華人民共和国の北京政府は現在、外交上の正念場に立たされている。

  これからまだ暫く、日本と北京政府は、国連というピッチに立つことになるわけだが、それは「失うものはない」日本と、「失うわけにはいかない」北京政府との角逐となるはずである。

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マス・メディアの見え方

マス・メディアの見え方

間抜けな代弁者たち
 私は現在このブログに「「美術」の見え方」を書いている。更に3、4回は続けるつもりなのだが、その間、北朝鮮のミサイル発射騒ぎがあり、気になる点があるので、書いておきたい。

〇迎撃態勢の不備は致命的か
 昨日(7月8日)の夜、フランスで制作されたドキュメント映画「皇帝ペンギン」(2005年)を観た。「映像は綺麗だった。メスから卵を託されたオスが、密集隊形で猛吹雪に耐えている姿は、胸打たれるものがあったけれど、必要以上にホームドラマ化しているネ」。そんな感想を言いながら、チャンネルを変えたところ、福留功男が司会するTBSの「ブロードキャスター」が、北朝鮮のミサイル発射問題を取り上げていた。
 
 「もし北朝鮮が日本に向けてミサイルを射ったとしても、日本はそれを迎撃して撃ち落す、防衛システムを持っていない」。額賀防衛庁長官がある番組で、こんな意味の発言をしたらしい。それを紹介して、福留もコメンテーターも、日本が「丸腰」であることに大袈裟に驚き、慨嘆し、不安がってみせる。その上で、「日本に可能な方策は、外交努力による解決しかない」みたいな結論に、議論を持っていった。
 
 何だか理屈の立て方がおかしい。仮に日本が完ぺきな迎撃システムを備えていたとしても、外交努力によって事態の打開を図るのは当然のことではないか。
 
 要するに、迎撃システムの有無は、打開策を考える絶対的な拘束条件ではない。そう私は感じたわけだが、同じことは全く逆な面からも言える。
たとえ迎撃システムを備えたとしても、現段階では、もし北朝鮮が予告なしにミサイを発射したとすれば、それに100%対応することは技術的に難しいだろう。だが、第二波、第三波の攻撃には十分に対応できる。普通に頭の働く政治家や軍事専門家ならば、当然そういう「見切り」をもって迎撃態勢を整えるはずだ。
 それと同時に、普通に頭の働く政治家や軍事専門家ならば、相手に10倍するミサイルを発射できる「防衛体制」を整えておく。監視装置が相手のミサイル発射を察知し、コンピューターが(初速や角度から判断して)日本を標的にしていることを読みとるまで、たぶん2、3分を要すると思うが、読み取ったら直ちにミサイル発射のスタンバイを出す。そして、相手のミサイルが1発でも日本の領土・領海内に落ちたら、即座に10倍以上のミサイルを発射する。
 
 福留やTBSのコメンテーターたちは、せめてその程度のリアリズムを持った上で、現実的な議論をやってもらいたい。

〇対話と圧力は二律背反か
 もう一つ気になったのは、この番組の後半、議論が、〈感情には「もっと北朝鮮に圧力をかけろ」という気持ちも分かりますが、ここは冷静に対応し、話し合いで解決する道を探るべきでしょうね〉みたいな方向に進んでいったことである。

 いかにも良識に適った意見のようだが、こういう意見が成り立つ前提には、対話=冷静、圧力論=感情的という図式がなければならない。福留やコメンテーターたちは暗黙のうちにその図式を前提とし、しかも「対話と圧力」を「対話か圧力か」の問題にすり替えていた。

 小泉純一郎は終始一貫「対話と圧力」と言って、「外交」とは言っていない。言うまでもなく日本と北朝鮮とは国交の条約を結んでいないからだが、もちろん国交さえ結んでいれば、圧力なしの対話が可能だなんて、そんな甘い話はあり得ない。だが、視点を変えて言えば、国交のない国との交渉の場合、国力の違いを背景にした対話となりがちなことは、これは避け難いところだろう。
 対話と圧力は、二者択一の選択肢ではなく、むしろ表裏一体なのである。

 北朝鮮が軍事力を誇示するならば、日本は圧倒的に優勢な経済力を背景に対抗処置を取り、6カ国協議という「対話」の場に出るよう圧力をかける。それは対話の否定ではなく、対話の一つの方法と言うべきだが、小泉は「対話と圧力」を掲げながら、圧力をかけることに優柔不断で、ただの空念仏にしてしまった。結局それは、彼が対話に消極的だった証拠にほかならない。そう評されても仕方がないところだろう

〇北朝鮮の自発的代弁者
 7月5日、私は朝、北朝鮮がミサイルを発射し、その一発はテポドンらしい、というニュースを知った。だが、それ以上詳しく知る間もなく、6時40分に家を出て、小樽に向った。
いつもより1時間ほど早く家を出たわけだが、それは、小樽の市民と室蘭の「港の文学館」を訪問し、文学スポットを見学する予定があったからで、私たちは9時15分に出発して、11時45分ころ「港の文学館」に着いた。
 まず昼食を取り、それから文学館を見学し、八木義徳の文学碑などを廻って、3時ころ室蘭を発ち、5時半に小樽の文学館にもどった。私は行きも帰りも、バスのなかで、1時間ずつ、今日の見学に関連する、文学的なことを話した。
 小樽の文学館で一息つき、6時半ころの電車に乗って、8時過ぎに帰宅した。
妻が、北朝鮮は計7発のミサイルを発射したと教えてくれた。しかし私はテレビを見る気も起らないほど、疲れていた。

 翌日(6日)は、身体の節々が痛かった。なるほど「骨身にこたえる」とはこういうことだったのか。私は大学を卒業して以来、69歳の現在まで、一度も病院のベッドに寝たことがない。成人病の薬も飲んでいない。自分の健康には安心していたのだが、やはり年齢には勝てない。こんなに疲れるとは思わなかった。
 朝食後、身体を休めるため布団に入って本を読み始めたが、たちまち眠ってしまった。昼食を取り、また同じように眠ってしまった。夜はある程度、読書が捗った。

 更にその翌日(7日)も、まだ身体が重い。こういう話題性の大きい事件が起きた時は、近くのコンビニまで新聞を買いに出るのだが、それも億劫なほど疲れが残っている。午後はソファに横になって本を読みながら、うたた寝をし、妻に注意されて布団に入った。
そして水曜日の昨日(8日)は、いつものように小樽へ出、帰りは札幌で妻と娘と落ち合って、ハーブの苗を買い、沖縄料理を食べて、8時ころ帰宅した。

 そんなわけで、今回の北朝鮮のミサイル騒ぎに関しては新聞を読まず、テレビも断片的にしか見ていない。その意味では、たぶん最も情報の乏しい立場にいるわけだが、かえってそのためだろう、テレビがこの問題を取り上げるパターンが見えてきた。
 ここに登場するキャスターやコメンテーターは、まず北朝鮮の非常識や無法な行為を大袈裟に憤慨してみせながら、北朝鮮の意図について甲論乙駁し、次には、日本政府の対応に対する論評に移って、防衛体制の遅れをあげつらい、日本の軍事的なひ弱さを強調して、不安感を掻き立てる。そして最後、次のような結論に持ってゆく。「北朝鮮は何を考えているか分からない、常識の通じない国だ。ところが日本は、ミサイル攻撃に対しては裸も同然。日米安保条約はあるけれど、アメリカが身体を張って日本を守ってくれる保障はない。こんなに危ない状態なのだから、北朝鮮がもっと強硬な態度に出ることがないよう、経済制裁などの刺激的な処置はなるべく先送りにしましょう」。
 こういう結論を日本人自身に、自発的に引き出させること。ひょっとしたらそれが北朝鮮の狙いなのかもしれない。もしそうならば、彼らは北朝鮮の思う壺にはまった、間抜けな代弁者を演じていることになる。
 この点では、渡辺宜嗣が司会する、テレビ朝日の「スーパーモーニング」も変りはない。

 今朝(9日)は、関口宏の「サンデーモーニング」を見た。いつもは大沢親分と張本さんが登場する時間を見計らって、この番組を見ることにしているのだが、今日は念のため番組の初めから見た。だが、関口宏とコメンテーターも同じことだった。

(以上は7月9日に書いたのだが、中田が引退を表明して以来、ブログの書き込みが殺到しているらしく、なかなか自分の「記事作成」まで辿り着けない。掲載は10日以後になるだろう)

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唄は世につれ

○ざれ唄を一つ

〈東京青ヶ島の飯島夕雁(ゆかり)女史が、北海道で立候補したと聞いて詠める〉

夕雁さん、雁(かり)か、雁(がん)かと訊いたらば

わたしゃ本当は雁もどき

○脳みその具合

 私はあと半年ほどで69歳になる。これだけ生きていれば、自分がどういう人間か、あらかた承知しているつもりなのだが、脳みその働き具合だけは、我ながらよく分からない。

 「総選挙の見え方」や「選挙結果の見え方」で書いたように、小泉執行部のやり方に私は腹を立てていた。今も立てている。危機感も抱いている。頭に血が上るような思いだったのだが、にもかかわらず、上のようなざれ唄が、ふと浮かんでしまったのである。

 すると、それならば唄の連作をやってみようか、という気になって、

〈北海道では鴎をゴメともウミネコとも言う〉

沖のかもめに潮どき問えば

わたしゃウミネコ、ゴメんなさいナ

夕雁さん、雁かゴメかと訊いたらば

わたしゃウミネコ、猫だまし

         

この「猫だまし」のところは、「猫じゃらし」や「猫いらず」や「猫やなぎ」や「招き猫」や、「んにゃ、と鳴く」など、いろいろ浮かんでくるのだが、一人合点で言えば、「猫だまし」が一番穿っていて、語呂も悪くない。そんな気がする。

○「見立て」と「こじつけ」

 一人合点と言えば、ある人が、先日の選挙結果ついて、婦人参政権運動の流れでとらえることもできるのではないか、と書いてきた。なるほどそういう見方もあるのか、と感心しつつ、でも、何だか「雀、海に落ちて蛤となる」みたいな話ですね、と返事をした。どうも言葉足らずの一人合点だったな、と反省している。

 昔、東京中央図書館の特別研究室で、江戸時代の黄表紙を出して貰って読んでいたところ、瀧沢馬琴の「カチカチ山後日譚」(正確な題名は失念)という作品があった。その冒頭に、「雀、海に落ちて蛤となり、山の芋、変じてうなぎとなる」という格言めかした、面白い対句があり、すっかり気に入って覚えていたのである。

 要するに「根も葉もないこじつけだけれど、しかしそう言われてみると、形と言い、美味なところと言い、まんざら似ていなくもないナ」と、つい納得してしまう。そういう面白さがある。江戸時代の人は、こういう「こじつけ」のレトリックを、言語文化として尊重し、楽しんでいたらしい。

 例えば江戸時代の物語作者・都賀庭鐘は、『古今奇談 英(はなぶさ)草紙』(寛延2年)という読本のなかで、南北朝時代の新田義貞は、じつは源平時代の源義経の生まれ変わりだ、という「見立て」をやっていた。もう少し詳しく言えば、「源義経は平氏を討ち、帝の心を安んじた功績によって、新田義貞に生まれ変わり、足利尊氏と共に鎌倉の北条氏を亡ぼして、天下を二分するほどの勢力を得た。だが、終りをまっとうすることができなかった。というのは、義経には不義の行跡があり、陰徳を損じていたからだ」というわけである。

 他方、源範頼は上将として、平家追討に功績があり、楠正成に生まれ変わって、一時は新田・足利と三鼎(さんてい)の勢いをなした。だが、結局は自分の作戦が用いられず、みずから選んで戦死を遂げた。これは前世に弟の義経をねたみ、義経の軍略を妨げる行為があったためである。

 では、天下を掌中に収めることができた足利尊氏は、いったい誰の生まれ変わりであったのか……

 都賀庭鐘はこんなふうに、『平家物語』の人物群と、『太平記』の人物群とをうまく重ね合わせて、一種の歴史的評価を行ったわけだが、このような知的な「見立て」を、もう少し俗に砕いた形で、冗談に変えれば「こじつけ」となる。

 一見おふざけのようだが、現在流行の「歴史認識」だってこれ以上に上等なことをやっているわけではない。むしろ江戸時代の人のほうが、歴史認識とは本来的に「見立て」や「こじつけ」にほかならないことを十分に承知していた。その意味では精神的な余裕があり、ずっと奥が深かったと言えるだろう。

○カチカチ山後日譚

 閑話休題。いや、この文章は閑話以外の何ものでもないのだが、さて、馬琴の「カチカチ山後日譚」にもどるならば、カチカチ山の兎の奴、さんざんに悪知恵を働かせ、卑怯なやり方で、狸をだまし討ち。それにもかかわらず、恩人の仇を討った善人づら。世間の拍手喝采を利用して、うまく大名に取り入り、武士に取り立ててもらった。

 さあ、腹の虫が収まらないのは、狸の息子。何とか父親の恨みを晴らそうと、臥薪嘗胆、ついに苦労の甲斐あって、憎い兎と仇討ちの勝負ができることになった。公明正大、晴れの場で、「エイッ!」と胴を真っ二つ。すると、兎の上半身は黒い鳥に、下半身は白い鳥に化して、いずこともなく飛び去った。それ以来、黒い鳥を「う」と呼び、白い鳥を「さぎ」と呼ぶようになったトサ。

 

 あははは、私は思わず吹き出した。ホームページの「もののけ・ことば」でも披露したように、私はこういうあっけらかんとした与太話が嫌いじゃない。いい人だったんだなあ、馬琴って……。

カチカチ山のうさぎさん

狸に切られて「鵜」と「鷺」に

鵞鳥、駝鳥に化けそこね

毟(と)られた羽根は、「蛾」と「蝶」に

○カルト・チルドレン

 小泉首相もそうだが、今度の「刺客」作戦で当選した代議士たちも、総じて兎っぽい。この人たちは最近小泉チルドレンと呼ばれ、また自ら喜んでそう自称している人もいるらしいのだが、顔かたちは変っても、不思議に目つきがみんな似ている。何かに憑かれているみたいで、「これ、小泉カルト集団じゃない?」と、わが家では気味悪がっている。

 グレムリンみたいだ、という説もある。

小泉さん小池さん小沢さん小林さん

小杉さん小松さん松本さん焼香さん(一部変換ミス?)

小泉さん小池さん小沢さん小林さん

小松さん小杉さん杉村さん、はしゃぎ杉(同前)

コイズミさん子狐さん、タケベさん狸さん

丹波さん篠山さん額賀さん、お猿さん(同前)

ある昼下がり、アヒルが三羽

サンバ・マンボで踊ってる

昨日見かけた、着たきり雀

涼み浴衣で盆踊り

小泉さんちのチルドレン

踊れん、歌えん、でろれん祭文(さいもん)

小泉さんちのチルドレン

チルドで送ったが、痛んでた

かもめのジョナサン、カゴメの夕雁さん

後ろの正面、杉村さん

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ハリケーン災害の見え方

○質の悪いアメリカ・テレビ

 先日、大麻駅から電車に乗った二人づれの男性が、私が掛けている席の脇に立って、「今時住民票の制度がないなんて、考えられないな」などと話を始めた。

 どうやら超大型ハリケーンの被災者のことらしい。

 私たち家族も他人事でなく、被災者の身の上を案じながらテレビを見ていた。町中が二階まで潮水に浸されているにもかかわらず、避難をしようとしない人たちが沢山いる。「なかには、せっかく手に入れた自分の家から離れられない人もいるだろうけど、ビザのない人も多いだろうし、ひょっとしたらパスポートさえ持っていない人も交じっているだろうね」。そんなふうに、私たちは見ていた。「うっかり避難所なんかに行ったら、そのまま逮捕、強制送還なんて羽目になりかねない。今回に限りその点は不問に附す。仮にマイクでそう呼びかけたとしても、自分の立場に不安を抱えて生きてきた人間は、疑い深くなっているから、耳を貸さないだろう」。

 同じころ、NHKがアメリカのテレビ・ニュースを放映していたが、ニュース・キャスターが、現地の災害対策責任者に向って、「しかし、自動車も買えない貧しい人が10万人近くもいたことは、前から分かっていたことでしょう?!」などと、底意地の悪い目つきで問い詰めている。

「ヤナ奴だな……アメリカのテレビって、つくづく質が悪いネ。こんな厭味を言うために、忙しい責任者を、わざわざカメラの前に引っ張り出したりして……」。

このニュース・キャスター、ニューオーリンズの「貧しい人」が避難できなかったのは、単なる金の問題だけじゃないことくらい、十分に承知しているはずだ。だが、全くそんな問題はなかった顔をして、被災者を、当局の不手際が招いた災害の被害者に仕立ててみせる。連中がよく使う手口で、いまさら批判にも値しない。そうも言えるが、要するに被災者の側に立つ振りをしているだけ。当面なにが必要なのか、親身に訊いてやる気持なんて、まるっきり持ち合わせていない。

○ソーシャル・セキュリティについて

 私はアメリカ合衆国のソーシャル・セキュリティ・ナンバー(SSナンバー)を持っている。1995年、コーネル大学の客員教授になり、J-Ⅰビザでアメリカへ渡ったからである。

もちろんこれは市民権とは異なる。だが、このナンバーを持たないと、アパートを借りたり、電話番号を貰ったり、銀行の口座を開いたり、自動車をレンタルしたりできない。全くできないわけではないらしいが、いろいろ難しい条件がつき、契約に時間がかかる。その意味でこのナンバーは、普通に市民生活を送る上で不可欠な身分証明書の番号みたいなもので、江戸時代の人別帳に近い。

江戸時代における公民としての「人」とは、この人別帳に名前が記載されている人間を指す。もし何かの事情で、人別帳から名前を削られてしまえば、つまり「帳(面)外し」にされてしまえば、家土地を手に入れたり、宿屋に泊まったり、そういう当り前の権利を一切奪われてしまうのである。

 私は日本の運転免許証を持たなかったが、ニューヨーク州の講習を受け、コーチに就いて、ドライバー・ライセンスを取ることができた。SSナンバーを書いた、身分保証書のカードを持っていたおかげである。

 

 もしビザもなく、SSカードも持たずに、アメリカで生きようとしたら、どんなに難しいことが待っているか。私たちはビザなし渡航で90日間、アメリカで過ごすことができるが、その期限が切れれば不法滞在者となる。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで働いたりすれば、不法就労となってしまう。

ところがアメリカには、そういう立場の人が沢山いる。ばかりでなく、パスポートなしに渡って来た密入国者も多い。

ブッシュ政権が発足したばかりのころ、女性の高官が辞職した。たしかその理由は、不法就労者をメイドに雇っていることが発覚したためだった。政府の高官がそういう不用意な「過ち」にはまってしまうほど、その数は多いのである。

○闇売買されるソーシャル・セキュリティ

SSカードは郵送されてきた。顔写真もついていない。スーパー・マーケットが発行するポイント・カードよりもお手軽な感じの「身分保証書」であるが、知人から、「くれぐれも他人の手に渡らないようにきちんと管理して下さい」と注意された。「不用意にナンバーを他人に教えたりしない」。その点も注意された。「いつ、どこで悪用されるかも知れないからだ」という。

 一見お粗末な、このカードが、しかし悪質な連中の暗躍によって、意外に高額な値段で闇取引されている。そういう噂も耳にした。

もちろん需用が大きいからで、シアトルのワシントン州立大学で聞いた話によれば、シアトルや周辺の市民が、北京政府の中国から、学生のホームステイを引き受けることにした。大学の斡旋により、50名を超える北京中国の学生が、それぞれホームステイの家庭に別れ、数ヶ月の後、指定された場所と時間に集合することになっていたが、当日その場所には一人も現われなかった。アメリカ大陸に散らばり、姿を晦ませてしまったのである。

 これに類する話は、後にロサンゼルスのUCLAで客員教授となった時にも耳にした。

 要するにこの人たちにとって、北京中国は、国籍を棄て、名前を棄て、過去を偽っても二度と帰りたくない国だったわけだが、では、どうやって生きてゆくか。

 他人になりすまして生きるしかなく、出来ればきちんとした経歴の人間のSSカードを手に入れて、その人間になりすませたい。その支払いのために、下積みの労働を2年、3年と続けることになるとしても、咽喉から手が出るほど欲しいカードだろう。

そこに中国マフィアがつけこむ。「自分の国へ帰れば、もうこんなカードは要らないな」。そう考えている人間から、甘言をもって安く買取り、それを、不法滞在や、密入国の弱みを抱えた人間に、法外な金額で売りつける。

 

その時、買い取る相手としては、日本人が目をつけられやすい。アメリカでは、日本国籍を持つ人間の信用度が高い。しかもアメリカの大半の市民にとって、日本人と中国人との区別などつくはずがないからである。

そんなわけで、ついうっかり甘言に乗ってSSカードを手放したりすると、後でとんでもないトラブルに巻き込まれかねない。SSカードを買わねばならない人間は、好むと好まざるとにかかわらず、不法な行為にかかわり、犯罪に巻き込まれやすい。このため、SSカードを手放した人間は、アメリカで自分になりすました、別な人間の犯罪の責任を背負い込む羽目に落ちてしまうのである。

○戸籍と「魂」の預かり所

 さて、ここで住民票の問題にもどるならば、アメリカでは、日本の戸籍に相当する制度がない。

 シェークスピアや、その時代の文学者に関する研究を読んでいると、時々、「彼が生れた土地の教会の記録を調べたところ……」というような記述に出会う。つまり、かつて西欧のキリスト教社会では、教会が出生の記録を司っていた。その教会の教区の人間は、子供が生れたら洗礼を受けに連れてゆく。そこでクリスチャン・ネームが与えられ、それと共に出生が記録されたらしい。クリスチャン・ネームを持たないと、死後、魂が救われない。そういう信仰があったから、両親は必ず子供を洗礼に連れてゆく。いわばクリスチャン・ネームを貰ってはじめて「人間」として認知、登録され、死後の魂の面倒も見てもらうことができるのである。

 これは日本の江戸時代における「人別帳」の制度とよく似ているが、日本の政府は明治5年、人別帳を廃して、戸籍を作ることにした。つまり国家が国民の「出生と死亡」の公的な記録を作り、管理することにしたわけで、この年が壬申(みずのえさる)に当ることから、歴史家は壬申(じんしん)戸籍と呼んでいる。

 ただ、所属する人間の出生を認知し、死後の魂の安息を保障してやることは、キリスト教社会や日本だけでなく、どんな共同体にも必要不可欠なことだった。それを果たさなければ共同体が崩壊してしまう。それほど重要な役割だった。

日本は江戸時代を通じてお寺に任せてきたわけだが、明治に入ってそれを廃して、昔からの氏神/氏子の制度を復活し、強化させた。出生と死亡の記録は政府の責任とし、魂の救済は神さまにお願いすることにしたわけである。

ただし、氏神祭を盛んにすることは、ある程度成功したが、宗教と信仰を一元化する政策はさほど成功せず、敗戦によって崩壊してしまった。その結果、死後の魂の問題は、神道であれ、仏教であれ、それ以外の宗教であれ、皆さん各自ご勝手にと、かなり投げやりな状態に放置し、ただ戦争で亡くなった兵士と軍人の魂は、靖国神社に祀ることにした。

○戸籍法なき国の問題

 ところが、かつてのキリスト教国家は、そしてアメリカ合衆国も、「出生と死亡」の記録は国家が管理することにしたが、日本のような戸籍制度は採らなかった。もちろん住民標もなく、だから住民票に相当する英語もない。

アメリカ合衆国は、アメリカの市民権を持つ両親の間に生れた子供に市民権を与える。両親がアメリカ市民でなくても、アメリカ国内で生れた子供には、将来もし望むならばアメリカ国民となり得る権利を与える。そういうやり方でやってきた。

 従来、日本の知識人は、このやり方を、より成熟した市民社会の原理に基づく、より開かれた国家のあり方として評価してきたが、現在は、かえってそのやり方が裏目に出ているのではないか。

 

外国人に発行したSSカードが、密かに売買され、それを目当てに不法滞在者や不法就労者、あるいは密入国者が入り込んでくる。アメリカ西海岸の場合、そういう人間の多くはアジア系、メキシコ系のようだが、ルイジアナ州やミシシッピー州はもっと多様な民族を含んでいるだろう。

 災害に乗じて、略奪を働く。そういう人間の映像も繰り返し放映された。アメリカにおける人心の荒廃を剥き出しに見せつけられた感じで、同情も何もいっぺんに吹っ飛んでしまう。そこまで彼らを追い詰めたものは何か。そんなお悧巧を言う気にもならない。

その全てが以上のような人たちの仕業だとは言えないが、深いかかわりがあると見てさしつかえないだろう。SSカードを持たずに避難所へ赴き、怯えて暮らすよりは、イチかバチか金目のものを奪って逃げ出そう。おそらくそう考える人間が出てもおかしくない状況になっていたのである。

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選挙結果の見え方

○北海道10区の結果

昨日(11日)の衆議院選挙で、私の住む北海道10区は、次のような結果となった。(『北海道新聞』912日、朝刊)

当選 小平忠正(民主) 109,422

     山下貴史(無所属) 78,604

比例 飯島夕雁(自民)  62,100

     谷 建夫(共産)  17,617

 山下貴史はつい先日まで自民党の議員だったが、郵政民営化法案に反対したため、公認を得られなかった。

飯島夕雁の「夕雁」は「ゆかり」と読む。彼女は2週間ほど前まで、東京都の青ヶ島という、人口200名の小さな離島の教育長だったが、小泉自民党執行部の「刺客」公募に応じて、恐らくこれまで縁も夕雁、いや失礼、ゆかりもなかった北海道10で立候補した。得票は山下より1万五千票ほど少ない、第3位だったが、比例代表の1位にランクされていたおかげで、当選したわけである。

○北海道10区と青ヶ島

北海道10区は、空知地方から留萌地方に及んで、40近い市町村を含み、その広さは本州の1県に匹敵する。おそらく日本で最も広い小選挙区であり、札幌のベットタウン化した地区と農業地帯、さらに漁業地域、旧炭坑の過疎地帯と、利害が複雑に錯綜する地域事情を抱えている。飯島夕雁は人口200の青ヶ島から来て、その広さと複雑さに驚いただろうが、しかし案外、「青ヶ島に較べたらずっと便利じゃありませんか」と、比例代表1位のランクに安心して、郵政民営化を説いてまわったのかもしれない。

念のため、インターネットで「青ヶ島 郵便局」を検索してみたところ、青ヶ島は銀行がないため、お金の管理は郵便局に頼るしかない。銀行がないのだから、もちろんキャッシング・カードなんて役に立たない。郵便局にはATMがあるが、日曜日は使えない。宅配のシステムも及んでいないから、郵パックが頼みの綱。そういう所らしい。

つまり郵便局がなければ暮らしは成り立たないわけだが、もし郵政を民営化しても、政府が責任をもってこれらの機能を確実に残す、あるいはもっと便利にする。そういう固い約束を基に、彼女は青ヶ島を去ったのであろう。

もしそうでなかったならば、「政治家」としてはなはだ無責任なことになる。いや、はなはだ無責任に/な政治家を選択したことになる。

○「刺客」成功の得失

ともあれ彼女は比例1位のランクだから、まず当落を気に病む必要はなく、山下貴史の票を食って、落選させる役割を果たした。逆に山下貴史の側から見れば、政治の経験もなく、地元の事情にも通じていない「くノ一」にしてやられてしまったわけだが、もう一人、貧乏くじを引かされた政治家に、北海道7区の北村直人がいる。彼は小選挙区で、民主党の仲野博子に1万票足らずの差で破れ、比例代表のポストにも手が届かず、落選の憂き目を見てしまった。

こうして北海道内に限って言えば、自民党は郵政民営化の反対派を追い落とすため、一人の未経験な「刺客」と引き換えに、ベテラン議員と、もともとは自民党寄りだった中堅議員の二人を失ったのである。

○見方の見え方

 小泉執行部の選挙手法の「功罪」については、また違う視点と論理で評価しなければならない。だが、少なくとも「自民党にとっての得失」はこのような見方で捉える必要があるだろう。

 小泉執行部の選挙手法のパラドックスは、仮に「刺客」手段が100%成功したとしても、自民党議員の顔ぶれを入れ替えるだけで、議席数を増やすことにならない点である。

 もちろんこれは初めから承知だったであろうが、実際にふたを開けてみたら、いわゆる造反議員の半数近くが当選している。単純計算すれば、議員総数を減らしたことになり、失敗なのである。

 

 それにもかかわらず、自民党は40以上も議席を増やした。理由は単純で、民主党が60以上も議席を吐き出したからにほかならない。

 なぜこういう結果になったのか。自民党のスペア以上の存在感を、民主党が持っていなかったからだと思う。もっと端的に言えば、国民の目に、スペアのほうがかえって脆弱に見え、恐くて取り替える気にならなかったのである。

 そんなふうに思いつつ、『北海道新聞』をめくっていると、「作家・猪瀬直樹氏の話」と、「「アイドル政治家症候群」の著書がある臨床心理士矢幡洋氏の話」という二つの談話記事が載っていた。猪瀬直樹の「自民内の“政権交代”」という意見は、要するに分かったふうな党内事情論を一歩も出ていないが、矢幡洋の「単純な主張を支持」はもっとひどい。

今回の選挙はオリンピック時の国民の熱狂ぶりに近く、エンターテイメントとして終った。その中で小泉首相の郵政一本やりの主張が支持された。昔は単純なスローガンは疑いの目が向けられたと思うが、今はひたすら分かりやすさが求められる。複雑な思考ができなくなっている。社会全体に一種の「知的衰弱」がある気がしてならない。

 選挙結果も恐いが、こういう意見も私には恐い。この矢幡洋という人がどんな所に住み、何を見て暮らしているのか、私は知らない。ただ、私の知るかぎり、国民は熱狂などしていなかった。熱狂していた(振りをしていた)のは、マスメディアだけではないのか。ヤラセめいた映像を適当に編集して、「激戦区の過熱振り」を報道する、と見せかけながら。

 小泉執行部は明らかにそういうマスメディアの手口を計算に入れていたが、それを批判もせずに受け容れて、現象を「ひたすら分かりやすく」単純化し、「知的衰弱」などというありふれた現代人批評に収斂させてゆく。そういう「心理士」と国民のどちらが、「複雑な思考」に耐えられなくなっているか。私には前者としか思えなかった。

 

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