北海道文学館のたくらみ(40)

裁判で人間の尊厳を守る

○次の公判に向けて
 8月11日(月)、亀井志乃は「陳述書」と、「人証」に関する書類を届けてきた。
 「陳述書」は証拠物の一つに数えられるわけだが、亀井志乃は自分の「陳述」を裏づける証拠物20点を新たに加えた。結局、2月13日以来、彼女が出した証拠物は、合計して150点を超えることになった。
 
 「人証」というのは、物的証拠すなわち「物証」に対する、人的証拠の略語である。
 被告・寺嶋弘道の代理人の太田弁護士は、公判が始まる頃に12点の証拠物を出したが、それ以上の物証を出す予定はないという。
 亀井志乃は太田弁護士署名の「準備書面(2)」と寺嶋弘道の「陳述書」、および平原一良の「陳述書」も告訴の対象とすることにして、「訴え変更の申立書」(7月7日)を裁判所に申請した。それに対して、被告側の太田弁護士は「準備書面(3)」(7月9日)で、「全て否認ないし争う」と主張していたが、しかし7月9日の公判で、裁判長から「反論や、それを裏づける証拠物を出す予定があるか」という意味のことを訊かれて、「いえ、ありません」。これでは、まるで白旗を掲げたようなものではないか。
 
 しかし太田弁護士には決定的な切り札、被告・寺嶋弘道という人的証拠物がある。次の公判は8月29日(金)の10時半の予定であるが、この時、寺嶋弘道という証拠物をいつ持ち出すかが話題となるだろう。亀井志乃は、いずれ近いうちに寺嶋弘道という人的証拠が証人台に立つだろうことを前提として、田口紀子裁判長から寺嶋被告に尋問してもらいたい事項を挙げた文書を届けたのである。

○今回のテーマ
 さて、証人台に立った寺嶋弘道被告は、どんなふうに尋問に対応するか。
 もちろん私の関心はそこにあるのだが、彼が書いた(と思われる)「陳述書」から判断するに、彼は敢えて嘘を重ねながら執拗に相手の人格を貶め続ける。そういうタイプの人間であるらしい。
 これは「北海道文学館のたくらみ(32)」でも紹介したことだが、彼は亀井志乃の仕事ぶりについて、次のように書いている。
《引用》
 
また、この「二組のデュオ展」では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告(亀井志乃)はこれを持参せず、後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。このように原告は実際のところ学芸業務について経験が乏しかったにもかかわらず、「文学館の仕事にキャリアを持つ」(訴状)と自負するほど自尊心の強い性格だったと思います。下線は引用者。以下同じ)
 
 寺嶋弘道がここで挙げた「道内美術館」なる美術館は、果たして存在するのかどうか。彼が言う「作品図版カード」とはどんなカードか。彼は誰から、「通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告(亀井志乃)はこれを持参せず」ということを聞いたのか。聞いたのは何日のことなのか。彼の電話に出た「道内美術館」の職員は、どういう立場で、何という名前なのか。
 法廷では裁判長または亀井志乃から、これらの質問が出るはずだが、私の判断では寺嶋弘道は答えることができない。なぜなら、事実としてこれらのことはなかったからである。また、仮に事実としてこれらに類することがあったとしても、それは亀井志乃が道立近代美術館や木田金次郎記念館から作品を借用した際の、一連の行為事実とは合致しない。とするならば、寺嶋弘道は誰か別な人間の犯したミスを、亀井志乃に押しつけたことになるからである。
 
 ただし、今回私が注意しておきたいのは、このことだけはない。引用に際して私が下線を引いておいたように、被告・寺嶋弘道は、事実に合わない嘘を書くたびに、「原告は実際のところ学芸業務について経験が乏しかった」とか、「自尊心の強い性格だった」とかと、相手を貶める言葉を書きこんでいるのである。当然のことながら、裁判では、こういう言葉の根拠もまた問われることになる。
 
○身近なところで起こり得る、怖いこと
 幸いに亀井志乃は寺嶋弘道の部下ではなかったし、裁判を起こしたおかげで、彼の手のうちを知ることができた。
 しかし、いま仮に自分が官公庁や学校に勤めていると考えてみよう。自分の身近なところにいる中間管理職が、自分に関するこのような人物考査書を上級の管理職に提出しているとしたら、これは相当に怖いことであろう。しかも自分は、その考査書にどんなことが書かれているか見ることはできない。まことしやかな嘘が書かれているかもしれないのに、異議を申し立て、訂正を求めることもできないまま、自分の処遇が決まってしまうかもしれないのである。

 私は寺嶋弘道の「陳述書」を読んで、う~ん、この人物はこのテの文章をかなり書き慣れているな、と思った。悪達者な、と評してもいいくらい、次から次へと先ほどのような人物考査書的な文章を繰り出している。ここまで平然と嘘を書き連ね、他人を貶めることができるのは、並大抵の能力ではない。

 もちろん現場の事情にも通じている、しっかりとした上級の管理職ならば、「道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告は……」という記述の嘘くささは、直ちに感じ取ってしまうだろう。
 しかし残念ながら、上級の管理職が全て現場の事情に通じていて、しっかりした判断ができるとは限らない。太田弁護士は教育委員会の管理職ではないが、おそらく文学館という施設の業務実態に通じていないため、――あるいは知っておこうという気持ちがなかったために――いかに嘘を信じ込まされてしまったか、彼が書いた「準備書面(2)」がつぶさに証明している。怖いことだ。

○北海道の公務員が「事実」を隠す手口(その1)
 もう一つの例をあげてみよう。
《引用》
 
例をあげれば、「石川啄木展」開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件を挙げることができます。この日は『カルチャーナイト』という札幌市全域で展開された共通イベントの日で、当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である「石川啄木展」のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画になっていました。職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当を伝達したのですが、原告は、「私は職員ではありませんから」と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです。中略)原告にとっては、自分に関心のない業務に従事したり組織全体で事業を実施することなど、意識の一部にさえなかったのかもしれません。ゴチック体、下線は引用者。以下同じ

 ここでも寺嶋弘道はまことしやかな嘘を重ねて、亀井志乃の人格や業務態度を貶めたわけだが、嘘もこれだけきめ細かくなると、多少は文学館の業務実態に通じている人でも、つい引っかかってしまうかもしれない。「まあ、話半分としても、この原告はかなり身勝手な人間だな」と。
 しかしゴチック体の個所は全て嘘、または事実の歪曲であって、それをもっともらしく見せかけるために、彼は故意に二つの事実を伏せてしまった。一つは亀井志乃が財団法人北海道文学館の嘱託職員であり、財団は彼女を労働者災害補償保険(労災)に入れていなかったことである。亀井志乃を労災に入れなかった財団が、時間外勤務を要求するはずがなく、また、要求をしてはならないのである。
 この点を踏まえて、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-2」の中で、次のように寺嶋弘道に反論した。引用文の冒頭、「事務系の職員」の個所に、「川崎業務課長」を置いてみれば、亀井志乃の言わんとするところがより明瞭に分かるだろう。
《引用》
 
言うまでもないことですが、事務系の職員にとって、労働者災害補償保険(労災)に加入していない臨時職員・非常勤職員等が、勤務時間外に職場の中で事故に逢うという事態は、極力避けたい事柄です。もし雇用者側の都合で勤務時間外まで非常勤職員を残らせ、その結果事故に逢ったということにでもなれば、深刻な補償問題が生じるのは必至だからです。雇用者は保険金でそれを賠償することができない。最悪の場合は、雇用者側が労働基準法違反に厳しく問われることになりかねません。
 私は、かつて北大の文学部図書掛に勤務した頃や、北海道立文学館に勤め始めた頃、自発的に居残りを申し出たことがありましたが、当時の責任者(図書掛長や業務課長)から、丁寧に、しかしきっぱりと断られました。そして上記のような事柄を学んだわけですが、課長等のこうした判断こそ、労働者に対する真の配慮であり、また常識的な遵法意識であると、私は考えています。
 ですから、平成18年度の道立文学館において、業務課が嘱託職員の時間外勤務を前提にイベントの人員配置を考えるなどということは、通常、とうてい考えられないことです。

 分かるように、亀井志乃の立場と勤務条件から見て、寺嶋弘道が言う「川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当を伝達した」というようなことは起こり得ない。寺島弘道がこんなことを書いていると知ったら、川崎業務課長はおおいに憤慨することだろう。亀井志乃が言うように、「平成18年度の道立文学館において、業務課が嘱託職員の時間外勤務を前提にイベントの人員配置を考えるなどということは、通常、とうてい考えられないこと」だからである。
 このように、財団が亀井志乃に時間外勤務を要求することはあり得ず、そうであるならば、嘱託職員の勤務時間外手当を予算に組んでいるはずがない。亀井志乃はこの点を踏まえて、「さらに私の疑問を続けるならば、被告(寺嶋弘道)は『事前に当日の残業と手当の支給を伝達』したそうですが、本来想定されるはずのない〈嘱託職員の残業〉に対する『手当』とは、会計上、どの項目からどのような名目で支出される予定だったのか。また、その際の予定金額はいくらだったのか」と、疑問点を指摘した。
 「この興味ある問題に関しても、証人台における被告の明解な説明を期待しています」。
 
 さらに続けて、亀井志乃は、「また、なぜ川崎業務課長はそのことを私に直接言わず、被告に取り次いでもらう必要があったのか。私は組織上、業務課学芸班の職員でした。他方、被告の肩書きは学芸主幹であって、会計事務を担当しているわけではありません。被告はどのような権利があって、『手当の支給』を私に伝達したのか。私はそのような伝達を聞いていませんが、被告は伝達した事実を証明できるのか」という疑問も提出している。
 これらの疑問点に関しても、寺嶋弘道は法廷の証人台に立つことを期待されているのである。

○北海道の公務員が「事実」を隠す手口(その2)
 寺嶋弘道が伏せてしまった、もう一つの事実は、「原告が副担当である「石川啄木展」」に関することであって、「平成18年度 学芸業務の事務分掌」を見れば、確かに亀井志乃は「啄木展」の副担当になっている(この「平成18年度 学芸業務の事務分掌」に関する寺嶋弘道の説明が如何にインチキであるかは、「北海道文学館のたくらみ(33)」で指摘しておいた)。
 しかし、寺嶋弘道は亀井志乃に一言のことわりもなく、勝手に「啄木展」に手を出し、主担当の鈴木社会教育主事と準備を進めて、亀井志乃を「啄木展」から疎外してしまった(「北海道文学館のたくらみ(9)」参照)。亀井志乃は嘱託職員であり、実績を挙げることによって雇用契約を更新していく立場にあり、それ故、主要な業務を無断で奪われることは、業務妨害を受けたことを意味する。
 亀井志乃はそのことを「訴状」や「準備書面」で指摘したわけだが、寺嶋弘道はその指摘にまともに対応できなかった。そこで彼は、自分が亀井志乃の業務を奪った事実を隠し、その代わりに、〈亀井志乃は自分が副担当の「啄木展」プレオープンや、「カルチャーナイト」に対する参加企画の仕事を拒否し、「平然と」帰ってしまった〉と、平然と嘘を吐いたのである。

○補足を一つ
 ちなみに、寺嶋弘道は7月21日の「啄木展」のプレオープンや「カルチャーナイト」を、たいそう大がかりなイベントのように書いているが、実際は展示室を夜間開館し、ハーフメイドの材料を使って栞を作る教室を開く。屋外の中庭(サンクンガーデン)では、薄暮の頃、岩手の鬼剣舞保存会の人たちがパフォーマンスを演じたが、文学館は出演者に更衣室を提供する程度のことだった。寺嶋弘道が言うような「職員総掛かりでの人員配置を検討し」なければならないほどの行事ではなかったのである。
 
 ところが、道立文学館では、屋外の鬼剣舞を見ている人たちを数えて、入館者数にカウントするという、まことにいじましいほどセコイことをやっていたという。

○北海道の公務員が「事実」をすり替える手口(その1)
 さて、話をもどすならば、寺嶋弘道という北海道教育委員会の学芸員は、自分の業務妨害を指摘されると、相手の業務態度が悪かったことにすり替える習性を持っているらしい。
 これも前に紹介したことだが、亀井志乃が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の設営準備に入る予定だった1月31日、寺嶋弘道は亀井志乃に一言の連絡もなしに、イーゴリというロシア人の写真展を始めてしまった。企画展は特別展示室を使うことになっていたのだが、その特別展示室の入り口を塞いで展示用の壁を作り、イーゴリの写真を展示してしまったのである。
 その「イーゴリ展」は2月8日に終わり、9日には撤去されたが、この日、亀井志乃は岩内の木田金次郎記念館と道立近代美術館まで作品の借用に出かけ、翌10日は札幌市営地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事を予定していた。そのため亀井志乃と副担当のA学芸員は11日からしか展示準備に入ることができず、「二組のデュオ」展開催日(2月17日)の前日まで、僅か6日間で展示の準備を終えねばならない状況に追い詰められてしまった。彼女は週に4日の出勤だったが、やむを得ず、非出勤日を返上して展示作業に行うことにした。しかも、14、15、16日は午後の10時近くまで残らねばならず、特に14日と15日は吹雪によるJRのダイヤ混乱が懸念され、札幌のホテルに泊まることになったのである。
 亀井志乃は「訴状」と「準備書面」の中でこのことを取り上げ、寺嶋弘道による業務妨害と、非常勤の嘱託職員に関する労働基準法違反を指摘した。
 
 ところが寺嶋弘道は、自分自身の妨害による準備作業の遅れという事実は棚に上げて、次のように、亀井志乃の責任にすり替えてしまった。この個所は前にも紹介したことがあるが、もう一度引用させてもらいたい。
《引用》
 
実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、「二組のデュオ展」の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。中略)原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず、連日、皆待機を余儀なくされていたというのがその実情でした。

 逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。

 もちろん以上も寺嶋弘道の虚言なのだが、下線を引いた箇所でも分かるように、彼は虚言を吐くたびに、亀井志乃の経験や能力、そして性格を貶める言葉を入念に書きこんでいた。
 それと共に、もう一点、なぜ彼が、先ほど引用した文章に中で、「川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当を伝達したのですが、原告は、『私は職員ではありませんから』と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです」と嘘を吐いたのか、その理由も分かるだろう。亀井志乃から労働基準法違反を指摘され、しかし寺嶋弘道はそれに対して直接反論することができなかった。そのため、〈自分のほうでは残業手当を出すことまで配慮してやったのだが、亀井志乃はその配慮を無視して、「私は職員ではありませんから」と帰ってしまったのだ〉と事実無根な嘘をひねり出し、労働基準法違反の事実を誤魔化そうとしたのである。

○北海道の公務員の「帰属意識」チェック
 さらに言えば、亀井志乃はただの一度も「私は職員ではありませんから」と言ったことはない。寺嶋弘道は別な箇所でも、「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」と書いていたが、亀井志乃は次のように反論している。
《引用》
 
これは全くの事実の歪曲というほかはありません。私はそのような発言をした事は一度もありません。そもそも私が財団法人北海道文学館の「職員」であった事実を大前提としなければ、今回の民事訴訟や前回の労働審判だけでなく、平成16年7月16日からの勤務の事実そのものの根拠が消滅してしまうことになるでしょう。このような言葉を私が自ら発するということはあり得ないことです。中略)
 
さらに厳密に言えば、私のほうが「財団職員であるか、ないか」を問題にしていたのではありません。被告のほうが「立派な財団職員だ」という主張を押しつけようとしてきたので、私は、「嘱託」にはその立場に伴う独自の責任があることや、またそれとは表裏一体の関係として「嘱託」には道職員とも、ある意味では財団職員とも異なる権利があることを説明しようとしただけです。ところが被告は、私がその点に言及しようとすると、急に私の言葉を遮って、「立派な財団職員」論や、組織人論を述べ立てる。ついに私は困り果てて、一体被告はどれだけ「嘱託」の立場を理解しているのか、安藤副館長に相談せずにはいられませんでした(甲26号証)。
 しかし結局、今日に至るまで、被告は以上のことが理解できなかったようです。

 分かるように、寺嶋弘道という北海道教育委員会の学芸員は、「『嘱託』にはその立場に伴う独自の責任があることや、またそれとは表裏一体の関係として『嘱託』には道職員とも、ある意味では財団職員とも異なる権利があること」を決して理解しようとしなかった。――「準備書面(2)」から判断するかぎり、彼の代理人の太田弁護士も同様だった。――他人の権利を理解しようとせずに、「名ばかり管理職」ならぬ、「立派な財団職員」を押しつけ、勤務時間外まで亀井志乃を拘束したり、時間外労働を要求したりする。そして、亀井志乃から、これは権利の侵害であり、労働基準法に違反するのではないかと指摘されるや、「いや、超過勤務手当を出すつもりだったのだ」とか、「『私は職員ではありません』と言って、平然と帰ってしまったのだ」とかと、臆面もなく嘘を吐き始めたのである。

 おまけに寺嶋弘道は「任用問題が発生して以降急に、原告はそれらの文章の中で自らを『財団職員である』と記述しはじめるなど、原告の言動や文章表現には感情の露見や言説の取り繕いがしばしばみられますが、」と、裁判長でも直ぐに気がつく嘘まで吐いている。 
 彼が言う「それらの文章」とは、亀井志乃が任用問題について書いた文章のどれを指すのか。彼は曖昧にぼかしているが、亀井志乃は任用問題について書いた文章も証拠物として提出しており、それらの中で彼女は「自分は財団の嘱託職員だ」という言い方以外の言い方はしていない。裁判長が念のために証拠物を確認すれば、直ちに気がつくはずであるが、たぶん彼は、どうせ裁判長は証拠物を読むはずがない/読むことができないと、多寡を括っていたのだろう。
 おそらく彼は、「原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」という嘘をつき、次には「原告はそれらの文章の中で自らを『財団職員である』と記述しはじめるなど、」と嘘を吐き、亀井志乃の発言の矛盾を暴いてみせるつもりだった。だが、結果的には彼自身が大嘘つきであることをみずから証明してしまったのである。
 
 北海道教育委員会にはすげえ職員がいるんだな。背筋が寒くなる思いであるが、もっとおぞましいことは、この寺嶋弘道という北海道教育委員会の公務員が亀井志乃の「職場に対する帰属意識」を云々していたことである。北海道教育委員会の職員が、民間の財団の、しかも嘱託職員に関して、「職場に対する帰属意識」をあげつらう。この公務員は、一体自分を何様だと思っているのか。
 現代では、どんな官公庁であっても、職員の「帰属意識」をチェックしたりすれば、これは一種の思想調査であり、当然のことながら信条の自由に対する干渉という、人格権の侵害の問題が起こってくる。だが、北海道教育委員会という組織は、アカの他人の「帰属意識」にまで嘴をはさむ。そういう疎ましい体質を持っているらしい。怖しいことだ。

○北海道の公務員が「事実」をすり替える手口(その2)
 おまけに寺嶋弘道はこんなことまで言っていた。
《引用》
 
さらにこの一件は、原告の時間外勤務に対する姿勢も明らかにしています。時間外勤務を自己中心的にとらえ、事前の協議や勤務命令の有無にかかわらず、「勤務時間が終わったら速やかに帰って」(訴状)しまおうとしたことを示しています。今般、原告が職を離れた今になって、1年前の「二組のデュオ展」に関わる時間外労働に対する損害を雇用者ではない私に請求しているのも当を得ていませんが、当時も、さらにその後も、雇用者たる財団に対して原告から時間外勤務の申し出や請求があったことはなく、また同じく時間外勤務である休日出勤を振り替えるよう川崎業務課長から指示されていたにもかかわらず、その手続きも行っていません(下線は引用者)
 
 またしても「自己中心的」云々という性格批評を織り込んでいたわけだが、「勤務時間が終わったら速やかに帰って」というのは亀井志乃の言葉ではない。亀井志乃は「訴状」の中で、「原告は時間契約によって働く嘱託職員であり、労働者災害補償保険に入っていない。それ故平成17年度までは、原告は、当時の副館長から、『勤務時間が終わったら速やかに帰って下さい』という配慮を受けてきた。」と書いた。寺嶋弘道はその副館長の言葉を、まるで亀井志乃の主張であったかのように引用して、亀井志乃の行動をあげつらったのである。
 何とも姑息で、卑劣なすり替えであるが、「今般、原告が職を離れた今になって、1年前の『二組のデュオ展』に関わる時間外労働に対する損害を雇用者ではない私に請求しているのも当を得ていません」と言うに至っては、これはもう男の腐ったような、情けない被害者ポーズと言うほかはないだろう。
 亀井志乃は、嘱託職員が非勤務日を返上せざるをえなかったことや、退勤時間後も遅くまで残って作業を続けなければならなかったことなど、「過重な契約時間外労働とそれに伴う出費を5日間にわたって強いられた」という事実を挙げて、これは労働基準法に違反する扱いではないかと指摘した。
 だが、非出勤日や退勤時間後の手当を要求するようなことは一言も書いていない。いわんや寺嶋弘道に向かって、「時間外労働に対する損害」を請求するなんてことは全くしていない。あくまでも亀井志乃は自分に強いられた契約時間外の労働を、労働基準法に違反する事実として取り上げたのであり、寺嶋弘道が自分のやったことを正当化したいならば、労働基準法に反する事実はなかったことを、証拠を挙げて照明すればいいのである。

○寺嶋弘道の50回に及ぶ人格権侵害の言辞
 こんなふうに、寺嶋弘道の「陳述書」には切れ目なく事実の歪曲、すり替え、嘘、誤魔化しが続いている。しかも、見事なまでにそれらが有機的にからみ合っており、それを解きほぐすためについ紙数を費やしてしまったが、ここで、今回のテーマにもどるならば、初めにもふれたように、寺嶋弘道が亀井志乃の人格や能力、業務態度を中傷、誹謗した言辞は50回を数える。この執拗さは、亀井志乃から社会的信用を奪い、葬り去ろうとする意図を秘めたものと考えるしかないであろう。もちろんこれは反撃されなければならない。  

 亀井志乃は寺嶋の「陳述書」に対する反論、「準備書面(Ⅱ)-2」のなかで、彼の言辞を分析し、次のように整理している。引用はだいぶ長い。
《引用》

Ⅱ、被告の「陳述書」において新たに行われた原告に対する人格権の侵害の指摘
 以上のように被告の「陳述書」は虚偽と事実の歪曲と根拠なき独断に満ちており、とうてい信を置くことはできません。しかも被告はその記述の間、私について、きわめてネガティブな資質の持ち主であることを強調する言葉を、随所に織り込んでいました。被告の言説によるところの原告のネガティブ性は、大別すると次の11点に分けられます。

1.業務遂行能力の欠如 2.協調性およびコミュニケーション能力の欠如 3.組織への帰属意識の欠如 4.業務に対する理解力の欠如 5.自己中心的性格 6.虚言 7.自己肥大 8.情緒不安定性・攻撃性 9.妄想性 10.異常性格・ストーカー性 11.反社会性

 被告が叙述した、私に関する、これらの否定的特性は、単に文脈から読み取れるというだけではありません。この「陳述書」の中において、被告は私に関して、能力蔑視的、人格侮蔑的、名誉毀損的な言辞を、はばかることなく多発している。以下にその箇所を抜き出してみます。

1 業務遂行能力の欠如(5箇所)
①第(6)項の収蔵目録・報告書の発行、および第(8)項の文学資料の解読・翻刻については何一つ職場内で打合せをすることもなく、確たる成果や業務報告のないまま年度末を迎え、平成19年3月に当館を退職しているというのが実情です。(3ページ18~20行目) 
②まず第1に第(8)項の文学資料の解読・翻刻業務が原告の中心的な任務であったにもかかわらず、平成18年度は当館に対して業務報告の一つとしてなされていませんでした。(3ページ23~25行目)
③18年度に担当した「二組のデュオ展」などの展覧会事業の実務経験はまったくなく、「文学碑データベース」の写真公募のようなイベント性を伴う普及事業の経験もありませんでした。(4ページ38行目~5ページ1行目)
④実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、「二組のデュオ展」の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。(5ページ20~21行目)
⑤通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。(5ページ35~37行目)

2 協調性およびコミュニケーション能力の欠如(8箇所)
①副担当業務についての原告の姿勢も積極性や協調性は見られず、(3ページ27行目)
②その業務も収蔵庫や作業室で、一人で黙々と処理すればよい作業が大部分であったということです。(4ページ35~36行目)
③当館への勤務以前の就業経験の不足を考慮したとしても、連帯意識や協調性に乏しく組織社会における適性を欠くものでした。(5ページ4~6行目)
④出張命令権者や経理担当者や業務統括者の理解や了承を得ながら仕事を進めるという考えのなかったことを自ら証しています。(5ページ9~10行目)
⑤嘱託員であることを請負業であるかのように解しているこの思い違いは、原告と他の職員との間に軋轢を生む大きな原因となっていました。(5ページ10~12行目)
⑥つまるところ原告は、いわゆるホウレンソウ(報告・連絡・相談)のないまま仕事を進めてしまうタイプの職員でした。したがって、職員の間に不満や不平が募っていったのも当然のことで、(5ページ13~15行目)
⑦やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました。(6ページ22~23行目)
⑧原告もまた事務室での仕事の進み方や館の業務や行事の動向、さらに各職員の日常の思いや考えなどから遊離していたのも事実で、こうした点が原告の協調性や帰属意識を希薄なものにしていたのだと思います。(6ページ33~35行目)

3 組織への帰属意識の欠如(5箇所)
①この点をもってしても文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません。(3ページ25~26行目)
②さらには、そのようにして組織で仕事を進めるという意識も薄かったのではないかと思います。(5ページ3~4行目)
③職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした「私は職員ではありません」という発言です。(7ページ5~6行目)
④今般の訴状において記述されている明治大学図書館での資料調査に関わる文書処理の一件も、今触れた時間外勤務の拒否の事例と同様の視点から、原告の組織人としての自覚の欠如を明らかにしています。(7ページ31~33行目)
⑤博物館業務の中で調査研究はとりわけ重要な業務ですが、原告にとって研究とは個人の研究を意味し、組織の中で研究を推進するという考えには至っていなかったのです。(7ページ40行目~8ページ2行目)

4 業務に対する理解力の欠如(4箇所)
①したがって出張のように渉外事務や経費支出を要する業務については未経験であり、そしてそれらのために内部調整を進めながら事務事業を遂行するということに理解が及んでいなかったのです。(5ページ1~3行目)
②そもそも、原告には事前打ち合わせを要するなどという考えがなかったのかも知れませんが、としても、そうしたことが組織で仕事を進める上で障害となることに理解がおよんでいなかったに違いありません。(6ページ28~31行目)
③原告にとっては、自分に関心のない業務に従事したり組織全体で事業を実施することなど、意識の一部にさえなかったのかもしれません。(7ページ17~19行目)
④「被告がなぜ‘紹介状’とは別の書類を作らなければならないと言い出したのか、少しいぶかしく思った」(訴状)などという原告の文言は、文書変更理由への無理解ばかりでなく、組織として業務を遂行する意識の欠如を自ら証しています。(7ページ37~40ページ)

5 自己中心的性格(9箇所)
①まったく独りよがりな、自分の関心事だけを副担当業務として主張しているに過ぎません。(3ページ34~35行目)
②原告が最初にサボタージュと言い出しながら、私がそのように断じたとして非難する今般の原告の姿勢は、自己防衛の露呈した架空の言説となって訴状に記されています。(4ページ19~21行目)
③このように原告は自分自身に対する強い思いの持ち主ですから、(4ページ24行目)
④しかし、それを訴状にあるとおり「干渉」として自己中心的にとらえてしまうことに、今般の事件のそもそもの原因があったのではないかと考えます。(5ページ17~19行目)
⑤逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。(5ページ31~33行目)
⑥こうした激情が会話を阻害するのは言うにおよばず、一方的に話を打ち切り背を向けてしまう原告の態度を見て、(6ページ15~17行目)
⑦今般の訴状が、事実を誤認し曲解したまま、原告の身勝手な憶測、推察、想像によって脚色され演出されて書かれているのも、職場でのこうした孤立した原告の勤務態度が影響していると考えます。「原告のみを狙って繰り返された」(訴状)というのは、まさに孤高の被害者を決め込む原告の思い込みです。(6ページ40行目~7ページ4行目)
⑧原告は「私は職員ではありませんから」と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです。(7ページ15~16行目)
⑨時間外勤務を自己中心的にとらえ、事前の協議や勤務命令の有無にかかわらず、「勤務が終わったら速やかに帰って」(訴状)しまおうとしていたことを示しています。(7ページ20~22行目)

6 虚言(2箇所)
①職を離れた今になって当然のように主張しているのは、業務意欲の存在を正当化しようとするまやかしにすぎません。(3ページ37~38行目)
②「時間契約によって働く嘱託職員」(訴状)であることだけを最優先していた原告が、今になって時間外勤務を主張しているという矛盾は、つまり、今般の提訴が正当だと見せかけるための方便として時間外勤務に言及しているにすぎないことを示しています。(7ページ27~30行目)

7 自己肥大(2箇所)
①このように原告は実際のところ学芸業務について経験が乏しかったにもかかわらず、「文学館の仕事にキャリアを持つ」(訴状)と自負するほど自尊心の強い性格だったのだと思います。(5ページ37~40行目)
②研究者にありがちなこの自尊心の強さは、自らの失敗や業務の遅延を隠匿し他へ転嫁する態度となって表れています。(6ページ1~2行目)

8 情緒不安定性・攻撃性(5箇所)
①原告に「あなた」と呼びかけたことさえ「あんた」と呼び下したように記されていることからも分かるとおり、意図的な用語転換による防衛心と敵意がここに表明されています。(4ページ21~23行目)
②この時原告はひどく慌てた様子でしたが、問題を5月2日の振り出しに戻して責任を回避しようといきり立ち、逆上してしまったというのがその日の原告の行動です。(6ページ9~11行目)
③原告の場合、少々の不備や不完全さえも許容できず、この10月28日には、5月当初の議論のすれ違いを理由に業務命令自体を抹消しようとし、さらに自身の責任に多少話が及ぶと普段の冷静さとは裏腹に激昂してしまったのです。(6ページ13~15行目)
④こうした実態を無視してなお、私が「妨害」したと主張するのであれば、それは、周囲の状況を見ることのできない自分本位の人物による、私に対する盲目的な個人攻撃にほかなりません。(9ページ12~14行目)
⑤今般の訴状において、原告が事実を曲解し、あるいは被害を想像して意図的に記述した原告の主張は、私に対する誹謗と中傷を含む悪意に満ちたものであり、決して認めることができません。(9ページ27~29行目)

9 妄想性(3箇所)
①このように原告と距離を置いていた私に対して、原告が今般の訴状いおいて(ママ)、1月から2月にかけての「イゴーリ展」(ママ)や「二組のデュオ展」を題材として、「人格権侵害」「業務妨害」「嫌がらせ」「執拗なつきまとい」だと主張するのは、まったくの妄想であり作り事です。(8ページ30~33行目)
②むしろ原告自身に起因する展覧会業務の準備不足や日程管理の失敗、業務管理の未熟さを、自身のあらぬ想像によって責任転嫁している何ものでもありません。(8ページ33~35行目)
③任用問題が発生して以降急に、原告はそれらの文書の中で自らを「財団職員である」と記述し始めるなど、原告の言動や文章表現には感情の露見や言説の取り繕いがしばしばみられますが、この訴状も原告の被害妄想によって記述されたヒステリックな作文に終始しています。(8ページ38行目~9ページ1行目)

10 異常性格・ストーカー性(6箇所)
①そもそも私への抗議や他の職員への相談もなしに突然、文書により疑義の表明を行うこの手法さえ異常に思えます。(8ページ7~8行目)
②真摯な抗議をすることなく、こっそりと半年間も言動記録をとって不快だったと過去形で訴えるのは信義則に反し、権利の濫用であると考えます。(8ページ12~14行目)
③私は直接の接触を控えるよう毛利館長から指示を受けていました。(8ページ19~20行目)
④2月3日(土)から6日間の日程で外部団体への貸館事業として開催された「イゴーリ展」による業務妨害の提起に至っては、発想自体が博物館職員だったとは思えない愚劣なもので、(9ページ2~4行目)
⑤そうした基本的なことを頭だけで理解し、自らの研究と自らの関心のある業務だけを行い、公の施設としての組織的な事務執行に異を唱え、実質的な指導監督者であった私だけを一方的に攻撃する原告の態度は、社会規範に照らしてみても常軌を逸した行動です。(9ページ16~19行目)
⑥原告が平成18年4月の私の着任早々の時点から私の言動を注視し記録に取っていたという不可解な事実が、(9ページ19~21行目)

11 反社会性(1箇所)
①任命権者の相違や雇用形態の差異を超えて一つの博物館を運営するという制度の理念を理解することなく、博物館の業務を自己中心的にとらえ、組織としての業務執行を無視する原告の態度こそ、連携と協働を阻害する要因になるものだったと言わねばなりません。(9ページ23~26行目)

  
 寺嶋弘道の「陳述書」は僅か9ページに過ぎず、だから、1ページにつき5回以上も亀井志乃を貶める言葉を書きこんだ計算になる。
 それらの中には、日本語として文意曖昧な文章が幾つもあり、10の②や⑥に至っては、思わず笑ってしまった。亀井志乃は割合克明な日記をつけており、その中から寺嶋弘道から受けたパワー・ハラスメントの事例を抜粋しただけなのだが、寺嶋弘道はその正確さに気圧されてしまい、証拠を挙げて反論することの不可能を痛感したのであろう。そこで苦し紛れに、「原告が平成18年4月の私の着任早々の時点から私の言動を注視し記録に取っていた」とか、「こっそりと半年間も言動記録をとって不快だったと過去形で訴えるのは信義則に反し、権利の濫用である」とかと、被害者のポーズを取りながら、亀井志乃の異常性を印象づける策戦に出たらしいのだが、誰に教え込まれたのやら、「信義則に反し、権利の濫用である」などと、一知半解な法律用語をチラつかせていた。こんな場合、「信義則」を持ち出すのは、お門違いである。それに、何をもって「権利の濫用」と言うのか、前後の文脈から判断しても一向にはっきりしない。
 
 しかも寺嶋弘道は、これまで見てきたように、事実の歪曲、すり替え、嘘、誤魔化しに基づいて、あれらの言葉を発していたのである。
 
 亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-2」で、彼が行った事実の歪曲、すり替え、嘘、誤魔化しを、20数か所にわたって指摘し、反論していた。だが、今回のような私のやり方で分析し直してみれば、更に10個所以上、事実の歪曲、すり替え、嘘、誤魔化しを加えることができる。私は30箇所以上に及ぶ、事実の歪曲、すり替え、嘘、誤魔化しの一端を、「北海道文学館のたくらみ(32)」から「同(34)」、及び今回で紹介したわけだが、北海道教育委員会の中で、上司風を吹かす職員の中には、こういう悪質な文章を書く人間がいるのである。
 では、この種の文書が上級の管理職の手に渡ったらどうなるであろうか。上級管理職は、そういう文書のターゲットにされた職員について、ロクに実情調査をせずに、ただ自分に届けられた文書の内容を鵜呑みにして、人物査定を行ってしまう。そういう可能性が極めて高い。このことを、一般の職員はよくよく承知しておく必要があるだろう。
 
 さらに怖ろしいのは、ターゲットにされた職員には、自分についてどんなことが書かれているか、開示を求めることもできず、だから反論をするチャンスも与えられていないことである。

○裁判は人間の尊厳を守る方法
 幸いなことに、亀井志乃は北海道教育委員会の職員ではなかったし、裁判を起こしたおかげで寺嶋弘道が自分の正体を曝け出した「陳述書」を読むことができ、その欺瞞を暴き、反論を書く機会が与えられた。裁判を起こすことは、一面では気の重いことだが、「民事」の場合は、弁護士を代理人に立てることなく、自分自身で行う「本人訴訟」のやり方がある。勉強をし、証拠を揃える労を厭わないならば、訴訟費用は「訴状」に貼る収入印紙代の他、文房具代程度の支出で済む。亀井志乃はそのやり方を選んだわけだが、裁判であればこそ、以上のように相手の卑劣な手口と本心をつかむことができ、これに反論、反撃する形で自分の尊厳を守り、貫くことができる。裁判は、そういうことを可能にしてくれる制度でもあるのである。
 
 亀井志乃は先のような形で、寺嶋弘道の人格権侵害の言説を分析し、整理したのち、以下のように主張した。
《引用》
 
被告は「陳述書」に以上の如く人身攻撃的な言葉を書き連ねていました。一人の人間が他の人間に対して、これだけ多量の能力蔑視的、人格侮蔑的、名誉毀損的な言葉を、はばかることなく浴びせかけるという事実は、それだけで十二分に発話者における人格権侵害の違法性を証するに足ります。そのような発話者である被告が、平成18年度、道立文学館の中で私に吐きかけた言葉が、如何にどぎついハラスメントであったかを、被告自らが上記のような形で立証してしまった。そう言っても過言ではありません。
 しかも被告は、その結びとして「以上、今般の損害賠償等請求事件にあたって、原告の主張に対する私の考えを原告の勤務の実態に即して記しました。」(9ページ30~31行目 傍線は引用者)と記し、署名・捺印しています。そうである以上、被告は当然、先のように列挙したネガティブな「原告の勤務の実態」は具体的かつ確実に証明され得る、という確信のもとに、この文章を提出したはずです。それ故被告は、「原告の勤務の実態」として記述した内容と、原告に関する評価に用いた表現との両面にわたって、それらが真実であることを証明しなければなしません。
(下線は原文のまま)
 
 法廷の証人台に立つ寺嶋弘道被告には、当然、以上の要求がつきつけられることになるであろう。

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北海道文学館のたくらみ(39)

太田三夫弁護士の苦しい立場

○平原副館長はついに応答せず
 道立文学館の平原一良副館長の返答はまだ来ない。多分もう来ることはないだろう。なぜなら7月4日、朝9時30分過ぎ、太田三夫弁護士事務所からファックスで、次のような「事務連絡書」が届いたからである。
《引用》
 
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1、2、3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。

 要するに被告側は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」と「準備書面(Ⅱ)-2」、「準備書面(Ⅱ)-3」に対する反論をギブアップしてしまった。断念をしてしまったわけだが、「準備書面(Ⅱ)-3」は平原一良の「陳述書」に対する反論だった。当然のことながら、平原は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-3」に対する再反論の責任と義務を負っていたはずであるが、彼は再反論の自信が持てなかったのだろう。
 亀井志乃に対する再反論を放棄して、私の公開質問状にだけは返事することは、ちょっと考えにくい。そんなわけで、もう返事をして来ることはないだろうと判断したわけだが、もちろん返答はいつでも歓迎する。

○被告側の反論放棄
 太田弁護士の連絡も期日通りではなかった。
 5月23日の公判は、亀井志乃が提出した証拠物の原本調べに終始し、だが証拠物が全部で150点を超えていたため、原本調べは半分程度しか進まなかった。田口紀子裁判長が公判の時間を、30分しか取っていなかったためである。
 そこで、田口裁判長は「次回はもっと時間を取るように致します。原告の準備書面がかなり大部なので、じっくりと読ませていただくことにします」と言って、1ヶ月半ほどの余裕を取り、次回の公判は7月9日の午後2時にした。裁判長が太田弁護士の意向を尋ねると、「結構です。私のほうも、反論を出すか否かの検討を含めて、じっくりと読ませていただきます」という返事だった。田口裁判長は「では、次回公判は7月9日に開きます。被告側の反論の締め切りは7月2日にさせていただきます」。

 そんなわけで、遅くとも7月3日には反論の写しが裁判所から送付されてくるだろう。私たちはそう予想していたのだが、結局7月3日には届かなかった。
 「太田弁護士や、寺嶋、平原たちがこちらの「準備書面」を受取った日から計算すれば、もう1ヶ月半を超えている。こちらの準備書面は全部合わせて135ページ近いけれど、一人一人対しては50ページに達していない。特に平原の「陳述書」に対する反論の「準備書面(Ⅱ)-3」の場合、40ページにもならないんだから、まさかそれに対する平原の反論の時間が足りないなんてことはないだろう。それに、太田弁護士は、まあ言ってみれば「反論」のプロなんだし……」。
 そんな話をしていたところ、翌朝の9時半過ぎ、上記のような情けない内容のファックス便が1枚だけ届いた。
本件訴訟における争点との関係を考え、」と、妙に含みのある言い方をしているけれど、端的に言ってしまえば、被告側の3人は反論の機会と権利を放棄した、ということになるだろう。

○だが、逃げるわけにはいきまんよ
 その理由、分からないでもない。私は「北海道文学館のたくらみ」の(31)から(35)まで、寺嶋や平原による事実の歪曲や虚偽陳述を幾つか指摘しておいた。
 亀井志乃は寺嶋の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)-2」と、平原の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)-3」の中で、もっと詳細、緻密に彼らの虚偽陳述を指摘している。
 彼らがそれに対して、自分の側の証拠を挙げ、再反論をすることは、これは極めて難しい。いや、全く不可能なことだったに違いない。

 結局この二人は反論の機会と権利を放棄する形で、自分の陳述の大半が虚偽であることを認めたわけだが、とすれば、この二人の「陳述書」を証拠物とする太田弁護士署名の「準備書面(2)」も、虚偽に基づいて書かれていたことになる。太田弁護士も亀井志乃の「準備書面(Ⅱ-1)」に対する反論の機会と権利を放棄するよりほかはなかったわけである。

 だが、自分の側の嘘がバレたから、反論の準備書面を提出する予定はありません」。そんなことで済むはずがない。偽証、証拠の捏造、それを通して新たに亀井志乃に加えられた人格権の侵害などの違法性が問われる。これは覚悟しておかなければなるまい。

○「訴え」の変更
 亀井志乃は「訴え」の内容を変更することにして、7月7日、
平成19年(ワ)第3595号損害賠償等請求事件について、原告は次のとおりに請求の趣旨を追加的に変更する。」という「申立書」を札幌地方裁判所へ持って行った。
 なぜ「訴え」を変更することにしたのか。彼女は
「請求原因の追加」を次のように書いている。
《引用》
 
訴状記載請求の原因に次のとおり追加する。
 被告は訴状記載のとおり、平成18年度内に原告に対して行った人格権侵害の違法行為に対して(中略)損害賠償の債務と謝罪義務を負うものであるところ、裁判の過程において虚偽の陳述を行い、かつ原告の人格と能力と業務態度を中傷誹謗する、人格権侵害の違法行為を行った。
 より具体的に言えば、①被告は平成20年4月9日付けの「準備書面(2)」において原告の人格や、原告の文学館業務に関する知識を貶める記述をなしていた。しかも「準備書面(2)」の主張を裏づける「証拠物」(同年4月15日付け)として提出された乙1号証(被告本人の「陳述書」)及び乙12号証(平原一良北海道立文学館副館長による「陳述書」)は虚偽の陳述に満ちており、このような書証を証拠物として提出することは偽証的、あるいは証拠捏造的違法行為にほかならない。
 ②被告は乙1号証(被告本人の「陳述書」)で20数カ所に及ぶ虚偽の陳述を行い、原告の人格と能力と業務態度を誹謗中傷した。その意図は明らかに原告の社会的信用を失墜させ、裁判官に対して原告に関するネガティヴな印象を与えることにある。これは法廷において原告に対して行われた、極めて悪質な人格権の侵害のセカンド・ハラスメントであり、違法行為であることは言うまでもない。
 ③また被告が乙1号証と共に提出した乙12号証(平原一良北海道立文学館副館長による「陳述書」)においても、原告に関する陳述だけでも20数カ所に及ぶ虚偽の陳述が見られ、原告の父のブログをあげつらった箇所における虚偽の陳述を含めれば25カ所を超える。その意図は明らかに原告の人格と能力と業務態度を誹謗中傷するのみならず、原告の父の人格をも中傷して、原告とその父の社会的信用を失墜させ、裁判官に原告に関するネガティヴな印象を与えることにある。これもまた法廷において原告に対して行われた、極めて悪質な人格権の侵害のセカンド・ハラスメントであり、違法行為であることは言うまでもない。その違法行為は原告の父にまで及んでいる。
 よって原告は被告に対し、以上の3点に関して、(中略)原告に対する虚偽記載に基づく人格権侵害行為の損害賠償金として追加請求をする。

 分かるように、当初の「訴え」は平成18年度に寺嶋弘道が亀井志乃の人格権を侵害した違法行為に関するものだったが、更に今回、裁判の過程で亀井志乃に加えられた人格権侵害に対して損害賠償を追加請求することにしたわけである。
 このような「訴えの変更」は、民事訴訟法第143条が保証している。それは何故かと言えば、当初の「訴え」とは別個に、新たに今回の人格権侵害に対する「訴え」を起こすとすれば、二重手間となる。原告にとっても、被告にとっても、時間的、金銭的(訴訟費用)な負担が多くなってしまうからである。
 
 ただし、このような「変更」は決して無制限ではない。当初の「訴え」とは無関係な「訴え」を追加しようとしても、これは裁判官によって却下されてしまう。裁判を混乱させ、いたずらに長引かせることになってしまうためである。しかし亀井志乃の追加請求は、旧請求を維持しつつ新しい請求を加えるものであり、法的には何ら問題はないだろう。
 しかも最高裁は、昭和39年7月10日の判決で、
相手側の陳述した事実を請求原因とする新請求について、仮に請求の基礎を変更する訴えの変更であっても、相手方はこれに異議を唱えて訴えの変更を許されないことを主張することはできない」としている(大島明著『民事訴訟の実務』民事法研究会、平成9年発行)。
 亀井志乃の追加請求は、まさしく
「相手側の陳述した事実を請求原因とする新請求」であり、相手側、つまり寺嶋弘道側はこれに対して異議を唱えることはできないのである。
 
 亀井志乃は以上のような考え方に基づいて、「訴え変更の申立書」を裁判所に持参したわけだが、応対した書記官は、「これを受理するかどうかは、7月9日の公判で裁判長が決めることになります」という意味のことを言って、「申立書」を受け取った。

○逃げ道を塞ぐために
 亀井志乃がこのような手続きを取った理由はもう一つある。
 ひょっとしたら太田弁護士は、〈寺嶋と平原の「陳述書」は亀井志乃の業務態度について述べたものであって、本件の争点とは直接にはかかわらない〉という理屈を立てて、当初の「訴え」に関する議論から、寺嶋と平原の「陳述書」を切り離そうとするかもしれない。
 つまり、亀井志乃に関する嘘と悪口をたっぷりと書かせておいて、亀井志乃の反論、反撃を受けるや、それに対する再反論のメドが立たず、これはマズイと、二人の「陳述書」を反古にしてしまう。そういう手口を使うことも、予想しておかなければならない。
 亀井志乃はそういう逃げ道を塞いでおくためにも、「訴え変更の申立書」の手続きを取ることにしたのである。

○訳の分からない「否認」
 さて、第5回公判の7月9日、法廷に入った亀井志乃は書記官から何か文書らしいものを1枚渡された。太田弁護士も田口紀子裁判長もまだ法廷には姿を見せていない。傍聴席の妻と私に、亀井志乃がその文書を見せたので、大急ぎで目を走らせてみると、太田弁護士署名の、被告側「準備書面(3)」で、日付は7月9日。
 多分7月8日に、裁判所から亀井志乃の「訴え変更の申立書」を送付され、取り急ぎ被告の寺嶋弘道と相談した結論なのであろう、次のような文言が記されていた。
《引用》

第1 請求の趣旨の拡張に関する答弁
 1 原告の請求を棄却する
 2 訴訟費用は、原告の負担とする
 との判決を求める。
第2 追加された請求の原因に対する認否

  
全て否認ないし争う。

 要するに被告側としては、「訴えの変更」は認めない、だから裁判所はこれを「棄却」して欲しいということらしいのだが、民事訴訟法第143条に照らして言えば、こんな「準備書面(3)」の主張こそ棄却されなければならない。
 おまけに、
追加された請求の原因」について、全て否認ないし争う」とは一体どういうつもりなのか。何だか訳が分からない。亀井志乃が追加請求をすることになった「原因」は、太田弁護士署名の「準備書面(2)」、及び寺嶋と平原の「陳述書」である。とするならば、太田弁護士や寺嶋被告は自分たちが書いたこれらの文書そのものについて、全て否認ないし争う」というわけだが、……う~ん、まさか自分たちの文書を否認したりするわけじゃないだろうナ。

○弁護の破産
 そんな疑問が私の頭の中でちらちらと点滅している間に、太田弁護士が部屋に入って来、田口裁判長が登場して、まず亀井志乃が提出した証拠物の原本調べに入り、これが20分ほどかかった。
 その後、田口裁判長は太田弁護士に7月4日付けの「事務連絡書」の内容を確認し、次に亀井志乃の「訴え変更の申立書」について1ヵ所、書式上の訂正を助言し、その上で、太田弁護士にこの「申立書」を受理するか否かを確認した。太田弁護士は「受理します」と答え、私はまた一瞬、えっ? と混乱した。太田さんは、
原告の請求を棄却する……との判決を求め」ているのじゃなかったのか。……しかし、すぐに私は自分の勘違いに思い当った。ああそうか、太田さんは民事訴訟法第143条や最高裁の判例に従って受理するけれども、しかし判決の段階では原告の請求が棄却されることを求める。そういうことであるらしい。

 だが、私の混乱とは別な次元で、田口裁判長も太田弁護士の主張に、何か腑に落ちないものを感じたらしい。被告側は、原告によって「追加された請求の原因」について「全て否認または争う」ということだが、新たな証拠や反論を用意しているのか。そういう意味の質問を田口裁判長がしたところ、太田弁護士は「いえ、ありません」。
 ん????……。いや、この疑問符は田口裁判長のものではない。私の頭の中の疑問符なのだが、新たな証拠や反論なしに、どうやって
「全て否認または争う」つもりなのだろうか。要するに、「私はそんなこと認めないよ」と駄々を捏ねているだけではないか。

 釈迦に説法みたいなことだが、裁判において、こちらが証拠に基づいて主張したことを、相手側が「否認」する場合、相手側はこちらの証拠を覆し得る証拠を挙げて反論しなければならない。太田弁護士はこの大原則を百も承知しているはずだが、証拠も反論もなしに「全て否認または争う」という。これはもう弁護の破産というほかはないだろう。

○打つ手がない?
 続けて田口裁判長が何か質問をし、太田弁護士は「それは評価とか、そういうようなことです」。どうやらそんな意味のことを、もぞもぞと言っていた。
 私は最近とみに耳が遠くなって、うまく聞き取れない。家に帰って、亀井志乃に聞いて見ると、「う~ん、私にもよく分からなかったのだけれど、太田さんが言ったのは、被告側の「準備書面(2)」や、被告と平原副館長の「陳述書」について、人格権の侵害だというのは、書かれた内容ではなくて、書き方に関する評価の問題だから、第3者が読んで、原告と同じくこれは人格権の侵害だと受け取るかどうかは分からない。そこに争う余地がある。そんな意味だったんじゃないかしら」。
 
 なるほどなあ、寺嶋や平原の「陳述書」は嘘ばかりだが、もし亀井志乃を褒めそやしていたとすれば、人格権の侵害にはならないはずだ。だから、書き方に注目してほしい。そういう理屈になるらしい。とするならば、彼らがついた嘘と、亀井志乃に対する人格権の侵害とが、どれだけ密接不可分に有機的に結びついているか。それを証明する形で
「争う」ことになるわけだ。
 
 だが、もしそうならば、亀井志乃は既に「準備書面(Ⅱ)-2」や「準備書面(Ⅱ)-3」の中で、彼らの嘘と、亀井志乃に対する人格権の侵害がいかに密接不可分であるかを詳細に分析し、証明している。だからそれと
「争う」ためには、自分の側の証拠を挙げて反論しなければならないはずだが、ところが、太田弁護士署名の「事務連絡書」によれば、反論の準備書面を提出する予定はありません。昨日(7月9日)の公判においても、新たな証拠や反論は用意していない、と言っていた。
 では、被告側は、どうやって
「全て否認または争う」つもりなのだろうか。
 こんなふうに考えを詰めて行くと、結局は元の黙阿弥、先ほどの疑問に戻ってしまうわけだが、要するに被告側はもはや打つ手がない。仕方がないから、取りあえず
「全て否認または争う」と言って、様子見をしていよう。そんな魂胆なのであろう。 
 
○事実と評価
 そこで思い出したのだが、太田弁護士は第1回の公判で、「原告の「訴状」は事実と評価とが別れていないため、反論を書くことはできない」と注文を付けていた。そのため亀井志乃は改めて「訴状」を書き直し、それを「準備書面」として提出することになったわけだが、多分太田さんは、「いま雨が降っている」という事実と、「天気が悪い」という評価とを厳密に区別したいタイプの弁護士なのだろう。では、「いま雨が激しく降っている」と言う場合、「激しく」は事実に属することなのだろうか、それとも評価なのだろうか。
 
 亀井志乃の「準備書面」に対する、被告側の反論「準備書面(2)」が届いた時、実はその点に関心を持ちながら私は読んでみたのだが、どうやら太田さんにとって「激しく」は評価の領域に入るらしい。太田弁護士の反論はもっぱら「激しく」のレベルにこだわり、揚げ足を取るだけであって、「天気が悪い」という、言わば法的な判断の領域には決して踏み込まないからである。
 それが太田弁護士の
「争う」スタイルらしいのだが、他方、自分のほうは、亀井志乃が平成18年4月7日の出来事に言及し4月4日(火)に被告が駐在道職員として道立文学館に着任した、その4日目の事柄である」と書いたことを取り上げ、まるで鬼の首でも取ったかのように、得々と次のように勝鬨を上げていた。
《引用》
 
被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。

 太田弁護士としては、「してやったり!」と得意満面だっただろう。しかし、それじゃあ太田さん、この記述の後半は事実のレベルなのですか、それとも評価なのですか。そう訊かれたら、太田弁護士はどう答えるか。隗より始めよ。太田さん、まずあなたのほうが、事実と評価をきちんと書き別ける手本を示して下さい。
 おまけに、太田弁護士のこの得意満面な口調はまことに滑稽であって、その理由は、〈確かに道立文学館は4月1日の土曜日にも開館していたが、官公庁は休日だった〉事実を見落としてしまったことである。北海道教育庁は4月1日(土)と2日(日)は休み。ところが、道立文学館は4月3日の月曜日が休館日。辞令交付の着任式が行われたのは4月4日のことだったのである。
 そのような次第で、気の毒ながら太田弁護士は亀井志乃から次のような反論を受けてしまった。
《引用》
 
この文章の前段は被告の記憶の誤り、すなわち錯覚であって、原告が先の「準備書面」で言及しておいたように、被告が着任したのは4月4日であった(甲37号証の1・2・3。この日付の勘違いによって明らかなのは、今般の被告「準備書面(2)」の記載内容が被告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。

 太田弁護士のこの「準備書面」に限らず、寺嶋弘道の「陳述書」も平原一良の「陳述書」も事実の歪曲や虚偽の証言に満ちており、彼らはそれらの延長として亀井志乃の人格や業務態度を貶める言説を書き連ねている。このような文書に関して、事実と評価をどのように区別できるのか。太田弁護士はその肝心な点は棚に上げて、「評価」レベルでは「争う」余地があるかのように取り繕おうとしたのだろう。
 苦しい言い逃れだが、もし太田弁護士を窮地から救い出すことができる人間を探すとすれば、それは寺嶋弘道被告しか考えられない。寺島弘道が証人台でしっかりと証言すればいいのである。
 
○本人尋問の仕方
 田口裁判長もそう考えたかどうか、その辺の事情は分からないが、太田弁護士のもぞもぞとした説明は深追いせず、話題を証人尋問のほうに持っていった。
 当事者の尋問は、当事者が予め提出した「陳述書」に基づいて行われるわけだが、被告・寺嶋弘道の「陳述書」は既に出ている。田口裁判長は亀井志乃に「原告の「陳述書」を出していただきたいのですが、時間はどの程度取りますか。1ヵ月、いや2ヵ月ほど掛っても差し支えありかせんが……」。亀井志乃はちょっと考えて、「では、1ヶ月ほど時間を下さい」。
 そこで、亀井志乃の「陳述書」の提出締め切りは8月11日ということになり、次回の第6回公判は8月29日、10時半からに決まった。

 ただ、被告・寺嶋弘道の尋問は被告代理人の太田弁護士が行うが、原告の亀井志乃には代理人がいない。このような場合は、裁判長に尋問をお願いすることになっており、田口裁判長が引き受けてくれた。「それでは、どのような点を質問してもらいたいか、「陳述書」と一緒に、質問の項目を書いたものも届けて下さい。そのために必要な証拠物があれば、一緒に出して下さって結構です」。もちろん田口裁判長の本人尋問が終わった後、太田弁護士の反対尋問が行われる。

 では、被告の寺嶋弘道に対する太田弁護士の尋問が終わった後、原告からの反対尋問はどうするか。亀井志乃が「私が被告の反対尋問をするについて、どのくらいの時間をいただけるのでしょうか」と訊いた。田口裁判長は「そうですねえ……。被告代理人からの申し出は「尋問時間、約60分」となっていますから、原告の反対尋問も同じくらいの時間を見なければならないわけですが」。すると太田弁護士が、「「証拠の申出書」には約60分と書いておきましたが、そんなには時間を取らない、もっと短くて済むと思います」。
 そこで、田口裁判長は、「それならば、原告の反対尋問の時間は一応40分くらいと見ておきましょう。原告はこの時間全部を使って反対尋問を行って差し支えないわけですけれど、もう一つの方法として、原告がこれだけは訊いておきたいという要点の尋問を裁判長に依頼し、その尋問と被告の返事を聞いた上で、原告本人が補足の尋問をするというやり方もあります。どちらの方法を取るか、検討してみて下さい。要点の尋問は裁判長に依頼したいということになりましたら、要点の質問を整理したものを届けて下さい」。
 
 昨日(7月9日)の公判はこのように終わった。

○被告本人の尋問は地雷原
 このようにして、漸く裁判が尋問に向かって動き出すことになったわけだが、当事者本人の尋問は、予め本人が提出した「陳述書」の内容に即して行われ、しかも本人尋問を行う場合は、事前に「尋問事項」を出しておく必要があるらしい。太田弁護士が提出した「証拠の申出書」(平成20年4月15日付け)によれば、予定している「尋問事項」は次のようであった。
《引用》

(1) 北海道立文学館(以下「文学館」という)における財団法人北海道文学館の職員と北海道教育委員会からの駐在職員の事務分掌について。
(2) 文学館における被告と原告の職務上の関係
(3) 原告から指摘されている被告の各行為に対する事実関係はいかなるものか。
(4) 原告の文学館における事務に対する考え、態度はどの様なものか。
(5) その他関連事項の一切

 先ほども言ったように、被告の寺嶋弘道は既に「陳述書」を出しており、この尋問事項はそれに即して質問されるわけだが、当然のことながら寺嶋弘道は「陳述書」と矛盾するような証言をすることはできない。ところがその「陳述書」は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-2」によって、20数ヵ所に及ぶ虚偽や事実の歪曲が指摘されている。寺島弘道は亀井志乃の指摘が間違いであることを証明しつつ、太田弁護士の尋問に答えなければならない。更には裁判長あるいは亀井志乃の反対尋問にも耐えられなければならない。
 もし「陳述書」と矛盾することを答えてしまったり、亀井志乃の指摘を認めざるをえない結果になったりすれば、彼の証言の信憑性はたちまち吹っ飛んでしまう。その意味でこの尋問は、まるで地雷原に踏み込んでしまったみたいにスリリングなものになるだろう。
 
 ただ、太田弁護士や寺嶋被告に一つ有利な点があり、それは既に亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-2」で、反対尋問の手の内を見せてしまったことである。二人はそれを念頭に置き、亀井志乃が衝いてくるだろうポイントを外しならが、太田弁護士は寺嶋被告が発言ミスを犯さないように質問の言葉を選び、寺嶋被告の答えを安全地帯にまで導いて行けばいい。その点では、あちこちに露呈している地雷の雷管を踏まないよう慎重にことを運ぶならば、不用意なミスを犯さずに済むわけだが、それにしても太田弁護士は
「原告の文学館における事務に対する考え」まで、被告から聞き出すつもりらしい。被告の寺嶋弘道は一体何を根拠として、原告・亀井志乃の「考え」を説明することができるだろうか。ともあれ、この尋問が厳しい緊張の時間となることは間違いない。
 

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北海道文学館のたくらみ(38)

平原一良氏への公開質問状

○公開質問状とする理由
 今回は財団法人北海道文学館の副館長・平原一良氏に対する公開質問状としたい。
 理由は簡単明瞭である。平原一良副館長は裁判の「陳述書」において、亀井志乃の勤務状態が如何なるものであったか、縷々述べているが、その中で3回私のブログに言及している。そのブログは、一つは私のHP(http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/)に再掲載した「文学館の見え方」であり、二つには、現在こうして書き進めている「北海道文学館のたくらみ」である。それ故、このブログを読んで下さっている人たちには、平原副館長の書くことと私の書くことのいずれが真であり、いずれが偽であるか、直ちに検証することができる。これが公開質問状とした第一の理由である。

 第二に、このブログにはコメント欄があり、また、「北海道文学館のたくらみ(26)」で述べたような事情により、直接私にメールを送ることができる。それ故、平原一良副館長が質問に答える上で、何ら煩瑣な手続きは要らない。ただ、「北海道文学館のたくらみ(26)」でことわっておいたように、答えがメールで送られてきた場合には、「当ブログの内容について頂戴した用件や意見は、名前と共に、当ブログに引用させてもらう場合があります」。

 第三に、平原一良副館長の「陳述書」は被告側の「準備書面(2)」の証拠物として書かれたものであり、上記の内容に相違ないことを誓います。」と結んで、署名し、捺印している。それ故、平原一良副館長の答えは、自分の「陳述書」に述べたことが真であることを、証拠を挙げて証明するだけでよい。それ以外の、弁解や事情説明は一切不要であり、回答としての意味を持たない。

 第四に、平原一良副館長の「陳述書」は、原告の亀井志乃が財団法人北海道文学館の嘱託として働いていた期間の勤務状態を述べたものであり、それ故私の質問に対する答えも、亀井志乃が嘱託として働いていた期間内の事柄に絞ることができる。また、そうしなければならない。その意味でも平原一良副館長が答えに要する労力は少なくて済むはずである。

○又しても平原一良の虚言
 さて、平原一良副館長は「陳述書」の中で3回私のブログに言及していたが、1回目の言及については、前回の「北海道文学館のたくらみ(37)」で検討し、彼の言うことが如何にいい加減であり、偽りであるかを明らかにしておいた。2回目は次のようであった。
《引用》
 このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました。これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした。このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました。毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました(5ページ29~37行目)
 
 ここで平原副館長が言っている「このころ」とは、その前の段落との続きで言えば、「やがて、12月を迎え」、次年度(平成19年度)の職員募集要項が財団のHPに載せられた頃のことである。だが、ここでもまた彼は嘘を吐いている。亀井志乃の事務室における席が変わったのは、平成18年11月10日(金)、毛利館長(当時)および平原副館長と亀井志乃が話し合った結果であり、平原が言う「このころ」の1ヶ月以上も前のことであった。このことは「文学館のたくらみ・資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「資料2」に載せた、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(平成19年1月22日掲載)を見てもらえれば、直ちに明らかだろう。
 また、同じく「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」を見れば、亀井志乃の席換えは決して「緊急避難的な対策」ではなかったことも分かるだろう。毛利館長と平原副館長が、亀井志乃の「自分の席を、学芸班の位置から、自分が所属している業務課の側の席に移してほしい」という要求を正当なものと認めた、その結果の席換えだったからである。
 
 亀井志乃は「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」を、毛利館長や平原副館長に渡したが、彼らは一言も訂正を要求してこなかった。この点も確認しておきたい。

○質問その①
 そのことを一つ確認し、さて私のブログの問題に進むならば、平原一良は「亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」と言う。この「ブログ」は現に私が掲載を継続している「北海道文学館のたくらみ」を指すものと思うが、私が掲載を始めたのは平成18年12月28日のことであって、「文学館の見え方」の再開ではない。平原一良は「当財団への仮借ない糾弾」「再開」されたのだ、と主張するかもしれないが、「文学館の見え方」と「北海道文学館のたくらみ」とはモティーフもテーマも異なっている。
 もともと亀井志乃が寺嶋弘道を告訴した裁判において、被告側証人の平原一良がその「陳述」の中で、私のブログを持ち出すのは筋違いなのである。まして平原が言う「「ハラスメント」問題ばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題」に関する私のブログは、「北海道文学館のたくらみ」だけであり、それらの問題と関係ない時期に書かれた「文学館の見え方」まで持ち出すのは、お門違いもはなはだしい。そうであればこそ私は、議論が錯綜することを防ぐために、二つのブログを切り離すことにし、前回は「文学館の見え方」に関する平原一良の虚偽証言を取り上げた。そして今回は、「北海道文学館のたくらみ」に関する平原の陳述を分析、批判することにしたのである。
 そのことをことわった上で、さて、平原副館長に質問しよう。平成28年12月28日に始まった「北海道文学館のたくらみ」のどこが、当財団への仮借ない糾弾」なのか。平原一良は具体例を挙げて、私のブログにおける発言が「当財団(財団法人北海道文学館)に対する「仮借ない糾弾」であることを立証しなければならない。
 
○質問その②
 続けて平原副館長は、毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。」と言っているが、毛利館長が亀井志乃に対して、私のブログについて質問したのは、いつ、どのような場面においてであったか。また、平原副館長が毛利館長からそのことを聞いたのは、いつ、どのような場面においてであったか。それを明らかにしてもらいたい。

 実を言えば、平原副館長は何を言いたくて、毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。」という一文をここに書き込んだのか、その理由が私にはよく分からない。ただ、こういう文章がある以上、私はその真偽を判断しなければならないわけだが、私は毛利館長が亀井志乃に、私のブログに関して何事かを訊いた事実はなかったと思う。亀井志乃も記憶にないと言っているが、私がそう判断した理由はそれだけではない。私がそう判断した一番の理由は、平成19年1月17日、毛利館長自身が亀井志乃に次のような文章を渡しているからである。
《引用》
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。
 平成19年1月17日

 この文章は、私の「北海道文学館のたくらみ(6)」(平成19年1月25日掲載)に引用しておいた。「文学館のたくらみ・資料編」の「資料7」(平成19年1月28日掲載)にも載せてある。それ故、こうした要求・質問を私どもに対し行い」という毛利館長の文言が何を指しているのかについての説明は省略するが、少なくとも平成19年1月17日の時点で、毛利館長は、「北海道文学館のたくらみ」というブログを書いているのは亀井志乃だという認識に立っていた。なぜなら毛利館長は、こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま」から、名誉と人権を不当に傷つける」までを、全て「あなた(亀井志乃)の行動」と見なしているからである。
 
 毛利館長は、まるで亀井志乃が亀井秀雄署名のブログを隠れ蓑に使ってきたかのような関係妄想に基づいて、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけ」たと、亀井志乃に「強く抗議」している。だが、彼は「根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」と断言する根拠を、何一つ具体的に明示していない。ということはすなわち、毛利館長のほうが亀井志乃に対して、根拠のない誹謗・中傷をしたことになるだろう。同時に、私に対してもそれは根拠のない誹謗・中傷となっている。なぜなら、具体的な事例に基づいて北海道文学館のあり方を論じてきた私のブログを、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけ」たと決めつけ、貶めたことになるからである。
 毛利館長はこの文書は冒頭に、財団と館の意思として申し上げます。」と書いてある。その意味では財団法人北海道文学館と道立文学館とが結託共謀して、亀井志乃に対して根拠のない誹謗と中傷を行い、私に対しても根拠なく誹謗と中傷を行ったわけである。
 
 亀井志乃は「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(平成19年1月21日付け)の中で、毛利館長のこの文章に対する批判と反論を行い、「文学館のたくらみ・資料編」の「資料7」(平成19年1月28日掲載)に載せた。私も「北海道文学館のたくらみ(6)」に引用しておいた。だが、それだけでこの問題は決着したわけではない。毛利館長が財団法人北海道文学館と道立文学館の名において、――あるいは財団法人北海道文学館と道立文学館が結託共謀し、毛利館長を通して――亀井志乃に対して根拠なき誹謗と中傷の人格権侵害を行った事実は、依然として残っている。私に関する誹謗と中傷の人格権侵害に関しても同断である。
 
 それにしても、平原副館長の亀井志乃の人格と能力に関する、虚偽証言を交えた、根拠なき中傷と、私のブログを引き合いに出すやり方は、毛利館長のあの文章に驚くほどよく似ている。ひょっとしたら同一人物の作文かもしれない。もしそうでないとしても、財団法人北海道文学館という組織は平気で虚偽証言をし、根拠なき中傷・誹謗によって、自分たちに都合の悪い人間を排除してしまう体質を濃厚に持っている。そう判断して差し支えないだろう。

○質問その③
 更に平原副館長は、更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。」と言っているが、亀井志乃の任用問題に関する私の言及はどのようなものであり、なぜそれは「あられもない言及」なのか。その点を明らかにしてもらいたい。
 
 念のために、私が「北海道文学館のたくらみ」を書くに至った経緯を説明しておこう。
 亀井志乃は平成18年10月31日、寺嶋弘道学芸主幹の度重なる嫌がらせに耐えかねて、彼のパワー・ハラスメントを財団の幹部職員にアピールした。だがその時期、私はブログに書く意志を持っていなかった。
 また亀井志乃は平成18年12月2日、川崎業務課長より、12月6日(水)に毛利館長による職員面接があるからと、「自己申告書」というマル秘マークの文書を渡され、12月5日、必要な事項を記入して川崎業務課長に提出した。亀井志乃としては次年度も雇用が続くための必要な手続きと思っていたが、翌12月6日、館長室における毛利館長との面談において、館長から「来年は、財団としては嘱託職員を任用する意向がない」という意味のことを告げられた。これはダマシ討ちに類するやり方だが、亀井志乃は「納得できない」旨の返事をして退出した。その上で、毛利館長との面接を「面談記録」の形にまとめ、「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」(平成18年12月12日付け)と一緒に、神谷理事長、毛利館長以下、財団の幹部職員に渡した。(平成19年1月22日掲載の「文学館のたくらみ・資料編」の「資料3」を参照)
 もちろん私はその間の事情を亀井志乃から聞いていたが、ブログを書く意志は持たなかった。
 
 しかし、平成18年12月27日、毛利正彦文学館長と平原一良副館長が亀井志乃に対して、極めて不誠実な「回答書」を返してきた(平成19年1月24日掲載「文学館のたくらみ・資料編」の「資料5」参照)。その翌日、私は直ちにブログでハラスメント問題を取り上げることにしたのである。
 私は次のように書き出している。
《引用》
 北海道文学館では現在、常識では考えられない不当なことが行なわれている。
 道立北海道文学館のTという50歳台の学芸主幹が、女性の嘱託職員に対して、侮蔑的な言動による、執拗ないやがらせを続けた。嘱託職員はついに堪りかねて、これは〈人権侵害のパワー・ハラスメントに当たる行為ではないか〉と、Tに対してだけでなく、神谷忠孝理事長や毛利正彦館長、平原一良副館長、K業務課長にもアピールした。これだけでも無視できない、――無視してはならない――大きな問題であるが、神谷以下の幹部たちはその問題をまともに取り上げることをしなかった。その代わりに、毛利正彦の口を通して、被害を訴える嘱託職員の解雇を通告してきた。
 いわば加害者のTのほうを庇い、嘱託職員を文学館から排除してしまう形で、問題の揉み消しを図ったのである
(「北海道文学館のたくらみ(1)」平成18年12月28日掲載)
 
 私はこのように書き始め、これ以後は、基本的には亀井志乃のアピール文や「面談記録」を紹介し、その内容を分析する形で進めてきた。そのどこが「仮借ない糾弾」なのか。また、このような表現のどこが、亀井志乃の任用問題に関する「あられもない言及」なのか。
 
 ちなみに亀井志乃が財団から解雇されるまでの期間、私が亀井志乃の任用問題に言及した頻度と内容・表現は、僅かに次のような程度のものでしかなかった。
《引用》
 しかし、K嘱託職員のアピールは正当に取り扱われることがなく、逆にアピールに対する報復としか考えられない解雇通知を、毛利正彦文学館長から告げられた。そこでK嘱託職員は、「駐在道職員の高圧的な態度について」ほか、幾つかの記録文を、理事や評議員に(住所の分かる範囲で)配布することにした。道立北海道文学館のなかで何が起っているかをアピールするためである(「北海道文学館のたくらみ(3)」平成19年1月4日掲載)

 それ以前から、寺嶋に侮蔑的な言葉を吐きかけられ、大学図書館へ閲覧に出かけるだけでも文書の書き直しをさせられる。これはパワー・ハラスメントではないかとアピールし、職場環境の改善を求めたところ、12月の6日、文学館長の毛利正彦から突然、来年度は雇用しない「方針」を言い渡された。展示の準備が胸突き八丁に指しかかった時期である(「北海道文学館のたくらみ(9)」平成19年2月20日掲載」)

 私が思い当るのは以上だけであるが、もちろん私の見落としということもあり得る。それ故、平原副館長は遠慮なく私の見落とした箇所をも指摘して、その上で、私の書き方のどこが「あられもない言及」なのか、この質問に答えてもらいたい。

 平原副館長は「いや、自分が問題にしたのは亀井志乃が辞めるまでのブログ記事だけでない。それ以後の記事も含めてのことなのだ」と主張するかもしれない。だったら、もちろん遠慮は不要。この「北海道文学館のたくらみ(38)」に至るまで、私が亀井志乃の任用問題に言及した箇所において、その表現のどこが「あられもない」のか、平原副館長は明確に答えるべきである。

○質問その④
 平原副館長は更に、先の文章の中で、そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました。」と言っているが、道立文学館という職場の中で「亀井志乃しか知り得ない情報」とは何か。亀井志乃しか知り得ない情報であるならば、なぜ平原副館長はそれを「亀井志乃しか知り得ない情報」と知ることができたのか。

 平原副館長としては、いやそういう意味ではなくて、亀井家の中では「亀井志乃しか知り得ない情報」という意味なのだ、と訂正を求めるかもしれない。もちろんそれならば、それでもいい。ただ、私は当時、財団法人北海道文学館の理事だった。だけでなく、財団法人北海道文学館の理事や評議員の中には私の知人もいれば、北大教師時代の教え子もいる。同じく、北海道教育委員会の中にも、道立近代美術館の職員の中にも知人もいれば、教え子もいる。私がそういう人たちを通して得ているかもしれない情報を計算に入れて、それでもなお亀井の家では「亀井志乃しか知り得ない情報」とは何か。平原副館長に答えてもらいたいのは、その点である。

 おそらく平原副館長は「当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました。」という言い方で、「亀井志乃は守秘義務を守らず、道立文学館の中で部外秘とされていることを父親に洩らしていたのだ」という印象を裁判官に与えるつもりだったのであろう。
 何とも姑息な企みであるが、しかし、勤務中に知ったことが何から何まで守秘義務の対象になるわけではない。実際に守秘義務として守らなければならない事柄はかなり限定されており、それらは「実質秘」または「形式秘」と呼ばれている。では、「実質秘」や「形式秘」の範囲と性質はどのようなものか。私は「北海道文学館のたくらみ(11)」(平成19年3月14日掲載)で検討しておいた。平原副館長にはそれらのことを踏まえた上で、次の問いに答えてもらいたい。私は寺嶋弘道の亀井志乃に対するハラスメントの実態と、亀井志乃のアピールを受けた後の財団幹部職員の対応、及び亀井志乃の任用問題に関して、このブログの中で何回か言及してきたが、その文言の中で、当館に勤務する同氏(亀井志乃)しか知り得ない情報」に基づいていると判断できる表現は、具体的にはどの個所なのか。
 
 平原副館長はこの点に関して、証拠を挙げて答えなければならない。もしそれをしない/できないならば、当然彼は亀井秀雄のみならず、亀井志乃をも中傷したことになる。

○またまた平原一良の事実隠蔽的虚言
 平原副館長が「陳述書」の中で3回、私のブログに言及したわけだが、3回目の個所は次のようであった。
《引用》
 この種の持ち込み貸し館の企画は珍しいことではなく、過去にも例のあることでしたが、そのへんの事情を十分に知らない亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による「自分の展示」への妨害だと受け取ったようでした(6ページ10~11行目)

 「北海道文学館のたくらみ(9)」(平成19年2月20日掲載)で紹介したように、亀井志乃を主担当とする「人生を奏でる二組のデュオ」展(平成19年2月17日~3月18日)が展示の設営準備に入ろうとした直前、寺嶋弘道が突然、何のことわりもなしに「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(平成19年2月3日~2月8日)という展示を割り込ませ、「二組のデュオ」展の準備を大幅に遅らせてしまった。
 亀井志乃はやむを得ず、2月の11日(日)、12日(月)、15日(木)の非出勤日を返上する形で出勤し、14日(水)、15日(木)、16日(金)の3日間は、作業は午後10時近くまで及んだ。特に14日と15日の夜は、その年2月最大の低気圧通過による猛吹雪だったため、JRのダイヤの混乱を懸念して、札幌市のホテルに泊まることになった。当然のことながら亀井志乃は、寺嶋弘道による「イーゴリ」展の割り込みを、「二組のデュオ」展の準備に対する業務妨害と考え、寺嶋弘道に対する「訴状」の中に加えた。
 それに対して寺嶋弘道は、太田弁護士署名の「準備書面(2)」と、自分自身の署名を附した「陳述書」の中で、業務妨害ではないと主張し、その理由を縷々述べていた。だが、その内容と、それに対する亀井志乃の反論については、機会を改めて紹介したい。
 
 ただ、平原副館長の主張だけは、次の質問の必要上、ここに紹介することにしたわけだが、彼は上記引用の如く、「イーゴリ」展は貸し館企画であり、この種の持ち込み貸し館の企画は珍しいことではなく、過去にも例のあることでした」と、寺嶋擁護を試みている。つまり、彼は貸し館論一般にすり替えることで、寺嶋弘道が特別展示室の入口を塞ぎ、特別展示室の一部を「イーゴリ」展に使い、次の「二組のデュオ」展の準備を大幅に遅らせてしまった事実を隠しているわけだが、彼の証言のウソ臭さはそれだけではない。
 彼が狙っていたのは、亀井志乃に関して次のような印象を与えることだったのだろう。つまり、「亀井志乃は自分が主担当の役割を与えられ『二組のデュオ』展に執着して、『自分の展示』として私物化し、他方、貸し館の企画に関しては前例や慣例を知ろうともしない、そういう自己中心的な人間だったのだ」と。
 
 だが、「イーゴリ」展のやり方は、果たして貸し館の前例に倣っていたかどうか。まずその問題から検討してみよう。
 その点に関して、亀井志乃は平原の「陳述書」に対する反論、「準備書面(Ⅱ-3)」の中で、次のように指摘している。
《引用》
 年度当初の予定にない外部からの持ち込みの〈貸し館〉展覧会が存在することは、私も充分承知しています。例を挙げれば、工藤正廣理事が持ち込んだ「タンザニアの美と詩」展(平成17年6月21~30日。主催:タンザニア連合共和国大使館、タンザニア文化交流実行委員会)や、原子修理事が企画を持ち込んだ「~北の潮騒が聞こえる~ 利尻…詩と海藻押し葉展」(平成18年1月21日~2月5日。主催:利尻海藻おしばの里づくり実行委員会、NPO法人アーティスティック・アコード・アソシエーション)などがあります。
 特に「海藻押し葉展」の方は、真冬の閑散期で来館者も少なかったので、私は担当者ではなかったものの、「海藻押し葉しおり作り」イベントに自ら参加し、観客に作成を勧めるなどの協力もしてきました。
 それと共に私は、業務の進捗状況を知らない財団理事らが年間予定にない展覧会を突然持ち込んでくる事で、学芸職員も業務課も口には出さねどどれほど迷惑に思っていたか。そういう現場の状況をつぶさに目撃してきました。
 ただし、どんなに「突然」だと皆が困惑するような持ち込み企画でも、平成17年度までは、少なくとも10日から2週間以上前には皆に知らされていたし、段取りも話し合われていました。「タンザニアの美と詩」展は開催13日前(6月8日)に学芸課内打合せの議題に挙
がっていた(甲104号証。「海藻押し葉展」は、前の月の課内打合せ(平成17年12月27日)ですでに事業予定に入っていました(甲59号証参照。また、開催月の「行事予定表」にも組み込まれていました(甲105・106号証
 ですから、「イーゴリ展」のように、開催日(平成18年2月3日)の4日前に作成・配布された「行事予定表
(甲21号証)にも記されておらず、次回展覧会の主担当にも副担当にも一言のことわりもなく設営されてしまった「持ち込み貸し館の企画」は、平原氏の言うところの「珍しいことではなく」どころではありません。むしろ、展示企画の入れ方としては前代未聞のことだったのです。
 
 こうしてみると、貸し館の実態を知らなかったのは、どうやら平原副館長のほうだった。が、それはともあれ、平原副館長の貸し館論に対する反論としては、十分に委曲を尽くした反論と言えるだろう。平原副館長はここでもまた虚偽の証言をしていたのである。
 
○質問その⑤
 ただし、私がその点について質問しようとしたわけではない。私が訊いてみたかったのは、先の文言に続く「そのへんの事情を十分に知らない亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による『自分の展示』への妨害だと受け取ったようでした。」という個所についてであった。一体どの箇所で私は、亀井志乃が「二組のデュオ」展を「自分の展示」と呼んでいるような書き方をしていたか。
 亀井志乃も同じ疑問を感じたらしく、「準備書面(Ⅱ-3)」で次のように反論している。
《引用》
 もう一つ、細かい点ですが、私は「人生を奏でる二組のデュオ展」のことを、「自分の展示」などと公私混同した表現で言いあらわしたことはありません。私は、例え企画原案自体は自分が作ったものでも、展示事業の実行自体は道立文学館から委嘱されたものだという事をわきまえて仕事を進めてきました。また、平原氏の文章中には、「(父君のブログによりますと)」とありますが、亀井秀雄が執筆したブログの中で、そのような短絡的な表現が用いられた箇所は一つもないはずです。
 私が確かめた限りでいえば、
「それまで亀井志乃の構想や準備の進め方には関心がなく、展示予定のリストを見せて意見を求めても、ただパラパラとめくるだけで、突き返してきた。その連中が、急に〈展示は皆のものだか