インターミッション(その2)

旬な話題は民主党

○癌治療を受けて
 私は昨年(2009)の8月中旬に10日ほど検査入院をし、9月4日に再入院して、右の肺の下半分を切除する手術を受けた。
 回復は順調で、9月末に退院したが、2ヶ月ほど体力を養った後、12月3日に再々入院をして、抗ガン剤による治療を受けることになった。
 治療は現在も続いているが、幸い私の病気は初期段階で見つかった。主治医の予定では、治療は1月一杯で終了する。

 抗ガン剤の副作用は個人差がかなり大きいらしいが、私の場合、口腔や腸の粘膜をやられたらしく、口の中にネバネバした液が溜まり、舌が荒れて、食欲が全くなかった。
 影響は排泄作用にも及び、下痢状態になったが、もちろん実体的な便は早々と出尽くしてしまい、後は薄い色のついた液体が出るばかり。にもかかわらず、便意だけは絶え間なく襲ってくる。その代わりに小便のほうは全く止まってしまった。「コラ! お前がいじけることはないんだよ」と、わが息子を励ますのだが、シュンと黙りこんでいる。これには閉口した。4日目に、漸く小便が出て、心底ほっとした。
 そうこうしているうちに、脱水症に落ちたのだろう、体温が38度3分まで上がり、これはマズイと、解熱の注射を打ち、点滴で水分を補ってもらったところ、数時間で35度台の半ばまで急降下した。
 いきなり3度近くも上がり下がりしたわけだから、俺の体内の雑菌やウィルスにとっては温度環境の激変。さぞかしパニックに陥っているだろう。生き延びることができない雑菌やウィルスも結構多かったのじゃないか。
 ウツラウツラしながら、そんなショーモナイことを考えていた。

 抗ガン剤の点滴をしてから3週間目に入る頃、脱毛が始まり、2,3日で坊主頭になった。自分の顔がユル・ブリンナー、またはブルース・ウイルスの系統であることに満足した。

○捗らない勉強
 そのような次第で、関心が持続しない。テレビで時間を潰すことが多いのだが、映画やスポーツの試合を最後まで見続ける根気がない。楽しみにしていた高校女子駅伝、男子駅伝の日は、頭も上がらないありさまだった。
 鳩山首相が「子供手当て」に関連して、「子供は国家が育てるもの」という意味のことを言い、オヤ? それでいいのかな。
 親が子供を育てる、つまり新しい生命を生産し、日々その生命の再生産をはかるという、この労働は、もちろん自分たち自身の生命の再生産を維持する労働の一環として行われる。現在の民法に依るかぎり、これが、親が子供の成長に関して権利と責任を持つ根本条件であるが、そうである以上、政治が行うべきことは、親の労働を媒介せずに金を渡すことではない。むしろ親が労働する機会を増やし、安定させ、賃金が向上するようにはかることではないか。国家が子供を育てるなんて一見もっともらしい、美辞麗句を安易に受け入れ、うっかり馴染んでしまうと、とんでもない結果が待っているかも知れないぞ。
 どうせ暇なんだからもう一度基本的なところから考え直してみよう。そこで家族にケータイのメールを送り、ヘーゲルの『精神現象学』やエンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』を届けてもらった。だが、一向に捗らない。
 
○鳩山首相のかぎりなく曖昧な「思い」
 しかし、政治に関するニュースは毎日、断片的に目と耳に入ってくる。この「断片的」というところが、病み衰えた脳の思考力には手頃な材料なのであろう。今までになく興味をもってニュースを見たり聞いたりしているわけだが、どうやら鳩山由紀夫首相には「他者」が存在しないらしい。
 しきりに「沖縄県民の思い、国民の思い」を口にするが、なぜ「思い」ではなくて「主張」「意志」と言わないのだろう。こういう曖昧な言葉で自己防衛しながら、責任を回避したがる癖があるようだな、と思っていたところ、12月24日、母親からの〈贈与〉問題に関する記者会見では「思い」の連発、大安売り。しかしさすがに〈母親の思い〉とは言わないようだな。そう思いながら聞いていると、「贈与税をごまかしたのは、私腹を肥やしたことではないか」という意味の批判に対しては、「私腹を肥やした『思い』はない」。
 えっ???

 そもそも母親からの金が「贈与」であったか否か。政治活動の資金に充てられてきた以上、あれは「献金」ではないか。そういう疑問は残るのだが、仮に「贈与」だったとしても、この「贈与」を申告せず、6億円以上の「贈与税」を払わずに来たとすれば、これはもう立派に「私腹を肥やす」行為だろう。
 これは「思い」の問題ではなく、行為事実の問題なのだが、仮に「思い」の問題だったとしても、あの「贈与」隠しは、「私腹を肥やす『思い』(意図、下心、企み)」に基づいた行為としか考えられない。
 鳩山首相は同じ記者会見で、「正直に申し上げても、この種の問題は、国民の皆さんには中々ご理解いただけないと思う」とを語っていた。
 ずいぶん国民をナメた話で、この総理大臣、「国民の皆さんには中々ご理解いただけないと思う」という理由を楯に、「正直に申し上げる」ことを回避できると、勝手にそう決めてしまっているらしい。ことが政治家としての出所進退に関わる問題である以上、国民に理解してもらえるように、言葉を尽くして「正直に」説明する。それが総理大臣のあるべき行動ではないか。

○鳩山首相のアブナイ言語感覚
 どうやら鳩山首相には「他者」が存在しないらしい。私がそう感じた理由は、彼の言葉の解釈があまりにも身勝手で、独善的だからである。
 彼が始めてアメリカのオバマ大統領に会った時、“Trust me.”(「私を信じて下さい」)と言ったらしい。初対面の相手に、こういう押し付けがましい言葉を発するについては、それなりの文脈があってのことなのだろうが、言説規則論的には、やはり失礼なもの言いと言わざるを得ない。オバマ大統領の立場からすれば、まさか「もうちょっと検討の時間を下さい」とか、「日米関係は、個人的な信頼関係とは別な次元ですからネ」とか、そんなふうに答えることはできない場面だったはずだからである。
 鳩山首相の説明によれば、この時のオバマ大統領は当たり障りのない返事をしたらしいのだが、鳩山首相はその返事を理由に、「信頼関係が築かれたと理解しています」。
 なるほど、そこで二人はたちまちお互いにファースト・ネームで呼び合う親密な関係を結んだわけだ。

 以上のことは、まあご愛敬と言えなくもないが、12月22日の朝のテレビ報道によれば、鳩山首相はマスメディア関係者に、〈普天間基地移設問題の結論は来年(2010年)数ヶ月後までずれ込むことを、アメリカに説明をし、クリントン国務長官の合意を得た〉という意味のことを語ったらしい。そのことを知ったクリントン国務長官は、直ちに「移設先を辺野古から変えることまで合意したわけではない」と声明を出した。ところが鳩山首相は、報道陣の質問に対して「日米同盟は大事であると確認し合ったことから、合意したと理解しています」。
 このように、自分の都合がいいように言葉の意味内容を拡大解釈したり、ねじ曲げたりしてしまう。そういう傾向が、この総理大臣の言動には随所に見られる。

○マスメディアの怪
 鳩山由紀夫という政治家は、何だか一昔前に流行ったファービー人形みたいな、無機質で表情の乏しい目つきをしている。面立ちはかなり違うが、前原国土交通大臣の目つきも無機質な感じで、表情に乏しい。ただ、鳩山首相の場合、口元までファービー人形に似ており、私には苦手なタイプだが、かえって好感を抱く人も多いのだろう。

 ただ願うところは、どうぞ映画『グレムリン(Gremlines)』のグレムリンにだけはならないで欲しいということだが、ともあれ彼らの政党は辺野古以外の移設先に関する具体案も持たずに、沖縄県外への移設、日本国外への移設を『マニフェスト』に掲げて、沖縄県民の期待を掻き立てて票を集めた。――道理で「県民の『思い』」としか言えなかったはずだ。――そして、さあアメリカと具体的な協議に入ろうという時点になって、辺野古以外の移設先を探し始める。
 最近の報道によれば、5月までに候補地を決定するそうである。
 政治家の集団の政策とは思えないほどの杜撰さだが、これはアメリカに対して不誠実なだけではなく、沖縄県民を欺く行為ではないか。もし5月までに沖縄県からの完全撤退案を見出すことができず、結局沖縄にその一部を残すことになれば、これは文字通り沖縄県民に対する裏切り行為だろう。
 私にはそう思われるのだが、不思議なことに、マスメディアの関係者はそこまで突っこんだ批判を決してしない。
 
 次いでに言えば、民主党の『マニフェスト』の作成には、現鳩山内閣の閣僚の党員だけでなく、小沢一郎民主党幹事長たちもかかわっていたはずであり、当然責任を負っているはずであるが、補正予算編成に関しては、一言半句そのことに言及せず、明らかに『マニフェスト』に反することを、「国民の要望」という言葉で覆い隠してしまった。
 しかも、国民新党や社民党からも閣僚が出ている鳩山連立政権に対して、民主党の幹事長が注文をつけ、だが国民新党や社民党の幹事長からの注文も聞いたのかどうか。その辺の事情については、テレビは全く説明せず、あたかも小沢一郎民主党幹事長の鳩山内閣に対する影響力を強調するかのようなコメントをつけ、鳩山内閣が3党連合内閣である事実を棚に上げてしまっていた。
 報道の仕方が何かおかしい。

○鳥越俊太郎の阿諛諂い
 それにしても、「テレビ朝日」(多分。北海道では35チャンネル、北海道テレビ/HTBが配信)の鳥越俊太郎の民主党に対する阿諛諂い
(あゆ・へつらい)は目に余るものがある。
 
 もともと「テレビ朝日」は民主党ヨイショの傾向が強く、先日は八ッ場ダムの「地元住民」なる人物の発言を紹介していた。その発言は、いかにもテレビ朝日好みの「凍結」「見直し」寄りの意見だった。が、娘が耳ざとく「おや、この人の上州弁、どこか不自然じゃない?」。
 「うん、父さんもそう思った。一口に上州の『だんべえ』言葉と言うけれど、男も女も、ところきらわず『だんべえ』なんて言葉を乱発するわけじゃない。使う場面はかなり限られているし、アクセントやイントネーションも、今の『地元住民』の発音とは微妙に違ってる。テレビ局から原稿を渡されかた、そうじゃなければ、『ここは一つ、上州のだんべえ言葉で話して下さい』なんて注文をつけられたか、とにかく変にぎこちないしゃべり方だったな」。

 それから2、3日後、NHKの「クローズアップ現代」が癌治療の最先端技術として「癌ワクチン」を取り上げた。もちろん癌治療の専門家が主たるゲストだったが、もう一人、テレビ朝日のニュースキャスター・鳥越俊太郎が同席していた。癌の手術を受けた経験者として呼ばれたらしい。
 話が終わりに近づき、NHKのアナウンサーが専門家に「アメリカは癌ワクチンの研究・開発に巨額のお金をかけているけれど、日本ははるかに少ない。どういうことなのでしょう」と話を向けたところ、鳥越俊太郎が横から返事を奪うようにして「だから、八ッ場ダム建設を止めて、その金を回せばいいんですよ」。
 全くの場違い、筋違いな発言なのだが、本人は気がつかないらしく、得意そうな顔をしている。
 
 そして12月22日の朝、再びこのテレビ局が八ッ場ダムの建設中止の問題を取り上げた。地元住民の受難の歴史にも目を向けたところを見ると、建設中止問題に関するスタンスが少し変わったのかもしれない。
 その報道によれば、八ッ場ダムの地元の人たちは、1月に前原国土交通大臣と話し合いの場を持つことを決めたらしい。その話し合いは、〈ダム建設中止の説明を受けたり、議論したりするためではなく、あくまでも川を挟んで二つに別れてしまった生活空間をつなぐ大鉄橋を実現するために話し合う〉。そういう趣旨だそうで、正しい選択と言うべきだろう。
 
 ところが、その話を振られた鳥越俊太郎は、〈税金を払っている1国民の立場で言えば、とくかく現在建設中の200幾つかのダムは、――中には必要なものもあるかもしれんけど――建設を中止してほしい。ダム建設こそが官庁と現地住民との利権をめぐる癒着の構造を作ってしまったのだから〉云々。
 ひどい論点のすり替え。何としてでも、八ッ場ダム建設継続の声を、地元住民の生活者エゴイズムに仕立ててしまいたいのだろう。
 だが八ッ場の問題は、――そして多分、他のダム建設の問題においても――〈全国200幾つかのダム建設〉という一般論には解消できない特殊な事情を抱えており、この日のテレビ朝日はわずかながらもそこに踏み込んでいた。それを踏まえての質問を、鳥越俊太郎は一見、大所高所からの理念を装った発言で、はぐらかしてしまったのである。
 
 それに、鳥越さん。八ッ場の生活者も、官庁の役人も、建設を請け負っている会社の社員や従業員も、みんな税金を払っている1国民なんですよ。

○鳥越俊太郎のおかしな「合意」論
 これが12月22日。その1日前の、12月21日の朝、鳥越俊太郎は〈日米合意、日米合意と言うが、『合意』はagreementであって、契約(contract)ではない。まして条約(treaty)ではない。だから政権が変わった以上、当事者の一方の考え方によって破棄したとしても、特に問題はないはずだ〉という意味のことを弁じ立てていた。
 私から見ると、これはもう曲学阿世としか言いようがなく、さすがに鳥越俊太郎本人も気が咎めたのか、英語を持ち出すときには言葉を噛んでいた。
 要するに「日米合意」なんて二人の私人が取り交わした口約束みたいなものだ、というわけだが、しかし政府という存在は、国際的な国家間の関係においては、個人を超えた人格的存在として扱われる。言葉を変えれば、個人を超えた人格的存在としてのアイデンティティを持つ存在として期待され、またそのアイデンティティを尊重される。
 そういう存在同士が結んだ「合意(agreement)」は、「《複数の当事者間の》取り決め、《国際的な》協定、条約、盟約、《法的な》協約(書)、契約(書)」(『リーダーズ英和辞典』)である。政権担当政党が変わった時には拘束力をもたないなんて軽々しいものではない。
 もし鳩山首相が、「あの合意は前の政権担当の政党が結んだものですし、まあ、アメリカの側から見ても、前大統領、あるいはそれ以前の大統領の時代の『合意』なわけですから、この際、あれはなしにしましょう」。そんなことを言い出したとすれば、その無責任さによって日本の国際的な信用を一挙に失ってしまうだろう。
 もちろん鳩山首相が自負するところのオバマ大統領との「信頼関係」なんて一挙に吹っ飛んでしまう。
 
 それだけではない。基地の移設に関する日米合意は日米安全保障条約の一環として結ばれたものであり、それ故日米合意をアメリカの同意なしに無効化してしまうとすれば、それは日米安全保障条約の破棄につながる。
 もちろんその方がいい、という考え方もあるだろうが、もしそうなれば鳩山内閣が崩壊することは疑いない。
 
 こんなふうに、鳥越俊太郎の「日米合意」解釈論はしょせん民主党に関する贔屓の引き倒しという結果しか生まないのだが、つい最近の彼の発言によれば、国会議員・鳩山由紀夫に対する母親の「贈与」は、鳩山家内部の問題であり、端からとやかく言うべき事柄ではないのだそうである。
 なるほどこの論法で言えば、母親が毎月1500万円も1600万円も子供に贈与し、子供のほうはそれを知らずに、自分の政治活動に使っていたという、まるでウソみたいな話も鳩山家の家庭の事情ということになるわけだ。だが、贈与を申告せず、贈与税を猫ばばしてきた事実については、これはもう鳩山家の家庭の事情ということでは済まされないだろう。

○小沢一郎民主党幹事長の言いがかり
 しかしこれは「激怒」なんてものじゃない、「恫喝」と言うべきだな。
 小沢一郎民主党幹事長が記者会見の席上、羽毛田宮内庁長官が言う「1ヶ月ルール」に言及して、「1ヶ月ルールなんて、そんな法律があるのか。……憲法を読んでみなさい。……内閣の1部局の1役人が内閣の決定したことについて、記者会見して方針がどうだこうだと言うのなら、……どうしても反対だというのなら、辞表を提出したのちに言うべきだ」。そんなふうに声を荒げた場面が、何度も放映された。
 それを見て、図らずも私は高校教師になったばかりのことを思い出した。

 私は昭和34年に大学を出て6年間、高等学校に勤めたが、初めの学校は中どころの炭坑町の高等学校だった。炭坑の生徒はむずかしいから……。確か校長はそんな意味のことを言い、初めの1年間は見習期間に充てるつもりだったのだろう、私にはクラス担任の負担はなく、校務分掌は生活指導部ではなくて図書館関係、そして新聞部の副顧問だった。
 授業は普通科クラスの1年生と、工業科クラスの3年生。工業科の学力は普通科よりかなり低かったが、身体が大きく、身体能力の高い生徒が多かったので、硬式野球部やラグビー部は割合に強かった。女の先生は工業科の授業を持つのを嫌がっていたが、北海道では指折りの剣士が担任だったので、それなりに抑えが利いていた。
 だが、間もなく校長の言う意味が分かった。
 当時の高等学校はどこも『生徒手帳』を発行しており、――現在も同様なところが多いと思う――服装や髪型について規定していた。それに従わなければ校則違反となるわけだが、大抵のクラス担任や生活指導部の先生は、いきなり叱責したりはしない。できるだけ目立たない形で何回か生徒の反省を促し、それでも改まらなければ職員室に呼んで注意を与える。
 ところが、ある時、一人の男子生徒が逆ねじを食らわし始めた。「決まり、決まりと言うけれど、そんな決まりを書いた法律が出来たんですか。憲法で決まっているんですか」というわけである。担任は渋い顔をして、「憲法は一々そんな細かいことまで決めているわけではない。校則は各学校の判断で、生徒が勉強に集中できるような環境や、雰囲気を作るために決めたことなんだ。それを何回も破って、まわりの生徒にも嫌な思いをさせたり、こうして職員室に呼ばれて自分自身も嫌な思いをしているだろう。そんなことをして得るところがあるのか」。そういう趣旨の説明をするのだが、同じことを言い募って、プイと職員室を出て行ってしまった。担任が後を追ったが、どこにも姿が見えない。
 すると翌日、その生徒と一緒に父親が学校へやって来て、教頭に同じことを言い募り始めた。教頭の机は職員室にある。なるほどこれをやられては、担任は立つ瀬がないな。私は血が逆流する思いで、教頭と親子のやり取りを聞いていたのだが、その時の父親の居丈高な口ぶりが、小沢一郎民主党幹事長にそっくりだったのである。

 小渕内閣が誕生し、小渕恵三内閣総理大臣が施政方針演説を行っている時、たまたまテレビカメラが、小沢一郎代議士と菅直人代議士とが顔を見合わせて、ニャ~っと笑う場面を映し出した。あの場面の印象も忘れがたい。

○宮内庁長官の発言は正当
 ただし、以上のことだけで私は、小沢発言を「恫喝」と感じたわけではない。格別の手落ちがあったわけではない羽毛田宮内庁長官に関して、〈内閣のやることに文句があるなら、辞職してから言え〉とばかりに、辞職を求めるような言葉を発していたからである。
 宮内庁長官の任命権者は内閣総理大臣だと思うが、だからと言って、内閣総理大臣の言うことに唯々諾々と従わねばならない理由はない。天皇陛下が滞りなく国事行為を執行し、また公務をこなされるよう、最大限の配慮を払うのが宮内庁長官の任務だからである。この任務の一環として、天皇陛下の健康に配慮して「1ヶ月ルール」が作られた。天皇陛下がつつがなく公務を遂行できるよう、「1ヶ月ルール」を守って欲しいと内閣に申し入れるのは、これは宮内庁長官がなすべき当然の行為であろう。
 もしこれが辞職に値する越権行為だと言うのであるならば、鳩山内閣の一員ではない小沢一郎民主党幹事長が、憲法第3条(「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ。」)を楯に、宮内庁長官の進退問題にまで容喙するのも、これまた越権行為と言わざるをえない。〔ちなみに小沢一郎民主党幹事長は故意か、偶然か、憲法第3条の末尾「内閣がその責任を負ふ。」を落としていた〕。
 もし逆に、閣僚の一員ではなく、1政党の幹事長で過ぎない人間が、憲法第3条を口実に、宮内庁長官の辞職を云々することが許されるならば、むしろそれ以上に宮内庁長官が自分の任務として「1ヶ月ルール」遵守を内閣に申し入れる行為は、まことに当然なことであり、許されるべきことであろう。

 まさか小沢一郎民主党幹事長は、鳩山内閣を民主党の私物と見ているわけではあるまい。

○剛腕? 傲慢政治家
 おまけに、天皇陛下が中華人民共和国の習近平・国家副主席の表敬訪問を受けることは、小沢一郎民主党幹事長が言うような「国事行為」ではない。憲法が定める「国事行為」は次の10項目だからである。
《引用》
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 中華人民共和国の習近平・国家副主席を誰が招待したか、私には不明だが、少なくとも大使または公使として来日したわけではない。つまり、憲法第7条の9項には当たらない訪問だったのである。

 それでもなお小沢一郎民主党幹事長は、中華人民共和国の習近平・国家副主席の表敬訪問に関する限り、これを天皇陛下の国事行為並みに扱うべきだと言いたいのかもしれない。もしそうならば、それこそ中華人民共和国の習近平・国家副主席の表敬訪問を特別扱いにすることになり、天皇陛下を特定の政治目的に利用することになってしまう。「内閣の責任」の中には、そうならないように配慮することも含まれているはずだ。ところが鳩山内閣はあってはならないことを仕出かそうとし、宮内庁長官が注意を促した。
 鳩山内閣も小沢一郎民主党幹事長も自分たちの不明を恥じ、注意をしてくれた羽毛田宮内庁長官に感謝すべきところを、それを怠った。小沢一郎民主党幹事長に至っては、逆にキレて見せている。忘恩の徒とはこういう人たちを言うのだろう。
 

 

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判決とテロル(15)

「宣誓」の重み

○オバマ大統領、宣誓のやり直し
 アメリカのバラク・オバマ氏の大統領就任の宣誓式は、ちょっとした手違いがあり、就任式の翌日、ロバーツ最高裁長官とオバマ氏はホワイトハウスの中で宣誓式のやり直しをした。
 これはよく知られた事実だと思うが、念のために復習すると、アメリカ合衆国の大統領に就任する者は、左の掌を聖書に載せ、右手を肩の高さにまで挙げて、最高裁長官が読み上げる宣誓文を復誦する。そういう形で宣誓を行うことになっているわけだが、アメリカ合衆国憲法の第2条第1節によれば、宣誓の言葉は次のようでならなければならなかった。
《引用》
“I do solemnly swear that I will faithfully execute the office of President of the United States, and will to the best of my ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States.”(私は、合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを、厳粛に誓います。)

 ところが、オバマ氏の宣誓を先導する、ジョン・ロバーツ最高裁長官がこの「宣誓」文の前半を、“I do solemnly swear that I will execute the office of President of the United States faithfully,”と言ってしまった。つまり、”faithfully”の位置を間違えてしまったのである。
 多分オバマ氏はその間違いに気がついたのだろう、”that I will execute ……”と言いよどむ。それを見てロバーツ最高裁長官は、憲法が定めた語順に言い直そうとしたのだが、オバマ氏は笑いを含んだ表情で、”the office of President of the United States faithfully,”と、ロバーツ最高裁長官が初めに言った通りの語順で宣誓を行った。ロバーツ最高裁長官の失敗を取り繕ってやったのであろう。

 文章論的に見れば、”faithfully”という副詞の位置が”execute”の前にあろうが、”the United States”の後に来ようが、文章が壊れてしまうわけではない。”faithfully”の意味が変わってしまうわけでもない。むしろ会話における発話効果の点では、”the United States”の後のほうが、「忠実に」を強調した言い回しと受けとられる可能性が高い。
 しかし、憲法の規程に従って見る限り、オバマ氏の宣誓は憲法の定めにかなっていない。これでは、大統領としての資格を得たことにはならないのではないか。そういう批判が出て、政治問題化するのを避けるためだろう、ホワイトハウスの法律顧問は「法的には有効であり、問題はない」という意見だったが、オバマ氏とロバーツ最高裁長官は改めて宣誓式を執り行ったのだそうである。

○言語行為と言説規則
 アメリカ大統領の宣誓式なんてずいぶん形式主義的なんだな。意味論的に問題がないならば、語順がどうのこうのと、いちいち目くじらを立てるまでもないじゃないか。そう疑問に思う人も多いだろう。
 しかし、ある発話が社会的に承認され、社会的な効力を発揮するためには、一定の決められた手順を踏む必要がある。むしろ私たちの社会はそういうケースが極めて多く、それなしには社会はスムーズに動かない。言説研究者はその手順を言説規則と呼ぶわけだが、では、言説規則がどのようにして発話の社会的な意味を生み出すのか。それを説明するために、よく引き合いに出されるのは、進水式における船の命名行為である。

 一般に進水式は、船主が「この船を赤城丸と命名します」と宣言し、それと共に船首を覆っていた幕が落ちて、まさに命名通りの船名が現れる。続いて、主賓の女性がシャンパンを船にぶつけ、くす玉が割れて、楽隊が演奏をする中、支綱を切られた船が徐々に速度を増しながら進水台を滑って海中に浮く。
 そういうふうに行われるらしいのだが、言説規則論的に、また言語行為論的に重要なのは、船主の「この船を赤城丸と命名します」という発話であって、なぜなら、以上のセレモニーに基づいて船主が船名を宣言し、幕を除いて船名を披露するわけだが、その手順を踏んで初めて「赤城丸」という船名が社会的に認知されるからである。
 別な言い方をすれば、今度新たに建造された船の名が「赤城丸」であることは、列席した船主や造船会社の役員や、来賓たちは既に承知しているはずなのだが、それだけでは「赤城丸」が社会的効力を持つとは言えない。船の命名に必要な、フォーマルなセレモニーと共に、しかるべき人の口から命名の宣言が発せられる。この、社会的な行為を通して「赤城丸」は社会的に認知され、社会に共有される船名となるのである。
 
 しかも「この船を赤城丸と命名します」という発話は、まさに命名行為であって、「今日は朝から雨が降っている」とか、「2プラス2は4である」とかのように、事実確認的、または真理確認的な発話ではない。これもまた別な言い方をすれば、「今日は朝から雨が降っている」とか、「2プラス2は4である」とかいう発話は、それが真であるか否か、その真偽を問うことができる。それに対して「この船を赤城丸と命名します」という発話は、真偽の判断とはかかわらない、いわば別な次元に立つ。
 このように、真偽の判断とは別な次元にあり、しかも一定の社会的なルールに従うことによって、始めて意味(社会的な承認や効力)を獲得する発話(文)。私たちの日常生活の多くは、このような発話(文)によって営まれているわけだが、そこに注意を向けたのが言語行為論であり、言説規則研究なのである。
 
○岡田外務大臣の非常識
 それにしても、岡田外務大臣の発想は信じられないくらい粗雑だな。そんなふうに、つい連想が働いてしまうのは、彼が外務大臣になって早々、閣議で〈国会の開催に当たっては、陛下の思いが入った言葉をいただくような、工夫ができないものか、考えてもらいたい〉などとトンチンカンなこと言い出したからである。記者会見では、〈陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じ挨拶をしていただいていることについて、よく考えてもらいたい〉と、無知丸出しなことまで言い出したらしい。
 
 オバマ大統領が自分の「思い」を語りたいならば、就任演説で述べればよい。宣誓式における文言が憲法で定まっている以上、型通りにそれを復誦すべきであり、もし文言の語順を間違えてしまったならば、さっそくそれを改めて、正しい語順の宣誓を行。そうしなければ、社会的な承認を得られず、効力も持ち得ないのである。
 当然のことながら、憲法で定められた文言を自分なりの言葉で言い換えたり、自分の言葉をつけ加えたりすることも許されていない。
 
 日本国憲法の第7条によれば、「国会を召集すること」は、天皇が行う国事行為の一つである。つまり天皇による国会招集という国事行為があり、その初日に天皇が臨席して、第00回の国会を召集した旨のことを述べる。そういう手続きを経て始めて国会議員の集会が「国会」として憲法上認知され、社会的にも承認されて、その議決が社会的な効力を持つわけだが、岡田外務大臣によれば、〈陛下にわざわざ国会まで来ていただく〉のだそうである。これは憲法に関する無知をさらけ出しているだけでなく、天皇に対する無礼な発言だろう。
 天皇は誰かに頼まれて、国会にわざわざ出かけるわけじゃないんだよ。岡田クン。
 
 また、日本国憲法の第3条によれば、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」ことになっている。前後の事情から判断するに、国会初日における天皇のお言葉は、かなり型通りなものであるらしいが、少なくともその都度、原案を内閣で審議し、内閣の承認を経て天皇に伝えられる。つまり天皇のお言葉の表現や内容に関しては、内閣がその責任を負っているわけで、とするならば、岡田外務大臣は内閣の一員として、どのような手順で天皇にお願いをして、その原案に「思い」を盛り込んでもらうのか、あるいはどんな方法で天皇の「思い」を察知して、それを内閣が作成する「挨拶」に盛り込むつもりなのか、その方法を明らかにし、その結果に関して責任を負わなければならないはずである。
 だが、岡田外務大臣の発話には以上のことに関する自覚が見られない。岡田さん、もっと常識を勉強しましょうね。
 
○裁判における「宣誓」の特殊性
 ところで、さて、裁判には裁判に固有な言説規則がある。このことは既に何回か言及したが、今回の流れに即して言えば、法廷の証人席に就いた原告や被告に対して、まず裁判長(官)が宣誓の趣旨を説明し、虚偽の陳述をした場合、制裁を受ける(科料を課す)ことがあることを告げる。原告または被告はそれを聞いた上で、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」と宣誓し、この文言を書いた文書(「宣誓」文)に署名するわけである。

 この宣誓それ自体は、まさに「宣誓」行為であって、「今日は朝から雨が降っている」や、「2プラス2は4である」のように、事実確認的、または真理確認的な発話ではない。その意味では真偽の判断とは別な発話(文)であるわけだが、しかしこの宣誓を行った以上は、それに続く尋問の発話はすべて真偽の判断の対象となる。
 また、虚偽の陳述をした場合は制裁を受ける(科料を課される)ことを承知して、この宣誓を行った以上、原告または被告が宣誓を守ったか否かについて、真偽の判断を回避することはできない。
 つまり、裁判における宣誓は、それ自体としては言語行為論の範疇に入る発話なのであるが、それ以後の発話は事実確認文の真偽の判断に委ねられ、もしその過程で虚偽の陳述を行ったことが明らかになれば、宣誓それ自体の真偽が問われることになるわけである。

○太田三夫弁護士のトチリ
 そんなわけで、如何に自分の依頼人の真実を明らかにし、如何なる方法で相手側の虚偽を暴くか、そこに弁護士の能力と良心とがかかってくることになるだろう。
 平成20年10月31日の本人尋問において、被告・寺嶋弘道被告の側の太田三夫弁護士は、原告・亀井志乃を次のように尋問した。
《引用》

太田三夫弁護士:最後に1点だけ、あなたの書面見てますと、あなたの仕事に他人が容喙する、要するに口出しをする、口を挟むという言葉、あるいは干渉するということ、こういう言葉が出てくるんですけど、これはどういう意味ですか。
原告・亀井志乃:くちばしを挟むですか。
太田三夫弁護士:容喙と書いてますよね。容喙というのはくちばしを挟むという意味でしょう。
原告・亀井志乃:はい、そうです。
太田三夫弁護士:それだとか干渉する、これはどういう趣旨でおっしゃっているの。
原告・亀井志乃:本来、そのような立場にない人間がそういうふうにくちばしを、要するに口を挟んでくるという、そういう意味で書いております。
太田三夫弁護士:そういう立場にないというのは、だれのことを言っているんですか。
原告・亀井志乃:被告です。
太田三夫弁護士:あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは「二組のデ ュオ展」、これはだれの事業ですか。
原告・亀井志乃:事業の主体としては、財団法人北海道文学館です。
太田三夫弁護士:財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。
原告・亀井志乃:その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。
太田三夫弁護士寺嶋さんでもいい、だれでもいいや
原告・亀井志乃:寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。
太田三夫弁護士そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に。
原告・亀井志乃:そのようなことは、ここで、いいか悪いかということについてお返事しなければならないでしょうか。
太田三夫弁護士:それはしなきゃならんでしょう。あなた、業務妨害だと言ってるんだから。
田口紀子裁判長:だから、そのような口を挟むような権利といいますか、そういう権限というか、そういう立場に寺嶋さんがあったというふうに考えていたのか、そういう権限はなかったというふうに考えていたのかについてはいかがですか。
原告・亀井志乃:なかったと考えておりました。

(原告調書32~34p。太字は引用者)

 ここで太田三夫弁護士は完全にトチってしまっていた。
 亀井志乃は、寺嶋弘道被告の言動の違法性を指摘した「準備書面」(平成20年3月5日付)の中で、
被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した(18p)と書き、また原告の業務に対する「業務妨害(同前)を指摘した。だが、太田三夫弁護士が勝手に拡大解釈したように、〈財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをするのは、悪い。業務妨害だ〉という意味のことは一言も書いていない。
 太田弁護士としては、あたかも亀井志乃が〈道の駐在職員である寺嶋弘道学芸主幹が財団の事業に関係するのは違法だ〉と主張したかのような印象を与えようとしたのであろうが、亀井志乃から
「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です「寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」と、正確な事実認識に基づく反問をされて、そんな議論するつもりはないんだわ。つまり、議論の敗北を認めざるをえなかったのである。

○太田三夫弁護士の尋問態度
 だが、それはそれとして、太田三夫弁護士の亀井志乃に対する尋問態度が、いかに相手の人格を無視した、横柄なものであったか、この引用からだけでもよく分かるだろう。私は「判決とテロル(13)」の中で、法廷という特殊な言説空間では、尋問者の被尋問者に対する態度が権力主義的になりかねない危険を取り上げ、その理由を次のように説明しておいた。
弁護士にはタグ・クェッションの手法が許され、それによって相手にイエスかノーの二者択一形式の答えを強いて、相手の矛盾をつつき出す」「それともう一つ、弁護士はしばしば、被尋問者の証言を途中で遮り、強引に自分の質問のほうへ引き戻すことをやる。これも日常の会話では、他者の発言に対する強引な介入と、権力主義的な会話の支配として忌避されるところであるが、法廷では大目に見られることが多い。これも弁護士がコワモテする理由であろう
 もし太田弁護士と私が言葉を交わす機会があり、私が「その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか」と聞いたところ、太田弁護士が「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」と投げやりな返事をする。更に私が寺嶋弘道学芸主幹はどういう立場の人間かを説明したところ、太田弁護士が「そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に」などと答えたならば、これは無礼きわまりない対応であろう。
 
 ところが太田弁護士は法廷における尋問という言説規則を――尋問者が質問をする権利を持ち、被尋問者は質問されたことに答える義務を負う。その意味で通常の対話とは異なる、非対称的な関係を――発話の権力関係にすり替え、しかも自分が男であり、亀井志乃が女であるというジェンダー関係をも露骨に計算に入れた形で、
寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」「そんな議論するつもりはないんだわ」と、亀井志乃の反問などまともに取り合うつもりはないと言わんばかりのパフォーマンスを演じていた。
 太田弁護士の前身は検事であっかたどうか、その辺の経歴は私には分からないが、少なくともあの場面から、私は、検事が刑事事件の被疑者を言葉でいたぶりながら、相手の失言を誘おうとする、そういうあくどい場面を連想せずにはいられなかった。これは尋問の名を借りた、人格権侵害の行為ではないか。薄ら笑いを浮かべ、舌なめずりせんばかりに悦に入った口調で、一見〈畳みかけるように〉問い詰めていた、あの印象は今も忘れがたい。

○「事業仕分け」の茶番劇
 もっとも、今更ながらこんなことを思い出すのは、最近テレビで、〈事業仕分け〉なる公開ヒアリングの場面を見せられる機会が多かったためかもしれない。
 この公開ヒアリングは、民主党の国会議員や、「学識経験者(有識者)」なる人間が、各省庁の概算要求にかかわる事業計画の必要性を聴取する会合らしいのだが、これもまた尋問者が質問をする権利を持ち、被尋問者は質問されたことに答える義務を負う。そういう言説規則に規制されている。「仕分け人」のほうはそれをよいことに、「なぜ世界で一番でなければならないのですか、二番ではいけないんですか」とか、「ワタシ的に見れば、それは無能っていうことですよね」とか、「ここは技術論をするところではありません。聞かれたことに答えて下さい」とか、「今の校長なんて、ほとんどマネージメントができない人間ばかりですからね」とか、要するにただ一方的に決めつけるだけで、その事業がなぜ必要なのか、その事業が中止または縮小された場合のデメリットは何かをきちんと理解する姿勢が見られない。
 特に印象的だったのは、〈宇宙にロケットを飛ばす燃料の開発にあと一歩といえる段階に達している〉という意味の説明に対して、「仕分け人」の一人が、「それで、これまでに何件くらい注文があったんですか」と質問し、「今のところまだ1件もありません」という返事を聞いた、その時の「仕分け人」の得意そうな表情。「まだ実験段階で、商品化してないのに、注文が来るはずないだろ。こんな粗雑な人間たちに最先端技術や研究開発の事業評価をやらせて、予算編成の方針を立てる政府が続くかぎり、日本の優秀な頭脳の海外流失に歯止めがきかない。むしろ一そう拍車がかかるだろうな」。それが私の感想だった。
 また、スポーツに関して言えば、この連中、スポーツ振興事業と強化事業との区別もついていないんじゃないか。
 
 そんなふうに、私にはますます民主党政権に愛想が尽きるような光景の連続だったが、ああいうショーを喜んでいる人たちも多いらしい。十分な説明時間を与えず、反論することも禁られた人間を相手に、言葉でいたぶったり、そのいたぶり方を見て溜飲を下げたり、そういうサディスティックな嗜好の人間も多いのだろう。
 そもそもあの「仕分け人」組織は、政府の諮問機関なのか、それとも民主党の諮問機関なのか。もし政府の諮問機関ならば、民社党や国民新党の国会議員が入っていないのは片手落ちでしかないわけだが、いずれにせよ、政策の決定機関でない組織が下した結論は、諮問に対する答申以上のものではありえない。答申を受けた側はこれを尊重する振りをして、骨抜きにしてしまうかもしれないのである。
 それに、少し気の利いた官僚ならば、必ず幾つかのダミー事業計画を盛り込んでおき、これを叩かせておいて、本当に必要な予算はちゃっかりと確保する。そういう工夫をして来るだろう。
 そう考えてみれば、あの連日のテレビ報道は半ば茶番劇でしかないわけだが、この茶番劇を通して見えてきた正体。それに私は愛想が尽きてしまったのである。

○太田三夫弁護士の虚言
 さてそれでは、太田三夫弁護士は先のような尋問をどのようにまとめたのであろうか。
 太田三夫弁護士が署名捺印した「準備書面(4)」(平成20年12月16日)には、次のような記述が見られる。
《引用》

第1 本件紛争の実態について
1. 本件において、原告が被告による原告に対するパワーハラスメント(以下「パワハラ」という)として指摘する被告の言動を正しく理解して評価するには、原告の後記で述べる原告独自の発想
(意味不明、引用者)にもとづく言動があることをその前提として認識しておかなければならない。
2. 原告の後記に述べる原告独自の発想
(同前)にもとづく言動が、財団法人北海道文学館(以下「財団」という)という組織の中でなされたとき、原告の事実上の上司として、原告の業務の内容を指揮・監督し執行管理する(意味不明、引用者)こととなった被告との間で若干の軋轢が生じるのは、ある意味当然のことであったと思われる。
3. (1)その原告の独自の発想にもとづく言動とは如何なるものか。
それは、次の様なものであることを指摘することができる。
(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理
(遂行? 引用者)を請負っているものである。
 従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない。
(二) 財団は、平成18年4月から指定管理者制度のもとで運営されることになり、財団の学芸班に属する原告の事実上の上司は被告とすることが財団で取り決められたが、原告は被告を上司と認めることはしない。
(三) 原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務と認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る。
(四) 財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない。
(2)原告は、以上の様な原告独自の発想のもとに、財団において種々の言動を取ったものである
(1~2p。太字、及び小文字の注記は引用者)

 太田三夫弁護士はここで書いていることは、ほとんど根拠のない虚言(そらごと)でしかないが、特に(四)については、今回の流れを見るだけでもその嘘臭さが直ちに明らかだろう。
 亀井志乃が主担当だった「二組のデュオ」展は、確かに亀井志乃の発案にかかわる企画展だったが、前年度の財団の企画検討委員会で採用され、財団の理事会で予算がつけられた。そうである以上、財団の企画展であり、だからこそ事務分掌の割り振りに際しては、A学芸員(寺嶋弘道学芸主幹と同じく、道の駐在職員)が副担当として割り当てられたのである。当然のことながら、亀井志乃は常にA学芸員と相談をしながら「二組のデュオ」展の準備を進めたのであるが、太田弁護士は故意にその事実を無視してしまったのである。
 また、以上のような経緯をふまえて、亀井志乃は、先ほど引用した平成20年10月31日の本人尋問で、
あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは『二組のデュオ展』、これはだれの事業ですか」という太田三夫弁護士の質問に対して、事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」と答えている。亀井志乃の考え方はここに単純明快に表明されており、太田三夫弁護士はこの時の速記録を手元に置いていたはずなのだが、なんと! その結論は「財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない。これは亀井志乃の人格に対する中傷誹謗を企んだ、悪質な虚言と言うべきだろう。

○情けない太田三夫弁護士の対応
 太田三夫弁護士は、亀井志乃の
「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」という返事を聞き、あまりの単純明快さに、かえって虚を衝かれてしまったのかもしれない。財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか(太字は引用者)と、訳の分からない言葉を発していた。
 続けて、亀井志乃から
「寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」と、これまた明快に筋道の立った反問をされて、そんな議論するつもりはないんだわ」と逃げざるをえなかった。それがよほど悔しかったのであろう。

○太田三夫弁護士のケチな時間稼ぎ
 太田三夫弁護士の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)は、まだその他にもおかしな点が幾つかあるのだが、それを具体的に指摘する前に、彼がどんなに屁なまずるい時間稼ぎをやったか、その点に触れておきたい。
 
 既に述べたように、10月31日(金)の公判において原告尋問、被告尋問があり、これによって双方の主張が終わり、あとは判決を待つばかりだった。ところが、10月31日の閉廷間際に、被告代理人の太田三夫弁護士から、「本日の法廷で言い残したことがあるから、もう一度『準備書面』の機会を与えてほしい」との要望があり、田口紀子裁判長がそれを認めて、原告、被告の双方に「最終準備書面」の機会を与えることにし、締め切りを12月12日とした。この時、田口裁判長が双方に課した条件は、「新しい証拠物は出さないように」ということであった。
 つまり1ヶ月半ほどの余裕をもらったわけで、亀井志乃は原告調書と被告調書を丁寧に検討した上で、被告側の主張の虚偽を指摘し、改めて自分の主張を述べた「最終準備書」を、12月12日の午後3時頃、札幌地方裁判所に届けた。A4版、全106ページ。1ページは400字原稿用紙に換算して3.6枚。全体で約380枚。
 亀井志乃は当然、被告側の「最終準備書面」を受け取ることができると考えていたのだが、太田弁護士からはまだ届いていないという返事だった。亀井志乃は裁判所の担当事務員に、太田弁護士から被告側の「最終準備書面」が提出され次第、連絡してくれるように依頼して、帰ってきた。
 ところが、12月16日(火)になっても、まだ被告側の「最終準備書面」が届かない。「おかしいな。太田弁護士のほうが『言い残したことがあるから』と言い出して、結審を先送りにして、『最終準備書面』を書くことになった。締め切りまでの期間を1ヶ月半近く希望したのも、太田弁護士のほうだった。それなのに締め切りの期日を守らない。これはもう不誠実としか言いようがないな」。そんな話をしていたところ、17日(水)の昼前、速達で太田弁護士署名の「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)が届いた。約束は「最終準備書面」のはずだが、「準備書面(4)」となっていた。
 
 太田三夫弁護士の事務所は、札幌地方裁判所から歩いて5分もかからない。亀井志乃が締め切り期日を守って、12月12日に提出した「最終準備書面」は、その日の内に太田三夫弁護士事務所に届いたはずである。つまり太田三夫弁護士は、12日の夜から13日、14日、15日と亀井志乃の「最終準備書面」を読む時間を作ったわけで、たぶん15日の午後か、16日の午前に、大急ぎで「準備書面(4)」を書いたのだろう。A4版で、7ページ。1ページは400字原稿用紙に換算して2.7枚弱。大目に数えても19枚。「1ヶ月半ももらって、たったこれだけ?!」。私は改めて太田三夫弁護士の文章能力に深い感銘を受けた。
 
 私の推測によれば、太田三夫弁護士は原告調書や被告調書をそれなりに検討して、具体的な主張点も用意していたと思う。ところが亀井志乃の「最終準備書面」が届き、急いでめくってみたところ、自分の主張点はことごとく、具体的な論証によって打ち破られてしまっている。そこでこれまで書いたものを破棄し、具体的な証拠には一切言及しないで、亀井志乃の人格論にすり替え、「原告独自の発想」なるものをでっち上げることにしたのであろう。
 たった7ページの文章なのに、文意の通らない表現があちこちに見られる。この点から見ても、私の推測は当たっているはずである。
 
 最終準備書面を提出することになった経緯から見て、太田三夫弁護士は12月12日締め切りの期日を守るべきだった。それを4日間も遅らせて、亀井志乃の「最終準備書面」の内容を知る時間を稼ぎ、いわば亀井志乃の「最終準備書面」に対応する形で、自分の側の「準備書面(4)」を作文する。
 日本の弁護士社会では、こういうやり方が通用しているのかもしれないが、素人の市民感覚からすれば「何だか、やり方が汚ねえな」。

 ともあれ、亀井志乃は先ほど引用した20年10月31日の本人尋問について、「最終準備書面」(20年12月12日付)の中で次のように指摘した。
《引用》

①被告代理人の「いわゆる主体である企画展」という言葉は意味が不明です。
②被告代理人は「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか」との質問を発しましたが、原告は〈財団法人が事業主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しするのは悪い〉という意味のことを、10月31日の法廷で言ったこともなければ、それ以前の文書で書いたこともありません。
 もし被告代理人が、原告の3月5日付「準備書面」18pの「(b)違法性 ロ」の箇所を念頭に置いて先のような質問をしたのだとしたら、それは、被告代理人の読み方が短絡的であり、かつ、原告の真意を意図的に捨象しているものである、という証拠を示しているに過ぎません。
 
 以上の点によって、被告代理人太田弁護士が原告の言葉を捏造し、虚言をもって原告を偽証に誘おうとしたことは明らかです
(95p)
 
 こういう指摘に対する、暗黙の自己防衛として読むならば、太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)の意図は、一層深いところから理解できるだろう。

○太田三夫弁護士のユニークな推論能力
 以上のことを承知してもらった上で、改めて太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)の主張を検討してみよう。
 太田三夫弁護士によれば、亀井志乃は
「(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理(遂行? 引用者)を請け負っているものである。/従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない」という独自な発想を持っていたことになるらしい。だが、亀井志乃は、原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた(平成20年3月5日付、5p)と書いたことはあるが、「財団の職員ではない」などと言ったことはない。
 
 ただし寺嶋弘道被告がその「陳述書」(平成20年4月8日)の中で、また平原一良副館長がその「陳述書」(同前)の中で、〈亀井志乃は「私は職員ではない」という意味のことを言っていた〉と証言した。だが、亀井志乃はそれが事実無根の虚言でしかないことを、「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日)と「準備書面(Ⅱ)―3」(同前)で詳細に証明した。それに対して、寺嶋弘道と平原一良副館長は再反論を放棄してしまった。亀井志乃に論駁され、自分の側では再反論できなかった事柄を、何ら新しい根拠を示すことなく蒸し返す。これは弁護士にあるまじき卑劣な行為であろう。
 
 なお、先の太田三夫弁護士署名捺印の文章における、「従って」以下については、これまた卑劣な虚言でしかない。このことは、「判決とテロル(13)」で引用した、次の箇所を再引用するだけで十分に明らかであろう。
《引用》

太田三夫弁護士:あなたは、平成18年4月以降のあなたのお仕事というのは、どのように理解されておりましたか。
原告・亀井志乃:財団法人北海道文学館の嘱託です。そして研究員です。
太田三夫弁護士:ですから、その仕事の中身としては、どのように理解されていたんですか。
原告・亀井志乃:仕事の中身は、当初申しましたように、その財団法人の中の職務としての文学資料の調査と整理、研究で、ほぼ、端的に言うとすれば、それに尽きると思います。
太田三夫弁護士:あなたは嘱託職員というお言葉を使われてますけれども、財団法人の従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:嘱託職員は、ある組織から依頼を受けて仕事をするという人間ですので、私はそのように理解しておりました。
太田三夫弁護士:ですから、従業員なんですか、従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:仕事を請け負っているという意味での従業員だと思っております。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務として、「二組のデュオ展」というのがありましたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:これは、あなたが主担当でしたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないと、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:……予算というのは…。
太田三夫弁護士:結論だけ言ってください。だれに相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:そのような形ではお答えできないんですけれども。
太田三夫弁護士:じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか。
原告・亀井志乃:……お答えしなければならないでしょうか。勝手という言葉が入りましたけれども
田口紀子裁判長:意味が分からなければ、分からないで結構です。で、今言われているのは、勝手に決めるという言い方されたんですけれども、どなたかに許可を取ったりとか、どなたかに相談されたりとかして決めることになるんですか。
原告・亀井志乃:ええ、基本的に言えば、予算のことについては、前年度に枠が決まっておりますので、その枠をはみ出るということでない限りは、基本的にはだれにも相談はしません。ほかの人も、だれもそういう場合は相談はしません。で、何か業務のことを遂行する上で、まあ、一応連絡は取っておかなければというふうになるとしたら、私の場合には、財団の、前年までで言えば平原副館長でした。
太田三夫弁護士:平成18年4月以降はだれなんですか。前年度までは平原さんとおっしゃるから、18年4月以降はだれなんですか。
原告・亀井志乃:私は業務課学芸班の人間でございます。
太田三夫弁護士だから、だれなの。端的に質問に答えて。
原告・亀井志乃:川崎課長です。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務については、そうすると、仮にあなたが相談することがあるとすれば、川崎業務課長、この方以外にはないということですね。
原告・亀井志乃:そのようには申し上げておりませんが。
太田三夫弁護士じゃ、だれなの。それとも、あなたが一存でいろんなことは決められる、後は事後報告だけでいい、そういう発想ですか。
原告・亀井志乃:一存ではございません。ですから、火曜日の朝の打合せ会のときに職員全体に諮りました
(原告調書、20~23p。発話の太字は引用者)

 太田三夫という弁護士は、自分からこういう問答を仕掛けておきながら、亀井志乃の返事とは全く裏腹に、〈亀井志乃は、自分を職員と考えていなかった〉とか、〈亀井志乃は、自分が主担当の業務については、自分に一任されており、事前に他の者に相談する必要もないと考えていた〉とかいう、根も葉もない結論を引き出してくる。かなりユニークな推論能力を備えた弁護士なのであろう。

○「必殺事業仕分け人」も三舎を避ける寺嶋弘道学芸主幹
 その太田弁護士が弁護を引き受けた寺嶋弘道被告は、亀井志乃が副担当だった「啄木」展の業務を無断で亀井志乃から横取りし、大赤字を出してしまった。それを埋めるために、平成18年5月12日、「二組のデュオ」展の主担当である亀井志乃と、副担当のA学芸員を呼んで、「二組のデュオ」展のために組んであった予算を削ることを言い出した。9月26日には、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」などと、「二組のデュオ」展の予算を削り、亀井志乃の出張を制限する意味のことを言い出した。鳩山首相推奨の「必殺業務仕分け人」も真っ青、思わず三舎を避けてしまうような、あくどい干渉と言うべきだろう。

 しかし亀井志乃は寺嶋弘道学芸主幹を蔑ろにしていたわけではない。5月12日、寺嶋弘道学芸主幹から「支出予定の内訳は、来週までに作成し、文学館のサーバー内の所定の場所にアップしておくように」と言われれば、A学芸員と相談して、さっそくアップしておいた(甲29号証)。
 ただし、寺嶋弘道学芸主幹はそれをちゃんと理解できなかったのかもしれない。「準備書面(2)」(20年4月9日)で、
実際に原告が作成した支出予定表は空欄の多い未整理なものであり、あまり役立つ資料ではなかった(4p)とケチをつけている。だが、亀井志乃から「準備書面(Ⅱ)―1」(20年5月14日)で被告は、原告がサーバーに載せた『展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】』(甲29号証)の読み方を知らなかったのであろう。原告が出した『展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】』の17項目のうち、空欄にしておいたのは『ポスター・ちらし』『チケット』『屋内外看板(サイン)』『設営経費』の4項目だけであった。展覧会事業に通じた者ならば直ちに分かるように、最もフレキシブルに支出予定額を調整できる項目なのである。被告は『あまり役立つ資料ではなかった』と言うが、役に立てられるか否かは被告の能力の問題である(22~23p)と反論されて、グウの音も出なかったのである。
 
 この種の我が儘、不見識がボロボロ出て来る人間の、一体どこを取り上げたら「上司」という評価ができるんだ。そんな疑問が湧いてくるところであるが、太田三夫弁護士によれば、
(寺嶋弘道被告は)原告の事実上の上司として、原告の業務の内容を指揮・監督し執行管理する」立場だったんだそうである。執行管理する」とは妙な言葉で、その目的語は「原告の業務」なのか、「原告の業務の内容」なのか、「原告の業務の内容の指揮・監督」なのか、見当がつかない。まあ、さすがの太田さんも、ああいう人物を持ち上げるための嘘に気が咎めて、つい舌足らずな言葉を口走ってしまったのだろう。

○寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士の言いがかり
 そんなわけで、平成18年度の亀井志乃はおおむねのところ、寺嶋弘道学芸主幹の指示や依頼に従って、いや正確に言えば、従うことを強制されて仕事を進めてきた。
 その間、寺嶋弘道学芸主幹が上司であるか否かを云々することはなかった。亀井志乃の告訴文である「準備書面」(平成20年3月5日付、全33p)の中でも一度も云々してはいない。
 
 「上司」問題にこだわったのはむしろ被告側であって、太田三夫弁護士は「準備書面(2)」(20年4月9日)――亀井志乃の「準備書面」に対する反論――に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙2号証)という文書を添えて、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の「事実上の上司」だった。だから亀井志乃が人格権の侵害だと訴える程度のことは許されるのだ〉という意味のことを繰りかえし主張した。つまり平成20年になってから、被告側が「上司」問題を持ち出したのである。
 しかし亀井志乃からすれば、その主張の根拠たる「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」それ自体が、手続き的にも、内容的にも、何ら正当性を持たない。彼女はその点を「準備書面(Ⅱ)-1」(20年5月14日)で指摘し、それと同時に、北海道教育委員会の職員(公務員)たる寺嶋弘道学芸主幹が、民間の財団の嘱託職員の上司だとすれば、これは法律違反なのではないか、と反論したのである。
 太田三夫弁護士は、この指摘と反論とに対する有効な駁論を用意できなかったのであろう。再反論をギブアップしてしまった。
 
 この経緯から分かるように、平成18年度に亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹を上司と認めていたか否かは、全く問題にならない。寺嶋弘道被告も太田三夫弁護士もそれを判断する材料を持っていないのである。
 それにもかかわらず、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士は「あの時、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の上司だった」と主張し、亀井志乃は「しかし、その根拠が曖昧だ」と反論した。すると、太田三夫弁護士は「だから、亀井志乃は平成18年度に寺嶋弘道学芸主幹を上司と認めなかったのだ」と理屈をすり替えてしまった。
 もっと分かりやすく言うならば、寺嶋弘道なる人物が、「二年前、自分はお前さんの上司だった」と言い始め、亀井志乃が「あら、そうでしたか。でも、あなたが挙げた証拠は信頼できませんね」と答えたところ、「すると、お前さんは二年前から自分を上司と認めていなかったんだな」とインネンをつけた。これが先ほど引用した、太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」における
(二)の屁理屈なのである。
 もし再び「寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった」という主張を蒸し返すならば、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」における指摘や、反論を覆すだけの証拠と論拠を示さなければならないはずである。だが、太田三夫弁護士はそれをせずに、またぞろ「上司」を蒸し返した。
 弁護士という稼業は、自分の無為無策をさらけ出してでも、なりふり構わずに一つ覚えの台詞を押し強く繰り返す。そうしなければならない場合もあるのかもしれない。

○日本の弁護士の質
 続いて、太田三夫弁護士の
「(三)原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務と認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る」という言い分を検討してみよう。
 この主張は、寺嶋弘道被告の「陳述書」(20年4月8日付)における、
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。(5p)という記述に基づいているものと思われるが、その点について、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」(20年5月14日付)で次のように反論した。
《引用》
 
こういう見え透いた嘘をついてまで被告は私を貶めたいのか、とただただ呆れるばかりですが、もちろん私が展示設営を手伝ってくれた他の職員を残して先に帰宅したという事実はありません。
 このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
 もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます
(19p)
 
 しかし寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士はこの反論に対する再反論を放棄してしまった。
 ただ、田口紀子裁判長もこの点については関心があったのだろう。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告と次のような会話を交わした。
《引用》
《引用》

田口紀子裁判長:今「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
寺嶋弘道被告:いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
田口紀子裁判長:それは同じ日のことなんですか。
寺嶋弘道被告:同じ日というか…。
田口紀子裁判長:出張に出ていたんですよね。
寺嶋弘道被告:戻った日ですね。
田口紀子裁判長:戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
寺嶋弘道被告:いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。

(被告調書25~26p)

 分かるように寺嶋弘道被告は何一つ明確な証拠を挙げることができなかったのである。
 
 自分が書いたことに裏づけを示すことができない、このような寺嶋弘道被告の無責任な言動を、亀井志乃は黙って見過ごしてならないと考えたのだろう、「最終準備書面」(20年12月12日)で次のように指摘した。これを見れば、寺嶋弘道被告が如何に自分の発言に責任を持つことができない、いい加減な証言者だったかがよく分かる。
《引用》
 
被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。

被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
②「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が「待機」の状態であったり、「強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③被告は、「15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話
(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。
 ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が「待機」の状態にあり、「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
 ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずで
す。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。結局、被告は、自分で乙10号証の1と2を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁
(わきま)えておかなかったわけです。

 以上の点によって、被告の偽証は明らかです(48~49p。太字は引用者)

 太田三夫弁護士は少なくとも亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―2」を読み、10月31日の法廷における田口紀子裁判長と寺嶋弘道被告とのやり取りを聞いていたはずである。ばかりでなく、いま引用した、亀井志乃の「最終準備書面」を読み得る時間を持っていた。
 だが太田三夫弁護士は、以上のような亀井志乃の批判に対して、寺嶋弘道被告を擁護し得る証拠を何一つ示すことなく、ただ寺嶋弘道被告の言葉を鵜呑みにする形で、亀井志乃の人格を中傷誹謗していた。
 日本の司法界にはそういう弁護士も存在するのである。

○弁護士や裁判官の嘘には罰則がない?
 私は前回、「弁護士や裁判官には嘘の許容範囲というものがあるのだろうか」という疑問を語っておいた。

 裁判における主張は、確かな証拠と明確な論理によってなされなければならない。これは裁判における最も重要な言説規則であり、「宣誓」における「真実」もこの言説規則に基づくものでなければならないだろう。尋問者と被尋問者との間における言説規則も、この「真実」を明らかにするためのもののはずである。
 これも前回指摘したことだが、太田三夫弁護士の署名捺印にかかわる「準備書面(2)」20年4月9日付)は至る所に虚偽の記述がみられたが、太田弁護士としては〈自分は依頼人の寺嶋弘道被告が言うところを、そのままを書いただけであって、もし虚偽があるとすればそれは寺嶋弘道被告が自分に嘘を教えたからだ〉。そう言って、自分の責任を回避することができる。
 だが、太田弁護士は、現実に自分が法廷において亀井志乃を尋問し、亀井志乃から証言を得ていたにもかかわらず、「準備書面(4)」(20年12月16日)では、亀井志乃の証言を偽った結論を書き立てていた。もし太田弁護士が、亀井志乃の証言は間違っていたと考えるならば、その証拠を挙げるべきだったが、その証拠を示さなかった。
 もちろん太田三夫弁護士が「準備書面(4)」で書いたことと、10月31日の法廷における尋問の記録(「原告調書」や「被告調書」)をつき合わせてみれば、直ちに太田三夫弁護士の嘘が明らかになってしまう。だが、太田三夫弁護士はそういう危険を冒してまで、あえて嘘を書き並べた。田口紀子裁判長が尋問の記録と、自分が書く「準備書面(4)」とをつき合わせてみるはずがない、と多寡をくくっていたのか。それとも、弁護士が裁判官に寄せる信頼の一つの形なのであろうか。
 その辺の事情は分からないが、少なくともこの嘘に関する限り、太田弁護士は自身の責任として引き受けなければならないはずである。

 田口紀子裁判長は原告の亀井志乃と、被告の寺嶋弘道に「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」と宣誓させた。その瞬間、田口紀子裁判長はそういう宣誓をさせた裁判官として、原告と被告に「真実」を述べさせる責任だけでなく、自分自身も「真実」のみを尊ぶ責任を負ったことになるはずである。
 だが、田口紀子裁判長は、亀井志乃があれほど明白に寺嶋弘道被告の偽証を論証したにもかかわらず、
被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない(「判決文」25p)と、寺嶋弘道の嘘を容認してしまい、太田弁護士の虚言も不問に付してしまった。それだけでなく、田口紀子裁判長自身、根拠を持たない虚構の組織図をでっち上げて、また亀井志乃の文章の肝心な箇所を削ったり、書き換えたりしながら、寺嶋弘道被告に有利な印象操作を行った。
 
 ここら辺が、素人が起こした本人訴訟を扱う場合の、弁護士と裁判官の阿吽の呼吸なのかもしれない。

○「う」と「さぎ」の物語
 『南総里見八犬伝』の作者、曲亭馬琴は黄表紙という、大衆的な絵物語ジャンルにも手を染め、「カチカチ山後日譚」(正確な題名は忘れた)と言うべき物語を書いた。
 内容は極めて簡単で、この物語のうさぎは善人づらして、悪がしこく、主人に取り入るために、お人好しの狸をだまして泥の舟に乗せ、溺れ死にさせてしまった。その狸の子供は悔しくてたまらず、何とか親の敵を討とうと、一念発起して剣術を学び、立身出世して、いまを時めいているうさぎを呼び出し、エイヤっとばかりに胴から真っ二つに斬って捨てた。すると不思議なことに、うさぎの上半身は黒い鳥に変じ、下半身は白い鳥に変じて飛び去った。それからというもの、日本では、黒い鳥を「う(鵜)」と呼び、白い鳥は「さぎ(鷺)」と呼ぶようになったとサ。
 「う」は嘘に通じ、「さぎ」は詐欺に通ずる。
 何だか日本の裁判も「うさぎ」みたいだな。呵々
 
 
 

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判決とテロル(14)

弁護士と裁判官における虚言の許容範囲

 弁護士や裁判官には嘘の許容範囲というものがあるのだろうか。私は亀井志乃が起こした裁判を通じて、ずっとそういう疑問に囚われていた。

○言葉のアヤと判決
 前回紹介した、ジョン・M・コンレイとウィリアム・M・オバーは、その共著『公正な言葉を――法・言語・権力―』(2005)で、心理学者、エリザベツ・ロフタス(Elizabeth Loftus)の、次のような興味深い実験を取り上げていた。
 その実験によれば、被験者を二つのグループに別け、自動車の衝突事故のビデオを見せた上で、「二台の自動車がぶつかった時(when they hit)、それぞれどれくらいの速さに走っていましたか」、「二台の自動車が激突した時(when they smashed into)、それぞれどれくらいの速さに走っていましたか」と質問してみた。すると、「自動車がぶつかった時(when they hit)」という質問を受けたグループよりも、「自動車が激突した時(when they smashed into)」という質問を受けたグループのほうが、自動車のスピードに関して〈より速い〉印象を受けていることが分かった。
 おそらく後者のグループは、「激突(smash into)」という言葉の印象に引きずられて、「衝突した自動車の運転手は、かなり速いスピードで車を飛ばしていた」と感じてしまったのであろう。
 
 次にロフタスは、両方のグループに、「あなたは割れたガラスを見ましたか(Did you see any broken glass?)」と聞いてみた。実はそのビデオにはガラスが割れるところは映っていなかったのだが、確かに割れたガラスを見たと答えた被験者は少なくなかった。しかも、「自動車がぶつかった時(when they hit)」という質問を受けた人に比べて、「自動車が激突した時(when they smashed into)」という質問を受けた人のほうが3倍近くも、「確かに割れたガラスを見た」と答えたのである。
 
 コンレイとオバーは、この実験結果を挙げて、「目撃者の記憶が、如何に質問の言葉に左右されやすいか」という問題を指摘したわけだが、確かに検事や弁護士がこのような言語操作に長けているならば、目撃証言者に、見ていなかった〈事実〉を「見た」と言わせることは、さほど難しいことではないだろう。その結果、無実の人間が有罪にされかねない。あるいは有罪であるべき人間が無実として釈放されることになるかもしれない。
 この問題は、陪審員制度のアメリカでは特に深刻なわけだが、しかし、日本でも最近は裁判員制度を採用している。もし裁判員が検事や弁護士の巧妙な言語操作を見抜くことができなかったならば、大変に恐ろしい判断を下してしまいかねないのである。

○民主党の言語感覚
 怖いことに、このような言葉のアヤによる観念操作は政治の世界にも横行している。
 先日、国会の代表質問で、民主党の議員が「政権交代」という言い方をし、鳩山首相も同じ言葉を使っていた。テレビのニュースでも「政権交代」という言葉を使っている。しかし、先日の衆議院議員選挙は「政権交代」の選挙ではない。
 「政権」とは「国の統治機関を動かす権力」のことであって、統治機関や権力のあり方は日本国憲法に規定されている。この憲法が変わり、統治機構や権力のあり方が大統領制や軍事政権や独裁政権に変わったのならば、「政権交代」と言い得るだろうが、先日の選挙では「政権」を担当する政党が変わったにすぎないのである。
 
 たぶん鳩山首相をはじめとして、現内閣の閣僚たちは、政策の変更を「政権交代」という言葉で誤魔化したいのであろう。
 本来ならば鳩山内閣は、前の政権担当の政党の政府が国民や外国と約束したことは、基本的にこれを継承しなければならない。
 なぜなら、例えばある家の父親が建築会社と契約して、既に基礎工事が終わり、家の骨組みも出来上がっているにもかかわらず、突然建築の凍結を通告し、残額の支払いを停止してしまったとしたら、どうなるか。
 私は「判決とテロル(11)」で、三浦つとむの弁証法的規範論を取り上げ、「約束や契約はお互いの『共通の利益』を実現するために作り出した『共通の意志』であり、私たちが約束や契約に同意した時から、それはお互いの個的な意志を拘束するものとなる。一方が相手の同意なしに約束や契約を破棄することはできない」という市民ルールを紹介しておいた。仮に家計をあずかる人間が父親から息子に変わったとしても、このルールは変わらない。息子は、もし相手の建築会社が「凍結」や「残額支払いの中止」に同意しないならば、契約通りに工事を進めてもらい、未払いの建築費を払わなければならないのである。
 
 そのような次第で、鳩山内閣は、たとえ自民・公明の連立政府が国民や外国と合意した約束が自分たちの政策に合わないとしても、いきなり合意事項の凍結、中止を振りかざすのは、信義に反する。それだけでなく、違法な行為なのである。
 そもそも民主党のマニフェストなんて、せいぜいスローガン程度のものでしかなく、好意的に解釈しても「政治的ヴィジョン」というほど意味なのだが、それを実現し得る現実的なプロセスを具体的に提示して、初めて政策と呼ぶことができる。前原国土交通大臣が八ッ場ダムの凍結を言い出し、ーー中止を暗示しながらーー「ダムによらない治水、利水の方法もある」みたいな発言していた。だが、治水、利水の具体的プランを明らかにし、ダムと比較した場合のメリットとデメリットを科学的に説明できないならば、単なる思いつきの放言にすぎない。とうてい政策の名には値しない。
 鳩山首相と閣僚たちは合意事項の凍結、中止の違法性と、政策の貧困を言葉で糊塗するために、「政権交代」を乱発しているのだろう。「政権が交代したのだから、前政権の約束を破棄しても構わないのだ」と。

 とにかく鳩山内閣の言語感覚は怖い。鳩山首相自身が平気で「必殺事業仕分け人」なんて言い方をしている。テレビの時代劇シリーズをもじった、冗談のつもりなのだろうが、凍結や中止のために今後の事業計画や生活設計の狂わされてしまう何万、何十万という人たちの苦渋を想像するならば、――その中には破産したり、自殺に追い詰められたりする人もいるだろうーー「必殺」なんて禍々しい言葉を、軽々しく口にすべきではない。ところが、鳩山内閣は、前の政権担当政党が国民と約束したり、企画したりしたことは、「ムダ」という名目で抹殺してよい。そういう観念を煽っているのである。
 
○再開の挨拶
 ところで私は8月中旬に入院をし、退院した後、「判決とテロル(13)」を書いた。だが、その直後に再び入院をすることになり、9月末に退院することができた。それから5週間ほど経ち、体調は日常生活に差し支えない程度に回復し、集中力もやや戻ってきた。そこで、8月の入院中に読んでいた『公正な言葉を――法・言語・権力―』の中で特に印象的だった箇所を手がかりに、頭の訓練、筆馴らしのつもりで「判決とテロル」を再開することにしたわけだが、さて、それでは、わが親愛なる太田三夫弁護士と田口紀子裁判長の言語操作はどのようなものであっただろうか。

○太田三夫弁護士の言葉のトラップ
 前回
(「判決とテロル(13)」)紹介したように、太田三夫弁護士は、平成20年10月31日の本人尋問で、亀井志乃に対して、あなたは嘱託職員というお言葉を使われてますけれども、財団法人の従業員ではないんですかですから、従業員なんですか、従業員ではないんですか」と、短兵急にタグ・クエッションを仕掛けた。わざと「従業員」という曖昧な言葉のトラップ(罠)を仕掛けて、〈寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の上司だった〉という意味のことを認めさせようとしたのだろう。
 道立文学館に派遣されて受付業務に就いている人は、派遣会社の従業員かもしれないが、道立文学館の従業員ではない。だが、外部の人から見れば、道立文学館の従業員に見える。亀井志乃は財団法人北海道文学館と嘱託契約を結んだ非常勤職員だが、外部からは従業員に見える。寺嶋弘道学芸主幹は道立文学館に駐在する北海道教育委員会の公務員であるが、はやり外部からは従業員に見える。太田弁護士はこういう「見え方」を利用して、亀井志乃と寺嶋弘道学芸主幹を同じ組織の従業員として括ってしまうつもりだったらしいのだが、亀井志乃の正確な答えによって失敗してしまった。
 
 だが、太田弁護士はまだ諦められなかったのだろう。今度は、自分の依頼人である寺嶋弘道被告を向かって、乙2号証の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書における
「※財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言を読み上げ、次のように尋問をした。
《引用》

太田三夫弁護士:ここにいう研究員とは、だれのことですか。
被告・寺嶋弘道:亀井さんです。
太田三夫弁護士:司書とはだれのことですか。
被告・寺嶋弘道:Oさんです。
太田三夫弁護士:学芸主幹とはだれのことですか。
被告・寺嶋弘道:私、寺嶋です。
太田三夫弁護士:これを素直に読む限り、あなたをヘッドにして、Sさん、Aさん、Oさん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか。
被告・寺嶋弘道:はい、そのとおりです。

(被告調書2p)

 まことに呼吸の合った問答であるが、ここでも太田三夫弁護士は言葉のトラップを仕掛けて、印象操作を企んでいた。
 それは
「これを素直に読む限り」云々の箇所であり、太田弁護士の読み方は全く「素直」ではなかった。太田弁護士は乙第2号証として、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」と一緒に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」という文書も提出していた。それらの全体に目を配りつつ、いま、改めて「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を素直に、かつ正確に読んでみよう。
 この「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」には、確かに「学芸班」が設けられていたが、それは業務課から独立し、業務課と対等の関係に位置づけられていた。しかもその主要メンバーは、文学館に駐在する北海道教育委員会の学芸主幹と社会教育主事と学芸員の3人で構成されていた。
 もう少し正確に言えば、北海道教育委員会の文化スポーツ課には、3人の職員で構成される「文学館グループ」という組織が存在する。北海道教育委員会はその「文学館グループ」の3人を、道立文学館に駐在させることにした。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は、その3人の「文学館グループ」を、新たに「学芸班」と名づけた。
 そして、もともと財団の業務課内学芸班に所属していた司書と研究員(亀井志乃)を、業務課内学芸班から切り離して、この新たな「学芸班」に従属させることにしたのである。
 
 つまり、もともと財団の業務課の中に設けられていた学芸班(財団職員の研究員と司書で構成される)と、平成18年度の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の中で、業務課と対等の関係で設けられた学芸班(北海道教育委員会の「文学館グループ」を中心とする)とは、異なる組織なのである。

○改めて素直に、かつ正確に読んでみるならば
 このようにして新たに作られた「学芸班」は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」の第2条の4項(「事務局に業務課を置き、課内に学芸班を置く」)を根幹から変更してしまうものであった。
 しかも寺嶋弘道学芸主幹と、彼が言う毛利館長以下の財団の幹部職員は、平成18年4月18日(火)、「第6条 この規程の改正は、理事会で決定しなければならない」。「第7条 この規程に定めるもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める」(太字は引用者)という規程を無視して、業務課から独立した「学芸班」なるものを勝手にでっち上げてしまった。そしてその下に、わざわざ※印をつけて、
財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言を加えたのである。
 
 そのことを頭に置いて、この文言を見て貰いたい。不思議なことに、この文言は、北海道教育委員会の「文学館グループ」の社会教育主事と学芸員については、何も言及していない。つまりこれは、あくまでも財団の業務課内学芸班に属するO司書と亀井志乃研究員を、もともとの組織から切り離して、新たにでっち上げた「学芸班」にくっつけるための文言だったのである。
 別な面から見れば、北海道教育委員会の職階制における寺嶋弘道学芸主幹の地位は、3人の「文学館グループ」のグループリーダーであり、それ以上でもなければ、それ以外でもなかった。ところが、この3人の道職員の「文学館グループ」に、財団の業務課内学芸班の司書と研究員をくっつけた、その途端に、寺嶋弘道学芸主幹はこの2人の財団職員の上司になってしまったのである。
 このことを、いま太田三夫弁護士ふうに言うならば、次のようになるだろう。「これを素直に理解する限り、あなた(寺嶋弘道被告)は、同じ北海道教育委員会の職員のSさん、Aさんに対してはグループリーダーだけれど、財団の業務課内学芸班のOさん、亀井さんに対しては上司なんだよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか」と。
 
 では、それに対して、寺嶋弘道被告は「はい、そのとおりです」と答えることができたかどうか。多分答えることはできなかったであろう。

○太田三夫弁護士の取り繕い
 なぜなら、もし仮に寺嶋弘道学芸主幹が財団職員2人の上司であることを認めるならば、次の問題が起こってくるからである。
 寺嶋弘道学芸主幹はこの2人に対しても北海道教育委員会の職階制における上司ということになるのか。それとも寺嶋弘道学芸主幹は財団法人北海道文学館の職階制における2人の上司なのか。
 もし前者ならば、財団職員の2人は自動的に北海道教育委員会の職員の身分を与えられることになる。また、もし後者ならば、寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育委員会の職員であると同時に、財団法人の職員の上司の身分を与えられることになるわけだが、公務員がこのような形で二重身分を獲得することは、法律で禁じられている。
 亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日)で批判したのは、まさにこの点に関してであった。
 それに対して、寺嶋弘道被告と太田弁護士は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と、再反論の放棄を告げてきた。ギブアップしてしまったのである。
 
 このように整理してみるならば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書や
「※財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言が、いかにインチキなものであったかが分かるだろう。おそらく太田三夫弁護士は亀井志乃からその点を衝かれ、「上司」という言葉を使う自信を失ってしまった。そこで、その文書と文言のインチキを取り繕うため、これを素直に読む限り、あなた(寺嶋弘道被告)をヘッドにして、Sさん、Aさん、Oさん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか」と、更にインチキな「読み」を重ねる羽目に陥ってしまったのである。
 
○田口紀子裁判長の判決の違法性
 しかし弁護士と裁判官など、司法関係者の間では、阿吽(あうん)の呼吸というべき意志疎通があるらしい。田口紀子裁判長は平成21年2月27日の判決において、問題の組織を次のように描き出した。
《引用》
 
原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された(「判決文」3p。太字は引用者)
 
 田口紀子裁判長はここで、〈まず財団法人北海道文学館の業務課内に学芸班があったことを前提とし、その学芸班に北海道教育委員会の寺嶋学芸主幹と社会教育主事と学芸員の3人が「配置」された〉という組織図を描いたわけだが、先ほど私が分析整理したように、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の組織図はそのようになっていなかった。
 両者を較べてみれば、まるで別物であったことが分かるだろう。
 しかもこれは、「自動車がぶつかった時(when they hit)」と「自動車が激突した時(when they smashed into)」のような、相対的な認識の違いの問題ではない。田口紀子裁判長の組織図は根拠を持たない虚構の組織図だったのである。
  
 ただし、以上の指摘はこれが初めてではない。
 亀井志乃は平成20年10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告に対して、〈道職員である寺嶋弘道学芸主幹はどのような根拠に基づいて、財団法人の職員である亀井志乃の上司であると主張したのか〉という意味の質問をした。だが、寺嶋弘道被告は何一つまともな返事ができなかった。田口紀子裁判長はその様子を目の当たりに見ていたはずである。
 さらに亀井志乃は「最終準備書面」(平成20年12月12日付)で、被告代理人太田弁護士の意図的な言葉のすり替えや、被告に虚偽の地位を与えるレトリックを暴き出した。もちろん田口紀子裁判長はそれを読んでいるはずである。
 それにもかかわらず田口紀子裁判長は、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士の主張に対する亀井志乃の反論や批判には一切言及することなく、つまり全く無視・黙殺して、先のような虚構の組織を描き出した。その上で、寺嶋弘道学芸主幹を亀井志乃の上司と断定し、寺嶋弘道学芸主幹の亀井志乃に対する無礼、傲慢な態度を、「上司としての許容範囲」であると、法的にこれを公認してしまった。
 
 先ほどの例を借りて言えば、これも、「自動車がぶつかった時(when they hit)」と「自動車が激突した時(when they smashed into)」という相対的な認識の違いの問題ではない。田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告が亀井志乃の「上司」だったと判断する理由を、
運用について定めた、『財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について』(以下、「運用規程」という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた。(乙2)(3p)としていた。しかし、問題は、果たして「運用」という名目で、〈道立文学館に駐在する北海道教育委員会の職員(公務員)が財団の職員の上司となることが許されるのか否か〉、ということだったのである。(おまけに田口紀子裁判長は、先ほど自分が言った「業務課の中にさらに学芸班が設けられ……北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名の配置された」云々の「学芸班」と、ここに言う「学芸班」とが根本的に異なる組織であることに気がついていない。)
 
 あるいは田口紀子裁判長は
「※財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言を含む、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、正当な手続きを経て成立した、合法的な文書と見なしたのかもしれない。もしそうならば、少なくとも田口紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の正当性について根本的な疑義を提出した亀井志乃に対して、裁判官としての見解を明確に説明すべきだった。
 それと共に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の組織図と、自分が描いた組織図とが矛盾なく整合することを証明しなければならなかった。
 それを行うのは、裁判官の義務である。なぜなら、裁判官が行うべきことは、原告または被告が提出した証拠物のみに基づいて「事実」の有無を判断し、また、原告と被告の主張の合理性や妥当性を判断し、かつ判断理由を明示することだからである。当然のことながら、裁判官が自分の思いつき(または思い込み)によって〈事実〉を虚構することは許されていない。
 だが、田口紀子裁判長は裁判官としての最低の義務を怠ってしまった。
 
 ちなみに、平成18年度の財団法人北海道文学館には「主事」という肩書きを持つ職員は存在しなかった。だが、田口紀子裁判長によれば、
原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され」ていたことになっている。田口紀子裁判長は証拠物の文書から、書かれていないことまで読み取ってしまう読解能力を持ち、その代わりに書かれている事柄を正確に読もうとしない、そういう特技の持ち主なのであろう。

○司法関係者の阿吽の呼吸
 ただし、田口紀子裁判長が全くのヒントなしにああいう虚構の組織を作り上げたとは思えない。そこで思い当たるのが、先ほど紹介した太田三夫弁護士の「ヘッド」論である。太田弁護士は
「素直」に読んだポーズを取りながら、ことさら曲げて解釈してみせたわけだが、その下心は見え見え、ヘッド=上司という図式に持って行きたかったことは明らかだろう。
 田口紀子裁判長の描いた組織図は、まさにその下心を汲んだ形になっているのである。

 これも既に何回か指摘したように、田口紀子裁判長は亀井志乃の文章を引用するに当たって、肝心な箇所を勝手に削除してしまったり、亀井志乃の表現を無断で書き換えたりして、寺嶋弘道被告に有利な印象を与えるように操作していた。
 他人の文章は、正確に引用すること。これは私が長年従事してきた文学研究の世界の鉄則であって、もしこれに反するならばたちまち信用を失ってしまう。文学研究以外の世界においても、他人の表現の尊重は市民ルールとして守られているはずである。だが、太田弁護士は平気で言葉のすり替えを行い、田口紀子裁判官は平気で他人の文章を削除したり、書き換えてしまう。他者の発話に関する倫理観というものが欠けているらしい。まさか日本の司法関係者が全てそのレベルだとは思わないが、太田三夫弁護士や田口紀子裁判官の例で見るかぎり、日本の司法関係者の文章能力や、言語表現に関する倫理は、お世辞にも上等とは言い難い。
 太田弁護士は「上司」を「ヘッド」にすり替え、田口紀子裁判長は太田三夫弁護士が描いた組織図をほぼそのまま踏襲しながら、「ヘッド」を「上司」に書き換えた。これもその一例と見ることができるだろう。
 田口紀子裁判長は自分の描いた組織図が太田三夫弁護士の「ヘッド」云々に由来することを否定するかもしれないが、客観的に見れば、両者の関係は符節を合わせたごとく類似している。これは、誰の目にも明らかだろう。
 なるほど素人を相手にした時の司法関係者の阿吽の呼吸というのは、こんなふうに働くのだな。私はほとほと感心をした。
 
○弁護士の安全地帯
 現実の自動車の衝突事故を「ぶつかった」と見るか、「激突した」と見るかは、相対的な認識の違いであり、それ故、一方が正しく、他方が間違っていると判定することはできない。
 では、ある弁護士が目撃証人に対して「激突」という言葉を使い、実際には見ていなかったはずの〈事実〉を見ていたと証言させたとすれば、この「嘘」の責任は誰が負うのだろうか。弁護士か、それとも目撃証人なのか。
 もし彼とは反対側の弁護士が、「激突」という言葉のトラップを見抜くことができず、結果的に無実の人間に有罪宣告が下されることになったとしたら、この冤罪の責任は言葉のトラップを見抜くことができなかった弁護士にあるのか、それとも言葉のトラップを仕掛けた弁護士の側にあるのか。
 
 亀井志乃が起こした裁判で、被告側が提出した「準備書面」は全て被告代理人弁護士・太田三夫の署名捺印となっていた。それらはいずれも太田三夫弁護士が執筆したものと見て差し支えないだろう。
 その太田三夫弁護士の署名捺印を持つ「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)は、亀井志乃の平成20年3月5日付「準備書面」に対する反論であった。だが、その内容は全編これ虚偽に満ちており、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日)で、逐一証拠を挙げて被告側の虚偽を暴き、また、事実認識と論理の両面から再反論を加えた。
 これに対して太田三夫弁護士は為す術なく、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」。署名は被告代理人弁護士・太田三夫)と、白旗を掲げてしまった。
 
 ただし、この「事務連絡書」は、
被告」を主語としている。ということはつまり、太田三夫弁護士は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」に対して再反論すべき責任は寺嶋弘道被告にあり、自分ではないと見なしていたことになるだろう。
 言葉を変えれば、太田三夫弁護士は、亀井志乃によって逐一再反論を加えられた「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)の内容ついては、寺嶋弘道被告がその責任を負っている、と見なしていたことになる。
 更に言葉を変えて言えば、太田三夫弁護士は、〈「準備書面(2)」には確かに自分が署名捺印しているが、その内容は寺嶋弘道被告の説明を真実なものと信じて書いただけであり、もし内容に虚偽の主張または証言が含まれていたとしても、自分はそれが虚偽であるとは気がつかなかった。それ故自分に虚偽の責任はない〉と言い逃れをすることができる、極めて安全な立場を確保していたわけである。
 弁護士はこのように、自分が署名捺印した文章に関しても、内容の虚偽や間違いに関しては依頼人にその責任を負わせることができる。俗に「弁護士は3日やったら、止められない」と言うが、確かにこれは旨味のある商売と言えるだろう。

○弁護士の責任が問われる局面
 だが、そういう弁護士にも危険がないわけではない。なぜなら、法廷における証人尋問の場においては、弁護士は生身として登場し、自分の責任で発言しなければならないからである。
 先ほどの例で言えば、太田三夫弁護士は自分の依頼人との間で、

太田三夫弁護士:これを素直に読む限り、あなたをヘッドにして、Sさん、Aさん、Oさん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか。
被告・寺嶋弘道:はい、そのとおりです。」

 という問答を交わしたわけだが、この組織図は太田三夫弁護士自身が読み取った事柄を、自己の責任において披瀝したものであり、それ故、この「読み」の責任を寺嶋弘道被告に転嫁することはできない。この「読み」が不正確であり、その組織図が虚偽であるとすれば、それは太田三夫弁護士の責任に属するはずである。

 おまけに、太田三夫弁護士としては忘れたいところかもしれないが、太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)で、被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である(中略)着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである」と書いてきた。
 だが、この文章は腑に落ちない。寺嶋弘道学芸主幹は平成18年4月1日の日曜日に文学館へ顔を出し、当時の学芸副館長だった平原一良から
「平成18年度の事務事業について説明を受けた」ということだが、――但し実際に着任式が行われたのは4月1日ではなく、4月4日の火曜日――そのことと、二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである」との関係がよく分からないからである。
 寺嶋弘道学芸主幹は、平原一良学芸副館長から
「指揮監督する立場」を委嘱されたのか、それとも北海道教育委員会から「指揮監督する立場」を与えられて、平原学芸副館長と合い、平成18年度の事務事業について説明を受けた」のか。

 しかし事実は、いずれも嘘であろう。
 寺嶋弘道被告は平成20年10月31日の本人尋問において、亀井志乃から
「被告は、だれによって、どういう手続きを経て、指揮監督する立場を与えられたのでしょうか」と質問をされ、いったんは「北海道教育委員会の教育長からその立場を与えられた」という意味の返事をした。が、更に亀井志乃から具体的な質問を受けて、自分が嘘を吐いたことを白状してしまったからである。いえ、私は直接教育長から指揮や指示を受けたことはなく、私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います(被告調書、33p)と。要するに寺嶋弘道被告が主張する「指揮監督する立場」とは、彼自身の思い込みにすぎなかったのである。
 また、平原一良学芸副館長から委嘱を受けたか否かの問題について言えば、委嘱を受けた事実はなかった。単なる学芸副館長にすぎない平原一良に
「指揮監督する立場」を委嘱する権限はなかったからである。そして事実、寺嶋弘道被告は、亀井志乃から「その平原学芸副館長と話をしてというのは、特に関係がないわけですか」と質問され、平原副館長から、4月1日のときに、その事務事業の概要について説明を受けたものです」と答えるだけで、指揮監督する立場」を委嘱された(または与えられた)と主張することはできなかった。(その直後、寺嶋弘道被告は、亀井志乃から「先ほどから、4月当初も平原副館長というふうに言ってますけれども、平原副館長は、当時は、平原学芸副館長であり、副館長は安藤孝次郎氏だったと、それは御存じですね」と誤りを指摘されてしまった。「被告調書」34p)。
 
 分かるように、太田三夫弁護士が自負するところの「素直な読み」とは、彼自身が署名捺印した「「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)で書いた嘘を誤魔化すための虚言でもあったのである。

○寛大な裁判官
 亀井志乃は「最終準備書面」(平成20年12月12日付)で、以上のような事例にも言及して、
《引用》
 
なお、被告は、10月31日公判の証人席において、数々の偽証を行っていました。それは、原告が本「最終準備書面」のⅠ章からⅢ章にわたって明らかにした通りです。また、被告代理人の太田三夫弁護士は、虚言を弄して被告を偽証に誘い、原告から失言を引き出そうとしました。
 このことに関する法的な判断は、原告が「訴状」及び「訴え変更の申立書」で申し立てた損害賠償請求に関する法的判断とは別個に行われるものと思われます。裁判長におかれましては、被告の偽証に関して、厳正なる刑罰を課するよう強く希望いたします。また、被告代理人の尋問態度に関しては、厳重な警告が発せられてしかるべきであると考えます。
(106p)
と結んだ。

 しかし田口紀子裁判長はその「判決文」(平成21年2月27日)において、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない(25p)と、亀井志乃の希望を退けてしまった。太田三夫弁護士の虚言については、何の言及もなかった。
 このような判決を下した以上、田口紀子裁判長は当然、亀井志乃が「寺嶋弘道被告における虚偽の陳述」と主張するために挙げた証拠について、だがそれは
「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠」となりえないと判断した、その理由を説明しなければならなかったはずである。
 一定の主張を裏づけるために提出された証拠物に関して、裁判官が証拠物としての価値判断を下す。それも判決という行為の一環であるはずだが、田口紀子裁判長はそれをしなかった。
 要するに日本の裁判においては、裁判長が
「虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない」と断定し、あるいは何も言及しなければ、「陳述書」や法廷における虚言は全て不問に付されてしまうのである。
 
 もっとも、田口紀子という裁判官は、証拠物として提出された文書を正確に読もうとせず、文書に書いてないことを読み取ってしまう特技を持ち、常識はそれを過った読みと見なし、また、その読みの結果を「事実を偽った虚構」と見なすわけだが、田口紀子裁判官はそういう自分には限りなく寛大であり、それ故寺嶋弘道被告についても、太田三夫弁護士についても極めて寛大だったのかもしれない。
 

 

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判決とテロル(13)

太田三夫弁護士の尋問テクニック

○法廷という言説空間
 裁判における法廷という場は、私たちの会話場面の中でも、きわめて明確な言説規則によってコントロールされている、その意味では特殊な言説空間と言えるだろう。
 法廷では原告と被告が、「自分のこれこれの主張は、しかじかの証拠と論理に基づいている」という形で、法的な正当性を争うわけで、その主張にかかわらない発言は不要なもの、不適切なものとして、法的な判断から除外されてしまうからである。だが、それだけではない。裁判官には、判決を下すに必要かつ十分な材料が出揃うまで、原告と被告の双方が充分に意を尽くした主張ができるよう、主張の機会を公平、平等に与える責任がある。裁判官はこの責任を果たすために、原告、被告の発言をコントロールする権限を与えられているからである。

○被害者の再被害者化の問題
 その意味で、法廷における言説規則は、原告、被告の発言を公平、平等に保証するための規則と言えるのであるが、しかしそれだけで果たして法廷における原告または被告の人権を守ることができるだろうか。
 ジョン・M・コンレイとウィリアム・M・オバーの共著『公正な言葉を――法・言語・権力―』(John M. Conley and William M. O’Barr,“Just Words ―Law, Language and Power―”Chicago. 1998)の第2版(2005)によると、アメリカでこの問題は、被害者(victim)
の再被害者化(revictimization)という形で提起されてきたらしい。
 例えば性的な暴行を受けたと訴えた女性が、訴えられた男の弁護士の反対尋問(cross-examination)によって、暴行場面を言葉やジェスチャーで再現させられたりする。アメリカでは陪審員制度を採っており、その公判は公開されているわけで、被害を訴えた女性はもう一度、この人たちの前で、屈辱の場面を再演させられる。言わば人々の好奇心に晒されてしまうわけである。これを被害者の再被害者化と呼ぶわけだが、これは法廷で行われる人権侵害と言えるだろう。
 アメリカの幾つかの州は、このことを防ぐために、性的暴行を訴えた裁判の公開には一定の制限を設けていると言う。だが、たとえ傍聴制限をしたとしても、陪審員はその証言を聞いているわけで、実際のところ、再被害者化というべき事態はなかなか改善されない。なぜだろうか。

○具体例
 その一つの、そして根本的な原因は、弁護士が質問をする権利を持ち、証人(訴えた原告女性)は答える義務を負っているという、この発話の権力関係にあるのではないか。これはコンレイとオバーの仮説であるが、二人はこの仮説を立証するために綿密な論証をしていた。
 彼らが取り上げた例から、その一つを紹介しよう。

 ただしその例を理解してもらうためには、一つ予備知識が必要であり、それは“party”と“partying”の違いが、ここでは問題になっていることである。
 “partying”は、“party”という名詞に‘―ing’をつけて、動名詞化した俗語(あるいは隠語)であって、日本の若者が名詞に「る」をつけて動詞を作る遊びになぞらえることができるだろう。ただ、困ったことに、この言葉は『現代アメリカ俗語辞典』(三省堂、昭和44年)や『アメリカ俗語辞典』(研究社、昭和50年)に出て来ない。“A Dictionary of American Idioms”(Barron’s Educational Series, 1995)にも出てこない。やむを得ず、ここでは「パーティ」「パーティング」の形で引用する。読み終われば、「パーテイング」の意味もおおよそ見当がつくだろう。
《引用》
被告側弁護士:パーテイングってどんな意味なんですか。あなたはどんな。19歳。あなたはその時19歳でしたね。
原告:はい
弁護士:若い人たちの間ではどんな意味なんですか。あなたくらいの年ごろの人たち。ブライアンの年ごろの人たちは、パーティングという言葉で。
(ブライアンは多分性的暴力を加えたと訴えられた被告。引用者註)
原告:ある人たちは、何人かの友だちと一緒に出かけて、ちょっと飲むっていう意味に使っています。ある人たちは吸うとか、また、ある人たちはピルを飲むとか。
弁護士:パーティング。
原告:麻薬
(やく)(聞き取りにくい声で)
弁護士:あなたの年ごろの若い人たちの間では、パーティングはパーティへ行く意味ではない。そうじゃないんですか。
原告:その通りです。
弁護士:それは多くの人たちにとって性行為を意味している。そうですね。
(ここで、原告側の弁護士が「異議あり」と申し出たが、それは判事によって却下された)
弁護士:あなたの年ごろの多くの人たちにとってそれは性行為を意味している。そうではありませんか。
原告:ある人たちにとっては、はい、私そう思います。
弁護士:少なくともそれは麻薬類を用いることを意味している。
原告:はい
弁護士:それで、いつ彼らは言い出した、誰があなたにパーティングへ行こうと言い出したんですか。
原告:私、誰がその話を持ち出したのか知りません。〔彼らが言いました〕
弁護士:〔それで、行った〕
原告:――言いました。ええと、パーティがやれるアパートを持っている友だちがいるからって。
弁護士:それで、パーティングという言葉、さあパーティへ行こうとか、そんな意味のこと
。(聞き取りにくい言葉で)パーティングに行くわけじゃないと。
原告:ええ。
弁護士:間違いないですか。
原告:ええ。 (亀井試訳。〔 〕は、原告と弁護士の発言が重なっていたことを示す記号)

 こうしてみると、「パーティング」は若者たちが集まってマリファナを吸ったり、ピル(覚醒剤)を飲んだりするパーティを意味することが分かるが、この弁護士の狙いはそういう意味を明らかにすることだったわけではない。そうではなくて、原告の若い娘が「パーティング」の実態を良く知っており、友だちに誘われればそういうパーティに出かけていく娘である事実を引き出して、陪審員に、原告がふしだらな娘(loose woman)という印象を与えることにあった。その点で、この被告代理人弁護士はかなりうまくやったと言えるだろう。なぜなら、この弁護士は巧みな質問によって、原告が質問された以上のことまでしゃべってしまうように仕向けていたからである。

○二つの質問の仕方
 コンレイとオバーによれば、法廷における質問の仕方は大きく“WH question”と“tag question”とに分けることができる。
 WHクェッションとは、「なぜ(why)」、「どこで(where)」、「いつ(when)」、「どちら(which)」、「だれ(who)」、「なに(what)」、そして「どんなふうに(how)」などを問うことであるが、他方、タグ・クェッションは、‘You drove the car into the parking lot, didn’t you ?’というように、弁護士の側があることを述べた上で、「そうでしたね」「間違いありませんね」「その通りでしたね」など、付加疑問文の形式で質問をすることを指す。
 
 先の例で言えば、弁護士は「パーテイングってどんな意味なんですか。あなたはどんな。19歳。あなたはその時19歳でしたね」、「若い人たちの間ではどんな意味なんですか」と、WHクェッションを発して、ある意味では原告がしゃべらなくてもいいことまで上手に引き出し、その上で、「あなたの年ごろの若い人たちの間では、パーティングはパーティへ行く意味ではない。そうじゃないんですか」、「あなたの年ごろの多くの人たちにとってそれは性行為を意味している。そうではありませんか」と、タグ・クェッションで畳みかけて行く。
 このタグ・クェッションは、相手(原告)に“yes/no answer(「はい」か「いいえ」の答え)”を求める質問形式であり、その意味で相手の答えをより強くコントロールできる。先の弁護士はこのやり方で、原告から自分たち(被告と弁護士自身)に有利な答えを引き出してきたわけである。

○タグ・クェッションの効用
 法廷以外の、私たちの日常生活で、こんなタグ・クェッションを無闇やたらに発する人間は、そう沢山はいない。私の知る限り、田原総一郎というジャーナリストがテレビの討論会などでよくこのテを使い、相手がほんの少しでも返事に詰まっていると、更に追い打ちをかけるようにタグ・クェッションを発する。ちょっと見には、頭が切れる、舌鋒鋭いジャーナリストの印象を与えるようだが、実はタグ・クェッションという質問形式がそういう印象を生んでいるにすぎない。
 ジャーナリストとしての彼の頭のよさは、むしろ彼自身がタグ・クェッションの押しつけがましさ、つまり相手の不快感を誘いやすい質問であることを十分に承知しながら、「私は頭が悪いもんですから、ここは一つ、私のような人間にも分かりやすいように、まずイエスかノーで答えて下さい」などと自己卑下の言葉を織り交ぜて、タグ・クェッションの傲慢さを緩和する。そういう話術を心得ているからだろう。
 おまけに、彼に問い詰められている相手が、普段はけっこうコワモテのする政治家だったりして、そこが彼のウケる秘密なのである。

 私の見るところ、世間には、弁護士も頭が切れると思っている人が多い。私もそう思っている人間の一人で、私の知った弁護士は誰も芸が細かく、抜け目はなく、到底私などの歯が立つ相手ではない。ただ、こと法廷における弁護士に関して言えば、弁護士にはタグ・クェッションの手法が許され、それによって相手にイエスかノーの二者択一形式の答えを強いて、相手の矛盾をつつき出す。頭が切れる印象の秘密はそこにあるのだろう。
 
 それともう一つ、弁護士はしばしば、被尋問者の証言を途中で遮り、強引に自分の質問のほうへ引き戻すことをやる。これも日常の会話では、他者の発言に対する強引な介入と、権力主義的な会話の支配として忌避されるところであるが、法廷では大目に見られることが多い。これも弁護士がコワモテする理由であろう。

 コンレイとオバーによれば、一応のタテマエとして、被尋問者(先の例では原告)にも「それは適切な質問とは思えません」とか、「あなたは私の口からそういうことを言わせようとしていますね」とか、「あなたの質問の意味が分かりません」とかと、反問をする権利が与えられている。しかし大抵の場合、その反問は、弁護士によって「それは答えになっていません」と一蹴されてしまい、また、判事は弁護士のそういう態度を黙認している。そういう意味でも、弁護士と被尋問者とは発言に関して公平、平等の関係にあるわけではなく、弁護士のほうが圧倒的に優位だという、不均衡な力関係が生まれたわけである。
 
○太田三夫弁護士のタグ・クェッションの一例
 さて、それでは、わが太田三夫弁護士の場合はどうであっただろうか。平成20年10月31日の法廷において、このような場面があった。
《引用》

太田三夫弁護士:あなた、平成18年の4月以降、どこで仕事をされてましたか、場所。
原告・亀井志乃:場所ですか、事務室又は閲覧室又は収蔵庫です。
太田三夫弁護士:先ほど乙5号証で示しました席で仕事をしていることはありましたか。
原告・亀井志乃:はい、ありました。
太田三夫弁護士:割合的には、先ほど言った3つの場所のどの部分が一番多かったんですか。
原告・亀井志乃:閲覧室です。
太田三夫弁護士:大体どれくらいの割合ですか。
原告・亀井志乃:そうですね。週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…。
太田三夫弁護士:いや、いいですよ。週に3日くらいは閲覧室にいた。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:あなた、週に何回出るんですか。
原告・亀井志乃:4日間ですね。
太田三夫弁護士:4日間のうち3日間は閲覧室にいたということですね。
原告・亀井志乃:はい
(原告調書23p)

 このブログの前回や前々回を読んで下さった人にとっては、この時の太田三夫弁護士が何を狙っていたか、直ちに分かっただろう。
 平原一良副館長がその「陳述書」(日付は2008年4月8日)の中で、
夏が近づくころ(6月1日に私は、学芸副館長から副館長・専務理事へと発令されました)から、どうも学芸スタッフの間に当初とは異なる空気が流れていることに、私も気づきはじめました(中略)そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました(4p)と書き、寺嶋弘道被告もその「陳述書」(日付は2008年4月8日)の中で、前年度までの仕事が主に別室で進められていたという習慣もあってのことか、原告は18年4月以降も事務室内の学芸班の自席で執務することが少なく、そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました(6p)と書いた。
 要するに二人が口裏を合わせて、亀井志乃の業務態度に問題があったという嘘を吐いたわけだが、そもそも亀井志乃が学芸班の自分の席で落ち着いて仕事をすることができないように仕向けたのは、平原学芸副館長(当時)と寺嶋学芸主幹だったじゃないか。亀井志乃にそう反論(5月14日の「準備書面(Ⅱ)―3」及び「準備書面(Ⅱ)―2」)されて、二人は再反論できなかった。つまり、二人とも嘘を認めざるをえなかった。
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と。
 だが太田三夫弁護士としては、このまま引き下がることはできないと考えたのであろう。

 そこで、先のような尋問を行い、亀井志乃の「そうですね。週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…。」という発言を強引に遮って、いや、いいですよ。週に3日くらいは閲覧室にいた。」というふうに話を持っていった。太田弁護士としては、〈亀井志乃は週に4日の勤務のうち、3日は閲覧室にいた。平原副館長と寺嶋弘道被告の「陳述書」における証言は正しかったのだ〉という印象を与えたかったのであろう。
 しかし亀井志乃が平原副館長や寺嶋被告に対する反論と共に提出した「ローテーション表」によれば、亀井志乃は週に3日、朝から晩まで閲覧室に詰めていたわけではない。ただ、学芸班の自分の席で新着雑誌や図書などの登録作業を行い、ちょっと席を外して、閲覧室なり収蔵庫なりに届ける場合もある。亀井志乃はそういう事情を、
そうですね。週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…。」と説明しようとしたわけだが、太田三夫弁護士にははなはだ都合が悪い。そこで弁護士の権力を行使して、亀井志乃の発言を遮り、4日間のうち3日間は閲覧室にいたということですね。」とタグ・クェッションの形で、自分の結論を押しつけた。
 
○亀井志乃の反論
 太田弁護士としては「してやったり」というところかもしれないが、しかし気の毒なことに、亀井志乃の「最終準備書面」(平成20年12月12日)で、次のように反論されて、かつ寺嶋弘道被告の偽証まで指摘されてしまった。
《引用》

① 原告が閲覧室勤務につくようになったのは、平成18年4月14日、被告と平原学芸副館長から、O司書とA学芸員が担当の「新刊図書の収集・整理・保管」の業務を手伝ってほしいと依頼されたからです。この事により、原告は、この年度当初の予定になかった、新刊図書の収集・整理・保管というO司書とA学芸員の毎日のルーティンワークの一部を肩代わりすることになりました(具体的には寄贈雑誌のデータベース登録作業)。また、こうした変更の絡みで、原告は結果的に、閲覧室における来客対応を阿部学芸員・岡本司書との3交代で手伝うこととなりました(「準備書面(Ⅱ)―2」5~6p、および甲3号証・甲60号証・甲62号証参照)。原告が、前年度までに比して閲覧室に下りて仕事をすることが多くなったのは、偏(ひとえ)に、この時の被告と平原学芸副館長から依頼が原因です。
(中略)

③なお、〈閲覧室〉に関して言えば、原告が閲覧室に下りるのは、カウンターでの来客対応のためばかりではありません。①で触れましたように、原告の業務の一つに〈寄贈雑誌のデータベース登録作業〉がありますが、継続的に館に届いている雑誌については、パソコンのデータベースだけではなく、閲覧室にあるカードボックスのカードにも、その受入状況を記入しなければなりませんでした。バックナンバーが何巻まで届いているか記し、利用客の検索ニーズに応えるためです(なお、当時、利用客用の検索パソコンはありませんでした。多分、現在でもないと思われます)。その記入のために、原告は、ほぼ毎勤務日、閲覧室に下りざるを得ませんでした。ただし、カード記入だけの場合には、時間は数十分程度でした。そういう事情があったので、被告代理人からの尋問の際、原告は「週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…」と説明を続けようとしたのです。しかしこの時も、被告代理人は原告の発言を遮って、理由も聞かず、強引に話を〈下りた日数〉だけに限定してしまいました。
④ 事実関係を整理して見ますと、被告や平原副館長の虚言の出発点は、平成18年4月14日の話し合いにあったことが分かります。その話し合いに関して、被告は、田口裁判長の
「亀井さんの了解を得た上で(「平成18年度 学芸業務の事務分掌」乙6号証が)決められたということになるわけですか」という質問に対して、次のように答えました。はい。ですので、寺嶋が、私が作りました原案を修正したことの1つが、図書の、雑誌の整理をどうするかという項目でしたので、それを副館長同席の上で亀井さんに確認したことの1つだと思います」被告調書21p)
 しかし、これは被告の偽証です。原告は平成18年4月14日に、
私(被告)が作った原案」なるものを見せられたことはありません。図書の、雑誌の整理をどうするかという項目」を確認したこともありません。実際は①で書いたとおりでした(75~76p。太字は原文のママ)

○太田三夫弁護士の尋問テクニック
 コンレイとオバーによれば、アメリカの大学の弁護士養成コースなどでは、タグ・クェッションや遮り(interruption)の技術を教えるらしい。WHクェッションの場合は、被尋問者が不用意にしゃべる言葉から、被尋問者の矛盾点や弱点を引き出すには便利だが、話が散漫になってしまう恐れがある。それに対して、タグ・クェッションは弁護士が被尋問者の発言を制約しコントロールでき、しかもタイミング良く話を遮って、自分が狙っている言葉を被尋問者に言わせることができるからである。
 日本でもそういう教育をしているのだろう。その点から見れば、太田三夫弁護士は優等生的な勉強家だったらしいことが分かる。

 もう一つ例を挙げてみよう。
 なお、亀井志乃はコンレイとオバーを読んでいたわけではない。が、基本的な方針として、「とにかく質問されたこと以上のことは言わない。また、正確に答える自信がない時には、のちほど書面でお答えいたしますと言い、決して曖昧なまま答えたりはしない。これが鉄則だという、一般向けの裁判の参考書の忠告に従うことにした」。この言葉を念頭に置いて読んでもらうと、以下の問答の面白さがもっと分かるだろう。
《引用》

太田三夫弁護士:先ほどの乙第2号証を示します。その一番下をちょっと黙読して下さい。ここには「財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」と書いてありますね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:ここにいう研究員というのはだれですか。端的に言ってください。
原告・亀井志乃:この「*」印の意味がはっきりしないので、判然とは申せません。
太田三夫弁護士:研究員というのは、財団では何人いたんですか。
原告・亀井志乃:研究員というふうに職名が付いているのは、私1人です。
太田三夫弁護士:学芸主幹というのは、だれのことを言いますか。
原告・亀井志乃:…学芸主幹というのは、道の役職の学芸主幹として、寺嶋主幹だと聞いております。
太田三夫弁護士:再度乙第5号証を示します。この席順といいましょうか、座る場所、あなたは、なぜ寺嶋さんと一緒のエリアにいるんですか。
原告・亀井志乃:これは、単にそのようにまとめられていたと、前年度からの流れで、そのようにまとめられていたという状況でございました。
太田三夫弁護士:あなたは、平成18年4月以降のあなたのお仕事というのは、どのように理解されておりましたか。
原告・亀井志乃:財団法人北海道文学館の嘱託です。そして研究員です。
太田三夫弁護士:ですから、その仕事の中身としては、どのように理解されていたんですか。
原告・亀井志乃:仕事の中身は、当初申しましたように、その財団法人の中の職務としての文学資料の調査と整理、研究で、ほぼ、端的に言うとすれば、それに尽きると思います。
太田三夫弁護士:あなたは嘱託職員というお言葉を使われてますけれども、財団法人の従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:嘱託職員は、ある組織から依頼を受けて仕事をするという人間ですので、私はそのように理解しておりました。
太田三夫弁護士:ですから、従業員なんですか、従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:仕事を請け負っているという意味での従業員だと思っております。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務として、「二組のデュオ展」というのがありましたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:これは、あなたが主担当でしたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないと、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:……予算というのは…。
太田三夫弁護士:結論だけ言ってください。だれに相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:そのような形ではお答えできないんですけれども。
太田三夫弁護士:じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか。
原告・亀井志乃:……お答えしなければならないでしょうか。勝手という言葉が入りましたけれども
田口紀子裁判長:意味が分からなければ、分からないで結構です。で、今言われているのは、勝手に決めるという言い方されたんですけれども、どなたかに許可を取ったりとか、どなたかに相談されたりとかして決めることになるんですか。
原告・亀井志乃:ええ、基本的に言えば、予算のことについては、前年度に枠が決まっておりますので、その枠をはみ出るということでない限りは、基本的にはだれにも相談はしません。ほかの人も、だれもそういう場合は相談はしません。で、何か業務のことを遂行する上で、まあ、一応連絡は取っておかなければというふうになるとしたら、私の場合には、財団の、前年までで言えば平原副館長でした。
太田三夫弁護士:平成18年4月以降はだれなんですか。前年度までは平原さんとおっしゃるから、18年4月以降はだれなんですか。
原告・亀井志乃:私は業務課学芸班の人間でございます。
太田三夫弁護士だから、だれなの。端的に質問に答えて。
原告・亀井志乃:川崎課長です。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務については、そうすると、仮にあなたが相談することがあるとすれば、川崎業務課長、この方以外にはないということですね。
原告・亀井志乃:そのようには申し上げておりませんが。
太田三夫弁護士じゃ、だれなの。それとも、あなたが一存でいろんなことは決められる、後は事後報告だけでいい、そういう発想ですか。
原告・亀井志乃:一存ではございません。ですから、火曜日の朝の打合せ会のときに職員全体に諮りました
(原告調書、20~23p。発話の太字は引用者)

 ここから、先ほど引用した、あなた、平成18年の4月以降、どこで仕事をされていましたか、場所。」という太田三夫弁護士の質問に移って行くわけだが、太田三夫弁護士が言わばマニュアル通りに頑張っていた様子がよく分かるだろう。

○太田三夫弁護士の失敗
 マニュアル通りによく頑張ったが、しかし気の毒ながら、成功したとは言いにくい。
 まず太田三夫弁護士は乙2号証の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書における、
財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言を持ち出して、亀井志乃をひっかけようとしたわけだが、うまく行かなかった。
 なぜなら、既に亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日)の中で、この文書には手続き上の問題があり、また、この文言の意味内容にも不明なところが多く、オーソライズされたものとは言えないことを証明しておいたからである。
 
 そこで太田三夫弁護士は「従業員」という大雑把な括りの中に、亀井志乃研究員も寺嶋弘道学芸主幹も繰り込み、二人は部下と上司の関係だったと見せかける策戦に出たのであろう。ところが、亀井志乃から、自分は財団の研究員だが、学芸主幹という役職名は道の職員しか持たないと、両者の区別を明確に指摘されてしまった。もし太田三夫弁護士がこれ以上深追いすれば、〈道の学芸主幹が財団の研究員の上司となるのは、公務員法に違反することになるのではないか〉という、亀井志乃の兼ねての主張と正面からぶつからざるを得ない。結局太田三夫弁護士は、
ですから、従業員なんですか、従業員ではないんですか。」と二者択一の返事を求め、亀井志乃の「仕事を請け負っているという意味での従業員だと思っております。」という、あまりにも正確明瞭な限定つきの返事を受けて、この件の追求を諦めるしかなかったのである。

○太田三夫弁護士の苛立ち
 この辺から太田三夫弁護士はだいぶイライラし始めたらしい。次に
「このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないという、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか。」と質問をぶっつけたわけだが、これは自分の無知をさらけ出す結果にしかならないだろう。文学館の展示業務に関する予算は前年度末に決定されており、よほど特別な事情が発生しないかぎり、予算の執行はその展示業務の主担当と副担当の判断に任されているからである。このことは、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―1」その他で詳しく説明しておいた。太田三夫弁護士はもちろん承知していたはずである。
 とするならば、太田三夫弁護士の
「何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないという、こういうときに、」云々は、単なる仮定法にすぎない。なぜなら亀井志乃は、平成18年度に、自分が「何か、予算が必要だ」というような不始末をしでかした覚えはないからである。そこで「……予算というのは…。」と、改めて予算執行の実情を説明しようとしたところ、太田弁護士はその言葉を遮って、結論だけ言ってください。だれに相談することになるんですか。」と短兵急に返事を要求する。だが、亀井志乃には仮定の質問に答える義務はなく、その気持ちもなかった。そこで、そのような形ではお答えできないんですけれども。」と返事をし、するとは太田三夫弁護士「じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか。本来ならば伏せておくべき言葉を、苛立ちのあまりつい口走ってしまったのであろう。
 
○形勢逆転
 亀井志乃は後でこの場面を振り返り、「『仮定の質問にはお答え出来かねます』と突き放してしまったほうがよかったかな」と反省していた。
 たしかにこの前後から、太田弁護士は「さあ、ここが見せ場だぞ」と言わんばかりに、言葉づかいも態度もLになってきた。自分がこの会話を仕切っているのだという思い上がりなのだろう、横柄な態度で質問を続ける。おかげで亀井志乃は、一方的に押しまくられているような印象だった。
 だが、太田三夫弁護士が
「じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか。」と高飛車に決めつけ、亀井志乃が「……お答えしなければならないでしょうか。勝手という言葉が入りましたけれども。」と返事を保留して、一呼吸、間を取った。それを見て私は、太田弁護士の追求もそこまでだなと思った。
 
 太田弁護士としては、二者択一の質問で追い詰め、タグ・クェッションで決定的な返事を引きだそうとしたのだろう。もし亀井志乃が「はい」と答えれば、亀井志乃自身が「自分が主担当の業務については、すべて何でも勝手に決められる」と考えていたことを認めたことになる。もし「いいえ」と答えたとすれば、太田弁護士は更に、〈それならば、あなたは何かを決めるについて誰かに相談しなければならなかったはずだが、誰かに相談した事実があるのか〉と追求することができるわけである。
 ところが亀井志乃は
「勝手に」という言葉に仕掛けられたトラップに気がついて、返事を保留し、裁判長の介入を誘って、その間に自分の態勢を整えた。被尋問者が逆に質問することは、タテマエ上は認められているけれども、実際にそれが許されることは滅多にない。コンレイとオバーはそう言っていたが、亀井志乃は全くの素人だったおかげで、そんな暗黙の慣例などあっさりと踏み越えてしまったのである。

○突き放された太田三夫弁護士
 これ以後、太田三夫弁護士はいよいよ焦ったらしく、
平成18年4月以降はだれなんですか。前年度までは平原さんとおっしゃるから、18年4月以降はだれなんですかだから、だれなの。端的に質問に答えてじゃ、だれなの。それとも、あなたが一存でいろんなことは決められる、後は事後報告だけでいい、そういう発想ですかと、無礼なもの言いで、同じ質問を執拗に重ねて行く。喉から手が出るほど「それは寺嶋学芸主幹です」という返事が欲しかったのだろうが、むしろ彼自身のほうが、法廷における発言の不均衡な権力関係を利用して、強引に自分の求める返事を言わせようとする、そういう傲慢な自分の正体を表出してしまっていた。
 
 普通の日常会話で、対等な人格の相手に対して、もしこのような口の利き方したならば、相手から撲られるか、相手や周囲の人間の顰蹙を買うだけだろう。では、法廷という言説空間にかぎり、このような非常識が許されるのだろうか。そんなことはない。法廷においても市民のルールが守られなければならないはずだが、それにもかかわらず、太田三夫弁護士のような権力主義が大手を振ってまかり通っている。そんなことを許してきたのは、司法・法律関係者の中に、裁判や法廷を特殊な言説空間に仕立てたがる、特権意識があるからにほかなるまい。
 太田三夫弁護士も大いにこの特権意識を享受しているふうであったが、その下心ある質問は、亀井志乃の
「私は業務課学芸班の人間でございます」という、きっぱりとした立場表明と、そのようには申し上げておりませんが一存ではございません。ですから、火曜日の朝の打合せ会のときに職員全体に諮りました」という切り口上の返事によって、なす術なく跳ね返されてしまった。

 亀井志乃が対応のコツを掴むにつれて、太田三夫弁護士がジタバタし始める。そこのところが何とも面白い。
呵々

 
 
 

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判決とテロル(12)

権力は知に成り変わる(Power can become knowledge.)

○心的過程の行為文
 これまで何回か言及したR・ホッジとG・クレスの『イデオロギーとしての言語』(1993)の理論は、英文の分析を中心としており、そのまま機械的に日本文にあてはめることはできない。だが、その着想と手法からは学ぶべき点が多い。
 たとえば二人は、”They knew history.”(彼等は歴史を知った)という例文を挙げて、これは心的過程(mental-process)を叙した、処置文と見なした。「処置文」については、「判決とテロル(8)」で、

A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
      ②非処置文 中島が走る
B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
      ④特性文  中島は早い

という図表を挙げて説明しておいた。「中島がボールを打つ」という文の場合で言えば、「中島」という行為者(actor)と、行為過程(verbal process)と、被行為物(affected entity)という3つの項で構成されるわけである。
 ただし、これは中島の外的な行為を述べた文であり、被行為物である「ボール」は中島の行為(打つ)を受けて外野に飛んで行くわけであるが、「彼等は歴史を知った」の場合、「(歴史を)知る」という内面的な行為を述べており、「歴史」という被行為物は、「知る」という行為の作用を受けて、外的な変化を蒙るわけではない。もし「変化」があり得るとすれば、むしろ「彼等」のほうが、歴史を知ることによって内的に変わることになるだろう。その意味で、行為過程(verbal process)が心的過程(mental-process)であるような「処置文」の場合、行為者が行為対象から一種のリアクションを蒙ることも起こりえるのである。

○”see”と”look”の違い
 このことを一つ確認して、次に
 

、He saw the bird. (処置文)
、He looked at the bird. (非処置文)

の二つを比べてみよう。
 私が習った英語の知識によれば、〈look (looked) atのほうが、see(saw)よりも外界に対してより積極的、能動的だ〉ということになっている。宮内秀雄とR・C・ゴリスの訳編『スコット フォーマンス 英語類語辞典』(秀文インターナショナル、1977年)の説明はこうであった。
《引用》
 
lookと look atも、「見る」という意味であるが、seeとは少し意味がちがう。looklook atは、意識してどこかに目を向ける、という意味であるが、seeは、自然に何かが目にはいる、という意味である。したがって、look(目を向ける)しようとしないでもsee(目にはいる)することもできるし、lookしてもseeしないということも可能である。

 lookとseeは、ほとんど同じ意味である。lookまたは look atは、目を使って何かを知る、という意味である。lookすると、何かに視線を合わせる。seeは、何かが目にはいるという意味である。「映画を見る」ということをsee a movieという。
When you are looking at one thing, you are also able to see what is on both sides of it. 何か1つのものを見ていると、その両わきにあるものも目にはいる。
You can see daylight without looking at it. 日光は注意をして見なくても、ひとりでに見える。
She looked at the sky and saw millions of stars. 彼女は空を見上げて無数の星を見た。

 日本で英語を学んだ人間にはこれが常識だと思うのだが、ホッジとクレスは、seeを用いたの例文を「処置文」と見なし、look atを用いたの例文のほうを「非処置文」とみなしたのである。何故だろうか。それに対する二人の説明はこんなふうであった。
 〈
の例文は、知覚の受動的な過程を表現している。なぜなら、鳥の像(image)が彼の網膜に刺激を与え、それ故彼は、否応なしにそれを見ざるをえなかったからである。それに対して、のような非処置文は「見る」という行為事実そのものに注意を向ける傾向を持ち、そのため「見る」行為の原因(鳥の像が網膜を刺激する)への注意がぼやけて(blur)しまう。その意味でlookは能動的であると同時に受動的でもあり、言わば自己原因的な行為(a self-caused action)なのだ〉(亀井意訳)と。
 
 要するにlookは、外界からの刺激に受動的に反応するseeに比べて、「見る」ことへのモチーフが強い。この心的な能動性を捉えて、彼等は
の例文を「非処置文」と呼んだわけだが、続けて次のようにその特徴を強調していた。〈非処置文を通して表現される知覚と、(言語学で言う)被動格的(patientive)な処置文を通して表現される知覚を比べてみるならば、前者のほうが後者よりも遙かに強く、その人間の知覚過程が能動的で意図的(active and purposeful)であることが分かる。それだけでなく、被動格的(patientive)な処置文の場合、知覚する人間のリアクションは知覚対象に基づくところが大きいが、非処置文の場合はそうではない。〉(亀井意訳)。
 この「(言語学で言う)被動格的(patientive)な処置文」は聞き慣れない言葉であるが、ホッジとクレスは”patientive”について、「知覚者は受動的であり、彼の行為はリアクションである(the perceiver is passive, his action is reaction)」と説明しており、
の例文を指す。つまり、の例文における「見る(see)」行為は、鳥の像が網膜に刺激を与えるという原因(cause)に関しては受身でしかないのだが、の例文における「見る(look at)」行為は、その人間の側に原因(cause)を持つところの、self-caused actionにほかならない、というわけである。

○思い当たる平原副館長の「陳述書」
 ちょっとややこしい理屈であるが、なるほどなあ。思い当たるフシがないわけでもない。北海道立文学館の平原一良副館長が「陳述書」(日付は2008年4月8日)の中で、こんな書き方をしていたからである。
《引用》
 
夏が近づくころ(6月1日に私は、学芸副館長から副館長・専務理事へと発令されました)から、どうも学芸スタッフの間に当初とは異なる空気が流れていることに、私も気づきはじめました。別なスタッフから得た僅かな情報により、寺嶋氏と亀井志乃氏との間に何かしら溝のようなものが生まれつつあることを知りました。しかし、寺嶋氏と亀井志乃氏の年齢(50代、40代)に照らせば、それぞれが十分に大人であるはずですから、しばらくは静かに様子を見守ろうと私は考えました。そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました。(4p。下線は引用者)
 
 大変によく出来たお話で、たぶん平原副館長は、亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹を避けて、自分の席で仕事をしない、そんな我が儘な行為が目につくようになった。そういう印象を裁判官に与えようとしたのであろう。もしこの印象操作にうまく成功すれば、〈亀井志乃の席を業務課に移したのは
「緊急避難」だったのだ〉というあの主張も、リアリティを持つはずだからである。
 しかし、「判決とテロル(10)」で論証しておいたように、平原副館長が言う「緊急避難」云々は真っ赤な嘘だった。それと同様、彼はここでも嘘を吐いている。亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」で反論したように、もともと亀井志乃が自分の席に落ち着いていられない状況を作ったのは、平原一良学芸課長(当時)と寺嶋弘道学芸主幹だったのである。
 平成18年の4月14日(金)、亀井志乃は平原学芸副館長と寺嶋学芸主幹から会議室に呼ばれ、O司書とA学芸員の担当である「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」という事務分掌を手伝うように依頼された。つまり年度当初に担当が決まっていた「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)の他に、新たな仕事を依頼されたわけだが、亀井志乃はそれを引き受けた。そして結果的にはO司書とA学芸員と亀井志乃の3人が交替で閲覧室勤務に就くことになり、A学芸員がそのローテーション表を作り、事務室に貼って置いた。そんなわけで、もし平原学芸副館長(のち副館長)が亀井志乃に用事があり、亀井志乃が自席にいなかったとしても、そのローテーション表を見れば事情は直ぐに飲み込めたはずだ。
 だが、平原一良副館長は以上の経緯を全て伏せたまま、先のような嘘を得々と書いたのである。

○平原副館長の心的過程
 ただし、今回私が注目したいのは、下線を引いておいたような、平原副館長の文体のほうである。
 「私も気づきはじめました」「気づきました」。いずれも自分の心的過程に焦点を合わせた「非処置文」であり、――しかし最初の表現における「私も」は、何と並列する「も」なのか、さっぱり分からない――それだけ平原副館長は亀井志乃が自席で仕事をしているかどうか、能動的かつ意図的(active and purposeful)に関心を持ち続けていたことになるだろう。
 つまり、じいっ~と亀井志乃の仕事ぶりに注目していたわけだが、しかしこの記述全体が嘘で成り立っている。とするならば、この「私も気づきはじめました」「気づきました」は何を意味するだろうか。さし当たり、虚言の中にさえ滲み出てしまう、彼の深層心理と受け取っておくほかはないだろう。
 自分と寺嶋学芸主幹とが謀って、亀井志乃が自席で落ち着いて仕事を出来ない状況を作っておきながら、それを隠しておく。ごく普通に用事があって、「亀井さん、いない?」と事務室に入ってきたならば、――すなわち「処置文」で表現できる行動を取ったのならば――仮に亀井志乃が見えなかったとても、その事実から受けるリアクションは、「ああ、亀井さんは閲覧室勤務だったんだ」で済むはずである。それと共に、平原副館長はその単純明快なリアクションを通して、自分と寺嶋学芸主幹とが彼女に新たな仕事を割り当てた事実に思い当たったはずなのだが、彼はそれが出来なかった。そこで、亀井志乃のほうに問題があったかのような、思わせぶりな書き方をするしかなかったのであろう。

○平原副館長の虚言と寺嶋学芸主幹の虚言との不思議な暗合
 それともう一つ、
別なスタッフから得た僅かな情報により、寺嶋氏と亀井志乃氏との間に何かしら溝のようなものが生まれつつあることを知りましたについて言えば、平原一良副館長はなぜ「別なスタッフ」の名前を挙げることができなかったのか。
 これは裁判における証言であり、その証拠的価値を高めるには、可能なかぎり実名、日付を明記する必要がある。亀井志乃はそうしてきた。亀井志乃は道立文学館で働いている間、誰かに迷惑をかけたことはなく、また、迷惑をかけるようなことを書くはずがないという自信があったからであろう。
 
 他方、平原一良副館長の書き方は、そして寺嶋弘道学芸主幹の書き方も、こんな具合だった。
《引用》
 
しかし、期限の切られたリニューアル作業が佳境を迎える夏ごろから、複数の女性スタッフから、同氏の在り方について「異義あり」の声の届く頻度が高くなりました。(「平原陳述書」よりの引用A、2p)。
 
ただ、学芸課内での分掌をめぐって、同氏に委ねた寄贈資料の開封整理作業や閲覧室番業務(ローテーションに従い複数で担当)に不満を覚えているようであるとの話は、一部学芸課員から耳にしていました(「平原陳述書」よりの引用B、3p)。
 
事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした(「平原陳述書」よりの引用C、5p)。
 
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に遺したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした(「寺嶋陳述書」よりの引用E、5p)。
 
前年度までの仕事が主に別室で進められていたという習慣もあってのことか、原告は18年4月以降も事務室内の学芸班の自席で執務することが少なく、そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました(「寺嶋陳述書」よりの引用D、6p)

 まるで相談しながら作文したかのごとく、二人とも思わせぶりな口調で、いかに亀井志乃が仕事仲間の不評を買っていたかを証言したわけが、「平原陳述書」よりの引用Aは、平成17年度における「常設展示リニューアル」作業に関することだった。
 だが、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」で証拠を挙げて反論したように、リニューアルの責任者だった平原一良学芸副館長の展示案作成が遅れたため、リニューアル作業は10月にずれ込んでしまった。彼は
「リニューアル作業が佳境を迎える夏ごろ」などと言っていたが、実際には、皆が手をつかねて平原学芸副館長の指示を待っている状態だったのである(「北海道文学館のたくらみ(35)」)。
 そしてこの平成17年の
「夏ごろ、亀井志乃は、常設展示の「見直し部会」の委員から送られてくる展示案を、詩・小説・俳句・短歌・児童文学・書誌研究等の分野別年表に取りまとめて、平原学芸副館長に渡したり、展示コーナーのキャプションを日本語・英語の二ヵ国語で表記することを思い立ち、提案をして、平原学芸副館長の了解のもと、自発的に英語の下書きに取りかかっていた(ただし、分野別年表も英文キャプションの原稿も、展示に生かされることはなかった)
 また、「平原陳述書」よりの引用Bは、これもまた平成17年度に関する証言なのであるが、先ほど書いたように、亀井志乃が閲覧室勤務に就くようになったのは、平成18年の4月からだった。平成17年度、自分のかかわらない勤務について、亀井志乃が「不満」を口にするはずがない。このことも、彼女は「準備書面(Ⅱ)―3」で指摘している。
 「平原陳述」よりの引用Cについては、その証言が如何にいかがわしいか、「判決とテロル(10)」を読んでもらいたい。
 
 「寺嶋陳述書」よりの引用Dについて言えば、まるで根拠がないことを、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―2」によって暴かれてしまった。ばかりでなく、寺嶋弘道被告は田口紀子裁判長から、亀井志乃に対する非難の声を聞いたのは何日、どういう状況であったかを尋問されて、しどろもどろ、まともに答えることが出来なかった(「北海道文学館のたくらみ(52)」)。
 寺嶋弘道学芸主幹が道立文学館の勤務となったのは、平成18年の4月からだった。その人間が、前年度の亀井志乃の業務内容や業務態度を見ていたはずはないのだが、
前年度までの仕事が主に別室で進められていた」などと、見てきたような嘘を吐いていた。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で証拠を挙げて反論したが、それにしても平原一良副館長の嘘と寺嶋弘道学芸主幹の嘘は、薄気味悪くなるほど符節が合っている。ひょっとしたら寺嶋弘道学芸主幹は、平原副館長から「嘘」の材料を提供してもらったのかもしれない。

○「力は知に成り変わる」
 さて、ここで、ホッジとクレスの仕事の啓発的な例を、もう一つ挙げるならば、彼等は、

 、I feel well.(私は調子がいいと感じている)
 
、You feel ill/well.(あなたは調子が悪い/調子がいい、と感じている)

について、こんなことを指摘していた。
 話し手が「気分がいい」とか「体調がいい」とかと自分の心的過程を語る場合、――つまり主語が一人称の非処置文の場合は――
の言い方が成立する。だが、話し相手を(二人称の)主語として発話する場合は、一般に、”You look ill/well.”(あなたは具合わるそうに/調子がよさそうに見える)と言うが、のような言い方はしない。なぜなら、私は相手の顔色や様子を知覚することはできるが、相手自身の心的過程を直接に知覚することはできないからである。
 
 これは私たちの会話の常識であるが、ただしホッジとクレスによれば、ある種の社会的権力を誇示したがる人間は、この約束を踏みにじってしまう。たとえば海兵隊の上級軍曹が、仮病の疑いがある水兵に向かって、「お前は完全に調子がいい。さあ、とっとと急いで、パレード・グランドへ向かえ(You feel perfectly well, get on the ―― parade-ground.)」と言ったとしよう。この時、上級軍曹は「怠け者の心理なんて、とっくにお見通しさ」といった権力者的立場で、水兵の心的過程に踏み込み、言わば心的過程を支配しようとしたわけである。
 そこからホッジとクレスは次のような格言を引き出してきた。「権力は知識となることができる(Power can become knowledge.)」と。これを簡潔に言えば、「力は知に成り変わる」というところだろう。

○他者の心的過程の表現について
 では、三人称の代名詞を主語とする「彼は調子が悪い/調子がいい、と感じていた」の場合はどうであろうか。これは三人称の「客観」小説で普通に用いられる表現であるが、この時その作者はいわゆる「全知の語り手」の立場に立っていたことになる。
 「全知の語り手」とは、作中人物の内面(心的過程)に自由に立ち入り、心理や意識の流れを描き得る語り手のことで、その意味では作中人物に対して権力者の立場に立つ。なぜなら、こ場合の作者=創造主は、作中人物の運命や内面を任意に決めることができる、絶対者の特権を行使していることになるからである。
 
 では、この世に生きている生身の人間が、現実に生きている/生きていた他人に対して、そのような立場に立つことは許されるだろうか。全く許されないわけではないが、もし敢えてそれを行うのならば、自分がその第三者の内面(心的過程)について語り得る根拠、つまり情報の由来や、情報の信憑性を明らかにする必要がある。新聞や週刊誌の記事などには時々、その種の記事が載るが、情報の由来や信憑性に関して、当事者や読者からその確実性を問われることは避けられない。また、避けてはならないだろう。この確実性に関して、証拠をもって争うことができないのならば、第三者の内面(心的過程)に踏み込んだ断定的表現をすべきではないのである。

○寺嶋弘道学芸主幹は「全知の語り手」?
 このことを押さえて、今度は寺嶋弘道学芸主幹の発話・言表に目を向けてみよう。亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、平成18年10月18日の出来事を次のように記述した。
《引用》

(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した
(23~24p。太字は引用者)

 田口紀子裁判長がこの文章を、「判決文」の中でどんなふうにねじ曲げてしまったか、「判決とテロル(8)」及び「同(9)」で指摘しておいた。今回、再びこの箇所を引用したのは、もちろん前回の指摘を蒸し返すためではなく、寺嶋弘道学芸主事の発言の太字の箇所に注目してもらいたかったからにほかならない。

 話を分かりやすくするため、ここでは、まず「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」という発話のほうを先に取り上げてみよう。彼は神谷忠孝理事長や毛利正彦館長(当時)の心的過程を十二分に知悉している立場で発言しており、言わば「全知の語り手」の立場を誇示したわけだが、それならばそう断言できるだけの根拠を持っていたはずである。
 ところが寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が
「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言ったところ、慌てて亀井志乃の行動を阻んだ。
 もし彼が言うとおりであったならば、亀井志乃が神谷理事長や毛利館長に会うことを阻む必要はなかった。なぜなら、もし神谷理事長なり毛利館長なりが、亀井志乃に、〈確かに私は、亀井志乃研究員が文学碑の写真を撮り、文学碑データベースを充実させることになった、と理解している〉という意味の返事をするならば、寺嶋弘道学芸主幹の主張が客観的に裏づけられたことになるからである。その意味では、むしろ彼のほうが、積極的に亀井志乃が神谷理事長なり毛利館長なりと会うことを求めるべきであった。
 にもかかわらず、寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が神谷理事長や毛利館長に説明することを妨げてしまった。結局これは、寺嶋弘道学芸主幹が自分の嘘のバレルことを恐れたからだ、と見るほかはないであろう。
 
○寺嶋学芸主幹の恐るべき「知」
 北海道教育委員会職員・寺嶋弘道学芸主幹という人物は、こんなふうに、まるで「全知の語り手」のごとく、平然と神谷理事長や毛利館長の心的過程にまで踏み込んで行く、というより、平気で虚構してしまう人物であり、先ほど引用した
(亀井志乃は)前年度までの仕事が主に別室で進められていた」云々のごとく、自分が道立文学館に着任する以前の亀井志乃の仕事についても、まるで見てきたような嘘を吐く。
 さらには
(亀井志乃の)前年度までの業務は、収蔵資料の解読翻刻、収蔵資料の整理登録作業、常設展の更新、文学碑データベースの作成などであり、整理業務、研究業務が中心でした。すなわち、業務上取り扱う資料のほとんどは当館の所蔵資料であり、その業務も収蔵庫や作業室で、一人で黙々と処理すればよい作業が大部分であったということです。」寺嶋陳述書、4p)。18年度に担当した『二組のデュオ展』などの展覧会事業の実務経験はまったくなく、『文学碑データベース』の写真公募のようなイベント性を伴う普及事業の経験もありませんでした。したがって出張のように渉外事務や経費支出を要する業務については未経験であり、そしてそれらのために内部調整を進めながら事務事業を遂行するということに理解が及んでいなかったのです(同前、4~5p)などと、自分が見聞したわけではない平成17年度の事柄について嘘を重ね、そこから一転して、さらには、そのようにして組織で仕事を進めるという意識も薄かったのではないかと思います。当館への勤務以前の就業経験の不足を考慮したとしても、連携意識や協調性に乏しく組織社会における適性を欠くものでした。(同前、5p)と、亀井志乃の内面に踏み込み、性格批評を行う。
 
 こうした傲慢さは止まることを知らず、平成18年度の亀井志乃の業績についても、
まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻業務が原告の中心的な任務であったにもかかわらず、平成18年度は当館に対し業務報告の一つとしてなされていませんでした。」と、名誉毀損的な嘘を平然と述べ立てて、そこからいきなり「文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません(寺嶋陳述書、3p)と、亀井志乃の意識や心事に関して否定的な極論を引き出してくる。
 亀井志乃はこれに対して、証拠を挙げて逐一反論をし、
この強引な理屈は、他人の実績には目もくれず、組織に対する忠誠心や貢献度だけを勤務評定的にチェックする、いかにも中間管理職的な論理というほかはありませんが、被告が好んで振り回す『組織』論や『組織人』の正体がこれであること、それをしっかりと認識しておきたいと思います(「準備書面(Ⅱ)―2」8p)と、寺嶋弘道学芸主幹の言説の正体を明らかにしておいた。
 
 この人物の、自分の「知」のあり方に関する反省的意識はどうなっているのだろうか。

○「権力が知識の占有を主張した」具体例
 ともあれこうして見ると、
やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」という寺嶋弘道学芸主幹の発話が、あの海兵隊の上級軍曹の、「お前は完全に調子がいい。さあ、とっとと急いで、パレード・グランドへ向かえ(You feel perfectly well, get on the ―― parade-ground.)」と同じ性質のものだったことが分かるだろう。
 彼等のような権力主義的な人間には、「”You look ill/well.”(あなたは具合わるそうに/調子がよさそうに見える)」と、相手の立場や事情に目を向け、これを配慮する意識が欠けているのである。

 このことは、10月28日の出来事に関する亀井志乃の記述の全文を見れば、更に一そう明らかだろう。次に紹介するのは、先ほど引用した「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」に続く文章である。
《引用》

(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 (11-1)の項でのやりとりのあと、原告は、一対一の押し問答に終始すべきではないと思い、「もう昼にもなるので、事務室へ行ってお話をうかがいましょう」とカウンターを立った。被告も続いてすぐに事務室に上がった。
 そして昼食後、原告は、改めて被告の言い分を聞こうとした。ところが被告は、「もう二度も話したから、その通りのことだ」と言い、なぜか主張の詳細を事務室では口にしようとしなかった。「要するに認識の相違だ」とも言ったが、原告の「文学碑に関してそのような仕事は決まっていなかった」という主張は、依然、認められないとのことだった
 原告は責任ある立場の職員に立ち会ってもらいながら、これまでの経緯を明らかにしようと考え、「では、その問題について、副館長(先の学芸副館長)も業務課長も揃ったところで、説明させていただきます」と言った。ところが被告は、「いいかい。たかが、だよ。たかがデータベースの問題でしょう。それを、なんであんたが、副館長や業務課長に説明しなきゃなんないのと、今度は一転、データベース問題の重要さそのものを否定した。そして命令口調で、「説明したいんなら、まず、私に説明しなさい。」、「何かやるときには、まず、私に言いなさい」と言い、原告が「二人の間に認識の違いがあるというのだから、そのことについて、他の方に意見をうかがいたいのだ」と言うと、「説明して分ってもらいたいなら、わたしにまず説明しなさい。私がこの学芸班を管理しているんだ。そうした決まりを守らないなら、組織の中でやっていけないよと、自分の立場を押しつけた
(と言った
 原告は、自分の雇用に関わる問題にまで発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った。すると被告は、今度は話を続けることなく、急に「あんたひどいね。ひどい」、「あんた、普通じゃない」と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した
(録音機の前で発言することを拒否したことから、。原告は、被告に、「私に話したいことがあるなら、記録を取られるからといって、なぜ、話さないのか。誰がいたとしても、一対一の時のように、はっきり言えばいいではないか」と言った。そして、「私は、この問題について、これからも追求してゆくつもりだ。そのことは、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから」と言い(と答えて)午後の勤務のために事務室を出た(25~26p。下線、太字、青文字は引用者)

 田口紀子裁判長はその「判決文」の中で、下線の部分を削り、また、削った一部を( )内の青文字に書き換えてしまったが、この作為が何を意味するか。この問題は後でふれることにして、取りあえずここでは太字の箇所に注目してもらいたい。

 一読して分かるように、寺嶋弘道学芸主幹は管理者意識、権力者意識をむき出しにして、自分の主張に固執して、亀井志乃が自分の記憶に基づいて事実関係を明らかにしようとしても、耳を貸そうとしない。やむを得ず亀井志乃は、平原副館長や川崎業務課長の立ち会いのもとで、そもそもの発端だった5月2日の話し合いの内容を説明しようとしたわけだが、寺嶋弘道学芸主幹はそれもまた阻んでしまった。つまり、亀井志乃の意見を絶対に認めず、管理者意識むき出しの恫喝をもって自分の主張を「事実」として押し通そうとしたわけで、これは海兵隊の上級軍曹が水兵をパレード・グランドへ駆り立てた程度の、生やさしい行為ではない。権力者が知識の占有を主張するに等しい、横暴な行為だったのである。

○寺嶋弘道学芸主幹の悪あがき
 ところが滑稽なことに、あれだけ居丈高だった寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が机から録音機を取り出し、
話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った途端、何も言えなくなって、あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」などと、被害者めいた物言いで、亀井志乃の性格批判を始めた。
 もともとの発端である5月2日の話し合いには、平原学芸副館長(当時)も同席していた。もし寺嶋学芸主幹が自分の主張に自信を持っていたならば、亀井志乃が
「では、その問題について、副館長(先の学芸副館長)も業務課長も揃ったところで、説明させていただきます」と言った時は、それこそ「物怪の幸い」とばかりに、平原副館長の立ち会いを求め、自分の記憶が正しいことを確認してもらうことができたはずである。ところが彼そうせずに、亀井志乃の行動を阻んでしまった。
 結局彼は、自分が言うことに自信が持てず、録音機を前にして、完全にビビッてしまったのであろう。
 
 録音機を前にしての、この態度や、
あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」発言の問題は、寺嶋弘道被告の代理人、太田三夫弁護士にとって気になるところだったらしい。
 平成20年10月31日の本人尋問の際、太田弁護士は亀井志乃に対して、
あなた、28日の日にはテープレコーダーを持ってましたね。」と質問し、亀井志乃の「はい」という返事を得て、テープレコーダーは、いつごろからあなたの机の中に入ってましたか」「これは何のために用意してあったものですか」と尋問を続けた(原告調書、28p)。おそらく太田弁護士としては、亀井志乃から〈嫌がらせの証拠を残そうとして用意したのだ〉という意味の発言を引き出し、寺嶋弘道被告が「あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」と言わざるを得なかった裏づけとしたかったのであろう。
 ところが、亀井志乃の
「テープレコーダー自体は前年度からです」「それは、インタビューのときに必要になることもありますし、それから、音声メモのことで必要になることもあります」という返事を聞いて、これ以上の追求は無駄と判断したらしく、尋問の話題を変えてしまった。
 
 だが、このことについては太田弁護士も、寺嶋弘道被告もよほど未練があったのだろう。被告側の最終準備書面たる「準備書面(4)」(平成20年12月16日)で、こんなことを書いていた。
《引用》
 
8. 平成18年10月28日の被告の言動
 (1)この日の原告の一連の言動は、正に原告が財団の職員であり、原告の事実上の上司である被告であることを無視し、原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではないという態度そのものである。
 (2)それを再度目の当たりにした被告は、被告が原告の直属の事実上の上司であることを説明し、まずは被告に説明することを求めたにすぎない。
 (3)そうしたところ、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。
 (4)この原告の行動を被告が発言したように「あんたひどいね。ひどい」「あんた普通じゃない」と感じない者がいるであろうか。
 誰が見ても原告の行動は上司と部下との間で業務上の問題点について話合われる際の通常の行動でないことは明白である。
 (5)従って、被告の発言は、原告の言動の様に日常生活の中において通常取られることのない言動を取られた者の反応としては極めて自然のものであり、何ら違法性はない
(6~7p)
 
 私は(3)の表現を見て、プッ! 笑ってしまった。
あろうことか」と来ましたネ、……しかし、亀井志乃は「これまでの経緯を明らかにしよう」と考え、平原副館長や川崎業務課長の立ち会いを求めようとしたところ、寺嶋弘道学芸主幹に阻まれてしまった。やむをえず、次善の策として、たまたま業務用に机の中に入れてあったテープレコーダーを取り出して、話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言っただけであり、ごく普通にあり得る行動じゃないか。
 ところが「準備書面(4)」の段階になっても、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士はまだ取り乱していたのである。
 
 その証拠に、(1)の文章は文辞が整っていない。
正に」という副詞はどこにかかっているのか。被告ら」とは、寺嶋弘道被告の他、誰を指しているのか。この文章を書いた人間は太田三夫弁護士かもしれないが、彼は亀井志乃の「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」のどこから、原告が財団の職員であり、原告の事実上の上司である被告であることを無視し」た、という結論を引き出したのか。
 寺嶋弘道被告が亀井志乃の「事実上の上司」だったという主張は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」によって覆されてしまい、それに対して寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士は、再反論を放棄してしまった。
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と。
 再反論を放棄しておきながら、またぞろ「事実上の上司」を持ち出すのは、何とも見苦しいかぎりであるが
「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」を見れば分かるように、亀井志乃は寺嶋弘道学芸主幹を無視などしていない。きちんと話し合おうとしているのである。
 また、
原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではない」という文言について言えば、文章として稚拙であるばかりでなく、彼は何を根拠にして、亀井志乃の対応を、原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではないという態度そのもの」と断言したのか。さっぱり要領を得ない。

○田口紀子裁判長の「為にする」書き換え
 では、田口紀子裁判長はこれら一連のやり取りをどんなふうに捌き、裁いたのであろうか。
 それを知るためには、もう一度
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」の引用にもどってもらいたい。田口紀子裁判長は、私が下線を引いた箇所を、その「判決文」から削ってしまった。つまり、亀井志乃が「責任ある立場の職員に立ち会ってもらいながら、これまでの経緯を明らかにしようと考え二人の間に認識の違いがあるというのだから、そのことについて、他の方に意見をうかがいたいのだ」と言うなど、常識的かつ理性的に振る舞った事実を、田口紀子裁判長は判断の材料から削除してしまったのである。これは、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士がその「準備書面(4)」で亀井志乃を非常識な人間として描き出そうとしたことと、相呼応する作為と言えるだろう。

 また、田口紀子裁判長は、亀井志乃の「あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という記述を削除して、録音機の前で発言することを拒否したことから、」と書き換えてしまった。
 これは、亀井志乃が「準備書面」(平成20年3月5日付)の「(b)違法性」の中で、
被告は、原告が被告の主張を正確に記録するために録音機を出したところ、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた。これは原告の名誉を毀損したことにより『民法』第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である」と指摘した箇所であり、多分被告にとっては痛い指摘だった。おそらくそのために、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。この原告の行動を被告が発言したように、『あんたひどいね。ひどい』『あんた普通じゃない』と感じない者がいるであろうか。」と、言わば“必死こいて”否定にこれ努めざるをえなかったのである。
 その意味で、亀井志乃の
「あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という記述は、まさにこの裁判の急所の一つだったわけだが、田口紀子裁判長はそれを削り、録音機の前で発言することを拒否したことから、」と書き換えてしまった。為にする書き換え、と言われても仕方がないところだろう。
 
○田口紀子裁判長の権力主義
 そんなわけで、もう大方の予想はついていると思うが、
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」の出来事に関する田口紀子裁判長の判決は以下のようであった。(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」に関する判決については、「判決とテロル(9)」で分析しておいた。)
《引用》
 
さらに、原告は、平成18年10月28日午後の被告の言動につき、原告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ、また、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけて、原告の名誉を毀損し、人格権を侵害した旨、また、被告は、原告の使用者ではないにもかかわらず原告を自らの部下の立場に置くように強要し、将来の雇用に関する不安をあおるような脅迫行為を行った旨主張する。しかしながら、運用規程によって、被告が原告の上司の立場にあったことは前記したとおりであり、同日の被告の言動が、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできないから、同日における被告の言動が不法行為を構成する違法な行為と認めることはできない(22p。太字、下線は引用者)

 田口紀子裁判長の「被告が原告の上司の立場にあった」という断定は、田口紀子裁判長の虚構でしかない。これは何回も指摘して来たが、肝心なところなので、もう一度指摘して置こう。原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された(「判決文」3p)という田口紀子裁判長の判断は、何の裏づけも持たないのである。
 亀井志乃は、「寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の事実上の上司だった」という寺嶋弘道被告の主張に対して、「準備書面(Ⅱ)―1」でその根拠を問い、彼女自身の「陳述書」(平成20年8月11日)と、平成20年10月31日における寺嶋弘道被告の尋問で、彼の主張を覆し、「最終準備書面」(平成20年12月12日)で念を押しておいた。だが、田口紀子裁判長は亀井志乃の論証、主張をいっさい無視、黙殺して、自分の虚構を押し通してしまった。これは、「権力は知識となることができる(Power can become knowledge.)」の最悪な事例と言えるだろう。

 しかも田口紀子裁判長は、自分が作り出した虚構の概念を前提として、寺嶋弘道被告の全ての言動を演繹的に解釈し、その概念の中に回収して、問わるべき罪を免責してやった。被告が原告の上司の立場にあったことは前記したとおりであり、同日の被告の言動が、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」と。
 田口紀子裁判長は、この箇所の「故意に……したとまで認めることはできない」だけではなく、それ以外の箇所でも、しばしば「意図をもって……したとまで認めることはできない」という言い方をしていた。だが田口紀子裁判長は、どのような信憑性の高い情報や証拠に基づいて、寺嶋弘道被告の心的過程を知ったのか、その点については一度も明確に説明していない。
 田口紀子裁判長は、その説明不在の「意図」「故意」をもって寺嶋弘道被告を免責してきた。そのことは、
故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」という文言から、故意に」という言葉を抜いてみれば直ちに明らかだろう。この「故意に」を取ってしまえば、原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」という文章となるわけだが、何故田口紀子裁判長はそのように判断したのか。その理由を明らかにするためには、直接に亀井志乃の(被告は)原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損した」という主張を取り上げて、証拠を吟味し、法的な判断を下さなければならなかったはずである。
 しかし田口紀子裁判長はただの一度も亀井志乃が挙げる証拠を吟味し、亀井志乃が指摘する寺嶋弘道被告の違法性について法律論的に対応することはしなかった。その意味で、田口紀子裁判長が乱発する「故意に」や「意図的」は、亀井志乃の主張について法律論的に対応したり、証拠を吟味したりすることを回避し、回避しながら寺嶋弘道被告の言動を免責するための、目くらまし言葉であり、まやかし言葉なのである。

 田口紀子裁判長は、亀井志乃のような素人の論証、主張は取り上げるに値しない、と考えたのであろうか。
 
 どうやらこの疑問は当たっているらしい。なぜなら、先ほども指摘したように、亀井志乃は
「すると被告は、今度は話を続けることなく、急に『あんたひどいね。ひどい』、『あんた、普通じゃない』と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という事実を踏まえて、被告は、原告が被告の主張を正確に記録するために録音機を出したところ、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた。これは原告の名誉を毀損したことにより「民法」第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である」と、寺嶋弘道被告の違法性を指摘したわけだが、多分田口紀子裁判長はその指摘に関する法的判断を避けるために、亀井志乃の記述を書き換えてしまったからである。
 それだけでなく、田口紀子裁判長はその「判決文」を通じて、自分の判断が如何なる法に照らして行われたか、または、如何なる法適用の前例(判例)を参照したか、一度も明らかにしなかった。つまり、自分の法文解釈を通して、亀井志乃の法的主張の是非や、亀井志乃の法理解の適切/不適切を明らかにする、そういう手続きを踏むことをしなかったのである。

○田口紀子裁判長の文章力
 それにしても田口紀子裁判長の文章はちぐはぐで、どうも分かりにくい。先ほど引用した「判決文」の太字の箇所に注目してもらいたい。
原告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ」は、少なくとも田口紀子裁判長の判決文自体の文脈に即して読む限り、「被告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ」となるべきではないか。
 また、
原告を自らの部下の立場に置くように強要し」の場合、「自ら」が亀井志乃を指すのか、それとも寺嶋弘道被告を指すのか、よく分からない。「原告が自らを部下の立場に置くように強要し」という意味にも、「原告を自らの部下の立場に置こうと強制的な態度を取り」という意味にも取ることができるからである。
 
 なぜこんなに舌足らずで、無様な文章を書いてしまったのか。実は、亀井志乃が、
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」に挙げた事実に関して、寺嶋弘道被告の違法性を次のように指摘していたからである。
《引用》

イ、原告は副館長や業務課長の立ち会いの下で事実確認を行い、サボタージュといういわれのない名誉毀損を正そうとしたが、被告はそれを妨げた。これは原告が自己の名誉を守ろうとする、極めて正当な権利に対する侵害であり、憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である。
ロ、北海道教育委員会の職員である被告は、財団の嘱託として働く一市民の原告に対して、あたかも自分が原告の管理者であるかのように主張した。
 すなわち、被告は、自分が公務員でありながら、同時に民間の財団法人の管理職に就いていることを原告が受け入れ、原告が自らを部下の立場に置くように強要した。これは「地方公務員法」38条及び「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第4条に反する、不正な身分関係強制の違法行為である。
ハ、北海道教育委員会の公務員である被告は、身分の不安定な原告の弱い立場につけこみ、被告自身が原告の使用者ではないにもかかわらず、将来の雇用に関する原告の不安を煽るような恫喝的な言葉を吐きかけた。これは被告が自己の身分を偽って原告に対して行った、「地方公務員法」第29条に該当する、悪質な脅迫行為であ
(太字、下線は引用者)

 要するに田口紀子裁判長は、亀井志乃の文章から4つのフレーズを、前後の文脈を無視して切り取り、しかもフレーズを2つずつ、出て来る順序を逆にして組み合わせた。そのため、先ほどのような舌足らずな表現になってしまったのである。
 なぜそんな姑息な作為を行ったのか。結局は亀井志乃が指摘した基本的人権の問題や、寺嶋弘道学芸主幹が北海道の公務員である事実と、「地方公務員法」違反の問題を回避して、寺嶋弘道被告の行為事実を全て
「上司としての許容限度」内に回収してしまうためであろう。

 太田三夫弁護士署名の文章にも、時々、ん? と首を傾げたくなるような言い回しが出て来るが、田口紀子裁判長の文章も以上の如し。言葉の意味は文脈によって変わる場合もあるのだが、田口紀子裁判長は自分の文章の文脈によって意味をコントロールすることができていない。嘘を書かれるのも困るが、理解に苦しむ文章を書かれるのも困る。日本の大学の法学部(法科大学院)は、卒業生が他人の文書を普通にちゃんと理解し、普通にちゃんとした文章を書くことができるように指導してもらいたい。

○田口紀子裁判官の恐るべき手口
 多分そういう問題とも関係することと思うが、これまで指摘してきた田口紀子裁判長の判決文を整理してみると、以下のように恐るべき特徴が現れてくる。
① 裁判官の権力によって虚構の〈事実〉を作り上げ、これを押しつける。
② 裁判官の権力によって作り出した虚構の〈事実〉を、原告・被告のいずれかの人間の行為に演繹的にあてはめ、または、原告・被告のいずれかの人間の行為を虚構の〈事実〉の枠組みに回収してしまう。
③ 「許容範囲」の基準を明らかにしない。
④ 原告・被告のいずれかの人間の「意図」を重視してみせながら、他方、その人間の行為事実を不問に付してしまう。しかも、どのような証拠に基づいて、その人間の心的過程を知ったのかについては、全く説明しない。
⑤ 原告・被告の主張に関しては、いずれか一方の人間の主張の要
(かなめ)となる事実を骨抜きにする形に書き換え、または無視、黙殺してしまう。
⑥ 自分の判断が如何なる法に照らして行われたか、または、如何なる法適用の前例(判例)を参照したかを明らかにしない。

 さて、このように抽象化した上で、自分を原告・被告のいずれかの立場に置いてみてもらいたい。更に、自分が裁判官のこのようなやり方のターゲットにされた場合を、想像してみてもらいたい。そうしてみるならば、この裁判官のやり方が、恐怖政治下の裁判におけるでっち上げ(frame up)の手口に通じていることに思い当たるだろう。

○理念と現実態との間で
 私は前回、三浦つとむの規範論を借りて、「法」の理念的なあり方を説明しておいた。私たちは「法」の理念的なあり方を守る努力を怠ってはならないが、しかし日本の「法」運用における現実態には、以上のような事例がある。
 
 私はたまたまこの現実態を目撃する機会を得たわけだが、その実相を分析的に描いている間に、裁判員制度という怖い制度が始まった。なぜ怖い制度なのか。マスメディアは、検察側が裁判員に被害者の傷口のCG画像や凶器の写真を見せたりするやり方を取り上げ、肯定的に報道していたが、写真や画像のようなビジュアルな「証拠」ほど怖いものはない。一見最も客観的な証拠を提供しているようだが、写真や画像はコメント次第、キャプション次第で、それを見る人の印象をがらりと変えてしまうことができるからである。それに、日本の裁判官の中には、平気で当事者の文章に手を加え、印象操作を行う裁判官もいる。その点に関する警戒を怠ると、自分では気がつかないうちに、巧妙なでっち上げ(frame up)の共犯者、いや、責任者にされかねない。
 そのこともあり、私はたまたま日本の裁判の現実態の一端にふれることができたわけだが、この機会を神様の贈り物と受け取り、なおまだしばらくこの現実態から目を離さないでいようと思う。

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判決とテロル(11)

三浦つとむの視点から

○個別規範
 三浦つとむは日本における最良の弁証法学者であるが、独自の意志論と規範論から、「法」の現実的な意味を解明していった。
 今私なりに、『認識と言語の理論』(勁草書房、1967年)と『弁証法はどういう科学か』(講談社、1968年)をアレンジしながら紹介するならば、例えば私が医者から「酒や煙草はやめたほうがいい」と忠告されたとしよう。それに従うか否かは私の自由であるが、もし健康を維持するために私が従うことにし、「禁酒禁煙」という生活規律を自分に課した場合、この規律によって私は酒や煙草を呑みたいという欲望を抑えることになる。つまりこの規律は、自分の意志で選んだものでありながら、自分の欲望と対立し、あたかも外部から自分を拘束する命令であるかのような働きをする。その意味でこの規律は虚構性を含んでおり、単なる意志とは区別されなければならない。そのような規律を彼は「個別規範」と呼んだ。

○特殊規範
 ただし仮に私がこの規範を破ったとしても、さしあたり誰にも迷惑をかけない。ところが、私が他人と結んだ約束や契約は、一方的に破棄することはできない。約束や契約はお互いの「共通の利益」を実現するために作り出した「共通の意志」だからである。私たちが約束や契約に同意した時から、それはお互いの個的な意志を拘束するものとなり、一方が相手の同意なしに約束や契約を破棄することはできない。もし一方的に破棄したとすれば、約束や契約を結んだ相手の意志を踏みにじることになり、相手から非難されても仕方がない。三浦はこのような「共通の意志」を「特殊規範」と呼んだ。
 そして、ここが重要な点であるが、三浦つとむによれば、この特殊規範は「観念的な人格」として共通の意志を担っている。たとえば私が誰かと、お金の貸借の契約をしたとしよう。貸し手の私が借り手に金の返済を催促したり、その逆に返済の義務を解いてやったりする場合、現象的には貸し手の私の意志が直接に相手の意志を左右しているように見える。だが、じつは貸借契約書という「観念的な人格」を媒介にそれを行なっているのであって、もし私がその貸借契約書を第三者に譲ったとすれば、その第三者が「観念的な人格」の意志を代行する形で、借り手に金の返済を求めることになる。
 また、もし貸し手の私が借り手の持ってきた金を受け取らず、「返さなくてもいい」と返済の義務を解いてやったとすれば、これもまた「観念的な人格」の意志に反する、契約違反なのである。私の「返さなくていい」という意志に借り手が同意するならば、その時、新しい共通の意志が成立して、貸借契約書は破棄され、契約書に書かれた契約が消滅する。
 
 人間の人間に対する支配もこの「観念的な人格」を通して行なわれる、と三浦つとむは考えた。生産手段を握っている資本家と、自分の労働力を売るしかない労働者との関係では、前者が圧倒的に有利な立場にあり、後者は雇用契約の条件で多くの譲歩を余儀なくされる。一見両者の自由意志によって結ばれたかに見える雇用契約であっても、被雇用者の意志はほとんど容れられていない場合が多い。だが、一人の資本家が一人の労働者を支配する関係に立つことができるのは、あくまでも雇用契約という「観念的な人格」を媒介にしてである。私人としての資本家が、雇用関係にない一人の私人たる労働者を支配し、労働を強制することはできない。見方を変えて言えば、私人たる一人の労働者は雇用契約で多くの譲歩を余儀なくされるだろうが、いったん契約を結べば、雇用者の資本家が雇用契約を守らない場合は、契約の実行を要求することができる。個人としてはそれがむずかしい場合は、「観念的な人格」の代行を法や、法の執行者たる国家権力に求めることができるのである。
 
○普遍規範
 彼は「法」を、幻想の共同利害を維持するための「普遍規範」と捉えた。なぜそれを「普遍規範」と呼ぶのか。その理由は、「個別規範」や「特殊規範」はそれを作った当事者だけを拘束するのに対して、「普遍規範」たる法は共同体のメンバー全員に適応されるべき一般意志として、あるいはメンバーの個々人の意志を超えた全体意志として作られ、強制力を与えられたものだからである。
 では、なぜそれを「幻想の」共同利害の表現と捉えるか。その理由は、階級社会における「共同」の利害とはじつは支配階級の「特殊利害」以外ではないのであるが、支配階級によってあたかも「共同」の利害であるかのように合理化されたものにほかならないからである。
 彼はマルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』に基づいてこの「普遍規範」論を展開したわけだが、それと併せて彼は「普遍規範」と支配階級の意志との違いを強調している。「普遍規範」として成立した法は、個々の資本家や企業の意志と対立し、拘束することがあるからである。先ほどの例のように、それは一人の被雇用者の契約上の権利を保護する機能を持っている。言葉を換えれば、幻想の共同利害は支配階級の意志から相対的に独立した、一種普遍的な「観念上の人格」として、支配階級の意志をも拘束する。なぜなら、この幻想の共同利害は支配階級の観念的な自己疎外として生み出され、支配階級自身をも拘束する「個別規範」であるわけだが、それだけでなく、その中に非支配階級の意志や利害を反映した/組み込んだものとして自立しているからである。
 ところが俗流マルクス主義者はこの「幻想」の構造を理解しないため、幻想の共同利害を単なる支配階級の利害の直接的な反映としか捉えることができない。つまり、「普遍規範」と支配階級の意志とを短絡的に同一視してしまっていた。このことは、最近〈ブーム〉としてもてはやされていた『蟹工船』における、小林多喜二の資本家像を見ればよく分かるだろう。これは小林多喜二一人の責任ではなく、昭和初年代の日本共産党のマルクス主義、延いてはレーニンのマルクス主義の責任でもあるのだが、ともあれ三浦つとむは日本の反体制運動に巣くっている俗流マルクス主義の、このような俗流反映論を批判するために、「普遍規範」と支配階級の意志との違いを強調したのである。

○公務員と私人との間にどんな「契約」があり得るか
 以上は三浦つとむの規範論のアウトラインであるが、この簡単な紹介によっても、亀井志乃の要求と主張の正当性がよく分かるだろう。
 寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育委員会に属する、道の公務員であり、亀井志乃は財団法人北海道文学館と有期労働契約を結ぶ一人の私人だった。一人の公務員である寺嶋弘道が、一人の私人である亀井志乃に対して高圧的な態度で業務を命令し、強制をし得るためには、双方が合意した契約、つまり「観念上の人格」が存在していなければならない。亀井志乃が問題にしたのは、果たしてそのような契約が存在するのかどうか、また、仮に存在しても、果たしてそれは合法的であり得るのかどうか、ということであった。

 もちろんこの契約は、一人の私人たる寺嶋弘道と一人の私人たる亀井志乃との間に結ばれる、1対1の契約のような単純なものであり得ない。
 亀井志乃は財団法人北海道文学館と有期労働契約を結んでいた。財団法人北海道文学館は北海道教育委員会と指定管理者としての契約を結び、寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育長の命を受けて、学芸員としての任務を果たすために道立文学館に駐在し、業務に関しては「事務分掌」の形で財団法人北海道文学館と契約していた。
 では、亀井志乃が財団と結んだ契約と、寺嶋弘道学芸主幹が公務員として財団と結んだ業務協働の契約との間にどのような接点があり、その接点は寺嶋弘道が亀井志乃に対して高圧的な態度で業務を命令し、強制することを許すものであったのかどうか。亀井志乃が問うたのはその点に関してであった。
 だが、神谷忠孝理事長も、毛利正彦館長も、平原一良副館長も、寺嶋弘道学芸主幹自身も、問いかけの意図や内容を全く理解できなかったらしい。つまり、市民社会における「契約」の原則を理解していなかったらしいのである。

○「契約」主張の致命的な欠陥
 いや、契約書はありますよ、ほら、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙第2号証)が。……ここには
「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」とあるじゃないですか。これを使えば、亀井志乃の主張を押さえ込むなんて簡単ですよ。
 多分そう言ったのは、太田三夫弁護士だった。
 なぜなら、太田三夫弁護士が寺嶋弘道被告の弁護士を引き受けて以来、この一片の文書が急浮上し、太田弁護士によって「事実上の上司」が乱発されることになったからである。
 それ以前、毛利正彦館長以下の幹部職員は誰もこの文書を持ち出したことはなく、「事実上の上司」なんて〈気の利いた〉言葉を発したことはなかった。思いつかなかったのであろう。

 この想像は当たっていると思うが、もしそれが本当ならば、太田三夫弁護士がこの文書を発見したことになり、さすがは太田さん、プロの弁護士は眼のつけどころが違うね、となるわけだが、しかしこの「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙第2号証)には致命的な欠陥があった。
 「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」の中で、事務局職員の組織関係を規程した条文は第3条であり、前記の文書がいう
「規程の定めにかかわらず」という「規程」は明らかにこの条文を指す。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」には、「第6条 この規程の改正は、理事会で決定しなければならない。」とあり、「第7条 この規程に定めるもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。これは前記文書が言う「規程の定めにかかわらず」と根本的に矛盾するものでなければならない。

 もしこの「規程の定めにかかわらず」の決定に神谷忠孝理事長がかかわっていたとすれば、問題はもうちょっと複雑になったと思うが、実際は神谷理事長外しの、違法な手続きによって決定されてしまった。その間の経緯を、寺嶋弘道被告自身がその「陳述書」(日付は平成20年4月8日。乙1号証)の中で、次のように白状してしまったのである。
《引用》
 (前略)
4月18日(火)、毛利館長、安藤孝次郎副館長(当時)、平原一良学芸副館長(当時)、川崎信雄業務課長に私を加えた幹部間の打ち合わせで、前年度まで置かれていた学芸班の体制と同様、駐在職員3名と指定管理者である財団の業務課学芸班の学芸職員2名とで改めて学芸班を編成し、私がその統括の任にあたるということで組織体制について最終的な整理がなされました。この時の打合内容は、即日「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」にまとめられ、この日後刻の全体職員会議で原告を含む全職員に配布されました(2p。太字は引用者)

 分かるように、規程の定めにかかわらず」の取り決めは、あくまでも「組織体制」にかかわるものであって、第6条や第7条に及ぶものではなかった。そうである以上、第6条、第7条を踏まえて決定しなければならなかったはずなのだが、寺嶋弘道被告が言う「幹部」は神谷理事長を外して決定し、つまり「規程の定めにかかわらず」の取り決めを第6条や第7条にまで及ぼして、神谷理事長や理事会を無視することにした。しかも「即日」それを全体会議に「配布」してしまったのである。
 だが、これは単なる「配布」でしかなく、全体会議の議題でもなければ、口頭による説明もなかった。

 言葉を換えれば、ある「二次的ルール」がルールとして有効であるためには、そのルールの改廃に関するルールがなければならない。改廃に関するルールを踏まえずに、何人かの関係者が恣意的に改廃したルールは、ルールとしての有効性を持たず、違法な破棄されなければならないのである。
 ここでもマコーミックの言葉を借りるならば、
そうした変更は、立法による法改正や上訴によってなされたり、新たなルールの制定や司法的決定を通じてなされることもあれば、さらには、社会習慣によってなされることもある。こうした変更過程はそれ自身ルールによって統制されており、その意味で、多かれ少なかれ複雑で詳細に取り決められた手続きを通じて、法律を制定する権能を(議会、議長、大臣といった)特定の個人や集団に個別的あるいは包括的に付与するルール――これもまた第二次ルールである――が存在していることになる」(第2章。太字は引用者)。
 この「法律」の箇所に「規程」を入れ、「議会、議長」の箇所に「理事会、理事長」を置くならば、この原則は直ちに財団法人北海道文学館の「事務局組織等規程」のあり方に通ずることが分かるだろう。
 これは法治国家の市民の常識であり、まして太田三夫弁護士が日本の弁護士である以上、彼は財団が犯したルール違反をチェックすべき立場であった。ところが、太田三夫という法律家は、むしろ財団の違法なやり方を肯定し、これを利用することにしたのである。

○太田三夫弁護士の論議回避
 亀井志乃は当然のことながら、以上の点を批判した。その内容はこれまで何回か紹介したので、ここではポイントの紹介だけに止めるが、彼女は「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日)の中で次のように反論を行った。
《引用》
 
C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(乙2号証)の第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
b)平成18年4月18日付けの「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)の記録において、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は議題になっていない。この会議において紹介されたとの記録も見られない。

(中略)

e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない。

 仮にも弁護士の店を張っている法律家ならば、この程度の素人議論に再反論するなど、お茶の子さいさいでなければならない。だが、太田三夫弁護士は再反論を放棄してしまった。被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3 に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません」(被告代理人弁護士 太田三夫「事務連絡書」平成20年7月4日)。
 太田三夫弁護士は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」を受け取ってから、1ヶ月半ほど頭をひねったのだが、ついに亀井志乃の批判と要求をクリアする論理を組み立てることが出来なかったのであろう。

○再び太田三夫弁護士の論議回避
 もっとも、太田三夫弁護士はひょっとしたら、〈いや、いや、
* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」における「規程の定めにかかわらず」は、規程の変更ではなく、現行の規程の「運用」なのだ〉という言い分を考えていたかもしれない。
 それは大いにあり得ることだが、もしそうならば、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」における次のような反論に応えなければならなかったはずである。
《引用》

B 概念について
a) 「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言のおける*印は何を意味するか。もし「但し書き」ならば、法律や規程における「但し書き」は、「一の条を前段と後段に区切った時において、後段が前段の例外となっている場合を「但し書き」と言い、但し書きの原則となっている前段を本文と言う」とされている。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所には、原則を示す本文がない。本文の原則に「但し書き」が付くのは、本文を機械的に適用した場合、本文制定の趣旨が損なわれるか、または不当な不利益を蒙る者が出る怖れのある時、それを是正する処置を定めるためであるが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所は如何なる不都合、不利益を是正するために付したのか。何一つ説明が見られない。
b)「規程の定めにかかわらず」の「かかわらず」の意味が明らかではない。「規程の定めを無視する」意味なのか、「規程の定めを廃止する」意味なのか、「規程の定めを停止する」意味なのか、「規程の定めを棚上げする」意味なのか、「規程の定めと無関係に」という意味なのか。いずれにせよ、この文言は明らかに現行の規程の適用の否定または拒否を意味している。現行の規程を否定または拒否する主体は何か。その主体に否定または拒否する権限は与えられているのか。
c)「かかわらず」がb)にあげた意味のいずれであれ、この言葉は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の「運用」という概念となじまない。「運用」とは現行の規程をいかに現実の実情に即して効果的、合理的に適用するかということであって、規程の否定または拒否とは相反する行為だからである
(太字は引用者)

 仮にも弁護士の店を張っている法律家ならば、この種の概念を説明することなど、赤子の手をひねるよりもたやすいはずなのだが、しかし、太田三夫弁護士はこの再反論も放棄してしまった。被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3 に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません(被告代理人弁護士 太田三夫)。
 
 何とも情けない話であるが、弁護士という稼業は法的な議論を避け、依頼人の嘘を取り繕い、自分も敢えて嘘を吐かざるをえない羽目に落ちたりすることもあるらしい。だが、これは弁護士はどこまで嘘を吐くことが許されるのか、というテーマになるはずで、後日改めて検討したい。

○田口紀子裁判長の虚構
 ところが、田口紀子裁判長の「判決文」によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は、「運用規程」なのだそうである。
《引用》
 
2 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)
 (中略)

(5) 文学館の事務局その他の組織に関し必要な事項を定める財団法人北海道文学館事務局組織等規程(以下、「組織規定」という。)が、平成18年6月1日改定され、施行されたが(平成18年4月1日から同年5月31日までの間は、経過措置として、同様の運用が取り決められた。)、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。組織規程では、学芸員、研究員の職務内容は、「上司の命を受け、調査、研究、展示等に係る事務をつかさどる。」旨定められた(組織規程3条)が、運用について定めた、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(以下、「運用規程」という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた。(乙2(3p。太字は亀井)

 私は「判決とテロル(1)」でこの箇所を引用し、「田口裁判長はここで3点、根拠のないことを述べている」ことを指摘しておいた。
 くどくならないように、ここでは第2点目だけを繰り返すが、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名が、財団の業務課の中に設けられた「学芸班」に配置された事実は全くなかった。
 田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に基づいて、太字の箇所のように判断したらしいが、田口紀子裁判長が言うところの「運用規程」のどこを見ても、引用の太字箇所のように解釈できるような組織図もなければ、文言もない。これは
「争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」なんて筋の通ったことではなく、田口紀子裁判長の勝手な虚構、敢えて言えば田口紀子裁判長が捏造した嘘なのである。

○田口紀子裁判長の責任放棄
 ただし、今回この箇所を引用したのは、以上のことを指摘したいためだけではない。
 太田三夫弁護士は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を「運用規程」と呼ぶことはしなかった。亀井志乃の反論に応えることができなかったため、太田弁護士の中で一種の自己抑制が働いたのであろう。
 ところが、田口紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、あっさりと「運用規程」と断定してしまった。もし本当にそれがルールにかなった「運用」上の規程だと判断したのならば、田口紀子裁判長はその理由を明示すべきだっただろう。原告の亀井志乃が裁判所に提出した文書の中で、あれだけきちんと「運用」概念に異議を述べておいたにもかかわらず、田口紀子裁判長は「運用規程」と認定した。そうである以上、亀井志乃の異議を退ける理由を示すのは、裁判官の義務であり、責任のはずだからである。

○田口紀子裁判長の独断
 それともう一つ、太田三夫弁護士は、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の「事実上の上司」だったと主張はしたが、「上司」だったとは断言しなかった。「事実上の上司」の対概念は「形式上の上司」「名目上の上司」であり、本来ならば太田弁護士は、亀井志乃の「形式上の上司」「名目上の上司」は誰であったかを説明し、その上で、なぜ、如何なる根拠で寺嶋弘道学芸主幹が「事実上の上司」であり得たのかを、文字通り具体的な「事実」に即して説明しなければならないはずだった。だが、それをしなかった。裏づけになる「事実」を挙げる自信がなかったからであろう。多分そのために、弁護士としては誠に恥ずかしいことだが、とにかく彼は、何とかのお題目みたいに、「事実上の上司」を繰りかえし、だが、決して「上司」とは言い切らなかった。〈それを言ったらおしまいよ〉。寺嶋弘道学芸主幹が公務員の分限を冒したことを認めることになりかねないからである。

 その意味で、この点に関しても太田三夫弁護士の中では自己抑制が働いていたわけだが、田口紀子裁判長はそんなことはお構いなしに、平気で寺嶋弘道学芸主幹を亀井志乃の「上司」にしてしまった。
 次は彼女が掲げた判断基準である。
《引用》
 
2 争点についての判断
(1) 争点(1)(被告に不法行為があったか)について
 ア 前記第2、2(3)ないし(5)のとおり、文学館が指定管理者制度を採用し、平成18年度は、組織規程及び運用規程の改定により、平成17年度までの指揮命令系統が変更になり、業務課学芸班に所属する司書、研究員の上司は、学芸主幹とする旨定められたことから、被告が研究者である原告の上司という立場にあったと認められるから、上司として行われた、前記被告の原告に対する言動が、原告に対する不法行為に当たるかが問題となる。
 この点に関し、原告は、被告が、原告に業務に関して命令や意見を述べること、文学館の業務課が問題としない点について被告が干渉してくるなどの被告の行為の違法を主張するが、上記のとおり、原告の採用権者である文学館において、その組織規程及び運用規程において、指揮命令系統を定め、被告が原告の上司とされたことは明らかである。したがって、被告が、文学館の定めた組織規程及び運用規程に基づいて、その業務の範囲内において、原告に対して指揮、命令する限りにおいては、被告の指揮、命令が原告の業務を妨害したものとは認めることはできないし、被告の言動が仮に原告の考えと異なっていたり、不快感をもたらすものがあったとしても、それのみで、不法行為を構成する違法なものと認めることはできないが、上司である被告が、優越的地位を利用して、原告を侮辱する意図の下に、注意や叱責、不可能な業務の押しつけを行うなど、許容限度を逸脱する態様によって原告を侮辱したと認められるような場合には、原告の人格権を侵害し、不法行為を構成するというべきである。
 また、原告は、被告による原告に対する名誉毀損を主張するとともに、被告の侮辱行為等により人格権が侵害されたと主張しているところ、人の社会的評価を低下させて、原告の名誉を毀損したといえない場合には、名誉毀損を理由に不法行為は構成しないものの、名誉感情も、法的保護に値する利益であり、社会通念上許される限度を超える侮辱行為は、人格権の侵害として、不法行為を構成するというべきである。
 以上を前提に、前記争いのない事実及び証拠によって認定される事実に基づいて、被告の原告に対する言動が、不法行為を構成するか否かを検討する
(15~16p。太字は引用者)

 すでに何回も指摘したように、田口紀子裁判長は大胆不敵にも、提出された証拠物や「準備書面」にもない文言を勝手に捏造してしまった。つまり、田口紀子裁判長が言う「争いのない事実及び証拠によって認定される事実」自体に問題があり、そんな「問題あり」の「争いのない事実及び証拠によって認定される事実」を前提とした判決は、田口紀子裁判長の自作自演と言うしかない。この裁判官には、証拠物や「準備書面」をきちんと読む心構え、あるいは能力に欠けたところがあるのかもしれない。
 証拠物や「準備書面」を普通に読む心構え、あるいは能力があれば、たとえ中学生であっても、平成17年度までの財団法人北海道文学館には「運用規程」などなかったことに気がついただろう。だが、田口紀子裁判長によれば、平成17年度までには存在しなかった「運用規程」が平成18年度に「改定」されたことになっているのである。

 同時に田中紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が二次的ルールとして適法であるか否かの問題を棚上げにしてしまった。また、なぜ棚上げにして差し支えないか、一言も説明を行わなかった。
 
 しかも、田中紀子裁判長によれば、
名誉感情も、法的保護に値する利益であり、社会通念上許される限度を超える侮辱行為は、人格権の侵害として、不法行為を構成する」のだそうであるが、どうやら田口紀子裁判長は、他人の名誉感情を傷つける侮辱行為にも、社会通念上許される限度」というものがある、と考えているらしい。では、どこまでが「許される限度」であり、どこからが「許される限度」を超えて、違法行為を構成する」ことになるのか。その「社会通念」やら、「限度」やらについて、田口紀子裁判長は一言半句も説明をしていなかったのである。

○田口紀子裁判長の判決技術
 だが、亀井志乃の批判と要求を何一つクリアせず、太田三夫弁護士のためらい(自己規制)もあっさりと無視してしまい、自分の概念を伸縮自在に操作しながら、原告に押しつける。それが、田口紀子裁判長の判決技術なのであろう。
 今、その例を2、3挙げるならば、
そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告を侮辱する意図のもとに行われた、許容限度を超えた違法行為とまで認めることはできない(「平成18年4月7日の被告の言動について」。太字は引用者)となる。
 すなわち、道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹が、財団の嘱託職員(有期労働契約職員)である亀井志乃を部下と見なして、財団の嘱託職員の業務意欲に水を差すような嘲笑的な言葉を吐きかけたとしても、田口紀子裁判長が彼を「上司」と見なし、彼の嘲笑的な言動に財団の嘱託職員の業務意欲を削ぐような
「意図」はなかった、と判断する。そうするならば、彼の行為は「許容限度を超えた違法行為」とはならない、というわけである。
 しかし田口紀子裁判長は、如何なる方法を用いて寺嶋弘道被告における
「意図」の有無を知ったのであろうか。

 また、こんな判決もあった。そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法行為とまで認めることはできない(「平成18年5月2日の被告の言動について」)。
 すなわち、道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹が、財団の契約職員である亀井志乃に意見を求めながら、亀井志乃が口を開くや否や、いきなり彼女の発言を遮って、威圧的な態度で詰問を始めた。だが、田口紀子裁判長は、何故か
「原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められない」ことにして、寺嶋弘道被告の行為を免責してしまったのである。
 
 しかし、亀井志乃が寺嶋弘道被告の行為を「違法行為」と主張したのは、彼の言動から
「不快な印象」を受けたからだけではない。彼女が寺嶋弘道学芸主幹の違法行為として挙げたのは、概略次の4点だった。
《引用》

イ、 駐在道職員の被告は、年度途中に、財団法人北海道文学館の嘱託である原告に、原告が業務を担当することを前提として、企画作りを強圧的な態度で要求した。
ロ、 財団法人北海道文学館の「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在)によれば、特別企画展「石川啄木―貧苦と挫折を越えて」(期間・平成18年7月22日~8月27日 以下、「啄木展」と略)の主担当はS社会教育主事であり、副担当は原告であった。被告はその「事務分掌」を無視して「啄木展」に介入し、原告を疎外し、他方、自分が思いついたケータイ・フォトコンテストの企画作り(原告の実施を前提とする)を原告に押しつけようとした。
ハ、 原告の財団法人北海道文学館における立場は、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」嘱託の立場である。被告はそのことを理解しようとせず、嘱託職員では負いきれない、あるいは嘱託職員が負ってはならない責任が伴う業務を押しつけようとした。これは北海道教育委員会の職員である被告が財団と被告との間に結ばれた労働契約を無視した点で、「地方公務員法」第29条に問われるべき違法な越権行為である。
ニ、 被告は、原告が嘱託職員としての立場と、平成17年度に依頼されて「文学碑データベース」を作成した経験に基づいて意見を述べようとしたところ、その発言をいきなりさえぎって、原告に「財団の一員」としての自覚が欠けているかのごとく詰問した。これは嘱託職員には正職員とは異なる立場と権利があることを無視し、意見表明の自由を封じ、原告には職員としての欠格性があるかのごとく誹謗中傷した点で、憲法が保障する基本的人権を侵害した違法行為であり、また「民法」第710条に該当する不法行為である。

 
 田口紀子裁判長が、亀井志乃の「準備書面」(平成20年3月5日)から「被害の事実」を引用する際、勝手に表現を変えて印象操作をしたことは、これまでも指摘しておいた。 
 田口紀子裁判長は、亀井志乃が「被害の事実」に基づいて「違法性」を指摘した箇所については、上の判決ごとく、ほとんど無視して、「不快な印象」問題に矮小化してしまった。二重、三重に悪質な作為をほどこした判決というほかはないであろう。

○裁判官の責務
 こうした悪質な作為が次々と続き、必要に応じて今後も引用、紹介するつもりであるが、悪質な作為の極めつきは「平成19年1月31日(水曜日)」に関する判決だった。その判決が如何に不誠実であったか。「判決とテロル(5)」に詳しく指摘しておいたので、是非読み直してもらいたい。時には虚言を弄して寺嶋弘道被告を庇い立てするほど、その判決はヒドイものであった。そのところを確りと読み直した上で、今回の「○普遍規範」の箇所にもどってもらいたい。

 田口紀子裁判長は、日本の国家によって任命された裁判官(国家公務員)であり、その意味では「普遍規範」を護り、かつ公平に実行する責務を負っている。
 一般に裁判官は中立を守らなければならず、また、中立を守り得る立場にあるとされ、その立場を国家から保証されている。それは何故か。「幻想の共同利害の表現である『法』は、支配階級の意志から相対的に独立した『観念上の人格』として、支配階級の意志をも拘束する」ものであるからにほかならない。
 法廷において、法服をまとった田口紀子裁判長は、幻想の共同利害の表現である「法」の化身とも言うべき、「観念上の人格」の示現なのである。
 田口紀子裁判官の下す判決は、国家によって保証された「観念上の人格」が下した判決と見なされ、それが執行されない場合は国家権力の強制力を行使することさえできるわけだが、それだけに「法」の適用に関してはまさに「観念上の人格」として客観・厳正・公平を心がけなければならない。
 それは特にむずかしいことではなく、原告や被告の主張がきちんとした証拠の裏づけをもっているか否か、また、原告や被告の主張と証拠物が争点を明らかにする上でどれだけ有効か、あるいは争点との関連で見る時単なる無駄な贅物にすぎないか否か、それらを点検し、原告・被告の双方が納得できるように、裁判官としての判断を明示する。それだけでも客観・厳正・公平を保つことは十分に可能なのである。
 今回のケースで言えば、その明示(説明)の中には、当然、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の「上司」であり得たと判断した法的な根拠や、他人の名誉感情を傷つけることについての「社会通念上許される限度」の基準の説明が含まれていなければならない。裁判官が「市民の目線に立つ」とは、それらのことについて市民の納得が得られるように説明を尽くすことであろう。
 
 さらに言えば、亀井志乃は「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(
平成19年1月21日。甲103号証)の中で次のように指摘した。
《引用》
 
日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。
 
 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般の通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです
(太字は引用者)
 
 判決は亀井志乃が指摘するように、判決に関する二次的なルールを遵守し、かつ判決の正当性や、法運用の適切性に関する検証に耐えられるものでなければならない。このことを守り、また、先の心がけを忠実に実行すれば、「観念上の人格」の役割は十分に果たすことができるはずである。

○田口紀子裁判長の条件つき「いじめ」許容の発想
 ただ、念のために確認しておくならば、田口紀子裁判長が言う
「社会通念」と、亀井志乃が言う「社会一般の通念」とは意味が異なる。
 亀井志乃が言う
「社会一般の通念」とは、ルールの改廃や運用に関する社会通念のことであり、端的に言えば市民におけるルール遵法の観念を指す。
 それに対して、田口紀子裁判長が言う
「社会通念」とは、他人の名誉感情を傷つけながら、「いや、そんなことは、ある限度を越えなければ許されるよ」と言って済ますことができる観念(または意識)を指すわけだが、田口紀子裁判長はそういう観念(または意識)が市民の間に定着していると考えているらしい。また、田口紀子裁判長はそういう観念(または意識)の市民的定着を必ずしも否定的にとらえているわけでなく、名誉毀損か否か、人格権侵害か否かの判断基準に使うことができる、と考えているらしい。
 田口紀子裁判長の言い方を整理して行くと、どうしてもそういう結論とならざるをえない。怖いことだ。田口紀子裁判長の判決の中には、条件つき「いじめ」許容の発想が含まれているのである。

○判決と人格権侵害
 結局のところ、田口紀子裁判長の判決は、これまで数々指摘してきたように、とうてい検証に耐えるものではなかった。むしろ裁判官の立場を利用した、極めて恣意的で片寄った判断を下し、原告の亀井志乃の主張を愚弄する傾向が顕著だった。そのやり方は亀井志乃の能力をナメ切っていたとしか思えず、これは裁判官が判決の名を借りて行った人格権侵害と呼んでも過言ではないだろう。
 
 最近日本では裁判員制度が実施され、裁判官も弁護士もしきりに「市民の目線」を強調している。しかし田口紀子裁判長の判決文からは「市民の目線」は欠片
(かけら)も見出すことができなかった。

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判決とテロル(10)

深層構造論とルール論とを交錯させて

○仕切り直し
 だいぶ間が空いてしまった。「判決とテロル(9)」を載せてから、2ヶ月近くも経っている。いきなり前回に続く議論を始めると、かえって分かりにくいかもしれない。
 今回は、私自身の頭の整理を兼ねて、ことの経緯を発端にまで遡り、そこから改めて辿り直す。それと併せて、私が使う言葉の概念を確認する形で進めて行きたい。

○雇い止め通告と亀井志乃の質問
 亀井志乃は平成18年12月6日(水)、当時の毛利正彦文学館長より、平成19年の雇用を更新しない旨の「方針」を告げられた。
 亀井志乃にとっては突然の解雇予定の通告であり、その理由を質問したが、毛利正彦館長の説明は要領を得ない。亀井志乃にとっては到底納得できることではなかった。
 そこで亀井志乃は、12月6日の「面談」の記録を添えて、「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書(甲50号証)を、平成18年12月12日(火)、毛利正彦館長、平原一良副館長、寺嶋弘道学芸主幹に手渡し、神谷忠孝理事長には郵送した。
 この場合の「撤回」とは、毛利正彦館長が言う「財団の任用方針」を一たん白紙に戻し、
当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定する」という意味である。
 それに関連して亀井志乃は、次の4点を質問した。
《引用》
 
イ、『財団の意向を反映し代表する我々』(毛利発言4)に、あなたも入っていますか。毛利館長が言う『我々』が『財団の意向を反映し代表する』と言い得る理由は何ですか。 ロ、毛利館長の任用方針の通告における『財団の事情』とは、どういう事情ですか。 ハ、『理事の人たちのかねての意向』(毛利発言3)は、どういう人たちの、どのような会合において表明されたのですか。 二、『かねてからの問題』(毛利発言4)とは、どういう問題ですか。
 
 この質問における「毛利発言3」とか、「毛利発言4」とかいう番号は、亀井志乃が「面談」記録に書き留めた毛利正彦館長の発言の順序を示したものであるが、今回のテーマと直接には関係しないので、具体的な紹介は省略する。
 むしろここは、亀井志乃の質問の性質・内容のほうに注意を向けてもらいたい。一読して明らかなように、亀井志乃が訊きたかったのは、〈次年度の人事に関する財団の方針の決定はどのようなルールに基づいていたのか〉ということであった。
 なぜ亀井志乃はこのような質問をしたのか。亀井志乃は財団法人北海道文学館の正職員ではなく、契約期間の定められた嘱託職員であるが、彼女のような有期労働契約の職員に関する、厚生労働大臣の告示「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」は、
使用者は、雇止めの予告後に労働者が雇止めの理由について証明書を請求した場合は、遅滞なくこれを交付しなければならない」となっている。しかも、その「理由」は、契約期間の満了とは別な理由を明示することを要するものであること(太字は引用者)となっているからである。
 亀井志乃は毎年契約を更新する形ではあったが、既に2年以上勤めていた。2度の契約更新は口頭で本人の意志を確認するだけの、形式的な手続きにすぎず、実質的には自動更新に近かった。しかも彼女は文学博士の学位を持っており、有期契約に関する現行法は5年間契約を継続することを認めている。つまり、亀井志乃との契約が形式上は平成18年度一杯であったとしても、それだけでは平成19年度からは「雇止め」とする「理由」にはならない。それとは「別な理由」を、財団は「明示」しなければならなかったのである。
 亀井志乃が質問したのは、〈財団が契約期間切れとは「別な理由」で亀井志乃の雇止めを決めたのならば、それは如何なる理由で、その決定はどのようなルールに従って下されたのか〉ということであった。

○毛利正彦館長の回答
 それに対して、12月27日、毛利正彦館長は次のような回答(甲51号証)を亀井志乃に手渡し、20分ほどその内容について説明した。平原一良副館長が同席していた。
《引用》
に対する毛利回答〕理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)は、職員の任用等に関し当然責任のある立場にあり、そのことは財団の寄附行為のとおりです。なお、学芸主幹は道教委の駐在職員であり、その任にありません。

に対する毛利回答〕将来にわたって、館の学芸体制を担い、支える財団職員の育成が急務だということです。

に対する毛利回答〕特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きしています。

に対する毛利回答〕質問ロに同じです。

 〔に対する毛利回答〕を見る限り、財団法人北海道文学館には、職員の採用または解雇に関するルールがあったかのように見える。だが、毛利正彦館長が「亀井さん、もっと勉強しなさい」と言いながら、亀井志乃に手渡した、財団法人北海道文学館における「寄付行為」を規定した文書は、全文ではなかった。また、手渡された文書を見る限り、職員の任用に関して理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)の権限と責任を明記した条文はなかった。毛利正彦館長と平原一良副館長はことの重大さを認識できず、適当にあしらっておくつもりだったのであろう。
 だが、〔
に対する毛利回答〕で分かるように、彼等は亀井志乃が求めるようなルールを知らなかった。あるいは、そのようなルールはなかった。もしルールがあるならば、毛利正彦館長と平原一良副館長は、亀井志乃の雇止めの方針決定が何日、どのようなプロセス(ルールに基づく)を経て決定されたかを、具体的に説明できたはずである。
 ところが、〔
に対する毛利回答〕が語っているのは、むしろその反対であって、亀井志乃の雇止めは、毛利館長や平原副館長を含む数人の私的な人間関係の中で、極めて恣意的に決められてしまった。そう受け取るほかはないであろう。

○亀井志乃の再質問
 だが、毛利館長と平原副館長の回答は亀井志乃を納得させるものではなかった。そこで亀井志乃は、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)を書き、その中で次のように反論し、関連する質問を追加した。
《引用》
 
これは回答になっていません。それだけでなく、理事会の議を経ずに、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」というような根拠の曖昧な「意見、意向」で、来年度の任用方針を決めるのは、明らかに逸脱、越権行為です。このことだけでも、私の「白紙撤回の要求」の正当性が証明されたと言えるでしょう。
 それ故、改めて要求致します。去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。

 以上のことと共に、次のことについて、回答を要求します。
A.
特定の会合に限らず」という言い方は、「特定の会合」もあったことを意味します。それは、何時の、どのような会合で、出席者はどなたですか。
B.
日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員から」における理事や評議員、会員、職員とは、どなたですか。具体的に名前を挙げて下さい。
C
.「日常における意見交換」は何時、どんな場面で行われたのですか。具体的に時間、場面をお教えください。
D.毛利館長の回答によれば、毛利館長が言う
「我々」4人は、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きして」来年度の任用方針を決めたことになりますが、その時、毛利館長が言う「我々」4人は自分たちのどのような権限に基づいてそれが可能だ、と考えたのですか。

 亀井志乃はここでもルールの有無を質問し、また、毛利館長が言う「我々」4人の決定が果たしてルールによってオーソライズされた手続きを踏んでいたか否かを訊いたのである。
 
 他方、亀井志乃は〔
に対する毛利回答〕に関しては、次のように反論をした。
《引用》
  
この理由は、私を解雇する口実としか思えません。私は12月6日、毛利館長から、突然、来年度から嘱託職員を任用する予定がないこと、つまり唯一の嘱託職員である私を今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。私はそれが一方的で、不当な解雇通告であることを指摘し、抗議しましたが、その時毛利館長は、なぜ来年度から嘱託職員を任用しないことにしたかの理由について、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉と説明しました。つまり、年齢制限を設けることによって私が「公募」に応募するチャンスを奪おうとしたわけです。
 それから約1週間後の12月13日、私は、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。
 その公募要項を見ると、雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用については、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取ることになっています。私には、「これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人」と説明しながら、10年先、20年先までも働いてもらう予定の常勤職員(正職員)を、単年度雇用して、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて」再募集する、あるいは契約を更新する。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。

 去る12月27日、毛利館長と平原副館長は、私がそうした疑問を口にしかけると、しきりに「財団には金がない」、「職員の身分保証はできない」、「これは苦肉の策だ」と強調しはじめました。ところが、募集要項の「学芸員、司書の募集について」では、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。普通に考えれば、その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。
 毛利館長の言葉は矛盾ばかりです。
 ついでにもう一つ、毛利館長の疑わしい発言例を挙げておきます。12月20日、運営検討委員会が開かれました。そこで、次年度の任用方針についても説明がなされたと聞いています。ただ、その会議に出席した川崎業務課長が私に語ったところによれば、「その委員会は何かを決める会議ではなく、方針説明だから、任用に関しても何かが決まったわけではない」ということでした。私の事について質問や反対意見が出されたか、と聞いたところ、特には出なかったとのことでした。
 ところが、12月27日、毛利館長は私に「運営検討委員会で、来年度の任用の方針が承認された」と告げています。そして「何人かの委員から質問が出、館として説明させていただいた」ということでした。どちらが本当なのでしょうか。
 それに、何かを決定する会議でないのであれば、館側としても、その会議で私の雇用問題が“解決”したというふうには主張できないのではないでしょうか。
 もし仮に毛利館長が言う「我々」4人が、来年度以降における私の不採用を望んだとしても、その決定は別な会議で議され、決定されなければならないはずです
(太字は引用者)

 これも筋の通った反論だと言えるだろう。ただし、多分この時点における亀井志乃は、これが相手に決定的なダメージを与える反論とは自覚していなかった。その後、彼女は北海道労働局の職員の助言を受けて、「雇用対策法」や、それに伴う厚生労働大臣の「年齢指針」を調べているうちに、財団の明らかな法律違反に気がついた。そして弁護士のTさんと相談して、労働審判に踏み切ったわけだが、その間の経緯については、「北海道文学館のたくらみ(17)」及び「同(18)」に書いておいた。

○財団法人北海道文学館におけるルール意識の欠如
 毛利正彦館長は亀井志乃のこのような質問に答えることができなかった。その理由は先ほども指摘したように、毛利正彦館長が言う「我々」4人にはルールをきちんと踏まえる意識が欠けていたためだったと思われるが、もっと端的に言えば、彼等はルールに関する亀井志乃の考え方を理解できなかったのである。
 
 私たちは一定のルールに従って野球の試合をする。このルールを「一次的ルール」と呼ぶわけだが、その試合がまさに試合として成立するためには、私たちは試合の進行や、私たちのプレーに関するジャッジを審判員に委ねなければならない。
N.マコーミックの『ハート法理学の全体像』(角田猛之編訳。晃洋書房、1996年。Neil MacCormick,“H.L.A. Hart” 1981)の言葉を借りるならば、
《引用》

人がチェスをする際、見つからないことを念じつつ、自分のナイトを禁じられた仕方で動かしたいという誘惑にかられることもあるかもしれない。しかし、人がそうしないことを決めるのは、その人が『チェスというゲームをすること』への『批判的に反省的な』コミットメントの態度をとっているからである。少なくとも、見つかったならば、彼は自分が間違っていることを認める。かりに認めないとすれば、彼はたんに『チェスというゲームをしていない』のではなく、実際、チェスというゲームをするのに失敗しているのである。
 
 私たちはルール通りに試合が進行するよう、プレーに関するジャッジを審判員に委ねるわけだが、もちろん審判員は、選手が守るべき「一次的ルール」に従って、それぞれのプレーにジャッジを下す。それと共に、審判員には更に二つのルールが課せられることになる。
その一つは、その審判員に審判員たる資格を与えるルールであって、一般的には何らかの公的なコミッション(委員会)が資格付与の権限を持ち、一定の教育と訓練、そして能力審査の結果、資格を与えることになるだろう。このルール(権限付与の手続き)を経ないかぎり、公的な審判員と認定され得ないわけである。
もう一つは、この審判員が実際に試合の進行を司る際のルールであって、単にそれぞれのプレーのジャッジをするだけでなく、彼がプレーボールを宣言してからゲームセットの宣言を下すまでの間に遵守すべきルールである。審判員が審判に関するルールを守らず、恣意的なジャッジを下すならば、野球の試合が野球の試合でなくなり、何か別のゲームになってしまう。というより、審判員のジャッジに「ルール」がないゲームというものは、そもそもあり得ないのである。
 審判員に課せられたこの「ルール」を、「二次的ルール」と呼ぶ。このことは「判決とテロル(6)」で説明しておいた。

 これを文学館の場合になぞらえて言えば、亀井志乃は週に4日間勤務する契約だったわけだが、その4日間の曜日はどうなっているか、1日の勤務時間は何時から何時までか、どんな勤務(「事務分掌」)に就くべきかなど、具体的な業務に関する取り決めを「一次的ルール」と呼ぶ。それに対して、亀井志乃の勤務条件や、責任と権限、契約期間などに関する取り決めは、「二次的ルール」に当たるだろう。
 亀井志乃は財団における「二次的ルール」の有無や、もしそれが存在する場合、誰が(どういう組織が)「二次的ルール」に責任を持ち、その執行を誰に課したのか、などのことを質問したわけだが、毛利正彦館長と、彼が言う「我々」4人は、その質問の意味や性質を理解することができなかったらしいのである。

○毛利正彦館長の言いがかり
 多分そのためであろう。亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(前出)に対する毛利正彦館長の返答、「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」(平成19年1月17日。甲53号証)は、次の如くだった。
《引用》
 
財団と館の意思として申上げます。
 平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。

 要するに毛利正彦という文学館長は、自分達がどういうルールに従って物事を決定してきたか、何一つ説明ができなかった。そこで苦し紛れにイタチの最後っ屁、逆恨みめいた言いがかりをつけてきたわけだが、亀井志乃が「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(平成19年1月21日。甲103号証)によって完膚なきまでに批判し、私は関連箇所を「北海道文学館のたくらみ(6)」で紹介しておいた。

○平原一良副館長の作為
 この間、毛利館長にぴったり寄り添う形で事を進めていた平原一良副館長も同様であって、彼は裁判の「陳述書」
(日付は2008年4月8日。乙12号証)の中で、こんなふうにルサンチマンを晴らそうとしていた。
《引用》
 
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる「パワーハラスメント」の問題について訴えました。私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした。
 やがて、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました。その前後に、亀井志乃氏がこの職員募集問題を自分の任用問題と重ね合わせてとらえ、館長室に怒鳴り込む場面などがありました。
 このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました。これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした。このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました。毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりではなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました
(下線は亀井)

 平原副館長の「陳述書」(署名、捺印した証言)が如何に虚偽に満ちているか、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」平成20年5月14日)で詳細に指摘し、反論を加えた。だが、平原一良副館長からの再反論はなかった。
 また、私のブログに関する記述の虚偽、曖昧さについては、「北海道文学館のたくらみ(38)」で指摘し、公開質問状の形で、質問を5点挙げておいたが、今日に至るまで平原一良副館長は反論一つできないありさまだった。

 それ故、同じ反論や批判は省略し、ここでは、如何に平原副館長の言葉が作為に満ちているかを指摘するにとどめるが、私が下線を引いておいた言葉に注目していただきたい。
 亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントをアピールする文書(甲17号証)を平原副館長や寺嶋学芸主幹に手渡したのは、平成18年10月31日のことだった。平原一良副館長はそのことに言及してから、直ちに
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し」と続けていたが、亀井志乃が財団の理事や評議員に「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」という文書を郵送したのは、平成18年12月13日以降のことである。しかも、10月31日から12月13日まで、約1ヶ月半の間に、11月10日の、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いがあり、12月6日の雇止めの通告があり、12月12日の「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書のことがあった。
 だが、平原一良副館長はそれらのことには全く言及せず、あたかも亀井志乃が理事や評議員に、寺嶋学芸主幹のパワー・ハラスメントを訴える文書を
「波状的に……数次にわたって」送り続けたかのように、事情をすり替えてしまったのである。
 亀井志乃は「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」の後、財団の理事と評議員に、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」
(平成19年1月7日)、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告(其の2)」(平成19年2月11日)を郵送した。要するに、ほぼ1ヶ月置きに、2度、ぜひご一読の上、事の成り行きをお心にお止め下さいますようお願い申し上げます(「中間報告」)と、経過報告をしたに過ぎない。
 
 そんなわけで、もし平原一良副館長が言うように、
私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました」ということがあったとすれば、それは亀井志乃の文書を読んだ理事や評議員の問い合わせや意見に対応に追われた、という意味だろう。では、平成18年12月13日以後、彼等はどんな善後策を講じたと言えるのか。彼らは亀井志乃の抗議を無視して平成19年度の職員公募の作業を推し進めたり、亀井志乃が「二組のデュオ展」の展示準備に取りかかる直前に、寺嶋弘道学芸主幹と謀って、年間計画になかった「イーゴリ展」を割り込ませたり、3月9日に常陸宮ご夫妻が来館した折、説明役の平原一良副館長がとんでもないミスを犯したり(「北海道文学館のたくらみ(31)」)した。だが、私の日本語に関する知識によれば、こういうことに「善後策」という言葉は使わないはずである。
 
 ただし、平原一良副館長の文章は、
「……善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも……」と続いており、彼が言う「善後策」は、平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関する「善後策」だった意味にもなる。しかしその問題は、すでに平成18年11月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いで、一応の合意点に達しており、今更「善後策」を相談する必要はない。
 つまり、もし「善後策」が平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関することだったすれば、わざわざ
「その後」の次に、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる『パワーハラスメント』の問題について訴えました。」という一文を挿入する必要はなかった。この一文を削除したほうが、文意がすっきりと通る。

 要するに、平原一良副館長が「その後」とか、「やがて」とかと曖昧に表現した事柄を、きちんと日付を入れて整理してみるならば、彼の証言がいかにいい加減で、小汚い誤魔化に終始していたか、たちまち明らかになってしまうのである。

○再び平原一良副館長の作為
 また、
やがてから始まる段落について言えば、平成18年12月6日、亀井志乃は毛利館長から、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉という理由とともに、来年度から雇用を打ち切ると通告された。そうである以上、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました」と平原一良副館長が言う、「話し合い」はそれ以前に行われていたはずである。
 そして川崎業務課長が「学芸員、司書の募集について」(「平成18年12月」とあるのみで、日付を明記せず。甲19号証)という募集要項を文学館のホームページに載せたわけだが、亀井志乃がそれに気がついたのは12月13日のことだった。亀井志乃は、毛利館長から雇用打ち切りを通告されてからわずか1週間後にこれを見たわけで、それを自分の雇用問題と結びつけて受け止める。これは当然のことだろう。
 だが、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかどうか。これは読者の判断に任せるしかない。ただ、「○亀井志乃の再質問」の箇所で引用した、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)の文章、これはもちろん12月13日以後に書いた文章だが、館長室に怒鳴り込むような人間が果たしてこのような内容を、このような文体で書くものかどうか。そう考えて見れば、結論はおのずから明らかだろう。
 ばかりでなく、そもそも平原一良副館長の
「その前後に」という言い方自体が、彼の証言のいかがわしさを露呈してしまった。そう言えるだろう。なぜなら、その前に……怒鳴り込む」などということは起こり得るはずがない。だからこのような場合は、その後」の何月何日に、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかを明記すべきだった。それと共に、平原一良副館長自身がその「場面」を目撃したのか、それとも毛利館長から聞いたことだったのか、それもまた明記しなければならなかったはずである。

 ところが、平原一良副館長の文章はそこから一転して、このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し……」と進んで行くわけだが、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との間で、亀井志乃の席を「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移すことが合意されたのは、平成18年11月10日のことだった(「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」平成18年11月14日。甲18号証)
 しかし、平原一良副館長の文章における
「このころ」は、どう読み直して見ても、その前の段落で言及していた時期を指す。つまり川崎業務課長が職員公募の募集要項を文学館のホームページに載せ、亀井志乃がそれに気がついた時期を指しているとしか読み得ない。平原一良副館長は、「このころ」という曖昧な言い方で、時期を1ヶ月もずらしてしまったのである。
 しかも、平原一良副館長の証言によれば、
このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」ということになるわけだが、私が「北海道文学館のたくらみ(1)」を載せたのは平成18年12月28日のことであり、亀井志乃の席が「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移った時期から1ヶ月半も経っている。毛利正彦館長が亀井志乃に雇用打ち切りの通告をした日から数えても、20日以上が過ぎていた。
 平原一良副館長は、亀井志乃が毛利館長室に怒鳴り込み、それと相呼応して、私がブログで
「仮借ない糾弾」「あられもない言及」を再開したことにしたかったらしい。如何にも彼らしいルサンチマンの晴らし方であるが、以上見てきたごとく、彼の書き方は、建付が悪い上に、蝶番(ちょうつがい)が外れかかっている。ちょっと揺さぶりをかけると、たちまち見せかけの理屈が崩れてしまうのである。
 何とも無様な書き方であるが、要するにこれは、亀井志乃の抗議と要求に対して、自分と毛利正彦館長が不誠実な対応しかしてこなかった事実を隠そうとした結果だろう。

○深層構造論の視点で
 そのことは、
12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」という文章の構文自体からも読み取ることができよう。
 私は「判決とテロル(8)」で、R・ホッジとG・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』における、
 A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
           ②非処置文 中島が走る
 B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
           ④特性文  中島は早い
という、4つの基本文型を紹介した。
 この文型で、平原副館長が言うところを、事実のレベルで整理してみるならば、次のようになる。
 
 12月になり、
「当財団幹部が、新たな体制構築のために次年度の職員募集について考えてはどうか、と話し合った」→「川崎業務課長が具体的な募集要項を作成した」→「川崎業務課長が募集要項をホームページに公開した」

 このように整理してみると、は一見「①処置文」のようだが、実は「②非処置文」であることが分かる。「中島が一塁に向かって走る」や「中島がボールを追って走る」における「一塁に向かって」や「ボールを追って」は「走る」という行為表現の補語であるが、それと同じく、「財団幹部が……について話し合う」の「……について」は、「話し合う」行為の対象(目的語)というより、「話し合う」行為の内容説明(補語)と言えるからである。
 別な言い方をすれば、
が「①処置文」であるためには、「当財団幹部が、次年度の募集要項を決定した」と言うべきだった。だが、平原一良副館長は「②非処置文」の形に言い換えることによって、自分達が「決定した」責任を曖昧にし、回避しようとした。その結果、ロの如く、あたかも川崎業務課長が主体となって事を運んだかのように読める書き方にしてしまったのである。

○再び深層構造論の視点で
 ついでに言えば、
具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」の構文は、「亀井志乃の訴えに関する法的判断が田口紀子裁判長によって下され、法廷で告げられた」と同じ構文となる。
 前者は「募集要項の作成など」を主語とする受身形の文であり、後者は「法的判断」を主語とする受身形の文であるわけだが、後者の受身形を簡略な命題文に抽象化するならば、「判決が下る」と要約することができる。それに対して、行為主体を明示する「①処置文」のほうは、「田口紀子裁判長が判決を下す」とならざるをえない。
 こうしてみると、「判決が下る」における「判決」は、形式的には「下る」の主語であるが、「判決」それ自体は決して行為主体ではない。「食が進む」や「研究がはかどる」における「食」や「仕事」と同じく、誰かによってなされる行為そのもの(あるいは行為の結果)を意味する。そんなわけで、「食が進む」「研究がはかどる」における「進む」や「はかどる」という動詞は、行為を表すというよりは、むしろ「食欲が旺盛だ」とか、「研究の進み具合が順調だ」とかと同じく、「食」や「研究」の様相(How)をあらわしていると見るべきだろう。その意味では、「B 定義文」の「④特性文」に近いのである。
 
 これとは違ったやり方ではあるが、R・ホッジとG・クレスは、受身形が「attributive(④特性文)」に近づくことに注目していた。
 
 「判決が下る」「食が進む」「研究がはかどる」などは、慣用句に近い働きを持ち、簡潔な表現に適している。だが、それは、文の表層構造(surface structure)から行為主体を消して(delete)することで作られた特性であり、受身形の表現がこの形に近づく時は、行為主体の責任を曖昧にしてしまう傾向がある。
 平原一良副館長はそういうやり方によって、川崎業務課長の責任についても、どこか曖昧なものを感じさせる書き方を選んだわけが、これは川崎業務課長に対する遠慮(または配慮)というよりは、あくまでも彼等自身の責任を回避したい企みの現れと見るべきだろう。

○神谷忠孝理事長決定の妥当性について
 さて、ここで、亀井志乃に対する文学館側の対応の問題にもどるが、毛利正彦館長は「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」
(平成19年1月17日。甲53号証)で、一方的に対応を打ち切ってしまった。
 彼のこの傲慢な態度は、先ほど紹介した、亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」(平成19年1月6日。甲52号証)の質問に答えることができなかったことの裏返しであっただろうが、同じ文章における次のような質問にも答える自信がなかったためかもしれない。
《引用》
 
館長・毛利正彦氏が「財団及び館」を代表して、「財団及び館としての考え方」を回答できる根拠は何ですか。
 去る12月27日、私は館長室に呼ばれましたが、その少し前に、川﨑業務課長から、「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と教えられました。確かにこの事自体は、財団の規定に照らしても客観的な事実であろうと考えられます。
 そうしますと、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあることになります。換言すれば、一連の問題に関して、これまで主に毛利正彦館長が私に対応してきましたが、それは館長の越権行為であることになります。それ故、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。
 その証明をお示し下さい。その証明がないならば、毛利館長が私に行った説明は全て無効となり、私の白紙撤回の要求は極めて正当な要求だったことになります。

 ただし私は、規定の上では「人事に関する決定権は神谷理事長にある」からと言って、この規定が神谷理事長に、「人事に関する決定権」を独占的、独裁的に許している、とは考えていません。この規定が意味するところは、次のようなものと考えられます。「人事に関する方針を議する、何らかの合議体があり、その合議体で決めた方針が、理事長の意志として表現される。この合議体の決定を経ない〈理事長の意志〉はあり得ないし、あってはならない。その合議体の決定は、〈理事長の意志〉として表現されて、はじめて効力を持つ。」
 私は、財団・北海道文学館における、この合議体は理事会だと考えますが、いかがでしょうか。
 そこで改めて質問致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」の正当性を保証するものは何でしょうか。
 それに関連して、もう一つお訊ね致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」が恣意的、独裁的に行使されるのを防ぐために、――例えば人選が私情や個人的な利害によって行われるのを防ぐために――当然、権限の幅が設定されていると思いますが、それはどのように設定されているのでしょうか
(太字は引用者)

 一読して分かるように、亀井志乃は特別にむずかしいことを訊いたわけではない。ごく単純に、財団法人北海道文学館における意志決定の手続きはどのようなルールに基づいて行われているかを質問しただけであって、毛利正彦館長はそのルールを説明し、どのようなプロセスでそのルールが執行されたかを答えればよかったのである。
 ところが毛利正彦館長は、
財団と館の意思として申上げます。/平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません」と突き放しにかかった。よほど取り乱して、自分が何を問われているのか分からなかったのであろう。こんな答え方をすれば、〈財団法人北海道文学館と道立文学館はどういう手続きを踏んで、「これ以上、あなた(亀井志乃)の要求・質問にお答えするつもりはありません」という意思を決定したのですか〉と切り返されてしまうはずなのだが、そのように自分の返答を捉え直す余裕さえなかった。その錯乱は、こうした要求・質問を私どもに対し行い、……」の支離滅裂に続くわけだが、自分が何を問われているかを自覚していたならば、こんな答えにはならなかったはずである。

○神谷忠孝理事長に対する直接的な問いかけ
 亀井志乃は毛利副館長の支離滅裂を見て、毛利正彦館長を見限ることにしたらしい。そこで、質問の相手を神谷忠孝理事長に切り替えたわけだが、それが、「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」
(平成19年1月21日。甲103号証)である。その中で亀井志乃は、毛利正彦館長の文章を批判的に分析し、それと共に次のような問題設定を行った。
《引用》
 
私の言うことはお分かりいただけると思います。日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。

 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般に通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです。

 毛利正彦氏の回答は、〈財団・北海道文学館の「嘱託員の任用要領」は単年度雇用制を取っており、雇用の決定は理事長が下す。その規則に則っている限り、「我々」の決定は正当なのだ〉という理屈に基づいているようです。しかし、規則適用の正当性や、規則運用の適切性を保証する一定の手続きを欠いた、そんな理屈が、民主的な市民社会で通用するはずがありません。私が疑問に思い、質問したのは、そういう決定のプロセスと合法性についてなのです(太字は引用者)

 再びN.マコーミックの『ハート法理学の全体像』によるならば、彼は裁判官の義務をこのように規定している。
《引用》
 
たとえば、領域Tに住むすべての人々に対し裁判管轄権を有する一定の裁判官集団には、一定の立法者Lによって制定され、その後も廃止されていないルール、そして、Lによって制定されたルールに抵触するものを除く、これら裁判官たちとその先任者が下した判例、さらには、Lによって制定されたルールと、拘束力を持った判例に抵触するものを除くTで観察される習慣的ルール、これらのすべてを適用する義務があるとされる。
 
 ちょっと分かりにくい言い回しであるが、
領域T」を日本に、一定の立法者L」を国会に置き換えてみれば、彼が言う意味は明らかだろう。
 マコーミックの裁判(官)論は、田口紀子裁判官の判決文の問題点をあぶり出す視点ともなり得るが、この問題は後に譲りたい。ともあれ、亀井志乃は現在の法理論の水準をほぼクリアした形で、神谷忠孝理事長に、ルールの有無を問うた。あるいはルールが明文化されている場合の、ルール適用の正当性や、ルール運用の適切性について問うたわけだが、しかし、神谷忠孝理事長はみずからの責任においてこの質問に答えることを避けてしまったのである。

○平原一良副館長の証言における虚偽と名誉毀損
 なお私は、文章の流れが悪くなるのを避けるため、途中での言及は控えてきたが、平原一良副館長の「陳述書」における、
このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました」をもう一度取り上げるならば、これは二重の意味で亀井志乃を侮辱する、名誉毀損の証言である。
 まず「緊急避難」という法律用語であるが、これは刑法においても、民法においても、「急迫した危難を避けるために」やむを得ず他人の法益をおかす行為(あるいは、その物に加える損壊行為)を意味する。では、亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントを、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、寺嶋学芸主幹という限られた人間に、文書でアピールした行為の、どの点が、誰に対して、「急迫した危難」であったのか。
 平原一良副館長は、
これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした」と説明しているが、亀井志乃は上記3人にアピール文を手渡し、1人に郵送したにすぎなかった。そのことによって事務室内の空気がおかしくなることはあり得ない。いわんや「急迫した危難」と認識せざるをえないような事態を生んだとは思えない。もし事務室内の空気がおかしくなったとすれば、それはアピール文を受け取って、「急迫した危難」とパニクッてしまった、上記4人の言動によってではないか。
 いずれにせよ、「緊急避難」という表現は、亀井志乃の行為を「急迫した危難」と見なした証拠にほかならない。これは明らかに亀井志乃に対する名誉毀損である。
 
 しかもこの言葉は、この時初めて使われたわけではない。平成18年10月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いの席上、毛利館長がその言葉を使い、次のような経緯で撤回していたのである。
《引用》

① 亀井の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、亀井が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
② 亀井の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。亀井は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
③ 亀井の席の場所を、亀井自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
④ 亀井の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益となるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。

 ①・②に関しては、10日の話し合いの中で、毛利館長・平原副館長より真っ先に提示があった条項である。
 なお、この部分は、当初は毛利館長により〈緊急避難的に〉と表現された。しかし、この10日昼の時点において、今回質問状を手にした誰からも、亀井の側について非難されるべき問題点があると具体的に指摘されてはいなかった。そうである以上、亀井が、寺嶋主幹の日ごろの態度を高圧的・過干渉と受けとめざるを得ず、また、文学碑データの業務をサボタージュしていたかの如く表現されたことを不当と感じざるを得なかった事情については、〈誰もその事に対して反論できなかった〉と結論する事自体は許されるであろう。(なお、10月11日を過ぎた後も、反論ないし非難はどこからも亀井のもとに戻って来ていない。)
 従って、これは〈緊急避難的〉な措置などではなく、亀井が要求していた文学館側の対処として当然なされるべき事と考え、話し合いの中でそのように主張した。そして、毛利館長も、最終的には〈緊急避難的〉という言葉を撤回した
(太字は原文のママ)
 
 これは、亀井志乃の「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」
(平成18年11月14日。甲18号証)からの引用であるが、毛利館長は①と②の取り決めに関して、「緊急非難」という言葉を使った。財団法人北海道文学館の幹部職員は、こういう他人の人格誹謗に通じかねない怖い言葉を、無造作に、無神経に使う習慣を持っているのかもしれない。
 だがこの言葉は、亀井志乃の反論によって撤回された。平原一良副館長はその場に同席し、毛利館長と亀井志乃のやり取りの一部始終を見聞していたはずである。また、亀井志乃はその時の話し合いを、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」の形にまとめ、神谷理事長や毛利館長や寺嶋学芸主幹だけでなく、平原副館長にも渡しており、彼は当然目を通していたはずである。話し合いの席上、彼は亀井志乃に反論をせず、「取り決めについて」を受け取った後も、亀井志乃に訂正を申し込んでいない。平原一良副館長も亀井志乃の主張には服さざるをえなかった。そう解釈されても仕方がないところだろう。
 
 もっとも、平原一良副館長がその「陳述書」の中で、「緊急避難」という言葉を使ったのは、①と②についてというよりも、むしろ③の取り決めについてだった。だが、亀井志乃の次の記述を見れば分かるように、③の取り決めも決して「緊急避難」として決まったわけではない。
《引用》
 
③については、毛利館長・平原副館長より、「亀井がそれをあくまで要求するならばそのように対応しない事はないが、亀井が現在の席を移る必要はないというみんなの意見もある」との話があった。
 この時、実は、〈みんな〉というのがどの範囲の人々であるのか、また、どのような方法でその〈みんな〉から意見を集約したのか、という事については、最後まで具体的な説明がなかった。その意味で、必ずしも納得がゆく説明ではなかったが、一応、そうした意見が亀井に対して提出されたという話を受け入れた上で、現在までの〈学芸班〉の状況を取りまとめると、以下のようになる。
 学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべてS社会教育主事やA学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
 これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した
(太字は引用者)

 要するに毛利館長も平原副館長も亀井志乃の主張に服し、合意したのであり、しかも平原一良副館長は亀井志乃の「取り決めについて」を受け取った後も、訂正を申し込むことはなかった。
 分かるように、平原一良副館長は自分でも合意しておきながら、「陳述書」では以上のような経緯を全く無視して、ぬけぬけと
「幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し」と嘘を吐き、「緊急避難」と称している。毛利館長の「緊急避難」は不謹慎ではあるが、不用意だったと見られないわけではない。だが、平原副館長は撤回の経緯を知りながら、敢えてその言葉を使って亀井志乃の行動の非常識や異常さを印象づけようとした。虚偽の陳述をなした上に、名誉毀損の言葉を重ねたのである。
 先に私が「二重の名誉毀損」と言ったのは、この意味にほかならない。

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インターミッション

インターミッション

〔市立小樽文学館では、7月4日(土)から、「―『蟹工船』の時代―プロレタリア文学とモダニティ(池田壽夫旧蔵書より)」という特別企画展を行っている。昭和初年代のプロレタリア文学運動の中で、理論家として重要な役割を果たした池田壽夫(本名、横山敏男)の蔵書700点ほどを、ご遺族が文学館に寄贈して下さった。プロレタリア文学運動の実態を伝える貴重な資料が多く、これを市民に紹介する形で、ご遺族のご厚意に感謝の意を表したいと考えたからである。
 数ヶ月前から私は展示の準備に入ったが、池田壽夫にはプロレタリア文学の理論に関する著書がない。そのため、まず著述目録の作成に取りかかり、70本を超える論文を探し出すことができた。池田壽夫には映画論も多いことを発見し、これは望外の収穫だった。ただ、映画関係の古い雑誌がなかなか見つからない。いや、何種類かは復刻版が出ており、北大も購入したはずなのだが、『新興芸術』や『キネマ旬報』などを検索してみると、すでに定年で辞めたり、他大学へ転出した人間の研究室に入ったことになっており、しかも「不在」となっている。北大図書館の知り合いに、「不在」ってどういう意味ですか、と訊いてみたところ、困った顔をして「見当たらないんですよ。学生に貸し出してそれっきりになってしまったのか、それとも……」と言葉を濁していた。
 悪いのは公費で購入した図書の所在を不明にしたまま北大を辞めてしまった連中であり、図書館員に苦情を言っても仕方がない。やむをえず私は、3度ほど、東京へ出たついでに、東大の図書館で池田壽夫の論文探しをして、意外に時間がかかった。
 その間私は、市民向けの関連講座を開くことにし、6月6日(土)には「プロレタリア文学の眼差し・1――遠景の多喜二―」、6月27日(土)には「プロレタリア文学の眼差し・2――近景の多喜二―」という話をした。7月18日(土)には「知られざるプロレタリア文学史――池田壽夫旧蔵書より―」という話を予定している。
 この講座の準備にも時間がかかり、それやこれやで「判決とテロル」をしばらく中断せざるをえなくなった。心がけてマコーミックの『ハート法理学の全体像』などに目を通しているのだが、哀しいかな、老齢のために、なかなか頭の切り替えができない。この調子では、「判決とテロル」にもどるにはもう少し時間がかかりそうだ。
 ただ、「プロレタリア文学の眼差し・2――近景の多喜二―」で話をしたことを文章化しているうちに、『蟹工船』論の形でまとめるならば、これはこれなりに意味のある小論になるかもしれない。そんな気がしてきたので、インターミッションの埋め草として、掲載させてもらうことにした。「北海道文学館のたくらみ」の連載中に、「幕間劇」として、大江健三郎の『沖縄ノート』の表現分析を掲載させてもらった。同じわがままを繰り返すことになるが、ご海容をお願いする。2009年7月11日〕
 
       
       プロレタリア文学への眼差し 
           ――近景の小林多喜二――

                                                  2009年6月27日
1、『蟹工船』で見る映画
○「蟹工船」という空間
 今日は映画との関連で、小林多喜二の『蟹工船
(昭和3年10月28日、起稿。昭和4年3月30完成。『戦旗』5、6月号に発表)の表現の特徴を検討してみたいと思います。何故そう考えたか。御存じのように、『蟹工船』そのものの中に映画を見る場面が描かれているからです。
 小説『蟹工船』の中で上映されたのは、「西部開発史」という映画だったわけですが、それならば「西部開発史」と呼ばれた、このアメリカ映画はどんな作品だったのか。小説『蟹工船』は、1953年に山村聡の脚本・監督で映画化されています。その時山村聡はどんなアメリカ映画を、映画『蟹工船』に挿入したか。
 そういう視点で捉えてみると、意外に重要な『蟹工船』の特徴が見えてくるように思います。
 
 そこでまず一つ確認しておきたいことは、小説『蟹工船』の博光丸は、200人を越える漁夫や雑夫に映画を見せることができる規模の汽船だったということです。
 この博光丸のモデルと言われる博愛丸は、明治31年(1898)に、日本赤十字社が管理する病院船として建造された汽船で、排水量は2600トン。全長は95メートル、巾12メートルという規模の船でした。病室は上等が11室41床、中等が3室12床、下等は1室232床あり、その外に伝染病室が3室7床あったそうです。当然のことながら診察室も手術室もありました。
 その博愛丸が大正15年(1926)、林兼商店に売却され、蟹工船に改造されたわけですが、食堂や浴場はもちろんのこと、商店や理髪店、映画館まで備えていたと言われています。
 皆さんは、なぜ私がそんな細かいことにこだわるのか、不思議に思われるかもしれません。ただ、私としては現実のあり方と、表現上のリアリティとの違いを確認しておきたい。そうしておかないと、多喜二の文学のリアリティ、あるいは当時のプロレタリア・リアリズムの特徴をつかむことができないからです。
 例えば『蟹工船』の冒頭から少し進んだところに、
漁夫の『穴』に、浜なすのような電気がついた。煙草の煙や人いきれで、空気が濁って、臭く、穴全体がそのまゝ『糞壺』だった。区切られた寝床にゴロ/\している人間が、蛆(うじ)虫のようにうごめいて見えた。(1章。講談社文庫版。原文の傍点の箇所は太字に代えた。以下同じ)という表現が出て来ます。「穴」とは漁夫や雑夫の居住空間のことで、当時の「工船」の記録によれば、中甲板の1、2番ハッチが従業員の居住区、3、4番ハッチは罐詰工場に充てられていました。
 ただ、「区切られた寝床」という表現から判断するに、どうやら漁夫の居住区は幾つか畳敷きの大きな区画に分かれ、それぞれの区画を何人かで共有していたらしい。鰊漁の番屋は1坪半に2人、つまりタタミ3畳に2人の割合で住み分け、着替えの下着その他、各自の私物は壁際の棚に収めておいた、ということですが、そういうやり方を採り入れたのかもしれません。
 ところが、別な箇所には
「ハッチの降口に始め鎌足(かまあし)を見せて、ゴロ/\する大きな昔風の信玄袋を担った男が、梯子を下りてきた。床に立ってキョロ/\見廻していたが、空いているのを見付けると、棚に上って来た(1章)。菓子折を背負った沖売の女や、薬屋、それに日用品を持った商人が入ってきた。真中の離島のように区切られている所に、それ/\の荷物を広げた。皆は四方の棚の上下の寝床から身体を乗り出して、ひやかしたり、笑談を云った」(同前)という表現が出てきます。
 この「棚」は、蚕棚
(かいこだな)から生まれた比喩表現で、上下二段に分かれたベッドを意味する。とするならば、漁夫はそれぞれ自分の「棚(ベツド)」を持っていた(割り当てられていた)ことになり、先ほどの表現と食い違ってしまう。
 私自身は次に述べる「衛生」の問題からみて、「棚
(ベツド)」方式を採っていたと考えますが、後に改めて紹介する映画『蟹工船』を見ますと、監督の山村聡は、非常に不潔な畳敷きの大部屋に労働者を押し込め、猥雑な生活を強いていたかのように描いていました。現実の「工船」に従うよりも、多喜二の表現が喚起するイメージのほうを選んだのでしょう。
 
 しかし、蟹工船は、獲ったばかりの蟹の鮮度が落ちないうちに、大急ぎで罐詰にする。そういう工場船(factory ship)だった。そのことを忘れると、とんでもない勘違いを犯すことになりかねません。
 近代の日本の政府は「衛生」ということに力を入れましたが、特に衛生にやかましかったのは軍隊と刑務所でした。お分かりのように、一定数の人間を特定の場所に隔離しておく空間で、もし伝染病が発生したとすれば、一挙に蔓延する恐れがある。これは汽船や漁船でも同様でした。大きな客船が、太平洋を渡るには2週間以上もかかる。そういう陸地から隔離され、閉ざされた空間の中で伝染病が蔓延したら、これはもう手の打ちようがない。まして4ヶ月も5ヶ月もカムチャツカ沖で操業をし、おまけに食品を扱う蟹工船のことですから、衛生管理に鈍感だったはずがありません。先ほど引用した「蛆虫のようにうごめいて」云々に続いて、漁業監督を先頭に、船長、工場代表、雑夫長がハッチを下りて入って来た(中略)通路には、林檎やバナゝの皮、グジョ/\した高丈(たかじよう。地下足袋)、鞋(わらじ)、飯粒のこびりついている薄皮などが捨てゝあった。流れの止まった泥溝(どぶ)だった。監督はじろりそれを見ながら、無遠慮に唾をはいた。」とありますが、果たしてそうであったかどうか。日本の漁師は舟を神聖なものと考えて、清浄を心がけたということですが、ましてこれは出漁直前の場面です。鰊漁の場合、出漁の直前に、豊漁を予祝する祭りを行って、親方も船頭も賑やかに景気づけをし合い、その後は厳粛な緊張感のうちに出漁のその時を迎えたそうですが、そういう心性や感覚が蟹工船では失われてしまったとは、私には考えにくい。(註1)
 第一これほど猥雑、非衛生の状態だったとすれば、函館の検疫官が見逃すはずがなかったのではないでしょうか。(註2)
 このことは、労働条件などの問題を含めて、『工場法』(明治44年3月公布)と関係するので、後にもう一度言及したいと思いますが、ともあれ、以上の点だけを取り上げてみても、多喜二のリアリティと虚構性とは紙一重の関係にあった。そのことがお分かりのことと思います。その点を確認しておきたいがために、まず映画の場面に注意を促してみたわけです。
 
○蟹工船の歴史
 次にもう一つ確認しておきたいのは、蟹工船の操業期間は、おおよそ4月から8月末までだったことです。ところが小説『蟹工船』は、真冬の操業を思わせる表現となっていました。
 オホーツク海は6月になっても結氷が浮かんでいることもある。ですから、博光丸は北緯五十一度五分の所まで、錨をなげてきた第一号川崎船を捜索した。結氷の破片(かけら)が生きものゝのように、ゆるい波のうねりを間に、ひょい/\身体を見せて流れていた。(3章)という表現は、たぶん実見談に基づいた描写と見ることができます。
 しかしそれに続く表現は、あたかも流氷が押し寄せてきたかのような描写になっています。が、所々その砕けた氷が見る限りの大きな集団をなして、あぶくを出しながら、船を見る/\うちに真中に取り囲んでしまう、そんなことがあった。氷は湯気のような水蒸気をたてゝいた。と、扇風機にでも吹かれるように、『寒気』が襲ってきた。船のあらゆる部分が急にカリッ、カリッと鳴り出すと、水に濡れていた甲板や手すりに、氷が張ってしまった。船腹は白粉でもふりかけたように、霜の結晶でキラ/\に光った(同前)と。
 この箇所は、表現それ自体として見れば、非常に印象的な優れた描写ということができますが、もし本当にこんな気象条件に遭遇したとすれば、4月中に北緯55度、あるいはもっと北まで進んで操業していたことになる。しかしそんなことをすれば、たちまちオホーツクの流氷に閉ざされてしまい、砕氷船の助けを借りて脱出しなければならなかったでしょう。(註3)
 
 私は先ほど、大正15年(1926)に、日本赤十字社の博愛丸が蟹工船に改造されたと言いました。
 その博愛丸で雑夫虐待事件があったことを報じたのは、『函館日日新聞』です。倉田稔さん(『小林多喜二伝』論創社、2003年12月)が引用した大正15年9月7日の記事は、昨六日午後三時半、カムチャッカから当港に帰来した市内弁天町大菱商会の蟹工船博愛丸(二、六二四トン)に、奇怪極まる暴行事件があることを探知した水上署で、俄然色めきたち、目下関係者を召還取調べ中である。」ということでした。
 この記事からも、博愛丸の操業は夏の間だったことが分かります。が、もう1点、私が注意したいのは、博愛丸にとってこれが最初の蟹漁業だったことです。
 少し横道に逸れることになりますが、日本における蟹の缶詰の製造は、根室の和泉庄蔵という人が1905(明治38)年、国後島に蟹の缶詰工場を建てたことに始まるらしい。以来、千島や根室、稚内の各地で盛んに行われたそうですが、間もなく近海で獲れる蟹では間に合わなくなってきた。たぶん近海の資源が枯渇し始めたためでしょう。やむを得ず、オホーツク海遠くまで船を出すことになったわけですが、蟹の肉はいたみが早い。冷凍技術が発達していなかった時代のことですから、工場に運んできた時には、もう肉が変色してしまう。これでは製品になりません。
 それならば、獲ったばかりの蟹を船の中で缶詰にすることはできないか。これは日本人のアイデアだったそうで、1914(大正3)年、農林省の水産講習所の練習船が試験を始め、1920(大正9)年、富山県立水産講習所の呉羽丸が洋上蟹缶詰製造に成功したそうです。これを受けて、函館の和島貞二という人物が1921(大正10)年、2隻の帆船をオホーツク海に出して操業し、これが民間の蟹工船の始まりだった。ただし、和島貞二の帆船はいずれも300トン程度で、長期の操業には耐えられません。缶詰の生産数も高が知れている。しかし蟹工船自体は将来性のある産業でしたから、資本家が目をつけて、例えば博愛丸のような汽船(病院船)の払い下げを受けて、缶詰工場を内蔵する工船に改造したわけですが、工船への改造、つまり帆船操業から汽船操業へ切り替わるまで、恐らく2、3年は要したでしょう。その意味で、「蟹工船」はまだ始まったばかりの産業だった。『蟹工船』の語り手は、二十年の間も繋ぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロ/\な『梅毒患者』のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。日露戦争で、『名誉にも』ビッコにされ、魚のハラワタのように放って置かれた病院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現した。」(2章)と、口を極めてこき下ろしていました。だが、内部のほとんどを改装して、蟹罐詰の製品を完成するに至る工程に必要な機械を全て装置して、化粧直しをした、その船の中には商店があり、理髪店があり、4月から8月末まで、5ヶ月間に及ぶ長期操業の漁夫や雑夫を慰労するために、映画の活動写真隊を派遣する。むしろ当時としては、これは精一杯モダンで先端的な企業感覚だったのではないでしょうか。
 
 小林多喜二の描き方では、「蟹工船」産業はもう何年も以前から行われ、酷寒のオホーツク海で生命を賭けた過酷な奴隷労働が強いられてきたかのような印象を受けますが、必ずしも実情はそうでもなかったようです。

○『蟹工船』で上映された映画
 そうしますと、問題は『蟹工船』における虚構性と表現のリアリティとの関係になるわけですが、では、『蟹工船』でどんな映画が上映されたか、次にその点を確認しておきましょう。
《引用》
  
中積船には、会社で派遣した活動写真隊が乗り込んできていた。出来上がったゞけの罐詰を中積船に移してしまった晩、船で活動写真を映すことになった。
  平べったい鳥打ちを少し横めにかぶり、蝶ネクタイをして、太いズボンをはいた、若い同じような格好の男が二、三人トランクを重そうに持って、船へやってきた。
  「臭い、臭い!」
  そう云いながら、上着を脱いで、口笛を吹きながら、幕をはったり、距離をはかって台を据えたりし始めた
(中略)
  
一番年かさらしい下品に見える、太い金縁の眼鏡をかけた男が、少し離れた処に立って、首の汗を拭いていた。
  「弁士さん、そったら処さ立ってれば、足から蚤がハネ上って行きますよ!」
  と、「ひゃア――ッ!」焼けた鉄板でも踏んづけたようにハネ上った。
  見ていた漁夫達がドッと笑った。
 「然しひどい所にいるんだな!」しゃがれた、ジャラジャラ声だった。それは矢張り弁士だった。「知らないだろうけれども、この会社が此所へこうやって、やって来るために、幾何儲けていると思う? 大したもんだ。六ヵ月に五百万円だよ。一年千万円だ。――口で千万円って云えば、それっ切りだけれども、大したもんだ。それに株主へ二割二分五厘なんて滅法界もない配当をする会社なんて、日本にだってそうないんだ。今度社長が代議士になるッて云うし、申分がないさ。――矢張り、こんな風にしてもひどくしなけァ、あれだけ儲けられないだろうな」
 夜になった。

  (中略)
  
最初「実写」だった。宮城、松島、江ノ島、京都……が、ガタピシャ/\と写って行った。時々切れた。急に写真が二、三枚ダブって、目まいでもしたように入り乱れたかと思うと、瞬間消えて、パッと白い幕になった。
  それから西洋物と日本物をやった。どれも写真はキズが入っていて、ひどく「雨が降った」それに所々切れているのを接合させたらしく、人の動きがギクシャクした。――然しそんなことはどうでもよかった。皆はすっかり引き入れられていた。外国のいゝ身体をした女が出てくると、口笛を吹いたり、豚のように鼻をならした。弁士は怒ってしばらく説明をしないこともあった。
  西洋物はアメリカ
映画で、「西部開発史」を取扱ったものだった。――野蛮人の襲撃をうけたり、自然の暴虐に打ち壊されては、又立ち上り、一間々々と鉄道をのばして行く。途中に、一夜作りの「町」が、まるで鉄道の結びコブのように出来る。そして鉄道が進む、その先きへ、先きへと町が出来て行った。――其処から起る色々な苦難が、一工夫と会社の重役の娘との「恋物語」ともつれ合って、表へ出たり、裏になったりして描かれていた。最後の場面で、弁士が声を張りあげた。
  「彼等幾多の犠牲的青年によって、遂に成功するに至った延々何百哩
(マイル)の鉄道は、長蛇の如く野を走り、山を貫き、昨日までの蛮地は、かくて国富と変ったのであります」
 重役の娘と、何時の間にか紳士のようになった工夫が相抱くところで幕だった。
  間に、意味もなくゲラ/\笑わせる、短い西洋物が一本はさまった。

  (中略)
  
写真が終ってから、皆は一万箱祝いの酒で酔払った。
  長い間口にしなかったのと、疲労し過ぎていたので、ヘロ/\に参って了った。薄暗い電気の下に、煙草の煙が雲のようにこめていた。空気がムレて、ドロ/\に腐っていた。肌脱ぎになったり、鉢巻をしたり、大きく安坐をかいて、尻をすっかりまくり上げたり、大声で色々なことを怒鳴り合った。――時々なぐり合いの喧嘩が起った。
  それが十二時過ぎ迄続いた
(5章)

 弁士がついて来たわけですから、この時上映した映画は無声映画(サイレント)だったと見てよいでしょう。この場面は、これまでの『蟹工船』研究ではほとんど注目されることはありませんでした。しかしあの弁士が、特に労働者をアジるつもりはなく、いわば世間話みたいに気安い口調で、知らないだろうけれども、この会社が此所へこうやって、やって来るために、幾何儲けていると思う? 大したもんだ。六ヵ月に五百万円だよ。一年千万円だ。(中略――矢張り、こんな風にしてもひどくしなけァ、あれだけ儲けられないだろうな」と、会社の阿漕な手口を暴いてみせる。その言葉が漁夫や雑夫の記憶に残って、次第に過酷な労働の本質に気がついて行く。その意味では、重要な場面と言えないわけではありません。
 ただ、その時上映した「西部開発史」がどの程度この場面に対して重要な意味を持っているか。私自身は、「西部開拓史」はこの場面に関してだけでなく、作品全体にとっても重要な意味を持っていると思っているのですが、小林多喜二自身がどのように自覚していたか。どうもそこのところが、いま一つはっきりとしない。しかしこれは『蟹工船』というテクストの解釈にかかわってくる、重要な箇所なので、少し丁寧に検討してみたいと思います。

二、『蟹工船』と映画
○山村聡監督『蟹工船』の場合
 御存じのように、この『蟹工船』は、戦後の1953年、山村聡が脚本を書き、監督して映画化し、第8回毎日映画コンクールで撮影賞を受賞しています。
 その山村聡監督が、先ほどの映画上映の場面をどのように映画化しているか。いわば劇中劇の場面に当たるわけですが、その箇所をご覧下さい。

〔DVDによる該当箇所の紹介〕
 ご覧のように、ツバ広の帽子を目深にかぶって顔を隠した、謎の剣士(フェンシングの名手)が神出鬼没、颯爽と馬に乗って現れて、美女を救い出す。私の判断では、これはダニエル・フェアバンクス主演の「奇傑ゾロ」(The Mark of Zorro。1920年)という無声映画
(サイレント)で、その後は「怪傑ゾロ」の名前で何回もリメイクされ、大佛次郎の『鞍馬天狗』(1024/大正13年)にヒントを与えた。そういう痛快な活劇映画ですが、それが終わったところで、弁士が声を張りあげ、「若者よ、働け、働け、勤労こそは成功の母ならずして何ぞや」とブチ上げる。いかにサイレント時代の弁士の台詞が荒唐無稽だったとは言え、これはちょっとないでしょう。
 山村聡がこの映画を撮った当時、手に入る無声映画
(サイレント)のフィルムは「奇傑ゾロ」しかなかったのかもしれません。もしそうでなかったとすれば、山村聡にとってこの場面はあまり重要ではなかった。小説に出て来る場面だから、とりあえず映画を見せるシーンだけは映しておこうという程度の認識だったのでしょう。

○『アイアン・ホース』(1924年)の場合
 しかし私の判断によれば、『蟹工船』の語り手が言う「西部開発史」は、間違いなくジョン・フォード監督の『アイアン・ホース』(1924年)という映画でした。
 今、DVDを取り替えている間に、簡単にコメントしておきますと、これはアメリカの東海岸から西に向かって鉄道レールを敷設し始めたセントラル・パシフィック鉄道会社と、西海岸から東に向かって敷設を始めたユニオン・パシフィック鉄道会社とが、めでたく合流して、アメリカ大陸横断の鉄道を完成する物語です。この大プロジェクトを発案したのは、リンカーン大統領。大統領のブレーンが、現在は南北戦争の最中で、1セントでも戦費が欲しい。大陸横断の鉄道を敷く余裕はない、と反対するのですが、リンカーンは戦争終結後のことを見越して、必ずアメリカ大陸の東と西をつなぐ路線が必要になってくるはずだ、と反対を押し切ってしまう。その意志は、リンカーン大統領が南北戦争に勝利し、不幸にして暗殺された後も受け継がれ、今や旧南軍の兵士も北軍の兵士も協力して実現する。「げに、リンカーン大統領こそアメリカ合衆国中興の恩人と云わずして、何と評すべきや」というわけですが、この簡単な説明でも分かるように、南北の対立を克服し、東西の隔たりを埋めて、まさにアメリカ合衆国が国民国家として誕生した。その建国神話を描き、アメリカ魂を謳い上げた一大叙事詩だったわけです。
 
〔DVDによる該当箇所の紹介〕
 いま幾つかのシーンを見ていただきましたが、父親を殺されて工夫となった若者と、重役の娘との恋があり、シャイアン族の襲撃があり、『蟹工船』の語り手が言う通りの物語です。そのライト・モチーフは、「タタラッタ、タタタン、タタラッタ、タン」というピアノの軽快なリズムに乗って働く線路工夫たちの唄にあった、と言えるでしょう。西海岸から出発した線路工夫の大半は、当時の言葉でいう支那人。いわゆる西部の開拓時代、アメリカが安い労働力として大量の中国人を移住させたことはよく知られています。また、東海岸から出発した線路工夫は、先ほども言ったように旧の南軍や北軍の兵士達でしたが、もう一つ大きな要因としてアイルランド人が多数働いていました。私たちは一口に白人と呼んでいますけれど、アイルランドからの移民はアングロ・サクソンから差別的な扱いを受けることが多く、下積みの仕事を引き受けざるを得なかったようです。
 そういう人達が話す言葉が、時々字幕に出る。これを見ると大変なスラングで、いかに彼等が教養のない下層民であるか、モロに表出されているわけですが、とにかくそういう人達が「タタラッタ、タタタン、タタラッタ、タン」というリズムに合わせて、色んな歌詞の替え歌を唄い、次第に気持ちが通じ合って、最後には肩を組んで「俺たち、みんなアメリカ人じゃないか。いがみ合うのは止めようや」ということになる。
 つまり、他民族の労働者を〈同じアメリカ人〉という意識に統合して行く物語でもあったわけで、その意味でもこの映画は、見事なまでに国民国家建設のイデオロギーを肯定的、向日的に謳い上げた物語だったと言えるでしょう。

 ちなみに、小林多喜二は昭和2(1927)年2月7日の日記で、マルクスの『資本論』でも読んでみたい気がしている。が、それの根本的な処に疑いをもっている自分は、結局、社会主義的情熱を永久に持てぬ人間のように思われる。此前三日の吹雪の晩、Tと一緒に行って見た『アイアンホース』(公園館)の中で、(これはアメリカの西部発展史であるが)アメリカインデアンと戦いながら、大集団が一歩々々、『誰れのためにか』、『何十年あとのためにか』『自分達のではない、後にくる時代の人のために』西進するところが描かれていたが、そういう人達の気持と万難を排して、『自分を犠牲にして』(これは云うに易くして、重大な事だ。)後にくるものゝために戦っている社会主義者の気持がぴったり一つになって、自分をうった。」と書いています。
 少なくともこの時点の多喜二は、この『アイアン・ホース』を、社会主義国家建設の物語にも転用し得るものと受け取り、感動をしていたわけです。

○合わせ鏡としての『蟹工船』と『アイアン・ホース』
 小林多喜二はこの映画を「博光丸」に漁夫や雑夫に見せたわけですが、彼は自分が受けたのと同じ感動を与え得るものとして、蟹工船の漁雑夫に見せることにしたのでしょうか。どうもそうではありません。もしそうならば、先ほど引用した場面は、もっと陽気で向日的に描かれたはずです。
 では小林多喜二は、『アイアン・ホース』に感動してから、『蟹工船』に着手するまで、約1年半の間に、『アイアン・ホース』のアメリカ帝国主義に批判的な眼を持つようになったのでしょうか。しかし、もしそうならば、『日記』における「アメリカインデアン」という言葉を、『蟹工船』で「野蛮人」と呼び変えることはなかったはずです。
 「アメリカインデアン」という言葉は、1970年代、差別語だという認識が広まって、ネイティブ・アメリカンとか、アメリカ先住民とかという呼び方が一般化してきましたが、1920年代、「アメリカインデアン」はごく当たり前に使われていました。しかし、例え1920年代であっても、ネイティヴ・アメリカンを「野蛮人」と呼ぶことは、これは明らかに人種蔑視に基づく差別語でした。
 
 ただし、その問題に関するかぎり、『アイアン・ホース』の監督、ジョン・フォードも同断でした。先ほど私は、『アイアン・ホース』を露骨なまでに国民国家イデオロギーを鼓吹した作品と評しましたが、この映画にはアフロ・アメリカ人、つまり俗に言う黒人の姿は見えません。ネイティヴ・アメリカンについて言えば、アメリカ人に敵対するシャイアン族と、アメリカ人に協力的なポーニー族に分断してしまい、だが結局両者とも「同じアメリカ人」の仲間には入れられませんでした。
 その意味ではジョン・フォードに認識の空白があり、彼は後に『バファロー大隊』(1960年)や『シャイアン』(1964年)で修正をしています。
 それに対して小林多喜二にも認識の空白がなかったわけではありません。西原大輔さん
(「小林多喜二『蟹工船』における植民地」。『横浜商大論集』第30巻第1号、平成8年5月)が、『蟹工船』の末尾における「――この一篇は、『殖民地に於ける資本主義侵入史』の一頁である。」という附記を取り上げて、この附記と作品内容との矛盾を指摘していました。
 つまり西原さんによれば、『蟹工船』の語り手は、東北各地から寄せ集められた漁夫や雑夫を、イノセントな被害者としてしか描いていない。アイヌの側から見れば、ここに描かれたのは「殖民地に於ける資本主義侵入の一頁」であると共に、「殖民地に於ける労働者侵入史」でもあったはずなのだが、そのアイヌの視点が欠けている。
小林多喜二にとっては資本家と労働者の階級問題としか見えていない北海道開拓も、立場を変えれば日本人とアイヌの民族問題となる。資本家であろうと労働者であろうと、彼ら日本人が進めている開発こそ、先住民にとっての侵略行為のほかならない」「『蟹工船』の作者はこれらの労働がいかに無慈悲で苛酷であるかを強調する。しかし問題は、これらの労働者が蝦夷地開拓という、帝国の拡大の参加者であるという事実を語り手が全く意識しておらず、またこの意味を問い返すこともないということだ」「『蟹工船』の語り手は、疑いもなく植民者のものであった。」というわけです。(註4)
 西原さんは多分ポストコロニアリズム(反/脱植民地主義)の立場の歴史学者なのでしょう。ですから、以上のような問題点を抱えているにもかかわらず、なぜ『蟹工船』の表現にリアリティがあるのかという、文学的な問題には踏み込んでいません。その意味では十全な『蟹工船』論とは言えないのですが、その指摘は小林多喜二における認識の空白を衝いている。今後の多喜二研究が無視してはならない、重要な論文だと思います。

 こうして見ると、『蟹工船』と『アイアン・ホース』とは合わせ鏡みたいな関係にあったわけですが、それは必ずしも同じような認識の空白を抱えていたから、というだけではありません。
 『蟹工船』の1章で、「土方の棒頭(ぼうかしら)」みたいな監督が漁雑夫を相手に、次のような演説をぶつ場面が出てきます。
《引用》
  
「分かってるものもあるだろうが、云うまでもなくこの蟹工船の事業は、たゞ単にだ、一会社の儲仕事と見るべきではなくて、国際上の一大問題なのだ。我々が――我々日本帝国人民が偉いか、露助が偉いか。一騎打ちの戦いだんだ。それに若し、若しもだ、そんな事は絶対にあるべき筈がないが、負けるようなことがあったら、睾丸(きんたま)をブラ下げた日本男児は腹でも切って、カムサツカの海の中にブチ落ちることだ。身体が小さくたって、野呂間な露助に負けてたまるもんじゃない。
  「それに、我カムサツカの漁業は蟹罐詰ばかりでなく、鮭、鱒と共に、国際的に云ってだ、他の国とは比らべもならない優秀な地位を保って居り、又日本国内の行き詰まった人口問題、食料問題に対して、重大な使命を持っているのだ。こんな事をしゃべったって、お前等には分りもしないだろうが、ともかくだ、日本帝国の大きな使命のために、俺達は命を的に、北海の荒海をつッ切って行くのだということを知ってゝ貰わにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても始終我帝国の軍艦が我々を守っていてくれることになっているのだ。……それを今流行
(はや)りの露助の真似をして、飛んでもないことをケシかけるものがあるとしたら、それこそ、取りも直さず日本帝国を売るものだ。こんな事は無い筈だが、よッく覚えておいて貰うことにする……」

 いかにも「土方の棒頭」にふさわしい野卑な言葉づかいですが、小林多喜二は当時の日本で行われていた一般的な国民国家論を、こういう粗野な男にしゃべらせ、それを直接話法的に括弧で引用する。そうすることによって、日本的国民国家論の卑俗さを、批判的に露呈させたわけです。
 カムチャツカの資源を確保することは、一民間会社の利益のためだけではなく、帝国日本の国益にかなうことだ。この理屈を肯定的、向日的に物語化するならば、『アイアン・ホース』の世界が現れてくるでしょう。逆に『アイアン・ホース』の苦役に従事している「支那人」や「アイリッシュ」の居住環境や食事場面をクローズアップし、収奪/被収奪の視点で語るならば、『蟹工船』の世界となる。さらにもう一度ネガをポジに転換し、『蟹工船』における蟹罐詰の事業を、官民一体、労使共同による国家的事業の遂行として語り直し、日本魂を謳い上げるならば、『アイアン・ホース』的な一大叙事詩が生まれる。私が合わせ鏡的と言ったのは、このように対照的な、ネガとポジの関係で捉えることができるからにほかなりません。
 『アイアン・ホース』における「みんな同じアメリカ人」というアイデンティティの観念は、シャイアン族を敵対的な他者として設定することによって強化されるわけですが、騎兵隊が自分達をこの敵対的な他者から守ってくれる。『蟹工船』における日本帝国人民というアイデンティティの観念は、「露助」という敵対的な他者の脅威を強調することに強化され、その脅威から我が帝国の海軍が自分達を守ってくれる。ただし、『アイアン・ホース』のどこにもアフロ・アメリカン(いわゆる黒人)が出てこなかったように、『蟹工船』にはアイヌの姿が見えない。以上のような照応関係から見ても、『蟹工船』と『アイアン・ホース』は合わせ鏡の関係にあった、と言うことができます。

三、『蟹工船』における表現の特徴
○リアリティ獲得の方法
 先ほど私は、〈多喜二における虚構性とリアリティとの問題〉という言い方をしました。言葉を換えれば、それは〈文学的可能性の追求とリアリズムの問題〉でもあるのですが、次にはその点を検討するために、多喜二の表現そのものにもっと目を近づけてみましょう。
《引用》

 「おい、地獄さ行(え)くんだで!」
  二人はデッキの手すりに寄りかゝって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指先まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹
(サイド)をすれ/\に落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
  赤い太鼓腹を巾広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片袖をグイと引張られてゞもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴のようなヴイ、南京虫のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々とざわめいている油煙やパン屑や腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。風の工合で煙が波とすれ/\になびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接
(じか)に響いてきた。
  この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキの剥げた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから、錨
(いかり)の鎖を下していた。甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じところを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たしかに日本の「蟹工船」に対する監視船だった。
  「俺らもう一文も無え。――糞
(くそ)こら」
 そう云って、身体をずらして寄こした。そしてもう一人の漁夫の手を握って、自分の腰のところへ持って行った。袢天
(はんてん)の下のコールテンのズボンのポケットに押しあてた。何か小さい箱らしかった。
  一人は黙って、その漁夫の顔をみた。
  「ヒヒヒヒ……」と笑って、「花札
(はな)よ」と云った。
  ボート・デッキで、「将軍」のような恰好をした船長が、ブラ/\しながら煙草をのんでいる。はき出す煙が鼻先からすぐ急角度に折れて、ちぎれ飛んだ。底に木を打った草履(ぞうり)をひきずッて、食物バケツをさげた船員が急がしく「おもて」の船室を出入した。――用意はすっかり出来て、もう出るにいゝばかりになっていた。
  雑夫のいるハッチを上から覗きこむと、薄暗い船底の棚に、巣から顔だけピョコ/\出す鳥のように、騒ぎ廻っているのが見えた。皆十四、五の少年ばかりだった
(冒頭。下線、太字は引用者)

 これは、よく知られている書き出しの場面ですが、ここには三つの特徴が見られます。
 一つは私が下線を引いておいたように、比喩表現が極めて多く、しかも太字のような擬人法も用いている。このような表現法は必ずしも『蟹工船』の全編を貫いているわけではありませんし、他の作品の特徴をなしているわけではありません。その点から見れば、多喜二は『蟹工船』をスタートするに当たって、極めて意図的にこのような表現法を取ったことになるわけですが、それは何故か。そういう問題が起こってきます。
 二つには、多喜二はこの時、「全知の語り手」を選んだことです。この語り手は、どの登場人物の立場にも立つことができ、また、どの登場人物も知らないことを知っており、ある意味で物語の進行に関して支配的な立場を保持していました。
 そして三つ目は、登場人物の実名を明かさず、いわば匿名化してしまったことです。この作品の中で、実名を明かされたのは、監督の浅川その他、会社側の数人にすぎません。それに対して、労働者のほうはその職業名や出身地名、あるいは渾名
(あだな)(「威張んな」「吃り」「炭山(やま)」「学生」「芝浦」など)で呼ばれるだけでした。
 この書き出しに登場する二人の漁夫も結局は匿名の存在にすぎず、その後の物語の展開の中でどんな役割を果たしたか、ついに分かりませんでした。一般の物語作法、特に映画の物語作法の習慣によれば、ファーストシーンに登場する人物は何らかの形で物語の展開にからんでゆく。最低でも視点人物の役割を果たすものなのですが、この二人は結局その他大勢の漁夫の中に紛れ込んで、見分けがつかなくなってしまう。その意味で多喜二は、通常の物語展開の約束を無視するやり方を選んだわけです。

 『蟹工船』の表現のリアリティは、この三つがうまく機能して生まれたと言っていいでしょう。下線を引いた、意表を衝くような比喩表現は、モンタージュの監督がさっそく使ってみたくなるにちがいないほど印象鮮明なイメージの喚起力を持つ。何故そのような表現が可能となったのか、と言えば、語り手が労働者の視点と感性に則していたからであること、言うまでもありません。
 そして私たち読者は、インパクトの強い、この初発のイメージに方向づけられた形で、その後の物語展開を〈理解〉して行くわけですが、小林多喜二はその〈理解〉を強化する上で、「全知の語り手」と「労働者の匿名性」の方法を非常にうまく駆使していました。
 例えば先ほど引用した文章の終わりの一文、
雑夫のいるハッチを上から覗きこむと、薄暗い船底の棚に、巣から顔だけピョコ/\出す鳥のように、騒ぎ廻っているのが見えた。皆十四、五の少年ばかりだった。」の「覗きこむと」に注目して下さい。一体誰が「覗きこんだ」のでしょうか。二人の漁夫なのか、それとも「全知の語り手」なのか。
 語り手はこれに続いて、雑夫に雇われた子どもと母親の会話や、母親同士の会話を叙し、それに続けて、
――二人の漁夫がハッチから甲板へ顔を出すと、ホッとした。不機嫌にだまり合ったまま雑夫の穴より、もっと船首の、梯形の自分達の『巣』に帰った。」(1章)と語っています。これを見る限り、「覗きこんだ」のは二人の漁夫だったことになります。
 
 では、
漁夫の『穴』に、浜なすのような電気がついた。煙草の煙や人いきれで、空気が濁って、臭く、穴全体がそのまゝ『糞壺』だった。区切られた寝床にゴロ/\している人間が、蛆(うじ)虫のようにうごめいて見えた。」という箇所における、「糞壺」は誰の言葉でしょうか。また、「糞壺」にごろごろしている漁夫たちは、誰の目に「蛆(うじ)虫のようにうごめいて見えた」のでしょうか。
 まず「糞壺」について言えば、これは登場人物の誰かが言った言葉ではありません。雑夫や漁夫の居住区に隣り合わせた食料倉に、漬け物の樽が何十となく詰め込まれ、漬け物特有の饐えたような臭いが遠慮なく侵入してくる。そういう悪臭に満ちた、やりきれない空間を、語り手が「糞壺」と評したわけですが、まるで漁夫達が自分の居住区をそう呼んでいたかのように読めてしまう。
 また、「蛆虫」云々は、明らかにこれは「糞」との縁語表現なのですが、正確に言えばこれは監督や船長たちが漁夫達を「蛆虫」と見たり、そう呼んだりしたわけではありません。電気がパット点いた途端、
区切られた寝床にゴロ/\している人間が、蛆(うじ)虫のようにうごめいて見えた」。この表現から分かるように、漁夫達を「蛆虫のように……見た」のは、実は語り手だった。そこへ監督や船長たちが降りてきたわけです。
 しかし私たちは必ずしもそうは読まない。それに続く、
通路には、林檎やバナゝの皮、グジョ/\した高丈(たかじよう)、鞋(わらじ)、飯粒のこびりついている薄皮などが捨てゝあった。流れの止まった泥溝(どぶ)だった」という語り手の表現によって、「蛆虫」のイメージが一そう強烈にリアライズされ、じろりそれを見ながら、無遠慮に唾をはいた」という監督の行為を媒介に、「蛆虫」は監督達の漁夫に対する非人間的な蔑視に転位される。
 読者が「糞壺」や「蛆虫」という言葉を、漁夫や雑夫の〈実存〉を象徴する表現として読んでしまう。それは、以上のようなプロセスによってだった、と言えるでしょう。
 
○方法の限界
 『蟹工船』の語り手はこんなふうに、漁夫や監督達の目や感覚を媒介に、〈出口なし〉の密閉された空間に於ける実存的状況を描いてゆくわけですが、しかしその方法には欠点がないわけではありません。次の箇所の「給仕」の役割に注目して下さい。
《引用》
  
給仕は仕事の関係で、漁夫や船員などが、とても窺い知ることの出来ない船長や監督、工場代表などのムキ出しの生活をよく知っていた。と同時に、漁夫達の惨めな生活(監督は酔うと、漁夫達を「豚奴々々」と云っていた)も、ハッキリ対比されて知っている。公平に云って、上の人間はゴウマンで、恐ろしいことを儲けのために「平気」で謀(たくら)んだ。漁夫や船員はそれにウマ/\落ち込んで行った。――それは見ていられなかった。
  何も知らないうちはいゝ、給仕は何時もそう考えていた。彼は、当然どういうことが起るか――起らないではいないか、それが自分で分かるように思っていた。
  二時頃だった。船長や監督等は、下手に畳んでおいたゝめに出来たらしい、色々な折り目のついた服を着て、罐詰を船員二人に持たして、発動機船で駆逐艦に出掛けて行った。甲板で蟹外しをしていた漁夫や雑夫が、手を休めずに「嫁行列」でも見るように、それを見ていた。
  「何やるんだか、分かったもんでねえな」
  「俺達の作った罐詰ば、まるで糞紙よりも粗末にしやがる!」
  「然しな……」中年を過ぎかけている、左手の指が三本よりない漁夫だった。「こんな処まで来て、ワザ/\俺達ば守ってゝけるんだもの、えゝさ――な」
  ――その夕方、駆逐艦が、知らないうちにムク/\と煙突から煙を出し始めた。デッキを急がしく水兵が行ったり来たりし出した。そして、それから三十分程して動き出した。艦尾の旗がハタハタと風にはためく音が聞えた。蟹工船では、艦長の発声で、「万歳」を叫んだ。
  夕飯が終ってから、「糞壺」へ給仕がおりてきた。皆はストーヴの周囲で話していた。薄暗い電燈の下に立って行って、シャツから虱を取っているのもいた。電燈を横切る度に、大きな影がペンキを塗った、煤
(すす)けたサイドに斜めにうつった。
  「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度はロシアの領海へこっそり潜入して漁をするそうだど。それで駆逐艦がしっきりなしに、側にいてをしてくれるそうだ――大部、コレやってるらしいな。(拇指と人差指で円るくしてみせた)
  「皆の話を聞いていると、金がそのまゝゴロ/\転がっているようなカムサツカや北樺太など、この辺一帯を、行く/\はどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレは支那や満州ばかりでなしに、こっちの方面も大切だって云うんだ。それにはこゝの会社が三菱などゝ一緒になって、政府をウマクつッついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをドン/\やるようだど。
  「それでさ、駆逐艦が蟹工船の警備に出動すると云ったところで、どうして/\、そればかりの目的でなくて、この辺の海、北樺太、千島の附近まで詳細に測量したり気候を調べたりするのが、かえって大目的で、万一のアレに手ぬかりなくする訳だな。これア秘密だろうと思うんだが、千島の一番端の島に、コッソリ大砲を運んだり、重油を運んだりしているそうだ。
  「俺初めて聞いて吃驚
(びっくり)したんだけれどもな、今迄の日本のどの戦争でも、本当は――底の底を割ってみれば、みんな二人か三人の金持の(そのかわり大金持の)指図で、動機(きっかけ)だけは色々にこじつけて起こしたもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくて、バタ/\しているそうだからな、そいつ等は。――危ないそうだ(六章)

 この場面における「給仕」は、最もよく船内の状況を見、これから何が起こるか、半ば恐れながら予知することができる立場にあった。その給仕が「糞壺」を訪れるわけですが、それに続く発話は彼の言葉なのか、それとも「糞壺」にいた漁夫の発話なのか、そこがよく分かりません。なぜなら、「士官や船長や監督の話だけれどもな、……」に始まる発話は、直接話法を示す引用符号(かぎ括弧)によって分節化されていますが、その発話を閉じる引用符号(かぎ括弧)が明示されていないからです。
 監督の浅川の演説の場合も同様な引用符号の使い方をしていましたが、あれは浅川が演説のテーマを変えたための、発話の分節化だったと見ることができる。しかしこの場合、雑夫とそう年齢の変わらない給仕が、いわば海千山千の漁夫を相手にこれだけの長広舌を振るうことができたかどうか。疑問がないわけではありません。
 しかしその反面、仮に話の口火を切ったのが給仕であり、次からの発話は何人かの漁夫の応答であったとしても、その言葉づかいは学生ふう、または大会社の労働組合のオルグふうに均質化されている。『蟹工船』の特徴である、あの訛りのきつい東北方言、北海道方言が消えてしまっています。
 その意味で、あの給仕は「全知の語り手」の操り人形的な代行者でしかない。また、先ほど引用した発話は、給仕の長広舌であるか、それとも複数の人間の応答のであるかを問わず、作者小林多喜二の代弁にすぎず、その点では本質的な変わりはなかった。そう言うほかはないと思います。
 その後、物語の展開は、この発話の内容と口調とを引き継いだ「学生」や「芝浦」の発言が、労働者の間では支配的な言説となり、それと共に、あの冒頭のような生き生きとした比喩表現が次第に影を潜めて行くことになります。

○文学的可能性へのチャレンジ
 それにしても、小林多喜二は『蟹工船』の物語を、何故そのような方向に持っていこうとしたのでしょうか。私の見るところ、それは、現実的には極めて可能性が乏しい条件の中で文学的な可能性を実験したかったのだろうと思います。
 
 よく知られているように、彼は『蟹工船』を書くに当たって、函館まで調査に出掛けました。小樽高等商業学校に学び、拓殖銀行に勤めている人間として、当然彼は、博愛丸の持ち主が病院船を蟹工船に改装するために、どれだけの金額を設備投資に賭けたか。東北・北海道の各地から漁夫や雑夫を集める上で、どれだけの資金を用意したか。何年くらいの時間をかけて、その投資の回収するつもりでいるか。それらのことを調査したと思いますが、『蟹工船』では全くふれず
「――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいゝ事だった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると、『文字通り』どんな事でもするし、どんな所へでも、死物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何拾万円が手に入る船、――彼等が夢中になるのは無理もない。」(2章)と、単純化してしまいました。このイメージは、ダブついた金の運用だけにしか関心がない投資家には当てはまるかもしれません。しかし、新しい事業を起こす資本家には必ずしも当てはまらないようです。
 
 また、
――それに、蟹工船は純然たる『工場』だった。然し工場法の適用もうけていない。これ位都合のいゝ、勝手に出来るところはなかった(2章)という記述について言えば、果たしてそう簡単に決めつけてしまえるものなのかどうか。疑問なきをえません。というのは、岡本正一の『蟹罐詰発達史』(霞ヶ関書房、昭和19年9月)によりますと、博愛丸事件が起こった大正15年の2年前、大正13年の6月19日に門司丸という蟹工船の雑夫が、「工船は工場法の保護を受けるのが当然である」という理由でストライキを起こして、24時間以内に回答を求め、経営者の譲歩を勝ち取っているからです。つまり、『工場法』はそれなりに有効な法律だったわけで、当然この結果は他の蟹工船に従業員にも伝わっていたはずです。
 『工場法』は明治44(1911)年の3月に公布された法律で、その内容から判断するに、その主眼は若年労働者と女性労働者の保護にありました。
工業主ハ十二歳未満ノ者ヲシテ工場ニ於テ就業セシムルコトヲ得ス(第二条)、工業主ハ十五歳未満ノ者及女子ヲシテ一日ニ付十二時間ヲ超エテ就業セシムルコトヲ得ス(第三条)、「工業主ハ十五歳未満ノ者及女子ヲシテ午後十時ヨリ午前四時ニ至ル間ニ於テ就業セシムルコトヲ得ス(第四条)。現在の目から見れば到底保護の名にも値しない法律ですが、少なくとも当時はこれを楯に事業主から一定の譲歩を引き出すことができる法的な効力を持っていました。
 そんなわけで、私は、蟹工船は『工場法』の適用外だったわけではない。むしろ
「季節ニ依リ繁忙ナル事業ニ付テハ工業主ハ一定ノ期間ニ付予メ行政官庁ノ認可ヲ受ケ其ノ期間中一年ニ付百二十日ノ割合ヲ超エサル限リ就業時間ヲ一時間以内延長スルコトヲ得(第八条)を楯に取って、事業主に都合よく拡大解釈していたのではないか、と考えています。監督の浅川が漁夫や雑夫を時間外労働に駆り立てる理屈は、まさにこういうものだったからです。
 また、監督の浅川がやたらに威張り散らした背景には、
工業主ハ工場ニ付一切ノ権限ヲ有スル工場管理人ヲ選任スルコトヲ得(第十八条)という法律があったと思われます。
 浅川のモデルだったと見られる博愛丸の大船頭兼漁業総監督は、会田金吾の『漁
(すなど)り工(つく)る北洋』(五稜出版社、昭和63年8月)によれば、暴行傷害、不法監禁の容疑で起訴され、「監督権を行使したのだ」と主張しました。が、「他人を監禁し、逮捕し、暴行又は傷害せしむることが出来得る船内監督権がありと認むべき何等の根拠がない」という理由で却下されてしまいました。判決は懲役4月(大正15年12月11日、函館区裁判所)。
 この博愛丸には、船主兼経営者も乗っていました(判決は罰金30円)。しかし漁業総監督のほうが一回りも年上であり、「一切ノ権限」を委譲された形で、現場では独裁者のように振る舞ったのかもしれません。
 ただ、このように実情を整理してみますと、蟹工船の監督たる者は、粗暴な暴力団の兄貴分じゃあるまいし、『蟹工船』の浅川みたいに、やたらとピストルをちらつかせる必要などなかったのではないか。そういうふうに考えられるわけです。
 
 以上のように、当時の実態を常識的に整理してみますと、小林多喜二の『蟹工船』はやや現実を逸してしまったところがある。それは否定できないところだと思います。
 ただし、そうは言っても、必ずしも私は、だから多喜二の『蟹工船』は未熟な作品だったと考えているわけではありません。むしろ以上のように整理することによって、逆に多喜二の博愛丸事件に対する態度がより鮮明に現れてくる。それはどういう点かと言えば、多喜二は門司丸で起こったようなストライキにはほとんど関心がなかった。博愛丸のような暴行事件のほうに、より関心を?き立てられたのではないか、ということです。
 なぜなら、門司丸事件のような形で事業主の譲歩を勝ち取ることは、調停主義的な妥協によってストライキを終息させる結果となり、かえって労使間の非妥協的な対立を妨げることになりかねないからです。
 当時の労働組合運動は大きく二つの傾向に別れ、対立していました。一つは、ストライキを最終手段としながら、経営者側から一定の譲歩を引き出して、労働環境や労働条件を改善し、少しずつ労働者の権利を拡大してゆくやり方です。もう一つは、経営者との話し合いで安易な妥協点を探るのではなく、非妥協的な態度で闘争を激化し、全国の戦闘的な労働組合と共闘して、資本主義体制そのものに揺さぶりをかけるやり方です。小林多喜二は後者の側に立っていました。当時の彼の文章を読んでいますと、しばしば「社会民主主義者」とか、「調停派」とか、「ダラ幹(経営者に妥協的な組合幹部)」とかいう言葉が出てきますが、これらは後者の立場で前者を非難、攻撃する時の政治用語です。
 『蟹工船』を書いた時、小林多喜二は明らかに後者の側に傾きつつありました。その証拠に、『蟹工船』の漁夫や雑夫は「要求条項」を掲げ、ストライキに立ち上がるわけですが、その「要求条項」がどんな内容だったか、1行も書いていません。漁夫や雑夫の間に溜まっていた不満の全てが「要求条項」だったと見ることもできますが、多分小林多喜二は、彼等が「要求条項」の具体的な内容について監督たちと交渉し、譲歩を勝ち取るプロットを考えてはいませんでした。
 浅川を、話し合いに応じるタイプではなく、粗暴で傲慢な男に描いたのも、そのためだったと言えるでしょう。
 
 蟹工船のように〈出口なし〉の閉ざされた空間に、東北・北海道の各地からリテラシー(読み書きの能力)の低い労務者を寄せ集めて、劣悪な労働環境に置き、帝国の富強を口実とする暴力を加えた時、何が起こるか。
 『蟹工船』は小林多喜二が調査を基づいて書いた、プロレタリア・リアリズムの文学だ。これまでの研究者の多くは、そういう先入観で論じてきましたが、上のように整理してみれば分かるように、これは極限状況の設定に基づく、一種の実験小説でした。この極限状況の中で何が起こるかについて、小林多喜二は先のような政治的な立場により、既に一定のプロセスを用意していました。それは、一つには、もはや「要求条項」に関する話し合いの余地がないほど対立が激化して、漁夫や雑夫が暴発的なストライキにまで突き進んでしまうこと、そして二つには、軍隊(海軍)がストライキの鎮圧に出動したという形で、「殖民地」における資本家と軍隊の結びつきを「暴露」することでした。
 倉田稔さん
(『小林多喜二伝』前出)が博愛丸事件に関する報道を丁寧に調査し、10本以上の新聞記事を紹介していますが、その記事のどれを取っても博愛丸のストライキを報じていません。多分実際にストライキが起こったことはなく、では何故博愛丸における暴行事件が明るみに出たかと言えば(博愛丸の)入港と同時に、漁夫、雑夫十余名は、函館水上署に出頭し、蟹工船の監督・阿部金次郞(金之助…)が出漁中、漁夫、雑夫を虐待し、なお二名が行方不明なった事件を訴え出た」からです(『小樽新聞』9月8日)。
 当然のことながら、海軍がストライキ鎮圧に出動したとか、海軍が逮捕したストライキの首謀者を警察に引き渡したとか、そんな意味の記事は一つも出てきません。常識で考えても、海軍が民間の蟹工船のストライキを鎮圧するために出動するなんてことはありえないでしょう。軍隊に於ける反乱罪が適用される事態が発生したのならば、これはまた別の話ですが。
(註5)
 また、私は倉田さんとは別に、蟹工船のストライキに言及した本に何冊か当たってみましたが、事業主と交渉し、事業主が譲歩する形で決着がついた場合、警察は事情聴取を行ったようです。しかし、ストライキの首謀者を逮捕したケースはありませんでした。
 
 そんなわけで、やや単純化して言えば、博愛丸事件は、博愛丸にとっては初めての就労であり、事業主にも漁雑夫にも不熟の面が多かった。その間にあって、いわば全権を任された形の監督の粗暴な性格が災いして起こった事件だった、と見ることができます。
 では、その暴行事件を手がかりに、どのような文学的な想像力と表現方法を駆使して、漁夫や雑夫を暴発的なストライキにまで突き進ませ、「殖民地」における資本家と軍隊の結びつきを「暴露」するか。
 小林多喜二の実験小説的な課題はそこにあり、その意味では、実存主義的な実験小説とは性質が異なりますが、これまで分析してきた『蟹工船』の表現特徴は、ただ現実をなぞるリアリズムではなく、実験小説的な設定にリアリティを与えるものだった。そのために、モダンな経営感覚によるモダンな装備の「工船」だった側面は消去し、その反対に、非人間的な環境と苛酷な労働を比喩表現の多い文体で、油絵的に粘っこく塗り上げてゆく。その必要性、あるいは必然性がお分かりいただけたか、と思います。
 以前私は、〈多喜二における虚構性とリアリティとの問題〉と言い、〈文学的可能性の追求するリアリズム〉という言い方をしましたが、それは以上のような意味にほかなりません。

(註1)会田金吾の『漁り工る北洋』(五稜出版社、昭和63年8月)には、「漁場の楽しみは、何と言っても喰うこと、寝ること、時化の時、また家族からの便り、網卸し祝、お盆行事などで、漁場体験なしでは、その気持は語れない。網卸しと、お盆は、酒一合、瓢?パン、ボタ餅四つ位が与えられる。酒不飲の人もいるので甘い物と交換し、結構飲める。それに隠しドブロクである」とある。この「網卸し」は、鰊漁においては、大漁祈願をかねた漁夫慰労の祝儀だった。唄と踊りで夜更けまでサンザめき、親方も船頭もソーラン音頭やキリ声をかけられ胴上げされたりした。このような漁師の行事と心性は蟹工船にも受け継がれていたと思われる。なお、「隠しドブロク」については、「日魯の米の仕込予算は、一人一日八合の割で、それゆえ飯だけは十分である。残飯は大方豚の餌か、投げ棄てるので、それでドブロクを作る人もいた。ドブ「だね」は密かに漁場へもってゆくので容易に仕込める。」(会田金吾『漁り工る北洋』)
(註2)岡本正一の『蟹罐詰発達史』(霞ヶ関書房、昭和19年9月)によれば、大正15年、北辰漁業株式会社の英航丸で、ストライキが起こった。小樽水上警察署の調査報告によれば、「同船の雑夫は東京其の他から募集せられた為、蟹工船の作業に何等経験なき者を大部分とし、昼夜の別判然せざる北洋に於て、午前三時より夜一〇時頃迄作業に従事し、然も狭隘な船内の二〇〇名余の多数が起臥してゐたのに、衛生設備も亦完全でなかつたので、同船は出漁中一四名の疾病者を出した。然るに雑夫長今作太郎は無経験者の能率挙らざるの故を以て、病者健康者の別なく之を酷使し、暴力を以て就業を強ひたので、之に堪へ兼ねた雑夫四名は、同年五月二九日同船備付の伝馬船に乗つて脱走を企てた」。その後も苛酷な労働の強制が続き、ついに七月二日、雑夫一同がストライキに入り、待遇の改善を要求した。「これによつて同社々長明石武夫は急遽来船することとなり、幹部と協議の結果、雑夫の要求を全部承認し」た、という。
(註3)会田金吾は『漁(すなど)り工(つく)る北洋』(前出)で、「カムチャッカの昼は長く夜は短い。オブルコ漁場の四、五月の気温はマイナス五~十度であった。だから春の蟹場作業は苦労する。」と語っている。ただし、松谷三郎の『工船蟹罐詰に就いて』(埜邑商店、大正15年2月)は、「夏期は一体に海洋的気候にして涼しく七、八月の平均五十七度なり」と言い、同書の「温度比較表」によれば、西勘察(カムサツ)加(カ)コンバコフ、ウオロスコイ沖の6月上旬は、気温42度、海温40度、底温38度(多分いずれも華氏)。7月中旬は、気温69度、海温51度、底温49度(同前)だった。ちなみに、博愛丸で不法監禁、暴行傷害事件が起きたのは、西カムチャツカ海岸カフラン沖に出漁中の大正15年5月27日頃。
(註4)『蟹工船』には、何箇所か、漁夫が少年の雑夫を性的な慰みの対象とする場面が出て来る。だが『蟹工船』の語り手には、それを性的虐待とする視点がなく、むしろ不可避的なこと、ありがちなこととして語っている。残念ながら、この点に関しても、「『蟹工船』の語り手は全く意識しておらず、またこの意味を問い返すこともない」。「『蟹工船』の語り手は、疑いもなく漁夫のものであった。」
(註5)山村聡の映画『蟹工船』では、海軍の兵士が漁夫や雑夫に発砲し、射殺するシーンを作っていたが、そんな軍法会議ものの殺人罪を犯すはずがない。
 

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判決とテロル(9)

深層構造論の視点で(その2)

○「なまら」と「んでないかい」
 テレビやラジオで仕事をしているタレントにとって、代表的な北海道言葉は「なまら」と「いんでないかい」になっているらしい。彼らは北海道への親しさを表現するつもりで、やたらと「なまら」や「んでないかい」を乱発する。聞いていて、ん? と疑問を感ずることが多く、何となく気分がざらついてくる。

 私は18歳で北海道に渡り、それ以来50年以上も経つ。だから、これらの言葉のニュアンスや、それを使っていい場面と、使わないほうがいい場合との違いも分からないわけではない。だが、自分の言葉として「なまら」や「いんでないかい」を使うことはなかった。当初は、相手を小馬鹿にしたようなニュアンスになじめなかったためだが、最近はそれらを口にしてきた北海道人のほうが、逆に電波メディアの住人たちから小馬鹿にされている感じで、やはりなじめない。それだけ私が北海道人化している証拠なのだろう。

 私の理解によれば、「なまら」を使う地域や世代はそう広くはない。それに、「なまら」という副詞は、もともと「なまら面白い」とか「なまら旨い」とかと、肯定的な事柄を強調する時には使わなかった。むしろ、「なまらおっかねえ」とか「なまらやべえ」とかと、否定的なことの程度がはなはだしい時に使っていた。その用法が逆転したのは、この言葉が電波メディアでよく取り上げられるようになった頃とちょうど重なる。

 では、「んでないかい」はどうだろう。これも私の理解によれば、「それはいいことですね」と肯定的、積極的に賛意を表現する場合には使わない。むしろ「自分はそうしたいと思わないが、あなたがやると言うのならば、あえて反対はしないよ」という意味合いで使う。私たちは、〈もうこれ以上話し合うまでもない〉という気持ちで、「ま、それでいいでしょう」と切り上げる場合があるが、その言い方にもうちょっとトゲを含ませた言葉。そう受け取っておけば、間違いないだろう。

○「んでないかい」のストラテジィ(戦術)
 それにしても、「んでないかい」の「ない」や「かい」は一体どんな働きをする言葉なのだろうか。
 いまこの言い方を「〈それで〉いいのではないか(い)」と改めてみるならば、「ない」は打消しの助動詞、「か(い)」は疑問または反語の終助詞ということになる。
 ただし、普通私たちは、打消しの気持ちを込めて「それはまずいよ」と反対する場合、「〈それで〉いいのではない」とか、「いいんでない」とかと言わない。「〈それは〉よくない」と言う。北海道育ちの人ならば、「うまくねえ」とか、「まずいんでないか、それ」とかと言うところだろう。
 とするならば、この「ない」からは打消しの働き(機能)がほとんど消え去り、ある事柄を強調する終助詞に転化してしまったのではないか。そういう疑問も湧いてくる。つまり「んでない」と「いいんだ」とは同義となるわけで、北海道育ちでない人が「んでないかい」を肯定、賛成の意味に取ってしまったのは、多分このためだったのである。
 それはまた、「いいんでないかい」の「かい」の理解にもかかわってくる。
 私たちが「そうか、そういうことだったんかい」と言う場合、この「か」や「かい」は疑問や反語を表さない。むしろ長年の疑問が氷解した安堵感(感動)の表出や、相手の説明に納得し、承諾した気持ちの伝達に用いる。この「か(い)」の働き(機能)の中に、「ない」の打消し的機能が吸収されてしまったのだ。そう見ることもできるだろう。
 
 こんなふうに、従来の日本語文法で解釈するかぎり、「んでないかい」の理解は、北海道育ちでない人のほうに傾いてしまうわけだが、かえってこれでは北海道育ちの使い方から外れてしまう。では、前回に紹介した、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』(1993)の視点に立ったならばどう解釈できるだろうか。
 この2人の方法に従って、「んでないかい」を主語と述語の整った文に直してみよう。
 もし機械的に、主語を補ってみるならば、「君の言うことは、んでないかい」となるわけだが、じつはこれは事態に即した文とは言えない。なぜなら、「君が言う」という事柄に関して、「んでないかい」と判断する主体(発話者)は、決して「君」ではない。「私」だからである。
 その点を踏まえて整理してみるならば、「私は(君が言うことに関して)『んではないかい』と言う」となるだろう。
 
 このような構造の言葉を使う人間のストラテジィは、次のように解釈できる。すなわち、この言葉を発する人間は、相手の「いい」提案を直接には反対しない。しかし、それを打消したい動機をもって聞いていた。その気持ちを「ない」という言葉で明示しながら、「かい」という反問の形で相手の再考を促す。そうすることによって、相手の意欲を削ぎ、相手の気持ちを萎えさせる。結局相手が諦め、その意図を放棄するように仕向けているのである。

○一休みしていた理由
 ところで、私はこのところ、池田壽夫というプロレタリア文学運動の理論家の論文探しに追われていた。池田壽夫は本名を横山敏男と言い、昭和2年に東京帝国大学の農学部(農業経済専攻)に入ったが、翌年、高見順たちと『大学左派』という雑誌を出し、マルクス・レーニン主義の文芸理論家の道を歩み始めた。その人のご遺族が市立小樽文学館に、700点に及ぶ、大変に貴重な文献や資料を寄贈して下さった。小樽文学館ではこれを記念して、7月4日(土)から特別企画展を開いて寄贈された文献や資料を公開する。それと関連して、私が6月6日(土)と6月27日(土)、7月18日(土)の3回、講座を開くことになった。
 そのこともあって、池田壽夫が書いた論文や評論を集め始めたのだが、警察の追求を逃れて地下活動に入ってからは、坂井映一、大場文夫、藤村喬、瀧澤俊太などの名前で論文を書き、それを探すのに手間取ってしまった。しかも池田壽夫は、当時のプロレタリア文学運動家としては珍しく沢山の映画論を書いている。ところが困ったことに、サイレント映画からトーキー映画に変わった時代の映画雑誌や映画論を揃えている図書館はごく少ない。
 それやこれやで、このブログを書く時間的な余裕がなかったのだが、北大や藤女子大に足を運んだり、用事で東京に出た時は、時間を作って東大図書館に寄ったりして、漸く論文探しの峠が見えてきた。ほっと一安心。気になっていた、もう一つの仕事にもどることができたわけだが、今回は雨が上がって、中断していた試合を再開。マウンドに立って、プレーボールの声がかかるまで何球か投げてみる。そんな調子で書いていきたい。
 
○語るに落ちた寺嶋弘道被告のホンネ
 さて、亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)で、次のように書いた。
《引用》

第1、原告が被告から受けた被害
(1)平成18年4月7日(金曜日)
(a)被害の事実
 原告は被告の前の勤務先が道立近代美術館だったことを知り、「近々道立近代美術館へ行って、木田金次郎の作品を見せてもらい、学芸員の話を聞かせてもらいたいと思っているところです」と予定を語った。すると被告は突然、「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と言いつのった。
 原告は平成18年度の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」(期間・平成19年2月17日~3月18日)の主担当であり、木田金次郎は企画展で取り上げる主要な作家・画家の一人だった。それゆえ原告は、3月18日から道立近代美術館のK学芸員としばしばコンタクトを取り、4月5日には、ほぼ面会する日時も決まっていた。 
 また原告は、木田金次郎の展示に関する大まかな構想を、すでに「2006年度展示原案(コンセプト稿)人生を奏でる二組のデュオ」(2005年6月16日 前学芸課長に提出 甲25号証)という文書にまとめてあり、その文書を被告に、「実は、この内容に関することでK学芸員にお話を伺うことになっています。このように、構想もすでに立っています」と見せようとした。ところが被告は手にも取らずに、「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」と嘲笑的な口調で言い、無関心な態度を示した。
 なお、念のために付記すれば、以上のことは、4月4日(火)に被告が駐在道職員として道立文学館に着任した、その4日目の事柄である
(1~2p。太字は引用者)

 寺嶋弘道被告はこれに対して、したがって被告には『二組のデュオ展』の進行を阻害する意図などあり得るはずもなく」云々(「準備書面(2)」2p)と反論していたが、「問うに答えず、語るに落ちる」とはこのことだろう。なぜなら亀井志乃は、「平成18年4月7日(金)」に関する箇所で、「二組のデュオ展」の進行を阻害されたという意味のことは一言も言っていないからである。にもかかわらず、寺嶋弘道被告はあのように反論した。ついホンネがぽろっと出てしまったのだろう。
 なるほど彼が言うような視点で整理してみると、彼が道立文学館に着任して早々の4月7日から、翌年の1月末まで、亀井志乃の出張にクレームをつけたり、「二組のデュオ展」の予算を削ろうとしたり、何のことわりもなく「イーゴリ展」を割り込ませて、「二組のデュオ展」の準備を妨害するなど、ほぼ10ヶ月間、実に根気よく亀井志乃の仕事に干渉を続けた。その
「意図」がはっきりと浮かんで来るのである。

○「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」に対する注目
 ただし、今回私がこの箇所を引用したのは、
いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話に注意を促すためであった。
 この言葉が、「んでないかい」と同様な意味合いで発せられたことは、既に明らかだろう。
 寺嶋弘道被告はこの点に関して、次のように反論している。
《引用》
 
近代美術館のK学芸員は被告の前職場での直属の部下であり、被告は文学館への転勤以前の3月、同学芸員から原告の意向について報告を受けていたため、この4月7日の原告の申し出は初めて聞く話題ではなかった。K学芸員から被告への報告内容は、原告からK学芸員宛ての書簡の内容が散漫としていて調査事項が不明瞭であり困惑しているとの相談であったため、被告はK学芸員に対し、先方に対して具体的な調査内容を問い合わせ意向にそって対処するよう指導していたものである(中略)
 
また、「いいじゃない、やりなさい」と積極的に肯定した被告の発言を「いいじゃん、やれば」と否定的に用語転換し、「嘲笑的」「無関心な態度」だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である(1~2P)

 「用語転換し」とは不思議な言い方だが、多分「ニュアンスを変えてしまい」というほどの意味なのであろう。
 そもそも同じ職場で連携協働することになったばかりの人間に対して、「いいじゃない、やりなさい」という口を利くこと自体、思い上がりもはなはだしい。どうにもならない無神経さであるが、それは差し措くとしても、もし本当に寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の企画を理解し、積極的、肯定的に評価していたならば、
いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」などと言うはずがない。「いい企画ですね、ぜひ実現して下さい。私は今まで道立近代美術館で仕事してきましたし、K学芸員とも親しくしてますから、私からもKさんに連絡して、出来るだけ協力してもらえるように依頼しておきましょう」という言い方になったはずである。
 ところが寺嶋弘道学芸主幹はこの件にかぎらず、1年間を通して、ただの一度も亀井志乃に協力的な態度を取ることがなかった。寺嶋弘道被告自身、その「準備書面」や「陳述書」の中で、「自分は亀井志乃の事実上の上司だった」「上司として指導したのだ」という意味のことを繰り返すだけで、「自分はこれこれの形で亀井志乃の業務に協力してきた」と証明できる事柄は、ただの一度も挙げることが出来なかったのである。

○道理にかなった田口紀子裁判長の尋問
 田口紀子裁判長もその点は疑問に感じたらしく、10月31日の本人尋問では、寺嶋弘道被告と次のような質疑と応答を交わしている。
《引用》

田口紀子裁判長:ちょっと話変わります。先ほど、原告の準備書面、日付を追って聞かれて(書かれて?)おりましたので、そのことに関してちょっと伺いますけれど、まず、18年4月7日の事実として、いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ、ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよ、そんな時間はないんだというようなことは、言ったということでよろしいんですね
寺嶋弘道被告はい
田口紀子裁判長:それで、先ほどの話ですと、K学芸員からこの話については事前にちょっと聞かされていたということでしたね。
寺嶋弘道被告:はい
田口紀子裁判長:Kさんの話だと、調査内容がはっきりしないんですという話だったということですね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:そうであれば、原告に対して、聞いた話だと、何か調査内容がよく分かってなかったみたいだから、だから、この点についてこういうふうにしたほうがいいよとか、そういう言い方をすればよかったんじゃないんですか。
寺嶋弘道被告:……………ええ、そのとおりだと思います。
田口紀子裁判長:ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよって言ったって、抽象的で全然分からないですよね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:原告としても、どうしたらいいかこれだけでは分からないということになるんじゃないですか。
寺嶋弘道被告:ですので、だらだら話をしてもというその次の話、次の段階で、調査項目をまとめてというのを伝えたほうがよかったと、今になって思います。
田口紀子裁判長これは、4月7日で、着任してもう早々の話ですね
寺嶋弘道被告(うなずく)
田口紀子裁判長その段階でそのような話し方をして、人間関係が壊れたというようなことはありませんか。
寺嶋弘道被告:そのようには思っていません
(被告調書26~27p。下線は引用者)

 この時の田口紀子裁判長の質問は至極道理にかなった質問であり、それに対する寺嶋弘道被告の返事から判断するに、もともと彼には亀井志乃の企画を理解したり、「積極的に肯定」したりする意図などなかった。そもそも寺嶋弘道被告は、良好な人間関係を作り、それを維持して行こうという気持ちなど、初めから持っていなかった。そう言えるだろう。

○亀井志乃の道理にかなった反論
 また、亀井志乃自身も、田口紀子裁判長による寺嶋弘道被告の尋問に先立つこと5ヶ月以上も前に、「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)の中で、次のように反論していた。 
《引用》

(2)同第2段
 被告と道立近代美術館のK学芸員とが如何なる関係にあったかは、本訴訟の争点に直接かかわらない故、原告の関知するところではない。ただ、被告に対するK学芸員の「相談」が被告の原告に対する態度に何らかの影響を与えたと主張するのであるならば、
① 原告がK学芸員の送った手紙を証拠物として提出し、原告の手紙の如何なる部分が
「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」であったかを証明しなければならない。
② 被告がK学芸員から相談を受けた日時、場所を可能なかぎり明示しなければならない。
 もし以上のことができないならば、被告側「準備書面(2)」におけるこの個所の記述は、要するに被告がK学芸員の言葉によってある種の予断を触発され、偏見をもって原告に対した事実を露呈したことにしかならない。それだけでなく、被告は、原告に対する自分の態度の責任を、K学芸員に押しつけたことになる。
 被告は
「したがって、近代美術館への原告の訪問調査を否定するいかなる理由も被告にはなく、むしろ調査が適切に遂行されるように指導する立場であった。」と言うが、原告は「被告が原告の訪問調査を否定した」という意味のことは書いていない。被告の誤読である。(中略)
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告は、
この時の被告の発言は、原告が同館を訪れ指導を受ける場合には、事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておくことが適切である旨を告げたものであって、被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である。」と言うが、もし本当に被告が、前段で言うごとく、K学芸員から被告の手紙の内容を聞いていたならば、このような記述はありえない。なぜなら、原告がK学芸員の送った手紙はまさに「事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておく」内容のものだったからである(甲38号証)。その点でこの段と前段との記述は整合せず、被告の記述自体の信憑性が疑われる(9~10P)

 それに対する寺嶋弘道被告の対応は、被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)というものであった。

○「いいじゃん、やれば」のストラテジィ
 そのような次第で、寺嶋弘道被告は自分を良識人として印象づけるために、わざわざ「いいじゃない、やりなさい」と書き換えてみせたのだろうが、前後の文脈に照らしてそんな書き換えは成り立たない。そのことは既に明らかだろう。
 それ故、ここでは、寺嶋弘道学芸主幹の
「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話を中心に考察を進めることにするが、ホッジとクレスが指摘するように、疑問形(または反問形)の発話は、――特に否定(打消し)の言葉を区踏む疑問形(または反語形)の発話の意味作用は――文脈とイントネーションに大きく作用される。しかも、「いいじゃん」の「じゃん」は、「(いい)ではないか」→「(いい)じゃないか」→「(いい)じゃん」と語形変化したものではあるが、現在では「反発」と「促し」という相反する意味を持つ、両義的な終助詞として使われることが多い。
 例えば「いいじゃん」と「いい」にアクセントを置く形が、発話者自身の行為に関して用いられる場合は、「自分がそのようにしても特に不都合は生じないはずだ、放っておいてくれ(干渉しないでくれ)」という反発の意味が生まれる。だが、若い娘が「いいじゃん、いいじゃん!」と力を込めて言う場合には、「それっていいね、やろうよ」という促し、誘いの意味が生まれる。
 
 寺嶋弘道学芸主幹の「いいじゃん、いいじゃん」は、一見若い娘たちの「いいじゃん、いいじゃん!」に似ている。だが、それに続く言葉は「それっていいね、やろうよ」ではなくて、「やれば。やんなさい」だった。つまり、彼が言った「いいじゃん、いいじゃん、やれば」は、「(おまえさんが)やれば、いいじゃん」の倒置法であり、「(おまえさんが)勝手にやればよい、自分は関係ないよ」と無関係を強調する、突き放した意味となる。
 彼の発話はこのように、「やれば、いいじゃん」の倒置法であり、
いいじゃない、やりなさい」と書き換えることはできないのである。
 
 その上この発話には、「やんなさい」と、全くとりつく島もないようなニュアンスの、命令言葉が続いていた。相手から「やば。やんない」と言われて、「ああ、相手は賛成してくれたんだな」とは受け取る人は、まずいないだろう。この言い方は、語彙のレベルでは賛成していると見せかけながら、ニュアンス的にはむしろ相手がそうすることを咎め、やらせまいとする。そういうダブルバインドの働きを持ち、どうしたらよいか分からない心理的な状況に相手を追い詰める効果を狙った言い方なのである。
 
○言葉のダブルバインド
 寺嶋弘道という人物の得意技は、言葉のダブルバインドをかけることであるらしい。4月7日には先のようなことがあり、5月2日には、ケータイフォトコンテストの話を持ち出した。
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、『私はそういうことが出来る立場では…』と言いかけた。/ところが、その途端、(寺嶋弘道)被告が原告の言葉を遮り、『そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!』 と問い詰めはじめた(亀井志乃、3月5日付「準備書面」4p)。
 
 もしこれが私だったら、「人の話を遮っておきながら、『最後までちゃんと言ってみなさい』とは、一体お前さんは何様のつもりなんだ」と怒鳴り返すところだろう。
 だが、亀井志乃はそのように感情的にはならず、平原一良学芸副館長に、雇用者の立場で説明してくれるように依頼した。しかし、前回の引用で分かるように、平原学芸副館長は言葉の言い換えに終始するだけだった。

○平成18年10月28日の場合
 だがそれはそれとして、前回私は、亀井志乃の5月2日の記述に関して、田口紀子裁判長が肝心な箇所を削除してしまったこと、及び、5月2日の話し合いはケータイフォトコンテストとその企画書に関する話に終始し、亀井志乃が自分で写真を撮りに行く話は一切なかったこと、この2点を確認しておいた。

 そのことを改めてことわった上で、次に、亀井志乃の平成18年10月28日に関する記述を引用しよう。
《引用》
 
(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した
(23~24p。下線は引用者)

 この表現についても、私は前回、田口紀子裁判長がどのような書き換えをやり、どの箇所を削除してしまったかを指摘しておいた。書き換えについては前回の引用を参照してもらうことにして、今回は、「しかし、5月2日の話題」以後の下線を引いた部分、つまり田口紀子裁判長が削除してしまった部分に注目してもらいたい。
 寺嶋弘道学芸主幹が
「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言い、それを聞いて亀井志乃が、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと考え、分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。亀井志乃のこの対応は至極当然な行為であろう。
 ところが、寺嶋弘道学芸主幹は、
なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言って、亀井志乃の行動を阻んでしまったのである。

 改めて彼の発話を並べてみよう。
イ、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」
ロ、「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」
 つまりこの時も彼は、亀井志乃にダブルバインドをかけ、対応不可能な状況に追い詰めようとしていたのである。

 それをもう少し細かく検討するならば、イの発話は、「理事長も館長もあんたが文学碑の写真を撮りに行ってくるものと思っている。だが、あんたは文学碑の写真を撮りに行っていない。あんたはその責任をどう取るつもりか」という疑問形になるだろう。見方を変えれば、寺嶋弘道学芸主幹は、この疑問形の裏側に、「どのような経緯で、理事長や館長は亀井志乃が文学碑の写真を撮ってくると思うことになったのか」、あるいは「一体誰が、理事長や館長にそこことを伝えたのか」という、行為者の問題を隠してしまったのである。
 当然のことながら、亀井志乃は自分の仕事に関する理事長や館長の誤解を正そうとしたわけだが、彼は「理事長や館長に説明をする人間は別にいる。なぜあんたが直接理事長や館長に会って説明しなければならないのか」という疑問形によって、亀井志乃の行動を阻止した。この疑問形の裏側に隠されているのは、「理事長や館長に直接説明できる資格を持つのは自分であって、あんたはその資格も持たないし、説明する理由もないはずだ」という、差別的な階層意識であろう。彼はこの差別意識によって、亀井志乃の説明資格と、自己の名誉を守る権利とを否定したのである。
 その点を押さえて、亀井志乃は、
被告は、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した。これは、自分の行動の正当性を主張しようとする原告の権利を侵害して、憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である(3月5日付「準備書面」25p)と、寺嶋弘道被告の違法性を告発したのだった。

○田口紀子裁判長の奇妙な理屈
 ところが、以上の問題に関する田口紀子裁判長の法的な判断は以下のようなものであった。
《引用》

(サ)原告は、平成18年10月28日、被告が、閲覧室という不特定多数の来館者に開かれた空間で、原告がサボタージュを行っていると決めつけて、原告の業務遂行態度を非難し、原告が定められた業務に手抜きをするいい加減な人間であるかのような印象を与えて、原告の名誉を毀損し、社会的信用を失わせた旨、また、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した旨主張する。閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが、被告の言動の内容が、原告の社会的評価を低下させ、名誉・信用を毀損したものとまでは認められない。また、被告の発言の仕方が、原告に不快感を与えたとしても、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできはい。
(中略。この箇所は10月28日の午後の出来事に関する訴えの判決であるため、引用者注
 なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない
(22~23p。太字は引用者)
 
 またしても
「上司としての許容限度を逸脱する様態のものとまで認めることはできない」の一点張りであるが、田口紀子裁判長の「上司」概念がいかにインチキであるか、これまでも繰り返し指摘してきた。今回も後にもう一度取り上げるつもりであるが、私はこの下りを読んで田口紀子裁判長の想像力と理解力に深刻な疑問を抱いた。
 田口紀子裁判長は亀井志乃があれだけ証拠を揃えて事実を証明し、寺嶋弘道被告の違法性や虚偽を指摘したにもかかわらず、それらを無視、黙殺しておきながら、ここでは
「閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが」などと、証拠を求めている。いや、証拠を求める振りをしていた、と言うべきだろう。
 一体田口紀子裁判長は、閲覧室内の状況について、どんな証拠が必要だと考えているのか。閲覧室とは、不特定多数の市民が自由に入って来て、閲覧室に備えている図書類を自由に閲覧し、必要があれば、閲覧室に勤務している職員に頼んで、書庫内の図書資料を持ってきてもらい、閲覧をしていく、そういう開かれた空間である。それ以外に、どんな室内状況の証拠が必要なのか。
 閲覧室に勤務する職員は、そういう人たちの問い合わせや依頼に直ちに応じることができる位置で作業をしている。その意味では、衆目に晒される位置にいるわけだが、その職員に向かって、別な職員が「文学碑の仕事はどうなっているの。」「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と問い詰め、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」という意味の指摘を始める。事情を知らない閲覧者は当然、閲覧室勤務の職員に手落ちがあり、それを今咎められているのだ、と受け取るだろう。そういう誤解を招きやすい言いがかりをつけること。それは閲覧室勤務についていいた職員の尊厳を傷つける、名誉毀損の行為以外ではありえない。そのどこに「許容範囲」などというものがあり得るのか。
 
 札幌地方裁判所に、市民に開かれた閲覧室や資料室があるかどうか、私は知らない。ただし、一回のロビーに続く廊下に案内の席があり、廊下を挟んでエレベーターの出入り口と向かい合っている。たまたま田口紀子裁判官がそういう場で、市民から質問を受けている時、別な職員がやってきて、寺嶋弘道被告が亀井志乃に言い募ったような言葉を吐きかけたらどうなるか。10月28日の出来事は、そういうふうに想像的理解を働かせるべき事柄なのである。

○田口紀子裁判長の奇怪なレトリック
 ただし、私が田口紀子裁判長の想像力と理解力に疑問を抱いたのは、その箇所だけについてではない。
なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない。」という下りを読んで、私は更に深刻な疑問に囚われてしまった。
 
 亀井志乃は神谷忠孝理事長には文書を郵送したが、毛利館長以下の幹部職員には直接手渡しており、「送って」はいない。その程度のことは、亀井志乃の文章を流し読みしただけでも分かるはずである。しかも呆れたことに、田口紀子裁判長の理解によれば、〈亀井志乃は理事長や館長に文書を送り、寺嶋弘道被告の言動の不当性を訴えた。だから、自分の名誉を守ろうとする行動を寺嶋弘道被告から阻止されたことにはならない〉のだそうである。
 どういう理解力からこんな結論が出て来るのであろうか。
 
 いや、その前に、田口紀子裁判長のこの判決文が、いかに姑息な責任逃れの言い回しでしかないかを証明しておこう。
 まず田口紀子裁判長は、「寺嶋弘道学芸主幹が原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」と、行為者(寺嶋弘道)を明示する行為文で書くべきところを、
原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止された」と受身形で書き、判決文の表層構造から行為者を消し去ってしまった。(これまでの数多い引用文から分かるように、亀井志乃自身は、基本的には、行為者を明示する行為文によって記述している。)
 次に田口紀子裁判長は
「……阻止されたとも認めらない」と書いているが、この「れ(終止形は「る」)」という助動詞を可能の意味で使ったのか、受け身の意味で使ったのか、曖昧にぼかしてしまった。田口紀子裁判長はそれ以外の箇所で、しばしば「認めることはできない」と書いており、この場合の「認める/認めることできない」という判断の行為者は田口紀子裁判官自身であろう。田口紀子裁判長はほぼ一貫して自分が判断行為の主体であることを判決文の表層構造から消してしまっている。が、判断行為の主体を明示する行為文に書き直すならば、「なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている。この事実から自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」となる。
 
 このように整理してみれば分かるように、この文の前段(「後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている」)の事実は、後段(「自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」)という結論の前提とはなりえないし、条件ともなりえない。
 むしろ事実の時間的な前後関係に基づいて整理するならば、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実(前提、条件)があったからこそ、「原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えざるを得なかったのだ」となるはずである。
 
 田口紀子裁判長の判決文には、そのような逃げ腰のレトリックが認められるが、要するに田口紀子裁判長は、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実があり、「(それ故)原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えた」という事実関係の認識を回避したかったのであろう。
 しかし、もし田口紀子裁判長の理屈が通るならば、「なお、後日、原告は民事裁判を起こし、被告の原告に対する人格権侵害を訴えていることからしても、原告の人格権が侵されたとも認められない」という理屈も成り立つことになる。誰の目から見ても、これが逆立ちした屁理屈でしかないことは明らかだろう。日本の裁判ではこういう倒錯した屁理屈がまかり通っているのである。

○田口紀子裁判長の出鱈目な判決文
 そういう裁判官が書いた判決文だ。今回の初めに紹介された「平成18年4月7日」について、どんな判断が下されたか。是非読んでみたい。そういう関心をかき立てられた人もいるかもしれない。その人たちのために紹介しておこう。
《引用》
 
原告は、被告が、原告が業務遂行のため道立近代美術館を訪れる行動を、ただ道立近代美術館の学芸員を煩わせ、迷惑をかけるだけの行動であるかのように貶める言い方で評価し、また、原告の構想に対して関心を持つに値しないもののごとく侮蔑的な態度であしらった旨主張するが、被告の言動は、客観的には、被告が、原告の上司として業務指導の一環として行われたものと認められるし、そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告を侮辱する意図のもとに行われた、許容限度を超えた違法な言動とまで認めることはできない(17P。太字は引用者)

 田口紀子裁判長はこのような場合、「客観的」という言葉を使うべきではない。田口紀子裁判長はこの箇所に関するかぎり、「客観的」という言葉を使う資格も権利も持っていない。
 10月31日の本人尋問であれほど筋の通った尋問を行っていた田口紀子裁判長が、それからおよそ4ヶ月後、このようにクロをシロと言いくるめるような、出鱈目な判決文を書いている。その間、一体何があったのか。

○田口紀子裁判長の明白な虚偽
 既に何回も指摘したことだが、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を理由に、寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司であったと断定した。亀井志乃はこの文書は手続き的にも内容的にも問題があり、寺嶋被告が亀井志乃に上司だったとする根拠にはならないと主張したが、田口紀子裁判長は亀井志乃の主張を退ける理由も示すことさえせずに、彼女の主張を無視してしまった。しかも、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)には記載されていないことを、自分で虚構し、自分の虚構に基づいて寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司だったと断定してしまったのである。
 だが、今はその問題を、一まず脇に置いておこう。
 寺嶋弘道被告の「陳述書」によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)は、平成18年4月18日に、彼の財団法人北海道文学館の幹部職員が協議をして作ったものだった。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告は
「それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけど、それまで、………20日近く、そのことを………議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました。(被告調書34p)と、物理的に不可能なこと言い、亀井志乃はその点を「最終準備書面」で指摘したが、田口紀子裁判長はこれもまた、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と無視してしまった。だが、その点もまた、一まず脇に置いておこう。
 とにかく寺嶋弘道被告の言い分によれば、運用上彼が亀井志乃の上司となったのは、4月18日に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を職員に配布した時からであり、――被告側が提出した平成18年4月18日付「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)で分かるように、乙2号証は当日の議題でもなければ連絡事項でもなかった。ただ職員に配布されたにすぎない。――田口紀子裁判長もその言い分に従っている。そうであるならば、4月7日の時点で寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の上司だったことは、「客観的には」ありえない。田口紀子裁判長の判決は、その点については全く虚偽なのである。
 4月7日の時点における寺嶋弘道学芸主幹との亀井志乃との関係は、「客観的には」、連携協働して文学館の業務に当たる道職員と財団嘱託職員の関係以外ではなかった。田口紀子裁判長の判断は、「客観的に」見て、明らかに矛盾し、間違っているのである。
 
 その判決文から判断するに、田口紀子裁判長は、自分の判断には致命的な矛盾があることに気がつかなかったらしい。もし気がついていたならば、相矛盾する二つの事柄の一方が虚偽であるか、あるいは二つとも虚偽であることに思い当たったはずである。
 その点で私は、田口紀子裁判官の論理能力と文章能力にも深刻な疑問を抱かざるをえない。

 それとも、田口紀子裁判長は自分の矛盾に気がついていた。気がついてはいたが、しかし亀井志乃が抗告をした場合には、同僚の裁判官から「田口裁判官に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と押し切ってもらうつもりだったのだろうか。
 

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判決とテロル(8)

深層構造論の視点で(その1)

○予備的な考察(1)
 あるデモ行進の取材に出掛けたレポーターが、実際に見聞した出来事について、「デモ隊が警官隊と対峙した」と書くことは十分にあり得るだろう。だが、「警官隊がデモ隊と対峙した」と書くかもしれない。
 また、そのレポーターはデモ隊を暴徒と呼び、「暴徒が警官隊を襲った」と書くこともあれば、「警官隊が暴徒集団を襲った」と書く場合もある。そして、その結果については、「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」と見るかもしれないし、「暴徒が四散する(riot disperses)」と見るかもしれない。

 ロバート・ホッジとガンサー・クレスの2人は、共著『イデオロギーとしての言語』(Robert Hodge and Gunther Kress, “Language as Ideology.” Second Edition, 1993)という独創的な言語研究の中で、以上のような例を挙げて、次のようなことを指摘した。
《敷衍的要旨》
 このように、同じ事件に遭遇した新聞記者たちの誰もが、同じ言葉を選ぶとは限らない。また、その事件の行為主体の――デモ隊、または警官隊――どちらを主語に選んで記述するかについても、決して一定はしていない。ただ、先ほどの例で分かるように、言葉の選び方や、主語の選び方によって、それぞれの記者の事件に対する見方や評価が表出される。このことは明らかだろう。私たち新聞の読者は、どの新聞がどんな見方や評価をするか、おおよその傾向を知っている。そこで、事件に関する自分の推定を逆撫でしないだろう傾向の新聞を購入し、その報道を元に「実際に起こった現実」を議論したり、考察したりしているわけだ。

 この《敷衍的要旨》の前半は、私が前後の文脈から補った意見だが、ホッジとクレスの趣旨を失ってはいないと思う。
 ただ、少し困ったのは、ホッジとクレスの2人がdisperseという言葉を、”police disperse rioters”、”riot disperses”と、現在形の例文を使っていたことである。この言葉は英語では他動詞にも自動詞にも使うわけだが、日本語では「四散させる」、「四散する」と使い分ける。だから、実際の出来事に即した日本語としては、「警官隊が暴徒を追い払う」、「暴徒は追い払われる」とするほうが自然な言い方に聞こえるだろう。だが、そういうふうに訳してしまうと、ホッジとクレスの趣旨から外れてしまう。その理由は後ほど説明することとして、取りあえずは上記の例文を前提として考察を進めさせてもらいたい。

○言語表現とイデオロギー
 さて、以上の簡単な紹介からもある程度推測ができるように、私たちが現実の出来事を見、それを言葉に現すとき、何らかのイデオロギー的な意味づけを行っている。全くイデオロギー的な意味づけを行わず、中立的な立場で見、無色な透明な記述を行うことはできない。ホッジとクレスの2人はそう考えたのである。
 デモ隊の要求を正当な主張だと考える新聞社の記者は、「デモ隊の行進を警官隊が阻み、暴力的に追い散らした」という方向で書くだろう。その反対に、デモ隊の要求ばかりでなく、デモという行為自体も好ましくないと考える新聞社の記者は、「警官隊がデモ隊の行動を規制しようとしたが、デモ隊が規制に反する行動に出て、暴力を伴う衝突になったため、暴徒化したデモ隊を追い払った」という方向で書くだろう。
 いずれの場合も新聞社のイデオロギー的な立場は明瞭であり、それが記事に反映したわけだが、それでは、そのいずれにも属さず、いずれの立場からも中立的な距離を取りたいと考える新聞社があったとして、その中立的な立場を反映する書き方とはどのような書き方になるだろうか。
 
 いや、そんなことを問う以前に、まずホッジとクレスの例文の挙げ方そのものを問題にすべきだ。なぜなら、この2人はデモ隊を暴徒と呼ぶ例を挙げたが、警官隊を国家権力の暴力装置と呼ぶ例文を挙げなかった。そこにこそ、2人のイデオロギーが隠されていたと言うべきで、これが彼らの学問の中立性を損ねているかもしれない。そういう疑問も生まれてくるだろう。
 
○言説規則と言語表現の客観性
 こんなふうに考え始めると、そもそも中立、客観的な言語表現とは可能だろうかというやっかいな問題に突き当たってしまうわけだが、私個人の考えでは、全ての言説ジャンルに通ずる中立、客観的な言語表現はありえない。なぜなら、どのような言語表現も、その表現を行う人の対象的な認識の現れであり、それと共に、その人の生活意識を反映してしまうからである。
 ただしこのことは、決して〈だから中立、客観的な言語表現など不可能だ〉というペシミズムを意味するわけではない。どのような言説ジャンルにも、その言説ジャンルに参加する人たちが習得し、共有する言説規則がある。その言説規則に従うかぎり、お互いに中立的で客観的な表現だと了解することが可能な、そういう表現態というものがある。その言説規則がどこまで開かれたものであるか、その言説ジャンルの参加者によって言説規則の妥当性がどこまでラジカルに自覚され、実践されているか。そのことによって、言語表現の中立性や客観性の質が決まってくるのである。
 
○見せかけの中立性
 裁判という言説ジャンル、法廷という言説空間における発話もその例外ではない。
 亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で次のように書いた。これまでの引用から分かるように、下線を引いた箇所は田口紀子裁判長が「判決文」から削除した部分であり、( )内の青い文字の文章は田口紀子裁判長が書き換えた表現である。
《引用》

(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、
被告は、平成18年10月28日、閲覧室で業務を行っていた原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの。」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、データの更新を行っていなかったことから、原告は、「いいえ、特に何もやっていませんでした。」と答えると、)被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てたと言い、)更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた(等と言った)
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した。(23~24p。太字は引用者)

 田口紀子裁判長は「しかし、5月2日の」以降を全て削除してしまった。このことにも重要な問題が含まれているのであるが、その点はいずれ取り上げることとして、ここでは下線を引いた太字の箇所に注目してもらいたい。
 亀井志乃は、寺嶋弘道被告が原告(亀井志乃)を
「急き立てた」「二点を挙げて、……責めた」と書いたわけだが、田口紀子裁判長はいずれも「言った」と書き換えている。田口紀子裁判長としては、亀井志乃の書き方は感情的であり、それを取り除いた形で、事態を客観的に記述し直すつもりだったのであろう。

○亀井志乃の表現が尊重されるべき理由
 ちなみに私は、亀井志乃の文章を基盤としてこのブログを書き進めてきた。要するにそれは、ただ一方的に亀井志乃の言い分を押しつけているだけではないか。そういう疑問を覚えた人もいるらしい。ずっと以前だが、そういう口ぶりの書き込みをした人がいる。
 だが、事情は決してそうではない。
 亀井志乃の3月5日付の「準備書面」に対して、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)を提出し
「『いいじゃない、やりなさい』と積極的に肯定した被告の発言を『いいじゃん、やれば』と否定的に用語転換し、『嘲笑的』『無関心な態度』だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である。」2p)とか「被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。」2P)とかと、反論をしてきた。
 それに対して亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)で物的な証拠を挙げ、また状況証拠となりうるだけの記述態度によって事情説明をして、〈それでもまだ被告の言い分が正しいと主張したいならば、それを裏づける証拠を提出し、状況説明をすべきだ〉という意味の反論をした。
 ところが、それに対する被告の対応は、――繰り返し引用することになるが
――「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということだった。
 寺嶋弘道被告としては〈反論はしないが、それは必ずしも原告の言い分を認めたことを意味しない〉と言いたいところかもしれない。だが、反論を放棄した事実は残る。
 田口紀子裁判長はこの事実を尊重すべきであり、亀井志乃の表現に手を加えてはならなかったのである。

○裁判官の中立的、客観的な態度に反した田口紀子裁判長
 それに、もし田口紀子裁判長も亀井志乃の記述に疑問を感じたならば、10月31日の本人尋問や、その他の機会に確かめることができたはずである。だが、田口紀子裁判長はそうしなかった。10月31日に本人尋問があり、亀井志乃が「最終準備書面」を12月12日に提出してから、田口紀子裁判長が今年の2月27日に判決を下すまで、2ヶ月半近くの時間があった。田口紀子裁判長には亀井志乃の主張を検討する時間的な余裕が十分にあったわけで、もし亀井志乃の主張に矛盾や間違い、虚偽を見出したらなら、それを判決文で指摘できたはずである。だが、判決文にそのような指摘は1箇所もなかった。
 
 以上の意味で、亀井志乃が裁判で提出した文章は寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士、及び田口紀子裁判長の検証を経たものであり、当事者によって承認された客観的な文章と見て差し支えない。
 別な言い方をすれば、田口紀子裁判長は、亀井志乃の主張について、その表現の細部まで尊重し、これを勝手に改変してはならない。それが裁判における裁判官の中立的、客観的な態度なのである。
 
 他方、亀井志乃は寺嶋弘道被告の「準備書面」と「陳述書」及び10月31日の証言、さらには平原一良の「陳述書」について、その虚偽を何点も指摘しておいた。ところが田口紀子裁判長は、何の根拠も示さずに、
被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。(25p)の一点張りで、亀井志乃の指摘を無効にしてしまった。これはとうてい中立的、客観的な裁判官の態度と言い得ないだろう。
 
○田口紀子裁判長の作為
 分かるように、田口紀子裁判長が亀井志乃の
「急き立てた」「言った」と書き換え、二点を挙げて、……責めた」「言った」と書き換えたこと自体が、裁判官としての中立、客観を犯す行為だったわけだが、実は、この書き換えは、もっと手の込んだ作為に基づいていたのである。
 10月28日に寺嶋弘道被告と亀井志乃との間で争われた、5月2日の出来事にもどってみよう。
《引用》
 
(2)平成18年5月2日(火曜日)
(a)被害の事実(甲13号証を参照のこと)
 原告は平成17年度、平原一良学芸副館長(当時、のち副館長)の依頼で、北海道の文学碑に関するデータベースを作った。平成18年4月7日
(1)の事柄があった直前、原告は被告に文学碑データ検索機を見せたが、その時被告は「ケータイ(携帯端末機)で一般の人たちに写真を撮ってもらい、いい写真をえらんで、検索機にのせますからどんどん募集して下さいと言って、画像を集めればよい」、「そうすれば、館の人間がわざわざ写真を撮りに行かなくとも、画像は向こうから集まってくる」というアイデアを口にした(という提案をした)。 
 それから
約1ヶ月後の5月2日(火曜日)、原告は被告から「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」と声をかけられ、館長室で、学芸副館長を交え、三人で話し合った。被告が持ち出した話は(の話しは「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい。原告が企画書を書き、中心となって、その仕事を進めて欲しい」という内容で、写真の集め方は明らかにケータイ・フォトコンテストを前提にしていた。
 しかし、そのデータベースは市販のパソコンソフトを利用したものではなく、業者に発注してプログラミングしてもらったものであり、使用画像の大きさ・画素数や、データ1件の画像数を1枚とする等のフォーマットが、あらかじめ決まっていた。

 
フォトコンテストを行なうとすれば、まだ画像のない文学碑のフォトだけでなく、むしろ人気の高い文学碑のフォトがたくさん集まる可能性が高い。また、携帯端末機に付随する写真機の性能によっては、画像の画素数もまちまちとなる。それらの応募画像を検索機に載せることになれば、再び業者にフォーマットを作り変えてもらわなければならず、少なからぬ経費が必要となる。また、コンテスト自体、おそらく文学館にとって大きなイベントとなり、予算をつけなければならない(つけなければならないことになると考え、(以上、この段落の内容については甲14号証を参照のこと)
 
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり(疑問を持ったことから念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、「私はそういうことが出来る立場では…」と言いかけた。
 
ところが、その途端、被告が原告の言葉を遮り、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と問い詰めはじめた(と言った)原告は、自分の立場は嘱託職員であることを説明した。だが被告は、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と主張をした。
 
原告は学芸副館長に、原告の立場を被告に説明してくれるように頼んだ。学芸副館長は「前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担をしようということになった」と言った。しかし原告は、前年度の3月に、安藤副館長から、従来通りの嘱託員に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われ、それ以後誰からも、原告の身分が変わったと伝えられたことはなかった。学芸副館長がいう「スタッフ」という役職名は財団法人北海道文学館の規程のどこにも見られない。その意味で、学芸副館長の説明は嘱託職員の実態を適切に説明したものとは言えなかった。
 
原告は嘱託職員の立場を、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」立場と理解していた。そのため、改めてその立場を確認しながら、「原告の立場で(前年度から文学碑データベースの作成を請け負ってきたものとして)意見を言えばいいのか」と聞いた。だが、学芸副館長と被告は、「意見」ではなく、「アイデア」を出してほしいと言い、「アイデア」だけでなく「プラン」も立ててほしいと言った。しかし結局、副館長と被告の主張は、概念規定も曖昧なまま「テーブルプラン」「アイデアのコンテンツ」など言葉の言い換えに終始し、何をどこまで原告にしてもらいたいのか曖昧なまま、話し合いは終わった。35p。下線、太字は引用者)

 田口紀子裁判長は又しても大事な箇所を大幅に削除してしまったが、さし当たりここでは、〈平原一良学芸副館長と寺嶋弘道学芸主幹はひたすら言葉を言い換えるだけで、事態を詰めて考えることから逃げていた〉ことを指摘し、〈亀井志乃が文学碑の写真を撮って来る話は一切出ていなかった〉ことを確認するに止めたい。
 
 むしろ私が注意を促したいのは、亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』という
アイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えたことである。
 「アイデアを口にした」ことを「提案をした」と書き換えることは、事態の客観性を高めることにはならないし、裁判官の中立性を保証することにもならない。その意味では全く無意味な差し出口でしかなかったが、なぜ田口紀子裁判長はこのように余計な書き換えをしたのであろうか。

○田口紀子裁判長が気づくべきだったこと
 唯一考えられる理由は、〈寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃にフォトコンテストを「提案」したのであって、10月28日の閲覧室における会話も、亀井志乃に仕事の進捗状況を確かめただけであり、決して「急き立てたり」、「責めたり」はしなかった〉。田口紀子裁判長は、そういう紳士的な常識人に、寺嶋弘道被告を仕立てたかったのであろう。
 これまで私が指摘してきた、田口紀子裁判長のリライトの傾向から判断して、田口紀子裁判長は一貫して寺嶋弘道被告から紳士的な良識人の印象を受けていたらしい。それはまあ「……も好きずき」と見るべきで、他人がとやかく言う筋合いではない。だが、これほど露骨に判決文に反映されると、果たして裁判官としてはいかがなものか。そういう疑問は禁じ得ない。

 そもそも寺嶋弘道学芸主幹は4月7日、提案などしなかった。もし提案だったならば、5月2日、亀井志乃に「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」などと声をかけるはずがない。「先日提案しておいたこと、どうなりましたか。そろそろ相談したいのですが」という意味の言葉をかけたはずである。その意味で、もし田口紀子裁判長が普通に「文脈」ということを心得ている裁判官ならば、当然「提案した」と書き換えた時に生じる矛盾に気がつくべきであった。

○虚偽に荷担した田口紀子裁判長
 それだけではない。寺嶋弘道被告は4月13日に、自分が中心になって「事務分掌」を取り決めたと主張し、亀井志乃がその主張の幾つかの点に関して疑問を提出してきたにもかかわらず、田口紀子裁判長は――その根拠を示さず、ただ一方的に――寺嶋弘道被告の主張を支持した。いま仮に寺嶋弘道被告の主張が正しいとするならば、なぜ彼は4月13日の打合せ会に先立って、あるいは4月13日の翌日、平原学芸副館長と一緒に亀井志乃と会った時、フォトコンテストに関する企画立案が平成18年度の亀井志乃の業務の一つであることを告げ、亀井志乃の了解を取らなかったのか。もしその手順を踏んでいれば、5月2日の話し合いはあのような展開にならなかったはずである。

 田口紀子裁判長が普通の注意力をもって原告と被告の主張を読み、証拠物を検討していれば、裁判長自身が「4月7日、寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えることは、4月13日に自分が中心となって決めたと寺嶋弘道被告の主張する「事務分掌」の内容や、5月2日の話し合いにおける寺嶋弘道学芸主幹の言動とは、決して整合しない。大きな齟齬があることに気がついたはずである。
 だが、田口紀子裁判長はそれを無視して
「(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。」(17p)と判決を下した。
 この判決文自体にも問題があるのだが、そもそもこのような判決に至るまでの間、田口紀子裁判長は意図的に亀井志乃の記述を歪めて、虚偽の記述を行い、あるいは寺嶋弘道被告の虚偽に荷担していた。
 田口紀子裁判長はこのようにして、みずから裁判官としての中立性と客観性を損ねてしまったのである。
 
○予備的な考察(2)
 ところで、今回の初めに紹介した言語表現に関する分析は、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの言語研究のごく初歩的な考察にすぎない。
 彼らの独創的な点は、ノーアム・チョムスキー(Noam Chomsky)の変形生成文法の理論を作り替えながら、一つの文を表層構造または表層形式(surface structure or surface form)と、深層構造(deep structure)とに別けて捉え、隠れたイデオロギー的機能を明らかにする方法を拓いたことにある。
 彼らはその方法を説明するために、まず「文」を大きく、「A 行為文(actionals)」と「B 定義文(relationals)」に別け、前者については更に「①処置文(transactive)」と「②非処置文(non-transactive)」に、そして後者については「④命題文(equative)」と「④特性文(attributive)」とに別けた。
 私のこのような訳語に疑問を感ずる人も多いと思うが、日本語としての分かりやすさを意図したものであり、その点は了解してもらいたい。改めて図表化すれば、次のようになるだろう。

A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
      ②非処置文 中島が走る
B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
      ④特性文  中島は早い

 つまり、①処置文とは、〈行為者(中島)がどんな対象(ボール)に対してどのような行為(打つ)をするか〉を述べる文であるが、②非処置文は行為者と行為のみを述べて、対象を伏せている。ただし、①と②の違いは、行為に関する動詞が他動詞であるか、自動詞であるかの違いではない。行為の対象が明示されているか否かの違いであって、中島が何を飲むかを明示せずに、「中島が飲む」と言えば、それは②に属するわけである。

 それに対して③と④の違いは特に説明の必要はないだろう。③は主語がいかなる存在であるかを述べた構文であり、④はその主語の属性を述べた文であって、その属性は形容詞で表される。

○表層構造と深層構造
 しかし、なぜそのような分類が必要なのか。
 いま仮にアナウンサーが「打球が高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」と実況放送したとしよう。この文の表層構造は、「打球」という行為者(主語)が、「上がる」「伸びず」「収まる」という行為をしたことになり、文型としてはA―②に属する。だが、実際は「中島が(ダルビッシュの投げた)球を打つ」「中島はバットの芯で球を捉えそこねた」「森本がフライを捕る」と、A―①の文型を3つ含んでいるわけで、深層構造における行為者は「中島」と「森本」となるはずである。
 同様なことは、最初に挙げた「暴徒が四散する(riot disperses)」という例文についても言える。これはA―②の形を取っているが、実際はA―①の「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」という行為の結果だとするならば、「暴徒が四散する((riot disperses)」の表現は、本当の行為者(警官隊)を文の表層構造から消去してしまい、深層構造の中に隠したことになるだろう。

 亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』というアイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ田口紀子裁判長が「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えた。これは上の事例とは逆の操作であって、亀井志乃はA―②の文型で書いたにもかかわらず、田口紀子裁判長はA―①に文型に書き換えた。そうすることによって、寺嶋弘道被告を良識的な学芸員に仕立て上げたわけだが、その裏の操作として、「(寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃を)急き立てた」「言った」と書き換え、「(寺嶋弘道主観は)二点を挙げて、……(亀井志乃を)責めた」「言った」と書き換えている。裁判官にはこういう恣意的な書き換えが許されている、と田口紀子裁判長は考えたらしいが、それは裁判官の思い上がりというものである。

○寺嶋弘道被告の深層
 そう言えば、寺嶋弘道被告は「陳述書」の中で、
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して(a)強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。/また、この『二組のデュオ展』では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず(b)後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。」5p。/は改行。下線は引用者)という言い方をしていた。
 (a)の場合、寺嶋弘道被告は「強い非難の声」を行為者(主語)として、A―②の構文を作ったわけだが、もちろん「強い非難の声」が勝手に「渦巻いてしまう」はずがない。彼はこの表層構造によって、「文学館の職員数人が亀井志乃の行動を非難していた」「自分はその声を聞いた」という〈事実〉をほのめかしながら、しかし具体的、明示的にそれを記述することを避けてしまった。
 また(b)の場合も、「亀井志乃は『道内美術館』とかいう施設に、作品図版カードなるものを持参しなかった」「『道内美術館』とかいう施設が亀井志乃の行動を批判した」「寺嶋弘道学芸主幹がその言葉を聞いた」「寺嶋弘道学芸主幹が『道内美術館』に電話をして、詫びた」という深層構造をほのめかしながら、しかし深層構造自体の出来事を具体的、明示的に記述することはできなかったのである。(これも前に紹介したことだが、寺嶋弘道被告は、亀井志乃から「道内美術館」はどこにあるのか、「作品図版カード」とは如何なるものなのか、と反論されて、答えることが出来なかった。
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。
 
○田口紀子裁判長の深層
 田口紀子裁判長もまた曖昧な言い方を得意としていた。以上の視点で、先ほど引用した文章を読み直してみよう。
《引用》
 
(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。17p)

 こういう言い回しに接した時、特に眉に唾を附けて読む必要があるのは、「……としても」という助詞の使い方であろう。一見これは仮定法のようにみえるが、しかし仮定法ではありえない。なぜなら、「たとえ……としても」という仮定法は、相手の論理の矛盾を指摘したり、隠された真実を明らかにする方法であるが、この文章の場合はそれとは異なり、事実に関する認識を導き出すための前提を挙げる形になっているからである。つまり、この場合の「……としても」は、「……であるが、しかし」の意味なのである。
 更にもう一つ、この文章が曖昧なのは、
その言い方が」という表層構造における主語に対して、その述語部分が不明瞭な点にある。「その言い方が、……原告に不快な印象を与え、……意図のもとに行われ、……許容限度をこえた」となるのか、それとも「その言い方が、……認められず、……認めることはできない。」となるのか。
 それを明らかにするためには、深層構造における行為者(主語)を明示して、次のように整理するほかはないだろう。

イ、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした。
ロ、田口紀子裁判官は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない。
ハ、田口紀子裁判長は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない。

 このように、ロやハに該当する表現を、A―①の形に整理して見るならば、その中には更に「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」というA―①の文章や、「寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法行為」というB―③の文章が含まれている。そのことが分かるだろう。
 事実に関する叙述のレベルで言えば、「寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした」「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」「寺嶋弘道被告の行為が許容限度を超えた違法行為」となる。
 それに対する判断のレベルは、「田口紀子裁判長は、……とまでは認めない」となるわけだが、田口紀子裁判長はその判決文の表層構造から、判断主体(行為者=田口紀子裁判長自身)を消し去り、深層構造のほうに追いやって、みずからの行為(判断)の責任を曖昧にしてしまう。それと併せて、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない」のか、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない」のか、その判断基準や判断の根拠を明示せず、曖昧に誤魔化してしまったのである。

○ホッジとクレスの理論の可能性
 以上の紹介だけでも、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの『イデオロギーとしての言語』の重要さが分かるだろう。その着想が拓いた可能性は、エドィン・ジェントラーの『翻訳理論の現在』(Edwin Gentzler, “Contemporary Translation Theories.” 1993)に見られるような、最近の英語圏における翻訳論とも連動している。先ほどの田口紀子裁判長の判決文を、そのまま直訳的に英文に逐語訳したらどんな文章になるか。とんでもなく意味不明な文章になってしまうはずで、適切な翻訳を得るためには、一たん深層構造に整理し直して、その上でしっかりと内容を伝える英文に直すほかはないのである。

 ただしこのやり方では、「打球は高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」という実況放送のような、生きた表現を失ってしまう。翻訳ではなくて、通訳の場合、ある程度内容伝達の正確さを犠牲にしてでも、A―②の構文に従うほかはないだろう。その場合には、通訳する人がどれだけ英語表現におけるA―②の言い回しに通じているか。それが大きな条件になる。

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