報道官と「大江健三郞氏ら識者」800名の事実無根ーーマルクスと三浦つとむと、吉本隆明(4)ー
報道官と「大江健三郞氏ら識者」800名の事実無根
マルクスと三浦つとむと、吉本隆明(4)
○意図的な言葉の誤用
先日(9月29日)、テレビで池上彰さんが尖閣諸島や竹島をめぐる国際問題の解説をしていた。池上さんの視点は、私が数年前、このブログ(「亀井秀雄のアングル」)の「日本の見え方」で書いたことと共通している。それだけに一そう興味深く見ていたのだが、池上さんが編輯した映像の中で、楊なにがしという、中華人民共和国の代表が、国連総会の場で、「日本が領土を盗んだ」という言い方をしていた。
また、これは別な場面、――たぶん記者会見の場面だったと思うが――中華人民共和国の外務省の報道官が、日本の尖閣諸島領有について、「敗戦国が戦勝国の領土を不法占拠している」という意味のことを言っていた。
北朝鮮といい、中華人民共和国といい、社会主義国家というのは、国際問題に関しては随分えげつなく、柄の悪い言葉を使いたがる傾向があるようだが、これらの発言に至っては、意識的に言葉を誤用した、悪質な発言としか言いようがない。
あの報道官は、日本を「敗戦国」と呼んだつもりらしいが、中華人民共和国が日本の「戦勝国」だったわけではない。これは前にも書いたことだが、中華人民共和国という国は戦後に出来た国であって、日本と戦争をした事実はないからである。
しかし私が「意図的な誤用」と評したのは、その点だけではない。
ある国が戦争に敗れ、しかしなお、それ以前に領有していた土地を保持している。これは、当然ありうることであって、もしそれを「不法占拠」と呼ぶとするならば、日清戦争の敗戦国たる清朝は、敗戦後、支那大陸の大半を不法占拠していたことになる。また、もしそうなれば、〈日本が言う魚釣島は「中国」固有の領土だ〉なんて理窟は成り立たない。そもそも清朝それ自体が「不法占拠」の国家ということになってしまうからである。
だが、領土というのは、戦争の終結時に取り決められる。もっと正確に言えば、領土問題は戦争を終結する条件の一つであり、その時点で承認された領土が国際(法)的な効力を持つのである。
○日清媾和条約にもどってみよう
あの報道官といい、また彼の前に報道官を務めていた女性といい、中華人民共和国の首脳部は、いかにも、大向こうから「いよっ! 切れ者」とか、「エリートっ!」とかと声が掛かりそうな、つんと取り澄ました感じの若手官僚を選ぶ趣味があるらしい。
もちろん彼らは掛け値なしの秀才のはずであり、上のような理屈は百も承知のことだったに違いない。百も承知の上で、あえて「敗戦国」「戦勝国」「不法占拠」なんて言葉を使ったのであろう。
当然のことながら、中華人民共和国のエリート報道官は次のような理屈も十分に承知していたはずである。
日本の政府が尖閣諸島の領有を閣議決定したのは、明治28年(1985年)1月14日のことであり、この時はまだ日本と清国との戦争が続いていた。それ故、もし日本の政府が尖閣諸島を清国の領土と認識していたならば、――そして尖閣諸島を戦略的に重要な地点と認識していたならば――わざわざ閣議決定などという手続きを踏むまでもなく、さっさと軍隊を送って占領したはずである。
また、もし日本の政府が尖閣諸島を、日本や清国以外の、中立国に属するものと認識していたならば、軍隊を送ったり、閣議決定をしたりすることはなかった。そんなことをすれば、中立国の主権を侵すことになってしまうからである。
しかし、尖閣諸島の領有に関する、日本政府の閣議決定については、戦争中はもちろん、戦後も、中立国からの抗議はなかった。また、もし清国政府が、日本政府の閣議決定を「戦勝中における占領」と見なしていたならば、戦後、媾和条約を結ぶに際して、尖閣諸島の返還を求めるか、あるいは占領の事実を認めて割譲するか、何らかの形で協議対象として取り上げたはずである。だが、その件についての協議はなかった。そして清国は日本と、次のような条文を含む「日清媾和条約」を結んだのである。
《引用》
第二条
清国ハ左記ノ土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁兵器製造所及官有物ヲ永遠日本国ニ割与ス
一 左ノ経界内ニ在ル奉天省南部ノ地
鴨緑江ヨリ該江ヲ遡リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城海城営口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル処ハ該河ノ中央ヲ以テ経界トスルコトゝ知ルヘシ
遼東湾東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ属スル諸島嶼
二 台湾全島及其ノ附属諸島嶼
三 澎湖列島即英国「グリーンウイチ」東経百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼
日本と清国との国境はこのように定められ、それが国際(法)的な抗力を持ったわけだが、尖閣諸島については何の言及もなかった。尖閣諸島が日本に属することは、清国も自明の前提としていたと見るべきだろう。
なぜなら、この「媾和条約」の第三条は、日清両国から各二名以上の「境界共同劃定委員」を出して、実際の確定を行うことを定め、その委員会に次のような権限を与えていたからである。「若本約ニ掲記スル所ノ境界ニシテ地形上又ハ施政上ノ点ニ付完全ナラサルニ於テハ該境界劃定委員ハ之ヲ更定スルコトニ任スヘシ(中略)該境界劃定委員ニ於テ更定スル所アルニ当リテ其ノ更定シタル所ニ対シ日清両国政府ニ於テ可認スル迄ハ本約ニ掲記スル所ノ経界線ヲ維持スヘシ」。つまり、「境界共同劃定委員」の確定作業中に不都合な点が見つかった場合は、委員会の判断でこれを変えることができ、ただし実際の変更は日清両政府の可認を待たなければならないことになっていたのである。
国境の確定にはそれだけ慎重な配慮がなされていたにもかかわらず、清国の「境界共同劃定委員」は尖閣諸島に帰属をめぐる問題を提起しなかった。少なくとも、尖閣諸島の所属について議論が交わされた記録は見あたらない。尖閣諸島を日本の領土とする認識が両国に共有されていたのだと見るべきだろう。
中華人民共和国の報道官や国連の代表がこのような経緯を知らなかったとは考えにくい。知っていながら、彼らはあえて公の場で、日本が「奪った」とか、「敗戦国」が「不法占拠」しているとか主張したのである。
○「大江健三郞氏ら識者」800名の事実無根
私はそんなふうに考え、「しかし、まあ、彼らの、あんな事実無根の主張が国際的な司法の場で通用するはずがない」と思っていたのだが、その後、インターネットで、9月28日、「聯合ニュース」が、「大江健三郎氏ら識者 領土紛争に「反省」の声明」という記事を配信していることを知った。
《引用》
【東京聯合ニュース】日本の識者や市民団体関係者らは28日、独島と尖閣諸島の領有権をめぐり韓国、中国と対立を続ける日本政府を批判する声明を発表した。
声明には作家の大江健三郎氏や本島等元長崎市長、市民団体「許すな! 憲法改悪・市民連絡会」関係者らの約800人が賛同している。
声明では日本の独島と尖閣諸島の領有権主張に関し、「韓国、中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」と指摘。独島については、「韓国民にとっては、単なる『島』ではなく、侵略と植民地支配の起点であり、その象徴である。そのことを日本人は理解しなければならない」と反省を促した。
また、日中関係に対し、「友好を紛争に転じた原因は、石原都知事の尖閣購入宣言とそれを契機とした日本政府の国有化方針にある」と説明した。その上で、「都知事の行動への日本国内の批判は弱かったといわざるを得ない」とし、反省を表明した。
声明では「漁業を含む資源については共同で開発し管理し分配することができる」と主張したが、対象地域が独島か尖閣諸島かは明示しなかった。
竹島の問題については改めて取り上げたいと思うが、尖閣諸島の問題について言えば、「中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった」というのは、大嘘である。
既に指摘したように、日本政府が尖閣諸島の領有を閣議決定したのは、日清戦争の最中だった。「中国が、もっとも弱い」とはどういうことを指すのか、よく分からないが、清国が誇る北洋水師(北洋艦隊)は、明治27年の9月の黄海海戦で、日本の艦隊に敗れたとはいえ、北洋水師(北洋艦隊)の中核をなす定遠、鎮遠の戦艦は、威海衛に退き、――日本政府が閣議決定した時点では――なお十分な作戦能力を保っていた。この時点の清国政府には、「外交的主張が不可能であった」なんてことはなかった。仮に個々の戦場において連戦連敗が続いたとしても、政府が政府として機能しているかぎり、「外交的主張が不可能」ということはありえないのである。
私は「大江健三郞氏ら識者」800名が、揃いも揃って、こういう事実について無智であったとは考えない。「識者」と呼ばれるからには、当然この程度の事実に気がつき、そして国境に関する国際(法)的な抗力のあり方も知っていたはずである。彼らはそれを知りながら先の記事が紹介したような「声明」文を書き、これに賛同したわけで、「大江健三郞氏ら識者」800名は悪質な嘘つきと呼ばれても仕方がないところだろう。
こういう事実無根のウソを通用させてはならない。
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