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言語ウォッチング(6)

セクト学生運動家の臭い

○内閣不信任決議案は否決
 昨日(6月2日)は、小樽文学館へ出る日だった。午後、特別企画展の資料に関する用事で小樽商科大学の図書館を訪ねて、3時30分過ぎに文学館へもどり、一息入れて、携帯電話のテレビを開いてみたところ、鳩山前首相がNHKのインタビューに応じている。
 どうやら自民党を中心とする野党が提出した、内閣不信任決議案は否決されたらしいな……。
 朝のテレビ・ニュースでは、鳩山前首相は不信任決議案に賛成の意向だったはずだが、この半日でコロッと心変わりをして、不信任案決議案の反対にまわったらしい。次に原口一博元総務大臣(前総務大臣?)がインタビューを受けたが、この人も朝までの方針を一変させて、不信任決議案に反対する側に回ったらしい。小沢一郎元代表と、彼の仲間15人は欠席したり、棄権したりして、投票行動を回避し、結局、民主党の国会議員のうち不信任決議案に賛成の票を投じたのは、松本謙公さんと横粂勝仁さんの二人だけだった(正確には、横粂さんは既に民主党離脱の意志を表明しており、民主党所属の国会議員とは言えないわけだが)。
 朝のテレビは、70人を超える民主党議員が不信任決議案に賛成するのではないか、と予想していたが、完全な読み違い。あまりにもえげつない君子豹変ぶりに、腹を立てるよりは、むしろ感心してしまったことだろう。

○鳩山前首相のお粗末
 帰宅すると、ちょうどニュースの時間だった。この日の午前、菅首相を官邸に訪れた鳩山前首相は、会談の席上、次のような事項を確認した、という。

確約事項
一、 民主党を壊さないこと
二、 自民党政権に逆戻りさせないこと
三、 大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと
① 東日本大震災復興の基本方針及び組織に関する法律案(復興基本法)の成立
② 第二次補正予算案早期編成のめどをつけること

 それを見て、私は、「なるほど、鳩山前首相は自分からのこのこ出かけて行って、相手の軍門に降ったというわけだ」。
 私がそう感じた、一番の理由は、「
一、民主党を壊さないこと」とあったことで、これが菅首相を拘束するための事項でないことは明らかだろう。民主党の党首でもある菅首相が、民主党を壊すような行動を取るはずがないからである。
 とするならば、これは鳩山前首相の行動を拘束するために作られたもので、これを約束してしまった以上、鳩山前首相は民主党を分裂に導くような行動を取ることができない。当然のことながら、この事項によって鳩山前首相が禁じられた行動には、「野党が出した内閣不信任決議案に賛成する」ことも含まれている。というより、「野党が出した内閣不信任決議案に賛成する」行動を封じ込めるために、菅首相の側から出された事項だったと見るべきだろう。
 もし鳩山前首相が自分からこんな提案をしたとすれば、この人の判断能力は極端に低下してしまったと見るほかはあるまい。

 次の「二、自民党政権に逆戻りさせないこと」であるが、これはもまた、小沢グループに対する牽制を兼ねた、鳩山前首相に対する禁止事項だっただろう。
 もし小沢グループが野党の不信任決議案の賛成票を投じて、民主党の内部に葛藤が生じ、党を離脱してしまうとすれば、このグループが新しい政党を結成して、自民党と連携しないとも限らない。菅首相としてはそれを防ぎたい、少なくとも鳩山グループが小沢グループと同調することだけは防ぎたい。多分そういう思惑が働いて、この事項が明記されることになったのである。
 
○痛くも痒くもない「確約」
 さて、三番目の「
大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと」であるが、これが鳩山前首相の出した条件だっただろうことは、容易に推測できる。
 ただし、これは首相たる者が当然負うべき責任であって、菅首相に対して何の拘束にもならない。菅首相にとっては痛くも痒くもない事項だっただろう。②の「
第二次補正予算案の早期編成のめど」という文言の解釈をめぐって、今日(6月3日)のマスメディアのコメンテーターたちは、色んな揣摩憶測を語っているが、何時の段階で「早期編成のめど」が立ったと見るか、菅首相の判断に任されている。菅首相としては、じっくりと腰を据えて、「早期編成のめど」が立つように努力を続けていれば、それで約束を守ったことになるわけである。
 
○内閣不信任決議案の否決=信任のトリック
 こんなふうにして鳩山前首相は菅首相の術中にはまってしまったわけだが、そもそも鳩山前首相は自分がどんな立場で菅首相と会うのか、それを明確に自覚していなかった。このお粗末な成り行きを見ると、実情はそういうものだったとしか思えない。

 他方、菅首相にしてみれば「してやったり」と笑いが止まらないにちがいない。
 内閣不信任決議案が否決されたことは、菅内閣が信任されたことを意味する。国会終了後の記者会見で、菅首相は、退陣の条件の「一定のめど」について、うすら笑いを浮かべながら、「言葉どおり一定のめどです」とはぐらかしてしまった。
 続いて彼は、「復興に向けて体制作りが必要で、原発事故も収束途中だ」と、「確約書」では言及されていない事柄まで、「一定のめど」の範囲に入れようとしていた。要するに「
第二次補正予算案早期編成のめどをつけること」なんて、退陣の条件としてはごく小さなものでしかない、と言いたかったのだろう。
 なぜなら、彼の言い方は
①東日本大震災復興の基本方針及び組織に関する法律案(復興基本法)の成立」と②第二次補正予算案早期編成のめどをつけること」という項目は、「三、大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと」という大項目の中の代表的な項目に過ぎない。「三、大震災の復興並びに被災者の救済に責任をもつこと」という大項目は、もっと幅広い意味を持っているのだ、という理屈になっているからである。

○学生運動家の臭い
 1970年前後、いわゆる大学紛争の時代に、大学改革を主張する学生運動家たちは幾つものセクトに別れて、運動の主導権争いをやっていたが、学生のマキァベリズムは大人顔負けの、いや、大人が顔を背けるほど、どぎつく、えげつなく、残酷だった。
 やたらに「確約書」なんてものを乱造、乱発しながら、言葉に責任をもつ気がなく、何とでも言い抜けられる、言い抜けた方が勝ちだ。そんなふうに開き直った感じの学生運動家が多かった。
 菅首相と彼を取り巻く政治家たちからは、どこかそういうタイプの学生だった臭いを漂わせている。
 

 
 

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