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言語ウォッチング(1)

民主党首相の言語能力

○相槌の違い
 先日、ハル・ヤマダの『喋るアメリカ人 聴く日本人』(Haru Ymada “Different Games, Different Rules” 1997。須藤昌子訳、成甲書房。2003年)を読んでいて、なるほどそういう見方もあるのか、と痛く感心した。
 
 ハル・ヤマダは英語圏で仕事をしている社会言語学者で、この本は、主に日常会話に注目して、対人態度や表現行為の違いを分析した研究書だが、こんな面白いことを指摘している。
 私たちは日常的な会話の中で、ごく自然に、「うん、うん」とか「ええ」とかと相槌を打つ。アメリカ人は“uh-huh”とか”yeah“とかとやるわけだが、専門家はこのような発声(間投詞、または感動詞)を”back-channel cues”と呼ぶらしい。
 ただしこの熟語は、日本語で言う「相槌」とはやや異なる。英語にも「相槌を打つ」意味の動詞として、“chime in”があるのだが、「相槌」という名詞に相当する単語がない。そこでやむを得ず、言語社会学者は、精神科のカウンセラーが患者の話を続けさせるための身振りや発声などを呼ぶ専門用語を借りて、”back-channel cues”と呼ぶことにしたわけである。
 
 興味深いのはその点だけではない。ハル・ヤマダによれば、アメリカ人が相手の話を聞きながら、“uh-huh”とか”yeah“とchime inをする場合は、話をちゃんと聞いている(”I am following you.“)ことを示す反応と、話の内容に対する同意(”I agree with what you are saying.“)の二種類があり、アメリカ社会では前者と後者とをはっきりと使い分けなければならない。ところが、日本人の「ええ」とか「そうですね」とかの相槌は、相手の話に賛成であれ反対であれ、ともかく「おっしゃる意味は理解しています」(”I am listening to you, and I am working out what you are saying.“)という意味でしかない。そういう意味の指摘をしている。
 
 この微妙な食い違いのため、思いがけない誤解が生じてしまうこともあるのである。

○鳩山前首相の理解能力
 日本の鳩山前首相がアメリカのオバマ大統領に会った時、――それは僅か8ヶ月ほど前のことでしかないわけだが――日本の政治状況と、どのように自分が対処するつもりかを説明し、「トラスト、ミー(trust me)」と言ったところ、オバマ大統領が相槌を打った。だから、オバマ大統領の理解は得ていると思う。そういう意味のことを、鳩山首相(当時)は記者会見で説明していた。
 なぜ彼は「ビリーブ、ミー(believe me)」と言わずに、「トラスト、ミー」と言ったのだろうか。そんな疑問も、もちろん私たち家族の間では話題になったのだが、そもそも初対面に等しい一国の大統領に向かって、もう一つの国の首相が「私を信頼して下さい」なんて、そんな念押しをすること自体、失礼だし、無神経もいいところだ。言語感覚がおかしいんじゃないか。そんな印象のほうが強かった。
 それに対して、オバマ大統領はどんな返事をしたか。まさか一国の首相に対して、「その要請にお応え出来るかどうか、咄嗟にお返事できるほど、まだ私はあなたをよく存じ上げません。しばらく保留にさせて下さい」なんて、そんな無礼な返事をするはずがない。
 取りあえず外交上の社交辞令として、”Sure, I believe you“と、少しくだけた言い方をするか、あるいは”Absolutely, I trust you“と、やや改まって言うか。いずれにせよ当たり障りのない返事で済ませておこうとしたのだろう。
 ただ、先の会話の場合、もし鳩山首相(当時)が普天間基地の移設問題について、「自分の内閣はこれこれの成案を持っており、それは日米合意に反するものではない」という意味の説明をしたならば、オバマ大統領の受け答えは、「話の内容に対する同意(”I agree with what you are saying.“)」と取ることができる。しかしそうではなくて、「自分の内閣は日米合意をもゼロベースとする形で、基地の移転先を検討している状態だ」と状況説明をしただけならば、オバマ大統領の受け答えは、「話をちゃんと聞いている(”I am following you.“)」以上の意味にはならないだろう。
 恐らく実情は後者だったと思うが、そのchime inを鳩山首相(当時)は、日本人ふうに「ともかく『おっしゃる意味は理解しています』(”I am listening to you, and I am working out what you are saying.“)という意味」というレベルで捉えた。そして自分に都合良く「オバマ大統領のご理解をいただいたものと思います」と解釈したわけである。

○何て翻訳をしたらいいか
 それにしても、「ご理解をいただきたい」は、どう翻訳したらいいだろうか。
 「ご理解をいただきたい」は、日本のお役人が何とか質問の窮地を逃れようとする場合の常套句であり、民主党の政治家は「脱官僚」を謳い文句にしてきたわけだが、鳩山由紀夫さんは首相職をドロップ・アウトする直前は、むやみやたらに「ご理解をいただきたい」を乱発していた。
 
 幸い私は、「どうかご理解をいただきたい」なんて卑屈な言い方をしなければならない場面に出くわしたことはない。ましてアメリカ人にそんな言い方をしたことはない。
 ただ、もし英語で言うとしたら、“I ask for your kind understanding.”とか、“I appreciate your understanding.”とかということになるだろうか。

 ただし、そんなことを言えば、直ちに「では、十分に、納得できるようご説明下さい(“Then, you have to provide convincing explanations for us.”)」と切り返されてしまうかもしれない。アメリカ人的な論理で言えば、「理解」してもらう前提として、十分な説明(必要な情報)を与えることが必要だからである。
 しかし日本人が「ご理解をおねがいしたい」と言う場合、「十分な説明(必要な情報)を与えると、今後の予定に(又は、ある重要な人物の立場に)差し障り出かねない」、「おおよその内容は察しがついていると思うが、ここで私が明言すると、大きな波紋が生じる恐れがあり、明言は避けたい」、「私の立場を察して、これ以上の質問は控えて欲しい」など、そういう含みがつきまとう。
 もちろん、長年日本で仕事をしてきたジャーナリストならば、英語圏の人間にも、十分な説明を婉曲に拒否したとしか言いようのない「ご理解をいただきたい」に、どのような含み(hidden meaning/ implication)が籠めているか、察知することは可能だろう。しかしその察し方は、あくまでも「おっしゃる意味は理解しています」(”I am listening to you, and I am working out what you are saying.“)というレベルでしかなく、おそらく「話の内容に対する同意(”I agree with what you are saying.“)」という段階には至らない。なぜなら、たとえ「ご理解をいただきたい」に籠められた「含み」を察知できたとしても、それを「理解」と呼ぶことはできないし、ましてそれを基にして記事を書くことはできないからである。もしそんな記事を書いたとすれば、アメリカの読者は「日本の鳩山由紀夫という首相は不誠実か、あるいは言語能力が不足している。ひょっとしたらその両方かもしれない」としか受けとらないであろう。
 
○ひょっとしたら、そういう「思い」だったのか
 そう言えば、鳩山前首相はもう一つ、「思い」という言葉も乱発していた。「沖縄の皆さんの思い」「日本国民の思い」「私の思い」などなど。これらの「思い」は、それぞれ「意志」「意向」「意図」「希望」「要請」「感情」などに置き換えることができる。また政治家の務めは、そのように置き換えながら、具体的に何を重んじ、どのように解決しようとしているのかを明らかにすることである。
 ところが鳩山前首相はそのように努力せず、ついにはこの曖昧模糊たる「思い」を乱発しながら、「『思い』をご理解いただきたい」みたいな無責任な発言を繰り返すばかりだった。
 
 「ご理解をいただきたい」の翻訳も難しいが、この「思い」も、一体どんなふうに翻訳したらいいか、首相附きの通訳官も頭が痛いだろうな。
 今は半ば死語になってしまったけれど、もの言えぬ人たちの気持ちに思いやる(We remember those who died in the war.)というような意味で、「思いを致す」という言い方が、あるにはあるけれど……。
 そんなことを話しているうちに、ハッと思い当たった(I suddenly remembered!)。ひょっとしたら、鳩山さん、「私の思いをご理解いただきたい」のつもりで、“Please, trust me.”と言ったのかもしれないな。
 そこでオバマさん、外交辞令のつもりで“Absolutely, I trust you.”と答えたわけだが、鳩山さんの頭の中では「ご理解いただいたものと思っています」ということになったらしいのである。

○菅首相の「言いまつがい」
 しかし結局、鳩山首相(当時)はオバマ大統領の信頼に応えることはできなかった。
 私の記憶では、鳩山首相(当時)は、「5月までには」普天間基地の移設問題の結論を出すはずだったが、いつの間にか「5月末まで」に変わっていた。その間、私は抗ガン剤の治療を受けて体力が極端に衰え、テレビを見る根気も失ったため、経緯を聞き漏らしたのだろう。ともかく、「おやおや、鳩山内閣は締め切り期日をすり替えてしまったらしいな」と思って見ていたところ、5月28日、辺野古への移設を明記した政府の対処方針を閣議で決定する予定だったところ、福島社民党党首が署名を拒否。鳩山首相(当時)が消費者相の福島さんを罷免して、連立政権は崩壊し、鳩山首相は辞職せざるをえなくなった。
 その間、沖縄の人たちの強烈な批判、反対行動があったことは言うまでもない。

 彼に代わって、菅直人副総理が内閣総理大臣となり、やれやれこれで摩訶不思議な鳩山発言から解放されるか。そう期待したのだが、これが飛んでもない見込み違い。
 
 『読売新聞』の「『緊急の会社』って?菅首相が言い間違い連発」という記事(
2010年6月29日0時12分配信)によれば、トロントのサミットで世界の外交界にデビューした菅首相は、6月27日夜(日本時間28日朝)の記者会見で、エマージング・カントリー(Emerging Country。新興国)と言うべきところを、エマージェンシー・カンパニー(emergency company。緊急事態の会社)と言ってしまったらしい。
 菅首相としては、日本の国家財政がカード破産状態にあることを憂慮する余り、ついこんな「言いまつがい」をしてしまったのかもしれない。だが、会見場の記者たちの誰もが糸井重里の言語センスに通じているわけがない。この日本の首相は一体何を言ってるのだろうか。そんな疑問に駆られた、一瞬の沈黙の後、言いまつがいに気づいた記者の間から、徐々に、冷笑、苦笑、嘲笑の笑いが拡がっていったことだろう。

○ 国家的な醜態 
 おまけに菅首相は、「G8」を「G7」と言い間違い、「国連安全保障理事会」を「国連常任理事会」と取り違え、ロシアのメドベージェフ大統領の名前を「ベドメージェフ」と発音し、韓国のイ・ミョンバク大統領の名前を「イ・ミョンビャク」と発音した。
 まったく国家的な醜態と言うほかはない。
 昨年の2月、自民党内閣の中川昭一財務金融担当大臣がローマで開かれたG7に出席し、会議終了後の記者会見で、食事時に口にしたアルコールが効いてきたらしく、ろれつの回らない酔態を晒してしまった。そこで、日本の電波メディアは「得たり賢し」とばかりに、一斉に、かつ執拗に、その映像をテレビで流し、ついに中川大臣を辞職にまで追い詰めてしまった。だが、失態という点で言えば、菅直人首相の失言連発のほうがはるかに重大な失態と言えよう。相手の受け取り方によっては国際問題に発展しかねない失言の連発だったからである。
 だが、私の知る限り、日本の電波メディアは菅首相の記者会見の映像をテレビで流さなかった。今は参議院議員の選挙運動の最中であり、そのような映像を流したりすれば、民主党の議員や支持者から、「反民主党勢力を利するものだ」という抗議を受けかねない。そんなことを慮
(おもんばか)って、自己保身を決め込んでいるのかもしれない。
 
○民主党首脳の体質
 ただ、こんな醜態を招いてしまったのも、菅直人という人物が物事の名前や数字をきちんと覚えておく意識を欠いているからだろう。
 『夕刊フジ』の「こりゃあかん!菅内閣、鳩山上回るペースで支持率急降下」(
2010年7月5日7時0分配信)によれば、消費税の増税案に対する批判が強まるや、低所得者対象の消費税還付を言い出し、だが、対象となる年収額については300万円と言ったり、400万円と言ったりして、一定しない。おまけに今年度実施した子ども手当てについては「1万5000円」と言ったり、「1万6000円」と言ったりして、まるで実情を把握していない。どんなに大事な会議でも上の空に聞き流していたのじゃないか。そのいい加減なアバウトさには呆れる他はないが、これだけ大事な事柄をうろ覚えで発言してきた総理大臣は、史上初めてだろう。

 では、消費税の増税案は「公約」なのか、そうではないのか。私自身、確かに菅首相が「公約と受けとってもらって結構です」と明言する場面をテレビで見ている。
 ところが、『J-CASTニュース』の「菅首相こす辛い『言いわけ』『消費税10%』一転『公約じゃない』」(
2010年6月28日18時20分配信)によれば、先のトロントにおける記者会見では、「超党派での議論を『呼びかける』までが公約だ」と言い出したらしい。
 しかし、これこれのことを皆さんで議論をしましょうという呼びかけは、あくまでも呼びかけであって、公約じゃない。
 前言をいとも簡単に翻したり、すり替えたりするのは、鳩山前首相もよくやったことで、これは民主党という政党の首脳の体質なのかもしれない。
 

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死んだかと思ってました。( ´艸`)プププ

投稿: 寺嶋 | 2010年7月10日 (土) 22時51分

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