判決とテロル(15)
「宣誓」の重み
○オバマ大統領、宣誓のやり直し
アメリカのバラク・オバマ氏の大統領就任の宣誓式は、ちょっとした手違いがあり、就任式の翌日、ロバーツ最高裁長官とオバマ氏はホワイトハウスの中で宣誓式のやり直しをした。
これはよく知られた事実だと思うが、念のために復習すると、アメリカ合衆国の大統領に就任する者は、左の掌を聖書に載せ、右手を肩の高さにまで挙げて、最高裁長官が読み上げる宣誓文を復誦する。そういう形で宣誓を行うことになっているわけだが、アメリカ合衆国憲法の第2条第1節によれば、宣誓の言葉は次のようでならなければならなかった。
《引用》
“I do solemnly swear that I will faithfully execute the office of President of the United States, and will to the best of my ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States.”(私は、合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを、厳粛に誓います。)
ところが、オバマ氏の宣誓を先導する、ジョン・ロバーツ最高裁長官がこの「宣誓」文の前半を、“I do solemnly swear that I will execute the office of President of the United States faithfully,”と言ってしまった。つまり、”faithfully”の位置を間違えてしまったのである。
多分オバマ氏はその間違いに気がついたのだろう、”that I will execute ……”と言いよどむ。それを見てロバーツ最高裁長官は、憲法が定めた語順に言い直そうとしたのだが、オバマ氏は笑いを含んだ表情で、”the office of President of the United States faithfully,”と、ロバーツ最高裁長官が初めに言った通りの語順で宣誓を行った。ロバーツ最高裁長官の失敗を取り繕ってやったのであろう。
文章論的に見れば、”faithfully”という副詞の位置が”execute”の前にあろうが、”the United States”の後に来ようが、文章が壊れてしまうわけではない。”faithfully”の意味が変わってしまうわけでもない。むしろ会話における発話効果の点では、”the United States”の後のほうが、「忠実に」を強調した言い回しと受けとられる可能性が高い。
しかし、憲法の規程に従って見る限り、オバマ氏の宣誓は憲法の定めにかなっていない。これでは、大統領としての資格を得たことにはならないのではないか。そういう批判が出て、政治問題化するのを避けるためだろう、ホワイトハウスの法律顧問は「法的には有効であり、問題はない」という意見だったが、オバマ氏とロバーツ最高裁長官は改めて宣誓式を執り行ったのだそうである。
○言語行為と言説規則
アメリカ大統領の宣誓式なんてずいぶん形式主義的なんだな。意味論的に問題がないならば、語順がどうのこうのと、いちいち目くじらを立てるまでもないじゃないか。そう疑問に思う人も多いだろう。
しかし、ある発話が社会的に承認され、社会的な効力を発揮するためには、一定の決められた手順を踏む必要がある。むしろ私たちの社会はそういうケースが極めて多く、それなしには社会はスムーズに動かない。言説研究者はその手順を言説規則と呼ぶわけだが、では、言説規則がどのようにして発話の社会的な意味を生み出すのか。それを説明するために、よく引き合いに出されるのは、進水式における船の命名行為である。
一般に進水式は、船主が「この船を赤城丸と命名します」と宣言し、それと共に船首を覆っていた幕が落ちて、まさに命名通りの船名が現れる。続いて、主賓の女性がシャンパンを船にぶつけ、くす玉が割れて、楽隊が演奏をする中、支綱を切られた船が徐々に速度を増しながら進水台を滑って海中に浮く。
そういうふうに行われるらしいのだが、言説規則論的に、また言語行為論的に重要なのは、船主の「この船を赤城丸と命名します」という発話であって、なぜなら、以上のセレモニーに基づいて船主が船名を宣言し、幕を除いて船名を披露するわけだが、その手順を踏んで初めて「赤城丸」という船名が社会的に認知されるからである。
別な言い方をすれば、今度新たに建造された船の名が「赤城丸」であることは、列席した船主や造船会社の役員や、来賓たちは既に承知しているはずなのだが、それだけでは「赤城丸」が社会的効力を持つとは言えない。船の命名に必要な、フォーマルなセレモニーと共に、しかるべき人の口から命名の宣言が発せられる。この、社会的な行為を通して「赤城丸」は社会的に認知され、社会に共有される船名となるのである。
しかも「この船を赤城丸と命名します」という発話は、まさに命名行為であって、「今日は朝から雨が降っている」とか、「2プラス2は4である」とかのように、事実確認的、または真理確認的な発話ではない。これもまた別な言い方をすれば、「今日は朝から雨が降っている」とか、「2プラス2は4である」とかいう発話は、それが真であるか否か、その真偽を問うことができる。それに対して「この船を赤城丸と命名します」という発話は、真偽の判断とはかかわらない、いわば別な次元に立つ。
このように、真偽の判断とは別な次元にあり、しかも一定の社会的なルールに従うことによって、始めて意味(社会的な承認や効力)を獲得する発話(文)。私たちの日常生活の多くは、このような発話(文)によって営まれているわけだが、そこに注意を向けたのが言語行為論であり、言説規則研究なのである。
○岡田外務大臣の非常識
それにしても、岡田外務大臣の発想は信じられないくらい粗雑だな。そんなふうに、つい連想が働いてしまうのは、彼が外務大臣になって早々、閣議で〈国会の開催に当たっては、陛下の思いが入った言葉をいただくような、工夫ができないものか、考えてもらいたい〉などとトンチンカンなこと言い出したからである。記者会見では、〈陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じ挨拶をしていただいていることについて、よく考えてもらいたい〉と、無知丸出しなことまで言い出したらしい。
オバマ大統領が自分の「思い」を語りたいならば、就任演説で述べればよい。宣誓式における文言が憲法で定まっている以上、型通りにそれを復誦すべきであり、もし文言の語順を間違えてしまったならば、さっそくそれを改めて、正しい語順の宣誓を行。そうしなければ、社会的な承認を得られず、効力も持ち得ないのである。
当然のことながら、憲法で定められた文言を自分なりの言葉で言い換えたり、自分の言葉をつけ加えたりすることも許されていない。
日本国憲法の第7条によれば、「国会を召集すること」は、天皇が行う国事行為の一つである。つまり天皇による国会招集という国事行為があり、その初日に天皇が臨席して、第00回の国会を召集した旨のことを述べる。そういう手続きを経て始めて国会議員の集会が「国会」として憲法上認知され、社会的にも承認されて、その議決が社会的な効力を持つわけだが、岡田外務大臣によれば、〈陛下にわざわざ国会まで来ていただく〉のだそうである。これは憲法に関する無知をさらけ出しているだけでなく、天皇に対する無礼な発言だろう。
天皇は誰かに頼まれて、国会にわざわざ出かけるわけじゃないんだよ。岡田クン。
また、日本国憲法の第3条によれば、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」ことになっている。前後の事情から判断するに、国会初日における天皇のお言葉は、かなり型通りなものであるらしいが、少なくともその都度、原案を内閣で審議し、内閣の承認を経て天皇に伝えられる。つまり天皇のお言葉の表現や内容に関しては、内閣がその責任を負っているわけで、とするならば、岡田外務大臣は内閣の一員として、どのような手順で天皇にお願いをして、その原案に「思い」を盛り込んでもらうのか、あるいはどんな方法で天皇の「思い」を察知して、それを内閣が作成する「挨拶」に盛り込むつもりなのか、その方法を明らかにし、その結果に関して責任を負わなければならないはずである。
だが、岡田外務大臣の発話には以上のことに関する自覚が見られない。岡田さん、もっと常識を勉強しましょうね。
○裁判における「宣誓」の特殊性
ところで、さて、裁判には裁判に固有な言説規則がある。このことは既に何回か言及したが、今回の流れに即して言えば、法廷の証人席に就いた原告や被告に対して、まず裁判長(官)が宣誓の趣旨を説明し、虚偽の陳述をした場合、制裁を受ける(科料を課す)ことがあることを告げる。原告または被告はそれを聞いた上で、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」と宣誓し、この文言を書いた文書(「宣誓」文)に署名するわけである。
この宣誓それ自体は、まさに「宣誓」行為であって、「今日は朝から雨が降っている」や、「2プラス2は4である」のように、事実確認的、または真理確認的な発話ではない。その意味では真偽の判断とは別な発話(文)であるわけだが、しかしこの宣誓を行った以上は、それに続く尋問の発話はすべて真偽の判断の対象となる。
また、虚偽の陳述をした場合は制裁を受ける(科料を課される)ことを承知して、この宣誓を行った以上、原告または被告が宣誓を守ったか否かについて、真偽の判断を回避することはできない。
つまり、裁判における宣誓は、それ自体としては言語行為論の範疇に入る発話なのであるが、それ以後の発話は事実確認文の真偽の判断に委ねられ、もしその過程で虚偽の陳述を行ったことが明らかになれば、宣誓それ自体の真偽が問われることになるわけである。
○太田三夫弁護士のトチリ
そんなわけで、如何に自分の依頼人の真実を明らかにし、如何なる方法で相手側の虚偽を暴くか、そこに弁護士の能力と良心とがかかってくることになるだろう。
平成20年10月31日の本人尋問において、被告・寺嶋弘道被告の側の太田三夫弁護士は、原告・亀井志乃を次のように尋問した。
《引用》
太田三夫弁護士:最後に1点だけ、あなたの書面見てますと、あなたの仕事に他人が容喙する、要するに口出しをする、口を挟むという言葉、あるいは干渉するということ、こういう言葉が出てくるんですけど、これはどういう意味ですか。
原告・亀井志乃:くちばしを挟むですか。
太田三夫弁護士:容喙と書いてますよね。容喙というのはくちばしを挟むという意味でしょう。
原告・亀井志乃:はい、そうです。
太田三夫弁護士:それだとか干渉する、これはどういう趣旨でおっしゃっているの。
原告・亀井志乃:本来、そのような立場にない人間がそういうふうにくちばしを、要するに口を挟んでくるという、そういう意味で書いております。
太田三夫弁護士:そういう立場にないというのは、だれのことを言っているんですか。
原告・亀井志乃:被告です。
太田三夫弁護士:あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは「二組のデ ュオ展」、これはだれの事業ですか。
原告・亀井志乃:事業の主体としては、財団法人北海道文学館です。
太田三夫弁護士:財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。
原告・亀井志乃:その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。
太田三夫弁護士:寺嶋さんでもいい、だれでもいいや。
原告・亀井志乃:寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。
太田三夫弁護士:そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に。
原告・亀井志乃:そのようなことは、ここで、いいか悪いかということについてお返事しなければならないでしょうか。
太田三夫弁護士:それはしなきゃならんでしょう。あなた、業務妨害だと言ってるんだから。
田口紀子裁判長:だから、そのような口を挟むような権利といいますか、そういう権限というか、そういう立場に寺嶋さんがあったというふうに考えていたのか、そういう権限はなかったというふうに考えていたのかについてはいかがですか。
原告・亀井志乃:なかったと考えておりました。
(原告調書32~34p。太字は引用者)
ここで太田三夫弁護士は完全にトチってしまっていた。
亀井志乃は、寺嶋弘道被告の言動の違法性を指摘した「準備書面」(平成20年3月5日付)の中で、「被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した」(18p)と書き、また原告の業務に対する「業務妨害」(同前)を指摘した。だが、太田三夫弁護士が勝手に拡大解釈したように、〈財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをするのは、悪い。業務妨害だ〉という意味のことは一言も書いていない。
太田弁護士としては、あたかも亀井志乃が〈道の駐在職員である寺嶋弘道学芸主幹が財団の事業に関係するのは違法だ〉と主張したかのような印象を与えようとしたのであろうが、亀井志乃から「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」。「寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」と、正確な事実認識に基づく反問をされて、「そんな議論するつもりはないんだわ」。つまり、議論の敗北を認めざるをえなかったのである。
○太田三夫弁護士の尋問態度
だが、それはそれとして、太田三夫弁護士の亀井志乃に対する尋問態度が、いかに相手の人格を無視した、横柄なものであったか、この引用からだけでもよく分かるだろう。私は「判決とテロル(13)」の中で、法廷という特殊な言説空間では、尋問者の被尋問者に対する態度が権力主義的になりかねない危険を取り上げ、その理由を次のように説明しておいた。「弁護士にはタグ・クェッションの手法が許され、それによって相手にイエスかノーの二者択一形式の答えを強いて、相手の矛盾をつつき出す」。「それともう一つ、弁護士はしばしば、被尋問者の証言を途中で遮り、強引に自分の質問のほうへ引き戻すことをやる。これも日常の会話では、他者の発言に対する強引な介入と、権力主義的な会話の支配として忌避されるところであるが、法廷では大目に見られることが多い。これも弁護士がコワモテする理由であろう」。
もし太田弁護士と私が言葉を交わす機会があり、私が「その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか」と聞いたところ、太田弁護士が「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」と投げやりな返事をする。更に私が寺嶋弘道学芸主幹はどういう立場の人間かを説明したところ、太田弁護士が「そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に」などと答えたならば、これは無礼きわまりない対応であろう。
ところが太田弁護士は法廷における尋問という言説規則を――尋問者が質問をする権利を持ち、被尋問者は質問されたことに答える義務を負う。その意味で通常の対話とは異なる、非対称的な関係を――発話の権力関係にすり替え、しかも自分が男であり、亀井志乃が女であるというジェンダー関係をも露骨に計算に入れた形で、「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」、「そんな議論するつもりはないんだわ」と、亀井志乃の反問などまともに取り合うつもりはないと言わんばかりのパフォーマンスを演じていた。
太田弁護士の前身は検事であっかたどうか、その辺の経歴は私には分からないが、少なくともあの場面から、私は、検事が刑事事件の被疑者を言葉でいたぶりながら、相手の失言を誘おうとする、そういうあくどい場面を連想せずにはいられなかった。これは尋問の名を借りた、人格権侵害の行為ではないか。薄ら笑いを浮かべ、舌なめずりせんばかりに悦に入った口調で、一見〈畳みかけるように〉問い詰めていた、あの印象は今も忘れがたい。
○「事業仕分け」の茶番劇
もっとも、今更ながらこんなことを思い出すのは、最近テレビで、〈事業仕分け〉なる公開ヒアリングの場面を見せられる機会が多かったためかもしれない。
この公開ヒアリングは、民主党の国会議員や、「学識経験者(有識者)」なる人間が、各省庁の概算要求にかかわる事業計画の必要性を聴取する会合らしいのだが、これもまた尋問者が質問をする権利を持ち、被尋問者は質問されたことに答える義務を負う。そういう言説規則に規制されている。「仕分け人」のほうはそれをよいことに、「なぜ世界で一番でなければならないのですか、二番ではいけないんですか」とか、「ワタシ的に見れば、それは無能っていうことですよね」とか、「ここは技術論をするところではありません。聞かれたことに答えて下さい」とか、「今の校長なんて、ほとんどマネージメントができない人間ばかりですからね」とか、要するにただ一方的に決めつけるだけで、その事業がなぜ必要なのか、その事業が中止または縮小された場合のデメリットは何かをきちんと理解する姿勢が見られない。
特に印象的だったのは、〈宇宙にロケットを飛ばす燃料の開発にあと一歩といえる段階に達している〉という意味の説明に対して、「仕分け人」の一人が、「それで、これまでに何件くらい注文があったんですか」と質問し、「今のところまだ1件もありません」という返事を聞いた、その時の「仕分け人」の得意そうな表情。「まだ実験段階で、商品化してないのに、注文が来るはずないだろ。こんな粗雑な人間たちに最先端技術や研究開発の事業評価をやらせて、予算編成の方針を立てる政府が続くかぎり、日本の優秀な頭脳の海外流失に歯止めがきかない。むしろ一そう拍車がかかるだろうな」。それが私の感想だった。
また、スポーツに関して言えば、この連中、スポーツ振興事業と強化事業との区別もついていないんじゃないか。
そんなふうに、私にはますます民主党政権に愛想が尽きるような光景の連続だったが、ああいうショーを喜んでいる人たちも多いらしい。十分な説明時間を与えず、反論することも禁られた人間を相手に、言葉でいたぶったり、そのいたぶり方を見て溜飲を下げたり、そういうサディスティックな嗜好の人間も多いのだろう。
そもそもあの「仕分け人」組織は、政府の諮問機関なのか、それとも民主党の諮問機関なのか。もし政府の諮問機関ならば、民社党や国民新党の国会議員が入っていないのは片手落ちでしかないわけだが、いずれにせよ、政策の決定機関でない組織が下した結論は、諮問に対する答申以上のものではありえない。答申を受けた側はこれを尊重する振りをして、骨抜きにしてしまうかもしれないのである。
それに、少し気の利いた官僚ならば、必ず幾つかのダミー事業計画を盛り込んでおき、これを叩かせておいて、本当に必要な予算はちゃっかりと確保する。そういう工夫をして来るだろう。
そう考えてみれば、あの連日のテレビ報道は半ば茶番劇でしかないわけだが、この茶番劇を通して見えてきた正体。それに私は愛想が尽きてしまったのである。
○太田三夫弁護士の虚言
さてそれでは、太田三夫弁護士は先のような尋問をどのようにまとめたのであろうか。
太田三夫弁護士が署名捺印した「準備書面(4)」(平成20年12月16日)には、次のような記述が見られる。
《引用》
第1 本件紛争の実態について
1. 本件において、原告が被告による原告に対するパワーハラスメント(以下「パワハラ」という)として指摘する被告の言動を正しく理解して評価するには、原告の後記で述べる原告独自の発想(意味不明、引用者)にもとづく言動があることをその前提として認識しておかなければならない。
2. 原告の後記に述べる原告独自の発想(同前)にもとづく言動が、財団法人北海道文学館(以下「財団」という)という組織の中でなされたとき、原告の事実上の上司として、原告の業務の内容を指揮・監督し執行管理する(意味不明、引用者)こととなった被告との間で若干の軋轢が生じるのは、ある意味当然のことであったと思われる。
3. (1)その原告の独自の発想にもとづく言動とは如何なるものか。
それは、次の様なものであることを指摘することができる。
(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理(遂行? 引用者)を請負っているものである。
従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない。
(二) 財団は、平成18年4月から指定管理者制度のもとで運営されることになり、財団の学芸班に属する原告の事実上の上司は被告とすることが財団で取り決められたが、原告は被告を上司と認めることはしない。
(三) 原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務と認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る。
(四) 財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない。
(2)原告は、以上の様な原告独自の発想のもとに、財団において種々の言動を取ったものである。(1~2p。太字、及び小文字の注記は引用者)
太田三夫弁護士はここで書いていることは、ほとんど根拠のない虚言(そらごと)でしかないが、特に(四)については、今回の流れを見るだけでもその嘘臭さが直ちに明らかだろう。
亀井志乃が主担当だった「二組のデュオ」展は、確かに亀井志乃の発案にかかわる企画展だったが、前年度の財団の企画検討委員会で採用され、財団の理事会で予算がつけられた。そうである以上、財団の企画展であり、だからこそ事務分掌の割り振りに際しては、A学芸員(寺嶋弘道学芸主幹と同じく、道の駐在職員)が副担当として割り当てられたのである。当然のことながら、亀井志乃は常にA学芸員と相談をしながら「二組のデュオ」展の準備を進めたのであるが、太田弁護士は故意にその事実を無視してしまったのである。
また、以上のような経緯をふまえて、亀井志乃は、先ほど引用した平成20年10月31日の本人尋問で、「あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは『二組のデュオ展』、これはだれの事業ですか」という太田三夫弁護士の質問に対して、「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」と答えている。亀井志乃の考え方はここに単純明快に表明されており、太田三夫弁護士はこの時の速記録を手元に置いていたはずなのだが、なんと! その結論は「財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない」。これは亀井志乃の人格に対する中傷誹謗を企んだ、悪質な虚言と言うべきだろう。
○情けない太田三夫弁護士の対応
太田三夫弁護士は、亀井志乃の「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」という返事を聞き、あまりの単純明快さに、かえって虚を衝かれてしまったのかもしれない。「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか」(太字は引用者)と、訳の分からない言葉を発していた。
続けて、亀井志乃から「寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」と、これまた明快に筋道の立った反問をされて、「そんな議論するつもりはないんだわ」と逃げざるをえなかった。それがよほど悔しかったのであろう。
○太田三夫弁護士のケチな時間稼ぎ
太田三夫弁護士の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)は、まだその他にもおかしな点が幾つかあるのだが、それを具体的に指摘する前に、彼がどんなに屁なまずるい時間稼ぎをやったか、その点に触れておきたい。
既に述べたように、10月31日(金)の公判において原告尋問、被告尋問があり、これによって双方の主張が終わり、あとは判決を待つばかりだった。ところが、10月31日の閉廷間際に、被告代理人の太田三夫弁護士から、「本日の法廷で言い残したことがあるから、もう一度『準備書面』の機会を与えてほしい」との要望があり、田口紀子裁判長がそれを認めて、原告、被告の双方に「最終準備書面」の機会を与えることにし、締め切りを12月12日とした。この時、田口裁判長が双方に課した条件は、「新しい証拠物は出さないように」ということであった。
つまり1ヶ月半ほどの余裕をもらったわけで、亀井志乃は原告調書と被告調書を丁寧に検討した上で、被告側の主張の虚偽を指摘し、改めて自分の主張を述べた「最終準備書」を、12月12日の午後3時頃、札幌地方裁判所に届けた。A4版、全106ページ。1ページは400字原稿用紙に換算して3.6枚。全体で約380枚。
亀井志乃は当然、被告側の「最終準備書面」を受け取ることができると考えていたのだが、太田弁護士からはまだ届いていないという返事だった。亀井志乃は裁判所の担当事務員に、太田弁護士から被告側の「最終準備書面」が提出され次第、連絡してくれるように依頼して、帰ってきた。
ところが、12月16日(火)になっても、まだ被告側の「最終準備書面」が届かない。「おかしいな。太田弁護士のほうが『言い残したことがあるから』と言い出して、結審を先送りにして、『最終準備書面』を書くことになった。締め切りまでの期間を1ヶ月半近く希望したのも、太田弁護士のほうだった。それなのに締め切りの期日を守らない。これはもう不誠実としか言いようがないな」。そんな話をしていたところ、17日(水)の昼前、速達で太田弁護士署名の「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)が届いた。約束は「最終準備書面」のはずだが、「準備書面(4)」となっていた。
太田三夫弁護士の事務所は、札幌地方裁判所から歩いて5分もかからない。亀井志乃が締め切り期日を守って、12月12日に提出した「最終準備書面」は、その日の内に太田三夫弁護士事務所に届いたはずである。つまり太田三夫弁護士は、12日の夜から13日、14日、15日と亀井志乃の「最終準備書面」を読む時間を作ったわけで、たぶん15日の午後か、16日の午前に、大急ぎで「準備書面(4)」を書いたのだろう。A4版で、7ページ。1ページは400字原稿用紙に換算して2.7枚弱。大目に数えても19枚。「1ヶ月半ももらって、たったこれだけ?!」。私は改めて太田三夫弁護士の文章能力に深い感銘を受けた。
私の推測によれば、太田三夫弁護士は原告調書や被告調書をそれなりに検討して、具体的な主張点も用意していたと思う。ところが亀井志乃の「最終準備書面」が届き、急いでめくってみたところ、自分の主張点はことごとく、具体的な論証によって打ち破られてしまっている。そこでこれまで書いたものを破棄し、具体的な証拠には一切言及しないで、亀井志乃の人格論にすり替え、「原告独自の発想」なるものをでっち上げることにしたのであろう。
たった7ページの文章なのに、文意の通らない表現があちこちに見られる。この点から見ても、私の推測は当たっているはずである。
最終準備書面を提出することになった経緯から見て、太田三夫弁護士は12月12日締め切りの期日を守るべきだった。それを4日間も遅らせて、亀井志乃の「最終準備書面」の内容を知る時間を稼ぎ、いわば亀井志乃の「最終準備書面」に対応する形で、自分の側の「準備書面(4)」を作文する。
日本の弁護士社会では、こういうやり方が通用しているのかもしれないが、素人の市民感覚からすれば「何だか、やり方が汚ねえな」。
ともあれ、亀井志乃は先ほど引用した20年10月31日の本人尋問について、「最終準備書面」(20年12月12日付)の中で次のように指摘した。
《引用》
①被告代理人の「いわゆる主体である企画展」という言葉は意味が不明です。
②被告代理人は「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか」との質問を発しましたが、原告は〈財団法人が事業主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しするのは悪い〉という意味のことを、10月31日の法廷で言ったこともなければ、それ以前の文書で書いたこともありません。
もし被告代理人が、原告の3月5日付「準備書面」18pの「(b)違法性 ロ」の箇所を念頭に置いて先のような質問をしたのだとしたら、それは、被告代理人の読み方が短絡的であり、かつ、原告の真意を意図的に捨象しているものである、という証拠を示しているに過ぎません。
以上の点によって、被告代理人太田弁護士が原告の言葉を捏造し、虚言をもって原告を偽証に誘おうとしたことは明らかです。(95p)
こういう指摘に対する、暗黙の自己防衛として読むならば、太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)の意図は、一層深いところから理解できるだろう。
○太田三夫弁護士のユニークな推論能力
以上のことを承知してもらった上で、改めて太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」(平成20年12月16日)の主張を検討してみよう。
太田三夫弁護士によれば、亀井志乃は「(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理(遂行? 引用者)を請け負っているものである。/従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない」という独自な発想を持っていたことになるらしい。だが、亀井志乃は、「原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた」(平成20年3月5日付、5p)と書いたことはあるが、「財団の職員ではない」などと言ったことはない。
ただし寺嶋弘道被告がその「陳述書」(平成20年4月8日)の中で、また平原一良副館長がその「陳述書」(同前)の中で、〈亀井志乃は「私は職員ではない」という意味のことを言っていた〉と証言した。だが、亀井志乃はそれが事実無根の虚言でしかないことを、「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日)と「準備書面(Ⅱ)―3」(同前)で詳細に証明した。それに対して、寺嶋弘道と平原一良副館長は再反論を放棄してしまった。亀井志乃に論駁され、自分の側では再反論できなかった事柄を、何ら新しい根拠を示すことなく蒸し返す。これは弁護士にあるまじき卑劣な行為であろう。
なお、先の太田三夫弁護士署名捺印の文章における、「従って」以下については、これまた卑劣な虚言でしかない。このことは、「判決とテロル(13)」で引用した、次の箇所を再引用するだけで十分に明らかであろう。
《引用》
太田三夫弁護士:あなたは、平成18年4月以降のあなたのお仕事というのは、どのように理解されておりましたか。
原告・亀井志乃:財団法人北海道文学館の嘱託です。そして研究員です。
太田三夫弁護士:ですから、その仕事の中身としては、どのように理解されていたんですか。
原告・亀井志乃:仕事の中身は、当初申しましたように、その財団法人の中の職務としての文学資料の調査と整理、研究で、ほぼ、端的に言うとすれば、それに尽きると思います。
太田三夫弁護士:あなたは嘱託職員というお言葉を使われてますけれども、財団法人の従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:嘱託職員は、ある組織から依頼を受けて仕事をするという人間ですので、私はそのように理解しておりました。
太田三夫弁護士:ですから、従業員なんですか、従業員ではないんですか。
原告・亀井志乃:仕事を請け負っているという意味での従業員だと思っております。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務として、「二組のデュオ展」というのがありましたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:これは、あなたが主担当でしたね。
原告・亀井志乃:はい。
太田三夫弁護士:このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないと、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:……予算というのは…。
太田三夫弁護士:結論だけ言ってください。だれに相談することになるんですか。
原告・亀井志乃:そのような形ではお答えできないんですけれども。
太田三夫弁護士:じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか。
原告・亀井志乃:……お答えしなければならないでしょうか。勝手という言葉が入りましたけれども。
田口紀子裁判長:意味が分からなければ、分からないで結構です。で、今言われているのは、勝手に決めるという言い方されたんですけれども、どなたかに許可を取ったりとか、どなたかに相談されたりとかして決めることになるんですか。
原告・亀井志乃:ええ、基本的に言えば、予算のことについては、前年度に枠が決まっておりますので、その枠をはみ出るということでない限りは、基本的にはだれにも相談はしません。ほかの人も、だれもそういう場合は相談はしません。で、何か業務のことを遂行する上で、まあ、一応連絡は取っておかなければというふうになるとしたら、私の場合には、財団の、前年までで言えば平原副館長でした。
太田三夫弁護士:平成18年4月以降はだれなんですか。前年度までは平原さんとおっしゃるから、18年4月以降はだれなんですか。
原告・亀井志乃:私は業務課学芸班の人間でございます。
太田三夫弁護士:だから、だれなの。端的に質問に答えて。
原告・亀井志乃:川崎課長です。
太田三夫弁護士:あなたが主担当の業務については、そうすると、仮にあなたが相談することがあるとすれば、川崎業務課長、この方以外にはないということですね。
原告・亀井志乃:そのようには申し上げておりませんが。
太田三夫弁護士:じゃ、だれなの。それとも、あなたが一存でいろんなことは決められる、後は事後報告だけでいい、そういう発想ですか。
原告・亀井志乃:一存ではございません。ですから、火曜日の朝の打合せ会のときに職員全体に諮りました。(原告調書、20~23p。発話の太字は引用者)
太田三夫という弁護士は、自分からこういう問答を仕掛けておきながら、亀井志乃の返事とは全く裏腹に、〈亀井志乃は、自分を職員と考えていなかった〉とか、〈亀井志乃は、自分が主担当の業務については、自分に一任されており、事前に他の者に相談する必要もないと考えていた〉とかいう、根も葉もない結論を引き出してくる。かなりユニークな推論能力を備えた弁護士なのであろう。
○「必殺事業仕分け人」も三舎を避ける寺嶋弘道学芸主幹
その太田弁護士が弁護を引き受けた寺嶋弘道被告は、亀井志乃が副担当だった「啄木」展の業務を無断で亀井志乃から横取りし、大赤字を出してしまった。それを埋めるために、平成18年5月12日、「二組のデュオ」展の主担当である亀井志乃と、副担当のA学芸員を呼んで、「二組のデュオ」展のために組んであった予算を削ることを言い出した。9月26日には、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」などと、「二組のデュオ」展の予算を削り、亀井志乃の出張を制限する意味のことを言い出した。鳩山首相推奨の「必殺業務仕分け人」も真っ青、思わず三舎を避けてしまうような、あくどい干渉と言うべきだろう。
しかし亀井志乃は寺嶋弘道学芸主幹を蔑ろにしていたわけではない。5月12日、寺嶋弘道学芸主幹から「支出予定の内訳は、来週までに作成し、文学館のサーバー内の所定の場所にアップしておくように」と言われれば、A学芸員と相談して、さっそくアップしておいた(甲29号証)。
ただし、寺嶋弘道学芸主幹はそれをちゃんと理解できなかったのかもしれない。「準備書面(2)」(20年4月9日)で、「実際に原告が作成した支出予定表は空欄の多い未整理なものであり、あまり役立つ資料ではなかった」(4p)とケチをつけている。だが、亀井志乃から「準備書面(Ⅱ)―1」(20年5月14日)で、「被告は、原告がサーバーに載せた『展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】』(甲29号証)の読み方を知らなかったのであろう。原告が出した『展覧会支出予定内訳 【人生を奏でる二組のデュオ 展】』の17項目のうち、空欄にしておいたのは『ポスター・ちらし』『チケット』『屋内外看板(サイン)』『設営経費』の4項目だけであった。展覧会事業に通じた者ならば直ちに分かるように、最もフレキシブルに支出予定額を調整できる項目なのである。被告は『あまり役立つ資料ではなかった』と言うが、役に立てられるか否かは被告の能力の問題である」(22~23p)と反論されて、グウの音も出なかったのである。
この種の我が儘、不見識がボロボロ出て来る人間の、一体どこを取り上げたら「上司」という評価ができるんだ。そんな疑問が湧いてくるところであるが、太田三夫弁護士によれば、「(寺嶋弘道被告は)原告の事実上の上司として、原告の業務の内容を指揮・監督し執行管理する」立場だったんだそうである。「執行管理する」とは妙な言葉で、その目的語は「原告の業務」なのか、「原告の業務の内容」なのか、「原告の業務の内容の指揮・監督」なのか、見当がつかない。まあ、さすがの太田さんも、ああいう人物を持ち上げるための嘘に気が咎めて、つい舌足らずな言葉を口走ってしまったのだろう。
○寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士の言いがかり
そんなわけで、平成18年度の亀井志乃はおおむねのところ、寺嶋弘道学芸主幹の指示や依頼に従って、いや正確に言えば、従うことを強制されて仕事を進めてきた。
その間、寺嶋弘道学芸主幹が上司であるか否かを云々することはなかった。亀井志乃の告訴文である「準備書面」(平成20年3月5日付、全33p)の中でも一度も云々してはいない。
「上司」問題にこだわったのはむしろ被告側であって、太田三夫弁護士は「準備書面(2)」(20年4月9日)――亀井志乃の「準備書面」に対する反論――に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙2号証)という文書を添えて、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の「事実上の上司」だった。だから亀井志乃が人格権の侵害だと訴える程度のことは許されるのだ〉という意味のことを繰りかえし主張した。つまり平成20年になってから、被告側が「上司」問題を持ち出したのである。
しかし亀井志乃からすれば、その主張の根拠たる「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」それ自体が、手続き的にも、内容的にも、何ら正当性を持たない。彼女はその点を「準備書面(Ⅱ)-1」(20年5月14日)で指摘し、それと同時に、北海道教育委員会の職員(公務員)たる寺嶋弘道学芸主幹が、民間の財団の嘱託職員の上司だとすれば、これは法律違反なのではないか、と反論したのである。
太田三夫弁護士は、この指摘と反論とに対する有効な駁論を用意できなかったのであろう。再反論をギブアップしてしまった。
この経緯から分かるように、平成18年度に亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹を上司と認めていたか否かは、全く問題にならない。寺嶋弘道被告も太田三夫弁護士もそれを判断する材料を持っていないのである。
それにもかかわらず、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士は「あの時、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の上司だった」と主張し、亀井志乃は「しかし、その根拠が曖昧だ」と反論した。すると、太田三夫弁護士は「だから、亀井志乃は平成18年度に寺嶋弘道学芸主幹を上司と認めなかったのだ」と理屈をすり替えてしまった。
もっと分かりやすく言うならば、寺嶋弘道なる人物が、「二年前、自分はお前さんの上司だった」と言い始め、亀井志乃が「あら、そうでしたか。でも、あなたが挙げた証拠は信頼できませんね」と答えたところ、「すると、お前さんは二年前から自分を上司と認めていなかったんだな」とインネンをつけた。これが先ほど引用した、太田三夫弁護士署名捺印の「準備書面(4)」における(二)の屁理屈なのである。
もし再び「寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった」という主張を蒸し返すならば、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」における指摘や、反論を覆すだけの証拠と論拠を示さなければならないはずである。だが、太田三夫弁護士はそれをせずに、またぞろ「上司」を蒸し返した。
弁護士という稼業は、自分の無為無策をさらけ出してでも、なりふり構わずに一つ覚えの台詞を押し強く繰り返す。そうしなければならない場合もあるのかもしれない。
○日本の弁護士の質
続いて、太田三夫弁護士の「(三)原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務と認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る」という言い分を検討してみよう。
この主張は、寺嶋弘道被告の「陳述書」(20年4月8日付)における、「逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。」(5p)という記述に基づいているものと思われるが、その点について、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」(20年5月14日付)で次のように反論した。
《引用》
こういう見え透いた嘘をついてまで被告は私を貶めたいのか、とただただ呆れるばかりですが、もちろん私が展示設営を手伝ってくれた他の職員を残して先に帰宅したという事実はありません。
このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます。(19p)
しかし寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士はこの反論に対する再反論を放棄してしまった。
ただ、田口紀子裁判長もこの点については関心があったのだろう。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告と次のような会話を交わした。
《引用》
《引用》
田口紀子裁判長:今「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
寺嶋弘道被告:いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
田口紀子裁判長:それは同じ日のことなんですか。
寺嶋弘道被告:同じ日というか…。
田口紀子裁判長:出張に出ていたんですよね。
寺嶋弘道被告:戻った日ですね。
田口紀子裁判長:戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
寺嶋弘道被告:いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。
(被告調書25~26p)
分かるように寺嶋弘道被告は何一つ明確な証拠を挙げることができなかったのである。
自分が書いたことに裏づけを示すことができない、このような寺嶋弘道被告の無責任な言動を、亀井志乃は黙って見過ごしてならないと考えたのだろう、「最終準備書面」(20年12月12日)で次のように指摘した。これを見れば、寺嶋弘道被告が如何に自分の発言に責任を持つことができない、いい加減な証言者だったかがよく分かる。
《引用》
被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。
①被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
②「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が「待機」の状態であったり、「強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③被告は、「15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。
ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が「待機」の状態にあり、「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずで
す。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。結局、被告は、自分で乙10号証の1と2を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁(わきま)えておかなかったわけです。
以上の点によって、被告の偽証は明らかです。(48~49p。太字は引用者)
太田三夫弁護士は少なくとも亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―2」を読み、10月31日の法廷における田口紀子裁判長と寺嶋弘道被告とのやり取りを聞いていたはずである。ばかりでなく、いま引用した、亀井志乃の「最終準備書面」を読み得る時間を持っていた。
だが太田三夫弁護士は、以上のような亀井志乃の批判に対して、寺嶋弘道被告を擁護し得る証拠を何一つ示すことなく、ただ寺嶋弘道被告の言葉を鵜呑みにする形で、亀井志乃の人格を中傷誹謗していた。
日本の司法界にはそういう弁護士も存在するのである。
○弁護士や裁判官の嘘には罰則がない?
私は前回、「弁護士や裁判官には嘘の許容範囲というものがあるのだろうか」という疑問を語っておいた。
裁判における主張は、確かな証拠と明確な論理によってなされなければならない。これは裁判における最も重要な言説規則であり、「宣誓」における「真実」もこの言説規則に基づくものでなければならないだろう。尋問者と被尋問者との間における言説規則も、この「真実」を明らかにするためのもののはずである。
これも前回指摘したことだが、太田三夫弁護士の署名捺印にかかわる「準備書面(2)」20年4月9日付)は至る所に虚偽の記述がみられたが、太田弁護士としては〈自分は依頼人の寺嶋弘道被告が言うところを、そのままを書いただけであって、もし虚偽があるとすればそれは寺嶋弘道被告が自分に嘘を教えたからだ〉。そう言って、自分の責任を回避することができる。
だが、太田弁護士は、現実に自分が法廷において亀井志乃を尋問し、亀井志乃から証言を得ていたにもかかわらず、「準備書面(4)」(20年12月16日)では、亀井志乃の証言を偽った結論を書き立てていた。もし太田弁護士が、亀井志乃の証言は間違っていたと考えるならば、その証拠を挙げるべきだったが、その証拠を示さなかった。
もちろん太田三夫弁護士が「準備書面(4)」で書いたことと、10月31日の法廷における尋問の記録(「原告調書」や「被告調書」)をつき合わせてみれば、直ちに太田三夫弁護士の嘘が明らかになってしまう。だが、太田三夫弁護士はそういう危険を冒してまで、あえて嘘を書き並べた。田口紀子裁判長が尋問の記録と、自分が書く「準備書面(4)」とをつき合わせてみるはずがない、と多寡をくくっていたのか。それとも、弁護士が裁判官に寄せる信頼の一つの形なのであろうか。
その辺の事情は分からないが、少なくともこの嘘に関する限り、太田弁護士は自身の責任として引き受けなければならないはずである。
田口紀子裁判長は原告の亀井志乃と、被告の寺嶋弘道に「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」と宣誓させた。その瞬間、田口紀子裁判長はそういう宣誓をさせた裁判官として、原告と被告に「真実」を述べさせる責任だけでなく、自分自身も「真実」のみを尊ぶ責任を負ったことになるはずである。
だが、田口紀子裁判長は、亀井志乃があれほど明白に寺嶋弘道被告の偽証を論証したにもかかわらず、「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない」(「判決文」25p)と、寺嶋弘道の嘘を容認してしまい、太田弁護士の虚言も不問に付してしまった。それだけでなく、田口紀子裁判長自身、根拠を持たない虚構の組織図をでっち上げて、また亀井志乃の文章の肝心な箇所を削ったり、書き換えたりしながら、寺嶋弘道被告に有利な印象操作を行った。
ここら辺が、素人が起こした本人訴訟を扱う場合の、弁護士と裁判官の阿吽の呼吸なのかもしれない。
○「う」と「さぎ」の物語
『南総里見八犬伝』の作者、曲亭馬琴は黄表紙という、大衆的な絵物語ジャンルにも手を染め、「カチカチ山後日譚」(正確な題名は忘れた)と言うべき物語を書いた。
内容は極めて簡単で、この物語のうさぎは善人づらして、悪がしこく、主人に取り入るために、お人好しの狸をだまして泥の舟に乗せ、溺れ死にさせてしまった。その狸の子供は悔しくてたまらず、何とか親の敵を討とうと、一念発起して剣術を学び、立身出世して、いまを時めいているうさぎを呼び出し、エイヤっとばかりに胴から真っ二つに斬って捨てた。すると不思議なことに、うさぎの上半身は黒い鳥に変じ、下半身は白い鳥に変じて飛び去った。それからというもの、日本では、黒い鳥を「う(鵜)」と呼び、白い鳥は「さぎ(鷺)」と呼ぶようになったとサ。
「う」は嘘に通じ、「さぎ」は詐欺に通ずる。
何だか日本の裁判も「うさぎ」みたいだな。呵々
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