« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

判決とテロル(12)

権力は知に成り変わる(Power can become knowledge.)

○心的過程の行為文
 これまで何回か言及したR・ホッジとG・クレスの『イデオロギーとしての言語』(1993)の理論は、英文の分析を中心としており、そのまま機械的に日本文にあてはめることはできない。だが、その着想と手法からは学ぶべき点が多い。
 たとえば二人は、”They knew history.”(彼等は歴史を知った)という例文を挙げて、これは心的過程(mental-process)を叙した、処置文と見なした。「処置文」については、「判決とテロル(8)」で、

A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
      ②非処置文 中島が走る
B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
      ④特性文  中島は早い

という図表を挙げて説明しておいた。「中島がボールを打つ」という文の場合で言えば、「中島」という行為者(actor)と、行為過程(verbal process)と、被行為物(affected entity)という3つの項で構成されるわけである。
 ただし、これは中島の外的な行為を述べた文であり、被行為物である「ボール」は中島の行為(打つ)を受けて外野に飛んで行くわけであるが、「彼等は歴史を知った」の場合、「(歴史を)知る」という内面的な行為を述べており、「歴史」という被行為物は、「知る」という行為の作用を受けて、外的な変化を蒙るわけではない。もし「変化」があり得るとすれば、むしろ「彼等」のほうが、歴史を知ることによって内的に変わることになるだろう。その意味で、行為過程(verbal process)が心的過程(mental-process)であるような「処置文」の場合、行為者が行為対象から一種のリアクションを蒙ることも起こりえるのである。

○”see”と”look”の違い
 このことを一つ確認して、次に
 

、He saw the bird. (処置文)
、He looked at the bird. (非処置文)

の二つを比べてみよう。
 私が習った英語の知識によれば、〈look (looked) atのほうが、see(saw)よりも外界に対してより積極的、能動的だ〉ということになっている。宮内秀雄とR・C・ゴリスの訳編『スコット フォーマンス 英語類語辞典』(秀文インターナショナル、1977年)の説明はこうであった。
《引用》
 
lookと look atも、「見る」という意味であるが、seeとは少し意味がちがう。looklook atは、意識してどこかに目を向ける、という意味であるが、seeは、自然に何かが目にはいる、という意味である。したがって、look(目を向ける)しようとしないでもsee(目にはいる)することもできるし、lookしてもseeしないということも可能である。

 lookとseeは、ほとんど同じ意味である。lookまたは look atは、目を使って何かを知る、という意味である。lookすると、何かに視線を合わせる。seeは、何かが目にはいるという意味である。「映画を見る」ということをsee a movieという。
When you are looking at one thing, you are also able to see what is on both sides of it. 何か1つのものを見ていると、その両わきにあるものも目にはいる。
You can see daylight without looking at it. 日光は注意をして見なくても、ひとりでに見える。
She looked at the sky and saw millions of stars. 彼女は空を見上げて無数の星を見た。

 日本で英語を学んだ人間にはこれが常識だと思うのだが、ホッジとクレスは、seeを用いたの例文を「処置文」と見なし、look atを用いたの例文のほうを「非処置文」とみなしたのである。何故だろうか。それに対する二人の説明はこんなふうであった。
 〈
の例文は、知覚の受動的な過程を表現している。なぜなら、鳥の像(image)が彼の網膜に刺激を与え、それ故彼は、否応なしにそれを見ざるをえなかったからである。それに対して、のような非処置文は「見る」という行為事実そのものに注意を向ける傾向を持ち、そのため「見る」行為の原因(鳥の像が網膜を刺激する)への注意がぼやけて(blur)しまう。その意味でlookは能動的であると同時に受動的でもあり、言わば自己原因的な行為(a self-caused action)なのだ〉(亀井意訳)と。
 
 要するにlookは、外界からの刺激に受動的に反応するseeに比べて、「見る」ことへのモチーフが強い。この心的な能動性を捉えて、彼等は
の例文を「非処置文」と呼んだわけだが、続けて次のようにその特徴を強調していた。〈非処置文を通して表現される知覚と、(言語学で言う)被動格的(patientive)な処置文を通して表現される知覚を比べてみるならば、前者のほうが後者よりも遙かに強く、その人間の知覚過程が能動的で意図的(active and purposeful)であることが分かる。それだけでなく、被動格的(patientive)な処置文の場合、知覚する人間のリアクションは知覚対象に基づくところが大きいが、非処置文の場合はそうではない。〉(亀井意訳)。
 この「(言語学で言う)被動格的(patientive)な処置文」は聞き慣れない言葉であるが、ホッジとクレスは”patientive”について、「知覚者は受動的であり、彼の行為はリアクションである(the perceiver is passive, his action is reaction)」と説明しており、
の例文を指す。つまり、の例文における「見る(see)」行為は、鳥の像が網膜に刺激を与えるという原因(cause)に関しては受身でしかないのだが、の例文における「見る(look at)」行為は、その人間の側に原因(cause)を持つところの、self-caused actionにほかならない、というわけである。

○思い当たる平原副館長の「陳述書」
 ちょっとややこしい理屈であるが、なるほどなあ。思い当たるフシがないわけでもない。北海道立文学館の平原一良副館長が「陳述書」(日付は2008年4月8日)の中で、こんな書き方をしていたからである。
《引用》
 
夏が近づくころ(6月1日に私は、学芸副館長から副館長・専務理事へと発令されました)から、どうも学芸スタッフの間に当初とは異なる空気が流れていることに、私も気づきはじめました。別なスタッフから得た僅かな情報により、寺嶋氏と亀井志乃氏との間に何かしら溝のようなものが生まれつつあることを知りました。しかし、寺嶋氏と亀井志乃氏の年齢(50代、40代)に照らせば、それぞれが十分に大人であるはずですから、しばらくは静かに様子を見守ろうと私は考えました。そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました。(4p。下線は引用者)
 
 大変によく出来たお話で、たぶん平原副館長は、亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹を避けて、自分の席で仕事をしない、そんな我が儘な行為が目につくようになった。そういう印象を裁判官に与えようとしたのであろう。もしこの印象操作にうまく成功すれば、〈亀井志乃の席を業務課に移したのは
「緊急避難」だったのだ〉というあの主張も、リアリティを持つはずだからである。
 しかし、「判決とテロル(10)」で論証しておいたように、平原副館長が言う「緊急避難」云々は真っ赤な嘘だった。それと同様、彼はここでも嘘を吐いている。亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」で反論したように、もともと亀井志乃が自分の席に落ち着いていられない状況を作ったのは、平原一良学芸課長(当時)と寺嶋弘道学芸主幹だったのである。
 平成18年の4月14日(金)、亀井志乃は平原学芸副館長と寺嶋学芸主幹から会議室に呼ばれ、O司書とA学芸員の担当である「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」という事務分掌を手伝うように依頼された。つまり年度当初に担当が決まっていた「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)の他に、新たな仕事を依頼されたわけだが、亀井志乃はそれを引き受けた。そして結果的にはO司書とA学芸員と亀井志乃の3人が交替で閲覧室勤務に就くことになり、A学芸員がそのローテーション表を作り、事務室に貼って置いた。そんなわけで、もし平原学芸副館長(のち副館長)が亀井志乃に用事があり、亀井志乃が自席にいなかったとしても、そのローテーション表を見れば事情は直ぐに飲み込めたはずだ。
 だが、平原一良副館長は以上の経緯を全て伏せたまま、先のような嘘を得々と書いたのである。

○平原副館長の心的過程
 ただし、今回私が注目したいのは、下線を引いておいたような、平原副館長の文体のほうである。
 「私も気づきはじめました」「気づきました」。いずれも自分の心的過程に焦点を合わせた「非処置文」であり、――しかし最初の表現における「私も」は、何と並列する「も」なのか、さっぱり分からない――それだけ平原副館長は亀井志乃が自席で仕事をしているかどうか、能動的かつ意図的(active and purposeful)に関心を持ち続けていたことになるだろう。
 つまり、じいっ~と亀井志乃の仕事ぶりに注目していたわけだが、しかしこの記述全体が嘘で成り立っている。とするならば、この「私も気づきはじめました」「気づきました」は何を意味するだろうか。さし当たり、虚言の中にさえ滲み出てしまう、彼の深層心理と受け取っておくほかはないだろう。
 自分と寺嶋学芸主幹とが謀って、亀井志乃が自席で落ち着いて仕事を出来ない状況を作っておきながら、それを隠しておく。ごく普通に用事があって、「亀井さん、いない?」と事務室に入ってきたならば、――すなわち「処置文」で表現できる行動を取ったのならば――仮に亀井志乃が見えなかったとても、その事実から受けるリアクションは、「ああ、亀井さんは閲覧室勤務だったんだ」で済むはずである。それと共に、平原副館長はその単純明快なリアクションを通して、自分と寺嶋学芸主幹とが彼女に新たな仕事を割り当てた事実に思い当たったはずなのだが、彼はそれが出来なかった。そこで、亀井志乃のほうに問題があったかのような、思わせぶりな書き方をするしかなかったのであろう。

○平原副館長の虚言と寺嶋学芸主幹の虚言との不思議な暗合
 それともう一つ、
別なスタッフから得た僅かな情報により、寺嶋氏と亀井志乃氏との間に何かしら溝のようなものが生まれつつあることを知りましたについて言えば、平原一良副館長はなぜ「別なスタッフ」の名前を挙げることができなかったのか。
 これは裁判における証言であり、その証拠的価値を高めるには、可能なかぎり実名、日付を明記する必要がある。亀井志乃はそうしてきた。亀井志乃は道立文学館で働いている間、誰かに迷惑をかけたことはなく、また、迷惑をかけるようなことを書くはずがないという自信があったからであろう。
 
 他方、平原一良副館長の書き方は、そして寺嶋弘道学芸主幹の書き方も、こんな具合だった。
《引用》
 
しかし、期限の切られたリニューアル作業が佳境を迎える夏ごろから、複数の女性スタッフから、同氏の在り方について「異義あり」の声の届く頻度が高くなりました。(「平原陳述書」よりの引用A、2p)。
 
ただ、学芸課内での分掌をめぐって、同氏に委ねた寄贈資料の開封整理作業や閲覧室番業務(ローテーションに従い複数で担当)に不満を覚えているようであるとの話は、一部学芸課員から耳にしていました(「平原陳述書」よりの引用B、3p)。
 
事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした(「平原陳述書」よりの引用C、5p)。
 
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に遺したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした(「寺嶋陳述書」よりの引用E、5p)。
 
前年度までの仕事が主に別室で進められていたという習慣もあってのことか、原告は18年4月以降も事務室内の学芸班の自席で執務することが少なく、そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました(「寺嶋陳述書」よりの引用D、6p)

 まるで相談しながら作文したかのごとく、二人とも思わせぶりな口調で、いかに亀井志乃が仕事仲間の不評を買っていたかを証言したわけが、「平原陳述書」よりの引用Aは、平成17年度における「常設展示リニューアル」作業に関することだった。
 だが、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」で証拠を挙げて反論したように、リニューアルの責任者だった平原一良学芸副館長の展示案作成が遅れたため、リニューアル作業は10月にずれ込んでしまった。彼は
「リニューアル作業が佳境を迎える夏ごろ」などと言っていたが、実際には、皆が手をつかねて平原学芸副館長の指示を待っている状態だったのである(「北海道文学館のたくらみ(35)」)。
 そしてこの平成17年の
「夏ごろ、亀井志乃は、常設展示の「見直し部会」の委員から送られてくる展示案を、詩・小説・俳句・短歌・児童文学・書誌研究等の分野別年表に取りまとめて、平原学芸副館長に渡したり、展示コーナーのキャプションを日本語・英語の二ヵ国語で表記することを思い立ち、提案をして、平原学芸副館長の了解のもと、自発的に英語の下書きに取りかかっていた(ただし、分野別年表も英文キャプションの原稿も、展示に生かされることはなかった)
 また、「平原陳述書」よりの引用Bは、これもまた平成17年度に関する証言なのであるが、先ほど書いたように、亀井志乃が閲覧室勤務に就くようになったのは、平成18年の4月からだった。平成17年度、自分のかかわらない勤務について、亀井志乃が「不満」を口にするはずがない。このことも、彼女は「準備書面(Ⅱ)―3」で指摘している。
 「平原陳述」よりの引用Cについては、その証言が如何にいかがわしいか、「判決とテロル(10)」を読んでもらいたい。
 
 「寺嶋陳述書」よりの引用Dについて言えば、まるで根拠がないことを、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―2」によって暴かれてしまった。ばかりでなく、寺嶋弘道被告は田口紀子裁判長から、亀井志乃に対する非難の声を聞いたのは何日、どういう状況であったかを尋問されて、しどろもどろ、まともに答えることが出来なかった(「北海道文学館のたくらみ(52)」)。
 寺嶋弘道学芸主幹が道立文学館の勤務となったのは、平成18年の4月からだった。その人間が、前年度の亀井志乃の業務内容や業務態度を見ていたはずはないのだが、
前年度までの仕事が主に別室で進められていた」などと、見てきたような嘘を吐いていた。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で証拠を挙げて反論したが、それにしても平原一良副館長の嘘と寺嶋弘道学芸主幹の嘘は、薄気味悪くなるほど符節が合っている。ひょっとしたら寺嶋弘道学芸主幹は、平原副館長から「嘘」の材料を提供してもらったのかもしれない。

○「力は知に成り変わる」
 さて、ここで、ホッジとクレスの仕事の啓発的な例を、もう一つ挙げるならば、彼等は、

 、I feel well.(私は調子がいいと感じている)
 
、You feel ill/well.(あなたは調子が悪い/調子がいい、と感じている)

について、こんなことを指摘していた。
 話し手が「気分がいい」とか「体調がいい」とかと自分の心的過程を語る場合、――つまり主語が一人称の非処置文の場合は――
の言い方が成立する。だが、話し相手を(二人称の)主語として発話する場合は、一般に、”You look ill/well.”(あなたは具合わるそうに/調子がよさそうに見える)と言うが、のような言い方はしない。なぜなら、私は相手の顔色や様子を知覚することはできるが、相手自身の心的過程を直接に知覚することはできないからである。
 
 これは私たちの会話の常識であるが、ただしホッジとクレスによれば、ある種の社会的権力を誇示したがる人間は、この約束を踏みにじってしまう。たとえば海兵隊の上級軍曹が、仮病の疑いがある水兵に向かって、「お前は完全に調子がいい。さあ、とっとと急いで、パレード・グランドへ向かえ(You feel perfectly well, get on the ―― parade-ground.)」と言ったとしよう。この時、上級軍曹は「怠け者の心理なんて、とっくにお見通しさ」といった権力者的立場で、水兵の心的過程に踏み込み、言わば心的過程を支配しようとしたわけである。
 そこからホッジとクレスは次のような格言を引き出してきた。「権力は知識となることができる(Power can become knowledge.)」と。これを簡潔に言えば、「力は知に成り変わる」というところだろう。

○他者の心的過程の表現について
 では、三人称の代名詞を主語とする「彼は調子が悪い/調子がいい、と感じていた」の場合はどうであろうか。これは三人称の「客観」小説で普通に用いられる表現であるが、この時その作者はいわゆる「全知の語り手」の立場に立っていたことになる。
 「全知の語り手」とは、作中人物の内面(心的過程)に自由に立ち入り、心理や意識の流れを描き得る語り手のことで、その意味では作中人物に対して権力者の立場に立つ。なぜなら、こ場合の作者=創造主は、作中人物の運命や内面を任意に決めることができる、絶対者の特権を行使していることになるからである。
 
 では、この世に生きている生身の人間が、現実に生きている/生きていた他人に対して、そのような立場に立つことは許されるだろうか。全く許されないわけではないが、もし敢えてそれを行うのならば、自分がその第三者の内面(心的過程)について語り得る根拠、つまり情報の由来や、情報の信憑性を明らかにする必要がある。新聞や週刊誌の記事などには時々、その種の記事が載るが、情報の由来や信憑性に関して、当事者や読者からその確実性を問われることは避けられない。また、避けてはならないだろう。この確実性に関して、証拠をもって争うことができないのならば、第三者の内面(心的過程)に踏み込んだ断定的表現をすべきではないのである。

○寺嶋弘道学芸主幹は「全知の語り手」?
 このことを押さえて、今度は寺嶋弘道学芸主幹の発話・言表に目を向けてみよう。亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、平成18年10月18日の出来事を次のように記述した。
《引用》

(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した
(23~24p。太字は引用者)

 田口紀子裁判長がこの文章を、「判決文」の中でどんなふうにねじ曲げてしまったか、「判決とテロル(8)」及び「同(9)」で指摘しておいた。今回、再びこの箇所を引用したのは、もちろん前回の指摘を蒸し返すためではなく、寺嶋弘道学芸主事の発言の太字の箇所に注目してもらいたかったからにほかならない。

 話を分かりやすくするため、ここでは、まず「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」という発話のほうを先に取り上げてみよう。彼は神谷忠孝理事長や毛利正彦館長(当時)の心的過程を十二分に知悉している立場で発言しており、言わば「全知の語り手」の立場を誇示したわけだが、それならばそう断言できるだけの根拠を持っていたはずである。
 ところが寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が
「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言ったところ、慌てて亀井志乃の行動を阻んだ。
 もし彼が言うとおりであったならば、亀井志乃が神谷理事長や毛利館長に会うことを阻む必要はなかった。なぜなら、もし神谷理事長なり毛利館長なりが、亀井志乃に、〈確かに私は、亀井志乃研究員が文学碑の写真を撮り、文学碑データベースを充実させることになった、と理解している〉という意味の返事をするならば、寺嶋弘道学芸主幹の主張が客観的に裏づけられたことになるからである。その意味では、むしろ彼のほうが、積極的に亀井志乃が神谷理事長なり毛利館長なりと会うことを求めるべきであった。
 にもかかわらず、寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が神谷理事長や毛利館長に説明することを妨げてしまった。結局これは、寺嶋弘道学芸主幹が自分の嘘のバレルことを恐れたからだ、と見るほかはないであろう。
 
○寺嶋学芸主幹の恐るべき「知」
 北海道教育委員会職員・寺嶋弘道学芸主幹という人物は、こんなふうに、まるで「全知の語り手」のごとく、平然と神谷理事長や毛利館長の心的過程にまで踏み込んで行く、というより、平気で虚構してしまう人物であり、先ほど引用した
(亀井志乃は)前年度までの仕事が主に別室で進められていた」云々のごとく、自分が道立文学館に着任する以前の亀井志乃の仕事についても、まるで見てきたような嘘を吐く。
 さらには
(亀井志乃の)前年度までの業務は、収蔵資料の解読翻刻、収蔵資料の整理登録作業、常設展の更新、文学碑データベースの作成などであり、整理業務、研究業務が中心でした。すなわち、業務上取り扱う資料のほとんどは当館の所蔵資料であり、その業務も収蔵庫や作業室で、一人で黙々と処理すればよい作業が大部分であったということです。」寺嶋陳述書、4p)。18年度に担当した『二組のデュオ展』などの展覧会事業の実務経験はまったくなく、『文学碑データベース』の写真公募のようなイベント性を伴う普及事業の経験もありませんでした。したがって出張のように渉外事務や経費支出を要する業務については未経験であり、そしてそれらのために内部調整を進めながら事務事業を遂行するということに理解が及んでいなかったのです(同前、4~5p)などと、自分が見聞したわけではない平成17年度の事柄について嘘を重ね、そこから一転して、さらには、そのようにして組織で仕事を進めるという意識も薄かったのではないかと思います。当館への勤務以前の就業経験の不足を考慮したとしても、連携意識や協調性に乏しく組織社会における適性を欠くものでした。(同前、5p)と、亀井志乃の内面に踏み込み、性格批評を行う。
 
 こうした傲慢さは止まることを知らず、平成18年度の亀井志乃の業績についても、
まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻業務が原告の中心的な任務であったにもかかわらず、平成18年度は当館に対し業務報告の一つとしてなされていませんでした。」と、名誉毀損的な嘘を平然と述べ立てて、そこからいきなり「文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません(寺嶋陳述書、3p)と、亀井志乃の意識や心事に関して否定的な極論を引き出してくる。
 亀井志乃はこれに対して、証拠を挙げて逐一反論をし、
この強引な理屈は、他人の実績には目もくれず、組織に対する忠誠心や貢献度だけを勤務評定的にチェックする、いかにも中間管理職的な論理というほかはありませんが、被告が好んで振り回す『組織』論や『組織人』の正体がこれであること、それをしっかりと認識しておきたいと思います(「準備書面(Ⅱ)―2」8p)と、寺嶋弘道学芸主幹の言説の正体を明らかにしておいた。
 
 この人物の、自分の「知」のあり方に関する反省的意識はどうなっているのだろうか。

○「権力が知識の占有を主張した」具体例
 ともあれこうして見ると、
やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」という寺嶋弘道学芸主幹の発話が、あの海兵隊の上級軍曹の、「お前は完全に調子がいい。さあ、とっとと急いで、パレード・グランドへ向かえ(You feel perfectly well, get on the ―― parade-ground.)」と同じ性質のものだったことが分かるだろう。
 彼等のような権力主義的な人間には、「”You look ill/well.”(あなたは具合わるそうに/調子がよさそうに見える)」と、相手の立場や事情に目を向け、これを配慮する意識が欠けているのである。

 このことは、10月28日の出来事に関する亀井志乃の記述の全文を見れば、更に一そう明らかだろう。次に紹介するのは、先ほど引用した「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」に続く文章である。
《引用》

(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 (11-1)の項でのやりとりのあと、原告は、一対一の押し問答に終始すべきではないと思い、「もう昼にもなるので、事務室へ行ってお話をうかがいましょう」とカウンターを立った。被告も続いてすぐに事務室に上がった。
 そして昼食後、原告は、改めて被告の言い分を聞こうとした。ところが被告は、「もう二度も話したから、その通りのことだ」と言い、なぜか主張の詳細を事務室では口にしようとしなかった。「要するに認識の相違だ」とも言ったが、原告の「文学碑に関してそのような仕事は決まっていなかった」という主張は、依然、認められないとのことだった
 原告は責任ある立場の職員に立ち会ってもらいながら、これまでの経緯を明らかにしようと考え、「では、その問題について、副館長(先の学芸副館長)も業務課長も揃ったところで、説明させていただきます」と言った。ところが被告は、「いいかい。たかが、だよ。たかがデータベースの問題でしょう。それを、なんであんたが、副館長や業務課長に説明しなきゃなんないのと、今度は一転、データベース問題の重要さそのものを否定した。そして命令口調で、「説明したいんなら、まず、私に説明しなさい。」、「何かやるときには、まず、私に言いなさい」と言い、原告が「二人の間に認識の違いがあるというのだから、そのことについて、他の方に意見をうかがいたいのだ」と言うと、「説明して分ってもらいたいなら、わたしにまず説明しなさい。私がこの学芸班を管理しているんだ。そうした決まりを守らないなら、組織の中でやっていけないよと、自分の立場を押しつけた
(と言った
 原告は、自分の雇用に関わる問題にまで発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った。すると被告は、今度は話を続けることなく、急に「あんたひどいね。ひどい」、「あんた、普通じゃない」と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した
(録音機の前で発言することを拒否したことから、。原告は、被告に、「私に話したいことがあるなら、記録を取られるからといって、なぜ、話さないのか。誰がいたとしても、一対一の時のように、はっきり言えばいいではないか」と言った。そして、「私は、この問題について、これからも追求してゆくつもりだ。そのことは、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから」と言い(と答えて)午後の勤務のために事務室を出た(25~26p。下線、太字、青文字は引用者)

 田口紀子裁判長はその「判決文」の中で、下線の部分を削り、また、削った一部を( )内の青文字に書き換えてしまったが、この作為が何を意味するか。この問題は後でふれることにして、取りあえずここでは太字の箇所に注目してもらいたい。

 一読して分かるように、寺嶋弘道学芸主幹は管理者意識、権力者意識をむき出しにして、自分の主張に固執して、亀井志乃が自分の記憶に基づいて事実関係を明らかにしようとしても、耳を貸そうとしない。やむを得ず亀井志乃は、平原副館長や川崎業務課長の立ち会いのもとで、そもそもの発端だった5月2日の話し合いの内容を説明しようとしたわけだが、寺嶋弘道学芸主幹はそれもまた阻んでしまった。つまり、亀井志乃の意見を絶対に認めず、管理者意識むき出しの恫喝をもって自分の主張を「事実」として押し通そうとしたわけで、これは海兵隊の上級軍曹が水兵をパレード・グランドへ駆り立てた程度の、生やさしい行為ではない。権力者が知識の占有を主張するに等しい、横暴な行為だったのである。

○寺嶋弘道学芸主幹の悪あがき
 ところが滑稽なことに、あれだけ居丈高だった寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃が机から録音機を取り出し、
話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った途端、何も言えなくなって、あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」などと、被害者めいた物言いで、亀井志乃の性格批判を始めた。
 もともとの発端である5月2日の話し合いには、平原学芸副館長(当時)も同席していた。もし寺嶋学芸主幹が自分の主張に自信を持っていたならば、亀井志乃が
「では、その問題について、副館長(先の学芸副館長)も業務課長も揃ったところで、説明させていただきます」と言った時は、それこそ「物怪の幸い」とばかりに、平原副館長の立ち会いを求め、自分の記憶が正しいことを確認してもらうことができたはずである。ところが彼そうせずに、亀井志乃の行動を阻んでしまった。
 結局彼は、自分が言うことに自信が持てず、録音機を前にして、完全にビビッてしまったのであろう。
 
 録音機を前にしての、この態度や、
あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」発言の問題は、寺嶋弘道被告の代理人、太田三夫弁護士にとって気になるところだったらしい。
 平成20年10月31日の本人尋問の際、太田弁護士は亀井志乃に対して、
あなた、28日の日にはテープレコーダーを持ってましたね。」と質問し、亀井志乃の「はい」という返事を得て、テープレコーダーは、いつごろからあなたの机の中に入ってましたか」「これは何のために用意してあったものですか」と尋問を続けた(原告調書、28p)。おそらく太田弁護士としては、亀井志乃から〈嫌がらせの証拠を残そうとして用意したのだ〉という意味の発言を引き出し、寺嶋弘道被告が「あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」と言わざるを得なかった裏づけとしたかったのであろう。
 ところが、亀井志乃の
「テープレコーダー自体は前年度からです」「それは、インタビューのときに必要になることもありますし、それから、音声メモのことで必要になることもあります」という返事を聞いて、これ以上の追求は無駄と判断したらしく、尋問の話題を変えてしまった。
 
 だが、このことについては太田弁護士も、寺嶋弘道被告もよほど未練があったのだろう。被告側の最終準備書面たる「準備書面(4)」(平成20年12月16日)で、こんなことを書いていた。
《引用》
 
8. 平成18年10月28日の被告の言動
 (1)この日の原告の一連の言動は、正に原告が財団の職員であり、原告の事実上の上司である被告であることを無視し、原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではないという態度そのものである。
 (2)それを再度目の当たりにした被告は、被告が原告の直属の事実上の上司であることを説明し、まずは被告に説明することを求めたにすぎない。
 (3)そうしたところ、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。
 (4)この原告の行動を被告が発言したように「あんたひどいね。ひどい」「あんた普通じゃない」と感じない者がいるであろうか。
 誰が見ても原告の行動は上司と部下との間で業務上の問題点について話合われる際の通常の行動でないことは明白である。
 (5)従って、被告の発言は、原告の言動の様に日常生活の中において通常取られることのない言動を取られた者の反応としては極めて自然のものであり、何ら違法性はない
(6~7p)
 
 私は(3)の表現を見て、プッ! 笑ってしまった。
あろうことか」と来ましたネ、……しかし、亀井志乃は「これまでの経緯を明らかにしよう」と考え、平原副館長や川崎業務課長の立ち会いを求めようとしたところ、寺嶋弘道学芸主幹に阻まれてしまった。やむをえず、次善の策として、たまたま業務用に机の中に入れてあったテープレコーダーを取り出して、話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言っただけであり、ごく普通にあり得る行動じゃないか。
 ところが「準備書面(4)」の段階になっても、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士はまだ取り乱していたのである。
 
 その証拠に、(1)の文章は文辞が整っていない。
正に」という副詞はどこにかかっているのか。被告ら」とは、寺嶋弘道被告の他、誰を指しているのか。この文章を書いた人間は太田三夫弁護士かもしれないが、彼は亀井志乃の「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」のどこから、原告が財団の職員であり、原告の事実上の上司である被告であることを無視し」た、という結論を引き出したのか。
 寺嶋弘道被告が亀井志乃の「事実上の上司」だったという主張は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」によって覆されてしまい、それに対して寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士は、再反論を放棄してしまった。
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と。
 再反論を放棄しておきながら、またぞろ「事実上の上司」を持ち出すのは、何とも見苦しいかぎりであるが
「(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」を見れば分かるように、亀井志乃は寺嶋弘道学芸主幹を無視などしていない。きちんと話し合おうとしているのである。
 また、
原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではない」という文言について言えば、文章として稚拙であるばかりでなく、彼は何を根拠にして、亀井志乃の対応を、原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務ではないという態度そのもの」と断言したのか。さっぱり要領を得ない。

○田口紀子裁判長の「為にする」書き換え
 では、田口紀子裁判長はこれら一連のやり取りをどんなふうに捌き、裁いたのであろうか。
 それを知るためには、もう一度
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」の引用にもどってもらいたい。田口紀子裁判長は、私が下線を引いた箇所を、その「判決文」から削ってしまった。つまり、亀井志乃が「責任ある立場の職員に立ち会ってもらいながら、これまでの経緯を明らかにしようと考え二人の間に認識の違いがあるというのだから、そのことについて、他の方に意見をうかがいたいのだ」と言うなど、常識的かつ理性的に振る舞った事実を、田口紀子裁判長は判断の材料から削除してしまったのである。これは、寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士がその「準備書面(4)」で亀井志乃を非常識な人間として描き出そうとしたことと、相呼応する作為と言えるだろう。

 また、田口紀子裁判長は、亀井志乃の「あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という記述を削除して、録音機の前で発言することを拒否したことから、」と書き換えてしまった。
 これは、亀井志乃が「準備書面」(平成20年3月5日付)の「(b)違法性」の中で、
被告は、原告が被告の主張を正確に記録するために録音機を出したところ、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた。これは原告の名誉を毀損したことにより『民法』第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である」と指摘した箇所であり、多分被告にとっては痛い指摘だった。おそらくそのために、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。この原告の行動を被告が発言したように、『あんたひどいね。ひどい』『あんた普通じゃない』と感じない者がいるであろうか。」と、言わば“必死こいて”否定にこれ努めざるをえなかったのである。
 その意味で、亀井志乃の
「あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という記述は、まさにこの裁判の急所の一つだったわけだが、田口紀子裁判長はそれを削り、録音機の前で発言することを拒否したことから、」と書き換えてしまった。為にする書き換え、と言われても仕方がないところだろう。
 
○田口紀子裁判長の権力主義
 そんなわけで、もう大方の予想はついていると思うが、
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」の出来事に関する田口紀子裁判長の判決は以下のようであった。(11-1)平成18年10月28日(土曜日)」に関する判決については、「判決とテロル(9)」で分析しておいた。)
《引用》
 
さらに、原告は、平成18年10月28日午後の被告の言動につき、原告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ、また、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけて、原告の名誉を毀損し、人格権を侵害した旨、また、被告は、原告の使用者ではないにもかかわらず原告を自らの部下の立場に置くように強要し、将来の雇用に関する不安をあおるような脅迫行為を行った旨主張する。しかしながら、運用規程によって、被告が原告の上司の立場にあったことは前記したとおりであり、同日の被告の言動が、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできないから、同日における被告の言動が不法行為を構成する違法な行為と認めることはできない(22p。太字、下線は引用者)

 田口紀子裁判長の「被告が原告の上司の立場にあった」という断定は、田口紀子裁判長の虚構でしかない。これは何回も指摘して来たが、肝心なところなので、もう一度指摘して置こう。原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された(「判決文」3p)という田口紀子裁判長の判断は、何の裏づけも持たないのである。
 亀井志乃は、「寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の事実上の上司だった」という寺嶋弘道被告の主張に対して、「準備書面(Ⅱ)―1」でその根拠を問い、彼女自身の「陳述書」(平成20年8月11日)と、平成20年10月31日における寺嶋弘道被告の尋問で、彼の主張を覆し、「最終準備書面」(平成20年12月12日)で念を押しておいた。だが、田口紀子裁判長は亀井志乃の論証、主張をいっさい無視、黙殺して、自分の虚構を押し通してしまった。これは、「権力は知識となることができる(Power can become knowledge.)」の最悪な事例と言えるだろう。

 しかも田口紀子裁判長は、自分が作り出した虚構の概念を前提として、寺嶋弘道被告の全ての言動を演繹的に解釈し、その概念の中に回収して、問わるべき罪を免責してやった。被告が原告の上司の立場にあったことは前記したとおりであり、同日の被告の言動が、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」と。
 田口紀子裁判長は、この箇所の「故意に……したとまで認めることはできない」だけではなく、それ以外の箇所でも、しばしば「意図をもって……したとまで認めることはできない」という言い方をしていた。だが田口紀子裁判長は、どのような信憑性の高い情報や証拠に基づいて、寺嶋弘道被告の心的過程を知ったのか、その点については一度も明確に説明していない。
 田口紀子裁判長は、その説明不在の「意図」「故意」をもって寺嶋弘道被告を免責してきた。そのことは、
故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」という文言から、故意に」という言葉を抜いてみれば直ちに明らかだろう。この「故意に」を取ってしまえば、原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできない。」という文章となるわけだが、何故田口紀子裁判長はそのように判断したのか。その理由を明らかにするためには、直接に亀井志乃の(被告は)原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損した」という主張を取り上げて、証拠を吟味し、法的な判断を下さなければならなかったはずである。
 しかし田口紀子裁判長はただの一度も亀井志乃が挙げる証拠を吟味し、亀井志乃が指摘する寺嶋弘道被告の違法性について法律論的に対応することはしなかった。その意味で、田口紀子裁判長が乱発する「故意に」や「意図的」は、亀井志乃の主張について法律論的に対応したり、証拠を吟味したりすることを回避し、回避しながら寺嶋弘道被告の言動を免責するための、目くらまし言葉であり、まやかし言葉なのである。

 田口紀子裁判長は、亀井志乃のような素人の論証、主張は取り上げるに値しない、と考えたのであろうか。
 
 どうやらこの疑問は当たっているらしい。なぜなら、先ほども指摘したように、亀井志乃は
「すると被告は、今度は話を続けることなく、急に『あんたひどいね。ひどい』、『あんた、普通じゃない』と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した」という事実を踏まえて、被告は、原告が被告の主張を正確に記録するために録音機を出したところ、原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた。これは原告の名誉を毀損したことにより「民法」第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である」と、寺嶋弘道被告の違法性を指摘したわけだが、多分田口紀子裁判長はその指摘に関する法的判断を避けるために、亀井志乃の記述を書き換えてしまったからである。
 それだけでなく、田口紀子裁判長はその「判決文」を通じて、自分の判断が如何なる法に照らして行われたか、または、如何なる法適用の前例(判例)を参照したか、一度も明らかにしなかった。つまり、自分の法文解釈を通して、亀井志乃の法的主張の是非や、亀井志乃の法理解の適切/不適切を明らかにする、そういう手続きを踏むことをしなかったのである。

○田口紀子裁判長の文章力
 それにしても田口紀子裁判長の文章はちぐはぐで、どうも分かりにくい。先ほど引用した「判決文」の太字の箇所に注目してもらいたい。
原告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ」は、少なくとも田口紀子裁判長の判決文自体の文脈に即して読む限り、「被告が原告の名誉を守ろうとする行為を妨げ」となるべきではないか。
 また、
原告を自らの部下の立場に置くように強要し」の場合、「自ら」が亀井志乃を指すのか、それとも寺嶋弘道被告を指すのか、よく分からない。「原告が自らを部下の立場に置くように強要し」という意味にも、「原告を自らの部下の立場に置こうと強制的な態度を取り」という意味にも取ることができるからである。
 
 なぜこんなに舌足らずで、無様な文章を書いてしまったのか。実は、亀井志乃が、
「(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉」に挙げた事実に関して、寺嶋弘道被告の違法性を次のように指摘していたからである。
《引用》

イ、原告は副館長や業務課長の立ち会いの下で事実確認を行い、サボタージュといういわれのない名誉毀損を正そうとしたが、被告はそれを妨げた。これは原告が自己の名誉を守ろうとする、極めて正当な権利に対する侵害であり、憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である。
ロ、北海道教育委員会の職員である被告は、財団の嘱託として働く一市民の原告に対して、あたかも自分が原告の管理者であるかのように主張した。
 すなわち、被告は、自分が公務員でありながら、同時に民間の財団法人の管理職に就いていることを原告が受け入れ、原告が自らを部下の立場に置くように強要した。これは「地方公務員法」38条及び「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第4条に反する、不正な身分関係強制の違法行為である。
ハ、北海道教育委員会の公務員である被告は、身分の不安定な原告の弱い立場につけこみ、被告自身が原告の使用者ではないにもかかわらず、将来の雇用に関する原告の不安を煽るような恫喝的な言葉を吐きかけた。これは被告が自己の身分を偽って原告に対して行った、「地方公務員法」第29条に該当する、悪質な脅迫行為であ
(太字、下線は引用者)

 要するに田口紀子裁判長は、亀井志乃の文章から4つのフレーズを、前後の文脈を無視して切り取り、しかもフレーズを2つずつ、出て来る順序を逆にして組み合わせた。そのため、先ほどのような舌足らずな表現になってしまったのである。
 なぜそんな姑息な作為を行ったのか。結局は亀井志乃が指摘した基本的人権の問題や、寺嶋弘道学芸主幹が北海道の公務員である事実と、「地方公務員法」違反の問題を回避して、寺嶋弘道被告の行為事実を全て
「上司としての許容限度」内に回収してしまうためであろう。

 太田三夫弁護士署名の文章にも、時々、ん? と首を傾げたくなるような言い回しが出て来るが、田口紀子裁判長の文章も以上の如し。言葉の意味は文脈によって変わる場合もあるのだが、田口紀子裁判長は自分の文章の文脈によって意味をコントロールすることができていない。嘘を書かれるのも困るが、理解に苦しむ文章を書かれるのも困る。日本の大学の法学部(法科大学院)は、卒業生が他人の文書を普通にちゃんと理解し、普通にちゃんとした文章を書くことができるように指導してもらいたい。

○田口紀子裁判官の恐るべき手口
 多分そういう問題とも関係することと思うが、これまで指摘してきた田口紀子裁判長の判決文を整理してみると、以下のように恐るべき特徴が現れてくる。
① 裁判官の権力によって虚構の〈事実〉を作り上げ、これを押しつける。
② 裁判官の権力によって作り出した虚構の〈事実〉を、原告・被告のいずれかの人間の行為に演繹的にあてはめ、または、原告・被告のいずれかの人間の行為を虚構の〈事実〉の枠組みに回収してしまう。
③ 「許容範囲」の基準を明らかにしない。
④ 原告・被告のいずれかの人間の「意図」を重視してみせながら、他方、その人間の行為事実を不問に付してしまう。しかも、どのような証拠に基づいて、その人間の心的過程を知ったのかについては、全く説明しない。
⑤ 原告・被告の主張に関しては、いずれか一方の人間の主張の要
(かなめ)となる事実を骨抜きにする形に書き換え、または無視、黙殺してしまう。
⑥ 自分の判断が如何なる法に照らして行われたか、または、如何なる法適用の前例(判例)を参照したかを明らかにしない。

 さて、このように抽象化した上で、自分を原告・被告のいずれかの立場に置いてみてもらいたい。更に、自分が裁判官のこのようなやり方のターゲットにされた場合を、想像してみてもらいたい。そうしてみるならば、この裁判官のやり方が、恐怖政治下の裁判におけるでっち上げ(frame up)の手口に通じていることに思い当たるだろう。

○理念と現実態との間で
 私は前回、三浦つとむの規範論を借りて、「法」の理念的なあり方を説明しておいた。私たちは「法」の理念的なあり方を守る努力を怠ってはならないが、しかし日本の「法」運用における現実態には、以上のような事例がある。
 
 私はたまたまこの現実態を目撃する機会を得たわけだが、その実相を分析的に描いている間に、裁判員制度という怖い制度が始まった。なぜ怖い制度なのか。マスメディアは、検察側が裁判員に被害者の傷口のCG画像や凶器の写真を見せたりするやり方を取り上げ、肯定的に報道していたが、写真や画像のようなビジュアルな「証拠」ほど怖いものはない。一見最も客観的な証拠を提供しているようだが、写真や画像はコメント次第、キャプション次第で、それを見る人の印象をがらりと変えてしまうことができるからである。それに、日本の裁判官の中には、平気で当事者の文章に手を加え、印象操作を行う裁判官もいる。その点に関する警戒を怠ると、自分では気がつかないうちに、巧妙なでっち上げ(frame up)の共犯者、いや、責任者にされかねない。
 そのこともあり、私はたまたま日本の裁判の現実態の一端にふれることができたわけだが、この機会を神様の贈り物と受け取り、なおまだしばらくこの現実態から目を離さないでいようと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

判決とテロル(11)

三浦つとむの視点から

○個別規範
 三浦つとむは日本における最良の弁証法学者であるが、独自の意志論と規範論から、「法」の現実的な意味を解明していった。
 今私なりに、『認識と言語の理論』(勁草書房、1967年)と『弁証法はどういう科学か』(講談社、1968年)をアレンジしながら紹介するならば、例えば私が医者から「酒や煙草はやめたほうがいい」と忠告されたとしよう。それに従うか否かは私の自由であるが、もし健康を維持するために私が従うことにし、「禁酒禁煙」という生活規律を自分に課した場合、この規律によって私は酒や煙草を呑みたいという欲望を抑えることになる。つまりこの規律は、自分の意志で選んだものでありながら、自分の欲望と対立し、あたかも外部から自分を拘束する命令であるかのような働きをする。その意味でこの規律は虚構性を含んでおり、単なる意志とは区別されなければならない。そのような規律を彼は「個別規範」と呼んだ。

○特殊規範
 ただし仮に私がこの規範を破ったとしても、さしあたり誰にも迷惑をかけない。ところが、私が他人と結んだ約束や契約は、一方的に破棄することはできない。約束や契約はお互いの「共通の利益」を実現するために作り出した「共通の意志」だからである。私たちが約束や契約に同意した時から、それはお互いの個的な意志を拘束するものとなり、一方が相手の同意なしに約束や契約を破棄することはできない。もし一方的に破棄したとすれば、約束や契約を結んだ相手の意志を踏みにじることになり、相手から非難されても仕方がない。三浦はこのような「共通の意志」を「特殊規範」と呼んだ。
 そして、ここが重要な点であるが、三浦つとむによれば、この特殊規範は「観念的な人格」として共通の意志を担っている。たとえば私が誰かと、お金の貸借の契約をしたとしよう。貸し手の私が借り手に金の返済を催促したり、その逆に返済の義務を解いてやったりする場合、現象的には貸し手の私の意志が直接に相手の意志を左右しているように見える。だが、じつは貸借契約書という「観念的な人格」を媒介にそれを行なっているのであって、もし私がその貸借契約書を第三者に譲ったとすれば、その第三者が「観念的な人格」の意志を代行する形で、借り手に金の返済を求めることになる。
 また、もし貸し手の私が借り手の持ってきた金を受け取らず、「返さなくてもいい」と返済の義務を解いてやったとすれば、これもまた「観念的な人格」の意志に反する、契約違反なのである。私の「返さなくていい」という意志に借り手が同意するならば、その時、新しい共通の意志が成立して、貸借契約書は破棄され、契約書に書かれた契約が消滅する。
 
 人間の人間に対する支配もこの「観念的な人格」を通して行なわれる、と三浦つとむは考えた。生産手段を握っている資本家と、自分の労働力を売るしかない労働者との関係では、前者が圧倒的に有利な立場にあり、後者は雇用契約の条件で多くの譲歩を余儀なくされる。一見両者の自由意志によって結ばれたかに見える雇用契約であっても、被雇用者の意志はほとんど容れられていない場合が多い。だが、一人の資本家が一人の労働者を支配する関係に立つことができるのは、あくまでも雇用契約という「観念的な人格」を媒介にしてである。私人としての資本家が、雇用関係にない一人の私人たる労働者を支配し、労働を強制することはできない。見方を変えて言えば、私人たる一人の労働者は雇用契約で多くの譲歩を余儀なくされるだろうが、いったん契約を結べば、雇用者の資本家が雇用契約を守らない場合は、契約の実行を要求することができる。個人としてはそれがむずかしい場合は、「観念的な人格」の代行を法や、法の執行者たる国家権力に求めることができるのである。
 
○普遍規範
 彼は「法」を、幻想の共同利害を維持するための「普遍規範」と捉えた。なぜそれを「普遍規範」と呼ぶのか。その理由は、「個別規範」や「特殊規範」はそれを作った当事者だけを拘束するのに対して、「普遍規範」たる法は共同体のメンバー全員に適応されるべき一般意志として、あるいはメンバーの個々人の意志を超えた全体意志として作られ、強制力を与えられたものだからである。
 では、なぜそれを「幻想の」共同利害の表現と捉えるか。その理由は、階級社会における「共同」の利害とはじつは支配階級の「特殊利害」以外ではないのであるが、支配階級によってあたかも「共同」の利害であるかのように合理化されたものにほかならないからである。
 彼はマルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』に基づいてこの「普遍規範」論を展開したわけだが、それと併せて彼は「普遍規範」と支配階級の意志との違いを強調している。「普遍規範」として成立した法は、個々の資本家や企業の意志と対立し、拘束することがあるからである。先ほどの例のように、それは一人の被雇用者の契約上の権利を保護する機能を持っている。言葉を換えれば、幻想の共同利害は支配階級の意志から相対的に独立した、一種普遍的な「観念上の人格」として、支配階級の意志をも拘束する。なぜなら、この幻想の共同利害は支配階級の観念的な自己疎外として生み出され、支配階級自身をも拘束する「個別規範」であるわけだが、それだけでなく、その中に非支配階級の意志や利害を反映した/組み込んだものとして自立しているからである。
 ところが俗流マルクス主義者はこの「幻想」の構造を理解しないため、幻想の共同利害を単なる支配階級の利害の直接的な反映としか捉えることができない。つまり、「普遍規範」と支配階級の意志とを短絡的に同一視してしまっていた。このことは、最近〈ブーム〉としてもてはやされていた『蟹工船』における、小林多喜二の資本家像を見ればよく分かるだろう。これは小林多喜二一人の責任ではなく、昭和初年代の日本共産党のマルクス主義、延いてはレーニンのマルクス主義の責任でもあるのだが、ともあれ三浦つとむは日本の反体制運動に巣くっている俗流マルクス主義の、このような俗流反映論を批判するために、「普遍規範」と支配階級の意志との違いを強調したのである。

○公務員と私人との間にどんな「契約」があり得るか
 以上は三浦つとむの規範論のアウトラインであるが、この簡単な紹介によっても、亀井志乃の要求と主張の正当性がよく分かるだろう。
 寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育委員会に属する、道の公務員であり、亀井志乃は財団法人北海道文学館と有期労働契約を結ぶ一人の私人だった。一人の公務員である寺嶋弘道が、一人の私人である亀井志乃に対して高圧的な態度で業務を命令し、強制をし得るためには、双方が合意した契約、つまり「観念上の人格」が存在していなければならない。亀井志乃が問題にしたのは、果たしてそのような契約が存在するのかどうか、また、仮に存在しても、果たしてそれは合法的であり得るのかどうか、ということであった。

 もちろんこの契約は、一人の私人たる寺嶋弘道と一人の私人たる亀井志乃との間に結ばれる、1対1の契約のような単純なものであり得ない。
 亀井志乃は財団法人北海道文学館と有期労働契約を結んでいた。財団法人北海道文学館は北海道教育委員会と指定管理者としての契約を結び、寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育長の命を受けて、学芸員としての任務を果たすために道立文学館に駐在し、業務に関しては「事務分掌」の形で財団法人北海道文学館と契約していた。
 では、亀井志乃が財団と結んだ契約と、寺嶋弘道学芸主幹が公務員として財団と結んだ業務協働の契約との間にどのような接点があり、その接点は寺嶋弘道が亀井志乃に対して高圧的な態度で業務を命令し、強制することを許すものであったのかどうか。亀井志乃が問うたのはその点に関してであった。
 だが、神谷忠孝理事長も、毛利正彦館長も、平原一良副館長も、寺嶋弘道学芸主幹自身も、問いかけの意図や内容を全く理解できなかったらしい。つまり、市民社会における「契約」の原則を理解していなかったらしいのである。

○「契約」主張の致命的な欠陥
 いや、契約書はありますよ、ほら、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙第2号証)が。……ここには
「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」とあるじゃないですか。これを使えば、亀井志乃の主張を押さえ込むなんて簡単ですよ。
 多分そう言ったのは、太田三夫弁護士だった。
 なぜなら、太田三夫弁護士が寺嶋弘道被告の弁護士を引き受けて以来、この一片の文書が急浮上し、太田弁護士によって「事実上の上司」が乱発されることになったからである。
 それ以前、毛利正彦館長以下の幹部職員は誰もこの文書を持ち出したことはなく、「事実上の上司」なんて〈気の利いた〉言葉を発したことはなかった。思いつかなかったのであろう。

 この想像は当たっていると思うが、もしそれが本当ならば、太田三夫弁護士がこの文書を発見したことになり、さすがは太田さん、プロの弁護士は眼のつけどころが違うね、となるわけだが、しかしこの「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(日付なし。乙第2号証)には致命的な欠陥があった。
 「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」の中で、事務局職員の組織関係を規程した条文は第3条であり、前記の文書がいう
「規程の定めにかかわらず」という「規程」は明らかにこの条文を指す。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」には、「第6条 この規程の改正は、理事会で決定しなければならない。」とあり、「第7条 この規程に定めるもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。これは前記文書が言う「規程の定めにかかわらず」と根本的に矛盾するものでなければならない。

 もしこの「規程の定めにかかわらず」の決定に神谷忠孝理事長がかかわっていたとすれば、問題はもうちょっと複雑になったと思うが、実際は神谷理事長外しの、違法な手続きによって決定されてしまった。その間の経緯を、寺嶋弘道被告自身がその「陳述書」(日付は平成20年4月8日。乙1号証)の中で、次のように白状してしまったのである。
《引用》
 (前略)
4月18日(火)、毛利館長、安藤孝次郎副館長(当時)、平原一良学芸副館長(当時)、川崎信雄業務課長に私を加えた幹部間の打ち合わせで、前年度まで置かれていた学芸班の体制と同様、駐在職員3名と指定管理者である財団の業務課学芸班の学芸職員2名とで改めて学芸班を編成し、私がその統括の任にあたるということで組織体制について最終的な整理がなされました。この時の打合内容は、即日「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」にまとめられ、この日後刻の全体職員会議で原告を含む全職員に配布されました(2p。太字は引用者)

 分かるように、規程の定めにかかわらず」の取り決めは、あくまでも「組織体制」にかかわるものであって、第6条や第7条に及ぶものではなかった。そうである以上、第6条、第7条を踏まえて決定しなければならなかったはずなのだが、寺嶋弘道被告が言う「幹部」は神谷理事長を外して決定し、つまり「規程の定めにかかわらず」の取り決めを第6条や第7条にまで及ぼして、神谷理事長や理事会を無視することにした。しかも「即日」それを全体会議に「配布」してしまったのである。
 だが、これは単なる「配布」でしかなく、全体会議の議題でもなければ、口頭による説明もなかった。

 言葉を換えれば、ある「二次的ルール」がルールとして有効であるためには、そのルールの改廃に関するルールがなければならない。改廃に関するルールを踏まえずに、何人かの関係者が恣意的に改廃したルールは、ルールとしての有効性を持たず、違法な破棄されなければならないのである。
 ここでもマコーミックの言葉を借りるならば、
そうした変更は、立法による法改正や上訴によってなされたり、新たなルールの制定や司法的決定を通じてなされることもあれば、さらには、社会習慣によってなされることもある。こうした変更過程はそれ自身ルールによって統制されており、その意味で、多かれ少なかれ複雑で詳細に取り決められた手続きを通じて、法律を制定する権能を(議会、議長、大臣といった)特定の個人や集団に個別的あるいは包括的に付与するルール――これもまた第二次ルールである――が存在していることになる」(第2章。太字は引用者)。
 この「法律」の箇所に「規程」を入れ、「議会、議長」の箇所に「理事会、理事長」を置くならば、この原則は直ちに財団法人北海道文学館の「事務局組織等規程」のあり方に通ずることが分かるだろう。
 これは法治国家の市民の常識であり、まして太田三夫弁護士が日本の弁護士である以上、彼は財団が犯したルール違反をチェックすべき立場であった。ところが、太田三夫という法律家は、むしろ財団の違法なやり方を肯定し、これを利用することにしたのである。

○太田三夫弁護士の論議回避
 亀井志乃は当然のことながら、以上の点を批判した。その内容はこれまで何回か紹介したので、ここではポイントの紹介だけに止めるが、彼女は「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日)の中で次のように反論を行った。
《引用》
 
C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(乙2号証)の第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
b)平成18年4月18日付けの「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)の記録において、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は議題になっていない。この会議において紹介されたとの記録も見られない。

(中略)

e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない。

 仮にも弁護士の店を張っている法律家ならば、この程度の素人議論に再反論するなど、お茶の子さいさいでなければならない。だが、太田三夫弁護士は再反論を放棄してしまった。被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3 に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません」(被告代理人弁護士 太田三夫「事務連絡書」平成20年7月4日)。
 太田三夫弁護士は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」を受け取ってから、1ヶ月半ほど頭をひねったのだが、ついに亀井志乃の批判と要求をクリアする論理を組み立てることが出来なかったのであろう。

○再び太田三夫弁護士の論議回避
 もっとも、太田三夫弁護士はひょっとしたら、〈いや、いや、
* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」における「規程の定めにかかわらず」は、規程の変更ではなく、現行の規程の「運用」なのだ〉という言い分を考えていたかもしれない。
 それは大いにあり得ることだが、もしそうならば、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」における次のような反論に応えなければならなかったはずである。
《引用》

B 概念について
a) 「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言のおける*印は何を意味するか。もし「但し書き」ならば、法律や規程における「但し書き」は、「一の条を前段と後段に区切った時において、後段が前段の例外となっている場合を「但し書き」と言い、但し書きの原則となっている前段を本文と言う」とされている。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所には、原則を示す本文がない。本文の原則に「但し書き」が付くのは、本文を機械的に適用した場合、本文制定の趣旨が損なわれるか、または不当な不利益を蒙る者が出る怖れのある時、それを是正する処置を定めるためであるが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所は如何なる不都合、不利益を是正するために付したのか。何一つ説明が見られない。
b)「規程の定めにかかわらず」の「かかわらず」の意味が明らかではない。「規程の定めを無視する」意味なのか、「規程の定めを廃止する」意味なのか、「規程の定めを停止する」意味なのか、「規程の定めを棚上げする」意味なのか、「規程の定めと無関係に」という意味なのか。いずれにせよ、この文言は明らかに現行の規程の適用の否定または拒否を意味している。現行の規程を否定または拒否する主体は何か。その主体に否定または拒否する権限は与えられているのか。
c)「かかわらず」がb)にあげた意味のいずれであれ、この言葉は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の「運用」という概念となじまない。「運用」とは現行の規程をいかに現実の実情に即して効果的、合理的に適用するかということであって、規程の否定または拒否とは相反する行為だからである
(太字は引用者)

 仮にも弁護士の店を張っている法律家ならば、この種の概念を説明することなど、赤子の手をひねるよりもたやすいはずなのだが、しかし、太田三夫弁護士はこの再反論も放棄してしまった。被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3 に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません(被告代理人弁護士 太田三夫)。
 
 何とも情けない話であるが、弁護士という稼業は法的な議論を避け、依頼人の嘘を取り繕い、自分も敢えて嘘を吐かざるをえない羽目に落ちたりすることもあるらしい。だが、これは弁護士はどこまで嘘を吐くことが許されるのか、というテーマになるはずで、後日改めて検討したい。

○田口紀子裁判長の虚構
 ところが、田口紀子裁判長の「判決文」によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は、「運用規程」なのだそうである。
《引用》
 
2 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)
 (中略)

(5) 文学館の事務局その他の組織に関し必要な事項を定める財団法人北海道文学館事務局組織等規程(以下、「組織規定」という。)が、平成18年6月1日改定され、施行されたが(平成18年4月1日から同年5月31日までの間は、経過措置として、同様の運用が取り決められた。)、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。組織規程では、学芸員、研究員の職務内容は、「上司の命を受け、調査、研究、展示等に係る事務をつかさどる。」旨定められた(組織規程3条)が、運用について定めた、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(以下、「運用規程」という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた。(乙2(3p。太字は亀井)

 私は「判決とテロル(1)」でこの箇所を引用し、「田口裁判長はここで3点、根拠のないことを述べている」ことを指摘しておいた。
 くどくならないように、ここでは第2点目だけを繰り返すが、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名が、財団の業務課の中に設けられた「学芸班」に配置された事実は全くなかった。
 田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に基づいて、太字の箇所のように判断したらしいが、田口紀子裁判長が言うところの「運用規程」のどこを見ても、引用の太字箇所のように解釈できるような組織図もなければ、文言もない。これは
「争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」なんて筋の通ったことではなく、田口紀子裁判長の勝手な虚構、敢えて言えば田口紀子裁判長が捏造した嘘なのである。

○田口紀子裁判長の責任放棄
 ただし、今回この箇所を引用したのは、以上のことを指摘したいためだけではない。
 太田三夫弁護士は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を「運用規程」と呼ぶことはしなかった。亀井志乃の反論に応えることができなかったため、太田弁護士の中で一種の自己抑制が働いたのであろう。
 ところが、田口紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、あっさりと「運用規程」と断定してしまった。もし本当にそれがルールにかなった「運用」上の規程だと判断したのならば、田口紀子裁判長はその理由を明示すべきだっただろう。原告の亀井志乃が裁判所に提出した文書の中で、あれだけきちんと「運用」概念に異議を述べておいたにもかかわらず、田口紀子裁判長は「運用規程」と認定した。そうである以上、亀井志乃の異議を退ける理由を示すのは、裁判官の義務であり、責任のはずだからである。

○田口紀子裁判長の独断
 それともう一つ、太田三夫弁護士は、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の「事実上の上司」だったと主張はしたが、「上司」だったとは断言しなかった。「事実上の上司」の対概念は「形式上の上司」「名目上の上司」であり、本来ならば太田弁護士は、亀井志乃の「形式上の上司」「名目上の上司」は誰であったかを説明し、その上で、なぜ、如何なる根拠で寺嶋弘道学芸主幹が「事実上の上司」であり得たのかを、文字通り具体的な「事実」に即して説明しなければならないはずだった。だが、それをしなかった。裏づけになる「事実」を挙げる自信がなかったからであろう。多分そのために、弁護士としては誠に恥ずかしいことだが、とにかく彼は、何とかのお題目みたいに、「事実上の上司」を繰りかえし、だが、決して「上司」とは言い切らなかった。〈それを言ったらおしまいよ〉。寺嶋弘道学芸主幹が公務員の分限を冒したことを認めることになりかねないからである。

 その意味で、この点に関しても太田三夫弁護士の中では自己抑制が働いていたわけだが、田口紀子裁判長はそんなことはお構いなしに、平気で寺嶋弘道学芸主幹を亀井志乃の「上司」にしてしまった。
 次は彼女が掲げた判断基準である。
《引用》
 
2 争点についての判断
(1) 争点(1)(被告に不法行為があったか)について
 ア 前記第2、2(3)ないし(5)のとおり、文学館が指定管理者制度を採用し、平成18年度は、組織規程及び運用規程の改定により、平成17年度までの指揮命令系統が変更になり、業務課学芸班に所属する司書、研究員の上司は、学芸主幹とする旨定められたことから、被告が研究者である原告の上司という立場にあったと認められるから、上司として行われた、前記被告の原告に対する言動が、原告に対する不法行為に当たるかが問題となる。
 この点に関し、原告は、被告が、原告に業務に関して命令や意見を述べること、文学館の業務課が問題としない点について被告が干渉してくるなどの被告の行為の違法を主張するが、上記のとおり、原告の採用権者である文学館において、その組織規程及び運用規程において、指揮命令系統を定め、被告が原告の上司とされたことは明らかである。したがって、被告が、文学館の定めた組織規程及び運用規程に基づいて、その業務の範囲内において、原告に対して指揮、命令する限りにおいては、被告の指揮、命令が原告の業務を妨害したものとは認めることはできないし、被告の言動が仮に原告の考えと異なっていたり、不快感をもたらすものがあったとしても、それのみで、不法行為を構成する違法なものと認めることはできないが、上司である被告が、優越的地位を利用して、原告を侮辱する意図の下に、注意や叱責、不可能な業務の押しつけを行うなど、許容限度を逸脱する態様によって原告を侮辱したと認められるような場合には、原告の人格権を侵害し、不法行為を構成するというべきである。
 また、原告は、被告による原告に対する名誉毀損を主張するとともに、被告の侮辱行為等により人格権が侵害されたと主張しているところ、人の社会的評価を低下させて、原告の名誉を毀損したといえない場合には、名誉毀損を理由に不法行為は構成しないものの、名誉感情も、法的保護に値する利益であり、社会通念上許される限度を超える侮辱行為は、人格権の侵害として、不法行為を構成するというべきである。
 以上を前提に、前記争いのない事実及び証拠によって認定される事実に基づいて、被告の原告に対する言動が、不法行為を構成するか否かを検討する
(15~16p。太字は引用者)

 すでに何回も指摘したように、田口紀子裁判長は大胆不敵にも、提出された証拠物や「準備書面」にもない文言を勝手に捏造してしまった。つまり、田口紀子裁判長が言う「争いのない事実及び証拠によって認定される事実」自体に問題があり、そんな「問題あり」の「争いのない事実及び証拠によって認定される事実」を前提とした判決は、田口紀子裁判長の自作自演と言うしかない。この裁判官には、証拠物や「準備書面」をきちんと読む心構え、あるいは能力に欠けたところがあるのかもしれない。
 証拠物や「準備書面」を普通に読む心構え、あるいは能力があれば、たとえ中学生であっても、平成17年度までの財団法人北海道文学館には「運用規程」などなかったことに気がついただろう。だが、田口紀子裁判長によれば、平成17年度までには存在しなかった「運用規程」が平成18年度に「改定」されたことになっているのである。

 同時に田中紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が二次的ルールとして適法であるか否かの問題を棚上げにしてしまった。また、なぜ棚上げにして差し支えないか、一言も説明を行わなかった。
 
 しかも、田中紀子裁判長によれば、
名誉感情も、法的保護に値する利益であり、社会通念上許される限度を超える侮辱行為は、人格権の侵害として、不法行為を構成する」のだそうであるが、どうやら田口紀子裁判長は、他人の名誉感情を傷つける侮辱行為にも、社会通念上許される限度」というものがある、と考えているらしい。では、どこまでが「許される限度」であり、どこからが「許される限度」を超えて、違法行為を構成する」ことになるのか。その「社会通念」やら、「限度」やらについて、田口紀子裁判長は一言半句も説明をしていなかったのである。

○田口紀子裁判長の判決技術
 だが、亀井志乃の批判と要求を何一つクリアせず、太田三夫弁護士のためらい(自己規制)もあっさりと無視してしまい、自分の概念を伸縮自在に操作しながら、原告に押しつける。それが、田口紀子裁判長の判決技術なのであろう。
 今、その例を2、3挙げるならば、
そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告を侮辱する意図のもとに行われた、許容限度を超えた違法行為とまで認めることはできない(「平成18年4月7日の被告の言動について」。太字は引用者)となる。
 すなわち、道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹が、財団の嘱託職員(有期労働契約職員)である亀井志乃を部下と見なして、財団の嘱託職員の業務意欲に水を差すような嘲笑的な言葉を吐きかけたとしても、田口紀子裁判長が彼を「上司」と見なし、彼の嘲笑的な言動に財団の嘱託職員の業務意欲を削ぐような
「意図」はなかった、と判断する。そうするならば、彼の行為は「許容限度を超えた違法行為」とはならない、というわけである。
 しかし田口紀子裁判長は、如何なる方法を用いて寺嶋弘道被告における
「意図」の有無を知ったのであろうか。

 また、こんな判決もあった。そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法行為とまで認めることはできない(「平成18年5月2日の被告の言動について」)。
 すなわち、道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹が、財団の契約職員である亀井志乃に意見を求めながら、亀井志乃が口を開くや否や、いきなり彼女の発言を遮って、威圧的な態度で詰問を始めた。だが、田口紀子裁判長は、何故か
「原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められない」ことにして、寺嶋弘道被告の行為を免責してしまったのである。
 
 しかし、亀井志乃が寺嶋弘道被告の行為を「違法行為」と主張したのは、彼の言動から
「不快な印象」を受けたからだけではない。彼女が寺嶋弘道学芸主幹の違法行為として挙げたのは、概略次の4点だった。
《引用》

イ、 駐在道職員の被告は、年度途中に、財団法人北海道文学館の嘱託である原告に、原告が業務を担当することを前提として、企画作りを強圧的な態度で要求した。
ロ、 財団法人北海道文学館の「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在)によれば、特別企画展「石川啄木―貧苦と挫折を越えて」(期間・平成18年7月22日~8月27日 以下、「啄木展」と略)の主担当はS社会教育主事であり、副担当は原告であった。被告はその「事務分掌」を無視して「啄木展」に介入し、原告を疎外し、他方、自分が思いついたケータイ・フォトコンテストの企画作り(原告の実施を前提とする)を原告に押しつけようとした。
ハ、 原告の財団法人北海道文学館における立場は、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」嘱託の立場である。被告はそのことを理解しようとせず、嘱託職員では負いきれない、あるいは嘱託職員が負ってはならない責任が伴う業務を押しつけようとした。これは北海道教育委員会の職員である被告が財団と被告との間に結ばれた労働契約を無視した点で、「地方公務員法」第29条に問われるべき違法な越権行為である。
ニ、 被告は、原告が嘱託職員としての立場と、平成17年度に依頼されて「文学碑データベース」を作成した経験に基づいて意見を述べようとしたところ、その発言をいきなりさえぎって、原告に「財団の一員」としての自覚が欠けているかのごとく詰問した。これは嘱託職員には正職員とは異なる立場と権利があることを無視し、意見表明の自由を封じ、原告には職員としての欠格性があるかのごとく誹謗中傷した点で、憲法が保障する基本的人権を侵害した違法行為であり、また「民法」第710条に該当する不法行為である。

 
 田口紀子裁判長が、亀井志乃の「準備書面」(平成20年3月5日)から「被害の事実」を引用する際、勝手に表現を変えて印象操作をしたことは、これまでも指摘しておいた。 
 田口紀子裁判長は、亀井志乃が「被害の事実」に基づいて「違法性」を指摘した箇所については、上の判決ごとく、ほとんど無視して、「不快な印象」問題に矮小化してしまった。二重、三重に悪質な作為をほどこした判決というほかはないであろう。

○裁判官の責務
 こうした悪質な作為が次々と続き、必要に応じて今後も引用、紹介するつもりであるが、悪質な作為の極めつきは「平成19年1月31日(水曜日)」に関する判決だった。その判決が如何に不誠実であったか。「判決とテロル(5)」に詳しく指摘しておいたので、是非読み直してもらいたい。時には虚言を弄して寺嶋弘道被告を庇い立てするほど、その判決はヒドイものであった。そのところを確りと読み直した上で、今回の「○普遍規範」の箇所にもどってもらいたい。

 田口紀子裁判長は、日本の国家によって任命された裁判官(国家公務員)であり、その意味では「普遍規範」を護り、かつ公平に実行する責務を負っている。
 一般に裁判官は中立を守らなければならず、また、中立を守り得る立場にあるとされ、その立場を国家から保証されている。それは何故か。「幻想の共同利害の表現である『法』は、支配階級の意志から相対的に独立した『観念上の人格』として、支配階級の意志をも拘束する」ものであるからにほかならない。
 法廷において、法服をまとった田口紀子裁判長は、幻想の共同利害の表現である「法」の化身とも言うべき、「観念上の人格」の示現なのである。
 田口紀子裁判官の下す判決は、国家によって保証された「観念上の人格」が下した判決と見なされ、それが執行されない場合は国家権力の強制力を行使することさえできるわけだが、それだけに「法」の適用に関してはまさに「観念上の人格」として客観・厳正・公平を心がけなければならない。
 それは特にむずかしいことではなく、原告や被告の主張がきちんとした証拠の裏づけをもっているか否か、また、原告や被告の主張と証拠物が争点を明らかにする上でどれだけ有効か、あるいは争点との関連で見る時単なる無駄な贅物にすぎないか否か、それらを点検し、原告・被告の双方が納得できるように、裁判官としての判断を明示する。それだけでも客観・厳正・公平を保つことは十分に可能なのである。
 今回のケースで言えば、その明示(説明)の中には、当然、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の「上司」であり得たと判断した法的な根拠や、他人の名誉感情を傷つけることについての「社会通念上許される限度」の基準の説明が含まれていなければならない。裁判官が「市民の目線に立つ」とは、それらのことについて市民の納得が得られるように説明を尽くすことであろう。
 
 さらに言えば、亀井志乃は「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(
平成19年1月21日。甲103号証)の中で次のように指摘した。
《引用》
 
日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。
 
 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般の通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです
(太字は引用者)
 
 判決は亀井志乃が指摘するように、判決に関する二次的なルールを遵守し、かつ判決の正当性や、法運用の適切性に関する検証に耐えられるものでなければならない。このことを守り、また、先の心がけを忠実に実行すれば、「観念上の人格」の役割は十分に果たすことができるはずである。

○田口紀子裁判長の条件つき「いじめ」許容の発想
 ただ、念のために確認しておくならば、田口紀子裁判長が言う
「社会通念」と、亀井志乃が言う「社会一般の通念」とは意味が異なる。
 亀井志乃が言う
「社会一般の通念」とは、ルールの改廃や運用に関する社会通念のことであり、端的に言えば市民におけるルール遵法の観念を指す。
 それに対して、田口紀子裁判長が言う
「社会通念」とは、他人の名誉感情を傷つけながら、「いや、そんなことは、ある限度を越えなければ許されるよ」と言って済ますことができる観念(または意識)を指すわけだが、田口紀子裁判長はそういう観念(または意識)が市民の間に定着していると考えているらしい。また、田口紀子裁判長はそういう観念(または意識)の市民的定着を必ずしも否定的にとらえているわけでなく、名誉毀損か否か、人格権侵害か否かの判断基準に使うことができる、と考えているらしい。
 田口紀子裁判長の言い方を整理して行くと、どうしてもそういう結論とならざるをえない。怖いことだ。田口紀子裁判長の判決の中には、条件つき「いじめ」許容の発想が含まれているのである。

○判決と人格権侵害
 結局のところ、田口紀子裁判長の判決は、これまで数々指摘してきたように、とうてい検証に耐えるものではなかった。むしろ裁判官の立場を利用した、極めて恣意的で片寄った判断を下し、原告の亀井志乃の主張を愚弄する傾向が顕著だった。そのやり方は亀井志乃の能力をナメ切っていたとしか思えず、これは裁判官が判決の名を借りて行った人格権侵害と呼んでも過言ではないだろう。
 
 最近日本では裁判員制度が実施され、裁判官も弁護士もしきりに「市民の目線」を強調している。しかし田口紀子裁判長の判決文からは「市民の目線」は欠片
(かけら)も見出すことができなかった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

判決とテロル(10)

深層構造論とルール論とを交錯させて

○仕切り直し
 だいぶ間が空いてしまった。「判決とテロル(9)」を載せてから、2ヶ月近くも経っている。いきなり前回に続く議論を始めると、かえって分かりにくいかもしれない。
 今回は、私自身の頭の整理を兼ねて、ことの経緯を発端にまで遡り、そこから改めて辿り直す。それと併せて、私が使う言葉の概念を確認する形で進めて行きたい。

○雇い止め通告と亀井志乃の質問
 亀井志乃は平成18年12月6日(水)、当時の毛利正彦文学館長より、平成19年の雇用を更新しない旨の「方針」を告げられた。
 亀井志乃にとっては突然の解雇予定の通告であり、その理由を質問したが、毛利正彦館長の説明は要領を得ない。亀井志乃にとっては到底納得できることではなかった。
 そこで亀井志乃は、12月6日の「面談」の記録を添えて、「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書(甲50号証)を、平成18年12月12日(火)、毛利正彦館長、平原一良副館長、寺嶋弘道学芸主幹に手渡し、神谷忠孝理事長には郵送した。
 この場合の「撤回」とは、毛利正彦館長が言う「財団の任用方針」を一たん白紙に戻し、
当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定する」という意味である。
 それに関連して亀井志乃は、次の4点を質問した。
《引用》
 
イ、『財団の意向を反映し代表する我々』(毛利発言4)に、あなたも入っていますか。毛利館長が言う『我々』が『財団の意向を反映し代表する』と言い得る理由は何ですか。 ロ、毛利館長の任用方針の通告における『財団の事情』とは、どういう事情ですか。 ハ、『理事の人たちのかねての意向』(毛利発言3)は、どういう人たちの、どのような会合において表明されたのですか。 二、『かねてからの問題』(毛利発言4)とは、どういう問題ですか。
 
 この質問における「毛利発言3」とか、「毛利発言4」とかいう番号は、亀井志乃が「面談」記録に書き留めた毛利正彦館長の発言の順序を示したものであるが、今回のテーマと直接には関係しないので、具体的な紹介は省略する。
 むしろここは、亀井志乃の質問の性質・内容のほうに注意を向けてもらいたい。一読して明らかなように、亀井志乃が訊きたかったのは、〈次年度の人事に関する財団の方針の決定はどのようなルールに基づいていたのか〉ということであった。
 なぜ亀井志乃はこのような質問をしたのか。亀井志乃は財団法人北海道文学館の正職員ではなく、契約期間の定められた嘱託職員であるが、彼女のような有期労働契約の職員に関する、厚生労働大臣の告示「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」は、
使用者は、雇止めの予告後に労働者が雇止めの理由について証明書を請求した場合は、遅滞なくこれを交付しなければならない」となっている。しかも、その「理由」は、契約期間の満了とは別な理由を明示することを要するものであること(太字は引用者)となっているからである。
 亀井志乃は毎年契約を更新する形ではあったが、既に2年以上勤めていた。2度の契約更新は口頭で本人の意志を確認するだけの、形式的な手続きにすぎず、実質的には自動更新に近かった。しかも彼女は文学博士の学位を持っており、有期契約に関する現行法は5年間契約を継続することを認めている。つまり、亀井志乃との契約が形式上は平成18年度一杯であったとしても、それだけでは平成19年度からは「雇止め」とする「理由」にはならない。それとは「別な理由」を、財団は「明示」しなければならなかったのである。
 亀井志乃が質問したのは、〈財団が契約期間切れとは「別な理由」で亀井志乃の雇止めを決めたのならば、それは如何なる理由で、その決定はどのようなルールに従って下されたのか〉ということであった。

○毛利正彦館長の回答
 それに対して、12月27日、毛利正彦館長は次のような回答(甲51号証)を亀井志乃に手渡し、20分ほどその内容について説明した。平原一良副館長が同席していた。
《引用》
に対する毛利回答〕理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)は、職員の任用等に関し当然責任のある立場にあり、そのことは財団の寄附行為のとおりです。なお、学芸主幹は道教委の駐在職員であり、その任にありません。

に対する毛利回答〕将来にわたって、館の学芸体制を担い、支える財団職員の育成が急務だということです。

に対する毛利回答〕特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きしています。

に対する毛利回答〕質問ロに同じです。

 〔に対する毛利回答〕を見る限り、財団法人北海道文学館には、職員の採用または解雇に関するルールがあったかのように見える。だが、毛利正彦館長が「亀井さん、もっと勉強しなさい」と言いながら、亀井志乃に手渡した、財団法人北海道文学館における「寄付行為」を規定した文書は、全文ではなかった。また、手渡された文書を見る限り、職員の任用に関して理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)の権限と責任を明記した条文はなかった。毛利正彦館長と平原一良副館長はことの重大さを認識できず、適当にあしらっておくつもりだったのであろう。
 だが、〔
に対する毛利回答〕で分かるように、彼等は亀井志乃が求めるようなルールを知らなかった。あるいは、そのようなルールはなかった。もしルールがあるならば、毛利正彦館長と平原一良副館長は、亀井志乃の雇止めの方針決定が何日、どのようなプロセス(ルールに基づく)を経て決定されたかを、具体的に説明できたはずである。
 ところが、〔
に対する毛利回答〕が語っているのは、むしろその反対であって、亀井志乃の雇止めは、毛利館長や平原副館長を含む数人の私的な人間関係の中で、極めて恣意的に決められてしまった。そう受け取るほかはないであろう。

○亀井志乃の再質問
 だが、毛利館長と平原副館長の回答は亀井志乃を納得させるものではなかった。そこで亀井志乃は、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)を書き、その中で次のように反論し、関連する質問を追加した。
《引用》
 
これは回答になっていません。それだけでなく、理事会の議を経ずに、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」というような根拠の曖昧な「意見、意向」で、来年度の任用方針を決めるのは、明らかに逸脱、越権行為です。このことだけでも、私の「白紙撤回の要求」の正当性が証明されたと言えるでしょう。
 それ故、改めて要求致します。去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。

 以上のことと共に、次のことについて、回答を要求します。
A.
特定の会合に限らず」という言い方は、「特定の会合」もあったことを意味します。それは、何時の、どのような会合で、出席者はどなたですか。
B.
日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員から」における理事や評議員、会員、職員とは、どなたですか。具体的に名前を挙げて下さい。
C
.「日常における意見交換」は何時、どんな場面で行われたのですか。具体的に時間、場面をお教えください。
D.毛利館長の回答によれば、毛利館長が言う
「我々」4人は、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きして」来年度の任用方針を決めたことになりますが、その時、毛利館長が言う「我々」4人は自分たちのどのような権限に基づいてそれが可能だ、と考えたのですか。

 亀井志乃はここでもルールの有無を質問し、また、毛利館長が言う「我々」4人の決定が果たしてルールによってオーソライズされた手続きを踏んでいたか否かを訊いたのである。
 
 他方、亀井志乃は〔
に対する毛利回答〕に関しては、次のように反論をした。
《引用》
  
この理由は、私を解雇する口実としか思えません。私は12月6日、毛利館長から、突然、来年度から嘱託職員を任用する予定がないこと、つまり唯一の嘱託職員である私を今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。私はそれが一方的で、不当な解雇通告であることを指摘し、抗議しましたが、その時毛利館長は、なぜ来年度から嘱託職員を任用しないことにしたかの理由について、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉と説明しました。つまり、年齢制限を設けることによって私が「公募」に応募するチャンスを奪おうとしたわけです。
 それから約1週間後の12月13日、私は、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。
 その公募要項を見ると、雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用については、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取ることになっています。私には、「これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人」と説明しながら、10年先、20年先までも働いてもらう予定の常勤職員(正職員)を、単年度雇用して、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて」再募集する、あるいは契約を更新する。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。

 去る12月27日、毛利館長と平原副館長は、私がそうした疑問を口にしかけると、しきりに「財団には金がない」、「職員の身分保証はできない」、「これは苦肉の策だ」と強調しはじめました。ところが、募集要項の「学芸員、司書の募集について」では、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。普通に考えれば、その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。
 毛利館長の言葉は矛盾ばかりです。
 ついでにもう一つ、毛利館長の疑わしい発言例を挙げておきます。12月20日、運営検討委員会が開かれました。そこで、次年度の任用方針についても説明がなされたと聞いています。ただ、その会議に出席した川崎業務課長が私に語ったところによれば、「その委員会は何かを決める会議ではなく、方針説明だから、任用に関しても何かが決まったわけではない」ということでした。私の事について質問や反対意見が出されたか、と聞いたところ、特には出なかったとのことでした。
 ところが、12月27日、毛利館長は私に「運営検討委員会で、来年度の任用の方針が承認された」と告げています。そして「何人かの委員から質問が出、館として説明させていただいた」ということでした。どちらが本当なのでしょうか。
 それに、何かを決定する会議でないのであれば、館側としても、その会議で私の雇用問題が“解決”したというふうには主張できないのではないでしょうか。
 もし仮に毛利館長が言う「我々」4人が、来年度以降における私の不採用を望んだとしても、その決定は別な会議で議され、決定されなければならないはずです
(太字は引用者)

 これも筋の通った反論だと言えるだろう。ただし、多分この時点における亀井志乃は、これが相手に決定的なダメージを与える反論とは自覚していなかった。その後、彼女は北海道労働局の職員の助言を受けて、「雇用対策法」や、それに伴う厚生労働大臣の「年齢指針」を調べているうちに、財団の明らかな法律違反に気がついた。そして弁護士のTさんと相談して、労働審判に踏み切ったわけだが、その間の経緯については、「北海道文学館のたくらみ(17)」及び「同(18)」に書いておいた。

○財団法人北海道文学館におけるルール意識の欠如
 毛利正彦館長は亀井志乃のこのような質問に答えることができなかった。その理由は先ほども指摘したように、毛利正彦館長が言う「我々」4人にはルールをきちんと踏まえる意識が欠けていたためだったと思われるが、もっと端的に言えば、彼等はルールに関する亀井志乃の考え方を理解できなかったのである。
 
 私たちは一定のルールに従って野球の試合をする。このルールを「一次的ルール」と呼ぶわけだが、その試合がまさに試合として成立するためには、私たちは試合の進行や、私たちのプレーに関するジャッジを審判員に委ねなければならない。
N.マコーミックの『ハート法理学の全体像』(角田猛之編訳。晃洋書房、1996年。Neil MacCormick,“H.L.A. Hart” 1981)の言葉を借りるならば、
《引用》

人がチェスをする際、見つからないことを念じつつ、自分のナイトを禁じられた仕方で動かしたいという誘惑にかられることもあるかもしれない。しかし、人がそうしないことを決めるのは、その人が『チェスというゲームをすること』への『批判的に反省的な』コミットメントの態度をとっているからである。少なくとも、見つかったならば、彼は自分が間違っていることを認める。かりに認めないとすれば、彼はたんに『チェスというゲームをしていない』のではなく、実際、チェスというゲームをするのに失敗しているのである。
 
 私たちはルール通りに試合が進行するよう、プレーに関するジャッジを審判員に委ねるわけだが、もちろん審判員は、選手が守るべき「一次的ルール」に従って、それぞれのプレーにジャッジを下す。それと共に、審判員には更に二つのルールが課せられることになる。
その一つは、その審判員に審判員たる資格を与えるルールであって、一般的には何らかの公的なコミッション(委員会)が資格付与の権限を持ち、一定の教育と訓練、そして能力審査の結果、資格を与えることになるだろう。このルール(権限付与の手続き)を経ないかぎり、公的な審判員と認定され得ないわけである。
もう一つは、この審判員が実際に試合の進行を司る際のルールであって、単にそれぞれのプレーのジャッジをするだけでなく、彼がプレーボールを宣言してからゲームセットの宣言を下すまでの間に遵守すべきルールである。審判員が審判に関するルールを守らず、恣意的なジャッジを下すならば、野球の試合が野球の試合でなくなり、何か別のゲームになってしまう。というより、審判員のジャッジに「ルール」がないゲームというものは、そもそもあり得ないのである。
 審判員に課せられたこの「ルール」を、「二次的ルール」と呼ぶ。このことは「判決とテロル(6)」で説明しておいた。

 これを文学館の場合になぞらえて言えば、亀井志乃は週に4日間勤務する契約だったわけだが、その4日間の曜日はどうなっているか、1日の勤務時間は何時から何時までか、どんな勤務(「事務分掌」)に就くべきかなど、具体的な業務に関する取り決めを「一次的ルール」と呼ぶ。それに対して、亀井志乃の勤務条件や、責任と権限、契約期間などに関する取り決めは、「二次的ルール」に当たるだろう。
 亀井志乃は財団における「二次的ルール」の有無や、もしそれが存在する場合、誰が(どういう組織が)「二次的ルール」に責任を持ち、その執行を誰に課したのか、などのことを質問したわけだが、毛利正彦館長と、彼が言う「我々」4人は、その質問の意味や性質を理解することができなかったらしいのである。

○毛利正彦館長の言いがかり
 多分そのためであろう。亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(前出)に対する毛利正彦館長の返答、「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」(平成19年1月17日。甲53号証)は、次の如くだった。
《引用》
 
財団と館の意思として申上げます。
 平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。

 要するに毛利正彦という文学館長は、自分達がどういうルールに従って物事を決定してきたか、何一つ説明ができなかった。そこで苦し紛れにイタチの最後っ屁、逆恨みめいた言いがかりをつけてきたわけだが、亀井志乃が「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(平成19年1月21日。甲103号証)によって完膚なきまでに批判し、私は関連箇所を「北海道文学館のたくらみ(6)」で紹介しておいた。

○平原一良副館長の作為
 この間、毛利館長にぴったり寄り添う形で事を進めていた平原一良副館長も同様であって、彼は裁判の「陳述書」
(日付は2008年4月8日。乙12号証)の中で、こんなふうにルサンチマンを晴らそうとしていた。
《引用》
 
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる「パワーハラスメント」の問題について訴えました。私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした。
 やがて、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました。その前後に、亀井志乃氏がこの職員募集問題を自分の任用問題と重ね合わせてとらえ、館長室に怒鳴り込む場面などがありました。
 このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました。これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした。このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました。毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりではなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました
(下線は亀井)

 平原副館長の「陳述書」(署名、捺印した証言)が如何に虚偽に満ちているか、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」平成20年5月14日)で詳細に指摘し、反論を加えた。だが、平原一良副館長からの再反論はなかった。
 また、私のブログに関する記述の虚偽、曖昧さについては、「北海道文学館のたくらみ(38)」で指摘し、公開質問状の形で、質問を5点挙げておいたが、今日に至るまで平原一良副館長は反論一つできないありさまだった。

 それ故、同じ反論や批判は省略し、ここでは、如何に平原副館長の言葉が作為に満ちているかを指摘するにとどめるが、私が下線を引いておいた言葉に注目していただきたい。
 亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントをアピールする文書(甲17号証)を平原副館長や寺嶋学芸主幹に手渡したのは、平成18年10月31日のことだった。平原一良副館長はそのことに言及してから、直ちに
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し」と続けていたが、亀井志乃が財団の理事や評議員に「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」という文書を郵送したのは、平成18年12月13日以降のことである。しかも、10月31日から12月13日まで、約1ヶ月半の間に、11月10日の、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いがあり、12月6日の雇止めの通告があり、12月12日の「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書のことがあった。
 だが、平原一良副館長はそれらのことには全く言及せず、あたかも亀井志乃が理事や評議員に、寺嶋学芸主幹のパワー・ハラスメントを訴える文書を
「波状的に……数次にわたって」送り続けたかのように、事情をすり替えてしまったのである。
 亀井志乃は「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」の後、財団の理事と評議員に、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」
(平成19年1月7日)、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告(其の2)」(平成19年2月11日)を郵送した。要するに、ほぼ1ヶ月置きに、2度、ぜひご一読の上、事の成り行きをお心にお止め下さいますようお願い申し上げます(「中間報告」)と、経過報告をしたに過ぎない。
 
 そんなわけで、もし平原一良副館長が言うように、
私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました」ということがあったとすれば、それは亀井志乃の文書を読んだ理事や評議員の問い合わせや意見に対応に追われた、という意味だろう。では、平成18年12月13日以後、彼等はどんな善後策を講じたと言えるのか。彼らは亀井志乃の抗議を無視して平成19年度の職員公募の作業を推し進めたり、亀井志乃が「二組のデュオ展」の展示準備に取りかかる直前に、寺嶋弘道学芸主幹と謀って、年間計画になかった「イーゴリ展」を割り込ませたり、3月9日に常陸宮ご夫妻が来館した折、説明役の平原一良副館長がとんでもないミスを犯したり(「北海道文学館のたくらみ(31)」)した。だが、私の日本語に関する知識によれば、こういうことに「善後策」という言葉は使わないはずである。
 
 ただし、平原一良副館長の文章は、
「……善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも……」と続いており、彼が言う「善後策」は、平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関する「善後策」だった意味にもなる。しかしその問題は、すでに平成18年11月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いで、一応の合意点に達しており、今更「善後策」を相談する必要はない。
 つまり、もし「善後策」が平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関することだったすれば、わざわざ
「その後」の次に、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる『パワーハラスメント』の問題について訴えました。」という一文を挿入する必要はなかった。この一文を削除したほうが、文意がすっきりと通る。

 要するに、平原一良副館長が「その後」とか、「やがて」とかと曖昧に表現した事柄を、きちんと日付を入れて整理してみるならば、彼の証言がいかにいい加減で、小汚い誤魔化に終始していたか、たちまち明らかになってしまうのである。

○再び平原一良副館長の作為
 また、
やがてから始まる段落について言えば、平成18年12月6日、亀井志乃は毛利館長から、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉という理由とともに、来年度から雇用を打ち切ると通告された。そうである以上、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました」と平原一良副館長が言う、「話し合い」はそれ以前に行われていたはずである。
 そして川崎業務課長が「学芸員、司書の募集について」(「平成18年12月」とあるのみで、日付を明記せず。甲19号証)という募集要項を文学館のホームページに載せたわけだが、亀井志乃がそれに気がついたのは12月13日のことだった。亀井志乃は、毛利館長から雇用打ち切りを通告されてからわずか1週間後にこれを見たわけで、それを自分の雇用問題と結びつけて受け止める。これは当然のことだろう。
 だが、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかどうか。これは読者の判断に任せるしかない。ただ、「○亀井志乃の再質問」の箇所で引用した、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)の文章、これはもちろん12月13日以後に書いた文章だが、館長室に怒鳴り込むような人間が果たしてこのような内容を、このような文体で書くものかどうか。そう考えて見れば、結論はおのずから明らかだろう。
 ばかりでなく、そもそも平原一良副館長の
「その前後に」という言い方自体が、彼の証言のいかがわしさを露呈してしまった。そう言えるだろう。なぜなら、その前に……怒鳴り込む」などということは起こり得るはずがない。だからこのような場合は、その後」の何月何日に、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかを明記すべきだった。それと共に、平原一良副館長自身がその「場面」を目撃したのか、それとも毛利館長から聞いたことだったのか、それもまた明記しなければならなかったはずである。

 ところが、平原一良副館長の文章はそこから一転して、このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し……」と進んで行くわけだが、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との間で、亀井志乃の席を「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移すことが合意されたのは、平成18年11月10日のことだった(「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」平成18年11月14日。甲18号証)
 しかし、平原一良副館長の文章における
「このころ」は、どう読み直して見ても、その前の段落で言及していた時期を指す。つまり川崎業務課長が職員公募の募集要項を文学館のホームページに載せ、亀井志乃がそれに気がついた時期を指しているとしか読み得ない。平原一良副館長は、「このころ」という曖昧な言い方で、時期を1ヶ月もずらしてしまったのである。
 しかも、平原一良副館長の証言によれば、
このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」ということになるわけだが、私が「北海道文学館のたくらみ(1)」を載せたのは平成18年12月28日のことであり、亀井志乃の席が「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移った時期から1ヶ月半も経っている。毛利正彦館長が亀井志乃に雇用打ち切りの通告をした日から数えても、20日以上が過ぎていた。
 平原一良副館長は、亀井志乃が毛利館長室に怒鳴り込み、それと相呼応して、私がブログで
「仮借ない糾弾」「あられもない言及」を再開したことにしたかったらしい。如何にも彼らしいルサンチマンの晴らし方であるが、以上見てきたごとく、彼の書き方は、建付が悪い上に、蝶番(ちょうつがい)が外れかかっている。ちょっと揺さぶりをかけると、たちまち見せかけの理屈が崩れてしまうのである。
 何とも無様な書き方であるが、要するにこれは、亀井志乃の抗議と要求に対して、自分と毛利正彦館長が不誠実な対応しかしてこなかった事実を隠そうとした結果だろう。

○深層構造論の視点で
 そのことは、
12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」という文章の構文自体からも読み取ることができよう。
 私は「判決とテロル(8)」で、R・ホッジとG・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』における、
 A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
           ②非処置文 中島が走る
 B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
           ④特性文  中島は早い
という、4つの基本文型を紹介した。
 この文型で、平原副館長が言うところを、事実のレベルで整理してみるならば、次のようになる。
 
 12月になり、
「当財団幹部が、新たな体制構築のために次年度の職員募集について考えてはどうか、と話し合った」→「川崎業務課長が具体的な募集要項を作成した」→「川崎業務課長が募集要項をホームページに公開した」

 このように整理してみると、は一見「①処置文」のようだが、実は「②非処置文」であることが分かる。「中島が一塁に向かって走る」や「中島がボールを追って走る」における「一塁に向かって」や「ボールを追って」は「走る」という行為表現の補語であるが、それと同じく、「財団幹部が……について話し合う」の「……について」は、「話し合う」行為の対象(目的語)というより、「話し合う」行為の内容説明(補語)と言えるからである。
 別な言い方をすれば、
が「①処置文」であるためには、「当財団幹部が、次年度の募集要項を決定した」と言うべきだった。だが、平原一良副館長は「②非処置文」の形に言い換えることによって、自分達が「決定した」責任を曖昧にし、回避しようとした。その結果、ロの如く、あたかも川崎業務課長が主体となって事を運んだかのように読める書き方にしてしまったのである。

○再び深層構造論の視点で
 ついでに言えば、
具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」の構文は、「亀井志乃の訴えに関する法的判断が田口紀子裁判長によって下され、法廷で告げられた」と同じ構文となる。
 前者は「募集要項の作成など」を主語とする受身形の文であり、後者は「法的判断」を主語とする受身形の文であるわけだが、後者の受身形を簡略な命題文に抽象化するならば、「判決が下る」と要約することができる。それに対して、行為主体を明示する「①処置文」のほうは、「田口紀子裁判長が判決を下す」とならざるをえない。
 こうしてみると、「判決が下る」における「判決」は、形式的には「下る」の主語であるが、「判決」それ自体は決して行為主体ではない。「食が進む」や「研究がはかどる」における「食」や「仕事」と同じく、誰かによってなされる行為そのもの(あるいは行為の結果)を意味する。そんなわけで、「食が進む」「研究がはかどる」における「進む」や「はかどる」という動詞は、行為を表すというよりは、むしろ「食欲が旺盛だ」とか、「研究の進み具合が順調だ」とかと同じく、「食」や「研究」の様相(How)をあらわしていると見るべきだろう。その意味では、「B 定義文」の「④特性文」に近いのである。
 
 これとは違ったやり方ではあるが、R・ホッジとG・クレスは、受身形が「attributive(④特性文)」に近づくことに注目していた。
 
 「判決が下る」「食が進む」「研究がはかどる」などは、慣用句に近い働きを持ち、簡潔な表現に適している。だが、それは、文の表層構造(surface structure)から行為主体を消して(delete)することで作られた特性であり、受身形の表現がこの形に近づく時は、行為主体の責任を曖昧にしてしまう傾向がある。
 平原一良副館長はそういうやり方によって、川崎業務課長の責任についても、どこか曖昧なものを感じさせる書き方を選んだわけが、これは川崎業務課長に対する遠慮(または配慮)というよりは、あくまでも彼等自身の責任を回避したい企みの現れと見るべきだろう。

○神谷忠孝理事長決定の妥当性について
 さて、ここで、亀井志乃に対する文学館側の対応の問題にもどるが、毛利正彦館長は「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」
(平成19年1月17日。甲53号証)で、一方的に対応を打ち切ってしまった。
 彼のこの傲慢な態度は、先ほど紹介した、亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」(平成19年1月6日。甲52号証)の質問に答えることができなかったことの裏返しであっただろうが、同じ文章における次のような質問にも答える自信がなかったためかもしれない。
《引用》
 
館長・毛利正彦氏が「財団及び館」を代表して、「財団及び館としての考え方」を回答できる根拠は何ですか。
 去る12月27日、私は館長室に呼ばれましたが、その少し前に、川﨑業務課長から、「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と教えられました。確かにこの事自体は、財団の規定に照らしても客観的な事実であろうと考えられます。
 そうしますと、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあることになります。換言すれば、一連の問題に関して、これまで主に毛利正彦館長が私に対応してきましたが、それは館長の越権行為であることになります。それ故、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。
 その証明をお示し下さい。その証明がないならば、毛利館長が私に行った説明は全て無効となり、私の白紙撤回の要求は極めて正当な要求だったことになります。

 ただし私は、規定の上では「人事に関する決定権は神谷理事長にある」からと言って、この規定が神谷理事長に、「人事に関する決定権」を独占的、独裁的に許している、とは考えていません。この規定が意味するところは、次のようなものと考えられます。「人事に関する方針を議する、何らかの合議体があり、その合議体で決めた方針が、理事長の意志として表現される。この合議体の決定を経ない〈理事長の意志〉はあり得ないし、あってはならない。その合議体の決定は、〈理事長の意志〉として表現されて、はじめて効力を持つ。」
 私は、財団・北海道文学館における、この合議体は理事会だと考えますが、いかがでしょうか。
 そこで改めて質問致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」の正当性を保証するものは何でしょうか。
 それに関連して、もう一つお訊ね致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」が恣意的、独裁的に行使されるのを防ぐために、――例えば人選が私情や個人的な利害によって行われるのを防ぐために――当然、権限の幅が設定されていると思いますが、それはどのように設定されているのでしょうか
(太字は引用者)

 一読して分かるように、亀井志乃は特別にむずかしいことを訊いたわけではない。ごく単純に、財団法人北海道文学館における意志決定の手続きはどのようなルールに基づいて行われているかを質問しただけであって、毛利正彦館長はそのルールを説明し、どのようなプロセスでそのルールが執行されたかを答えればよかったのである。
 ところが毛利正彦館長は、
財団と館の意思として申上げます。/平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません」と突き放しにかかった。よほど取り乱して、自分が何を問われているのか分からなかったのであろう。こんな答え方をすれば、〈財団法人北海道文学館と道立文学館はどういう手続きを踏んで、「これ以上、あなた(亀井志乃)の要求・質問にお答えするつもりはありません」という意思を決定したのですか〉と切り返されてしまうはずなのだが、そのように自分の返答を捉え直す余裕さえなかった。その錯乱は、こうした要求・質問を私どもに対し行い、……」の支離滅裂に続くわけだが、自分が何を問われているかを自覚していたならば、こんな答えにはならなかったはずである。

○神谷忠孝理事長に対する直接的な問いかけ
 亀井志乃は毛利副館長の支離滅裂を見て、毛利正彦館長を見限ることにしたらしい。そこで、質問の相手を神谷忠孝理事長に切り替えたわけだが、それが、「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」
(平成19年1月21日。甲103号証)である。その中で亀井志乃は、毛利正彦館長の文章を批判的に分析し、それと共に次のような問題設定を行った。
《引用》
 
私の言うことはお分かりいただけると思います。日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。

 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般に通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです。

 毛利正彦氏の回答は、〈財団・北海道文学館の「嘱託員の任用要領」は単年度雇用制を取っており、雇用の決定は理事長が下す。その規則に則っている限り、「我々」の決定は正当なのだ〉という理屈に基づいているようです。しかし、規則適用の正当性や、規則運用の適切性を保証する一定の手続きを欠いた、そんな理屈が、民主的な市民社会で通用するはずがありません。私が疑問に思い、質問したのは、そういう決定のプロセスと合法性についてなのです(太字は引用者)

 再びN.マコーミックの『ハート法理学の全体像』によるならば、彼は裁判官の義務をこのように規定している。
《引用》
 
たとえば、領域Tに住むすべての人々に対し裁判管轄権を有する一定の裁判官集団には、一定の立法者Lによって制定され、その後も廃止されていないルール、そして、Lによって制定されたルールに抵触するものを除く、これら裁判官たちとその先任者が下した判例、さらには、Lによって制定されたルールと、拘束力を持った判例に抵触するものを除くTで観察される習慣的ルール、これらのすべてを適用する義務があるとされる。
 
 ちょっと分かりにくい言い回しであるが、
領域T」を日本に、一定の立法者L」を国会に置き換えてみれば、彼が言う意味は明らかだろう。
 マコーミックの裁判(官)論は、田口紀子裁判官の判決文の問題点をあぶり出す視点ともなり得るが、この問題は後に譲りたい。ともあれ、亀井志乃は現在の法理論の水準をほぼクリアした形で、神谷忠孝理事長に、ルールの有無を問うた。あるいはルールが明文化されている場合の、ルール適用の正当性や、ルール運用の適切性について問うたわけだが、しかし、神谷忠孝理事長はみずからの責任においてこの質問に答えることを避けてしまったのである。

○平原一良副館長の証言における虚偽と名誉毀損
 なお私は、文章の流れが悪くなるのを避けるため、途中での言及は控えてきたが、平原一良副館長の「陳述書」における、
このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました」をもう一度取り上げるならば、これは二重の意味で亀井志乃を侮辱する、名誉毀損の証言である。
 まず「緊急避難」という法律用語であるが、これは刑法においても、民法においても、「急迫した危難を避けるために」やむを得ず他人の法益をおかす行為(あるいは、その物に加える損壊行為)を意味する。では、亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントを、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、寺嶋学芸主幹という限られた人間に、文書でアピールした行為の、どの点が、誰に対して、「急迫した危難」であったのか。
 平原一良副館長は、
これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした」と説明しているが、亀井志乃は上記3人にアピール文を手渡し、1人に郵送したにすぎなかった。そのことによって事務室内の空気がおかしくなることはあり得ない。いわんや「急迫した危難」と認識せざるをえないような事態を生んだとは思えない。もし事務室内の空気がおかしくなったとすれば、それはアピール文を受け取って、「急迫した危難」とパニクッてしまった、上記4人の言動によってではないか。
 いずれにせよ、「緊急避難」という表現は、亀井志乃の行為を「急迫した危難」と見なした証拠にほかならない。これは明らかに亀井志乃に対する名誉毀損である。
 
 しかもこの言葉は、この時初めて使われたわけではない。平成18年10月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いの席上、毛利館長がその言葉を使い、次のような経緯で撤回していたのである。
《引用》

① 亀井の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、亀井が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
② 亀井の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。亀井は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
③ 亀井の席の場所を、亀井自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
④ 亀井の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益となるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。

 ①・②に関しては、10日の話し合いの中で、毛利館長・平原副館長より真っ先に提示があった条項である。
 なお、この部分は、当初は毛利館長により〈緊急避難的に〉と表現された。しかし、この10日昼の時点において、今回質問状を手にした誰からも、亀井の側について非難されるべき問題点があると具体的に指摘されてはいなかった。そうである以上、亀井が、寺嶋主幹の日ごろの態度を高圧的・過干渉と受けとめざるを得ず、また、文学碑データの業務をサボタージュしていたかの如く表現されたことを不当と感じざるを得なかった事情については、〈誰もその事に対して反論できなかった〉と結論する事自体は許されるであろう。(なお、10月11日を過ぎた後も、反論ないし非難はどこからも亀井のもとに戻って来ていない。)
 従って、これは〈緊急避難的〉な措置などではなく、亀井が要求していた文学館側の対処として当然なされるべき事と考え、話し合いの中でそのように主張した。そして、毛利館長も、最終的には〈緊急避難的〉という言葉を撤回した
(太字は原文のママ)
 
 これは、亀井志乃の「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」
(平成18年11月14日。甲18号証)からの引用であるが、毛利館長は①と②の取り決めに関して、「緊急非難」という言葉を使った。財団法人北海道文学館の幹部職員は、こういう他人の人格誹謗に通じかねない怖い言葉を、無造作に、無神経に使う習慣を持っているのかもしれない。
 だがこの言葉は、亀井志乃の反論によって撤回された。平原一良副館長はその場に同席し、毛利館長と亀井志乃のやり取りの一部始終を見聞していたはずである。また、亀井志乃はその時の話し合いを、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」の形にまとめ、神谷理事長や毛利館長や寺嶋学芸主幹だけでなく、平原副館長にも渡しており、彼は当然目を通していたはずである。話し合いの席上、彼は亀井志乃に反論をせず、「取り決めについて」を受け取った後も、亀井志乃に訂正を申し込んでいない。平原一良副館長も亀井志乃の主張には服さざるをえなかった。そう解釈されても仕方がないところだろう。
 
 もっとも、平原一良副館長がその「陳述書」の中で、「緊急避難」という言葉を使ったのは、①と②についてというよりも、むしろ③の取り決めについてだった。だが、亀井志乃の次の記述を見れば分かるように、③の取り決めも決して「緊急避難」として決まったわけではない。
《引用》
 
③については、毛利館長・平原副館長より、「亀井がそれをあくまで要求するならばそのように対応しない事はないが、亀井が現在の席を移る必要はないというみんなの意見もある」との話があった。
 この時、実は、〈みんな〉というのがどの範囲の人々であるのか、また、どのような方法でその〈みんな〉から意見を集約したのか、という事については、最後まで具体的な説明がなかった。その意味で、必ずしも納得がゆく説明ではなかったが、一応、そうした意見が亀井に対して提出されたという話を受け入れた上で、現在までの〈学芸班〉の状況を取りまとめると、以下のようになる。
 学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべてS社会教育主事やA学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
 これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した
(太字は引用者)

 要するに毛利館長も平原副館長も亀井志乃の主張に服し、合意したのであり、しかも平原一良副館長は亀井志乃の「取り決めについて」を受け取った後も、訂正を申し込むことはなかった。
 分かるように、平原一良副館長は自分でも合意しておきながら、「陳述書」では以上のような経緯を全く無視して、ぬけぬけと
「幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し」と嘘を吐き、「緊急避難」と称している。毛利館長の「緊急避難」は不謹慎ではあるが、不用意だったと見られないわけではない。だが、平原副館長は撤回の経緯を知りながら、敢えてその言葉を使って亀井志乃の行動の非常識や異常さを印象づけようとした。虚偽の陳述をなした上に、名誉毀損の言葉を重ねたのである。
 先に私が「二重の名誉毀損」と言ったのは、この意味にほかならない。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »