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判決とテロル(10)

深層構造論とルール論とを交錯させて

○仕切り直し
 だいぶ間が空いてしまった。「判決とテロル(9)」を載せてから、2ヶ月近くも経っている。いきなり前回に続く議論を始めると、かえって分かりにくいかもしれない。
 今回は、私自身の頭の整理を兼ねて、ことの経緯を発端にまで遡り、そこから改めて辿り直す。それと併せて、私が使う言葉の概念を確認する形で進めて行きたい。

○雇い止め通告と亀井志乃の質問
 亀井志乃は平成18年12月6日(水)、当時の毛利正彦文学館長より、平成19年の雇用を更新しない旨の「方針」を告げられた。
 亀井志乃にとっては突然の解雇予定の通告であり、その理由を質問したが、毛利正彦館長の説明は要領を得ない。亀井志乃にとっては到底納得できることではなかった。
 そこで亀井志乃は、12月6日の「面談」の記録を添えて、「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書(甲50号証)を、平成18年12月12日(火)、毛利正彦館長、平原一良副館長、寺嶋弘道学芸主幹に手渡し、神谷忠孝理事長には郵送した。
 この場合の「撤回」とは、毛利正彦館長が言う「財団の任用方針」を一たん白紙に戻し、
当事者の意向と実績評価に基づく人事構想を策定する」という意味である。
 それに関連して亀井志乃は、次の4点を質問した。
《引用》
 
イ、『財団の意向を反映し代表する我々』(毛利発言4)に、あなたも入っていますか。毛利館長が言う『我々』が『財団の意向を反映し代表する』と言い得る理由は何ですか。 ロ、毛利館長の任用方針の通告における『財団の事情』とは、どういう事情ですか。 ハ、『理事の人たちのかねての意向』(毛利発言3)は、どういう人たちの、どのような会合において表明されたのですか。 二、『かねてからの問題』(毛利発言4)とは、どういう問題ですか。
 
 この質問における「毛利発言3」とか、「毛利発言4」とかいう番号は、亀井志乃が「面談」記録に書き留めた毛利正彦館長の発言の順序を示したものであるが、今回のテーマと直接には関係しないので、具体的な紹介は省略する。
 むしろここは、亀井志乃の質問の性質・内容のほうに注意を向けてもらいたい。一読して明らかなように、亀井志乃が訊きたかったのは、〈次年度の人事に関する財団の方針の決定はどのようなルールに基づいていたのか〉ということであった。
 なぜ亀井志乃はこのような質問をしたのか。亀井志乃は財団法人北海道文学館の正職員ではなく、契約期間の定められた嘱託職員であるが、彼女のような有期労働契約の職員に関する、厚生労働大臣の告示「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」は、
使用者は、雇止めの予告後に労働者が雇止めの理由について証明書を請求した場合は、遅滞なくこれを交付しなければならない」となっている。しかも、その「理由」は、契約期間の満了とは別な理由を明示することを要するものであること(太字は引用者)となっているからである。
 亀井志乃は毎年契約を更新する形ではあったが、既に2年以上勤めていた。2度の契約更新は口頭で本人の意志を確認するだけの、形式的な手続きにすぎず、実質的には自動更新に近かった。しかも彼女は文学博士の学位を持っており、有期契約に関する現行法は5年間契約を継続することを認めている。つまり、亀井志乃との契約が形式上は平成18年度一杯であったとしても、それだけでは平成19年度からは「雇止め」とする「理由」にはならない。それとは「別な理由」を、財団は「明示」しなければならなかったのである。
 亀井志乃が質問したのは、〈財団が契約期間切れとは「別な理由」で亀井志乃の雇止めを決めたのならば、それは如何なる理由で、その決定はどのようなルールに従って下されたのか〉ということであった。

○毛利正彦館長の回答
 それに対して、12月27日、毛利正彦館長は次のような回答(甲51号証)を亀井志乃に手渡し、20分ほどその内容について説明した。平原一良副館長が同席していた。
《引用》
に対する毛利回答〕理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)は、職員の任用等に関し当然責任のある立場にあり、そのことは財団の寄附行為のとおりです。なお、学芸主幹は道教委の駐在職員であり、その任にありません。

に対する毛利回答〕将来にわたって、館の学芸体制を担い、支える財団職員の育成が急務だということです。

に対する毛利回答〕特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きしています。

に対する毛利回答〕質問ロに同じです。

 〔に対する毛利回答〕を見る限り、財団法人北海道文学館には、職員の採用または解雇に関するルールがあったかのように見える。だが、毛利正彦館長が「亀井さん、もっと勉強しなさい」と言いながら、亀井志乃に手渡した、財団法人北海道文学館における「寄付行為」を規定した文書は、全文ではなかった。また、手渡された文書を見る限り、職員の任用に関して理事長、副理事長(館長)、専務理事(副館長)、常務理事(業務課長)の権限と責任を明記した条文はなかった。毛利正彦館長と平原一良副館長はことの重大さを認識できず、適当にあしらっておくつもりだったのであろう。
 だが、〔
に対する毛利回答〕で分かるように、彼等は亀井志乃が求めるようなルールを知らなかった。あるいは、そのようなルールはなかった。もしルールがあるならば、毛利正彦館長と平原一良副館長は、亀井志乃の雇止めの方針決定が何日、どのようなプロセス(ルールに基づく)を経て決定されたかを、具体的に説明できたはずである。
 ところが、〔
に対する毛利回答〕が語っているのは、むしろその反対であって、亀井志乃の雇止めは、毛利館長や平原副館長を含む数人の私的な人間関係の中で、極めて恣意的に決められてしまった。そう受け取るほかはないであろう。

○亀井志乃の再質問
 だが、毛利館長と平原副館長の回答は亀井志乃を納得させるものではなかった。そこで亀井志乃は、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)を書き、その中で次のように反論し、関連する質問を追加した。
《引用》
 
これは回答になっていません。それだけでなく、理事会の議を経ずに、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向」というような根拠の曖昧な「意見、意向」で、来年度の任用方針を決めるのは、明らかに逸脱、越権行為です。このことだけでも、私の「白紙撤回の要求」の正当性が証明されたと言えるでしょう。
 それ故、改めて要求致します。去る12月6日、毛利正彦館長から伝達のあった任用方針を白紙撤回して下さい。

 以上のことと共に、次のことについて、回答を要求します。
A.
特定の会合に限らず」という言い方は、「特定の会合」もあったことを意味します。それは、何時の、どのような会合で、出席者はどなたですか。
B.
日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員から」における理事や評議員、会員、職員とは、どなたですか。具体的に名前を挙げて下さい。
C
.「日常における意見交換」は何時、どんな場面で行われたのですか。具体的に時間、場面をお教えください。
D.毛利館長の回答によれば、毛利館長が言う
「我々」4人は、特定の会合に限らず、日常における意見交換の中で、多くの理事や評議員、会員、職員からそうした意見、意向をお聞きして」来年度の任用方針を決めたことになりますが、その時、毛利館長が言う「我々」4人は自分たちのどのような権限に基づいてそれが可能だ、と考えたのですか。

 亀井志乃はここでもルールの有無を質問し、また、毛利館長が言う「我々」4人の決定が果たしてルールによってオーソライズされた手続きを踏んでいたか否かを訊いたのである。
 
 他方、亀井志乃は〔
に対する毛利回答〕に関しては、次のように反論をした。
《引用》
  
この理由は、私を解雇する口実としか思えません。私は12月6日、毛利館長から、突然、来年度から嘱託職員を任用する予定がないこと、つまり唯一の嘱託職員である私を今年度一杯で解雇する旨の通告を受けました。私はそれが一方的で、不当な解雇通告であることを指摘し、抗議しましたが、その時毛利館長は、なぜ来年度から嘱託職員を任用しないことにしたかの理由について、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉と説明しました。つまり、年齢制限を設けることによって私が「公募」に応募するチャンスを奪おうとしたわけです。
 それから約1週間後の12月13日、私は、たまたま北海道文学館のホームページを見て、すでに来年度の新規採用の公募要項「学芸員、司書の募集について」が載っているのに気がつきました。
 その公募要項を見ると、雇用契約期間が「平成19年4月1日から平成20年3月31日まで」となっており、「次年度以降の雇用については、毎年度改めて、理事長が決定する」と、単年度雇用の形を取ることになっています。私には、「これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人」と説明しながら、10年先、20年先までも働いてもらう予定の常勤職員(正職員)を、単年度雇用して、「次年度以降の雇用につては、毎年度改めて」再募集する、あるいは契約を更新する。なぜそんな雇用形態を取るのでしょうか。

 去る12月27日、毛利館長と平原副館長は、私がそうした疑問を口にしかけると、しきりに「財団には金がない」、「職員の身分保証はできない」、「これは苦肉の策だ」と強調しはじめました。ところが、募集要項の「学芸員、司書の募集について」では、来年度に採用予定の正職員には、道職員に準ずる給料を払い、賞与も出ることになっています。普通に考えれば、その年額は、おそらく嘱託職員の私に払われる年額を超えるでしょう。
 毛利館長の言葉は矛盾ばかりです。
 ついでにもう一つ、毛利館長の疑わしい発言例を挙げておきます。12月20日、運営検討委員会が開かれました。そこで、次年度の任用方針についても説明がなされたと聞いています。ただ、その会議に出席した川崎業務課長が私に語ったところによれば、「その委員会は何かを決める会議ではなく、方針説明だから、任用に関しても何かが決まったわけではない」ということでした。私の事について質問や反対意見が出されたか、と聞いたところ、特には出なかったとのことでした。
 ところが、12月27日、毛利館長は私に「運営検討委員会で、来年度の任用の方針が承認された」と告げています。そして「何人かの委員から質問が出、館として説明させていただいた」ということでした。どちらが本当なのでしょうか。
 それに、何かを決定する会議でないのであれば、館側としても、その会議で私の雇用問題が“解決”したというふうには主張できないのではないでしょうか。
 もし仮に毛利館長が言う「我々」4人が、来年度以降における私の不採用を望んだとしても、その決定は別な会議で議され、決定されなければならないはずです
(太字は引用者)

 これも筋の通った反論だと言えるだろう。ただし、多分この時点における亀井志乃は、これが相手に決定的なダメージを与える反論とは自覚していなかった。その後、彼女は北海道労働局の職員の助言を受けて、「雇用対策法」や、それに伴う厚生労働大臣の「年齢指針」を調べているうちに、財団の明らかな法律違反に気がついた。そして弁護士のTさんと相談して、労働審判に踏み切ったわけだが、その間の経緯については、「北海道文学館のたくらみ(17)」及び「同(18)」に書いておいた。

○財団法人北海道文学館におけるルール意識の欠如
 毛利正彦館長は亀井志乃のこのような質問に答えることができなかった。その理由は先ほども指摘したように、毛利正彦館長が言う「我々」4人にはルールをきちんと踏まえる意識が欠けていたためだったと思われるが、もっと端的に言えば、彼等はルールに関する亀井志乃の考え方を理解できなかったのである。
 
 私たちは一定のルールに従って野球の試合をする。このルールを「一次的ルール」と呼ぶわけだが、その試合がまさに試合として成立するためには、私たちは試合の進行や、私たちのプレーに関するジャッジを審判員に委ねなければならない。
N.マコーミックの『ハート法理学の全体像』(角田猛之編訳。晃洋書房、1996年。Neil MacCormick,“H.L.A. Hart” 1981)の言葉を借りるならば、
《引用》

人がチェスをする際、見つからないことを念じつつ、自分のナイトを禁じられた仕方で動かしたいという誘惑にかられることもあるかもしれない。しかし、人がそうしないことを決めるのは、その人が『チェスというゲームをすること』への『批判的に反省的な』コミットメントの態度をとっているからである。少なくとも、見つかったならば、彼は自分が間違っていることを認める。かりに認めないとすれば、彼はたんに『チェスというゲームをしていない』のではなく、実際、チェスというゲームをするのに失敗しているのである。
 
 私たちはルール通りに試合が進行するよう、プレーに関するジャッジを審判員に委ねるわけだが、もちろん審判員は、選手が守るべき「一次的ルール」に従って、それぞれのプレーにジャッジを下す。それと共に、審判員には更に二つのルールが課せられることになる。
その一つは、その審判員に審判員たる資格を与えるルールであって、一般的には何らかの公的なコミッション(委員会)が資格付与の権限を持ち、一定の教育と訓練、そして能力審査の結果、資格を与えることになるだろう。このルール(権限付与の手続き)を経ないかぎり、公的な審判員と認定され得ないわけである。
もう一つは、この審判員が実際に試合の進行を司る際のルールであって、単にそれぞれのプレーのジャッジをするだけでなく、彼がプレーボールを宣言してからゲームセットの宣言を下すまでの間に遵守すべきルールである。審判員が審判に関するルールを守らず、恣意的なジャッジを下すならば、野球の試合が野球の試合でなくなり、何か別のゲームになってしまう。というより、審判員のジャッジに「ルール」がないゲームというものは、そもそもあり得ないのである。
 審判員に課せられたこの「ルール」を、「二次的ルール」と呼ぶ。このことは「判決とテロル(6)」で説明しておいた。

 これを文学館の場合になぞらえて言えば、亀井志乃は週に4日間勤務する契約だったわけだが、その4日間の曜日はどうなっているか、1日の勤務時間は何時から何時までか、どんな勤務(「事務分掌」)に就くべきかなど、具体的な業務に関する取り決めを「一次的ルール」と呼ぶ。それに対して、亀井志乃の勤務条件や、責任と権限、契約期間などに関する取り決めは、「二次的ルール」に当たるだろう。
 亀井志乃は財団における「二次的ルール」の有無や、もしそれが存在する場合、誰が(どういう組織が)「二次的ルール」に責任を持ち、その執行を誰に課したのか、などのことを質問したわけだが、毛利正彦館長と、彼が言う「我々」4人は、その質問の意味や性質を理解することができなかったらしいのである。

○毛利正彦館長の言いがかり
 多分そのためであろう。亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(前出)に対する毛利正彦館長の返答、「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」(平成19年1月17日。甲53号証)は、次の如くだった。
《引用》
 
財団と館の意思として申上げます。
 平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。

 要するに毛利正彦という文学館長は、自分達がどういうルールに従って物事を決定してきたか、何一つ説明ができなかった。そこで苦し紛れにイタチの最後っ屁、逆恨みめいた言いがかりをつけてきたわけだが、亀井志乃が「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(平成19年1月21日。甲103号証)によって完膚なきまでに批判し、私は関連箇所を「北海道文学館のたくらみ(6)」で紹介しておいた。

○平原一良副館長の作為
 この間、毛利館長にぴったり寄り添う形で事を進めていた平原一良副館長も同様であって、彼は裁判の「陳述書」
(日付は2008年4月8日。乙12号証)の中で、こんなふうにルサンチマンを晴らそうとしていた。
《引用》
 
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる「パワーハラスメント」の問題について訴えました。私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした。
 やがて、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました。その前後に、亀井志乃氏がこの職員募集問題を自分の任用問題と重ね合わせてとらえ、館長室に怒鳴り込む場面などがありました。
 このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました。これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした。このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました。毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりではなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました
(下線は亀井)

 平原副館長の「陳述書」(署名、捺印した証言)が如何に虚偽に満ちているか、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―3」平成20年5月14日)で詳細に指摘し、反論を加えた。だが、平原一良副館長からの再反論はなかった。
 また、私のブログに関する記述の虚偽、曖昧さについては、「北海道文学館のたくらみ(38)」で指摘し、公開質問状の形で、質問を5点挙げておいたが、今日に至るまで平原一良副館長は反論一つできないありさまだった。

 それ故、同じ反論や批判は省略し、ここでは、如何に平原副館長の言葉が作為に満ちているかを指摘するにとどめるが、私が下線を引いておいた言葉に注目していただきたい。
 亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントをアピールする文書(甲17号証)を平原副館長や寺嶋学芸主幹に手渡したのは、平成18年10月31日のことだった。平原一良副館長はそのことに言及してから、直ちに
その後、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し」と続けていたが、亀井志乃が財団の理事や評議員に「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」という文書を郵送したのは、平成18年12月13日以降のことである。しかも、10月31日から12月13日まで、約1ヶ月半の間に、11月10日の、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いがあり、12月6日の雇止めの通告があり、12月12日の「毛利正彦館長が通告した『任用方針』の撤回を要求する」という文書のことがあった。
 だが、平原一良副館長はそれらのことには全く言及せず、あたかも亀井志乃が理事や評議員に、寺嶋学芸主幹のパワー・ハラスメントを訴える文書を
「波状的に……数次にわたって」送り続けたかのように、事情をすり替えてしまったのである。
 亀井志乃は「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」の後、財団の理事と評議員に、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告」
(平成19年1月7日)、「パワー・ハラスメントと不当解雇問題の中間報告(其の2)」(平成19年2月11日)を郵送した。要するに、ほぼ1ヶ月置きに、2度、ぜひご一読の上、事の成り行きをお心にお止め下さいますようお願い申し上げます(「中間報告」)と、経過報告をしたに過ぎない。
 
 そんなわけで、もし平原一良副館長が言うように、
私は、川崎業務課長(当財団常務理事)、更に毛利館長とも折あるごとに善後策を話し合いました」ということがあったとすれば、それは亀井志乃の文書を読んだ理事や評議員の問い合わせや意見に対応に追われた、という意味だろう。では、平成18年12月13日以後、彼等はどんな善後策を講じたと言えるのか。彼らは亀井志乃の抗議を無視して平成19年度の職員公募の作業を推し進めたり、亀井志乃が「二組のデュオ展」の展示準備に取りかかる直前に、寺嶋弘道学芸主幹と謀って、年間計画になかった「イーゴリ展」を割り込ませたり、3月9日に常陸宮ご夫妻が来館した折、説明役の平原一良副館長がとんでもないミスを犯したり(「北海道文学館のたくらみ(31)」)した。だが、私の日本語に関する知識によれば、こういうことに「善後策」という言葉は使わないはずである。
 
 ただし、平原一良副館長の文章は、
「……善後策を話し合いました。事情を知る女性職員からも……」と続いており、彼が言う「善後策」は、平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関する「善後策」だった意味にもなる。しかしその問題は、すでに平成18年11月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いで、一応の合意点に達しており、今更「善後策」を相談する必要はない。
 つまり、もし「善後策」が平成18年10月31日に亀井志乃が手渡したアピール文をどう取り扱うかに関することだったすれば、わざわざ
「その後」の次に、亀井氏は当財団役員諸氏に波状的に上記文書ほかを数次にわたって送付し、いわゆる『パワーハラスメント』の問題について訴えました。」という一文を挿入する必要はなかった。この一文を削除したほうが、文意がすっきりと通る。

 要するに、平原一良副館長が「その後」とか、「やがて」とかと曖昧に表現した事柄を、きちんと日付を入れて整理してみるならば、彼の証言がいかにいい加減で、小汚い誤魔化に終始していたか、たちまち明らかになってしまうのである。

○再び平原一良副館長の作為
 また、
やがてから始まる段落について言えば、平成18年12月6日、亀井志乃は毛利館長から、〈来年度は正職員を「公募」によって採用することにした。財団では、これからの人材を育てたい。10年先、20年先でも働く人。年齢としては、せいぜい30才くらいまで〉という理由とともに、来年度から雇用を打ち切ると通告された。そうである以上、12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました」と平原一良副館長が言う、「話し合い」はそれ以前に行われていたはずである。
 そして川崎業務課長が「学芸員、司書の募集について」(「平成18年12月」とあるのみで、日付を明記せず。甲19号証)という募集要項を文学館のホームページに載せたわけだが、亀井志乃がそれに気がついたのは12月13日のことだった。亀井志乃は、毛利館長から雇用打ち切りを通告されてからわずか1週間後にこれを見たわけで、それを自分の雇用問題と結びつけて受け止める。これは当然のことだろう。
 だが、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかどうか。これは読者の判断に任せるしかない。ただ、「○亀井志乃の再質問」の箇所で引用した、「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」
(平成19年1月6日。甲52号証)の文章、これはもちろん12月13日以後に書いた文章だが、館長室に怒鳴り込むような人間が果たしてこのような内容を、このような文体で書くものかどうか。そう考えて見れば、結論はおのずから明らかだろう。
 ばかりでなく、そもそも平原一良副館長の
「その前後に」という言い方自体が、彼の証言のいかがわしさを露呈してしまった。そう言えるだろう。なぜなら、その前に……怒鳴り込む」などということは起こり得るはずがない。だからこのような場合は、その後」の何月何日に、亀井志乃が館長室に怒鳴り込んだかを明記すべきだった。それと共に、平原一良副館長自身がその「場面」を目撃したのか、それとも毛利館長から聞いたことだったのか、それもまた明記しなければならなかったはずである。

 ところが、平原一良副館長の文章はそこから一転して、このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し……」と進んで行くわけだが、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との間で、亀井志乃の席を「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移すことが合意されたのは、平成18年11月10日のことだった(「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」平成18年11月14日。甲18号証)
 しかし、平原一良副館長の文章における
「このころ」は、どう読み直して見ても、その前の段落で言及していた時期を指す。つまり川崎業務課長が職員公募の募集要項を文学館のホームページに載せ、亀井志乃がそれに気がついた時期を指しているとしか読み得ない。平原一良副館長は、「このころ」という曖昧な言い方で、時期を1ヶ月もずらしてしまったのである。
 しかも、平原一良副館長の証言によれば、
このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」ということになるわけだが、私が「北海道文学館のたくらみ(1)」を載せたのは平成18年12月28日のことであり、亀井志乃の席が「非常勤・アルバイト等の人たちのいる位置」に移った時期から1ヶ月半も経っている。毛利正彦館長が亀井志乃に雇用打ち切りの通告をした日から数えても、20日以上が過ぎていた。
 平原一良副館長は、亀井志乃が毛利館長室に怒鳴り込み、それと相呼応して、私がブログで
「仮借ない糾弾」「あられもない言及」を再開したことにしたかったらしい。如何にも彼らしいルサンチマンの晴らし方であるが、以上見てきたごとく、彼の書き方は、建付が悪い上に、蝶番(ちょうつがい)が外れかかっている。ちょっと揺さぶりをかけると、たちまち見せかけの理屈が崩れてしまうのである。
 何とも無様な書き方であるが、要するにこれは、亀井志乃の抗議と要求に対して、自分と毛利正彦館長が不誠実な対応しかしてこなかった事実を隠そうとした結果だろう。

○深層構造論の視点で
 そのことは、
12月を迎え、当財団の新たな体制構築のために次年度の職員募集を考えてはどうかとの話し合いが当財団幹部の間で話し合われるようになりました。具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」という文章の構文自体からも読み取ることができよう。
 私は「判決とテロル(8)」で、R・ホッジとG・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』における、
 A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
           ②非処置文 中島が走る
 B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
           ④特性文  中島は早い
という、4つの基本文型を紹介した。
 この文型で、平原副館長が言うところを、事実のレベルで整理してみるならば、次のようになる。
 
 12月になり、
「当財団幹部が、新たな体制構築のために次年度の職員募集について考えてはどうか、と話し合った」→「川崎業務課長が具体的な募集要項を作成した」→「川崎業務課長が募集要項をホームページに公開した」

 このように整理してみると、は一見「①処置文」のようだが、実は「②非処置文」であることが分かる。「中島が一塁に向かって走る」や「中島がボールを追って走る」における「一塁に向かって」や「ボールを追って」は「走る」という行為表現の補語であるが、それと同じく、「財団幹部が……について話し合う」の「……について」は、「話し合う」行為の対象(目的語)というより、「話し合う」行為の内容説明(補語)と言えるからである。
 別な言い方をすれば、
が「①処置文」であるためには、「当財団幹部が、次年度の募集要項を決定した」と言うべきだった。だが、平原一良副館長は「②非処置文」の形に言い換えることによって、自分達が「決定した」責任を曖昧にし、回避しようとした。その結果、ロの如く、あたかも川崎業務課長が主体となって事を運んだかのように読める書き方にしてしまったのである。

○再び深層構造論の視点で
 ついでに言えば、
具体的な募集要項の作成などが川崎課長の手でなされ、当館ホームページでも公開されました」の構文は、「亀井志乃の訴えに関する法的判断が田口紀子裁判長によって下され、法廷で告げられた」と同じ構文となる。
 前者は「募集要項の作成など」を主語とする受身形の文であり、後者は「法的判断」を主語とする受身形の文であるわけだが、後者の受身形を簡略な命題文に抽象化するならば、「判決が下る」と要約することができる。それに対して、行為主体を明示する「①処置文」のほうは、「田口紀子裁判長が判決を下す」とならざるをえない。
 こうしてみると、「判決が下る」における「判決」は、形式的には「下る」の主語であるが、「判決」それ自体は決して行為主体ではない。「食が進む」や「研究がはかどる」における「食」や「仕事」と同じく、誰かによってなされる行為そのもの(あるいは行為の結果)を意味する。そんなわけで、「食が進む」「研究がはかどる」における「進む」や「はかどる」という動詞は、行為を表すというよりは、むしろ「食欲が旺盛だ」とか、「研究の進み具合が順調だ」とかと同じく、「食」や「研究」の様相(How)をあらわしていると見るべきだろう。その意味では、「B 定義文」の「④特性文」に近いのである。
 
 これとは違ったやり方ではあるが、R・ホッジとG・クレスは、受身形が「attributive(④特性文)」に近づくことに注目していた。
 
 「判決が下る」「食が進む」「研究がはかどる」などは、慣用句に近い働きを持ち、簡潔な表現に適している。だが、それは、文の表層構造(surface structure)から行為主体を消して(delete)することで作られた特性であり、受身形の表現がこの形に近づく時は、行為主体の責任を曖昧にしてしまう傾向がある。
 平原一良副館長はそういうやり方によって、川崎業務課長の責任についても、どこか曖昧なものを感じさせる書き方を選んだわけが、これは川崎業務課長に対する遠慮(または配慮)というよりは、あくまでも彼等自身の責任を回避したい企みの現れと見るべきだろう。

○神谷忠孝理事長決定の妥当性について
 さて、ここで、亀井志乃に対する文学館側の対応の問題にもどるが、毛利正彦館長は「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」
(平成19年1月17日。甲53号証)で、一方的に対応を打ち切ってしまった。
 彼のこの傲慢な態度は、先ほど紹介した、亀井志乃の「毛利館長が通告した『任用方針』の撤回を再度要求する」(平成19年1月6日。甲52号証)の質問に答えることができなかったことの裏返しであっただろうが、同じ文章における次のような質問にも答える自信がなかったためかもしれない。
《引用》
 
館長・毛利正彦氏が「財団及び館」を代表して、「財団及び館としての考え方」を回答できる根拠は何ですか。
 去る12月27日、私は館長室に呼ばれましたが、その少し前に、川﨑業務課長から、「人事に関する決定権は神谷理事長にある」と教えられました。確かにこの事自体は、財団の規定に照らしても客観的な事実であろうと考えられます。
 そうしますと、パワー・ハラスメントから解雇通告に至る一連の問題の私に対する説明責任は神谷忠孝理事長にあることになります。換言すれば、一連の問題に関して、これまで主に毛利正彦館長が私に対応してきましたが、それは館長の越権行為であることになります。それ故、これまで毛利館長が私に対応してきたことは、その説明がすべて神谷理事長の意向・決定に基づくという事が証明されない限り、全て無効であると言わざるを得ません。
 その証明をお示し下さい。その証明がないならば、毛利館長が私に行った説明は全て無効となり、私の白紙撤回の要求は極めて正当な要求だったことになります。

 ただし私は、規定の上では「人事に関する決定権は神谷理事長にある」からと言って、この規定が神谷理事長に、「人事に関する決定権」を独占的、独裁的に許している、とは考えていません。この規定が意味するところは、次のようなものと考えられます。「人事に関する方針を議する、何らかの合議体があり、その合議体で決めた方針が、理事長の意志として表現される。この合議体の決定を経ない〈理事長の意志〉はあり得ないし、あってはならない。その合議体の決定は、〈理事長の意志〉として表現されて、はじめて効力を持つ。」
 私は、財団・北海道文学館における、この合議体は理事会だと考えますが、いかがでしょうか。
 そこで改めて質問致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」の正当性を保証するものは何でしょうか。
 それに関連して、もう一つお訊ね致します。神谷忠孝理事長の「人事に関する決定権」が恣意的、独裁的に行使されるのを防ぐために、――例えば人選が私情や個人的な利害によって行われるのを防ぐために――当然、権限の幅が設定されていると思いますが、それはどのように設定されているのでしょうか
(太字は引用者)

 一読して分かるように、亀井志乃は特別にむずかしいことを訊いたわけではない。ごく単純に、財団法人北海道文学館における意志決定の手続きはどのようなルールに基づいて行われているかを質問しただけであって、毛利正彦館長はそのルールを説明し、どのようなプロセスでそのルールが執行されたかを答えればよかったのである。
 ところが毛利正彦館長は、
財団と館の意思として申上げます。/平成19年度におけるあなたの再任用にかかわっての要求・質問等には、昨年12月27日に回答いたしました。これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません」と突き放しにかかった。よほど取り乱して、自分が何を問われているのか分からなかったのであろう。こんな答え方をすれば、〈財団法人北海道文学館と道立文学館はどういう手続きを踏んで、「これ以上、あなた(亀井志乃)の要求・質問にお答えするつもりはありません」という意思を決定したのですか〉と切り返されてしまうはずなのだが、そのように自分の返答を捉え直す余裕さえなかった。その錯乱は、こうした要求・質問を私どもに対し行い、……」の支離滅裂に続くわけだが、自分が何を問われているかを自覚していたならば、こんな答えにはならなかったはずである。

○神谷忠孝理事長に対する直接的な問いかけ
 亀井志乃は毛利副館長の支離滅裂を見て、毛利正彦館長を見限ることにしたらしい。そこで、質問の相手を神谷忠孝理事長に切り替えたわけだが、それが、「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」
(平成19年1月21日。甲103号証)である。その中で亀井志乃は、毛利正彦館長の文章を批判的に分析し、それと共に次のような問題設定を行った。
《引用》
 
私の言うことはお分かりいただけると思います。日本の刑法には「死刑」がある。死刑の判決は裁判長が下す。しかしだからと言って、裁判長が直ちに死刑の判決を下し得るわけではありません。裁判を通じての事情聴取や事実認定があり、それに基づいて複数の裁判官が合議をし、裁判長の名で判決を表明するわけですが、それら一連のプロセスが裁判に関する法的な手続きに適っていなければならない。適っていてはじめて、判決の合法性が成立する。

 しかし、判決の合法性は直ちに判決の正当性や、法運用の適切性を意味するわけではありません。プロセスの合法性や、過去の判例との整合性を問う検証があり、新しい証拠に基づいて再審を求める控訴があり、社会一般に通念による批判があり、それらをクリアして漸く判決の正当性や、法運用の適切性が認知されるわけです。

 毛利正彦氏の回答は、〈財団・北海道文学館の「嘱託員の任用要領」は単年度雇用制を取っており、雇用の決定は理事長が下す。その規則に則っている限り、「我々」の決定は正当なのだ〉という理屈に基づいているようです。しかし、規則適用の正当性や、規則運用の適切性を保証する一定の手続きを欠いた、そんな理屈が、民主的な市民社会で通用するはずがありません。私が疑問に思い、質問したのは、そういう決定のプロセスと合法性についてなのです(太字は引用者)

 再びN.マコーミックの『ハート法理学の全体像』によるならば、彼は裁判官の義務をこのように規定している。
《引用》
 
たとえば、領域Tに住むすべての人々に対し裁判管轄権を有する一定の裁判官集団には、一定の立法者Lによって制定され、その後も廃止されていないルール、そして、Lによって制定されたルールに抵触するものを除く、これら裁判官たちとその先任者が下した判例、さらには、Lによって制定されたルールと、拘束力を持った判例に抵触するものを除くTで観察される習慣的ルール、これらのすべてを適用する義務があるとされる。
 
 ちょっと分かりにくい言い回しであるが、
領域T」を日本に、一定の立法者L」を国会に置き換えてみれば、彼が言う意味は明らかだろう。
 マコーミックの裁判(官)論は、田口紀子裁判官の判決文の問題点をあぶり出す視点ともなり得るが、この問題は後に譲りたい。ともあれ、亀井志乃は現在の法理論の水準をほぼクリアした形で、神谷忠孝理事長に、ルールの有無を問うた。あるいはルールが明文化されている場合の、ルール適用の正当性や、ルール運用の適切性について問うたわけだが、しかし、神谷忠孝理事長はみずからの責任においてこの質問に答えることを避けてしまったのである。

○平原一良副館長の証言における虚偽と名誉毀損
 なお私は、文章の流れが悪くなるのを避けるため、途中での言及は控えてきたが、平原一良副館長の「陳述書」における、
このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました」をもう一度取り上げるならば、これは二重の意味で亀井志乃を侮辱する、名誉毀損の証言である。
 まず「緊急避難」という法律用語であるが、これは刑法においても、民法においても、「急迫した危難を避けるために」やむを得ず他人の法益をおかす行為(あるいは、その物に加える損壊行為)を意味する。では、亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントを、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、寺嶋学芸主幹という限られた人間に、文書でアピールした行為の、どの点が、誰に対して、「急迫した危難」であったのか。
 平原一良副館長は、
これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした」と説明しているが、亀井志乃は上記3人にアピール文を手渡し、1人に郵送したにすぎなかった。そのことによって事務室内の空気がおかしくなることはあり得ない。いわんや「急迫した危難」と認識せざるをえないような事態を生んだとは思えない。もし事務室内の空気がおかしくなったとすれば、それはアピール文を受け取って、「急迫した危難」とパニクッてしまった、上記4人の言動によってではないか。
 いずれにせよ、「緊急避難」という表現は、亀井志乃の行為を「急迫した危難」と見なした証拠にほかならない。これは明らかに亀井志乃に対する名誉毀損である。
 
 しかもこの言葉は、この時初めて使われたわけではない。平成18年10月10日、毛利館長・平原副館長と亀井志乃との話し合いの席上、毛利館長がその言葉を使い、次のような経緯で撤回していたのである。
《引用》

① 亀井の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、亀井が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
② 亀井の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。亀井は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
③ 亀井の席の場所を、亀井自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
④ 亀井の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益となるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。

 ①・②に関しては、10日の話し合いの中で、毛利館長・平原副館長より真っ先に提示があった条項である。
 なお、この部分は、当初は毛利館長により〈緊急避難的に〉と表現された。しかし、この10日昼の時点において、今回質問状を手にした誰からも、亀井の側について非難されるべき問題点があると具体的に指摘されてはいなかった。そうである以上、亀井が、寺嶋主幹の日ごろの態度を高圧的・過干渉と受けとめざるを得ず、また、文学碑データの業務をサボタージュしていたかの如く表現されたことを不当と感じざるを得なかった事情については、〈誰もその事に対して反論できなかった〉と結論する事自体は許されるであろう。(なお、10月11日を過ぎた後も、反論ないし非難はどこからも亀井のもとに戻って来ていない。)
 従って、これは〈緊急避難的〉な措置などではなく、亀井が要求していた文学館側の対処として当然なされるべき事と考え、話し合いの中でそのように主張した。そして、毛利館長も、最終的には〈緊急避難的〉という言葉を撤回した
(太字は原文のママ)
 
 これは、亀井志乃の「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」
(平成18年11月14日。甲18号証)からの引用であるが、毛利館長は①と②の取り決めに関して、「緊急非難」という言葉を使った。財団法人北海道文学館の幹部職員は、こういう他人の人格誹謗に通じかねない怖い言葉を、無造作に、無神経に使う習慣を持っているのかもしれない。
 だがこの言葉は、亀井志乃の反論によって撤回された。平原一良副館長はその場に同席し、毛利館長と亀井志乃のやり取りの一部始終を見聞していたはずである。また、亀井志乃はその時の話し合いを、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」の形にまとめ、神谷理事長や毛利館長や寺嶋学芸主幹だけでなく、平原副館長にも渡しており、彼は当然目を通していたはずである。話し合いの席上、彼は亀井志乃に反論をせず、「取り決めについて」を受け取った後も、亀井志乃に訂正を申し込んでいない。平原一良副館長も亀井志乃の主張には服さざるをえなかった。そう解釈されても仕方がないところだろう。
 
 もっとも、平原一良副館長がその「陳述書」の中で、「緊急避難」という言葉を使ったのは、①と②についてというよりも、むしろ③の取り決めについてだった。だが、亀井志乃の次の記述を見れば分かるように、③の取り決めも決して「緊急避難」として決まったわけではない。
《引用》
 
③については、毛利館長・平原副館長より、「亀井がそれをあくまで要求するならばそのように対応しない事はないが、亀井が現在の席を移る必要はないというみんなの意見もある」との話があった。
 この時、実は、〈みんな〉というのがどの範囲の人々であるのか、また、どのような方法でその〈みんな〉から意見を集約したのか、という事については、最後まで具体的な説明がなかった。その意味で、必ずしも納得がゆく説明ではなかったが、一応、そうした意見が亀井に対して提出されたという話を受け入れた上で、現在までの〈学芸班〉の状況を取りまとめると、以下のようになる。
 学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべてS社会教育主事やA学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
 これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した
(太字は引用者)

 要するに毛利館長も平原副館長も亀井志乃の主張に服し、合意したのであり、しかも平原一良副館長は亀井志乃の「取り決めについて」を受け取った後も、訂正を申し込むことはなかった。
 分かるように、平原一良副館長は自分でも合意しておきながら、「陳述書」では以上のような経緯を全く無視して、ぬけぬけと
「幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し」と嘘を吐き、「緊急避難」と称している。毛利館長の「緊急避難」は不謹慎ではあるが、不用意だったと見られないわけではない。だが、平原副館長は撤回の経緯を知りながら、敢えてその言葉を使って亀井志乃の行動の非常識や異常さを印象づけようとした。虚偽の陳述をなした上に、名誉毀損の言葉を重ねたのである。
 先に私が「二重の名誉毀損」と言ったのは、この意味にほかならない。

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コメント

定型化され制度化された表現論は何が時代の新しい表現であったか、それを証明したことは、一度もない。
定型化された表現が時代の新表現と認知され、それ以外の表現は時代の慣習表現のなかに井き続けた。
表現論は時代の表現を排除し、他者との継続的な生の延長のなかで生きていることの喜びと真実を表出するのが人間のありかたである。


投稿: 大塚達也 | 2009年8月 8日 (土) 01時25分

定型化され制度化された表現論は何が時代の新しい表現であったか、それを証明したことは、一度もない。
定型化された表現が時代の新表現と認知され、それ以外の表現は時代の慣習表現のなかに生き続けた。
表現論は時代の表現を排除し、他者との継続的な生の延長のなかで生きていることの喜びと真実を表出するのが人間のありかたである。
執拗な表現論は他者を殺し、自己をも殺す。
小森陽一『村上春樹論』は全体主義異見を排除する
危険な書物である。俗流表現論の末路である。
表現へのこだわりはもう古いと言うことを言いたい。
小谷野敦『私小説のすすめ』の真剣勝負は圧巻である。

投稿: 大塚達也 | 2009年8月 8日 (土) 01時52分

亀井さん、もうそろそろどうでしょう。
泥沼の表現原理論の不可逆性に、当事者が疲れるばかりか、とばっちりをくったり、ひとが傷ついたり、代償なき消耗に共倒れ状態になるでしょう。
亀井さんの表現は的確に事柄の本質をついています。
亀井さん!それはそれでいいのですが、それによって対象を社会的に抹殺することが問題なのです。
どうか寛容な主義の余裕を持って、排除の論理を避けてください。
ロシア共産社会であれが、小森陽一の難詰により村上春樹は亡命を余儀なくされたでしょう。

投稿: 大塚達也 | 2009年8月 8日 (土) 22時18分

亀井さん、もうこの辺でよしましょう。お嬢さんの正当性は十分に証明されています。
北海道文学館において起こったことが、何であったかは、教訓も含め、多くの人の心に深く響いたことでしょう。亀井さんたちの表現論で怖いのは、共産圏の検閲にも似たパラノイア的な語詞レベルのこだわりとその判断にあると私は思っています。
早く排除の論理を収めて、ホームページを明るく広く
開放しましょう。
表現論が抑圧と排除の権力にならないように。

投稿: 大塚達也 | 2009年8月 9日 (日) 07時03分

「情報?(こんなの情報って言えるのか?そもそも)」のたれながしテロ(執筆で行う暴力)ですね…。このサイトじたいオカシイのではないですか…?。。


しかも美術館博物館施設の運営にかかわってらっしゃる方がこんなことして…ご自身はどう思われているのでしょうか…。


亀井さんって「小樽文学館」の館長さんなんですよね…(北海道の子会社??よくわかりませんが)子会社の社長が本社の誹謗中傷?って凄いですよね…。小樽ってそんなに偉いんだ(感心します)…な訳ないと思うけど。。


私が貴社(小樽文学館)の従業員だとしたらこんな上司は嫌です。(外部だろうが内部だろうがその「会社の名前」を使用して生きているる以上…同僚?と思わざるをえません)。


美術館博物館の「館長」として働いている人が、よその施設とはいえ、その施設の人の話を赤裸々に(よく読むと、このサイトに記載されている名前の人たちに「許可」もとっていないなようですし)書きまくっている…。


恥ずかしいと思うし、貴社(小樽文学館)にも非正規従業員はいらっしゃらないのでしょうか…?


その人たちに聞けばいいと思います。このままこの「サイト」に色んなことを書くことを「どう思ってるのか?」…って


たぶん「答えられない」と思いますよ。聞かれて…自分も逆らうと「解雇」されると思ってしまうから…。それが非正規ということの現実だし「部下(内部とか外部とかは別)」のです。


非正規従業員が「解雇」という不安になる文字からなかなか逃れることができないのはやはりひとつの現実です。


人の批判や心配をしているヒマがあったら、貴社(小樽文学館)の従業員の方や、貴社(小樽文学館)の情報をもっと発信してほうが、よいのではないでしょうか…。


このブログ?ホームページにはこんなにたくさんの情報(別に客として聞きたいとは思わないいらない内容の文章)が載っていますが、、


かんじんのご自身の職場【小樽文学館】のホームページには「な~んにも情報がない」ですよね。。展覧会のお知らせくらいしかないです…。


なので、なんの説得力もありません。


亀井さんがかかわっているのだとしたらご自身の職場のことを少し心配されてはいかがでしょう…?今は観光シーズンですし、、お客の取り合いならわかるけど…


このサイトでは一方的に他者(ここでいう小樽文学館?北海道立文学館?北海道?正規の北海道?や小樽文学館の従業員)を「傷つけている」ように思いますよ。


館長さんって何も指示したり命令したりしないんですか…?


「指示・命令」を強制されるのは幼稚園や保育園にはいっている3歳は難しいかもしれませんが5歳の子どもでも理解できる話です。


このサイトでは「指示・依頼・命令」は従業員が嫌だと思ってら「守らなくていい」という子どもじみた話ですよね…。


私は非正規従業員ですので、このサイトに書いてあることが「非正規従業員」は馬鹿だと思われるんじゃぁないか…と思ってしまい、ついコメントしていますが、、、


それと、このサイトに書いてあるご自身の「娘」さん?の話している?(取材記事?本人代筆?内部情報が赤裸々すぎてとても外部?の人間が執筆しているとは思えない)内容はどれを見ていても正当性があるように記載されてはいますが、、日本の国で「従業員」として働いている人間には日常茶飯事なことばかり…だとお思いにはならないのでしょうか?


学芸員だかなんだかわかりませんが、研究するのがお仕事ですか…?たしか水族館みたいなところにいる人も学芸員?ですよね。。


(そもその非正規の研究員ってそんなに偉くないと思うけど、けっこう偉そうなコメントばかりが書いてあって娘さんの当時の「身分」からは想像も出来ないようなどうしようもない「ものいい」だったりしていると思います)


誰かのことが「嫌い」だから「言うことを聞かない」のが正当だ!と


本当にそれが「正義?で真実だ!」というのなら、今私が非正規従業員で働いていてまわりにいる職場・社会・国家???全てが「敵」になる…ということが分かったくらいでしょうか…。


以上長々書きましたが、、、このサイトに書かれている色々な話には賛同できませんし、参考になりません。非正規従業員が馬鹿だと思われるだけなのでたいがいにしていただきたいです。では。

投稿: あちこちで非正規従業員 | 2009年8月12日 (水) 11時15分

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