判決とテロル(9)
深層構造論の視点で(その2)
○「なまら」と「いんでないかい」
テレビやラジオで仕事をしているタレントにとって、代表的な北海道言葉は「なまら」と「いんでないかい」になっているらしい。彼らは北海道への親しさを表現するつもりで、やたらと「なまら」や「いんでないかい」を乱発する。聞いていて、ん? と疑問を感ずることが多く、何となく気分がざらついてくる。
私は18歳で北海道に渡り、それ以来50年以上も経つ。だから、これらの言葉のニュアンスや、それを使っていい場面と、使わないほうがいい場合との違いも分からないわけではない。だが、自分の言葉として「なまら」や「いんでないかい」を使うことはなかった。当初は、相手を小馬鹿にしたようなニュアンスになじめなかったためだが、最近はそれらを口にしてきた北海道人のほうが、逆に電波メディアの住人たちから小馬鹿にされている感じで、やはりなじめない。それだけ私が北海道人化している証拠なのだろう。
私の理解によれば、「なまら」を使う地域や世代はそう広くはない。それに、「なまら」という副詞は、もともと「なまら面白い」とか「なまら旨い」とかと、肯定的な事柄を強調する時には使わなかった。むしろ、「なまらおっかねえ」とか「なまらやべえ」とかと、否定的なことの程度がはなはだしい時に使っていた。その用法が逆転したのは、この言葉が電波メディアでよく取り上げられるようになった頃とちょうど重なる。
では、「いんでないかい」はどうだろう。これも私の理解によれば、「それはいいことですね」と肯定的、積極的に賛意を表現する場合には使わない。むしろ「自分はそうしたいと思わないが、あなたがやると言うのならば、あえて反対はしないよ」という意味合いで使う。私たちは、〈もうこれ以上話し合うまでもない〉という気持ちで、「ま、それでいいでしょう」と切り上げる場合があるが、その言い方にもうちょっとトゲを含ませた言葉。そう受け取っておけば、間違いないだろう。
○「いんでないかい」のストラテジィ(戦術)
それにしても、「いんでないかい」の「ない」や「かい」は一体どんな働きをする言葉なのだろうか。
いまこの言い方を「〈それで〉いいのではないか(い)」と改めてみるならば、「ない」は打消しの助動詞、「か(い)」は疑問または反語の終助詞ということになる。
ただし、普通私たちは、打消しの気持ちを込めて「それはまずいよ」と反対する場合、「〈それで〉いいのではない」とか、「いいんでない」とかと言わない。「〈それは〉よくない」と言う。北海道育ちの人ならば、「うまくねえ」とか、「まずいんでないか、それ」とかと言うところだろう。
とするならば、この「ない」からは打消しの働き(機能)がほとんど消え去り、ある事柄を強調する終助詞に転化してしまったのではないか。そういう疑問も湧いてくる。つまり「いんでない」と「いいんだ」とは同義となるわけで、北海道育ちでない人が「いんでないかい」を肯定、賛成の意味に取ってしまったのは、多分このためだったのである。
それはまた、「いいんでないかい」の「かい」の理解にもかかわってくる。
私たちが「そうか、そういうことだったんかい」と言う場合、この「か」や「かい」は疑問や反語を表さない。むしろ長年の疑問が氷解した安堵感(感動)の表出や、相手の説明に納得し、承諾した気持ちの伝達に用いる。この「か(い)」の働き(機能)の中に、「ない」の打消し的機能が吸収されてしまったのだ。そう見ることもできるだろう。
こんなふうに、従来の日本語文法で解釈するかぎり、「いんでないかい」の理解は、北海道育ちでない人のほうに傾いてしまうわけだが、かえってこれでは北海道育ちの使い方から外れてしまう。では、前回に紹介した、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』(1993)の視点に立ったならばどう解釈できるだろうか。
この2人の方法に従って、「いんでないかい」を主語と述語の整った文に直してみよう。
もし機械的に、主語を補ってみるならば、「君の言うことは、いんでないかい」となるわけだが、じつはこれは事態に即した文とは言えない。なぜなら、「君が言う」という事柄に関して、「いんでないかい」と判断する主体(発話者)は、決して「君」ではない。「私」だからである。
その点を踏まえて整理してみるならば、「私は(君が言うことに関して)『いんではないかい』と言う」となるだろう。
このような構造の言葉を使う人間のストラテジィは、次のように解釈できる。すなわち、この言葉を発する人間は、相手の「いい」提案を直接には反対しない。しかし、それを打消したい動機をもって聞いていた。その気持ちを「ない」という言葉で明示しながら、「かい」という反問の形で相手の再考を促す。そうすることによって、相手の意欲を削ぎ、相手の気持ちを萎えさせる。結局相手が諦め、その意図を放棄するように仕向けているのである。
○一休みしていた理由
ところで、私はこのところ、池田壽夫というプロレタリア文学運動の理論家の論文探しに追われていた。池田壽夫は本名を横山敏男と言い、昭和2年に東京帝国大学の農学部(農業経済専攻)に入ったが、翌年、高見順たちと『大学左派』という雑誌を出し、マルクス・レーニン主義の文芸理論家の道を歩み始めた。その人のご遺族が市立小樽文学館に、700点に及ぶ、大変に貴重な文献や資料を寄贈して下さった。小樽文学館ではこれを記念して、7月4日(土)から特別企画展を開いて寄贈された文献や資料を公開する。それと関連して、私が6月6日(土)と6月27日(土)、7月18日(土)の3回、講座を開くことになった。
そのこともあって、池田壽夫が書いた論文や評論を集め始めたのだが、警察の追求を逃れて地下活動に入ってからは、坂井映一、大場文夫、藤村喬、瀧澤俊太などの名前で論文を書き、それを探すのに手間取ってしまった。しかも池田壽夫は、当時のプロレタリア文学運動家としては珍しく沢山の映画論を書いている。ところが困ったことに、サイレント映画からトーキー映画に変わった時代の映画雑誌や映画論を揃えている図書館はごく少ない。
それやこれやで、このブログを書く時間的な余裕がなかったのだが、北大や藤女子大に足を運んだり、用事で東京に出た時は、時間を作って東大図書館に寄ったりして、漸く論文探しの峠が見えてきた。ほっと一安心。気になっていた、もう一つの仕事にもどることができたわけだが、今回は雨が上がって、中断していた試合を再開。マウンドに立って、プレーボールの声がかかるまで何球か投げてみる。そんな調子で書いていきたい。
○語るに落ちた寺嶋弘道被告のホンネ
さて、亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)で、次のように書いた。
《引用》
第1、原告が被告から受けた被害
(1)平成18年4月7日(金曜日)
(a)被害の事実
原告は被告の前の勤務先が道立近代美術館だったことを知り、「近々道立近代美術館へ行って、木田金次郎の作品を見せてもらい、学芸員の話を聞かせてもらいたいと思っているところです」と予定を語った。すると被告は突然、「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と言いつのった。
原告は平成18年度の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」(期間・平成19年2月17日~3月18日)の主担当であり、木田金次郎は企画展で取り上げる主要な作家・画家の一人だった。それゆえ原告は、3月18日から道立近代美術館のK学芸員としばしばコンタクトを取り、4月5日には、ほぼ面会する日時も決まっていた。
また原告は、木田金次郎の展示に関する大まかな構想を、すでに「2006年度展示原案(コンセプト稿)人生を奏でる二組のデュオ」(2005年6月16日 前学芸課長に提出 甲25号証)という文書にまとめてあり、その文書を被告に、「実は、この内容に関することでK学芸員にお話を伺うことになっています。このように、構想もすでに立っています」と見せようとした。ところが被告は手にも取らずに、「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」と嘲笑的な口調で言い、無関心な態度を示した。
なお、念のために付記すれば、以上のことは、4月4日(火)に被告が駐在道職員として道立文学館に着任した、その4日目の事柄である。(1~2p。太字は引用者)
寺嶋弘道被告はこれに対して、「したがって被告には『二組のデュオ展』の進行を阻害する意図などあり得るはずもなく」云々(「準備書面(2)」2p)と反論していたが、「問うに答えず、語るに落ちる」とはこのことだろう。なぜなら亀井志乃は、「平成18年4月7日(金)」に関する箇所で、「二組のデュオ展」の進行を阻害されたという意味のことは一言も言っていないからである。にもかかわらず、寺嶋弘道被告はあのように反論した。ついホンネがぽろっと出てしまったのだろう。
なるほど彼が言うような視点で整理してみると、彼が道立文学館に着任して早々の4月7日から、翌年の1月末まで、亀井志乃の出張にクレームをつけたり、「二組のデュオ展」の予算を削ろうとしたり、何のことわりもなく「イーゴリ展」を割り込ませて、「二組のデュオ展」の準備を妨害するなど、ほぼ10ヶ月間、実に根気よく亀井志乃の仕事に干渉を続けた。その「意図」がはっきりと浮かんで来るのである。
○「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」に対する注目
ただし、今回私がこの箇所を引用したのは、「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話に注意を促すためであった。
この言葉が、「いんでないかい」と同様な意味合いで発せられたことは、既に明らかだろう。
寺嶋弘道被告はこの点に関して、次のように反論している。
《引用》
近代美術館のK学芸員は被告の前職場での直属の部下であり、被告は文学館への転勤以前の3月、同学芸員から原告の意向について報告を受けていたため、この4月7日の原告の申し出は初めて聞く話題ではなかった。K学芸員から被告への報告内容は、原告からK学芸員宛ての書簡の内容が散漫としていて調査事項が不明瞭であり困惑しているとの相談であったため、被告はK学芸員に対し、先方に対して具体的な調査内容を問い合わせ意向にそって対処するよう指導していたものである。(中略)
また、「いいじゃない、やりなさい」と積極的に肯定した被告の発言を「いいじゃん、やれば」と否定的に用語転換し、「嘲笑的」「無関心な態度」だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である。(1~2P)
「用語転換し」とは不思議な言い方だが、多分「ニュアンスを変えてしまい」というほどの意味なのであろう。
そもそも同じ職場で連携協働することになったばかりの人間に対して、「いいじゃない、やりなさい」という口を利くこと自体、思い上がりもはなはだしい。どうにもならない無神経さであるが、それは差し措くとしても、もし本当に寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の企画を理解し、積極的、肯定的に評価していたならば、「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」などと言うはずがない。「いい企画ですね、ぜひ実現して下さい。私は今まで道立近代美術館で仕事してきましたし、K学芸員とも親しくしてますから、私からもKさんに連絡して、出来るだけ協力してもらえるように依頼しておきましょう」という言い方になったはずである。
ところが寺嶋弘道学芸主幹はこの件にかぎらず、1年間を通して、ただの一度も亀井志乃に協力的な態度を取ることがなかった。寺嶋弘道被告自身、その「準備書面」や「陳述書」の中で、「自分は亀井志乃の事実上の上司だった」「上司として指導したのだ」という意味のことを繰り返すだけで、「自分はこれこれの形で亀井志乃の業務に協力してきた」と証明できる事柄は、ただの一度も挙げることが出来なかったのである。
○道理にかなった田口紀子裁判長の尋問
田口紀子裁判長もその点は疑問に感じたらしく、10月31日の本人尋問では、寺嶋弘道被告と次のような質疑と応答を交わしている。
《引用》
田口紀子裁判長:ちょっと話変わります。先ほど、原告の準備書面、日付を追って聞かれて(書かれて?)おりましたので、そのことに関してちょっと伺いますけれど、まず、18年4月7日の事実として、いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ、ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよ、そんな時間はないんだというようなことは、言ったということでよろしいんですね。
寺嶋弘道被告:はい。
田口紀子裁判長:それで、先ほどの話ですと、K学芸員からこの話については事前にちょっと聞かされていたということでしたね。
寺嶋弘道被告:はい
田口紀子裁判長:Kさんの話だと、調査内容がはっきりしないんですという話だったということですね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:そうであれば、原告に対して、聞いた話だと、何か調査内容がよく分かってなかったみたいだから、だから、この点についてこういうふうにしたほうがいいよとか、そういう言い方をすればよかったんじゃないんですか。
寺嶋弘道被告:……………ええ、そのとおりだと思います。
田口紀子裁判長:ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよって言ったって、抽象的で全然分からないですよね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:原告としても、どうしたらいいかこれだけでは分からないということになるんじゃないですか。
寺嶋弘道被告:ですので、だらだら話をしてもというその次の話、次の段階で、調査項目をまとめてというのを伝えたほうがよかったと、今になって思います。
田口紀子裁判長:これは、4月7日で、着任してもう早々の話ですね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:その段階でそのような話し方をして、人間関係が壊れたというようなことはありませんか。
寺嶋弘道被告:そのようには思っていません。(被告調書26~27p。下線は引用者)
この時の田口紀子裁判長の質問は至極道理にかなった質問であり、それに対する寺嶋弘道被告の返事から判断するに、もともと彼には亀井志乃の企画を理解したり、「積極的に肯定」したりする意図などなかった。そもそも寺嶋弘道被告は、良好な人間関係を作り、それを維持して行こうという気持ちなど、初めから持っていなかった。そう言えるだろう。
○亀井志乃の道理にかなった反論
また、亀井志乃自身も、田口紀子裁判長による寺嶋弘道被告の尋問に先立つこと5ヶ月以上も前に、「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)の中で、次のように反論していた。
《引用》
(2)同第2段
被告と道立近代美術館のK学芸員とが如何なる関係にあったかは、本訴訟の争点に直接かかわらない故、原告の関知するところではない。ただ、被告に対するK学芸員の「相談」が被告の原告に対する態度に何らかの影響を与えたと主張するのであるならば、
① 原告がK学芸員の送った手紙を証拠物として提出し、原告の手紙の如何なる部分が「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」であったかを証明しなければならない。
② 被告がK学芸員から相談を受けた日時、場所を可能なかぎり明示しなければならない。
もし以上のことができないならば、被告側「準備書面(2)」におけるこの個所の記述は、要するに被告がK学芸員の言葉によってある種の予断を触発され、偏見をもって原告に対した事実を露呈したことにしかならない。それだけでなく、被告は、原告に対する自分の態度の責任を、K学芸員に押しつけたことになる。
被告は「したがって、近代美術館への原告の訪問調査を否定するいかなる理由も被告にはなく、むしろ調査が適切に遂行されるように指導する立場であった。」と言うが、原告は「被告が原告の訪問調査を否定した」という意味のことは書いていない。被告の誤読である。(中略)
(1)「(a)被害の事実」の第1段
被告は、「この時の被告の発言は、原告が同館を訪れ指導を受ける場合には、事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておくことが適切である旨を告げたものであって、被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である。」と言うが、もし本当に被告が、前段で言うごとく、K学芸員から被告の手紙の内容を聞いていたならば、このような記述はありえない。なぜなら、原告がK学芸員の送った手紙はまさに「事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておく」内容のものだったからである(甲38号証)。その点でこの段と前段との記述は整合せず、被告の記述自体の信憑性が疑われる。(9~10P)
それに対する寺嶋弘道被告の対応は、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)というものであった。
○「いいじゃん、やれば」のストラテジィ
そのような次第で、寺嶋弘道被告は自分を良識人として印象づけるために、わざわざ「いいじゃない、やりなさい」と書き換えてみせたのだろうが、前後の文脈に照らしてそんな書き換えは成り立たない。そのことは既に明らかだろう。
それ故、ここでは、寺嶋弘道学芸主幹の「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話を中心に考察を進めることにするが、ホッジとクレスが指摘するように、疑問形(または反問形)の発話は、――特に否定(打消し)の言葉を区踏む疑問形(または反語形)の発話の意味作用は――文脈とイントネーションに大きく作用される。しかも、「いいじゃん」の「じゃん」は、「(いい)ではないか」→「(いい)じゃないか」→「(いい)じゃん」と語形変化したものではあるが、現在では「反発」と「促し」という相反する意味を持つ、両義的な終助詞として使われることが多い。
例えば「いいじゃん」と「いい」にアクセントを置く形が、発話者自身の行為に関して用いられる場合は、「自分がそのようにしても特に不都合は生じないはずだ、放っておいてくれ(干渉しないでくれ)」という反発の意味が生まれる。だが、若い娘が「いいじゃん、いいじゃん!」と力を込めて言う場合には、「それっていいね、やろうよ」という促し、誘いの意味が生まれる。
寺嶋弘道学芸主幹の「いいじゃん、いいじゃん」は、一見若い娘たちの「いいじゃん、いいじゃん!」に似ている。だが、それに続く言葉は「それっていいね、やろうよ」ではなくて、「やれば。やんなさい」だった。つまり、彼が言った「いいじゃん、いいじゃん、やれば」は、「(おまえさんが)やれば、いいじゃん」の倒置法であり、「(おまえさんが)勝手にやればよい、自分は関係ないよ」と無関係を強調する、突き放した意味となる。
彼の発話はこのように、「やれば、いいじゃん」の倒置法であり、「いいじゃない、やりなさい」と書き換えることはできないのである。
その上この発話には、「やんなさい」と、全くとりつく島もないようなニュアンスの、命令言葉が続いていた。相手から「やれば。やんなさい」と言われて、「ああ、相手は賛成してくれたんだな」とは受け取る人は、まずいないだろう。この言い方は、語彙のレベルでは賛成していると見せかけながら、ニュアンス的にはむしろ相手がそうすることを咎め、やらせまいとする。そういうダブルバインドの働きを持ち、どうしたらよいか分からない心理的な状況に相手を追い詰める効果を狙った言い方なのである。
○言葉のダブルバインド
寺嶋弘道という人物の得意技は、言葉のダブルバインドをかけることであるらしい。4月7日には先のようなことがあり、5月2日には、ケータイフォトコンテストの話を持ち出した。「原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、『私はそういうことが出来る立場では…』と言いかけた。/ところが、その途端、(寺嶋弘道)被告が原告の言葉を遮り、『そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!』 と問い詰めはじめた」(亀井志乃、3月5日付「準備書面」4p)。
もしこれが私だったら、「人の話を遮っておきながら、『最後までちゃんと言ってみなさい』とは、一体お前さんは何様のつもりなんだ」と怒鳴り返すところだろう。
だが、亀井志乃はそのように感情的にはならず、平原一良学芸副館長に、雇用者の立場で説明してくれるように依頼した。しかし、前回の引用で分かるように、平原学芸副館長は言葉の言い換えに終始するだけだった。
○平成18年10月28日の場合
だがそれはそれとして、前回私は、亀井志乃の5月2日の記述に関して、田口紀子裁判長が肝心な箇所を削除してしまったこと、及び、5月2日の話し合いはケータイフォトコンテストとその企画書に関する話に終始し、亀井志乃が自分で写真を撮りに行く話は一切なかったこと、この2点を確認しておいた。
そのことを改めてことわった上で、次に、亀井志乃の平成18年10月28日に関する記述を引用しよう。
《引用》
(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した。(23~24p。下線は引用者)
この表現についても、私は前回、田口紀子裁判長がどのような書き換えをやり、どの箇所を削除してしまったかを指摘しておいた。書き換えについては前回の引用を参照してもらうことにして、今回は、「しかし、5月2日の話題」以後の下線を引いた部分、つまり田口紀子裁判長が削除してしまった部分に注目してもらいたい。
寺嶋弘道学芸主幹が「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言い、それを聞いて亀井志乃が、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと考え、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。亀井志乃のこの対応は至極当然な行為であろう。
ところが、寺嶋弘道学芸主幹は、「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言って、亀井志乃の行動を阻んでしまったのである。
改めて彼の発話を並べてみよう。
イ、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」
ロ、「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」
つまりこの時も彼は、亀井志乃にダブルバインドをかけ、対応不可能な状況に追い詰めようとしていたのである。
それをもう少し細かく検討するならば、イの発話は、「理事長も館長もあんたが文学碑の写真を撮りに行ってくるものと思っている。だが、あんたは文学碑の写真を撮りに行っていない。あんたはその責任をどう取るつもりか」という疑問形になるだろう。見方を変えれば、寺嶋弘道学芸主幹は、この疑問形の裏側に、「どのような経緯で、理事長や館長は亀井志乃が文学碑の写真を撮ってくると思うことになったのか」、あるいは「一体誰が、理事長や館長にそこことを伝えたのか」という、行為者の問題を隠してしまったのである。
当然のことながら、亀井志乃は自分の仕事に関する理事長や館長の誤解を正そうとしたわけだが、彼は「理事長や館長に説明をする人間は別にいる。なぜあんたが直接理事長や館長に会って説明しなければならないのか」という疑問形によって、亀井志乃の行動を阻止した。この疑問形の裏側に隠されているのは、「理事長や館長に直接説明できる資格を持つのは自分であって、あんたはその資格も持たないし、説明する理由もないはずだ」という、差別的な階層意識であろう。彼はこの差別意識によって、亀井志乃の説明資格と、自己の名誉を守る権利とを否定したのである。
その点を押さえて、亀井志乃は、「被告は、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した。これは、自分の行動の正当性を主張しようとする原告の権利を侵害して、憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である」(3月5日付「準備書面」25p)と、寺嶋弘道被告の違法性を告発したのだった。
○田口紀子裁判長の奇妙な理屈
ところが、以上の問題に関する田口紀子裁判長の法的な判断は以下のようなものであった。
《引用》
(サ)原告は、平成18年10月28日、被告が、閲覧室という不特定多数の来館者に開かれた空間で、原告がサボタージュを行っていると決めつけて、原告の業務遂行態度を非難し、原告が定められた業務に手抜きをするいい加減な人間であるかのような印象を与えて、原告の名誉を毀損し、社会的信用を失わせた旨、また、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した旨主張する。閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが、被告の言動の内容が、原告の社会的評価を低下させ、名誉・信用を毀損したものとまでは認められない。また、被告の発言の仕方が、原告に不快感を与えたとしても、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできはい。
(中略。この箇所は10月28日の午後の出来事に関する訴えの判決であるため、引用者注)
なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない。(22~23p。太字は引用者)
またしても「上司としての許容限度を逸脱する様態のものとまで認めることはできない」の一点張りであるが、田口紀子裁判長の「上司」概念がいかにインチキであるか、これまでも繰り返し指摘してきた。今回も後にもう一度取り上げるつもりであるが、私はこの下りを読んで田口紀子裁判長の想像力と理解力に深刻な疑問を抱いた。
田口紀子裁判長は亀井志乃があれだけ証拠を揃えて事実を証明し、寺嶋弘道被告の違法性や虚偽を指摘したにもかかわらず、それらを無視、黙殺しておきながら、ここでは「閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが」などと、証拠を求めている。いや、証拠を求める振りをしていた、と言うべきだろう。
一体田口紀子裁判長は、閲覧室内の状況について、どんな証拠が必要だと考えているのか。閲覧室とは、不特定多数の市民が自由に入って来て、閲覧室に備えている図書類を自由に閲覧し、必要があれば、閲覧室に勤務している職員に頼んで、書庫内の図書資料を持ってきてもらい、閲覧をしていく、そういう開かれた空間である。それ以外に、どんな室内状況の証拠が必要なのか。
閲覧室に勤務する職員は、そういう人たちの問い合わせや依頼に直ちに応じることができる位置で作業をしている。その意味では、衆目に晒される位置にいるわけだが、その職員に向かって、別な職員が「文学碑の仕事はどうなっているの。」「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と問い詰め、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」という意味の指摘を始める。事情を知らない閲覧者は当然、閲覧室勤務の職員に手落ちがあり、それを今咎められているのだ、と受け取るだろう。そういう誤解を招きやすい言いがかりをつけること。それは閲覧室勤務についていいた職員の尊厳を傷つける、名誉毀損の行為以外ではありえない。そのどこに「許容範囲」などというものがあり得るのか。
札幌地方裁判所に、市民に開かれた閲覧室や資料室があるかどうか、私は知らない。ただし、一回のロビーに続く廊下に案内の席があり、廊下を挟んでエレベーターの出入り口と向かい合っている。たまたま田口紀子裁判官がそういう場で、市民から質問を受けている時、別な職員がやってきて、寺嶋弘道被告が亀井志乃に言い募ったような言葉を吐きかけたらどうなるか。10月28日の出来事は、そういうふうに想像的理解を働かせるべき事柄なのである。
○田口紀子裁判長の奇怪なレトリック
ただし、私が田口紀子裁判長の想像力と理解力に疑問を抱いたのは、その箇所だけについてではない。「なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない。」という下りを読んで、私は更に深刻な疑問に囚われてしまった。
亀井志乃は神谷忠孝理事長には文書を郵送したが、毛利館長以下の幹部職員には直接手渡しており、「送って」はいない。その程度のことは、亀井志乃の文章を流し読みしただけでも分かるはずである。しかも呆れたことに、田口紀子裁判長の理解によれば、〈亀井志乃は理事長や館長に文書を送り、寺嶋弘道被告の言動の不当性を訴えた。だから、自分の名誉を守ろうとする行動を寺嶋弘道被告から阻止されたことにはならない〉のだそうである。
どういう理解力からこんな結論が出て来るのであろうか。
いや、その前に、田口紀子裁判長のこの判決文が、いかに姑息な責任逃れの言い回しでしかないかを証明しておこう。
まず田口紀子裁判長は、「寺嶋弘道学芸主幹が原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」と、行為者(寺嶋弘道)を明示する行為文で書くべきところを、「原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止された」と受身形で書き、判決文の表層構造から行為者を消し去ってしまった。(これまでの数多い引用文から分かるように、亀井志乃自身は、基本的には、行為者を明示する行為文によって記述している。)
次に田口紀子裁判長は、「……阻止されたとも認められない」と書いているが、この「れ(終止形は「る」)」という助動詞を可能の意味で使ったのか、受け身の意味で使ったのか、曖昧にぼかしてしまった。田口紀子裁判長はそれ以外の箇所で、しばしば「認めることはできない」と書いており、この場合の「認める/認めることできない」という判断の行為者は田口紀子裁判官自身であろう。田口紀子裁判長はほぼ一貫して自分が判断行為の主体であることを判決文の表層構造から消してしまっている。が、判断行為の主体を明示する行為文に書き直すならば、「なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている。この事実から自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」となる。
このように整理してみれば分かるように、この文の前段(「後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている」)の事実は、後段(「自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」)という結論の前提とはなりえないし、条件ともなりえない。
むしろ事実の時間的な前後関係に基づいて整理するならば、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実(前提、条件)があったからこそ、「原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えざるを得なかったのだ」となるはずである。
田口紀子裁判長の判決文には、そのような逃げ腰のレトリックが認められるが、要するに田口紀子裁判長は、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実があり、「(それ故)原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えた」という事実関係の認識を回避したかったのであろう。
しかし、もし田口紀子裁判長の理屈が通るならば、「なお、後日、原告は民事裁判を起こし、被告の原告に対する人格権侵害を訴えていることからしても、原告の人格権が侵されたとも認められない」という理屈も成り立つことになる。誰の目から見ても、これが逆立ちした屁理屈でしかないことは明らかだろう。日本の裁判ではこういう倒錯した屁理屈がまかり通っているのである。
○田口紀子裁判長の出鱈目な判決文
そういう裁判官が書いた判決文だ。今回の初めに紹介された「平成18年4月7日」について、どんな判断が下されたか。是非読んでみたい。そういう関心をかき立てられた人もいるかもしれない。その人たちのために紹介しておこう。
《引用》
原告は、被告が、原告が業務遂行のため道立近代美術館を訪れる行動を、ただ道立近代美術館の学芸員を煩わせ、迷惑をかけるだけの行動であるかのように貶める言い方で評価し、また、原告の構想に対して関心を持つに値しないもののごとく侮蔑的な態度であしらった旨主張するが、被告の言動は、客観的には、被告が、原告の上司として業務指導の一環として行われたものと認められるし、そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告を侮辱する意図のもとに行われた、許容限度を超えた違法な言動とまで認めることはできない。(17P。太字は引用者)
田口紀子裁判長はこのような場合、「客観的」という言葉を使うべきではない。田口紀子裁判長はこの箇所に関するかぎり、「客観的」という言葉を使う資格も権利も持っていない。
10月31日の本人尋問であれほど筋の通った尋問を行っていた田口紀子裁判長が、それからおよそ4ヶ月後、このようにクロをシロと言いくるめるような、出鱈目な判決文を書いている。その間、一体何があったのか。
○田口紀子裁判長の明白な虚偽
既に何回も指摘したことだが、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を理由に、寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司であったと断定した。亀井志乃はこの文書は手続き的にも内容的にも問題があり、寺嶋被告が亀井志乃に上司だったとする根拠にはならないと主張したが、田口紀子裁判長は亀井志乃の主張を退ける理由も示すことさえせずに、彼女の主張を無視してしまった。しかも、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)には記載されていないことを、自分で虚構し、自分の虚構に基づいて寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司だったと断定してしまったのである。
だが、今はその問題を、一まず脇に置いておこう。
寺嶋弘道被告の「陳述書」によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)は、平成18年4月18日に、彼の財団法人北海道文学館の幹部職員が協議をして作ったものだった。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告は「それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけど、それまで、………20日近く、そのことを………議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました。」(被告調書34p)と、物理的に不可能なこと言い、亀井志乃はその点を「最終準備書面」で指摘したが、田口紀子裁判長はこれもまた、「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と無視してしまった。だが、その点もまた、一まず脇に置いておこう。
とにかく寺嶋弘道被告の言い分によれば、運用上彼が亀井志乃の上司となったのは、4月18日に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を職員に配布した時からであり、――被告側が提出した平成18年4月18日付「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)で分かるように、乙2号証は当日の議題でもなければ連絡事項でもなかった。ただ職員に配布されたにすぎない。――田口紀子裁判長もその言い分に従っている。そうであるならば、4月7日の時点で寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の上司だったことは、「客観的には」ありえない。田口紀子裁判長の判決は、その点については全く虚偽なのである。
4月7日の時点における寺嶋弘道学芸主幹との亀井志乃との関係は、「客観的には」、連携協働して文学館の業務に当たる道職員と財団嘱託職員の関係以外ではなかった。田口紀子裁判長の判断は、「客観的に」見て、明らかに矛盾し、間違っているのである。
その判決文から判断するに、田口紀子裁判長は、自分の判断には致命的な矛盾があることに気がつかなかったらしい。もし気がついていたならば、相矛盾する二つの事柄の一方が虚偽であるか、あるいは二つとも虚偽であることに思い当たったはずである。
その点で私は、田口紀子裁判官の論理能力と文章能力にも深刻な疑問を抱かざるをえない。
それとも、田口紀子裁判長は自分の矛盾に気がついていた。気がついてはいたが、しかし亀井志乃が抗告をした場合には、同僚の裁判官から「田口裁判官に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と押し切ってもらうつもりだったのだろうか。
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