判決とテロル(8)
深層構造論の視点で(その1)
○予備的な考察(1)
あるデモ行進の取材に出掛けたレポーターが、実際に見聞した出来事について、「デモ隊が警官隊と対峙した」と書くことは十分にあり得るだろう。だが、「警官隊がデモ隊と対峙した」と書くかもしれない。
また、そのレポーターはデモ隊を暴徒と呼び、「暴徒が警官隊を襲った」と書くこともあれば、「警官隊が暴徒集団を襲った」と書く場合もある。そして、その結果については、「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」と見るかもしれないし、「暴徒が四散する(riot disperses)」と見るかもしれない。
ロバート・ホッジとガンサー・クレスの2人は、共著『イデオロギーとしての言語』(Robert Hodge and Gunther Kress, “Language as Ideology.” Second Edition, 1993)という独創的な言語研究の中で、以上のような例を挙げて、次のようなことを指摘した。
《敷衍的要旨》
このように、同じ事件に遭遇した新聞記者たちの誰もが、同じ言葉を選ぶとは限らない。また、その事件の行為主体の――デモ隊、または警官隊――どちらを主語に選んで記述するかについても、決して一定はしていない。ただ、先ほどの例で分かるように、言葉の選び方や、主語の選び方によって、それぞれの記者の事件に対する見方や評価が表出される。このことは明らかだろう。私たち新聞の読者は、どの新聞がどんな見方や評価をするか、おおよその傾向を知っている。そこで、事件に関する自分の推定を逆撫でしないだろう傾向の新聞を購入し、その報道を元に「実際に起こった現実」を議論したり、考察したりしているわけだ。
この《敷衍的要旨》の前半は、私が前後の文脈から補った意見だが、ホッジとクレスの趣旨を失ってはいないと思う。
ただ、少し困ったのは、ホッジとクレスの2人がdisperseという言葉を、”police disperse rioters”、”riot disperses”と、現在形の例文を使っていたことである。この言葉は英語では他動詞にも自動詞にも使うわけだが、日本語では「四散させる」、「四散する」と使い分ける。だから、実際の出来事に即した日本語としては、「警官隊が暴徒を追い払う」、「暴徒は追い払われる」とするほうが自然な言い方に聞こえるだろう。だが、そういうふうに訳してしまうと、ホッジとクレスの趣旨から外れてしまう。その理由は後ほど説明することとして、取りあえずは上記の例文を前提として考察を進めさせてもらいたい。
○言語表現とイデオロギー
さて、以上の簡単な紹介からもある程度推測ができるように、私たちが現実の出来事を見、それを言葉に現すとき、何らかのイデオロギー的な意味づけを行っている。全くイデオロギー的な意味づけを行わず、中立的な立場で見、無色な透明な記述を行うことはできない。ホッジとクレスの2人はそう考えたのである。
デモ隊の要求を正当な主張だと考える新聞社の記者は、「デモ隊の行進を警官隊が阻み、暴力的に追い散らした」という方向で書くだろう。その反対に、デモ隊の要求ばかりでなく、デモという行為自体も好ましくないと考える新聞社の記者は、「警官隊がデモ隊の行動を規制しようとしたが、デモ隊が規制に反する行動に出て、暴力を伴う衝突になったため、暴徒化したデモ隊を追い払った」という方向で書くだろう。
いずれの場合も新聞社のイデオロギー的な立場は明瞭であり、それが記事に反映したわけだが、それでは、そのいずれにも属さず、いずれの立場からも中立的な距離を取りたいと考える新聞社があったとして、その中立的な立場を反映する書き方とはどのような書き方になるだろうか。
いや、そんなことを問う以前に、まずホッジとクレスの例文の挙げ方そのものを問題にすべきだ。なぜなら、この2人はデモ隊を暴徒と呼ぶ例を挙げたが、警官隊を国家権力の暴力装置と呼ぶ例文を挙げなかった。そこにこそ、2人のイデオロギーが隠されていたと言うべきで、これが彼らの学問の中立性を損ねているかもしれない。そういう疑問も生まれてくるだろう。
○言説規則と言語表現の客観性
こんなふうに考え始めると、そもそも中立、客観的な言語表現とは可能だろうかというやっかいな問題に突き当たってしまうわけだが、私個人の考えでは、全ての言説ジャンルに通ずる中立、客観的な言語表現はありえない。なぜなら、どのような言語表現も、その表現を行う人の対象的な認識の現れであり、それと共に、その人の生活意識を反映してしまうからである。
ただしこのことは、決して〈だから中立、客観的な言語表現など不可能だ〉というペシミズムを意味するわけではない。どのような言説ジャンルにも、その言説ジャンルに参加する人たちが習得し、共有する言説規則がある。その言説規則に従うかぎり、お互いに中立的で客観的な表現だと了解することが可能な、そういう表現態というものがある。その言説規則がどこまで開かれたものであるか、その言説ジャンルの参加者によって言説規則の妥当性がどこまでラジカルに自覚され、実践されているか。そのことによって、言語表現の中立性や客観性の質が決まってくるのである。
○見せかけの中立性
裁判という言説ジャンル、法廷という言説空間における発話もその例外ではない。
亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で次のように書いた。これまでの引用から分かるように、下線を引いた箇所は田口紀子裁判長が「判決文」から削除した部分であり、( )内の青い文字の文章は田口紀子裁判長が書き換えた表現である。
《引用》
(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、(被告は、平成18年10月28日、閲覧室で業務を行っていた原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの。」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、データの更新を行っていなかったことから、原告は、「いいえ、特に何もやっていませんでした。」と答えると、)被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。(と言い、)更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた(等と言った)。
しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した。(23~24p。太字は引用者)
田口紀子裁判長は「しかし、5月2日の」以降を全て削除してしまった。このことにも重要な問題が含まれているのであるが、その点はいずれ取り上げることとして、ここでは下線を引いた太字の箇所に注目してもらいたい。
亀井志乃は、寺嶋弘道被告が原告(亀井志乃)を「急き立てた」「二点を挙げて、……責めた」と書いたわけだが、田口紀子裁判長はいずれも「言った」と書き換えている。田口紀子裁判長としては、亀井志乃の書き方は感情的であり、それを取り除いた形で、事態を客観的に記述し直すつもりだったのであろう。
○亀井志乃の表現が尊重されるべき理由
ちなみに私は、亀井志乃の文章を基盤としてこのブログを書き進めてきた。要するにそれは、ただ一方的に亀井志乃の言い分を押しつけているだけではないか。そういう疑問を覚えた人もいるらしい。ずっと以前だが、そういう口ぶりの書き込みをした人がいる。
だが、事情は決してそうではない。
亀井志乃の3月5日付の「準備書面」に対して、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)を提出し、「『いいじゃない、やりなさい』と積極的に肯定した被告の発言を『いいじゃん、やれば』と否定的に用語転換し、『嘲笑的』『無関心な態度』だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である。」(2p)とか、「被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。」(2P)とかと、反論をしてきた。
それに対して亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)で物的な証拠を挙げ、また状況証拠となりうるだけの記述態度によって事情説明をして、〈それでもまだ被告の言い分が正しいと主張したいならば、それを裏づける証拠を提出し、状況説明をすべきだ〉という意味の反論をした。
ところが、それに対する被告の対応は、――繰り返し引用することになるが――「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということだった。
寺嶋弘道被告としては〈反論はしないが、それは必ずしも原告の言い分を認めたことを意味しない〉と言いたいところかもしれない。だが、反論を放棄した事実は残る。
田口紀子裁判長はこの事実を尊重すべきであり、亀井志乃の表現に手を加えてはならなかったのである。
○裁判官の中立的、客観的な態度に反した田口紀子裁判長
それに、もし田口紀子裁判長も亀井志乃の記述に疑問を感じたならば、10月31日の本人尋問や、その他の機会に確かめることができたはずである。だが、田口紀子裁判長はそうしなかった。10月31日に本人尋問があり、亀井志乃が「最終準備書面」を12月12日に提出してから、田口紀子裁判長が今年の2月27日に判決を下すまで、2ヶ月半近くの時間があった。田口紀子裁判長には亀井志乃の主張を検討する時間的な余裕が十分にあったわけで、もし亀井志乃の主張に矛盾や間違い、虚偽を見出したらなら、それを判決文で指摘できたはずである。だが、判決文にそのような指摘は1箇所もなかった。
以上の意味で、亀井志乃が裁判で提出した文章は寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士、及び田口紀子裁判長の検証を経たものであり、当事者によって承認された客観的な文章と見て差し支えない。
別な言い方をすれば、田口紀子裁判長は、亀井志乃の主張について、その表現の細部まで尊重し、これを勝手に改変してはならない。それが裁判における裁判官の中立的、客観的な態度なのである。
他方、亀井志乃は寺嶋弘道被告の「準備書面」と「陳述書」及び10月31日の証言、さらには平原一良の「陳述書」について、その虚偽を何点も指摘しておいた。ところが田口紀子裁判長は、何の根拠も示さずに、「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」(25p)の一点張りで、亀井志乃の指摘を無効にしてしまった。これはとうてい中立的、客観的な裁判官の態度と言い得ないだろう。
○田口紀子裁判長の作為
分かるように、田口紀子裁判長が亀井志乃の「急き立てた」を「言った」と書き換え、「二点を挙げて、……責めた」を「言った」と書き換えたこと自体が、裁判官としての中立、客観を犯す行為だったわけだが、実は、この書き換えは、もっと手の込んだ作為に基づいていたのである。
10月28日に寺嶋弘道被告と亀井志乃との間で争われた、5月2日の出来事にもどってみよう。
《引用》
(2)平成18年5月2日(火曜日)
(a)被害の事実(甲13号証を参照のこと)
原告は平成17年度、平原一良学芸副館長(当時、のち副館長)の依頼で、北海道の文学碑に関するデータベースを作った。平成18年4月7日、(1)の事柄があった直前、原告は被告に文学碑データ検索機を見せたが、その時被告は「ケータイ(携帯端末機)で一般の人たちに写真を撮ってもらい、いい写真をえらんで、検索機にのせますからどんどん募集して下さいと言って、画像を集めればよい」、「そうすれば、館の人間がわざわざ写真を撮りに行かなくとも、画像は向こうから集まってくる」というアイデアを口にした(という提案をした)。
それから約1ヶ月後の5月2日(火曜日)、原告は被告から「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」と声をかけられ、館長室で、学芸副館長を交え、三人で話し合った。被告が持ち出した話は(の話しは)「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい。原告が企画書を書き、中心となって、その仕事を進めて欲しい」という内容で、写真の集め方は明らかにケータイ・フォトコンテストを前提にしていた。
しかし、そのデータベースは市販のパソコンソフトを利用したものではなく、業者に発注してプログラミングしてもらったものであり、使用画像の大きさ・画素数や、データ1件の画像数を1枚とする等のフォーマットが、あらかじめ決まっていた。
フォトコンテストを行なうとすれば、まだ画像のない文学碑のフォトだけでなく、むしろ人気の高い文学碑のフォトがたくさん集まる可能性が高い。また、携帯端末機に付随する写真機の性能によっては、画像の画素数もまちまちとなる。それらの応募画像を検索機に載せることになれば、再び業者にフォーマットを作り変えてもらわなければならず、少なからぬ経費が必要となる。また、コンテスト自体、おそらく文学館にとって大きなイベントとなり、予算をつけなければならない(つけなければならないことになると考え、)。(以上、この段落の内容については甲14号証を参照のこと)
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり(疑問を持ったことから)、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、「私はそういうことが出来る立場では…」と言いかけた。
ところが、その途端、被告が原告の言葉を遮り、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と問い詰めはじめた(と言った)。原告は、自分の立場は嘱託職員であることを説明した。だが被告は、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と主張をした。
原告は学芸副館長に、原告の立場を被告に説明してくれるように頼んだ。学芸副館長は「前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担をしようということになった」と言った。しかし原告は、前年度の3月に、安藤副館長から、従来通りの嘱託員に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われ、それ以後誰からも、原告の身分が変わったと伝えられたことはなかった。学芸副館長がいう「スタッフ」という役職名は財団法人北海道文学館の規程のどこにも見られない。その意味で、学芸副館長の説明は嘱託職員の実態を適切に説明したものとは言えなかった。
原告は嘱託職員の立場を、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」立場と理解していた。そのため、改めてその立場を確認しながら、「原告の立場で(前年度から文学碑データベースの作成を請け負ってきたものとして)意見を言えばいいのか」と聞いた。だが、学芸副館長と被告は、「意見」ではなく、「アイデア」を出してほしいと言い、「アイデア」だけでなく「プラン」も立ててほしいと言った。しかし結局、副館長と被告の主張は、概念規定も曖昧なまま「テーブルプラン」「アイデアのコンテンツ」など言葉の言い換えに終始し、何をどこまで原告にしてもらいたいのか曖昧なまま、話し合いは終わった。(35p。下線、太字は引用者)
田口紀子裁判長は又しても大事な箇所を大幅に削除してしまったが、さし当たりここでは、〈平原一良学芸副館長と寺嶋弘道学芸主幹はひたすら言葉を言い換えるだけで、事態を詰めて考えることから逃げていた〉ことを指摘し、〈亀井志乃が文学碑の写真を撮って来る話は一切出ていなかった〉ことを確認するに止めたい。
むしろ私が注意を促したいのは、亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』というアイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えたことである。
「アイデアを口にした」ことを「提案をした」と書き換えることは、事態の客観性を高めることにはならないし、裁判官の中立性を保証することにもならない。その意味では全く無意味な差し出口でしかなかったが、なぜ田口紀子裁判長はこのように余計な書き換えをしたのであろうか。
○田口紀子裁判長が気づくべきだったこと
唯一考えられる理由は、〈寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃にフォトコンテストを「提案」したのであって、10月28日の閲覧室における会話も、亀井志乃に仕事の進捗状況を確かめただけであり、決して「急き立てたり」、「責めたり」はしなかった〉。田口紀子裁判長は、そういう紳士的な常識人に、寺嶋弘道被告を仕立てたかったのであろう。
これまで私が指摘してきた、田口紀子裁判長のリライトの傾向から判断して、田口紀子裁判長は一貫して寺嶋弘道被告から紳士的な良識人の印象を受けていたらしい。それはまあ「……も好きずき」と見るべきで、他人がとやかく言う筋合いではない。だが、これほど露骨に判決文に反映されると、果たして裁判官としてはいかがなものか。そういう疑問は禁じ得ない。
そもそも寺嶋弘道学芸主幹は4月7日、提案などしなかった。もし提案だったならば、5月2日、亀井志乃に「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」などと声をかけるはずがない。「先日提案しておいたこと、どうなりましたか。そろそろ相談したいのですが」という意味の言葉をかけたはずである。その意味で、もし田口紀子裁判長が普通に「文脈」ということを心得ている裁判官ならば、当然「提案した」と書き換えた時に生じる矛盾に気がつくべきであった。
○虚偽に荷担した田口紀子裁判長
それだけではない。寺嶋弘道被告は4月13日に、自分が中心になって「事務分掌」を取り決めたと主張し、亀井志乃がその主張の幾つかの点に関して疑問を提出してきたにもかかわらず、田口紀子裁判長は――その根拠を示さず、ただ一方的に――寺嶋弘道被告の主張を支持した。いま仮に寺嶋弘道被告の主張が正しいとするならば、なぜ彼は4月13日の打合せ会に先立って、あるいは4月13日の翌日、平原学芸副館長と一緒に亀井志乃と会った時、フォトコンテストに関する企画立案が平成18年度の亀井志乃の業務の一つであることを告げ、亀井志乃の了解を取らなかったのか。もしその手順を踏んでいれば、5月2日の話し合いはあのような展開にならなかったはずである。
田口紀子裁判長が普通の注意力をもって原告と被告の主張を読み、証拠物を検討していれば、裁判長自身が「4月7日、寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えることは、4月13日に自分が中心となって決めたと寺嶋弘道被告の主張する「事務分掌」の内容や、5月2日の話し合いにおける寺嶋弘道学芸主幹の言動とは、決して整合しない。大きな齟齬があることに気がついたはずである。
だが、田口紀子裁判長はそれを無視して、「(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。」(17p)と判決を下した。
この判決文自体にも問題があるのだが、そもそもこのような判決に至るまでの間、田口紀子裁判長は意図的に亀井志乃の記述を歪めて、虚偽の記述を行い、あるいは寺嶋弘道被告の虚偽に荷担していた。
田口紀子裁判長はこのようにして、みずから裁判官としての中立性と客観性を損ねてしまったのである。
○予備的な考察(2)
ところで、今回の初めに紹介した言語表現に関する分析は、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの言語研究のごく初歩的な考察にすぎない。
彼らの独創的な点は、ノーアム・チョムスキー(Noam Chomsky)の変形生成文法の理論を作り替えながら、一つの文を表層構造または表層形式(surface structure or surface form)と、深層構造(deep structure)とに別けて捉え、隠れたイデオロギー的機能を明らかにする方法を拓いたことにある。
彼らはその方法を説明するために、まず「文」を大きく、「A 行為文(actionals)」と「B 定義文(relationals)」に別け、前者については更に「①処置文(transactive)」と「②非処置文(non-transactive)」に、そして後者については「④命題文(equative)」と「④特性文(attributive)」とに別けた。
私のこのような訳語に疑問を感ずる人も多いと思うが、日本語としての分かりやすさを意図したものであり、その点は了解してもらいたい。改めて図表化すれば、次のようになるだろう。
A 行為文 ①処置文 中島がボールを打つ
②非処置文 中島が走る
B 定義文 ③命題文 中島は野球選手だ
④特性文 中島は早い
つまり、①処置文とは、〈行為者(中島)がどんな対象(ボール)に対してどのような行為(打つ)をするか〉を述べる文であるが、②非処置文は行為者と行為のみを述べて、対象を伏せている。ただし、①と②の違いは、行為に関する動詞が他動詞であるか、自動詞であるかの違いではない。行為の対象が明示されているか否かの違いであって、中島が何を飲むかを明示せずに、「中島が飲む」と言えば、それは②に属するわけである。
それに対して③と④の違いは特に説明の必要はないだろう。③は主語がいかなる存在であるかを述べた構文であり、④はその主語の属性を述べた文であって、その属性は形容詞で表される。
○表層構造と深層構造
しかし、なぜそのような分類が必要なのか。
いま仮にアナウンサーが「打球が高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」と実況放送したとしよう。この文の表層構造は、「打球」という行為者(主語)が、「上がる」「伸びず」「収まる」という行為をしたことになり、文型としてはA―②に属する。だが、実際は「中島が(ダルビッシュの投げた)球を打つ」「中島はバットの芯で球を捉えそこねた」「森本がフライを捕る」と、A―①の文型を3つ含んでいるわけで、深層構造における行為者は「中島」と「森本」となるはずである。
同様なことは、最初に挙げた「暴徒が四散する(riot disperses)」という例文についても言える。これはA―②の形を取っているが、実際はA―①の「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」という行為の結果だとするならば、「暴徒が四散する((riot disperses)」の表現は、本当の行為者(警官隊)を文の表層構造から消去してしまい、深層構造の中に隠したことになるだろう。
亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』というアイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ田口紀子裁判長が「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えた。これは上の事例とは逆の操作であって、亀井志乃はA―②の文型で書いたにもかかわらず、田口紀子裁判長はA―①に文型に書き換えた。そうすることによって、寺嶋弘道被告を良識的な学芸員に仕立て上げたわけだが、その裏の操作として、「(寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃を)急き立てた」を「言った」と書き換え、「(寺嶋弘道主観は)二点を挙げて、……(亀井志乃を)責めた」を「言った」と書き換えている。裁判官にはこういう恣意的な書き換えが許されている、と田口紀子裁判長は考えたらしいが、それは裁判官の思い上がりというものである。
○寺嶋弘道被告の深層
そう言えば、寺嶋弘道被告は「陳述書」の中で、「逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して(a)強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。/また、この『二組のデュオ展』では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、(b)後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。」(5p。/は改行。下線は引用者)という言い方をしていた。
(a)の場合、寺嶋弘道被告は「強い非難の声」を行為者(主語)として、A―②の構文を作ったわけだが、もちろん「強い非難の声」が勝手に「渦巻いてしまう」はずがない。彼はこの表層構造によって、「文学館の職員数人が亀井志乃の行動を非難していた」「自分はその声を聞いた」という〈事実〉をほのめかしながら、しかし具体的、明示的にそれを記述することを避けてしまった。
また(b)の場合も、「亀井志乃は『道内美術館』とかいう施設に、作品図版カードなるものを持参しなかった」「『道内美術館』とかいう施設が亀井志乃の行動を批判した」「寺嶋弘道学芸主幹がその言葉を聞いた」「寺嶋弘道学芸主幹が『道内美術館』に電話をして、詫びた」という深層構造をほのめかしながら、しかし深層構造自体の出来事を具体的、明示的に記述することはできなかったのである。(これも前に紹介したことだが、寺嶋弘道被告は、亀井志乃から「道内美術館」はどこにあるのか、「作品図版カード」とは如何なるものなのか、と反論されて、答えることが出来なかった。「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」)
○田口紀子裁判長の深層
田口紀子裁判長もまた曖昧な言い方を得意としていた。以上の視点で、先ほど引用した文章を読み直してみよう。
《引用》
(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。(17p)
こういう言い回しに接した時、特に眉に唾を附けて読む必要があるのは、「……としても」という助詞の使い方であろう。一見これは仮定法のようにみえるが、しかし仮定法ではありえない。なぜなら、「たとえ……としても」という仮定法は、相手の論理の矛盾を指摘したり、隠された真実を明らかにする方法であるが、この文章の場合はそれとは異なり、事実に関する認識を導き出すための前提を挙げる形になっているからである。つまり、この場合の「……としても」は、「……であるが、しかし」の意味なのである。
更にもう一つ、この文章が曖昧なのは、「その言い方が」という表層構造における主語に対して、その述語部分が不明瞭な点にある。「その言い方が、……原告に不快な印象を与え、……意図のもとに行われ、……許容限度をこえた」となるのか、それとも「その言い方が、……認められず、……認めることはできない。」となるのか。
それを明らかにするためには、深層構造における行為者(主語)を明示して、次のように整理するほかはないだろう。
イ、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした。
ロ、田口紀子裁判官は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない。
ハ、田口紀子裁判長は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない。
このように、ロやハに該当する表現を、A―①の形に整理して見るならば、その中には更に「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」というA―①の文章や、「寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法行為」というB―③の文章が含まれている。そのことが分かるだろう。
事実に関する叙述のレベルで言えば、「寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした」「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」「寺嶋弘道被告の行為が許容限度を超えた違法行為」となる。
それに対する判断のレベルは、「田口紀子裁判長は、……とまでは認めない」となるわけだが、田口紀子裁判長はその判決文の表層構造から、判断主体(行為者=田口紀子裁判長自身)を消し去り、深層構造のほうに追いやって、みずからの行為(判断)の責任を曖昧にしてしまう。それと併せて、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない」のか、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない」のか、その判断基準や判断の根拠を明示せず、曖昧に誤魔化してしまったのである。
○ホッジとクレスの理論の可能性
以上の紹介だけでも、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの『イデオロギーとしての言語』の重要さが分かるだろう。その着想が拓いた可能性は、エドィン・ジェントラーの『翻訳理論の現在』(Edwin Gentzler, “Contemporary Translation Theories.” 1993)に見られるような、最近の英語圏における翻訳論とも連動している。先ほどの田口紀子裁判長の判決文を、そのまま直訳的に英文に逐語訳したらどんな文章になるか。とんでもなく意味不明な文章になってしまうはずで、適切な翻訳を得るためには、一たん深層構造に整理し直して、その上でしっかりと内容を伝える英文に直すほかはないのである。
ただしこのやり方では、「打球は高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」という実況放送のような、生きた表現を失ってしまう。翻訳ではなくて、通訳の場合、ある程度内容伝達の正確さを犠牲にしてでも、A―②の構文に従うほかはないだろう。その場合には、通訳する人がどれだけ英語表現におけるA―②の言い回しに通じているか。それが大きな条件になる。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 北海道から沖縄独立を考える(2015.10.18)
- わが歴史感覚(2015.09.29)
- 安保国会の「戦争」概念(2015.09.16)
- 歴史研究者の言語感覚(2015.08.31)
- 日本文学協会の奇怪な「近代文学史」観(2015.07.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
「情報?(こんなの情報って言えるのか?そもそも)」のたれながしテロ(執筆で行う暴力)ですね…。このサイトじたいオカシイのではないですか…?。。
しかも美術館博物館施設の運営にかかわってらっしゃる方がこんなことして…ご自身はどう思われているのでしょうか…。
亀井さんって「小樽文学館」の館長さんなんですよね…(北海道の子会社??よくわかりませんが)子会社の社長が本社の誹謗中傷?って凄いですよね…。小樽ってそんなに偉いんだ(感心します)…な訳ないと思うけど。。
私が貴社(小樽文学館)の従業員だとしたらこんな上司は嫌です。(外部だろうが内部だろうがその「会社の名前」を使用して生きているる以上…同僚?と思わざるをえません)。
美術館博物館の「館長」として働いている人が、よその施設とはいえ、その施設の人の話を赤裸々に(よく読むと、このサイトに記載されている名前の人たちに「許可」もとっていないなようですし)書きまくっている…。
恥ずかしいと思うし、貴社(小樽文学館)にも非正規従業員はいらっしゃらないのでしょうか…?
その人たちに聞けばいいと思います。このままこの「サイト」に色んなことを書くことを「どう思ってるのか?」…って
たぶん「答えられない」と思いますよ。聞かれて…自分も逆らうと「解雇」されると思ってしまうから…。それが非正規ということの現実だし「部下(内部とか外部とかは別)」のです。
非正規従業員が「解雇」という不安になる文字からなかなか逃れることができないのはやはりひとつの現実です。
人の批判や心配をしているヒマがあったら、貴社(小樽文学館)の従業員の方や、貴社(小樽文学館)の情報をもっと発信してほうが、よいのではないでしょうか…。
このブログ?ホームページにはこんなにたくさんの情報(別に客として聞きたいとは思わないいらない内容の文章)が載っていますが、、
かんじんのご自身の職場【小樽文学館】のホームページには「な~んにも情報がない」ですよね。。展覧会のお知らせくらいしかないです…。
なので、なんの説得力もありません。
亀井さんがかかわっているのだとしたらご自身の職場のことを少し心配されてはいかがでしょう…?今は観光シーズンですし、、お客の取り合いならわかるけど…
このサイトでは一方的に他者(ここでいう小樽文学館?北海道立文学館?北海道?正規の北海道?や小樽文学館の従業員)を「傷つけている」ように思いますよ。
館長さんって何も指示したり命令したりしないんですか…?
「指示・命令」を強制されるのは幼稚園や保育園にはいっている3歳は難しいかもしれませんが5歳の子どもでも理解できる話です。
このサイトでは「指示・依頼・命令」は従業員が嫌だと思ってら「守らなくていい」という子どもじみた話ですよね…。
私は非正規従業員ですので、このサイトに書いてあることが「非正規従業員」は馬鹿だと思われるんじゃぁないか…と思ってしまい、ついコメントしていますが、、、
それと、このサイトに書いてあるご自身の「娘」さん?の話している?(取材記事?本人代筆?内部情報が赤裸々すぎてとても外部?の人間が執筆しているとは思えない)内容はどれを見ていても正当性があるように記載されてはいますが、、日本の国で「従業員」として働いている人間には日常茶飯事なことばかり…だとお思いにはならないのでしょうか?
学芸員だかなんだかわかりませんが、研究するのがお仕事ですか…?たしか水族館みたいなところにいる人も学芸員?ですよね。。
(そもその非正規の研究員ってそんなに偉くないと思うけど、けっこう偉そうなコメントばかりが書いてあって娘さんの当時の「身分」からは想像も出来ないようなどうしようもない「ものいい」だったりしていると思います)
誰かのことが「嫌い」だから「言うことを聞かない」のが正当だ!と
本当にそれが「正義?で真実だ!」というのなら、今私が非正規従業員で働いていてまわりにいる職場・社会・国家???全てが「敵」になる…ということが分かったくらいでしょうか…。
以上長々書きましたが、、、このサイトに書かれている色々な話には賛同できませんし、参考になりません。非正規従業員が馬鹿だと思われるだけなのでたいがいにしていただきたいです。では。
投稿: あちこちで非正規従業員 | 2009年8月12日 (水) 11時11分