判決とテロル(6)
田口紀子裁判長とJudge
○城島の退場
先日、WBCの日本対韓国の試合で、三振となった城島がバットを置いたままベンチに引き上げたところ、球審が退場を命じた。
その時は理由がよく分からなかった。リプレイを見ると、城島が、三振の判定(judge)の直後、球審に背中を向けて何か言っている。「あれがストライクかよ!」とか、その種の不満を口にしたため、球審に対する侮辱行為と見なされたのかな。そう思って見ていたのだが、後にインターネットを検索してみたところ、スポニチの記事を紹介しているブログが見つかった。
そのブログが紹介するスポニチの記事によれば、WBCの試合にはMLBの「アンパイア・マニュアル」が適用されており、そのセクション4に「投球の軌道を土に描いての抗議や、2死(ツーアウト)の場合を除き、打席に用具を置いてベンチに戻ることは球審への侮辱とみなし、退場処分とする」と明文化されている、という。
たしかに、その場面の動画を見てみると、球審は城島が置いていったバットを指さし、それから退場を命じている。城島がバットを持ち帰らなかった行為が退場処分の対象となったのである。
日曜日に関口宏が司会する番組でも、大沢親分こと大沢啓二さんと、ハリさんこと張本勲さんが、同じことを指摘していた。
なるほど、審判というのは厳しいもんだな。
○草野球の思い出
ただし、私が「厳しい」と感じたのは、あの試合の球審のjudgeに関してではない。
私は今年の2月に72歳になった老人だが、今は昔、60年ほど前は、ご多分に漏れず野球に夢中だった。近所の仲間とチームを作って、あちこちの「小字」(こあざ。60年前の群馬県の農村では、まだ「小字」と呼ばれる集落の単位が歴然と残っており、生産だけでなく、子どもの祭りの単位としても機能していた)のチームと試合をして回った。
とはいえ、まともなグランドがあったわけではなく、グラブやミットは掌のところだけ皮を張った布製のもの。試合途中でバットが折れたら、代わりはなし。大急ぎで、折れた箇所を釘でつなぎ、細いシュロ縄をきつく巻いて何とか使えるように工夫をしたが、それが駄目なら、試合は中止。そんな具合だった。草野球にも数々あるが、これはもう草野球の原点と呼ぶしかない。そういうお粗末な野球だった。
しかし、試合を進めるルールは、かのアメリカの大リーグのルールと変わらない。バッターに許されたバッティング・チャンスは2ストライク、3ボールまで。ピッチャーが投げた球を打ったバッターは、右のファーストに向かって走る。アウトが3つ重ねれば、攻守ところを変えた。これらのルールに関する限り、私たちの草野球は大リーグのルールと較べて何ら遜色はなかった!!
もちろん審判がいたわけでなく、要するに攻撃側の選手から球審、塁審が出て判定を下したわけだから、ボールかストライクか、セーフかアウトかをめぐって時々言い合いが始まった。だが、言い合いの根底にある、私たちの共通のルールは、かの大リーグのルールと全く同じだった!!
あまりしつっこく言い合っていると試合そのものが成り立たなくなってしまう。だから、ほどほどのところで折れ合い、試合を続行した。
○審判の役割
では、そういう草野球と大リーグとの根本的な違いはどこにあるだろうか。もちろんこれは、個々の選手のパワーや技術レベルの決定的な違いを脇に置いての話である。その違いを脇に置いて、両者を較べてみるならば、私たちの草野球には審判(Judge)がいなかったが、大リーグには公認の審判(Judge)が存在し、ゲームの進行を司る(主催する)。そこに根本的な違いがある。
H・L・A・ハートの『法の概念』(矢崎光圀監訳。みすず書房、1976年。H・L・A・Hart, The Concept of Law. 1961)は、現代の法理論や法哲学に大きな影響を与えた理論書であるが、彼はゲームにおける審判のあり方から裁判における裁判官の役割を論ずる着想によって、その理論を展開していた。
その考え方を、いま私ふうにアレンジして言えば、私たちの草野球には試合を進めるルールがあるにすぎない。それに対して、アメリカ大リーグから高等学校、リトル・リーグに至るまで、公認の審判が司る公式の試合には、試合を進めるルールだけでなく、審判に関するルールがある。WBCの球審はこのルールに従って、城島に退場を命じたのである。
この審判は選手ではないから、もちろん試合には参加していない。その意味では、試合の外にあり、第三者的な立場にあるわけだが、プレーボールを宣言してから、ゲームセットを告げるまで、選手が試合のルールに従ってプレーをするように指示を与え、ルールに反する行動にはペナルティを課す。そういう権限と、権限を行使して試合をスムーズに進めさせる責任を担っている。その限りでは、選手が従うべきルールに審判自身も従わなければならない。と同時に、自分がこの試合の審判を務める資格を持っていなければならず、その資格を得るためのルールもあるわけだが、審判はこの資格に基づいて、試合のルールを守らない選手に注意を与え、ペナルティを課す権限を行使して、審判としての責任を果たす。そのために作られたのが「アンパイア・マニュアル」というルールであり、審判は当然このルールに従わなければならない。審判がこのルールをよく守ってこそ、試合における選手のプレーや試合の結果が公認のものとなるのである。
○ルールとメタ・ルール
いま審判員制度のために作られたこのルールを、試合のルールに対するメタ・ルール(または二次的ルール)と呼ぶとしよう。
草野球的な目でみれば、三振を食った選手が腹を立て、バットを放り出してベンチに引き上げる程度のことは、しばしば見かけることであり、その選手がそれ以上プレーを続けることを禁止するなんてことはまず起こらない。
しかし、公認の審判が司る公式の試合に関しては、審判の権威と権限と責任を明記したメタ・ルールがあり、あのWBCの球審はそのメタ・ルールに従って城島に退場を命じた。あるいはメタ・ルールに従って城島に退場を命じなければならかった。
私が「審判というのは厳しいもんだな」と感じたのは、そういう意味である。
○裁判のメタ・ルール
ところで、一般に裁判というのは、例えばAがBに関して、「Bはこれこれの違法なことを行った」と言い、Bがそれに対して「いや、Aの言うことは間違っている」と反論する、その争いだと見られている。
確かにそれはそうなのだが、むしろそれは草野球のレベルのことであって、一たん裁判を起こし、裁判官というJudgeに双方の主張に関する判断を委ねる段階に入ると、Aは「『Bはこれこれの違法なことを行った』という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という形で主張を行わなければならない。当然のことながら、Bの反論も「『Aの言うことは間違っている』という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張を行わなければならない。
もちろんこのような主張は、「Bはこれこれの違法なことを行った」、「いや、Aの言うことは間違っている」という争いの段階で、既にナイーヴな形で素描(rough sketch)されていたと言えるのだが、裁判ではきちんと整序されていることが求められる。裁判官に明確な判断材料を提供しなければならないからである。
そんなわけで、裁判官に課せられた責務は、AとBとの双方の「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という部分を比較、検討して、いずれの主張に合理性が認められるか(合理性が高いか)を判断する。その判断に基づいて「Bはこれこれの違法なことを行った」という主張、あるいは「いや、Aの言うことは間違っている」という反論のいずれを支持することができるかを判定することなのである。
裁判官の課せられたメタ・ルールはそれだけではない。A,Bのいずれかの、「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張が、もともとの争点から逸脱している場合には、もとのルールにもどるように指示する。特にその逸脱の度合いがはなはだしく、虚偽の主張や相手の名誉を傷つける言辞に満ちている場合は、しかるべき警告を発するか、又は、もともとの主張をみずから損ねたものとして扱う。それもまた裁判官としての権限と責任を果たすように課せられた、裁判官のメタ・ルールの一つと言えるだろう。
○寺嶋弘道被告の証言におけるルール感覚
前回私は、亀井志乃が主担当の「二組のデュオ」点の設営準備に入ろうとする直前、寺嶋弘道学芸主幹が無断で別な展覧会を割り込ませ、亀井志乃の準備を遅らせた出来事を紹介した。
寺嶋弘道被告はその件について、彼の「陳述書」(平成20年4月8日付、実際の提出は4月16日)の中で、次のように証言している。
《引用》
また、この「二組のデュオ展」では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。(5p)
要するに、寺嶋弘道被告は〈亀井志乃は美術館から作品を借用するに当たって、学芸員としての基本的な手続きさえも知らなかった〉と言いたかったわけだが、この証言は次のような点で既に失点をしていた。
第一に、寺嶋弘道学芸主幹の行為は亀井志乃に対する業務妨害であったという亀井志乃の主張に関して、反論にならない、無関係な事柄を持ち出して来た。これはルールから逸脱でしかない。
第二に、寺嶋弘道被告は、「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張を裏づける証拠を何も出していないことである。
亀井志乃は「寺嶋弘道被告は業務妨害と労働基準法無視の違法行為を行った」という意味の主張を裏づけるために、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定表」(甲21号証)と、「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」というビラ(甲22号証)、寺嶋弘道被告の筆跡で「証明はライティングレールのみの点灯に変更しました 寺嶋」と書かれ、配電盤の上に貼ってあった付箋の写真(甲23の1~3号証)、及び2月15日と16日に泊まった東横インの領収書(甲24号証の1~2)の、計4種7点の証拠物を提出した。
寺嶋弘道被告は少なくとも「作品図版カード」の写しを提出し、彼がお詫びの電話を入れたという日にちと、「道内美術館」の職員の名前を明記すべきであった。その裏づけがなければ、彼は根拠のないことを証言したことになってしまうだろう。
○亀井志乃のルール感覚
亀井志乃は明らかに本筋を離れた、この証言にどう対応するか、やや迷っていたが、「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日付)の形で反論をすることにした。次の文章はその反論の冒頭である。
《引用》
本訴訟における原告は、平成18年度に民間の財団法人北海道文学館に嘱託職員として働いていた民間人であり、被告は道立文学館に駐在する北海道教育委員会の職員であって、訴訟の焦点は公務員である被告が民間人である原告に対して繰り返し人格権侵害の違法行為を働いたことにあります。故に私は「訴状」においても「準備書面」においても、被告が原告に働いた人格権侵害の行為事実の確定と、その行為の違法性の指摘に集中してきました。その間私は、被告の人格を論じ、被告の人間性を批判し非難する表現は謹んできました。それが訴訟におけるルールだと考えたからです。
しかるに、去る4月16日の法廷において渡された被告の「陳述書」は本訴訟の基本的な争点には一切言及せず、いわば故意に無視する形で、問題を上司と部下との関係にすり替え、その記述は原告の業務態度や遂行能力及び原告に人格に関する中傷に終始していました。しかもその内容たるや、虚偽や事実の歪曲、根拠なき断定に満ちています。
被告のこのような書き方が、本訴訟事件の争点を明確にする上で果たしてどれだけ有効であるか、極めで疑わしい。とは言え、被告の意図は明らかに原告に関するネガティヴな印象を裁判官に与えることにあり、原告としてはとうてい看過し得ないところです。のみならず、被告の「陳述書」に書き込まれた原告に関する数々の中傷的言辞は、裁判の過程で行われた新たな人格権侵害行為であり、原告にはこれを告訴する権利があると考えます。(1p。下線、太字は引用者)
亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)や、この「準備書面(Ⅱ)―2」において、被告・寺嶋弘道の人格を論じたり、人間性を批判し非難したりするような表現は一切行っていない。太田三夫弁護士署名の「準備書面(2)」への反論「準備書面(Ⅱ)―1」においても、平原一良副館長の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)―3」においても、そのようなことはしなかった。相手の人格を論じ、人間性を批判し非難したりすることは、訴訟のルールに反するだけでなく、一般的な市民同士の関係においても慎まなければならないことだからである。今回、これらの文章を全文、「文学館のたくらみ・資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)に、「『判決とテロル』資料1」~「『判決とテロル』資料4」として掲載した。目を通してもらえればありがたい。
亀井志乃はその他にも、彼女自身の「陳述書」と「最終準備書面」とを書いているが、「陳述書」は「北海道文学館のたくらみ(43)」~「同(45)」で全文を紹介しておいた。「最終準備書面」のほうは、「北海道文学館のたくらみ(48)」~「同(57)」に分載してある。
○検証可能な記述
亀井志乃は先のような自分のルールを守りながら、次のように反論した。引用は少し長い。筋道を立てて「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」ことを証明するためには、おのずから言葉が多くならざるをえない。
《引用》
被告が言う「道内美術館」とは、一体どこにあるのでしょうか。私は「二組のデュオ展」に際して、平成19年(2007)2月9日に、絵画の現物を木田金次郎美術館と北海道立近代美術館から借用し、北海道立文学館に搬入していますが、被告が言うところの「道内美術館」には行ったことはありません。
それに私は、上記のどちらの美術館の職員からも、「作品図版カード」なるものの持参を求められたことはありません。実際の手続きは以下の如くでした。
a)私は木田金次郎美術館のO学芸員と平成18年(2006)5月25日から電話で連絡をとりはじめ(甲76号証の1)、6月3日には最初の出張におもむいて、「二組のデュオ展」のコンセプトの大略を伝えました(甲76号証の2)。美術品の借用・輸送に関する凡その方法も、この時、O学芸員から説明を受けています。
そして、9月からは再びO氏とメールのやりとりを開始し(甲76号証の3)、11月29日には再び木田金次郎美術館に出張しました(甲76号証の4)。この時には、借用したい絵画を、北海道立文学館に所蔵されていた木田金次郎の画集からコピーして持参し、所蔵を確認して、O学芸員からは貸出には問題がない旨の返事をもらっています。さらにその後、フィルム画像借用・著作権の許諾問題等で12月21日・12月26日・1月26日・2月3日とメールで打合せを重ね(甲76号証の5)、2月9日、絵画を借用することになったわけです。
借用に際しては、O学芸員が予め「木田金次郎美術館 収蔵作品管理ファイル」(甲76号証の6)のコピーを用意し、私と共に作品の状態をチェックしてそのコピーに記入したあと、さらにそれをコピーして、私に渡してくれました。これは、その時点での作品の〈状態の記録〉を正しく私と共有するためです。そしてO学芸員は、「返却の際にはこちらをお持ちください」と私に言いました。
私は、O学芸員の求めどおり、同年3月20日の作品返却の際には「木田金次郎美術館 収蔵作品管理ファイル」のコピーを木田金次郎美術館に持参して、再び共に作品の状態をチェックし、「大丈夫です。OKです」と告げられたのち、篤く御礼を述べて館を辞去しました。
以上、約10ヶ月の間、私はO学芸員から「作品図版カード」を持参するようにとの指示は受けていません。またそれがないからという理由で、交渉に問題は生じたこともありませんでした。
b)私は平成18年(2006)11月26日以降から、北海道立近代美術館の学芸第一課所属・T学芸員と、木田金次郎作品の貸借についての問い合わせを開始しています(甲77号証の1)。
まず展示予定作品の「風景(下谷あたり)」について、展覧会図録に図版を入れる予定があったため、同年12月19~20日にその所蔵を確認し(甲77号証の2・3)、翌年の平成19年(2007)1月16日に、同作品の35㎜カラーポジスライドフィルムを借用しました(甲77号証の4)。またそれと平行して、12月28日、T学芸員が私に、現物貸借の際に必要な書類の書式をメールに添付して送付してくれましたので、私はそれに所定の事項を記入し、1月23日に申請書を近代美術館に郵送しました。
また、T学芸員が私に、1月23日付のメールで、「借用書のほうは、集荷時にお持ちください」と指定してきましたので(甲77号証の5)、私は2月9日の借用当日に借用書(甲77号証の6)を持参しましたが、T学芸員は、それ以外には特に何も原告が持参することを求めて来ませんでした。その後の3月20日の作品返却を含め、交渉の全体を通じても特に問題は生じていません。
亀井志乃はこのように、2種類13点の証拠物を添えて、自分が2つの美術館から作品を借用し、また返却した経緯を、客観的に記述している。これを読んだ人の中には、「しかし、結局これは亀井志乃の一方的な主張に過ぎないではないか」と疑う人もいるかもしれない。ただ、そういう人であっても、亀井志乃が検証可能な形で記述していることだけは認めざるをえないだろう。
「検証可能な記述」とは、もしこれを確かめたいと思うならば、亀井志乃が提出した証拠物を調べ、更に2つの美術館に〈亀井志乃の言うことが事実であったか否か〉を問い合わせることが出来る、そういう形で記述しているということである。それが証言の客観性を保証する第一歩であることは言うまでもない。
○寺嶋弘道被告の反論放棄
亀井志乃はこのように「検証可能な記述」を心がけた上で、次のように反論した。
《引用》
上のように、私はどちらの美術館の職員からも、一度も「作品図版カード」なるものの持参を求められたことはありません。そもそも借用する側が、借用する以前の時点で用意し持参する「作品図版カード」とはいかなるものか。被告の主張から判断するに、その「作品図版カード」は北海道立文学館の側が予め所持していなければならないことになります。しかし私は、他の職員からそういうものが存在することを教えられたことはありませんし、借用に出かける際には持参するように注意されたこともありませんでした。
もし被告があくまでも、「原告はこうした場合「作品図版カード」を持参すべきであった」、もしくは「原告が「作品図版カード」を持参しなかったことで「道内美術館」からクレームがついた」と主張するのであるならば、被告は、私が持参すべきだった「作品図版カード」の現物を提示し、合わせて、道内のどこの美術館の誰からクレームがついたのか、被告が「お詫びの電話を入れ」「釈明した」相手は何という人だったのかを明らかにしなければなりません。もしそれができなければ、被告は、私の学芸研究員として自覚と知識を貶め、名誉を毀損するために、虚偽の陳述を行ったことになります。(「準備書面(Ⅱ)-2」19~21p。下線、太字は引用者)
さあ今度は、寺嶋弘道被告が、「私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という再反論を行う番である。
だが、寺嶋弘道被告の対応は、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。
つまり、再反論を行う機会を持っていたにもかかわらず、みずから反論を放棄してしまったわけで、言葉を換えれば、亀井志乃の「被告は、私の学芸研究員として自覚と知識を貶め、名誉を毀損するために、虚偽の陳述を行ったことになります。」という指摘に異議を申し立てる機会と権利を放棄してしまったことになるだろう。
○寺嶋弘道被告の記述の特徴
寺嶋弘道被告は、亀井志乃が主担当の「二組のデュオ」展の設営に関してこんなことも言っていた。
《引用》
実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、「二組のデュオ展」の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。原告がホテル宿泊を強いられたと主張しているこの展覧会の展示作業においては、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず、連日、皆待機を余儀なくされていたというのがその実情でした。すなわち、展示作業に入る以前の準備が滞留していたにもかかわらず、原告は訴状において、直前の貸館事業「シナリオ作家イゴーリ(ママ)のまなざし」(以下、「イゴーリ展」)のために展示設営に取りかかることができず、「夜遅くまで作業し、それでもまだ足らないため、2月14日と15日の2日間、札幌のホテルに泊まり、午後の10時近くまで作業を続けた」と、自らの責任を棚上げして結果のみを記述しているのです。逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。(寺嶋弘道「陳述書」5P。下線、太字は引用者)
要するに〈亀井志乃の展示設営準備が遅れたのは、自分が設営した「イーゴリ展」のためではなく、亀井志乃自身がロクに準備をしていなかったからであり、亀井志乃の一連の行動に関しては、他の職員から「強い非難の声が渦巻く」ほどだった〉というわけである。寺嶋弘道被告にとって、「イーゴリ」展に関する亀井志乃の指摘は、よほど脅威だったのであろう。証拠を揃えてきちんと反論することができない。そこで、亀井志乃の業務能力や対人関係をあげつらって、亀井志乃を挑発する策戦に出たらしい。
○再び亀井志乃の「検証可能な記述」例
だが、亀井志乃はそのテには乗らず、「準備書面(Ⅱ)-2」の中で、次のように反論をした。
《引用》
この記述も全く実情に即していません。私はすでに、平成19年(2007)2月8日(木)以前の段階で展示設計を終えていました。――なお、直前に割り込んできた「イーゴリ展」の会期は2月3日(土)~8日(木)。――私は2月8日(木)が非出勤日であり、翌9日には岩内・木田金次郎美術館に絵画の借用に行かなければならなかったため、副担当のA学芸員とFAXで連絡を取り合い、取り急ぎ移動壁の配置と、展示ケースやパネルの配置、挨拶文とコーナーサインの掲示を頼んでいます(甲74号証)。
この頃、キャプションはすでに刷り上がっており、あとはのり付きパネルに貼って仕上げるまでの段階まで来ていました。解説パネルやコーナーサインの内容も、パソコンへの打ち込みは完了していました。なぜなら原告は、資料研究をしながら、自力で半年程かけて資料キャプション235点分の打ち込みを完成していたからです(甲75号証の1)。そして、展示設計をしながら展示品を絞り込み、解説文を作り、同じキャプションや解説文を図録にも流用しました(甲75号証の2・3)。これは、図録と展示との説明内容が齟齬しないようにと配慮したからです。
それだけでなく、私は平成19年1月18日夕刻に、印刷会社・アイワードに図録原稿を入稿しています(甲48号証の2 手帖参照)。1月18日に入稿して校正も経ているからこそ、図録は展覧会オープン当日の2月17日に完成し、納品されたわけです。
それ故「原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず」という被告の主張は、まったく事実に反しています。被告は「連日、皆待機を余儀なくされた」と言っていますが、「待機」の意味が、「準備が整うまで、なすこともなく、腕をこまねいて待っている」のことならば、そういう意味の「待機」は全くありませんでした。そもそも「2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」という言い方も不正確な言い方で、確かに14日、15日、16日は財団職員のO司書、N主査、N主任が遅くまで残って設営作業を手伝ってくれました。このような協力は「二組のデュオ展」に限ったことではなく、平原副館長の「陳述書」に対する反論で詳述する予定ですが、平原一良学芸副館長(当時)が主体となって行った「常設展」リニューアル作業でも行われたことであり、例外的なことではありません。「二組のデュオ展」では川崎業務課長も不測の事態に備えて午後8時近くまで残ってくれました。この設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
この時もまた、亀井志乃は、寺嶋弘道被告の証言がいかに虚偽に満ちているか、を明らかにするために、3種類7点の証拠物を添え、仕事の流れを具体的かつ詳細に説明した。これもまた「検証可能な記述」と言えるだろう。
○再び寺嶋弘道被告の反論放棄
亀井志乃は以上の説明を踏まえて、次のように主張した。
《引用》
ただ、駐在道職員に関して言えば、A学芸員は「二組にデュオ展」の副担当であり、主担当の私と共に責任を負っていたわけですから、「加勢」とか「待機」には当たりません。もう一人のS社会教育主事は、15日には個人的な事情があって皆より早めに帰りましたが、手伝ってくれたことは間違いありません。そして少なくとも私の立場からみる限り、原告とA学芸員の準備不足のために、財団職員の3名とS社会教育主事がなすこともなく腕をこまねいて「待機」していることはなかったと思います。
なお、もう一言付言しておけば、215.42平方メートルの特別展示室をフルに使用した、展示品143点に及ぶ展覧会において、もしも被告が主張している如く、オープニング(2月17日)直前の15日・16日の段階で「連日、皆待機を余儀なくされた」のならば、その当然の帰結として、17日のオープニングには展示は間に合わないという事態が出来(しゅったい)したはずです。しかも被告は、構想者であり主担当である原告が、「応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってし」まったと言う(乙1号証5ページ31行目)。では、残された人々によって、展示の完成は、いかにして可能となったのだろうか。この興味深い点について、ぜひとも原告は、証人台に立つ被告の口から、証拠に基づく状況の再構成による詳細な説明を聞きたいと考えています。(18~19p)
寺嶋弘道被告が、それでもまだ自分の主張のほうが筋が通っており、それを裏づける証拠もあるというのであれば、それを証明しなければならない。
だが、寺嶋弘道被告の対応は、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。
つまり、再反論を行う機会を持っていたにもかかわらず、みずから反論する権利を放棄してしまったわけである。
言葉を変えれば、先ほどの作品借用の件と言い、この件と言い、結局寺嶋弘道被告は、自分の陳述が亀井志乃の検証に耐えられなかったことを、みずから認めてしまったことになる。それはそうだろう、「道内美術館」なんて曖昧な言い方は、自分のいい加減さを自白しているようなものなのである。なお、寺嶋弘道被告は、「二組のデュオ展」問題に関連する「イーゴリ展」についても、亀井志乃に対する挑発的な逆襲を試みたが、亀井志乃の検証に耐えられなかった。その辺の経緯は、「文学館のたくらみ・資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「『判決とテロル』資料3」をお読みいただきたい。
○太田三夫弁護士の勇み足
しかし太田三夫弁護士は、「(寺嶋弘道被告が)15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらった」という主張にまだ未練があったのだろう。10月31日の本人尋問に際して、亀井志乃との間にこんなやりとりがあった。
《引用》
太田三夫弁護士:それで、あなたが主担当の「二組のデュオ展」、この企画展に向けてAさんとSさん、この方が2月15日と2月16日に時間外勤務をしていることを知ってますか。
亀井志乃:はい、知っています。
太田三夫弁護士:これは、どなたが頼んだんですか。
亀井志乃:存じません。
太田三夫弁護士:あなたが頼んだんではないんですか。
亀井志乃:Aさんにつきましては、頼むというのではなく、彼女が副担当でしたから、副担当として残ってくれたものだと思って感謝しています。Sさんのほうについては存じません。
(原告調書31~32p)
とくかく太田三夫弁護士としては、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の業務妨害をしたわけでなく、むしろ同じ道職員のS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じて、亀井志乃の作業を手伝わせたのだ〉という主張を、亀井志乃に認めさせたかったのであろう。
太田三夫弁護士はその主張を裏づけるつもりで、「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」というタイトルの文書を2通、乙10号証の1と乙10号証の2として提出したわけだが、気の毒なことにこれは完全な勇み足であり、みずから墓穴を掘る羽目に陥ってしまった。
亀井志乃は「最終準備書面」で次のように指摘している。
《引用》
(前略)
②乙10号証の1および乙10号証の2の記載者は、その文字の特徴から見て、A学芸員だったと判断できますが、A学芸員は「二組のデュオ展」の副担当であり、自発的に時間外勤務を希望したものと思われます。S社会教育主事もその仲間意識によって――〈仲間意識〉を結局一度たりとも見せなかった被告とは異なり――自発的に時間外勤務を志願してくれたものと思われます。(ただしS社会教育主事は、15日には、個人的な事情があって、皆より早めに帰りました。原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p参照。)
その手続きは、書類への記入状況から見て、A学芸員が「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」に必要な事項を記入し、しかる後に駐在道職員の「文学館グループ」のグループリーダである被告の承認印を押してもらう、という流れになっていたと推測されます。単に、書類の記入欄と確認印の欄だけを見れば、被告がA学芸員とS社会教育主事に時間外勤務を命令したように見えますが、決してそうではありません。
なぜなら、平成19年2月15日の分(乙10号証の1)には、欄外に、A学芸員の文字で「15日分は、原主査にtelの後、FAXしました」と書いてあるからです。この日は被告が出張で不在だったため、A学芸員は書類に必要な事項を記入して、北海道教育委員会・生涯学習部文化課のH主査にFaxで送ったわけです。この15日の書類の左側「所属の長の印」の欄に、被告の印が押されていないのはそのためです。もし、被告の方が時間外勤務を命じたのであるならば、必要な事項は被告が出張の前にあらかじめ書いたはずであり、また、A学芸員がわざわざ道教委の生涯学習部文化課のH主査に書類をFaxで送る必要もなかったはずです。
(中略)
⑤被告はおそらく、〈文学館グループ〉職員の作成した乙10号証の1と乙10号証の2は見ていたが、財団職員の時間外勤務に関する書類を見ていなかった。そのため、「2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」と、あたかも15日・16日には時間外勤務をした職員は2人だけであったかのような虚偽の証言を行ってしまったと判断できます。
以上の点により、乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉という証言の裏づけとすることは不可能であり、また、被告の「陳述書」における証言が虚偽であったことも明らかです。(88~89p)
要するに、被告側が提出した乙10号証の1と乙10号証の2は、〈寺嶋弘道学芸主幹がS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じた〉という主張の証拠とはなりえない。乙10号証の1と乙10号証の2に記載された文字とその内容が告げている事実は、〈「二組のデュオ」展の副担当であるA学芸員が、自発的に時間外勤務の手続きを取り、S社会教育主事も一緒に残って、亀井志乃とA学芸員の作業を手伝うことにした〉ということだったのである。
A学芸員が自分とS社会教育主事の時間外勤務の手続きをした2月15日は、寺嶋弘道学芸員は出張のため文学館にいなかった。実はこの2月15日と16日は、財団の女性職員3名も残って亀井志乃とA学芸員の作業を手伝ってくれたのだが、寺嶋弘道被告はその実態も知らなかったため、A学芸員とS社会教育主事だけが残ったと思いこんでいた。そのこともまた亀井志乃によって暴かれてしまったわけである。
太田三夫弁護士が被告側の証拠物に選んだ乙10号証の1と乙10号証の2をよく読んでいれば、以上のことは簡単に気がつき、〈寺嶋弘道学芸主幹がS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じた〉という主張の証拠には使えないことが分かったはずである。それに気がつかないとは、何とも迂闊な話で、こんなありさまで「検証に耐えられる文章」を書くのは、とうてい無理であろう。
○太田三夫弁護士が掘ったもう一つの墓穴
太田三夫弁護士が迂闊だったのはそれだけではない。乙10号証の1と乙10号証の2の欄外には、「別記第3号様式(第15条関係)」と印刷してあり、その様式から判断して、明らかにこれは北海道教育委員会の書式だった。
亀井志乃が、〈寺嶋弘道学芸主幹が強制した書類作成の仕方は、公務員の立場を越えた違法なものではないか〉という意味の指摘をしたのに対して、彼は「準備書面(2)」で、「また、本件の決定書の作成における『合議』を『主管』に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案責任者として起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている」(8p)と反論してきた(「判決とテロル(4)」参照)。
ところが、彼自身が提出した乙10号証の1と乙10号証の2は、北海道教育委員会の書式に基づく文書であった。つまり、この点に関しても、寺嶋弘道被告はその場かぎりの言い逃れのために嘘を吐いていたわけで、亀井志乃の「最終準備書面」によって、「そもそも、『時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿』の欄外『別記第3号様式(第15条関係)』や、記入欄内の『所属部局課(室) 生涯学習部文化課』の文字を見ても、この書類が道庁の規程に従って書式が決定されたものであり、財団法人北海道文学館の書類の書式とは統一され得ないものであることは明らかです。」と指摘されてしまったのである。
○田口紀子裁判長がみずから確かめたこと(その1)
そしてここが重要なのだが、田口紀子裁判長はこの一連の応酬を、自分の耳で聞き、自分の目で読んでいただけではない。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告に対して、田口紀子裁判長自身が次のように尋問していた。
《引用》
原告の準備書面によると、原告はこれらの書面を作るに当たって、甲10の3を参考にして、甲の10の4で、要するに、業務主任と業務課長の目を通してもらって、直してもらって、それでいいよということで、さらに、甲10の5でN主査の添削を受けて、それで被告のほうに持っていったということで書かれているんですが、そのような流れで、これは間違いありませんか。(被告調書31P)
田口紀子裁判長のこの質問は、亀井志乃の3月5日付「準備書書面」における「(10)平成18年10月7日(土曜日)」の記述に基づいており、寺嶋弘道被告の「いや、そうだと思います。」という証言を得ている。
その質問内容をもう少し補足するならば、もし寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に書き直しを強制した理由が、彼の主張するように「学芸班の統括者である被告を起案責任者として起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくもの」であるならば、亀井志乃から書類作成の相談を受けた段階で、川崎業務課長なりN主査なりがその「事務処理の要領」に基づいてアドバイスをしたはずである。だが、亀井志乃が財団のサーバーに残されていた前例に従って書類を作成し、業務課で見てもらったところ、特に大きな修正を受けなかった。文書の作成や管理に当たっている業務課が「よし」と判断したにもかかわらず、なぜ寺嶋弘道学芸主幹は書き直しを強制したのか。彼が主張する「事務処理の要領」には根拠がないのではないか。亀井志乃はそういう疑問をもって「被告は自己の行為を正当化するために、『財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領』なるものを持ち出しているが、そのような『要領』を明記した『合意書』を被告は証拠物として提出していない。すなわち証拠によって裏づけられていない」(「準備書面(Ⅱ)-1」34p)と反論した。
田口紀子裁判長も同様な疑問を持ったのであろう。
○田口紀子裁判長の不思議な判決(その1)
そこで、先のような尋問をしたわけだが、寺嶋弘道被告の「いや、そうだと思います。」という証言を受けて、さらに「それにもかかわらず、これだけ被告のところで手が入る(亀井志乃の作成した書類に書き込みをし、書類を作り直させる)というのは、どういったことからだというふうに考えられますか。」と尋問を続けた。
ところが寺嶋弘道被告はその尋問には直接答えず、「この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、……」と話を逸らし、田口紀子裁判長の質問をはぐらかしてしまった。
しかも、寺嶋弘道被告の「この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、……」云々も矛盾と虚偽に満ちていた。亀井志乃は「最終準備書面」のⅡ章の第2項のGで、その点を克明に指摘している(「北海道文学館のたくらみ(50)」)。
寺嶋弘道被告の「陳述書」はこのように、「15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらった」という証言一つを取り上げてみても、嘘・偽りが次から次へと、芋づる式に現れてくる。その中には田口紀子裁判長自身がみずから一役買って、引き出した嘘も含まれていた。
ところが田口紀子裁判長の判決は、何と! 「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」(25p)ということであった。
○田口紀子裁判長がみずから確かめたこと(その2)
以上のことに関連して、田口紀子裁判長が自分の耳で聞き、自分の目で確かめたはずのことを、もう一つ挙げておこう。
先ほど引用したように、寺嶋弘道被告は「陳述書」の中で、亀井志乃の行動に関して、「この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした」と証言していた。それについて亀井志乃は次のように反論している。
《引用》
こういう見え透いた嘘をついてまで被告は私を貶めたいのか、とただただ呆れるばかりですが、もちろん私が展示設営を手伝ってくれた他の職員を残して先に帰宅したという事実はありません。
このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます。(「準備書面(Ⅱ)-2」19p)
田口紀子裁判長は10月31日、以上のことに関連して、寺嶋弘道被告に以下のような質問をした。
《引用》
田口紀子裁判長:今「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
寺嶋弘道被告:いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
田口紀子裁判長:それは同じ日のことなんですか。
寺嶋弘道被告:同じ日というか…。
田口紀子裁判長:出張に出ていたんですよね。
寺嶋弘道被告:戻った日ですね。
田口紀子裁判長:戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
寺嶋弘道被告:いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。
(被告調書25~26p)
要するに寺嶋弘道被告は、その「陳述書」の中で、あたかも亀井志乃が他の職員に対して手ひどい背信行為を行ったかのように書いておきながら、その裏づけを求められると、全くしどろもどろ、自分がいつ「原告の行動に対して強い非難の声」を聞いたのか、その日時を明らかにすることさえ出来なかったのである。
○田口紀子裁判長の不思議な判決(その2)
亀井志乃はその点を踏まえ、「最終準備書面」の中で、次のように指摘した。
《引用》
被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。
①被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
②「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が「待機」の状態であったり、「強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③被告は、「15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が「待機」の状態にあり、「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずです。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。結局、被告は、自分で乙10号証の1と2を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁(わきま)えておかなかったわけです。
以上の点によって、被告の偽証は明らかです。(48~49p)
田口紀子裁判長の尋問は、このように、亀井志乃によって寺嶋弘道被告の偽証性を証明される方向で引き継がれることになった。だが、どうやらそれは、必ずしも田口紀子裁判長の求めるところではなかったらしい。その判決は、「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」だったのである。
田口紀子裁判長が考える「虚偽の陳述」とは、一体どういうレベルの嘘なのであろうか。
○田口紀子裁判長の「反則」容認
既に繰り返し紹介したことだが、寺嶋弘道被告の代理人・太田三夫弁護士は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同―2」「同―3」について、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と返事してきた。
太田三夫弁護士署名の「準備書面(2)」、寺嶋弘道被告署名の「陳述書」、平原一良副館長署名の「陳述書」で、彼らは数々の嘘を吐いていたわけだが、亀井志乃の反論を受けるや、そのことに関する議論は「や~めた」とばかりに、グランドに立とうともしない。これはもう、試合放棄と見なすしかないだろう。
おまけに、試合相手たる亀井志乃に対して、あれだけひどい人格攻撃を行っている。もう20年以上も前のことだが、甲子園大会で高崎商業と対戦した九州の高校の選手のマナーが悪く、ヒットを打って塁に出れば、相手の一塁手に対して聞くに耐えない暴言を吐く。注意をした塁審に対しては、反抗的な態度を取る。高野連の役員会はその高校の関係者を呼んで、「マナーを改めなければ、出場停止にする」と厳重に警告をした。そういう話を聞いたことがある。
つい最近では、今年の春の選抜大会で、宮城県の利府高校の選手の一人が、自分の携帯サイト上のブログに、一回戦で対戦した掛川西高校を侮辱する書き込みをした。それに気がついた高野連は、利府高校に口頭で厳重注意をした。
それが大会の運営を司り、試合の進行を司る者の見識であり、責任であろう。
ところが田口紀子裁判長が司る裁判において、被告側の太田三夫弁護士、寺嶋弘道被告、平原一良副館長の3人は、亀井志乃の知識、能力、業務態度、人格を貶める言葉を繰り返し発して、亀井志乃に侮辱を加えた。当然のことながら、亀井志乃はこの裁判の進行に責任を持つ田口紀子裁判長に、彼らのアンフェアな行為をアピールしたのだが、田口紀子裁判長は亀井志乃のアピールを黙殺し、彼らのアンフェアな行為を黙認してしまった。
その判決文によれば、「被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。」(25p)のだそうである。
〈いいのかなあ。正当な訴訟活動の一環であるという名目さえ立つならば、その準備書面や陳述書の中で、数々の嘘を吐き、相手の人格を傷つける数々の中傷を行っても、その程度のことは全て「許容される範囲」のことになってしまう〉。誰にせよ、そういう疑問は禁じ得ないところだと思うが、田口紀子裁判長は、日本国における裁判官の資格において、そう断定したのである。
○Judgeの倫理
先に紹介した『法の概念』の著者・ハートは、クリケットを念頭に置いてのことだと思うが、「『スコアラーの裁量』のゲーム」という言葉で、裁判の根幹にかかわる重要なことを指摘していた。いま野球に置き換えるならば、それはおおむね次のようなことだった。
〈野球の得点は、攻撃側のランナーがホームベースを踏み、球審がセーフと宣告して、はじめて得点と認められる。では、もし球審が自分の裁量で得点と認めるものの外に、得点に関するルールは何もない、となったら、どうなるだろうか。球審の裁量がある程度規則性をもって行使されるならば、そのゲームもそれなりに面白いかもしれない。だが、それは野球とは別なゲームになってしまうだろう。〉
つまりハートが言いたかったことは、審判にもルールがあり、審判がルールであってはならないということであるが、田口紀子裁判長のjudgeは、寺嶋弘道被告側の失点は見逃してやり、そのルール違反も大目に見てやる。その逆に、亀井志乃がいくらルールを守って、相手の虚偽を暴き、証拠と具体的な経緯の説明に基づいて自分の主張の正当性を証明しても、決してそれを得点に数えることはしない。そんな性質のjudgeだった。
日本の裁判では、幾つかの条件が整うならば、裁判官の裁量を認めている。私の見るところ、その裁量の余地は野球の審判マニュアルよりもずっと大きい。なぜなら、野球のルール・ブックは試合の開始から終了に至るまでの間に起こるだろう様々な事態を想定し、それに対応できるよう実に細かいところまでルールを設けている。だが、日本国の法体系は現実に起こりうる全ての事態を想定して細目を決めているわけではないからである。もしそんなことをすれば、市民の一挙手一投足まで法で束縛し、市民の自由を奪う結果になってしまう。そこで、基本的なルールだけを決めておき、現実の事態に適用する場合は、裁判官の裁量に任せる余地を残すことになったわけである。
しかし、だからと言って、裁判官が自分に与えられた裁量権を恣意的に行使したり、乱用したりすることを認めているわけではない。
野球の審判に与えられる権限は極めて大きい。だが、選手が実際にプレーしなければ、その権限は宙に浮いたままでしかない。その権限を行使するには、審判自身も選手が従うルールを守らなければならない。そこに同じルールという共通の土俵が生まれ、そうであればこそ選手が審判のjudgeに抗議することが許されるのである。もちろん選手が抗議をする場合でも、〈抗議が許されるのはキャプテンまたは監督に限る〉といったルールがある。それを守って抗議をしても、一たん下されたjudgeが取り消される可能性はごく少ない。とはいえ、サッカーのワールドカップが日本と韓国で共同開催された時、韓国で笛を吹いたレフェリーの一人が、韓国チーム寄りのjudgeを行った疑惑のため、懲戒処分を受けた。この事件は、まだ私たちの記憶に新しい。
それはなぜか。審判の権限は、ルールに従って行われる選手のプレーを尊重し、公平、正確に判断することを前提として与えられるものだからである。審判がその自覚を欠くならば、「『スコアラーの裁量』のゲーム」のJudgeになってしまう。
それと同じく、裁判に関するメタ・ルールや法を現実に適用する際の裁量は、その国の大半の市民が共有している「公平を求める感情」や「不正や不当な行為を忌む感情」を尊重する意識に基づいていなければならない。裁判官のjudgeに倫理が求められる理由が、そこにある。近代の法理論は、法と倫理の間に一線を画してきた。それはそれなりに理由のあることだが、法の適用は決して倫理感と無縁ではあり得ない。このこともまた、否定できない事柄であろう。
○不思議な暗合
寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」を読んでいると、「俺が審判で、俺がルールなのだ」とばかりに、特別な裁量権が自分に与えられているかのような主張を繰り返していた。亀井志乃が〈被告は公務員としての分限を逸脱し、駐在の学芸員の立場を守ろうとしなかった〉と指摘したのは、まさにそういう言動があったからにほかならない。
だが、田口裁判長には寺嶋弘道被告のような人間のほうが分かりやすく、ひょっとしたら親近感を覚えたのかもしれない。寺嶋弘道被告の「俺が審判で、審判がルールなのだ」と言わんばかりの言動を全て「許容の範囲」に回収し、裁判の過程におけるルール違反も黙認して、亀井志乃のアピールと主張を退けてしまう。私の目に、この裁判が「『スコアラーの裁量』のゲーム」に見えてしまったのはそのためである。
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