判決とテロル(5)
裁判官による労働基準法違反・業務妨害の幇助―裁判員制度への警告―
○NHKテレビのニュースを聞いて
今月の6日(月)、NHKのテレビが午後7時のニュースで、「厚生労働省は10年ぶりに労災認定の基準の見直しを行い、パワー・ハラスメントも労災の一つに数えることになった」という意味のニュースを伝えた。
亀井志乃は用事で群馬から長野のほうへ出かけていたので、感想を聞くことはできなかったが、妻と私は「娘がああいう裁判を起こし、私が同時進行形で経過をブログに報告してきたのも、全くの無駄というわけではなかったようだネ」と喜んだ。
○田口紀子裁判長の時代逆行性
ただし、今回見直されたのは、あくまでも鬱病などの精神的疾患や自殺の原因を認定する基準についてであって、亀井志乃は精神的にも肉体的にも目に見える疾患を抱えて訴訟を起こしたわけではない。その意味では、厚生労働省の基準が見直されたからと言って、それが直ちに田口紀子裁判長の判決の見直しに結びつくことはないだろう。
田口紀子裁判長の判決文から推測するに、そもそも田口紀子裁判長は厚生労働省が言う「職場環境配慮義務」にはとんと無関心だったらしい。
亀井志乃は平成18年10月31日、「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明、及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(甲17号証)というアピール文を、財団の幹部職員と寺嶋弘道学芸主幹に渡したわけだが、その時彼女が求めたのは寺嶋弘道学芸主幹のパワー・ハラスメントに対する処罰ではない。職場環境の改善だったのである。
《引用》
ところが寺嶋主幹は、亀井のそのような動きをすべて否定し、〈すべて、まず、第一に私を通せ。私がお前を管理している。〉という内容の発言を繰り返し、また〈(たかがデータベースのことを)何で平原副館長や、川崎課長が揃ったところで説明しなければならないのだ〉と、聞きようによっては、財団職員をすべて自分より格下に見ているとしか受け取れない発言すらしている。
このような言い方で自分を特権的に扱う事を、しかも、雇用身分が最も不安定な者にのみ強要することは、きわめて悪質なパワー・ハラスメント(上司の部下に対する言葉や態度による暴力)に相当するのではないか。また、今まで亀井は幾度か他の職員に事情を話し、一方、職員のうちの幾人かも、亀井が主幹に上記のような扱いを受けている場面をしばしば見かける機会があった。それにも関わらず、これまで何ら有効な対応もなされてこなかったということは、もしかするとこの〈北海道立文学館〉という組織そのものに、ハラスメントの素地があると言えるのではないだろうか。亀井は、そのように考える。(12P。太字は原文のママ)
ところが、財団の幹部職員はこれを「職場環境」の問題として受け止めることはせず、むしろその逆に、12月6日、亀井志乃に対して「次年度に再雇用する予定はない」旨の、実質的な解雇通告をし、文学館から亀井志乃を排除する手段に出た。寺嶋弘道学芸主幹は、次年度から亀井志乃がいなくなることで一安心、更に欲しいままな気持ちに駆られたのであろう、一そう悪質な業務妨害を行った。
その意味で、発端は確かに亀井志乃が「パワー・ハラスメント」のアピールにあったのだが、財団の幹部職員と寺嶋弘道学芸主幹の不適切な対応のために複雑な事態となり、「パワー・ハラスメント問題」には解消できないところにまで進んでしまったのである。
財団が亀井志乃を排除するために、どのように違法な手段を使ったか。寺嶋弘道主幹がその違法な手段とどのようにかかわったのか。それらについては「判決とテロル(2)」で書いたばかりなので、重複は避けたいと思う。ともあれ田口紀子裁判長は、亀井志乃の主張や甲17号証に目を通していたはずであるが、職場環境配慮義務の問題などは「どこ吹く風」とばかりに無関心をよそおい、寺嶋弘道被告の亀井志乃に対する嫌がらせは、「被告の言動が、原告に不快感をもたらすものであったとしても、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない」、「被告は、原告の勤務時間が超過する結果になることへの配慮に欠けていたと解されるところではあるが、原告が、帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできない」(20~21P)という具合に、全てを許容することにしたのである。
田口紀子裁判長の判決の時代逆行性は、昨日発表された厚生労働省の方針に照らしてみれば、ますます明らかだろう。
○亀井志乃の姿勢と判決の受け止め方
田口紀子裁判長はこのように職場環境配慮義務を無視し、時代に逆行する判決を下したわけだが、どうしてそんなことができたのか。多分その理由の一つは、一見したところ精神的にも肉体的にも何の障害がない、健康な姿で、亀井志乃が法廷に現れたからである。
平成18年度、亀井志乃が体調を崩しかけていなかったわけではない。ただ、寺嶋弘道の相次ぐ嫌がらせや、他の職員が見て見ぬ振りをしている中で、自分が弱っている気配はおくびにも出したくない。その意地で頑張り通してきた。
心ならずも文学館の仕事から離れざるをえなくなり、仕方がない、これを機会に言葉の能力を磨いておこうと、発音矯正の教室に通うことから始めたが、さすがに先生は発声のプロ、「あなたは話をすることに、かなりひどい抑圧を受けてきたようですね」と指摘されたという。
だが、何とか心的な障害を克服して、明るい声で話をすることができるようになった。もちろん文学館の仕事は気に入っており、もしチャンスがあればまた文学館の仕事に就きたいと考えている。
そんなわけで、亀井志乃は今度の裁判においても被害を訴えて同情を買うやり方は避け、寺嶋弘道の言動がいかに理不尽であったかを、証拠と論理で証明する方法を選んだ。「このようなやり方で、〈人格権侵害の問題は、互いの人格を尊重し合う市民的ルールからの違反の問題なのだ〉という主張が通るならば、これまで告訴をためらっていた人の動機づけにもなるのではないか」。そういう意味のことを言っていた。
そして事実、証拠と論理では自分のほうがはるかに勝っているという確信があり、田口紀子裁判長の判断に期待してしたのであるが、ああいう判決が出てがっかり落胆した。というより、腹の底から愛想が尽きてしまったらしく、「裁判官て、外部の圧力に判断が左右されないように、立場は保護されてるし、収入も一般の公務員よりは保証されているんでしょう。それなのに、司法の独立というか、裁判官の見識というか、そういう格調が感じられない、低調な文章……」と言って、二度と判決文を手に取ろうとしなかった。
それを私ふうに言い換えれば、田口紀子裁判長の文章はどこか心事が濁っている。明晰さに欠けているのである。
○予定を変えて
ところで私は、今回から、小畑清剛の『言語行為としての判決―法的自己組織性理論―』(昭和堂、1991)や、John M. Conleyと William M. O’Barr の共著“Just Words ―Law, Language and Power―”(Chicago. 1998)の第2版(2005)などを参照しながら、裁判の言説の理論的な検討に入る予定だった。
ところが、NHKが労災認定の基準の見直しを伝えた、ちょうど同じ日に、大塚達也さんが「判決のテロル(4)」について、意味も意図もよく分からないコメントを寄せてくれた。大塚さんの読み方によれば、「(田口)裁判長は(亀井志乃の)リテラルな格調の高いものをの(ママ)、オーラルなものに敷衍するのに腐心しているのだ」そうであるが、私にはそう思えない。
もし田口裁判長が「腐心して」(心をくだいて)いる点があるとすれば、それは、亀井志乃の主張する「事実」を歪曲したり、削ったりしながら、争点をはぐらかして、寺嶋弘道被告の言動を全て「社会的許容限度」の中に収めて、免責してやることだったのではないか。私はそう思うのだが、議論をもっとオープンなものとするためには、更に田口紀子裁判長の「判決文」の特徴を紹介し、検討を加えておくべきだろう。
そう考え、私は予定を変えて、なお2、3回、田口紀子裁判長の「判決文」の構造分析を続けることにした。皆さんのご海容をお願いする。
○亀井志乃の原文と田口紀子裁判長の削除
亀井志乃は、自分が主担当の「二組のデュオ」展の設営準備の際、どんな事態に直面したか、3月5日付「準備書面」で次のように書いた。
なお、今回は引用が多くなりそうなので、次の亀井志乃文章を、田口紀子裁判長が「判決文」でどのようにリライトしていたかは、省略する。ただ、前回までのやり方で分かると思うが、下線を引いた箇所は田口紀子裁判長が削ってしまった表現である。ただし、削った表現の代わりに、田口紀子裁判長が書き加えた文章もある。〈 〉内の青い文字がそれである。
《引用》
(14)平成19年1月31日(水曜日)
(a)被害の事実
1月27日(土曜日)、「中山展」が終わり(次に予定されていた「栗田展」が中止されたため期間延長)、その撤収作業が28日(日曜日)と30日(火曜日)に行われた。 そして翌日の31日から、原告は自分が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の展示準備を始める予定だった。この予定については、職員の了解も取っていた。30日(火曜日)の朝の打合せ会において、2月の予定に関する変更の連絡は一切なかった(甲21号証)。
ところが31日、原告が午前中に自宅から小樽文学館へ直行し、借用資料を受けとって、午後から道立文学館へ戻ったところ、「人生を奏でる二組のデュオ」展の副担当のA学芸員が原告のもとに来て、「なんだか、急に写真展が開かれるようになったようですね。特別展示室の入口が塞がれて、準備できないんです」と知らせてきた。驚いて確かめに行くと、特別展示室の入口は移動壁が凹字型に組まれ、すでに「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(期間・平成19年2月3日~2月8日 以下「イーゴリ展」と略)(甲22号証)という展示の写真額が展示されていた。〈が、イーゴリ展が急きょ行われることになった。イーゴリ展が行われることを原告は同月31日になって初めてしった。〉
一般に文学館の展示作業は、入口を起点として、来館者の目線を想定しながら展示物の配置を決めて行く。その入口を塞がれては、展示準備に入ることができない。
原告とA学芸員は、奥のほうで出来る仕事(例えばガラスケース内の展示装備)だけでも先に進めておくことはできないかと考え、特別展示室脇の電気室の入口から特別展示室に入ろうとした。だが、〈イーゴリ展の展示のため、展示会場の入口は塞がれており、また、特別展示室脇の電気室の〉配電盤に(ママ)上には、被告の名前を付した「照明はライティングレールのみ点灯に変更しました」という付箋が貼ってあった(甲23の1~3号証)。それは、特別展示室入り口のライティングレール上のみは展示写真を照らすために灯りが点くが、それ以外は特別展示室内の照明は使えない設定にされてしまったことを意味した。〈(原告は)特別展示室内における準備もできず、原告はデュオ展の準備を同月31日から開始することができなかった(甲21、22、23の1ないし3、原告本人)〉。
以上の、特別展示室の入口を移動壁で塞いで写真展覧会の写真額をそこに掛ける行為、および配電盤の照明設定を変更し、その上から付箋を貼って、暗黙のうちに、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意志を知らせる行為を行ったのは被告であった。そのことは、2月6日(火曜日)の朝の打合せ会で、被告が自分から発言を求め、「イーゴリ展をやることになりました…もう、やっております」と事後承諾を求めたことからも明らかである。
特別展示室入口を塞いだイーゴリ展は2月9日に撤去されたが、原告は2月9日、岩内の木田金次郎記念館と道立近代美術館から作品を借用し、10日は札幌市営地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事を予定していた。このため2月11日まで特別展示室での設営に取りかかることができなかった〈からデュオ展の設営に取りかかり、〉。原告はやむをえず、2月17日の展覧会オープン前日まで、文学館の休館日を除く原告の非出勤日を返上して、全143点に及ぶ展示品の展示作業を行った。14・15・16日の3日間は、作業は10時近くまで及んだ〈同月14日から16日までは、午後10時、11時まで展示作業に当たった。(甲24の1、2)〉。14日夜と15日夜は天候状態も悪かったので、やむなくホテルに泊まりながら展示作業に当たった(甲24号証の1~2)。17日のオープンを控えた16日、原告が展示を完成して帰宅したのは午後11時過ぎだった。(29~31P。下線、〈 〉の挿入は引用者)
少し読みにくい引用になってしまったが、亀井志乃の文章の下線を引いていない箇所と、〈 〉内の青い文字の文章とをつなげてもらいたい。そうしてもらえば、田口紀子裁判長の「判決文」における文章が浮かんでくる。田口紀子裁判長は例によって、寺嶋弘道被告の亀井志乃に対する具体的な業務妨害の事実を削除してしまう方向でリライトしていた。そのことが分かるだろう。
○田口「判決文」の矛盾撞着
以上の事柄に関する田口紀子裁判長の法的な判断は、以下の如くであった。
《引用》
(セ)原告は、平成19年1月31日、被告が、イーゴリ展を他の職員に何の断りもなく割り込ませ、原告の主担当であるデュオ展の準備ができないようにして、原告の業務を妨害した旨主張する。しかしながら、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること、同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと、イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められないことなどからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。(23p)
私はこの文章を読んで、日本にはこんな判決文を書く裁判官がいるのかと深く慨嘆し、日本の裁判官のレベルに深刻な危機感を抱いた。
特に私が驚いたのは、「同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと……などからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」の箇所である。
これまで繰り返し指摘してきたように、田口紀子裁判長は、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった〉という前提に立って、寺嶋弘道学芸主幹の亀井志乃に対する言動は「業務の範囲内」と見なし、「社会的許容限度」を逸脱していないと判断してきた。ところが田口紀子裁判長は、平成19年2月3日、寺嶋弘道学芸主幹が他の職員に何の断りもなく「イーゴリ」展を実施した時点で、既に彼は亀井志乃の上司でなかったという。そうであるならば、彼がやったことは、紛れもなく亀井志乃の仕事に対する妨害行為だったことになるのではないか。
もともと田口紀子裁判長が、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった〉という判断の裏づけに持ち出した「組織図」は、田口紀子裁判長の虚構でしかなかった。ただ、もし仮に田口紀子裁判長の判断を正しいと受け入れたとしても、「被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」段階でその前提は崩れてしまい、別個な基準で判断しなければならないはずである。にもかかわらず、「被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」という結論は変わらない。普通に考える能力があるならば、中学生でもこんなに首尾一貫しない文章は書かないだろう。常識は、こういう文章を支離滅裂、矛盾撞着の屁理屈と言う。
結局田口裁判長は、その場限りの理屈をこねてでも、とにかく寺嶋弘道被告を無罪放免にしたかった。そう受け取るほかはあるまい。
○寺嶋弘道被告の言い分を鵜呑みにした田口「判決文」
では、田口紀子裁判長はどういう理由で、「同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」と判断したのであろうか。
田口紀子裁判長は判断理由を次のように述べている。
《引用》
(8)原告は、平成18年10月31日付で、被告や文学館幹部職員に対し、「〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」と題された文書(以下「意見書」という。)を送った。(甲17)
意見書を受けて、文学館は、問題の解決を図り、業務を円滑に進めるため、執行体制の見直しを図り、被告は原告を監督する立場から離れ、また、原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、職務内容については、平原が直接原告の指揮を取るという事務の流れに変更された。(乙1、5、甲18)(4~5p)
しかし、もし本当に文学館が「執行体制の見直しを図り、被告は原告を監督する立場を離れ」たのであるならば、これは大きな組織変更となったはずであり、それならば田口紀子裁判長が描いてきた「組織図」はどう変わったのか。当然そういう疑問が湧いてくるし、まず田口紀子裁判長自身がその問題に気がついて、新たな「組織図」を説明したはずである。だが、田口紀子裁判長は一言もその問題には言及していなかった。
多分それは、寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」における次のような記述を鵜呑みにするだけだったからにほかならない。
《引用》
被告が原告からの10月31日付けのアピール文を受け取ったことは事実として認める。しかし、同文書は文学館の他の幹部職員にも送りつけられており、ただちに事実関係の調査と執行体制の見直しが図られることとなった。この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることになり、被告は原告との接触を控えるよう毛利館長から指示されていた。(寺嶋弘道「準備書面(2)」10p)
しかし、当館としては問題の解決を図り業務を円滑に進めるため、ただちに執行体制の見直しが図られることになりました。前述文書による原告の改善要求を受け、私は原告を監督する立場から離れ、また原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、業務内容については平原副館長が直接指揮を取るという事務の流れに変更されたのです。そして、この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることとなり、私は直接の接触を控えるよう毛利館長から指示を受けていました。
ゆえに突然の文書抗議があった11月以降、業務の如何に関わらず私は原告との接触や一切の関与を断ちましたので、原告とはまったく話をすることもなく、日々が過ぎていきました。(寺嶋弘道「陳述書」8p)
○亀井志乃の反論を黙殺した田口「判決文」
亀井志乃はアピール文を、寺嶋弘道学芸主幹にも財団の幹部職員にも直接手渡したのであって、「送りつけた」わけではない。そういう表現上の細かな嘘を含めて、田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告の言い分を丸呑みしてしまったわけだが、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)-2」で次のように反論した箇所は無視してしまった。
《引用》
私のアピール文が手渡されて、「ただちに執行体制の見直しが図られ」と言っていますが、どういう人たちの間で、どのレベルの会議で執行体制の見直しが図られたのか、私自身は何の報告も聞いていません。ただ、平成18年11月10日、私が毛利館長及び平原副館長と話し合った結果合意された4点の「取り決め」(「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」甲18号証)を「見直し」の一環と考えるならば、この見直しは「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)への復帰であった。換言すれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)の廃棄だったことになります。つまりその時点で、被告が言う「事実上の上司」の架空性が露わになり、破産してしまったことを意味します。被告は上記引用文で「11月以降、業務の如何に関わらず私は原告との接触や一切の関与を断ちましたので、原告とはまったく話をすることもなく」と、信じられないほど情けないことを言っていますが、要するにこれは被告が自分の架空の立場を失い、その結果、私に対するどのような接触もできなくなってしまった事実を告白したことにほかなりません。(32~33p)
念のために補足すれば、亀井志乃が言う「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)は、平成18年4月1日の日付を持ち、これが平成18年度の正式な組織図であった。この組織図では、寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事とA学芸員の3人は、「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」として、財団の組織とは切り離された形で、点線(……)で囲んである。そして、この「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」と財団との関係は、「協働・連携」とされていた。この組織図は理事会で承認されており、正規な組織図であることは言うまでもない。
それに対して、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)に基づいて、自分の「組織図」を描いたわけであるが、これは既に新年度の業務がスタートした平成18年4月18日の全体職員会議で配布されたものであり、何の説明もなかった。この組織図は手続き的にも、内容的にも何ら正当性がない。亀井志乃はそのことを指摘し、そのポイントは「北海道文学館のたくらみ(54)」や「判決とテロル(1)」で紹介しておいたが、改めてその組織図を紹介しておこう。
この組織図は、副館長の下に「業務課」と「学芸班」とが独立・並立する形で並んでおり、この「学芸班」は「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」によって構成されていた。そして、正規の「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)では業務課に属する財団職員の司書と研究員の2人が、この「学芸班」のほうに移されていたのである。
少しややこしい印象を与えたかもしれないが、この「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)をざっと鉛筆でデッサンしてみた上で、田口紀子裁判長の「原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。」(判決文3p。太字は引用者)という組織図とを比べてみてもらいたい。田口紀子裁判長の組織図が如何に見当違いなものであったかが、よく分かるだろう。
○自分の間違いを隠蔽する田口紀子裁判長
そんなわけで、亀井志乃の「この見直しは『財団法人北海道文学館(事務局)組織図』(甲2号証)への復帰であった。換言すれば、『財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について』(乙2号証)の廃棄だったことになります。つまりその時点で、被告が言う「事実上の上司」の架空性が露わになり、破産してしまったことを意味します」という指摘は、二重の意味で、田口紀子裁判長には都合の悪いものだった。
なぜなら、亀井志乃の指摘を認めるならば、寺嶋弘道被告の「自分が亀井志乃の事実上の上司だった」という主張が不正な組織図の上に成り立っていた事実を認めざるをえず、田口紀子裁判長自身の「寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった」という判断もその根拠を失ってしまう。ばかりでなく、田口紀子裁判長の描く「組織図」は、この不正な組織図の誤読という二重の間違いに基づいていた事実が明らかになってしまうからである。
田口紀子裁判長が亀井志乃の指摘を無視した理由はここにあったと言えるだろう。
○隔離されたのは寺嶋弘道学芸主幹
さらに言えば、「原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し」という寺嶋弘道被告の言い分、それを受けた田口紀子裁判長の「原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し」という判断も決して正確ではない。
先ほどの2種類の組織図を念頭に置いて、亀井志乃の次の文章を読んでもらいたい。
《引用》
学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべてS社会教育主事やA学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した。(平成18年11月14日付「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」2p)
これは、田口紀子裁判長が先の判断を書いた際に、その証拠として上げた甲18号証の一節である。
亀井志乃は毛利正彦館長と平原一良副館長との話し合いにおいて、「学芸班」という言葉を、取りあえず彼らが言う意味(「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を前提とする)で使うことにしたが、彼女の意図は、〈この「学芸班」がパワー・ハラスメントの温床になっており、これを防ぐためには、組織関係を正規なものにもどす必要がある〉ということだった。そのことは一読して明らかだろう。
毛利正彦館長も平原一良副館長もこの主張を正当なものと認めたからこそ、亀井志乃の座席の位置を財団の業務課のほうに移すことに同意したのである。
ところが、寺嶋弘道被告はそういう経緯を無視して、「ただちに執行体制の見直しが図られることになりました。前述文書による原告の改善要求を受け、私は原告を監督する立場から離れ、また原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、」などと、あたかも財団のほうが積極的に「執行体制の見直し」を図り、亀井志乃の「執務席」(何という大げさな言い方だろう!)を「学芸班」から離れた位置に隔離したような言い方をし、田口紀子裁判長もそれをマに受け(た振りをし)ていた。
だが、実情はその反対であって、毛利館長や平原副館長のほうが話し合いの席上、亀井志乃の主張に服さざるをえなくなって、業務の進め方を2、3点、手直しをしたのであり、実態的には寺嶋弘道被告のほうが財団職員のO司書や亀井志乃研究員から隔離されたので
ある。
「この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることになり、被告は原告との接触を控えるよう毛利館長から指示されていた」(寺嶋弘道「準備書面(2)」10p)という証言が、図らずもその実情を告白してしまっていたと言えるだろう。
○「上司」でなくなれば、やったことまで帳消し?
田口紀子裁判長は、自分の判断の証拠として、甲18号証(亀井志乃「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」)を挙げていた。そうであるならば、当然以上のような経緯を知ったはずである。だが、亀井志乃の側からの説明を無視し、寺嶋弘道被告の言い分に寄り添う形で、判決文を作文していた。
しかし田口紀子さん、仮にあなたが言うように、「イーゴリ展」の時点では、既に寺嶋弘道学芸主幹は「原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」としても、それをもって寺嶋弘道学芸主幹の行為が亀井志乃の業務に重大な支障を与えた事実を帳消しにすることはできないし、「被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない」という判断の根拠とすることはできませんよ。
○あくまでも寺嶋弘道被告を庇い立てする田口紀子裁判長
もっとも、田口紀子裁判長としては、次のように主張するかもしれない。〈いや、私は「同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと」というフレーズに先立って、「しかしながら、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること」とことわっている。この事実から、「被告に業務妨害の不法行為があったと認定することはできない。」という結論を導いたのだ〉と。
なるほど、もしそうならば、「同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと」というフレーズは不必要だったはずである。
被告の寺嶋弘道にとっても、ここは何とか言い逃れをしたい急所だったのであろう、「準備書面(2)」で、「しかし、同展(イーゴリ展)は、『イーゴリ・ジュギリョフ展実行委員会』が文学館の指定管理者である財団の使用許可を得て文学館の施設の一部を借りて実施したものであって、文学館の企画展ではないのである。財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」(11p)と言い訳をしていた。
あれ、寺嶋弘道さん、確かあなたは、「着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。」(2p)と主張をしてましたよネ。ところが、「イーゴリ」展のことでは、急に無関係になってしまったんですか。そういう突っ込みは、この際、ほどほどにしておこう。
ただ、「イーゴリ・ジュギリョフ展実行委員会」などというもっともらしい名前を名乗ってはいるが、要するに理事の工藤正広と副館長の平原一良のほか、2、3人が、それこそ「急きょ」ひねり出した実行委員会でしかなく、寺嶋弘道学芸主幹が一枚噛んでいなかった保証はない。少なくとも寺嶋弘道学芸主幹が実際に「イーゴリ展」の展示を手がけ、特別展示室の入口をコの字型に塞いでしまったり、配電盤の照明設定を変更し、その上から付箋を貼って、暗黙のうちに、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意志を知らせる行為を行ったりしたことは、紛れもない事実である。
亀井志乃から隔離されてしまった元「上司」が思いつきそうな、陰険な嫌がらせと言えるだろう。ともあれ、あの杜撰な調査報告しかできなかった札幌法務局のO調査救済係長でさえ、寺嶋弘道学芸主幹が「イーゴリ展」の実行者であったことを認めている(「北海道文学館のたくらみ(25)」)。
それらの点を踏まえて、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」で次のように反論した。
《引用》
「イーゴリ展」が実行された経緯については、本訴訟に直接関係することではなく、原告の関知するところではない。ただ、被告の手によって実行されたことは明らかな事実であり、原告にとって重要な意味を持つ。
また、被告は、「財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」と言うが、極めて疑わしい。平成18年12月中には内定していたのであれば、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定」(甲21号証)に記載されたはずであるが、記載されていない。予定表はその月の職員の動きや館内の使用状況を皆に周知してもらうためのものであり、貸館だからといって表に加えないなどということはあり得ないのである(甲54号証・甲55号証参照)。しかも被告は、2月6日(火)の朝の打合せ会で、「イーゴリ展をやることになりました……もう、やっております」と、職員に事後承諾を求めている。この事実は、原告の「準備書面」で指摘しておいた。被告が2月6日(火)に職員の事後承諾を求めたという事実は、被告自らが、前年の12月中旬から一度も職員に周知をはかったことがない事実を認めたことにほかならない。(45p)
この反論に対する寺嶋弘道被告の対応は、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)
田口紀子裁判長はこれら双方の主張に目を通していたはずであるが、寺嶋弘道被告の行為事実は一切なかったことにし、「イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること、」という、空とぼけた一言で、実際に行われたことを「ナシ」にしてしまおうとしたのである。
○田口紀子裁判長の実情無視
それよりももっとあきれたのは、「イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められないことなどからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認定することはできない。」(太字は引用者)という箇所である。
「イーゴリ展」が撤去された翌日から、「デュオ展」の設営が終わる16日まで、亀井志乃に与えられた時間は7日間しかなかったわけだが、亀井志乃は2月の9日からすぐに「デュオ展」の設営準備に入れたわけではない。漸く設営準備にかかることができたのは12日(月)からであり、嘱託職員としての非出勤日と、毎週月曜日の休館日を除けば3日間しか余裕がない。彼女はそこまで日程的に追い詰められ、やむを得ず非出勤日を返上し、14日、15日、16日の3日間は午後10時近くまで残業することを強いられた。
だが、田口紀子裁判長は、先に引用した亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)の原文から、以上の事情を述べた箇所を全部削ってしまった。おまけに、文学館には休館日も休日もないという前提で、単純に日数だけをカウントして、「イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められない」の一言で済ませてしまったのである。
○田口紀子裁判長の法的判断の回避
田口紀子裁判長は以上のように実情を無視した判断を、自信をもって下したわけだが、この自信の根底には、寺嶋弘道被告の次のような主張があったからかもしれない。
《引用》
「イーゴリ展」は2月9日には撤収されており、「二組のデュオ展」の会場設営のためには7日間の期間があり、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行い、会場設営には通常長くても5日間程度しか要しないことから、決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。(「準備書面(2)」11p)
だが、この主張は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」によって、あっさりと覆されてしまった。
《引用》
また、被告は、「『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、〔中略〕決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。」と言うが、全く実情に合わない。被告によれば、「他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行う」ことになっているが、これは文学館の展示業務を知っている者の言葉とは思えない。ただ、強いて被告の側に立って考えてみれば、被告が平成18年度に着任して担当した企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」の場合、作品はすでに綿引幸造氏のアトリエでフレームに入った状態にまで出来上がっていた。彼が担当したもう一つの企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」も、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示するか等については予め決まっていた。要するに被告はすでに出来上がった作品を搬入し、展示室に配列しただけであって、それならば5日程度の作業で間に合っただろう。(被告は更にもう一つ、企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(甲55号証参照)を担当することになっており、これも写真を借りてくるだけの作業だったが、被告が中止してしまった)。
しかし、「二組のデュオ展」のようにさまざまなところから展示資料や作品を借り、オリジナルな構想に従って配置を決め、説明のパネルを用意する展示の場合は、準備は文学館内で行い、2週間近い準備期間を予定する。被告が言うような「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」などということはあり得ないのである。また、仮に原告が2月10日(土)から設営作業に入ったとしても、実際に作業ができるのは、僅かに2月10日(土)、14日(水)、16日(金)の3日間だけであった。なぜなら、嘱託職員の原告の勤務日は週に火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の4日間だけであり、2月11日(日)は非勤務日、12日(月)は建国記念日で原告は休日、13日(火)は12日の振替休日による休館、15日(木)は非勤務日だったからである(甲56号証参照。なお、17日は「二組のデュオ展」のオープニング)。被告は「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」と非常識なことを主張しているが、仮にこの非常識な言い分を前提にしてさえも、原告に与えられた日数は5日間より2日少ない、3日間でしかなかった。この一事をもってしてだけでも、被告の原告の展示業務に対する妨害意図は明らかであろう。(45~46p。〔中略〕は亀井秀雄)
つまり、寺嶋弘道被告が平成18年度に担当した展示は貸館または貸館レベルのものでしかなく、しかもその1つをキャンセルしてしまった。その作業と、亀井志乃が担当した「デュオ展」のように書簡、原稿、初版本、初出雑誌、絵画、写真などで立体的に構成し、多量の説明パネルを必要とする展示とでは、作業の質量が全く異なる。田口紀子裁判長は当然これらの応酬を目にしていたはずである。だが、全く無視してしまった。それはなぜか。
亀井志乃がこの非出勤日の返上と残業の問題に関して、その違法性を次のように指摘していたからである(3月5日付「準備書面」)。
《引用》
ロ、被告は、原告が19年1月31日から特別展示室の展示準備に入る予定だったことを知っていたにもかかわらず、その直前に、イーゴリ展のために特別準備室の入口を塞ぎ、原告が準備作業に入れないようにした。
これは原告の準備を大幅に遅らせて、企画展の開催日(2月17日)に間に合わないかもしれないという危機的な状況に追い詰めた点で、「刑法」第234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である。
ハ、原告は被告によって準備を遅延させられたため、2月11日以後、毎夜、午後10過ぎまで文学館に残って準備作業を行い、14日と15日は札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた。その結果、労災に入っていない嘱託職員の原告は、契約勤務時間外の災害については何の保証もない状態で、過重な契約時間外労働とそれに伴う出費を5日間にわたって強いられた。これは原告が被告の妨害によって「労働基準法」第32条に反する長時間労働を余儀なくされ、また、財団側がその事実に関しては、「労働安全衛生法」第71条の2項に反して何の配慮もしなかったことを意味する。そういう結果をもたらし、原告に不当な過重負担を強いたのは、被告が原告に対して行った「刑法」第234条に該当する悪質な業務妨害である。(31~32P。太字は引用者)
田口紀子裁判長は、裁判官の責任において、この指摘の是非に関する法的な判断を下すべきであった。亀井志乃の訴えが「刑法」になじまないというのであるならば、それを説明すれば、亀井志乃も納得するところがあっただろう。だが田口紀子裁判長は、「判決文」の中で、上記の指摘については一言半句言及せず、無視してしまった。「イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められない」などと、実情に合わないことは自信たっぷりに語っておきながら、これらの法的な判断からは逃げてしまったのである。
○労働基準法違反の黙認
この件に関しては、さらに寺嶋弘道被告は見苦しい言い訳を重ねていた。だが、亀井志乃の反論(「準備書面(Ⅱ)―1」)の中に過不足なく引用されているので、亀井志乃の文章のみを紹介する。
《引用》
原告は嘱託職員であり、労災に入っていない。それ故財団は、原告に契約時間外の勤務を強いないように配慮する義務があり、被告もすでに平成18年5月10日の時点で原告の勤務条件を理解したはずだった。それにもかかわらず被告は、原告が契約時間外の超過勤務や札幌での宿泊を余儀なくされたことについて、次のように主張している。「原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実はない。」要するに被告は、労働基準法に違反する勤務を原告に強いる状況を作っておきながら、原告が自分の判断で非出勤日を返上し、午後10近くまで作業を行い、ホテルに泊まったのであるから、被告に責任はないと開き直ったのである。これは、一人の労働者を過酷な勤務条件の中に追い詰めながら、その労働者が自殺しても、あれは自分から死んだので、こちらに責任はないと言い張るのと同じ論法である。この被告の主張は、被告が犯した労働基準法違反や人権侵害を平然と肯定した発言として銘記されるべきであろう。
続けて被告は、原告の住む岩見沢市と道立文学館の距離や、JRのダイヤに言及し、「平成18年度1年間で約22万5千円もの通勤手当を支給していた。」と恩着せがましい言い方をしているが、これは被告の原告に対する業務妨害や労働基準法違反の問題の本質とは関係ない。
さらに被告は、次のように結んでいるが、これは被告の本音が見え隠れしている表現と言えるだろう。「したがって、原告は、被告の妨害により『午後10時過ぎまで文学館に残って準備作業を行い』、そのため『札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた』と主張しているが、その原因を『午後10時過ぎまでの時間外勤務』だけに帰するのは不当である。」たしかに原告は、札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた原因を、「午後10時過ぎまでの勤務時間外」だけに求めたわけではない。被告も「被告の妨害により」と書きこんでいたように、そもそも原告が午後10時近くまで残業をし、ホテルに2泊せざるをえなかった根本の「原因」を作ったのは、「被告の妨害」だったのである。それに加えて、2月中旬は最も天候が悪く、吹雪などによりJRのダイヤが混乱し、しばしば列車の運休事故が発生する。しかも平成19年の2月14、15、16日は低気圧が連続して通過し(甲58号証の2)、各地で吹雪や突風による被害が起こっていた(甲58号証の1・3)。それ故原告は、ダイヤの混乱によって作業が滞ることを恐れて、札幌市内のホテルに泊まったのである。(47~48p。太字は引用者)
この応酬もまた田口紀子裁判長は目にしていたはずである。だが、労働基準法違反や職場環境配慮義務の問題など全くなかったかの如く、黙殺してしまった。
○田口紀子裁判長の結果主義
この田口紀子という裁判官は、たぶん結果主義の論理が得意なのだろう。
平成18年9月26日、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃主担当の企画展についていた予算をむしり取ろうと支離滅裂な難癖をつけたことは、前々回に紹介したが、田口紀子裁判長はその部分を切り捨てて、「しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いが終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」(20P)と済ませてしまった。要するに、〈結果的には川崎業務課長の取りなしでその場が収まったのだから、問題はなかったんじゃないですか〉というわけである。
しかし、亀井志乃はその後も寺嶋弘道学芸主幹の干渉を受け、割り当てられた予算の半分程度で企画展を実施しなければならなかった。亀井志乃はそのことも3月5日付「準備書面」その他で指摘しているのだが、これもまた田口紀子裁判長は無視してしまったのである。
このような論法を他の時にも使っており、田口紀子裁判官が寺嶋弘道被告に代わって開き直ってやったに等しい、唖然とするような屁理屈であったが、その紹介は次回以降に譲る。ともあれこの「二組のデュオ」展の設営に関しても、〈要するに間に合ったのだから、被害なんてなかったことになるんじゃないですか〉という理屈だったのであろう。
○裁判官における想像力の問題
ここで私に、一つの根本的な疑問が湧いてくる。それは、裁判官と想像力の関係に関する疑問である。想像力は裁判官には不要なのだろうか。
亀井志乃が企画展の設営準備に従事することができるのは実質的には3日間しかなかった。そのため、もし2月17日のオープンに間に合わなかったならば、亀井志乃の立場はどうなったか。
そういう場合を想像することなど、田口紀子裁判長には思いもよらぬことだったのかもしれない。
亀井志乃は平成18年12月6日、毛利正彦館長(当時)から、来年度の雇用の打ち切りを宣告された。亀井志乃は、財団がその方針を決める手続きに問題があることや、新規採用の募集要項が法律に違反している事実を指摘して、抗議を行ったが、財団は誠意をもって対応することをしない。言を左右しながら時間を稼ぎ、その間に、亀井志乃の次年度の解雇を既定方針化してしまった。
寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃がそういう立場に追い詰められたことを十分に承知した上で、さらに亀井志乃に追い打ちをかける形で、亀井志乃の設営準備が日程的に不可能な状況を作ってしまったのである。
そういう状況の中で、もし亀井志乃が企画展の設営を2月17日のオープンに間に合わせることができなかったならば、寺嶋弘道学芸主幹も、毛利正彦館長や平原一良副館長も、「それみたことか」と亀井志乃の無能をあげつらい、亀井志乃を解雇する方針に間違いはなかったと、自己正当化の口実に使うだろう。
亀井志乃にはそういう事態が十分に予想できた。だからこそ、どんな無理をしてでも16日一杯で設営準備を完了しようと頑張ったわけで、事実17日のオープンに間に合わせたからこそ、彼女は業務妨害や労働基準法違反や職場環境配慮義務の問題で訴訟を起こすことができたのである。
もし亀井志乃が企画展の設営を2月17日のオープンに間に合わせることができなかったならば、彼女がそれらの問題で訴訟を起こそうとしても、果たして裁判所が受理してくれたかどうか。所詮は自分の失敗を他人の所為(せい)にしているだけの、被害妄想の訴えとしか受け取らなかったにちがいない。また、仮に裁判所がその訴えを受理したとしても、寺嶋弘道被告や太田三夫弁護士は、ここを先途と亀井志乃の無能と被害妄想を責め立てる策戦に出て、裁判を有利に運ぶことができただろう。
だが、彼らはそうすることが出来ず、亀井志乃の証拠と論理に追い詰められ、見苦しい言い訳に終始していた。亀井志乃が自分の誇りを賭けて17日のオープンに間に合わせ、その間の経緯を証拠と論理に基づいて明らかにしたからである。言葉を換えれば、相手に無能と被害妄想の口実を与えないだけの結果を出した、その実績と自信をもって、人格権侵害の訴えに踏み切ったからである。
だが田口紀子裁判長は、亀井志乃が直面したあの危機的な状況と、それを乗り越えてきた誇りを想像することができなかったらしい。あるいは想像する必要を認めなかったらしい。
○田口紀子裁判長による労働基準法無視と業務妨害の間接的幇助
寺嶋弘道被告は、「二組のデュオ展」の会場設営のためには7日間の期間があり、」と主張した。この「7日間」という日数は、文学館の休館日や建国記念日(2月12日)を抜き去った数ではない。それらを含めての数である。つまり亀井志乃が休館日や国民的休日にも出勤して準備に当たることを前提としていたわけで、この一事をもってしても、寺嶋弘道被告の労働基準法無視と、業務妨害意図は明らかであろう。
ところが田口紀子裁判長はその点に目を向けず、むしろ寺嶋弘道被告の日数計算を水増しする形で、「イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、」と被告の言い分を援助してやっているのである。問題は、亀井志乃に残された展示設営の日数であり、寺嶋弘道被告は休館日や休日まで含めて7日と計算したわけだが、田口紀子裁判長はわざわざ「イーゴリ展」の撤収に要した日と、「デュオ展」オープンの日まで数えて、「デュオ展開催までには、9日間あり」と、いかにも亀井志乃には十分な時間が与えられていたかのように印象づける。そういう表現の操作を行っていた。
ここには、亀井志乃が直面した危機的状況や、もしその状況を乗り越えられなかったらどんな結果が待っていたかに関する想像力は、かけらも見られない。
田口紀子裁判長のこのような書き方は、意図的に表現の操作を通して行った、寺嶋弘道被告の労働基準法無視と業務妨害に対する間接的幇助と言うべきであろう。
○裁判員制度への警告
近く日本では裁判員制度が始まる。私の考えでは、出来るだけ裁判員になることはお断りをしたほうがいい。裁判員制度が行われるのは主に刑事事件であって、民事事件ではないらしいが、裁判官の中には以上のように微妙な表現上の作為によって、巧妙に印象操作を行う裁判官もいる。うっかりすると、気がつかないうちに印象操作に巻き込まれ、必ずしも妥当とはいえない判決を下してしまうかもしれない。
知らないうちに、間違った判決の共犯者なっていた。そんな場合もありえるだろう。用心をするに越したことはない。
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コメント
ブログで60年振りに亀井先生と言葉を交わしたように感じ、うれしく思います。<意味も意図もよく分らないコメント>!仕掛けた通りと思っています。内田樹は、近年のセクハラ・アカハラ事件について2年前に社会の底流に<コミュニケーションについての深刻な「勘違い」が露呈している>という思いを述べています。先生のブログを呼んでいてこれはコミュニケーションの問題だと思っていたら、あるときヤーコブソンが引用されているのに出会い驚きました。その後どうなったのでしょうか。(大江健三郎批判についても
質問してみたいことがあります・・・)
前回のコメントの意図を内田樹のことばに置き換えてみますと、<コミュニケーションにおいて、メッセージの「解釈の仕方」は、語詞レベルではなく、非言語的なレベルにおいて受信される側に「察知してもらう」ほかない>ということです。
<表層的な語詞レベルのメッセージでは、言葉は無限の誤解の可能性に開かれている>(内田樹『態度が悪くてすみません』角川新書)
投稿: 大塚達也 | 2009年4月13日 (月) 16時44分
追伸 亀井先生 大変失礼しました。
『60年』ではなく、35年振りでした。
恥ずかしい!・・・
投稿: 大塚達也 | 2009年4月13日 (月) 17時29分
「北海道文学館のたくらみ(57)」を読んでから、コメントします。
パワー・ハラスメントを軽く見ているわけではありません。被告のコミュニケーション態度において、「CONTACT]の要素がどのように関係しているかということに関心を向けるべきだと思っているのです。
被告が<接触(コンタクト)蔑視>に終始していたのに対し、志乃さんはどうコンタクトしたのか。人間関係修復の手がかりを得たいと考えています。相変わらず私学で学生を教えているので、研究室での内田樹的事態は深刻です。やくざな内田樹でも読んでいないと、
解決の手がかりを失ってしまいます。
志乃さんが屈辱的なパワハラを受けたことは、亀井秀雄の精読者として確実に<保証>します。
投稿: 大塚達也 | 2009年4月14日 (火) 07時01分
亀井志乃さんが北海道立文学館を雇い止めになったことには、ある事情が絡んでいるとブログを書いている妻から最近聞きました。亀井さんのいわば「筆禍」だが、今日のようなユビキタスコンピューティングの時代に何を生意気な!と思いましたが、考えてみれば僕も北海道文学に対する批判(小谷野敦は藤堂志津子の小説をリアリズムの傑作と評価している)は大いにやって欲しいけれど、集団自決についてはあのような表現論はして欲しくなかったと思っていることに気づきました。
だから裁判のコメントを書こうと思いましたが、別のことで亀井さんを追及しそうで、話がそれるのでもう筆を擱きます。話題は表現論なのですが・・・
投稿: 大塚達也 | 2009年4月17日 (金) 06時15分
「情報?(こんなの情報って言えるのか?そもそも)」のたれながしテロ(執筆で行う暴力)ですね…。このサイトじたいオカシイのではないですか…?。。
しかも美術館博物館施設の運営にかかわってらっしゃる方がこんなことして…ご自身はどう思われているのでしょうか…。
亀井さんって「小樽文学館」の館長さんなんですよね…(北海道の子会社??よくわかりませんが)子会社の社長が本社の誹謗中傷?って凄いですよね…。小樽ってそんなに偉いんだ(感心します)…な訳ないと思うけど。。
私が貴社(小樽文学館)の従業員だとしたらこんな上司は嫌です。(外部だろうが内部だろうがその「会社の名前」を使用して生きているる以上…同僚?と思わざるをえません)。
美術館博物館の「館長」として働いている人が、よその施設とはいえ、その施設の人の話を赤裸々に(よく読むと、このサイトに記載されている名前の人たちに「許可」もとっていないなようですし)書きまくっている…。
恥ずかしいと思うし、貴社(小樽文学館)にも非正規従業員はいらっしゃらないのでしょうか…?
その人たちに聞けばいいと思います。このままこの「サイト」に色んなことを書くことを「どう思ってるのか?」…って
たぶん「答えられない」と思いますよ。聞かれて…自分も逆らうと「解雇」されると思ってしまうから…。それが非正規ということの現実だし「部下(内部とか外部とかは別)」のです。
非正規従業員が「解雇」という不安になる文字からなかなか逃れることができないのはやはりひとつの現実です。
人の批判や心配をしているヒマがあったら、貴社(小樽文学館)の従業員の方や、貴社(小樽文学館)の情報をもっと発信してほうが、よいのではないでしょうか…。
このブログ?ホームページにはこんなにたくさんの情報(別に客として聞きたいとは思わないいらない内容の文章)が載っていますが、、
かんじんのご自身の職場【小樽文学館】のホームページには「な~んにも情報がない」ですよね。。展覧会のお知らせくらいしかないです…。
なので、なんの説得力もありません。
亀井さんがかかわっているのだとしたらご自身の職場のことを少し心配されてはいかがでしょう…?今は観光シーズンですし、、お客の取り合いならわかるけど…
このサイトでは一方的に他者(ここでいう小樽文学館?北海道立文学館?北海道?正規の北海道?や小樽文学館の従業員)を「傷つけている」ように思いますよ。
館長さんって何も指示したり命令したりしないんですか…?
「指示・命令」を強制されるのは幼稚園や保育園にはいっている3歳は難しいかもしれませんが5歳の子どもでも理解できる話です。
このサイトでは「指示・依頼・命令」は従業員が嫌だと思ってら「守らなくていい」という子どもじみた話ですよね…。
私は非正規従業員ですので、このサイトに書いてあることが「非正規従業員」は馬鹿だと思われるんじゃぁないか…と思ってしまい、ついコメントしていますが、、、
それと、このサイトに書いてあるご自身の「娘」さん?の話している?(取材記事?本人代筆?内部情報が赤裸々すぎてとても外部?の人間が執筆しているとは思えない)内容はどれを見ていても正当性があるように記載されてはいますが、、日本の国で「従業員」として働いている人間には日常茶飯事なことばかり…だとお思いにはならないのでしょうか?
学芸員だかなんだかわかりませんが、研究するのがお仕事ですか…?たしか水族館みたいなところにいる人も学芸員?ですよね。。
(そもその非正規の研究員ってそんなに偉くないと思うけど、けっこう偉そうなコメントばかりが書いてあって娘さんの当時の「身分」からは想像も出来ないようなどうしようもない「ものいい」だったりしていると思います)
誰かのことが「嫌い」だから「言うことを聞かない」のが正当だ!と
本当にそれが「正義?で真実だ!」というのなら、今私が非正規従業員で働いていてまわりにいる職場・社会・国家???全てが「敵」になる…ということが分かったくらいでしょうか…。
以上長々書きましたが、、、このサイトに書かれている色々な話には賛同できませんし、参考になりません。非正規従業員が馬鹿だと思われるだけなのでたいがいにしていただきたいです。では。
投稿: あちこちで非正規従業員 | 2009年8月12日 (水) 11時07分