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判決とテロル(3)

田口紀子裁判長の作為

○田口「判決文」における論理の逆立
 田口紀子裁判長は、寺嶋弘道被告が北海道教育委員会の公務員である事実に全く言及しなかったわけではい。田口紀子裁判長の「判決文」はA4版で25ページの分量だったが、1回だけ、次のような言い方をしていた。
《引用》
 
なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨の主張を行っているが、被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない(16~17p)

 「なお、原告は……」というような書き方は、「なおなお(尚尚)書き」とか、「おって(追而)書き」とかと呼び、主要な事項を述べた後、ついでに、補足的な事柄を言い足す場合に使う。手紙で言えば、「追伸」に当たる。田口紀子裁判長としては、寺嶋弘道被告が公務員である事実の問題は、その程度の事柄として軽く捌いてしまいたかったのであろう。

 しかしこの文章はなんだかおかしい。亀井志乃が「今年の1月3日はひどく寒かった」と言ったところ、「今年の冬は暖冬だったとされていることから、1月3日が寒かったと認める理由にはならない」とはぐらかす。そんな書き方だからである。
 
 そのはぐらかしを明らかにするために、まず、
被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない。」という後半の部分を整理してみよう。亀井志乃は〈寺嶋弘道学芸主幹が文学館の業務を妨害し、それは自分に対する不法行為だった〉と解釈できるような主張をしたことはなかった。そうではなくて、〈自分は寺嶋弘道学芸主幹から何度も業務妨害の嫌がらせを受けたが、寺嶋弘道学芸主幹の業務妨害の中には、道立文学館に駐在する道の学芸員の分限を越えた行為もあり、あるいは地方公務員法に違反する行為もあった〉と主張したのである。
 それに、田口紀子裁判長は
「被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても」という仮定法を取っているが、なぜそのことから、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない。」という結論を導き出すことができるのか。
 駐在道職員の寺嶋弘道学芸主幹が、民間の財団法人北海道文学館が経営する文学館の業務を妨害したとすれば、それは公務員・寺嶋弘道学芸主幹の「不法行為」でなければならない。その「不法行為」の中には、財団の嘱託職員である亀井志乃に対する業務妨害も含まれているかも知れないではないか。その可能性は、田口紀子裁判長の仮定法をもってしても、否定できないはずである。
 
 そのことを確認した上で、
なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨の主張を行っているが、」という前半の文章にもどってみよう。亀井志乃はこのようなことを主張したことはなかった。
 亀井志乃の主張に近づくためには、「これによって」の前と後ろを入れ替える必要がある。〈亀井志乃は、寺嶋弘道学芸主幹が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨を指摘し、これによって、寺嶋弘道学芸主幹の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨の主張をした〉。このように順序を変えるならば、亀井志乃が主張してきたことにかなり近い(必ずしも正確ではないが)、と言うことができるだろう。
 
 田口紀子裁判長の文章は、前提と結論がひっくり返っているのである。
 
○亀井志乃の原文
 ところで、いま私は、「亀井志乃が主張してきたことにかなり近い(必ずしも正確ではないが)」という言い方をした。なぜそういう「含み」をもたせた言い方をしたか。
 それは、「判決文」の中で、田口紀子裁判証は、ほぼ全面にわたって亀井志乃の「準備書面」をリライトしているのだが、そのリライトの仕方が「当たらずといえども遠からず」というよりは、「遠からずといえども当たらず」という、微妙にポイントをずらすやり方だった。そうすることによって、田口紀子裁判長は非常に巧妙に亀井志乃の主張を無化、あるいは無効化して、寺嶋弘道被告の言動に関する法的な判断を回避し、結局は
「原告に対する不法行為を認める理由にはならない。」という結論を引き出していたからである。

 分かりやすい例を挙げてみよう。
 亀井志乃は平成20年5月3日付の「準備書面」で、次のように述べている。

(8)平成18年9月26日(火曜日)
(a)被害の事実(甲32号証を参照のこと)
 原告は事務室における朝の打合せ会で、「出張予定(亀井)」(甲33号証)と題した予定表を配布し、「人生を奏でる二組のデュオ」展の準備に関係する今後の出張予定とおおよその足取りを説明しようとした。すると、被告がそれを遮って、「あ、そのことについては、このあと打合せ会をやるから」と言ったため、朝の打合せ会の直後、原告と被告と川崎業務課長の3人で、事務室の来客ソファーの所で話し合った。(この日の朝の打合せ会は出席者が少なく、学芸班の原告とO司書と被告、及び業務課の川崎課長のみであった)。
 原告が「出張予定(亀井)」の説明を終えると、原告は「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して」と言った。原告は、念のために、あらかじめ「展覧会支出予定」(甲34号証)という文書を作って来ていたので、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを手元に持っているので、コピーしてお渡ししますね」と言い、事務室内のコピー機の方に立っていった。
 すると、被告が突然、「それは、打合せの後でしょう!」と声を荒げた原告はその意味が分からず、「どこと打合せした後なんですか?」と訊いた。被告は「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」と、更に語気を強めた。原告は、「じゃ、これはまだいいんですか?」と、コピーをやめようとした。ところが被告は、「よくないよ、いいんでしょう!」と怒鳴った。原告は、被告が一体何を言いたいのか、戸惑っていると、被告は「だから、相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」と、更に声を強めて、辻褄の合わないことを言った
 その後、原告がコピーを渡すと、被告はやや落ち着きを取り戻し、原告が主担当の企画展について、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と、原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた。これらの点については、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言い、打合せは終了した
(17~18p。下線は引用者)

 このブログをずっと読んで下さった方は、この箇所の記憶があると思う。「北海道文学館のたくらみ(46)」でこの箇所と一緒に、10月31日の公判で太田三夫弁護士が行った尋問を引用し、太田三夫弁護士が亀井志乃に対してどんなにあざとい言葉の駆け引きを仕掛けていたかを指摘しておいたからである。
 
○田口紀子裁判長による作為的なリライト
 その太田弁護士の駆け引きがどんな結果を招いたか。その点については、この回の最後にふれることにして、まず田口紀子裁判長が、その「判決文」の中で、上記の文章をどのようにリライトしていたかを見ておこう。
《引用》

(8)原告は、平成18年9月26日、朝の打合せ会で、「出張予定(亀井)」と題した予定表を配布し、デュオ展の準備に関係する今後の出張予定等を説明しようとした。すると、被告がそれを遮って、「そのことについては、このあと打合せ会をやるから」と言い、朝の打合せ会の直後、原告と被告と川崎の3人で話し合うことになった。同話合いにおいて、原告が出張予定の説明を終えると、原告は「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して。」と言った。原告は、あらかじめ「展覧会支出予定」という文書を作ってきていたことから、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを手元に持っているので、コピーしてお渡ししますね。」と言い、事務室内のコピー機の方に行ったところ、被告は「それは、打合せの後でしょう。」と遮りさらに原告とのやりとりの後、被告は、原告が主担当の企画展について、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と話した。川崎が「この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言い、話合いは終了した。(甲32の1ないし3、原告本人、被告本人(10P。下線は引用者)

 田口紀子裁判長はこのように、亀井志乃の原文における下線の箇所を削ってしまったわけだが、較べて分かるように、その箇所は亀井志乃が寺嶋弘道被告の違法性を主張する上で根拠となるべき、肝心要の箇所であった。つまり、田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告の違法性が問われる、肝心な箇所を抹消してしまったのである。

○寺嶋弘道被告の偽証隠し
 理由は2つ考えられる。
 その1つは、寺嶋弘道被告を、偽証性の問題から解放し、救い出してやることである。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道被告の「陳述書」における虚偽の記述を20ヵ所以上も指摘し、「最終準備書面」では10月31日の公判における寺嶋弘道被告の証言から少なく見積もっても、10ヵ所は確実に偽証と言える発言を指摘した。ところが田口紀子裁判長はそれらを個別に検討することなく、言わば十把一絡げに
「被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない(25p)と切り捨ててしまった。
 要するに、10月31日の法廷における寺嶋弘道の偽証に関する亀井志乃の指摘を黙殺し、寺嶋弘道被告の「準備書面」「陳述書」のみを取り上げて、その中に見られる虚偽の記述に関しては、不問に附してしまったのである。
 田口紀子裁判長にとって、このような作為を行う上でも、先に引用した亀井志乃の「陳述書における下線の箇所ははなはだ都合が悪い。この箇所に言及すれば、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―2」や「最終準備書面」で主張した事柄を取り上げざるをえなくなるからである。下線の箇所を抹消したのは、そういう問題を回避するためであったのだろう。

○法律問題回避の手口
 もう一つ考えられる理由は、次のような亀井志乃の主張をやり過ごしてしまうことであった。
《引用》

(b)違法性
イ、被告は、自分のほうから打合せ会を申し出ながら、原告に対して一方的に矛盾した指示を次々と出し、原告が対応に戸惑っていると、あたかも原告が呑み込みの悪い人間であるかのように、苛立った態度で怒鳴りつけた。これは原告の能力を貶め、名誉を毀損した、「民法」第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である
(18p)

 ちなみに「民法」第709条(不法行為による損害賠償)」は、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」となっており、第710条(財産以外の損害の賠償)はそれを受けて、他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。」となっている。
  
 それ故、田口裁判長が行うべきことは、あの平成18年9月26日の場面における、寺嶋弘道被告の下線部のごとき言動が、「民法」第710条の
「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合」として評価出来るか否か、それについて判断を下すことだったはずである。
  ところが田口紀子裁判長は、亀井志乃の原文をリライトするに当たって、原文の下線部を、あたかも何事もなかったかのように
「原告とのやりとりの後」と、さりげなく簡略化し、次のような判決を下した。
 《引用》

(ク)原告は、平成18年9月26日、被告との出張予定についてのやりとりにおいて、被告が、原告の能力を貶め、名誉を毀損する発言をし、また、原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙し、本州へ出張することを制限して、業務妨害した旨主張する。しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いが終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない(20P)

 分かるように、田口裁判長は亀井志乃の原文を先ほどのようにリライトした上で、原告は、平成18年9月26日、被告との出張予定についてのやりとりにおいて、被告が、原告の能力を貶め、名誉を毀損する発言をした……旨主張する。」と、亀井志乃の主張を記述した。つまり、亀井志乃がなぜそのように主張したかの根拠を示さず、ただ亀井志乃の主張だけを紹介するというやり方を取ったわけである。田口紀子裁判長の「判決文」しか読まない人にしれみれば、〈なんで亀井志乃という女性は、自分が「展覧会支出予定」のコピーを取って手渡そうとしたところ、寺嶋弘道学芸主幹が「それは、打合せの後でしょう。」と遮った、という程度のことで、名誉を毀損されたなどと考えたのか〉と、そう疑問に思うだろう。
 田口紀子裁判長はこのように、亀井志乃の主張に対する疑問を喚起し、亀井志乃が言うことにはまともな根拠がないと思わせる操作を施す。そういう作為によって、
名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」という自分の判決を正当化しようとしたのである。

○改ざんと著作権侵害の疑い
 私が長年たずさわってきた文学評論や文学研究の世界で、もしこのような操作を施して自分の判断を正当化しようと目論む人間がいたとすれば、当然その原著者から「それは原文の改ざんだ」という抗議が出るだろう。場合によっては「著作権の侵害」の訴えに発展するかもしれない。
 
 では、もし仮に亀井志乃がこの「判決文」の書き方に抗議を申し込んだらどうなるだろう。「当該判決文は、原告の記述の要点を摘記したものであることから、原文の改ざんと認めることはできず、諸作権の侵害と認めるに足りる証拠はない」。
 そんな切り口上の返答で、抗議は却下されてしまいそうだな。何だか、あの鹿爪らしい口調まで想像されて、つい私はクスクス笑ってしまったが、これまでの経験から見て、弁護士や裁判官の間では、私たちが他人の言語表現を尊重する市民的ルールが通用しないらしい。そこから「法と言語」の問題や「裁判と言語行為」の問題が起こってくるわけで、いずれはそれらの問題に踏み込むことになるだろう。

○田口紀子裁判長によるポイント削除
 それはそれとして、もう一度、特に後半の部分に注目しながら、亀井志乃の原文と、田口紀子裁判長のリライトを読み比べてもらいたい。亀井志乃の原文から、
原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」という1文が抜き取られていることに気がつくだろう。
 この1文は、亀井志乃が次のように主張する、重要なポイントだったのである。
《引用》

ロ、被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した。これは被告が、北海道教育委員会から駐在道職員に指示された業務事項を逸脱して原告の権限を侵すことであり、「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に反し、「地方公務員法」第29条に問われるべき越権行為であり、業務妨害の違法行為である。
ハ、被告は、財団の嘱託である原告が自分の企画展に割り当てられた予算の範囲内で本州へ出張することに干渉し、なぜ本州への出張が必要かを確かめることなく、出張を制限しようとした。これは被告が、北海道教育委員会から駐在道職員に指示された業務事項を逸脱して原告の業務に干渉したことにより、「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に反し、「地方公務員法」第29条に問われるべき業務妨害の違法行為である(18p)

 これだけでは、ちょっと分かりにくい点があるかもしれない。
 その点を補足するならば、亀井志乃は「(4)平成18年5月12日(金曜日)」の項で、次のような意味の指摘をしている。〈亀井志乃は特別企画展「啄木展」の副担当だったが、寺嶋弘道学芸主幹が何のことわりもなしに「啄木展」に手を出し、亀井志乃を疎外して、主担当のS社会教育主事と勝手にことを進めてしまった。これは亀井志乃の業務を奪う、業務妨害の行為である〉と。
 しかもこれは、単に〈同僚の一人が女性職員の仕事に手を出した〉というような単純な業務上のトラブルではない。亀井志乃はその専門的な能力を買われて財団法人北海道文学館の業務を請け負う契約を結んだ嘱託職員、つまり非正規職員だった。その契約上の仕事を、財団の職員ではなく北海道教育委員会の職員である寺嶋弘道学芸主幹が無断、勝手に横から手を出して、奪ってしまったのである。
 亀井志乃は財団と契約した仕事の実行を阻まれた。現象的に見れば、亀井志乃は契約した仕事の一部を果たさなかったことになる。財団はそのことを理由に、亀井志乃に対して、次年度の契約をキャンセルするかもしれない。その意味では生活権の侵害に至りかねない妨害でもあったのである。
 おまけに、寺嶋弘道学芸主幹はS社会教育主事とことを進めて、年度当初に「啄木展」に割り当てられていた予算を大幅に超過してしまった。彼はその穴埋めに、亀井志乃が主担当の企画展「二組のデュオ展」の予算を削り取ろうとした。
 亀井志乃はもちろんこのことについても、業務妨害の違法行為と主張したわけだが、以上のような文脈のもとで、上の引用文を読むならば、
原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」という1文がいかに重要な意味を担っているか、その重さがよく分かるだろう。

○田口紀子裁判長が虚構した「学芸班」の伏線的な意味
 ところが、田口紀子裁判長はこの重要な1文を削ってしまい、先ほども引用したように、

しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いは終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」20P)という判決を下したのである。

 私はこれを読んで、まるでスカ屁みたいな文章だな、と思った。川崎業務課長がその場に同席していたからと言って、寺嶋弘道被告が亀井志乃に支離滅裂、辻褄の合わない言いがかりをつけた事実が消えるわけではあるまい。
 確かに川崎業務課長の取りなしで、その場は収まったが、しかしその間、寺嶋弘道学芸主幹が
「原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」事実を帳消しにする理由にはならないはずである。

 この連載の初め(「判決とテロル(1)」)に指摘しておいたように、田口紀子裁判長は、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。(「判決文」3p)と、現実には存在しなかった組織を虚構していた。しかも田口紀子裁判長は、この虚構の「学芸班」を理由として、寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃研究員との関係は、同一組織内の上司と部下の関係だったと、事実を歪める判断を下していた。
 その動機は、以上の経緯から見ても、かなり明らかになったと言えるだろう。
 田口紀子裁判長はこの虚構の「学芸班」を楯にとって、〈要するに寺嶋弘道被告が亀井志乃副担当の「啄木展」に手を出したのは、上司と部下との間に起こった事柄であって、業務妨害だとか、越権行為だとかには当たらない〉と処理してしまおうとしたのである。 
 先の判決において、わざわざ
「川崎も同席していた」事実を挙げていたのも、同様な意図に基づく強調であって、〈その場には、「学芸班(虚構の)が属する業務課の川崎課長が同席していた。その下での話し合いであるから、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の出張予定に容喙し、制限を加えようとしたと聞こえる発言も、実際は上司が部下に業務上の意見を述べたにすぎなかったのだ〉。おそらく田口紀子裁判長は、そういう口実を用意しながら、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」という判決を下したのであろう。

○田口紀子裁判長における「虚偽」「偽証」許容の論理
 ちなみに、平成18年9月26日の寺嶋弘道学芸主幹の支離滅裂な言動について、太田三夫弁護士は〈これは何とか取り繕ってやらねば〉と考えたのだろう。10月31日の公判における本人尋問で、亀井志乃に
「こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの、9月26日。」と質問をした。
 言わば「鎌を掛けた」わけだが、

亀井志乃:いいえ、そのようにはおっしゃいませんでした。
太田弁護士:
そのように理解できませんか。
亀井志乃:
理解できるも何も、そのような文脈でそのような言葉でおっしゃらなかったからです。
太田弁護士:
でも、あなたの書いていること、文脈どおり読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。
亀井志乃:
ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか(原告調書27p)

と、逆に亀井志乃から質問をされ、形勢不利と見たのか、太田弁護士は「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。」と話題を変え、返答を避けてしまった。
 しかし、太田弁護士はまだ未練があったらしく、寺嶋弘道被告にも同じような質問をし、
そうです。相手に言ってしまったんなら、それを今更行けなくなりましたということにはならいという意味です。」という返事を聞いて、我が意を得たりとばかりに、逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。」と念を押していた(被告調書12p)。
 
 だが、太田弁護士苦心のクサいお芝居も、亀井志乃の「最終準備書面」で綿密に分析され、
この証言は前年度(平成17年度)3月の理事会決定をまったく無視した偽証であり、非常識きわまりない話です。」(「最終準備書面」58~59p)と、その虚偽を指摘されてしまった。それだけでなく、このような(太田と寺嶋が相づちを打ち合ったような)手順では、相手側から『もう貸出には先約があります』『今お貸しできる状況にはありません』等と断られたら、そこで企画は白紙になってしまいます。また、仮に相手側に会っていただけるにしても、先に相手の都合も聞かずにこちらの日程を切り出すというのは、ビジネス全般の常識から見てもきわめて無礼な行為と言えるでしょう。この意味で、被告の証言はリアリティがなく、偽りに満ちている上に、被告の社会常識をも疑わせるような内容の証言だと言えます。(同前60p。「北海道文学館のたくらみ(53)」)と、もう一つの虚偽までも暴かれてしまった。     
 他方、太田弁護士の「鎌かけ」は、
以上の点から見て、被告代理人が虚偽の発言をしたことは明らかです。しかも被告代理人は、明らかに自分が虚偽の発言をしていることを意識していました(同前93p、下線は原文のママ。「北海道文学館のたくらみ(56)」)と、その虚偽を証明されてしまった。
 
 要するに太田弁護士も、寺嶋弘道被告も嘘を吐いていたわけだが、しかしこれらの虚偽に関しても、田口紀子裁判長の判決はこうであった。
《引用》
 
(2) 争点(2)(裁判の過程において被告の不法行為があったか)について
 上記のとおり、被告には不法行為責任は認められないところ、被告は、本件の訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張には理由がない
(25p)
 
 果たして
「被告には不法行為責任は認められない」と断定できるかどうか、この点はこれからも追求することになるだろう。
 だからその点はひとまず措いておくが、確かに準備書面を書き、陳述書を提出すること自体は、正当な訴訟活動の一環として許容されなければならない。しかし、それだからと言って、寺嶋弘道被告が「準備書面(2)」や「陳述書」に虚偽を書き連ねたことまでが許容されるとは考えられない。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」や「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道被告の虚偽の陳述を20点以上も指摘した。しかも、その指摘を裏づける証拠物を100点も添えて。
 それに対する被告の対応は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということだった。つまり、反論を放棄してしまったわけで、換言すれば「正当な訴訟活動」を放棄したことになる。

 にもかかわらず、田口紀子裁判長は「被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と断定する。そうであるならば、田口紀子裁判長は、被告の反論放棄が「正当な訴訟活動」である理由を説明し、かつ、亀井志乃が寺嶋弘道被告の陳述における虚偽と指摘した事柄について、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない」と判断する根拠を示さなければなるまい。
 だが、田口紀子裁判長はその最も大切な問題については、何もふれていない。知らぬ顔の半兵衛をきめこんでしまったのである。これではまるで、寺嶋弘道被告の言いたい放題の嘘までも、
正当な訴訟活動」と大目に見て、許容しているようなものであろう。

○田口紀子裁判長の責任
 亀井志乃が寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」における虚偽の記述、――それと併せて平原一良副館長の「陳述書」における虚偽の記述――を指摘したのは、もちろん彼らの偽証を証明するためであったが、それだけではない。その虚偽の記述が、亀井志乃の業務態度や性格を貶め、名誉を傷つける、人格権の侵害と密接に結びついていたからである。
 この人格権の侵害は、田口紀子裁判長が責任をもって主催する裁判の過程で起こった事件である。田口紀子裁判長としては、自分が虚構した業務課「学芸班」という組織論で処理したつもりかもしれない。だが、この事件はその組織論には解消できない、全く別個な人格権侵害の事件であった。何故かと言えば、まさにこれは田口紀子裁判長の責任範囲の中で起こった事件であり、この時点における亀井志乃と寺嶋弘道被告とは如何なる意味でも組織関係を持っていなかったからである。その意味で、田口紀子裁判長の責任は極めて大きい。
 ところが田口紀子裁判長は、
「(2) 争点(2)(裁判の過程において被告の不法行為があったか)について」という項目を立てたにもかかわらず、寺嶋弘道被告の虚偽の陳述の問題にのみ争点を絞って、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない」と、寺嶋弘道被告の虚偽を放任する判決を下した。しかも、裁判の過程で起こった人格権侵害(セカンド・ハラスメント)の問題は黙殺してしまった。本来的に問われるべき「被告の不法行為」については、これをパスしてしまったのである。
 これは羊頭狗肉の判決というしかなく、判決の名に値しない。
 田口紀子裁判長は自分が主催する裁判の中で起こった人格権侵害の事件から目をそらし、自己の責任を回避した、と批判されても仕方がないであろう。

 それに加えて、田口紀子裁判長は、10月31日の本人尋問における寺嶋弘道被告の偽証に関しては、言及することすらしなかった。これも不問に付してしまったのである。
 
 田口紀子裁判長は本人尋問を始めるに際して、亀井志乃原告に対しても、寺嶋弘道被告に対しても、「真実のみを述べるように。偽証を行った場合は、科料が課されることがあります」という意味のことを告げ、「宣誓書」に署名をさせた。裁判所の『速記録』にも、その表紙に
「裁判長(官)が、宣誓の趣旨を説明し、本人が虚偽の陳述をした場合の制裁を告げ、別紙宣誓書を読み上げさせてその誓いをさせた。」とある。このことはどうなったのか。田口紀子裁判長は自分が告げたことを食言し、みずからの責任を果たさなかったことになるのではないか。

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判決とテロル(2)

田口紀子裁判長の虚構

○月にかぐや姫は住んでいたか
 田口紀子裁判長は「判決文」の中でおかしなことを言っていた。それも1つや2つでない。中には鳥肌が立つような箇所も見られるのだが、いきなりそれを紹介すると衝撃が強すぎるだろう。今回はそれを避け、私が言う「おかしな」の意味が伝わりやすく、衝撃の度合いも低い事例から入って行きたい。
 次はその分かりやすい1例である。田口紀子裁判長は、「イ 原告の主張する被告の各不法行為についての検討」という章の(ス)の項で、こんなことを言っていた。
《引用》
(ス)原告は、平成18年12月6日、被告が、文学館が行った高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない違法な正職員採用の募集要項の決定に加わり、文学館の違法行為に加担した旨主張する。同募集要項の決裁欄に被告の押印も認められるものの、あくまでも、同募集の主体は文学館であり、被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められないから、この点に関する原告の主張は認められない(23p。下線は引用者)

 これが(ス)項の全文であるが、多分この箇所を読んだ人は、亀井志乃は次のように主張したのだと思うだろう。「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」と。なぜなら、田口紀子裁判長の判決文は、亀井志乃がそのように「主張」したことを前提として組み立てられており、〈しかし亀井志乃が「主張」するような事実はなく、だから亀井志乃の「主張」を認めることができない〉と、亀井志乃の「主張」を退ける。そういう構造になっているからである。
 だが、亀井志乃が一度もそのようなことを「主張」してはいない。つまり、この「主張」は田口紀子裁判長が虚構したものだったのである。

 たとえば亀井志乃が、月に生命体が存在した痕跡について論じたところ、田口紀子さんが出てきて、「いや、月にかぐや姫が存在した事実はありません。だから亀井さんの主張は認めることはできません」と断定したとしよう。大抵の人から見て、この田口紀子さんの断定は、「田口さん、それはおかしいですよ」ということになるだろう。
 田口紀子裁判長が言う亀井志乃の「主張」は、月のかぐや姫みたいなものだったのである。

 裁判官がその判決文の中で、原告が一度も主張したことがない事柄を虚構して、原告の主張を退ける理由に使う。日本の裁判ではそのようなことが許されるらしい。考えてみれば、これは恐ろしいことだ。

○亀井志乃が言う「生命体の痕跡」
 では、亀井志乃は、実際には、どのようなことを主張していたのであろうか。
 亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、次のように書いている。
《引用》
(13)平成18年12月6日(水曜日)
(a)被害の事実
 原告は12月2日(土曜日)、川崎業務課長から、12月6日(水曜日)に毛利正彦館長(当時)による職員面談があるからと、「自己申告書」という書類を渡され、必要事項を書いて、5日(火曜日)に提出した。
 そして12月6日午前11時30分頃、館長室に呼ばれ、毛利正彦館長(当時)から、平成19年度の雇用を更新しないという財団法人北海道文学館の方針を告げられた。
 財団は更に、原告の異議申し立てを無視して、12月12日、北海道立文学館公式ホームページ等において、正職員の学芸員と司書を採用する募集要項(「学芸員、司書の募集について」甲19号証)を公示した。募集要項には、「1971(昭和46)年4月1日以降に生れた者」という年令制限が設けてあり、その制限を越えた年令の原告は改めて応募する機会を与えられず、平成19年3月31日をもって職を失った。被告は原告に対して、「自分は財団の人事と関係ない」と言っていたが、「平成19年度 財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」(12月12日決定)では、被告は募集要項決定の合議に加わっていた(甲20号証)。
(b)違法性
イ、財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない、違法な募集要項だった。原告はこの違法な募集要項のため、財団と再雇用の契約を結ぶ機会も、この募集に応募する機会も失った。被告はこの違法な募集要項の決定に加わり、財団法人北海道文学館の違法行為に加担した。これは「地方公務員法」第29条に該当する違法行為である。
ロ、被告は北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱して、財団法人北海道文学館の人事にかかわり、財団の違法な募集要項の決定に加わった。これは「地方公務員法」第38条に反する違法行為である
(28~29p。下線は引用者)

 先ほど引用した田口紀子裁判長の判決文は、この亀井志乃の主張に対して下されたものだった。だが、一読して分かるように、亀井志乃は「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」という意味のことは言っていない。亀井志乃はこの「準備書面」以外にも、幾つかの文書を裁判所に提出したが、その文書のどこにおいても、このような意味のことは一言も書いてはいないのである。

 亀井志乃の主張のポイントは下線を引いた箇所にある。彼女はその証拠として、財団法人北海道文学館が作成した、「平成19年度 財団法人北海道文学館職員採用選考について」という議題の「決定書」(甲20号証)を提出した。この「決定書」の「合議」欄に寺嶋弘道の印が押してある。つまり、公務員の寺嶋弘道学芸主幹が、財団法人の人事方針の決定に加わっていたのである。
 
 この指摘に対して、被告・寺嶋弘道は
「原告の任用や学芸員及び司書の採用に係る事項については、財団の進めていた事項であり、北海道教育委員会職員である被告の権限、責任の及ばざるところであり、財団の対応も含めて被告の責めに帰するとする原告の主張は失当である。」(平成20年4月9日付「準備書面(2)」10p)と反論してきた。
 被告の反論はこれだけであり、「北海道教育委員会職員である被告(寺嶋弘道)」が財団の「決定書」の「合議」欄に押印していた事実から逃げている。
 それに対して亀井志乃は次のように再反論した。
《引用》
 
被告はこの違法な募集要項を決定した「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」(12月12日決定。甲20号証)の「合議」の欄に押印している。これは北海道教育委員会の職員である被告が、民間の財団法人の人事に関する方針の決定に加わったことを意味し、公務員として違法な行為である。しかも財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。それにもかかわらず、被告はそれを阻止せずに、違法行為に加担した。その意味で二重に違法行為を行ったことになる。かつ被告は、この募集要項が実施されるならば、原告が応募の機会を失うことを承知していたはずであるが、あえて公務員としての分限を越えて、原告を失職に追い詰める違法行為に加担した。
 これは前項で指摘した、財団の人権侵害行為との共犯関係に新たに加えられた、被告と財団との共犯的違法行為である
(5月14日付「準備書面(Ⅱ)-1」44p。下線は引用者)
 これはごく筋の通った再反論と言えるだろう。
 亀井志乃のこの反駁に対して、被告側は沈黙をしたままだった。

○田口紀子裁判長による「痕跡」の無視
 ところが、田口紀子裁判長は以上の経緯を無視し、あたかも亀井志乃が「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」と主張したかのように虚構し、それだけが争点であったかのごとく歪曲し、矮小化してしまったのである。
 
 ちなみに、平成18年12月6日は、亀井志乃の「準備書面」で分かるように、
亀井志乃が)館長室に呼ばれ、毛利正彦館長(当時)から、平成19年度の雇用を更新しないという財団法人北海道文学館の方針を告げられた」日であった。ところが、田口紀子裁判長は事態の経緯を単純化し原告は、平成18年12月6日、被告が、文学館が行った高齢者雇用安定法が指示する『年齢制限を設けた理由の明示』に従わない違法な正職員採用の募集要項の決定に加わり、文学館の違法行為に加担した旨主張する」と解釈している。だが、亀井志乃は「平成18年12月6日、被告(寺嶋弘道)が……募集要項の決定に加わり」(下線は引用者)とは言っていない。亀井志乃が証拠として提出した「決定書」(甲20号証)も、起案年月日/18・2・8、決定年月日/18・12・12となっている。これも田口紀子裁判長が亀井志乃の「準備書面」や甲20号証をきちんと読んでいなかった証拠であろう。

○裁判官の鉄則
 素人の私がこんなことを言うのは、「釈迦に説法」ということになりかねないのだが、日本における裁判のルールは、〈裁判官は、原告と被告の双方が主張する「事実」に関しては、双方が提出した証拠物を吟味し、吟味した結果に基づいて「事実」を明らかにして、その範囲内で法的な判断を下さなければならない〉ことになっている。別な言い方をすれば、〈判断の範囲は、原告と被告の双方、またはそのいずれかが主張したことと、そのために提出された証拠物に限られており、それを越えた「事実」や証拠物を持ち出して判決を下してはならない〉のである。
 
 そうであればこそ、裁判官は〈どれほど自明な事実と見えようとも、原告と被告の双方、またはそのいずれかが、審理(法廷における証言だけでなく、「準備書面」や「陳述書」を含む。以下同じ)の過程において、その事実を主張しないならば、それは裁判における「事実」としては存在しない〉という方針を堅持しなければならない。またそうであればこそ、〈裁判官は自分が見つけ出した事実や、法廷の外で見聞した事柄を、判決の材料に用いてはならない〉のである。

○田口紀子裁判長のルール違反
 そんなわけで、まず初めに田口紀子裁判長がしなければならないのは、財団法人北海道文学館の「決定書」(甲20号証)の「合議」欄に、「寺嶋」の印が押してあり、これをどのように解釈するか、ということであった。
 亀井志乃はこれを、「寺嶋弘道学芸主幹がこの募集要項の決定に加わった」事実の証拠と見た。亀井志乃が主張する「事実」はそれだけである。
 では、田口紀子裁判長は法廷における審理のどの時点で、「『被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた』と亀井志乃が主張した」という事実を知ったのであろうか。「決定書」の「合議」欄に「寺嶋」の印が押してあった「事実」に関する、被告側の主張は先ほど引用した如くであり、被告側もまた「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」という意味のことは言っていない。
 とするならば、田口紀子裁判長は
「被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実」があったか否かについて、何らかの情報を、法廷における審理の外で得たことになるだろう。だが、もし仮に田口紀子裁判長が法廷における審理の外で、寺嶋弘道被告や太田三夫弁護士から「決定書」の会議内容を聞く機会があったとしても、それを判決の材料としてはならないはずである。
 その意味で、田口裁判長の
「被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められない」という断定は、「事実」の裏づけを欠いた、恣意的な判断でしかない。
 このような判断に基づいて、
この点に関する原告の主張は認められない。」と亀井志乃の主張を退ける。これは裁判のルールを踏みにじる、不当な判決と言うほかはないであろう。

○田口裁判長の手抜き
 次に田口紀子裁判長が行うべきは、
財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する『年齢制限を設けた理由の明示』に従わない、違法な募集要項だった。原告はこの違法な募集要項のため、財団と再雇用の契約を結ぶ機会も、この募集に応募する機会も失った。被告はこの違法な募集要項の決定に加わり、財団法人北海道文学館の違法行為に加担した。これは『地方公務員法』第29条に該当する違法行為である。」という亀井志乃の主張を検討し、裁判官としての法的な判断を明示することだった。

 財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない、違法な募集要項だった。この指摘に関しては、田口紀子裁判長も異存はないところであろう。
 その違法な募集要項を決定した「決定書」の「合議」欄に、北海道教育委員会職員の寺嶋弘道学芸主幹が押印しているのである。亀井志乃が、
財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。」と指摘したように、これは財団のコンプライアンスだけでなく、寺嶋弘道の公務員としてのコンプライアンスが問われる、重要な過失であった。その点を踏まえて、亀井志乃は「地方公務員法」第29条に該当する違法行為と見なしたわけだが、念のために「地方公務員法」第29条(懲戒)を紹介すれば、それは次の如くである。
《引用》
 第29条 職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。
1.この法律若しくは第57条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合
2.職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
3.全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合

(以下略)

 もし田口紀子裁判長が、裁判官としての責任において、寺嶋弘道被告の行動は、この第29条のいずれの項にも該当しないと判断し、それ故被告の行動に違法性はなかった、と亀井志乃の訴えを棄却したのであるならば、その判断理由を明記すべきであった。特にコンプライアンスの問題は、裁判官が見過ごしにしてはならない問題だったはずである。
 ところが田口紀子裁判長は、
あくまでも、同募集の主体は文学館であり、被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められないから、この点に関する原告の主張は認められない。」という虚構の理由を設けて、亀井志乃が指摘した事実とそれに関する「違法性」の判断を無視してしまった。
 これは判決文としての実質を欠き、原告の亀井志乃に対しては不誠実な対応と言うしかないが、田口紀子裁判長としては、裁判のルールを無視してでも、寺嶋弘道の行動が公務員としての違法であるか否かの法的判断を回避したかったのであろう。

○再び田口紀子裁判長による「痕跡」の無視
 亀井志乃が指摘する「地方公務員法」第38条(営利企業等の従事制限)の問題も同様であった。
《引用》

第38条 職員は、任命権者の許可を受けなければ、営利を目的とする私企業を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利を目的とする私企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。
2 人事委員会は、人事委員会規則により前項の場合における任命権者の許可の基準を定めることができる。

 寺嶋弘道学芸主幹が財団の人事方針の合議に加わったが、それはこの条文にも違反する行為でもあったはずだ。亀井志乃はそう考えたわけだが、もしその主張に疑問を抱く人がいるとすれば、それは、〈果たして財団法人北海道文学は「営利を目的とする団体」に該当すると言えるだろうか〉という疑問だろう。
 
 確かに平成17年度までは、財団法人北海道文学館は道の依託を受けて道立文学館の運営に当たる、非営利的な財団だった。
 しかし平成18年度から指定管理者制度が導入され、指定管理者に選ばれた財団は、1年に1億4千万円を超える税金を、経営資本として道から受け取っている、れっきとした営利団体なのである。道立文学館には、財団と連携協働するために道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事と、A学芸員の3人が駐在しており、3人の給料は道から出ているが、館長や副館長、業務課の職員(業務課の学芸班の司書と研究員)の給料は、財団が道立文学館を経営して得た収益から支払われている。財団はそういう形で、道から独立した、民間の営利団体なのであり、それ故、その収益に対しては税金が課されているのである。
 
 そういう民間の営利団体たる財団の人事に、駐在の道職員がかかわることが許されるかどうか。寺嶋弘道学芸主幹は財団の人事の方針を決める「決定書」の「合議」欄に押印しているが、彼は「任命権者の許可を受けていた」か否か。田口紀子裁判長はそれらの点に関して法的な判断を示すべきだったが、それを避けてしまった。
 
 亀井志乃は「最終準備書面」においても、次のように問題を提起している。
《引用》
 
しかし、この逆のケースを考えてみたらどうでしょう。仮に、北海道教育委員会が、道立文学館に駐在させている学芸員の異動や、学芸員の新採用を構想した時、その起案書の合議欄に、民間の財団法人の神谷理事長なり毛利館長なりの押印を求めることがあり得るでしょうか。もちろん、こうした場合、この起案書の合議欄に神谷理事長なり毛利館長なりの押印がなければ、起案が決定されたことにはならず、その意味では北海道教育委員会の人事に民間の財団法人の理事長や館長がかかわることになるわけです。北海道教育委員会が、そのような違法な手続きを取るとは考えられません。
 
そのように考えれば分かるように、被告が財団の「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」の「合議」の欄に押印していたという事実は、北海道教育委員会の公務員である被告が民間の財団の人事に加わっていた事実の明白な証拠にほかなりません。もし、被告が本当に、財団の人事には加わっていなかったならば、被告は「決定書」の回覧に目を通すだけで済んだはずです
 被告は根拠なき〈上司〉意識、〈指揮監督(命令)の立場〉の自己主張によって、原告に対して人格権の侵害を繰り返しました。加えて被告は、上記のような法律違反を犯しています。以上のような意味で、被告の法律違反は全て確信犯的な行為であったと言えます
17p。太字は原文のママ。下線は引用者)
 
 だが、田口紀子裁判長はこの最終的な主張についても、何ら判断を示さず、黙殺してしまった。そうして「月にかぐや姫はいなかった」みたいな話を持ち出して、争点を誤魔化してしまう。これは原告を愚弄するものと言うしかないだろう。

 ○月にかぐや姫は住んでいた
 これは前回(「判決とテロル(1)」)に指摘したことだが、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という文書を根拠として、「寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃研究員の上司だった」と断定した。
 任命権者が異なり、給料の出所も異なる寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃研究員との間に、なぜ上司と部下の関係が成立し得るのか。亀井志乃は一貫してこの問題を取り上げてきたのだが、田口紀子裁判長はこの件については、今度は「月にかぐや姫は存在した」みたいな虚構を持ち出して、黒を白と言いくるめようとした。
原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。」と(3p)。
 
 つまり、田口紀子裁判長によれば、〈財団の業務課の中に設けられた学芸班に、駐在道職員の寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事とA学芸員が繰り込まれた〉となるわけだが、しかし「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の中には、上記のような田口紀子裁判長の組織理解を可能とする文言はなかった。もちろん平成18年度、道立文学館の中にそんな組織はなかった。にもかかわらず、田口紀子裁判長は、ここでは、「月にかぐや姫は存在した」みたいな虚構をでっち上げた。なぜそんな虚構をでっち上げたのか。

○田口紀子裁判長の上手な読み違い
 その問題も、今回の流れの中に置いてみるならば、更にその問題点やでっち上げの理由がよく見えてくるだろう。要するに、〈寺嶋弘道学芸主幹はこの「学芸班」の中で、次年度に定年退職となる女性のO司書を除けば、最年長であり、たとえ「任命権者の許可」がなくても、財団の「運用」として、亀井志乃の上司とすることができる〉ということにしたかったのである。
 それだけではない。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が描いている「学芸班」は、田口紀子裁判長が描いてみせた「学芸班」組織とはまるで異なっていた。それは財団の業務課からは独立し、並立する組織として構想され、その中心メンバーは北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名で構成する。そしてその中に、財団業務課学芸班の司書と研究員(財団の職員)を移す(配置する)ことにした。
 その際、この学芸班の最初に「学芸主幹」という職名を置き、学芸班全体の「上司」であるかのように見せかけたわけだが、それについて、亀井志乃が〈では、この学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない〉(「準備書面(Ⅱ)-1」)という意味の疑問を呈したところ、寺嶋弘道被告も太田三夫弁護士も答えられなかった。もし答えるとすれば、学芸主幹(被告)が属する、北海道教育委員会の「文化・スポーツ課」の課長の名前を挙げるしかないわけだが、そうすると、財団職員の司書と研究員(亀井志乃)も「文化・スポーツ課」の課長の部下ということになってしまう。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の描く組織図の学芸班はそういうジレンマを抱えており、寺嶋弘道学芸主幹も太田三夫弁護士も返答に窮して、亀井志乃の疑問を黙殺してきた。
 しかし、田口紀子裁判長が虚構した組織ならば、〈寺嶋学芸主幹の上司は川崎業務課長です〉と取り繕うことができる。さらにこの虚構の組織図の便利なところは、〈亀井志乃の組織上の上司は川崎業務課長だが、学芸の仕事に関する事実上の上司は寺嶋弘道学芸主幹だった〉と言い繕うことができることである。
 被告側にしてみれば、田口紀子裁判長が「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を読み違え、虚構の組織を作ってくれたおかげで大助かりというところだろう。
 
 その意味で田口紀子裁判長の「月にかぐや姫は存在した」みたいな作り話は、巧妙なトリックだったわけで、そうしてみると田口紀子裁判長は随分上手に読み違えをすることができる、知恵のまわる人なんだなぁ……。まさか誰かの入れ知恵ということはないだろう。

○再び田口紀子裁判長のルール違反
 だが、この「寺嶋弘道上司説」に関しては、田口紀子裁判長が責任をもって答えなければならない問題が、まだ残っている。
 それは、被告が一度も主張しなかったにもかかわらず、なぜ田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨を定めた」文書と受け取ったのか、という問題である。
  
 確かに被告は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」というA4版1枚の文書と、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」というA4版2枚の文書を、「乙第2号証」として提出し、「証拠説明書(乙号証)」(平成20年4月15日)の「立証趣旨欄」に、「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対する上司であること。」と書いている。
 だが亀井志乃は、この文書の違法性を指摘する批判するに当たって、まず次のようにことわっておかなければならなかった。
《引用》
 
被告側は平成20年4月16日の法廷において「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という文書を提出した。この文書と被告「準備書面(2)」との関係については何の説明もなかったが、「証拠説明書(乙号証)」の立証趣旨に「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対して上司であること。」と説明されており、それ故ここではとりあえずこの文書が、「事実上の上司」という被告の主張の根拠をなすべく提出されたものとして受け取っておく(5p。太字は引用者)
 
 亀井志乃がこのようにことわらざるを得なかったことから分かるように、被告は法廷における審理(「準備書面」や「陳述書」を含む)の中で、ただの一度も〈被告は原告の事実上の上司だったが、それを裏づける証拠物は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」だ〉という意味の主張をしたことはなかった。つまり、「被告は原告の事実上の上司だった」という主張を裏づける証拠物については一度も明示的に言及することなく、ただやみくもに「被告は原告の事実上の上司だった」というお題目を唱えていただけなのである。
 
 ただ一度だけ被告側がこの文書の一部分に言及したことがある。それは10月31日の本人尋問の時であるが、太田三夫弁護士がこの文書の「※ 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という箇所を読み上げ、亀井志乃に対して
「ここにいう研究員とは誰ですか。端的に言ってください。」と尋問した。だが、亀井志乃から「この「※」印の意味がはっきりしないので、判然とは申せません。」と突き放されてしまった。
 そこで、太田三夫弁護士は寺嶋弘道被告に対して同じ箇所を読み上げ、
これを素直に読む限り、あなたをヘッドにして、鈴木さん、阿部さん、岡本さん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか」と尋問し、被告の寺嶋弘道から「はい、そのとおりです」という返事を得た。
 太田三夫弁護士は自分の誘導尋問に被告がうまく乗ってくれたことに安心したらしく、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に関する尋問を打ち切ってしまった。要するに
「あなたをヘッドにして、鈴木さん、阿部さん、岡本さん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよ」と読むことができるという、たわいない事柄を確認しただけであり、だからどうなんだ? 亀井志乃が「はい、そのとおりです」と肯定したのならばそれなりに重い意味を持ってくるだろうが、被告の寺嶋弘道と一緒に「素直に読めば、こういうことになりますよね」と相づちを打ち合ったところで、クサイ芝居を演じただけの話じゃないか。ここで打ち切ってしまっては、太田三夫弁護士と寺嶋弘道被告が「被告は原告の事実上の上司だった」と主張したことにはならない。つまり、法廷の審理における主張にはなっていないのである。
 
 他方、亀井志乃は、仮に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が「被告は原告の事実上の上司だった」という主張の裏づけのつもりだったと仮定しても、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は手続き的にも内容的にも問題があり、被告側の主張の根拠となりえないと、法廷の審理において繰り返し主張してきた。
 
 そうである以上、田口紀子裁判長はまず法廷の審理において正当に主張された、亀井志乃の主張の取り上げ、これを吟味し、もし彼女の主張が当を得ていないと判断したならば、それを明示すべきであっただろう。
 だが田口紀子裁判長は、きちんとした手続きを踏んで正当になされた亀井志乃の主張を取り上げることをしなかった。
 亀井志乃は太田三夫弁護士が言う「素直な」読み方に関しても、「最終準備書面」で批判している(「北海道文学館のたくらみ(54)」参照)。だが、田口紀子裁判長はそれも無視してしまった。
 そして田口紀子裁判長は、法廷の審理(「準備書面」や「陳述書」を含む)においてただの一度もきちんと主張することをしなかった被告には極めて好意的に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨を定めた」ものと判断してやったのである。
 
○ウーソ、ウーソ、カーワウソ
 もう一度言えば、被告は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」との関連において、「被告は原告の事実上の上司だった」と主張した事実はなかった。また、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書自体、手続き的にも内容的にも違法なものと言うしかない。
 にもかかわらず、被告側は相変わらず「被告は原告の事実上の上司だった」を繰り返している。それならば、寺嶋弘道被告はそう主張し得る権限について、「任命権者の許可を受けた」のだろうか。亀井志乃はその点を確かめるために、10月31日の本人尋問で、直接寺嶋弘道被告に訊いてみることにした。
 その際の寺嶋弘道被告の返事は支離滅裂、しどろもどろ。その辺の様子は裁判所の記録(被告調書)に活写されており、亀井志乃が「最終準備書面」で引用している。是非読んでもらいたい(「北海道文学館のたくらみ(48)」参照)。寺嶋弘道被告の証言の中には、北海道教育委員会の教育長や、「文化・スポーツ課」の管理職の責任が問われかねない発言もあり、もし北海道教育委員会の関係者が彼の「尋問調書」や、彼の証言を分析した亀井志乃の「最終準備書面」を手にしたとすれば、かなり慌てふためいたことであろう。
 
 その証言の中には、一読して「まさかそれはないだろう」と、直ちにその嘘を見抜くことができる発言も混じっていた。
 寺嶋弘道被告の確かな証言によれば、平成18年4月1日、道立文学館へ出るようになってから、4月18日までの間に、駐在道職員3名と財団の業務課学芸班2名との「指揮命令系統」について、毛利館長と
「20日近く、そのことを……議論をしていた」のだそうである。
 寺嶋弘道は4月1日、職員として初めて道立文学館に顔を出したらしいが、駐在道職員の学芸主幹として正式に紹介されたのは、4月4日の着任式の時だった。なぜそうなったかと言えば、毛利正彦文学館長(当時)は非常勤の嘱託であり、4月1日(土)と2日(日)は非出勤日、3日(月)は休館日。そこで毛利館長が出勤する4日(火)に着任式が行われたのである。
 ということから分かるように、たとえ寺嶋弘道学芸主幹が毛利館長の出勤日にはかならず「議論」したとしても、4月4日から数えて18日(火)まで、「議論」できる可能性があったのは10日足らずだった。そもそも4月に着任してから4月18日までの間に、
20日近く、そのことを……議論した」なんて証言すること自体、今時の女子高生ならば、「うっそー、ありえない!」と声を張り上げ、最近リバイバルを果たした、ギャグ・アニメの傑作『ヤッターマン』シリーズなら、川獺が3匹、顔を出して「ウーソ、ウーソ、カーワウソ」とハモるところだろう。これを名づけて、嘘カワウソと呼ぶ。
 法廷における偽証として、これほど明らかなものはないはずなのだが、田口紀子裁判長の「判決文」によれば、
被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない」(25p)。
 
 すごい裁判だったなあと、改めて感じ入ってしまったが、その「判決文」の全体から見れば、こんなのはまだ程度の軽い、序の口でしかない。
 もちろん検討はまだまだ続く。

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判決とテロル(1)

新たな土俵

○判決以後
 2月27日に田口紀子裁判長の判決が下り、その結果は「北海道文学館のたくらみ(58)」に報告しておいた。
 その後、『市立小樽文学館報』に40枚ほどの原稿を書き、学士会の会報に14枚ほどのエッセイを書いた。WBCの野球もテレビ観戦した。日本と中国との1戦について言えば、「1番のイチローは、たとえヒットを打てなくても、フォアボールを選んで出塁し、盗塁をする。これが彼の仕事なんだが、自分の役割を忘れている。その代わりに2番の中島が3回もフォアボールを選んで、盗塁も決めて、イチローに取って代わる仕事をした。守備もいい。今日の殊勲者は中島じゃないか」。

 その間、裁判の結果について1、2の人がコメントを寄せて下さった。
 私のブログは、「北海道文学館のたくらみ(58)」を載せて以来、1日平均200くらいのアクセスがある。判決に関心を持って下さる人が多い証拠だろう。
 
 もともと私がこのブログを開いたのは5、6年前だったと思うが、それ以来、1日のアクセス数は平均110程度。ただし、「北海道文学館のたくらみ」を連載するようになってから1日平均150ほどに伸び、亀井志乃の「陳述書」を3回に別けて紹介した時は連日250を超えていた。
 だが、「最終準備書面」を10回に別け、私のコメントもつけて連載するようになってからは、アクセス数は半減し、100を割る日も多くなった。多分その理由は、記述の内容が細部にわたっており、私のコメントを加えると、1回当たりの分量がかなり多い。おまけに、3、4日の間隔で立て続けに掲載したため、よほど関心の強い人でなければ、その分量とテンポにはつき合いきれなかったためであろう。その点では、掲載方法をもっと工夫すべきだったと反省している。
 ただ、別な見方をすれば、1回平均A4版15枚以上の文章を、3、4日の間隔で掲載しても、必ずつき合って下さる人がおり、どんなに少なく見積もっても100人は超えていることになる。なぜなら、3、4日の間隔のアクセスはほぼ250を数え、訪問者数はその半分くらいだからである。その他にも、断続的にではあるが、あれはどうなっているかな、とブログを覗いてくれた人も多かっただろう。このことは、1日平均110というアクセス数が物語っている。
 
 もちろんその中には財団法人北海道文学館の職員や、北海道教育委員会の職員もおり、ひょっとしたら太田弁護士事務所や札幌地方裁判所の職員もいて、決して「北海道文学館のたくらみ」に好意的でない人も存在したと思う。だが、そういう人もまた細心の注意を持って目を通してくれたはずであり、愛読者ではないかもしれないが、精読者でいてくれたことだけはまちがいない。
 しかし大半の人は亀井志乃の立場と主張に同情と共感を持って下さった。それは色んな反応から推定できる。その中の何人かが2月27日、わざわざ札幌地方裁判所まで足を運んで下さったわけで、ありがたいことだ。感謝に堪えない。
 そして、その方々を含めて、これまで関心を持って下さった全ての方に、お礼を申し上げる。

○もう一つの裁判を?
 では、今後どうするか。もちろん常識的には、「控訴」が妥当だろう。
 それを1案として、私たち家族はもう一つ別な案を、現在検討している。それは、寺嶋弘道学芸主幹の「陳述書」と平原一良副館長の「陳述書」を対象として、名誉毀損の人格権侵害の訴訟を新たに起こすことである。平原一良副館長の「陳述書」には、亀井秀雄の名誉を傷つける記述が含まれている。それ故、亀井秀雄も原告となり得るわけである。
 
 寺嶋弘道学芸主幹と平原一良副館長の「陳述書」を告訴の対象とするならば、亀井志乃は、前回の裁判では出さなかった証拠物を新たに出すことができる。亀井秀雄も原告に加わる。つまり、前回とは別個な裁判を起こす条件は十分に整うはずである。

○田口「判決文」の食言と虚偽(その1)
 なぜ、そういう案を考えたのか。
 田口紀子裁判長の「判決文」にその理由を語ってもらおう。
《引用》

(5) 文学館の事務局その他の組織に関し必要な事項を定める財団法人北海道文学館事務局組織等規程(以下、「組織規定」という。)が、平成18年6月1日改定され、施行されたが(平成18年4月1日から同年5月31日までの間は、経過措置として、同様の運用が取り決められた。)、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。組織規程では、学芸員、研究員の職務内容は、「上司の命を受け、調査、研究、展示等に係る事務をつかさどる。」旨定められた(組織規程3条)が、運用について定めた、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(以下、「運用規程」という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた。(乙2(3p。下線は亀井)

 田口裁判長はここで3点、根拠のないことを述べている。
 まず第1に、財団法人北海道文学館には、平成18年度、
主事」の肩書きを持つ職員は存在しなかった。北海道教育委員会の職員3名が、財団と連携協力するために道立文学館に駐在し、その中に社会教育主事の肩書きを持つ職員がいたが、この「社会教育主事」と財団における「主事」は同じではない。もちろん「社会教育主事」の肩書きを持つ教育委員会職員のSさんは、財団の「主事」ではなかった。
 しかも、田口紀子裁判長は、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、」と書いているが、指定管理者制度の体制となった平成18年度の財団には、「学芸員」はいなかった。(田口紀子裁判長がいう「経過措置」の期間には「学芸副館長」が存在したが、6月1日から「学芸副館長」は「副館長」に昇格し、いかなる意味でも「学芸員」は存在しなくなった)。田口紀子裁判長は証拠物をきちんと読んでいないのではないか。

 第2に、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名が、財団の業務課の中に設けられた「学芸班」に配置された事実は全くなかった。
 田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に基づいて、二つ目の下線部のように判断したらしいが、その「運用規程」のどこを見ても、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された」と解釈できるような組織図もなければ、文言もない。
 「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はそれ自体が問題のある文書なのだが、――その点は、次にふれる――仮にこれを前提として考えてみても、その組織図は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名で構成される「文学館グループ」を学芸班と名づけて、財団の業務課からは独立し、並立する組織とした。しかも、財団の業務課の中に設けられた学芸班の司書と研究員(財団の職員)を、「文学館グループ」の学芸班のほうに移して(配置して)しまった。つまり、現実の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は、田口紀子裁判長のような理解を許さない、むしろ田口紀子裁判長が描いたのとは反対の組織図だったのである。
 
 分かるように、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された」という組織のあり方は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を根拠に持たず、また、先の裁判を通じて、被告の寺嶋弘道学芸主幹も太田三夫弁護士も1度も主張することはなかった。その意味でこの組織は、田口裁判長の虚構によるもの、すなわち虚偽のものでしかなかったのである。
 田口紀子裁判長は、その「判決文」の中で、自分の判決が
「2 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)(2p)に基づいていることを明言している。しかし、田口紀子裁判長が描いた組織図は、その裏づけとなるべき「争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」を持たなかった。これは田口紀子裁判長の自分が明言したことを守っていない、田口紀子裁判長の食言と言うべきであろう。

○田口「判決文」の食言と虚偽(その2)
 田口紀子裁判長はこのように、現実には存在しなかった組織を虚構したわけだが、なぜそんなことをしたのか。多分田口紀子裁判長は、何としてでも寺嶋弘道学芸主幹を亀井志乃の「上司」に位置づける必要があったのであろう。なぜなら、もし北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)が財団の業務課の学芸班に配置されたとするならば、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた」という三つ目の下線部について、これは学芸班の内部処置だったと見せかけることが可能となるからである。
 別の言い方をすれば、田口裁判長は、この見せかけのもとで、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の問題を回避しようとしたわけだが、ここに第3の問題がある。
 
「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書には、内容的にも手続き的にも問題点が多く、廃棄されるべきであることは、既に亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―1」で詳細に論じておいた。「北海道文学館のたくらみ(54)」でその概要を紹介しておいた。だが、今回から「判決とテロル」という新しいテーマに入ったので、念のために、手続き論の箇所をもう一度引用させてもらう。
《引用》

 C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(乙2号証)の第7条は
「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
(中略)

e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない(6~7p。下線は引用者)

 このように、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は手続き論的にみて違法なものでしかなく、その中に盛り込まれた「上司」の概念は何の合理性も正当性も持たない、恣意的なものでしかなかった。
 田口紀子裁判長はこのような反論を読んでいたはずであるが、それを黙殺してしまった。その一番の理由は、亀井志乃の反論とまともに向き合い、その上で亀井志乃の反論を「根拠なし」として退けるには、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を決定した主体と手続きの問題を避けて通ることができない。そう判断したからであろう。先ほど引用した「判決文」で分かるように、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の決定主体と手続きの問題を曖昧にぼかしていた。これはすなわち
「組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨」を定めた主体と手続きの問題を曖昧にぼかしたことにほかならない。
 そのため田口紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が正当な運営規程である理由を、
争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」に基づいて明らかにすることができなかったのである。
 その意味でも田口紀子裁判長は、みずからの基本方針を裏切り、偽っている。そう言われても仕方がないところであろう。
 
 ただし、実際的には、田口紀子裁判長が虚構した組織や、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の組織図は、いずれにせよ道と財団とが結んだ「協定」の趣旨から外れたものであり、また寺嶋弘道が北海道教育委員会の職員(公務員)である事実に照らしても許されがたいものであった。
 亀井志乃はその点を「陳述書」と証拠物によって明らかにした(「北海道文学館のたくらみ(44)」)。さらに10月31日の本人尋問を分析した「最終準備書面」によっても明らかにした(「北海道文学館のたくらみ(48)」)。だが、田口紀子裁判長は亀井志乃のそれらの主張も黙殺してしまったのである。

○法をめぐる権力のトライアングル
 以上のように、田口紀子裁判長は極めて強い意志をもって、寺嶋弘道学芸主幹が公務員である事実を不問に付そうとしているわけだが、それは北海道の司法関係者の共通の意志であるように、私には思われる。

 亀井志乃が財団法人を解雇された問題について、北海道労働局の職員は大変親身に相談に乗り、助言をしてくれたが、人権侵害の調査の依頼に関する札幌法務局のO調査救済係長の対応は、不誠実きわまりないものだった。
 調査時間をずるずると引き延ばす。調査内容については、「守秘義務」を理由に答えない。その実態は「北海道文学館のたくらみ(24)」「同(25)」で紹介しておいたので、ごく簡略にまとめて言うならば、亀井志乃は、財団が指定管理者として指定を受けるに当たって道に提出した『北海道文学館業務計画書』の「(事務局)組織図」をO調査救済係長に手渡し、それに基づいて、〈道職員の寺嶋弘道学芸主幹と財団の嘱託職員である亀井志乃とは決して上司と部下の関係ではありえない〉理由を説明した。もちろん詳細に説明した文書も渡しておいた。にもかかわらず、O調査救済係長の結論は「寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃嘱託職員は上司と部下の関係だった」ということだった。驚いてその理由を訊いたが、O調査救済係長は口を閉ざして答えない。「普通の市民同士の関係で考えれば、寺嶋の亀井志乃に対する態度は無礼であり、侮辱を加えている。いわれのない人権侵犯として考えるほかはないと思うが、職場において同様なことが行われているにもかかわらず、職場ならば『人権侵犯に当たらない』と判断する理由は何か」という質問に対しても、O調査救済係長は口を閉ざして答えなかった。
 
 過日、NHKテレビが、「このたび法務局では人権侵害の110番を設けることになった」と報道し、女性の職員が電話で対応している映像を流した。取りあえず結構な話ではあるが、亀井志乃と私の経験に即して言えば、札幌法務局はあまりアテにはならない。調査する気概も、救済する姿勢も、まるで感じられなかったからである。
 
 ともあれ、そのようなこともあって訴訟に踏み切ったわけだが、被告の代理人・太田三夫弁護士は「事実上の上司」を繰り返し、だが、「公務員が民間人の上司となることは許されないのではないか」という批判を含む亀井志乃の反論に対しては、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、全く答えようとしなかった。
 そして10月31日の本人尋問となったわけだが、現に田口紀子裁判長は、「事実上の上司」という被告側の主張が何ら根拠を持たないことを目の当たりに見ていたはずである。亀井志乃はその時の記録をもとに「最終準備書面」を書き、再度「事実上の上司」という被告の主張には根拠がないことを証明しておいた(「北海道文学館のたくらみ(48)」)。
 他方、被告側は「準備書面(4)」で、またしても没論理的に「事実上の上司」を乱発するだけであったが、結局田口紀子裁判長は亀井志乃の問題提起と主張を無視して、太田三夫弁護士の没論理的な主張に寄り添う形で、
運用について定めた、『財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について』(以下、『運用規程』という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた」と、この問題をいなしてしまった。
 もし田口紀子裁判長が「寺嶋弘道学芸主幹は公務員であるが、道立文学館に駐在する立場にあるかぎり、民間の財団の嘱託職員である亀井志乃の上司となることができる」と判断するのであるならば、その判断根拠を明示すべきではないか。それが語の正しい意味での裁判官の判決文というものであろう。
 
 私は、この人たちが一つ穴のムジナだと考えているわけではない。ただ、これだけ北海道の法律関係の人間が、まるで申し合わせたみたいに、道の公務員の行為に関する法的な判断には手心を加えようとする。そのやり方を見ていると、北海道の司法関係者の間では、一種暗黙の了解事項みたいなものがあるのではないか。太田三夫弁護士はその辺の空気を読み切っていたからこそ、平気で没論理的な主張を繰り返し、亀井志乃に対するセカンド・ハラスメントとも言うべき言動も辞さなかったのだろう。そういう疑問を私は禁じ得なかった。
 黒古一夫さんのブログによると、『北海道新聞』の文化部の記者諸氏は、亀井志乃が起こした裁判に関しては、「触らぬ神にたたりなし」と傍観しているらしいが(「北海道文学館のたくらみ(42)」)、なるほどこんなところにその理由があったわけだ……。 
 
 もちろん亀井志乃が控訴すれば、田口紀子裁判官とは別な裁判官が担当することになるだろう。だが、亀井志乃がこれまでと同じ主張を述べたとして、果たしてきちんと目を通し、事実認識と論理構成に過不足のない判決を下してくれるかどうか。ひょっとしたら、暗黙のお約束による結論が先にあり、それに辻褄を合わせたような奇妙な判決文を、もう一度読まされるだけのことではないか。

○やはりもう一つ裁判の準備を
 私たちは亀井志乃の勝訴を確信しており、この判決は全く納得できなかったが、ある意味で亀井志乃が一番冷静で、醒めていた。「結局、目立たないところで職もなく生きている一人の女の人権を取るか、道の文化施設の安定を取るか、そんなふうに天秤に掛けてみて、皆さんに良識的な判断と評価して貰えるような判決を出したんでしょうね」。
 
 寺嶋弘道主幹に人格権侵害の有罪判決が出た場合、北海道教育委員会が彼にペナルティを課すかどうか、それは分からないが、少なくとも道立文学館の駐在制度について見直しをはかる必要が出て来るだろうし、議論は指定管理者制度そのものの是非にまで及ぶかもしれない。そうなると、道の文化施設に混乱が生じ、文化行政自体にまで波及して、北海道教育委員会の文化スポーツ課の管理職だけでなく、教育長が対応せざるをえなくなるだろう。それに対して、亀井志乃には精神的、肉体的な障害を受けた様子は見られない。また、たとえ亀井志乃の訴えを棄却したとしても、亀井志乃を有罪とするわけではないから、亀井志乃が損害、実害を受けることはない。それやこれやを勘案するに、ここは行政の混乱を防ぐことを優先すべきではないか。
 この一見もっともらしい、訳知り顔の理屈は、世のお利口さんが飛びつきやすい「良識論」であるが、えてしてそういう良識派は、亀井志乃がどんな苦痛を強いられてきたかには目を向けず、ことが亀井志乃の人権にかかわり、ひいては生活権の侵害にまで及んでいる事実を見逃してしまう。田口紀子裁判長も結局はこのお良識の路線に乗ってしまったらしい。本当はそういう弱い立場の人間一人ひとりの人権と生活権を守るために憲法があるなずなのだが。
 以上は私なりのリライトであるが、亀井志乃はこの判決をそのようにとらえ、もう一つの裁判の可能性を探ることにしたのである。
 
○新たな土俵で
 ただ、以上のこととは別に、だがそれと並行して、私は「判決とテロル」というテーマで、今回の判決文をつぶさに検討することにした。その中には現在の言説論や言語行為論の方法と理論で田口判決文を読み解く試みも含まれている。
 
 私は若い頃、アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』(1941年)という共産主義国家の裁判をテーマとした小説を読み、深い感銘を受けた。平野謙がこの作品と正面から取り組んだ「粛清(チーストカ)とはなにか」(1957年)という論文を書いており、その熱っぽい語り口に惹かれて反復熟読した。フランスでは、メルロ=ポンティが同じ作品を俎上に据えて『ヒューマニズムとテロル』(1947年)という長大な論文を書いており、森本和夫の翻訳(現代思潮社、1965年)を読んで、もし機会があったらこれらの作品や論文を参考に「裁判とテロル」という問題を論じてみたい、と考えた。平野謙もメルロ=ポンティも、いずれも私が敬愛してやまぬ評論家であり、思想家だからである。
 
 もちろん亀井志乃の訴えを却下した田口紀子裁判長の「判決文」と、『真昼の暗黒』とでは内容、スケールともに大きな違いがある。だが、捉え方によってはこの裁判と判決の隠れた本質が明らかになってくるかもしれない。その過程では、当然太田三夫弁護士の文章や、寺嶋弘道学芸主幹や平原一良副館長の文章も参考にさせてもらう。
 その意味で、田口紀子裁判長を含め、これらの人たちからはいい材料を貰ったと思っている。

 

 

 
 
 

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