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北海道文学館のたくらみ(58)

判決下る

○判決は敗訴
 今日(2月27日)の午後1時10分、札幌地方裁判所7階8号法廷で、判決が下った。傍聴席には、顔見知りの人を含めて、9人ほどの方が来て下さった。思いがけないことで、大変にありがたかったが、田口紀子裁判長の下した判決は「1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。」だった。亀井志乃が敗訴したわけである。

○判決文の奇妙なロジック
 これからどうするか。手交された判決文を丁寧に検討して決めることになるだろう。ただ、私自身は判決文を逐条審議的に分析して、納得できない点があれば、このブログで取り上げるつもりであり、今日は、まずざっと目を通した範囲で気がついたことを指摘しておきたい。

 そこで第一に指摘しておきたいのは、田口紀子裁判長は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同―2」「同―3」(「北海道文学館のたくらみ(31)」~「同(35)」)、および「陳述書」(「北海道文学館のたくらみ(43)」~「同(45)」)、「最終準備書面」(「北海道文学館のたくらみ(48)」~「同(57)」)の主張を全く無視、黙殺してしまったことである。
 「陳述書」の無視に関しては、次の問題との関連で改めて取り上げるが、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道の「陳述書」が如何に虚偽に充ちているか、証拠を挙げて詳細に指摘した。また、「最終準備書面」では寺嶋弘道の法廷における偽証を詳細に証明しておいた。ところが、田口紀子裁判長によれば、
被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」(判決文25p。太字は引用者)となってしまったのである。
 
 ふ~ん、なるほどなあ。嘘を指摘されても、知らぬ顔の半兵衛を決め込み、反論をしないでおくならば、裁判所の理屈では、
虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はないということになるわけか。
 寺嶋弘道は
「この『二組のデュオ展』では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、」(寺嶋「陳述書」5p)と書き、亀井志乃によってそれが虚偽の記述でしかないことを指摘された(亀井「準備書面(Ⅱ)―2」19~21p)。当然寺嶋弘道は自分の記述の正しさを証明する責任があり、そのためには最低の証拠として「作品図版カード」なるものを提出する必要があったわけだが、彼は頬かぶりしてやり過ごしてしまった。そういう横着なやり方を取っていると、日本の裁判では、虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はないということにしてもらえるらしいのである。

○意図的な混同
 さて、次は、「準備書面(Ⅱ)―1」や「陳述書」に関することであるが、田口紀子裁判長の判決文によれば、被告・寺嶋弘道の地位は次のごとくであった。
《引用》
 
文学館が指定管理者制度を採用し、平成18年度は、組織規程及び運用規程の改定により、平成17年度までの指揮命令系統が変更になり、業務課学芸班に所属する司書、研究員の上司は、学芸主幹とする旨定められたことから、被告が研究員である原告の上司という立場にあったと認められるから、上司として行われた、前記被告の原告に対する言動が、原告に対する不法行為に当たるかが問題となる。
 この点に関し、原告は、被告が、原告の業務に関して命令や意見を述べること、文学館の業務課が問題としない点について被告が干渉してくることなどの被告の行為の違法を主張するが、上記のとおり、原告の採用権者である文学館において、その組織規程及び運用規程において、指揮命令系統を定め、被告が原告の上司とされたことは明らかである
(15~16p)

 一読して明らかなように、田口紀子裁判長は、道の施設としての道立文学館と、財団法人北海道文学館とを故意に混同している。引用した文章の冒頭における「文学館」がいずれを指しているかを考えてみれば、その曖昧さが直ちに明らかだろう。言葉を換えれば、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―1」や「陳述書」で両者の関係をきちんと説明しておいたにもかかわらず、田口紀子裁判長はそれを無視し、被告の寺嶋弘道を、この概念曖昧な「文学館」の職員とみなす。そして、被告・寺嶋弘道が財団法人北海道文学館にとっては「外部」の北海道教育委員会から送り込まれた駐在の公務員である事実を消去してしまったのである。

 また、田口紀子裁判長が言うところの「組織規定及び運用規程」が何を指すのか不明であるが、仮に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を指すのであるならば、それは財団法人北海道文学館事務局等規程」に照らして不正、違法なものでしかない。そのことを、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」で指摘、批判しておいた(「北海道文学館のたくらみ(54)」の「亀井秀雄注」参照)。だが、田口紀子裁判長はそれも無視して、上記引用のごとき結論を引き出したのである。

○摩訶不思議な理屈
 このような田口紀子裁判長の理屈から引き出される結論は、誰の目にも既に明らかだろう。田口紀子裁判長の判断によれば、上司である寺嶋弘道の亀井志乃に対する言動は、すべて
「業務の裁量の範囲内のものというべきものであって、許容限度を逸脱した行為とまでは認めることはできない」ことになるのである。
 
 おまけに田口紀子裁判長は、次のように摩訶不思議な理屈をひねり出していた。
《引用》
 
原告は、平成19年1月31日、被告が、イーゴリ展を他の職員に何の断りもなく割り込ませ、原告の主担当であるデュオ展の準備ができないようにして、原告の業務を妨害したと旨主張する。しかしながら、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること、同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと、イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められないことなどからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない(23p)

 亀井志乃が主担当の「二組のデュオ展」の準備と、寺嶋弘道が割り込ませた「イーゴリ展」とのからみは、これまで何回か言及した(詳しくは「北海道文学館のたくらみ(52)」、「同(56)」参照)
 だからその点は省略するが、ただ、田口裁判長の勘違いを指摘しておくならば、「イーゴリ展」は文学館の了承のもとにおこなわれたのではない。施設としての「北海道立文学館」も、指定管理者としての「財団法人北海道文学館」も、いずれも「イーゴリ展」の開催を協議し、了解したわけではないからである。
 また、田口裁判長は
「イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり」と言っているが、「イーゴリ展」が撤収されたのは2月9日のことであり、仮にこの日から「デュオ展」の準備に入ることができたと計算しても、準備が完了した2月16日までには8日間しかない。
 以上のことは、田口紀子裁判長が虚心坦懐に亀井志乃の文章を読めばすぐに気がついたはずのことである。
 しかも田口紀子裁判長は、寺嶋弘道が「イーゴリ展」を割り込ませたおかげで、亀井志乃は非出勤日を返上して出勤し、14日と15日には夜遅くまで作業をしてホテルに泊まることを余儀なくされた事実を無視して、
被告の業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」と結論づけている。亀井志乃にこのように無理な作業を強いることも、寺嶋弘道には「許容限度」内の行動だと言うのであろうか。
 田口裁判長によれば、この時点における寺嶋弘道は
「既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」そうであるが、そのことがなぜ「被告の業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」という結論に結びつくのか。
 
 田口紀子裁判長の判決文をざっと読んだだけでも、この種の疑問が次から次へと湧いてくる。どうも田口紀子裁判長の判決は初めに結論があったとしか考えられない。
 また一からやり直しだな。
 
 
 

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北海道文学館のたくらみ(57)

亀井志乃の「最終準備書面」最終回

【今回は、「Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について」から「Ⅵ章 最終的な主張」までを紹介する。なお、判決は2月27日(金)、午後1時10分に下る。2009年2月6日】

Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について

 10月31日の公判において、田口裁判長は、平成18年4月7日に被告が原告に取った態度について、被告に対し、そうであれば、原告に対して、(道立近代美術館のK学芸員から)聞いた話だと、何か調査内容がよく分っていなかったみたいだから、だから、この点についてこういうふうにしたほうがいいよとか、そういう言い方をすればよかったんじゃないですか」と質問をし、被告は「……………ええ、そのとおりだと思います」と肯定しました。田口裁判長は続けて、被告に対して、ただ話をだらだらしたって(道立近代美術館には)相手になってくれる人間はいないよって言ったって、(原告には)抽象的で全然分からないですよね」と質問をし、被告はうなずいていました(被告調書26~27p)。
 現代のコミュニケーション理論で言えば、田口裁判長の質問は被告における「接触(contact)」の欠如を指摘したものと言えるでしょう。
 
   コミュニケーションにおける「接触(contact)」の重要性を指摘したのは、20世紀後半の人文科学に大きな影響を与えた言語学者ロマーン・ヤーコブソン(Roman Jakobson)でした。蛇足かもしれませんが、念のために紹介しますと、彼はコミュニケーションの基本的な構造を、「言語学と詩学」(”Linguistics and Poetics” 1960)という論文の中で、次のように図表化しました。

           コンテクスト(context or referent)

                メッセージ(message)
発信者(addresser)…………………………受信者(addressee)
                接触(contact) 

              コード(code)   ※メタ言語(metalanguage)

 「発信者(addresser)」、「受信者(addressee) 」、「メッセージ(message)」については特に説明する必要はないと思いますが、ヤーコブソンは「コンテクスト(context or referent)」を「話題とその経緯」というほどの意味で使っています
 例えば平成18年5月2 日、被告がケータイ・フォトコンテストの話を言い出した時、原告はその話題を理解しました。被告がその企画を思いついた経緯も理解していました(原告「準備書面(Ⅱ)―1」12p)。ところが、原告が
「私はそういうことが出来る立場では……」と言い出した途端、被告は原告の発言を遮って、そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と詰問をはじめ、コンテクストをねじ曲げてしまいました。更に話し合いの途中で「私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている」と、自分の持ち出したコンテクストに対する責任を放棄してしまいました(原告「準備書面(Ⅱ)―1」13p)。これでは話し合いは成り立ちません。お互いが「コンテクスト(context or referent)」を理解し、それを維持しようとする心がけなしには、コミュニケーションの基盤が失われてしまうからです。
 
 それに対して「コード(code)」は「各単語の意味と使い方」と言えるでしょう。原告は〈打合せ〉という言葉について、〈前もって相談する〉という意味のコードを持っていました。ところが、被告は同年9月13日、
打合せ会は、すでに決まったことを報告するところだ(3月5日付「準備書面」15p)と主張しました。つまり両者のコードが食い違っていたわけで、コードを共有しなければ話が混乱するだけです。そこで原告は被告に、朝の打合せ会はそういう性格のものと決まったのですか」と質問したわけですが、これは被告のコードを確かめるメタ言語行為と言えます。「メタ言語(metalanguage)」とは、互いの言うところを理解し合うために、相手のコードを確かめたり、自分のコードを説明したりする言語のことです。
 ヤーコブソンはこのメタ言語に重要な位置を与えました。なぜなら、会話の流れの中で、「それ、どういう意味で言っているのですか?」と聞き返された時、丁寧に自分の使う意味を説明して理解を求めるか、その反対に、「なんだ、そんなことも分からないのか」と馬鹿にした調子で、面倒臭そうに説明するかによって、コミュニケーションの成功・不成功に大きな影響を与えるからです。
 この視点で9月13日の場面を整理してみますと、被告は
「そうなんだ」と言うのみで、いつ、どういう手続きで決まったのか説明しませんでした。つまりメタ言語行為を打ち切ってしまったことになります。原告がその後、朝の打合せ会の司会役のS社会教育主事に聞いたところ、どんなことを言っていいとかいけないとか、何も決まりや申し合わせはありません」という返事でした。原告はこのことを3月5日付「準備書面」16pで書いておきましたが、しかし被告はその指摘を全く無視し、被告の「準備書面(2)」の中では、依然として被告のコードに固執していました。その意味で被告は、メタ言語行為によってコードを調整し、共有しようという姿勢が極めて乏しい人物だと言わざるをえません。
 
 以上のように、メタ言語は単にコードの意味を説明するだけでなく、会話の心理的・感情的な関係の上でも重要な役割を果たします。そしてヤーコブソンは、会話の心理的・感情的な関係を「接触(contact)」と呼びました。
 ただし、彼が言う接触は、メタ言語的な会話だけにかぎりません。話し手の言葉づかいやイントネーション、ジェスチャー、表情など、聞き手の感情に働きかけて、会話を良好な関係で維持したいという心遣いを表出して、話し手と聞き手の心理的な連結を作り出し、維持しようとする側面、それがヤーコブソンの言う「接触(contact)」です。その意味で彼はこの機能を、〈心情的emotiveまたは”表現的expressive”機能〉とも呼び、話の内容に対する話し手の態度の直接的表現と見なしました。
 ですから、もし話し手がそのような接触を良好な状態を維持しようと心がけず、怒鳴ったり、皮肉な口調でものを言ったり、相手の発言を中断したり、わざと会話の流れをねじ曲げたり、不自然なほど「間」を長く取ったりすれば、コンタクトは破壊され、双方向的な対話はできなくなってしまう。これは単なる話の食い違いではなく、双方向的なコミュニケーションの破壊という暴力的行為と見るべきであって、それが繰り返し意図的に行われるならば、誤解があったというレベルで済ませられる問題ではなくなるわけです。
 最近よく問題となる、言葉の上でのドメスティック・バイオレンスやパワーハラスメント等をとらえてみるならば、これらのことは、単に“会話があったか、なかったか”とか“どんな単語を言ったか、言わなかったか”を云々するだけでは、とうてい問題の核心には踏み込めません。お互いが適切な形で心理的な接触
(コンタクト)を試み、そして、会話のあいだ、それをいい形で維持しようと心がけるのでなければ、会話はただ一方から他方に押しつけられるだけのものになるか、あるいは、破綻してしまいます。
 
 コミュニケーションにおける「接触(contact)」の要素は、過去の言語学では「非言語的要素」と見なされ、研究の対象から外されていました。ヤーコブソンの功績の一つは、この「非言語的要素」を言語学の中に取り入れ、重要な位置を与えたことにあります。
 
 それでは、被告のコミュニケーション態度はどうであったか。端的に言って、原告との会話における被告の態度は、〈コンテクストの破壊〉と〈コードの共有の拒否〉、そして〈接触(コンタクト)蔑視〉に終始しておりました。
 その一つの典型例が、10月7日の、明治大学図書館行きの際の書類に関わる事例といえます。その時の状況については、原告の3月5日付「準備書面」(20~22p)と「最終準備書面」Ⅱ章第3項「B.明治大学図書館への出張と〈職員派遣願〉について」で詳述しておきましたので重複は避けたいと思います。しかし、改めて、一点を確認するならば、あの時大学図書館が原告に求めていたのは、あくまで、本人確認のための〈紹介状〉でした。ところが被告は、図書館側の求める条件をよく理解しようとせず、ただ、〈原告がよその施設にゆく〉、だから〈そのためには形式上こちらが派遣してやらねばならぬ〉と自分の思い込みを短絡させ、“それがわからない原告に、わからせてやろう”という態度に出ました。
 しかしこの場合、原告が図書館側の言う文脈
(コンテクスト)を改めて伝えなおした際に、被告には、“ああ、そうだったのか”と自分の勘違いを認めるか、あるいは一旦考え直した上で代案を示すなど、穏やかにとり得る態度はいくらでもあったはずです。
 ところが被告は、
送るんだよ!これは公文書なんだから。先に相手側に送っておくんだよ!10月20日に派遣するという書類を、当日持って行ったってしょうがないだろう!」甲9号証)と原告を怒鳴りつけました。そして、あくまで原告に、「派遣依頼書」の作成を強要しました。
 被告のこのような態度から、被告のどのような本質が見えてくるか。いま仮に被告が怒鳴った言葉から、根拠や裏付けのない主張を差し引いてみますと、要するに、“俺がこの書類を書けといっているんだから、書け”というメッセージと、“お前を他の施設に派遣してやれるのは、この文学館であり、自分なのだ”という主張しか残りません。いずれも、原告の状況を理解した上で、出張がうまくゆくようにアドバイスしようなどという姿勢はまったく見えない、被告の一方的な主張に過ぎません。これは、〈対話〉などというものではありません。

 そもそも語気を荒げたり怒鳴りだしたりというのは、互いの合意に達することが出来るように心理的接触を保ち続けることができず、それを自分から壊してしまう行為だと言えるでしょう。常識的に考えて、これは会話をするにあたって極めて非礼な行為であり、ただ、ひとまず条件つきで認められることがあるとすれば、それに先立って、相手側の方に非礼な、もしくは、責められるべき言動があった、という場合に限ります。そうでなければ、被告の方が、人とコミュニケーションを取る上で、しょっちゅう心理的な接触に失敗しているか、あるいは、自分からすすんで接触を破壊してしまっているか、どちらかだということになります。
 多分、だからこそ、被告は「準備書面(2)」と自分の「陳述書」とで、口をきわめて原告の非常識を責めたて、常軌を逸した人間に仕立てようとしたのでしょう。ただし、被告にとっては残念なことに、原告が常軌を逸した人間であるということについては、原告の反論を受けて以降、証明することが出来ないでいることです。ここを先途と相手を責め立て、貶めながら、〈それは違うでしょう、こういう証拠があるでしょう〉と真っ向から反論されたとたんにやりとりを打ち切ってしまう。これもまた、非常に一方的で、相手の尊厳を認めない、自己中心的かつ利己的な反応と言えると思います。

 なお、原告は、平成20年10月31日の法廷において、被告とのやりとりで経験したのと同様なコミュニケーション障害を経験しました。それは被告の代理人・太田弁護士の尋問態度についてです。
 太田弁護士は、原告が太田弁護士の質問に対して出来るだけ正確な返答をしようと、自分の記憶を探るためにほんのちょっと逡巡したり、あるいは前後の事情を補足しようとすると、高飛車に原告の言葉を遮って、弁護士の言うところを認めるか否かの二者択一の返答を要求しました。
 また、例えば平成18年9月26日における被告の言葉について、太田弁護士は自分の理解を原告に押しつけようとし、原告が
「ああ、どういうことでしょうか。お教えいただけますか」と、太田弁護士の理解の根拠について訊ねたところ、その言葉を無視して、いきなり「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね原告調書27pおよび「最終準備書面」Ⅲ章「M.『寺嶋さんの言っている意味』について」参照)とコンテクストを転換してしまうなど、一方的に会話の流れや応答関係を支配しようとしました。これは被告が原告に対してとった態度と同じです。
 他にも、
その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか」という原告が質問した時には、寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」と問いをはぐらかすような言い方をし、また、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」という原告の反問に対しては、そんな議論するつもりはないんだわ」と突き放すなど、きちんとした対応を拒否していました(原告調書33pおよび「最終準備書面」Ⅲ章「N.『運営』への『口出し』について」参照)。それは、平成18年10月28日の被告の態度を彷彿とさせるあしらい方でした。
 
 矢継ぎ早に質問を繰り出して、相手に考える暇も与えずに「はい」か「いいえ」の二者択一的な返事を要求し、相手の混乱を誘って言葉の矛盾点をせせり出す。太田弁護士はそういう尋問テクニックを駆使するつもりだったのかもしれませんが、10月31日の原告に対する態度は、現在では、刑事事件の容疑者に対する尋問でも許されないような人権無視の態度であり、しかもコミュニケーション破壊の行為だったと言わざるを得ません。

Ⅴ章 被告の「つきまとい」の実態と人格権侵害の本質について
 被告の原告に対するハラスメントは、大きく5つのパターンに分けることができます。
1.朝の打ち合わせ会の性格について
2.書類の書き方について
3.予算の執行について
4.ケータイ・フォトコンテストについて
5.業務の妨害について

 このうち5はやや性格が異なりますが、他の4つのパターンについては、被告が主張することは全く根拠がありません。
 
1.朝の打ち合わせ会について言えば、この打ち合わせ会は被告が言うように単に「すでに決まったことを報告する会」ではありません。もしそうならば、報告会とか伝達会とか言うべきでしょう。「打ち合わせ」とは、「前もって相談する」という意味です。
 そして事実、道立文学館における朝の打ち合わせ会は、原告の3月5日付「準備書面」(16p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(27~28p)・原告「陳述書」(19~20p)等で証明しておいたように、これからの行動予定を紹介したり、了解を得たりすることが可能であり、またそうすることが必要な相談会だったのです。原告がそのようにすることに関して、財団の職員も駐在の道職員も、誰も異議を唱えたことはありません。ただ被告だけが根拠のない、自分の考えに固執し、原告の行動に対して執拗に干渉してきたわけです。
 
2.書類の書き方については、原告は財団の従来の書き方に従って書きましたが、もちろん業務課の人に事前に見てもらって助言を受けたり、添削を受けたりして、それに基づいて清書したものを、まず学芸関係の職員の供覧に付してきました。
 ところが被告はその書類を自分のところでストップし、原告を呼びつけて書き直しを強制しました。
 再び平成18年10月7日の明治大学図書館に送る「職員派遣願」の場合を例に挙げるならば、この日被告は、休みの日だったにもかかわらず、午後4時半頃に突然文学館に現れ、原告を
「教えてあげるから、ちょっとおいで」と自分の席に呼びつけ、5時半ころまで原告を拘束して書き直しを強制しました。
 そのやり方は、例えば
「開催要領をつけなければならない」「展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」と言って、書類原案の下部になぐり書きしながら、原告に「観覧料は分かる?」と質問し、原告が「はい、分かっています」と答えたところ、じゃあ、それは要らないな」と、原告の目の前でそれを抹消してしまう。そういう書き直しのやり方でした(原告3月5日付「準備書面」21~22pおよび甲10号証の1参照)。
 被告が原告に、観覧料等のことを書かせようとした意図は、明治大学図書館にその情報を伝えることにあったはずです。ところが被告は、原告が自分の担当する展覧会の観覧料を知っていることを確かめるや、その情報を
「じゃあ、それは要らないな」と消してしまう。全く筋の通らないやり方です。要するに被告は、初めから、ただ単に文書の書き直しを口実に原告を足止めして嫌がらせをする、そのために、休日の夕方にわざわざ文学館に顔を出したのだしか考えられません。
 原告は、3月5日付「準備書面」(20~22p)の中で、この時の被告と原告のそれぞれの発言にはかぎ括弧をつけ、直接話法の形で、詳しく記述しておきました。その記述内容について、田口裁判長が被告に
「この中の、教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方をしたというのは抜いて結構ですので、事実として、このような内容の発言をし、かぎ括弧のところだけでいいんですけど、まず、原告が言ったことと被告が言ったこと、これは間違いありませんか」と尋問したところ、被告は「そのとおりだと思います」と証言しました(被告調書32p)。かぎ括弧をつけて直接話法的に示した発言――被告自身が「そのとおりだ」と認めた発言――それだけを取り出してみても、この時の被告の言葉がいかに理不尽なものであったかが明らかです。

3.予算の執行について言えば、展覧会の予算は年度当初から決まっており、その枠から大きく外れなければ、誰も予算の執行について干渉するようなことは言いません。原告が主担当の「二組のデュオ展」についても、財団の職員、駐在の道職員のいずれも、被告以外は誰も介入するようなことは言いませんでした。
 ところが被告は、平成18年5月12日、閲覧室勤務についていた原告を、電話で「今年担当の展覧会について打合せしたい」と連絡してきました。しかし被告の用件は展覧会に関する打合せではなく、一方的な形で、展覧会事業の予算配分の変更を告げるものでした。その時の通告の内容は原告の3月5日付「準備書面」(9~10p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(20~24p)・原告「陳述書」(20~21p)に詳述しましたので、ここでは繰り返しませんが、被告の
「指定管理者制度の下では、予算は4年間の間に使い回ししてよいことになっていたが、やはり単年度計算でなくてはならないということに一昨日(5月10日)に決まった(3月5日付「準備書面」9p)という言葉は、明らかに根拠のないことに基づく発言ですので、その点は指摘しておきたいと思います(Ⅱ章第4項「A.〈出張の手続き〉について」①の注※7「予算配分システムについて(59p)参照)。
 被告が
「一昨日に決まった」という〈一昨日〉は5月10日になるわけですが、この日被告は、原告の早退予定について、何時間年休を取るつもりなのかと問いただしてみたり、何で休むのか聞いておかなければならないなどと執拗に繰り返し、退勤間際だった原告を30分近くも足止めしました(3月5日付「準備書面」6~7p)。そのため、原告は5月10日のことを鮮明に記憶していますが、5月10日に会議が開かれた事実はありません。
 
4.ケータイ・フォトコンテスト関係の問題については、平成18年10月28日、被告は、閲覧室勤務についていた原告を、〈5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まっていた〉と責め立てました。
 しかし、原告の3月5日付「準備書面」の平成18年5月2日の項(3~5p)を見れば分かるように、原告が文学碑の写真を撮りに行くことが決められた事実はありません。被告は「準備書面(2)」(9p)で証拠のないことを言い立て、自分の主張を正当化しようと試みていましたが、ついに最後まで
「原告が文学碑の写真を撮りに行くことに決まった」ということを証明できませんでした。原告は、被告の「準備書面(2)」における虚偽や独断について、「準備書面(Ⅱ)―1」(36~38p)で詳細に指摘しておきましたが、被告からの再反論はありませんでした。
 また、被告がこの時、理事長や館長の名前を出して原告を非難したことについても、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」の中で、
もし、被告の『文学碑データベースの充実はできるだけ早期に解決を要する懸案事項であり、神谷忠孝理事長や毛利館長にも原告による業務着手を報告してあった』という主張が事実であったならば、原告が神谷理事長や毛利館長に事情説明をするのを阻む理由はないはずである(中略)だが被告は慌てて、原告が理事長や館長に会うこと阻んだ。ということはすなわち、被告の『どうするの。理事長も館長も、あんたがやると思ってるよ』という言葉が虚言であり、実際には理事長や館長には何も伝えていなかったからにほかならない(38p)と指摘しておきました。被告はこの点について何の反論もしませんでした。

5.業務の妨害という点について言えば、以上のような事例が全て被告の原告に対する業務の妨害と言えるでしょう。
 その中でとりわけ甚だしい業務妨害が、平成19年1月31日(水)に被告が行った、「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(平成19年2月3日~2月8日)という展示です。被告は事前の連絡なしにこの展示を実施し、特別展示室の入り口を塞いでしまい、特別展示室内の照明を使えないように配電盤を設定し、その上に被告の名前を書いた付箋を貼ってしましました。
 被告は「準備書面(2)」の中で、
同展(イーゴリ展)は、『イーゴリ・ジユギリョフ展実行委員会』が、文学館の指定管理者である財団の使用許可を得て文学館の施設の一部を借りて実施したものであって、文学館の企画展ではないのである(11p)と、不思議な言い訳をしていますが、〈文学館の企画展〉ではないからといって、駐在の道職員である被告が特別展示室の入り口を塞ぎ、配電盤の設定を変えてしまってもいいという理由にはなりません。また、被告は「準備書面(2)」で、財団は、(中略)協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している(11p)と弁明していますが、これは明らかに虚偽の証言であって、財団が協議した事実も、職員に周知した事実もありません。このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(45p)で指摘しておきました。
   さらに、被告の妨害意図が明白なのは、
『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、『二組のデュオ展』の会場設営のためには7日間の期間があり(11p)として、この7日間のあいだには休館日があり、しかも、原告が週に4日勤務の嘱託職員である事実を故意に無視したことです。
   すでに原告の「準備書面(Ⅱ)―1」の46pで詳細に記しておきましたが、原告の出勤日は週4日間であった上に、「イーゴリ展」撤収から「二組のデュオ展」オープンまでの間には建国記念日や振替休日も重なり、もし原告が通常の勤務日を守ったならば、2月10日(土)・14日(水)・16日(金)の3日間しか準備にかかることができませんでした。被告は日程的に、原告をそこまで追い詰めたわけです。

 少し長くなりましたが、被告の原告に対するハラスメントは以上のようなパターンをもち、手を変え品を変えて原告に根拠のない言いがかりをつけて、仕事の意欲を削ぎ、業務の妨害を繰り返してきました。その最大の業務妨害が、財団の違法な職員採用方針に荷担して、原告から継続雇用の機会を奪ったことである事なのは、言うまでもありません。
 
 その意味でハラスメントの手口は多様だったわけですが、しかし今、被告のその根拠のない言い分を脇に取り除けて、被告が言うところを整理してみれば、ある意味で非常に単純な動機が見えてきます。それは要するに、「自分を立てろ」「何をやるにしてもまず自分にお伺いしろ」「自分は業務課の仕事にまで介入しているのだ」「自分が学芸班すべての動きを知らないのはおかしい」「理事長や館長と仕事の話をするのは自分のほうだ。原告にはその資格がない」「自分が学芸班を管理しているのだ。その決まりを守らないなら、この組織ではやっていけないぞ」と、被告自身を特別扱いするように、原告に要求し続けることでした。そういうやり方で自分を特権的な存在として遇することを強制し、相手を自分の意のままに支配しようとする。言うまでもなく、これは明らかにストーカー的な行為です。
 それだけでなく、被告は自分を特別扱いさせる要求を通すために、他の職員の見ている前で、見せしめ的に原告の名誉を傷つけ、社会的な評価を貶めることさえ行ってきました。
 例えば、朝の打合せ会における原告の発言が、もし被告の考える朝の打合せ会の性質に反していると考えたならば、被告はその会が終わる前に、そのことを指摘すべきだったでしょう。そうすれば、他の職員からも朝の打合せ会の性質に関する意見が出され、話し合いの結果、打合せ会の在り方について職員間の合意が形成されたはずです。
 ところが被告は決してそういうやり方を取らず、朝の打合せ会が終わった後、――特に打合せ会が終わった直後をねらって――原告を詰問したり、怒鳴りつけたりしました。他の職員が「これは被告と原告との間の問題だから口を挟みにくい」と遠慮をして、仕事をしながら聞き耳を立てている。そういう場面を被告は選んで、原告に対して「こんなことも知らないのか」と咎め立てをして、見せしめ的な晒し者に仕立てようとしました。あるいは、原告の退勤時間が過ぎたにもかかわらず足止めをし、くどくどと説教がましいことを述べ立てたり、書類の書き直しをさせたりして、あたかも原告の心構えや知識に欠陥があるから〈居残り〉をさせられているかのような印象を他の職員に与えて、原告に関する評価を貶めようとしていました。
 被告はこのようなやり方で、自分を特別扱いするよう、原告に対して、執拗に要求し続けました。そして、原告が被告の狙い通りの反応をしないと、急に怒りをあらわに見せつけるのです。毎回毎回繰り返される、その粘っこい執拗さに、原告は言いようのない不快感を覚え、全身の震えを抑えることが出来ないほどでした。

 以上のようにストーカー的な行為を繰り返し行いながら、見せしめ的意図が明らかなパワーハラスメントを、被告は原告に加えてきた。これが被告の原告に対して行った人格権侵害の本質です。

Ⅵ章 最終的な主張
1.原告は「準備書面」において、15項目にわたり、原告が被告から蒙った「被害の事実」を述べ、被告の行為が法律に違反する所以を指摘しました。それに対して、被告の「準備書面(2)」が提出されましたが、被告は、証拠に基づいて原告が主張する「被害の事実」を覆すことができず、違法性の指摘に関しても何ら反論をすることができませんでした。
 10月31日の法廷においても、証人席に着いた被告は、原告が挙げた15項目の「被害の事実」のうちの数項目を任意に取り上げ、どういうつもりでその行為を行ったかについて言い訳をするのみでした。他方、被告は、原告が「準備書面」で再現した被告の発言については、基本的には原告の記述のとおりであることを認めざるをえませんでした。
 よって、原告が「訴状」と3月5日付「準備書面」で述べた「被害の事実」と、被告の行為の違法性に関する指摘は、依然として有効であると主張いたします。

2.原告は被告に「謝罪文」の手交を請求し、「準備書面」の「第2、謝罪文を請求する理由」でその理由を述べておきました。それに対して被告は、「準備書面(2)」において、「原告が文学館の職を失ったのは、雇用期間の満了によるものであり、被告の言動とは全く無関係である」と主張するのみで、原告が「第2、謝罪文を請求する理由」で述べた「1、名誉毀損の事実」に関しては、何一つ反論することができませんでした。
 また、被告の言動と原告が文学館の職を失った事実との関連については、原告は「準備書面」の「(13)平成18年12月6日(水曜日)」の項で具体的に述べておきましたが、被告はその具体的な関連には全く言及せず、それ故、関連があった事実を否定することができませんでした。
 よって原告が被告に「謝罪文」を請求する根拠は失われておらず、「謝罪文」の請求は依然として有効であると主張いたします。

3.原告は、被告が提出した「準備書面(2)」、及び「準備書面(2)」の証拠物として提出された乙1号証(被告の「陳述書」)と乙12号証(平原一良副館長の「陳述書」)について、これらを裁判の過程で行われたセカンド・ハラスメントと判断し、「訴え変更の申立書」によって「請求の趣旨の変更」を行いました。セカンド・ハラスメントと判断した理由は、乙1号証乙12号証はいずれも20数ヶ所に及ぶ虚偽の陳述を行い、かつ原告の人格、能力、業務態度を誹謗中傷する表現に満ちていること、また、「準備書面(2)」においても原告の人格や、原告の文学館業務に関する知識を貶める記述を行っていたことによります。
 それに対して被告は、10月31日の法廷において、
乙1号証に関してはただ1点だけ訂正を行い、それ以外の事柄については、乙1号証の「陳述書」に書いたとおりであると証言しました。すなわち被告は、10月31日の法廷において、訂正した1点を除き、乙1号証に被告が書き込んだ原告に対する誹謗中傷の言辞については、すべて、訂正する意志もなければ取り消す意志もないことを表明いたしました。被告が乙1号証で原告を誹謗中傷した事実をみずから肯定し、現在もなおその意志を抱いていることは、この証言によって明らかです。
 のみならず、被告は、原告が虚偽であると指摘した20数ヶ所について、――ただ1点を訂正したのみで――反証となるべき証拠を提出しなかっただけでなく、反論さえも行いませんでした。被告が、原告から虚偽であると指摘された事柄について何の反論もせずに、自分が述べた通りだったと主張することは、〈虚偽〉を〈事実〉と言い張る偽証罪に当たります。
 よって、原告の「訴え変更の申立」は依然として有効であると主張致します。

 裁判長におかれましては、以上の3点につき、厳正なる法的判断を下されるようお願い申し上げます。

 なお、被告は、10月31日公判の証人席において、数々の偽証を行っていました。それは、原告が本「最終準備書面」のⅠ章からⅢ章にわたって明らかにした通りです。また、被告代理人の太田三夫弁護士は、虚言を弄して被告を偽証に誘い、原告から失言を引き出そうとしました。
 このことに関する法的な判断は、原告が「訴状」及び「訴え変更の申立書」で申し立てた損害賠償請求に関する法的判断とは別個に行われるものと思われます。裁判長におかれましては、被告の偽証に関して、厳正なる刑罰を課するよう強く希望いたします。また、被告代理人の尋問態度に関しては、厳重な警告が発せられてしかるべきであると考えます。

                                     以上

亀井秀雄注:以上で、亀井志乃の「最終準備書面」の紹介を終わる。最近よく「ぶれる」という言葉を聞くが、亀井志乃の主張は訴えを起こして以来、いや、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントをアピールして以来、全くぶれなかったと思う。
 それに対して被告の言い分は絶えずぶれ続けていたわけだが、「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)に至って、初めてパワー・ハラスメントの概念に言及してきた。今回はそれを紹介、検討して、私のコメントを終わりたいと思う。

○被告の「パワハラ」定義と無罪の主張
 太田三夫弁護士署名の「準備書面(4)」は次のようなパワー・ハラスメントの定義によって、被告・寺嶋弘道の無罪を主張していた。
《引用》

5、被告の原告に対する言動が、原告に対するパワハラと評価しうるためには、
①その目的が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすることであること
②その要求事項が、原告にとって実現不可能なあるいは極めて困難なものであったり、そもそも原告の義務に属しない事項に関するものであること
③その行われる機会・手段・方法・内容において社会通念上許容される程度を著しく超えていること
④被告の原告に対する言動が、一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度のものであること
が必要であるところ、被告の言動はこのいずれの面から見ても該当することはなく、パワハラと評価されるものでないことは明白である
(2~3p)

 私は拍子抜けがした。結局はこれだけ?! 

○被告のタイム・ラグ作戦
 前にも書いたが、10月31日に本人尋問があり、〈これで結審。あとは判決を待つだけ〉のはずだった。ところが太田弁護士のほうから、「もう一度準備書面を書く機会を与えて欲しい」という意味の希望があり、田口裁判長がどの程度の日にちが欲しいかと訊くと、1ヶ月では足りないと言う。そこで田口裁判長は「では、次回を最終準備書面とし、新しい証拠は出さないで欲しい」と念を押して、締め切りを12月12日に決め、亀井志乃にも同じ機会を与えた。
 ただし、亀井志乃は「訴状」(平成19年12月21日付)、「準備書面」(平成20年3月5日付)、「準備書面(Ⅱ)―1」「同(Ⅱ)―2」「同(Ⅱ)―3」(5月14日付)、「訴え変更の申立書」(7月7日付)、「陳述書」(8月11日)、及び109点の証拠物によって、言うべきことはほぼ言い尽くしている。そんなわけで、「最終準備書面」は10月31日の尋問記録を検討して、被告側の言い分の批判すべき点は批判し、反論すべき点は反論することにした。
 
 その間、太田弁護士のほうは反論の機会を十分に持っていたはずだが、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同(Ⅱ)―2」「同(Ⅱ)―3」に対しては、「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(「事務連絡書」7月4日付)と反論を回避した。「訴え変更の申立書」に対しては、「全て否認ないし争う。」(「準備書面(3)」7月9日付)と答えておきながら、田口裁判長から「証拠や反論を出す予定はありますか」と訊かれて、「いえ、ありません」。そこまで横着をきめこみながら、10月31日の公判では、もう一度準備書面を書きたいと言い出し、締め切りは12月12日、次回の公判は12月19日まで引き延ばした。「またしても引き延ばし作戦か。たぶん出来るだけ判決を年度末まで引きずって行くつもりなんだろうな」。
 私はそう考え、「とにかく今度の準備書面は太田弁護士のほうから言い出したことでもあり、1ヶ月半も時間をもらっている。今度こそは本腰を入れて、正面切って反論してくるだろう」と予想していたところ、たった7枚の「準備書面(4)」(12月16日付)が、17日になって速達で届いた。
 
 亀井志乃は締め切りを守って、12月12日の午後3時頃、「最終準備書面」を2部、札幌地方裁判所に提出した。札幌地方裁判所と太田弁護士の事務所とは、目と鼻の先程度しか離れていない。札幌地方裁判所は亀井志乃が文書を提出すると、太田弁護士の事務所に電話して、文書を取りに来てもらう。12月12日も、いつもの通り、この手順を踏んだとすれば、その日のうちに太田弁護士が亀井志乃の「最終準備書面」を手にしたはずである。
 他方、太田弁護士のほうは、本来ならば12月12日中には「最終準備書面」を提出すべきであったが、締め切り日を守らず、16日に「準備書面(4)」を札幌地方裁判所に提出した。「してみるならば、太田弁護士は亀井志乃の『最終準備書面』を読んでから、自分の『準備書面(4)』を書いた/書き換えた、と考えられるわけだが、太田さん、自分から希望してたっぷり時間をもらい、おまけに4日も遅れて提出するズルをしておきながら、その割にはずいぶん短くて、お粗末な文章だな。いや、亀井志乃の『最終準備書面』を読んだために、こんな文章になってしまったのかもしれないぞ……」。

○被告側の定義と論理の書き直し
 そんなふうに考えながら、先ほど引用した文章を読み直してみると、太田弁護士は亀井志乃が「被害の事実」として挙げた事例に関しては、そのような事実はなかったと反論はしていない。つまり、事実があったこと自体を前提として、しかしそれは「パワハラ」に当たらないと主張する。その主張をおし通すために、例によって〈寺嶋弘道は公務員であり、亀井志乃は民間の一市民である〉事実には一切言及せず、〈一つの組織における上司と部下だった〉という関係を虚構して、がむしゃらにそれを言い立てる。おまけに、先ほど引用した「パワハラ」定義のように、
社会通念上許容される程度」とか、一般人にとっても」とか、裁判用語めかした言葉を織り交ぜて目先を誤魔化しているわけだが、ひょっとしたら札幌法務局のO調査救済係長はこの種のトリックに引っかかって、財団や寺嶋弘道にとっては思う壺、彼らが作文した筋書き通りの結論を出したのかもしれない。そのため亀井志乃や私の質問に対しては、「守秘義務」を理由に返答を逃げるしかなかったのだろう(「北海道文学館のたくらみ(25)」及び「同(52)」参照)。
 だが、それらのトリックを取り外して、きちんとした文章に直すならば、次のようになるはずである。
《亀井による書き直し》

5、被告の原告に対する言動が、原告に対するパワハラと評価しうるためには、
(1)その行為が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすることであること
(2)その要求事項が、被告の権限を超えるものであり、原告の業務の遂行を妨げるものであること
(3)如何なる機会・手段・方法・内容においても行われてはならないこと
(4)被告の原告に対する言動が、原告にとって耐えがたい苦痛を伴っていること
が必要であるところ、被告の言動はこのいずれの面から見てもパワー・ハラスメントと評価されるものであることは明白である。

○姑息な言い抜けを封ずるために
 なぜ、このように書き直さなければならないか。
 まず①について言えば、法的判断で重要なのは、寺嶋弘道の亀井志乃に対する言動が「亀井志乃を困らせたり、不安に陥入れたり、亀井志乃の名誉・信用・自尊心を傷つけたりする行為」であったか否か、ということだからである。
 太田弁護士としては、その主語に「目的」という言葉の保険をかけて、〈いや、被告には「原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりする」目的はなかった。むしろ被告の目的は、「事実上の上司」として原告を指導することにあったのだ〉と言い抜けるつもりだったのだろう。
 
 だが、そのような理屈は自動車事故のようにアクシデントの要素を含む事例にしか通用しない。
 なぜなら、「困らせる」「不安に陥れる(不安がらせる)」などの使役の表現や、「名誉・信用・自尊心を傷つける」のように作為的な他動詞の表現の場合、これらの述語そのものが行為主体の意志や意図を前提としているからである。言葉を換えれば、これらの述語表現自体が、すでに、「相手を~させる」という寺嶋弘道の意図を含意してしまっているからである。
 それ故、被告の①の文章における「目的」は不要、不適切な主語であり、私の(1)のように書き改められなければならない。
 
 また、被告の②について言えば、寺嶋弘道と太田弁護士は一貫して、寺嶋弘道が北海道教育委員会の公務員である事実と直面することを避けてきた。この根本的な事実を回避して、「事実上の上司」だったと言い張り、だが、寺嶋弘道にとって都合が悪くなりそうな事例に関しては、〈亀井志乃は自分の判断で非出勤日を返上しホテルに泊まったのであって寺嶋弘道が命じたわけではない〉などと言い抜けようとした。同じ手口で、〈文学碑データベースの充実は亀井志乃に割り当てられた事務分掌であり、ケータイ・フォトコンテストの立案や、自分で文学碑の写真を撮りにゆくことは決して「実現不可能なあるいは極めて困難なもの」だったわけではない〉という理屈にもって行こうとしたのであろう。
 しかし事態の根本は、寺嶋弘道がどこまで公務員としての職務と分限を弁えていたかにある。被告の②は当然私の(2)のように書き改められるべきである。

○太田弁護士における表現と現実との混同
 そして③について言えば、
社会通念上許容される程度」云々という言い方が、裁判における論告や求刑、または判決でしばしば用いられることは、私も承知している。しかし裁判の慣用句をちらつかせて、法律上の議論めかしているが、こんな理屈が成り立つはずがない。なぜなら、「専ら他人を困らせたり、不安に陥入れたり、他人の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすること」に、「社会通念上許容される程度」などというものはあり得ない。そもそも、そのようなことは決して行われてはならず、許されてはならないことだからである。
 
 ひょっとしたらこれを作文した太田弁護士は、暴力表現と暴力行為との区別を忘れてしまったのではないか。
 暴力行為を描いた小説や映画、劇画は数多く見られるが、あまりにも過激なヴァイオレンス・シーンは好ましくないという市民的良識が働いて禁止または制限の運動が起こる場合がある。また、特に過激ではない場合は、まあ、表現上のことだからと、許容されることもある。だが、現実の暴力行為は社会通念から見て明らかに犯罪なのであり、許容の範囲はあり得ない。もし現実の暴力行為に関して程度問題が起こるとすれば、それはまず始めに犯罪として認識があり、その前提の上で、どの程度ひどい暴力であったかについての検討があり、刑の重さが量られるのである。
 太田弁護士はその区別を失っていたらしい。太田弁護士が言う
「その行われる機会・手段・方法・内容」は、現実に(寺嶋弘道が)専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすること」に関して、寺嶋弘道が選んだ「機会・手段・方法・内容」を指している。文脈上そう判断して差し支えない。ということはすなわち、太田弁護士及び寺嶋弘道被告自身が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたり」した事実を認め、その上で「機会・手段・方法・内容」を論じたことになるわけだが、寺嶋弘道が現実に行ったと認めたこの事実が犯罪なのである。いかなる機会・手段・方法・内容によって行われようとも、決して許されることではないのである。
 当然のことながら、太田弁護士作文の③は、私の(3)のように書き改められなければならない。

○不可解な「一般人」概念
 さて、④について言えば、そもそも
「一般人にとっても」なんて言い方が間違っている。
 まず「一般人にとっても」の「も」について言えば、これは、同類の事柄を列挙・並列する「~も~も」の省略形と見るべきだろう。
(助詞の「も」には、それ以外に、「一言の反論もない」「どこにもある」のように、「ない」や「ある」が全面的であることを強調する働きもある)。
 それ故、太田弁護士の文章は、「亀井志乃にとっても一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度のものであること」の意味になるわけだが、どのようにして亀井志乃が受けた苦痛と、一般人が受ける苦痛とを比較・計量することができるのか。また、なぜ亀井志乃の苦痛が一般人の苦痛と同等、またはそれ以上だったと認められなければ、寺嶋弘道から亀井志乃が受けた苦痛はパワー・ハラスメントにはならないのか。
 
 たぶん太田弁護士のねらいは、裁判長に、「いや、あの程度のことはどの職場でもよくあることで、私は辛抱できないほどの苦痛だとは思いませんね」などと言い出す人間を想定させることだった。そういう人間を「一般人」と思わせる。それがうまく行けば、亀井志乃が特別に被害者意識の強い人間であるかのような印象を喚起することが可能だからである。
 つまり太田弁護士は、先ほどの「社会通念」とこの「一般人」をペアで使用して、この「一般人」の中に、〈現実の暴力行為に関しても「許容範囲」があり得る〉という考え方を仮定する。その考え方を「社会通念」と呼ぶ。その上で、こんな理屈を立てようとしたのであろう。〈このような社会通念を持つ一般人でさえもが耐えがたいと訴えるような「苦痛」であるならば、亀井志乃が受けたと主張する苦痛にも法的な制裁を加えることは可能だが、そこまで至らない「程度」の苦痛であるならば、寺嶋弘道がやったことは社会通念上許容されるべきであり、亀井志乃の訴えは却下されるべきである〉と。
 
 しかし、仮に先ほどのようなことを言い出す人間が存在するとしても、その人間が「一般人」である保証はどこにもない。つまり、
一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度」という基準を客観的に設定するなどということは、とうてい出来ない相談なのである。
 
 平原一良副館長は、寺嶋弘道の亀井志乃に対する言葉の暴力を目撃しながら、何ら手を打つことなく黙過してきた。それだけでなく、自分が怪我で文学館を休んだにもかかわらず、まるでその日(平成18年8月29日)の出来事に立ち会っていたかのごとく、次のような嘘をぬけぬけと書いていた。
火曜日朝のミーティング(館のスタッフが事務連絡やその週の動向を伝え合います)の場で、亀井氏が『明日ニセコに調査のため出張に行ってきます』と切り出し、私を含むスタッフは困惑しました。事前の打ち合わせなどがないままでしたので、その場で亀井氏を叱責することなどはせず、後刻寺嶋氏から、十分に時間的な余裕をみて業務課長らにもあらかじめ相談の上、出張計画を出すようにとのアドバイスがなされました(平原「陳述書」4p)。そういう人間が、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントに関する亀井志乃のアピールに関しては、事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした(同前5p)と証言した。
 彼は事情を知るために、どのような方法で情報を得るべく努力したかについては、全く説明しなかったが、それはともかく、この
「事情を知る女性職員(単数? 複数?)は、太田弁護士が言う「一般人」なのであろうか。いや、それ以前の問題として、そもそも太田弁護士は、このように書いた平原一良副館長や、見て見ぬ振りをしてもらった寺嶋弘道や、そして太田弁護士自身も、「一般人」に数えているのであろうか。

○根拠なき太田弁護士の「一般人」概念
 こうしてみると、問題は「一般人」という概念にかかってくるわけだが、太田三夫弁護士はこの言葉を使った時、「一般人」の対概念として、どんな「人」を想定していたのか。換言すれば、いったい太田さんは、そのような判断基準によって、「一般人」とそれ以外の人とを区別しているのであろうか。
 仮に「一般人」という言い方が可能だとしても、それは極めて曖昧な集合概念としてしかあり得ない。なぜ曖昧な集合概念でしかないか、と言えば、その概念は相対的なものだからである。
 実体的に「一般人」なんて「人」(の集団)が存在するわけではない。
 麻生太郎総理大臣は、その権限の特別な大きさや、その責任の特別な重さからみて、「一般人」の集合に入れるのは不適切でもあり、失礼でもあるだろう。ただ、漫画の読者としてみれば、たとえその読書量がどんなに多くても、一般読者に数えるしかあるまい
(もし麻生太郎さんが漫画の作者を兼業しているとすれば、これは失礼な判断になってしまうわけだが)。太田三夫弁護士は法曹界に名だたる弁護士であり、北海道教育委員会から有識者として遇されるほど社会的地位が高く、この世界で「一般人」扱いにされるのは不本意であろうが、たぶん文学の領域では「一般読者」以上の存在ではない(もし太田さんも文学の創作をしたり評論を書いたりしているのならば、とんだ失礼を申し上げたことになるわけだが)
 
 つまり、「一般人」というのは、社会的な地位や職業集団などの枠組みの組み方によって、その枠組みに繰り込まれる人とそうでない人とが別れ、後者が「一般人」と呼ばれる。決して「一般人」という固定した人たちがいるわけではない。太田弁護士は、この不特定で不安定な「一般人」を前提として、
一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度」という基準を作ったらしいのだが、では太田弁護士、あるいは寺嶋弘道被告に訊いてみよう。「寺嶋弘道の嫌がらせは、どこまでひどい状態になると、『一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度』にまで達するのですか。その基準を明示して下さい」。または、「寺嶋弘道の亀井志乃に対する言動は、『一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度』にまで達していなかった、と主張するのであれば、その判断基準と根拠を教えて下さい」。

 分かるように、太田弁護士署名の文章は内容空疎な駄文でしかなく、なぜそんな屁理屈をもてあそんでお茶を濁そうとしたのか。
 それは寺嶋弘道が、亀井志乃が明治大学図書館に持参する「紹介状」に干渉して、亀井志乃の退勤を足止めし、傲慢な口調で不必要な文書の作成と書き直しを強制した事実に関して、パワー・ハラスメントであるか否かの判断を回避したかったからにほかならない。
 あるいは、亀井志乃が主担当の企画展の準備を妨害して、非勤務日を返上し、夜遅くまで作業を続けざるを得ない状況に追い詰め、その上、〈亀井志乃が手伝い人たちを残して先に帰ったために彼女を非難する声が文学館の中で渦巻いていた〉とか、〈亀井志乃が「道内美術館」の作品を借用する手続きをきちんと踏まなかったため、自分が電話で相手側に釈明をしなければならなかった〉とか、好き放題の嘘を吐いて、亀井志乃の名誉を傷つけた。その事実と向き合うことが出来なかったからにほかならない。
 
 このように、「一般人」を持ち出す理由は全くなく、寺嶋弘道の行為事実に関しては、私の(4)のような視点から論ずればよいのである。

○結論
 以上のような批判を通して、被告側の「準備書面(4)」の文章を、私が説明した方向で書き改める。そうするならば、論理必然的に
「被告の言動はこのいずれの面から見てもパワー・ハラスメントと評価されるものであることは明白である」という結論に達するはずである。】

 
 

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北海道文学館のたくらみ(56)

亀井志乃の「最終準備書面」その9

【今回は、「Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問」のJからNまでを紹介する。今回で各論は終わり、次回の最終回では、総括的な結論を紹介する。2009年2月3日】

J.平原副館長との「信頼」関係について
 被告代理人は、原告への反対尋問の際に、突然
「あなたと平原さんとの関係」に話題を転じ、あなたは、平成18年の10月末ころまでは平原さんのことは信頼されておりましたか原告調書28~29p)と原告に質問してきました。
 原告は、原告および被告の〈証人尋問〉の場でなぜ平原副館長のことが急に話題にのぼるのか分からず
「…信頼、すいません、それは、今回の本件とかかわりがあるんでしょうか」と被告代理人に尋ねましたが、すると被告代理人は「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償額を増やしましたよね」「そういうこともあるから聞いてるの」と、非常に強い調子で切り返してきました(原告調書29p・下線は引用者)。
 その後、裁判長が
「ただ、何をもって信頼というのか、具体的に分からないなら、もうちょっと特定して質問してくださいというふうなことで」ととりなして下さいましたが、すると被告代理人は、今度は急に〈メール〉について尋ねてきました。

被告代理人)じゃ、平成18年の10月末ころまで、平原さんに対して、あなたはいろいろ文学館のお仕事のことだとかで、メールなどで相談をしていたことはありますか。
原告)いえ、それはほとんどありませんが。
被告代理人)メールでいろんなことを相談していたことは、全然ないですか。
原告)相談という意味が分かり兼ねますが、業務の打合せという意味ではございません。
被告代理人)ないですか。
原告)はい。
被告代理人)そういうふうに聞いておきましょう。

原告調書29p)

①被告代理人が、なぜ尋問の場で、ことさら平原副館長と原告との関係を持ち出したのか、またなぜそれに続けて〈メールでの相談〉の話を持ち出したりしたのか、その意図は不明です。ただ、平原副館長は、先に、平原副館長自身の名で署名捺印して提出した「陳述書」の中で、原告が主に作成した『人生を奏でる二組のデュオ』展の図録について〈最終校正に赤ペンを入れ、原告に電話で礼を言われた〉などと、虚偽の陳述を行っており(平原一良「陳述書」6p)、原告はその虚偽についても詳細な反論を加えておきました(原告「準備書面(Ⅱ)-3」32p)。
 もし、被告代理人が平原副館長の虚偽の陳述を〈事実を述べた〉ものと信じ、――あるいは裁判長に信じさせるために――原告からその〈事実〉を裏づける証言を引き出そうとしたのならば、それは無駄な試みです。
②被告代理人は
「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償額を増やしましたよね」と言いましたが、この言葉は不正確であり、かつ、巧妙な論旨のすり替えが隠されています。その点については、原告に対する尋問時間の最後にも述べさせていただきましたが(原告調書34~35p)、改めてここで主張をまとめておきます(原告「訴え変更の申立書」1p「請求原因の追加」の項参照)。
  
・被告は「準備書面(2)」において原告の人格・業務知識を貶める記述を行った。
・また、「準備書面(2)」の主張を裏付ける「証拠物」として提出された
乙1号証(被告「陳述書」)及び乙12号証(平原一良「陳述書」)も、虚偽の陳述に満ちていた。このような書証を証拠物として提出すること自体、偽証的、あるいは証拠捏造的違法行為にほかならない。
・よって、原告は、このような準備書面および証拠を提出してきた被告に対して、虚偽記載に基づく人格権侵害の損害賠償金を追加請求する
   
 要するに、原告は、本裁判の範囲内ではあくまで被告の責任を追及しているのです。一方、この裁判における「
乙12号証」とは何かと言えば、〈平原副館長が平成13年から19年3月までの原告について述べた書証〉であり、また〈平原副館長の名によって平成20年4月8日に成立した書証〉です。
 その書証の内容に虚偽記載が多く、その虚偽を原告が平成20年5月に指摘したからといって、その原告の行為が、“平成18年10月末までの間に原告が平原副館長によせていた信頼”に照らして批難されるべきものであるはずがありません。まして、“平原副館長に様々な業務上のアドバイス等を受けていたのに、その人の陳述書に対して損害賠償額を増やすのは信義に反する”などという筋の話になるはずもありません。
③原告は平成18年9月1日、平原副館長にメールを送っていますが、これは怪我見舞いのメールであって、仕事の相談のメールではありません(
甲44号証)。
 また、原告は、証拠物として
甲82の1~7号証まで平原氏の原告宛メール(すべて原告メールの引用付き)を7通提出していますが、これらはすべて平成13年度(原告が文学館でボランティア作業をしていた時期)のものであり、しかも内容は、〈交通費の内訳についての問い合わせ〉や〈データベース作業の進捗状況〉などの、要するに連絡用メールです。原告が、平原氏にメールで業務上の相談を求め、それに対して平原氏がアドバイスを行ったという例は、記憶やメールの記録に残る限り、1度もありません。

 以上の点により、被告代理人太田弁護士は虚言をもって原告から失言を誘い出そうとしたことは明らかです。

K.A学芸員とS社会教育主事の時間外勤務について
 被告代理人は、原告に対し、「人生を奏でる二組のデュオ展」の展示準備の際の事柄について、次のように尋問してきました。
 

被告代理人)それで、あなたが主担当の「二組のデュオ展」、この企画展に向けてAさんとSさん、この方が2月15日と2月16日に時間外勤務をしていることを知ってますか。
原告)はい、知っています。
被告代理人)これは、どなたが頼んだんですか。
原告)存じません。
被告代理人)あなたが頼んだんではないんですか。
原告)Aさんにつきましては、頼むというのではなく、彼女が副担当でしたから、副担当として残ってくれたものだと思って感謝しています。Sさんのほうについては存じません。

原告調書31~32p)

①被告代理人は乙10号証の1および乙10号証の2の「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」の存在をもって、〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉(被告「陳述書」5p参照)という証言の裏づけと考え、先のような質問をしたものと思われます。しかし、この乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって、そうした証言の裏づけとすることはできません。
乙10号証の1および乙10号証の2の記載者は、その文字の特徴から見て、A学芸員だったと判断できますが、A学芸員は「二組のデュオ展」の副担当であり、自発的に時間外勤務を希望したものと思われます。S社会教育主事もその仲間意識によって――〈仲間意識〉を結局一度たりとも見せなかった被告とは異なり――自発的に時間外勤務を志願してくれたものと思われます。
(ただしS社会教育主事は、15日には、個人的な事情があって、皆より早めに帰りました。原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p参照。)
 その手続きは、書類への記入状況から見て、A学芸員が「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」に必要な事項を記入し、しかる後に駐在道職員の「文学館グループ」のグループリーダである被告の承認印を押してもらう、という流れになっていたと推測されます。単に、書類の記入欄と確認印の欄だけを見れば、被告がA学芸員とS社会教育主事に時間外勤務を命令したように見えますが、決してそうではありません。
 なぜなら、平成19年2月15日の分(
乙10号証の1)には、欄外に、A学芸員の文字で「15日分は、H主査にtelの後、FAXしました」と書いてあるからです。この日は被告が出張で不在だったため、A学芸員は書類に必要な事項を記入して、北海道教育委員会・生涯学習部文化課のH主査にFaxで送ったわけです。この15日の書類の左側「所属の長の印」の欄に、被告の印が押されていないのはそのためです。
 もし、被告の方が時間外勤務を命じたのであるならば、必要な事項は被告が出張の前にあらかじめ書いたはずであり、また、A学芸員がわざわざ道教委の生涯学習部文化課のH主査に書類をFaxで送る必要もなかったはずです。
③この「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」の書式、及び決済手続きから判断して、被告、及びA学芸員とS社会教育主事は、あくまでも等しく道教委の生涯学習部文化課の職員であり、被告が生涯学習部文化課〈文学館グループ〉のグループリーダー以外の何ものでもないことは明らかです。
④14、15、16日の3日間、展示設営作業のために残ってくれた財団職員のO司書、N査、N主任の3人の時間外勤務に関する取扱いは、道の〈文学館グループ〉とは別な書式と手続きによって行われたと思われます。そもそも、「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」の欄外「別記第3号様式(第15条関係)」や、記入欄内の「所属部局課(室) 生涯学習部文化課」の文字を見ても、この書類が道庁の規程に従って書式が決定されたものであり、財団法人北海道文学館の書類の書式とは統一され得ないものであることは明らかです。
⑤被告はおそらく、〈文学館グループ〉職員の作成した
乙10号証の1乙10号証の2は見ていたが、財団職員の時間外勤務に関する書類を見ていなかった。そのため、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」と、あたかも15日・16日には時間外勤務をした職員は2人だけであったかのような虚偽の証言を行ってしまったと判断できます。

 以上の点により、乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉という証言の裏づけとすることは不可能であり、また、被告の「陳述書」における証言が虚偽であったことも明らかです。
  
L.〈展示室の設営〉について
 被告代理人は、A学芸員とS社会教育主事が時間外勤務をした件に続けて、
この2人が2日間にわたって時間外勤務したのはなぜですか」と原告に訊いてきました。原告が「それは、開催に向けての準備が遅れていたからということ、設営のためです」と答えると、被告代理人は、さらに以下のような質問をしました。

被告代理人)なぜ遅れたんですか。
原告)それは、そこの準備期間のところで、実際の会場の設営に関してはイーゴリ展の展示がありましたので、それでできなかったからです。
被告代理人)本当にこのイーゴリ展が開催期間中は、あなたの「二組のデュオ展」の準備は何もできなかったんでしょうか。
原告)はい、できませんでした。
被告代理人)「二組のデュオ展」は、結局、何か支障があって開催ができなかった、あるいは遅れたということはありますか。
原告)開催できなかったとか遅れた。
被告代理人)ということはありますかと聞いている。
原告)いえ、ありません。

原告調書32p)

①イーゴリ展の開催期間中に、特別展示室で会場設営の準備が出来なかった理由については、すでに原告の3月5日付「準備書面」(30p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(45~47p)・「準備書面(Ⅱ)―2」(39~40p)でそれぞれ詳述しておりますが、改めて、以下にそのポイントを列挙いたします。
(1) 展示室の照明の設定が〈ライティングレールのみ点灯〉に変えられてしまっていたこと。展示室の配電盤に、被告の署名入りで「照明はライティングレールのみ点灯に変更しました」と書かれた付箋が貼られていました。その文面は、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意図を表明するものでした。
(2) 仮に展示室の照明設定をもとに戻したとしても、イーゴリ展の写真が掛けられている稼働パネル(移動隔壁)には上下に隙間があり(
甲57号証乙11号証)、設営中の音や光が表側(ロビー側)に漏れてしまいますので、観客のご迷惑になるのは必至です。
(3) 稼働パネルは、天井のレールに沿って順番に引き出さなければ動かせません。イーゴリ展では、奥と側面の壁を稼働パネルで作っているだけではなく、入口近くにわざわざ斜めの壁を立てています(
乙11号証)。要するに、縦方向(進行方向)のパネルも横方向(出口へ行く方向)のパネルも両方使用されてしまったので、どちらの方向へも、他のパネルを順序よく引き出すことが出来なくなってしまったのです。
  「二組のデュオ展」の設計通り(
甲57号証)パネルを設置するには、どうしても、イーゴリ展で使用されているパネルの固定をいったん解かなければなりません。
 (4) 展示品は、まず、展示室入り口から奥へと目の高さに基準の糸を張り、さらに、展示設計を参考にしつつも、実際の壁面で程よい間隔を計りながら設置してゆかねばなりません。入口から7.4mもふさがれてしまえば(
乙11号証)仮に見当をつけながら設置したとしても、あとで二度手間になってしまう恐れが充分にあります。特に、一度壁に打った掛け釘をはずして打ち直したり、パネル類をとめている細かい虫ピンを付け直すには、一度できちんと構成・配分出来た場合に比べると、2倍以上の時間と労力がかかることになります。
②先の①に補足的に付け加えるならば、イーゴリ展の展示スペースの幅と、「二組のデュオ展」で予定していた入口付近の通路の幅とは、まったく異なっていました。イーゴリ展の場合には3.6mでしたが(
乙11号証)、「二組のデュオ展」における同箇所の通路の幅は2.2m(2200㎜)でした(甲57号証)。
 ですから、会場設営者が、仮に、音や光が漏れるのを気にすることなく、イーゴリ展の展示の裏側に展示品の設置をはじめたとしても、結局、イーゴリ展が終われば、すべて壁の位置を移動しなければなりません。稼働パネルをスライドさせながら設置し直せば、全体の位置関係も変わってしまうでしょう。つまり、そのような設置準備の仕方は、想定自体がナンセンスなのです。
③なお、この時の被告代理人の尋問は
「実際の会場の設営」についてなされていましたので、本当にこのイーゴリ展が開催期間中は、あなたの『二組のデュオ展』の準備は何もできなかったんでしょうか」という質問があった時も、原告は〈会場設営〉を念頭に置いて「はい、できませんでした」と答えました。
 ただし、念のために附言すれば、“何もできなかった”のはあくまで展示室の設営の方だけです。原告「準備書面(Ⅱ)―3」の33pで触れておりますように、すでにイーゴリ展の開催前までの段階で、キャプションは刷り上がっており、コーナーサインの文案も出来ていました。ですから、配電盤の付箋に気づいた1月31日から2月8日の間には、原告とA学芸員は、閲覧室で大型プリンタを操作したり、展示室の隣りの展示器具室をフルに利用して、写真パネルやキャプションパネルの作成、コーナーサインの刷り出し等に勤
(いそ)しんでいました。予定では会場設営と同時進行しようと思っていたのですが、結局、予定が変わってしまったため、やむを得ず空いた時間はすべて有効利用しておりました。決して手をつかねていたわけではありません。
④ひとつ疑問に思うのは、被告代理人の
「『二組のデュオ展』は、結局、何か支障があって開催ができなかった、あるいは遅れたということはありますか」という質問です。
 あるいは、被告代理人は、“原告は、被告の妨害だとか何とか言っているが、結局はちゃんと展覧会は支障なく開催されているではないか。要するに、所詮、多少進行が遅れたとしても、大した程度ではないことを大げさに被害めかして言っているだけだ”と言うつもりかもしれません。
 しかしそれは、そもそも公共機関における〈展覧会〉がどういう意味を持つものかも分からず、学芸職員の職業意識も知らない人間の発想です。
 公共の施設において、〈展覧会〉は市民(道民)との最も重大な約束事です。それは、見に来たいと思うお客様が何万人単位だろうと、あるいは数人に過ぎなかろうと、同じ重さを持つものです。○月○日からこれこれの展覧会を開催する、とパンフレットや様々なメディアを通じて公表している以上、それは、必ず開催されなければなりません。だからこそ、たとえどんなに作業の進行が遅れても、設営担当者が徹夜をしようと、泊まり込みをしようと、オープンの時間には何事もなかったかのように清々しい状態の展示室に御客様をお迎えする。それが当たり前のことだ。そのように、私は、A元学芸課長やH前学芸課長から、心構えを教えられてきました。
 ですから私は、もしも、最終的にどうしてもそうしなければならなくなれば、文学館で徹夜するつもりでしたし、他の職員たちも(業務課も含めて)それがわかっていたからこそ、それぞれの職業意識とプライドに基づき、進んで設営に協力してくれたのだと思います。
 そういう〈展覧会〉の重さを一つも理解しようとせず、自分の担当の展覧会は平気で没にし、他人が担当する展覧会まで邪魔をして、原告のみならず、ひいては道立文学館そのものが対外的な面目をつぶす羽目になる事さえ敢えて辞さなかったのは被告です。また、原告のみならず、A学芸員も、他の職員らをも、時間と体力の限界まで追い込んでおきながら、いまだに恬として恥じずに原告への責任転嫁を謀っているのも被告です。被告代理人の質問は、こうした被告の無責任さを隠蔽しようとするための言いつくろいに過ぎません。

M.「寺嶋さんの言っている意味」について(平成18年9月26日)
 被告代理人太田弁護士は、原告に、原告側3月5日付「準備書面」の「(8)平成18年9月26日(火曜日)」(17p)の項を示し、
この9月26日の会話のときには、あなたは、寺嶋さんの言っている意味がよく理解できなかったということですよね」と質問しました。原告は「はい」と答えました(原告調書26p)。それに続いて、以下のようなやり取りがありました。

被告代理人)それで、今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる、そういう寺嶋さん側の言い分を前提にして9月26日の会話を読み返したときに、それでも寺嶋さんが何を言ってるか理解できませんか。
原告)はい。訴訟を…

被告代理人)理解できるかどうかだけでいい。
原告)私の理解を尋ねられましても、理解できないような発言だったというふうにしかお答えできません。

被告代理人)こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの、9月26日。
原告)いいえ、そのようにはおっしゃいませんでした。

被告代理人)そのように理解できませんか。
原告)理解できるも何も、そのような文脈でそのような言葉でおっしゃらなかったからです。
被告代理人)でも、あなたの書いていること、文脈どおりに読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。
原告)ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか。
被告代理人)それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。

原告調書27p)

①この時の被告代理人は、明らかに虚偽を2点、意図的に述べています。
 第1点目は、
今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる」という発言です。被告は平成18年9月26日の出来事について、被告の「準備書面(2)」においては、この日の朝の打合会で原告が『出張予定(亀井)』の標題をもつ文書を配布したこと、及びその打合会の後、川崎業務課長を交えた3人で同文書の内容について協議したことは認めるが、会話の文言やその意図するところは否認する(7p)と書いていましたが、それ以外の「いろんなこと」は言っていません。
 被告は
「会話の文言やその意図するところは否認すると断言した以上、自分の証拠と記憶に基づいて「会話の文言」を再現し、原告が「準備書面」で主張したところを「否認」しなければならかったはずです。しかし被告はそのようなことは全くしませんでした。被告の「陳述書」においても、その時の自分の発言については全く言及していません。
②そもそも被告は、「準備書面(2)」を書いた時点で、原告の「準備書面」の該当箇所を故意に単純化してしまいました。なぜなら、この話し合いの時、原告が被告と川崎業務課長とに手渡したのは「出張予定(亀井)」(
甲32号証の2)と、「展覧会支出予定」(甲32号証の3)という2種類の文書であり、しかも被告が理解しがたい言動をとったのは後者(「展覧会支出予定」甲32号証の3を原告がコピーして渡そうとした時だったのですが、「準備書面(2)」における被告は「出張予定(亀井)」に言及するのみで、「展覧会支出予定」に関しては、その名前さえ出していないからです。
 「出張予定(亀井)」は、1回の出張でいかに効率よく用件を消化することができるかをテーマとして暫定的に組んでみたプランであり、文中で
「以下、ルートはあくまで一例です」とことわっています。原告は決して決定事項として、「出張予定(亀井)」を被告や川崎業務課長に通告したものではありません。また、そうであればこそ、被告は原告の説明に納得し、それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているのか、ちょっとさ、まとめて出して(原告3月5日付「準備書面」17p)と言ったはずです。
 ところが、原告がその要求に応えて、
それでは、今、一応そのことについて作ったものを持っているので、コピーしてお渡ししますね」と言い、「展覧会支出予定」のコピーを取ろうとした途端、被告は「それは、打合せの後でしょう!」「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」「よくないよ、いいんでしょう!」「だから、相手先と打合せしてから言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」と、一体何について、どんなことを求めているのか、訳の分からないことを怒鳴り続けました(同前)。
 それにもかかわらず、被告は、「展覧会支出予定」に関する自分の態度を棚に上げて、「出張予定(亀井)」についてだけ話し合ったかのように、「準備書面(2)」を書いています。その意味で、被告の「準備書面(2)」の記述そのものが虚偽なのですが、その上被告は、「出張予定(亀井)」の性質について、
同文書は道外出張に係る経費積算文書であり(被告「準備書面(2)」7p)と、まったく見当違いなことを言っていました。
③平成20年10月31日の法廷における被告代理人の発言は、被告「準備書面(2)」における上記の作為を承認する形でなされていました。被告代理人の発言における第2点目の虚偽は、この箇所に関係します。
 被告代理人は、当該場面における被告の前後矛盾した、取りとめのない言葉について、
文脈どおりに読めたら、次のように理解できると主張しました。こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの
 しかし、原告が「展覧会支出予定」のコピーを手渡そうとした途端に発せられた、
それは、打合せの後でしょう!」以下の被告の発言は、いかなる意味でも被告代理人のように理解することはできません。なぜなら、「展覧会支出予定」は「二組のデュオ展」にかかるだろう図録など印刷物の経費や、資料借用料、旅費、原稿料などについて、支出概算を出してみたものであり、その〈相手先〉は資料所蔵者や輸送会社・印刷会社・原稿執筆依頼者などになるからです。

 以上の点から見て、被告代理人が虚偽の発言をしたことは明らかです。しかも被告代理人は、明らかに自分が虚偽の発言をしていることを意識していました。なぜなら、被告代理人が主張する文脈的理解に関して、原告が「ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか」と膝を進めて反問したところ、被告代理人はそれに対する説明を避け、急に「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね」と話題を変えてしまったからです。
 しかし被告代理人は、なおも自分の
「理解」に固執し、被告への尋問の際、次のような誘導の方法で、被告の証言を引き出してきました。(ただし、引用はⅡ章第4項「A.〈出張の手続きについて〉」における引用と重複しますので、中間は省略させていただきます。)

被告代理人)それで、9月26日にいろいろと亀井さんとの間でやり取りがあって、亀井さんはあなたの言っていることが全く理解できないとおっしゃっているんですね。それで、こういう発言をあなたしたことがありますか。相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょうと、こういう発言がある。
被告)はい、そのとおり発言したと思います。

(中略)
被告代理人)逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。
被告)はい、そのとおりです。

被告調書11~12p)

④ここでもまた、被告代理人と被告は、平成18年9月26日の話題が「出張予定(亀井)」から「展覧会支出予定」へと移っていた事実を無視してしまいました。そして被告は、被告代理人の虚言に誘われて、はい、そのとおりです」と同意をし、みずから虚偽の証言をする羽目に落ちてしまいました。
⑤被告代理人の
「理解」は、被告の、前後が錯綜し、自家撞着した発言の中から「相手先と打合せしてから言ったら、行かなきゃならないでしょう」という言葉だけを取り出した「理解」でしかなく、とうてい文脈的理解とは言えませんが、仮にこの「理解」が、被告の〈真意〉だったとしても、それは、学芸員が展覧会事業を進める手順に関して、被告が全く無知であった事実を証明することにしかなりません。
 学芸員が進める通常の手順を踏まなかった時、どのような結果が待っているかについては、Ⅱ章第3項の「D.栗田展の中止について」およびⅡ章第4項「A.〈出張の手続き〉について」で述べておきましたので、ここでは繰り返しません。ただ、被告代理人が虚言をもって誘導尋問した結果、被告が学芸員としての知識を欠いていた事実が明らかになり、それと共に、被告が栗田展の開催に失敗した原因も間接的に明らかにしてしまう効果をもたらしたこと、この点は指摘しておきたいと思います。

N.「運営」への「口出し」について
 被告代理人は、原告に対して、急に、原告の書面における「
容喙」(3月5日付「準備書面」18p)という言葉の意味について問いただしたのち、あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは『二組のデュオ展』、これはだれの事業ですか」と質問してきたので、原告は「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」と答えました(原告調書33p)。その後、以下のような応酬が行われました。
 

被告代理人)財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。
原告)その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。
被告代理人)寺嶋さんでもいい、だれでもいいや。
原告)寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。
被告代理人)そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に。

原告調書33p)

①被告代理人の「いわゆる主体である企画展」という言葉は意味が不明です。
②被告代理人は
「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか」との質問を発しましたが、原告は〈財団法人が事業主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しするのは悪い〉という意味のことを、10月31日の法廷で言ったこともなければ、それ以前の文書で書いたこともありません。
 もし被告代理人が、原告の3月5日付「準備書面」18pの「(b)違法性 ロ」の箇所を念頭に置いて先のような質問をしたのだとしたら、それは、被告代理人の読み方が短絡的であり、かつ、原告の真意を意図的に捨象しているものである、という証拠を示しているに過ぎません。
 
 以上の点によって、被告代理人太田弁護士が原告の言葉を捏造し、虚言をもって原告を偽証に誘おうとしたことは明らかです。

亀井秀雄注:亀井志乃は「L.〈展示室の設営〉について」で述べたように、市民に対する道立文学館の責任を果たすために、主担当としての責任感と誇りと意地を賭けて「二組のデュオ展」を実現した。ところが太田三夫弁護士は、もしこれを聞いたのがソクラテスならば、そっぽを向いて苦笑いをするだけだろう、下手くそな詭弁を持ち出して、寺嶋弘道を庇おうとした。それは、〈「二組のデュオ展」は開催できたのだから、妨害はなかったはずだ〉という理屈である。どこやらの教育委員会が「イジメはなかったと認識しております」と言い抜けようとする時によく使う屁理屈であるが、今回はその点を中心に、1,2点、補足をしておきたい。

○まだ止まない、太田弁護士の姑息なすり替え
 太田弁護士は「準備書面(4)」で、次のように主張した。
《引用》

9,被告が原告が主担当の「人生を奏でる二組のデュオ」展(以下「デュオ展」という)を妨害したこと
(1) 原告の主張は、主張自体失当である。
  原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を立案して実行することなどできない旨認めている(原告調書31頁)。
  被告がデュオ展の開催を妨害した事実もない。
(2)、又、そもそもイーゴリ展が開催されたことにより「人生を奏でる二組のデュオ」展の開催に影響が出た事実もない(原告調書31頁)。
(3)被告には、原告が何故この様な主張をするのか全く理解できない
(7p)

 だが亀井志乃は、「二組のデュオ展」の開催を寺嶋弘道に妨害されたとは一言も書いていないし、言ったこともない。「二組のデュオ展」のオープニングに際して、寺嶋弘道があらぬ行動を起こして、開催を妨げたなんてことはなかったからである。
 そうではなくて、亀井志乃が「二組のデュオ展」の展示の準備に入ろうとした直前、寺嶋弘道が何のことわりもなしに「イーゴリ展」を割り込ませて、特別展示室の入口を塞ぎ、配電盤の設定を変えてしまったため、「二組のデュオ展」の準備が大幅に遅れた。亀井志乃はその事実を指して「業務妨害」と呼んだのである。
 
 太田弁護士は「準備の妨害」を、「開催の妨害」という言い方にすり替えることによって、「妨害」の事実はなかったと言い抜けようとしたわけだが、無事に開催できたからと言って、開催の漕ぎ着けるまでの過程で妨害の事実がなかったことにならないのである。
 
○まだまだ続く、太田弁護士のすり替え
 太田弁護士は例によって、自分の論拠となるべき文章を引用することなく、おおざっぱに
「原告調書31頁」と指示しているだけなので、念のために該当箇所を引用してみよう。
《引用》

太田弁護士:19年の2月3日からのイーゴリ展、これを企画して開催したのは、あなたが主担当のデュオ。
亀井志乃:「人生を奏でる二組のデュオ展」。
太田弁護士:これを妨害するために、寺嶋さんが企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど、そういうふうにお考えでしょうか。
亀井志乃:それは非常に短絡的な読み方だと思いますが、私は担当の展覧会の準備期間中に目掛けて企画されたものだということは確かだと思っています。
太田弁護士:それは、今のお話からすると、あなたの企画展を目掛けてというお話をしたけど、そういう意図を感じる何か具体的な根拠はありますか。
亀井志乃:はい。準備書面のほうにも書きましたが、それが実際に展示されるまで何の連絡も、私にだけではなくて、全体への周知が何もなされてなかったからです。
太田弁護士:そして、それは、寺嶋さんが意図してやったことだ、そういうふうにあなたは考えていたわけですか。
亀井志乃:実行したのは寺嶋、被告だったということは、それは法務局のほうの調査でもそうだというふうに、実行したのは確かにその寺嶋主幹だというふうに聞いております。
太田弁護士:寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。
亀井志乃:それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。
太田弁護士:本来ないでしょうね。
亀井志乃:…。

原告調書32~33p)

 太田弁護士はここでも二重に姑息なすり替えをやっている。
 その一つは、太田弁護士の
「これ(「二組のデュオ展」)を妨害するために、寺嶋さんが(「イーゴリ展」を)企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど、」という質問の仕方に関することであるが、亀井志乃はそう読めるような書き方をしたことはない。当然のことながら、亀井志乃は「それは非常に短絡的な読み方だと思いますが、」と異議を申し立てたのだが、太田弁護士はそれを無視して、「寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。」と話題をすり替えてしまったのである。

 もう一つは、この「寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。」という質問に関することで、亀井志乃は「それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。」と答えた。もちろん寺嶋弘道が、文学館の中で、勝手に、企画を立てたり実行したりすることはできない。そんな権限はないからである。亀井志乃がその意味で「そのようなことは本来ないと思いますけれども。」と答えたことは、話の流れに照らして明らかだろう。ただし、寺嶋弘道に権限がないからと言って、決してそれは、寺嶋弘道が「イーゴリ展」を実行し、特別展示室の入口を塞いでしまった事実を否定する材料にはならない。このことも弁えておく必要があるだろう。
 ところが、太田弁護士は「準備書面(4)」において、
原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を立案して実行することなどできない旨認めている(原告調書31頁)、それ故、被告がデュオ展の開催を妨害した事実もない。」と、あたかも寺嶋弘道の行為事実がなかったかのように、理屈を進めていた。
 
 この手口の本質を明らかにするために、いま話題が、〈寺嶋弘道が栗田展を中止してしまった事実〉に及んだ場合を、考えてみよう。その場合も当然次のような応答が成立する。
太田弁護士:寺嶋さんは、勝手に企画を中止することができるんですか、文学館の中で。
亀井志乃:それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。
太田弁護士:本来ないでしょうね。
 そこで、太田弁護士がすかさず、「原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を中止することなどできない旨認めている」、それ故、「被告が栗田展を中止した事実もない。」と結論を引き出してくる。このように捉え直してみるならば、太田弁護士の尋問と「準備書面(4)」における手口のうさん臭さは、誰の目にも明らかだろう。
 
 太田弁護士は以上の如く、10月31日の法廷において事実のすり替えをやり、「準備書面(4)」においてはそれを利用して、更に事実のすり替えをやったのである。
 その際太田弁護士が用いた理屈は、「二組のデュオ展」の担当者が無事に開催に漕ぎ着けるまで、どれほど無理に無理を重ねたか、その努力のプロセスを全く無視する論法だった。まあ、太田さんが弁護を引き受けたのは、自分が担当の「栗田展」をあっさりと中止してしまうような依頼人だったわけだから、こういううさん臭い屁理屈でもこねるしか方法がなかったのかもしれない。

○準備妨害の実態
 では、太田弁護士が
「これを妨害するために、寺嶋さんが企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど」という、その書類の中で、実際に亀井志乃はどのようなことを主張していたのであろうか。
 次は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」の該当箇所である。
《引用》

(2)同第2段、第3段
 被告は、
特別展示室の入り口付近で『ロシア人のみた日本~シナリオ作家イーゴリのまなざし』が開催されたことは事実として認めるが、」と言うが、不正確である。乙11号証の図にある如く、「イーゴリ展」の実行者は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いでしまったのである(45p)

 亀井志乃が引用した、特別展示室の入り口付近で云々の文章から分かるように、太田弁護士は「準備書面(2)」の時点では、「イーゴリ展」の写真が展示されたのは「特別展示室の入り口付近」だったのだ、と事実を誤魔化そうとした。だが、自分が提出した乙11号証の図そのものによって、亀井志乃から、「『イーゴリ展』の実行者は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いだ」事実を証明されてしまった。どうやらグウの音も出なくなったらしく、太田弁護士からの反論はなかった。
 
 そこで、太田弁護士は、「イーゴリ展」は寺嶋弘道の企画ではなく、「イーゴリ展」実行委員会から財団に持ち込まれた企画なのだ、という主張に切り替えることにしたのだろう。だが、その点に関しても、既に亀井志乃によって次のように批判されてしまっていた。
《引用》
3)同第4段、第5段
 被告は、自分が特別展示室の配電盤に付箋を貼ったことを認めた上で、
ただし、この付箋は毎朝、展示室の照明を起動する機械設備警備係への周知のメモであり、また、この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能なものであった。」と言うが、この説明は不正確であるばかりでなく、虚偽も含まれている。第1に文学館の警備員の中に「機械設備警備係」なる肩書きの人物は存在しない。第2に、照明を起動する」の意味が不明である。第3に、被告が配電盤に貼った「照明はライティングレールの点灯のみに設定しました 寺嶋」という付箋のメモは、決して被告が主張するが如く、この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能だ」という意味を伝えるメモとは言えない。むしろその反対である。展示室の照明点灯は配電盤ではなく、その真向かいの壁面にある複数個のスイッチによって行う。被告はそのスイッチによる照明の点灯や消灯が出来ないように配電盤の設定を変えてしまったのである。それ故被告の付箋メモは、ライティングレールの点灯以外は控えて下さい」という意味を伝えていると言うべきであろう。被告はこのようなメモによって、他の人が展示室の照明を使うのを牽制し、手が出せないようにしてしまったのである。
 「イーゴリ展」が実行された経緯については、本訴訟に直接関係することではなく、原告の関知するところではない。ただ、被告の手によって実行されたことは明らかな事実であり、原告にとって重要な意味を持つ
(45p。下線は引用者)
 
 つまり、「イーゴリ展」を企画したのは寺嶋弘道学芸主幹ではなかったかもしれないが、少なくともそれを実施したのは寺嶋弘道だった。展示したイーゴリの写真はわずかに28点しかなく、特に壁面を大きく占めるような大作は1点もない。ロビーの壁を使うだけで十分に間に合ったはずだが、寺嶋弘道は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いでしまった。それだけでなく、配電盤の設定を変えて特別展示室内の照明が使えないようにしてしまった。これは明らかに「二組のデュオ展」の設営準備に対する妨害行為であるが、彼は自分の名前か書いた付箋を配電盤に貼ることによって、自分が妨害行為の実行者である事実を告げていたのである。
 
 寺嶋弘道は平成18年10月7日、自分が休みだったにもかかわらず、亀井志乃の退勤時間の直前に文学館にやってきて、亀井志乃を足止めし、無礼な言葉を吐きかけたり、声を荒げたりして、不必要な文書の書き直しを強いた。これは「つきまとい」に類する行動だと思うが、イーゴリ展の実施を口実として特別展示室の入口を塞いだ上に、自分の名前を書いた付箋を配電盤に貼る形で、自分の存在とその意志を顕示する。これも10月7日の行動の、形を変えたあらわれ、と見ることができるだろう。
 
○追い詰められた太田弁護士
 亀井志乃は先のようなことを指摘した上で、更に寺嶋弘道が他の職員の了解を得ておく手順を踏まなかったこと、及び彼の妨害行為の結果、「二組のデュオ展」の担当者がどのような状況に追い込まれてしまったかについて、次のように指摘した。
《引用》
 
また、被告は、財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」と言うが、極めて疑わしい。平成18年12月中には内定していたのであれば、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定」(甲21号証)に記載されたはずであるが、記載されていない。予定表はその月の職員の動きや館内の使用状況を皆に周知してもらうためのものであり、貸館だからといって表に加えないなどということはあり得ないのである(甲54号証・甲55号証参照)。しかも被告は、2月6日(火)の朝の打合せ会で、イーゴリ展をやることになりました……もう、やっております」と、職員に事後承諾を求めている。この事実は、原告の「準備書面」で指摘しておいた。被告が2月6日(火)に職員の事後承諾を求めたという事実は、被告自らが、前年の12月中旬から一度も職員に周知をはかったことがない事実を認めたことにほかならない。
 
 
また、被告は「『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、『二組のデュオ展』の会場設営のためには7日間の期間があり、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行い、会場設営には通常長くても5日間程度しか要しないことから、決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。」と言うが、全く実情に合わない。被告によれば、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行う」ことになっているが、これは文学館の展示業務を知っている者の言葉とは思えない。ただ、強いて被告の側に立って考えてみれば、被告が平成18年度に着任して担当した企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」の場合、作品はすでに綿引幸造氏のアトリエでフレームに入った状態にまで出来上がっていた。彼が担当したもう一つの企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」も、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示するか等については予め決まっていた。要するに被告はすでに出来上がった作品を搬入し、展示室に配列しただけであって、それならば5日程度の作業で間に合っただろう。(被告は更にもう一つ、企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(甲55号証参照)を担当することになっており、これも写真を借りてくるだけの作業だったが、被告が中止してしまった)。
 
 しかし、「二組のデュオ展」のようにさまざまなところから展示資料や作品を借り、オリジナルな構想に従って配置を決め、説明のパネルを用意する展示の場合は、準備は文学館内で行い、2週間近い準備期間を予定する。被告が言うような
「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」などということはあり得ないのである。また、仮に原告が2月10日(土)から設営作業に入ったとしても、実際に作業ができるのは、僅かに2月10日(土)、14日(水)、16日(金)の3日間だけであった。なぜなら、嘱託職員の原告の勤務日は週に火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の4日間だけであり、2月11日(日)は非勤務日、12日(月)は建国記念日で原告は休日、13日(火)は12日の振替休日による休館、15日(木)は非勤務日だったからである(甲56号証参照。なお、17日は「二組のデュオ展」のオープニング)。被告は「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」と非常識なことを主張しているが、仮にこの非常識な言い分を前提にしてさえも、原告に与えられた日数は5日間より2日少ない、3日間でしかなかった。この一事をもってしてだけでも、被告の原告の展示業務に対する妨害意図は明らかであろう(45~46p。太字は引用者)

 これに続く箇所は、亀井志乃の「L.〈展示室の設営〉について」と重複するので省略するが、以上の引用からも、いかに太田弁護士の読み方が「短絡的」だったかが分かるだろう。
 
 太田弁護士は、以上のような亀井志乃の指摘と批判に関しても、
本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(「事務連絡書」平成20年7月4日付)と、反論を回避してしまった。
 そして太田弁護士は反論を回避したまま、10月31日の法廷では亀井志乃から失言を引き出そうとしたわけだが、
それは非常に短絡的な読み方だと思います」と切り返されて、先ほど指摘したような姑息な手口を使う羽目に追い込まれてしまったのである。

○「過労死や自殺は本人の責任」という論法
 なお、寺嶋弘道の業務妨害の結果、亀井志乃は展示準備のため、非出勤日を返上して出勤し、その上、連日夜遅くまで作業を続け、2月14日と15日は札幌のホテルに止まらざるを得なかった。当然亀井志乃はこれらのことを「被害の事実」に挙げたわけだが、太田弁護士は「準備書面(2)」の中で、次のように反論してきた。
《引用》
 
原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、その時点はもちろん、これまでも一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実もない(12p)

 つまり太田弁護士は、〈亀井志乃は自分の判断で非出勤日にまで出てきて、残業しただけであって、そんなことはこちらの責任じゃない〉と逆ねじをくらわせた。「二組のデュオ展」の担当者がどれほど自己犠牲的に頑張ったかについては、一片の想像力もなく、とにかくこんなふうに開き直って、突き放してしまえば、相手は黙り込んでしまうはずだ。そんなふうに、ナメ切っていたのだろう。だが、亀井志乃によって次のように反駁されて、またしても「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません
《引用》
 
要するに被告は、労働基準法に違反する勤務を原告に強いる状況を作っておきながら、原告が自分の判断で非出勤日を返上し、午後10時近くまで作業を行い、ホテルに泊まったのであるから、被告に責任はないと開き直ったのである。これは、一人の労働者を過酷な勤務条件の中に追い詰めながら、その労働者が自殺しても、あれは自分から死んだので、こちらに責任はないと言い張るのと同じ論法である。この被告の主張は、被告が犯した労働基準法違反や人権侵害を平然と肯定した発言として銘記されるべきであろう(「準備書面(Ⅱ)―1」48p。太字は引用者)
 
 太田弁護士はこの反駁に対して、一言の反論もできなかったのである。
 このことを頭に置いて、「○まだ止まない、太田弁護士の姑息なすり替え」で引用した、太田弁護士の文章を読み直してみてもらいたい。いかに情けない詭弁か、よく分かるだろう。】
 
 

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