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北海道文学館のたくらみ(57)

亀井志乃の「最終準備書面」最終回

【今回は、「Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について」から「Ⅵ章 最終的な主張」までを紹介する。なお、判決は2月27日(金)、午後1時10分に下る。2009年2月6日】

Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について

 10月31日の公判において、田口裁判長は、平成18年4月7日に被告が原告に取った態度について、被告に対し、そうであれば、原告に対して、(道立近代美術館のK学芸員から)聞いた話だと、何か調査内容がよく分っていなかったみたいだから、だから、この点についてこういうふうにしたほうがいいよとか、そういう言い方をすればよかったんじゃないですか」と質問をし、被告は「……………ええ、そのとおりだと思います」と肯定しました。田口裁判長は続けて、被告に対して、ただ話をだらだらしたって(道立近代美術館には)相手になってくれる人間はいないよって言ったって、(原告には)抽象的で全然分からないですよね」と質問をし、被告はうなずいていました(被告調書26~27p)。
 現代のコミュニケーション理論で言えば、田口裁判長の質問は被告における「接触(contact)」の欠如を指摘したものと言えるでしょう。
 
   コミュニケーションにおける「接触(contact)」の重要性を指摘したのは、20世紀後半の人文科学に大きな影響を与えた言語学者ロマーン・ヤーコブソン(Roman Jakobson)でした。蛇足かもしれませんが、念のために紹介しますと、彼はコミュニケーションの基本的な構造を、「言語学と詩学」(”Linguistics and Poetics” 1960)という論文の中で、次のように図表化しました。

           コンテクスト(context or referent)

                メッセージ(message)
発信者(addresser)…………………………受信者(addressee)
                接触(contact) 

              コード(code)   ※メタ言語(metalanguage)

 「発信者(addresser)」、「受信者(addressee) 」、「メッセージ(message)」については特に説明する必要はないと思いますが、ヤーコブソンは「コンテクスト(context or referent)」を「話題とその経緯」というほどの意味で使っています
 例えば平成18年5月2 日、被告がケータイ・フォトコンテストの話を言い出した時、原告はその話題を理解しました。被告がその企画を思いついた経緯も理解していました(原告「準備書面(Ⅱ)―1」12p)。ところが、原告が
「私はそういうことが出来る立場では……」と言い出した途端、被告は原告の発言を遮って、そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と詰問をはじめ、コンテクストをねじ曲げてしまいました。更に話し合いの途中で「私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている」と、自分の持ち出したコンテクストに対する責任を放棄してしまいました(原告「準備書面(Ⅱ)―1」13p)。これでは話し合いは成り立ちません。お互いが「コンテクスト(context or referent)」を理解し、それを維持しようとする心がけなしには、コミュニケーションの基盤が失われてしまうからです。
 
 それに対して「コード(code)」は「各単語の意味と使い方」と言えるでしょう。原告は〈打合せ〉という言葉について、〈前もって相談する〉という意味のコードを持っていました。ところが、被告は同年9月13日、
打合せ会は、すでに決まったことを報告するところだ(3月5日付「準備書面」15p)と主張しました。つまり両者のコードが食い違っていたわけで、コードを共有しなければ話が混乱するだけです。そこで原告は被告に、朝の打合せ会はそういう性格のものと決まったのですか」と質問したわけですが、これは被告のコードを確かめるメタ言語行為と言えます。「メタ言語(metalanguage)」とは、互いの言うところを理解し合うために、相手のコードを確かめたり、自分のコードを説明したりする言語のことです。
 ヤーコブソンはこのメタ言語に重要な位置を与えました。なぜなら、会話の流れの中で、「それ、どういう意味で言っているのですか?」と聞き返された時、丁寧に自分の使う意味を説明して理解を求めるか、その反対に、「なんだ、そんなことも分からないのか」と馬鹿にした調子で、面倒臭そうに説明するかによって、コミュニケーションの成功・不成功に大きな影響を与えるからです。
 この視点で9月13日の場面を整理してみますと、被告は
「そうなんだ」と言うのみで、いつ、どういう手続きで決まったのか説明しませんでした。つまりメタ言語行為を打ち切ってしまったことになります。原告がその後、朝の打合せ会の司会役のS社会教育主事に聞いたところ、どんなことを言っていいとかいけないとか、何も決まりや申し合わせはありません」という返事でした。原告はこのことを3月5日付「準備書面」16pで書いておきましたが、しかし被告はその指摘を全く無視し、被告の「準備書面(2)」の中では、依然として被告のコードに固執していました。その意味で被告は、メタ言語行為によってコードを調整し、共有しようという姿勢が極めて乏しい人物だと言わざるをえません。
 
 以上のように、メタ言語は単にコードの意味を説明するだけでなく、会話の心理的・感情的な関係の上でも重要な役割を果たします。そしてヤーコブソンは、会話の心理的・感情的な関係を「接触(contact)」と呼びました。
 ただし、彼が言う接触は、メタ言語的な会話だけにかぎりません。話し手の言葉づかいやイントネーション、ジェスチャー、表情など、聞き手の感情に働きかけて、会話を良好な関係で維持したいという心遣いを表出して、話し手と聞き手の心理的な連結を作り出し、維持しようとする側面、それがヤーコブソンの言う「接触(contact)」です。その意味で彼はこの機能を、〈心情的emotiveまたは”表現的expressive”機能〉とも呼び、話の内容に対する話し手の態度の直接的表現と見なしました。
 ですから、もし話し手がそのような接触を良好な状態を維持しようと心がけず、怒鳴ったり、皮肉な口調でものを言ったり、相手の発言を中断したり、わざと会話の流れをねじ曲げたり、不自然なほど「間」を長く取ったりすれば、コンタクトは破壊され、双方向的な対話はできなくなってしまう。これは単なる話の食い違いではなく、双方向的なコミュニケーションの破壊という暴力的行為と見るべきであって、それが繰り返し意図的に行われるならば、誤解があったというレベルで済ませられる問題ではなくなるわけです。
 最近よく問題となる、言葉の上でのドメスティック・バイオレンスやパワーハラスメント等をとらえてみるならば、これらのことは、単に“会話があったか、なかったか”とか“どんな単語を言ったか、言わなかったか”を云々するだけでは、とうてい問題の核心には踏み込めません。お互いが適切な形で心理的な接触
(コンタクト)を試み、そして、会話のあいだ、それをいい形で維持しようと心がけるのでなければ、会話はただ一方から他方に押しつけられるだけのものになるか、あるいは、破綻してしまいます。
 
 コミュニケーションにおける「接触(contact)」の要素は、過去の言語学では「非言語的要素」と見なされ、研究の対象から外されていました。ヤーコブソンの功績の一つは、この「非言語的要素」を言語学の中に取り入れ、重要な位置を与えたことにあります。
 
 それでは、被告のコミュニケーション態度はどうであったか。端的に言って、原告との会話における被告の態度は、〈コンテクストの破壊〉と〈コードの共有の拒否〉、そして〈接触(コンタクト)蔑視〉に終始しておりました。
 その一つの典型例が、10月7日の、明治大学図書館行きの際の書類に関わる事例といえます。その時の状況については、原告の3月5日付「準備書面」(20~22p)と「最終準備書面」Ⅱ章第3項「B.明治大学図書館への出張と〈職員派遣願〉について」で詳述しておきましたので重複は避けたいと思います。しかし、改めて、一点を確認するならば、あの時大学図書館が原告に求めていたのは、あくまで、本人確認のための〈紹介状〉でした。ところが被告は、図書館側の求める条件をよく理解しようとせず、ただ、〈原告がよその施設にゆく〉、だから〈そのためには形式上こちらが派遣してやらねばならぬ〉と自分の思い込みを短絡させ、“それがわからない原告に、わからせてやろう”という態度に出ました。
 しかしこの場合、原告が図書館側の言う文脈
(コンテクスト)を改めて伝えなおした際に、被告には、“ああ、そうだったのか”と自分の勘違いを認めるか、あるいは一旦考え直した上で代案を示すなど、穏やかにとり得る態度はいくらでもあったはずです。
 ところが被告は、
送るんだよ!これは公文書なんだから。先に相手側に送っておくんだよ!10月20日に派遣するという書類を、当日持って行ったってしょうがないだろう!」甲9号証)と原告を怒鳴りつけました。そして、あくまで原告に、「派遣依頼書」の作成を強要しました。
 被告のこのような態度から、被告のどのような本質が見えてくるか。いま仮に被告が怒鳴った言葉から、根拠や裏付けのない主張を差し引いてみますと、要するに、“俺がこの書類を書けといっているんだから、書け”というメッセージと、“お前を他の施設に派遣してやれるのは、この文学館であり、自分なのだ”という主張しか残りません。いずれも、原告の状況を理解した上で、出張がうまくゆくようにアドバイスしようなどという姿勢はまったく見えない、被告の一方的な主張に過ぎません。これは、〈対話〉などというものではありません。

 そもそも語気を荒げたり怒鳴りだしたりというのは、互いの合意に達することが出来るように心理的接触を保ち続けることができず、それを自分から壊してしまう行為だと言えるでしょう。常識的に考えて、これは会話をするにあたって極めて非礼な行為であり、ただ、ひとまず条件つきで認められることがあるとすれば、それに先立って、相手側の方に非礼な、もしくは、責められるべき言動があった、という場合に限ります。そうでなければ、被告の方が、人とコミュニケーションを取る上で、しょっちゅう心理的な接触に失敗しているか、あるいは、自分からすすんで接触を破壊してしまっているか、どちらかだということになります。
 多分、だからこそ、被告は「準備書面(2)」と自分の「陳述書」とで、口をきわめて原告の非常識を責めたて、常軌を逸した人間に仕立てようとしたのでしょう。ただし、被告にとっては残念なことに、原告が常軌を逸した人間であるということについては、原告の反論を受けて以降、証明することが出来ないでいることです。ここを先途と相手を責め立て、貶めながら、〈それは違うでしょう、こういう証拠があるでしょう〉と真っ向から反論されたとたんにやりとりを打ち切ってしまう。これもまた、非常に一方的で、相手の尊厳を認めない、自己中心的かつ利己的な反応と言えると思います。

 なお、原告は、平成20年10月31日の法廷において、被告とのやりとりで経験したのと同様なコミュニケーション障害を経験しました。それは被告の代理人・太田弁護士の尋問態度についてです。
 太田弁護士は、原告が太田弁護士の質問に対して出来るだけ正確な返答をしようと、自分の記憶を探るためにほんのちょっと逡巡したり、あるいは前後の事情を補足しようとすると、高飛車に原告の言葉を遮って、弁護士の言うところを認めるか否かの二者択一の返答を要求しました。
 また、例えば平成18年9月26日における被告の言葉について、太田弁護士は自分の理解を原告に押しつけようとし、原告が
「ああ、どういうことでしょうか。お教えいただけますか」と、太田弁護士の理解の根拠について訊ねたところ、その言葉を無視して、いきなり「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね原告調書27pおよび「最終準備書面」Ⅲ章「M.『寺嶋さんの言っている意味』について」参照)とコンテクストを転換してしまうなど、一方的に会話の流れや応答関係を支配しようとしました。これは被告が原告に対してとった態度と同じです。
 他にも、
その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか」という原告が質問した時には、寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」と問いをはぐらかすような言い方をし、また、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか」という原告の反問に対しては、そんな議論するつもりはないんだわ」と突き放すなど、きちんとした対応を拒否していました(原告調書33pおよび「最終準備書面」Ⅲ章「N.『運営』への『口出し』について」参照)。それは、平成18年10月28日の被告の態度を彷彿とさせるあしらい方でした。
 
 矢継ぎ早に質問を繰り出して、相手に考える暇も与えずに「はい」か「いいえ」の二者択一的な返事を要求し、相手の混乱を誘って言葉の矛盾点をせせり出す。太田弁護士はそういう尋問テクニックを駆使するつもりだったのかもしれませんが、10月31日の原告に対する態度は、現在では、刑事事件の容疑者に対する尋問でも許されないような人権無視の態度であり、しかもコミュニケーション破壊の行為だったと言わざるを得ません。

Ⅴ章 被告の「つきまとい」の実態と人格権侵害の本質について
 被告の原告に対するハラスメントは、大きく5つのパターンに分けることができます。
1.朝の打ち合わせ会の性格について
2.書類の書き方について
3.予算の執行について
4.ケータイ・フォトコンテストについて
5.業務の妨害について

 このうち5はやや性格が異なりますが、他の4つのパターンについては、被告が主張することは全く根拠がありません。
 
1.朝の打ち合わせ会について言えば、この打ち合わせ会は被告が言うように単に「すでに決まったことを報告する会」ではありません。もしそうならば、報告会とか伝達会とか言うべきでしょう。「打ち合わせ」とは、「前もって相談する」という意味です。
 そして事実、道立文学館における朝の打ち合わせ会は、原告の3月5日付「準備書面」(16p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(27~28p)・原告「陳述書」(19~20p)等で証明しておいたように、これからの行動予定を紹介したり、了解を得たりすることが可能であり、またそうすることが必要な相談会だったのです。原告がそのようにすることに関して、財団の職員も駐在の道職員も、誰も異議を唱えたことはありません。ただ被告だけが根拠のない、自分の考えに固執し、原告の行動に対して執拗に干渉してきたわけです。
 
2.書類の書き方については、原告は財団の従来の書き方に従って書きましたが、もちろん業務課の人に事前に見てもらって助言を受けたり、添削を受けたりして、それに基づいて清書したものを、まず学芸関係の職員の供覧に付してきました。
 ところが被告はその書類を自分のところでストップし、原告を呼びつけて書き直しを強制しました。
 再び平成18年10月7日の明治大学図書館に送る「職員派遣願」の場合を例に挙げるならば、この日被告は、休みの日だったにもかかわらず、午後4時半頃に突然文学館に現れ、原告を
「教えてあげるから、ちょっとおいで」と自分の席に呼びつけ、5時半ころまで原告を拘束して書き直しを強制しました。
 そのやり方は、例えば
「開催要領をつけなければならない」「展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」と言って、書類原案の下部になぐり書きしながら、原告に「観覧料は分かる?」と質問し、原告が「はい、分かっています」と答えたところ、じゃあ、それは要らないな」と、原告の目の前でそれを抹消してしまう。そういう書き直しのやり方でした(原告3月5日付「準備書面」21~22pおよび甲10号証の1参照)。
 被告が原告に、観覧料等のことを書かせようとした意図は、明治大学図書館にその情報を伝えることにあったはずです。ところが被告は、原告が自分の担当する展覧会の観覧料を知っていることを確かめるや、その情報を
「じゃあ、それは要らないな」と消してしまう。全く筋の通らないやり方です。要するに被告は、初めから、ただ単に文書の書き直しを口実に原告を足止めして嫌がらせをする、そのために、休日の夕方にわざわざ文学館に顔を出したのだしか考えられません。
 原告は、3月5日付「準備書面」(20~22p)の中で、この時の被告と原告のそれぞれの発言にはかぎ括弧をつけ、直接話法の形で、詳しく記述しておきました。その記述内容について、田口裁判長が被告に
「この中の、教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方をしたというのは抜いて結構ですので、事実として、このような内容の発言をし、かぎ括弧のところだけでいいんですけど、まず、原告が言ったことと被告が言ったこと、これは間違いありませんか」と尋問したところ、被告は「そのとおりだと思います」と証言しました(被告調書32p)。かぎ括弧をつけて直接話法的に示した発言――被告自身が「そのとおりだ」と認めた発言――それだけを取り出してみても、この時の被告の言葉がいかに理不尽なものであったかが明らかです。

3.予算の執行について言えば、展覧会の予算は年度当初から決まっており、その枠から大きく外れなければ、誰も予算の執行について干渉するようなことは言いません。原告が主担当の「二組のデュオ展」についても、財団の職員、駐在の道職員のいずれも、被告以外は誰も介入するようなことは言いませんでした。
 ところが被告は、平成18年5月12日、閲覧室勤務についていた原告を、電話で「今年担当の展覧会について打合せしたい」と連絡してきました。しかし被告の用件は展覧会に関する打合せではなく、一方的な形で、展覧会事業の予算配分の変更を告げるものでした。その時の通告の内容は原告の3月5日付「準備書面」(9~10p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(20~24p)・原告「陳述書」(20~21p)に詳述しましたので、ここでは繰り返しませんが、被告の
「指定管理者制度の下では、予算は4年間の間に使い回ししてよいことになっていたが、やはり単年度計算でなくてはならないということに一昨日(5月10日)に決まった(3月5日付「準備書面」9p)という言葉は、明らかに根拠のないことに基づく発言ですので、その点は指摘しておきたいと思います(Ⅱ章第4項「A.〈出張の手続き〉について」①の注※7「予算配分システムについて(59p)参照)。
 被告が
「一昨日に決まった」という〈一昨日〉は5月10日になるわけですが、この日被告は、原告の早退予定について、何時間年休を取るつもりなのかと問いただしてみたり、何で休むのか聞いておかなければならないなどと執拗に繰り返し、退勤間際だった原告を30分近くも足止めしました(3月5日付「準備書面」6~7p)。そのため、原告は5月10日のことを鮮明に記憶していますが、5月10日に会議が開かれた事実はありません。
 
4.ケータイ・フォトコンテスト関係の問題については、平成18年10月28日、被告は、閲覧室勤務についていた原告を、〈5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まっていた〉と責め立てました。
 しかし、原告の3月5日付「準備書面」の平成18年5月2日の項(3~5p)を見れば分かるように、原告が文学碑の写真を撮りに行くことが決められた事実はありません。被告は「準備書面(2)」(9p)で証拠のないことを言い立て、自分の主張を正当化しようと試みていましたが、ついに最後まで
「原告が文学碑の写真を撮りに行くことに決まった」ということを証明できませんでした。原告は、被告の「準備書面(2)」における虚偽や独断について、「準備書面(Ⅱ)―1」(36~38p)で詳細に指摘しておきましたが、被告からの再反論はありませんでした。
 また、被告がこの時、理事長や館長の名前を出して原告を非難したことについても、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」の中で、
もし、被告の『文学碑データベースの充実はできるだけ早期に解決を要する懸案事項であり、神谷忠孝理事長や毛利館長にも原告による業務着手を報告してあった』という主張が事実であったならば、原告が神谷理事長や毛利館長に事情説明をするのを阻む理由はないはずである(中略)だが被告は慌てて、原告が理事長や館長に会うこと阻んだ。ということはすなわち、被告の『どうするの。理事長も館長も、あんたがやると思ってるよ』という言葉が虚言であり、実際には理事長や館長には何も伝えていなかったからにほかならない(38p)と指摘しておきました。被告はこの点について何の反論もしませんでした。

5.業務の妨害という点について言えば、以上のような事例が全て被告の原告に対する業務の妨害と言えるでしょう。
 その中でとりわけ甚だしい業務妨害が、平成19年1月31日(水)に被告が行った、「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(平成19年2月3日~2月8日)という展示です。被告は事前の連絡なしにこの展示を実施し、特別展示室の入り口を塞いでしまい、特別展示室内の照明を使えないように配電盤を設定し、その上に被告の名前を書いた付箋を貼ってしましました。
 被告は「準備書面(2)」の中で、
同展(イーゴリ展)は、『イーゴリ・ジユギリョフ展実行委員会』が、文学館の指定管理者である財団の使用許可を得て文学館の施設の一部を借りて実施したものであって、文学館の企画展ではないのである(11p)と、不思議な言い訳をしていますが、〈文学館の企画展〉ではないからといって、駐在の道職員である被告が特別展示室の入り口を塞ぎ、配電盤の設定を変えてしまってもいいという理由にはなりません。また、被告は「準備書面(2)」で、財団は、(中略)協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している(11p)と弁明していますが、これは明らかに虚偽の証言であって、財団が協議した事実も、職員に周知した事実もありません。このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(45p)で指摘しておきました。
   さらに、被告の妨害意図が明白なのは、
『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、『二組のデュオ展』の会場設営のためには7日間の期間があり(11p)として、この7日間のあいだには休館日があり、しかも、原告が週に4日勤務の嘱託職員である事実を故意に無視したことです。
   すでに原告の「準備書面(Ⅱ)―1」の46pで詳細に記しておきましたが、原告の出勤日は週4日間であった上に、「イーゴリ展」撤収から「二組のデュオ展」オープンまでの間には建国記念日や振替休日も重なり、もし原告が通常の勤務日を守ったならば、2月10日(土)・14日(水)・16日(金)の3日間しか準備にかかることができませんでした。被告は日程的に、原告をそこまで追い詰めたわけです。

 少し長くなりましたが、被告の原告に対するハラスメントは以上のようなパターンをもち、手を変え品を変えて原告に根拠のない言いがかりをつけて、仕事の意欲を削ぎ、業務の妨害を繰り返してきました。その最大の業務妨害が、財団の違法な職員採用方針に荷担して、原告から継続雇用の機会を奪ったことである事なのは、言うまでもありません。
 
 その意味でハラスメントの手口は多様だったわけですが、しかし今、被告のその根拠のない言い分を脇に取り除けて、被告が言うところを整理してみれば、ある意味で非常に単純な動機が見えてきます。それは要するに、「自分を立てろ」「何をやるにしてもまず自分にお伺いしろ」「自分は業務課の仕事にまで介入しているのだ」「自分が学芸班すべての動きを知らないのはおかしい」「理事長や館長と仕事の話をするのは自分のほうだ。原告にはその資格がない」「自分が学芸班を管理しているのだ。その決まりを守らないなら、この組織ではやっていけないぞ」と、被告自身を特別扱いするように、原告に要求し続けることでした。そういうやり方で自分を特権的な存在として遇することを強制し、相手を自分の意のままに支配しようとする。言うまでもなく、これは明らかにストーカー的な行為です。
 それだけでなく、被告は自分を特別扱いさせる要求を通すために、他の職員の見ている前で、見せしめ的に原告の名誉を傷つけ、社会的な評価を貶めることさえ行ってきました。
 例えば、朝の打合せ会における原告の発言が、もし被告の考える朝の打合せ会の性質に反していると考えたならば、被告はその会が終わる前に、そのことを指摘すべきだったでしょう。そうすれば、他の職員からも朝の打合せ会の性質に関する意見が出され、話し合いの結果、打合せ会の在り方について職員間の合意が形成されたはずです。
 ところが被告は決してそういうやり方を取らず、朝の打合せ会が終わった後、――特に打合せ会が終わった直後をねらって――原告を詰問したり、怒鳴りつけたりしました。他の職員が「これは被告と原告との間の問題だから口を挟みにくい」と遠慮をして、仕事をしながら聞き耳を立てている。そういう場面を被告は選んで、原告に対して「こんなことも知らないのか」と咎め立てをして、見せしめ的な晒し者に仕立てようとしました。あるいは、原告の退勤時間が過ぎたにもかかわらず足止めをし、くどくどと説教がましいことを述べ立てたり、書類の書き直しをさせたりして、あたかも原告の心構えや知識に欠陥があるから〈居残り〉をさせられているかのような印象を他の職員に与えて、原告に関する評価を貶めようとしていました。
 被告はこのようなやり方で、自分を特別扱いするよう、原告に対して、執拗に要求し続けました。そして、原告が被告の狙い通りの反応をしないと、急に怒りをあらわに見せつけるのです。毎回毎回繰り返される、その粘っこい執拗さに、原告は言いようのない不快感を覚え、全身の震えを抑えることが出来ないほどでした。

 以上のようにストーカー的な行為を繰り返し行いながら、見せしめ的意図が明らかなパワーハラスメントを、被告は原告に加えてきた。これが被告の原告に対して行った人格権侵害の本質です。

Ⅵ章 最終的な主張
1.原告は「準備書面」において、15項目にわたり、原告が被告から蒙った「被害の事実」を述べ、被告の行為が法律に違反する所以を指摘しました。それに対して、被告の「準備書面(2)」が提出されましたが、被告は、証拠に基づいて原告が主張する「被害の事実」を覆すことができず、違法性の指摘に関しても何ら反論をすることができませんでした。
 10月31日の法廷においても、証人席に着いた被告は、原告が挙げた15項目の「被害の事実」のうちの数項目を任意に取り上げ、どういうつもりでその行為を行ったかについて言い訳をするのみでした。他方、被告は、原告が「準備書面」で再現した被告の発言については、基本的には原告の記述のとおりであることを認めざるをえませんでした。
 よって、原告が「訴状」と3月5日付「準備書面」で述べた「被害の事実」と、被告の行為の違法性に関する指摘は、依然として有効であると主張いたします。

2.原告は被告に「謝罪文」の手交を請求し、「準備書面」の「第2、謝罪文を請求する理由」でその理由を述べておきました。それに対して被告は、「準備書面(2)」において、「原告が文学館の職を失ったのは、雇用期間の満了によるものであり、被告の言動とは全く無関係である」と主張するのみで、原告が「第2、謝罪文を請求する理由」で述べた「1、名誉毀損の事実」に関しては、何一つ反論することができませんでした。
 また、被告の言動と原告が文学館の職を失った事実との関連については、原告は「準備書面」の「(13)平成18年12月6日(水曜日)」の項で具体的に述べておきましたが、被告はその具体的な関連には全く言及せず、それ故、関連があった事実を否定することができませんでした。
 よって原告が被告に「謝罪文」を請求する根拠は失われておらず、「謝罪文」の請求は依然として有効であると主張いたします。

3.原告は、被告が提出した「準備書面(2)」、及び「準備書面(2)」の証拠物として提出された乙1号証(被告の「陳述書」)と乙12号証(平原一良副館長の「陳述書」)について、これらを裁判の過程で行われたセカンド・ハラスメントと判断し、「訴え変更の申立書」によって「請求の趣旨の変更」を行いました。セカンド・ハラスメントと判断した理由は、乙1号証乙12号証はいずれも20数ヶ所に及ぶ虚偽の陳述を行い、かつ原告の人格、能力、業務態度を誹謗中傷する表現に満ちていること、また、「準備書面(2)」においても原告の人格や、原告の文学館業務に関する知識を貶める記述を行っていたことによります。
 それに対して被告は、10月31日の法廷において、
乙1号証に関してはただ1点だけ訂正を行い、それ以外の事柄については、乙1号証の「陳述書」に書いたとおりであると証言しました。すなわち被告は、10月31日の法廷において、訂正した1点を除き、乙1号証に被告が書き込んだ原告に対する誹謗中傷の言辞については、すべて、訂正する意志もなければ取り消す意志もないことを表明いたしました。被告が乙1号証で原告を誹謗中傷した事実をみずから肯定し、現在もなおその意志を抱いていることは、この証言によって明らかです。
 のみならず、被告は、原告が虚偽であると指摘した20数ヶ所について、――ただ1点を訂正したのみで――反証となるべき証拠を提出しなかっただけでなく、反論さえも行いませんでした。被告が、原告から虚偽であると指摘された事柄について何の反論もせずに、自分が述べた通りだったと主張することは、〈虚偽〉を〈事実〉と言い張る偽証罪に当たります。
 よって、原告の「訴え変更の申立」は依然として有効であると主張致します。

 裁判長におかれましては、以上の3点につき、厳正なる法的判断を下されるようお願い申し上げます。

 なお、被告は、10月31日公判の証人席において、数々の偽証を行っていました。それは、原告が本「最終準備書面」のⅠ章からⅢ章にわたって明らかにした通りです。また、被告代理人の太田三夫弁護士は、虚言を弄して被告を偽証に誘い、原告から失言を引き出そうとしました。
 このことに関する法的な判断は、原告が「訴状」及び「訴え変更の申立書」で申し立てた損害賠償請求に関する法的判断とは別個に行われるものと思われます。裁判長におかれましては、被告の偽証に関して、厳正なる刑罰を課するよう強く希望いたします。また、被告代理人の尋問態度に関しては、厳重な警告が発せられてしかるべきであると考えます。

                                     以上

亀井秀雄注:以上で、亀井志乃の「最終準備書面」の紹介を終わる。最近よく「ぶれる」という言葉を聞くが、亀井志乃の主張は訴えを起こして以来、いや、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントをアピールして以来、全くぶれなかったと思う。
 それに対して被告の言い分は絶えずぶれ続けていたわけだが、「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)に至って、初めてパワー・ハラスメントの概念に言及してきた。今回はそれを紹介、検討して、私のコメントを終わりたいと思う。

○被告の「パワハラ」定義と無罪の主張
 太田三夫弁護士署名の「準備書面(4)」は次のようなパワー・ハラスメントの定義によって、被告・寺嶋弘道の無罪を主張していた。
《引用》

5、被告の原告に対する言動が、原告に対するパワハラと評価しうるためには、
①その目的が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすることであること
②その要求事項が、原告にとって実現不可能なあるいは極めて困難なものであったり、そもそも原告の義務に属しない事項に関するものであること
③その行われる機会・手段・方法・内容において社会通念上許容される程度を著しく超えていること
④被告の原告に対する言動が、一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度のものであること
が必要であるところ、被告の言動はこのいずれの面から見ても該当することはなく、パワハラと評価されるものでないことは明白である
(2~3p)

 私は拍子抜けがした。結局はこれだけ?! 

○被告のタイム・ラグ作戦
 前にも書いたが、10月31日に本人尋問があり、〈これで結審。あとは判決を待つだけ〉のはずだった。ところが太田弁護士のほうから、「もう一度準備書面を書く機会を与えて欲しい」という意味の希望があり、田口裁判長がどの程度の日にちが欲しいかと訊くと、1ヶ月では足りないと言う。そこで田口裁判長は「では、次回を最終準備書面とし、新しい証拠は出さないで欲しい」と念を押して、締め切りを12月12日に決め、亀井志乃にも同じ機会を与えた。
 ただし、亀井志乃は「訴状」(平成19年12月21日付)、「準備書面」(平成20年3月5日付)、「準備書面(Ⅱ)―1」「同(Ⅱ)―2」「同(Ⅱ)―3」(5月14日付)、「訴え変更の申立書」(7月7日付)、「陳述書」(8月11日)、及び109点の証拠物によって、言うべきことはほぼ言い尽くしている。そんなわけで、「最終準備書面」は10月31日の尋問記録を検討して、被告側の言い分の批判すべき点は批判し、反論すべき点は反論することにした。
 
 その間、太田弁護士のほうは反論の機会を十分に持っていたはずだが、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同(Ⅱ)―2」「同(Ⅱ)―3」に対しては、「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(「事務連絡書」7月4日付)と反論を回避した。「訴え変更の申立書」に対しては、「全て否認ないし争う。」(「準備書面(3)」7月9日付)と答えておきながら、田口裁判長から「証拠や反論を出す予定はありますか」と訊かれて、「いえ、ありません」。そこまで横着をきめこみながら、10月31日の公判では、もう一度準備書面を書きたいと言い出し、締め切りは12月12日、次回の公判は12月19日まで引き延ばした。「またしても引き延ばし作戦か。たぶん出来るだけ判決を年度末まで引きずって行くつもりなんだろうな」。
 私はそう考え、「とにかく今度の準備書面は太田弁護士のほうから言い出したことでもあり、1ヶ月半も時間をもらっている。今度こそは本腰を入れて、正面切って反論してくるだろう」と予想していたところ、たった7枚の「準備書面(4)」(12月16日付)が、17日になって速達で届いた。
 
 亀井志乃は締め切りを守って、12月12日の午後3時頃、「最終準備書面」を2部、札幌地方裁判所に提出した。札幌地方裁判所と太田弁護士の事務所とは、目と鼻の先程度しか離れていない。札幌地方裁判所は亀井志乃が文書を提出すると、太田弁護士の事務所に電話して、文書を取りに来てもらう。12月12日も、いつもの通り、この手順を踏んだとすれば、その日のうちに太田弁護士が亀井志乃の「最終準備書面」を手にしたはずである。
 他方、太田弁護士のほうは、本来ならば12月12日中には「最終準備書面」を提出すべきであったが、締め切り日を守らず、16日に「準備書面(4)」を札幌地方裁判所に提出した。「してみるならば、太田弁護士は亀井志乃の『最終準備書面』を読んでから、自分の『準備書面(4)』を書いた/書き換えた、と考えられるわけだが、太田さん、自分から希望してたっぷり時間をもらい、おまけに4日も遅れて提出するズルをしておきながら、その割にはずいぶん短くて、お粗末な文章だな。いや、亀井志乃の『最終準備書面』を読んだために、こんな文章になってしまったのかもしれないぞ……」。

○被告側の定義と論理の書き直し
 そんなふうに考えながら、先ほど引用した文章を読み直してみると、太田弁護士は亀井志乃が「被害の事実」として挙げた事例に関しては、そのような事実はなかったと反論はしていない。つまり、事実があったこと自体を前提として、しかしそれは「パワハラ」に当たらないと主張する。その主張をおし通すために、例によって〈寺嶋弘道は公務員であり、亀井志乃は民間の一市民である〉事実には一切言及せず、〈一つの組織における上司と部下だった〉という関係を虚構して、がむしゃらにそれを言い立てる。おまけに、先ほど引用した「パワハラ」定義のように、
社会通念上許容される程度」とか、一般人にとっても」とか、裁判用語めかした言葉を織り交ぜて目先を誤魔化しているわけだが、ひょっとしたら札幌法務局のO調査救済係長はこの種のトリックに引っかかって、財団や寺嶋弘道にとっては思う壺、彼らが作文した筋書き通りの結論を出したのかもしれない。そのため亀井志乃や私の質問に対しては、「守秘義務」を理由に返答を逃げるしかなかったのだろう(「北海道文学館のたくらみ(25)」及び「同(52)」参照)。
 だが、それらのトリックを取り外して、きちんとした文章に直すならば、次のようになるはずである。
《亀井による書き直し》

5、被告の原告に対する言動が、原告に対するパワハラと評価しうるためには、
(1)その行為が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすることであること
(2)その要求事項が、被告の権限を超えるものであり、原告の業務の遂行を妨げるものであること
(3)如何なる機会・手段・方法・内容においても行われてはならないこと
(4)被告の原告に対する言動が、原告にとって耐えがたい苦痛を伴っていること
が必要であるところ、被告の言動はこのいずれの面から見てもパワー・ハラスメントと評価されるものであることは明白である。

○姑息な言い抜けを封ずるために
 なぜ、このように書き直さなければならないか。
 まず①について言えば、法的判断で重要なのは、寺嶋弘道の亀井志乃に対する言動が「亀井志乃を困らせたり、不安に陥入れたり、亀井志乃の名誉・信用・自尊心を傷つけたりする行為」であったか否か、ということだからである。
 太田弁護士としては、その主語に「目的」という言葉の保険をかけて、〈いや、被告には「原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりする」目的はなかった。むしろ被告の目的は、「事実上の上司」として原告を指導することにあったのだ〉と言い抜けるつもりだったのだろう。
 
 だが、そのような理屈は自動車事故のようにアクシデントの要素を含む事例にしか通用しない。
 なぜなら、「困らせる」「不安に陥れる(不安がらせる)」などの使役の表現や、「名誉・信用・自尊心を傷つける」のように作為的な他動詞の表現の場合、これらの述語そのものが行為主体の意志や意図を前提としているからである。言葉を換えれば、これらの述語表現自体が、すでに、「相手を~させる」という寺嶋弘道の意図を含意してしまっているからである。
 それ故、被告の①の文章における「目的」は不要、不適切な主語であり、私の(1)のように書き改められなければならない。
 
 また、被告の②について言えば、寺嶋弘道と太田弁護士は一貫して、寺嶋弘道が北海道教育委員会の公務員である事実と直面することを避けてきた。この根本的な事実を回避して、「事実上の上司」だったと言い張り、だが、寺嶋弘道にとって都合が悪くなりそうな事例に関しては、〈亀井志乃は自分の判断で非出勤日を返上しホテルに泊まったのであって寺嶋弘道が命じたわけではない〉などと言い抜けようとした。同じ手口で、〈文学碑データベースの充実は亀井志乃に割り当てられた事務分掌であり、ケータイ・フォトコンテストの立案や、自分で文学碑の写真を撮りにゆくことは決して「実現不可能なあるいは極めて困難なもの」だったわけではない〉という理屈にもって行こうとしたのであろう。
 しかし事態の根本は、寺嶋弘道がどこまで公務員としての職務と分限を弁えていたかにある。被告の②は当然私の(2)のように書き改められるべきである。

○太田弁護士における表現と現実との混同
 そして③について言えば、
社会通念上許容される程度」云々という言い方が、裁判における論告や求刑、または判決でしばしば用いられることは、私も承知している。しかし裁判の慣用句をちらつかせて、法律上の議論めかしているが、こんな理屈が成り立つはずがない。なぜなら、「専ら他人を困らせたり、不安に陥入れたり、他人の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすること」に、「社会通念上許容される程度」などというものはあり得ない。そもそも、そのようなことは決して行われてはならず、許されてはならないことだからである。
 
 ひょっとしたらこれを作文した太田弁護士は、暴力表現と暴力行為との区別を忘れてしまったのではないか。
 暴力行為を描いた小説や映画、劇画は数多く見られるが、あまりにも過激なヴァイオレンス・シーンは好ましくないという市民的良識が働いて禁止または制限の運動が起こる場合がある。また、特に過激ではない場合は、まあ、表現上のことだからと、許容されることもある。だが、現実の暴力行為は社会通念から見て明らかに犯罪なのであり、許容の範囲はあり得ない。もし現実の暴力行為に関して程度問題が起こるとすれば、それはまず始めに犯罪として認識があり、その前提の上で、どの程度ひどい暴力であったかについての検討があり、刑の重さが量られるのである。
 太田弁護士はその区別を失っていたらしい。太田弁護士が言う
「その行われる機会・手段・方法・内容」は、現実に(寺嶋弘道が)専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたりすること」に関して、寺嶋弘道が選んだ「機会・手段・方法・内容」を指している。文脈上そう判断して差し支えない。ということはすなわち、太田弁護士及び寺嶋弘道被告自身が、専ら原告を困らせたり、不安に陥入れたり、原告の名誉・信用・自尊心を傷つけたり」した事実を認め、その上で「機会・手段・方法・内容」を論じたことになるわけだが、寺嶋弘道が現実に行ったと認めたこの事実が犯罪なのである。いかなる機会・手段・方法・内容によって行われようとも、決して許されることではないのである。
 当然のことながら、太田弁護士作文の③は、私の(3)のように書き改められなければならない。

○不可解な「一般人」概念
 さて、④について言えば、そもそも
「一般人にとっても」なんて言い方が間違っている。
 まず「一般人にとっても」の「も」について言えば、これは、同類の事柄を列挙・並列する「~も~も」の省略形と見るべきだろう。
(助詞の「も」には、それ以外に、「一言の反論もない」「どこにもある」のように、「ない」や「ある」が全面的であることを強調する働きもある)。
 それ故、太田弁護士の文章は、「亀井志乃にとっても一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度のものであること」の意味になるわけだが、どのようにして亀井志乃が受けた苦痛と、一般人が受ける苦痛とを比較・計量することができるのか。また、なぜ亀井志乃の苦痛が一般人の苦痛と同等、またはそれ以上だったと認められなければ、寺嶋弘道から亀井志乃が受けた苦痛はパワー・ハラスメントにはならないのか。
 
 たぶん太田弁護士のねらいは、裁判長に、「いや、あの程度のことはどの職場でもよくあることで、私は辛抱できないほどの苦痛だとは思いませんね」などと言い出す人間を想定させることだった。そういう人間を「一般人」と思わせる。それがうまく行けば、亀井志乃が特別に被害者意識の強い人間であるかのような印象を喚起することが可能だからである。
 つまり太田弁護士は、先ほどの「社会通念」とこの「一般人」をペアで使用して、この「一般人」の中に、〈現実の暴力行為に関しても「許容範囲」があり得る〉という考え方を仮定する。その考え方を「社会通念」と呼ぶ。その上で、こんな理屈を立てようとしたのであろう。〈このような社会通念を持つ一般人でさえもが耐えがたいと訴えるような「苦痛」であるならば、亀井志乃が受けたと主張する苦痛にも法的な制裁を加えることは可能だが、そこまで至らない「程度」の苦痛であるならば、寺嶋弘道がやったことは社会通念上許容されるべきであり、亀井志乃の訴えは却下されるべきである〉と。
 
 しかし、仮に先ほどのようなことを言い出す人間が存在するとしても、その人間が「一般人」である保証はどこにもない。つまり、
一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度」という基準を客観的に設定するなどということは、とうてい出来ない相談なのである。
 
 平原一良副館長は、寺嶋弘道の亀井志乃に対する言葉の暴力を目撃しながら、何ら手を打つことなく黙過してきた。それだけでなく、自分が怪我で文学館を休んだにもかかわらず、まるでその日(平成18年8月29日)の出来事に立ち会っていたかのごとく、次のような嘘をぬけぬけと書いていた。
火曜日朝のミーティング(館のスタッフが事務連絡やその週の動向を伝え合います)の場で、亀井氏が『明日ニセコに調査のため出張に行ってきます』と切り出し、私を含むスタッフは困惑しました。事前の打ち合わせなどがないままでしたので、その場で亀井氏を叱責することなどはせず、後刻寺嶋氏から、十分に時間的な余裕をみて業務課長らにもあらかじめ相談の上、出張計画を出すようにとのアドバイスがなされました(平原「陳述書」4p)。そういう人間が、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントに関する亀井志乃のアピールに関しては、事情を知る女性職員からも見聞した限りの情報を得るべく努めました。誰もが寺嶋氏に同情的でした(同前5p)と証言した。
 彼は事情を知るために、どのような方法で情報を得るべく努力したかについては、全く説明しなかったが、それはともかく、この
「事情を知る女性職員(単数? 複数?)は、太田弁護士が言う「一般人」なのであろうか。いや、それ以前の問題として、そもそも太田弁護士は、このように書いた平原一良副館長や、見て見ぬ振りをしてもらった寺嶋弘道や、そして太田弁護士自身も、「一般人」に数えているのであろうか。

○根拠なき太田弁護士の「一般人」概念
 こうしてみると、問題は「一般人」という概念にかかってくるわけだが、太田三夫弁護士はこの言葉を使った時、「一般人」の対概念として、どんな「人」を想定していたのか。換言すれば、いったい太田さんは、そのような判断基準によって、「一般人」とそれ以外の人とを区別しているのであろうか。
 仮に「一般人」という言い方が可能だとしても、それは極めて曖昧な集合概念としてしかあり得ない。なぜ曖昧な集合概念でしかないか、と言えば、その概念は相対的なものだからである。
 実体的に「一般人」なんて「人」(の集団)が存在するわけではない。
 麻生太郎総理大臣は、その権限の特別な大きさや、その責任の特別な重さからみて、「一般人」の集合に入れるのは不適切でもあり、失礼でもあるだろう。ただ、漫画の読者としてみれば、たとえその読書量がどんなに多くても、一般読者に数えるしかあるまい
(もし麻生太郎さんが漫画の作者を兼業しているとすれば、これは失礼な判断になってしまうわけだが)。太田三夫弁護士は法曹界に名だたる弁護士であり、北海道教育委員会から有識者として遇されるほど社会的地位が高く、この世界で「一般人」扱いにされるのは不本意であろうが、たぶん文学の領域では「一般読者」以上の存在ではない(もし太田さんも文学の創作をしたり評論を書いたりしているのならば、とんだ失礼を申し上げたことになるわけだが)
 
 つまり、「一般人」というのは、社会的な地位や職業集団などの枠組みの組み方によって、その枠組みに繰り込まれる人とそうでない人とが別れ、後者が「一般人」と呼ばれる。決して「一般人」という固定した人たちがいるわけではない。太田弁護士は、この不特定で不安定な「一般人」を前提として、
一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度」という基準を作ったらしいのだが、では太田弁護士、あるいは寺嶋弘道被告に訊いてみよう。「寺嶋弘道の嫌がらせは、どこまでひどい状態になると、『一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度』にまで達するのですか。その基準を明示して下さい」。または、「寺嶋弘道の亀井志乃に対する言動は、『一般人にとっても耐えがたい苦痛を伴なうと評価される程度』にまで達していなかった、と主張するのであれば、その判断基準と根拠を教えて下さい」。

 分かるように、太田弁護士署名の文章は内容空疎な駄文でしかなく、なぜそんな屁理屈をもてあそんでお茶を濁そうとしたのか。
 それは寺嶋弘道が、亀井志乃が明治大学図書館に持参する「紹介状」に干渉して、亀井志乃の退勤を足止めし、傲慢な口調で不必要な文書の作成と書き直しを強制した事実に関して、パワー・ハラスメントであるか否かの判断を回避したかったからにほかならない。
 あるいは、亀井志乃が主担当の企画展の準備を妨害して、非勤務日を返上し、夜遅くまで作業を続けざるを得ない状況に追い詰め、その上、〈亀井志乃が手伝い人たちを残して先に帰ったために彼女を非難する声が文学館の中で渦巻いていた〉とか、〈亀井志乃が「道内美術館」の作品を借用する手続きをきちんと踏まなかったため、自分が電話で相手側に釈明をしなければならなかった〉とか、好き放題の嘘を吐いて、亀井志乃の名誉を傷つけた。その事実と向き合うことが出来なかったからにほかならない。
 
 このように、「一般人」を持ち出す理由は全くなく、寺嶋弘道の行為事実に関しては、私の(4)のような視点から論ずればよいのである。

○結論
 以上のような批判を通して、被告側の「準備書面(4)」の文章を、私が説明した方向で書き改める。そうするならば、論理必然的に
「被告の言動はこのいずれの面から見てもパワー・ハラスメントと評価されるものであることは明白である」という結論に達するはずである。】

 
 

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