北海道文学館のたくらみ(56)
亀井志乃の「最終準備書面」その9
【今回は、「Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問」のJからNまでを紹介する。今回で各論は終わり、次回の最終回では、総括的な結論を紹介する。2009年2月3日】
J.平原副館長との「信頼」関係について
被告代理人は、原告への反対尋問の際に、突然「あなたと平原さんとの関係」に話題を転じ、「あなたは、平成18年の10月末ころまでは平原さんのことは信頼されておりましたか」(原告調書28~29p)と原告に質問してきました。
原告は、原告および被告の〈証人尋問〉の場でなぜ平原副館長のことが急に話題にのぼるのか分からず、「…信頼、すいません、それは、今回の本件とかかわりがあるんでしょうか」と被告代理人に尋ねましたが、すると被告代理人は「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償額を増やしましたよね」「そういうこともあるから聞いてるの」と、非常に強い調子で切り返してきました(原告調書29p・下線は引用者)。
その後、裁判長が「ただ、何をもって信頼というのか、具体的に分からないなら、もうちょっと特定して質問してくださいというふうなことで」ととりなして下さいましたが、すると被告代理人は、今度は急に〈メール〉について尋ねてきました。
(被告代理人)じゃ、平成18年の10月末ころまで、平原さんに対して、あなたはいろいろ文学館のお仕事のことだとかで、メールなどで相談をしていたことはありますか。
(原告)いえ、それはほとんどありませんが。
(被告代理人)メールでいろんなことを相談していたことは、全然ないですか。
(原告)相談という意味が分かり兼ねますが、業務の打合せという意味ではございません。
(被告代理人)ないですか。
(原告)はい。
(被告代理人)そういうふうに聞いておきましょう。
(原告調書29p)
①被告代理人が、なぜ尋問の場で、ことさら平原副館長と原告との関係を持ち出したのか、またなぜそれに続けて〈メールでの相談〉の話を持ち出したりしたのか、その意図は不明です。ただ、平原副館長は、先に、平原副館長自身の名で署名捺印して提出した「陳述書」の中で、原告が主に作成した『人生を奏でる二組のデュオ』展の図録について〈最終校正に赤ペンを入れ、原告に電話で礼を言われた〉などと、虚偽の陳述を行っており(平原一良「陳述書」6p)、原告はその虚偽についても詳細な反論を加えておきました(原告「準備書面(Ⅱ)-3」32p)。
もし、被告代理人が平原副館長の虚偽の陳述を〈事実を述べた〉ものと信じ、――あるいは裁判長に信じさせるために――原告からその〈事実〉を裏づける証言を引き出そうとしたのならば、それは無駄な試みです。
②被告代理人は「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償額を増やしましたよね」と言いましたが、この言葉は不正確であり、かつ、巧妙な論旨のすり替えが隠されています。その点については、原告に対する尋問時間の最後にも述べさせていただきましたが(原告調書34~35p)、改めてここで主張をまとめておきます(原告「訴え変更の申立書」1p「請求原因の追加」の項参照)。
・被告は「準備書面(2)」において原告の人格・業務知識を貶める記述を行った。
・また、「準備書面(2)」の主張を裏付ける「証拠物」として提出された乙1号証(被告「陳述書」)及び乙12号証(平原一良「陳述書」)も、虚偽の陳述に満ちていた。このような書証を証拠物として提出すること自体、偽証的、あるいは証拠捏造的違法行為にほかならない。
・よって、原告は、このような準備書面および証拠を提出してきた被告に対して、虚偽記載に基づく人格権侵害の損害賠償金を追加請求する。
要するに、原告は、本裁判の範囲内ではあくまで被告の責任を追及しているのです。一方、この裁判における「乙12号証」とは何かと言えば、〈平原副館長が平成13年から19年3月までの原告について述べた書証〉であり、また〈平原副館長の名によって平成20年4月8日に成立した書証〉です。
その書証の内容に虚偽記載が多く、その虚偽を原告が平成20年5月に指摘したからといって、その原告の行為が、“平成18年10月末までの間に原告が平原副館長によせていた信頼”に照らして批難されるべきものであるはずがありません。まして、“平原副館長に様々な業務上のアドバイス等を受けていたのに、その人の陳述書に対して損害賠償額を増やすのは信義に反する”などという筋の話になるはずもありません。
③原告は平成18年9月1日、平原副館長にメールを送っていますが、これは怪我見舞いのメールであって、仕事の相談のメールではありません(甲44号証)。
また、原告は、証拠物として甲82の1~7号証まで平原氏の原告宛メール(すべて原告メールの引用付き)を7通提出していますが、これらはすべて平成13年度(原告が文学館でボランティア作業をしていた時期)のものであり、しかも内容は、〈交通費の内訳についての問い合わせ〉や〈データベース作業の進捗状況〉などの、要するに連絡用メールです。原告が、平原氏にメールで業務上の相談を求め、それに対して平原氏がアドバイスを行ったという例は、記憶やメールの記録に残る限り、1度もありません。
以上の点により、被告代理人太田弁護士は虚言をもって原告から失言を誘い出そうとしたことは明らかです。
K.A学芸員とS社会教育主事の時間外勤務について
被告代理人は、原告に対し、「人生を奏でる二組のデュオ展」の展示準備の際の事柄について、次のように尋問してきました。
(被告代理人)それで、あなたが主担当の「二組のデュオ展」、この企画展に向けてAさんとSさん、この方が2月15日と2月16日に時間外勤務をしていることを知ってますか。
(原告)はい、知っています。
(被告代理人)これは、どなたが頼んだんですか。
(原告)存じません。
(被告代理人)あなたが頼んだんではないんですか。
(原告)Aさんにつきましては、頼むというのではなく、彼女が副担当でしたから、副担当として残ってくれたものだと思って感謝しています。Sさんのほうについては存じません。
(原告調書31~32p)
①被告代理人は乙10号証の1および乙10号証の2の「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」の存在をもって、〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉(被告「陳述書」5p参照)という証言の裏づけと考え、先のような質問をしたものと思われます。しかし、この乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって、そうした証言の裏づけとすることはできません。
②乙10号証の1および乙10号証の2の記載者は、その文字の特徴から見て、A学芸員だったと判断できますが、A学芸員は「二組のデュオ展」の副担当であり、自発的に時間外勤務を希望したものと思われます。S社会教育主事もその仲間意識によって――〈仲間意識〉を結局一度たりとも見せなかった被告とは異なり――自発的に時間外勤務を志願してくれたものと思われます。
(ただしS社会教育主事は、15日には、個人的な事情があって、皆より早めに帰りました。原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p参照。)
その手続きは、書類への記入状況から見て、A学芸員が「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」に必要な事項を記入し、しかる後に駐在道職員の「文学館グループ」のグループリーダである被告の承認印を押してもらう、という流れになっていたと推測されます。単に、書類の記入欄と確認印の欄だけを見れば、被告がA学芸員とS社会教育主事に時間外勤務を命令したように見えますが、決してそうではありません。
なぜなら、平成19年2月15日の分(乙10号証の1)には、欄外に、A学芸員の文字で「15日分は、H主査にtelの後、FAXしました」と書いてあるからです。この日は被告が出張で不在だったため、A学芸員は書類に必要な事項を記入して、北海道教育委員会・生涯学習部文化課のH主査にFaxで送ったわけです。この15日の書類の左側「所属の長の印」の欄に、被告の印が押されていないのはそのためです。
もし、被告の方が時間外勤務を命じたのであるならば、必要な事項は被告が出張の前にあらかじめ書いたはずであり、また、A学芸員がわざわざ道教委の生涯学習部文化課のH主査に書類をFaxで送る必要もなかったはずです。
③この「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」の書式、及び決済手続きから判断して、被告、及びA学芸員とS社会教育主事は、あくまでも等しく道教委の生涯学習部文化課の職員であり、被告が生涯学習部文化課〈文学館グループ〉のグループリーダー以外の何ものでもないことは明らかです。
④14、15、16日の3日間、展示設営作業のために残ってくれた財団職員のO司書、N査、N主任の3人の時間外勤務に関する取扱いは、道の〈文学館グループ〉とは別な書式と手続きによって行われたと思われます。そもそも、「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」の欄外「別記第3号様式(第15条関係)」や、記入欄内の「所属部局課(室) 生涯学習部文化課」の文字を見ても、この書類が道庁の規程に従って書式が決定されたものであり、財団法人北海道文学館の書類の書式とは統一され得ないものであることは明らかです。
⑤被告はおそらく、〈文学館グループ〉職員の作成した乙10号証の1と乙10号証の2は見ていたが、財団職員の時間外勤務に関する書類を見ていなかった。そのため、「2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」と、あたかも15日・16日には時間外勤務をした職員は2人だけであったかのような虚偽の証言を行ってしまったと判断できます。
以上の点により、乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉という証言の裏づけとすることは不可能であり、また、被告の「陳述書」における証言が虚偽であったことも明らかです。
L.〈展示室の設営〉について
被告代理人は、A学芸員とS社会教育主事が時間外勤務をした件に続けて、「この2人が2日間にわたって時間外勤務したのはなぜですか」と原告に訊いてきました。原告が「それは、開催に向けての準備が遅れていたからということ、設営のためです」と答えると、被告代理人は、さらに以下のような質問をしました。
(被告代理人)なぜ遅れたんですか。
(原告)それは、そこの準備期間のところで、実際の会場の設営に関してはイーゴリ展の展示がありましたので、それでできなかったからです。
(被告代理人)本当にこのイーゴリ展が開催期間中は、あなたの「二組のデュオ展」の準備は何もできなかったんでしょうか。
(原告)はい、できませんでした。
(被告代理人)「二組のデュオ展」は、結局、何か支障があって開催ができなかった、あるいは遅れたということはありますか。
(原告)開催できなかったとか遅れた。
(被告代理人)ということはありますかと聞いている。
(原告)いえ、ありません。
(原告調書32p)
①イーゴリ展の開催期間中に、特別展示室で会場設営の準備が出来なかった理由については、すでに原告の3月5日付「準備書面」(30p)・「準備書面(Ⅱ)―1」(45~47p)・「準備書面(Ⅱ)―2」(39~40p)でそれぞれ詳述しておりますが、改めて、以下にそのポイントを列挙いたします。
(1) 展示室の照明の設定が〈ライティングレールのみ点灯〉に変えられてしまっていたこと。展示室の配電盤に、被告の署名入りで「照明はライティングレールのみ点灯に変更しました」と書かれた付箋が貼られていました。その文面は、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意図を表明するものでした。
(2) 仮に展示室の照明設定をもとに戻したとしても、イーゴリ展の写真が掛けられている稼働パネル(移動隔壁)には上下に隙間があり(甲57号証・乙11号証)、設営中の音や光が表側(ロビー側)に漏れてしまいますので、観客のご迷惑になるのは必至です。
(3) 稼働パネルは、天井のレールに沿って順番に引き出さなければ動かせません。イーゴリ展では、奥と側面の壁を稼働パネルで作っているだけではなく、入口近くにわざわざ斜めの壁を立てています(乙11号証)。要するに、縦方向(進行方向)のパネルも横方向(出口へ行く方向)のパネルも両方使用されてしまったので、どちらの方向へも、他のパネルを順序よく引き出すことが出来なくなってしまったのです。
「二組のデュオ展」の設計通り(甲57号証)パネルを設置するには、どうしても、イーゴリ展で使用されているパネルの固定をいったん解かなければなりません。
(4) 展示品は、まず、展示室入り口から奥へと目の高さに基準の糸を張り、さらに、展示設計を参考にしつつも、実際の壁面で程よい間隔を計りながら設置してゆかねばなりません。入口から7.4mもふさがれてしまえば(乙11号証)仮に見当をつけながら設置したとしても、あとで二度手間になってしまう恐れが充分にあります。特に、一度壁に打った掛け釘をはずして打ち直したり、パネル類をとめている細かい虫ピンを付け直すには、一度できちんと構成・配分出来た場合に比べると、2倍以上の時間と労力がかかることになります。
②先の①に補足的に付け加えるならば、イーゴリ展の展示スペースの幅と、「二組のデュオ展」で予定していた入口付近の通路の幅とは、まったく異なっていました。イーゴリ展の場合には3.6mでしたが(乙11号証)、「二組のデュオ展」における同箇所の通路の幅は2.2m(2200㎜)でした(甲57号証)。
ですから、会場設営者が、仮に、音や光が漏れるのを気にすることなく、イーゴリ展の展示の裏側に展示品の設置をはじめたとしても、結局、イーゴリ展が終われば、すべて壁の位置を移動しなければなりません。稼働パネルをスライドさせながら設置し直せば、全体の位置関係も変わってしまうでしょう。つまり、そのような設置準備の仕方は、想定自体がナンセンスなのです。
③なお、この時の被告代理人の尋問は「実際の会場の設営」についてなされていましたので、「本当にこのイーゴリ展が開催期間中は、あなたの『二組のデュオ展』の準備は何もできなかったんでしょうか」という質問があった時も、原告は〈会場設営〉を念頭に置いて「はい、できませんでした」と答えました。
ただし、念のために附言すれば、“何もできなかった”のはあくまで展示室の設営の方だけです。原告「準備書面(Ⅱ)―3」の33pで触れておりますように、すでにイーゴリ展の開催前までの段階で、キャプションは刷り上がっており、コーナーサインの文案も出来ていました。ですから、配電盤の付箋に気づいた1月31日から2月8日の間には、原告とA学芸員は、閲覧室で大型プリンタを操作したり、展示室の隣りの展示器具室をフルに利用して、写真パネルやキャプションパネルの作成、コーナーサインの刷り出し等に勤(いそ)しんでいました。予定では会場設営と同時進行しようと思っていたのですが、結局、予定が変わってしまったため、やむを得ず空いた時間はすべて有効利用しておりました。決して手をつかねていたわけではありません。
④ひとつ疑問に思うのは、被告代理人の「『二組のデュオ展』は、結局、何か支障があって開催ができなかった、あるいは遅れたということはありますか」という質問です。
あるいは、被告代理人は、“原告は、被告の妨害だとか何とか言っているが、結局はちゃんと展覧会は支障なく開催されているではないか。要するに、所詮、多少進行が遅れたとしても、大した程度ではないことを大げさに被害めかして言っているだけだ”と言うつもりかもしれません。
しかしそれは、そもそも公共機関における〈展覧会〉がどういう意味を持つものかも分からず、学芸職員の職業意識も知らない人間の発想です。
公共の施設において、〈展覧会〉は市民(道民)との最も重大な約束事です。それは、見に来たいと思うお客様が何万人単位だろうと、あるいは数人に過ぎなかろうと、同じ重さを持つものです。○月○日からこれこれの展覧会を開催する、とパンフレットや様々なメディアを通じて公表している以上、それは、必ず開催されなければなりません。だからこそ、たとえどんなに作業の進行が遅れても、設営担当者が徹夜をしようと、泊まり込みをしようと、オープンの時間には何事もなかったかのように清々しい状態の展示室に御客様をお迎えする。それが当たり前のことだ。そのように、私は、A元学芸課長やH前学芸課長から、心構えを教えられてきました。
ですから私は、もしも、最終的にどうしてもそうしなければならなくなれば、文学館で徹夜するつもりでしたし、他の職員たちも(業務課も含めて)それがわかっていたからこそ、それぞれの職業意識とプライドに基づき、進んで設営に協力してくれたのだと思います。
そういう〈展覧会〉の重さを一つも理解しようとせず、自分の担当の展覧会は平気で没にし、他人が担当する展覧会まで邪魔をして、原告のみならず、ひいては道立文学館そのものが対外的な面目をつぶす羽目になる事さえ敢えて辞さなかったのは被告です。また、原告のみならず、A学芸員も、他の職員らをも、時間と体力の限界まで追い込んでおきながら、いまだに恬として恥じずに原告への責任転嫁を謀っているのも被告です。被告代理人の質問は、こうした被告の無責任さを隠蔽しようとするための言いつくろいに過ぎません。
M.「寺嶋さんの言っている意味」について(平成18年9月26日)
被告代理人太田弁護士は、原告に、原告側3月5日付「準備書面」の「(8)平成18年9月26日(火曜日)」(17p)の項を示し、「この9月26日の会話のときには、あなたは、寺嶋さんの言っている意味がよく理解できなかったということですよね」と質問しました。原告は「はい」と答えました(原告調書26p)。それに続いて、以下のようなやり取りがありました。
(被告代理人)それで、今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる、そういう寺嶋さん側の言い分を前提にして9月26日の会話を読み返したときに、それでも寺嶋さんが何を言ってるか理解できませんか。
(原告)はい。訴訟を…
(被告代理人)理解できるかどうかだけでいい。
(原告)私の理解を尋ねられましても、理解できないような発言だったというふうにしかお答えできません。
(被告代理人)こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの、9月26日。
(原告)いいえ、そのようにはおっしゃいませんでした。
(被告代理人)そのように理解できませんか。
(原告)理解できるも何も、そのような文脈でそのような言葉でおっしゃらなかったからです。
(被告代理人)でも、あなたの書いていること、文脈どおりに読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。
(原告)ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか。
(被告代理人)それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。
(原告調書27p)
①この時の被告代理人は、明らかに虚偽を2点、意図的に述べています。
第1点目は、「今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる」という発言です。被告は平成18年9月26日の出来事について、被告の「準備書面(2)」においては、「この日の朝の打合会で原告が『出張予定(亀井)』の標題をもつ文書を配布したこと、及びその打合会の後、川崎業務課長を交えた3人で同文書の内容について協議したことは認めるが、会話の文言やその意図するところは否認する」(7p)と書いていましたが、それ以外の「いろんなこと」は言っていません。
被告は「会話の文言やその意図するところは否認する」と断言した以上、自分の証拠と記憶に基づいて「会話の文言」を再現し、原告が「準備書面」で主張したところを「否認」しなければならかったはずです。しかし被告はそのようなことは全くしませんでした。被告の「陳述書」においても、その時の自分の発言については全く言及していません。
②そもそも被告は、「準備書面(2)」を書いた時点で、原告の「準備書面」の該当箇所を故意に単純化してしまいました。なぜなら、この話し合いの時、原告が被告と川崎業務課長とに手渡したのは「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)と、「展覧会支出予定」(甲32号証の3)という2種類の文書であり、しかも被告が理解しがたい言動をとったのは後者(「展覧会支出予定」甲32号証の3)を原告がコピーして渡そうとした時だったのですが、「準備書面(2)」における被告は「出張予定(亀井)」に言及するのみで、「展覧会支出予定」に関しては、その名前さえ出していないからです。
「出張予定(亀井)」は、1回の出張でいかに効率よく用件を消化することができるかをテーマとして暫定的に組んでみたプランであり、文中で「以下、ルートはあくまで一例です」とことわっています。原告は決して決定事項として、「出張予定(亀井)」を被告や川崎業務課長に通告したものではありません。また、そうであればこそ、被告は原告の説明に納得し、「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているのか、ちょっとさ、まとめて出して」(原告3月5日付「準備書面」17p)と言ったはずです。
ところが、原告がその要求に応えて、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを持っているので、コピーしてお渡ししますね」と言い、「展覧会支出予定」のコピーを取ろうとした途端、被告は「それは、打合せの後でしょう!」「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」「よくないよ、いいんでしょう!」「だから、相手先と打合せしてから言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」と、一体何について、どんなことを求めているのか、訳の分からないことを怒鳴り続けました(同前)。
それにもかかわらず、被告は、「展覧会支出予定」に関する自分の態度を棚に上げて、「出張予定(亀井)」についてだけ話し合ったかのように、「準備書面(2)」を書いています。その意味で、被告の「準備書面(2)」の記述そのものが虚偽なのですが、その上被告は、「出張予定(亀井)」の性質について、「同文書は道外出張に係る経費積算文書であり」(被告「準備書面(2)」7p)と、まったく見当違いなことを言っていました。
③平成20年10月31日の法廷における被告代理人の発言は、被告「準備書面(2)」における上記の作為を承認する形でなされていました。被告代理人の発言における第2点目の虚偽は、この箇所に関係します。
被告代理人は、当該場面における被告の前後矛盾した、取りとめのない言葉について、「文脈どおりに読めたら」、次のように理解できると主張しました。「こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの」。
しかし、原告が「展覧会支出予定」のコピーを手渡そうとした途端に発せられた、「それは、打合せの後でしょう!」以下の被告の発言は、いかなる意味でも被告代理人のように理解することはできません。なぜなら、「展覧会支出予定」は「二組のデュオ展」にかかるだろう図録など印刷物の経費や、資料借用料、旅費、原稿料などについて、支出概算を出してみたものであり、その〈相手先〉は資料所蔵者や輸送会社・印刷会社・原稿執筆依頼者などになるからです。
以上の点から見て、被告代理人が虚偽の発言をしたことは明らかです。しかも被告代理人は、明らかに自分が虚偽の発言をしていることを意識していました。なぜなら、被告代理人が主張する文脈的理解に関して、原告が「ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか」と膝を進めて反問したところ、被告代理人はそれに対する説明を避け、急に「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね」と話題を変えてしまったからです。
しかし被告代理人は、なおも自分の「理解」に固執し、被告への尋問の際、次のような誘導の方法で、被告の証言を引き出してきました。(ただし、引用はⅡ章第4項「A.〈出張の手続きについて〉」における引用と重複しますので、中間は省略させていただきます。)
(被告代理人)それで、9月26日にいろいろと亀井さんとの間でやり取りがあって、亀井さんはあなたの言っていることが全く理解できないとおっしゃっているんですね。それで、こういう発言をあなたしたことがありますか。相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょうと、こういう発言がある。
(被告)はい、そのとおり発言したと思います。
(中略)
(被告代理人)逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。
(被告)はい、そのとおりです。
(被告調書11~12p)
④ここでもまた、被告代理人と被告は、平成18年9月26日の話題が「出張予定(亀井)」から「展覧会支出予定」へと移っていた事実を無視してしまいました。そして被告は、被告代理人の虚言に誘われて、「はい、そのとおりです」と同意をし、みずから虚偽の証言をする羽目に落ちてしまいました。
⑤被告代理人の「理解」は、被告の、前後が錯綜し、自家撞着した発言の中から「相手先と打合せしてから言ったら、行かなきゃならないでしょう」という言葉だけを取り出した「理解」でしかなく、とうてい文脈的理解とは言えませんが、仮にこの「理解」が、被告の〈真意〉だったとしても、それは、学芸員が展覧会事業を進める手順に関して、被告が全く無知であった事実を証明することにしかなりません。
学芸員が進める通常の手順を踏まなかった時、どのような結果が待っているかについては、Ⅱ章第3項の「D.栗田展の中止について」およびⅡ章第4項「A.〈出張の手続き〉について」で述べておきましたので、ここでは繰り返しません。ただ、被告代理人が虚言をもって誘導尋問した結果、被告が学芸員としての知識を欠いていた事実が明らかになり、それと共に、被告が栗田展の開催に失敗した原因も間接的に明らかにしてしまう効果をもたらしたこと、この点は指摘しておきたいと思います。
N.「運営」への「口出し」について
被告代理人は、原告に対して、急に、原告の書面における「容喙」(3月5日付「準備書面」18p)という言葉の意味について問いただしたのち、「あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは『二組のデュオ展』、これはだれの事業ですか」と質問してきたので、原告は「事業の主体としては、財団法人北海道文学館です」と答えました(原告調書33p)。その後、以下のような応酬が行われました。
(被告代理人)財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。
(原告)その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。
(被告代理人)寺嶋さんでもいい、だれでもいいや。
(原告)寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。
(被告代理人)そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に。
(原告調書33p)
①被告代理人の「いわゆる主体である企画展」という言葉は意味が不明です。
②被告代理人は「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか」との質問を発しましたが、原告は〈財団法人が事業主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しするのは悪い〉という意味のことを、10月31日の法廷で言ったこともなければ、それ以前の文書で書いたこともありません。
もし被告代理人が、原告の3月5日付「準備書面」18pの「(b)違法性 ロ」の箇所を念頭に置いて先のような質問をしたのだとしたら、それは、被告代理人の読み方が短絡的であり、かつ、原告の真意を意図的に捨象しているものである、という証拠を示しているに過ぎません。
以上の点によって、被告代理人太田弁護士が原告の言葉を捏造し、虚言をもって原告を偽証に誘おうとしたことは明らかです。
【亀井秀雄注:亀井志乃は「L.〈展示室の設営〉について」で述べたように、市民に対する道立文学館の責任を果たすために、主担当としての責任感と誇りと意地を賭けて「二組のデュオ展」を実現した。ところが太田三夫弁護士は、もしこれを聞いたのがソクラテスならば、そっぽを向いて苦笑いをするだけだろう、下手くそな詭弁を持ち出して、寺嶋弘道を庇おうとした。それは、〈「二組のデュオ展」は開催できたのだから、妨害はなかったはずだ〉という理屈である。どこやらの教育委員会が「イジメはなかったと認識しております」と言い抜けようとする時によく使う屁理屈であるが、今回はその点を中心に、1,2点、補足をしておきたい。
○まだ止まない、太田弁護士の姑息なすり替え
太田弁護士は「準備書面(4)」で、次のように主張した。
《引用》
9,被告が原告が主担当の「人生を奏でる二組のデュオ」展(以下「デュオ展」という)を妨害したこと
(1) 原告の主張は、主張自体失当である。
原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を立案して実行することなどできない旨認めている(原告調書31頁)。
被告がデュオ展の開催を妨害した事実もない。
(2)、又、そもそもイーゴリ展が開催されたことにより「人生を奏でる二組のデュオ」展の開催に影響が出た事実もない(原告調書31頁)。
(3)被告には、原告が何故この様な主張をするのか全く理解できない。(7p)
だが亀井志乃は、「二組のデュオ展」の開催を寺嶋弘道に妨害されたとは一言も書いていないし、言ったこともない。「二組のデュオ展」のオープニングに際して、寺嶋弘道があらぬ行動を起こして、開催を妨げたなんてことはなかったからである。
そうではなくて、亀井志乃が「二組のデュオ展」の展示の準備に入ろうとした直前、寺嶋弘道が何のことわりもなしに「イーゴリ展」を割り込ませて、特別展示室の入口を塞ぎ、配電盤の設定を変えてしまったため、「二組のデュオ展」の準備が大幅に遅れた。亀井志乃はその事実を指して「業務妨害」と呼んだのである。
太田弁護士は「準備の妨害」を、「開催の妨害」という言い方にすり替えることによって、「妨害」の事実はなかったと言い抜けようとしたわけだが、無事に開催できたからと言って、開催の漕ぎ着けるまでの過程で妨害の事実がなかったことにならないのである。
○まだまだ続く、太田弁護士のすり替え
太田弁護士は例によって、自分の論拠となるべき文章を引用することなく、おおざっぱに「原告調書31頁」と指示しているだけなので、念のために該当箇所を引用してみよう。
《引用》
太田弁護士:19年の2月3日からのイーゴリ展、これを企画して開催したのは、あなたが主担当のデュオ。
亀井志乃:「人生を奏でる二組のデュオ展」。
太田弁護士:これを妨害するために、寺嶋さんが企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど、そういうふうにお考えでしょうか。
亀井志乃:それは非常に短絡的な読み方だと思いますが、私は担当の展覧会の準備期間中に目掛けて企画されたものだということは確かだと思っています。
太田弁護士:それは、今のお話からすると、あなたの企画展を目掛けてというお話をしたけど、そういう意図を感じる何か具体的な根拠はありますか。
亀井志乃:はい。準備書面のほうにも書きましたが、それが実際に展示されるまで何の連絡も、私にだけではなくて、全体への周知が何もなされてなかったからです。
太田弁護士:そして、それは、寺嶋さんが意図してやったことだ、そういうふうにあなたは考えていたわけですか。
亀井志乃:実行したのは寺嶋、被告だったということは、それは法務局のほうの調査でもそうだというふうに、実行したのは確かにその寺嶋主幹だというふうに聞いております。
太田弁護士:寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。
亀井志乃:それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。
太田弁護士:本来ないでしょうね。
亀井志乃:…。
(原告調書32~33p)
太田弁護士はここでも二重に姑息なすり替えをやっている。
その一つは、太田弁護士の「これ(「二組のデュオ展」)を妨害するために、寺嶋さんが(「イーゴリ展」を)企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど、」という質問の仕方に関することであるが、亀井志乃はそう読めるような書き方をしたことはない。当然のことながら、亀井志乃は「それは非常に短絡的な読み方だと思いますが、」と異議を申し立てたのだが、太田弁護士はそれを無視して、「寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。」と話題をすり替えてしまったのである。
もう一つは、この「寺嶋さんは、勝手にいろんな企画を立案して実行することができるんですか、文学館の中で。」という質問に関することで、亀井志乃は「それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。」と答えた。もちろん寺嶋弘道が、文学館の中で、勝手に、企画を立てたり実行したりすることはできない。そんな権限はないからである。亀井志乃がその意味で「そのようなことは本来ないと思いますけれども。」と答えたことは、話の流れに照らして明らかだろう。ただし、寺嶋弘道に権限がないからと言って、決してそれは、寺嶋弘道が「イーゴリ展」を実行し、特別展示室の入口を塞いでしまった事実を否定する材料にはならない。このことも弁えておく必要があるだろう。
ところが、太田弁護士は「準備書面(4)」において、「原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を立案して実行することなどできない旨認めている(原告調書31頁)」、それ故、「被告がデュオ展の開催を妨害した事実もない。」と、あたかも寺嶋弘道の行為事実がなかったかのように、理屈を進めていた。
この手口の本質を明らかにするために、いま話題が、〈寺嶋弘道が栗田展を中止してしまった事実〉に及んだ場合を、考えてみよう。その場合も当然次のような応答が成立する。
太田弁護士:寺嶋さんは、勝手に企画を中止することができるんですか、文学館の中で。
亀井志乃:それは存じません。そのようなことは本来ないと思いますけれども。
太田弁護士:本来ないでしょうね。
そこで、太田弁護士がすかさず、「原告自身、被告が財団の了解を得ることなく勝手に企画を中止することなどできない旨認めている」、それ故、「被告が栗田展を中止した事実もない。」と結論を引き出してくる。このように捉え直してみるならば、太田弁護士の尋問と「準備書面(4)」における手口のうさん臭さは、誰の目にも明らかだろう。
太田弁護士は以上の如く、10月31日の法廷において事実のすり替えをやり、「準備書面(4)」においてはそれを利用して、更に事実のすり替えをやったのである。
その際太田弁護士が用いた理屈は、「二組のデュオ展」の担当者が無事に開催に漕ぎ着けるまで、どれほど無理に無理を重ねたか、その努力のプロセスを全く無視する論法だった。まあ、太田さんが弁護を引き受けたのは、自分が担当の「栗田展」をあっさりと中止してしまうような依頼人だったわけだから、こういううさん臭い屁理屈でもこねるしか方法がなかったのかもしれない。
○準備妨害の実態
では、太田弁護士が「これを妨害するために、寺嶋さんが企画したんだ、実行したんだ、こういうふうにおっしゃっているように書類から読めるんですけれど」という、その書類の中で、実際に亀井志乃はどのようなことを主張していたのであろうか。
次は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」の該当箇所である。
《引用》
(2)同第2段、第3段
被告は、「特別展示室の入り口付近で『ロシア人のみた日本~シナリオ作家イーゴリのまなざし』が開催されたことは事実として認めるが、」と言うが、不正確である。乙11号証の図にある如く、「イーゴリ展」の実行者は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いでしまったのである。(45p)
亀井志乃が引用した、「特別展示室の入り口付近で」云々の文章から分かるように、太田弁護士は「準備書面(2)」の時点では、「イーゴリ展」の写真が展示されたのは「特別展示室の入り口付近」だったのだ、と事実を誤魔化そうとした。だが、自分が提出した乙11号証の図そのものによって、亀井志乃から、「『イーゴリ展』の実行者は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いだ」事実を証明されてしまった。どうやらグウの音も出なくなったらしく、太田弁護士からの反論はなかった。
そこで、太田弁護士は、「イーゴリ展」は寺嶋弘道の企画ではなく、「イーゴリ展」実行委員会から財団に持ち込まれた企画なのだ、という主張に切り替えることにしたのだろう。だが、その点に関しても、既に亀井志乃によって次のように批判されてしまっていた。
《引用》
(3)同第4段、第5段
被告は、自分が特別展示室の配電盤に付箋を貼ったことを認めた上で、「ただし、この付箋は毎朝、展示室の照明を起動する機械設備警備係への周知のメモであり、また、この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能なものであった。」と言うが、この説明は不正確であるばかりでなく、虚偽も含まれている。第1に文学館の警備員の中に「機械設備警備係」なる肩書きの人物は存在しない。第2に、「照明を起動する」の意味が不明である。第3に、被告が配電盤に貼った「照明はライティングレールの点灯のみに設定しました 寺嶋」という付箋のメモは、決して被告が主張するが如く、「この設定の変更は展示室の他の照明までも使えない状況にしていたわけでなく、いつでも点灯が可能だ」という意味を伝えるメモとは言えない。むしろその反対である。展示室の照明点灯は配電盤ではなく、その真向かいの壁面にある複数個のスイッチによって行う。被告はそのスイッチによる照明の点灯や消灯が出来ないように配電盤の設定を変えてしまったのである。それ故被告の付箋メモは、「ライティングレールの点灯以外は控えて下さい」という意味を伝えていると言うべきであろう。被告はこのようなメモによって、他の人が展示室の照明を使うのを牽制し、手が出せないようにしてしまったのである。
「イーゴリ展」が実行された経緯については、本訴訟に直接関係することではなく、原告の関知するところではない。ただ、被告の手によって実行されたことは明らかな事実であり、原告にとって重要な意味を持つ。(45p。下線は引用者)
つまり、「イーゴリ展」を企画したのは寺嶋弘道学芸主幹ではなかったかもしれないが、少なくともそれを実施したのは寺嶋弘道だった。展示したイーゴリの写真はわずかに28点しかなく、特に壁面を大きく占めるような大作は1点もない。ロビーの壁を使うだけで十分に間に合ったはずだが、寺嶋弘道は特別展示室の入口を移動壁でコの字型に塞いでしまった。それだけでなく、配電盤の設定を変えて特別展示室内の照明が使えないようにしてしまった。これは明らかに「二組のデュオ展」の設営準備に対する妨害行為であるが、彼は自分の名前か書いた付箋を配電盤に貼ることによって、自分が妨害行為の実行者である事実を告げていたのである。
寺嶋弘道は平成18年10月7日、自分が休みだったにもかかわらず、亀井志乃の退勤時間の直前に文学館にやってきて、亀井志乃を足止めし、無礼な言葉を吐きかけたり、声を荒げたりして、不必要な文書の書き直しを強いた。これは「つきまとい」に類する行動だと思うが、イーゴリ展の実施を口実として特別展示室の入口を塞いだ上に、自分の名前を書いた付箋を配電盤に貼る形で、自分の存在とその意志を顕示する。これも10月7日の行動の、形を変えたあらわれ、と見ることができるだろう。
○追い詰められた太田弁護士
亀井志乃は先のようなことを指摘した上で、更に寺嶋弘道が他の職員の了解を得ておく手順を踏まなかったこと、及び彼の妨害行為の結果、「二組のデュオ展」の担当者がどのような状況に追い込まれてしまったかについて、次のように指摘した。
《引用》
また、被告は、「財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」と言うが、極めて疑わしい。平成18年12月中には内定していたのであれば、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定」(甲21号証)に記載されたはずであるが、記載されていない。予定表はその月の職員の動きや館内の使用状況を皆に周知してもらうためのものであり、貸館だからといって表に加えないなどということはあり得ないのである(甲54号証・甲55号証参照)。しかも被告は、2月6日(火)の朝の打合せ会で、「イーゴリ展をやることになりました……もう、やっております」と、職員に事後承諾を求めている。この事実は、原告の「準備書面」で指摘しておいた。被告が2月6日(火)に職員の事後承諾を求めたという事実は、被告自らが、前年の12月中旬から一度も職員に周知をはかったことがない事実を認めたことにほかならない。
また、被告は、「『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており、『二組のデュオ展』の会場設営のためには7日間の期間があり、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行い、会場設営には通常長くても5日間程度しか要しないことから、決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。」と言うが、全く実情に合わない。被告によれば、「他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行う」ことになっているが、これは文学館の展示業務を知っている者の言葉とは思えない。ただ、強いて被告の側に立って考えてみれば、被告が平成18年度に着任して担当した企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」の場合、作品はすでに綿引幸造氏のアトリエでフレームに入った状態にまで出来上がっていた。彼が担当したもう一つの企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」も、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示するか等については予め決まっていた。要するに被告はすでに出来上がった作品を搬入し、展示室に配列しただけであって、それならば5日程度の作業で間に合っただろう。(被告は更にもう一つ、企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(甲55号証参照)を担当することになっており、これも写真を借りてくるだけの作業だったが、被告が中止してしまった)。
しかし、「二組のデュオ展」のようにさまざまなところから展示資料や作品を借り、オリジナルな構想に従って配置を決め、説明のパネルを用意する展示の場合は、準備は文学館内で行い、2週間近い準備期間を予定する。被告が言うような「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」などということはあり得ないのである。また、仮に原告が2月10日(土)から設営作業に入ったとしても、実際に作業ができるのは、僅かに2月10日(土)、14日(水)、16日(金)の3日間だけであった。なぜなら、嘱託職員の原告の勤務日は週に火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の4日間だけであり、2月11日(日)は非勤務日、12日(月)は建国記念日で原告は休日、13日(火)は12日の振替休日による休館、15日(木)は非勤務日だったからである(甲56号証参照。なお、17日は「二組のデュオ展」のオープニング)。被告は「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」と非常識なことを主張しているが、仮にこの非常識な言い分を前提にしてさえも、原告に与えられた日数は5日間より2日少ない、3日間でしかなかった。この一事をもってしてだけでも、被告の原告の展示業務に対する妨害意図は明らかであろう。(45~46p。太字は引用者)
これに続く箇所は、亀井志乃の「L.〈展示室の設営〉について」と重複するので省略するが、以上の引用からも、いかに太田弁護士の読み方が「短絡的」だったかが分かるだろう。
太田弁護士は、以上のような亀井志乃の指摘と批判に関しても、「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(「事務連絡書」平成20年7月4日付)と、反論を回避してしまった。
そして太田弁護士は反論を回避したまま、10月31日の法廷では亀井志乃から失言を引き出そうとしたわけだが、「それは非常に短絡的な読み方だと思います」と切り返されて、先ほど指摘したような姑息な手口を使う羽目に追い込まれてしまったのである。
○「過労死や自殺は本人の責任」という論法
なお、寺嶋弘道の業務妨害の結果、亀井志乃は展示準備のため、非出勤日を返上して出勤し、その上、連日夜遅くまで作業を続け、2月14日と15日は札幌のホテルに止まらざるを得なかった。当然亀井志乃はこれらのことを「被害の事実」に挙げたわけだが、太田弁護士は「準備書面(2)」の中で、次のように反論してきた。
《引用》
原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、その時点はもちろん、これまでも一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実もない。(12p)
つまり太田弁護士は、〈亀井志乃は自分の判断で非出勤日にまで出てきて、残業しただけであって、そんなことはこちらの責任じゃない〉と逆ねじをくらわせた。「二組のデュオ展」の担当者がどれほど自己犠牲的に頑張ったかについては、一片の想像力もなく、とにかくこんなふうに開き直って、突き放してしまえば、相手は黙り込んでしまうはずだ。そんなふうに、ナメ切っていたのだろう。だが、亀井志乃によって次のように反駁されて、またしても「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません」。
《引用》
要するに被告は、労働基準法に違反する勤務を原告に強いる状況を作っておきながら、原告が自分の判断で非出勤日を返上し、午後10時近くまで作業を行い、ホテルに泊まったのであるから、被告に責任はないと開き直ったのである。これは、一人の労働者を過酷な勤務条件の中に追い詰めながら、その労働者が自殺しても、あれは自分から死んだので、こちらに責任はないと言い張るのと同じ論法である。この被告の主張は、被告が犯した労働基準法違反や人権侵害を平然と肯定した発言として銘記されるべきであろう。(「準備書面(Ⅱ)―1」48p。太字は引用者)
太田弁護士はこの反駁に対して、一言の反論もできなかったのである。
このことを頭に置いて、「○まだ止まない、太田弁護士の姑息なすり替え」で引用した、太田弁護士の文章を読み直してみてもらいたい。いかに情けない詭弁か、よく分かるだろう。】
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