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北海道文学館のたくらみ(55)

亀井志乃の「最終準備書面」その8

【今回は、「Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問」のEからIまでを紹介する。今後の予定を言えば、次回はⅢ章の終わりまでを紹介し、次々回に総括的な結論を紹介して、「最終準備書面」の紹介を終わる。2009年1月30日】

E.原告の勤務場所について
 被告代理人は、原告に対して、
あなた、平成18年の4月以降、どこで仕事をされていましたか、場所。」と質問し、原告は「場所ですか、事務室又は閲覧室又は収蔵庫です」と証言しました(原告調書23p)。それに続けて、被告代理人は、以下のように質問してきました。

被告代理人)先ほど乙5号証で示しました席で仕事をしていることはありましたか。
原告)はい、ありました。
被告代理人)割合的には、先ほど言った3つの場所のどの部分が一番多かったんですか。
原告)閲覧室です。
被告代理人)大体どれくらいの割合ですか。
原告)そうですね。週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…。
被告代理人)いや、いいですよ。週に3日くらいは閲覧室にいた。
原告)はい。
被告代理人)あなた、週に何回出るんですか。
原告)4日間ですね。
被告代理人)4日間のうち3日間は閲覧室にいたということですね。
原告)はい。

原告調書23p)

① 原告が閲覧室勤務につくようになったのは、平成18年4月14日、被告と平原学芸副館長から、O司書とA学芸員が担当の「新刊図書の収集・整理・保管」の業務を手伝ってほしいと依頼されたからです。この事により、原告は、この年度当初の予定になかった、新刊図書の収集・整理・保管というO司書とA学芸員の毎日のルーティンワークの一部を肩代わりすることになりました(具体的には寄贈雑誌のデータベース登録作業)。また、こうした変更の絡みで、原告は結果的に、閲覧室における来客対応をA学芸員・O司書との3交代で手伝うこととなりました(「準備書面(Ⅱ)―2」5~6p、および甲3号証甲60号証甲62号証参照)。原告が、前年度までに比して閲覧室に下りて仕事をすることが多くなったのは、偏(ひとえ)に、この時の被告と平原学芸副館長から依頼が原因です。
②被告はその「陳述書」の中で、
そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました」(6p)と書いていました。平原副館長はそれと口裏を合わせるようにして、氏の「陳述書」の中で、そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました(4p)と証言しました。
 被告代理人はこの証言の裏づけを取るつもりで、原告に対して先のような尋問を行い、〈原告は被告を嫌って、事務室ではほとんど仕事をしなかった。コミュニケーションがうまく行かなかったのは、原告に原因がある〉という結論へ持って行きたかったのかもしれません。しかし原告は、被告の記述が全くナンセンスであることを、「準備書面(Ⅱ)―2」(23~25p)で詳細に論駁しておきました。平原氏の証言については、それが下種の勘ぐりでしかないことを、原告は「準備書面(Ⅱ)―3」(16~17p)で指摘しておきました。
③なお、〈閲覧室〉に関して言えば、原告が閲覧室に下りるのは、カウンターでの来客対応のためばかりではありません。①で触れましたように、原告の業務の一つに〈寄贈雑誌のデータベース登録作業〉がありますが、継続的に館に届いている雑誌については、パソコンのデータベースだけではなく、閲覧室にあるカードボックスのカードにも、その受入状況を記入しなければなりませんでした。バックナンバーが何巻まで届いているか記し、利用客の検索ニーズに応えるためです
(なお、当時、利用客用の検索パソコンはありませんでした。多分、現在でもないと思われます)。その記入のために、原告は、ほぼ毎勤務日、閲覧室に下りざるを得ませんでした。ただし、カード記入だけの場合には、時間は数十分程度でした。
 そういう事情があったので、被告代理人からの尋問の際、原告は
「週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…」と説明を続けようとしたのです。しかしこの時も、被告代理人は原告の発言を遮って、理由も聞かず、強引に話を〈下りた日数〉だけに限定してしまいました。
④事実関係を整理して見ますと、被告や平原副館長の虚言の出発点は、平成18年4月14日の話し合いにあったことが分かります。その話し合いに関して、被告は、田口裁判長の
「亀井さんの了解を得た上で(「平成18年度 学芸業務の事務分掌」乙6号証が)決められたということになるわけですか」という質問に対して、次のように答えました。はい。ですので、寺嶋が、私が作りました原案を修正したことの1つが、図書の、雑誌の整理をどうするかという項目でしたので、それを副館長同席の上で亀井さんに確認したことの1つだと思います被告調書21p)
 しかし、これは被告の偽証です。原告は平成18年4月14日に、
(被告)が作った原案」なるものを見せられたことはありません。図書の、雑誌の整理をどうするかという項目」を確認したこともありません。実際は①で書いたとおりでした。

F.〈カルチャーナイト〉について
 被告代理人太田弁護士は、原告に
「平成18年7月21日にカルチャーナイトというものを文学館で行ったのは御存じですか」と質問し、原告は「はい」と答えました(原告調書25p)。それに続いて、以下のようなやり取りがありました。

被告代理人)これは、どんな催しのことを言うんですか。
原告)これは、夜間の開館で、夜間のお客様をその日だけ入れるという。それは、たしか札幌市のイベントだったと受け止めておりますが。

被告代理人)あなたは、そのカルチャーナイトに参加しましたか。
原告)いいえ。
被告代理人)しませんでした。
原告)はい

被告代理人)7月22日、翌日はあなたが副担当の石川啄木展の企画展が開催される日ですよね。
原告)本来副担当であった石川啄木展は開催されました。
被告代理人)それがあったにもかかわらず、あなた、カルチャーナイトには出なかったのは何か理由があるんですか。
原告)カルチャーナイトと石川啄木展は、そもそも行事のレベルが違うことですから。開催しているところも、それから開催の目的も違うところですので。

被告代理人)あなた以外の文学館の職員はカルチャーナイトに参加したかどうか、御記憶ありますか。
原告)何人かは参加してました。
被告代理人)何人かですか、大部分ですか、全員ですか。
原告)全員ではなかったと記憶してますが。
被告代理人)大部分。
原告)…それは申し上げ兼ねます。

原告調書25~26p)

 被告代理人のこのような尋問は、被告の偽証を補強するためのものであり、偽証幇助に相当する行為です。

①被告はその「陳述書」(7p)で、平成18年10月13日と14日にあった事実を、故意に7月21日の出来事にすり替えるという虚偽の記述を行い、原告はその点については「準備書面(Ⅱ)―2」(26~27p)で反論しておきました。
 それ故、重複を避けて、補足的な説明をしますと、「カルチャーナイト」とは、札幌市内の公共・文化施設や民間施設が専門分野の特色を生かした文化プログラムを、毎年1晩提供するというイベントです。NPO法人〈カルチャーナイト北海道〉のメンバーが組織する〈カルチャーナイト実行委員会〉の呼びかけで、札幌市民と企業と行政が協力し、2003年以来、毎年行われています
(発祥の地はデンマークのコペンハーゲン)。もともとはファミリー向けの行事でしたが、最近は参加者も市民全般へと広がりつつあるようです。道立文学館は、2004(平成16)年から参加しています。札幌高等・地方裁判所でも、例えば今年は、「裁判員法廷見学ツアー~裁判官がご案内~」という形で、午後6時から7時半頃までの夜間公開が行われたはずです。
 このような、いわば〈市とNPOへの協力〉というイベントですので、学芸職員が企画担当する展覧会や講座とは本来別個の催しでしたし、文学館における協力窓口は業務課の方でした。企画を立てていたのも、主に業務課のN主任でした。
②文学館のように、もともとエンターテインメント性が少ない文化施設では、夜間の集客は非常に難しいものがあります。特に、参加を始めた平成16年には、来館者は1晩数人程度でした。そのため、翌年からは、夜間開館を開始する1時間ほど前からアフリカンドラム
(平成17年)や鬼剣舞(平成18年)等の〈音曲〉で観客の関心を惹きつけ、その後、展示の観覧をお勧めするといった工夫をするようになりました。それが功を奏してか、少しずつは来館者が増える傾向にありました。
 被告は「陳述書」において〈カルチャーナイト〉に言及し、
当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である『石川啄木展』のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画となっていました(7p)と、いかにも大がかりな職員総出のイベントが行われたかのよに述べています。しかし、現況は原告にはわかりませんが、平成18年当時はまだそれは小規模な催しであり、鬼剣舞も5時前後に文学館のサンクンガーデンで舞ってくれた後は、同日の札幌サンプラザでの公演のために館を引き上げてしまったはずです(ブログ「札幌鬼剣舞」 URL:http://kenbai.bg.cat-v.ne.jp/category/341-1.htmlを参照のこと)。「夜間」には剣舞は行われませんでした。
 また、この日が〈石川啄木展のプレオープン〉となったのは、たまたま、平成18年のカルチャーナイト開催予定日と、前年度に調整していた啄木展のオープン予定日とが同じ7月に重なったため、“折角お客様に来ていただいても、常設展しか見るところがないのでは”ということで、啄木展も観覧可能なように取りはからわれただけの話です。このイベントにおいては副次的な事柄でした。
 付言すれば、
手作り講座」などというものもなく、ただ、主にファミリーや年少の来館者を対象に〈よろしければ記念のしおりでも作っていってください〉と勧めるため、ハーフメイドの材料を受付のそばに置くことにしておりました。原告は、N主任やA学芸員がそうした話をしている事については、側で見聞きして知っていました。
 改めてまとめて言えば、平成18年度までの〈カルチャーナイト〉は、N主任と、受付係1~2名に学芸員1名ほどがつけば充分に間に合うほどの小規模なイベントでした。原告は、平成16年の勤務開始以来、〈カルチャーナイト〉への協力や時間外勤務を要請されたことはありませんでしたので、その概要についてこれ以上詳しく述べることは出来ませんが、このイベントが基本的に“男手”の必要ないものであったことは間違いありません。被告が、〈カルチャーナイト〉の実際の規模も時間的な進行状況もまったく無視した陳述を平然と書き連ねているのは、要するに、被告がこの催事にタッチしていなかったからにほかなりません。被告はただ単に、文学館の行事予定表を見て虚構を作文していたに過ぎないのです。
②おそらく、被告がわざわざこの〈カルチャーナイト〉を取り上げて、
原告が副担当の『石川啄木展』のプレオープン」と書いた理由は、〈原告は啄木展の副担当だったにもかかわらず、プレオープンの行事とカルチャーナイトの行事が重なって、職員全員がてんてこ舞いをしているのを尻目に、さっさと帰ってしまった〉という印象を与え、原告に対する他の職員の非難が渦巻いていたという話の伏線としたかったためでしょう。そのため被告は、平成18年10月13日と14日の事実を7月21日の出来事にすり替えて嘘の話を捏造するという不正さえも、敢えて辞しませんでした。そして、被告代理人の原告尋問は、明らかに被告が捏造したストーリーの線に沿って行われていました。
 被告代理人としては、更にこのストーリーを、原告の労災問題や「職員配置図」問題・勤務場所問題・「私は職員ではありません」発言等に結びつけて、原告のネガティヴなイメージを作り出し、あわよくば被告「陳述書」における数々の虚偽や原告に対するセカンド・ハラスメントから、裁判長、そのほか傍聴人諸氏の目を逸らさせようという計算が働いていたものと思われます。しかし被告と被告代理人との試みは、いずれも虚偽に虚偽を重ねるものでしかないことは、すでに巨細に論証しておきました。

 以上の点から判断して、被告代理人太田弁護士が、被告の証言が虚偽であることを知りながら、被告の偽証を幇助したことは明らかです。

G.「サボタージュ」発言について
 この点に関して、被告代理人は、まず、原告への反対尋問において、次のような質問をしました。

被告代理人)それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。寺嶋さんのほうから、サボタージュという言葉が出たことはありますか。
原告)先にはありません。
被告代理人)サボタージュという言葉を出したのはだれですか。
原告)私です。

原告調書27p)

 被告代理人は、次に、被告の本人尋問に際して、この点について再び以下のように確認をとりました。

被告代理人)10月28日に、文学碑のデータベースのことで、亀井さんとお話ししたことありますね。
被告)はい、あります。
被告代理人)このとき、あなたの口からサボタージュという言葉は出たことありますか。
被告)それはありません。

被告調書15p)

 このような点を原告・被告両者に確認した上で、おそらく被告代理人は、〈原告は、被告が発しなかった言葉を書き込むことによって、被告に言いがかりの責任を負わせようとしたのだ〉というストーリーを作為したものと思われます。しかし、〈「サボタージュ」という言葉が、先に原告の口から発話されたか、それとも被告の口を通して発話されたか〉ということ自体は、この10月28日の件に関しては、なんら、原告のこれまでの主張を覆す要因にはなり得ません。それは、以下の理由によります。

①被告は、この日、〈5月2日の話し合いでは、原告が文学碑をより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えて行く作業をすることに決まっていた〉という、現実にはなかった話をいきなり持ち出してきました。被告は、その話に対して原告がどのように抗弁しようとしても〈決まっていた〉の一点張りであり、それに続けて「どうするの?もう、雪ふっちゃうよ」「理事長や館長も、あんたがやるって思ってるよ」甲17号証参照)と原告に言いました。これらの発話の文脈と順序に沿うかぎり、この言葉は、単なる気候の挨拶や伝聞・伝達ではなく、〈やるべきことをやっていなかった原告は、厳しい冬期をひかえ、理事長や館長の期待をも負っているのに、この事態にどう対処するつもりなのだ〉と責任を問い非難している言葉なのだと解釈できます。
 それに対して、原告は、〈それは原告がサボタージュしているという意味ですか〉と問い返したところ、被告は〈そうだ〉と答えました。つまり、被告が原告について言わんとしている事柄について、原告が〈それはサボタージュという意味か〉と、被告のコードを確かめたところ、被告はそれに同意したわけです。これは、仮に〈サボタージュ〉の代わりに〈怠慢〉という言葉を置き換えたとしても、その時点での被告はおそらく同意したことでしょう
(なお、「コード」の意味についてはⅣ章参照)要するに、本訴訟においては、この時、被告が原告を非難する内容の話題を急に持ち出したことそれ自体が問題とされているのであって、その際どちらが先に〈サボタージュ〉という言葉を発したか、などということが問題の核心になっているわけではありません。
②原告は、同年10月31日付のアピール文(
甲17号証)の時点から、・これらは、亀井が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、亀井のサボタージュに当たる。(1p)のように、〈被告の言葉そのままの引用〉ではなく〈発言内容のまとめ〉として「サボタージュ」という言葉を用いてきました。逆に、原告が、“これは被告の生の発言である”と示すような表記法でこの言葉を用いた箇所は、どの原告「準備書面」にも「陳述書」にもありません。
 したがって、被告代理人から上記のような質問があれば、原告は
「先にはありません」と答えるのみです。原告に、事実を曲げる動機はありません。
③5月2日の話し合いで、〈原告が碑の写真を撮ってつけ加える作業を行う〉ことは決まっていませんでした。話題にすら出ませんでした
(Ⅲ章「B.『北海道文学碑めぐり フォトコンテスト(仮称)試案に向けての意見書』について」参照)
 10月28日の発言のポイントは、5月2日に話題にすら出なかった作業について、被告が原告を〈やっていない〉〈どうするの〉と責めたことにあります。サボタージュという言葉を発したか、発しなかったかということが中心的な問題だとみなされたことは一度もありません。
  
H.「アブノーマル」発言について
 被告代理人は、「サボタージュ」の件に続けて、原告に、以下のような質問をしました。

被告代理人)寺嶋さんからアブ・ノーマルという言葉は出たことありますか。
原告)アブ・ノーマルというのは…。
被告代理人)出たかどうか。
原告)出ません。

原告調書27~28p)

 また、被告代理人は、被告の本人尋問の際にも、同じ点に関して質問を行いました。

被告代理人)ところが、亀井さんのほうでは、急に録音機を出してそれを録音しようと、そういう行動に出たものですから、あなたとしては、そういう亀井さんの行動を、ひどいだとか普通じゃないと、そういうふうに判断したということですね。
被告)はい、そうです。
被告代理人)アブ・ノーマルと言ったことはないですね。
被告)それはありません。

被告調書16p)

 しかし、これらの質問も、先のG項における「サボタージュ」の質問と同様、本訴訟の争点に関しては、何ら意味をなしません。

①原告は、3月5日付「準備書面」26pにおいて、以下のように記しています。

 原告は、自分の雇用に関わる問題にまで発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った。すると被告は、今度は話を続けることなく、急に「あんたひどいね。ひどい」、「あんた、普通じゃない」と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した。
    
 被告代理人および被告が問題にした「アブノーマル」という言葉の典拠は、ここ一箇所きりです。
 この文章を読めば明らかなように、原告は、「アブノーマル」が被告の発話だったとは書いていません。被告代理人は、その文脈を故意に曲げ、〈被告が原告のことを『アブノーマル』と言った〉と原告が書いたことを前提にして、原告・被告の双方に質問したわけですが、そのような前提は、事実としては存在しません。
②原告が、「普通ではない
(アブノーマル)」と表記した理由については、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(40p)で詳細に説明しておきましたが、被告代理人は、その部分はおそらく読まなかったのでしょう。
③一つ、不可解なのは、被告は「準備書面(2)」の段階では、この件の当該箇所(9p)で
「原告は今般の訴状及び準備書面において、被告の発言を「 」で示し、いかにも被告がそのとおり発言したかのように主張し、あるいはまた、書面の作成において原告自ら振り仮名を振って『アブノーマル』と読ませるなど作為的な文言を列記し、被告の発言を歪めている」と主張していたことです。この引用部で見る限り、被告は、〈アブノーマル〉に関しては「振り仮名」であることを認めた上で、“原告の作為的な文言の列記だ”と原告に反論している。つまり、問題は〈表記〉なのだと分かっていたはずです。そして、被告の文書を扱った被告代理人も、当然その事を承知していたはずです。
 ところが、先の10月31日の尋問においては、被告代理人はまるでその事を忘れたかのように“被告からアブノーマルという言葉が出たか、出なかったか”を問題にし、また被告も、その代理人の方針に調子を合わせていました。
 いったん自分たちで主張した事実を、訂正も証明もせずにすり替えるとは不可解きわまりない話ですが、いずれにせよ、“原告が「被告がアブノーマルと言った」と主張している”という、ありもしなかった事実が存在したかのように法廷の人々に印象づけようとねらった点で、被告と被告代理人の応答が新たな偽証を形成していることは間違いありません
④なお、被告代理人からの質問に対して、原告は
「アブ・ノーマルというのは…」振り仮名なのだと簡単に説明しようとしたのですが、被告代理人は即座に原告の発話を断ち切って、出たかどうか」と、話を強制的に二者択一の問題にすり替えてしまいました。しかもその言葉は、原告に説明の機会も与えようとしない、素っ気なく非礼なものでした。これもまた、法廷において、被告代理人であり弁護士であるという地位と立場を利用して行われた一種の暴力的な会話の操作、あるいは支配であり、原告に対するセカンド・ハラスメントにほかなりません。

I.「怒鳴った」事実について
 原告の本人尋問に際して、田口裁判長は、原告と被告との間のコミュニケーション状況について言及し
「どなったり、大声で文句を言われるとか、叱責されるとか、そういったことが頻繁にあったんですか」との質問を行いました。
 それに対して原告は、要するに訴状に記載した被害事例が、平成18年度に原告と被告との間で交わされた会話のほぼ9割にあたること、それ以外に普通の雑談的な会話はほとんどなかったことを説明し、
そういう意味で言えば、間は置いてるかもしれませんけれども、まあ、そういう言い方をされる、どなられるか、どなられなくても、非常に執拗に、自分のやっていることの欠点というか穴というか、そういうところをつつかれているというか、そういうふうに言われることというのが、まずほとんどだったというふうに言えると思います原告調書15p)と証言しました。
 その後、この点に関して、被告代理人の方から原告に、次のような反対尋問がなされました。

被告代理人)あなたと寺嶋さんとの会話のときに、先ほどのお話ですと、常時、大声でお話をしたり、どなるというような話しぶりだったというように証言していたように思われるんですけれど、そういうことでしょうか。
原告)常時と言いますと、それは表現が変わると思います。そのようになることが多かったということです。

被告代理人)会話しているうちにエキサイトして声が大きくなった、あるいは言葉遣いが少し乱暴になった、そういうことはあったわけですか。
原告)必ずしもそうは言えません。つまり、必ずしもというのは、いきなり、どうしてそういうこと話ししないのというふうに、目が合った途端に言われたこともありますので、それは徐々にということではないと思います。

被告代理人)でも、あなたと話をするたびにどなっていたり大声出したりしたわけではないですね。
原告)たびにというふうに言われますと、それは、たびにということはないというふうに言えます。

原告調書28p)

 被告代理人がこのような質問を原告に行ったのは、“被告は「常時」どなったわけではない”という証言を原告から引き出し、被告のパワーハラスメント的な言動はなかったか、あるいは、あってもごく程度の軽いものであったと主張するためかも知れません。
 しかし、そのような意味づけや主張には、根拠がありません。
 
①被告は、被告代理人からの
「亀井さんとあなたとの会話の中で、あなたが亀井さんをどなったということはありますか」という質問に対しては「声が大きくなったことはありますが、いわゆるどなるということは。…あるいは、どなったという認識で声が大きくなったことはありません被告調書17p)と答え、声が大きくなったことはある」という質問には、ええ、声は大きくなりました同前)と認めています。
② 原告が3月5日付「準備書面」で挙げた「被害の事実」に関して、いずれの場面を検討してみても、被告が原告に向かって〈大きな声〉を出さなければならないような態度を、原告は一度も取っていません。
 また、被告は、被告の「準備書面(2)」および「陳述書」の中で、原告に向かって〈大きな声〉を出さざるをえなかった事情については、一言も述べていません。述べることができなかったのだと思われます。
③なお、被告は、尋問の席においては、被告代理人に〈どのような機会に声が大きくなったか〉と尋ねられ
「………出張の打合せを事前にするように、あるいは、文学碑のデータベースの件などで、亀井さんと私の話がうまく折り合いが取れないときですね。あるいは、私は財団の職員ではないというような発言をしたときに、私には不可解に思えましたので、声が大きくなったと思います被告調書17~18p)と証言しています。
 しかし、
出張の打合せ」の件については原告「準備書面(Ⅱ)―1」(25~32p)で説明したように、原告のとった手順や手続きに問題はなく、〈事前に打合せする事〉云々といった話は被告のみが固執しているに過ぎません。文学碑のデータベースの件」は平成18年5月2日の事か、10月28日の事を指すのか、この言い方ではわかりませんが、この件に関しても、これまでの原告の3月5日付「準備書面」および「陳述書」で論証したように、原告の側に被告に大きな声で叱責されなければならないような不備や手落ちがあったわけではありません。
 
「財団の職員ではないというような発言」に至っては、事実そのものが存在しません。「準備書面(Ⅱ)―2」の25~26pおよび「準備書面(Ⅱ)―3」の15~16pで説明している通りです。法廷における被告の証言は、原告の説明および反論に対して一言も合理的な再反論をすることなしに、自分の主張を繰り返しただけに過ぎません。したがって、この主張は、被告がたびたび原告に〈大きな声を出した〉事実を否定したり、またその逆に、正当化したりする理由や根拠にはなり得ません。

亀井秀雄注:10月31日の法廷において、被告の寺嶋弘道は、太田三夫弁護士の問いかけに応じて、どなったという認識で声が大きくなったことはありません」という妙な注釈つきではあるが、声が大きくなったことはあります」と認めている。
 しかし、亀井志乃が平成20年3月5日付「準備書面」の中で挙げた「被害の事実」は、どの事例を取ってみても、寺嶋弘道が大きな声を出さねばならないような場面は一つもなかった。むろん亀井志乃は、「私は財団の職員ではありません」と発言したことはなかった。寺嶋弘道は嘘の証言までして、自分が「大きな声を出した」事実を正当化しようと企んだのである。

○寺嶋弘道が認めた発話
 ただし、そのことについては、亀井志乃自身が、今回紹介した「最終準備書面」の「I.『怒鳴った』事実について」において、論破し尽くしている。ここでは、寺嶋弘道の発話がどんな性質のものであったかを検討してみたい。
 10月31日の法廷において、田口裁判長と被告・寺嶋弘道との間に次の応答があった。
《引用》

田口裁判長:先ほどから言っている、3月5日付けの原告の準備書面の21ページになるんですけれども、原告の退勤間際の4時50分頃、被告が突然事務室に現れた。そして原告を、『教えてあげるから、ちょっとおいで』と自席に呼びつけた。被告は原告の目の前で、書類(甲10号証の1)に鉛筆で書きなぐるように手を加えながら、その都度教え込むような口調で、『開催要項をつけなければならない』、『展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料を知らせなければならない』と注文をつけ、その間、原告に対して『観覧料は分かる?』と質問し、原告が『はい、分かっています』と答えると、『じゃあ、それは要らないな』と目の前で〈観覧料〉という文字を消して見せるなど、原告を嬲るような言い方を繰り返した。そして、レイアウトや標題を訂正するのみならず、『申し上げる次第です』を『申し上げます』、『伺う日時』を『調査日時』とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を」加えたということが書かれています。この中の、教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方をしたというのは抜いて結構ですので、事実として、このような内容の発言をし、かぎ括弧のところだけでいいんですけど、まず、原告が言ったことと被告が言ったこと、これは間違いありませんか。
寺嶋弘道:そのとおりだと思います
被告調書32p)

 念のために、田口裁判長が口頭で引用した、亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)の21ページの文章は赤字にしておいたが、ここから、かぎ括弧つきの発話を引き出してみると、次のような会話となる。

寺嶋弘道:教えてあげるから、ちょっとおいで。
寺嶋弘道:開催要項をつけなければならない。
寺嶋弘道:展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない。
寺嶋弘道:観覧料は分かる?
亀井志乃:はい、分かっています。
寺嶋弘道:じゃあ、それは要らないな。(と目の前で〈観覧料〉という文字を消して見せる)

 寺嶋弘道はこのような会話があった事実を認めたわけである。

○流れの整理
 では、一体、寺嶋弘道は何について「教えてあげるから、ちょっとおいで」と、尊大な言葉づかいで、亀井志乃を自席に呼びつけたのであろうか。寺嶋弘道の言い分からすれば、それは「職員派遣願」という書類の書き方についてだったことになるだろうが、そもそも、そういう書類を書くことになった経緯はどうだったのか。亀井志乃は「準備書面」(3月5日付)で、このように説明している。
《引用》

(10)平成18年10月7日(土曜日)
(a)被害の事実(甲9号証を参照のこと)
 原告は企画展の準備のため、明治大学の図書館に資料閲覧の諾否を問い合わせた。同図書館は快く応じ、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい」という返事だった(甲35号証)。ただしこの用件での出張の可否は、(9)の項で述べた時のことがあって以来棚上げになっていた。
 しかし10月6日(金曜日)、原告が出勤すると、出張の書類はN業務主査が整えて、被告の許可をもらっておいてくれた。原告はN主査に礼を言い、明治大学へ持参する紹介状について、事務室で二人で相談した。すると、少し離れた自席に座っていた被告が、「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と言った。被告は原告に対して、一方的に「それでいいね?」と言い、「書類、出来上がったら私に見せて」と言った。
 原告は北海道大学大学院文学研究科で博士の学位を取ったのち、文学部言語情報学講座の助手を勤めただけでなく、文学部図書室の非常勤職員だったこともあり、大学図書館が言うところの〈閲覧希望者が持参する紹介状〉の書式には通じていた。普通は、簡潔に用件と、持参した者が確かに紹介状を発行した組織に属するという意味の文言と、所属長の判があれば十分である。それゆえ原告は、被告がなぜ〈紹介状〉とは別の書類を作らなければならないと言い出したのか、内心疑問に思った。
 しかし原告は、その時は敢えて反論せず、被告が言う「職員派遣願」を作成することにして、文学館のサーバーに残されていた事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)(甲10号証の3)を参考にした。起案に必要な「決定書」の書式はA学芸員が見せてくれた。また、下書きの段階でN業務主任と川崎業務課長に目を通してもらった(甲10号証の4)。業務課長は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。原告は更にN主査の添削を受け(甲10号証の5)、6日の退勤間際に書類が出来たので、被告に直接渡して帰った
 翌日の10月7日(土曜日)は被告の休みの日であった。被告は、原告の書類を手直ししたものを、原告の机上に戻していなかった。被告の机の上にもなかった
(20~21p。太字は引用者)

 ここから、田口裁判長が口頭で引用した、10月7日、)原告の退勤間際の4時50分頃、被告が突然事務室に現れた。」に続くわけであるが、まず一つ確認しておくならば、亀井志乃が紹介状についてN主査と相談しているところへ、寺嶋弘道が「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と口を挟んだ。それは10月6日(金)のことである。

 そのことについて、寺嶋弘道は、「準備書面(2)」で、原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。(7P)と、舌足らずなことを言い、N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子であったため、」(8p)と説明した。彼がこのことを、10月6日のこととして書いていたことは、言うまでもない。
 ところが寺嶋弘道は10月31日の法廷においては、自分が手を加えた「職員派遣願」について
「この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、………N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、Nさんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して、派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょうということにしたものです。」被告調書31p。太字は引用者)と証言している。
 すると、寺嶋弘道が派遣の依頼文書に手を加えたのは、何時のことなのだろうか。

 この問題については、既に亀井志乃が「最終準備書面」(Ⅱ章のG)で寺嶋証言の矛盾点を剔出しており、「北海道文学館のたくらみ(50)」で紹介しておいた。ただ、私の関心からもう一度その時の流れを整理しておくならば、

(1)亀井志乃は明治大学図書館から「紹介状」の持参を求められ、10月6日、N主査と相談していたところへ、寺嶋弘道が「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と口を挟んだ。
(2)亀井志乃は内心疑問に思ったが、あえて異を立てるまでもないと考え、文学館のサーバーに残されていた職員派遣依頼書類を参考にし、下書きの段階でN業務主任と川崎業務課長に目を通してもらった。業務課長は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。
(3)亀井志乃は更にN主査の添削を受け、6日の退勤間際に書類が出来たので、寺嶋弘道に直接渡して帰った。
 
 このようになるわけだが、寺嶋弘道自身も、亀井志乃作成の「職員派遣願」が以上の経緯を経て彼の手元に届いたことを、10月31日の法廷において認めている(被告調書31p)。
 
 そうしてみると、以上のような10月6日の流れの、一体いつの時点で、寺嶋弘道はN主査に
「派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょう」と声をかけたのか。そういう疑問が湧いてくるわけだが、おそらく寺嶋弘道はそれを説明することができないだろう。
 なぜなら、もし寺嶋弘道が本当に、
派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょう」と申し出たのであるならば、田口裁判長が引用し、彼自身も「そのとおりだと思います」と肯定した、あの寺嶋弘道と亀井志乃の会話が生まれるはずがなかったからである。

○寺嶋弘道の不可解な行動
 そのことを確認した上で、もう少し事態の流れを追ってみよう。

(4)翌日の10月7日は、寺嶋弘道は休みだった。亀井志乃が出勤して机の上を見たが、寺嶋弘道に渡しておいた「職員派遣願」の原稿は彼女の机の上にもどっていなかった。
(5)ところが、亀井志乃の退勤時間が迫った4時50分ころ、突然寺嶋弘道が文学館へ顔を出し、「教えてあげるから、ちょっとおいで。」と、亀井志乃を自分の席のところに呼びつけた。

 ここから、先に整理したような「会話」が始まるわけであるが、なぜ寺嶋弘道は午後4時50分ころ、突然文学館へやってきたのか。
 亀井志乃を見つけるや、すぐに「教えてあげるから、ちょっとおいで。」と呼びつけたところをみれば、亀井志乃を足止めするためにやってきたことは間違いない。寺嶋弘道は「準備書面(2)」で、
本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。」8p)と主張しており、これは明らかに10月7日(土)のこととして書いている。だが、これは虚言としか考えられない。なぜなら、もし「速やかに施行されねばならなかった」のであるならば、前日の6日(金)のうちに、亀井志乃から受け取った「職員派遣願」を添削して、亀井志乃の机の上にもどしておけばよかったからである。あるいは、10月10日(火)、2人とも出勤した時に、自分なりに気がついたところを、亀井志乃に助言すればよかったはずである(後に引用するように、寺嶋弘道は亀井志乃との会話の中で、文書の作成は休み明けの10月10日でも十分に間に合うことを認めている)。それをせずに、亀井志乃の退勤間際に顔を出し、自分の席に呼びつけた。これは誰がみても、非常識な行動である印象は免れがたいところであろう。

 寺嶋弘道の先のような主張について、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」で、次のように反論した。
《引用》
 
原告は「紹介状」を10月20日に持参すればよかった。明治大学図書館もそれを求めている。原告が持参するのであれば、10月10日以降に作成しても十分に間に合う。そもそも被告の「……協力要請文書は、……速やかに施行されねばならなかった。」という文章は、文意が曖昧である。仮に「施行」は「実行」の誤記だったと考えてもまだ文意が通らず、好意的に考えれば「送付」と書くつもりだったのではないかと推定できるが、なぜ10月7日に急遽その文書を作成しなければならなかったのか、理由が分からない(35p。下線は引用者)
 
 この反論に対する被告側の返答は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)―1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)。
 要するにグウの音もでなかったのである。
 
○明らかな嫌がらせ
 さて、そこで、寺嶋弘道は亀井志乃を足止めして、一体何を教えるつもりだったのか。
 寺嶋弘道の
「開催要項をつけなければならない展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」という言葉は、〈明治大学図書館に対する「職員派遣願」と一緒に、「開催要項」なども添えておかなければならない〉と解釈できるが、それならば彼はそれら必要な事項をメモして、それを亀井志乃に渡せばよかったはずである。ところが、寺嶋弘道はそうしないで、亀井志乃が川崎業務課長やN主査のアドバイスを受けて作成した「職員派遣願」そのものに、乱暴な字で「開催要項の添付または『5、展覧会概要』として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせる、」となぐり書きに書き込んだ。つまり、「職員派遣願」そのものをメモ用紙代わりに使ったわけで、これはもう添削とも呼べない無礼な行為だろう。
 
 しかも、亀井志乃に対して「観覧料は分かる?」と訊き、亀井志乃が「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、それは要らないな」と、亀井志乃目の前で〈観覧料〉という文字に、二重の取り消し線を引いてしまった(
甲10号証の1)。
 これほど無礼で、理不尽なことはない。
 寺嶋弘道が「教えてやるから」と亀井志乃を足止めした、少なくとも表向きの理由は、明治大学図書館に対して展覧会の概要を伝える文書を作らせるためだったはずである。その概要の中に、会期や会場や主催者や観覧料などの情報が含まれていたわけだが、寺嶋弘道は亀井志乃に対して、「観覧料は分かる?」と質問をした。企画展の主担当が「観覧料」を知らないはずがない。この質問は、亀井志乃を一人前の学芸研究員として認めていない、相手を小馬鹿にした、無礼な口の利き方だったわけだが、亀井志乃が辛抱して「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、これは要らないな」と抹消してしまった。
 つまり寺嶋弘道は、彼自身が明治大学図書館に伝えるべきだと主張した情報について、亀井志乃が知っていることを確かめるや、明治大学図書館には伝える必要がないと、抹消してしまったのである。なぜ亀井志乃が知っていれば、明治大学図書館には伝える必要がなくなるのか。
 同じことは会期や会場や主催者等についても言えることだが、もし亀井志乃が知っている理由で、それらの情報も明治大学図書館に伝える必要がないならば、そもそも寺嶋弘道は亀井志乃に何を「教え」たくて、いや、何をやらせたくて足止めをしたのか。
 
 結局寺嶋弘道は、亀井志乃を足止めにし、嫌がらせをするために、彼女の退勤時間を狙って文学館に顔を出した。そういう結論にならざるをえない。こういうのを「つきまとい」と言うのだろう。「つきまとい」人間やストーカーの特徴の一つは、相手を独立した人格として認めようとしない点にある。

○再び流れの整理
 しかもこの日の足止めは、次のように終わった。
《引用》

 結局全面的な手直しとなったので、原告が被告に「では、休み明けの提出でいいですか?」と聞いたところ、被告は「いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし」と言った。原告は驚き、「なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです」と言ったが、被告は「送るんだよ!これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ!」などと原告を怒鳴りつけた。
 
原告は「先方が求めたのは〈紹介状〉であり、自分が持参しなければ〈本人確認〉の意味をなさない」という意味の説明をしたが、被告は耳を貸そうとせず、原告が事前に郵送することを承諾するまで、原告を帰さなかった。原告が被告から解放されたのは午後5時半過ぎだった(3月5日付「準備書面」22p)

 この場面の会話も次のようになるだろう。

亀井志乃:では、休み明けの提出でいいですか?
寺嶋弘道:いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし。
亀井志乃:なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです。
寺嶋弘道:送るんだよ!これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ!

 もちろん場面的には、これは、先に整理した会話に続く会話であり、10月31日の田口裁判長の尋問の文脈からみれば、これらの会話についても、寺嶋弘道は「そのとおりだと思います」と認めたことになる。
 
 また、事態の流れとして整理するならば、

(6)寺嶋弘道は亀井志乃に、明治大学図書館へ伝えるべき情報を指示しておきながら、情報の内容を亀井志乃が知っていることを確かめるや、明治大学図書館へ伝える必要がないと取り消してしまった。
(7)寺嶋弘道は、亀井志乃に作り直させた「職員派遣願」を、事前に明治大学図書館へ郵送するよう強制した。
(8)亀井志乃は、明治大学が求めているのは「紹介状」を本人が持参することだと説明したが、寺嶋弘道は聞き入れず、亀井志乃が郵送することを承諾するまで帰さなかった。亀井志乃が解放されたのは5時半過ぎだった。

ということになるだろう。

○寺嶋弘道、再反論せず
 ちなみに、先に引用した亀井志乃の3月5日付「準備書面」の記述については、寺嶋弘道は「準備書面(2)」で、次のように反論している。
《引用》
 
本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。ゆえに、被告は文書作成の趣旨を十分に説明し原告の理解を得るよう努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することになったとはいえ、そのことをとらえて「原告の自由を拘束しする(する? 引用者)憲法違反の不法行為である」と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるを得ない(8~9p)

 だが、この反論は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」によって次のように論駁されてしまった。
《引用》
 
多分その理由は、被告がこの日は休みだったにもかかわらず、原告の退勤間際にわざわざ文学館へ顔を出し、原告を5時半頃まで足止めしたことを正当化したかったのであろう。被告はこの日、原告を足止めして、高圧的な態度で協力要請文書の作成を強制し、威嚇的な口調で原告を文書郵送の命令に従わせた。被告は、ゆえに、被告は文書作成の趣旨を十分に説明し、原告の理解を得るように努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することになったとはいえ、そのことをとらえて『原告の自由を拘束しする(する? 引用者)憲法違反の不法行為である』と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるをえない。」と言うが、退勤後に用事や約束を持つ人間にとって週末5時過ぎの30分は決して「若干」ではない。それに加えて、被告は、原告による「被害の事実」の記述とそれに対する「違法性」の指摘に反論できないため、常軌を逸した主張である」と論点を逸らしている。だが、当日は休みであった被告が、原告の退勤時を狙ったとしか考えられない時間に顔を出して、30分も足止めし、自分の見当違いな主張を強制し、原告が折れるまで帰そうとしなかった。この被告の行動の意図は不可解であるが、被告が原告に行った行為が人権侵害の行動であることは論を俟たない。しかも被告は自分の人権侵害の行動は棚に上げ、原告の主張に対しては「常軌を逸した主張」と、原告の人格を誹謗する言葉を吐きかけている。これは裁判の過程において、被告と被告代理人によって行われた、原告に対する人格権侵害の行為である(35p。太字は引用者)

 この論駁に対しても、被告側は、平成20年7月4日付の「事務連絡書」で「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)―1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」としか答えられなかった。これまたグウの音もでなかったのである。

○紛れもないパワー・ハラスメント
 またしても長いコメントになってしまったが、平成18年10月6日と7日に起こったことの実態は、こういうことだったのである。(1)から(8)までの寺嶋弘道の行動と、その間彼が亀井志乃に向かって発した言葉。私はこの整理に際しては、田口裁判長に倣って、
教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方」という発話態度の側面はしばらく脇に置いて、台詞それ自体を整理してみた。
 ただ、このように発話態度を捨象し、(1)から(8)の行動と、その間の発話を見るだけでも、寺嶋弘道の亀井志乃に対するパワー・ハラスメントは紛れもないだろう。明治大学図書館に亀井志乃本人が持参する「紹介状」に関して、寺嶋弘道が言ったこと、行ったことには、何一つ合理性がなく、ただ亀井志乃に不必要な仕事を強い、不快な思いをさせ、尊厳を傷つけることに集中していたからである。
 
 10月31日の法廷で、太田弁護士は故意に亀井志乃のノートを読み違えた上で、それに関する質問を寺嶋弘道にした。寺嶋弘道はその質問に誘導される形で、
物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかったのではないかと思います。なので、それを正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。被告調書13p)と答えている。
 では、(1)から(7)に至る経過の中で、亀井志乃のどこに手落ちがあり、どの部分から
「物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかった」と判断できるのか。そう反問してみるだけでも、寺嶋弘道の偽証性は明らかだろう。
 もちろんこの偽証は、亀井志乃の業務態度に関する中傷という人格権の侵害に通ずる。

 それにもう一つ、それを正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。」とは、ずいぶん思い上がった言いぐさだが、それは一まず脇に置いて、それでは、(1)から(7)に至る寺嶋弘道の言動の中で、一体どの点が、物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかった」ことを「正す」ための行動だったと言えるのか。
 この問いにきちんと答えることができなければ、寺嶋弘道の言動は亀井志乃に対するパワー・ハラスメント以外の何ものでもなかったことになる。太田弁護士はそのことを承知していたはずだが、「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)の言い分は次のようにお粗末なものだった。
《引用》

7.平成18年10月7日の被告の言動
(1)被告の言動は、復命書に関する際の発言と同様であり、より相手とスムーズに事が運ぶ様にする際の過去の経験にもとづく業務の指導をしたにすぎない。
(2)これに対しても原告は、被告の言動を「容喙」「干渉」としか理解しないのである(準備書面22頁)

 だが、(1)について言えば、寺嶋弘道の差し出口のおかげで、明治大学図書館と「スムーズの事が運んだ」という事実は全くなかった。また、(2)について言えば、寺嶋弘道が口を挟んで「職員派遣願」を書かせたのは、誰がどう見ても「容喙」以外のなにものでもない。亀井志乃が財団の書式と業務課のアドバイスに従って作成した書類について、寺嶋校ふぉうが書き直しを強制したことは、北海道教育委員会の駐在職員の分限を超えた越権的「干渉」以外の何ものでもない。太田弁護士は、それ以外のどんな理解があり得ると考えているのか。
 ただし太田弁護士は、たとえこの批判に応える必要が生じたとしても、やはり
「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」としか返事をしてこないだろう。
 
 なお、太田弁護士がどんな手口で、亀井志乃の「準備書面」から「容喙」「干渉」をピックアップして、手前勝手な作文をしていたかについては、「北海道文学館のたくらみ(53)」の「○亀井志乃の『準備書面』に関する故意の曲解」で指摘しておいた。】

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北海道文学館のたくらみ(54)

亀井志乃の「最終準備書面」その7

【今回は、「Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問」のAからDまでを紹介する。2009年1月26 日】

Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問

【目次】
  A.「*」印「規程の定めにかかわらず」について(65p)
  B.「〈北海道文学碑めぐり フォトコンテスト〉(仮称)試案に向けての意見書」について(67p)
  C.出張の「相談」と「亀井さん」の「気持ち」について(69p)
  D.〈職員配置図〉について(72p)  E.原告の勤務場所について(74p)
  F.「カルチャーナイト」について(76p)  G.「サボタージュ」発言について(79p)
  H.「アブノーマル」発言について(81p)  I.「怒鳴った」事実について(82p)
  J.平原副館長との「信頼」関係について(84p)
  K.A学芸員とS社会教育主事の時間外勤務について(86p)
  L.〈展示室の設営〉について(88p)
  M.「寺嶋さんの言っている意味」について(平成18年9月26日)(91p)
  N.「運営」への「口出し」について(94p)

A.「*」印「規程の定めにかかわらず」について
 原告は、被告提出の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(
乙2号証)について、その作成の手続きが違法であり、内容的には曖昧・不明確なところが多く、かつ、地方公務員が民間人の「上司」であること/「上司」たり得ると認めることは、地方公務員法に違反すると指摘しました(原告「準備書面(Ⅱ-1)」5~7p・原告「陳述書」15p)。
 しかし、被告代理人は、その指摘をまったく無視し、原告に対して「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という一文を読み上げると、次のように質問してきました。

被告代理人)ここにいう研究員とはだれですか。端的に言ってください。
原告)この「*」印の意味がはっきりしないので、判然とは申せません。

 
(中略)
被告代理人)学芸主幹とは、だれのことを言いますか。
原告)…学芸主幹というのは、道の役職の学芸主幹として、寺嶋主幹だと聞いております。

 
(中略)
被告代理人)あなたは嘱託職員というお言葉を使われてますけれども、財団法人の従業員ではないんですか。
原告)嘱託職員は、ある組織から依頼を受けて仕事をするという人間ですので、私はそのように理解しておりました。
被告代理人)ですから、従業員なんですか、従業員でないんですか。
原告)仕事を請け負っているという意味での従業員だと思っております。

原告調書20~21p)

 さらにその後、被告代理人は、被告の本人尋問においても再び同文章に言及しました。
 

被告代理人)ここにいう研究員とは、だれのことですか。
被告)亀井さんです。

 
(中略)
被告代理人)学芸主幹とはだれのことですか。
被告)私、寺嶋です。
被告代理人)これを素直に読む限り、あなたをヘッドにして、Sさん、Aさん、Oさん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか。
被告)はい、そのとおりです。

被告調書2p)

①しかし被告は、北海道教育庁における〈文学館グループ〉のグループリーダーであり(甲122号証)、他の2人の〈文学館グループ〉のリーダーであるとは言えますが、命令権を持つ上司ではありません。まして、財団の研究員に対して上司であることはあり得ませんし、許されてもいません。
 被告は
乙2号証について、「証拠説明書(乙号証)」の「立証趣旨」においては、「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対する上司であること」と記していました(下線は引用者)。ところが、被告本人に対する尋問において、被告は、被告が原告の上司であったという主張について、ついに一度も、明快に筋を通した説明をすることはできませんでした。
②被告代理人は、
これ乙2号証・*印の箇所)を素直に読む限り、あなた(被告)をヘッドにして(中略)いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですがと被告に尋ね、被告も即座に「はい、そのとおりですと答えていました。また、被告代理人は、別の時にも「要するに、学芸班のヘッドはあなた(被告)だから」という言い方をしていました(被告調書10p)
 しかし、〈ヘッド〉という言葉は、北海道教育庁の職員組織図(
甲122号証)では使われていません。財団法人北海道文学館のどのような文書にも用いられていません。
 被告代理人は、原告が「準備書面(Ⅱ)―1」(5~7p)において行った批判に耐えらず、反論が出来なかったため、法廷においては「上司」という言葉を
「ヘッド」と言い換えて、問題の本質と直面するのを避けたものと思われますが、それは姑息な誤魔化しでしかありません。
乙2号証の組織図が、もし、財団と駐在道職員の〈文学館グループ〉との連携協働の実を挙げるためのものならば、その説明の文面は「『文学館グループ』の主幹を学芸班の班長(squad [group] leader)とする」で十分に間に合ったはずです。
④ヘッド(head)は、上司(superior or higher-ups)よりも遙かに強い権限を持つ〈部族や集団、組織全体の長〉を現す言葉です。財団法人の中でヘッドと言えば館長を意味し、北海道教育委員会の中でヘッドと言えば教育長を意味します。その意味で、被告代理人は故意に「ヘッド」という言葉を誤用したわけですが、被告はその誤用に乗って自分を〈部族や集団、組織全体の長〉と僭称してしまいました。
 
 以上の点で、Aに引用した被告の証言が偽証であったことは明らかです。また、被告代理人太田弁護士は意図的に言葉のすり替えを行い、被告に虚構の地位を与えるレトリックによって、被告を偽証に誘ったことになります。

B.「〈北海道文学碑めぐり フォトコンテスト〉(仮称)試案に向けての意見書」について
 被告代理人は、原告への反対尋問に際して、平成18年5月2日の「文学碑の件」について、
このときに、平原さんあるいは寺嶋さんから、あなたに対して何かしてくださいという指示はありましたか原告調書23p)と質問してきました。
 原告は、平成18年5月2日には、事実として、“どのような内容の業務を・いつまでに”といった明確な依頼は誰からも受けていなかったので、
それはありませんでした原告調書24p)と答えました。また、5月2日の話し合いでは、結局途中から、テーマであったはずの〈ケータイ・フォト・コンテスト〉の話自体が別な方向に行ってしまい、結論も非常にあいまいなまま終わってしまったこと、等を改めて説明しました(原告3月5日付「準備書面」3~5p、「準備書面(Ⅱ)―1」12~17p、「準備書面(Ⅱ)―3」14~15p参照)。また、被告代理人から「企画書を書いてくださいと言われたことはないですか原告調書24p)と聞かれたことについては、同年4月末にそういう話があったことを認めました(正確には4月28日。甲13号証1枚目前半参照)。
 すると被告代理人は、
そうすると、5月2日には、あなたが柱になってやってくださいと言われたことはあるけど、あなたとしては何をやるのか判然とはしなかったということでしょうか原告調書24~25p)と訊いてきました。
 しかしそれでは、その日の経緯が極端に単純化されてしまう上に、〈原告としては〉と、原告の理解の度合いだけが問題にされてしまうことになります。そこで
「そのように短絡させられてしまうと…」と原告が言いさすと、被告代理人は、今度はすかさず「だから、どういうことかと聞いているの原告調書25p)と、原告の言葉をさえぎってしまいました。
 そこで原告は、今度は、〈携帯フォトコンテストの企画書を被告に書いて欲しいと言われたが、企画書を考えるうちに、企画以前のさまざまな問題が出てきた、だからまず意見書を書いて持参した、ところが…〉と、もう一度、話し合いのテーマや文脈が被告によって変えられてしまった経緯を説明しようと試みました。
 ところが、被告代理人は、

いや、いいです、分かりました。じゃ、あなたは、5月2日の平原さん、寺嶋さんとの話の後、今おっしゃった意見書ですか、意見書を出したと、だから自分の役割はそこで終わった、こういう考え方ですか原告調書25p)

と、ここでも原告の発言を勝手にさえぎり、まるで〈原告は要するに、話し合いの席に意見書を提出して、それで事足れりとしてしまったのだろう〉と言わんばかりの強引なまとめ方を行いました。そこで原告も、あくまで、証言は起こった事実に忠実にと心がけて、「意見書」は実際には出せなかったということと、携帯フォトコンテストではないというふうに、それを求められているのではないというふうに被告が否定しましたので、携帯フォトコンテストについての意見書を出すきっかけもなくなったんです原告調書25p)という事情を申し述べておきました。

①5月2日の話し合いがどのような経緯で行われ、何が問題だったかについては、甲13号証および原告3月5日付「準備書面」3~5p、「準備書面(Ⅱ)―1」12~17p、「準備書面(Ⅱ)―3」14~15pにすでに記してある通りです。その時の場面では、被告と平原学芸副館長の方が、原告が〈意見を言えばいいのか〉と尋ねれば〈意見ではない、企画だ〉と言い、そうかと思えば〈自由にアイデアを出してほしい、アイデアは皆でもむ〉と言い出し、そのそばから〈柱となってやってほしい〉とまた言い直し、終始、一貫性がありませんでした。
 また、〈文学碑の写真を集めるフォトコンテスト〉という前提も、被告の口から
「私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている甲13号証5枚目)と否定され、しかし、では、どのような性質のイベントにすればいいのかという方針は、結局定まらずに終わりました。
 ゆえに、
何をやるのか判然とはしなかった」というのは、原告の理解力の問題ではありません。客観的事実として、いったいどのような企画を立案すればいいのか、もしくは、被告らは原告にいったい何を依頼したいのか、何も判然とは決まっていなかったのです。
②また、5月2日の話し合いについて、被告代理人が
「いや、いいです、分かりました。じゃ、あなたは、5月2日の平原さん、寺嶋さんとの話の後、今おっしゃった意見書ですか、意見書を出したと、だから自分の役割はそこで終わった、こういう考え方ですか」と述べたことは、非常に強引かつ短絡的な決めつけであり、また、事実の把握も不正確です。
 どだい、被告代理人が、本当に
甲13号証を丁寧に読んでいたなら、その2枚目の下から4行目に「5/2(5月2日)その〈意見書〉を出さなかったのは、まず、自分が出来る責任範囲をはっきりさせてから、書く事ももう一度見直してみたかったからである(下線は引用者)と書いてあることに気づいたはずです。また、原告の「準備書面」や「陳述書」のどこにも、原告が「意見書」を被告と平原学芸副館長の2人に提出したように誤解させる記述はありません。
 要するに、被告代理人の法廷における言動は、原告から提出された証拠をいい加減に読み飛ばしたか、あるいは故意に文脈を歪曲し、“原告は「意見書」1つを出しただけで〈自分の役割は終わった〉と考えるような、無責任な人間だ”と裁判長に印象づけようとしただけの、姑息な目論見であったに過ぎません。
④なお、この箇所における被告代理人の言動、
 (1)原告の発言を、まだ
「そのように短絡させられてしまうと…」と一言いいさした段階でさえぎっておきながら、だから、どういうことかと聞いているの」と、まるで“自分は、原告の方が言を左右にしたり、論点をずらしているので、その言い抜けを咎めて、きちんと発言させようとしているのだ”というふりをする。人の発言をカットしながら発言を強制するという、矛盾したメッセージを同時に発する、ダブルバインディング。
 (2)相手に充分に話をさせないでおきながら、
だから、どういうことかと聞いているの」「いや、いいです、分かりました。じゃ、あなたは、(中略)意見書を出したと、だから自分の役割はそこで終わった、こういう考え方ですか」と、高圧的に相手の話をひきとり、恣意的に自分の方で話題をコントロールしてしまう。コミュニケーションの場における言葉の権力主義的な行使。
 これらの2点は、まさしく、平成18年5月2日に、被告が
「そういう立場って、いったいどういう事だ。最後まで、ちゃんと言ってみなさい!」と怒鳴り出して、その場のコミュニケーションを破壊した時と、会話に対する姿勢がほとんど同質でした。その事は、ここではっきりと指摘しておきたいと思います。
  

C.出張の「相談」と「亀井さん」の「気持ち」について
 被告代理人は、原告の〈出張の件〉について、被告に
「これ、再三にわたって出張のことで、8月29日、9月13日、9月26日、10月3日と、あなたのほうからちゃんと事前に言ってねという話を亀井さんにしているわけですよね」「それにもかかわらず、なぜ亀井さんは、その話のとおりにしないんだろうか被告調書12~13p)と質問し、被告は「…私も、なぜ分かってもらえないのだろうかと思いましたが、……私を…相談相手だとは思っていなかったんだと思います被告調書13p)と答えました。
 そこからさらに、被告代理人は、原告が提出していた
甲31号証(ノート「道立文学館覚え書」)を読み上げ、下記の如く被告に証言を促しました。

被告代理人)ただ、亀井さん御自身も、たとえば甲31号証の2ページ目、8月29日の欄に、川崎業務課長のところへ行って、私はそういう場合にどなたの御承認を得たらいいのでしょうかと尋ねたところ、それは寺嶋主幹ですとの答えだったと、こういうふうに川崎さんから言われたと。そして、御自分でも、下のほうから4行目に、今回のことは確かに今日決めて明日行くような気軽な気持ちでいた私にも甘さがあったと、こういう反省もしている。それにもかかわらず、なぜ同じ事を亀井さんはするんでしょうね。
被告)物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかったのではないかと思います。なので、それを正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。
被告調書13p)

 しかし、被告代理人の証拠の〈引用〉の仕方は、記述の前後の文脈、及び、この件に関する原告の「準備書面」・「陳述書」における説明をまったく無視した恣意的な文章の切り取り方であり、8月29日当時の原告の記述意図を歪曲するものです。

①被告代理人は、甲31号証(2枚目)の、(原告が)川崎課長のところに行き」から「『それは寺嶋主幹です』との答えだった」という箇所までを、文脈の流れから切り取って問題にしています。そこだけを読み上げると、あたかも、原告が、被告から注意されてから事後的に川崎業務課長のところに行って〈承認〉の件について尋ね、そして、川崎課長に“それは寺嶋主幹でしょう”とたしなめられたかのようなニュアンスに聞こえます。つまり、被告代理人は、そうした聞こえ方を利用して、原告は業務の流れを知らず、業務課長に無知かつ非常識な質問をしたのだと結論づけようと目論んだと思われます。
 しかし、この
甲31号証の8月29日の項を1枚目から読めば明白なように、文章は、以下のような流れになります。

 (甲31号証1枚目 下から5行目より)
 
川崎業務課長は、「では、出張計画を出して下さい」と言った。
 そこで打合せが終わり、計画書提出の準備をしようとしたとたん、寺嶋主幹から「その事は平原さんが知っているのか」と詰問された。
 ※平原副館長は、前日、文学館前で打撲傷を負い休み

  (2枚目 上から1~4行目まで)
 
日程はこの今日決めたばかりだったので、「平原さんは知りません」と答えると、たたみかけるように「平原さんが知らなければ、誰があなたに対して、そういう動きをしていいと承認するのか」と追求された。

 つまり、打合せの席で誰からも異論が出ず、業務課長も承認し、あとは出張計画を出せばいいだけという話にまとまって打合せ会が終わったとたんに、被告が原告を詰問しはじめたのです。そこで原告が、業務上の手続きのことなので、話の流れとして、被告ときわめて至近な席にいた川崎業務課長(乙5号証参照(※8))に「私はそういう場合、どなたのご承認を得たらいいのでしょう」と尋ねたところ、その答えが「それは寺嶋主幹です」だったのです。
(※8 乙5号証では図の全体が横長にデフォルメされていますが、実際には、川崎課長の席と被告の席とは、副館長の机の幅一つ分の間しか離れていませんでした。)
 要するに、川崎課長の返事は、原告に答えると同時に被告にも聞かせるものであって、そのメッセージは〈わざわざ「誰が承認するのだ」と原告を問い詰めなくとも、被告自身が「わかった」と一言言えばそれで済むことだ〉であったと解釈できます。このように、
甲31号証における記録を文脈通りに読む限り、実際の業務の流れを知らずに非常識な問いを発していたのは被告の方です。川崎課長に(間接的に)たしなめられたのも、被告の方です。
②また、被告代理人は、原告が、
今回のことは、……私にも甘さがあった」という文章に続けて、だが、別に大事な人に会う予定でもなければ、重要な事を決める出張でもなく、ただ資料を見に展覧会へ行きたい、という希望だけで、あたかも上司を無視した、非常識なふるまいだったとばかりに執拗に叱責するのは、やや奇異に感じた甲31号証)と書いている所を、故意に省略しました。
③原告が8月末の日程を急遽変更せざるをえなかったのは、S社会教育主事からの急な出張依頼で釧路に行かなければならなくなったためであり、ニセコ行きが可能な日程が限定されてしまったからです。その事情は「準備書面(Ⅱ)―1」(25p)にすでに記しておきました。
 原告は、その日程変更自体について、
今回のことは、確かに、今日決めて明日行くような気軽な気持ちでいた私にも甘さがあった」と書いたのです。被告に対する対応について「反省」したのではありません。また、原告は、ここで「反省」という言葉を用いてはいません。
④一方、被告は、被告代理人からの質問に対して
(原告は)私を…相談相手だとは思っていなかったんだと思います」とか「物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかったのではないかと思います」と、原告の考えや認識に立ち入った証言をしていました。しかし、別人格であり他者である原告の考えや認識について、安易に「思っていなかったんだと思います」等と証言することは、他者の人格の独立を認めない人格権侵害行為であり、その論拠にも客観性がありません。
 結局被告は、平成18年度の間、このような、根拠のない自分の思い込みに従って、原告の業務にことあるごとに干渉してきました。そのことは、ここで被告自身が
「それ(原告の考え)正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います(下線は引用者)と述べていることからも明らかです。
 被告は、原告の態度に問題があると考えたのならば、なぜ話し合おうとしなかったのか。なぜ
「正さなければ」などと、思い上がったことを考えたのか。この傲慢な発想によって、被告は、客観的理由のない〈原告の思想矯正〉を、自分のパワーハラスメントの大義名分にしていたわけです。
⑤なお、被告の
(原告は)私を…相談相手だとは思っていなかったんだと思います」云々の発言について言えば、これは〈顧(かえり)みて他を言う〉類の責任転嫁でしかありません。Ⅱ章第3項「C.録音機と『普通じゃない』発言について」の④で指摘しておきましたように、「相談」の姿勢を欠いていたのは被告自身の方なのです。

D.〈職員配置図〉について
 被告代理人は「文学館事務室職員配置図」(
乙5号証)を原告に示して、見たことありますか」と質問し、原告は「はい」と答えました。被告代理人は、追いかけるように「いつごろ見ましたか。」と問いかけ、原告が「この配置図は…」と言いかけると、その言葉を遮って、いつごろ見たかだけ言って下さい」と返事を急かしました。原告は「見ましたのは、これは、平成18年度の初めから入口のところに張ってありましたので、見ました」と証言しました(原告調書18~19p)。
 その後被告代理人の尋問は、いったん
乙6号証乙2号証乙3号証に関する質問に移った後、再び乙5号証を示して、再度乙第5号証を示します。この席順といいましょうか、座る場所、あなたは、なぜ寺嶋さんと一緒のエリアにいるんですか」と質問し、原告は「これは、単にそのようにまとめられていたと、前年度からの流れで、そのようにまとめられていたという状況でございました」と証言しました(原告調書20~21p)。
 被告代理人はここで、「職員配置図」に関する原告への尋問を打ち切りましたが、被告に対する尋問の中で、以下のような質問を行いました。

被告代理人)10月末に亀井さんの机が場所替えになったことがありますね。
被告)はい。
被告代理人)これは、どうしてそういうふうになったんですか。簡単にでいいです、結
論だけで。
被告)私が亀井さんに対してサボタージュという発言をしたという問題提起を、書面によって文学館の幹部職員にも訴えましたので、それの対策として、亀井さんが席を動かしてほしいということでしたので、それが席の移動になったものと思います。

被告代理人)そのほかに、指揮命令系統が変わったということはありますか。
被告)はい。それまでは寺嶋を上司とするという動きでしたが、それ以降は、副館長の直接の指揮を得るというように変わりました。

被告調書16~17p)

①まず、「職員配置図」自体の性質についてですが、これは本来、特別何かを職員に周知するために配られる〈書類〉ではなく、事務室の入口横に貼付される一種の〈掲示〉(外来客にとっては案内プレート)であり、新年度、もしくは10月に職員が異動になった際には名前が入れ替えられて張り出されるものでした。だから、“いつ見たか”というよりは、正確に言えば“皆が一様に目にしていた”としか表現の仕様がない類(たぐい)のものでした。
 そのため、被告代理人の
「見たことありますか」「いつ見ましたか」は、こうした場合の質問としては不適当ではないかと、原告は不審に思ったのですが、被告代理人が、原告の説明を阻むかのように言葉を遮ってきたため、原告は、充分に意を尽くした証言することが出来ませんでした。
②被告代理人は、原告に、「職員配置図」は
乙2号証の職員組織図を具体化したものだ、と証言させたかったのかもしれません。
 しかし平成17年度末には、職員の間で、一度は、“学芸職員も、今度は同じ〈学芸課〉ではなく、財団職員と道の〈文学館グループ〉に分かれるのだから、机の位置も分けなければいけないのではないか”という話題が出ていたのです。
 しかしその一方で、“広くもない事務室で、なにもわざわざ席を2つと3つに分けなくてもいいのでは”といった意見や、“学芸職員のパソコンにつなぐLANコードの振り分け位置(それまでは1箇所からで済んでいた)や長さをどうする”等の意見が出され、そのうちに、A学芸員とS社会教育主事が引き続き館にとどまることが確実になったので、ごく自然に〈せっかく今まで慣れ親しんできた仕事仲間が席を分けることはない〉という意見が大勢を占めることになったのです。
 平成18年度の座席の位置は、このような話の流れと、事務室の設備・機能等も考慮に入れた現実的な判断の末に決まったことであり、決して“まず〈組織図〉や〈組織規程の運用〉ありき”で定められたものではありません。
③被告は原告のアピール(
甲17号証)を「私が亀井さんに対してサボタージュという発言をしたという問題提起」と呼んでいましたが、正確には、内容は〈被告の原告に対するパワーハラスメントについてのアピールと、職場環境の改善に関する要望〉です。なお、タイトルには〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉と書いていますが、その内容には(被告が)サボタージュという発言をした」とは一言も書いていません(後述のⅢ章G参照)。
 このアピールに関して、平成18年11月10日、原告は毛利館長及び平原副館長と話し合い、4点のことが合意されましたが、そのうちの1点は
「原告の席の場所を、原告の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する甲18号証)というものです。原告が席の移動を主張し、この合意に達したのは、原告の、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる甲18号証2p)という意見に対して、毛利館長と平原副館長が合意した結果です。
 附言すれば、原告のこの問題提起は、前年度からの職員たちが日常業務をこなすために良かれと思って決めただけの座席配置を、〈二つの組織の一体化〉などといった後付けの理屈に都合よく利用して、それが原因でパワーハラスメント問題が起こってきても無視しようとした館長・副館長や被告に対する批判でした。
④被告代理人は、被告の
「亀井さんが席を動かしてほしいということでしたので、それが席の移動になったものと思います」という証言から、原告が被告を嫌い、席を変えてくれとわがままを言ったからだ、という結論を引き出してくるつもりかもしれません。
 しかし、事の本質はそのようなものでありません。毛利館長と平原副館長が原告の意見に合意したのは、被告の原告に対する過干渉の事実を認めたということ、さらに、その一因として
「道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事」を認めたからにほかなりません。それは2人が、間接的な形ではありますが、乙2号証の組織図の過ちと、「被告を学芸班の上司とする」という意味の文言の過ちを認めたことにほかなりません。そうであればこそ、それまでは寺嶋を上司とするという動きでしたが、それ以降は、副館長の直接の指揮を得る被告調書17p)という本来の形にもどったのであり、ですから、原告の席を移したのは、道職員と財団職員と財団の嘱託職員との立場の違いに基づき、本来的な組織関係にもどすためだったわけです(原告「準備書面(Ⅱ)-3」25~26p参照)。

 以上の点に照らして見るならば、被告の証言は、事柄の本質をすり替えた明らかな偽証と言わざるをえません。

亀井秀雄注:今回は特に事情説明の必要はないと思う。
 ただ、Aに関しては、亀井志乃が被告側の主張する「事実上の上司」をどのように批判してきたかを、紹介しておきたい。これを読めば、Aに引用した尋問において、なぜ太田弁護士が
「ここにいう研究員とはだれのことですか。端的に言ってください。」と質問して、亀井志乃が「この『*』印の意味がはっきりしませんので、判然とは申せません。」と保留をしたのか。また、なぜ太田弁護士は「学芸主幹とは、だれのことを言いますか。」と質問して、亀井志乃に寺嶋弘道の名前を言わせようとしたのか、その理由がよく分かると思う。

○亀井志乃の「事実上の上司」批判
 亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(平成20年5月14日付)で以下のように批判した。
《引用》

(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点
 被告側は平成20年4月16日の法廷において「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という文書を提出した。この文書と被告「準備書面(2)」との関係については何の説明もなかったが、「証拠説明書(乙号証)」の立証趣旨に
「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対して上司であること。」と説明されており、それ故ここではとりあえずこの文書が、「事実上の上司」という被告の主張の根拠をなすべく提出されたものとして受け取っておく。
 ただ、この文書は形式、概念、手続き等にわたって疑問点、問題点が多く、「事実上の上司」という被告の主張を裏づけるものとは見なしがたい。以下、その理由を列挙する。

A 書式上の形式的条件について
a)文書の日付が明記されていない。
b)如何なる組織の文書なのか不明である。
c)適用の期限が明らかではない。現在の学芸主幹が駐在している間にかぎり、の意味なのか、学芸主幹という肩書を持つ北海道教育委員会の職員が駐在する間は、という意味なのかが明らかではない。

B 概念について
a) 「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする。」という文言のおける*印は何を意味するか。もし「但し書き」ならば、法律や規程における「但し書き」は、「一の条を前段と後段に区切った時において、後段が前段の例外となっている場合を「但し書き」と言い、但し書きの原則となっている前段を本文と言う」とされている。だが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所には、原則を示す本文がない。本文の原則に「但し書き」が付くのは、本文を機械的に適用した場合、本文制定の趣旨が損なわれるか、または不当な不利益を蒙る者が出る怖れのある時、それを是正する処置を定めるためであるが、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の*印の個所は如何なる不都合、不利益を是正するために付したのか。何一つ説明が見られない。
b
)「規程の定めにかかわらず」「かかわらず」の意味が明らかではない。「規程の定めを無視する」意味なのか、「規程の定めを廃止する」意味なのか、「規程の定めを停止する」意味なのか、「規程の定めを棚上げする」意味なのか、「規程の定めと無関係に」という意味なのか。いずれにせよ、この文言は明らかに現行の規程の適用の否定または拒否を意味している。現行の規程を否定または拒否する主体は何か。その主体に否定または拒否する権限は与えられているのか。
c)
かかわらず」がb)にあげた意味のいずれであれ、この言葉は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の「運用」という概念となじまない。「運用」とは現行の規程をいかに現実の実情に即して効果的、合理的に適用するかということであって、規程の否定または拒否とは相反する行為だからである。
d)
規程の定め」の概念が明確ではない。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」全体を指すのか。同規程の第3条を指すのか。いずれにせよ、誰にとっての不都合や不利益が生じたために、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」全体あるいは同規程の第3条の直接の適用を避けようとしたのか。

C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(乙2号証)の第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
b)平成18年4月18日付けの「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)の記録において、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は議題になっていない。この会議において紹介されたとの記録も見られない。
c)「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)との関係が明らかではない。
d)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」と、北海道立文学館及び(指定管理者)財団法人北海道文学館の名によって公表された『平成18年度年報』(乙4号証)の組織図とは異なっている。これは、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が公に出来ない、違法な性質のものだからであろう。
e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない。
 以上の如く、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」そのものが合理性を欠いており、これをもって被告が原告の「事実上の上司」であったとする主張の裏づけにはならない。「(イー1)基本的な事実の確認」及び「(イー2)被告の根拠なき自己主張」で指摘した如く、被告が原告の「事実上の上司」であったという主張は、法的、制度的、組織的な根拠を欠いている。そしてこの「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で明らかになったことは、被告が原告の「事実上の上司」であったという主張は規程上の裏づけをも欠いており、それだけでなく、規程上の正式な手続きを経ない違法なものでしかないということである。
 
 上述の如く、被告の被告自身の立場に関する主張は全く合理的な根拠を欠いた、違法な主張であることは明らかである。被告が言う「事実上の上司」とは、正しくは「公にできない、違法な上司」と言い換えられなければならない。原告は、この違法な主張に基づいてなされた被告側「準備書面(2)」における主張を全て否認する
(5~7p。太字は原文のママ。下線は引用者)

 弁護士の看板を出している以上、太田三夫弁護士はメンツにかけてもこの批判にはきちんと反論してくるだろう。亀井志乃も私も、そう予想していた。期待していたと言ってもいい。ある意味で、ここが今回の裁判の急所だからである。
 ところが太田弁護士は、平成20年7月4日付の「事務連絡書」で
「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)―1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」と答え、反論を回避してしまった。

○逃げて廻った太田弁護士
 亀井志乃も私もちょっと拍子抜けがしたが、〈しかし待てよ、
本件訴訟における争点との関係を考え、」とは妙な言い方だな。「争点とは関係がないから」反論しないというのならば、それなりに文意は通る。だが、太田弁護士も寺嶋弘道も「関係がないから」とは断言はできない。関係がないはずはないからな。でも、彼らとしては反論はしたくない。したくても出来ない。そこで太田弁護士は、取りあえず、こういう曖昧な言い方をしておいて、後で「反論をしなかった」事実が問題になった時は、「いや、反論をしなかったことは、必ずしも亀井志乃の指摘と主張を認めたことを意味しない」と言い抜けるつもりかもしれない。それならば、こちらとしては、彼らの逃げ道を塞いでしまおう〉。私たちはそう考えて、亀井志乃が平成20年7月7日、「訴え変更の申立」を裁判所に申請してきた。太田弁護士署名の「準備書面(2)」と寺嶋被告の「陳述書」、及び平原副館長の「陳述書」は、いずれも「裁判の過程において虚偽の陳述を行い、かつ原告の人格と能力と業務態度を中傷誹謗する、人格権侵害の違法行為」に該当する(「訴え変更の申立書」)、と判断したからである。
 この間の事情は「北海道文学館のたくらみ(39)」にも書いておいた。
 
 亀井志乃のこの対応は、太田弁護士にとっては計算外だったのであろう。彼はその翌々日、7月9日の第5回公判に合わせて、「準備書面(3)」(平成20年7月9日付)を提出したが、その内容は、亀井志乃の「訴えの変更の申立」に関しては、
全て否認ないし争う。」ということだった。
 ところがその件について、田口裁判長が「被告側は新たな証拠や反論を用意しているのか」という意味の質問をしたところ、太田弁護士は「いえ、ありません」。
 要するに太田弁護士は、ここではっきりと、反論の放棄を明言してしまったのである。
 
 そんなわけで、10月31日の法廷における本人尋問では、太田弁護士と寺嶋弘道被告とは極力「事実上の上司」という言葉を使わずに、「ヘッド」なんて言葉にすり替えて誤魔化そうという、まことに薄みっともない、姑息な策戦に出たわけだが、亀井志乃の反対尋問を受けて寺嶋弘道はたちまちボロを出してしまった。もはや取り繕いようがない。太田弁護士は、最終準備書面たる「準備書面(4)」で、破れかぶれに開き直ったみたいに、またしても「事実上の上司」の乱発を始めた。
 これはすなわち、太田弁護士自身、「事実上の上司」が
「本件訴訟における争点」であることを認めていた証拠にほかならない。
 結局太田弁護士はこの
「争点」たる「事実上の上司」について、亀井志乃の批判に反論できず、また、自分の責任においてその言葉の概念を説明することもなく、結審を迎えたわけである。】

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北海道文学館のたくらみ(53)

亀井志乃の「最終準備書面」その6

【今回は、Ⅱ章の「第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言」を紹介する。2009年1月22日】

第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言
A.〈出張の手続き〉について
 被告は、被告代理人から、原告が出張する際の手続きの流れについて質問を受け、以下のように証言しました。

被告代理人)あなたの頭の中では、亀井さんが出張するときの流れというのは、どういう順番で、どういう手順でされるのが本来の姿だというふうに考えているんでしょうか。
被告)年度当初には、その展覧会で旅費はどの程度必要になるかという相談を、展覧会の全体経費の中と同時にしなければならないと思います。その上で、旅費の見通しを持った上で、次に具体的に出張先をリストアップして、そこにどれだけの経費が掛かるかを、学芸班だけでなくて旅費の執行をする業務課も含めて、旅費はこのくらいになりますよという相談をし、その上で、そこで了解、承認をもらった上で、実際に先方に相談して日程の調整をするということになると思います。

被告調書10p)

被告代理人)あなたからすると、まず内部できちっと打合せして、予算のことだとか、あるいは優先順位のことなんかを考えて、そして枠組みをはめて、業務課とも打合せして、その後相手方と交渉して具体的な日程を決めると、こういうのが本来の姿だと思っているわけですね。
被告)はい、そのとおりです。

被告調書11p)

 また、出張の日程を決めることに関しては、9月26日の打合せにおける「亀井さんとの間でやりとり被告調書11p)の件で、被告はこのような証言もしていました。

被告代理人(前略)それで、こういう発言をあなたしたことがありますか。相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょうと、こういう発言がある。
被告)はい、そのとおり発言したと思います。
被告代理人)これはどういう趣旨で言ったんですか。
被告)調査に行きたいんですけど、いつがいいんですかと言えば、もう相手に対して行くということを伝えてしまうことになりますので、その前に、内部の了解を得ておかなければならないという趣旨です。

被告代理人)要は、相手方に先に言っちゃっている以上、行かざるを得ないでしょうという趣旨ですね。
被告)そうです。相手に言ってしまったんなら、それを今更行けなくなりましたということにはならないという意味です。
被告代理人)逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。
被告)はい、そのとおりです。

被告調書11~12p)

 しかし、ここで被告が主張している〈出張の流れ〉や、それに絡んだ〈経費の相談〉についての説明は、これまで原告が提出してきた証拠に照らせば、現実に文学館で行われていた手続きの順序とはまったく異なります。また、一般的な展覧会業務の流れに照らしても、何らリアリティがありません。

①展覧会における旅費については、各展覧会の予算の枠内で、他の必要経費を圧迫しない範囲においてならば、担当者が自己裁量で配分できるようになっています(※7)。そして、各展覧会の予算は、前年度中に理事会で決定されます。
 念のために説明を加えますと、道立文学館で行われる事業には、道負担金による事業と財団法人北海道文学館の自主財源による事業の、二種類の事業があり、原告が主担当である「人生を奏でる二組のデュオ展」は、道負担金によって実施される〈特別企画展2つ・企画展1つ〉の枠内の企画展でした。ですから、他に財団主催の展覧会や貸館の展示がエキストラで増えたからといって、本来、予算的に影響を受けるはずはなく、また、逆にいえば、「デュオ展」での予算執行が財団側の展覧会に対して影響を及ぼすということもありませんでした(「準備書面(Ⅱ)―1」22pおよび甲40号証甲42号証参照)。
 よって、年度当初には、その展覧会で旅費はどの程度必要になるかという相談を、展覧会の全体経費の中と同時にしなければならないと思います」という被告の証言は、何ら現実性がありません。そもそも、展覧会の全体経費の中と同時にしなければ」という言葉は意味が判然としませんが、それが“新年度に入ってから、各展覧会の経費配分も、その細目も決めてゆく”という意味だとしたら、この証言は前年度(平成17年度)3月の理事会決定をまったく無視した偽証であり、非常識きわまりない話です。

(※7 予算配分システムについて…
指定管理者制度以前は、予算は単年度計算でしたので、旅費・需用費・賃借料等の細目についてもある程度の枠が決められ、余った予算は道に返還されていました。しかし、指定管理者制度導入以降は、予算は4年間という大枠でつけられ、各事業に関しても、予算の枠内で収益を上げたり余裕を作ることができれば、それを道に返還する必要はなく、翌年以降に繰り越せるようになりました。そのため、各事業における細目の予算配分についても、事業予算の枠内であればという前提のもとに、各担当の裁量の自由度が高まったのです。)

②この証言において被告が述べている〈出張の流れ〉は、実際の展覧会企画成立および推進の流れをまったく無視するものです。
 繰り返しの主張になりますが、展覧会企画は、すでに前年度に決まっています。原告提出の証拠によれば、平成18年度の展覧会企画案を学芸課長が職員から集め始めたのが平成17年6月(
甲94号証)、ある程度内容が固まり、課内打合せや企画検討委員会で討議されたのが9月でした(甲95号証甲96号証)。なお、ここまでの過程での下準備としては、〈どんな作家の・何についての展覧会か〉ということが具体化されてゆき、主な貸借先への最初のコンタクトはこの時期に行われます。そして、ほぼ実行可能だと判断された企画だけが、最終的に企画検討委員会で紹介・検討されるわけです。どこから資料を集めるのかわからない、あるいは、貸借先から承諾を得られるかどうかわからないような企画は、この時点までで除外されてしまいます
 そして新年度に入ると、各担当者は、誰の命令を待たなくとも、自分で心がけてたびたび貸借先と連絡をとり、相手側の責任者とよくメール等で相談しながら、貸借資料の範囲をテーマに合わせて絞り込み、搬送方法等についてもコンセンサスを得ておきます。そして〈出張〉は、この過程で、特に貸借資料を絞り込み確定しておく上で、絶対に欠かせない業務と言って過言ではありません。したがって、担当者が相手側とコンタクトを何回かとってゆく過程で、ある程度、出張の時期が決まってゆくのが自然の流れです。担当者が出張の時期を皆にはかって、他の重要な日程とぶつからないように調整し承認を得るのは、一番最後の段階です。
  
 もし、これが被告の述べるような順序だとしたら、
 (1)各担当者は新年度になってからようやく担当の展覧会について“どこに話を持ち込もうか、どこに行ったらいいだろう”と考えながら出張先をリストアップし、
 (2)“どこから何を借りたら良いか”ではなく“そこに行くとしたら幾らかかるだろう”ということを主に考えながら学芸職員や業務課と相談して、了承を得、
 (3)それから
(すでに当年度になっているのに)ようやく先方に連絡をとって展覧会の話を持ち出し、“いつ行きましょうか”はその後の話となる、
 ということになります。
 しかも、被告調書11~12pの証言に従えば、その“いつ行く”という話も、“先に相手に問い合わせてしまっては行かざるを得ないことになる”ので、そうなることを避けるために、日程も文学館側であらかじめ決めてから、相手に連絡をとった時に、いきなり「私がそちらにお伺いできるのは○月○日ですが、貴方のご都合はよろしいでしょうか」と日取りを提示する、ということになります。
 このような手順では、相手側から「もう貸出には先約があります」「今お貸しできる状況にはありません」等と断られたら、そこで企画は白紙になってしまいます。また、仮に相手側に会っていただけるにしても、先に相手の都合も聞かずにこちらの日程を切り出すというのは、ビジネス全般の常識から見てもきわめて無礼な行為と言えるでしょう。
 この意味で、被告の証言はリアリティがなく、偽りに満ちている上に、被告の社会常識をも疑わせるような内容の証言だと言えます。
③もっとも、②項に関して、Ⅱ章第3項の「D.栗田展の中止について」に引用した被告の証言と合わせて考えると、被告の、展覧会業務に関する行動の実態が、まざまざと見えて来るように思われます。
 おそらく被告は、被告の信ずる展覧会業務の流れに従って、展示の内容から相手先への訪問の日取りまでを、先にすべて文学館側
(ないしは被告自身の側)で決めてしまい、一番最後の段階で栗田氏に連絡をとって、協力を求めたのでしょう。それがこのケースでは、栗田氏から「作品を貸し出すことはできない」という反応を引き出す結果となったのでしょう。
 その意味では、被告は、少なくとも自分自身の業務に対する認識については、嘘はついていないと言えます。しかし、被告の認識が、文学館業務の在り方を正しく把握しているものかといえば、それはまったく違います。また、栗田展の中止から約2年を経て、被告が未だに文学館業務についての認識を改めていないというのも、驚くべきことだと言えます。

B.「予算の確保を業務課と調整」したという主張について
 被告は、裁判長から、被告が主張するところの「学芸部門の統括及び業務課の調整」の立場と役割についての質問を受けましたが、その際、以下のような応答がありました。

田口裁判長)原告との関係において努力されたことはありますか。
被告)………原告との関係というと、まあ、一番は「二組のデュオ展」だと思いますけれども、その展覧会が、予算がショートしないで実現できるように、年度当初といいますか、5月か6月ぐらいだったと思いますけれど、実行予算の見通しを立てるときに、実行の予算の確保を業務課と調整したことがあります。

被告調書25p)

 ここでの被告の証言には、虚偽、もしくは根拠のない主張が2点含まれています。

①前項(本章第4項「A.〈出張の手続き〉について」)の①・②で説明しましたように、予算配分は、基本的にはすべて前年度のうちに完了しています。また、同じく説明しましたように、「デュオ展」は道負担金で行われる企画展ですので、枠は確保されており、財団側の展覧会が増えても、本来影響は受けません。また、予算枠内における支出配分については、各担当者に任されています。
 ですから、もし予算関係で問題が起こるとすれば、担当者が予算を執行しはじめた時以降であって、それ以前の時点では、“予算がショートするかしないか”、業務課の方でも予期・予測が出来るはずがありません。また、担当者が予算の執行もせず、執行予定の金額の提示もしないうちに“予算が足りなくなるかも知れない”と考えるなどは越権的な発想であり、かつ、主・副担当者2人の能力を貶めるものです。そのような発想を業務課がするとは思えません。
 また同様に、当の担当者をはずして、学芸主幹と業務課が無断で予算の「調整」を行うというのも、あり得ない話です。
 よって
(デュオ展の)予算がショートしないで実現できるように」とか、「(デュオ展の)実行予算の見通しを立てるときに、実行の予算の確保を業務課と調整」したなどという被告の証言には根拠がなく、信ずるに足りません。
②被告は、
二組のデュオ展」に関する「業務課との調整」「年度当初といいますか、5月か6月ぐらいだったと思いますけれど」と述べていますが、そのような事実はありません。少なくとも、主担当である原告には何も知らされていませんでしたし、結果も知らされてはいませんでした。
 これまでも準備書面等で述べてきました通り、5月にあった展覧会予算関係の話といえば、5月12日の被告による〈啄木展の予算大幅超過〉の話であり、〈企画展の財布は一つ、だから担当者は支出予定の内訳を出すこと〉という指示のみでした。この指示は被告のみから出され、そしてA学芸員や原告が指示通りに支出予定を館のサーバーにアップしたにもかかわらず、この件で話し合いが行われることはついにありませんでした。
 もしこの時期に、本当に、
(たとえ越権的行為であっても)被告と業務課との間で実行予算について調整が行われたのだったら、被告は原告にでもA学芸員にでも、その結果を提示することができたはずです。まして、その後、9月26日に、被告が(デュオ展は)他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と言いつのり、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」とたしなめる(原告3月5日付「準備書面」18p)という状況は、起こり得るはずがありません。

 以上の2点を勘案すれば、法廷における被告の主張は、偽証であることが明らかです。

③ちなみに、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」の20pおよび22pで、文学館における予算の性格や執行システムについて、上記と同じ説明をしておきました。
 ところが被告代理人は全くそれを無視して、原告に対し、
このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないと、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか」原告調書21p)と、わざと見当違いの質問をし、原告が「そのような形ではお答えできないんですけれども」と答えると、今度は「じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか」と、自分勝手な解釈を押しつけてきました(同前)。
 これは、無礼な尋問態度であっただけでなく、被告の偽証を覆い隠すための詐術と言うしかありません。

C.「復命書」の書き方について
 被告の主張する“「復命書」の添削の必要性”の問題と、
甲12号証の1およびにおける「用務地」との関連で、田口裁判長は、そしたら、問題なのは用務地だけだったんですか」と被告に質問しました。そして被告との間で、以下のようなやり取りが行われました。
 

被告)用務地と、それから用務は、この甲12の2に書かれている用務、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」というように書いてほしいというふうに。
田口裁判長)ぴったり同じでなきゃいけないわけですか。
被告)ええ、ぴったり同じに、一般的にはしています。
田口裁判長)「処理の状況」の下のところもペケ印がしてあるんですけれども、これも書いちゃいけないことなんですか。
被告)そうですね。そうですねというのは、この資料返却、さらに、資料調査が、特別企画展、つまり石川啄木展の資料の返却と、資料の調査にかかわることであるからです。

被告調書29~30p・下線は引用者)

 しかし、被告のこの証言は、以下の理由により偽証と言わざるをえません。

①被告は、北海道教育委員会も財団も「復命書」の書き方は変わらない、すなわち統一されている、という前提で上記の証言をしたようですが、Ⅱ章第2項「G.書類の〈添削〉について」の①と②で指摘しましたように、被告が「指導」と称して原告に強制した文書の書き方は、すでに平成18年11月10日の時点で、毛利館長と平原副館長によって、不適切であり、正当性がないとして否定されていました。そして、従来の財団の「復命書」の書き方は、〈出張先の研究状況等に関する情報を「復命書」に書いておくことが望ましい〉とされていました(原告3月5日付「準備書面」12p・「準備書面(Ⅱ)―1」24p・甲18号証2~5p)。
②もともとこの時の釧路出張は原告の方から希望した出張ではありません。原告は特別企画展の啄木展から疎外された状態にあり、ただ1点だけ、主担当の鈴木社会教育主事から頼まれて、釧路在住の啄木研究家・K氏のお宅まで、資料の借用と返却とに出かける形でかかわっただけです(原告「準備書面(2)―1」25p)。ですから、原告が釧路へ出張する〈用務〉は、原告からではなく、S社会教育主事から業務課へ伝えられたのであり、その内容を業務課のN主査が〈用務〉の欄に、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」と記入したわけです
(「旅行命令簿」の文字はN主査の文字)
 日程については、原告がK氏に電話をして都合をうかがったところ、9月1日ならば都合がつくというお返事でしたので、原告の方から川崎業務課長とN主査に、9月1日に釧路へ出かけたい旨を伝えておきました。
③S社会教育主事が、N主査に、原告の釧路出張の「用務」をどのように説明したかは原告の知るところではありません。ただ、S社会教育主事は、すでに前年度から、原告がどのような展覧会を企画・構想しているのかについて了解していましたので、出張を原告に依頼に来た時からすでに、「用務が済んだら、
(釧路で)亀井さんの方の資料調査をしてきて構いませんよ」と言ってくれていました(Ⅱ章2項「F.『用務地』について」の②参照)。
 それに、
甲12号証の2の方を見ても、これは啄木展終了後の資料返却のための出張なのですから、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」における「資料調査」が、啄木展のための資料調査でないことは明らかです。よって、被告の「この資料返却、さらに、資料調査が、特別企画展、つまり石川啄木展の資料の返却と、資料の調査にかかわることであるからです」という証言は、まったくの事実誤認、ないしは虚妄に過ぎません。
④被告は、原告に「復命書」の書き直しを強いたわけですが、裁判長の質問に被告が答えた理由は、「ええ、ぴったり同じに、一般的にはしています」ということでした。しかし「一般」とはどの範囲なのか、言及していません。だが、少なくとも財団では、上記①のような考え方のほうが一般的でした。
⑤被告は北海道教育委員会のやり方を〈一般的〉と考えているのかもしれません。しかし「北海道職員服務規程」の第8条には、「出張を命ぜられた職員は、帰庁後すみやかにその出張中取り扱った事務の結果を復命しなければならない。」とあります。道が公務員に求めているのは、「出張中取り扱った事務の結果」の報告です。「旅行命令簿」の文言とぴったり一致した文言の「復命書」を求めているのではありません。
 出張では「旅行命令簿」や出張計画書に記載していなかった、予定外の事柄に出会い、臨機応変に適切な対処をしながら、本務を遂行しなければならないことがあります。いかに適切に対処したかを含めて報告するのが、「一般的」な復命書のあり方です。
 もし被告が証言したとおりならば、出張に出かける前に旅行命令簿の文言と「ぴったり」一致した文言の復命書を作っておくことが可能であり、そのほうが手間が省ける理屈になります。だが、そのようなやり方を可能とする復命書の書き方を制度化した自治体や官公庁はどこにもありません。

 よって、被告の「復命書」の書き方に関する証言は虚偽であり、被告が虚偽の書き方を駐在先の財団の職員に押しつける越権行為を行って、原告に嫌がらせを働いたことは明らかです。

亀井秀雄注:今回の亀井志乃の説明は十分に意を尽くしており、特に説明を要するところはなかったと思う。
 
 ところが、被告側の「準備書面(4)」は今回の内容に関連することに、割合多くのページを割いていた。しかも、その言うところは、今回の亀井志乃のテーマである「被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言」に、更に輪をかけるような虚偽の主張に充ちている。一体この人たちはどこまで嘘を吐き続けるつもりなのか、呆れるばかりの執拗さであるが、彼らとしては、もう裁判にかかわる反論は出てこないと安心、いや、多寡を括っているのかもしれない。
 なぜなら、亀井志乃は裁判長が決めたとおり、昨年の12月12日の締め切り日に「最終準備書面」を2部(被告分と合わせて)、札幌地方裁判所に提出した。これで亀井志乃の裁判における主張は終結したことになる。本当は被告側も12月12日に「最終準備書面」を提出し、被告側の主張を終結させなければならなかったのだが、太田三夫弁護士は4日も遅れて、12月16日に「準備書面(4)」を提出し、その写しを亀井志乃に郵送した。――亀井志乃の手元に届いたのは17日。――このやり方はどうも釈然としない。なぜなら、太田三夫弁護士は亀井志乃の「最終準備書面」を読んでから、「準備書面(4)」を書く(あるいは一応出来上がっていたものを手直しする)ために時間稼ぎをした、と解釈できるからである。
 
 ただ、その辺の事情を田口紀子裁判長がどう判断するか、私には分からない。また、裁判長の判断に、あらかじめあれこれと注文をつけることは、厳に慎まなければならないだろう。
 
 それ故私は、私なりの仕方で、つまり太田弁護士に時間稼ぎをされてしまった亀井志乃に代わって、被告側の「準備書面(4)」の検討と批判を行おうと思う。

○自分の不手際を取り繕うのが「本来業務」
 そこでまず、予算の執行に関する被告側の主張を取り上げてみたいと思う。被告側は「準備書面(4)」でこんな主張をしていた。
《引用》

(1) 被告は、学芸業務の予算編成案の作成に関する主担当であった(乙6)。
(2) 従って、事業年度途中において予算案とともに承認されていた財団の事業について、予算の執行状況を見ながら不断に企画内容・予算案について検討するのはこれまた当然すぎる被告の本来業務であり、それが原告に対する違法な行為になることなど有り得ない
(4~5p)

 言うまでもなく、これは真っ赤な嘘である。
 亀井志乃が指摘したように、平成18年度の事業計画と予算は平成17年度内に決まっていた。当然のことながら、「平成18年度 学芸部門事務分掌」(
甲60号証※1)もまた平成17年度内に決まっていた。その中で、18年度に着任する寺嶋弘道学芸主幹に割り当てられた「事務分掌」の一つが、事業計画案および予算編成案の作成に関すること(主担当は寺嶋。副担当はS社会教育主事)だったのである。
 分かるように、寺嶋弘道学芸主幹の平成18年度の仕事の一つは、平成19年度の
「事業計画案および予算編成案」作成することであって、決して平成18年度の「学芸業務の予算編成案の作成」ではなかった。端的に言って、平成18年度の寺嶋弘道には、「平成18年度の学芸業務の予算編成案の作成」などという仕事はなかったのである。
 ところが太田弁護士は、「事業計画案および予算編成案の作成に関すること」という文言を、
被告は、学芸業務の予算編成案の作成に関する主担当であった」と、被告に都合よくリライトし、あたかも平成18年度の寺嶋弘道の業務の一つが「平成18年度の学芸業務の予算編成案の作成に関すること」であったかのように誤魔化したのである。
(※1、被告側が挙げた「乙6」の元になったもの。「乙6」の「事業計画案および予算編成案の作成に関すること」(主担当は寺嶋。副担当はS社会教育主事)という文言も、甲60号証の文言をそのまま引き継いでいる。)
 
 そんなわけで、
従って、事業年度途中において予算案とともに」云々という文章における、従って」という接続詞は不正確な、いや、間違った使い方と言うしかない。そもそも平成18年度の年度途中において、「平成18年度の予算案」や「事業」が承認されるというようなことはあり得ないからである。

 ただ、この不出来な文章を、「平成17年度内に決定されていた予算案、及びそれとともに承認されていた財団に事業について、平成18年度の年度途中に、予算の執行状況を見ながら不断に企画内容・予算案について検討するのは」云々と書き換えてみれば、それなりに文意が通らないわけではない。
 ただし、そんなことが必要になったのは、寺嶋弘道が、亀井志乃が副担当だった啄木展に(亀井志乃を無視して)介入して大幅に予算を超過してしまったり、自分が主担当だった栗田展を中止にしてしまったり、年度当初の事業計画になかった「イーゴリ展」を他の職員に無断で割り込ませてしまったりしたからにほかならい。それを取り繕うためにかなりドタバタしたようだが、被告側としては、それをもって「平成18年度の本来業務」と強弁したのであろう。
 
 ということはすなわち、自分の不手際を取り繕うことが、寺嶋弘道の「平成18年度の年度途中における本来業務」だったわけである。
 
○亀井志乃の「準備書面」に関する故意の曲解
 次に、被告側が「準備書面(4)」で主張した、
被告の原告に対する再三の『助言』」の問題を取り上げてみよう。
《引用》

6. 平成18年8月29日、9月13日、9月26日、10月3日の被告の発言
(1)どの組織においても、職員が出張する場合、出張目的・出張の必要性・出張先の箇所の多少・出張の優先順位等を同僚・上司と相談したうえ決定し、予算執行者の了承を得てから行うのが通常の業務の有り方である。
(2)何故組織ではこの様な手順を踏むかといえば、限られた予算の中で優先順位をつける必要性があるのと、出張中の職場の労働力の配置・業務の配転等々の問題があり、それを相互に調整する必要があるからであり、このことは組織人として常識の部類に属する事柄である。
(3)しかるに原告は、これを全く事前に事実上の上司である被告に相談することなく、原告の一存で相手方と接渉
(交渉? 折衝?)をして出張予定を組むため、被告はきちんとした手順を踏むことを原告に対し再三に亘り求めたに過ぎない(被告調書9~13頁)。
(4)原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)、原告はこれを自分に対する「容喙」「干渉」としか理解できないのである(原告の平成20年3月5日付準備書面(以下「準備書面」という)18頁(b)ロ、ハ)。
(5)この様な再三に亘る原告の組織を無視した自分本位な行動に、事実上の上司である被告が多少声を大きくして発言したとしても、極めて当然のことである。
5~6p)

 これらの主張のうち(1)(2)(3)が、いかに文学館の業務の実態に無知な人間の言いぐさでしかないか。その点については、既に亀井志乃の「A.〈出張の手続き〉について」によって、論破されてしまっている。両者を読み比べてみれば、一目瞭然だろう。
 ここで太田弁護士に必要だったのは文学館業務の基本原則の確認であり、だから、
どの組織においても」なんて、根拠不明な一般論など振りかざしても、それは自信のない証拠にしかならない。こういう書き方は止めた方がいい。「北海道立文学館においては」、あるいは「被告が前に勤めていた道立近代美術館など、文化施設においては」と、具体的な事例に即して論じなければ、理屈が空回りするだけなのである。(おまけに、太田弁護士の考える組織は、「どの組織においても」、1人の職員がわずか1泊か2泊の出張に出るだけで、「業務の配転(配置転換?)」まで行うらしい。一体そんな組織がどこにあるのか。)

 それ故、ここでは(4)の主張を中心に検討を加えたいと思うが、この文章の前半と後半とは、具体的な事実関係に即して見れば、全く対応していない。つまり前半は後半の前提文でもなければ、条件文でもないのである。
 まず後半について言えば、亀井志乃が平成20年3月5日付の「準備書面」の17ページから18ページにかけて取り上げたのは、平成18年9月26日、寺嶋弘道被告が突然に、支離滅裂、辻褄の合わないことを怒鳴りはじめ、川崎業務課長から「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」とたしなめられた、あの場面であった。
 その場面は、つい最近この連載ブログで紹介した(「北海道文学館のたくらみ(46)」)。だから、記憶している方も多いと思うが、その時の寺嶋弘道の発言は、どうひいき目に見ても、とうてい出張の手順を「助言」したものではあり得なかった。なぜなら、寺嶋弘道が支離滅裂なことを言い始めたのは、亀井志乃が「展覧会支出予定」のコピーを取って寺嶋弘道に渡そうとした時のことであり、出張手順のことは話題になっていなかったからである。
 そこで亀井志乃はその場面を再現した後、
ロ、被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した。(以下略)」と書き、また「ハ、被告は、財団の嘱託である原告が自分の企画展に割り当てられた予算の範囲内デ本州へ出張することに干渉し、なぜ本州への出張が必要かを確かめることなく、出張を制限しようとした。(以下略)」(平成20年3月5日付「準備書面」。イは省略。太字は引用者)と書いた。
 太田弁護士はこの「ロ」の文中の「容喙」と、「ハ」の文中の「干渉」とをピックアップして、
原告はこれを自分に対する『容喙』『干渉』としか理解できないのである」と、まるで亀井志乃の受け取り方のほうが不当であるかのような口ぶりで、非を鳴らしたわけだが、「容喙」「干渉」と受け取る以外にどんな理解があり得ただろうか。
 事実、亀井志乃は、寺嶋弘道の予算執行に関する「容喙」と、出張に関する「干渉」のおかげで、里見弴関係の資料調査に予定していた鹿児島の「川内まごころ文学館」への出張を諦めただけでなく、資料借用、搬送、図録作成などの支出も切り詰められるだけ切り詰めて、当初予算150万円のほぼ半額で「二組のデュオ」展の全経費をまかなうほかはなかったのである。

○寺嶋弘道の言いがかりと平原副館長の約束
 それに、寺嶋弘道は亀井志乃に「再三に亘る助言」など一度もしたことはなかった。
 太田弁護士が(4)で挙げた
(甲6、8、9、31、32、44)は、亀井志乃が自分のノートから抜粋して提出した「証拠物」の番号を示した数字と思われるが、その全てを検討するには大変な紙数が必要となる。
 そのため、「
甲6号証」と「甲8号証」に絞って説明したいと思うが、亀井志乃は平成18年9月12日(火曜日)、自分が主担当の「二組のデュオ」展の準備のための出張予定について、職員に周知しておいてもらうため、事務室における朝の打合せ会で「これからの動き(資料提供協力先)9月後半~12月前半」(甲5号証)という文書を配布し、外勤・出張の可能性がある所とその時期について説明をした。その席では、誰からも質問や異論は出なかった。
 ところが翌13日の昼12時頃、寺嶋弘道が二階の事務室に通ずる階段の上で亀井志乃をつかまえて、「昨日の出張の件については、業務課との方はもう話がついているの?」と聞いてきた。亀井志乃が「いえ、昨日、初めてお話ししたことですから」と答えると、寺嶋弘道は「そういう問題ではない。打合せ会は、すでに決まったことを報告するところだから、こうしたことを話すところではない」と詰問を始め、原告が「朝の打合せ会はそういう性格のものと決まったのですか」と質問すると、被告は「そうなんだ」と答えた。そして「どのような出張予定になっているのか、あらかじめペーパーをこっちに提出しなさい。原告がどう動くかについては、自分と業務課長が協議して決めることだ」と言った(太字は引用者)。
 このことについて、亀井志乃は「ノート」(
甲6号証)の中で、次のように書いている。
《引用》

9/13(水)
一見、上司として手続きを踏むため、というような発言だが、展覧会の主担当である自分が、必要があって動くのに、本人も交えずに、ただ書類だけ出させて、しかも一部だけがその行き先の是非を決めるというのは、どう考えてもおかしい
 場所が階段上の廊下だったため、その場では一応「はい」と返事してその場を離れたが、納得いかなかったため、1時頃、文学館の門の近くで会った平原副館長に手続きの事を問うてみた。
平原副館長の答え

・手続きとしては、一応、寺嶋主幹が私から「どこへどういう動きたいから」という意向を聞き、川崎業務課長に「学芸班の人間がこのように動くから(会計を)よろしく」という順序になる。
・しかし、行っていいとか駄目とかいう話ではなく、必要があれば行かねばならない。
・外国へ行くとか、特別な場合は別だが、基本的に国内ならば必要がある所へ行くのが当然
ただ、もちろん、きちんとした動き(※これは、旅費の過剰な請求にならないような動き、と亀井は解釈)であることを説明しなければならないが、それが説明出来れば何も問題はない。
平原副館長は、そこで、川崎業務課長にそのむね伝えておく事と、寺嶋主幹とじっくり話をしておく事を約して、私と別れる。→昼食へ
(太字は引用者)

 分かるように、寺嶋弘道は、亀井志乃が朝の打ち合わせ会に出席していた職員全員の了解を得た、その翌日に、来館者も利用する階段の上で、不意に亀井志乃をつかまえ、詰問を始めたのである。これはとうてい「助言」ではあり得ない。
 しかも亀井志乃が平原副館長に確かめたところ、平原副館長が説明した「出張手続き」は寺嶋弘道の主張と全く異なるものだった。

 太田弁護士は被告側の主張の裏づけとして、亀井志乃のノートを挙げたわけだが、それならば当然このような記述を読んだはずである。太田弁護士は一体どのような読み方をして、寺嶋弘道が亀井志乃に「助言」したという結論を引き出したのであろうか。

 なお、朝の打ち合わせ会の性格については、午後3時頃、収蔵庫でS社会教育主事と偶然会う。S社教主事は、いつも、打会せ会で進行役をつとめているので、打会せ会では、いつからか、決まった事を報告するためだけの会という事になったのか、とたずねたところ、『そのような決まりもなければ、申し合わせも全くない』との返事だった。」甲6号証)

○寺嶋弘道の嫌がらせパターン
 それからおよそ20日後、亀井志乃のノート(
甲8号証)によれば、今度は次のようなことが起こった。
《引用》

10/3(火)
10時前より、朝の打合せ会
今日は、学芸班は全員、平原副館長もおり、川崎業務課長も出席をしていたので、「〈人生を奏でる二組のデュオ〉展出張予定(10月)」と題した書類を皆に配布した。そして、「これは先日(9/12)にお話していた出張予定で、それがだいたい相手先との連絡によって固まったのでお知らせします。大まかに説明しておきたいが、よろしいでしょうか」と声をかける。
誰も何も言わなかったので、説明を始める。
大体、プリントに書かれてある通りの事を説明し、
「ほぼ、このようなところです。よろしいでしょうか?」とまた声をかけたが、誰からも、質問も意見も出なかった。
朝の打ち合わせ会が終ってから、寺嶋主幹が、平原副館長と何やら相談しだした。
そして私と目が合うと、いきなり、次のように切り出した。
「なぜ、先に話し合いをしないの」
「何度同じ事を言わせるの」
「こんなところで予定を言って、“よろしいでしょうか”って言ったって、だれもいいなんて言えないんだよ」(全て主幹の発言)

 寺嶋弘道はこのように詰問を始め、あんた、みんなにいいって言ってほしいんでしょう?だったら、やることをちゃんとやりなさい!」と、あからさまに亀井志乃を侮蔑した罵言にまでエスカレートしていったわけだが、ここに引用した箇所だけでも、彼の不当さがよく分かるだろう。
 もし寺嶋弘道が本当に、朝の打ち合わせ会の性格や、自分の考える手続き論が正しいと考えていたならば、朝の打合せ会の中で亀井志乃にそのことを指摘すればよい。そうすれば、他の職員も意見を述べることが出来、共通の理解が成立しただろう。
 だが、寺嶋弘道は決してフォーマルな場で、亀井志乃のやり方に関する意見を言うことはしなかった。朝の打ち合わせ会が終わった直後や、来館者が上り下りする階段の上など、他人が見たり聞いたりしている場所、しかも他の人が口を挟みにくい場面を選んで、亀井志乃の業務態度や人格を貶めるような罵言を、聞こえよがしに浴びせかけるのである。
 
「何度同じ事を言わせるの。太田弁護士は寺嶋弘道のこのような言葉をピックアップして、「再三に亘って助言した」という主張の証拠とするつもりだったのかもしれないが、何度もクソもない。寺嶋弘道はただの一度も「助言」をしたことはなかった。
 そうではなくて、寺嶋弘道は
「何度同じ事を言わせるの」という言い方によって、亀井志乃が何度同じ注意をうけてもちゃんと仕事をしない人間である印象を、周りの人たちに与える。そういう効果を狙ったものだったのである。

○ハラスメントの認識
 亀井志乃は以上のような経験を、感情を抑えながら記録し、次第に寺嶋弘道のハラスメント(嫌がらせ)の本質を認識するようになっていった。
 
 以下に引用するのは、10月3日に関するノートの後半と、それに続く10月4日のノートであるが、一人の人間がどのようなプロセスで職場環境の問題やハラスメント問題を見出していったか。それについて、一つの具体例を提供するものと言えるだろう。出来ればそういう関心をもって読んでもらいたい。
《引用》

この時は、ここで話を打ち切ったが、やはり私にとっての話し合いは川崎業務課長も平原副館長も交えたもので、もっと言えば、副担当のA学芸員なども交えた、多くの人に同時に了解してもらえるようなオープンなものである。そもそも、全員でも、事務室としてはたった8人ほどしかいないメンバーなのだ。
それが、単に“自分の耳にあらかじめ入っていない”というだけでなく、他の全ての人と条件を同じにして話しても、それが気に入らず、絶対的に〈2人で先に話をする〉という事にこだわり続ける主幹の執拗さには、正直、常軌を逸したものを感ずる。
しかも、ただの一回も、私の提出した計画の内容にふれる事もなければ、アドバイスをするでもなく、ただひたすら、〈自分を他のどの上司よりも優先する事〉にのみこだわっている。

普通、常識的にいって、特に女性が、このようなタイプの上司と“2人きり”で“話し合いをじっくりしたい”と思うという事は、まず考えられない(性格的なものにもよるが)
絶対に、他の複数の人間に立ち会ってもらいたいと思うし、このような上司を通さなければいけないという内部的申し合わせ(なぜなら、館のどのような規約でも、そのような拘束力あるきまりはないからだ)自体を見直す必要があると考える。もしも、このような上司と肝心な時にはいつもつき合わなければならないようにされ、常に顔色をうかがったり、あやまったり、懇願したりしなければならない立場におかれてしまい、しかも、他の人々はそれを見て見ぬふりをしているとすれば、これは、組織ぐるみのパワーハラスメント(あえてセクシャルには限定しない)というべきものではないだろうか。

なぜ、このような事が北海道立文学館の中で、財団法人北海道文学館と道の駐在職員によって行われているのか、私、亀井はこれを明らかにしてゆきたい。

10/4(水)。昨日の出張の件はどうなったのだろうと思い、川崎業務課長とN主査に、「もう飛行機の予約などはしてもいいですか」と聞いてみた。
すると、「寺嶋主幹からOKが出ているなら、こちらは異存はないので、その事だけ確認して欲しい」と言ってきた。
9/13の時点で、平原副館長は〈寺嶋主幹が亀井から意向を聞き、それを川崎課長に伝える。行っていいとか駄目だとかではなく、必要があればそうしなければならない〉と言っていた。
だとすると、主幹が、1日たっていまだに川崎課長にOKを伝えていないということは、驚くべきことである。
普通で言えば、明らかに、寺嶋主幹の怠慢か物忘れだ。
それに、誰からも異議や疑問が出なかったのだから、事務(業務課)でも「わかりましたよ、それじゃ処理しておきますから」という話になってもいいはずだ。
それなのに、なぜ、寺嶋主幹の意向をそこまで気にしなければならないのだろう。これでは、きわめて権力関係の強い組織という事になりはしないか。
それとも、要するに亀井がトラブルメーカーだ、という事で済まされているのだろうか。

 先に引用したように、9月13日の時点で、平原副館長は亀井志乃に、寺嶋主幹とはじっくり話をしておく事」を約束した。寺嶋弘道は当然、亀井志乃の出張手続きの基本的な流れを承知していたはずである。ところが10月3日、平原副館長が同席している場所で、亀井志乃に言いがかりをつけ始め、亀井志乃の尊厳を傷つける罵言までも浴びせかけた。
 これは決して「再三に亘る助言」ではない。「再三に亘る人格権の侵害」と言うべきだろう。

 にもかかわらず、太田弁護士は「(5)この様な再三に亘る原告の組織を無視した自分本位な行動に、事実上の上司である被告が多少声を大きくして発言したとしても、極めて当然のことである。」と主張する。あろうことか、この弁護士は、声の大きさという程度問題にすり替えて、罵言、暴言を容認しているのである。

○太田弁護士の作文能力
 以上が、亀井志乃が甲6号証、甲8号証として提出した「ノート」の内容である。太田弁護士が、
原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)」として挙げた、甲9号証は、亀井志乃が明治大学図書館へ「紹介状」を持参する件で、業務課と相談しているところへ、寺嶋弘道が「職員の派遣願い」を出さなければならないと、余計な差し出口をした日(10/7)のノートであるが、太田弁護士は、このことも「出張手続きに関する助言」に数えている。見当違いもはなはだしい。亀井志乃のノートをちゃんと読んでいないのではないか。

 甲31号証甲44号証の内容については、亀井志乃がⅢ章の「C. 出張の『相談』と『亀井さん』の『気持ち』について」で詳述しており、これは次回に紹介する。
 そして
甲32号証の内容は、亀井志乃が「展覧会支出予定」のコピーを取って寺嶋弘道に渡そうとしたところ、急に寺嶋弘道が支離滅裂なことを言い出したときの記録であり、先ほども指摘したように、出張手順のことが話題になっていたわけではない。

 そのような次第で、太田弁護士が「(4)原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)、原告はこれを自分に対する「容喙」「干渉」としか理解できないのである(原告の平成20年3月5日付準備書面(以下「準備書面」という)18頁(b)ロ、ハ)。」と主張した、この前半の記述はまるででたらめだったのである。しかも、その後半部分は、これまた先ほど指摘したように、太田弁護士の見当外れな理解から生まれた文言だった。おまけに、前半の記述と後半の文言とは、言及された事実の側からとらえ返して見るならば、内容的には何のつながりもない。木に竹を接いだような文章なのである。
 
 太田弁護士の書き方は、論証文の基本が出来ていない。私の考えでは、裁判においてある事柄を主張するためには、自分が参照した資料(双方が提出した「準備書面」や証拠物、法廷における尋問記録など)から、必要な箇所をきちんと引用し、内容と表現を検討しながら主張を展開しなければならない。ところが太田弁護士の文章は、きちんとした引用がなく、念のために、こちらが文献に当たってみると、読み違いが随所に見られる。自分の主張に都合がよいように書き換えてしまう場合もあり、おまけに、一つのセンテンスに、内容的な食い違いが見られたりもする。学生のレポートとしても考えられない杜撰さだが、日本の弁護士社会ではそういう書き方でも通用するのだろう。

○太田弁護士による人格権の侵害
 太田弁護士の「準備書面(4)」は、このように虚言ばかりであるが、その太田弁護士が最終的に描き出した亀井志乃の
「独自の発想」は、次のようなものであった。
《引用》

(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理を請け負っているものである。
 従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない。
(二) 財団は、平成18年4月から指定管理者制度のもとで運営されることになり、財団の学芸班に属する原告の事実上の上司は被告とすることが財団で取り決められたが、原告は被告を上司と認めることはしない。
(三) 原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務とは認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業してまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る。
(四) 財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない
(1~2p)

 太田弁護士としては、亀井志乃の「原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた。」(平成20年3月5日付「準備書面」5p)という主張を逆手に取ったつもりだったのだろう。
 しかし、以上のように判断する根拠を示していない。亀井志乃の発言を故意に単純化し、文脈を無視して短絡的に結びつけて作文した
「原告独自の発想」でしかなく、また、被告や平原一良が捏造した事実無根の証言を利用して虚構した「原告独自の発想」でしかない。
 寺嶋弘道や平原一良はきちんとした証拠を明示することなく、亀井志乃の業務態度や人格を中傷誹謗し、太田弁護士は彼らの言うところを鵜呑みにし、またはそれを補強する形で「準備書面(2)」を書いた。亀井志乃はそれらに対して、自分の側の証拠を明示しながら、「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)-3」で克明に反論をしておいた。
 太田弁護士が上記のことを主張するためには、亀井志乃の反論に対する再反論をもってしなければならない。再反論をせずに、同じ主張を繰り返すことは、立証責任の放棄である。それは依頼人・寺嶋弘道被告の敗北に通ずる。弁護士としての誠意と能力を問われても仕方があるまい。
 太田弁護士は十分にそれを承知していたはずであるが、もはや亀井志乃は再び反論するチャンスを持たないことを見越して、最終準備書面の締め切り日を4日も遅らせて「準備書面(4)」を提出し、その中で、亀井志乃の名誉を毀損し、人格権を侵害する主張を繰り返した。そう解釈するほかはないだろう。】

 

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北海道文学館のたくらみ(52)

亀井志乃の「最終準備書面」その5

【今回は、Ⅱ章「第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言」のEからHまでを紹介する。今回も私の少し長いコメントがつくが、ご海容をお願いする。2009年1月18日】

E.デュオ展の展示設営時の状況について
 被告は、田口裁判長の被告「陳述書」に関する質問に対しても、虚偽の証言を行っています。
 被告は「陳述書」において、
実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、『二組のデュオ展』の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。原告がホテル宿泊を強いられたと主張しているこの展覧会の展示作業においては、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず、連日、皆待機を余儀なくされていたというのがその実情でした(5p)と証言していました。
 この証言がいかに虚偽に満ちているかについては、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」(17~19p)で詳述しましたので、ここでは繰り返しません。ただ、被告は先の証言で、
2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と述べていることに注意していただきたいと思います。田口裁判長は、そのことと関連して、被告に以下のような質問を行いました。

田口裁判長)今、「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
被告)いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
田口裁判長)それは同じ日のことなんですか。
被告)同じ日というか…。
田口裁判長)出張に出ていたんですよね。
被告)戻った日ですね。
田口裁判長)戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
被告)いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。

被告調書25~26p)

 被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。
 
① 被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
② 「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が
「待機」の状態であったり、強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③ 被告は、
15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。
 ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が
「待機」の状態にあり、私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
 ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④ 被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・
乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。
 これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずです。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。
 結局、被告は、自分で
乙10号証12を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁(わきま)えておかなかったわけです。

 以上の点によって、被告の偽証は明らかです。

F.「私は職員ではありません」発言について
 被告は、被告の「陳述書」の中で、
職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です(7 p)と述べていましたが、それに対して原告は、「準備書面(Ⅱ)―2」において、詳細に反論を述べておきました(25~26p)。
 また、さらに原告は、被告がそうした虚偽の陳述をしたことについて、その理由を、
多分被告は、後に『任用問題が発生して以降急に、原告はそれらの文章の中で自らを『財団職員である』と記述し始めるなど、原告の言動や文章表現には感情の露見や言説の取り繕いがしばしばみられますが、』(8ページ38~39行目)と書いて私の矛盾を露呈させる、その伏線を仕掛けておくつもりだったのでしょう。しかしもちろん私は、任用問題にかかわる文書の中で、『財団の職員である』などと主張したことは一度もありません(「準備書面(Ⅱ)―2」26p)と指摘しておきました。
 しかしこの度、被告は、被告代理人による本人尋問の際に、原告の反論と指摘を全く無視して、以下のような証言を行いました。
 
被告代理人)それから、その会話(※引用者注・5月2日の会話)のときに、あなたの口から亀井さんに対して、職員ではないとはどういうことかと、立派な職員ではないかと、財団の一員ではないかと、こういう話をしたというふうに亀井さんはおっしゃっていますが、こういう発言をしたことはありますか。
被告)あります。
被告代理人)これは、どういう脈絡の中で発言をしましたか。
被告)亀井さんが、その仕事は、私は嘱託員なので私がやっていいのかということでしたので、嘱託員であっても財団の職員であるので、亀井さんに担当してほしいという話をいたしました。
被告代理人)逆に、あなたのほうでは、そもそも亀井さんが私は職員ではないというような発言をしたことは聞いているんですか。
被告)ええ、亀井さんが、私は職員ではありませんからと言いました。
被告代理人)その発言を聞いて、あなた、どう感じましたか。
被告)非常に驚きました。同じ机を並べてお給料をもらって仕事をしている職員が、職員ではないというふうに話しましたので、非常に驚きを持って接したのを覚えています。

被告調書5~6p)
 
① しかし被告は、原告の反論に対して、証拠に基づく再反論をすることができませんでした。また、仮に5月2日の打合せの内容に限ってみても、被告は、自らの記憶もしくは記録によって、いったいどのような文脈でその日の話が行われたのか、また、どういった会話の前後関係の中で〈原告が「私は職員ではありませんから」と言った〉のか、再現することは出来ませんでした。要するに被告は、被告代理人と謀って、根拠を示すことの出来ない証言を法廷の場で繰り返しただけだったのです。
② 被告は「陳述書」7pにおいて、
職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは」と、原告の帰属意識を問題にしていましたが、他人の帰属意識をあげつらうのは他人の内的な価値観や生活意識に対する干渉であり、人格権の侵害です。まして、公務員である被告が、民間人である原告の、財団に対する帰属意識をあげつらうのは、全く筋違いな内面干渉です。このような越権的な視点から人物評価的な言動を行うなどという行為は、許されることではありません。
③ 被告は、筋違いな、かつ、越権的内面干渉に関わる根拠のない証言を、「陳述書」のみならず、法廷で繰り返しました。

 以上の諸点に照らして、Fに引用した被告の証言の偽証性と違法性は明らかです。

G.「労災」の問題について
 この度の尋問では、原告が「労災」に入っていたか否かについて、被告代理人と被告とのあいだで、以下のような応答がありました。

被告代理人)それから、平成18年度の4月以降、亀井さんには労災の適用に関してはどういうふうになっていましたか。
被告)4月に私が着任したときに、亀井さん…。
被告代理人)結論だけでいいです。
被告)そのときには知りませんでした。ただし、後で規程を読み返して、規程の中に労災に入っているというふうにきちんと明記されていることを後で知りました。

被告調書7~8p)

 この被告代理人の質問は、〈平成18年5月10日〉の「年休」に関する話の流れから、平成18年度の文学館における原告の身分・立場等の扱いについて言及したものですが、おそらく、この証言内容は、被告「陳述書」の「『石川啄木展』開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件(7p)において、被告が〈原告は残業と手当の支給を伝達されたにもかかわらず平然と帰宅してしまった〉と主張したことにも関連するのだと思われます。要するに、被告側は、〈原告は他の職員と同様に労災に加入し、つまり正職員と同様の扱いを受けているにもかかわらず、他の職員並みの義務を果たそうともせずに勝手に帰ってしまった〉と主張したいのだと思われます。
 そしてまた一方では、この「労災」加入の証言は、被告が帰宅間際の原告を足止めしたり、被告が平成19年2月に原告が展示設営のため夜間遅くまで超過勤務をせざるをえない原因を作ってしまったことについて“特に何の問題もない”と主張するための、巧妙な伏線でもあるのだろうと思われます。
 
 しかし、以下の理由から、被告の証言には信憑性に欠け、その主張も根拠薄弱なものでしかありません。

① 原告は、財団法人北海道文学館の職員の誰からも「原告は平成18年度、労災に入ることになった」ということを告げられませんでした。安藤副館長が原告に、平成18年度から嘱託職員には形式上の年休がなくなった(つまり、本来の扱いに戻った)と説明してくれた時にも、労災に関する話はまったく出ませんでした。また、業務課からも、労災加入の話はありませんでした。
 もしも、本当に被告と被告代理人が言うとおりだったならば、財団の職員は、原告に対して、新たな条件が発生したことを告知する義務を怠ったことになります。
② また、もし被告が、本当に文学館の規程を見て〈原告は平成18年に労災に入っていた〉という事実に気がついたと主張するならば、被告はそれを示す証拠
(財団が原告のために労災の負担金を支出していた証拠、等)を添えて、原告の主張に対する反論を裁判所に提出すべきでした。
 去る7月9日の口頭弁論において、田口裁判長が被告代理人に「新たな証拠や反論の用意があるか」と質問したところ、被告代理人は「いえ、ありません」と答えました。つまり、少なくともこの時点までは、被告は、嘱託職員の労災に関する規程に気がつかなかったか、あるいは気がついていても、規程通りのことが行われている証拠を挙げて原告に反論することが出来なかった、ということになります。
③ 被告は被告の「陳述書」において、
例をあげれば、『石川啄木展』開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件を挙げることができます。この日は『カルチャーナイト』という札幌市全域で展開された共通イベントの日で、当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である『石川啄木展』のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画となっていました。職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当ての支給を伝達したのですが、原告は、『私は職員ではありませんから』と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです(7p)と陳述しています。しかし、これが被告の悪意ある虚構でしかないことは、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」で、甲78号証の証拠を挙げ、詳細に論駁しておきました(26~28p)。
 Ⅱ章第3項のFで取り上げた〈原告の「私は職員ではありません」発言〉は、このような、被告自身の虚偽の作文に基づいたものでしかありません。
 また、被告の上記の陳述は、10月13日と14日の出来事を、故意に7月21日の出来事にすり替えた虚偽の陳述ですが、10月13日から14日にかけての出来事については、原告は
「その翌日の14日、私がN業務主査と顔を合わせた時、私が前日のことに関して何も言わないうちに、N主査が『昨日は5時になっても忙しくて、すぐに上に上がってこれなかったの。ごめんなさいね』と言ってくれたので、この言葉によって、やはり業務課は私に居残りなど求めていなかったのだ、ということが明らかになりました(「準備書面(Ⅱ)-2」27p)と記述しておきました。このN主査の言葉は、少なくとも業務課内では〈原告を退勤時間過ぎまで足止めをすることがないように〉という認識が行き渡っていたことを証明するものです。
④ 被告「陳述書」における、
7月21日(金)の勤務に関して、……職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当ての支給を伝達したのですが、」という箇所は、被告が作文した虚偽の陳述ですが、仮に被告が述べるような場面がありえたとしても、それは平成18年度の初めての事例(そして、原告にとってはまったく初めて)となります。ですから、もし人員配置を検討していたのが本当に川崎業務課長であり、業務課長自身が原告に残業をさせようと計画していたならば、少なくとも数日前には、課長の方が原告に、「あなたは労災に入っていますから、財団が作成した残業依頼簿に署名捺印してくれれば、万が一残業中の原告に事故があったとしても労災が適用されます」との説明を行ったはずです。
 しかし、それに類する説明を原告が受けたことはありませんでした。
  
 以上の諸点に照らしてみれば、平成18年度に原告が労災に入っていたという被告の証言の信憑性は、極めで疑わしいと言えます。
 
⑤ たとえ原告が平成18年度に労災に入っていたとしても、被告が原告を勤務時間過ぎまで足止めをしても差し支えないという理由にはなりません。嘱託としての原告の勤務時間が〈週28時間〉だという条件は、平成16年度以来、どの年度でも変わっていなかったはずです。その規定にもとづいて割り振られた、勤務日毎(ごと)の勤務時間を超えて文学館に居残り、仮に事故にあったとしても、それが、たとえば単に“職場の同僚から足止めされていた”というだけの理由だったならば、労災が適用されるはずはありません。
 また同様に、被告が、平成19年2月、原告が非出勤日を返上したり、夜間遅くまで超過勤務をせざるをえなかった状況を作ってしまった事実を正当化する根拠にもなりません。

H.文学館および法務局の調査結果について
 法廷において、被告代理人は、まず原告に対して
「法務局のほうでは、調査の結果、寺嶋さんにはあなたに対する人権侵害、そういう事実関係はないというふうに結論づけたんですね」原告調書32p)と念押しのように尋ねました。原告は「はい」と答えました。
 その後被告代理人は、被告に対する本人尋問の際に、被告と次のようなやりとりを交わしました。

被告代理人)それから、文学館自体で、あなたの亀井さんに対するいわゆるパワハラ問題を調査したことはありますか。
被告)あります。
被告代理人)文学館のほうとしては、あなたが亀井さんに対してパワハラを行っていたと、そういうような認定はしましたか。
被告)…館長から私に直接質問をされました。で、私は、その質問に、調査に答え、文学館のほうではパワー・ハラスメントはなかったという結論になりました。
被告代理人)法務局からも事実調査を受けましたね。
被告)はい。
被告代理人)法務局からの結論は、どうなりましたか。
被告)法務局の結論も、パワー・ハラスメントはなかったという結論でした。

被告調書18p)

 しかし、この被告代理人と被告の間の応答には、下記のような虚偽、もしくは論点のすり替えが隠されています。

① 毛利館長と平原副館長は、実質的に、被告の原告に対するパワーハラスメントがあったことを認めています。なぜなら、原告のアピール文(甲17号証)に関して、平成18年11月10日、原告は毛利館長と平原副館長と話し合いましたが、その結果次の4点の合意に達したからです。
 
①原告の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、原告が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
 ②原告の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。原告は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
 ③原告の席の場所を、原告自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
 ④原告の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益になるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。
甲18号証より)
 この合意事項と、
甲17号証の、特に13pの要求事項とを読み比べてみれば、毛利館長と平原副館長が原告の要望と意見を全面的に受け入れたことは明らかです。しかも合意事項の①と②は、話し合いが始まる早々、毛利館長と平原副館長のほうから提案されたものでした。
② 話し合いの席上、毛利館長は、口頭では
「皆に聞いたが、誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていた」と言っていましたが、その後、原告が事務室で確かめたところ、A学芸員も、S社会教育主事も、O司書も、館長から何も訊かれておらず、事情も知らないという返事でした。原告が数日後、毛利館長にその事を問いただすと、いやあ、まあ、それはあんた……」と言葉を濁して、にやにやしているだけでした(甲50号証「面談記録」6p)。文学館で行われた「調査」とはその程度のものに過ぎなかったのです。しかも同じ話し合いの席上、毛利館長と平原副館長は「彼も、なかなかうまくコミュニケーションがとれないんで、だんだん、あんな風に(暴言を吐く)ようになっちゃったんじゃないかなあ」と、暗に被告の原告に対するハラスメントがあった事実を認める発言をしていました(同前・8p)。なお、甲18号証甲50号証も、それを書き終えた時点で、毛利館長や平原副館長に手渡すと共に、被告にも手渡しました。被告は読んでいたはずです。しかし誰からも、これらの記録に関する訂正の申し込みはありませんでした。
③ 札幌法務局のO調査救済係長は、原告に電話で〈調査の結果〉を伝えてきた際、「調査において確認ができなかった、という場合でも、書類の上では『人権侵犯の事実がないと認め』と書きますので、その点はどうかご承知おき下さい」と、原告に了承を求めてきました。
④ 原告は平成19年11月12日に、父と法務局を訪ね、上記の結論を出すに至ったプロセスを尋ねました。しかし、調査を担当したO調査救済係長は、「守秘義務」を理由に、調査の範囲や収集した判断材料については口を閉ざしたままでした(
甲100号証)。調査範囲や収集した判断材料を明らかにしない結論は、調査結果の名に値しません。
⑤ 原告は調査を依頼するに当たって、O調査救済係長に、「道立文学館における嫌がらせ、及びそれをパワー・ハラスメントと判断する理由」と題する文書に「別紙1」として『北海道立文学館業務計画書』の「(事務局)組織図」(基本的には
甲2号証と同じ)を添えて渡し、文書の中で「それに従って説明すれば、寺嶋弘道主幹は『道直轄組織』である学芸課の駐在道職員であり、その位置は『組織図』における『学芸課長(予定)』に相当し、彼の下に、同じく駐在道職員の学芸員が2人附いている。それに対して亀井志乃研究員は財団法人北海道文学館に属するが、しかし正職員ではなく、非常勤の嘱託職員である。その意味で亀井志乃は、けっして寺嶋弘道の『部下』ではない」と説明しておきました。
 しかるに、11月12日、原告がO調査救済係長に〈寺嶋主幹(被告)と亀井志乃(原告)との関係は、上司と部下の関係と考えるか〉と質問したところ、「考える」という返事でした。
 原告は、〈どういう根拠で、法務局は、被告が原告の上司なることは地方公務員法に抵触せず、人事院規則にも北海道人事委員会規則にも抵触しないと考えたのか〉と疑問に思い、その理由を尋ねましたが、O調査救済係長は沈黙したままでした。そこで原告は、〈寺嶋主幹
(被告)は亀井(原告)に対して無礼な態度を取り、侮辱を加えてきた。普通の市民同士の間では許し難い人権侵犯であるが、職場において同様なことが行われているにもかかわらず、職場ならば『人権侵犯に当たらない』と判断する理由は何か〉と重ねて質問しました。ところが、O調査救済係長は、この問いにも沈黙を守ったままでした(甲100号)。
 しかし、こうした“判断の根拠を問う”質問に関しては、O調査救済係長は、〈守秘義務〉にはまったく抵触することなく答えることができたはずです。
⑥ 法務局のO調査救済係長は、〈守秘義務〉を理由に、調査の範囲や調査方法、被告を原告の上司と判断した理由等については口を閉ざしたままでしたが、原告が調査委依頼の時に挙げた、〈被告の原告に対する行為事実〉(
この時挙げた事実は原告の3月5日付「準備書面」と同じ)については、そのほとんどが事実であったことを認めました(甲100号証)。これらの行為事実が認められたということは、すなわち、O調査救済係長が示した「法務局の(人権侵犯があったと認定する)判断基準」(甲100号証2枚目)の基準「本来の業務の範疇を超えている」「継続的」「働く環境の悪化と雇用不安」の3点と合致していることを意味するはずです。
⑦ 
「本来の業務の範疇を超えている」「働く環境の悪化と雇用不安」は、ハラスメントの定義を構成する概念ですが、継続的」は、ハラスメントを一つひとつ個別的に判断するだけでなく、累積的に乗じてゆく量刑方法上の概念だと思います。
 ところが、O調査救済係長の説明を聞いていると、法務局は被告の行為を一つひとつ個別的に検討し、しかもその一つひとつを、〈程度問題〉という、御都合主義的、かつ恣意的に基準を変え得るとらえ方に基づいて、判断を下したようです。つまり、累積的量刑方法ではなく、個別還元主義的な方法をとったわけですが、これは
「継続的」という基準の反対であり、さらに言えば、基準の放棄でしかありません。
⑧ しかし札幌法務局は、結局、被告の行為事実は〈パワーハラスメントには当たらない〉と判断しました。原告は、法務局の調査方法や判断の仕方が納得できなかったので、証拠に基づいて事実を明らかにし、その事実に基づく客観的で法的判断の基準に適った判決を求めて、本裁判を起こすことにしました。
 原告は、本裁判の結論が、この条件を満たしていることを強く希望します。
⑨ 原告は平成18年11月10日、パワーハラスメント・アピールの件で、毛利館長及び平原副館長と話し合いましたが、その際、毛利館長は、被告から事情を聞いたとは一言も言いませんでした。
 しかも毛利館長は、原告からの事情聴取さえも行っていません。仮に被告から話を聞いたとしても、原告の事情聴取を行わない調査は、調査の名に値しません。
⑩ ちなみに毛利館長は、かつて、被告と同様に、道立美術館に勤務していたことがありました。川崎業務課長とN主査は、平成18年度から財団の職員となりましたが、それ以前は道の職員でした。また、S社会教育主事とA学芸員は、被告と同じく道立文学館に駐在する〈文学館グループ〉の道職員です。原告は、このような人間関係の中の調査では客観的な結論を得ることは難しいと考え、毛利館長に「外部の第三者を交えた調査委員会を作って調査をしてほしい」と要求しました(
甲52号証)。しかし、それに対して、毛利館長は原告との対応を拒否してきました(同前)。
  
 以上の理由により、法務局の判断は信頼できるものではありません。また、この件に関する被告の証言には偽証の疑いがあります。

亀井秀雄注:10月31日の法廷において、被告代理人の太田弁護士はパフォーマンス豊かに、声を張り上げて、「労災」問題と、法務局の調査結果を取り上げ、被告の寺嶋弘道から証言を引き出していた。亀井志乃の訴えを退ける、重要なカードと考えたのだろう。
 しかし、平成20年12月16日付の「準備書面(4)」では、いずれの問題についても全く言及していなかった。
 
 札幌法務局のO調査救済係長の仕事ぶりがどんなに杜撰で、不誠実なものであったか、「北海道文学館のたくらみ(25)」の「○法務局の対応」で紹介しておいた。その内容は1問1答形式で、O調査救済係長の対応を紹介したものであるが、亀井志乃は、そのノートを証拠物として裁判所に提出してある。太田弁護士は、いざ、最終準備書面を書こう、という段取りになって、そのノートのコピーを見、こんな調査内容では被告に有利な証拠としては使えない、と判断したのかもしれない。
 
 その他、「E.デュオ展の展示設営時の状況について」の問題に関しても、被告側は「準備書面(4)」では何も言及しなかった。

○太田弁護士の加担表明
 ただ、田口紀子裁判長の被告に対する尋問について補足するならば、寺嶋弘道は彼の「陳述書」(平成20年4月8日付。ただし、実際の提出は同年4月16日)の中で、
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。(5p)と、亀井志乃の行動を描き出した。
 田口裁判長はその証言の信憑性を確かめるために、亀井志乃が「最終準備書面」に引用したような尋問をしたわけだが、寺嶋弘道の証言は全く曖昧だった。
 
 他方、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日付)の中で、寺嶋弘道の「陳述書」における先の記述を次のように批判した。
《引用》
 
このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
 もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます
(19p)

 既にこのような亀井志乃の反論があり、10月31日の公判においては被告の寺嶋弘道は田口裁判長の尋問にはまともに答えることができなかった。
 ところが太田弁護士は、最終準備書面たる「準備書面(4)」の中で、亀井志乃の批判に反論をすることなく、寺嶋弘道被告のしどろもどろに関しても何一つ釈明をすることなく、いわば知らぬ顔の半兵衛で、
原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務とは認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る(2p)と、寺嶋弘道の嘘をそのまま繰り返した。
 つまり太田弁護士は、寺嶋弘道が「陳述書」と法廷において、亀井志乃の人格や業務態度を貶めるために虚偽の証言をし、人格権の侵害を行ったことをそのまま肯定し、彼自身も依頼人・寺嶋弘道の偽証と人格権侵害に加担する意志を表明したのである。

○平成18年5月2日のこと
 そのことに関連することだが、「F.『私は職員ではありません』発言について」で、なぜ亀井志乃が②のような主張をしたのか。今回は、その経緯の説明を中心に補足説明をさせてもらいたい。
 それは、なぜ寺嶋弘道が〈亀井志乃は「私は職員ではない」と発言した〉などという虚偽の証言をしたか、その理由の説明にもなるからである。
 
 亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、平成18年5月2日――被告の寺嶋弘道が道立文学館に着任して約1ヶ月後――の出来事を次のように描いた。
《引用》

2)平成18年5月2日(火曜日)
(a)被害の事実(甲13号証を参照のこと)
 
 (前略)
それから約1ヶ月後の5月2日(火曜日)、原告は被告から「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」と声をかけられ、館長室で、学芸副館長を交え、三人で話し合った。被告が持ち出した話は「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい。原告が企画書を書き、中心となって、その仕事を進めて欲しい」という内容で、写真の集め方は明らかにケータイ・フォトコンテストを前提にしていた。
 しかし、そのデータベースは市販のパソコンソフトを利用したものではなく、業者に発注してプログラミングしてもらったものであり、使用画像の大きさ・画素数や、データ1件の画像数を1枚とする等のフォーマットが、あらかじめ決まっていた。
 フォトコンテストを行なうとすれば、まだ画像のない文学碑のフォトだけでなく、むしろ人気の高い文学碑のフォトがたくさん集まる可能性が高い。また、携帯端末機に付随する写真機の性能によっては、画像の画素数もまちまちとなる。それらの応募画像を検索機に載せることになれば、再び業者にフォーマットを作り変えてもらわなければならず、少なからぬ経費が必要となる。また、コンテスト自体、おそらく文学館にとって大きなイベントとなり、予算をつけなければならない。(以上、この段落の内容については甲14号証を参照のこと)
 原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、「私はそういうことが出来る立場では…」と言いかけた。
 ところが、その途端、被告が原告の言葉を遮り、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と問い詰めはじめた。原告は、自分の立場は嘱託職員であることを説明した。だが被告は、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と主張をした。
 原告は学芸副館長に、原告の立場を被告に説明してくれるように頼んだ。学芸副館長は「前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担をしようということになった」と言った。しかし原告は、前年度の3月に、安藤副館長から、従来通りの嘱託員に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われ、それ以後誰からも、原告の身分が変わったと伝えられたことはなかった。学芸副館長がいう「スタッフ」という役職名は財団法人北海道文学館の規程のどこにも見られない。その意味で、学芸副館長の説明は嘱託職員の実態を適切に説明したものとは言えなかった
(3~5p)

 またしても少し長い引用になったが、以上のことについて、被告側は、まず5月2日の発言に関しては、その打ち合わせの際、実施に当たっては引き続き検討しなければならないいろいろな課題があることが明らかとなったので、引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続して検討し企画書としてまとめるよう、原告に対して平原学芸副館長とともに指示した(「準備書面(2)」2p)と主張した。ところが10月28日の個所においては、この時の被告の発言は、5月2日の打ち合わせにおいて原告が担当者となって一般公募による写真収集の企画案をまとめることとなっていた、と述べたものであり、『サボタージュ』との発言も原告自身が口に出した言葉である(同前9p)と書いている(太字は引用者)。
 しかし、これでは話の辻褄が合わない。そこで亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-1」で次のように批判した。
《引用》
 
先の「企画書」と、ここに言う「企画案」とは明らかに性格が異なる。前者の「企画書」は課題解決のためのものであり、後者の「企画案」は写真収集の方法に関するものだからである。この矛盾によって、被告の主張が虚偽であることが一そう明らかとなったと言えるだろう。
 仮に5月2日の「企画書」、又は10月28日「企画案」を作ることが、原告と被告及び平原副館長との間で合意されていたとしても、それは被告の
「間もなく降雪により文学碑が埋もれてしまうことなどから、この日原告に対し、企画検討の進捗状況を問い質したものである。」という説明と矛盾する。10月28日に被告が原告に主張したのは、「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ことだったからである(甲17号証)。「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ということ自体が被告の虚偽なのであるが、原告が「企画書」あるいは「企画案」を作成することと、原告が写真を撮りに行くこととは作業の性質が異なる。被告が虚偽に虚偽を重ねた矛盾が、ここに露呈してしまったと言うべきである(37p)

 この批判に対して、被告側の反論はなかった。反論できないため、テープレコーダーにこだわり、「普通じゃない」の表記にこだわって、論点を誤魔化す策戦に出たのであろう。
 
 ただし、私が5月2日の箇所を引用したのは、以上のことを言うためだけではない。
 
○執拗な虚言
 先の5月2日の場面で、亀井志乃は「自分の立場は嘱託職員であること」を説明した。また、平成20年3月5日付の「準備書面」では、5月2日の箇所に関して、
原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた。」(5p)と書いた。
 これは誰にも納得できる、常識的な考え方だと思うが、寺嶋弘道や太田弁護士によれば、それは間違った考えであり、矯正すべき思想となってしまうのである。

 まず「自分の立場は嘱託職員である」という亀井志乃の主張は、太田弁護士の「準備書面(2)」(平成20年5月14日付)によって、次のようにすり替えられてしまった。
《引用》

この打ち合わせの時、原告から自分が担当であってよいのかについて質問があったので、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展示の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。ところが原告から、自分は財団職員ではないとの発言があったため、被告と平原学芸副館長から、原告は嘱託員として発令された身分であっても財団法人北海道文学館(以下、「財団」という)の職員であり、新年度から導入された指定管理者制度のもとで総員態勢で事業の実施にあたる旨の説明を行ったものである(3p。太字は引用者)
 
 亀井志乃はこの不当なすり替えに対して、次のように反論した(「準備書面(Ⅱ)―1」平成20年5月14日付)。
《引用》

(2)同第5段、第6段、第7段
 
被告は、この打ち合わせの時、原告から自分が担当であってよいのかについて質問があったので、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。」と言うが、この文の主語が明らかではない。もし被告が主語ならば、被告に「指示する」権限はない。そもそも被告は話し合いの場において、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように」という意味の発言を一度もしなかった。この個所は被告の自己合理化のために後日に作文したものである。
 被告は、原告が「私はそういうことが出来る立場では……」と言いかけた途端、原告の発言を遮って、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と、声を荒げて問い詰めてきた。被告は、
原告から、自分は財団職員ではないとの発言があったため」と言うが、これは虚偽の主張であって、原告は「自分は財団職員ではない」という意味の発言をしたことはない。原告は、身分上の問題に関しては、「自分は嘱託の身分である」旨の返事をしただけである。
 被告はそれに対して、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と声を荒げて力説するのみであったが、このような主張は、嘱託という身分に伴う社会的不利益や、それを代償として持ち得る権利とをことさら曖昧にして、「立派な財団職員」という美名によって(正職員に与えられる権利を伴わない)義務意識だけを押しつけようとするレトリックであり、それ故そのように主張すること自体がすでに「立派な」人権侵害なのである
(14p。太字は引用者)

 太田弁護士はこの反論に答えることをしなかった。だが、太田弁護士は、自分が再反論できないからといって、そのまま引き下がるようなヤワな弁護士ではない。
 彼は寺嶋弘道の「陳述書」(平成20年4月8日付。ただし実際の提出は4月16日)で、
職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」(7p)という嘘を書かせ、平原一良副館長の「陳述証」(同前)の中でも、ただ、その折に、スタッフが協調して仕事を進めていくべきだとの一般的な話題の展開のなかで、亀井志乃氏は『私は財団のスタッフなのか』との言葉を思いがけなくも発しました。」(4p)と嘘を書いてもらった。
 もちろん亀井志乃はそれらについても、「準備書面(Ⅱ)―2」と「準備書面(Ⅱ)―3」で詳細に反論をし、寺嶋弘道も平原副館長も再反論をすることはできなかった。
 ところが太田弁護士は、10月31日の法廷において、またもや
「亀井さんが私は職員ではないというような発言をした」という虚言を、誘導尋問的に寺嶋弘道に語らせたのである。
 
○職業倫理とその成果の否認
 なぜ、彼らはこれほど執拗に、亀井志乃が「私は職員ではありません」と発言したことにしたいのだろうか。それを解く鍵は、寺嶋弘道の
「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」という虚言にある。
 要するに問題の根本は亀井志乃の帰属意識にある、と言いたいらしいのだが、何という思い上がった発想だろう。亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、
原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の仕事を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた(5p)と書いた。これは誰にも異存のない、至極まっとうな職業倫理だと思うが、しかし太田弁護士と寺嶋弘道は――ひょっとしたら平原副館長も――これを読んで、〈この言葉を利用して、亀井志乃の「帰属意識や仲間意識の欠如」の証拠にすり替えてしまおう。上手くやれば、それを理由に挙げて、道義的な口吻で亀井志乃を非難し、寺嶋弘道がやったことを正当化できる〉と計算したのかもしれない。
 寺嶋弘道は「陳述書」の中で、このようなことも言っていた。
《引用》

とりわけ原告が自分の立場の論拠としている嘱託員の職務内容は、「嘱託員任用にかかる取扱要項」に明記されているとおり、「嘱託員の職務は文学館の文学資料の解読・翻刻等の業務及びその他の業務とする。」であり、まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻業務が原告の中心的な任務であったにもかかわらず、平成18年度は当館に対して業務報告の一つとしてなされていませんでした。この点をもってしても文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません(3p)

 しかし亀井志乃は平成18年度、「二組のデュオ展」の中で、17点の書簡資料を公開したが、H氏より借用した木田金次郎関係書簡9点中6点と、K氏より借用した里見弴の中戸川吉二宛書簡4点はこれまで未発表の資料であり、彼女が全文解読の作業を行った。また、木田金次郎関係書簡の残り3点もこれまで部分的にしか紹介されておらず、彼女が全文を解読して紹介をした。さらに、北海道立文学館所蔵の有島武郎書簡3点のうち1点も、全集未収録で解読はなされておらず、今回はじめて、その翻刻が亀井志乃によってなされた。それらはいずれも、同展の図録(甲63号証)にも再録してある。
 その他にも亀井志乃は、「二組のデュオ展」の図録と、『釧路新聞』に、関連する論文を書き、彼女の退職後、川崎業務課長がその報告書をとりまとめて、北海道教育委員会にも提出している。(
甲64号証
 寺嶋弘道は以上のことを全く無視して、上記のような嘘を吐き、さらに嘘の上塗りみたいな形で、
文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません」という人格非難を重ねていた。それだけでも十分に人格権侵害に相当する名誉毀損の行為であるが、恐ろしいことに、寺嶋弘道という、この道教委の公務員は、「組織に対する帰属意識」だの、「組織への貢献心」だのと、他人の内的な価値観――しかも民間の一市民の内的な価値観――にまで踏み込み、それをあげつらうことが許される、と考えているのである。
 亀井志乃はその点に関しても、次のように批判しておいた(「準備書面(Ⅱ)-2」)。
《引用》
 
それにもかかわらず被告は、私の業務に関して「確たる成果や業務報告のないまま」と決めつけている。被告は私の業務に極度に無関心であるか、あるいは故意に無視(ネグレクト)しているか、いずれにせよこの決めつけ方は、私に対する名誉毀損というほかはありません。
 おまけに被告は、
まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻が一つとしてなされていませんでした。」と事実無根のことを言挙げして、そこからいきなり「文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません」乙1号証3ページ25~26行目)という極論を引き出してくる。この強引な理屈は、他人の実績には目もくれず、組織に対する忠誠心や貢献度だけを勤務評定的にチェックする、いかにも中間管理職的な論理というほかはありませんが、被告が好んで振り回す「組織」論や「組織人」の正体がこれであること、それをしっかりと認識しておきたいと思います。
 ちなみに、北海道立文学館指定管理者・財団法人北海道文学館が道に提出した平成18年度の『業務報告書』には、被告が主担当だった「池澤夏樹展」の「実施報告書」が入っていません。何故でしょうか
(7~8p)

 亀井志乃は嘱託職員としての正当な職業倫理に基づいて、一定の業績を挙げた。
 他方、寺嶋弘道という北海道教育委員会の公務員は、他人の帰属意識をあれこれとあげつらいながら、亀井志乃が副担当の啄木展に手を出して大幅に予算を超過し、自分が主担当の企画展を中止してしまい、もう一つ自分が主担当だった特別展については「実施報告書」を出していない。
 寺嶋弘道の職業倫理はよほど特殊なものらしい。

○内的な価値観への干渉
 だが、寺嶋弘道という公務員は、自分に対する批判は無視してしまう。というより、自分の傲慢さには気がつかないタイプなのかもしれない。10月31日の公判においても、まだ、ぬけぬけと、
それ(亀井志乃の考え方)を正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。」被告調書13p)と語っていた。
 亀井志乃は「最終準備書面」(平成20年12月12日)において、
被告は『陳述書』7pにおいて、職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは』と、原告の帰属意識を問題にしていましたが、他人の帰属意識をあげつらうのは他人の内的な価値観や生活意識に対する干渉であり、人格権の侵害です。まして、公務員である被告が、民間人である原告の、財団に対する帰属意識をあげつらうのは、全く筋違いな内面干渉です。このような越権的な視点から人物評価的な言動を行うなどという行為は、許されることではありません。
 被告は、筋違いな、かつ、越権的内面干渉に関わる根拠のない証言を、『陳述書』のみならず、法廷で繰り返しました
(50~51p。太字は引用者)と指摘しておいた。
 彼女がこのように指摘しておく必要を感じた理由は、以上の点からもよく分かるだろう。

○太田弁護士が暴いた財団と被告の憲法違反
 ところが、太田弁護士は平成20年12月16日の「準備書面(4)」においても、まだ、
《引用》

(3)財団という組織を運営するためには、その構成員である職員が帰属意識と忠誠心を有して勤務するのは当然のことであり、事実上の部下である原告にその意識を持たせるべく指導することは原告の事実上の上司である被告の本来業務である(4p。太字は引用者)
 と主張している。

 私はこれを読んで、つい吹き出してしまった。「組織」だの、「構成員」だの、「忠誠心」だのと、ずいぶん仰々しい言い方をして、まるでナントカ組の「掟」みたいだな。
 
 だが、笑いが収まるとともに、唖然としてしまった。この人、本当にそう確信してこんなことを書いたのだろうか。
 
 寺嶋弘道が財団に駐在する「本来業務」が、亀井志乃に「帰属意識と忠誠心を持たせること」だったとは、今回初めて聞く主張だ。
 「本来業務」とは奇妙な言い方だが、「本来」と言うからには、その職の中心的な業務を意味するはずである。よもや「付随的な」とか、「やってもやらなくてもよい」とかという意味ではあるまい。
 とするならば、その「本来業務」は寺嶋弘道の公務員としての業務ではあり得ない。なぜなら、彼自身が10月31日の法廷で証言したように、北海道教育委員会からは「辞令書1枚」をもらっただけであり、それ以外の指示を受けたこと――例えば財団の嘱託職員(亀井志乃)の上司となる――を証明することができなかったからである。また、財団と道教委との間で結ばれた「協定書」の中にもそのようなことは一言も書かれていないからである。
 にもかかわらず、被告が上記引用の如き「本来業務」を主張するとすれば、それは、財団法人北海道文学館が寺嶋弘道に対して、〈財団で働く市民の内的な価値観や職業倫理に干渉して、帰属意識と忠誠心を持つように指導する〉ことを依頼したことを意味する。すなわち財団は亀井志乃に対して、――駐在の道職員たる寺嶋弘道の手を借りて――憲法が保障する信条の自由を侵害し、帰属意識と忠誠心という服従意識を強制しようとしたわけである。
 言葉を換えれば、財団のやったことは明白に憲法違反の行為であるが、寺嶋弘道という公務員は財団の依頼を受けて、憲法違反を自分の「本来業務」として引き受け、積極的な遂行にこれ努めてきた。被告は先に引用した文章で、そのように主張したのである。
 
 太田三夫氏も弁護士である以上、依頼人の意を受けて、先に引用した文章を書いた時、その文章が上記ように解釈され得ること、また上記のようにしか解釈され得ないことを、十二分に承知していたはずである。かくして、寺嶋弘道被告は、太田弁護士の筆を借りて、自分が憲法に違反する人格権の侵害を行った事実を、声高らかに主張したのである。】

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北海道文学館のたくらみ(51)

亀井志乃の「最終準備書面」その4

【今回は「Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言」の、「第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言」のAからDまでを紹介する。紹介の後、少し長い私のコメントがつくが、ご海容いただきたい。2009年1月12日】

第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言

A.「文学館全体職員会議」と「ホウ・レン・ソウ」について
 被告代理人は、原告に対する反対尋問の場において、「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(
乙3号証)を原告に示して(その日の会議の中で)毛利館長のほうから、ホウ・レン・ソウの徹底ということを言われたことは記憶ありますか」原告調書20p)と質問してきました。原告は(自分の記憶には)ございません同前)と答えましたが、被告代理人は、さらに執拗に、以下の如く質問を続けました。

被告代理人)それから、財団の職員と道駐在の職員が一体となって仕事をするんだと、こういうことを言われたことはありますか。
原告)私、それは平原学芸副館長の言葉として覚えております。
被告代理人)私が聞いてるのは、毛利館長のあいさつとしてそういうことを聞いたことがありますかと聞いてます。
原告)記憶にはありません。

原告調書20p)

 しかるにその後、被告代理人は、被告に対する本人尋問の席で、同じく乙3号証を被告に示し、同じことを質問しました。

被告代理人)1番目に毛利館長のごあいさつというふうに書いてありますが、この毛利館長がどういうあいさつをしたか御記憶ありますか。
被告)新年度から指定管理者制度が導入されて、職員一体となって事業の推進を進めてほしいと。で、財団職員と道の駐在職員が一体となって進めるようにというのが1点目でした。2点目は、いわゆるホウ・レン・ソウですが、報告・相談・連絡を密に取って業務を進めるようにというふうに館長からの訓辞があったと記憶しています。
被告代理人)その職員全体会議には、当然、亀井さんも御参加されたわけですね。
被告)出ていたと思います。

被告調書3p)

 しかしこの証言は、以下の理由から、明らかに虚偽を含んでいます。

①原告自身の記憶では、4月18日の毛利館長の挨拶は、ごく簡単なものでした。新体制のもとで職員一同が頑張るようにとの基本的・概括的な話はありましたが、それ以上の細部にわたる話は、平原学芸副館長の方からなされました。
 ここで、なぜ、毛利館長ではなく、むしろ平原学芸副館長の方から、新体制に関する詳しい話がなされたのかについてご説明しておきたいと思います。それには、以下のような理由があったからです。
 毛利正彦氏は、長年、北海道教育委員会に勤務し、定年退職後、平成14年度から道立文学館に非常勤の館長(勤務日数は週4日)として着任しました(Ⅰ章Aの④参照)。毛利館長は、それまで、文学とは関わりのない分野を歩いてきたことから、本人自身、〈自分は文学や文学館については門外漢である〉と皆に公言していましたし、原告の文学館勤務が決まった時には、原告にもそのように話をしていました。
  また、そのため館長は、もっぱら、文学館全体への目配りは安藤孝次郎副館長
(※4)(常勤)に、そして学芸関係のことについては平原学芸副館長(常勤)に任せていました。特に、平原学芸副館長は、道立文学館創立以前からの学芸職員であり、北海道大学に
おいて近代日本文学を専攻した経歴を有すると同時に、北海道の文壇事情についても知悉していましたから、館長は、学芸業務に関しては平原学芸副館長に全幅の信頼を置いていました。理事会や、各委員会の進行も、ほとんど平原氏にまかせていました。本訴訟の証言や陳述ならびに証拠において、時には館長や副館長をしのぐような形で平原学芸副館長(現副館長)の存在がクローズアップされるのは、そのような背景があったからです。

(※4 安藤副館長も、毛利館長と同じく、北海道教育委員会を退職したのちに道立文学館に着任した副館長であり、事務系の方でした。)
 ですから、4月18日の会議に関する被告の証言は、その日に出席していた原告の記憶に照らして事実と異なるだけではありません。文学館の事情を知らない人には通用しても、毛利館長や各職員のバックグラウンドを知る人にとっては、なんら、リアリティがない話なのです。
②上記①の理由から、4月18日の全体職員会議でもっぱら発言をしていたのは、平原学芸副館長の方でした。
 ちなみに、原告自身の「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」の資料への書き込み
(※5)を参照すると、「2 平成18年度の重点課題と取組について」の項に4点、学芸副館長がその時挙げていた重点課題が記されています。その2点目の所に、「報告、連絡、相談を充分にする/情報をかかえこまない/情報の流れをよくする―信頼関係」(/は改行を示す)というメモ書きが残っています。
(※5 この資料については、今まで証拠としては提出してはいませんでしたが、必要ならばいつでも提出が可能です。ただ、最終準備書面においては新証拠の提出は控えるようにとのお話でしたので、今回は添付しませんでした。)
 しかし、原告の記憶による限り、平原学芸副館長本人は、「ホウ・レン・ソウ」という省略した言い方はしていませんでした。
 また、同項目の箇所には、第4点目として、「道教委直営組織/連ケイ
(ママ)、協力/道と財団といった、2元的なものにならないようにする/一体的に取り組む/道の組織、財団の組織/あまり意識しないで/渾然一体と」(/は改行を示す)というメモが残っています。これらも平原学芸副館長の言葉ですが、被告は、証言の場で、被告代理人と謀って、すべて毛利館長の言葉にすり替えようと目論んだものと思われます。
③被告と被告代理人は、「ホウ・レン・ソウ」という言葉を毛利館長の発話としてすり替えることによって、裁判長に「ホウ・レン・ソウ」が毛利館長のモットーか、文学館のスローガンであるかのような印象を与え、またその「ホウ・レン・ソウ」を認めない原告が如何に組織人としての資質に欠けていたか、という印象をも与えようと企図したのでしょう。
 しかし、実際に、文学館で働く職員の中で「ホウ・レン・ソウ」という言葉を使っていたのは、私の知る限りでは、被告ただ一人だけでした。被告は、確か、他の道駐在職員の書類にも〈ホウ・レン・ソウの徹底を!〉等と書き込んでいましたし、また、原告の記憶の確実なところでは、被告は、博物館実習の学生のうち、少なくとも一人の実習ノートに「ホウ・レン・ソウを大切に」と記していました。一方、他の人の言葉としては、これを聞いたことはありません。
 しかも、文学館において「ホウ・レン・ソウ」を最も守らなかったのは、ほかならぬ被告自身でした。
 また、この度の訴訟における証拠類を見ても、乙3号証「ホウレンソウの徹底」のメモは、ほぼ、被告自身の書き込みと見て間違いありません。さらに、この度の被告調書においては、被告は、本項(Ⅱ章第3項A)の上記部分で引用した例を含めて、3回も「ホウ・レン・ソウ」という言葉を持ち出してきています(被告調書3p・15p・18p)。一方、同時期の事柄について述べた平原副館長の「陳述書」の方には「ホウ・レン・ソウ」なる言葉は(原告を批判・批難する言葉の中にさえも)一切見られません。
 これらの事実から勘案しても、「ホウ・レン・ソウ」に特別にこだわり、それが文学館の職員全員にとって特別な意味を持つ言葉であるかのように主張したがっているのは、被告のみだと断言しても過言ではありません。

 以上、諸点に照らしてみると、被告と被告代理人とが共に口裏を合わせて、虚偽の証言を行っていたことは明らかです。
 ちなみに、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)については、それが曖昧な性格のものでしかなかったことを、以下に確認しておきます。

乙2号証は、会議の場で単に配布されただけであり、それが議題の資料なのか、連絡事項なのかについて、明確な説明はありませんでした。また、それがどのようなプロセスを経て出来たものなのか、「財団法人北海道文学館事務局組織等規定」における第7条との整合性はどうなのか(原告「準備書面(Ⅱ)―1」6pで指摘)、「運用」の具体的な在り方はどうなのか等についても、まったく説明はありませんでした。被告は、平原学芸副館長の「平成18年度の重点課題と取組について」における第4点目の発言を挙げて、乙2号証の提案理由の説明だと強弁するかもしれませんが、少なくとも会議の流れとしては、乙2号証と学芸副館長の話は、そのような文脈では結びついていませんでした。
⑤もし仮に、平原学芸副館長の発言が
(意図として)乙2号証の説明であったとしても、それは、財団職員と駐在道職員の「協働連携」を分かりやすく言い換えた、単なる心構え論にすぎません。「財団法人北海道文学館事務局組織等規定」における第7条を無視してもよい、という理由の説明にはなっていません。ましてや、乙2号証の「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という、財団法人北海道文学館における制度の根幹を揺るがすような変更を行った理由の説明にはなり得ていません。

B.明治大学図書館への出張と〈職員派遣願〉について
 被告は、原告が、明治大学図書館へ出張するに際して、図書館側から求められた通りに〈紹介状〉を作成しようとしていたにもかかわらず、敢えて〈職員派遣願〉の作成を原告に指示した理由を、以下のように証言しました。

告代理人)これは、明治大学に亀井さんが行くということなんですけれども、これは、なぜあなたは職員派遣願というものでなければ駄目だというふうにおっしゃったんですか。
被告)亀井さんが図書館へ調べものに行くのは、館の仕事として出張業務で行くわけですから、館の仕事で行くわけです。ですので、個人的な紹介状を携えて本を見せてもらうことよりは、組織と組織、つまり文学館の館長名ないし理事長名の依頼の文書を出して、組織対組織のほうが、より先方が丁寧な対応をしてくれると思いましたので、そのように職員を派遣する館長名の、理事長名の文書の作成を指示しました。
被告調書13p)

被告代理人)例えば、亀井さんがおっしゃるように、紹介状では何か不都合はあったんだろうか。
被告)不都合はなかったと思います。ただ、紹介状を携えるよりは館長名、所属長の名前の文書のほうが、例えば私の過去の経験で言うと、書庫の中に入れてくれるとか、あるいは閲覧のための特別な場所を用意してくれるとか、いろいろ便宜を図ってくれることがあるので、そちらのほうがいいというふうに思いました。

被告調書14p)

 しかし、上記の被告の証言には、まったく根拠がありません。そればかりでなく、書類の性格に関して、完全に誤った認識を抱いていることが明らかです。

①〈「紹介状」は個人で行く場合であり、館の仕事として行くのであれば組織対組織だから「職員派遣願」だ〉という被告の主張には何の根拠もなく、それはむしろ被告が大学図書館の状況について何も知らないという事実を露呈してしまった。このことについては、「準備書面(Ⅱ)―1」33~34pで詳述しておきましたので、ここでは繰り返しません。
 それよりも驚くのは、被告が、「
組織と組織、つまり文学館の館長名ないし理事長名の依頼の文書を」出した方が「より先方が丁寧な対応をしてくれると思」った、だから「職員派遣願」を指示したと証言したことです。つまりこれは、被告が、「紹介状」とは「館長名ないし理事長名」が入らない文書だと思っていることを意味します。
 先に原告の3月5日付「準備書面」20~21pでも書いておきましたように、原告は、かつて、北海道大学附属図書館
(文学部図書掛)のカウンター係を勤めていたことがあります。その間、しばしば、他大学の教員の資料調査に応対しておりました。また、北海道立文学館においても、閲覧室を担当(平成18年度)するようになってからは、幾度か大学・高校等から研究のために訪れた方々に応対し、求めがあれば、A学芸員と協力して、書庫内の書籍や現物資料を閲覧に供したりしました。
 その際、そうした研究目的の方々が持参するのが「紹介状」でした。そして、教育施設や文化施設に勤務する方がその資格において来る場合その「紹介状」には、必ず所属長
(所属学部長・所属セクション長等も)の名前が明記されてあり、印鑑が押印されています。原告は、所属長名や印鑑のない「紹介状」なるものを見たことがありません。
 上記証言の引用に従えば、被告は、平成18年10月6日に原告がN主査と「紹介状」について話していた時に、N主査がただ単に「紹介状」というタイトルで(館長名も何も書かずに)一筆書くだけだと思いこんで「職員派遣願」を書かせたことになりますが、それは被告の非常識な思い込みです。そしてまた、今回の証言における理由づけは、被告が、単なる自分の思いこみを原告に押しつけたことを隠蔽するための言い訳に過ぎません。
②被告は、〈組織対組織のほうが、より先方が丁寧な対応をしてくれると思った〉〈館長名・所属長の名前の文書のほうが、いろいろ便宜を図ってくれることがあるので、そちらのほうがいいと思った〉などと証言していますが、実際には、平成18年10日6日および7日の時点では、被告は一言もそのような趣旨の話をしていません。被告は、原告とN主査が話をしている横合いから
「それは、こちらから職員の派遣願いを出すことになる」と口をはさみ「書類、出来上がったら私に見せて」と言っただけです。また翌日には、教えてあげるから、ちょっとおいで」と横柄な口調で原告を呼びつけ、有無を言わさず赤ペンで修正を加えていっただけです(甲9号証)。
③もし被告が普通の注意力を持って原告とN主査との話に耳を傾けるか、あるいは、普通の注意力をもって自分自身が赤ペンで書きなぐりをしていた
甲10号証の1の「職員の派遣について(依頼)」の書面の内容を読み取っていたら、原告の、明治大学図書館における用向きがマイクロ版資料の閲覧だということがわかったはずです。そのためのマイクロリーダーの予約であり、その予約のために「紹介状」が必要だったのです。用向きはシンプルで明確です。甲10号証の1の「決定書」の方にもその用向きは書かれています。
 原告は、限りある出張日数の中で、必要な事のみを無駄なく遂行してこようと予定を立てていました。〈いろいろの便宜〉を漠然と期待する必要はありませんでした。何のためにどの資料を見るか、目的ははっきりしていたからです。そして、原告がただ漠然と資料探しにゆくのではないことは、
甲10号証の1の内容が普通に読みとれれば直ちに分かるはずです。
 被告の行為は、原告の出張意図を一つも理解せずに不要な干渉を強制的に行っただけに過ぎません。そして今回の証言においては、その過干渉を、あたかも親切な意図があっての事だったように言葉で糊塗しているだけです。

 以上の諸点を勘案すれば、被告の証言が、根拠の証明できない〈自分はそう思った〉話を盾にとっているだけの偽証であることは明らかです。

C.録音機と「普通じゃない」発言について
 平成18年10月28日、原告は、被告の主張を記録しておこうと、自分の机から録音機を取り出し、
どうぞお話し下さい」と言いました。しかし被告は、階下の閲覧室ではあれほど言いつのっていた文学碑写真の件を、この時点からは一切口にせず、あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」と言って、結局は被告の方から話を打ち切ってしまいました(甲49号証「録音記録」参照)。
 この点に関して、被告代理人は被告に
「それで、あなたとしては、亀井さんに対して、ひどいね、普通じゃないと、こういう発言をしたというふうに亀井さんは主張されておりますけれど、こういうことを言ったことありますか被告調書16p)と質問し、それに対して被告は、次のような証言を述べました。

)ひどいねと言ったと思います。それから、普通じゃないっていうふうにも言ったと思います。
被告代理人)ひどいというのは、どういう趣旨で言ったんでしょう。
被告)通常の事務の打合せを録音することが、まるで言質を取るようなことですので、そこまでやる必要はないという意味で、ひどいねというふうに言いました。
被告代理人)普通じゃないという意味は。
被告)少なくとも、私が知る範囲、通常の事務の打合せを録音にしてたという人を私は知りませんので、普通ではないと思いました。
被告代理人)あなたとしては、亀井さんとの会話というのは、ごく日常的な業務上の指示だとか、あるいは指導だとか、助言だと、そういうふうに思っているわけですね。
被告)はい、そのとおりです

被告代理人)ところが、亀井さんのほうでは、急に録音機を出してそれを録音しようと、そういう行動に出たものですから、あなたとしては、そういう亀井さんの行動を、ひどいだとか普通じゃないと、そういうふうに判断したということですね。
被告)はい、そうです。

被告調書16p)

 しかし、上記の被告の証言は偽りに満ちています。それは、以下の理由からです。

①原告の3月5日付「準備書面」・「準備書面(Ⅱ)―1」・甲17号証甲49号証を参照していただければ分かるように、10月28日の話の流れは、以下のようなものでした。
 (1)被告が「原告が文学碑の写真を撮りに行くことに決まっていた」と言って原告を責めはじめた。
 (2)いくら抗弁しても受け入れられなかった原告は、もう昼だったので事務室にいったん上がることを被告に促した。原告・被告は事務室に上がり、各々の席で昼食をとった。
 (3)昼食後、原告は被告に話の続きを促したが、被告は話題を避けた。
 (4)しかし、被告は、原告の主張をあくまでも認めず、今度は原告の雇用不安をあおるような発言をはじめた。
 (5)原告は、このままでは話が自分の雇用問題にまで発展しかねないと思い、確実な心覚えを記録しようと録音機を取り出した。
 原告は、この時の経緯について、最初に文学館内でアピールした時から一貫して上記のように主張しています。しかし被告の側から、時間的な経緯や前後関係に関して、あるいは、発言の内容に関して、確実な反証に基づいた反論や、話全体の流れを矛盾なくトータルに説明できる反論は、一度も提示されたことはありません
 要するに被告は、「準備書面(2)」や被告「陳述書」において、〈原告が勝手に話を打ち切って閲覧室を出た〉〈原告が感情的・反抗的だった〉〈原告が激昂し、一方的に話を打ち切り背を向けた〉などと、時間的経緯も前後関係も無視して根拠のない主張を繰り返しているだけです。
 それだけではなく、今回の証言においては、実際には(1)のように被告の方から原告に言いがかりをつけ、(4)のような発言をしていたにもかかわらず、その時のやり取りを、あたかも
「通常の事務の打合せ」であったかのように言いつくろい、言葉巧みに事態の本質をごまかそうとしていました。
②また、被告の、書面における上記のような主張、および、尋問の場における証言は、原告の
甲49号証のもととなる録音の音声を聞けば、少なくともその一部(おそらくは全部)が覆されてしまうはずです。なぜ、被告側は、この段階に至っても甲49号証の内容を無視し続けるのでしょうか。
 
甲49号証から一例を挙げれば、被告の「だって話終わってるしょ」「2度言ったもん。それでも理解できないなら無駄でしょ」「なんでおなし事2度言わなきゃなんないの」等の言葉は、それが発された前後の文脈に照らしても、またその言葉遣いを見ても、とうてい、連携協働する相手の言葉に耳を傾け、事務の打合せをスムーズに運ぼうとしている人間の発言とは思えません。
③被告が10月28日に持ち出して来たのは、
ごく日常的な業務上の指示だとか、あるいは指導だとか、助言」ではありません。そもそも、決まってもいなかった業務について〈決まっていた〉〈原告がやるべきことだった〉と執拗に主張するのは、日常的な業務上の指示」「指導」にはあたりません。また、甲49号証の記録を見ても、被告が原告に〈指示・指導・助言〉をしようとしていた形跡はまったくありません。2度言ったもん。それでも理解できないなら無駄でしょ」の言葉に如実に示されているように、結局は自分の方から対話を打ち切り、それを〈原告の理解能力の欠如〉にすり替えていただけです。

 以上の理由から、被告が証言の場において偽証を行っていたことは明らかです。

④なお、後述するⅢ章の「C.出張の『相談』と『亀井さん』の『気持ち』について」やⅣ章「被告のコミュニケーション態度について」と深く関係することなので、ここで一つ確認しておきたいことがあります。
 それは、被告にとって、被告と原告との会話は、被告の原告に対する〈指示・指導・助言〉であって、それ以外ではないと、ここ(被告調書16pからの引用部)で明言していることです。つまり、被告は、自分が〈相談〉の姿勢を持たなかったことを自ら認めたわけです。

D.栗田展の中止について
 被告は、「栗田和久写真コレクションから」(栗田展)の開催に関して裁判長から質問を受けた際には、
展覧会は開かれませんでした被告調書24p)と認めました。しかし、そうした事例(企画の中止・綿引展のポスター作り直し等)に対して、被告自身がどのような対処をしたのかという趣旨の質問に対しては、

それを判断するのは財団のほうで、その展覧会を実施する、しない、あるいはポスターの作り直しを財団で決めなければならないことですので、意見を求められれば私は言ったかも知れませんが、決定したのは財団のほうで決めたことです被告調書24p)

と答えました。
 また、〈そうすると、栗田展が中止になったことに関して、被告自身の落ち度・不手際はなかったのか〉という趣旨の裁判長の質問に対しては、被告は、以下のように答えました。

栗田さんに作品を貸してほしいというお電話をしたのは私ですので、私が電話したところが、………御本人から、作品を貸し出すことはできないと言われましたので、それを平原副館長にお伝えをして、対処をどうするかという相談をいたしました被告調書24p)

 しかしこの証言は、以下の理由から、信憑性に欠け、明らかに虚偽を含んでいます。

①栗田展の開催は、平成18年2月23日の学芸課内打合せですでに決定しており、同年3月作成の「2006年度事業カレンダー」(甲16号証)にも組み込まれていました。そして3月時点では、主担当は、被告に決定していました(甲60号証甲6号証)。
 繰り返しになりますが、文学館の事業計画は、基本的には、前年度のうちにすべて決定しています。まして、平成17年度においては、道文化施設の指定管理者に応募するため、平成18年度から21年度まで、4年間分の具体的な計画案の作成が必要でした。
 それに、新年度の4月1日からは、新しい展覧会案内のリーフレットを館内に置き、各機関・施設にも配らなければなりません。〈リーフレットで市民・道民にイベント予定をご案内する〉という意味において、そこに記載されている展覧会は、本来、必ず開催が確定したものでなければならないのです。
 ですから、栗田氏と文学館との間の写真貸借の約束も、前年度中にほぼ確定したことであって、もし両者の間に何事もなければ、間違いなく借用が可能であったと思われます。少なくとも、平成18年度に異動してきた被告が、平成18年度中に入ってから栗田氏に電話し、そこからいきなり「作品を貸してほしい」「いや貸せない」という話の流れになるはずはあり得ません。
②栗田展は確かに財団の事業ですが、しかし、主担当として実施を引き受けた被告にとっては、これはまさしく〈駐在道職員〉としての〈公務〉だったはずです。駐在の道職員が、駐在先で公務に失敗しながら、“しかしこれは内容が財団の業務だったから”という理由の一言で、責任を負わずにすむということはあり得ないはずです。
③被告は、「準備書面(2)」の中では、
当該年度(平成18年度)に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである(2p・傍点引用者)と述べています。一方、この度の尋問に際しては、規則上は、………財団の職員を指揮命令する立場には私はないと思いますが被告調書22p・傍点引用者)と証言を一部変えてきているものの、毛利館長から」財団の職員を「指揮下に置いてくださいということの話がありましたので」「事実上の(上司)というのはそういう意味です同前22p)と、やはり、〈自分は事実上は財団の職員を指揮命令する立場にある〉との主張を続けています。
 もし、本当に被告が、事実上、
いずれの事業をも着実に推進すべく」「指揮監督」ないしは「指揮命令」する立場なのだとしたら、その責任範囲は、単に自分が担当する展覧会だけではなく、その年度に実施を予定されたすべての展覧会およびイベントに及ぶはずです。
 ポスターの刷り直しはもとより、展覧会中止など、道の文化施設に本来あってはならない、由々しき事態です。それらの責任はまさしく
「事実上」「指揮監督」ないし「指揮命令」を行っていた被告が負うべきですし、少なくとも、財団に始末書を提出し、自らの責任を如何に償うべきかについて伺いをたてるぐらいは、当然の行為と言えるでしょう。
 しかし被告はそうするどころか、いったんトラブルが起こると、必ず自分が道の駐在職員であることを盾にとり、すべて
「それを判断するのは財団のほう」の一言で責任のがれを図ろうとします。こうした、自らの責任をまったく取らない者が、一方では財団の職員や事業に対して指揮権をふるうなど、許されることではありません。
 これは、より正確に言えば、〈自らの責任をまったく取らない公務員が、民間の財団の職員や事業に対して指揮権を行使している〉ということにほかなりません。つまり、これが被告の言う「一体化」の実態なのです。
④栗田展が中止になるらしいという話が出たのは、平成18年12月の上旬でした
(※6)
(※6 原告の日記『道立文学館覚え書2』(証拠としては未提出)の記述によれば、それは、12月5日のこととなっています。)
 その後、財団事務局は、同年12月22日付で、各理事に栗田展中止の葉書を送付しています。理事の一人であった父のもとにも、その葉書は届きました。
 すでに前年度中に栗田氏と財団(中心は平原学芸副館長)との間で合意され、「道立文学館事業案内」(リーフレット・甲55号証)や文学館公式ホームページでも予定が公表されていた展覧会が、開催日(平成19年1月13日)まであと1ヶ月を切る段階になって中止が決定される。これは、明らかにきわめて異例な事態です。
 それに、前年度中に栗田氏と会って企画をまとめあげた平原副館長が、“被告と栗田氏との間に「貸してほしい」「貸し出すことはできない」という電話でのやりとりがあった”という報告だけで、簡単にキャンセルに同意するとも思われません。もし、被告の言う通りなら、それは、一方的にキャンセルを通告してきた栗田氏側の重大な契約不履行であり、財団側が折れる理由は一つもないはずだからです。
⑤一方、被告の証言は、貸出拒否問題の発端となった件(くだん)の電話は自分から氏にかけたものであり、その通話のやりとりの中で栗田氏が貸出を断ってきたのだということを自ら認めるものです。
 つまり、状況から察するに、突然のキャンセルは、被告の栗田氏に対する対応に、何らかの――おそらく、申し開き不可能な――手落ちがあったことが原因だとしか考えられません。

以上の諸点に照らして、Dに引用した被告の証言の偽証性は明らかです。

亀井秀雄注
被告代理人の太田弁護士は、昨年10月31日の法廷では、「ホウ・レン・ソウ」にかなり力を入れて尋問していたが、平成20年12月16日附「準備書面(4)」では何も言及しなかった。ここに紹介した亀井志乃の「最終準備書面」(平成20年12月12日附)が影響したのかもしれない。Dの「栗田展の中止」については、被告も、被告代理人も、ふれたくないことだっただろう。何も書いていなかった。
 Bの「明治大学図書館への出張と〈職員派遣願〉」の問題については、次回以降、改めて取り上げることにして、今回はCの「録音機と『普通じゃない』発言」について、具体的な経緯を説明しておきたい。

○パワー・ハラスメントのアピールに踏み切るきっかけ
 平成18年10月28日(土)の出来事は、亀井志乃が寺嶋弘道のパワー・ハラスメントのアピールに踏み切るきっかけとなった出来事であり、裁判の重要な争点の1つであるが、それはどんなことだったのか。いま亀井志乃の平成20年3月5日付「準備書面」によって説明すれば、次のようであった。
《引用》

(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した
(23~24p。下線、太字は引用者)

(11-2)平成18年10月28日(土曜日)〈同日〉
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 (11-1)の項でのやりとりのあと、原告は、一対一の押し問答に終始すべきではないと思い、「もう昼にもなるので、事務室へ行ってお話をうかがいましょう」とカウンターを立った。被告も続いてすぐに事務室に上がった。
 そして昼食後、原告は、改めて被告の言い分を聞こうとした。ところが被告は、「もう二度も話したから、その通りのことだ」と言い、なぜか主張の詳細を事務室では口にしようとしなかった。「要するに認識の相違だ」とも言ったが、原告の「文学碑に関してそのような仕事は決まっていなかった」という主張は、依然、認められないとのことだった。
 原告は責任ある立場の職員に立ち会ってもらいながら、これまでの経緯を明らかにしようと考え、「では、その問題について、副館長(先の学芸副館長)も業務課長も揃ったところで、説明させていただきます」と言った。ところが被告は、「いいかい。たかが、だよ。たかがデータベースの問題でしょう。それを、なんであんたが、副館長や業務課長に説明しなきゃなんないの」と、今度は一転、データベース問題の重要さそのものを否定した。そして命令口調で、「説明したいんなら、まず、私に説明しなさい。」、「何かやるときには、まず、私に言いなさい」と言い、原告が「二人の間に認識の違いがあるというのだから、そのことについて、他の方に意見をうかがいたいのだ」と言うと、「説明して分ってもらいたいなら、わたしにまず説明しなさい。私がこの学芸班を管理しているんだ。そうした決まりを守らないなら、組織の中でやっていけないよ」と、自分の立場を押しつけた。
 原告は、自分の雇用に関わる問題にまで発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った。すると被告は、今度は話を続けることなく、急に「あんたひどいね。ひどい」、「あんた、普通じゃない」と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した。原告は、被告に、「私に話したいことがあるなら、記録を取られるからといって、なぜ、話さないのか。誰がいたとしても、一対一の時のように、はっきり言えばいいではないか」と言った。そして、「私は、この問題について、これからも追求してゆくつもりだ。そのことは、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから」と言い、午後の勤務のために事務室を出た
(25~26p。同前)

 亀井志乃はこの一連の出来事を、先ほど紹介した「最終準備書面」では、(1)から(5)までの形に整理したわけだが、何が争点だったか、この引用によってより明瞭に分かるだろう。
 
○被告側の反論
 被告側は「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)で、まず
「この日、閲覧室において被告が原告に対して文学碑データベースの話をしたことは事実として認めるが、発言の細部については否認する」(9p)と反駁し、珍しく表現そのものへのこだわりを見せて、次のように反論した。
《引用》
 
特に第1段末尾の「 」で記述された二項はまったく事実と反するものである。この時の被告の発言は、5月2日の打ち合わせにおいて原告が担当者となって一般公募による写真収集の企画案をまとめることとなっていた、と述べたものであり、「サボタージュ」との発言も原告自身が口にした言葉である(9p)

 原告は今般の訴状及び準備書面において、被告の発言を「 」で示し、いかにも被告がそのとおり発言したかのように主張し、あるいはまた、書面の作成において原告自ら振り仮名を振って「アブノーマル」と読ませるなど作為的な文言を列記し、被告の発言を歪めている。併せて、そのことによって、被告の発言を「傲慢な口調で」「恫喝的な言葉を発した」とか「原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた」などと一方的、感情的に原告が受け止めていることを、正当化しようとしている(9p)

 被告側としては、亀井志乃の表現上の作為を暴いて、むしろ原告のほうが感情的だったことを証明する策戦に出たのである。

○被告側の作為
 ただし、少し注意深い読者ならば直ぐに気がついたと思うが、被告側が引用した
「傲慢な口調で」「恫喝的な言葉を発した」、「原告の性格を誹謗する言葉を吐きかけた」などの言葉は、上に引用した亀井志乃の文章には出てこない。
 亀井志乃は、上のように「被害の事実」を述べた後に、「違法性」という項目を立て、「被告が、閲覧室という不特定多数の来館者に開かれた空間で、原告の業務態度を非難したこと」に関しては、「原告が定められた業務に手抜きをするいい加減な印象を与えて、名誉を毀損した」と指摘をした。
 また、「原告が理事長や館長に事情説明して誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を(被告が)阻止した」ことや、「原告が副館長や業務課長の立ち会いの下で事実確認を行い、サボタージュといういわれのない名誉毀損をただそうとしたが、被告はそれを妨げた」ことに関しては、「憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である」と指摘した。
 更にその上で、亀井志乃は「被告は、自分が公務員でありながら、同時に民間の財団法人の管理職に就いていることを原告が受け入れ、原告が自らを部下の立場に置くように強要した」、「北海道教育委員会の公務員である被告が、身分の不安定な原告の弱い立場につけこみ、被告自身が原告の使用者ではないにもかかわらず、将来の雇用に関する原告の不安を煽るような恫喝的な言葉を吐きかけた」ことを指摘したのである。
 
 被告側は、これらの指摘から先のような言葉を拾い出して
――「傲慢な口調で」の場合は、「準備書面」ではなく、「訴状」にまで遡って探し出し――亀井志乃が「普通ではない」という言葉に「アブノーマル」と振り仮名したことに結びつけた。要するに被告側としては、〈亀井志乃が言うパワー・ハラスメントは、彼女の思いこみによる過剰反応にすぎない〉という印象を与えたかったのであろう。

 なぜ、二人はそのような作為をしなければならなかったのか。その意図はすでに明らかだと思う。彼らは、亀井志乃の指摘に対して正面切って反論することを回避し、あるいは裁判官の目をこれらの指摘から逸らすために、ことさら「アブノーマル」という振り仮名にこだわってみせたのである。

○亀井志乃の論駁
 その点に関しては、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-1」で、次のように反論しておいた。
《引用》
 
しかし、「普通じゃない」という言葉が、「慣例的に行われているのではない、例外的である」という意味に使われる場合にはunusual を使い、「人間の言動が正常ではない、異常である」という意味で使われる場合にはabnormalを使うことは、それこそ普通の(usual)用法である。被告は原告に向かって「あんたひどいね。ひどい」「あんた、普通じゃない」という言葉を吐いた。その「普通じゃない」という発話にアブノーマルと振り仮名したのは、被告の発話がunusual の意味ではなく、abnormalの意味だったことを明確にするためであり、よく行われる(usual)ところの正常な(normal)表現行為である。
 被告は、被告側「準備書面(2)」の記述において、既に2度、原告の主張に関して「常軌を逸した」という形容句を用いている。これもまた、「世間で普通の行われている範囲からはずれた」、「エキセントリックな」、「アブノーマルな」の意味であり、被告は「準備書面(2)」においてさえ、このように原告の人格を誹謗・中傷する言葉を発してきた。被告の原告に対する、そのように傲慢な態度が、10月28日の事務室における発言にも露呈していたと見るべきであろう
(40p)

 また、亀井志乃は、平成18年10月28日の応酬の際、録音機を取り出したことについても、次のように説明しておいた。
《引用》
 
また、被告は、しかし、被告は、同人から指導を受けた際の原告のこれまでの態度、姿勢などから、冷静に対応するよう努めていたところであり、むしろ、原告は『私が理事長や館長に説明します』とか『私は、この問題について、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しました』などと極めて感情的、反抗的な態度に終始していたところであり、(被告「準備書面(2)」)と主張するが、被告の原告に接する言動は「指導」どころか、「助言」とさえも言えない、高圧的、侮蔑的な態度であった。常に冷静に対応しようと努めてきたのは原告の方であった。1対1の会話では水掛け論となってしまい、埒が明かないと考えたからこそ、原告は「では、私が理事長と館長にご説明します」と言ったのである。原告が録音機を取り出したのは、すでに午後の閲覧室勤務の時間が迫っており、後日ケータイ・フォトコンテストをめぐる5月2日の話し合いの問題が再燃する場合に備えて、原告と被告のそれぞれの主張を音声記録にとどめておこうと録音機を出したのである。ところが、この場面を問題にする被告は、原告の発話を正確に引用することさえもできず、原告の言葉の意味を取り違えている。原告は、自分自身の言葉を記録し、後々までも責任を持つつもりだ、という意味で、「私は、この問題については、これからも追及するつもりだ。そのことは、自分自身が(自分の言葉として)これ(録音機)に記録しましたから」と言ったのである(40~41。下線は引用者)

 更に亀井志乃は、「準備書面(Ⅱ)―2」の中で、寺嶋弘道の「こうした激情が会話を阻害するのは言うにおよばず、一方的に話を打ち切り背を向けてしまう原告の態度を見て、冷静な議論が必要だと私はこの時気づいたのでした(「陳述書」6p)という証言に対して、次のように反論した。
《引用》
 
平成18年10月28日のこの出来事において、私が特に烈しい激情にかられたという事実はありません。むしろ被告があくまで私の抗弁や釈明をまったく相手にしない態度に終始したので、やむを得ず私は、今後この問題が蒸し返された場合、お互いにどのような主張をしていたかを記録しておこうと、録音機を出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」(原告の「準備書面」11―2)と言いました。その途端に被告の声は、自信なさそうに小さく、低くなってしまいました。そのことを被告は、「その前から自分は冷静に話していたのだ」と取り繕いたいのかもしれません。被告は臆したのか、冷静だったのか、その録音のテープは私の手元に残っていますし、音声データはいつでも再生できます(甲49号証 録音テープからの再生記録参照)。それを聞いていただければ直ちに明らかですが、話を打ち切ったのは被告のほうであって、私が「激情」にかられて「一方的に話を打ち切」ったわけではありません (22p。下線は同前)

○法廷における誤魔化し
 以上のことを確認して、さて、改めて、10月31日の法廷における、被告代理人太田弁護士と、寺嶋弘道被告とのやり取りを見てみよう。
《引用》

被告代理人:ひどいというのは、どういう趣旨で言ったんでしょう。
被告:通常の事務の打合せを録音することが、まるで言質を取るようなことですので、そこまでやる必要はないという意味で、ひどいねというふうに言いました。
被告代理人:普通じゃないという意味は。
被告:少なくとも、私が知る範囲、通常の事務の打合せを録音にしてたという人を私は知りませんので、普通ではないと思いました。
被告代理人:あなたとしては、亀井さんとの会話というのは、ごく日常的な業務上の指示だとか、あるいは指導だとか、助言だと、そういうふうに思っているわけですね。
被告:はい、そのとおりです。

 
 二人がどのように事実を誤魔化そうとしていたか。その手口までもが、もはや誤魔化しようがないほど、すっかり露見してしまったと言うべきだろう。 
 二人は、「寺嶋弘道が亀井志乃に対して、平成18年の5月2日の話し合いで決まったわけではないことを、『いや、決まっていたのだ』と言い張って、亀井志乃の怠慢を責めたこと」や、「亀井志乃が理事長や館長に事情説明しようとするのを阻止したこと」や、「亀井志乃に対して、『自分がこの学芸班を管理しているんだ。そうした決まりを守らないなら、組織の中でやっていけないよ』と脅しをかけたこと」や、それら一切を棚に上げて、あれは
「通常の事務の打合わせ」だったのだ、と言い繕うことにしたのである。

○三題噺的な矮小化
 その欺瞞性が、今回紹介した、亀井志乃の「最終準備書面」(平成20年12月12日付)の「C.録音機と『普通じゃない』発言について」によって暴かれてしまったわけだが、被告代理人太田弁護士は「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)の中で、まだ未練たらしく、次のように主張していた。
《引用》

8 平成18年10月28日の被告の言動
(1)この日の原告の一連の言動は、正に原告が財団の職員であり、原告の事実上の上司が被告であることを無視し、原告自身が納得しない限り被告らから命じられても原告の業務でないという態度そのものである。
(2)それを再度目の当たりにした被告は、被告が原告の直属の上司であることを説明し、まずは被告に説明することを求めたにすぎない。
(3)そうしたところ、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。
(4)この原告の行動を被告が発言した様に「あんたひどいね。ひどい」「あんた普通じゃない」と感じないものがいるであろうか。
 誰が見ても原告の行動は上司と部下との間で業務上の問題点について話合われる際の通常の行動でないことは明白である。
(5)従って、被告の発言は、原告の言動の様に日常生活の中において通常取られることのない言動を取られた者の反応としては極めて自然のものであり、何ら違法性はない。
6~7p。太字は引用者)
 
 これが、平成18年10月28日の出来事に関して太田弁護士が述べた全文である。
 太田弁護士署名の「準備書面(4)」が速達で亀井志乃の手元に届いたのは、12月17日(水)のことだった。この日私は小樽の文学館へ出ていたのだが、帰宅してこれを読み、吹き出してしまった。
 
 ええっ、たったこれだけ?! 
 「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)の時点ではずいぶん自信たっぷりだったが、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」で
「被告は『この日、閲覧室において被告が原告に文学碑データベースの話をしたことは事実として認めるが、発言の細部については否認する。』と言うが(中略)それならば、被告側の証拠に基づいて『細部』を再現すべきである。(36p)と切り返されて、何の反証を挙げることが出来なかった。しかも、先ほどの「準備書面(Ⅱ)-2」のような反論を受け、10月31日の尋問でも得点を挙げることができず、要するに議論は負け続け。仕方なしに「上司と部下の関係」「業務上の話し合い」「テープレコーダー」と、下手な落語の三題噺みたいに事態を矮小化して、〈平成18年10月28日の出来事は、大げさに論ずるほどのことではなかったのだ〉という印象を与えようとしたのだろう。だが気の毒なことに、悪い冗談としか評しようがない。
 まず(1)について言えば、これは文辞が整っていない。(2)も意味が通らない。一体寺嶋弘道は、亀井志乃にどんなことについて
「説明することを求めた」のか。
 
 すでに繰り返し指摘してきたように、「事実上の上司」なんてことを持ち出しても、寺嶋弘道の違法性を証明することにしかならない。これでは自分で自分たちの首を絞めるようなものだろう。

 (3)について言えば、「あろうことか……感じないものがいるであろうか」と、まるで弁護士が三百代言と呼ばれていた時代の裁判劇みたいに、大向こうのウケを狙った台詞まわしだが、亀井志乃が録音機を取り出した理由は、平成18年10月31日のアピール文以来、「準備書面」、「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)-2」と4回も説明してきた。太田弁護士がすっとぼけた振りをしてスルーしても、裁判長が以上のような亀井志乃の理由説明と、テープレコーダーから起こした寺嶋弘道の言葉(甲49号証)を見落とすはずがない。
 それに、太田さん、自分の文章はもっと慎重に点検したほうがいいですよ。もし仮に10月28日の寺嶋弘道と亀井志乃のやり取りが「業務上の問題点」に関するものであったとしても、仕事の性質、内容によっては、テープレコーダーに記録を残そうとする場合もある。そんな時、いちいち
「あんたひどいね。ひどい」「あんた普通じゃない」なんて反応する人間がいたら、そりゃ大抵の人が「ひょっとしたらこの人、普通じゃないんじゃない?」と感ずるだろう。
 にもかかわらず、太田弁護士は
「(3)そうしたところ、あろうことか原告は被告との業務上のやり取りをテープレコーダーに録音するという考えられない行動に及んだのである。/(4)この原告の行動を被告が発言した様に『あんたひどいね。ひどい』『あんた普通じゃない』と感じないものがいるであろうか。」と書いてしまった。そのこと自体が、寺嶋被告の発話が記録に残されては困る性質のものだった、何よりも確かな証拠にほかならないだろう。

○太田弁護士の更なる失敗
 その上、もう一つ、太田弁護士は寺嶋被告の足を引っ張るような失敗をしてしまった。
 寺嶋弘道は、自分が亀井志乃を「あんた」呼ばわりしたことを、「文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの?」とか、「なんであんたが、副館長や業務課長に説明しなきゃなんないの」とかと、直接話法的に再現されることを気にしていたらしい。自分が亀井志乃を見下していたことの明らかな証拠とされるのではないか、と心配したのだろう。そこで彼は、「陳述書」の中で、
原告に『あなた』と呼びかけたことさえ『あんた』と呼び下したように記されていることからも分かるとおり、意図的な用語転換による防衛心と敵意がここに表明されています。(4p)と、亀井志乃のほうを非難する策戦に出たわけである。
 
 もっとも、「あなた」を「あんた」と書くことが、なぜ「意図的な用語転換による防衛心と敵意の表明」になるのか、さっぱり分からない。
 書いた本人も、自分が書いたことの意味が分かっていなかったのではないか、と思われるのだが、とにかく彼が直接話法で自分の発話を再現されるのを嫌っていた。そのことだけは、こちらにも伝わってくる。
 ところが太田弁護士は、あろうことか、自分の依頼人のこだわりにはお構いなしに
「この原告の行動を被告が発言した様に『あんたひどいね。ひどい』『あんた普通じゃない』と感じないものがいるであろうか。」と書いてしまった。つまり、寺嶋被告が亀井志乃を「あんた」呼ばわりしたことを認める書き方をしてしまったのである。「弁護の仕方としては普通じゃない」「ひどい」と感じないものがいるであろうか
 
 そして最後、(5)について言えば、亀井志乃は
「あんたひどいね。ひどい」「あんた普通じゃない」という寺嶋弘道の発話だけをとらえて、彼の「違法性」を指摘したわけではない。普通の読書能力の持ち主ならば、亀井志乃の「準備書面」を一読して、直ちにその程度のことは分かるはずである。】

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北海道文学館のたくらみ(50)

亀井志乃の「最終準備書面」その3

【今回は「Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言」の、「第2項 被告側準備書面と法廷での主張内容が異なる証言、または、時間等の矛盾が含まれるために主張内容の成立が不可能な証言」のEからGまでを紹介する。】

E.〈年休〉処理の問題について
 平成18年5月10日に被告が原告に〈年休〉について執拗に質問しはじめ、“何で休むかについては僕が聞いておかなくてはならない”・“業務に差し支えないかどうかは確認しなければならない”と言いつのって原告を退勤時間後も足止めした件に関して、裁判長と被告の間では、以下のようなやりとりが交わされました。

田口裁判長)休みをとるときに、都合とか、私事ですということで、それだけで休みを取ることはできないんですか。
被告)できると思います。ただ、そのときは小樽へ文学の講演会を聴きに行くということでしたので、それであれば出張にしたらいいのにと思いました。
田口裁判長)だから、先ほどの話を聞いていると、原告のために、出張にしたらいいのに、業務だったらそういうふうに言えばいいのにという意味合いで言われたというようなことを言われてたんですけれども、そうしたら、原告の方はありがとうございますという話になるのが通常だと思うんですね。そういうふうに話が進まなかったのは、何が原因だと考えられますか。
被告)いや、私事として行きたかったんだと思いますけれど。もう1つは、通常、1時間単位での年休申請を上げますので、年休処理簿に取りあえず書いてくださいとN主査が亀井さんに処理簿を渡したのを、そこで承認の印を押すのは私の立場でしたので、私のところへ上がってきましたときに、何時間年休を取るのというふに聞いたんですね。それが分単位でしたので、時間単位に直そうと思いましたので、そのように質問いたしました。

被告調書28p・下線は引用者)

 〈原告が年休処理簿に記入〉した時の状況に関しては、これに先立つ被告の本人尋問の際にも、被告代理人と被告との間で、以下のような応答がなされていました。

被告代理人)それで、平成18年4月以降、財団では亀井さんに有休はないんですか。
被告)そのときに、私は、亀井さんの年休がどのような状況であったかは理解していなかったと思います。職員ですので休めると思っていました。ただ、亀井さんが休みたいと言ったときに、休暇の処理を担当する業務課の方で、担当の主査から亀井さんは休みがないんじゃないという発言が出たんですね。それで、今までどおりでもよいんじゃないかという話も出ましたので、18年度の4月から亀井さんの休暇をどうするかというのははっきり決まっていなかったんだと思います。

被告調書7p・下線は引用者)

 被告は、原告が早退を希望して年休処理簿に記入する時の模様を非常にまことしやかに描写しており、そうした文脈につなげて、〈自分はただ単に、分単位で記入されていたのを、時間単位に直そうと思って質問しただけだ〉〈講演会を聴きに行くのなら、出張にすればいいと思った〉と述べ、“自分はなんら原告に悪意も敵意もなく、ただ当然の配慮をしようとしただけだ”という印象を裁判長に与えようとしていました。そして、裁判長の「そういうふうに話が進まなかったのは、何が原因だと考えられますか」という質問の方については、はぐらかしてしまいました。
 しかし、以下の理由から、これらの被告の証言は、まったくの偽証です。

①原告は、5月13日に休みをとる件(12:00から17:00まで)について、5月9日(火)の朝の打合せ会において了承を得ました。そしてその日、被告は休み(欠勤)でした(甲4号証参照)。つまり、原告が皆からの了承を得たときには、その時点・その場において、被告は不在だったのです。
 また、年休処理簿は、年休希望者に業務課職員がいちいち手渡すことはなく、業務課のデスクの所定の位置のブックエンドに、出勤簿等といっしょに常に立てかけられていましたので、原告はそれを自分で取り、5月10日(水)午前9:30頃に記入して、一応確認の上捺印してもらおうと被告に手渡しました(
甲4号証参照)。以上が、5月9日から10日の間にかけて原告が実際に行った動きです。
 なお、5月9日に被告が不在であったことは、すでに、原告が被告から蒙(こうむ)ったパワーハラスメント被害について文学館にアピールした文章(
甲17号証)8p(下から1行目)にもすでに記載してあります。これまで、その事実について否定または反論されたことはありません
②しかも、被告は、被告自身の「準備書面(2)」3p(下から6行目)においては、
第一段(原告3月5日付「準備書面」)については、被告は5月9日が代休日であったほかは不知であると述べています。つまり、少なくともこの準備書面が提出された平成20年4月9日の時点までは、被告自身が、自分は原告が朝の打合せ会で休みの承認を得た日に欠勤していたということを認めていたのです。
③ ①で述べたように、年休処理簿は各自がめいめい必要に応じてブックエンドから取り出して記入するものでしたので、
年休処理簿に取りあえず書いてくださいとN主査が亀井さんに処理簿を渡」す、という状況は起こり得ません。また、別に〈取りあえず書いてください〉と指示されなくても、その記入法等については、すでに1年半文学館に勤務した原告の方が、まだ異動して1ヶ月ほどのN主査よりも承知していますので、こうした会話のシーンも、現実にはまず起こり得ません。ですから、証人席において被告が主張していたような流れでは「私のところへ上がってきましたときに、何時間年休を取るのというふうに聞いたんですね」ということも、分単位でしたので、時間単位に直そうと思いましたので、そのように質問いたしました」ということも起こり得ません。
 そもそも被告は、5月10日の時点では“原告の記載が分単位だったので、時間単位に直す必要がある”とは一言も言いませんでした。被告の「準備書面(2)」で、後付けの理屈として初めて言い出したことに過ぎません。また、それが後付けの理屈としても成り立たないことは、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」の18pで指摘しておきました。
④また、①に述べましたように、原告が、朝の打合せ会で休みを取りたいという話をしたのは5月9日です。その日、被告は欠勤です。
 ですから、
亀井さんが休みたいと言ったときに、休暇の処理を担当する業務課の方で、担当の主査から亀井さんは休みがないんじゃないという発言が出たんですね」という状況が仮にあったとしても、それを被告が現実に目撃したり、記憶できるはずがありません。この証言には、重大なタイムパラドックスが含まれています。
 それに事実、業務課から、上記のような発言は出ませんでした。要するにこれも、本章「D.綿引幸造写真展について」の②で指摘した事例と同様に、被告によって捏造された虚構の場面に過ぎません。
⑤原告がこの時何に出席するつもりだったかについては、すでに「準備書面(Ⅱ)-1」において
「原告が出席しようとしたのは小樽啄木会が主催する『啄木忌』で行われる講演会であって(18p)と明記し、被告「準備書面(2)」(4p)に記されている誤解を訂正しておきました(甲39号証の1甲39号証の2参照)。
 それにも関わらず、被告は、相変わらず、この度の尋問の席においても、原告の訂正を無視し、〈講演会〉の性格に関する自分の誤解を解こうとはしませんでした。あるいは被告は、原告の準備書面にも、証拠のコピー綴りにも、まったく目を通さなかったのかも知れません。
⑥なお、被告は、原告が休みをとろうとした時に
「休暇の処理を担当する業務課の方で、担当の主査から亀井さんは休みがないんじゃないという発言が出た」「今までどおりでもよいんじゃないかという話も出ました」と証言し、結論的に「18年度の4月から亀井さんの休暇をどうするかというのははっきり決まっていなかったんだと思います」などと述べていますが、そもそも、このような会話が当時の文学館で交わされるなど、考えられない話です。
 いかに非常勤の嘱託とはいえ、すでに1年半の勤務実績があり、次の年度も引き続き勤めることがすでに決まっている
(遅くとも、1月~3月上旬の間には館長からの意志確認手続きにより確定)職員の扱いについて、新年度が始まって1ヶ月も経つまで、他の誰一人として考慮していなかった、などということはあり得ません。特に平成18年度からは、原告はO司書とともに、業務課所属の扱いになっていたのです(甲2号証)。いくら被告が〈新しい指揮命令系統は4月18日に決めた〉と主張しようとも、それ以前に、指定管理者制度へ移行する前提として甲118号証および甲2号証の組織図が作成されていたのですから、そうした過程において、新年度の原告の身分や扱いを業務課が決めていなかった、もしくは、正しく把握していなかった、などという話はあり得ません。
 仮に被告の証言どおりだとしたら、文学館の業務課は、そもそも事務組織として機能していなかったということになります。
 
 以上の諸点に照らせば、被告が、平成18年5月10日の状況について意図的に偽証を行い、自分の言動に原告へのハラスメントの意図はなかったと、姑息に尋問の場をとりつくろおうとしたことは明らかです。

F.「用務地」について(平成18年9月8日)
 被告は、9月8日に釧路市へ展示資料の返却業務で出張した原告の「復命書」を書き直させた件について、裁判長に問いただされ、以下のような証言を行いました。

田口裁判長)で、甲12号証の1では、用務として2項目書かれているんですけれども、内容的には資料の返却及び資料の調査で間違ってないのではないかというふうに読めるんですけれども、これでは不都合だったんですか。
被告)用務地として、「釧路市」と書かれ、更に「昭和町」と書かれておりましたので、出張の日は昭和町までの札幌からの往復の旅費を出しているんですね。ですので、春湖台や幣舞町へ行く旅費を措置しているわけではないと思いましたので、それで、業務課のN主査に命令どおりのほうがいいんでしょうと確認した上で、このように赤字を入れました。

被告調書29p)

 しかし、この被告の証言は、一見正当に見える〈旅費の措置〉を盾にとり、意図的に釧路の地理を無視した偽りの証言です。

①確かに、「旅行命令/依頼簿」(甲12号証の2)に記されている「目的地」は、釧路市昭和町です。ちなみに、釧路駅から昭和町までは直線距離で約4.2kmであり、バスの運賃は280円です(甲12号証の2)。
 しかし、原告はこの出張の際に釧路市中心部に1泊し、翌日の9月2日、帰路の列車に乗るまでの間を利用して、釧路市内の施設(釧路市立博物館・市立釧路図書館)で資料調査を行いました。釧路市立博物館は釧路市春湖台1-7、駅からの直線距離は2.5km。市立釧路図書館は釧路市幣舞町4-6、駅からの直線距離は1.3km。どちらも、釧路駅から〈くしろバス〉の同一路線で行くことが出来、運賃は片道210円です。なお、博物館と図書館との間の距離は、バスのルート上で2km程度であったため、原告は歩いて移動しました。つまり、バスの運賃は往復420円しかかかりませんでした。この420円が、この出張における原告のエキストラの出費の全額です。
②原告に出張を直接依頼したS社会教育主事は、その際、「今度は返却業務ですから、用務が済んだら、亀井さんの方の資料調査をしてきて構いませんよ」と言ってくれていました。これは、S社会教育主事が、「デュオ展」でとりあげられる作家の一人・中戸川吉二が釧路出身であることと、原告が釧路に資料調査に行く予定だということを、前年度末の課内打合せの時に聞いて知っていたからです(
甲47号証の1甲47号証の2)。
 また、S社会教育主事は、前年度の「原田康子展」の用務で何度か釧路に出張していたので、釧路の博物館や図書館が市の中心部にごく近いこともすでに承知していました。
③なお、出張用務地内における移動に際して、誤差程度の余分な交通費が生じた場合、それについては、用務者本人が業務課に改めて請求しなければ、問題にはなりません。少なくとも、この出張における程度の釧路市の範囲内の距離では、「復命書」に「目的地」以外の用務地の記載がなされたからといって、それだけで即座に〈春湖台や幣舞町への交通費をどう処理するか〉という問題が発生するわけではありません。
④N業務主査が、釧路市内の施設の位置関係を前もって知っていたかどうかについては分かりません。しかしN主査は、いつもインターネットの地図サービス等を駆使しながら旅費を算出しますので、「春湖台」や「幣舞町」がどこにあるかについても、必要があればすぐに確かめられたはずです。
 したがって、被告から
「命令どおりのほうがいいんでしょう」と言われただけで、N主査が、杓子定規に原告の用務地を問題視したなどという話には、何らリアリティがありません。
⑤なお、この「復命書」の決済印について、被告が〈一般的には学芸員のAさん、Sさん、そして私のところへ上がってくる〉と証言したことに関して、田口裁判長が
「そうすると、AさんもSさんもこれでいいと思って回してきているということになるわけですか」と質問したところ、被告は「恐らく、恐らくというのは、直さなければならないという意識が何もSさんやAさんにはなかったと思いますけど被告調書30p)と答えていました。要するにこの言葉によると、〈SさんやAさん〉には〈不適切な書類を見ても、その不適切さに対する関心も、直さなければならないと思う職業意識も有さなかった〉ということになります。
 しかし、この被告の言葉は、すでにこの時点まで、文学館で2年間勤務しているA学芸員と1年半勤務しているS社会教育主事の経験や判断力を完全に無視した発言です。これまでも幾度か指摘しておきましたが、予算の件といい、分掌の件といい、被告の証言の中には、〈前年度まで〉という発想が一つもありません。自分が異動してくる以前にもこの文学館で様々な業務が遺漏も問題もなく執り行われていた、という前提を、被告はまったく考慮に入れずに勝手な証言を行っているのみです。

 以上の理由から、被告の証言内容にはなんら根拠がなく、意図的な偽証であることは明らかです。

G.書類の〈添削〉について(平成18年10月6~7日)
 裁判長は、被告に対して〈原告は、
甲10号証の3を参考にして書類を作成し、甲10号証の4で業務主任と業務課長に目を通してもらい、さらに甲10号証の5でN主査の添削を受けたと主張しているが、その流れで間違いはないか〉という趣旨の質問を行い、それに対して被告は「いや、そうだと思います被告調書31p)と答えました。
 そこで裁判長が重ねて
「それにもかかわらず、これだけ被告のところで手が入るというのは、どういったことからだというふうに考えられますか」と質問すると、被告は、以下のように証言しました。

この赤字(甲10号証の4)、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、………N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、永野さんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して、派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょうということにしたものです。
被告調書31p・下線は引用者)

 しかしこれは、以下の理由から、まったくの虚偽の証言です。

①被告証言の検討に入る前に、まず、次の1点を再確認しておきます。Ⅰ章の「F.『運用』と『兼業規程』について」の④でも触れましたように、原告は平成18年11月10日、原告のアピール文(甲17号証)について毛利館長・平原副館長と話し合い、4点の合意に達しました。その4点目は「原告の業務に関する書類は、財団法人の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館の方をまず先にする(後略)」(甲18号証)となっています。
 すなわち、すでに、平成18年11月10日の時点で、毛利館長も平原副館長も、被告が〈指導〉と称して原告に強制した文書の書き方は財団の書式とは異なること、かつ、被告の〈指導〉には根拠がなく、不適切であったと認めているのです。
②念のために附言しますと、上記①のことは、それまで毛利館長ほか財団の幹部職員が北海道教育委員会の書式に従う方針をとってきたことを意味しません。11月10日の話し合いの席上において、毛利館長と平原副館長は、原告の説明によって、初めて被告による〈添削〉や書類の書き直しの実態を知り、その結果、上記のような取り決めがなされることとなりました。その折に、平原副館長から実例を見たいとの要望がありましたので、原告は、
甲18号証に具体例甲10号証の135および甲12号証の1を添えて、神谷理事長・毛利館長・平原副館長・川崎業務課長および被告に渡しました。
③被告は、「準備書面(2)」の中では、自分が原告の「紹介状」の作成に介入して「職員派遣願」
(「企画展『人生を奏でる二組のデュオ』に関わる資料の調査について」)に代えさせた理由を紹介状の作成について、原告とN主査が相談していた事実は認めるその際、N主査が自分の所管事務について直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子であったため、被告が発言し、紹介状に代えて職員派遣による協力要請文書の作成を指示したものである(7~8p・下線は引用者)と説明していました。なお、被告が〈紹介状ではなく、職員派遣願いを〉と言ったのは、10月6日(金)のことです(甲9号証1~2枚目参照)。
 ところが被告は、証人席においては、〈協力要請文書の作成の指示〉の時ではなく〈書類の添削〉の時のこととして、
この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、………N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、Nさんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して、派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょうということにしたものです」と証言をしてしまいました。
 原告が準備書面の小見出しでも幾度も示しているように、被告による書類の書き直しが強制されたのは、10月7日の出来事です。原告が
甲10号証の5を作成してN主査の添削を受け、甲10号証の1を仕上げて被告に提出して帰宅した時点から、丸1日が経過しています。
 しかも10月7日は、被告が、非出勤日であるにもかかわらず夕方近くにわざわざ文学館に出て、原告を自席に呼びつけ、原告の退勤時間を超えて足止めをした日です。この日の被告の行動は、きわめて異例というほかはありません。その特殊な状況からみて、被告が、例え記憶上のこととはいっても、10月6日と7日をたやすく混同するとは考えられません。その上被告は、
N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、Nさんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して」と、まことしやかに状況の描写までしているのです。これもまた、明らかなタイムパラドックスであり、意図的な虚構の場面の捏造です。
 そして被告は、自分が本来必要のない書類の作成を原告に強いたことも、根拠のない〈添削〉をなぐり書きしたことも、両方、“N主査が困っていたから”と、N主査に原因を押しつけようと目論んでいます。
 要するに被告は、先には、原告の「紹介状」作成に介入したという訴えから逃れるために〈N主査が困惑していたからアドバイスしたのだ〉と虚偽の反論を行い、また法廷で、裁判長から、他の職員が添削したのにどうしてここまで手を加えねばならなかったかと質問されると、それも〈N主査が困惑していたから「私の方で修正しましょう」と申し出たのだ〉と、さらに虚構を重ねたのです。しかし実際には、いずれの場合においても、〈N主査が困惑した〉という事実はありませんでした。

(なお、被告「準備書面(2)」の記述の過ちや曖昧さについては、原告「準備書面(Ⅱ)―1」33pで指摘しておきました。)
甲10号証の4の手書き文字は、原告が書いた文字であり、N主査の文字ではありません。そもそも、「証拠説明書」の〈作成者〉の欄に「原告自身が赤ペンで加筆」と明記してあります。
 一方、N主査の文字には、
甲12号証の2(「旅行 命令/依頼 簿」)の手書き文字を見ても分かるように、はっきりとした特徴があります。全体に横長・扁平な文字で、一般的に見ても、かなり特徴的な書体と言えるでしょう。少なくとも、甲10号証の4の原告の字と混同する体(てい)のものではありません。
 しかるに被告は、証人席において、平然として、
甲12号証の4の手書き文字を「N主査の文字だと思う」と証言しました。
 被告が、わずか1年しか同じ職場にいなかった原告の文字を忘れるのは、ある意味で仕方ありません。しかし被告は、N主査とは、実は、北海道立文学館に来る以前に、北海道立近代美術館においても同僚でした。
  
平成16~17年    被  告   学芸第三課 課長

(道立近代美術館)     N      業務課副主幹兼主査(平成18年3月退職)

平成18~現在    被  告   学芸主幹
(道立文学館)        N      業務主査(財団法人北海道文学館職員として再就職)
(『北海道職員録』により確認)
  
 つまり、被告とN氏は、平成20年10月31日の公判日に至るまで、すでに4年半以上も同じ職場で働いています。当然その間、近代美術館においても文学館においても、N主査は、被告の出張書類等に関して、原告にしたのとほぼ同様な形で処理していたはずです。それにもかかわらず、被告は、甲10号証の4の文字が、N主査の文字と違うということに気がつきませんでした
 被告は、「陳述書」や法廷の場において、“自分は原告以外の職員の書類についても指導を行ってきた”と証言していました。しかし、原告とN主査の書体の違いさえ分からなかった。これは被告が、要するに、もっぱら原告作成の書類についてのみ「指導」という名の嫌がらせを行ってきたことの、一つの明らかな証拠と言えます。
⑤また、前項②に関してもう一点言及すれば、N主査と被告とは、
甲10号証の1の件が起こるまでの間にすでに約2年半同じ職場に勤務しており、したがって、〈書類〉の書式がいかなるものかという認識も共有していたはずです。しかも、事務書類に関しては、N主査の方が長年の専門です。
 ところが被告は、N主査が手入れをして
甲10号証の1が出来たことを実際には知りながら、その上に書きなぐるように数多くの訂正を加えました。これは、ただ単に書類を作成した原告に対する侮辱行為であり人格権侵害行為であるだけではなく、間接的にはN主査をも侮辱した、悪質な行為であると言えます。
⑥被告は、原告が「紹介状」を持参するだけでは個人的な調査であって、公務にはならない、という意味のことを言っていました。しかし、職場の長が署名・押印した「紹介状」が私的な文書のはずがありません。あくまでも、財団の業務に関する文書です。それを持参して行くことは、紛れもなく〈業務〉上の行動です。
 また、駐在の道職員である被告にとっては、財団が被告に依頼する学芸関係の仕事は〈公務〉ですが、財団の嘱託職員である原告にとって、財団の仕事は〈業務〉です。〈指定管理者制度〉によって組織の二重化現象が起こるのは不可避なことですから、こうした基本的な区別は、本当は、職員のだれもがわきまえていなければならないはずです。しかし、この度の被告の証言
(「準備書面(2)」や「陳述書」も含めて)には、〈公務〉と〈業務〉の区別さえついていない発言が数多くありました。

亀井秀雄注:副館長の平原一良は、平成18年8月29日(火)、怪我で休んでいたにもかかわらず、「陳述書」の中で、あたかも文学館でこの日に起こった出来事に立ち会っていたかのように書いた(「北海道文学館のたくらみ(35)」)。まさか平原一良は分身の術を使ったわけでもあるまい。
 ところが、被告の寺嶋弘道も、10月31日の法廷において、2度も同様な嘘を吐いていた。現在の道立文学館では、時間的・空間的に不可能な行為に関する嘘が平然と行われているらしい。このことは十分に心に止めておく必要があるだろう。

 さて、前回と今回の記述からも分かるように、亀井志乃が道立近代美術館の学芸員とコンタクトを取ったり、小樽啄木会の集まりに出ようとしたり、釧路の出張先で相手方に誘われて研究集会に参加させてもらったり、大学図書館まで出かけたり、何らかの形で外部の人と交渉を持ち始めると、寺嶋弘道は信じられないほど過剰な感情的反応を見せて、亀井志乃の行動に干渉し、書類の書き方にクレームをつけるなど、嫌がらせを繰り返した。

○「復命書」の場合
 それらのクレームのうち、まず「F.「用務地」について
(平成18年9月8日)」について、簡単に補足すれば、亀井志乃は平成18年9月1日(金)に釧路へ出張して、財団の書式に従って「復命書」を業務課へ提出した。業務課では、亀井志乃の書き方に特に問題を見出さず、そのまま受理した。その後業務課は、寺嶋と同様に道立文学館に駐在する道教委の職員のA学芸員、S社会教育主事に回したが、2人は何の問題も見出さなかった。そして寺嶋弘道に回したところ、彼は亀井志乃に書き直しを求めたのである。
 亀井志乃の「復命書」は、田口裁判長が見ても「内容的には資料の返却及び資料の調査で間違ってないのではないかというふうに読めるんですけれども、これでは不都合だったんですか。」と訊いてみたくなるほど、常識的には何の問題も見られない書き方だった。
 被告代理人・太田弁護士は「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)で、「所定の復命書の『用務』『用務地』及び『処理の状況』欄等の記載に当たっては、旅行命令と整合を図るよう原告に対し指導したものであり、」と主張していたが、そんな「指導」を受けるまでもなく、亀井志乃の「復命書」は所定の書き方と整合していたのであり、田口裁判長の
「これでは不都合だったんですか。」という疑問は、当然の疑問だったのである。
 それに対して寺嶋弘道がどう証言したかは、先ほど亀井志乃が「被告調書」から引用した如くであり、亀井志乃が証明したように、「被告(寺嶋弘道)の証言内容にはなんら根拠がなく、意図的な偽証であ」った。
 
 他方、「復命書」書き換え強制に関する、寺嶋弘道側の最終的な主張は次の如くであった(太田三夫署名「準備書面(4)」平成20年12月16日付)
《引用》

(1)復命書が被告の事実上の部下である原告から被告に上げられたとき、その内容を精査し適切な修正を加えることは、復命書がそれにより業務が適正に実行された証になる基本的書面である以上極めて当然のことである。
(2)復命書などいわゆる決裁書類・りん議書類等は、どの様な組織においても日常的に上司の修正を加えられている。一般的に部下は、上司からこの様な修正を加えられることにより、より正確かつ適切な業務執行の方法を修練して行くことになるのである
(5p)

 いかにもお役人の作文らしく、ご大層な一般論を弁じ立てているにすぎない。一般論を振りかざして、具体的な行為事実の検証から逃げてしまったわけだが、「それならば、寺嶋さん、あなたは、自分と同じ道職員のA学芸員やS社会教育主事に対しても、年長の道職員として、つまり『事実上の上司』として、厳しく書類上の指導をしているのでしょうね」。そういう疑問は、これは誰もが感ずるところだろう。
 田口裁判長も同様の疑問を感じたらしく、寺嶋弘道との間に、次のようなやり取りが交わされた。
《引用》

田口裁判長:そうすると、これは原告だけの問題ではなく、Aさん、Sさん、皆さんに対して、復命書の書き方はこのようにしなくちゃいけないんだよということを話すべき事柄であって、原告1人を足止めして、これを言う必要性は、それだけではなかったのではないですか。
寺嶋被告:なので、Aさんにも、別な出張で書き直しを、話したことがありますし、Sさんにも同じような話をした記憶があります。
田口裁判長:それは、いつですか。
寺嶋被告:………はっきり覚えてませんが、日常的にということですね。
田口裁判長:この9月5日より前ですか、後ですか。
寺嶋被告:………9月5日より前にAさんの出張はなかったと思います。それから、9月5日以前にSさんの出張はありましたので、そのときにした記憶があります。してると思います。
被告調書30P。下線は引用者)

 寺嶋弘道という人物は、話題が肝心要の具体的な事実に及ぶと、急に記憶が曖昧になるという特技の持ち主であるが、それから、9月5日以前にSさんの出張はありましたので、」などととぼけた言い方をする必要はない。彼は平成18年の9月5日までに、少なくとも2度、啄木展副担当の亀井志乃を無視して、――つまり亀井志乃には何のことわりもなしに――S社会教育主事と東京の日本近代文学館まで出張している。その際、S社会教育主事に「復命書」の書き方を指導したのか、しなかったのか。もし指導をしたのならば、それはどの点に関してなのか、はっきりと答えられたはずである。
 ところが寺嶋弘道は、それらのことにはっきりと答えられなかった。ということはすなわち、
原告1人」亀井志乃)だけをターゲットにして、足止めして」書類の書き直しをさせる嫌がらせをしてきた証拠にほかならない。

 ただし時間的な前後関係から言えば、10月31日の田口裁判長による尋問があり、そのときの寺嶋弘道のしどろもどろを取り繕うために、先のような一般論を述べ立てた「準備書面(4)」が書かれたわけだが、一般論で具体的な失敗や虚言を帳消しにする。そんなやり方が通用するなんて考えるのは、某一党独裁国家の官僚くらいなものだろう。そう思っていたところ、どうやら北海道教育委員会や弁護士の中にもそういうタイプがいるらしい。おまけに、寺嶋弘道は自分が主担当の池沢夏樹展(平成18年度)の「実施報告書」をついに出さなかった。そういう人間が書類作成の説教を垂れても、これでは「百日の説法、○一つ」の結果しか生まれるはずがない。

○明治大学図書館に持参する「紹介状」の問題について
 次の「G.書類の〈添削〉について(平成18年10月6~7日)」の問題は、今後も何回か取り上げるはずなので、まずその経緯を、原告と被告の双方の文章に語ってもらうことにしたい。
 亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)で、次のように発端の事情を述べた。
《引用》
 
原告は企画展の準備のため、明治大学の図書館に資料閲覧の諾否を問い合わせた。同図書館は快く応じ、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい」という返事だった(甲35号証)。ただしこの用件での出張の可否は、(9)の項で述べた時のことがあって以来棚上げになっていた。
 しかし10月6日(金曜日)、原告が出勤すると、出張の書類はN業務主査が整えて、被告の許可をもらっておいてくれた。原告はN主査に礼を言い、明治大学へ持参する紹介状について、事務室で二人で相談した。すると、少し離れた自席に座っていた被告が、「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と言った。被告は原告に対して、一方的に「それでいいね?」と言い、「書類、出来上がったら私に見せて」と言った
(20p)

 これが平成18年10月6日のことである。
 このことに関する被告側の言い分は次のようであった(被告「準備書面(2)」平成20年4月9日付)
《引用》

1)「(a)被害の事実」の第1段
原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。
(2)同第2段
紹介状の作成について、原告とN主査が相談していた事実は認める。その際、N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子であったため、被告が発言し、紹介状に代えて職員派遣による協力要請文書の作成を指示したものである
(7~8p)

 この文章を書いたのは太田三夫弁護士だと思うが、どうもこの人の日本文は舌足らずなところがある。初めの1文もそうなのだが、もし被告の寺嶋弘道がN主査の困惑を見かねたのならば、「紹介状」の書き方をアドバイスするだけで十分に用は足りたはずである。ところが寺嶋弘道は、お節介にも「紹介状に代えて職員派遣による協力要請文書の作成を指示した。だが、なぜ明治大学図書館が求める「紹介状」に代えて、「職員派遣による協力要請文書」を作成しなければならないのか、その説明が落ちているのである。
 そこで亀井志乃は、次のように反論した(原告「準備書面(Ⅱ)―1」平成20年5月14日付)
《引用》
 
被告は「原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。」と言うが、文意が不明である。誰が明治大学から紹介状を求められたのか。「原告から伝聞した」とは、どういうことなのか。考えられる、唯一まともな文章は、「原告が明治大学から紹介状求められたことを被告は伝聞した。」であろうが、被告は「伝聞」したのではない。原告とN主査の会話を小耳に挟んで口を入れたのである。
(2)同第2段
 明治大学図書館が求めたのは「紹介状」と「身分証明書」であり、それを本人が持参することだった
(甲33号証)原告は業務課に属し、原告の紹介状は業務課で作成する。原告はN主査に明治大学からの依頼について説明し、「紹介状をよろしくお願いします」と言った。だが、平成18年度の4月から財団に勤務し、まだ半年ほどだったN主査は一瞬ためらい、「紹介状という書式があったかしら」と言いさした。そこへすかさず被告が口を挟んだのである。被告は、「N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子だったため、」と言うが、「紹介状」の発行はN主査の所管事務である。N主査は自分の所管事務に関わらないことを相談されて「困惑」していたわけではない。被告は「紹介状」云々を小耳に挟んで、「職員の派遣願い」と勘違いした。勘違いをしたこと自体を原告は咎めるつもりはないが、被告は自分の勘違いに気がついたら、固執すべきでなかった(32~33p)

 このようなことがあり、そして亀井志乃が「最終準備書面」で指摘したような、10月31日の法廷における偽証があり、ついに太田弁護士は、如何なる弁護も不可能と観念したのかもしれない。太田弁護士署名の「準備書面(4)」では何の主張も行わなかった。

○北海道教育委員会という不思議な世界
 ただ、この「「準備書面(4)」には、被告の寺嶋弘道が如何なる自意識の持ち主であるかを表現した箇所があり、参考までに紹介しておく。
《引用》

4(1)他方、被告(寺嶋弘道)は、平成18年4月までの28年間にわたる北海道教育委員会職員として組織の中で勤務してきた経験・実績から、被告の事実上の部下となった原告(亀井志乃)が財団の職員として(ママ)自覚のもと、原告の担当する業務について事実上の上司である被告に報告・連絡・相談があるもの、あるべきものと認識していた。
 (2)そして被告は、上記認識のもとに財団の職員としての原告に対して原告の担当する業務について指導・監督をした
(2p)

 まさか北海道教育委員会というところは、たったの28年の勤務で、自分は「文学館グループ」という3人編成のチームのグループ・リーダーにまで登りつめたのだと、そんなふうに思い上がった、夜郎自大ばかりが棲んでいる組織ではあるまい。ただ、寺嶋弘道被告は28年のキャリアを理由に、教育委員会以外の組織で働く市民に対して上司風を吹かせて、書類の書き方にまで干渉し、そのくせ、自分が提出すべき「実施報告書」を怠ってしまった。財団が亀井志乃を排除する人事案に荷担した。それでも大目に見過ごしてやる。それが北海道教育委員会という組織であること、これはしっかりと肝に銘じておこう。

 それにしても、寺嶋弘道という北海道教育委員会の公務員が民間財団で働く亀井志乃の「事実上の上司」たり得るならば、寺嶋弘道の「事実上の上司」は誰なのだろうか。2009年1月6日】

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