北海道文学館のたくらみ(55)
亀井志乃の「最終準備書面」その8
【今回は、「Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問」のEからIまでを紹介する。今後の予定を言えば、次回はⅢ章の終わりまでを紹介し、次々回に総括的な結論を紹介して、「最終準備書面」の紹介を終わる。2009年1月30日】
E.原告の勤務場所について
被告代理人は、原告に対して、「あなた、平成18年の4月以降、どこで仕事をされていましたか、場所。」と質問し、原告は「場所ですか、事務室又は閲覧室又は収蔵庫です」と証言しました(原告調書23p)。それに続けて、被告代理人は、以下のように質問してきました。
(被告代理人)先ほど乙5号証で示しました席で仕事をしていることはありましたか。
(原告)はい、ありました。
(被告代理人)割合的には、先ほど言った3つの場所のどの部分が一番多かったんですか。
(原告)閲覧室です。
(被告代理人)大体どれくらいの割合ですか。
(原告)そうですね。週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…。
(被告代理人)いや、いいですよ。週に3日くらいは閲覧室にいた。
(原告)はい。
(被告代理人)あなた、週に何回出るんですか。
(原告)4日間ですね。
(被告代理人)4日間のうち3日間は閲覧室にいたということですね。
(原告)はい。
(原告調書23p)
① 原告が閲覧室勤務につくようになったのは、平成18年4月14日、被告と平原学芸副館長から、O司書とA学芸員が担当の「新刊図書の収集・整理・保管」の業務を手伝ってほしいと依頼されたからです。この事により、原告は、この年度当初の予定になかった、新刊図書の収集・整理・保管というO司書とA学芸員の毎日のルーティンワークの一部を肩代わりすることになりました(具体的には寄贈雑誌のデータベース登録作業)。また、こうした変更の絡みで、原告は結果的に、閲覧室における来客対応をA学芸員・O司書との3交代で手伝うこととなりました(「準備書面(Ⅱ)―2」5~6p、および甲3号証・甲60号証・甲62号証参照)。原告が、前年度までに比して閲覧室に下りて仕事をすることが多くなったのは、偏(ひとえ)に、この時の被告と平原学芸副館長から依頼が原因です。
②被告はその「陳述書」の中で、「そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました」(6p)と書いていました。平原副館長はそれと口裏を合わせるようにして、氏の「陳述書」の中で、「そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました」(4p)と証言しました。
被告代理人はこの証言の裏づけを取るつもりで、原告に対して先のような尋問を行い、〈原告は被告を嫌って、事務室ではほとんど仕事をしなかった。コミュニケーションがうまく行かなかったのは、原告に原因がある〉という結論へ持って行きたかったのかもしれません。しかし原告は、被告の記述が全くナンセンスであることを、「準備書面(Ⅱ)―2」(23~25p)で詳細に論駁しておきました。平原氏の証言については、それが下種の勘ぐりでしかないことを、原告は「準備書面(Ⅱ)―3」(16~17p)で指摘しておきました。
③なお、〈閲覧室〉に関して言えば、原告が閲覧室に下りるのは、カウンターでの来客対応のためばかりではありません。①で触れましたように、原告の業務の一つに〈寄贈雑誌のデータベース登録作業〉がありますが、継続的に館に届いている雑誌については、パソコンのデータベースだけではなく、閲覧室にあるカードボックスのカードにも、その受入状況を記入しなければなりませんでした。バックナンバーが何巻まで届いているか記し、利用客の検索ニーズに応えるためです(なお、当時、利用客用の検索パソコンはありませんでした。多分、現在でもないと思われます)。その記入のために、原告は、ほぼ毎勤務日、閲覧室に下りざるを得ませんでした。ただし、カード記入だけの場合には、時間は数十分程度でした。
そういう事情があったので、被告代理人からの尋問の際、原告は「週に…3日くらいは下りてましたので、でも、それと…」と説明を続けようとしたのです。しかしこの時も、被告代理人は原告の発言を遮って、理由も聞かず、強引に話を〈下りた日数〉だけに限定してしまいました。
④事実関係を整理して見ますと、被告や平原副館長の虚言の出発点は、平成18年4月14日の話し合いにあったことが分かります。その話し合いに関して、被告は、田口裁判長の「亀井さんの了解を得た上で(「平成18年度 学芸業務の事務分掌」乙6号証が)決められたということになるわけですか」という質問に対して、次のように答えました。「はい。ですので、寺嶋が、私が作りました原案を修正したことの1つが、図書の、雑誌の整理をどうするかという項目でしたので、それを副館長同席の上で亀井さんに確認したことの1つだと思います」(被告調書21p)
しかし、これは被告の偽証です。原告は平成18年4月14日に、「私(被告)が作った原案」なるものを見せられたことはありません。「図書の、雑誌の整理をどうするかという項目」を確認したこともありません。実際は①で書いたとおりでした。
F.〈カルチャーナイト〉について
被告代理人太田弁護士は、原告に「平成18年7月21日にカルチャーナイトというものを文学館で行ったのは御存じですか」と質問し、原告は「はい」と答えました(原告調書25p)。それに続いて、以下のようなやり取りがありました。
(被告代理人)これは、どんな催しのことを言うんですか。
(原告)これは、夜間の開館で、夜間のお客様をその日だけ入れるという。それは、たしか札幌市のイベントだったと受け止めておりますが。
(被告代理人)あなたは、そのカルチャーナイトに参加しましたか。
(原告)いいえ。
(被告代理人)しませんでした。
(原告)はい。
(被告代理人)7月22日、翌日はあなたが副担当の石川啄木展の企画展が開催される日ですよね。
(原告)本来副担当であった石川啄木展は開催されました。
(被告代理人)それがあったにもかかわらず、あなた、カルチャーナイトには出なかったのは何か理由があるんですか。
(原告)カルチャーナイトと石川啄木展は、そもそも行事のレベルが違うことですから。開催しているところも、それから開催の目的も違うところですので。
(被告代理人)あなた以外の文学館の職員はカルチャーナイトに参加したかどうか、御記憶ありますか。
(原告)何人かは参加してました。
(被告代理人)何人かですか、大部分ですか、全員ですか。
(原告)全員ではなかったと記憶してますが。
(被告代理人)大部分。
(原告)…それは申し上げ兼ねます。
(原告調書25~26p)
被告代理人のこのような尋問は、被告の偽証を補強するためのものであり、偽証幇助に相当する行為です。
①被告はその「陳述書」(7p)で、平成18年10月13日と14日にあった事実を、故意に7月21日の出来事にすり替えるという虚偽の記述を行い、原告はその点については「準備書面(Ⅱ)―2」(26~27p)で反論しておきました。
それ故、重複を避けて、補足的な説明をしますと、「カルチャーナイト」とは、札幌市内の公共・文化施設や民間施設が専門分野の特色を生かした文化プログラムを、毎年1晩提供するというイベントです。NPO法人〈カルチャーナイト北海道〉のメンバーが組織する〈カルチャーナイト実行委員会〉の呼びかけで、札幌市民と企業と行政が協力し、2003年以来、毎年行われています(発祥の地はデンマークのコペンハーゲン)。もともとはファミリー向けの行事でしたが、最近は参加者も市民全般へと広がりつつあるようです。道立文学館は、2004(平成16)年から参加しています。札幌高等・地方裁判所でも、例えば今年は、「裁判員法廷見学ツアー~裁判官がご案内~」という形で、午後6時から7時半頃までの夜間公開が行われたはずです。
このような、いわば〈市とNPOへの協力〉というイベントですので、学芸職員が企画担当する展覧会や講座とは本来別個の催しでしたし、文学館における協力窓口は業務課の方でした。企画を立てていたのも、主に業務課のN主任でした。
②文学館のように、もともとエンターテインメント性が少ない文化施設では、夜間の集客は非常に難しいものがあります。特に、参加を始めた平成16年には、来館者は1晩数人程度でした。そのため、翌年からは、夜間開館を開始する1時間ほど前からアフリカンドラム(平成17年)や鬼剣舞(平成18年)等の〈音曲〉で観客の関心を惹きつけ、その後、展示の観覧をお勧めするといった工夫をするようになりました。それが功を奏してか、少しずつは来館者が増える傾向にありました。
被告は「陳述書」において〈カルチャーナイト〉に言及し、「当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である『石川啄木展』のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画となっていました」(7p)と、いかにも大がかりな職員総出のイベントが行われたかのよに述べています。しかし、現況は原告にはわかりませんが、平成18年当時はまだそれは小規模な催しであり、鬼剣舞も5時前後に文学館のサンクンガーデンで舞ってくれた後は、同日の札幌サンプラザでの公演のために館を引き上げてしまったはずです(ブログ「札幌鬼剣舞」 URL:http://kenbai.bg.cat-v.ne.jp/category/341-1.htmlを参照のこと)。「夜間」には剣舞は行われませんでした。
また、この日が〈石川啄木展のプレオープン〉となったのは、たまたま、平成18年のカルチャーナイト開催予定日と、前年度に調整していた啄木展のオープン予定日とが同じ7月に重なったため、“折角お客様に来ていただいても、常設展しか見るところがないのでは”ということで、啄木展も観覧可能なように取りはからわれただけの話です。このイベントにおいては副次的な事柄でした。
付言すれば、「手作り講座」などというものもなく、ただ、主にファミリーや年少の来館者を対象に〈よろしければ記念のしおりでも作っていってください〉と勧めるため、ハーフメイドの材料を受付のそばに置くことにしておりました。原告は、N主任やA学芸員がそうした話をしている事については、側で見聞きして知っていました。
改めてまとめて言えば、平成18年度までの〈カルチャーナイト〉は、N主任と、受付係1~2名に学芸員1名ほどがつけば充分に間に合うほどの小規模なイベントでした。原告は、平成16年の勤務開始以来、〈カルチャーナイト〉への協力や時間外勤務を要請されたことはありませんでしたので、その概要についてこれ以上詳しく述べることは出来ませんが、このイベントが基本的に“男手”の必要ないものであったことは間違いありません。被告が、〈カルチャーナイト〉の実際の規模も時間的な進行状況もまったく無視した陳述を平然と書き連ねているのは、要するに、被告がこの催事にタッチしていなかったからにほかなりません。被告はただ単に、文学館の行事予定表を見て虚構を作文していたに過ぎないのです。
②おそらく、被告がわざわざこの〈カルチャーナイト〉を取り上げて、「原告が副担当の『石川啄木展』のプレオープン」と書いた理由は、〈原告は啄木展の副担当だったにもかかわらず、プレオープンの行事とカルチャーナイトの行事が重なって、職員全員がてんてこ舞いをしているのを尻目に、さっさと帰ってしまった〉という印象を与え、原告に対する他の職員の非難が渦巻いていたという話の伏線としたかったためでしょう。そのため被告は、平成18年10月13日と14日の事実を7月21日の出来事にすり替えて嘘の話を捏造するという不正さえも、敢えて辞しませんでした。そして、被告代理人の原告尋問は、明らかに被告が捏造したストーリーの線に沿って行われていました。
被告代理人としては、更にこのストーリーを、原告の労災問題や「職員配置図」問題・勤務場所問題・「私は職員ではありません」発言等に結びつけて、原告のネガティヴなイメージを作り出し、あわよくば被告「陳述書」における数々の虚偽や原告に対するセカンド・ハラスメントから、裁判長、そのほか傍聴人諸氏の目を逸らさせようという計算が働いていたものと思われます。しかし被告と被告代理人との試みは、いずれも虚偽に虚偽を重ねるものでしかないことは、すでに巨細に論証しておきました。
以上の点から判断して、被告代理人太田弁護士が、被告の証言が虚偽であることを知りながら、被告の偽証を幇助したことは明らかです。
G.「サボタージュ」発言について
この点に関して、被告代理人は、まず、原告への反対尋問において、次のような質問をしました。
(被告代理人)それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。寺嶋さんのほうから、サボタージュという言葉が出たことはありますか。
(原告)先にはありません。
(被告代理人)サボタージュという言葉を出したのはだれですか。
(原告)私です。
(原告調書27p)
被告代理人は、次に、被告の本人尋問に際して、この点について再び以下のように確認をとりました。
(被告代理人)10月28日に、文学碑のデータベースのことで、亀井さんとお話ししたことありますね。
(被告)はい、あります。
(被告代理人)このとき、あなたの口からサボタージュという言葉は出たことありますか。
(被告)それはありません。
(被告調書15p)
このような点を原告・被告両者に確認した上で、おそらく被告代理人は、〈原告は、被告が発しなかった言葉を書き込むことによって、被告に言いがかりの責任を負わせようとしたのだ〉というストーリーを作為したものと思われます。しかし、〈「サボタージュ」という言葉が、先に原告の口から発話されたか、それとも被告の口を通して発話されたか〉ということ自体は、この10月28日の件に関しては、なんら、原告のこれまでの主張を覆す要因にはなり得ません。それは、以下の理由によります。
①被告は、この日、〈5月2日の話し合いでは、原告が文学碑をより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えて行く作業をすることに決まっていた〉という、現実にはなかった話をいきなり持ち出してきました。被告は、その話に対して原告がどのように抗弁しようとしても〈決まっていた〉の一点張りであり、それに続けて「どうするの?もう、雪ふっちゃうよ」「理事長や館長も、あんたがやるって思ってるよ」(甲17号証参照)と原告に言いました。これらの発話の文脈と順序に沿うかぎり、この言葉は、単なる気候の挨拶や伝聞・伝達ではなく、〈やるべきことをやっていなかった原告は、厳しい冬期をひかえ、理事長や館長の期待をも負っているのに、この事態にどう対処するつもりなのだ〉と責任を問い非難している言葉なのだと解釈できます。
それに対して、原告は、〈それは原告がサボタージュしているという意味ですか〉と問い返したところ、被告は〈そうだ〉と答えました。つまり、被告が原告について言わんとしている事柄について、原告が〈それはサボタージュという意味か〉と、被告のコードを確かめたところ、被告はそれに同意したわけです。これは、仮に〈サボタージュ〉の代わりに〈怠慢〉という言葉を置き換えたとしても、その時点での被告はおそらく同意したことでしょう(なお、「コード」の意味についてはⅣ章参照)。要するに、本訴訟においては、この時、被告が原告を非難する内容の話題を急に持ち出したことそれ自体が問題とされているのであって、その際どちらが先に〈サボタージュ〉という言葉を発したか、などということが問題の核心になっているわけではありません。
②原告は、同年10月31日付のアピール文(甲17号証)の時点から、「・これらは、亀井が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、亀井のサボタージュに当たる。」(1p)のように、〈被告の言葉そのままの引用〉ではなく〈発言内容のまとめ〉として「サボタージュ」という言葉を用いてきました。逆に、原告が、“これは被告の生の発言である”と示すような表記法でこの言葉を用いた箇所は、どの原告「準備書面」にも「陳述書」にもありません。
したがって、被告代理人から上記のような質問があれば、原告は「先にはありません」と答えるのみです。原告に、事実を曲げる動機はありません。
③5月2日の話し合いで、〈原告が碑の写真を撮ってつけ加える作業を行う〉ことは決まっていませんでした。話題にすら出ませんでした(Ⅲ章「B.『北海道文学碑めぐり フォトコンテスト(仮称)試案に向けての意見書』について」参照)。
10月28日の発言のポイントは、5月2日に話題にすら出なかった作業について、被告が原告を〈やっていない〉〈どうするの〉と責めたことにあります。サボタージュという言葉を発したか、発しなかったかということが中心的な問題だとみなされたことは一度もありません。
H.「アブノーマル」発言について
被告代理人は、「サボタージュ」の件に続けて、原告に、以下のような質問をしました。
(被告代理人)寺嶋さんからアブ・ノーマルという言葉は出たことありますか。
(原告)アブ・ノーマルというのは…。
(被告代理人)出たかどうか。
(原告)出ません。
(原告調書27~28p)
また、被告代理人は、被告の本人尋問の際にも、同じ点に関して質問を行いました。
(被告代理人)ところが、亀井さんのほうでは、急に録音機を出してそれを録音しようと、そういう行動に出たものですから、あなたとしては、そういう亀井さんの行動を、ひどいだとか普通じゃないと、そういうふうに判断したということですね。
(被告)はい、そうです。
(被告代理人)アブ・ノーマルと言ったことはないですね。
(被告)それはありません。
(被告調書16p)
しかし、これらの質問も、先のG項における「サボタージュ」の質問と同様、本訴訟の争点に関しては、何ら意味をなしません。
①原告は、3月5日付「準備書面」26pにおいて、以下のように記しています。
原告は、自分の雇用に関わる問題にまで発展しかねないと思ったので、机の中に入れていた録音機を取り出し、「話の詳細を心覚えに記録させていただきますので、どうぞお話し下さい」と言った。すると被告は、今度は話を続けることなく、急に「あんたひどいね。ひどい」、「あんた、普通じゃない」と、あたかも原告が普通ではない(アブノーマル)人間であるかのような言葉を発した。
被告代理人および被告が問題にした「アブノーマル」という言葉の典拠は、ここ一箇所きりです。
この文章を読めば明らかなように、原告は、「アブノーマル」が被告の発話だったとは書いていません。被告代理人は、その文脈を故意に曲げ、〈被告が原告のことを『アブノーマル』と言った〉と原告が書いたことを前提にして、原告・被告の双方に質問したわけですが、そのような前提は、事実としては存在しません。
②原告が、「普通ではない(アブノーマル)」と表記した理由については、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(40p)で詳細に説明しておきましたが、被告代理人は、その部分はおそらく読まなかったのでしょう。
③一つ、不可解なのは、被告は「準備書面(2)」の段階では、この件の当該箇所(9p)で「原告は今般の訴状及び準備書面において、被告の発言を「 」で示し、いかにも被告がそのとおり発言したかのように主張し、あるいはまた、書面の作成において原告自ら振り仮名を振って『アブノーマル』と読ませるなど作為的な文言を列記し、被告の発言を歪めている」と主張していたことです。この引用部で見る限り、被告は、〈アブノーマル〉に関しては「振り仮名」であることを認めた上で、“原告の作為的な文言の列記だ”と原告に反論している。つまり、問題は〈表記〉なのだと分かっていたはずです。そして、被告の文書を扱った被告代理人も、当然その事を承知していたはずです。
ところが、先の10月31日の尋問においては、被告代理人はまるでその事を忘れたかのように“被告からアブノーマルという言葉が出たか、出なかったか”を問題にし、また被告も、その代理人の方針に調子を合わせていました。
いったん自分たちで主張した事実を、訂正も証明もせずにすり替えるとは不可解きわまりない話ですが、いずれにせよ、“原告が「被告がアブノーマルと言った」と主張している”という、ありもしなかった事実が存在したかのように法廷の人々に印象づけようとねらった点で、被告と被告代理人の応答が新たな偽証を形成していることは間違いありません。
④なお、被告代理人からの質問に対して、原告は「アブ・ノーマルというのは…」振り仮名なのだと簡単に説明しようとしたのですが、被告代理人は即座に原告の発話を断ち切って、「出たかどうか」と、話を強制的に二者択一の問題にすり替えてしまいました。しかもその言葉は、原告に説明の機会も与えようとしない、素っ気なく非礼なものでした。これもまた、法廷において、被告代理人であり弁護士であるという地位と立場を利用して行われた一種の暴力的な会話の操作、あるいは支配であり、原告に対するセカンド・ハラスメントにほかなりません。
I.「怒鳴った」事実について
原告の本人尋問に際して、田口裁判長は、原告と被告との間のコミュニケーション状況について言及し「どなったり、大声で文句を言われるとか、叱責されるとか、そういったことが頻繁にあったんですか」との質問を行いました。
それに対して原告は、要するに訴状に記載した被害事例が、平成18年度に原告と被告との間で交わされた会話のほぼ9割にあたること、それ以外に普通の雑談的な会話はほとんどなかったことを説明し、「そういう意味で言えば、間は置いてるかもしれませんけれども、まあ、そういう言い方をされる、どなられるか、どなられなくても、非常に執拗に、自分のやっていることの欠点というか穴というか、そういうところをつつかれているというか、そういうふうに言われることというのが、まずほとんどだったというふうに言えると思います」(原告調書15p)と証言しました。
その後、この点に関して、被告代理人の方から原告に、次のような反対尋問がなされました。
(被告代理人)あなたと寺嶋さんとの会話のときに、先ほどのお話ですと、常時、大声でお話をしたり、どなるというような話しぶりだったというように証言していたように思われるんですけれど、そういうことでしょうか。
(原告)常時と言いますと、それは表現が変わると思います。そのようになることが多かったということです。
(被告代理人)会話しているうちにエキサイトして声が大きくなった、あるいは言葉遣いが少し乱暴になった、そういうことはあったわけですか。
(原告)必ずしもそうは言えません。つまり、必ずしもというのは、いきなり、どうしてそういうこと話ししないのというふうに、目が合った途端に言われたこともありますので、それは徐々にということではないと思います。
(被告代理人)でも、あなたと話をするたびにどなっていたり大声出したりしたわけではないですね。
(原告)たびにというふうに言われますと、それは、たびにということはないというふうに言えます。
(原告調書28p)
被告代理人がこのような質問を原告に行ったのは、“被告は「常時」どなったわけではない”という証言を原告から引き出し、被告のパワーハラスメント的な言動はなかったか、あるいは、あってもごく程度の軽いものであったと主張するためかも知れません。
しかし、そのような意味づけや主張には、根拠がありません。
①被告は、被告代理人からの「亀井さんとあなたとの会話の中で、あなたが亀井さんをどなったということはありますか」という質問に対しては「声が大きくなったことはありますが、いわゆるどなるということは。…あるいは、どなったという認識で声が大きくなったことはありません」(被告調書17p)と答え、「声が大きくなったことはある」という質問には、「ええ、声は大きくなりました」(同前)と認めています。
② 原告が3月5日付「準備書面」で挙げた「被害の事実」に関して、いずれの場面を検討してみても、被告が原告に向かって〈大きな声〉を出さなければならないような態度を、原告は一度も取っていません。
また、被告は、被告の「準備書面(2)」および「陳述書」の中で、原告に向かって〈大きな声〉を出さざるをえなかった事情については、一言も述べていません。述べることができなかったのだと思われます。
③なお、被告は、尋問の席においては、被告代理人に〈どのような機会に声が大きくなったか〉と尋ねられ「………出張の打合せを事前にするように、あるいは、文学碑のデータベースの件などで、亀井さんと私の話がうまく折り合いが取れないときですね。あるいは、私は財団の職員ではないというような発言をしたときに、私には不可解に思えましたので、声が大きくなったと思います」(被告調書17~18p)と証言しています。
しかし、「出張の打合せ」の件については原告「準備書面(Ⅱ)―1」(25~32p)で説明したように、原告のとった手順や手続きに問題はなく、〈事前に打合せする事〉云々といった話は被告のみが固執しているに過ぎません。「文学碑のデータベースの件」は平成18年5月2日の事か、10月28日の事を指すのか、この言い方ではわかりませんが、この件に関しても、これまでの原告の3月5日付「準備書面」および「陳述書」で論証したように、原告の側に被告に大きな声で叱責されなければならないような不備や手落ちがあったわけではありません。
「財団の職員ではないというような発言」に至っては、事実そのものが存在しません。「準備書面(Ⅱ)―2」の25~26pおよび「準備書面(Ⅱ)―3」の15~16pで説明している通りです。法廷における被告の証言は、原告の説明および反論に対して一言も合理的な再反論をすることなしに、自分の主張を繰り返しただけに過ぎません。したがって、この主張は、被告がたびたび原告に〈大きな声を出した〉事実を否定したり、またその逆に、正当化したりする理由や根拠にはなり得ません。
【亀井秀雄注:10月31日の法廷において、被告の寺嶋弘道は、太田三夫弁護士の問いかけに応じて、「どなったという認識で声が大きくなったことはありません」という妙な注釈つきではあるが、「声が大きくなったことはあります」と認めている。
しかし、亀井志乃が平成20年3月5日付「準備書面」の中で挙げた「被害の事実」は、どの事例を取ってみても、寺嶋弘道が大きな声を出さねばならないような場面は一つもなかった。むろん亀井志乃は、「私は財団の職員ではありません」と発言したことはなかった。寺嶋弘道は嘘の証言までして、自分が「大きな声を出した」事実を正当化しようと企んだのである。
○寺嶋弘道が認めた発話
ただし、そのことについては、亀井志乃自身が、今回紹介した「最終準備書面」の「I.『怒鳴った』事実について」において、論破し尽くしている。ここでは、寺嶋弘道の発話がどんな性質のものであったかを検討してみたい。
10月31日の法廷において、田口裁判長と被告・寺嶋弘道との間に次の応答があった。
《引用》
田口裁判長:先ほどから言っている、3月5日付けの原告の準備書面の21ページになるんですけれども、「原告の退勤間際の4時50分頃、被告が突然事務室に現れた。そして原告を、『教えてあげるから、ちょっとおいで』と自席に呼びつけた。被告は原告の目の前で、書類(甲10号証の1)に鉛筆で書きなぐるように手を加えながら、その都度教え込むような口調で、『開催要項をつけなければならない』、『展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料を知らせなければならない』と注文をつけ、その間、原告に対して『観覧料は分かる?』と質問し、原告が『はい、分かっています』と答えると、『じゃあ、それは要らないな』と目の前で〈観覧料〉という文字を消して見せるなど、原告を嬲るような言い方を繰り返した。そして、レイアウトや標題を訂正するのみならず、『申し上げる次第です』を『申し上げます』、『伺う日時』を『調査日時』とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を」加えたということが書かれています。この中の、教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方をしたというのは抜いて結構ですので、事実として、このような内容の発言をし、かぎ括弧のところだけでいいんですけど、まず、原告が言ったことと被告が言ったこと、これは間違いありませんか。
寺嶋弘道:そのとおりだと思います。(被告調書32p)
念のために、田口裁判長が口頭で引用した、亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)の21ページの文章は赤字にしておいたが、ここから、かぎ括弧つきの発話を引き出してみると、次のような会話となる。
寺嶋弘道:教えてあげるから、ちょっとおいで。
寺嶋弘道:開催要項をつけなければならない。
寺嶋弘道:展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない。
寺嶋弘道:観覧料は分かる?
亀井志乃:はい、分かっています。
寺嶋弘道:じゃあ、それは要らないな。(と目の前で〈観覧料〉という文字を消して見せる)
寺嶋弘道はこのような会話があった事実を認めたわけである。
○流れの整理
では、一体、寺嶋弘道は何について「教えてあげるから、ちょっとおいで」と、尊大な言葉づかいで、亀井志乃を自席に呼びつけたのであろうか。寺嶋弘道の言い分からすれば、それは「職員派遣願」という書類の書き方についてだったことになるだろうが、そもそも、そういう書類を書くことになった経緯はどうだったのか。亀井志乃は「準備書面」(3月5日付)で、このように説明している。
《引用》
(10)平成18年10月7日(土曜日)
(a)被害の事実(甲9号証を参照のこと)
原告は企画展の準備のため、明治大学の図書館に資料閲覧の諾否を問い合わせた。同図書館は快く応じ、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい」という返事だった(甲35号証)。ただしこの用件での出張の可否は、(9)の項で述べた時のことがあって以来棚上げになっていた。
しかし10月6日(金曜日)、原告が出勤すると、出張の書類はN業務主査が整えて、被告の許可をもらっておいてくれた。原告はN主査に礼を言い、明治大学へ持参する紹介状について、事務室で二人で相談した。すると、少し離れた自席に座っていた被告が、「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と言った。被告は原告に対して、一方的に「それでいいね?」と言い、「書類、出来上がったら私に見せて」と言った。
原告は北海道大学大学院文学研究科で博士の学位を取ったのち、文学部言語情報学講座の助手を勤めただけでなく、文学部図書室の非常勤職員だったこともあり、大学図書館が言うところの〈閲覧希望者が持参する紹介状〉の書式には通じていた。普通は、簡潔に用件と、持参した者が確かに紹介状を発行した組織に属するという意味の文言と、所属長の判があれば十分である。それゆえ原告は、被告がなぜ〈紹介状〉とは別の書類を作らなければならないと言い出したのか、内心疑問に思った。
しかし原告は、その時は敢えて反論せず、被告が言う「職員派遣願」を作成することにして、文学館のサーバーに残されていた事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)(甲10号証の3)を参考にした。起案に必要な「決定書」の書式はA学芸員が見せてくれた。また、下書きの段階でN業務主任と川崎業務課長に目を通してもらった(甲10号証の4)。業務課長は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。原告は更にN主査の添削を受け(甲10号証の5)、6日の退勤間際に書類が出来たので、被告に直接渡して帰った。
翌日の10月7日(土曜日)は被告の休みの日であった。被告は、原告の書類を手直ししたものを、原告の机上に戻していなかった。被告の机の上にもなかった。(20~21p。太字は引用者)
ここから、田口裁判長が口頭で引用した、「(10月7日、)原告の退勤間際の4時50分頃、被告が突然事務室に現れた。」に続くわけであるが、まず一つ確認しておくならば、亀井志乃が紹介状についてN主査と相談しているところへ、寺嶋弘道が「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と口を挟んだ。それは10月6日(金)のことである。
そのことについて、寺嶋弘道は、「準備書面(2)」で、「原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。」(7P)と、舌足らずなことを言い、「N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子であったため、」(8p)と説明した。彼がこのことを、10月6日のこととして書いていたことは、言うまでもない。
ところが寺嶋弘道は10月31日の法廷においては、自分が手を加えた「職員派遣願」について、「この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、………N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、Nさんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して、派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょうということにしたものです。」(被告調書31p。太字は引用者)と証言している。
すると、寺嶋弘道が派遣の依頼文書に手を加えたのは、何時のことなのだろうか。
この問題については、既に亀井志乃が「最終準備書面」(Ⅱ章のG)で寺嶋証言の矛盾点を剔出しており、「北海道文学館のたくらみ(50)」で紹介しておいた。ただ、私の関心からもう一度その時の流れを整理しておくならば、
(1)亀井志乃は明治大学図書館から「紹介状」の持参を求められ、10月6日、N主査と相談していたところへ、寺嶋弘道が「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と口を挟んだ。
(2)亀井志乃は内心疑問に思ったが、あえて異を立てるまでもないと考え、文学館のサーバーに残されていた職員派遣依頼書類を参考にし、下書きの段階でN業務主任と川崎業務課長に目を通してもらった。業務課長は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。
(3)亀井志乃は更にN主査の添削を受け、6日の退勤間際に書類が出来たので、寺嶋弘道に直接渡して帰った。
このようになるわけだが、寺嶋弘道自身も、亀井志乃作成の「職員派遣願」が以上の経緯を経て彼の手元に届いたことを、10月31日の法廷において認めている(被告調書31p)。
そうしてみると、以上のような10月6日の流れの、一体いつの時点で、寺嶋弘道はN主査に「派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょう」と声をかけたのか。そういう疑問が湧いてくるわけだが、おそらく寺嶋弘道はそれを説明することができないだろう。
なぜなら、もし寺嶋弘道が本当に、「派遣の依頼文書の文面を私のほうで修正しましょう」と申し出たのであるならば、田口裁判長が引用し、彼自身も「そのとおりだと思います」と肯定した、あの寺嶋弘道と亀井志乃の会話が生まれるはずがなかったからである。
○寺嶋弘道の不可解な行動
そのことを確認した上で、もう少し事態の流れを追ってみよう。
(4)翌日の10月7日は、寺嶋弘道は休みだった。亀井志乃が出勤して机の上を見たが、寺嶋弘道に渡しておいた「職員派遣願」の原稿は彼女の机の上にもどっていなかった。
(5)ところが、亀井志乃の退勤時間が迫った4時50分ころ、突然寺嶋弘道が文学館へ顔を出し、「教えてあげるから、ちょっとおいで。」と、亀井志乃を自分の席のところに呼びつけた。
ここから、先に整理したような「会話」が始まるわけであるが、なぜ寺嶋弘道は午後4時50分ころ、突然文学館へやってきたのか。
亀井志乃を見つけるや、すぐに「教えてあげるから、ちょっとおいで。」と呼びつけたところをみれば、亀井志乃を足止めするためにやってきたことは間違いない。寺嶋弘道は「準備書面(2)」で、「本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。」(8p)と主張しており、これは明らかに10月7日(土)のこととして書いている。だが、これは虚言としか考えられない。なぜなら、もし「速やかに施行されねばならなかった」のであるならば、前日の6日(金)のうちに、亀井志乃から受け取った「職員派遣願」を添削して、亀井志乃の机の上にもどしておけばよかったからである。あるいは、10月10日(火)、2人とも出勤した時に、自分なりに気がついたところを、亀井志乃に助言すればよかったはずである(後に引用するように、寺嶋弘道は亀井志乃との会話の中で、文書の作成は休み明けの10月10日でも十分に間に合うことを認めている)。それをせずに、亀井志乃の退勤間際に顔を出し、自分の席に呼びつけた。これは誰がみても、非常識な行動である印象は免れがたいところであろう。
寺嶋弘道の先のような主張について、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」で、次のように反論した。
《引用》
原告は「紹介状」を10月20日に持参すればよかった。明治大学図書館もそれを求めている。原告が持参するのであれば、10月10日以降に作成しても十分に間に合う。そもそも被告の「……協力要請文書は、……速やかに施行されねばならなかった。」という文章は、文意が曖昧である。仮に「施行」は「実行」の誤記だったと考えてもまだ文意が通らず、好意的に考えれば「送付」と書くつもりだったのではないかと推定できるが、なぜ10月7日に急遽その文書を作成しなければならなかったのか、理由が分からない。(35p。下線は引用者)
この反論に対する被告側の返答は、「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)―1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)。
要するにグウの音もでなかったのである。
○明らかな嫌がらせ
さて、そこで、寺嶋弘道は亀井志乃を足止めして、一体何を教えるつもりだったのか。
寺嶋弘道の「開催要項をつけなければならない」。「展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」という言葉は、〈明治大学図書館に対する「職員派遣願」と一緒に、「開催要項」なども添えておかなければならない〉と解釈できるが、それならば彼はそれら必要な事項をメモして、それを亀井志乃に渡せばよかったはずである。ところが、寺嶋弘道はそうしないで、亀井志乃が川崎業務課長やN主査のアドバイスを受けて作成した「職員派遣願」そのものに、乱暴な字で「開催要項の添付または『5、展覧会概要』として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせる、」となぐり書きに書き込んだ。つまり、「職員派遣願」そのものをメモ用紙代わりに使ったわけで、これはもう添削とも呼べない無礼な行為だろう。
しかも、亀井志乃に対して「観覧料は分かる?」と訊き、亀井志乃が「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、それは要らないな」と、亀井志乃目の前で〈観覧料〉という文字に、二重の取り消し線を引いてしまった(甲10号証の1)。
これほど無礼で、理不尽なことはない。
寺嶋弘道が「教えてやるから」と亀井志乃を足止めした、少なくとも表向きの理由は、明治大学図書館に対して展覧会の概要を伝える文書を作らせるためだったはずである。その概要の中に、会期や会場や主催者や観覧料などの情報が含まれていたわけだが、寺嶋弘道は亀井志乃に対して、「観覧料は分かる?」と質問をした。企画展の主担当が「観覧料」を知らないはずがない。この質問は、亀井志乃を一人前の学芸研究員として認めていない、相手を小馬鹿にした、無礼な口の利き方だったわけだが、亀井志乃が辛抱して「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、これは要らないな」と抹消してしまった。
つまり寺嶋弘道は、彼自身が明治大学図書館に伝えるべきだと主張した情報について、亀井志乃が知っていることを確かめるや、明治大学図書館には伝える必要がないと、抹消してしまったのである。なぜ亀井志乃が知っていれば、明治大学図書館には伝える必要がなくなるのか。
同じことは会期や会場や主催者等についても言えることだが、もし亀井志乃が知っている理由で、それらの情報も明治大学図書館に伝える必要がないならば、そもそも寺嶋弘道は亀井志乃に何を「教え」たくて、いや、何をやらせたくて足止めをしたのか。
結局寺嶋弘道は、亀井志乃を足止めにし、嫌がらせをするために、彼女の退勤時間を狙って文学館に顔を出した。そういう結論にならざるをえない。こういうのを「つきまとい」と言うのだろう。「つきまとい」人間やストーカーの特徴の一つは、相手を独立した人格として認めようとしない点にある。
○再び流れの整理
しかもこの日の足止めは、次のように終わった。
《引用》
結局全面的な手直しとなったので、原告が被告に「では、休み明けの提出でいいですか?」と聞いたところ、被告は「いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし」と言った。原告は驚き、「なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです」と言ったが、被告は「送るんだよ!これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ!」などと原告を怒鳴りつけた。
原告は「先方が求めたのは〈紹介状〉であり、自分が持参しなければ〈本人確認〉の意味をなさない」という意味の説明をしたが、被告は耳を貸そうとせず、原告が事前に郵送することを承諾するまで、原告を帰さなかった。原告が被告から解放されたのは午後5時半過ぎだった。(3月5日付「準備書面」22p)
この場面の会話も次のようになるだろう。
亀井志乃:では、休み明けの提出でいいですか?
寺嶋弘道:いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし。
亀井志乃:なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです。
寺嶋弘道:送るんだよ!これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ!
もちろん場面的には、これは、先に整理した会話に続く会話であり、10月31日の田口裁判長の尋問の文脈からみれば、これらの会話についても、寺嶋弘道は「そのとおりだと思います」と認めたことになる。
また、事態の流れとして整理するならば、
(6)寺嶋弘道は亀井志乃に、明治大学図書館へ伝えるべき情報を指示しておきながら、情報の内容を亀井志乃が知っていることを確かめるや、明治大学図書館へ伝える必要がないと取り消してしまった。
(7)寺嶋弘道は、亀井志乃に作り直させた「職員派遣願」を、事前に明治大学図書館へ郵送するよう強制した。
(8)亀井志乃は、明治大学が求めているのは「紹介状」を本人が持参することだと説明したが、寺嶋弘道は聞き入れず、亀井志乃が郵送することを承諾するまで帰さなかった。亀井志乃が解放されたのは5時半過ぎだった。
ということになるだろう。
○寺嶋弘道、再反論せず
ちなみに、先に引用した亀井志乃の3月5日付「準備書面」の記述については、寺嶋弘道は「準備書面(2)」で、次のように反論している。
《引用》
本件において作成された職員派遣の協力要請文書は、調査日時が10月20日であったため速やかに施行されねばならなかった。ゆえに、被告は文書作成の趣旨を十分に説明し原告の理解を得るよう努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することになったとはいえ、そのことをとらえて「原告の自由を拘束しする(する? 引用者)憲法違反の不法行為である」と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるを得ない。(8~9p)
だが、この反論は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」によって次のように論駁されてしまった。
《引用》
多分その理由は、被告がこの日は休みだったにもかかわらず、原告の退勤間際にわざわざ文学館へ顔を出し、原告を5時半頃まで足止めしたことを正当化したかったのであろう。被告はこの日、原告を足止めして、高圧的な態度で協力要請文書の作成を強制し、威嚇的な口調で原告を文書郵送の命令に従わせた。被告は、「ゆえに、被告は文書作成の趣旨を十分に説明し、原告の理解を得るように努めたところであり、そのため若干原告の勤務時間を超過することになったとはいえ、そのことをとらえて『原告の自由を拘束しする(する? 引用者)憲法違反の不法行為である』と主張するのは常軌を逸した主張と言わざるをえない。」と言うが、退勤後に用事や約束を持つ人間にとって週末5時過ぎの30分は決して「若干」ではない。それに加えて、被告は、原告による「被害の事実」の記述とそれに対する「違法性」の指摘に反論できないため、「常軌を逸した主張である」と論点を逸らしている。だが、当日は休みであった被告が、原告の退勤時を狙ったとしか考えられない時間に顔を出して、30分も足止めし、自分の見当違いな主張を強制し、原告が折れるまで帰そうとしなかった。この被告の行動の意図は不可解であるが、被告が原告に行った行為が人権侵害の行動であることは論を俟たない。しかも被告は自分の人権侵害の行動は棚に上げ、原告の主張に対しては「常軌を逸した主張」と、原告の人格を誹謗する言葉を吐きかけている。これは裁判の過程において、被告と被告代理人によって行われた、原告に対する人格権侵害の行為である。(35p。太字は引用者)
この論駁に対しても、被告側は、平成20年7月4日付の「事務連絡書」で「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)―1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」としか答えられなかった。これまたグウの音もでなかったのである。
○紛れもないパワー・ハラスメント
またしても長いコメントになってしまったが、平成18年10月6日と7日に起こったことの実態は、こういうことだったのである。(1)から(8)までの寺嶋弘道の行動と、その間彼が亀井志乃に向かって発した言葉。私はこの整理に際しては、田口裁判長に倣って、「教え込むような口調とか、原告をなぶるような言い方」という発話態度の側面はしばらく脇に置いて、台詞それ自体を整理してみた。
ただ、このように発話態度を捨象し、(1)から(8)の行動と、その間の発話を見るだけでも、寺嶋弘道の亀井志乃に対するパワー・ハラスメントは紛れもないだろう。明治大学図書館に亀井志乃本人が持参する「紹介状」に関して、寺嶋弘道が言ったこと、行ったことには、何一つ合理性がなく、ただ亀井志乃に不必要な仕事を強い、不快な思いをさせ、尊厳を傷つけることに集中していたからである。
10月31日の法廷で、太田弁護士は故意に亀井志乃のノートを読み違えた上で、それに関する質問を寺嶋弘道にした。寺嶋弘道はその質問に誘導される形で、「物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかったのではないかと思います。なので、それを正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。」(被告調書13p)と答えている。
では、(1)から(7)に至る経過の中で、亀井志乃のどこに手落ちがあり、どの部分から「物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかった」と判断できるのか。そう反問してみるだけでも、寺嶋弘道の偽証性は明らかだろう。
もちろんこの偽証は、亀井志乃の業務態度に関する中傷という人格権の侵害に通ずる。
それにもう一つ、「それを正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。」とは、ずいぶん思い上がった言いぐさだが、それは一まず脇に置いて、それでは、(1)から(7)に至る寺嶋弘道の言動の中で、一体どの点が、「物事を仲間や上司や、組織として、一つ一つ確認しながら決めていかなければならないというふうに亀井さん自身が思っていなかった」ことを「正す」ための行動だったと言えるのか。
この問いにきちんと答えることができなければ、寺嶋弘道の言動は亀井志乃に対するパワー・ハラスメント以外の何ものでもなかったことになる。太田弁護士はそのことを承知していたはずだが、「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)の言い分は次のようにお粗末なものだった。
《引用》
7.平成18年10月7日の被告の言動
(1)被告の言動は、復命書に関する際の発言と同様であり、より相手とスムーズに事が運ぶ様にする際の過去の経験にもとづく業務の指導をしたにすぎない。
(2)これに対しても原告は、被告の言動を「容喙」「干渉」としか理解しないのである(準備書面22頁)
だが、(1)について言えば、寺嶋弘道の差し出口のおかげで、明治大学図書館と「スムーズの事が運んだ」という事実は全くなかった。また、(2)について言えば、寺嶋弘道が口を挟んで「職員派遣願」を書かせたのは、誰がどう見ても「容喙」以外のなにものでもない。亀井志乃が財団の書式と業務課のアドバイスに従って作成した書類について、寺嶋校ふぉうが書き直しを強制したことは、北海道教育委員会の駐在職員の分限を超えた越権的「干渉」以外の何ものでもない。太田弁護士は、それ以外のどんな理解があり得ると考えているのか。
ただし太田弁護士は、たとえこの批判に応える必要が生じたとしても、やはり「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」としか返事をしてこないだろう。
なお、太田弁護士がどんな手口で、亀井志乃の「準備書面」から「容喙」「干渉」をピックアップして、手前勝手な作文をしていたかについては、「北海道文学館のたくらみ(53)」の「○亀井志乃の『準備書面』に関する故意の曲解」で指摘しておいた。】
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