北海道文学館のたくらみ(53)
亀井志乃の「最終準備書面」その6
【今回は、Ⅱ章の「第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言」を紹介する。2009年1月22日】
第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言
A.〈出張の手続き〉について
被告は、被告代理人から、原告が出張する際の手続きの流れについて質問を受け、以下のように証言しました。
(被告代理人)あなたの頭の中では、亀井さんが出張するときの流れというのは、どういう順番で、どういう手順でされるのが本来の姿だというふうに考えているんでしょうか。
(被告)年度当初には、その展覧会で旅費はどの程度必要になるかという相談を、展覧会の全体経費の中と同時にしなければならないと思います。その上で、旅費の見通しを持った上で、次に具体的に出張先をリストアップして、そこにどれだけの経費が掛かるかを、学芸班だけでなくて旅費の執行をする業務課も含めて、旅費はこのくらいになりますよという相談をし、その上で、そこで了解、承認をもらった上で、実際に先方に相談して日程の調整をするということになると思います。
(被告調書10p)
(被告代理人)あなたからすると、まず内部できちっと打合せして、予算のことだとか、あるいは優先順位のことなんかを考えて、そして枠組みをはめて、業務課とも打合せして、その後相手方と交渉して具体的な日程を決めると、こういうのが本来の姿だと思っているわけですね。
(被告)はい、そのとおりです。
(被告調書11p)
また、出張の日程を決めることに関しては、9月26日の打合せにおける「亀井さんとの間でやりとり」(被告調書11p)の件で、被告はこのような証言もしていました。
(被告代理人)(前略)それで、こういう発言をあなたしたことがありますか。相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょうと、こういう発言がある。
(被告)はい、そのとおり発言したと思います。
(被告代理人)これはどういう趣旨で言ったんですか。
(被告)調査に行きたいんですけど、いつがいいんですかと言えば、もう相手に対して行くということを伝えてしまうことになりますので、その前に、内部の了解を得ておかなければならないという趣旨です。
(被告代理人)要は、相手方に先に言っちゃっている以上、行かざるを得ないでしょうという趣旨ですね。
(被告)そうです。相手に言ってしまったんなら、それを今更行けなくなりましたということにはならないという意味です。
(被告代理人)逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。
(被告)はい、そのとおりです。
(被告調書11~12p)
しかし、ここで被告が主張している〈出張の流れ〉や、それに絡んだ〈経費の相談〉についての説明は、これまで原告が提出してきた証拠に照らせば、現実に文学館で行われていた手続きの順序とはまったく異なります。また、一般的な展覧会業務の流れに照らしても、何らリアリティがありません。
①展覧会における旅費については、各展覧会の予算の枠内で、他の必要経費を圧迫しない範囲においてならば、担当者が自己裁量で配分できるようになっています(※7)。そして、各展覧会の予算は、前年度中に理事会で決定されます。
念のために説明を加えますと、道立文学館で行われる事業には、道負担金による事業と財団法人北海道文学館の自主財源による事業の、二種類の事業があり、原告が主担当である「人生を奏でる二組のデュオ展」は、道負担金によって実施される〈特別企画展2つ・企画展1つ〉の枠内の企画展でした。ですから、他に財団主催の展覧会や貸館の展示がエキストラで増えたからといって、本来、予算的に影響を受けるはずはなく、また、逆にいえば、「デュオ展」での予算執行が財団側の展覧会に対して影響を及ぼすということもありませんでした(「準備書面(Ⅱ)―1」22pおよび甲40号証・甲42号証参照)。
よって、「年度当初には、その展覧会で旅費はどの程度必要になるかという相談を、展覧会の全体経費の中と同時にしなければならないと思います」という被告の証言は、何ら現実性がありません。そもそも、「展覧会の全体経費の中と同時にしなければ」という言葉は意味が判然としませんが、それが“新年度に入ってから、各展覧会の経費配分も、その細目も決めてゆく”という意味だとしたら、この証言は前年度(平成17年度)3月の理事会決定をまったく無視した偽証であり、非常識きわまりない話です。
(※7 予算配分システムについて…
指定管理者制度以前は、予算は単年度計算でしたので、旅費・需用費・賃借料等の細目についてもある程度の枠が決められ、余った予算は道に返還されていました。しかし、指定管理者制度導入以降は、予算は4年間という大枠でつけられ、各事業に関しても、予算の枠内で収益を上げたり余裕を作ることができれば、それを道に返還する必要はなく、翌年以降に繰り越せるようになりました。そのため、各事業における細目の予算配分についても、事業予算の枠内であればという前提のもとに、各担当の裁量の自由度が高まったのです。)
②この証言において被告が述べている〈出張の流れ〉は、実際の展覧会企画成立および推進の流れをまったく無視するものです。
繰り返しの主張になりますが、展覧会企画は、すでに前年度に決まっています。原告提出の証拠によれば、平成18年度の展覧会企画案を学芸課長が職員から集め始めたのが平成17年6月(甲94号証)、ある程度内容が固まり、課内打合せや企画検討委員会で討議されたのが9月でした(甲95号証・甲96号証)。なお、ここまでの過程での下準備としては、〈どんな作家の・何についての展覧会か〉ということが具体化されてゆき、主な貸借先への最初のコンタクトはこの時期に行われます。そして、ほぼ実行可能だと判断された企画だけが、最終的に企画検討委員会で紹介・検討されるわけです。どこから資料を集めるのかわからない、あるいは、貸借先から承諾を得られるかどうかわからないような企画は、この時点までで除外されてしまいます。
そして新年度に入ると、各担当者は、誰の命令を待たなくとも、自分で心がけてたびたび貸借先と連絡をとり、相手側の責任者とよくメール等で相談しながら、貸借資料の範囲をテーマに合わせて絞り込み、搬送方法等についてもコンセンサスを得ておきます。そして〈出張〉は、この過程で、特に貸借資料を絞り込み確定しておく上で、絶対に欠かせない業務と言って過言ではありません。したがって、担当者が相手側とコンタクトを何回かとってゆく過程で、ある程度、出張の時期が決まってゆくのが自然の流れです。担当者が出張の時期を皆にはかって、他の重要な日程とぶつからないように調整し承認を得るのは、一番最後の段階です。
もし、これが被告の述べるような順序だとしたら、
(1)各担当者は新年度になってからようやく担当の展覧会について“どこに話を持ち込もうか、どこに行ったらいいだろう”と考えながら出張先をリストアップし、
(2)“どこから何を借りたら良いか”ではなく“そこに行くとしたら幾らかかるだろう”ということを主に考えながら学芸職員や業務課と相談して、了承を得、
(3)それから(すでに当年度になっているのに)ようやく先方に連絡をとって展覧会の話を持ち出し、“いつ行きましょうか”はその後の話となる、
ということになります。
しかも、被告調書11~12pの証言に従えば、その“いつ行く”という話も、“先に相手に問い合わせてしまっては行かざるを得ないことになる”ので、そうなることを避けるために、日程も文学館側であらかじめ決めてから、相手に連絡をとった時に、いきなり「私がそちらにお伺いできるのは○月○日ですが、貴方のご都合はよろしいでしょうか」と日取りを提示する、ということになります。
このような手順では、相手側から「もう貸出には先約があります」「今お貸しできる状況にはありません」等と断られたら、そこで企画は白紙になってしまいます。また、仮に相手側に会っていただけるにしても、先に相手の都合も聞かずにこちらの日程を切り出すというのは、ビジネス全般の常識から見てもきわめて無礼な行為と言えるでしょう。
この意味で、被告の証言はリアリティがなく、偽りに満ちている上に、被告の社会常識をも疑わせるような内容の証言だと言えます。
③もっとも、②項に関して、Ⅱ章第3項の「D.栗田展の中止について」に引用した被告の証言と合わせて考えると、被告の、展覧会業務に関する行動の実態が、まざまざと見えて来るように思われます。
おそらく被告は、被告の信ずる展覧会業務の流れに従って、展示の内容から相手先への訪問の日取りまでを、先にすべて文学館側(ないしは被告自身の側)で決めてしまい、一番最後の段階で栗田氏に連絡をとって、協力を求めたのでしょう。それがこのケースでは、栗田氏から「作品を貸し出すことはできない」という反応を引き出す結果となったのでしょう。
その意味では、被告は、少なくとも自分自身の業務に対する認識については、嘘はついていないと言えます。しかし、被告の認識が、文学館業務の在り方を正しく把握しているものかといえば、それはまったく違います。また、栗田展の中止から約2年を経て、被告が未だに文学館業務についての認識を改めていないというのも、驚くべきことだと言えます。
B.「予算の確保を業務課と調整」したという主張について
被告は、裁判長から、被告が主張するところの「学芸部門の統括及び業務課の調整」の立場と役割についての質問を受けましたが、その際、以下のような応答がありました。
(田口裁判長)原告との関係において努力されたことはありますか。
(被告)………原告との関係というと、まあ、一番は「二組のデュオ展」だと思いますけれども、その展覧会が、予算がショートしないで実現できるように、年度当初といいますか、5月か6月ぐらいだったと思いますけれど、実行予算の見通しを立てるときに、実行の予算の確保を業務課と調整したことがあります。
(被告調書25p)
ここでの被告の証言には、虚偽、もしくは根拠のない主張が2点含まれています。
①前項(本章第4項「A.〈出張の手続き〉について」)の①・②で説明しましたように、予算配分は、基本的にはすべて前年度のうちに完了しています。また、同じく説明しましたように、「デュオ展」は道負担金で行われる企画展ですので、枠は確保されており、財団側の展覧会が増えても、本来影響は受けません。また、予算枠内における支出配分については、各担当者に任されています。
ですから、もし予算関係で問題が起こるとすれば、担当者が予算を執行しはじめた時以降であって、それ以前の時点では、“予算がショートするかしないか”、業務課の方でも予期・予測が出来るはずがありません。また、担当者が予算の執行もせず、執行予定の金額の提示もしないうちに“予算が足りなくなるかも知れない”と考えるなどは越権的な発想であり、かつ、主・副担当者2人の能力を貶めるものです。そのような発想を業務課がするとは思えません。
また同様に、当の担当者をはずして、学芸主幹と業務課が無断で予算の「調整」を行うというのも、あり得ない話です。
よって、「(デュオ展の)予算がショートしないで実現できるように」とか、「(デュオ展の)実行予算の見通しを立てるときに、実行の予算の確保を業務課と調整」したなどという被告の証言には根拠がなく、信ずるに足りません。
②被告は、「二組のデュオ展」に関する「業務課との調整」を「年度当初といいますか、5月か6月ぐらいだったと思いますけれど」と述べていますが、そのような事実はありません。少なくとも、主担当である原告には何も知らされていませんでしたし、結果も知らされてはいませんでした。
これまでも準備書面等で述べてきました通り、5月にあった展覧会予算関係の話といえば、5月12日の被告による〈啄木展の予算大幅超過〉の話であり、〈企画展の財布は一つ、だから担当者は支出予定の内訳を出すこと〉という指示のみでした。この指示は被告のみから出され、そしてA学芸員や原告が指示通りに支出予定を館のサーバーにアップしたにもかかわらず、この件で話し合いが行われることはついにありませんでした。
もしこの時期に、本当に、(たとえ越権的行為であっても)被告と業務課との間で実行予算について調整が行われたのだったら、被告は原告にでもA学芸員にでも、その結果を提示することができたはずです。まして、その後、9月26日に、被告が「(デュオ展は)他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と言いつのり、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」とたしなめる(原告3月5日付「準備書面」18p)という状況は、起こり得るはずがありません。
以上の2点を勘案すれば、法廷における被告の主張は、偽証であることが明らかです。
③ちなみに、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」の20pおよび22pで、文学館における予算の性格や執行システムについて、上記と同じ説明をしておきました。
ところが被告代理人は全くそれを無視して、原告に対し、「このあなたが主担当の業務について、何か、予算が必要だ、あるいは、だれか上司の判断を仰がなければならないと、こういうときに、だれにあなたは相談することになるんですか」(原告調書21p)と、わざと見当違いの質問をし、原告が「そのような形ではお答えできないんですけれども」と答えると、今度は「じゃ、あなたが主担当の業務については、あなたがすべて何でも勝手に決められるんですか」と、自分勝手な解釈を押しつけてきました(同前)。
これは、無礼な尋問態度であっただけでなく、被告の偽証を覆い隠すための詐術と言うしかありません。
C.「復命書」の書き方について
被告の主張する“「復命書」の添削の必要性”の問題と、甲12号証の1および2における「用務地」との関連で、田口裁判長は、「そしたら、問題なのは用務地だけだったんですか」と被告に質問しました。そして被告との間で、以下のようなやり取りが行われました。
(被告)用務地と、それから用務は、この甲12の2に書かれている用務、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」というように書いてほしいというふうに。
(田口裁判長)ぴったり同じでなきゃいけないわけですか。
(被告)ええ、ぴったり同じに、一般的にはしています。
(田口裁判長)「処理の状況」の下のところもペケ印がしてあるんですけれども、これも書いちゃいけないことなんですか。
(被告)そうですね。そうですねというのは、この資料返却、さらに、資料調査が、特別企画展、つまり石川啄木展の資料の返却と、資料の調査にかかわることであるからです。
(被告調書29~30p・下線は引用者)
しかし、被告のこの証言は、以下の理由により偽証と言わざるをえません。
①被告は、北海道教育委員会も財団も「復命書」の書き方は変わらない、すなわち統一されている、という前提で上記の証言をしたようですが、Ⅱ章第2項「G.書類の〈添削〉について」の①と②で指摘しましたように、被告が「指導」と称して原告に強制した文書の書き方は、すでに平成18年11月10日の時点で、毛利館長と平原副館長によって、不適切であり、正当性がないとして否定されていました。そして、従来の財団の「復命書」の書き方は、〈出張先の研究状況等に関する情報を「復命書」に書いておくことが望ましい〉とされていました(原告3月5日付「準備書面」12p・「準備書面(Ⅱ)―1」24p・甲18号証2~5p)。
②もともとこの時の釧路出張は原告の方から希望した出張ではありません。原告は特別企画展の啄木展から疎外された状態にあり、ただ1点だけ、主担当の鈴木社会教育主事から頼まれて、釧路在住の啄木研究家・K氏のお宅まで、資料の借用と返却とに出かける形でかかわっただけです(原告「準備書面(2)―1」25p)。ですから、原告が釧路へ出張する〈用務〉は、原告からではなく、S社会教育主事から業務課へ伝えられたのであり、その内容を業務課のN主査が〈用務〉の欄に、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」と記入したわけです(「旅行命令簿」の文字はN主査の文字)。
日程については、原告がK氏に電話をして都合をうかがったところ、9月1日ならば都合がつくというお返事でしたので、原告の方から川崎業務課長とN主査に、9月1日に釧路へ出かけたい旨を伝えておきました。
③S社会教育主事が、N主査に、原告の釧路出張の「用務」をどのように説明したかは原告の知るところではありません。ただ、S社会教育主事は、すでに前年度から、原告がどのような展覧会を企画・構想しているのかについて了解していましたので、出張を原告に依頼に来た時からすでに、「用務が済んだら、(釧路で)亀井さんの方の資料調査をしてきて構いませんよ」と言ってくれていました(Ⅱ章2項「F.『用務地』について」の②参照)。
それに、甲12号証の2の方を見ても、これは啄木展終了後の資料返却のための出張なのですから、「特別企画展に係る資料返却及び資料調査」における「資料調査」が、啄木展のための資料調査でないことは明らかです。よって、被告の「この資料返却、さらに、資料調査が、特別企画展、つまり石川啄木展の資料の返却と、資料の調査にかかわることであるからです」という証言は、まったくの事実誤認、ないしは虚妄に過ぎません。
④被告は、原告に「復命書」の書き直しを強いたわけですが、裁判長の質問に被告が答えた理由は、「ええ、ぴったり同じに、一般的にはしています」ということでした。しかし「一般」とはどの範囲なのか、言及していません。だが、少なくとも財団では、上記①のような考え方のほうが一般的でした。
⑤被告は北海道教育委員会のやり方を〈一般的〉と考えているのかもしれません。しかし「北海道職員服務規程」の第8条には、「出張を命ぜられた職員は、帰庁後すみやかにその出張中取り扱った事務の結果を復命しなければならない。」とあります。道が公務員に求めているのは、「出張中取り扱った事務の結果」の報告です。「旅行命令簿」の文言とぴったり一致した文言の「復命書」を求めているのではありません。
出張では「旅行命令簿」や出張計画書に記載していなかった、予定外の事柄に出会い、臨機応変に適切な対処をしながら、本務を遂行しなければならないことがあります。いかに適切に対処したかを含めて報告するのが、「一般的」な復命書のあり方です。
もし被告が証言したとおりならば、出張に出かける前に旅行命令簿の文言と「ぴったり」一致した文言の復命書を作っておくことが可能であり、そのほうが手間が省ける理屈になります。だが、そのようなやり方を可能とする復命書の書き方を制度化した自治体や官公庁はどこにもありません。
よって、被告の「復命書」の書き方に関する証言は虚偽であり、被告が虚偽の書き方を駐在先の財団の職員に押しつける越権行為を行って、原告に嫌がらせを働いたことは明らかです。
【亀井秀雄注:今回の亀井志乃の説明は十分に意を尽くしており、特に説明を要するところはなかったと思う。
ところが、被告側の「準備書面(4)」は今回の内容に関連することに、割合多くのページを割いていた。しかも、その言うところは、今回の亀井志乃のテーマである「被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言」に、更に輪をかけるような虚偽の主張に充ちている。一体この人たちはどこまで嘘を吐き続けるつもりなのか、呆れるばかりの執拗さであるが、彼らとしては、もう裁判にかかわる反論は出てこないと安心、いや、多寡を括っているのかもしれない。
なぜなら、亀井志乃は裁判長が決めたとおり、昨年の12月12日の締め切り日に「最終準備書面」を2部(被告分と合わせて)、札幌地方裁判所に提出した。これで亀井志乃の裁判における主張は終結したことになる。本当は被告側も12月12日に「最終準備書面」を提出し、被告側の主張を終結させなければならなかったのだが、太田三夫弁護士は4日も遅れて、12月16日に「準備書面(4)」を提出し、その写しを亀井志乃に郵送した。――亀井志乃の手元に届いたのは17日。――このやり方はどうも釈然としない。なぜなら、太田三夫弁護士は亀井志乃の「最終準備書面」を読んでから、「準備書面(4)」を書く(あるいは一応出来上がっていたものを手直しする)ために時間稼ぎをした、と解釈できるからである。
ただ、その辺の事情を田口紀子裁判長がどう判断するか、私には分からない。また、裁判長の判断に、あらかじめあれこれと注文をつけることは、厳に慎まなければならないだろう。
それ故私は、私なりの仕方で、つまり太田弁護士に時間稼ぎをされてしまった亀井志乃に代わって、被告側の「準備書面(4)」の検討と批判を行おうと思う。
○自分の不手際を取り繕うのが「本来業務」
そこでまず、予算の執行に関する被告側の主張を取り上げてみたいと思う。被告側は「準備書面(4)」でこんな主張をしていた。
《引用》
(1) 被告は、学芸業務の予算編成案の作成に関する主担当であった(乙6)。
(2) 従って、事業年度途中において予算案とともに承認されていた財団の事業について、予算の執行状況を見ながら不断に企画内容・予算案について検討するのはこれまた当然すぎる被告の本来業務であり、それが原告に対する違法な行為になることなど有り得ない。(4~5p)
言うまでもなく、これは真っ赤な嘘である。
亀井志乃が指摘したように、平成18年度の事業計画と予算は平成17年度内に決まっていた。当然のことながら、「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証。※1)もまた平成17年度内に決まっていた。その中で、18年度に着任する寺嶋弘道学芸主幹に割り当てられた「事務分掌」の一つが、「事業計画案および予算編成案の作成に関すること」(主担当は寺嶋。副担当はS社会教育主事)だったのである。
分かるように、寺嶋弘道学芸主幹の平成18年度の仕事の一つは、平成19年度の「事業計画案および予算編成案」を作成することであって、決して平成18年度の「学芸業務の予算編成案の作成」ではなかった。端的に言って、平成18年度の寺嶋弘道には、「平成18年度の学芸業務の予算編成案の作成」などという仕事はなかったのである。
ところが太田弁護士は、「事業計画案および予算編成案の作成に関すること」という文言を、「被告は、学芸業務の予算編成案の作成に関する主担当であった」と、被告に都合よくリライトし、あたかも平成18年度の寺嶋弘道の業務の一つが「平成18年度の学芸業務の予算編成案の作成に関すること」であったかのように誤魔化したのである。
(※1、被告側が挙げた「乙6」の元になったもの。「乙6」の「事業計画案および予算編成案の作成に関すること」(主担当は寺嶋。副担当はS社会教育主事)という文言も、甲60号証の文言をそのまま引き継いでいる。)
そんなわけで、「従って、事業年度途中において予算案とともに」云々という文章における、「従って」という接続詞は不正確な、いや、間違った使い方と言うしかない。そもそも平成18年度の年度途中において、「平成18年度の予算案」や「事業」が承認されるというようなことはあり得ないからである。
ただ、この不出来な文章を、「平成17年度内に決定されていた予算案、及びそれとともに承認されていた財団に事業について、平成18年度の年度途中に、予算の執行状況を見ながら不断に企画内容・予算案について検討するのは」云々と書き換えてみれば、それなりに文意が通らないわけではない。
ただし、そんなことが必要になったのは、寺嶋弘道が、亀井志乃が副担当だった啄木展に(亀井志乃を無視して)介入して大幅に予算を超過してしまったり、自分が主担当だった栗田展を中止にしてしまったり、年度当初の事業計画になかった「イーゴリ展」を他の職員に無断で割り込ませてしまったりしたからにほかならい。それを取り繕うためにかなりドタバタしたようだが、被告側としては、それをもって「平成18年度の本来業務」と強弁したのであろう。
ということはすなわち、自分の不手際を取り繕うことが、寺嶋弘道の「平成18年度の年度途中における本来業務」だったわけである。
○亀井志乃の「準備書面」に関する故意の曲解
次に、被告側が「準備書面(4)」で主張した、「被告の原告に対する再三の『助言』」の問題を取り上げてみよう。
《引用》
6. 平成18年8月29日、9月13日、9月26日、10月3日の被告の発言
(1)どの組織においても、職員が出張する場合、出張目的・出張の必要性・出張先の箇所の多少・出張の優先順位等を同僚・上司と相談したうえ決定し、予算執行者の了承を得てから行うのが通常の業務の有り方である。
(2)何故組織ではこの様な手順を踏むかといえば、限られた予算の中で優先順位をつける必要性があるのと、出張中の職場の労働力の配置・業務の配転等々の問題があり、それを相互に調整する必要があるからであり、このことは組織人として常識の部類に属する事柄である。
(3)しかるに原告は、これを全く事前に事実上の上司である被告に相談することなく、原告の一存で相手方と接渉(交渉? 折衝?)をして出張予定を組むため、被告はきちんとした手順を踏むことを原告に対し再三に亘り求めたに過ぎない(被告調書9~13頁)。
(4)原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)、原告はこれを自分に対する「容喙」「干渉」としか理解できないのである(原告の平成20年3月5日付準備書面(以下「準備書面」という)18頁(b)ロ、ハ)。
(5)この様な再三に亘る原告の組織を無視した自分本位な行動に、事実上の上司である被告が多少声を大きくして発言したとしても、極めて当然のことである。(5~6p)
これらの主張のうち(1)(2)(3)が、いかに文学館の業務の実態に無知な人間の言いぐさでしかないか。その点については、既に亀井志乃の「A.〈出張の手続き〉について」によって、論破されてしまっている。両者を読み比べてみれば、一目瞭然だろう。
ここで太田弁護士に必要だったのは文学館業務の基本原則の確認であり、だから、「どの組織においても」なんて、根拠不明な一般論など振りかざしても、それは自信のない証拠にしかならない。こういう書き方は止めた方がいい。「北海道立文学館においては」、あるいは「被告が前に勤めていた道立近代美術館など、文化施設においては」と、具体的な事例に即して論じなければ、理屈が空回りするだけなのである。(おまけに、太田弁護士の考える組織は、「どの組織においても」、1人の職員がわずか1泊か2泊の出張に出るだけで、「業務の配転(配置転換?)」まで行うらしい。一体そんな組織がどこにあるのか。)
それ故、ここでは(4)の主張を中心に検討を加えたいと思うが、この文章の前半と後半とは、具体的な事実関係に即して見れば、全く対応していない。つまり前半は後半の前提文でもなければ、条件文でもないのである。
まず後半について言えば、亀井志乃が平成20年3月5日付の「準備書面」の17ページから18ページにかけて取り上げたのは、平成18年9月26日、寺嶋弘道被告が突然に、支離滅裂、辻褄の合わないことを怒鳴りはじめ、川崎業務課長から「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」とたしなめられた、あの場面であった。
その場面は、つい最近この連載ブログで紹介した(「北海道文学館のたくらみ(46)」)。だから、記憶している方も多いと思うが、その時の寺嶋弘道の発言は、どうひいき目に見ても、とうてい出張の手順を「助言」したものではあり得なかった。なぜなら、寺嶋弘道が支離滅裂なことを言い始めたのは、亀井志乃が「展覧会支出予定」のコピーを取って寺嶋弘道に渡そうとした時のことであり、出張手順のことは話題になっていなかったからである。
そこで亀井志乃はその場面を再現した後、「ロ、被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した。(以下略)」と書き、また「ハ、被告は、財団の嘱託である原告が自分の企画展に割り当てられた予算の範囲内デ本州へ出張することに干渉し、なぜ本州への出張が必要かを確かめることなく、出張を制限しようとした。(以下略)」(平成20年3月5日付「準備書面」。イは省略。太字は引用者)と書いた。
太田弁護士はこの「ロ」の文中の「容喙」と、「ハ」の文中の「干渉」とをピックアップして、「原告はこれを自分に対する『容喙』『干渉』としか理解できないのである」と、まるで亀井志乃の受け取り方のほうが不当であるかのような口ぶりで、非を鳴らしたわけだが、「容喙」「干渉」と受け取る以外にどんな理解があり得ただろうか。
事実、亀井志乃は、寺嶋弘道の予算執行に関する「容喙」と、出張に関する「干渉」のおかげで、里見弴関係の資料調査に予定していた鹿児島の「川内まごころ文学館」への出張を諦めただけでなく、資料借用、搬送、図録作成などの支出も切り詰められるだけ切り詰めて、当初予算150万円のほぼ半額で「二組のデュオ」展の全経費をまかなうほかはなかったのである。
○寺嶋弘道の言いがかりと平原副館長の約束
それに、寺嶋弘道は亀井志乃に「再三に亘る助言」など一度もしたことはなかった。
太田弁護士が(4)で挙げた(甲6、8、9、31、32、44)は、亀井志乃が自分のノートから抜粋して提出した「証拠物」の番号を示した数字と思われるが、その全てを検討するには大変な紙数が必要となる。
そのため、「甲6号証」と「甲8号証」に絞って説明したいと思うが、亀井志乃は平成18年9月12日(火曜日)、自分が主担当の「二組のデュオ」展の準備のための出張予定について、職員に周知しておいてもらうため、事務室における朝の打合せ会で「これからの動き(資料提供協力先)9月後半~12月前半」(甲5号証)という文書を配布し、外勤・出張の可能性がある所とその時期について説明をした。その席では、誰からも質問や異論は出なかった。
ところが翌13日の昼12時頃、寺嶋弘道が二階の事務室に通ずる階段の上で亀井志乃をつかまえて、「昨日の出張の件については、業務課との方はもう話がついているの?」と聞いてきた。亀井志乃が「いえ、昨日、初めてお話ししたことですから」と答えると、寺嶋弘道は「そういう問題ではない。打合せ会は、すでに決まったことを報告するところだから、こうしたことを話すところではない」と詰問を始め、原告が「朝の打合せ会はそういう性格のものと決まったのですか」と質問すると、被告は「そうなんだ」と答えた。そして「どのような出張予定になっているのか、あらかじめペーパーをこっちに提出しなさい。原告がどう動くかについては、自分と業務課長が協議して決めることだ」と言った(太字は引用者)。
このことについて、亀井志乃は「ノート」(甲6号証)の中で、次のように書いている。
《引用》
9/13(水)
一見、上司として手続きを踏むため、というような発言だが、展覧会の主担当である自分が、必要があって動くのに、本人も交えずに、ただ書類だけ出させて、しかも一部だけがその行き先の是非を決めるというのは、どう考えてもおかしい。
場所が階段上の廊下だったため、その場では一応「はい」と返事してその場を離れたが、納得いかなかったため、1時頃、文学館の門の近くで会った平原副館長に手続きの事を問うてみた。
平原副館長の答え
・手続きとしては、一応、寺嶋主幹が私から「どこへどういう動きたいから」という意向を聞き、川崎業務課長に「学芸班の人間がこのように動くから(会計を)よろしく」という順序になる。
・しかし、行っていいとか駄目とかいう話ではなく、必要があれば行かねばならない。
・外国へ行くとか、特別な場合は別だが、基本的に国内ならば必要がある所へ行くのが当然
ただ、もちろん、きちんとした動き(※これは、旅費の過剰な請求にならないような動き、と亀井は解釈)であることを説明しなければならないが、それが説明出来れば何も問題はない。
平原副館長は、そこで、川崎業務課長にそのむね伝えておく事と、寺嶋主幹とじっくり話をしておく事を約して、私と別れる。→昼食へ(太字は引用者)
分かるように、寺嶋弘道は、亀井志乃が朝の打ち合わせ会に出席していた職員全員の了解を得た、その翌日に、来館者も利用する階段の上で、不意に亀井志乃をつかまえ、詰問を始めたのである。これはとうてい「助言」ではあり得ない。
しかも亀井志乃が平原副館長に確かめたところ、平原副館長が説明した「出張手続き」は寺嶋弘道の主張と全く異なるものだった。
太田弁護士は被告側の主張の裏づけとして、亀井志乃のノートを挙げたわけだが、それならば当然このような記述を読んだはずである。太田弁護士は一体どのような読み方をして、寺嶋弘道が亀井志乃に「助言」したという結論を引き出したのであろうか。
なお、朝の打ち合わせ会の性格については、「午後3時頃、収蔵庫でS社会教育主事と偶然会う。S社教主事は、いつも、打会せ会で進行役をつとめているので、打会せ会では、いつからか、決まった事を報告するためだけの会という事になったのか、とたずねたところ、『そのような決まりもなければ、申し合わせも全くない』との返事だった。」(甲6号証)
○寺嶋弘道の嫌がらせパターン
それからおよそ20日後、亀井志乃のノート(甲8号証)によれば、今度は次のようなことが起こった。
《引用》
10/3(火)
10時前より、朝の打合せ会
今日は、学芸班は全員、平原副館長もおり、川崎業務課長も出席をしていたので、「〈人生を奏でる二組のデュオ〉展出張予定(10月)」と題した書類を皆に配布した。そして、「これは先日(9/12)にお話していた出張予定で、それがだいたい相手先との連絡によって固まったのでお知らせします。大まかに説明しておきたいが、よろしいでしょうか」と声をかける。
誰も何も言わなかったので、説明を始める。
大体、プリントに書かれてある通りの事を説明し、
「ほぼ、このようなところです。よろしいでしょうか?」とまた声をかけたが、誰からも、質問も意見も出なかった。
朝の打ち合わせ会が終ってから、寺嶋主幹が、平原副館長と何やら相談しだした。
そして私と目が合うと、いきなり、次のように切り出した。
「なぜ、先に話し合いをしないの」
「何度同じ事を言わせるの」
「こんなところで予定を言って、“よろしいでしょうか”って言ったって、だれもいいなんて言えないんだよ」(全て主幹の発言)
寺嶋弘道はこのように詰問を始め、「あんた、みんなにいいって言ってほしいんでしょう?だったら、やることをちゃんとやりなさい!」と、あからさまに亀井志乃を侮蔑した罵言にまでエスカレートしていったわけだが、ここに引用した箇所だけでも、彼の不当さがよく分かるだろう。
もし寺嶋弘道が本当に、朝の打ち合わせ会の性格や、自分の考える手続き論が正しいと考えていたならば、朝の打合せ会の中で亀井志乃にそのことを指摘すればよい。そうすれば、他の職員も意見を述べることが出来、共通の理解が成立しただろう。
だが、寺嶋弘道は決してフォーマルな場で、亀井志乃のやり方に関する意見を言うことはしなかった。朝の打ち合わせ会が終わった直後や、来館者が上り下りする階段の上など、他人が見たり聞いたりしている場所、しかも他の人が口を挟みにくい場面を選んで、亀井志乃の業務態度や人格を貶めるような罵言を、聞こえよがしに浴びせかけるのである。
「何度同じ事を言わせるの」。太田弁護士は寺嶋弘道のこのような言葉をピックアップして、「再三に亘って助言した」という主張の証拠とするつもりだったのかもしれないが、何度もクソもない。寺嶋弘道はただの一度も「助言」をしたことはなかった。
そうではなくて、寺嶋弘道は「何度同じ事を言わせるの」という言い方によって、亀井志乃が何度同じ注意をうけてもちゃんと仕事をしない人間である印象を、周りの人たちに与える。そういう効果を狙ったものだったのである。
○ハラスメントの認識
亀井志乃は以上のような経験を、感情を抑えながら記録し、次第に寺嶋弘道のハラスメント(嫌がらせ)の本質を認識するようになっていった。
以下に引用するのは、10月3日に関するノートの後半と、それに続く10月4日のノートであるが、一人の人間がどのようなプロセスで職場環境の問題やハラスメント問題を見出していったか。それについて、一つの具体例を提供するものと言えるだろう。出来ればそういう関心をもって読んでもらいたい。
《引用》
この時は、ここで話を打ち切ったが、やはり私にとっての話し合いは川崎業務課長も平原副館長も交えたもので、もっと言えば、副担当のA学芸員なども交えた、多くの人に同時に了解してもらえるようなオープンなものである。そもそも、全員でも、事務室としてはたった8人ほどしかいないメンバーなのだ。
それが、単に“自分の耳にあらかじめ入っていない”というだけでなく、他の全ての人と条件を同じにして話しても、それが気に入らず、絶対的に〈2人で先に話をする〉という事にこだわり続ける主幹の執拗さには、正直、常軌を逸したものを感ずる。
しかも、ただの一回も、私の提出した計画の内容にふれる事もなければ、アドバイスをするでもなく、ただひたすら、〈自分を他のどの上司よりも優先する事〉にのみこだわっている。
普通、常識的にいって、特に女性が、このようなタイプの上司と“2人きり”で“話し合いをじっくりしたい”と思うという事は、まず考えられない(性格的なものにもよるが)
絶対に、他の複数の人間に立ち会ってもらいたいと思うし、このような上司を通さなければいけないという内部的申し合わせ(なぜなら、館のどのような規約でも、そのような拘束力あるきまりはないからだ)自体を見直す必要があると考える。もしも、このような上司と肝心な時にはいつもつき合わなければならないようにされ、常に顔色をうかがったり、あやまったり、懇願したりしなければならない立場におかれてしまい、しかも、他の人々はそれを見て見ぬふりをしているとすれば、これは、組織ぐるみのパワーハラスメント(あえてセクシャルには限定しない)というべきものではないだろうか。
なぜ、このような事が北海道立文学館の中で、財団法人北海道文学館と道の駐在職員によって行われているのか、私、亀井はこれを明らかにしてゆきたい。
10/4(水)。昨日の出張の件はどうなったのだろうと思い、川崎業務課長とN主査に、「もう飛行機の予約などはしてもいいですか」と聞いてみた。
すると、「寺嶋主幹からOKが出ているなら、こちらは異存はないので、その事だけ確認して欲しい」と言ってきた。
9/13の時点で、平原副館長は〈寺嶋主幹が亀井から意向を聞き、それを川崎課長に伝える。行っていいとか駄目だとかではなく、必要があればそうしなければならない〉と言っていた。
だとすると、主幹が、1日たっていまだに川崎課長にOKを伝えていないということは、驚くべきことである。
普通で言えば、明らかに、寺嶋主幹の怠慢か物忘れだ。
それに、誰からも異議や疑問が出なかったのだから、事務(業務課)でも「わかりましたよ、それじゃ処理しておきますから」という話になってもいいはずだ。
それなのに、なぜ、寺嶋主幹の意向をそこまで気にしなければならないのだろう。これでは、きわめて権力関係の強い組織という事になりはしないか。
それとも、要するに亀井がトラブルメーカーだ、という事で済まされているのだろうか。
先に引用したように、9月13日の時点で、平原副館長は亀井志乃に、「寺嶋主幹とはじっくり話をしておく事」を約束した。寺嶋弘道は当然、亀井志乃の出張手続きの基本的な流れを承知していたはずである。ところが10月3日、平原副館長が同席している場所で、亀井志乃に言いがかりをつけ始め、亀井志乃の尊厳を傷つける罵言までも浴びせかけた。
これは決して「再三に亘る助言」ではない。「再三に亘る人格権の侵害」と言うべきだろう。
にもかかわらず、太田弁護士は「(5)この様な再三に亘る原告の組織を無視した自分本位な行動に、事実上の上司である被告が多少声を大きくして発言したとしても、極めて当然のことである。」と主張する。あろうことか、この弁護士は、声の大きさという程度問題にすり替えて、罵言、暴言を容認しているのである。
○太田弁護士の作文能力
以上が、亀井志乃が甲6号証、甲8号証として提出した「ノート」の内容である。太田弁護士が、「原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)」として挙げた、甲9号証は、亀井志乃が明治大学図書館へ「紹介状」を持参する件で、業務課と相談しているところへ、寺嶋弘道が「職員の派遣願い」を出さなければならないと、余計な差し出口をした日(10/7)のノートであるが、太田弁護士は、このことも「出張手続きに関する助言」に数えている。見当違いもはなはだしい。亀井志乃のノートをちゃんと読んでいないのではないか。
甲31号証と甲44号証の内容については、亀井志乃がⅢ章の「C. 出張の『相談』と『亀井さん』の『気持ち』について」で詳述しており、これは次回に紹介する。
そして甲32号証の内容は、亀井志乃が「展覧会支出予定」のコピーを取って寺嶋弘道に渡そうとしたところ、急に寺嶋弘道が支離滅裂なことを言い出したときの記録であり、先ほども指摘したように、出張手順のことが話題になっていたわけではない。
そのような次第で、太田弁護士が「(4)原告自身も他の上司から手順を踏む様に助言されているにもかかわらず(甲6、8、9、31、32、44)、原告はこれを自分に対する「容喙」「干渉」としか理解できないのである(原告の平成20年3月5日付準備書面(以下「準備書面」という)18頁(b)ロ、ハ)。」と主張した、この前半の記述はまるででたらめだったのである。しかも、その後半部分は、これまた先ほど指摘したように、太田弁護士の見当外れな理解から生まれた文言だった。おまけに、前半の記述と後半の文言とは、言及された事実の側からとらえ返して見るならば、内容的には何のつながりもない。木に竹を接いだような文章なのである。
太田弁護士の書き方は、論証文の基本が出来ていない。私の考えでは、裁判においてある事柄を主張するためには、自分が参照した資料(双方が提出した「準備書面」や証拠物、法廷における尋問記録など)から、必要な箇所をきちんと引用し、内容と表現を検討しながら主張を展開しなければならない。ところが太田弁護士の文章は、きちんとした引用がなく、念のために、こちらが文献に当たってみると、読み違いが随所に見られる。自分の主張に都合がよいように書き換えてしまう場合もあり、おまけに、一つのセンテンスに、内容的な食い違いが見られたりもする。学生のレポートとしても考えられない杜撰さだが、日本の弁護士社会ではそういう書き方でも通用するのだろう。
○太田弁護士による人格権の侵害
太田弁護士の「準備書面(4)」は、このように虚言ばかりであるが、その太田弁護士が最終的に描き出した亀井志乃の「独自の発想」は、次のようなものであった。
《引用》
(一)原告は、財団の職員ではなく報酬を受けて専門的業務の処理を請け負っているものである。
従って、原告が主担当となっている業務は原告に一任されており、誰からも特に被告から容喙されるいわれはないし、事前に他の者に相談する必要もない。
(二) 財団は、平成18年4月から指定管理者制度のもとで運営されることになり、財団の学芸班に属する原告の事実上の上司は被告とすることが財団で取り決められたが、原告は被告を上司と認めることはしない。
(三) 原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務とは認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業してまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る。
(四) 財団が実施主体である企画展であっても、その企画の発案者が原告であるかぎりそれは原告の企画展であり、財団の企画展ではない。(1~2p)
太田弁護士としては、亀井志乃の「原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた。」(平成20年3月5日付「準備書面」5p)という主張を逆手に取ったつもりだったのだろう。
しかし、以上のように判断する根拠を示していない。亀井志乃の発言を故意に単純化し、文脈を無視して短絡的に結びつけて作文した「原告独自の発想」でしかなく、また、被告や平原一良が捏造した事実無根の証言を利用して虚構した「原告独自の発想」でしかない。
寺嶋弘道や平原一良はきちんとした証拠を明示することなく、亀井志乃の業務態度や人格を中傷誹謗し、太田弁護士は彼らの言うところを鵜呑みにし、またはそれを補強する形で「準備書面(2)」を書いた。亀井志乃はそれらに対して、自分の側の証拠を明示しながら、「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)-3」で克明に反論をしておいた。
太田弁護士が上記のことを主張するためには、亀井志乃の反論に対する再反論をもってしなければならない。再反論をせずに、同じ主張を繰り返すことは、立証責任の放棄である。それは依頼人・寺嶋弘道被告の敗北に通ずる。弁護士としての誠意と能力を問われても仕方があるまい。
太田弁護士は十分にそれを承知していたはずであるが、もはや亀井志乃は再び反論するチャンスを持たないことを見越して、最終準備書面の締め切り日を4日も遅らせて「準備書面(4)」を提出し、その中で、亀井志乃の名誉を毀損し、人格権を侵害する主張を繰り返した。そう解釈するほかはないだろう。】
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