北海道文学館のたくらみ(52)
亀井志乃の「最終準備書面」その5
【今回は、Ⅱ章「第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言」のEからHまでを紹介する。今回も私の少し長いコメントがつくが、ご海容をお願いする。2009年1月18日】
E.デュオ展の展示設営時の状況について
被告は、田口裁判長の被告「陳述書」に関する質問に対しても、虚偽の証言を行っています。
被告は「陳述書」において、「実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、『二組のデュオ展』の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。原告がホテル宿泊を強いられたと主張しているこの展覧会の展示作業においては、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず、連日、皆待機を余儀なくされていたというのがその実情でした」(5p)と証言していました。
この証言がいかに虚偽に満ちているかについては、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」(17~19p)で詳述しましたので、ここでは繰り返しません。ただ、被告は先の証言で、「2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と述べていることに注意していただきたいと思います。田口裁判長は、そのことと関連して、被告に以下のような質問を行いました。
(田口裁判長)今、「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
(被告)いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
(田口裁判長)それは同じ日のことなんですか。
(被告)同じ日というか…。
(田口裁判長)出張に出ていたんですよね。
(被告)戻った日ですね。
(田口裁判長)戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
(被告)いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。
(被告調書25~26p)
被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。
① 被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
② 「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が「待機」の状態であったり、「強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③ 被告は、「15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。
ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が「待機」の状態にあり、「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④ 被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。
これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずです。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。
結局、被告は、自分で乙10号証の1と2を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁(わきま)えておかなかったわけです。
以上の点によって、被告の偽証は明らかです。
F.「私は職員ではありません」発言について
被告は、被告の「陳述書」の中で、「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です」(7 p)と述べていましたが、それに対して原告は、「準備書面(Ⅱ)―2」において、詳細に反論を述べておきました(25~26p)。
また、さらに原告は、被告がそうした虚偽の陳述をしたことについて、その理由を、「多分被告は、後に『任用問題が発生して以降急に、原告はそれらの文章の中で自らを『財団職員である』と記述し始めるなど、原告の言動や文章表現には感情の露見や言説の取り繕いがしばしばみられますが、』(8ページ38~39行目)と書いて私の矛盾を露呈させる、その伏線を仕掛けておくつもりだったのでしょう。しかしもちろん私は、任用問題にかかわる文書の中で、『財団の職員である』などと主張したことは一度もありません。」(「準備書面(Ⅱ)―2」26p)と指摘しておきました。
しかしこの度、被告は、被告代理人による本人尋問の際に、原告の反論と指摘を全く無視して、以下のような証言を行いました。
(被告代理人)それから、その会話(※引用者注・5月2日の会話)のときに、あなたの口から亀井さんに対して、職員ではないとはどういうことかと、立派な職員ではないかと、財団の一員ではないかと、こういう話をしたというふうに亀井さんはおっしゃっていますが、こういう発言をしたことはありますか。
(被告)あります。
(被告代理人)これは、どういう脈絡の中で発言をしましたか。
(被告)亀井さんが、その仕事は、私は嘱託員なので私がやっていいのかということでしたので、嘱託員であっても財団の職員であるので、亀井さんに担当してほしいという話をいたしました。
(被告代理人)逆に、あなたのほうでは、そもそも亀井さんが私は職員ではないというような発言をしたことは聞いているんですか。
(被告)ええ、亀井さんが、私は職員ではありませんからと言いました。
(被告代理人)その発言を聞いて、あなた、どう感じましたか。
(被告)非常に驚きました。同じ机を並べてお給料をもらって仕事をしている職員が、職員ではないというふうに話しましたので、非常に驚きを持って接したのを覚えています。
(被告調書5~6p)
① しかし被告は、原告の反論に対して、証拠に基づく再反論をすることができませんでした。また、仮に5月2日の打合せの内容に限ってみても、被告は、自らの記憶もしくは記録によって、いったいどのような文脈でその日の話が行われたのか、また、どういった会話の前後関係の中で〈原告が「私は職員ではありませんから」と言った〉のか、再現することは出来ませんでした。要するに被告は、被告代理人と謀って、根拠を示すことの出来ない証言を法廷の場で繰り返しただけだったのです。
② 被告は「陳述書」7pにおいて、「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは」と、原告の帰属意識を問題にしていましたが、他人の帰属意識をあげつらうのは他人の内的な価値観や生活意識に対する干渉であり、人格権の侵害です。まして、公務員である被告が、民間人である原告の、財団に対する帰属意識をあげつらうのは、全く筋違いな内面干渉です。このような越権的な視点から人物評価的な言動を行うなどという行為は、許されることではありません。
③ 被告は、筋違いな、かつ、越権的内面干渉に関わる根拠のない証言を、「陳述書」のみならず、法廷で繰り返しました。
以上の諸点に照らして、Fに引用した被告の証言の偽証性と違法性は明らかです。
G.「労災」の問題について
この度の尋問では、原告が「労災」に入っていたか否かについて、被告代理人と被告とのあいだで、以下のような応答がありました。
(被告代理人)それから、平成18年度の4月以降、亀井さんには労災の適用に関してはどういうふうになっていましたか。
(被告)4月に私が着任したときに、亀井さん…。
(被告代理人)結論だけでいいです。
(被告)そのときには知りませんでした。ただし、後で規程を読み返して、規程の中に労災に入っているというふうにきちんと明記されていることを後で知りました。
(被告調書7~8p)
この被告代理人の質問は、〈平成18年5月10日〉の「年休」に関する話の流れから、平成18年度の文学館における原告の身分・立場等の扱いについて言及したものですが、おそらく、この証言内容は、被告「陳述書」の「『石川啄木展』開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件」(7p)において、被告が〈原告は残業と手当の支給を伝達されたにもかかわらず平然と帰宅してしまった〉と主張したことにも関連するのだと思われます。要するに、被告側は、〈原告は他の職員と同様に労災に加入し、つまり正職員と同様の扱いを受けているにもかかわらず、他の職員並みの義務を果たそうともせずに勝手に帰ってしまった〉と主張したいのだと思われます。
そしてまた一方では、この「労災」加入の証言は、被告が帰宅間際の原告を足止めしたり、被告が平成19年2月に原告が展示設営のため夜間遅くまで超過勤務をせざるをえない原因を作ってしまったことについて“特に何の問題もない”と主張するための、巧妙な伏線でもあるのだろうと思われます。
しかし、以下の理由から、被告の証言には信憑性に欠け、その主張も根拠薄弱なものでしかありません。
① 原告は、財団法人北海道文学館の職員の誰からも「原告は平成18年度、労災に入ることになった」ということを告げられませんでした。安藤副館長が原告に、平成18年度から嘱託職員には形式上の年休がなくなった(つまり、本来の扱いに戻った)と説明してくれた時にも、労災に関する話はまったく出ませんでした。また、業務課からも、労災加入の話はありませんでした。
もしも、本当に被告と被告代理人が言うとおりだったならば、財団の職員は、原告に対して、新たな条件が発生したことを告知する義務を怠ったことになります。
② また、もし被告が、本当に文学館の規程を見て〈原告は平成18年に労災に入っていた〉という事実に気がついたと主張するならば、被告はそれを示す証拠(財団が原告のために労災の負担金を支出していた証拠、等)を添えて、原告の主張に対する反論を裁判所に提出すべきでした。
去る7月9日の口頭弁論において、田口裁判長が被告代理人に「新たな証拠や反論の用意があるか」と質問したところ、被告代理人は「いえ、ありません」と答えました。つまり、少なくともこの時点までは、被告は、嘱託職員の労災に関する規程に気がつかなかったか、あるいは気がついていても、規程通りのことが行われている証拠を挙げて原告に反論することが出来なかった、ということになります。
③ 被告は被告の「陳述書」において、「例をあげれば、『石川啄木展』開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件を挙げることができます。この日は『カルチャーナイト』という札幌市全域で展開された共通イベントの日で、当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である『石川啄木展』のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画となっていました。職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当ての支給を伝達したのですが、原告は、『私は職員ではありませんから』と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです」(7p)と陳述しています。しかし、これが被告の悪意ある虚構でしかないことは、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」で、甲78号証の証拠を挙げ、詳細に論駁しておきました(26~28p)。
Ⅱ章第3項のFで取り上げた〈原告の「私は職員ではありません」発言〉は、このような、被告自身の虚偽の作文に基づいたものでしかありません。
また、被告の上記の陳述は、10月13日と14日の出来事を、故意に7月21日の出来事にすり替えた虚偽の陳述ですが、10月13日から14日にかけての出来事については、原告は「その翌日の14日、私がN業務主査と顔を合わせた時、私が前日のことに関して何も言わないうちに、N主査が『昨日は5時になっても忙しくて、すぐに上に上がってこれなかったの。ごめんなさいね』と言ってくれたので、この言葉によって、やはり業務課は私に居残りなど求めていなかったのだ、ということが明らかになりました」(「準備書面(Ⅱ)-2」27p)と記述しておきました。このN主査の言葉は、少なくとも業務課内では〈原告を退勤時間過ぎまで足止めをすることがないように〉という認識が行き渡っていたことを証明するものです。
④ 被告「陳述書」における、「7月21日(金)の勤務に関して、……職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当ての支給を伝達したのですが、」という箇所は、被告が作文した虚偽の陳述ですが、仮に被告が述べるような場面がありえたとしても、それは平成18年度の初めての事例(そして、原告にとってはまったく初めて)となります。ですから、もし人員配置を検討していたのが本当に川崎業務課長であり、業務課長自身が原告に残業をさせようと計画していたならば、少なくとも数日前には、課長の方が原告に、「あなたは労災に入っていますから、財団が作成した残業依頼簿に署名捺印してくれれば、万が一残業中の原告に事故があったとしても労災が適用されます」との説明を行ったはずです。
しかし、それに類する説明を原告が受けたことはありませんでした。
以上の諸点に照らしてみれば、平成18年度に原告が労災に入っていたという被告の証言の信憑性は、極めで疑わしいと言えます。
⑤ たとえ原告が平成18年度に労災に入っていたとしても、被告が原告を勤務時間過ぎまで足止めをしても差し支えないという理由にはなりません。嘱託としての原告の勤務時間が〈週28時間〉だという条件は、平成16年度以来、どの年度でも変わっていなかったはずです。その規定にもとづいて割り振られた、勤務日毎(ごと)の勤務時間を超えて文学館に居残り、仮に事故にあったとしても、それが、たとえば単に“職場の同僚から足止めされていた”というだけの理由だったならば、労災が適用されるはずはありません。
また同様に、被告が、平成19年2月、原告が非出勤日を返上したり、夜間遅くまで超過勤務をせざるをえなかった状況を作ってしまった事実を正当化する根拠にもなりません。
H.文学館および法務局の調査結果について
法廷において、被告代理人は、まず原告に対して「法務局のほうでは、調査の結果、寺嶋さんにはあなたに対する人権侵害、そういう事実関係はないというふうに結論づけたんですね」(原告調書32p)と念押しのように尋ねました。原告は「はい」と答えました。
その後被告代理人は、被告に対する本人尋問の際に、被告と次のようなやりとりを交わしました。
(被告代理人)それから、文学館自体で、あなたの亀井さんに対するいわゆるパワハラ問題を調査したことはありますか。
(被告)あります。
(被告代理人)文学館のほうとしては、あなたが亀井さんに対してパワハラを行っていたと、そういうような認定はしましたか。
(被告)…館長から私に直接質問をされました。で、私は、その質問に、調査に答え、文学館のほうではパワー・ハラスメントはなかったという結論になりました。
(被告代理人)法務局からも事実調査を受けましたね。
(被告)はい。
(被告代理人)法務局からの結論は、どうなりましたか。
(被告)法務局の結論も、パワー・ハラスメントはなかったという結論でした。
(被告調書18p)
しかし、この被告代理人と被告の間の応答には、下記のような虚偽、もしくは論点のすり替えが隠されています。
① 毛利館長と平原副館長は、実質的に、被告の原告に対するパワーハラスメントがあったことを認めています。なぜなら、原告のアピール文(甲17号証)に関して、平成18年11月10日、原告は毛利館長と平原副館長と話し合いましたが、その結果次の4点の合意に達したからです。
①原告の業務に関する指示は、平原副館長より直接に行う。また、原告が業務について質問等がある場合も、平原副館長に直接相談すればよい。
②原告の、文学碑データに関する仕事については、今年度内は保留とする。原告は今年度末の企画展計画の遂行に全力を尽くす。
③原告の席の場所を、原告自身の要求を容れ、現在の学芸班の位置から非常勤・アルバイト等の人のいる位置(かつての受付業務係が使用していた席)に変更する。
④原告の業務に関する書類は、財団法人北海道文学館の書式に則って作成する。回覧する際は、財団法人北海道文学館業務課の方をまず先にする。学芸班がこれを差し戻す場合は、その内容が明らかに学芸班全体の業務遂行にとって不利益になるか損害を与える場合、もしくは学芸班の業務スケジュールの流れに不都合を生じさせる場合のみとする。(甲18号証より)
この合意事項と、甲17号証の、特に13pの要求事項とを読み比べてみれば、毛利館長と平原副館長が原告の要望と意見を全面的に受け入れたことは明らかです。しかも合意事項の①と②は、話し合いが始まる早々、毛利館長と平原副館長のほうから提案されたものでした。
② 話し合いの席上、毛利館長は、口頭では「皆に聞いたが、誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていた」と言っていましたが、その後、原告が事務室で確かめたところ、A学芸員も、S社会教育主事も、O司書も、館長から何も訊かれておらず、事情も知らないという返事でした。原告が数日後、毛利館長にその事を問いただすと、「いやあ、まあ、それはあんた……」と言葉を濁して、にやにやしているだけでした(甲50号証「面談記録」6p)。文学館で行われた「調査」とはその程度のものに過ぎなかったのです。しかも同じ話し合いの席上、毛利館長と平原副館長は「彼も、なかなかうまくコミュニケーションがとれないんで、だんだん、あんな風に(暴言を吐く)ようになっちゃったんじゃないかなあ」と、暗に被告の原告に対するハラスメントがあった事実を認める発言をしていました(同前・8p)。なお、甲18号証も甲50号証も、それを書き終えた時点で、毛利館長や平原副館長に手渡すと共に、被告にも手渡しました。被告は読んでいたはずです。しかし誰からも、これらの記録に関する訂正の申し込みはありませんでした。
③ 札幌法務局のO調査救済係長は、原告に電話で〈調査の結果〉を伝えてきた際、「調査において確認ができなかった、という場合でも、書類の上では『人権侵犯の事実がないと認め』と書きますので、その点はどうかご承知おき下さい」と、原告に了承を求めてきました。
④ 原告は平成19年11月12日に、父と法務局を訪ね、上記の結論を出すに至ったプロセスを尋ねました。しかし、調査を担当したO調査救済係長は、「守秘義務」を理由に、調査の範囲や収集した判断材料については口を閉ざしたままでした(甲100号証)。調査範囲や収集した判断材料を明らかにしない結論は、調査結果の名に値しません。
⑤ 原告は調査を依頼するに当たって、O調査救済係長に、「道立文学館における嫌がらせ、及びそれをパワー・ハラスメントと判断する理由」と題する文書に「別紙1」として『北海道立文学館業務計画書』の「(事務局)組織図」(基本的には甲2号証と同じ)を添えて渡し、文書の中で「それに従って説明すれば、寺嶋弘道主幹は『道直轄組織』である学芸課の駐在道職員であり、その位置は『組織図』における『学芸課長(予定)』に相当し、彼の下に、同じく駐在道職員の学芸員が2人附いている。それに対して亀井志乃研究員は財団法人北海道文学館に属するが、しかし正職員ではなく、非常勤の嘱託職員である。その意味で亀井志乃は、けっして寺嶋弘道の『部下』ではない」と説明しておきました。
しかるに、11月12日、原告がO調査救済係長に〈寺嶋主幹(被告)と亀井志乃(原告)との関係は、上司と部下の関係と考えるか〉と質問したところ、「考える」という返事でした。
原告は、〈どういう根拠で、法務局は、被告が原告の上司なることは地方公務員法に抵触せず、人事院規則にも北海道人事委員会規則にも抵触しないと考えたのか〉と疑問に思い、その理由を尋ねましたが、O調査救済係長は沈黙したままでした。そこで原告は、〈寺嶋主幹(被告)は亀井(原告)に対して無礼な態度を取り、侮辱を加えてきた。普通の市民同士の間では許し難い人権侵犯であるが、職場において同様なことが行われているにもかかわらず、職場ならば『人権侵犯に当たらない』と判断する理由は何か〉と重ねて質問しました。ところが、O調査救済係長は、この問いにも沈黙を守ったままでした(甲100号証)。
しかし、こうした“判断の根拠を問う”質問に関しては、O調査救済係長は、〈守秘義務〉にはまったく抵触することなく答えることができたはずです。
⑥ 法務局のO調査救済係長は、〈守秘義務〉を理由に、調査の範囲や調査方法、被告を原告の上司と判断した理由等については口を閉ざしたままでしたが、原告が調査委依頼の時に挙げた、〈被告の原告に対する行為事実〉(この時挙げた事実は原告の3月5日付「準備書面」と同じ)については、そのほとんどが事実であったことを認めました(甲100号証)。これらの行為事実が認められたということは、すなわち、O調査救済係長が示した「法務局の(人権侵犯があったと認定する)判断基準」(甲100号証2枚目)の基準「本来の業務の範疇を超えている」・「継続的」・「働く環境の悪化と雇用不安」の3点と合致していることを意味するはずです。
⑦ 「本来の業務の範疇を超えている」と「働く環境の悪化と雇用不安」は、ハラスメントの定義を構成する概念ですが、「継続的」は、ハラスメントを一つひとつ個別的に判断するだけでなく、累積的に乗じてゆく量刑方法上の概念だと思います。
ところが、O調査救済係長の説明を聞いていると、法務局は被告の行為を一つひとつ個別的に検討し、しかもその一つひとつを、〈程度問題〉という、御都合主義的、かつ恣意的に基準を変え得るとらえ方に基づいて、判断を下したようです。つまり、累積的量刑方法ではなく、個別還元主義的な方法をとったわけですが、これは「継続的」という基準の反対であり、さらに言えば、基準の放棄でしかありません。
⑧ しかし札幌法務局は、結局、被告の行為事実は〈パワーハラスメントには当たらない〉と判断しました。原告は、法務局の調査方法や判断の仕方が納得できなかったので、証拠に基づいて事実を明らかにし、その事実に基づく客観的で法的判断の基準に適った判決を求めて、本裁判を起こすことにしました。
原告は、本裁判の結論が、この条件を満たしていることを強く希望します。
⑨ 原告は平成18年11月10日、パワーハラスメント・アピールの件で、毛利館長及び平原副館長と話し合いましたが、その際、毛利館長は、被告から事情を聞いたとは一言も言いませんでした。
しかも毛利館長は、原告からの事情聴取さえも行っていません。仮に被告から話を聞いたとしても、原告の事情聴取を行わない調査は、調査の名に値しません。
⑩ ちなみに毛利館長は、かつて、被告と同様に、道立美術館に勤務していたことがありました。川崎業務課長とN主査は、平成18年度から財団の職員となりましたが、それ以前は道の職員でした。また、S社会教育主事とA学芸員は、被告と同じく道立文学館に駐在する〈文学館グループ〉の道職員です。原告は、このような人間関係の中の調査では客観的な結論を得ることは難しいと考え、毛利館長に「外部の第三者を交えた調査委員会を作って調査をしてほしい」と要求しました(甲52号証)。しかし、それに対して、毛利館長は原告との対応を拒否してきました(同前)。
以上の理由により、法務局の判断は信頼できるものではありません。また、この件に関する被告の証言には偽証の疑いがあります。
【亀井秀雄注:10月31日の法廷において、被告代理人の太田弁護士はパフォーマンス豊かに、声を張り上げて、「労災」問題と、法務局の調査結果を取り上げ、被告の寺嶋弘道から証言を引き出していた。亀井志乃の訴えを退ける、重要なカードと考えたのだろう。
しかし、平成20年12月16日付の「準備書面(4)」では、いずれの問題についても全く言及していなかった。
札幌法務局のO調査救済係長の仕事ぶりがどんなに杜撰で、不誠実なものであったか、「北海道文学館のたくらみ(25)」の「○法務局の対応」で紹介しておいた。その内容は1問1答形式で、O調査救済係長の対応を紹介したものであるが、亀井志乃は、そのノートを証拠物として裁判所に提出してある。太田弁護士は、いざ、最終準備書面を書こう、という段取りになって、そのノートのコピーを見、こんな調査内容では被告に有利な証拠としては使えない、と判断したのかもしれない。
その他、「E.デュオ展の展示設営時の状況について」の問題に関しても、被告側は「準備書面(4)」では何も言及しなかった。
○太田弁護士の加担表明
ただ、田口紀子裁判長の被告に対する尋問について補足するならば、寺嶋弘道は彼の「陳述書」(平成20年4月8日付。ただし、実際の提出は同年4月16日)の中で、「逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。」(5p)と、亀井志乃の行動を描き出した。
田口裁判長はその証言の信憑性を確かめるために、亀井志乃が「最終準備書面」に引用したような尋問をしたわけだが、寺嶋弘道の証言は全く曖昧だった。
他方、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日付)の中で、寺嶋弘道の「陳述書」における先の記述を次のように批判した。
《引用》
このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます。(19p)
既にこのような亀井志乃の反論があり、10月31日の公判においては被告の寺嶋弘道は田口裁判長の尋問にはまともに答えることができなかった。
ところが太田弁護士は、最終準備書面たる「準備書面(4)」の中で、亀井志乃の批判に反論をすることなく、寺嶋弘道被告のしどろもどろに関しても何一つ釈明をすることなく、いわば知らぬ顔の半兵衛で、「原告自らが原告の業務と認識しているもの以外は、原告の業務と密接不可分のものであっても原告の業務とは認めない。原告が主担当の業務についてさえ他の者が残業をしてまでもそれを遂行しようとしているにもかかわらず、自らは先に帰宅するという行動を取る。」(2p)と、寺嶋弘道の嘘をそのまま繰り返した。
つまり太田弁護士は、寺嶋弘道が「陳述書」と法廷において、亀井志乃の人格や業務態度を貶めるために虚偽の証言をし、人格権の侵害を行ったことをそのまま肯定し、彼自身も依頼人・寺嶋弘道の偽証と人格権侵害に加担する意志を表明したのである。
○平成18年5月2日のこと
そのことに関連することだが、「F.『私は職員ではありません』発言について」で、なぜ亀井志乃が②のような主張をしたのか。今回は、その経緯の説明を中心に補足説明をさせてもらいたい。
それは、なぜ寺嶋弘道が〈亀井志乃は「私は職員ではない」と発言した〉などという虚偽の証言をしたか、その理由の説明にもなるからである。
亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、平成18年5月2日――被告の寺嶋弘道が道立文学館に着任して約1ヶ月後――の出来事を次のように描いた。
《引用》
(2)平成18年5月2日(火曜日)
(a)被害の事実(甲13号証を参照のこと)
(前略)それから約1ヶ月後の5月2日(火曜日)、原告は被告から「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」と声をかけられ、館長室で、学芸副館長を交え、三人で話し合った。被告が持ち出した話は「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい。原告が企画書を書き、中心となって、その仕事を進めて欲しい」という内容で、写真の集め方は明らかにケータイ・フォトコンテストを前提にしていた。
しかし、そのデータベースは市販のパソコンソフトを利用したものではなく、業者に発注してプログラミングしてもらったものであり、使用画像の大きさ・画素数や、データ1件の画像数を1枚とする等のフォーマットが、あらかじめ決まっていた。
フォトコンテストを行なうとすれば、まだ画像のない文学碑のフォトだけでなく、むしろ人気の高い文学碑のフォトがたくさん集まる可能性が高い。また、携帯端末機に付随する写真機の性能によっては、画像の画素数もまちまちとなる。それらの応募画像を検索機に載せることになれば、再び業者にフォーマットを作り変えてもらわなければならず、少なからぬ経費が必要となる。また、コンテスト自体、おそらく文学館にとって大きなイベントとなり、予算をつけなければならない。(以上、この段落の内容については甲14号証を参照のこと)
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、「私はそういうことが出来る立場では…」と言いかけた。
ところが、その途端、被告が原告の言葉を遮り、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と問い詰めはじめた。原告は、自分の立場は嘱託職員であることを説明した。だが被告は、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と主張をした。
原告は学芸副館長に、原告の立場を被告に説明してくれるように頼んだ。学芸副館長は「前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担をしようということになった」と言った。しかし原告は、前年度の3月に、安藤副館長から、従来通りの嘱託員に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われ、それ以後誰からも、原告の身分が変わったと伝えられたことはなかった。学芸副館長がいう「スタッフ」という役職名は財団法人北海道文学館の規程のどこにも見られない。その意味で、学芸副館長の説明は嘱託職員の実態を適切に説明したものとは言えなかった。(3~5p)
またしても少し長い引用になったが、以上のことについて、被告側は、まず5月2日の発言に関しては、「その打ち合わせの際、実施に当たっては引き続き検討しなければならないいろいろな課題があることが明らかとなったので、引き続き原告にその解決に向けどのようなことが必要となるかを継続して検討し企画書としてまとめるよう、原告に対して平原学芸副館長とともに指示した。」(「準備書面(2)」2p)と主張した。ところが10月28日の個所においては、「この時の被告の発言は、5月2日の打ち合わせにおいて原告が担当者となって一般公募による写真収集の企画案をまとめることとなっていた、と述べたものであり、『サボタージュ』との発言も原告自身が口に出した言葉である。」(同前9p)と書いている(太字は引用者)。
しかし、これでは話の辻褄が合わない。そこで亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-1」で次のように批判した。
《引用》
先の「企画書」と、ここに言う「企画案」とは明らかに性格が異なる。前者の「企画書」は課題解決のためのものであり、後者の「企画案」は写真収集の方法に関するものだからである。この矛盾によって、被告の主張が虚偽であることが一そう明らかとなったと言えるだろう。
仮に5月2日の「企画書」、又は10月28日「企画案」を作ることが、原告と被告及び平原副館長との間で合意されていたとしても、それは被告の「間もなく降雪により文学碑が埋もれてしまうことなどから、この日原告に対し、企画検討の進捗状況を問い質したものである。」という説明と矛盾する。10月28日に被告が原告に主張したのは、「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ことだったからである(甲17号証)。「原告が文学碑の写真を撮ってつけ加えてゆくことが決まっていた」ということ自体が被告の虚偽なのであるが、原告が「企画書」あるいは「企画案」を作成することと、原告が写真を撮りに行くこととは作業の性質が異なる。被告が虚偽に虚偽を重ねた矛盾が、ここに露呈してしまったと言うべきである。(37p)
この批判に対して、被告側の反論はなかった。反論できないため、テープレコーダーにこだわり、「普通じゃない」の表記にこだわって、論点を誤魔化す策戦に出たのであろう。
ただし、私が5月2日の箇所を引用したのは、以上のことを言うためだけではない。
○執拗な虚言
先の5月2日の場面で、亀井志乃は「自分の立場は嘱託職員であること」を説明した。また、平成20年3月5日付の「準備書面」では、5月2日の箇所に関して、「原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた。」(5p)と書いた。
これは誰にも納得できる、常識的な考え方だと思うが、寺嶋弘道や太田弁護士によれば、それは間違った考えであり、矯正すべき思想となってしまうのである。
まず「自分の立場は嘱託職員である」という亀井志乃の主張は、太田弁護士の「準備書面(2)」(平成20年5月14日付)によって、次のようにすり替えられてしまった。
《引用》
この打ち合わせの時、原告から自分が担当であってよいのかについて質問があったので、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展示の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。ところが原告から、自分は財団職員ではないとの発言があったため、被告と平原学芸副館長から、原告は嘱託員として発令された身分であっても財団法人北海道文学館(以下、「財団」という)の職員であり、新年度から導入された指定管理者制度のもとで総員態勢で事業の実施にあたる旨の説明を行ったものである。(3p。太字は引用者)
亀井志乃はこの不当なすり替えに対して、次のように反論した(「準備書面(Ⅱ)―1」平成20年5月14日付)。
《引用》
(2)同第5段、第6段、第7段
被告は、「この打ち合わせの時、原告から自分が担当であってよいのかについて質問があったので、前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。」と言うが、この文の主語が明らかではない。もし被告が主語ならば、被告に「指示する」権限はない。そもそも被告は話し合いの場において、「前年度まで原告がこの文学碑データベースの作成を担当していたこと、常設展の映像展示物の更新作業であることから常設展副担当の原告に継続して担当するように」という意味の発言を一度もしなかった。この個所は被告の自己合理化のために後日に作文したものである。
被告は、原告が「私はそういうことが出来る立場では……」と言いかけた途端、原告の発言を遮って、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」と、声を荒げて問い詰めてきた。被告は、「原告から、自分は財団職員ではないとの発言があったため」と言うが、これは虚偽の主張であって、原告は「自分は財団職員ではない」という意味の発言をしたことはない。原告は、身分上の問題に関しては、「自分は嘱託の身分である」旨の返事をしただけである。
被告はそれに対して、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と声を荒げて力説するのみであったが、このような主張は、嘱託という身分に伴う社会的不利益や、それを代償として持ち得る権利とをことさら曖昧にして、「立派な財団職員」という美名によって(正職員に与えられる権利を伴わない)義務意識だけを押しつけようとするレトリックであり、それ故そのように主張すること自体がすでに「立派な」人権侵害なのである。(14p。太字は引用者)
太田弁護士はこの反論に答えることをしなかった。だが、太田弁護士は、自分が再反論できないからといって、そのまま引き下がるようなヤワな弁護士ではない。
彼は寺嶋弘道の「陳述書」(平成20年4月8日付。ただし実際の提出は4月16日)で、「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」(7p)という嘘を書かせ、平原一良副館長の「陳述証」(同前)の中でも、「ただ、その折に、スタッフが協調して仕事を進めていくべきだとの一般的な話題の展開のなかで、亀井志乃氏は『私は財団のスタッフなのか』との言葉を思いがけなくも発しました。」(4p)と嘘を書いてもらった。
もちろん亀井志乃はそれらについても、「準備書面(Ⅱ)―2」と「準備書面(Ⅱ)―3」で詳細に反論をし、寺嶋弘道も平原副館長も再反論をすることはできなかった。
ところが太田弁護士は、10月31日の法廷において、またもや「亀井さんが私は職員ではないというような発言をした」という虚言を、誘導尋問的に寺嶋弘道に語らせたのである。
○職業倫理とその成果の否認
なぜ、彼らはこれほど執拗に、亀井志乃が「私は職員ではありません」と発言したことにしたいのだろうか。それを解く鍵は、寺嶋弘道の「職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは、原告がたびたび口にした『私は職員ではありません』という発言です。」という虚言にある。
要するに問題の根本は亀井志乃の帰属意識にある、と言いたいらしいのだが、何という思い上がった発想だろう。亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、「原告は嘱託職員の立場を、『一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の仕事を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる』立場と理解していた」(5p)と書いた。これは誰にも異存のない、至極まっとうな職業倫理だと思うが、しかし太田弁護士と寺嶋弘道は――ひょっとしたら平原副館長も――これを読んで、〈この言葉を利用して、亀井志乃の「帰属意識や仲間意識の欠如」の証拠にすり替えてしまおう。上手くやれば、それを理由に挙げて、道義的な口吻で亀井志乃を非難し、寺嶋弘道がやったことを正当化できる〉と計算したのかもしれない。
寺嶋弘道は「陳述書」の中で、このようなことも言っていた。
《引用》
とりわけ原告が自分の立場の論拠としている嘱託員の職務内容は、「嘱託員任用にかかる取扱要項」に明記されているとおり、「嘱託員の職務は文学館の文学資料の解読・翻刻等の業務及びその他の業務とする。」であり、まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻業務が原告の中心的な任務であったにもかかわらず、平成18年度は当館に対して業務報告の一つとしてなされていませんでした。この点をもってしても文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません。(3p)
しかし亀井志乃は平成18年度、「二組のデュオ展」の中で、17点の書簡資料を公開したが、H氏より借用した木田金次郎関係書簡9点中6点と、K氏より借用した里見弴の中戸川吉二宛書簡4点はこれまで未発表の資料であり、彼女が全文解読の作業を行った。また、木田金次郎関係書簡の残り3点もこれまで部分的にしか紹介されておらず、彼女が全文を解読して紹介をした。さらに、北海道立文学館所蔵の有島武郎書簡3点のうち1点も、全集未収録で解読はなされておらず、今回はじめて、その翻刻が亀井志乃によってなされた。それらはいずれも、同展の図録(甲63号証)にも再録してある。
その他にも亀井志乃は、「二組のデュオ展」の図録と、『釧路新聞』に、関連する論文を書き、彼女の退職後、川崎業務課長がその報告書をとりまとめて、北海道教育委員会にも提出している。(甲64号証)
寺嶋弘道は以上のことを全く無視して、上記のような嘘を吐き、さらに嘘の上塗りみたいな形で、「文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません」という人格非難を重ねていた。それだけでも十分に人格権侵害に相当する名誉毀損の行為であるが、恐ろしいことに、寺嶋弘道という、この道教委の公務員は、「組織に対する帰属意識」だの、「組織への貢献心」だのと、他人の内的な価値観――しかも民間の一市民の内的な価値観――にまで踏み込み、それをあげつらうことが許される、と考えているのである。
亀井志乃はその点に関しても、次のように批判しておいた(「準備書面(Ⅱ)-2」)。
《引用》
それにもかかわらず被告は、私の業務に関して「確たる成果や業務報告のないまま」と決めつけている。被告は私の業務に極度に無関心であるか、あるいは故意に無視(ネグレクト)しているか、いずれにせよこの決めつけ方は、私に対する名誉毀損というほかはありません。
おまけに被告は、「まず第一に第(8)項の文学資料の解読・翻刻が一つとしてなされていませんでした。」と事実無根のことを言挙げして、そこからいきなり「文学館業務に対する原告の姿勢、なかんずく組織への貢献心を疑わざるをえません」(乙1号証3ページ25~26行目)という極論を引き出してくる。この強引な理屈は、他人の実績には目もくれず、組織に対する忠誠心や貢献度だけを勤務評定的にチェックする、いかにも中間管理職的な論理というほかはありませんが、被告が好んで振り回す「組織」論や「組織人」の正体がこれであること、それをしっかりと認識しておきたいと思います。
ちなみに、北海道立文学館指定管理者・財団法人北海道文学館が道に提出した平成18年度の『業務報告書』には、被告が主担当だった「池澤夏樹展」の「実施報告書」が入っていません。何故でしょうか。(7~8p)
亀井志乃は嘱託職員としての正当な職業倫理に基づいて、一定の業績を挙げた。
他方、寺嶋弘道という北海道教育委員会の公務員は、他人の帰属意識をあれこれとあげつらいながら、亀井志乃が副担当の啄木展に手を出して大幅に予算を超過し、自分が主担当の企画展を中止してしまい、もう一つ自分が主担当だった特別展については「実施報告書」を出していない。
寺嶋弘道の職業倫理はよほど特殊なものらしい。
○内的な価値観への干渉
だが、寺嶋弘道という公務員は、自分に対する批判は無視してしまう。というより、自分の傲慢さには気がつかないタイプなのかもしれない。10月31日の公判においても、まだ、ぬけぬけと、「それ(亀井志乃の考え方)を正さなければならないというふうに、私は当時思っていたと思います。」(被告調書13p)と語っていた。
亀井志乃は「最終準備書面」(平成20年12月12日)において、「被告は『陳述書』7pにおいて、『職場に対する帰属意識の希薄さを私が最も強く感じたのは』と、原告の帰属意識を問題にしていましたが、他人の帰属意識をあげつらうのは他人の内的な価値観や生活意識に対する干渉であり、人格権の侵害です。まして、公務員である被告が、民間人である原告の、財団に対する帰属意識をあげつらうのは、全く筋違いな内面干渉です。このような越権的な視点から人物評価的な言動を行うなどという行為は、許されることではありません。
被告は、筋違いな、かつ、越権的内面干渉に関わる根拠のない証言を、『陳述書』のみならず、法廷で繰り返しました。」(50~51p。太字は引用者)と指摘しておいた。
彼女がこのように指摘しておく必要を感じた理由は、以上の点からもよく分かるだろう。
○太田弁護士が暴いた財団と被告の憲法違反
ところが、太田弁護士は平成20年12月16日の「準備書面(4)」においても、まだ、
《引用》
(3)財団という組織を運営するためには、その構成員である職員が帰属意識と忠誠心を有して勤務するのは当然のことであり、事実上の部下である原告にその意識を持たせるべく指導することは原告の事実上の上司である被告の本来業務である。(4p。太字は引用者)
と主張している。
私はこれを読んで、つい吹き出してしまった。「組織」だの、「構成員」だの、「忠誠心」だのと、ずいぶん仰々しい言い方をして、まるでナントカ組の「掟」みたいだな。
だが、笑いが収まるとともに、唖然としてしまった。この人、本当にそう確信してこんなことを書いたのだろうか。
寺嶋弘道が財団に駐在する「本来業務」が、亀井志乃に「帰属意識と忠誠心を持たせること」だったとは、今回初めて聞く主張だ。
「本来業務」とは奇妙な言い方だが、「本来」と言うからには、その職の中心的な業務を意味するはずである。よもや「付随的な」とか、「やってもやらなくてもよい」とかという意味ではあるまい。
とするならば、その「本来業務」は寺嶋弘道の公務員としての業務ではあり得ない。なぜなら、彼自身が10月31日の法廷で証言したように、北海道教育委員会からは「辞令書1枚」をもらっただけであり、それ以外の指示を受けたこと――例えば財団の嘱託職員(亀井志乃)の上司となる――を証明することができなかったからである。また、財団と道教委との間で結ばれた「協定書」の中にもそのようなことは一言も書かれていないからである。
にもかかわらず、被告が上記引用の如き「本来業務」を主張するとすれば、それは、財団法人北海道文学館が寺嶋弘道に対して、〈財団で働く市民の内的な価値観や職業倫理に干渉して、帰属意識と忠誠心を持つように指導する〉ことを依頼したことを意味する。すなわち財団は亀井志乃に対して、――駐在の道職員たる寺嶋弘道の手を借りて――憲法が保障する信条の自由を侵害し、帰属意識と忠誠心という服従意識を強制しようとしたわけである。
言葉を換えれば、財団のやったことは明白に憲法違反の行為であるが、寺嶋弘道という公務員は財団の依頼を受けて、憲法違反を自分の「本来業務」として引き受け、積極的な遂行にこれ努めてきた。被告は先に引用した文章で、そのように主張したのである。
太田三夫氏も弁護士である以上、依頼人の意を受けて、先に引用した文章を書いた時、その文章が上記ように解釈され得ること、また上記のようにしか解釈され得ないことを、十二分に承知していたはずである。かくして、寺嶋弘道被告は、太田弁護士の筆を借りて、自分が憲法に違反する人格権の侵害を行った事実を、声高らかに主張したのである。】
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