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北海道文学館のたくらみ(49)

亀井志乃の「最終準備書面」その2

【○太田弁護士の本末転倒
 前回は、「Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について」を紹介した。
 ここで取り上げた問題は、亀井志乃が「訴状」以来、常に言及してきた問題であるが、被告代理人の太田三夫さんはまことに不思議な弁護士で、最終準備書面の「準備書面(4)」に至るまで、ついに一度も被告が公務員である事実に言及することもなければ、法律問題に相渉ることもなかった。
 この問題については、被告の寺嶋弘道自身でさえ、10月31日の法廷では、「財団の職員を指揮命令する立場には私はないと思います」と認めざるをえなかった。つまり、公務員である被告が民間財団の嘱託職員の亀井志乃の上司となることは許されていないことを知っており、そのため、「自分は北海道教育委員会の教育長から、指揮監督する立場を与えられた」とか、しかし「直接教育長から指揮や指示を与えられたことはない」とか、いや、実際は、文学館に着任後、毛利館長から要請されたのだとか、支離滅裂な証言を行う羽目に陥ってしまった。おまけに、平成18年4月1日(土)に文学館へ顔を出してから、4月18日の全体職員会議まで、「20日近く、そのことを……(毛利館長と)議論をしていました」と、物理的に不可能なことまで口走って、おのが証言の偽証性をさらけ出してしまったのである。
 
 私の素人判断によれば、一番大事な弁護士の仕事は、原告が挙げる「被害の事実」に関して、被告側の具体的な証拠と記憶に基づいて原告の主張を覆すことにある。
 ところが太田弁護士は、「準備書面(2)」以来、そういう基本的な仕事はほとんど放り出してしまい、最終準備書面たる「準備書面(4)」の中でさえ、わずか7ページの文章中、わざわざ1ページを割いて亀井志乃の「独自の発想」とやらを論じている。その内容は、被告の「陳述書」と平原一良の「陳述書」の受け売りでしかない。二人の「陳述書」がどんなに虚偽と中傷誹謗に充ちているか、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」「準備書面(Ⅱ)―3」で詳細に指摘しておいたが、太田弁護士はそんなことは一切お構いなし。二人の受け売りをした上で、またしても、
原告の事実上の上司として、原告の業務内容を指揮・監督し執行管理することとなった被告(1p)などと書いて、「事実上の上司」を蒸し返している。それだけではまだ気が済まないらしく、今回は「原告は被告の事実上の部下である」という言い方まで加え、13回も繰り返した。

○太田弁護士、打つ手なし
 被告の寺嶋弘道は、前回に紹介したように、10月31日の法廷では
「学芸の業務のとりまとめ役」「学芸班のとりまとめ役」という言い方をし、「事実上の上司」という言葉は使わないようにしていた。「事実上の上司」という主張は、既に亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」で論破されてしまっている。被告と太田弁護士が相談して、「事実上の上司」という言葉を避ける策戦に出たのであろうが、田口裁判長と亀井志乃の尋問で化けの皮をぼろぼろに剥がされてしまった。太田弁護士としては、亀井志乃の論破を証拠に基づいて覆す術もなければ、論理的に覆す能力もなく、もはや破れかぶれ、開き直って、またぞろ「事実上の上司」を連発することにしたのであろう。
 多分太田弁護士は、被告/原告=上司/部下という図式に固執する以外に、知恵が尽きてしまったのである。
 ただし、「事実上の上司」の復活は、単に10月31日以前の主張に後戻りしただけの意味に止まらない。10月31日の法廷において、被告がああいう証言をした以上、今回の「事実上の上司」は、被告が法廷における証言を翻し、法廷での証言と矛盾することを主張したことを意味する。すなわち今回の「事実上の上司」は、法廷の証言が偽証であり、それと共に、今回の主張も偽証であることを裏づける証拠にしかならないのである。弁護士である以上、太田弁護士はそのことを十分に承知して、「事実上の上司」の復活と再連発に踏み切ったのであろう。
 
 それにしても
「原告の事実上の上司として、原告の業務内容を指揮・監督し執行管理することとなった被告」とは、何ともけったいな表現だ。もしそれを言うなら、「原告の業務内容」ではなくて、「原告の業務」でなければならないはずだが、それ以前の問題として、亀井志乃の「業務内容」を「執行管理する」とは、一体どういう行為を意味するのか。
 主語と述語の整った文章に直してみるならば、「寺嶋弘道が亀井志乃の業務内容を執行管理する」となる。そして具体的な事実の即して見るならば、たしかに寺嶋弘道は、亀井志乃から啄木展の業務を奪って、亀井志乃を啄木展から疎外してしまった。前年度から予算が決まっている「二組のデュオ」展に関して、主担当の亀井志乃の予算執行に干渉してきた。「原告の業務内容を執行管理する」とはそのことを指すのかもしれない。とするならば、太田弁護士は寺嶋弘道が亀井志乃の業務を妨害してきた事実を認めたことになるわけである。

○太田弁護士の致命的な偽証行為
 ここで、法廷における証言の重さについてふれておくならば、被告本人は法廷の証人席において、裁判長から「本人が虚偽の陳述をした場合、制裁が加えられる」旨の説明を受け、その上で、宣誓書を読み、署名をした。その瞬間から、彼の証言は、「準備書面」や「陳述書」よりもはるかに重いものと見なされる。法廷で宣誓をし、署名した上での証言は、取り消しもできず、言い直しもきかない、真実なる言葉としての重みを持つものだからである。
 ところが太田三夫弁護士は、「準備書面(4)」に、
財団は、平成18年4月から指定管理者制度のもとで運営されることになり、財団の学芸班に属する原告の事実上の上司を被告とすることが財団で取り決められたが、」云々(2p。下線は引用者)と書いてしまった。これは致命的な失言と言うべきだろう。被告の寺嶋弘道は、それ以前の「準備書面(2)」や「陳述書」はもちろん、10月31日の法廷においても、「財団の学芸班に属する原告の事実上の上司を被告とすることが財団で取り決められた」という意味のことは一言半句も述べていなかった。その点から見れば、この陳述は、法廷における証言を翻す、全く新しい証言なのである。
 しかも太田弁護士は、「準備書面(4)」の中で、財団が何時、どんな規程に従い、どのような手続きを経て、「原告の事実上の上司を被告とすること」を決めたのか、全く説明していない。事実問題としても、「財団が被告を原告の事実上の上司と決めた」ことはない。
 太田弁護士は、前回に紹介した「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(
乙2号証)における、「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という文言を、そのまま「財団が被告を原告の事実上の上司と決めた」という主張の裏づけとするつもりだったのかも知れない。だが、その文言は財団の正規の手続きを経て決定されたものではなく、そうであればこそ、「事実上の」などという多様な解釈が可能な形容句を附けて、いざ責任を問われた場合、いろいろと言い逃れができる保険を掛けておいたはずである。もし本当に財団が正規の手続きを経て決定したことであるならば、――財団がそんな決定をすれば、地方公務員法に違反することを決めたことになるわけだが、その点はさしあたり不問に付すとしても――「事実上の」などという形容句を附ける必要はない。むしろそんな形容句を附けてはならないはずのことだからである。
 太田弁護士の頭の中ではその辺の整理がついていなかったらしいが、以上のような理由により、彼は「事実上の」という形容句に執着したおかげで、「準備書面(4)」の主張が明白に偽証である証拠を残してしまったのである。
 
   前置きがだいぶ長くなったが、以上のことを指摘して、さて、以下に、「Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言」の「第1項 宣誓と〈1箇所の訂正〉について」と、「第2項 被告側準備書面と法廷での主張内容が異なる証言、または、時間等の矛盾が含まれるために主張内容の成立が不可能な証言」のAからDまでを紹介する。2008年12月29日夜】

Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言
第1項 宣誓と〈1箇所の訂正〉について
 被告は、被告代理人太田弁護士の質問に答えて、被告作成の「陳述書」には1か所、誤りがあったことを認め、
学芸部門の事務分掌について打合せをした日にちについて、亀井さんがお休みの日に打合せをしている…ように私書いてしまいましたけれども、そこは、亀井さんからの反論のとおり、別な日にそのことをお話をし、いずれにしても亀井さんの了解を得ているんですが、別な日かもしれません」と証言しました。続けて被告は、被告代理人の「それ以外は、本件で問題になっている事柄に関しては、この乙1号証の陳述書に書かれてあるとおりというふうに聞いていいですか」という質問に対して、はい、それ以外にはありません」と証言しました被告調書1p)。
 
①被告は証言をなすに当たって、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」と宣誓をしました。その後被告は証人席において、被告作成の「陳述書」について、「学芸部門の事務分掌について打合せした日にち」の記述に関する過ちを認める以外は、全て「陳述書」に書いたとおりであると証言しました。このことによって、被告は10月31日の法廷の証人席において、被告の「陳述書」のとおりに――「(平成18年)4月13日(木)には、学芸部門の職員による打合会がもたれました。(中略)原告を含む財団学芸職員2名」、「原告も確認し、組織決定された(後略)」(被告「陳述書」2p)という記述から「原告」を削る、という1点を除いて――証言したことになります。すなわち、被告の「陳述書」は法廷における被告の証言としての資格を得たわけです。
②被告によって、法廷における被告の証言として承認された、この被告の「陳述書」では、原告が「準備書面(Ⅱ)―2」で指摘したように、11項目50点に及ぶ、原告の人格、能力、業務態度に対する誹謗中傷の言葉が発せられています。これは10月31日の法廷で行われた、原告に対する人格権の侵害となります。
③被告によって、法廷における被告の証言として承認された、この「陳述書」の中で、被告は、原告が「準備書面(Ⅱ)―2」で指摘したように、20か所を超える虚偽の陳述を行っていました。そして被告は、①で挙げた1点以外は、全て「陳述書」記載のとおりであると確信をもって証言しました。すなわち被告は、10月31日の法廷において、再び虚偽の証言を繰り返したわけです。

第2項 被告側準備書面と法廷での主張内容が異なる証言、または、時間等の矛盾が含まれるために主張内容の成立が不可能な証言
    
A.〈K学芸員への手紙〉の件について
 平成18年4月7日、原告は、前の勤務先が道立近代美術館だった被告に「近々道立近代美術館へ行って、木田金次郎の作品を見せてもらい、学芸員の話を聞かせてもらいたいと思っているところです」と、ごく普通の話題の流れの中で、これからの予定を話しました。ところが、それを聞いた被告は突然、
いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と、厳しい口調で言いつのりはじめました(原告「準備書面」1~2p)。
   訴えにおいてこの点を指摘された被告は、「準備書面(2)」において、
近代美術館のK学芸員は被告の前職場での直属の部下であり、被告は文学館への転勤以前の3月、同学芸員から原告の意向について報告をうけていた(中略)K学芸員から被告への報告内容は、原告からK学芸員宛ての書簡の内容が散漫としていて調査事項が不明瞭であり困惑しているとの相談であったため、被告はK学芸員に対し、先方に対して具体的な調査内容を問い合わせ意向にそって対処するよう指導していたものである」(1~2p)と主張していました。
 さらに被告は、法廷での尋問においても、被告代理人からの尋問に以下のように答え、「準備書面(2)」における自分の主張を撤回、もしくは変更することはありませんでした。

日にちははっきり覚えていないんですが、私が前にいた職場の近代美術館の学芸員のKさんから、亀井さんが書かれた手紙を見せられまして、そこで、亀井さんが美術館へ来て調査をしたいといっておりましたので、その話を聞くのは初めてではありませんでした。
被告調書4p)

Kさんから相談があったのは、……調査の内容がはっきりと分からない手紙であったので、どう対処したらよいかという相談だったんですね。ですので、私は、相手に対して調査項目をまとめて、しかしながら、きちんと対応するようにということをKさんに話をいたしました。Kさんは私の、私が属しました学芸第3課の同じ課員でしたので、Kさんは私に相談しましたし、私もKさんにそのように指示いたしました。
被告調書4p)

 しかし、ここで被告が自らの主張を撤回もしくは変更しなかったことに関しては、以下のような問題が含まれています。

① 原告は平成18年3月18日、K学芸員に対して、前もって来意を告げ、都合を問い合わせる手紙を出していました。その文面が、原告のパソコンの中に残っていました(甲38号証)。
 そこで原告は、「準備書面(Ⅱ)―1」と共に
甲38号証を提出し、もし本当に、被告に対するK学芸員の〈相談〉が、被告の原告に対する態度に何らかの影響を与えたというならば、被告は、K学芸員が見たという原告の手紙のどこが「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」であったかを証明しなければならない、と主張しました(「準備書面(Ⅱ)―1」9p)。
 ところが被告は、この度の尋問においては、
Kさんから、亀井さんが書かれた手紙を見せられまして」と、自分自身が手紙を見たことをはっきりと証言しています。そうであればなおさら、被告は、まさしく自分の記憶と責任において、手紙のどの箇所が「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」だったのか、指摘し説明しなければならないはずです。
 もし、それが出来ないならば、そもそも、K学芸員から「相談」があったという証言そのものが、きわめて疑わしいということになります。
② 被告は、法廷において、
私は、相手に対して調査項目をまとめて、しかしながら、きちんと対応するようにということをKさんに話をいたしました」と証言しました。しかし現実には、K学芸員が手紙を受け取ったと見られる3月19日から4月7日に至るまで、約20日もの間があったにも関わらず、K学芸員が原告に対して調査項目をまとめて提示してきたり、その他、原告にきちんと対応しようとコンタクトをとってきたりしたことはありませんでした(被告の「相手に対して調査項目をまとめて、しかしながら、きちんと対応するように」というK氏への指示内容を、文脈通り解釈するとこういう意味になります)。
  
 以上の事実から判断するに、被告が久米学芸員の相談を受けていたという証言の信憑性は極めて疑わしく、被告が原告に対して取った非礼かつ不躾な態度を正当化する根拠は失われてしまった、と断言することができます。

B.分掌担当について(平成18年4月13日)
 田口紀子裁判長は、寺嶋弘道被告の〈4月13日の学芸担当職員の打合せ会の時には原告は出席していなかった。記憶があいまいであった〉という訂正を受けて、〈ではなぜ原告が出席していないにもかかわらず、打合せ会を行ったのか。何か理由があったのか〉という趣旨の質問を被告に行いました。それに対して、被告は、以下のように答えました。

………4月も半ばに入っていましたので、だれがどの展覧会を実際に担当するのか、それはなるべく年度が早い時期に、一番いいのは前年度のうちに決まっているのがいいんだと思うんですけれども、それが決まっておりませんでしたので、私はなるべく早く決めたいと思っていました。その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので、それを早く決めなければ、年度の仕事がスムーズに進まないと思っていましたので、ですので、なるべく早く、…学芸班の職員全員の了解を得たいというふうに思ったからです被告調書20p)

 この証言の偽証性については、Ⅰ章Cの②および⑤で明らかにしておきましたが、以下の点から見ても信憑性に欠けており、明らかに虚偽を含んでいます。

①もしも、事実が仮に被告の証言通りだったとしましょう。すると、平成18年度の当初、文学館の幹部及び職員は、4月29日に「写・文交響」展(綿引幸造写真展)の開催を控えていたにも関わらず、同月13日まで、その担当者を決定していなかったということになります。
 しかし現実的にいって、展覧会開催が16日後に迫るまで、文学館が、担当者未定のまま、展示品貸借先と打合せや交渉を行うことはあり得ません。また、担当者未定のまま、ポスター印刷の打合せ・色校正や印刷業者との交渉をするという話もあり得ません。このような動きには、必ず、契約事項や予算執行に関する起案・決裁等の事務処理がつきものだからです。担当者が決まっていなければ、では誰が、それらの書類を作成し、責任をひきうけるのでしょうか。

(なお、被告とS社会教育主事が綿引展の担当者としてポスター印刷のトラブルを引き起こしたのは、4月13日の会議に先立つ11~12日のことでした。詳しくはⅡ章第2項「D.綿引幸造写真展」および甲30号証参照。)
 また、被告は、“綿引展は前年度中に仮担当が決まっていた”と主張するつもりかも知れません。しかし、そこだけ仮担当を決めておくくらいであれば、他の展覧会の担当も、当然、前年度中に決めておくはずです。少なくとも、決めずにおく合理的な理由は考えられません。
②その一方で、被告は、原告が行った反対尋問の中での〈被告に「指揮命令」の立場を与えたのは毛利館長なのか。それ以前に平原学芸副館長と話をしていたという被告の主張は、「指揮命令」の立場とは特に関係がなかったのか〉という質問に対しては、このように答えています。

 いえ、そんなことはありません。毛利館長……も……………学芸班が、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については、平原副館長が専決事項として決めており、また、その内容にも精通しておりましたので、平原副館長から、4月1日のときに、その事務事業の概要について説明を受けたものです被告調書34p)

 先には「その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので」と、あたかも事務分掌の内容そのものが白紙状態だったからその原案を作成したかのような証言をしておきながら、次に、質問内容が自分の文学館における身分・立場の問題に絡んでくると、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については」すでに平原学芸副館長(「平原副館長」は誤り)の専決事項として決まっていて、自分はその説明を年度初めに真っ先に受けたのだと、証言の内容を変えています。
   では、仮に平原学芸副館長が前年中に学芸関係事業や展覧会の「実際的な内容」までも決定していたとして、それなら、なぜ平原学芸副館長は、各事業の担当者を新年度までまったく決めずにいたのか、という疑問が生じます。その点について、おそらく被告は合理的な説明ができないでしょうし、また、客観的に考えても、そのようなことは起こり得ません。
  ちなみに、原告の経験からいいますと、展覧会の内容やイベントの予定は、前もっ
て、誰が担当し、どのように計画を進めてゆけるかという具体的な見込みが立たない限り、けっして細部まで詰めてゆくことは出来ません。具体的な人間(職員)の在り方と切り離された計画などというものは、少なくとも文学館には存在しません。
③また、②の引用部において、被告は、事業や展覧会の内容については
「平原副館長が専決事項として決めており」と述べています。 この証言の信憑性の疑わしさについてはⅠ章Cの①~③で指摘しておきましたが、さらに補足しておくならば、仮に当時の平原学芸副館長に一応〈専決〉の権限が規定上認められていたとしても、それがただちに、〈だから平原学芸副館長は、すべて自己裁量で平成18年度の文学館の事業及び展覧会の内容を決めることができた〉という理屈に繋がるわけではありません。一般常識的には、〈専決〉は事務を能率的に処理するための補助執行の一種であって、通常、日常業務の最中に生じる様々な案件を速やかに処理するために行使される権限のはずです。ですから、たとえ専務理事で〈専決〉権があるからといって、財団の一幹部であるに過ぎない平原学芸副館長が、財団の事業の根幹である学芸事業や展覧会の年度すべてにわたる予定を〈専決〉で決めてしまうという事態は、通常起こり得ません。そもそも、そのような証言は、甲59号証等の学芸課内会議(平成17年度以前)の諸資料や、決定機関としての〈理事会〉や企画検討委員会の機能及び存在意義をも否定することとなります。
   逆に言えば、すでに平成17年度に学芸課内打合せが幾度も行われ、企画検討委員会や理事会も開催され、それらの合議機関および決定機関に該当する範囲の職員がそのつど参加・出席していたからこそ、年度予定が皆の合意を得て決定されるに至ったのです。また、その過程で分掌の担当についても決定され、その結果については、職員それぞれが納得し、同意をしていたのです。
   もし、これらの事実を無視して被告の証言の方を信ずるならば、結局、“平成17年度までの北海道立文学館は、上記のような民主的な合議の手続きのもとに運営が行われていた“という事実そのものを否定してしまうことになります。

 以上の諸点に照らして、被告のBの証言が偽証であったことは間違いありません。
 なお、被告の、Bに引用した証言には、次のような矛盾も含まれています。
 
④もし仮に、被告が証言した通りに、
乙6号証の原案は被告が作成したものであるならば、被告はこの時、被告自身の何らかの合理的な判断に基づいて、原告を石川啄木展の副担当に当てたはずです。
   それにもかかわらず、被告は啄木展に介入し、原告を啄木展から疎外しました。被告は5月12日の段階で啄木展の予算超過を原告に告げ(甲27号証)、日本近代文学館との打合せや展示品貸借・返却に際しては主担当のS社会教育主事と行動を共にしました(
甲41号証参照)。原告が指摘したこれらの事実は、10月31日の尋問でも覆されませんでした。
   では、被告はなぜ、自分が原告に割り当てたと主張する啄木展に、このような形で介入したのでしょうか。もし本当に被告が展覧会担当割当の原案者だったならば、原告に対して啄木展に関わるように早い時期から促したり、また、順調に業務が遂行できるように配慮するのが当然だったはずです。
  
C.被告の「記憶違い」
 被告は、田口裁判長が、4月13日の出来事に関連して〈4月13日に原告がいないことが分かっていたら、事前に原告の意向を確認するという方法があったと思うが、被告はそういった措置はとったのか〉という趣旨の質問をしたのに対し、以下のように証言しました。

記憶違いが……あったので、……私の記憶では、亀井さんはその打合せにいたと思って、当初おりましたので、それは、会議室の入口のところの亀井さんがいた席をぼんやり覚えているからなんですけれども、もしそのときにいないとすれば、………いる人間だけで取りあえず…確認をしておいて、別な日に改めて亀井さん御本人に確認をすればよいというふうに思いました被告調書20p)

 しかしこの証言は、以下の理由から、信憑性に欠け、明らかに虚偽を含んでいます。

①まず、証言内容の時間的な食い違いを指摘しておきますと、被告の「私の記憶では(中略)と思って、当初おりましたので」までは、被告が「陳述書」(乙1号証)を書いた時点(平成20年4月)における記憶違いについての証言だと考えられます。それに対して、「………いる人間だけで取りあえず…確認をしておいて、別な日に改めて亀井さん御本人に確認をすればよいというふうに思いました」云々は、平成18年4月13日の打合せ時点における被告の判断ついて語った証言です。平成18年4月の時点で原告が不在であることを認識し、いる人間だけで取りあえず…(事務分掌を)確認をしておいて」と判断したことを平成20年10月31日の法廷においても明確に記憶している人間が、その6ヶ月前に「陳述書」を書く時には記憶が曖昧になり、 原告が打合せ会の席にいたと「ぼんやり覚えている」などという話は、通常あり得ません。
   要するに、この食い違いから引き出し得る結論は、〈被告「陳述書」における「平成18年4月13日」の記述の間違いは、単なる被告の記憶違いではなく、意図的になされた偽証だった〉ということにしかなりません。
   そればかりでなく、もし、被告が実際に、平成18年4月13日の時点でそのような判断をして、その判断を受けて、
平原副館長と私と亀井さんとで、その直後に打合せを行った」被告調書20p)のだとすれば、その打合せは、先の会議で不在だった原告に決定内容を伝えるという目的で行われたものだったわけですから、“そのことは覚えている、しかし、原告が会議に出たように記憶している”というのは不自然きわまりない話です。
②被告は、〈4月13日の学芸担当職員の打合せに際して、原告がその場にいたと思った〉という
「記憶違い」の理由として、会議室の入口のところの亀井さんがいた席をぼんやり覚えているから」だと述べています。また、文脈からいって、それ以外の意味には受け取れません。
  そこでまず押さえておきたいのは、事実として、原告は、4月13日は会議に出席せず、そのことを被告も認めている。したがって、被告の
「亀井さんがいた席」という言葉は、その日、被告がそこに原告の姿を見た、という意味にはなり得ません。その点を確認しておきます。
③では、なぜ被告は、会議室の
「入口のところ」「亀井さんがいた席」と表現したのか。おそらくこの証言の時、被告の念頭にあったのは、乙5号証の図であったと思われます。この図において、確かに原告の席は、学芸職員のデスクのまとまりの中では一番入口に近いところにあります。
    しかし、実際の会議室においては、〈原告の席〉なるものは存在しません。
乙5号証は、事務室の座席表(職員配置図)です。会議室においては、実は、誰の席も決まってはいません(※1)。広さも、事務室が80.30㎡なのに対し、35.69㎡と、半分以下しかありません(※2)。したがって、事務室の席の配置と会議室の席の配置が対応する、という形にはなっていないのです。当時、そこには、会議用の長机4本と、イスが十数脚ほど置かれており、皆、会議の時は適当に、机を囲んで坐ることになっていました。原告は入口近くに座らねばならないとか、誰それの席はどこ、といった決まりや慣例はありませんでした。館長の席すら決まっていませんでした。
(※1 会議室は平原一良学芸副館長/副館長が、普段は独占的に業務に使用していましたが、それは、そこに平原氏の定席があったことを意味しません。
※2 面積の数値は、パンフレット「Hokkaido Museum of Literature 北海道立文学館」より引用。証拠としては未提出。)

   しかるに、被告の証言を文字通り信ずれば、被告はその年度初めての〈会議室〉での会議(※3)において、――それはまた、道立近代美術館から異動してきたばかりの被告にとっては、初めての道立文学館の会議室での会議でもあったはずです――別に座席の配置が事務室と対応しているわけではなく、また、席順が決まっているわけでも名前が貼付されているわけでもない会議室の席の一つを、〈入口近く〉にあるという理由で〈亀井さんがいた席〉と認識した。しかも、現実に原告の姿がどこにもなかったにも関わらず、その入口近くの席を〈亀井さんがいた〉席だとして〈ぼんやり〉覚えていて、〈亀井さん〉が出席していたように〈記憶違い〉をした、と言っていることになります。
   しかし、このように整理してみればわかるように、“不在の原告を存在したかのように勘違いした”という被告の主張は、きわめて不自然かつ矛盾に満ちています。それは、この証言が、当初から原告の意向など無視して業務関係の事項を決定してしまおうとしていた被告の意図を糊塗するためだけに捏造された偽証にほかならないからです。
(※3 原告にとって、平成18年度における初めての会議室での会議は、4月18日の職員全体会議です。4月1日から4月18日以前に会議室が何らかの形で会議に用いられたことは、記憶の範囲では、なかったと思います。しかし、被告は4月13日に会議を行ったと主張しているわけですから、それに従えば、その時が年度初めての会議室開催の会議ということになると思われます。
 なお、付言すれば、原告は、4月18日の会議においても、会議室の入口近くに坐ってたことはありません。)

④原告は4月14日、平原学芸副館長と被告から会議室へ呼ばれ、阿部学芸員と岡本司書の業務を手伝ってほしいと依頼されました。しかし、この時、乙6号証を手渡されたことはなく、乙6号証に関しての説明を受けることもありませんでした。原告の事務分掌について、一つ一つ確認を求められたこともありませんでした。

 以上の諸点に照らして、Bにおける被告の「記憶」及び「記憶違い」についての証言が偽証であったことは間違いありません。また、4月13日に、原告以外の学芸職員全員が参加しての会議、もしくは打合せが本当に行われたかどうかについても、その信憑性はきわめて疑わしいと言えます。

D.綿引幸造写真展について
 被告は、企画展「写真家・綿引幸造の世界から」に関して、裁判長から「ポスターの作成に関わりましたか」との質問を受け、
かかわっておりません被告調書23p)と答えました。また、裁判長から「ポスターの作成がうまくいかなくて作り直したというような経緯はありましたか」という尋ねられ、以下のように答えました。
 

はい。かかわっていないというよりは、…担当していた職員の仕事をチェックする立場に私はあったと思います。で、一回出来上がったポスターが、綿引さん御本人から写真の扱いをもう少し変更してほしいという申出がありましたので、その変更を受け入れて作り直したということは知っています。それは、そのときに判断をいたしましたのは、当時の平原学芸副館長です被告調書23p)

 しかし、この証言には、以下のような虚偽が含まれています。
 
①まず、被告の立場ですが、
甲60号証甲3号証が示すように、「写真家・綿引幸造の世界から」(綿引展)においては被告が副担当です。そして、Ⅰ章のCやⅡ章第2項のBでも理由を述べたように、この分担は、平成18年4月13日に決められたものではありません。前年度中に決定され、4月4日からは、すでにこの態勢で業務がスタートしておりました。それゆえ、被告が〈ポスターの作成に関わっていない〉ということはあり得ません。
   また、被告が
「担当していた職員の仕事をチェックする立場」ならば、当然、自分のチェックを経た後に起こったトラブルについては責任を負わなければなりません。自分の行為について責任を持たない者、また、責任を持たなくても良い立場の者が、では一体なんの権限があって、業務上関係ない(と被告が主張している)他の職員の仕事を「チェック」などするのでしょうか。
   ですから、もし被告が、〈自分はその時点で綿引展の担当としては関わっておらず、故にポスター作成には無縁である〉という意味でこの言葉を言っているとしたら、被告は明らかに虚偽の証言を行っていることになります。また、もし被告が〈自分は担当ではあったが、ポスター作成などには一切関わっていない。それはすべて「担当していた職員」(
S社会教育主事)の責任である〉という意味でこれを言っているなら、1展覧会に2人しか割り当てられていない担当者として、無責任きわまりない発言であり、S氏に対する悪質な責任転嫁です。
②被告は、「準備書面(2)」の中で、この件について
「ポスターの増刷(5p)だと述べていました。この記述は明らかに偽りですので、原告はその点については甲30号証を挙げて、〈被告が言うところの『ポスター増刷』は、実は作り直しであった〉ことを指摘しておきました(原告「準備書面(Ⅱ)―1」23p)。ところが被告は、この度の尋問においては、自分の「準備書面(2)」における虚偽の記述を認めることも訂正することもなく、証人席で「増刷」「作り直し」と勝手に言い換えてしまいました。
  しかも被告は、ポスター作成の責任についてはそれを「担当していた職員」(S社会教育主事)に押しつけ、また、作り直しを判断した責任の方は、平原学芸副館長にすべて押しつけてしまいました。
乙3号証及び乙6号証を見る限りでは、確かにS社会教育主事が綿引展の主担当であり、被告は副担当です。しかし、ポスター印刷に関してGOサインを出すにあたっては、S主事が独断で行ったわけではありません。この時指示を出したのは、被告の方です。
   原告の記憶では、4月8日(土)頃、席を立ちかけたS主事を被告が呼び止めて「あ、Sさん、ポスターの印刷、Fプリント(印刷業者)に進めさせて」と声をかけたのです。S主事が「ああ、あれ、もういいんですか?」と聞きかえすと、被告は「うん、OKだから」と重ねてうなづきました。S主事は「はい、わかりました」と言って、事務室を出ました。この時の被告の様子はいかにも確信に満ちており、後でトラブルが起きると予想させる要素はありませんでした。
   ところが、原告が日・月の非出勤日を経て11日(火)に出勤してみると(
甲30号証参照)、ポスターが、写真家の綿引氏自身のOKを得ていない段階で刷られてしまったことがわかり、綿引氏が“これは色合いも、画像のトリミングも、自分が求める仕上がり具合と全然違うので絶対に作り直して欲しい”と要求していて、文学館が対応に苦慮している、という状況になっていたわけです。
   確かに、主担当としての責任から言えば、S主事も、ポスターを印刷に出す前に、綿引氏の意向を確かめておくべきでした。しかし、S主事にとっては、同じ道職員とはいっても被告の方が年長でしたから、分掌上はS主事が主担当・被告が副担当でも、事実上は、被告の判断を尊重していました。それに、美術館のベテラン学芸員という触れ込みで入って来た被告が自信たっぷりに〈ポスター印刷の件はもうOKだ〉と言えば、S主事がその言葉を疑う理由はなかったと言えます。少なくともその時点では、被告は絵画や写真の扱いに関してはプロなのだと、(原告を含め)職員全員が思っていたからです。
   このような当時の事情を勘案すれば、被告が、ポスター300枚の刷り直しに関して、その経緯の中で責任の一端を負うべき立場なのは明らかです。

 原告は、これまで、ポスター刷り直しの真偽自体を問題にしたことはありません。
 ただ、被告が原告の展覧会事業費について様々な圧力を加えて来たことの初発の動機の中には、このポスター刷り直しの費用の埋め合わせも入っていただろうと推測されたため、もっぱら、その点について主張してきました。そのため、刷り直しの経緯については特に詳述しませんでした。
 ところが被告は、被告「準備書面(2)」の時点では、それを「作り直し」ではなく「増刷」だと言いつくろおうとし、その点を反論されると、今度は、証人席において、この件の責任をS社会教育主事と平原学芸副館長に押しつけ、自分には何の過失も責任もないかのように言い逃れようとしました。
 これは、この尋問の場に参加・出席しておらず、それ故(ゆえ)その場で否定も抗弁もできない立場の人間(しかも被告にとっては職場の同僚)に対して責任転嫁を行い、しかも自分だけは免責されようと目論む、〈偽証〉の中でもきわめて悪質な行為であると言えます。

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北海道文学館のたくらみ(48)

亀井志乃の「最終準備書面」その1

【12月19日10時に第8回公判が行われ、田口紀子裁判長から原告の亀井志乃に「12月12日付の『最終準備書面』のとおり陳述しますか」と確認がなされ、亀井志乃は「はい」と答え、2箇所だけ、文字の訂正をお願いした。続いて、田口裁判長は被告寺嶋弘道の代理人・太田三夫弁護士に「12月16日付の『準備書面(4)』のとおりに陳述しますか」と確認がなされ、太田弁護士は「はい」と答えた。これによって第8回の公判が終わり、田口裁判長より、平成21年2月27日(金)午後1時10分に判決を言い渡す旨のことが伝えられた。
 以上の手続きによって、亀井志乃の「最終準備書面」と、被告の「準備書面(4)」は法廷における陳述と見なされることになったわけで、以下、何回かに分けて亀井志乃の陳述を紹介する。紹介の方針は、亀井志乃の「陳述書」(「北海道文学館のたくらみ(43)~(45)」)の場合に準ずるが、原文の傍点は省略した。今回は「Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について」の終わりまでを紹介する。平成20年12月21日】


事件番号 平成19年(ワ)第3595号
損害賠償等請求事件
原告 亀 井 志 乃
被告 寺 嶋 弘 道

最 終 準 備 書 面

札幌地方裁判所民事第1部3係 御中

平成20年12月12日

原告 亀 井 志 乃 印

はじめに
 去る平成20年10月31日、田口紀子裁判長におかれましては、原告本人に対する尋問を快くお引き受けいただき、心より感謝申し上げます。しかし、原告自身としましては、その際、必ずしも、十分に意を尽くした証言が出来たとは言うことが出来ず、悔いが残りました。またその意味では、田口裁判長に対し、誠に申し訳なく思っております。
 他方、被告代理人・太田三夫弁護士の被告本人に対する尋問は、誘導尋問に終始しており、内容的には被告の〈意図〉や〈気持ち〉を問うて、被告に言い訳をさせるだけのものでしかありませんでした。

 今回特に注目していただきたいのは、10月31日の尋問において、被告側から、原告が「訴状」及び「準備書面」で主張していた「被害の事実」とその違法性に関して、原告の主張を覆す証言は出なかったことです。また、原告が「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」「準備書面(Ⅱ)―3」及び「陳述書」で指摘した、被告及び平原一良副館長の「陳述書」における虚偽の記述と新たな人格権侵害の犯罪性に関しても、原告の指摘を覆す証言はありませんでした。
 その一方で被告は、被告代理人の尋問に対する証言や、田口裁判長及び原告の尋問に対する証言の中で、明らかに偽証と判断できる証言を行っていました。特に被告は、裁判長が北海道立文学館の年間及び日常業務の流れや、各職員の業務内容及び経歴、さらには館内の間取り等について詳しくご存じないのをよいことに、厚顔なごまかしや言いつくろいをしておりました。
 しかし、それが分かっていても、時間的な制約のため、その点については口頭では十分に指摘することができず、尋問終了時には非常に残念に思っておりました。
 
 しかし幸いにも、裁判長は、閉廷間際に「もし言い足りないことや、補足したいことがあれば」ということで、「最終準備書面」を提出する機会を与えてくださいました。ご配慮に、深く感謝申し上げます。
 そこで、本「最終準備書面」では、既に「訴状」及び3月5日付「準備書面」、「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ―2)「準備書面(Ⅱ)-3」「陳述書」で述べたことと重複する点に関しては、最小限必要な範囲で言及するにとどめ、

Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について(3p)
Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言(18p)
 第1項 宣誓と〈1箇所の訂正〉について(18p)
 第2項 被告側準備書面と法廷での主張内容が異なる証言、または、時間等の矛盾が含まれるために主張内容の成立が不可能な証言(19p)
 第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言(37p)
 第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言(57p)

Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問(64p)
Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について(95p)
Ⅴ章 被告の「つきまとい」の実態と人格権侵害の本質について(100p)

の順序で、10月31日の公判における被告及び被告代理人の発言の問題点を指摘し、必要に応じて反論・批判を述べたいと思います。そして最後に、締めくくりとして、

Ⅵ章 最終的な主張(104p)

を述べさせていただきたいと存じます。

 なお、以下の本文中における引用のうち、第7回口頭弁論調書速記録の原告本人分からの引用については原告調書、被告本人分については被告調書と略記することといたします。

Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について
 本章では、寺嶋弘道被告における、公務員としての法律違反の事実を取り上げます。

【目次】
  A.〈事実上の上司〉(3p)  B.被告の立場(5p)
  C.被告の立場と平原学芸副館長との関係(8p)  D.人事院規則について(10p)
  E.〈とりまとめ役〉について(11p)  F.「運用」と「兼業規程」について(14p)
  G.被告の職務(15p)  H.被告側が無視しようとした法律違反(16p)

A.〈事実上の上司〉
 被告は、田口裁判長の
「(被告は)準備書面の中で、事実上の上司だったというような書き方をされてるんですけれども、この事実上というのは、どういう意味なんですか」という質問に対して、次のように証言しました。
 

任用主体が、私の駐在職員とそれから財団の職員とでは任用権者が違いますので、そういう中で、一体的に仕事を進めていく、学芸の仕事を進めていく、それが指定管理者制度の一番のポイントだったんですが、それを統括する立場として、私が………着任いたしましたので、そのように………思っていました。つまり、規則上は、………財団の職員を指揮命令する立場には私はないと思いますが、職員の全体会議が開かれる4月18日まで、指揮命令をどうするかという話を度々館長としていましたので、私は当初、Oさんと亀井さんを私の指揮下に置くのは、制度が変わった上では、適切ではないんでないでしょうかという話を館長にしておりました。それでも、毛利館長から、前の年と変わらない運営でとりあえず進めてみたいので、指揮下に置いてくださいということの話がありましたので、それで、全体会議のあった日、4月18日だったと思いますが、その日に、そのようにして、財団の職員も目配りをするという立場になったものと思います。ですので、事実上のというのはそういう意味です。
被告調書22p・下線は引用者。「……」は原文のママ。以下同じ)

 またその後、原告が、被告への反対尋問の際に〈被告がどのような立場で行くかという訓令を与えたのは、教育委員長なのか〉という趣旨の質問をした時には、被告は、このように答えました。
 

いえ、私は直接教育委員長から指揮や指示を受けたことはなく、私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います。それを、学芸主幹として来たのだから学芸班の取りまとめをしてほしいというふうに、具体的には毛利館長から言われましたし、先ほどお話ししたように、そこまで踏み込むのは駐在の職員の職務ではないのではないでしょうかという話も実際に毛利館長ともいたしました。ですので、それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけれど、それまで、………20日近く、そのことを……議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました
(被告調書33~34p・下線は引用者)

 そして、原告が「で、実際に、それを指揮命令するというか統括するっていう立場を与えたのは毛利館長なんですね」と念をおすと、被告は「そうですね、はい、毛利館長とその話を度々いたしました」同前)と同意し、指揮命令および統括する立場は毛利館長から与えられたものであるということを明言しました。

 しかし、以下の理由から、被告の証言には信憑性が乏しく、また虚偽も含まれています。

①この証言には、いくつか実状に合わない点があります。まず第1に、もし毛利館長の意向が「前の年と変わらない運営でとりあえず進めてみたい」というのであれば、指揮命令をどうするかという問題は起こらないはずだからです。なぜなら、平成17年度までは、原告の「陳述書」(3~6p)で詳述したような和やかな雰囲気のなか、学芸関係の業務は、課内会議の合意に基づいて〈事務分掌〉を決め、各職員は自分に割り当てられた事務分掌を主体的に遂行する、というやり方を取り、何の支障もありませんでした。課内会議の中心になっていたのは、H学芸課長でしたが、H学芸課長が指揮命令権を持っていたわけでなく、指揮命令権を持っているかのように振舞ったこともありません。H学芸課長の指揮下に、財団のO学芸員(当時)と原告を置かなければ、仕事がスムーズに進まなかったという現実は全くありませんでした。
②被告は「陳述書」において
、「私が当館への着任にあたって最重要課題としたのは、指定管理者との連携・協働を円滑に進め、職員相互の理解を図り、組織体としての文学館の運営、とりわけ学芸業務に関して滞留なく遂行するということでした。指揮命令をどうするか、連携・協働をどう進めるかについては、毛利正彦館長(当時)とも4月当初から数度にわたって協議を行い、」1~2p・傍点引用者)と述べています。
 この箇所は明らかに、指揮命令や連携・協働の在り方に関しては、被告のほうから毛利館長に働きかけて、協議を行ったことを示しています。
 少なくとも、文脈は
「(私が)毛利正彦館長とも(中略)協議を行い」と、〈私〉を主語にした流れであり、「毛利館長から」や「毛利館長が」といった、〈毛利館長〉を主語とした文章ではありません。したがって、〈被告は消極的だったが、毛利館長に説得された〉という意味に解釈することはできません。
 つまり、法廷における被告の証言は、「陳述書」と矛盾することになります。
③被告は、駐在の道職員と財団の職員とを
「統括する立場」「着任」したのではありません。「統括」という言葉は、平成17年度末の課内会議で決定した「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)において、事務分掌の1つとして「学芸部門の統括」と使われた言葉です。その時の課内会議で、文学館グループのグループリーダーとして着任する被告と、既に平成17年度から働いている道職員のS社会教育主事に担当してもらうことになりました。言葉を変えれば、被告は道立文学館に着任して初めて、被告の事務分掌の1つとして〈学芸部門の統括〉という仕事に就くことになったのです。〈学芸部門の統括〉は、原告の「準備書面(Ⅱ)-1」(4~5p)で説明したように、まとめ役(coordinator)という意味であり、決して〈駐在道職員と財団職員を指揮命令する(direct and command)〉とか、〈財団のO司書と原告を指揮下に置く(place under the command of)〉という意味ではありません。
④被告は
、「職員の全体会議が開かれる4月18日まで、指揮命令をどうするかという話を度々館長としていました」「それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけれど、それまで、………20日近く、そのことを……議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました」と証言し、いかに自分が、20日間もかけて、「指揮命令」問題について毛利館長と懇切に話し合いを続けていたか、という点を強調しようとしています。
 しかし、この証言は、まったくの偽証というほかはありません。
 なぜなら、毛利館長は非常勤の館長(Ⅱ章第3項のAにて後述)であり、週毎の出勤日は4日間だったからです。月曜日の休館日のほかに土・日を休むことになっていました(
土・日のセレモニー等に出席する場合は振替休日をとっていたと記憶しています)。
 したがって、
甲56号証の職員勤務割振表における被告の出勤日に照らせば、4月1日から4月18日までの間に被告が館長と文学館で話ができるのは、4~7日と11~14日の8日間であり、18日当日を加えても9日間に過ぎません
 しかも、原告の記憶によれば、この平成18年の4月前半は、いよいよ指定管理制度が発足したということで、道や道教委などから、常にはないほどの様々な来客が訪れ、館長・副館長や学芸副館長は、連日、その応対に追われていました。被告も、S社会教育主事も、そうした来客対応の一環として館長室に時々呼び出されることはありましたが(甲30号証2枚目末尾・4/12(水)の項参照)、館長自身が忙しくしておりましたので、この時期、被告が館長とじっくり「
指揮命令」権について「議論」をする時間を持つということは、事実上、きわめて困難だったであろうと思われます。

 以上の理由から、被告の証言の信憑性が極めて低く、虚偽にもとづいていることは明らかです。

B.被告の立場
 寺嶋弘道被告は、原告の
「道教委の学芸員グループのリーダーは、連携協働する財団の職員の上司になることを許されているのでしょうか。もし許されるならば、それを許す規定はどこにあるのでしょうか」という質問に対して、次のように答えました。

(被告)上司になることの許す、許さないではなく、どのように連携をして事務事業を進めていくかというときに、そういう立場を引き受けなければならないことはあると思います。
(原告)では、規程にはよらないということですか。
(被告)……………規定にはよりません。

被告調書32~33p)

 原告がさらに「被告は、準備書面2の中で、着任日には平原一良学芸副館長から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業も、着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのであるというふうに書いておられますが、被告は、だれによって、どういう手続きを経て、指揮監督する立場を与えられたのでしょうか」と質問したところ、被告は「学芸の業務の取りまとめの仕事で、文学館へ行き、学芸の業務を行うという……………異動の話を、前の職場でも、それから、北海道教育委員会の文化課の職員からも聞いていたからです」と答えました(被告調書33p)。
 しかしこれでは、〈だれによって、どういう手続きを経て、指揮監督する立場を与えられたのか〉という問いの答えにはなっていません。そのため、原告は
「でも、着任したんですから、だれかから任命されたというふうに考えられますけれども」と質問を続けましたが、被告は「私の任命権者は北海道教育委員会の教育長です」と答えるのみでした。原告がさらに、「で、そちら(北海道教育委員会の教育長)から指揮監督する立場を与えられたんでしょうか」と質問すると、被告は「そのように理解しています」と答えました。
 ところが、原告の
(前略)そうすると、訓令を、つまり、被告がどのような立場で行くかっていうことの訓令を与えてくれたというのも、教育委員長ということになりますか」という質問に対しては、被告は「いえ、私は直接教育長から指揮や指示を受けたことはなく、私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います(後略)と答えました(同前33p)。
 
①被告の証言は首尾一貫していません。念のため整理すれば、被告の証言は、
イ、被告が財団の職員の上司となることを許す規定は存在しない。
ロ、被告は北海道教育委員会の文化課の職員から、学芸の業務の取りまとめの仕事で文学館へ行くことになったと言われた。
ハ、被告は、北海道教育委員会の教育長から、指揮監督する立場を与えられた。
ニ、被告は、直接教育長から指揮や指示を与えられたことはない。
ホ、道教委文化課の学芸主幹である立場が、財団法人との連携を行う上でそのように(指揮監督する立場に)させている。
 となります。
 仮にニを「直接教育長に面接して、指揮監督する立場を与えられたわけではない」という意味に解釈するとしても、ハの証言が成り立つためには、教育長の名による〈被告に指揮監督する立場を与える〉旨の訓令なり命令書がなければなりません。しかし被告は、裁判長の
「北海道の教育委員会のほうから、どういう内容の職務を行うということで訓令を受けて着任されましたか」被告調書19p)という質問に対しては、〈訓令〉の存否に関する答えを避けていました。また、原告の(前略)そういう、(訓令とは)直接の文書による命令ということになるわけですけども、それはなかったということなんですね。そういうものは直接教育委員長からの名前で、それは出てないということですね」という質問に対しては、被告は「ええ、1枚の私への辞令書だけです」と証言しました(被告調書34p)。すなわち、ハの証言を裏づける文書はなかったことになります。
②ホについては
「私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います」という証言における「そのようにさせているの意味が不明です。「させる」の主体が曖昧だからです。これを字義通りにとるならば、「学芸主幹という立場が、財団法人との連携を行う上で、被告を指揮監督する立場にさせている」という文章となり、要するに被告は「学芸主幹という立場」と、「財団の職員をも指揮監督する」とを同義に使っていたことが分かるだけです。
③道立文学館に駐在する道職員の職務については、特別な定めはなく、「北海道立美術館管理規則」に準ずることになっています。ただし同規則には、学芸主幹という〈職〉がありません。ただ、学芸主幹と前後する位置に当たると推定できる〈職〉についての〈職務〉が明記されていますので、それを挙げますと、
課長:上司の命を受け、課の事務をつかさどる
副主幹:上司の命を受け、所掌事務を整理する
主任学芸員:上司の命を受け、美術に関する作品その他の資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項のうち、特に困難な事項をつかさどる

 とあります。「自分は学芸主幹だから指揮命令する立場を与えられた上司なのだ」という解釈を許す文言は全くありません。
 すなわち被告は、同じく「文学館グループ」として道立文学館に駐在する道職員のS社会教育主事やA学芸員に対してさえも、「指揮命令する立場を与えられた上司」ではありえないのです。
④いわんや被告の、〈自分は原告の上司だった〉という主張には、全く根拠がありません。根拠がないにもかかわらず、北海道教育委員会の職員(公務員)たる被告が、連携協働して仕事を進めるべき財団職員の原告に対して、自分が原告の上司であると主張し、原告を被告の指揮監督下に置こうとしてきました。これが公務員の服務規程や倫理規程に反する違法行為であることは言うまでもありません。
 指揮監督する立場には一定の権限が伴います。被告は、自分がその権限を持っている/持っていたと主張してきましたが、これは明らかに、公務員が自分に与えられていない権限を民間の市民に対して詐称してきたことを意味します。
 しかも被告は「準備書面(2)」における「
指揮監督の立場」(position of director and supervisor)という文言を、10月31日の尋問では「指揮命令の立場」(position of director and commander) と改めていました。「指揮命令の立場」は「指揮監督の立場」よりも一層大きな権限が伴う。被告は10月31日の法廷の証人席において、より大きな権限の詐称を行ったことになります

C.被告の立場と平原学芸副館長との関係
 寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」で
「着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである」(2p)と主張していました。しかし被告は、10月31日の尋問において、〈着任日に平原学芸副館長から平成18年度の事務事業について説明を受けたこと〉と、〈指揮監督する立場に着任した〉ということがどう関係するのか、説明をしませんでした。
 原告はその点について
「じゃ、当初のところで、その平原学芸副館長と話をしてというのは、特に関係がないわけですか」と確かめてみました。それに対して、被告は「いえ、そんなことはありません。毛利館長……も……………学芸班が、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については、平原副館長が専決事項として決めており、また、その内容にも精通しておりましたので、平原副館長から、4月1日のときに、その事務事業の概要について説明を受けたものです。」と証言しました(被告調書34p・下線は引用者)。
 
①しかし、平成18年度の事業や展覧会の実際的な内容は、平原学芸副館長
(平成18年4月1日の時点では、平原一良氏は学芸副館長であって、副館長ではありません)の「専決事項」ではありませんでした。
 被告は「財団法人北海道文学館事務決済規程
(証拠としては未提出)に基づいて証言したものと思いますが、平成18年5月末日までの同規程において、学芸副館長が専決できる事項の1つは、同規程「別表第4の1」によれば「展示事業、調査研究、講演会等の実施要項に関すること」でした。
 しかし「実施要項」と「実施内容
(又は実施計画)」は全く性質が異なります。例えば、大学の入試要項(入学定員、試験の日程、会場、合格者発表の日時と方法等)を定めることと、入試の実施内容(出題委員の選出、問題作成、実施、採点、集計、合否決定等)を定めることとは、同じではありません。被告は、その違いを読み取ることができなかったようです。
②平成18年度の事業(展覧会を含む)計画は、平成17年度内に決定されていましたが、そのプロセスは、原告の「準備書面(Ⅱ)―3」(8~10p)で詳述したように、まず学芸課内で何度か〈事業素案〉の検討を行い、ある程度絞り込んだ「候補案」(
甲96号証)を、財団の複数の理事と評議員よって構成される〈企画検討委員会〉に諮って決定してもらう。その後、課内会議で、決定された事業に関する職員の〈事務分掌〉を決める。そういう手順を踏んでいました。この手順における平原学芸副館長の主な役割は、課内会議である程度絞り込んだ〈候補案〉を企画検討委員会に提案し、決定してもらうことでした。
③以上の手順を経て平成17年度内に決定されたのは、平成18年度の事業(展覧会を含む)計画だけではありません。平成17年度には、財団は、道の指定管理者制度導入の方針に対応するため、平成18年度から21年度までの4年間の事業計画を立てて道に提出し、指定管理者に指定されました。その意味で、平成21年度までの事業計画は決して平原学芸副館長
(のち副館長)の専決事項ではあり得ませんし、あってはならないことです。指定管理者制度の実施に伴って道立文学館に着任した被告が、以上のことさえも弁(わきま)えていなかったのは、不思議というほかはありません。
④以上によって、被告の平原学芸副館長の立場・権限に関する証言が虚偽であることは明らかです。また、仮に、被告の証言が虚偽ではなく、平原学芸副館長が事業や展覧会の内容について専決権を持っていたとしても、そのことと、被告が「指揮監督する立場に着任した」こととどのように関連するのか、全く説明になっていません。
⑤ちなみに、平原学芸副館長が専決できる事項には、「事務局学芸課職員の事務分掌に関すること」(「財団法人北海道文学館事務決済規程」別表第4の2)がありました。平成18年度の事務分掌は、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」(2~3p)で述べたような経緯を経て、平成17年度内に「平成18年度 学芸部門事務分掌」(
甲60号証)の形で決まりました。それ故、事務分掌に関することが平原学芸副館長の責任範囲である以上、同文書が平原学芸副館長の手元になかったはずがありません。
 被告の言うところによれば、被告は4月1日に平原学芸副館長から事務事業について説明を受け
「被告は文学館に着任早々、年間事業計画及び各展覧会の企画内容について引き継ぎを受けており、館運営の柱となるのが展覧会事業であるため、4月7日の時点で同文書(「二組のデュオ展」の展示原案)についてはすでに目を通していた」被告「準備書面(2)」2p)ということです。もし被告の言うところが事実ならば、平原学芸副館長は平成18年度の年間事業計画書とともに同文書をも見せて、被告に説明したはずです。
 ところが被告は、田口裁判長の〈被告は4月13日に会議を開き、事務分掌を決めたと言っているが、この日は原告は休みだった。原告が出勤する日を選んで会議を開くことはできなかったのか〉という意味の質問に対して
「………4月も半ばに入っていましたので、だれがどの展覧会を実際に担当するのか、それはなるべく年度が早い時期に、一番いいのは前年度のうちに決まっているのがいいんだと思うんですけれども、それが決まっておりませんでしたので、私はなるべく早く決めたいと思っていました。その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので、それを早く決めなければ、年度の仕事がスムーズに進まないと思っていましたので、ですので、なるべく早く、…学芸班の職員全員の了解を得たいというふうに思ったからです」被告調書20p)と証言しています。
 すなわち被告の証言によれば、財団法人北海道文学館は平成18年度事業計画を立ててはいたが、平成18年4月中旬まで各事業の担当者を決めていなかったことになります。しかし、現実にそのようなことがあるはずがありません。
 被告は終始一貫して
甲59号証甲60号証の存在を無視して証言を行っていました。そのことと、以上の経緯から判断して、被告の偽証は明らかです。

D.人事院規則について
 原告は、被告の〈自分は原告の上司だった、指揮監督(命令)する立場だった〉という主張と法律との関係を確かめるために、「人事院規則」の交流基準第3条のただし書きに関連して
(前略)被告は、財団法人北海道文学館から、地位や賃金に関して、特別な取扱いを受けていましたか」と質問しました。それに対して被告は、賃金についての取扱いはありません。地位については、運用として、学芸班のとりまとめをしてほしいという依頼を受けました」と証言しました(被告調書35p・下線は引用者)。
 
①被告のこの証言から明らかなように、被告は
「学芸班のとりまとめ役」を財団法人北海道文学館における「地位」と認識し、その「地位」を与えられるという形で特別の取扱いを受けたことを認めました。被告が言う〈学芸班のとりまとめ役〉は、それまでの尋問の文脈から判断して、〈財団の職員を指揮下に置くこと〉、すなわち〈財団の職員を指揮命令する職務権限を持つ地位〉の意味であることは言うまでもありません。
 これは、被告自身が「人事院規則」の交流基準第3条のただし書きに反する法律違反を犯した事実を認めたことを意味します。
②被告はその「地位」に関して、
「依頼を受けました」と証言しましたが、これは本章の「B.被告の立場」で引用した、学芸の業務の取りまとめの仕事で、文学館へ行き、学芸の業務を行うという……………異動の話を、前の職場でも、それから、北海道教育委員会の文化課の職員からも聞いていたからです被告調書33p)という証言と矛盾します。
③被告はその「地位」に関して、
してほしいと依頼をうけました」と証言しましたが、依頼をした主体を明らかにしていません。実際は、被告が依頼されたのではなく、被告のほうが毛利館長に積極的に働きかけ、強引に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という違法な文書を作らせたことは、被告の「陳述書」(2p)によって明らかです(本章Aの②参照)。

E.〈とりまとめ役〉について
 なお、ここで、寺嶋弘道被告が言う〈学芸の業務のとりまとめ役〉、〈学芸班のとりまとめ役〉という言葉に関して整理しておきたいと思います。被告がこれらの言葉を使ったのは、10月31日の証言席での証言が初めてです。それ以前は、被告はそういう言い方を一度もしていませんでした
 しかも、被告の証言は、一方では北海道教育委員会の文化課の職員から「学芸の業務の取りまとめの仕事」の話が出たと言い、他方では、文学館に着任後、毛利館長から「学芸班のとりまとめ役」を依頼されたと言い、事情説明に重要な齟齬が見られます。その理由は、以下に証明するように、いずれも虚偽であったらからだと判断できます。
 
①被告は、被告の「準備書面(2)」の中で、自分の原告に対する立場を、
被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である(1p)、調査が適切に遂行されるよう指導する立場であった(2p)、「『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである(2p)、原告に対して平原副館長(正しくは学芸副館長)とともに指示した(2p)と主張していました。それ以後も、同種の主張を次のように繰り返しています。
 

「事業経費についても大まかに想定するように指示したのである。」(3p)
「常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。」
(3p)
「平原副館長(正しくは学芸副館長)とともに原告に対して業務の開始を指示したものであり、」
(3p)
「事実上の上司として文学館の業務に支障がないかどうかを判断するために当然の対応であった。」
(4p)
「記載内容は分単位であったため時間単位とするよう指導したのである。」
(4p)
「被告は、学芸班を統括する立場にあることから、」
(4p)
「被告が原告に求めたのは今後の執行予定額を整理するよう指示したのであり、」
(4p)
「旅行命令と整合を図るよう原告に対し指導したものであり、」
(5p)
「この書き直しの指示については、」
(5p)
「修正を指導したものである。」
(5p)
「ニセコ町への主張(出張?)に係る復命書についても同様の指導を行ったものであり、」
(5p)
「原告に対し事前に上司と相談しあらかじめ必要な協議を行い、命令を受ける必要がある旨指導したのであって、」
(6p)
「事前に打ち合わせをする必要がある旨指導したものであり、」
(6p)
「原告の出張の承認について手順を経ていない旨を指導したものであり、」
(7p)
「被告は原告に対し再三にわたり指導してきたところであるにもかかわらず、」
(7p)
「繰り返し指導したものであって当然のことである。」
(7p)
「事実上の上司である被告の指導であって、何ら責められるべき行為ではない。」
(7p)
「被告の指導にもかかわらず、原告は再三にわたって」
(7p)
「被告から同様の指導を受けることとなったものである。」
(7p)
「職員派遣による協力要請文書の作成を指示したものである。」
(8p)
「協力を依頼する文書の作成を、被告から原告に指導したものである。」
(8p)
「事実上の上司である被告の上記のような指導は適切かつ必要な行為であり、」
(8p)
「学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案責任者として」
(8p)
「これらの指導にあたって、」
(8p)
「被告の指導は文書事務について初歩的・基本的は知識のない原告に対する適切な行為であり、」
(8p)
「素直に被告の指導に応じようとしなかった原告の」
(8p)
「文学館の学芸班の責任者である被告にとって、」
(9p)
「被告は原告の非礼な態度を注意しようとしたが、」
(9p)
「被告は、同人から指導を受けた際の原告のこれまでの態度、姿勢などから、」
(9p)
「組織の一員として業務を進めるよう原告に対して指導した被告の言葉を、」
(10p)
「原告が『高圧的な嫌がらせ』と主張する被告の行為については、いずれも事実上の上司である被告として適切かつ必要な指導助言等であり、何ら非難されるべき行為でない」
(10p)
 
 被告はこのように、執拗なまでに自分が原告の「事実上の上司」であり、原告に対して注意や指示を与え、指導する関係にあったと主張し、身分・立場に関する上下関係を強調していました。被告はまた、被告の「陳述書」においても、
私は原告の事実上の上司としての立場で」(1p)、実質的な指導監督者であった私」(9p)と、自分の立場を強調していました。
 しかし被告は、原告が「準備書面」で挙げた人格権侵害の事実については、被告の「準備書面(2)」と「陳述書」の中で、何一つ具体的な証拠を挙げて反証していません。また原告が挙げた法律違反の指摘に関しても、何ら法的に反論することもしていません。被告はそれらのことを回避し、ただひたすら上に列挙したような上司意識をむき出しにして、指導/被指導の関係だったことを強調し、自分の行為は「
適切かつ必要」だったと自己正当化をはかっていました。
②被告が、原告に対する〈指示〉〈指導〉だったと主張する行為は、実体的にはパワー・ハラスメントを含む人格権侵害の行為であった。このことは、原告の「準備書面」及び「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」で詳細に指摘しましたので、ここでは繰り返しません。
 ただ、ここで一つ注意を促したいのは、被告は「準備書面(2)」と「陳述書」においてただの一度も、〈まとめ役〉ないしは〈とりまとめ役〉という言葉を使っていなかったことです。被告は常に自分を「
事実上の上司」「実質的な指導監督者」と呼び、自分の地位を「学芸班を統括する立場」「学芸業務を主管する学芸班の統括者」と称していました。
 原告はそれに対して、「準備書面(Ⅱ)―1」(5~7p)で、被告が主張する「
上司」には法的・規程的根拠がないことを指摘しました。更に原告は、「統括」という言葉に関して、財団の事務分掌における〈統括〉は、〈財団の学芸班と北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループとの業務の調整をはかり、まとめ役を務める〉という意味以外ではないことを指摘しておきました。また、被告の地位に関しては、原告の「陳述書」(13p)で、被告の地位は道立文学館に〈文学館グループ〉として駐在する3人の道職員の中のグループリーダーであり、それ以上でもなければそれ以外でもないことを証明しました。
 被告は原告のこれらの指摘には何の反論もしませんでした。しかし、10月31日の尋問において被告は、「
事実上の上司」という言葉を使わず、田口裁判長や原告の質問に対しては、〈学芸の業務のとりまとめ役〉・〈学芸班のとりまとめ役〉という言葉にすり替えていました。これは被告が、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」の指摘と批判に服さざるをえなかった証拠と言えます。
③ただし、被告が言う「
学芸の業務のとりまとめ役」・「学芸班のとりまとめ役」は、決して原告が言う「調整をはかり、まとめ役を務める」という意味と同じではありません。そのことは、被告が依然として「指揮命令」「指揮下に置」という言葉に執着していることから知ることができます。すなわち被告は、原告と同じ言葉を使い、同じ事柄を指しているかのように見せかけながら、その言葉の意味内容をすり替えようとしていたわけです。
 しかし、いかに言葉をすり替えようとも、被告が「準備書面(2)」で、自分は原告の上司であったと繰り返し強調した事実が帳消しになるわけではありません。また、自分は原告の上司だったと強調することによって自己正当化をはかった、被告の原告に対する数々の人権侵害の事実が消えるわけではありません。
 
 以上、このように、被告が10月31日の証人席で急に「
学芸の業務のとりまとめ役」、「学芸班のとりまとめ役」という言葉を使い始めた理由について分析してみますと、実は、道教委の文化課の職員から言われたという証言も、毛利館長から依頼されたという証言も、いずれも虚偽だったことが明らかです。なぜなら、もしいずれか一方が本当に真であったならば、被告は初めからそのことを踏まえて「準備書面(2)」を書くことができたはずだからです。
 被告は、「自分は原告の上司だった」と主張し、上記の如くその主張を執拗に原告に押しつけ、従わせようとする法律違反を犯しました。それに加えて被告は、この法律違反を誤魔化すために、北海道教育委員会の文化課の職員から「
学芸の業務の取りまとめの仕事」の話が出た、あるいは毛利館長から「学芸班のとりまとめ役」を依頼されたという偽証を、10月31日の法廷において行ってしまいました。

F.「運用」と「兼業規程」について
 寺嶋弘道被告はDに引用した証言の中で「運用として」という言い方をしていました。原告はその証言に関連して、被告は〈自分は原告の上司だった〉と繰り返し主張してきたにもかかわらず、人事院規則や北海道人事委員会規則によってその主張を裏づけることができないことを確認しました。原告はその上で、
では、(人事委員会の規則等には)該当しないというと、無限定になるというふうにとらえてよろしいんでしょうか」と質問したところ、被告は「いえ、ですので、その条例や法令とは別な話ではないでしょうか」と証言しました。
 さらに、
別な話だととらえているということですね」という原告の質問に対して、被告はいや、そういう、いわゆる兼業規程だと思いますので、本職とは別なことをやるときに承認を得るということだと私は理解していますので、私は正に本職として文学館へ行って仕事をしておりますので、兼業の申請を上げる理由はないということです」と証言しました(被告調書37p)。
 
①被告がいう「兼業規程」は、「北海道職員服務規程」第5条第4号を指すものと思われますが、原告が質問したのは「北海道人事委員会規則12」に関することでした。ただ、いずれも「職務に専念する義務の特例」に関する規則または規程ですので、その概念に関する理解に焦点を合わせて言いますと、「職務に専念する義務の特例」は決して
「本職とは別なことをやる」ことを認める規則(または規程)ではありません。あくまでも「職務に関連ある国家公務員又は他の地方公共団体の公務員としての職を兼ね、その職に関する事務を行う場合」や「道行政の運営上その地位を兼ねることが特に必要と認められる団体の役職員の地位を兼ね、その事務を行う場合」に限られています。「本職」(本務)と密接な関係がある職または地位以外を兼ねることは、許されていません。
②被告は
「本職として文学館へ行って仕事をしております」と証言しましたが、Ⅰ章のDに引用した証言の中では、財団法人において上司の「地位」を得ていたことを認めています。これは、「道行政の運営上その地位を兼ねることが特に必要と認められる団体の役職員の地位を兼ね、その事業を行う場合」に該当するはずです。そのためには「兼業(職)承認申請書」を知事に提出しなければなりません(「北海道職員服務規程」第5条第4号)。
 原告がその点に関して質問したところ、被告は
「私は兼業として道立文学館という職場に勤務しているのではなく、道職員の駐在職員として職務に就いていますので、今のその人事委員会の規則等には該当しないと思います。ですので、承認申請を上げる理由がありません」被告調書36p)と証言しました。すなわち被告は、先には、財団において上司の「地位」を兼ねていたことを認めたにもかかわらず、今度は「道職員の駐在職員として職務に就いている」だけであると主張することによって、「北海道人事委員会規則」に違反してきた事実を隠蔽しようとした。しかも知事に提出すべき「兼業(職)承認申請書」を怠るという、「北海道職員服務規程」違反を犯してきたわけです。
③被告は、財団法人において「地位」に就くことが特別な取扱いであったことを認めた上で、そのことは
「条例や法令とは別な話」ととらえ、「運用」と呼んでいました。しかし、〈運用〉とは、条例や法令や規則や規程が現実に即して適切に、遺漏なく行われるように内規や細則を定めて実施することです。条例や法令や規則や規程に反することを行うことは、〈運用〉ではありません。違法または脱法行為です。被告が「運用」と言った時、被告の頭の中にあったのは「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)だったと思われますが、この文書の作成過程及びその内容が違法かつ脱法以外の何ものでもないことは、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(5~7p)で詳細に指摘し、批判しておきました。原告の指摘と批判に対して、被告からの反論は全くありませんでした。
④なお、財団も、
乙2号証の違法性には気がついたのでしょう。財団が編集発行した『平成18年度年報』(平成20年2月作成)の組織図(乙4号証)からは「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という文言を削ってしまいました。
 そして、財団に
乙2号証の違法性を気づかせたものは、原告が被告から受けたパワー・ハラスメントをアピールした文書(甲17号証)でした。なぜなら、甲17号証の13pにおける原告の要求と、平成18年11月10日に原告が毛利館長・平原副館長と話し合った結果の合意事項(甲18号証)とを比べてみるならば、財団が原告の要求を受け入れて、乙2号証の*印の文言を放棄したことは明らかだからです。

G.被告の職務
 寺嶋弘道被告は、田口裁判長の
「被告が携わっていた業務の内容のことについて伺いますけれども、道立文学館へ異動するに当たって、北海道の教育委員会のほうから、どういう内容の職務を行うということで訓令を受けて着任されましたか。」という質問に対して、次のように証言しました。仕事の内容は、博物館の資料の収集、展示公開、教育普及、…さらに、調査研究、この4つのいわゆる学芸的な仕事を行うこととして、………着任をいたしましたし、そのうちの調査研究は、条例上で学芸員の仕事として行わなければならないと決められていることですし、残りの3つは財団法人のほうから依頼を受けて行う業務です。」被告調書19p)。
 
①この証言は、被告がいかに自分の職務を不正確にしか認識していなかったかを如実に物語っています。道立文学館に駐在する道の学芸員の職務は「北海道立美術館管理規則」に準ずることになっていますが、被告が上げた4つの職務は全て同規則の第1章第3条に明記されています。調査研究は条例上で学芸員の仕事として定められており、資料の収集、展示公開、教育普及は財団法人の依頼を受けて行うという、仕事上の区別はありません。
②被告は道立文学館へ着任するに当たって、『北海道立文学館の管理に関する協定書』
の別紙、「(道の学芸員が)指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」(
甲35号証)を手渡されたはずです。この「専門的事項」は「道立近代美術館管理規則」第1章第3条を更に細分化したものと言えるのですが、その文書のタイトルが示すように、被告はあくまでも指定管理者(財団法人北海道文学館)の依頼を受けて専門的事項を行うために「着任」したのです。指定管理者が依頼する「専門的事項」の中には、〈上司になってほしい〉とか、〈指揮監督(命令)する立場に着任してほしい〉という類の依頼は一言半句も見られません。

H.被告側が無視しようとした法律違反
 被告代理人の太田三夫弁護士は被告に対する尋問の中で、原告が「準備書面」で「被害の事実」として上げた、「(13)平成18年12月6日(水曜日)」の項を無視してしまいました。原告がこの項で取り上げたのは、被告が財団の人事方針を決めた「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」(
甲20号証)という起案書の「合議」の欄に押印をしたことに関してです。この「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」の協議の決定の結果、財団のホームページ等で公表された「公募要項」は、高齢者雇用安定法や雇用対策法に反する法律違反の内容を含んでいました。その法律違反の公募要項のため、原告は財団の正職員の公募に応募する機会を失い、翌年の春、嘱託職員の職を失いました。
 以上の点に関して、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」において、
被告はこの違法な募集要項を決定した『平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考』に関する『決定書』(12月12日決定。甲20号証)の『合議』の欄に押印している。これは北海道教育委員会の職員である被告が、民間の財団法人の人事に関する方針の決定に加わったことを意味し、公務員として違法な行為である。しかも財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。それにもかかわらず、被告はそれを阻止せずに、違法行為に加担した。その意味で二重に違法行為を行ったことになる。かつ被告は、この募集要項が実施されるならば、原告が応募の機会を失うことを承知していたはずであるが、あえて公務員としての分限を越えて、原告を失職に追い詰める違法行為に加担した。/これは前項で指摘した、財団の人権侵害行為との共犯関係に新たに加えられた、被告と財団との共犯的違法行為である(44p)と指摘しました(/は改行を示す)

 被告は、原告が訴える「被害の事実」に関して、原告の任用や学芸員及び司書の採用に係る事項については、財団が進めていた事項であり、北海道教育委員会職員である被告の権限、責任の及ばざるところであり、財団の対応も含めて被告の責めに帰するとする原告の主張は失当である」(被告「準備書面(2)」10p)という態度に逃げ込み、そこから一歩も出ようとしていません。
 しかし、この逆のケースを考えてみたらどうでしょう。仮に、北海道教育委員会が、道立文学館に駐在させている学芸員の異動や、学芸員の新採用を構想した時、その起案書の合議欄に、民間の財団法人の神谷理事長なり毛利館長なりの押印を求めることがあり得るでしょうか。もちろん、こうした場合、この起案書の合議欄に神谷理事長なり毛利館長なりの押印がなければ、起案が決定されたことにはならず、その意味では北海道教育委員会の人事に民間の財団法人の理事長や館長がかかわることになるわけです。北海道教育委員会が、そのような違法な手続きを取るとは考えられません。
 そのように考えれば分かるように、被告が財団の「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」の「合議」の欄に押印していたという事実は、北海道教育委員会の公務員である被告が民間の財団の人事に加わっていた事実の明白な証拠にほかなりません。もし、被告が本当に、財団の人事には加わっていなかったならば、被告は「決定書」の回覧に目を通すだけで済んだはずです。
 被告は根拠なき〈上司〉意識、〈指揮監督(命令)の立場〉の自己主張によって、原告に対して人格権の侵害を繰り返しました。加えて被告は、上記のような法律違反を犯しています。以上のような意味で、被告の法律違反は全て確信犯的な行為であったと言えます。
 
亀井秀雄注:「F、『運用』と『兼業規程』について」の③で、亀井志乃が言及した「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)については、これまでほとんど言及して来なかったので、ずっと読んで下さった方にも、やや分かりにくかったかもしれない。
 これは、平成18年4月18日に開かれた――この年度でたった1回だけ開かれた――全体職員会議で配布された文書であり、その末尾に、まるで但し書きみたいに、「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という文言がついていた。しかも、この文書はただ配布されただけで、文書の性質についても、*印の文言についても、何の説明もなかった。つまり、職員全体会議の議題でもなければ、伝達事項でさえなかった。ところが被告の寺嶋弘道と、被告代理人の太田弁護士は、「E、〈とりまとめ役〉について」で見たように、この文言を唯一の根拠として、「寺嶋弘道は亀井志乃の上司だった」という主張を繰り返した。だが、この文言には二重の意味で正当性がない。
 
 第1に、この文言における「規程の定めにかかわらず」の「規程」は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」を指すわけだが、この規程の第6条は「この規程の改正は、理事会で決定しなければならない」とあり、第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。
 ところが寺嶋弘道の「陳述書」(平成20年4月16日提出)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」なる文書は、平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長及び寺嶋弘道学芸主幹(非財団職員)が相談して、急遽作成したものだった。
 つまり、寺嶋弘道という非財団職員が、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長と謀って、肝心要の神谷理事長を除外して、神谷理事長の権限を奪い、かつ理事会の決定権を無視して事を運んでしまった。しかも、「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」とばかりに、公然と「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」それ自体の否定を表明したのである。
 このように規程違反のやり方で作文した「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」には何の正当性もない。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」でその点を批判したのである。
 
 亀井志乃が指摘した第2の点は、さらに深く法律に関する問題であって、彼女は次のように批判した。「もし北海道庁、または北海道教育委員会の内部に、『北海道の公務員は民間の財団法人の中で、財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、財団法人で働く民間人の上司となることができる』旨のことを規程した公文書があるとすれば、それは北海道庁または北海道教育委員会が地方公務員法に違反したことを意味する。/また、もし財団法人北海道文学館の中に、『当財団法人は、道立文学館に駐在する公務員に、当財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、当財団法人で働く民間人の上司となることを許す』旨のことを規程した文書があるとすれば、それは駐在道職員に違法な行為を許すことを意味し、これまた違法な行為なのである」。この指摘については、特に説明の必要はないだろう。今回紹介したⅠ章の尋問は、この違法性をめぐって行われたわけである。】

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北海道文学館のたくらみ(47)

予告と補足

○亀井志乃の「最終準備書面」
 亀井志乃は12月12日(金)、3時ころ、札幌地方裁判所に「最終準備書面」を提出してきた。A4版で106枚、400字の原稿用に換算すれば400枚を超える。
 本来ならば、10月31日(金)の公判において原告尋問、被告尋問があり、これによって双方の主張が終わり、あとは判決を待つばかりだった。とことが、10月31日の閉廷間際に、被告代理人の太田三夫弁護士から、「本日の法廷で言い残したことがあるから、もう一度『準備書面』の機会を与えてほしい」との要望があり、田口紀子裁判長がそれを認めて、原告、被告の双方に「最終準備書面」の機会を与えることにした。この時、田口裁判長が双方に課した条件は、「新しい証拠は出さないように」ということであった。

 11月の13日(木)、札幌地方裁判所の書記から亀井志乃に「10月31日の公判の速記録が出来ました」と電話をしてきた。そこで亀井志乃は17日(月)、裁判所へ出かけて「速記録」のコピーを取ってきた。それを検討してみると、寺嶋弘道被告が次から次へと嘘を吐いていたことが分かる。太田弁護士の誘導尋問そのものにも嘘が混じっている。それを指摘していったところ、ついに106ページ、400枚になってしまったのである。

○太田弁護士の「準備書面(4)」
 ところが、12月16日(火)になっても、被告側の「最終準備書面」が届かない。「おかしいな。太田弁護士のほうが『言い残したことがあるから』と言い出して、結審を先送りにして、『最終準備書面』を書くことになったわけだろう。締め切りまで、期間を1ヶ月半近く希望したのも、太田弁護士のほうだった。それなのに締め切りの期日を守らない。これはもう不誠実としか言いようがないな」。そんな話をしていたところ、17日(水)の昼前、速達で太田弁護士署名の「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)が届いた。約束は「最終準備書面」のはずだが、「準備書面(4)」となっている。この人、きちんと約束を守る意識が乏しいのかもしれない。
 しかも、1ヶ月半近く時間をもらっておきながら、たったの7枚。内容は、……いや、具体的には、明日、12月19日(金)の公判が終わってから、必要に応じて言及することにしよう。

○ブログ掲載の約束
 ただ、亀井志乃の「最終準備書面」は、19日(金)の公判が終わり次第、本人の了解を得て、次回から掲載する。他方、太田弁護士がどんな文章を書いたか。全文を知りたい人は札幌地方裁判所に申し込めば、複写を取ってくれる。札幌地方裁判所の民事第1部3係で、「平成19年(ワ)第3595号 損害賠償等請求事件」と言えば、直ぐに分かってもらえるはずである。たったの7枚だから、複写代は幾らもかからない。
 次回から掲載する亀井志乃の「最終準備書面」と、ぜひ読み較べてもらいたい。

○財団法人北海道文学館の「お詫び」
 さて、それはそれとして、亀井志乃が「最終準備書面」を出した翌日、ある人が、「北海道文学館報」第75号(財団法人北海道文学館、平成20年10月21日)に、次のような「お詫び」が載っていることを教えてくれた。
《引用》
お詫び
 平成二十年度の「北海道立文学館事業案内」(リーフレット)中の企画展「文学の鬼を志望す――八木義徳」紹介文に「室蘭港の文学館、町田市民文学館、当館ほかの資料より紹介します。」とありますが、このことについて、事前に室蘭市港の文学館様に直接のご連絡、ご相談をしないまま、印刷・配布を先行させてしまいました。今後は手続きに万全の留意をいたしますことをお約束し、同館、並びに室蘭文学館の会の関係の皆様に衷心よりお詫び申し上げます。 (財)北海道文学館
 

 ちなみに、町田市民文学館の「文学の鬼を志望す――八木義徳展」は2008年10月18日から12月14日まで。道立文学館はそれを受けて、2009年1月31日から3月29日まで八木義徳展を行うことになっている。

 町田市民文学館が出した八木義徳展の図録『文学の鬼を志望す――八木義徳展』(2008年10月18日)は、小樽の文学館に届いていた。見ると、道立文学館の資料はわずかに6点。それに対して、室蘭の「港の文学館」は28点も協力している。平成18年度の石川啄木展と同様、道立文学館は町田市民文学館のセットをそのまま借り受けるつもりだろう。そう思っていたのだが、どうやら道立文学館は「港の文学館」の頭越しに町田市民文学館と交渉し、室蘭の文学館の諾否を取らなかったらしい。
 まさか道立文学館が、未だこんな初歩的なミスをやっているとは思わなかった。

○軽視された八木義徳と室蘭の文学館
 道立文学館が平成19年度の特別企画展で八木義徳を取り上げることは、既に平成17年度のうちに決まっていた。ところが、平成18年度末の理事会に出てみると、19年度の八木義徳展をキャンセルしてしまい、それまで予定になかった太宰治展や川柳展をやるという。私は理事会の席で、そういうやり方は北海道教育委員会との約束を破ることであり、ひいては道民に対する背信行為ではないか、と批判をした。このブログでも批判をしておいた。
 
 それがどの程度効果があったかは分からないが、平成20年度の企画展(特別企画展ではない)に八木義徳を取り上げることになり、私は「北海道文学館のたくらみ(30回)」で、次のように書いた。
《引用》
 
ただ、一つ取柄があるとすれば、平成19年度にキャンセルしてしまった特別企画展「八木義徳と北海道の作家たち」を、平成20年度で、企画展「文士の素顔 八木義徳の世界展」(仮題)という形で復活させることだろう。(中略)平成20年度の八木義徳展は町田文学館との共催で行う予定だという。八木義徳と言えば、室蘭の「港の文学館」に充実したコレクションがある。平成19年度の特別企画展(5~6月)をキャンセルし、平成20年度の企画展(平成21年1月31日~3月29日)に変えたことと、協力の相手として「港の文学館」ではなく、町田文学館を選んだことは、何か関係があるのかもしれない。
 
 幸か不幸か、私の「読み」は当たってしまったわけで、道立文学館は室蘭を無視していたのである。
 
○前回の補足
 この企画展の担当者が誰であるか、私は知らない。ただ、道立文学館に駐在する寺嶋学芸員の「手順論」がどんなに危うい錯誤に充ちているか、前回の「北海道文学館のたくらみ(46)」で批判しておいた。――事実彼は、平成18年度、自分が主担当の「栗田和久・写真コレクション展」をご破算にしてしまった。――繰り返しになるが、もう一度指摘しておきたい。
《引用》
 
文学館の業務は、前年度末には事務分掌が決まり、予算もついている。展覧会の主担当と副担当は既に職員の間では了解されている構想に従って準備に取りかかるわけだが、亀井志乃の場合で言えば、まず自分の構想を具体的に展示設計図の形で描いてみて、それを関係の方々や研究者に送って、アポイントを取って足を運んだり、手紙のやりとりをしたりしながら、今回の取り上げ方について理解を求め、展示の方法について意見を聞き、そのように信頼関係を作りつつ、資料の便宜を図ってもらう内諾を得ておく。そういう手順を踏み、ある程度見通しが立った段階で、例えば「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)のような資料を配付、説明して、出張の理解を求めるのである。
 それが展示を担当する学芸員の基本的な心構えであって、もし太田弁護士や寺嶋弘道が言うように、まず展示の内容を決定し、出張先とその日程を決めた上で、「事前に」皆の了解を取ってから、出張の予算をつけてもらい、さてその後に相手先と連絡を取る。そういう手順を踏み、ところが、相手先から資料や作品の貸し出しを断られたり、日程が合わないからお目にかかることはできないと断られたりしたら、一体どうなるか。ニッチもサッチも行かなくなって、展覧会そのものがご破算になってしまうだろう。特に貴重な資料や作品は他の文学館からの借用申し込みが多く、数年前から手を打っておかなければ、貸してもらうことは出来ない。太田弁護士と寺嶋弘道が掛け合い漫才よろしく頷き合っていた手順論など、何のリアリティもないのである。

 ところが、全く信じがたいことに、寺嶋弘道は本気で自分の手順論が通用すると思っていたし、現在も思っているらしい(下線、太字は引用者)

 栗田展の中止と、今回の「お詫び」では、事の経緯が少し異なる。しかし、失態の原因は同じだったと言えるだろう。八木展の担当者は町田市民文学館と勝手に話を進めてしまい、ところが「港の文学館」の関係者が道立文学館のリーフレットを見て、自分たちを無視したやり方に腹を立て、道立文学館に〈町田市民文学館とは資料を貸す約束はしたが、道立文学館へ貸し出し約束はしていない〉と抗議した。そこで、平原一良なり寺嶋弘道なりが慌てて室蘭まで出かけ、平謝りに謝り、何とか協力してもらえるところまで漕ぎ着けたが、その代わりに、謝罪文の掲載を約束させられた。以上は私の想像だが、当たらずといえども遠からずというところだろう。

○乞う、ご期待
 ともあれ、前回、以上のようなことを指摘した頃、まるでその裏づけをしてくれるみたいに、道立文学館は先のような醜態を晒していたわけだが、このことを一つ補足して、さて、次回からは亀井志乃の「最終準備書面」の紹介に入る。

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