北海道文学館のたくらみ(48)
亀井志乃の「最終準備書面」その1
【12月19日10時に第8回公判が行われ、田口紀子裁判長から原告の亀井志乃に「12月12日付の『最終準備書面』のとおり陳述しますか」と確認がなされ、亀井志乃は「はい」と答え、2箇所だけ、文字の訂正をお願いした。続いて、田口裁判長は被告寺嶋弘道の代理人・太田三夫弁護士に「12月16日付の『準備書面(4)』のとおりに陳述しますか」と確認がなされ、太田弁護士は「はい」と答えた。これによって第8回の公判が終わり、田口裁判長より、平成21年2月27日(金)午後1時10分に判決を言い渡す旨のことが伝えられた。
以上の手続きによって、亀井志乃の「最終準備書面」と、被告の「準備書面(4)」は法廷における陳述と見なされることになったわけで、以下、何回かに分けて亀井志乃の陳述を紹介する。紹介の方針は、亀井志乃の「陳述書」(「北海道文学館のたくらみ(43)~(45)」)の場合に準ずるが、原文の傍点は省略した。今回は「Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について」の終わりまでを紹介する。平成20年12月21日】
事件番号 平成19年(ワ)第3595号
損害賠償等請求事件
原告 亀 井 志 乃
被告 寺 嶋 弘 道
最 終 準 備 書 面
札幌地方裁判所民事第1部3係 御中
平成20年12月12日
原告 亀 井 志 乃 印
はじめに
去る平成20年10月31日、田口紀子裁判長におかれましては、原告本人に対する尋問を快くお引き受けいただき、心より感謝申し上げます。しかし、原告自身としましては、その際、必ずしも、十分に意を尽くした証言が出来たとは言うことが出来ず、悔いが残りました。またその意味では、田口裁判長に対し、誠に申し訳なく思っております。
他方、被告代理人・太田三夫弁護士の被告本人に対する尋問は、誘導尋問に終始しており、内容的には被告の〈意図〉や〈気持ち〉を問うて、被告に言い訳をさせるだけのものでしかありませんでした。
今回特に注目していただきたいのは、10月31日の尋問において、被告側から、原告が「訴状」及び「準備書面」で主張していた「被害の事実」とその違法性に関して、原告の主張を覆す証言は出なかったことです。また、原告が「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」「準備書面(Ⅱ)―3」及び「陳述書」で指摘した、被告及び平原一良副館長の「陳述書」における虚偽の記述と新たな人格権侵害の犯罪性に関しても、原告の指摘を覆す証言はありませんでした。
その一方で被告は、被告代理人の尋問に対する証言や、田口裁判長及び原告の尋問に対する証言の中で、明らかに偽証と判断できる証言を行っていました。特に被告は、裁判長が北海道立文学館の年間及び日常業務の流れや、各職員の業務内容及び経歴、さらには館内の間取り等について詳しくご存じないのをよいことに、厚顔なごまかしや言いつくろいをしておりました。
しかし、それが分かっていても、時間的な制約のため、その点については口頭では十分に指摘することができず、尋問終了時には非常に残念に思っておりました。
しかし幸いにも、裁判長は、閉廷間際に「もし言い足りないことや、補足したいことがあれば」ということで、「最終準備書面」を提出する機会を与えてくださいました。ご配慮に、深く感謝申し上げます。
そこで、本「最終準備書面」では、既に「訴状」及び3月5日付「準備書面」、「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ―2)「準備書面(Ⅱ)-3」「陳述書」で述べたことと重複する点に関しては、最小限必要な範囲で言及するにとどめ、
Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について(3p)
Ⅱ章 被告が法廷で行った虚偽の証言(18p)
第1項 宣誓と〈1箇所の訂正〉について(18p)
第2項 被告側準備書面と法廷での主張内容が異なる証言、または、時間等の矛盾が含まれるために主張内容の成立が不可能な証言(19p)
第3項 原告がその誤りを指摘したにも関わらず、何の反論もなく被告の主張を繰り返し、さらに新たな虚偽の陳述を加えた証言(37p)
第4項 被告が今回の尋問において新たに行った虚偽の証言(57p)
Ⅲ章 被告と被告代理人が共謀して行った偽証、及び、被告代理人が原告に対して行った誘導尋問(64p)
Ⅳ章 被告のコミュニケーション態度について(95p)
Ⅴ章 被告の「つきまとい」の実態と人格権侵害の本質について(100p)
の順序で、10月31日の公判における被告及び被告代理人の発言の問題点を指摘し、必要に応じて反論・批判を述べたいと思います。そして最後に、締めくくりとして、
Ⅵ章 最終的な主張(104p)
を述べさせていただきたいと存じます。
なお、以下の本文中における引用のうち、第7回口頭弁論調書速記録の原告本人分からの引用については原告調書、被告本人分については被告調書と略記することといたします。
Ⅰ章 被告の公務員としての法律違反について
本章では、寺嶋弘道被告における、公務員としての法律違反の事実を取り上げます。
【目次】
A.〈事実上の上司〉(3p) B.被告の立場(5p)
C.被告の立場と平原学芸副館長との関係(8p) D.人事院規則について(10p)
E.〈とりまとめ役〉について(11p) F.「運用」と「兼業規程」について(14p)
G.被告の職務(15p) H.被告側が無視しようとした法律違反(16p)
A.〈事実上の上司〉
被告は、田口裁判長の「(被告は)準備書面の中で、事実上の上司だったというような書き方をされてるんですけれども、この事実上というのは、どういう意味なんですか」という質問に対して、次のように証言しました。
任用主体が、私の駐在職員とそれから財団の職員とでは任用権者が違いますので、そういう中で、一体的に仕事を進めていく、学芸の仕事を進めていく、それが指定管理者制度の一番のポイントだったんですが、それを統括する立場として、私が………着任いたしましたので、そのように………思っていました。つまり、規則上は、………財団の職員を指揮命令する立場には私はないと思いますが、職員の全体会議が開かれる4月18日まで、指揮命令をどうするかという話を度々館長としていましたので、私は当初、Oさんと亀井さんを私の指揮下に置くのは、制度が変わった上では、適切ではないんでないでしょうかという話を館長にしておりました。それでも、毛利館長から、前の年と変わらない運営でとりあえず進めてみたいので、指揮下に置いてくださいということの話がありましたので、それで、全体会議のあった日、4月18日だったと思いますが、その日に、そのようにして、財団の職員も目配りをするという立場になったものと思います。ですので、事実上のというのはそういう意味です。
(被告調書22p・下線は引用者。「……」は原文のママ。以下同じ)
またその後、原告が、被告への反対尋問の際に〈被告がどのような立場で行くかという訓令を与えたのは、教育委員長なのか〉という趣旨の質問をした時には、被告は、このように答えました。
いえ、私は直接教育委員長から指揮や指示を受けたことはなく、私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います。それを、学芸主幹として来たのだから学芸班の取りまとめをしてほしいというふうに、具体的には毛利館長から言われましたし、先ほどお話ししたように、そこまで踏み込むのは駐在の職員の職務ではないのではないでしょうかという話も実際に毛利館長ともいたしました。ですので、それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけれど、それまで、………20日近く、そのことを……議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました。
(被告調書33~34p・下線は引用者)
そして、原告が「で、実際に、それを指揮命令するというか統括するっていう立場を与えたのは毛利館長なんですね」と念をおすと、被告は「そうですね、はい、毛利館長とその話を度々いたしました」(同前)と同意し、指揮命令および統括する立場は毛利館長から与えられたものであるということを明言しました。
しかし、以下の理由から、被告の証言には信憑性が乏しく、また虚偽も含まれています。
①この証言には、いくつか実状に合わない点があります。まず第1に、もし毛利館長の意向が「前の年と変わらない運営でとりあえず進めてみたい」というのであれば、指揮命令をどうするかという問題は起こらないはずだからです。なぜなら、平成17年度までは、原告の「陳述書」(3~6p)で詳述したような和やかな雰囲気のなか、学芸関係の業務は、課内会議の合意に基づいて〈事務分掌〉を決め、各職員は自分に割り当てられた事務分掌を主体的に遂行する、というやり方を取り、何の支障もありませんでした。課内会議の中心になっていたのは、H学芸課長でしたが、H学芸課長が指揮命令権を持っていたわけでなく、指揮命令権を持っているかのように振舞ったこともありません。H学芸課長の指揮下に、財団のO学芸員(当時)と原告を置かなければ、仕事がスムーズに進まなかったという現実は全くありませんでした。
②被告は「陳述書」において、「私が当館への着任にあたって最重要課題としたのは、指定管理者との連携・協働を円滑に進め、職員相互の理解を図り、組織体としての文学館の運営、とりわけ学芸業務に関して滞留なく遂行するということでした。指揮命令をどうするか、連携・協働をどう進めるかについては、毛利正彦館長(当時)とも4月当初から数度にわたって協議を行い、」(1~2p・傍点引用者)と述べています。
この箇所は明らかに、指揮命令や連携・協働の在り方に関しては、被告のほうから毛利館長に働きかけて、協議を行ったことを示しています。
少なくとも、文脈は「(私が)毛利正彦館長とも(中略)協議を行い」と、〈私〉を主語にした流れであり、「毛利館長から」や「毛利館長が」といった、〈毛利館長〉を主語とした文章ではありません。したがって、〈被告は消極的だったが、毛利館長に説得された〉という意味に解釈することはできません。
つまり、法廷における被告の証言は、「陳述書」と矛盾することになります。
③被告は、駐在の道職員と財団の職員とを「統括する立場」で「着任」したのではありません。「統括」という言葉は、平成17年度末の課内会議で決定した「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)において、事務分掌の1つとして「学芸部門の統括」と使われた言葉です。その時の課内会議で、文学館グループのグループリーダーとして着任する被告と、既に平成17年度から働いている道職員のS社会教育主事に担当してもらうことになりました。言葉を変えれば、被告は道立文学館に着任して初めて、被告の事務分掌の1つとして〈学芸部門の統括〉という仕事に就くことになったのです。〈学芸部門の統括〉は、原告の「準備書面(Ⅱ)-1」(4~5p)で説明したように、まとめ役(coordinator)という意味であり、決して〈駐在道職員と財団職員を指揮命令する(direct and command)〉とか、〈財団のO司書と原告を指揮下に置く(place under the command of)〉という意味ではありません。
④被告は、「職員の全体会議が開かれる4月18日まで、指揮命令をどうするかという話を度々館長としていました」「それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけれど、それまで、………20日近く、そのことを……議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました」と証言し、いかに自分が、20日間もかけて、「指揮命令」問題について毛利館長と懇切に話し合いを続けていたか、という点を強調しようとしています。
しかし、この証言は、まったくの偽証というほかはありません。
なぜなら、毛利館長は非常勤の館長(Ⅱ章第3項のAにて後述)であり、週毎の出勤日は4日間だったからです。月曜日の休館日のほかに土・日を休むことになっていました(土・日のセレモニー等に出席する場合は振替休日をとっていたと記憶しています)。
したがって、甲56号証の職員勤務割振表における被告の出勤日に照らせば、4月1日から4月18日までの間に被告が館長と文学館で話ができるのは、4~7日と11~14日の8日間であり、18日当日を加えても9日間に過ぎません。
しかも、原告の記憶によれば、この平成18年の4月前半は、いよいよ指定管理制度が発足したということで、道や道教委などから、常にはないほどの様々な来客が訪れ、館長・副館長や学芸副館長は、連日、その応対に追われていました。被告も、S社会教育主事も、そうした来客対応の一環として館長室に時々呼び出されることはありましたが(甲30号証2枚目末尾・4/12(水)の項参照)、館長自身が忙しくしておりましたので、この時期、被告が館長とじっくり「指揮命令」権について「議論」をする時間を持つということは、事実上、きわめて困難だったであろうと思われます。
以上の理由から、被告の証言の信憑性が極めて低く、虚偽にもとづいていることは明らかです。
B.被告の立場
寺嶋弘道被告は、原告の「道教委の学芸員グループのリーダーは、連携協働する財団の職員の上司になることを許されているのでしょうか。もし許されるならば、それを許す規定はどこにあるのでしょうか」という質問に対して、次のように答えました。
(被告)上司になることの許す、許さないではなく、どのように連携をして事務事業を進めていくかというときに、そういう立場を引き受けなければならないことはあると思います。
(原告)では、規程にはよらないということですか。
(被告)……………規定にはよりません。
(被告調書32~33p)
原告がさらに「被告は、準備書面2の中で、着任日には平原一良学芸副館長から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業も、着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのであるというふうに書いておられますが、被告は、だれによって、どういう手続きを経て、指揮監督する立場を与えられたのでしょうか」と質問したところ、被告は「学芸の業務の取りまとめの仕事で、文学館へ行き、学芸の業務を行うという……………異動の話を、前の職場でも、それから、北海道教育委員会の文化課の職員からも聞いていたからです」と答えました(被告調書33p)。
しかしこれでは、〈だれによって、どういう手続きを経て、指揮監督する立場を与えられたのか〉という問いの答えにはなっていません。そのため、原告は「でも、着任したんですから、だれかから任命されたというふうに考えられますけれども」と質問を続けましたが、被告は「私の任命権者は北海道教育委員会の教育長です」と答えるのみでした。原告がさらに、「で、そちら(北海道教育委員会の教育長)から指揮監督する立場を与えられたんでしょうか」と質問すると、被告は「そのように理解しています」と答えました。
ところが、原告の「(前略)そうすると、訓令を、つまり、被告がどのような立場で行くかっていうことの訓令を与えてくれたというのも、教育委員長ということになりますか」という質問に対しては、被告は「いえ、私は直接教育長から指揮や指示を受けたことはなく、私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います。(後略)」と答えました(同前33p)。
①被告の証言は首尾一貫していません。念のため整理すれば、被告の証言は、
イ、被告が財団の職員の上司となることを許す規定は存在しない。
ロ、被告は北海道教育委員会の文化課の職員から、学芸の業務の取りまとめの仕事で文学館へ行くことになったと言われた。
ハ、被告は、北海道教育委員会の教育長から、指揮監督する立場を与えられた。
ニ、被告は、直接教育長から指揮や指示を与えられたことはない。
ホ、道教委文化課の学芸主幹である立場が、財団法人との連携を行う上でそのように(指揮監督する立場に)させている。
となります。
仮にニを「直接教育長に面接して、指揮監督する立場を与えられたわけではない」という意味に解釈するとしても、ハの証言が成り立つためには、教育長の名による〈被告に指揮監督する立場を与える〉旨の訓令なり命令書がなければなりません。しかし被告は、裁判長の「北海道の教育委員会のほうから、どういう内容の職務を行うということで訓令を受けて着任されましたか」(被告調書19p)という質問に対しては、〈訓令〉の存否に関する答えを避けていました。また、原告の「(前略)そういう、(訓令とは)直接の文書による命令ということになるわけですけども、それはなかったということなんですね。そういうものは直接教育委員長からの名前で、それは出てないということですね」という質問に対しては、被告は「ええ、1枚の私への辞令書だけです」と証言しました(被告調書34p)。すなわち、ハの証言を裏づける文書はなかったことになります。
②ホについては、「私は、道教委文化課の学芸主幹であるという立場が、財団法人との連携を行う上でそのようにさせているということだと思います」という証言における、「そのようにさせている」の意味が不明です。「させる」の主体が曖昧だからです。これを字義通りにとるならば、「学芸主幹という立場が、財団法人との連携を行う上で、被告を指揮監督する立場にさせている」という文章となり、要するに被告は「学芸主幹という立場」と、「財団の職員をも指揮監督する」とを同義に使っていたことが分かるだけです。
③道立文学館に駐在する道職員の職務については、特別な定めはなく、「北海道立美術館管理規則」に準ずることになっています。ただし同規則には、学芸主幹という〈職〉がありません。ただ、学芸主幹と前後する位置に当たると推定できる〈職〉についての〈職務〉が明記されていますので、それを挙げますと、
課長:上司の命を受け、課の事務をつかさどる
副主幹:上司の命を受け、所掌事務を整理する
主任学芸員:上司の命を受け、美術に関する作品その他の資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項のうち、特に困難な事項をつかさどる
とあります。「自分は学芸主幹だから指揮命令する立場を与えられた上司なのだ」という解釈を許す文言は全くありません。
すなわち被告は、同じく「文学館グループ」として道立文学館に駐在する道職員のS社会教育主事やA学芸員に対してさえも、「指揮命令する立場を与えられた上司」ではありえないのです。
④いわんや被告の、〈自分は原告の上司だった〉という主張には、全く根拠がありません。根拠がないにもかかわらず、北海道教育委員会の職員(公務員)たる被告が、連携協働して仕事を進めるべき財団職員の原告に対して、自分が原告の上司であると主張し、原告を被告の指揮監督下に置こうとしてきました。これが公務員の服務規程や倫理規程に反する違法行為であることは言うまでもありません。
指揮監督する立場には一定の権限が伴います。被告は、自分がその権限を持っている/持っていたと主張してきましたが、これは明らかに、公務員が自分に与えられていない権限を民間の市民に対して詐称してきたことを意味します。
しかも被告は「準備書面(2)」における「指揮監督の立場」(position of director and supervisor)という文言を、10月31日の尋問では「指揮命令の立場」(position of director and commander) と改めていました。「指揮命令の立場」は「指揮監督の立場」よりも一層大きな権限が伴う。被告は10月31日の法廷の証人席において、より大きな権限の詐称を行ったことになります。
C.被告の立場と平原学芸副館長との関係
寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」で「着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである」(2p)と主張していました。しかし被告は、10月31日の尋問において、〈着任日に平原学芸副館長から平成18年度の事務事業について説明を受けたこと〉と、〈指揮監督する立場に着任した〉ということがどう関係するのか、説明をしませんでした。
原告はその点について、「じゃ、当初のところで、その平原学芸副館長と話をしてというのは、特に関係がないわけですか」と確かめてみました。それに対して、被告は「いえ、そんなことはありません。毛利館長……も……………学芸班が、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については、平原副館長が専決事項として決めており、また、その内容にも精通しておりましたので、平原副館長から、4月1日のときに、その事務事業の概要について説明を受けたものです。」と証言しました(被告調書34p・下線は引用者)。
①しかし、平成18年度の事業や展覧会の実際的な内容は、平原学芸副館長(平成18年4月1日の時点では、平原一良氏は学芸副館長であって、副館長ではありません)の「専決事項」ではありませんでした。
被告は「財団法人北海道文学館事務決済規程」(証拠としては未提出)に基づいて証言したものと思いますが、平成18年5月末日までの同規程において、学芸副館長が専決できる事項の1つは、同規程「別表第4の1」によれば「展示事業、調査研究、講演会等の実施要項に関すること」でした。
しかし「実施要項」と「実施内容(又は実施計画)」は全く性質が異なります。例えば、大学の入試要項(入学定員、試験の日程、会場、合格者発表の日時と方法等)を定めることと、入試の実施内容(出題委員の選出、問題作成、実施、採点、集計、合否決定等)を定めることとは、同じではありません。被告は、その違いを読み取ることができなかったようです。
②平成18年度の事業(展覧会を含む)計画は、平成17年度内に決定されていましたが、そのプロセスは、原告の「準備書面(Ⅱ)―3」(8~10p)で詳述したように、まず学芸課内で何度か〈事業素案〉の検討を行い、ある程度絞り込んだ「候補案」(甲96号証)を、財団の複数の理事と評議員よって構成される〈企画検討委員会〉に諮って決定してもらう。その後、課内会議で、決定された事業に関する職員の〈事務分掌〉を決める。そういう手順を踏んでいました。この手順における平原学芸副館長の主な役割は、課内会議である程度絞り込んだ〈候補案〉を企画検討委員会に提案し、決定してもらうことでした。
③以上の手順を経て平成17年度内に決定されたのは、平成18年度の事業(展覧会を含む)計画だけではありません。平成17年度には、財団は、道の指定管理者制度導入の方針に対応するため、平成18年度から21年度までの4年間の事業計画を立てて道に提出し、指定管理者に指定されました。その意味で、平成21年度までの事業計画は決して平原学芸副館長(のち副館長)の専決事項ではあり得ませんし、あってはならないことです。指定管理者制度の実施に伴って道立文学館に着任した被告が、以上のことさえも弁(わきま)えていなかったのは、不思議というほかはありません。
④以上によって、被告の平原学芸副館長の立場・権限に関する証言が虚偽であることは明らかです。また、仮に、被告の証言が虚偽ではなく、平原学芸副館長が事業や展覧会の内容について専決権を持っていたとしても、そのことと、被告が「指揮監督する立場に着任した」こととどのように関連するのか、全く説明になっていません。
⑤ちなみに、平原学芸副館長が専決できる事項には、「事務局学芸課職員の事務分掌に関すること」(「財団法人北海道文学館事務決済規程」別表第4の2)がありました。平成18年度の事務分掌は、原告の「準備書面(Ⅱ)―2」(2~3p)で述べたような経緯を経て、平成17年度内に「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)の形で決まりました。それ故、事務分掌に関することが平原学芸副館長の責任範囲である以上、同文書が平原学芸副館長の手元になかったはずがありません。
被告の言うところによれば、被告は4月1日に平原学芸副館長から事務事業について説明を受け、「被告は文学館に着任早々、年間事業計画及び各展覧会の企画内容について引き継ぎを受けており、館運営の柱となるのが展覧会事業であるため、4月7日の時点で同文書(「二組のデュオ展」の展示原案)についてはすでに目を通していた」(被告「準備書面(2)」2p)ということです。もし被告の言うところが事実ならば、平原学芸副館長は平成18年度の年間事業計画書とともに同文書をも見せて、被告に説明したはずです。
ところが被告は、田口裁判長の〈被告は4月13日に会議を開き、事務分掌を決めたと言っているが、この日は原告は休みだった。原告が出勤する日を選んで会議を開くことはできなかったのか〉という意味の質問に対して、「………4月も半ばに入っていましたので、だれがどの展覧会を実際に担当するのか、それはなるべく年度が早い時期に、一番いいのは前年度のうちに決まっているのがいいんだと思うんですけれども、それが決まっておりませんでしたので、私はなるべく早く決めたいと思っていました。その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので、それを早く決めなければ、年度の仕事がスムーズに進まないと思っていましたので、ですので、なるべく早く、…学芸班の職員全員の了解を得たいというふうに思ったからです」(被告調書20p)と証言しています。
すなわち被告の証言によれば、財団法人北海道文学館は平成18年度事業計画を立ててはいたが、平成18年4月中旬まで各事業の担当者を決めていなかったことになります。しかし、現実にそのようなことがあるはずがありません。
被告は終始一貫して甲59号証と甲60号証の存在を無視して証言を行っていました。そのことと、以上の経緯から判断して、被告の偽証は明らかです。
D.人事院規則について
原告は、被告の〈自分は原告の上司だった、指揮監督(命令)する立場だった〉という主張と法律との関係を確かめるために、「人事院規則」の交流基準第3条のただし書きに関連して、「(前略)被告は、財団法人北海道文学館から、地位や賃金に関して、特別な取扱いを受けていましたか」と質問しました。それに対して被告は、「賃金についての取扱いはありません。地位については、運用として、学芸班のとりまとめをしてほしいという依頼を受けました」と証言しました(被告調書35p・下線は引用者)。
①被告のこの証言から明らかなように、被告は「学芸班のとりまとめ役」を財団法人北海道文学館における「地位」と認識し、その「地位」を与えられるという形で特別の取扱いを受けたことを認めました。被告が言う〈学芸班のとりまとめ役〉は、それまでの尋問の文脈から判断して、〈財団の職員を指揮下に置くこと〉、すなわち〈財団の職員を指揮命令する職務権限を持つ地位〉の意味であることは言うまでもありません。
これは、被告自身が「人事院規則」の交流基準第3条のただし書きに反する法律違反を犯した事実を認めたことを意味します。
②被告はその「地位」に関して、「依頼を受けました」と証言しましたが、これは本章の「B.被告の立場」で引用した、「学芸の業務の取りまとめの仕事で、文学館へ行き、学芸の業務を行うという……………異動の話を、前の職場でも、それから、北海道教育委員会の文化課の職員からも聞いていたからです」(被告調書33p)という証言と矛盾します。
③被告はその「地位」に関して、「してほしいと依頼をうけました」と証言しましたが、依頼をした主体を明らかにしていません。実際は、被告が依頼されたのではなく、被告のほうが毛利館長に積極的に働きかけ、強引に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という違法な文書を作らせたことは、被告の「陳述書」(2p)によって明らかです(本章Aの②参照)。
E.〈とりまとめ役〉について
なお、ここで、寺嶋弘道被告が言う〈学芸の業務のとりまとめ役〉、〈学芸班のとりまとめ役〉という言葉に関して整理しておきたいと思います。被告がこれらの言葉を使ったのは、10月31日の証言席での証言が初めてです。それ以前は、被告はそういう言い方を一度もしていませんでした
しかも、被告の証言は、一方では北海道教育委員会の文化課の職員から「学芸の業務の取りまとめの仕事」の話が出たと言い、他方では、文学館に着任後、毛利館長から「学芸班のとりまとめ役」を依頼されたと言い、事情説明に重要な齟齬が見られます。その理由は、以下に証明するように、いずれも虚偽であったらからだと判断できます。
①被告は、被告の「準備書面(2)」の中で、自分の原告に対する立場を、「被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である」(1p)、「調査が適切に遂行されるよう指導する立場であった」(2p)、「『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである」(2p)、「原告に対して平原副館長(正しくは学芸副館長)とともに指示した」(2p)と主張していました。それ以後も、同種の主張を次のように繰り返しています。
「事業経費についても大まかに想定するように指示したのである。」(3p)
「常設展副担当の原告に継続して担当するように指示した。」(3p)
「平原副館長(正しくは学芸副館長)とともに原告に対して業務の開始を指示したものであり、」(3p)
「事実上の上司として文学館の業務に支障がないかどうかを判断するために当然の対応であった。」(4p)
「記載内容は分単位であったため時間単位とするよう指導したのである。」(4p)
「被告は、学芸班を統括する立場にあることから、」(4p)
「被告が原告に求めたのは今後の執行予定額を整理するよう指示したのであり、」(4p)
「旅行命令と整合を図るよう原告に対し指導したものであり、」(5p)
「この書き直しの指示については、」(5p)
「修正を指導したものである。」(5p)
「ニセコ町への主張(出張?)に係る復命書についても同様の指導を行ったものであり、」(5p)
「原告に対し事前に上司と相談しあらかじめ必要な協議を行い、命令を受ける必要がある旨指導したのであって、」(6p)
「事前に打ち合わせをする必要がある旨指導したものであり、」(6p)
「原告の出張の承認について手順を経ていない旨を指導したものであり、」(7p)
「被告は原告に対し再三にわたり指導してきたところであるにもかかわらず、」(7p)
「繰り返し指導したものであって当然のことである。」(7p)
「事実上の上司である被告の指導であって、何ら責められるべき行為ではない。」(7p)
「被告の指導にもかかわらず、原告は再三にわたって」(7p)
「被告から同様の指導を受けることとなったものである。」(7p)
「職員派遣による協力要請文書の作成を指示したものである。」(8p)
「協力を依頼する文書の作成を、被告から原告に指導したものである。」(8p)
「事実上の上司である被告の上記のような指導は適切かつ必要な行為であり、」(8p)
「学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案責任者として」(8p)
「これらの指導にあたって、」(8p)
「被告の指導は文書事務について初歩的・基本的は知識のない原告に対する適切な行為であり、」(8p)
「素直に被告の指導に応じようとしなかった原告の」(8p)
「文学館の学芸班の責任者である被告にとって、」(9p)
「被告は原告の非礼な態度を注意しようとしたが、」(9p)
「被告は、同人から指導を受けた際の原告のこれまでの態度、姿勢などから、」(9p)
「組織の一員として業務を進めるよう原告に対して指導した被告の言葉を、」(10p)
「原告が『高圧的な嫌がらせ』と主張する被告の行為については、いずれも事実上の上司である被告として適切かつ必要な指導助言等であり、何ら非難されるべき行為でない」(10p)
被告はこのように、執拗なまでに自分が原告の「事実上の上司」であり、原告に対して注意や指示を与え、指導する関係にあったと主張し、身分・立場に関する上下関係を強調していました。被告はまた、被告の「陳述書」においても、「私は原告の事実上の上司としての立場で」(1p)、「実質的な指導監督者であった私」(9p)と、自分の立場を強調していました。
しかし被告は、原告が「準備書面」で挙げた人格権侵害の事実については、被告の「準備書面(2)」と「陳述書」の中で、何一つ具体的な証拠を挙げて反証していません。また原告が挙げた法律違反の指摘に関しても、何ら法的に反論することもしていません。被告はそれらのことを回避し、ただひたすら上に列挙したような上司意識をむき出しにして、指導/被指導の関係だったことを強調し、自分の行為は「適切かつ必要」だったと自己正当化をはかっていました。
②被告が、原告に対する〈指示〉〈指導〉だったと主張する行為は、実体的にはパワー・ハラスメントを含む人格権侵害の行為であった。このことは、原告の「準備書面」及び「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」で詳細に指摘しましたので、ここでは繰り返しません。
ただ、ここで一つ注意を促したいのは、被告は「準備書面(2)」と「陳述書」においてただの一度も、〈まとめ役〉ないしは〈とりまとめ役〉という言葉を使っていなかったことです。被告は常に自分を「事実上の上司」「実質的な指導監督者」と呼び、自分の地位を「学芸班を統括する立場」「学芸業務を主管する学芸班の統括者」と称していました。
原告はそれに対して、「準備書面(Ⅱ)―1」(5~7p)で、被告が主張する「上司」には法的・規程的根拠がないことを指摘しました。更に原告は、「統括」という言葉に関して、財団の事務分掌における〈統括〉は、〈財団の学芸班と北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループとの業務の調整をはかり、まとめ役を務める〉という意味以外ではないことを指摘しておきました。また、被告の地位に関しては、原告の「陳述書」(13p)で、被告の地位は道立文学館に〈文学館グループ〉として駐在する3人の道職員の中のグループリーダーであり、それ以上でもなければそれ以外でもないことを証明しました。
被告は原告のこれらの指摘には何の反論もしませんでした。しかし、10月31日の尋問において被告は、「事実上の上司」という言葉を使わず、田口裁判長や原告の質問に対しては、〈学芸の業務のとりまとめ役〉・〈学芸班のとりまとめ役〉という言葉にすり替えていました。これは被告が、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」「準備書面(Ⅱ)―2」の指摘と批判に服さざるをえなかった証拠と言えます。
③ただし、被告が言う「学芸の業務のとりまとめ役」・「学芸班のとりまとめ役」は、決して原告が言う「調整をはかり、まとめ役を務める」という意味と同じではありません。そのことは、被告が依然として「指揮命令」「指揮下に置く」という言葉に執着していることから知ることができます。すなわち被告は、原告と同じ言葉を使い、同じ事柄を指しているかのように見せかけながら、その言葉の意味内容をすり替えようとしていたわけです。
しかし、いかに言葉をすり替えようとも、被告が「準備書面(2)」で、自分は原告の上司であったと繰り返し強調した事実が帳消しになるわけではありません。また、自分は原告の上司だったと強調することによって自己正当化をはかった、被告の原告に対する数々の人権侵害の事実が消えるわけではありません。
以上、このように、被告が10月31日の証人席で急に「学芸の業務のとりまとめ役」、「学芸班のとりまとめ役」という言葉を使い始めた理由について分析してみますと、実は、道教委の文化課の職員から言われたという証言も、毛利館長から依頼されたという証言も、いずれも虚偽だったことが明らかです。なぜなら、もしいずれか一方が本当に真であったならば、被告は初めからそのことを踏まえて「準備書面(2)」を書くことができたはずだからです。
被告は、「自分は原告の上司だった」と主張し、上記の如くその主張を執拗に原告に押しつけ、従わせようとする法律違反を犯しました。それに加えて被告は、この法律違反を誤魔化すために、北海道教育委員会の文化課の職員から「学芸の業務の取りまとめの仕事」の話が出た、あるいは毛利館長から「学芸班のとりまとめ役」を依頼されたという偽証を、10月31日の法廷において行ってしまいました。
F.「運用」と「兼業規程」について
寺嶋弘道被告はDに引用した証言の中で「運用として」という言い方をしていました。原告はその証言に関連して、被告は〈自分は原告の上司だった〉と繰り返し主張してきたにもかかわらず、人事院規則や北海道人事委員会規則によってその主張を裏づけることができないことを確認しました。原告はその上で、「では、(人事委員会の規則等には)該当しないというと、無限定になるというふうにとらえてよろしいんでしょうか」と質問したところ、被告は「いえ、ですので、その条例や法令とは別な話ではないでしょうか」と証言しました。
さらに、「別な話だととらえているということですね」という原告の質問に対して、被告は「いや、そういう、いわゆる兼業規程だと思いますので、本職とは別なことをやるときに承認を得るということだと私は理解していますので、私は正に本職として文学館へ行って仕事をしておりますので、兼業の申請を上げる理由はないということです」と証言しました(被告調書37p)。
①被告がいう「兼業規程」は、「北海道職員服務規程」第5条第4号を指すものと思われますが、原告が質問したのは「北海道人事委員会規則12」に関することでした。ただ、いずれも「職務に専念する義務の特例」に関する規則または規程ですので、その概念に関する理解に焦点を合わせて言いますと、「職務に専念する義務の特例」は決して「本職とは別なことをやる」ことを認める規則(または規程)ではありません。あくまでも「職務に関連ある国家公務員又は他の地方公共団体の公務員としての職を兼ね、その職に関する事務を行う場合」や「道行政の運営上その地位を兼ねることが特に必要と認められる団体の役職員の地位を兼ね、その事務を行う場合」に限られています。「本職」(本務)と密接な関係がある職または地位以外を兼ねることは、許されていません。
②被告は「本職として文学館へ行って仕事をしております」と証言しましたが、Ⅰ章のDに引用した証言の中では、財団法人において上司の「地位」を得ていたことを認めています。これは、「道行政の運営上その地位を兼ねることが特に必要と認められる団体の役職員の地位を兼ね、その事業を行う場合」に該当するはずです。そのためには「兼業(職)承認申請書」を知事に提出しなければなりません(「北海道職員服務規程」第5条第4号)。
原告がその点に関して質問したところ、被告は「私は兼業として道立文学館という職場に勤務しているのではなく、道職員の駐在職員として職務に就いていますので、今のその人事委員会の規則等には該当しないと思います。ですので、承認申請を上げる理由がありません」(被告調書36p)と証言しました。すなわち被告は、先には、財団において上司の「地位」を兼ねていたことを認めたにもかかわらず、今度は「道職員の駐在職員として職務に就いている」だけであると主張することによって、「北海道人事委員会規則」に違反してきた事実を隠蔽しようとした。しかも知事に提出すべき「兼業(職)承認申請書」を怠るという、「北海道職員服務規程」違反を犯してきたわけです。
③被告は、財団法人において「地位」に就くことが特別な取扱いであったことを認めた上で、そのことは「条例や法令とは別な話」ととらえ、「運用」と呼んでいました。しかし、〈運用〉とは、条例や法令や規則や規程が現実に即して適切に、遺漏なく行われるように内規や細則を定めて実施することです。条例や法令や規則や規程に反することを行うことは、〈運用〉ではありません。違法または脱法行為です。被告が「運用」と言った時、被告の頭の中にあったのは「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)だったと思われますが、この文書の作成過程及びその内容が違法かつ脱法以外の何ものでもないことは、原告の「準備書面(Ⅱ)―1」(5~7p)で詳細に指摘し、批判しておきました。原告の指摘と批判に対して、被告からの反論は全くありませんでした。
④なお、財団も、乙2号証の違法性には気がついたのでしょう。財団が編集発行した『平成18年度年報』(平成20年2月作成)の組織図(乙4号証)からは「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という文言を削ってしまいました。
そして、財団に乙2号証の違法性を気づかせたものは、原告が被告から受けたパワー・ハラスメントをアピールした文書(甲17号証)でした。なぜなら、甲17号証の13pにおける原告の要求と、平成18年11月10日に原告が毛利館長・平原副館長と話し合った結果の合意事項(甲18号証)とを比べてみるならば、財団が原告の要求を受け入れて、乙2号証の*印の文言を放棄したことは明らかだからです。
G.被告の職務
寺嶋弘道被告は、田口裁判長の「被告が携わっていた業務の内容のことについて伺いますけれども、道立文学館へ異動するに当たって、北海道の教育委員会のほうから、どういう内容の職務を行うということで訓令を受けて着任されましたか。」という質問に対して、次のように証言しました。「仕事の内容は、博物館の資料の収集、展示公開、教育普及、…さらに、調査研究、この4つのいわゆる学芸的な仕事を行うこととして、………着任をいたしましたし、そのうちの調査研究は、条例上で学芸員の仕事として行わなければならないと決められていることですし、残りの3つは財団法人のほうから依頼を受けて行う業務です。」(被告調書19p)。
①この証言は、被告がいかに自分の職務を不正確にしか認識していなかったかを如実に物語っています。道立文学館に駐在する道の学芸員の職務は「北海道立美術館管理規則」に準ずることになっていますが、被告が上げた4つの職務は全て同規則の第1章第3条に明記されています。調査研究は条例上で学芸員の仕事として定められており、資料の収集、展示公開、教育普及は財団法人の依頼を受けて行うという、仕事上の区別はありません。
②被告は道立文学館へ着任するに当たって、『北海道立文学館の管理に関する協定書』
の別紙、「(道の学芸員が)指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」(甲35号証)を手渡されたはずです。この「専門的事項」は「道立近代美術館管理規則」第1章第3条を更に細分化したものと言えるのですが、その文書のタイトルが示すように、被告はあくまでも指定管理者(財団法人北海道文学館)の依頼を受けて専門的事項を行うために「着任」したのです。指定管理者が依頼する「専門的事項」の中には、〈上司になってほしい〉とか、〈指揮監督(命令)する立場に着任してほしい〉という類の依頼は一言半句も見られません。
H.被告側が無視しようとした法律違反
被告代理人の太田三夫弁護士は被告に対する尋問の中で、原告が「準備書面」で「被害の事実」として上げた、「(13)平成18年12月6日(水曜日)」の項を無視してしまいました。原告がこの項で取り上げたのは、被告が財団の人事方針を決めた「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」(甲20号証)という起案書の「合議」の欄に押印をしたことに関してです。この「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」の協議の決定の結果、財団のホームページ等で公表された「公募要項」は、高齢者雇用安定法や雇用対策法に反する法律違反の内容を含んでいました。その法律違反の公募要項のため、原告は財団の正職員の公募に応募する機会を失い、翌年の春、嘱託職員の職を失いました。
以上の点に関して、原告は「準備書面(Ⅱ)―1」において、「被告はこの違法な募集要項を決定した『平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考』に関する『決定書』(12月12日決定。甲20号証)の『合議』の欄に押印している。これは北海道教育委員会の職員である被告が、民間の財団法人の人事に関する方針の決定に加わったことを意味し、公務員として違法な行為である。しかも財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。それにもかかわらず、被告はそれを阻止せずに、違法行為に加担した。その意味で二重に違法行為を行ったことになる。かつ被告は、この募集要項が実施されるならば、原告が応募の機会を失うことを承知していたはずであるが、あえて公務員としての分限を越えて、原告を失職に追い詰める違法行為に加担した。/これは前項で指摘した、財団の人権侵害行為との共犯関係に新たに加えられた、被告と財団との共犯的違法行為である」(44p)と指摘しました。(/は改行を示す)
被告は、原告が訴える「被害の事実」に関して、「原告の任用や学芸員及び司書の採用に係る事項については、財団が進めていた事項であり、北海道教育委員会職員である被告の権限、責任の及ばざるところであり、財団の対応も含めて被告の責めに帰するとする原告の主張は失当である」(被告「準備書面(2)」10p)という態度に逃げ込み、そこから一歩も出ようとしていません。
しかし、この逆のケースを考えてみたらどうでしょう。仮に、北海道教育委員会が、道立文学館に駐在させている学芸員の異動や、学芸員の新採用を構想した時、その起案書の合議欄に、民間の財団法人の神谷理事長なり毛利館長なりの押印を求めることがあり得るでしょうか。もちろん、こうした場合、この起案書の合議欄に神谷理事長なり毛利館長なりの押印がなければ、起案が決定されたことにはならず、その意味では北海道教育委員会の人事に民間の財団法人の理事長や館長がかかわることになるわけです。北海道教育委員会が、そのような違法な手続きを取るとは考えられません。
そのように考えれば分かるように、被告が財団の「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」の「合議」の欄に押印していたという事実は、北海道教育委員会の公務員である被告が民間の財団の人事に加わっていた事実の明白な証拠にほかなりません。もし、被告が本当に、財団の人事には加わっていなかったならば、被告は「決定書」の回覧に目を通すだけで済んだはずです。
被告は根拠なき〈上司〉意識、〈指揮監督(命令)の立場〉の自己主張によって、原告に対して人格権の侵害を繰り返しました。加えて被告は、上記のような法律違反を犯しています。以上のような意味で、被告の法律違反は全て確信犯的な行為であったと言えます。
【亀井秀雄注:「F、『運用』と『兼業規程』について」の③で、亀井志乃が言及した「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)については、これまでほとんど言及して来なかったので、ずっと読んで下さった方にも、やや分かりにくかったかもしれない。
これは、平成18年4月18日に開かれた――この年度でたった1回だけ開かれた――全体職員会議で配布された文書であり、その末尾に、まるで但し書きみたいに、「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という文言がついていた。しかも、この文書はただ配布されただけで、文書の性質についても、*印の文言についても、何の説明もなかった。つまり、職員全体会議の議題でもなければ、伝達事項でさえなかった。ところが被告の寺嶋弘道と、被告代理人の太田弁護士は、「E、〈とりまとめ役〉について」で見たように、この文言を唯一の根拠として、「寺嶋弘道は亀井志乃の上司だった」という主張を繰り返した。だが、この文言には二重の意味で正当性がない。
第1に、この文言における「規程の定めにかかわらず」の「規程」は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」を指すわけだが、この規程の第6条は「この規程の改正は、理事会で決定しなければならない」とあり、第7条は「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。
ところが寺嶋弘道の「陳述書」(平成20年4月16日提出)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」なる文書は、平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長及び寺嶋弘道学芸主幹(非財団職員)が相談して、急遽作成したものだった。
つまり、寺嶋弘道という非財団職員が、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長と謀って、肝心要の神谷理事長を除外して、神谷理事長の権限を奪い、かつ理事会の決定権を無視して事を運んでしまった。しかも、「* 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」とばかりに、公然と「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」それ自体の否定を表明したのである。
このように規程違反のやり方で作文した「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」には何の正当性もない。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」でその点を批判したのである。
亀井志乃が指摘した第2の点は、さらに深く法律に関する問題であって、彼女は次のように批判した。「もし北海道庁、または北海道教育委員会の内部に、『北海道の公務員は民間の財団法人の中で、財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、財団法人で働く民間人の上司となることができる』旨のことを規程した公文書があるとすれば、それは北海道庁または北海道教育委員会が地方公務員法に違反したことを意味する。/また、もし財団法人北海道文学館の中に、『当財団法人は、道立文学館に駐在する公務員に、当財団法人の職員を指揮監督する立場に就くことを許し、当財団法人で働く民間人の上司となることを許す』旨のことを規程した文書があるとすれば、それは駐在道職員に違法な行為を許すことを意味し、これまた違法な行為なのである」。この指摘については、特に説明の必要はないだろう。今回紹介したⅠ章の尋問は、この違法性をめぐって行われたわけである。】
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