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北海道文学館のたくらみ(47)

予告と補足

○亀井志乃の「最終準備書面」
 亀井志乃は12月12日(金)、3時ころ、札幌地方裁判所に「最終準備書面」を提出してきた。A4版で106枚、400字の原稿用に換算すれば400枚を超える。
 本来ならば、10月31日(金)の公判において原告尋問、被告尋問があり、これによって双方の主張が終わり、あとは判決を待つばかりだった。とことが、10月31日の閉廷間際に、被告代理人の太田三夫弁護士から、「本日の法廷で言い残したことがあるから、もう一度『準備書面』の機会を与えてほしい」との要望があり、田口紀子裁判長がそれを認めて、原告、被告の双方に「最終準備書面」の機会を与えることにした。この時、田口裁判長が双方に課した条件は、「新しい証拠は出さないように」ということであった。

 11月の13日(木)、札幌地方裁判所の書記から亀井志乃に「10月31日の公判の速記録が出来ました」と電話をしてきた。そこで亀井志乃は17日(月)、裁判所へ出かけて「速記録」のコピーを取ってきた。それを検討してみると、寺嶋弘道被告が次から次へと嘘を吐いていたことが分かる。太田弁護士の誘導尋問そのものにも嘘が混じっている。それを指摘していったところ、ついに106ページ、400枚になってしまったのである。

○太田弁護士の「準備書面(4)」
 ところが、12月16日(火)になっても、被告側の「最終準備書面」が届かない。「おかしいな。太田弁護士のほうが『言い残したことがあるから』と言い出して、結審を先送りにして、『最終準備書面』を書くことになったわけだろう。締め切りまで、期間を1ヶ月半近く希望したのも、太田弁護士のほうだった。それなのに締め切りの期日を守らない。これはもう不誠実としか言いようがないな」。そんな話をしていたところ、17日(水)の昼前、速達で太田弁護士署名の「準備書面(4)」(平成20年12月16日付)が届いた。約束は「最終準備書面」のはずだが、「準備書面(4)」となっている。この人、きちんと約束を守る意識が乏しいのかもしれない。
 しかも、1ヶ月半近く時間をもらっておきながら、たったの7枚。内容は、……いや、具体的には、明日、12月19日(金)の公判が終わってから、必要に応じて言及することにしよう。

○ブログ掲載の約束
 ただ、亀井志乃の「最終準備書面」は、19日(金)の公判が終わり次第、本人の了解を得て、次回から掲載する。他方、太田弁護士がどんな文章を書いたか。全文を知りたい人は札幌地方裁判所に申し込めば、複写を取ってくれる。札幌地方裁判所の民事第1部3係で、「平成19年(ワ)第3595号 損害賠償等請求事件」と言えば、直ぐに分かってもらえるはずである。たったの7枚だから、複写代は幾らもかからない。
 次回から掲載する亀井志乃の「最終準備書面」と、ぜひ読み較べてもらいたい。

○財団法人北海道文学館の「お詫び」
 さて、それはそれとして、亀井志乃が「最終準備書面」を出した翌日、ある人が、「北海道文学館報」第75号(財団法人北海道文学館、平成20年10月21日)に、次のような「お詫び」が載っていることを教えてくれた。
《引用》
お詫び
 平成二十年度の「北海道立文学館事業案内」(リーフレット)中の企画展「文学の鬼を志望す――八木義徳」紹介文に「室蘭港の文学館、町田市民文学館、当館ほかの資料より紹介します。」とありますが、このことについて、事前に室蘭市港の文学館様に直接のご連絡、ご相談をしないまま、印刷・配布を先行させてしまいました。今後は手続きに万全の留意をいたしますことをお約束し、同館、並びに室蘭文学館の会の関係の皆様に衷心よりお詫び申し上げます。 (財)北海道文学館
 

 ちなみに、町田市民文学館の「文学の鬼を志望す――八木義徳展」は2008年10月18日から12月14日まで。道立文学館はそれを受けて、2009年1月31日から3月29日まで八木義徳展を行うことになっている。

 町田市民文学館が出した八木義徳展の図録『文学の鬼を志望す――八木義徳展』(2008年10月18日)は、小樽の文学館に届いていた。見ると、道立文学館の資料はわずかに6点。それに対して、室蘭の「港の文学館」は28点も協力している。平成18年度の石川啄木展と同様、道立文学館は町田市民文学館のセットをそのまま借り受けるつもりだろう。そう思っていたのだが、どうやら道立文学館は「港の文学館」の頭越しに町田市民文学館と交渉し、室蘭の文学館の諾否を取らなかったらしい。
 まさか道立文学館が、未だこんな初歩的なミスをやっているとは思わなかった。

○軽視された八木義徳と室蘭の文学館
 道立文学館が平成19年度の特別企画展で八木義徳を取り上げることは、既に平成17年度のうちに決まっていた。ところが、平成18年度末の理事会に出てみると、19年度の八木義徳展をキャンセルしてしまい、それまで予定になかった太宰治展や川柳展をやるという。私は理事会の席で、そういうやり方は北海道教育委員会との約束を破ることであり、ひいては道民に対する背信行為ではないか、と批判をした。このブログでも批判をしておいた。
 
 それがどの程度効果があったかは分からないが、平成20年度の企画展(特別企画展ではない)に八木義徳を取り上げることになり、私は「北海道文学館のたくらみ(30回)」で、次のように書いた。
《引用》
 
ただ、一つ取柄があるとすれば、平成19年度にキャンセルしてしまった特別企画展「八木義徳と北海道の作家たち」を、平成20年度で、企画展「文士の素顔 八木義徳の世界展」(仮題)という形で復活させることだろう。(中略)平成20年度の八木義徳展は町田文学館との共催で行う予定だという。八木義徳と言えば、室蘭の「港の文学館」に充実したコレクションがある。平成19年度の特別企画展(5~6月)をキャンセルし、平成20年度の企画展(平成21年1月31日~3月29日)に変えたことと、協力の相手として「港の文学館」ではなく、町田文学館を選んだことは、何か関係があるのかもしれない。
 
 幸か不幸か、私の「読み」は当たってしまったわけで、道立文学館は室蘭を無視していたのである。
 
○前回の補足
 この企画展の担当者が誰であるか、私は知らない。ただ、道立文学館に駐在する寺嶋学芸員の「手順論」がどんなに危うい錯誤に充ちているか、前回の「北海道文学館のたくらみ(46)」で批判しておいた。――事実彼は、平成18年度、自分が主担当の「栗田和久・写真コレクション展」をご破算にしてしまった。――繰り返しになるが、もう一度指摘しておきたい。
《引用》
 
文学館の業務は、前年度末には事務分掌が決まり、予算もついている。展覧会の主担当と副担当は既に職員の間では了解されている構想に従って準備に取りかかるわけだが、亀井志乃の場合で言えば、まず自分の構想を具体的に展示設計図の形で描いてみて、それを関係の方々や研究者に送って、アポイントを取って足を運んだり、手紙のやりとりをしたりしながら、今回の取り上げ方について理解を求め、展示の方法について意見を聞き、そのように信頼関係を作りつつ、資料の便宜を図ってもらう内諾を得ておく。そういう手順を踏み、ある程度見通しが立った段階で、例えば「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)のような資料を配付、説明して、出張の理解を求めるのである。
 それが展示を担当する学芸員の基本的な心構えであって、もし太田弁護士や寺嶋弘道が言うように、まず展示の内容を決定し、出張先とその日程を決めた上で、「事前に」皆の了解を取ってから、出張の予算をつけてもらい、さてその後に相手先と連絡を取る。そういう手順を踏み、ところが、相手先から資料や作品の貸し出しを断られたり、日程が合わないからお目にかかることはできないと断られたりしたら、一体どうなるか。ニッチもサッチも行かなくなって、展覧会そのものがご破算になってしまうだろう。特に貴重な資料や作品は他の文学館からの借用申し込みが多く、数年前から手を打っておかなければ、貸してもらうことは出来ない。太田弁護士と寺嶋弘道が掛け合い漫才よろしく頷き合っていた手順論など、何のリアリティもないのである。

 ところが、全く信じがたいことに、寺嶋弘道は本気で自分の手順論が通用すると思っていたし、現在も思っているらしい(下線、太字は引用者)

 栗田展の中止と、今回の「お詫び」では、事の経緯が少し異なる。しかし、失態の原因は同じだったと言えるだろう。八木展の担当者は町田市民文学館と勝手に話を進めてしまい、ところが「港の文学館」の関係者が道立文学館のリーフレットを見て、自分たちを無視したやり方に腹を立て、道立文学館に〈町田市民文学館とは資料を貸す約束はしたが、道立文学館へ貸し出し約束はしていない〉と抗議した。そこで、平原一良なり寺嶋弘道なりが慌てて室蘭まで出かけ、平謝りに謝り、何とか協力してもらえるところまで漕ぎ着けたが、その代わりに、謝罪文の掲載を約束させられた。以上は私の想像だが、当たらずといえども遠からずというところだろう。

○乞う、ご期待
 ともあれ、前回、以上のようなことを指摘した頃、まるでその裏づけをしてくれるみたいに、道立文学館は先のような醜態を晒していたわけだが、このことを一つ補足して、さて、次回からは亀井志乃の「最終準備書面」の紹介に入る。

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