北海道文学館のたくらみ(46)
この被告にしてこの弁護士あり―言語の権力主義的行使について―
○太田さん、「せめて裁判の性格だけでも、もう少し正確に認識して下さい。」
私はこの連載の第42回(「『裏』話の数々」)の結びで、黒古一夫さんに、「せめて裁判の性格だけでも、もう少し正確に認識して下さい。」と書いた。
黒古さんがこのブログを読んでくれたのは有り難いのだが、どうやら数回覘いてみただけで、しかも流し読みだったらしい。裁判について、とんでもない勘違いをしていたからである。そこで先のような願いを述べたわけだが、黒古さんが多忙なのはよく分かる。腰を据えてちゃんと読んでもらいたいと言うのは、これは無理な注文というものだろう。
そう反省していたのだが、何と! 寺嶋弘道被告の弁護士・太田三夫氏に向かって、「せめて裁判の性格だけでも、もう少し正確に認識して下さい。」と言わなければならないことになってしまった!!
10月31日の公判で、被告代理人太田三夫弁護士は原告の亀井志乃の本人尋問を行ったが、それまでの質問から話題を変えて、「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やしましたよね。」などと言い出したからである。
○意味も意図も不明な質問
今月の13日(木)、札幌地方裁判所の書記さんから亀井志乃に「10月31日の公判の速記録が出来ました」と電話をしてきた。そこで亀井志乃は17日(月)、裁判所へ出かけて「速記録」のコピーを取ってきたわけだが、先のような言葉が太田弁護士の口から飛び出してきた流れを、速記録より引用してみよう。
《引用》
太田弁護士:平成18年の10月末ころまでの間、あなたと平原さんとの関係についてお聞きしたいんですけど、あなたは、平成18年の10月末ころまでは平原さんのことは信頼されておりましたか。
亀井志乃:…信頼、すいません、それは、今回の本件とかかわりがあるんでしょうか。
太田弁護士:あります。
亀井志乃:答えなければなりませんでしょうか。
太田弁護士:あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やしましたよね。
亀井志乃:はい。
太田弁護士:そういうこともあるから聞いているの。
亀井志乃:お答えをしたほうがよろしいでしょうか。
田口裁判官:答えられるものなら答えて下さい。
亀井志乃:…。
田口裁判官:ただ、何をもって信頼というのか、具体的に分からないなら、もうちょっと特定して質問をしてくださいというふうなことで。
亀井志乃:そうですね。
太田弁護士:じゃ、平成18年の10月末ころまで、平原さんに対して、あなたはいろいろ文学館のお仕事のことだとかで、メールなどで相談をしていたことはありますか。
亀井志乃:いえ、それはほとんどありませんが。
太田弁護士:メールでいろんなことを相談していたことは、全然ないですか。
亀井志乃:相談という意味が分かり兼ねますが、業務の打合せという意味ではございません。(注1)
太田弁護士:ないですか。
亀井志乃:はい。
太田弁護士:そういうふうに聞いておきましょう。(原告尋問「速記録」28~29ページ。引用文中の「…」も原文のまま)
(注1)速記録では「業務の打合せという意味ではございません。」となっているが、発話の意図をより正確に伝えるには、「業務の打合せという意味では、ございません。」と表記すべきだろう。
太田弁護士の、平原と亀井志乃との関係についての質問はこれだけである。このように引用してみても、一体何を彼は聞きたかったのか、やはり判然としない。
そもそも太田弁護士の「平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やした」という言葉は、「亀井志乃は平原の『陳述書』を新たな訴訟要件として、平原に対する損害賠償の請求額を増やした」という意味なのか、それとも「亀井志乃は平原の『陳述書』について、平原への損害賠償の増額を申し出た」という意味なのか、そのいずれかの意味にしか取れないのだが、そこがはっきりしないのである。
太田弁護士の側に立って好意的に解釈するならば、〈亀井志乃は平成18年の10月末ころまで、仕事の件で平原一良に相談をし、世話になっていたにもかかわらず、「平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やした」のは、恩義を忘れた行為ではないか〉。そういう印象を、彼は田口裁判長に与えたかったのだろう。
だが亀井志乃は、平原一良の「陳述書」に関して「損害賠償(損害賠償額?)」を増やしたりはしていない。亀井志乃は平原一良を相手に損害賠償請求の裁判を起こしたわけではないからである。いわんや亀井志乃が、平原への損害賠償額を増やしましょうと申し出るなんてことは、これは金輪際あり得ないことだからである。
○亀井志乃のダメ押し
では、実際はどうであったか。「北海道文学館のたくらみ(39)」で書いたように、被告の寺嶋弘道は自分の「準備書面(2)」の主張を裏づける証拠として「陳述書」を出したのだが、20数ヶ所の虚偽の陳述を行い、しかも亀井志乃の人格、能力、業務態度を中傷誹謗する言葉に満ちていた。また、寺嶋弘道は平原一良の「陳述書」も証拠として提出したが、これまた20数ヶ所に及ぶ虚偽の陳述を行い、しかも亀井志乃の人格、能力、業務態度に対する中傷誹謗を行った。亀井志乃はこれらを、裁判の過程で、寺嶋弘道によって行われた悪質なセカンド・ハラスメントと見なし、7月7日、裁判所に、寺嶋弘道に対する「訴え」の変更を申し立て、受理されたのである。
そのような次第で、平原の「陳述書」は亀井志乃が「訴え」の変更を申し立てる要因の一つではあるが、「平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やした」わけではない。もし太田弁護士が亀井志乃の「訴え」の変更を不当な、筋の通らない行為だと主張したいならば、平成18年10月ころまでの平原と亀井志乃との仕事上の関係がどうであったかを聞き出したところで、何の意味もない。平原の「陳述書」に批判・反論を加えた亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―3」を再反論し、平原「陳述書」の正しさを証明すれば、それで事足りたはずである。だが、太田弁護士は再反論をしなかった。率直に言えば、平原一良も太田弁護士も再反論できなかった。
それをしないで、平原と亀井志乃との仕事の関係を持ち出すのは、見当外れもいいところじゃないか。私はそう思いながら見ていたが、田口裁判長は亀井志乃に対する尋問の結びで、「あと1点だけ、訴えの変更の申立てされましたよね。……その理由については、申立書に書かれてるとおりということでよろしいですね。」と質問し、亀井志乃は「はい」と答えた。
続けて、亀井志乃は訴えを変更した理由を、「で、私は、訴えの変更ということにつきましては、あそこの中に書かれてあることが、つまり準備書面の被告側の(2)と、それから、その証拠として上げられた陳述書の乙1号(寺嶋の「陳述書」)と乙12号(平原の「陳述書」)、そこに書かれたことが根拠がないことが1つ、それから、私に対する新たなハラスメントになっているという、人権侵害になっているということが1つ」と説明した。
その上で彼女は、太田弁護士の質問が如何に無意味であるか、次のようにダメ押しをしておいたのである。「先ほどの質問の絡みで言えば、それと、平原氏に関して私がその当時信頼感を持っていたかいないかとかということは全く関係がないことだというふうに私は認識しております。」(原告尋問「速記録」34~35ページ)
○亀井志乃の対応方針
太田弁護士の平原関連の質問は、こんなふうに空振りに終わってしまったわけだが、先の引用に関して、1、2点補足をしておくならば、亀井志乃の「答えなければなりませんでしょうか」。「お答えをしたほうがよろしいでしょうか」という質問は太田弁護士に向けられたものではない。太田弁護士は突然話題を変え、しかも何のための質問か咄嗟には分からないような質問を矢継ぎ早に繰り出し、「はい」「いいえ」の二者択一の返事を要求して、考える余裕を与えず、相手を混乱させて、自分のペースに巻き込む。現在のラジカルな弁護理論から見れば、そのやり方自体が人権侵害に問われかねない、この強引、傲慢な尋問手法に対して、亀井志乃は相手が使っている言葉の意味を確かめたり、果たして答えるべき問いか否かを裁判長に確かめたりしながら、対応することにしたのである。
平成18年8月の末、亀井志乃は平原一良にメールを出している。ただし、これは業務に関する相談ではなく、平原が怪我をしたことへの見舞いのメールだった(「北海道文学館のたくらみ(35)」)。太田弁護士はこのことに引っかけて、仕事のことで平原に相談していたと言わせ、あわよくば訴えの変更を取り下げさせるつもりだったのかもしれない。だが、亀井志乃は出来るだけ正確な返事を心がけ、「相談という意味が分かり兼ねますが、業務の打合せという意味ではございません」。
これでは、さしもの太田弁護士も、ポイントの稼ぎようがなかったのだろう。「そういうふうに聞いておきましょう」。
太田弁護士のこの台詞は、10月31日、公判が終わった夜、私たち家族の間で話題になった。「まあ、『覚えておけ、俺は忘れないからな』みたいな、捨て台詞として聞いておけばいいんじゃないか。ああいう弁護士のことだから、『平成18年10月末ころまでと言ったのは、原告が文学館で働くようになった平成16年半ばから18年10月末ころまで、という意味だ』なんて理屈を言い出さないともかぎらないけれど、裁判そのものが平成18年4月に寺嶋弘道が文学館に着任して以来の問題に限られている。裁判長は、そのへんのことはちゃんと承知しているよ」。
○太田弁護士の権力主義的尋問
突然に話題を変え、しかも何のための質問か咄嗟には分からないような質問を矢継ぎ早に繰り出し、「はい」「いいえ」の二者択一の返事を要求して、考える余裕を与えず、相手を混乱させて、自分のペースに巻き込む。このような尋問手法を先ほどは、「そのやり方自体が人権侵害に問われかねない」手法と呼んでおいた。現在の言説研究の視点や、言語行為論的に見れば、これは特定の言説空間で発生しやすい、言語の力関係(power-relations)を利用して、自分のほうが会話の支配権を握っていることを見せつけようとする/実際に支配権を行使する、権力主義的な行為だからである。
次の場面を見てみよう。
《引用》
太田弁護士:最後に1点だけ、あなたの書面見てますと、あなたの仕事に他人が容喙する、要するに口出しをする、口を挟むという言葉、あるいは干渉するということ、こういう言葉が出てくるんですけど、これはどういう意味ですか。
亀井志乃:くちばしを挟むですか。
太田弁護士:容喙と書いてますよね。容喙というのはくちばしを挟むという意味でしょう。
亀井志乃:はい、そうです。
太田弁護士:それだとか干渉する、これはどういう趣旨でおっしゃっているの。
亀井志乃:本来、そのような立場にない人間がそういうふうにくちばしを、要するに口を挟んでくるという、そういう意味で書いております。
太田弁護士:そういう立場にないというのは、だれのことを言っているんですか。
亀井志乃:被告です。
太田弁護士:あなたがやっている、例えば副担当の石川啄木展、あるいは「二組のデュオ展」、これはだれの事業ですか。
亀井志乃:事業の主体としては、財団法人北海道文学館です。
太田弁護士:財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。
亀井志乃:その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。
太田弁護士:寺嶋さんでもいい、だれでもいいや。
亀井志乃:寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力をするために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。
太田弁護士:そんな議論するつもりはないんだわ。要するに、寺嶋さんがいろんなことをあなたにあれこれ言ったら、なぜ悪いのかと聞いてる、端的に。
亀井志乃:そのようなことは、ここで、いいか悪いかということについてお返事をしなければならないでしょうか。
太田弁護士:それはしなきゃならんでしょう。あなた、業務妨害だと言っているんだから。
田口裁判官:だから、そのような口を挟むような権利といいますか、そういう権限というか、そういう立場に寺嶋さんがあったのというふうに考えていたのか、そういう権限はなかったというふうに考えていたのかについてはいかがですか。
亀井志乃:なかったと考えておりました。(原告尋問「速記録」32~34ページ。太字は引用者)
この引用文に関しては、まず、太田弁護士の「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや。」「そんな議論するつもりはないんだわ。」という言い方に注目してもらいたい。
一個の独立した人格に対して、こんな口の利き方が許されるとすれば、それはどんな場面であろうか。そのように想像してみれば分かるように、対等の人間同士でこんな口の利き方が許される場面はありえない。こんな口の利き方をするのは、相手に喧嘩を売っている時か、立場上の有利さを利用して相手をいたぶるか、そんな時だけだからである。もちろん法廷においても許されることではない。ところが太田弁護士は、法廷の尋問ならば許されると考えているのである。
はじめに引用した場面においても、太田弁護士は俄に声を高めて、「あなた、平原さんの陳述書に対して損害賠償を増やしましたよね。」「そういうことがあるから聞いているの。」と、有無を言わせぬ調子で亀井志乃に返答を急かせていた。先ほどの「なぜ悪いのかと聞いてる、端的に」の「端的に」も、太田弁護士が自分の質問を「端的に」まとめて聞いたという意味ではなく、亀井志乃に向かって「(さあ、)端的に(答えて)」という意味だったのである。(他の場面でも彼は、「だから、だれなの。端的に質問に答えて。」とやっていた)。
そのことに注目してもらった上で、では、太田弁護士のこの尋問はどれだけ筋が通っていたか。その点に目を向けてみるならば、そもそも亀井志乃は、「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをして、なぜ悪いんですか。」と質問されねばならないようなことは書いていなかった。法廷でも発言していなかった。――それにしても、「いわゆる主体である企画展」とは、何と奇妙奇天烈な言い方だろう!――そうである以上、亀井志乃にとっては、太田弁護士の質問は仮定の事柄に関する問いかけでしかない。これでは返事のしようがなく、そこで、「その運営にかかわっているというのは、どなたのことでしょうか。」と聞き返したわけだが、それに対する太田弁護士の返事は「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」。
もちろん弁護士の太田三夫は「寺嶋さん」を念頭に置いて質問したのだろうが、それにしても、「だれでもいいや」とは、とうてい法廷における弁護士の言葉とは思えない。誰でもいいのなら、川崎業務課長やN主査でもいいし、S社会教育主事やA学芸員でもいい、あるいは理事や評議員でもいいことになるわけだが、そんな無限定な仮定の質問に、どんな答えがあるのだろうか。
しかし亀井志乃は几帳面に、「寺嶋主幹は、要するに被告のほうは、道からの文化スポーツ課として協力するために来た、そして、そこのグループリーダーであります。だから、そういう意味で運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。」と基本的な事実をおさえて答えようとした。ところが太田弁護士は、「そんな議論するつもりはないんだわ。」
ということは、つまり、太田弁護士は、わざと前提を曖昧にしたまま亀井志乃に返事を要求した。そのことを、自ら認めたことになるだろう。
亀井志乃はそれでもまだ辛抱強く、「そのようなことは、ここで、いいか悪いかということについてお返事をしなければならないでしょうか。」と反問した。それに対して、太田弁護士は、「それはしなきゃならんでしょう。あなた、業務妨害だと言っているんだから。」
だが、少なくとも10月31日の原告尋問の中で、それ以前に、「業務妨害」云々ということは一言も話題にならなかった。その意味で、「あなた、業務妨害だと言っているんだから。」という太田弁護士の言葉は、亀井志乃にとっては全く突然に言い出されたことであり、その場の文脈からすれば、不意打ちの言いがかりと言うしかない。
このように、自分のほうは曖昧で不誠実な質問を恣意的に投げかけ、相手には反問を許さずに「端的な」答えのみを強要する。太田弁護士によって、言語の権力主義はそのように行使されたのである。
○「平成18年9月26日」に関する記述をめぐって
私はこの速記録を読んで、この被告にしてこの弁護士あり、なるほど類は友を呼ぶということはあるんだなあと、妙なことに感心してしまった。亀井志乃の「準備書面」の次のような箇所を思い出したからである。
《引用》
(8)平成18年9月26日(火曜日)
(a)被害の事実(甲32号証の1を参照のこと)
原告は事務室における朝の打合せ会で、「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)と題した予定表を配布し、「人生を奏でる二組のデュオ」展の準備に関係する今後の出張予定とおおよその足取りを説明しようとした。すると、被告がそれを遮って、「あ、そのことについては、このあと打合せ会をやるから」と言ったため、朝の打合せ会の直後、原告と被告と川崎業務課長の3人で、事務室の来客ソファーの所で話し合った。(この日の朝の打合せ会は出席者が少なく、学芸班の原告とO司書と被告、及び業務課の川崎課長のみであった)。
原告が「出張予定(亀井)」の説明を終えると、被告は「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して」と言った。原告は、念のために、あらかじめ「展覧会支出予定」(甲32号証の3)という文書を作って来ていたので、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを手元に持っているので、コピーしてお渡ししますね」と言い、事務室内のコピー機の方に立っていった。
すると、被告が突然、「それは、打合せの後でしょう!」と声を荒げた。原告はその意味が分からず、「どこと打合せした後なんですか?」と訊いた。被告は「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」と、更に語気を強めた。原告は、「じゃ、これはまだいいんですか?」と、コピーをやめようとした。ところが被告は、「よくないよ、いいんでしょう!」と怒鳴った。原告は、被告が一体何を言いたいのか、戸惑っていると、被告は「だから、相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」と、更に声を強めて、辻褄の合わないことを言った。
その後、原告がコピーを渡すと、被告はやや落ち着きを取り戻し、原告が主担当の企画展について、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と、原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた。これらの点については、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言い、打合せは終了した。(亀井志乃「準備書面」17~18ページ)
少しわかりにくいかもしれないので、念のために説明しておけば、「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)というのは、亀井志乃が企画展の資料調査のために廻ってきたい施設(鎌倉文学館、明治大学図書館)や、資料の所蔵者(2名)を挙げて、その旅費を見積った資料である。ただし、何月何日に行ってくるとは一言も書いていない。「以下、ルートはあくまで一例です」とことわっていることから分かるように、一方では相手の都合を聞き、他方では文学館業務と日程を調整するために、暫定的に立ててみた、その意味での「出張予定」なのである。
他方、「展覧会支出予定」(甲32号証の3)は、「展示資料借用料」「展示物搬出入に伴う経費」「出張費」「図録」などに必要となるだろう経費を概算してみた資料であり、当然のことながら、何月何日にどこに行き、誰と会うかなどのことは、一言半句書いていない。
ところが寺嶋弘道は、亀井志乃の「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)に関する説明が終わり、「展覧会支出予定」(甲32号証の3)を配布し説明するために、まずコピーしようと立ったところ、「それは、打合せの後でしょう!」と声を荒げ、亀井志乃が「じゃ、これはまだいいんですか?」と、「展覧会支出予定」(甲32号証の3)のコピーをやめようとしたところ、「よくないよ、いいんでしょう!」と、訳の分からないことを怒鳴り始めたのである。
このことを念頭に置いて、次の太田弁護士の亀井志乃に対する尋問を読んでもらいたい。
《引用》
太田弁護士:あなたの3月5日付け準備書面の9月26日の欄を示します。17ページです。この9月26日の会話のときには、あなたは、寺嶋さんの言っている意味がよく理解できなかったということですよね。
亀井志乃:はい。
太田弁護士:それで、今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる、そういう寺嶋さんの側の言い分を前提にして9月26日の会話を読み返したときに、それでも、寺嶋さんが何を言っているか理解できませんか。
亀井志乃:はい。訴訟を…
太田弁護士:理解できるかどうかだけでいい。
亀井志乃:私の理解を尋ねられましても、理解できないような発言だったというふうにしかお答えできません。
太田弁護士:こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの、9月26日。
亀井志乃:いいえ、そのようにはおっしゃいませんでした。
太田弁護士:そのように理解できませんか。
亀井志乃:理解できるも何も、そのような文脈でそのような言葉でおっしゃらなかったからです。
太田弁護士:でも、あなたの書いていること、文脈どおり読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。
亀井志乃:ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか。
太田弁護士:それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。寺嶋さんのほうから、サボタージュという言葉が出たことはありますか。
亀井志乃:先にはありません。(原告尋問「速記録」26~27ページ)
太田弁護士はこのように、「それは、打合せの後でしょう!」、「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」「よくないよ、いいんでしょう!」「だから、相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」という、寺嶋弘道の支離滅裂な言葉を、「どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよ」という意味に理解できると言い張り、それを亀井志乃に押しつけようとした。だが、もちろんそんな理解が成り立つはずがない。
とりあえず、太田弁護士の「理解」それだけを取り出してみるとすれば、太田弁護士が言うような手順論も、理屈の上では一応あり得るだろう。だが、もしそれを言うならば、亀井志乃が「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)の説明をしている段階で言うべきであった。
ところが寺嶋弘道は、亀井志乃の「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)に関する説明を納得し、自分のほうから「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して」と要求して、亀井志乃がそれに応じようとした、その途端に、前後撞着、訳の分からない言いがかりをつけてきた。
つまり、仮に寺嶋弘道の発話の意図が太田弁護士の理解どおりだったとしても、それを予算の支出問題で言い出すのは、これはもう寺嶋弘道が取り乱していた証拠にしかならないのである。
○太田弁護士のハッタリ
それに、「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」という言葉は、太田弁護士が理解する手順論とはなじまない。むしろ矛盾する。なぜなら、この言葉は、「相手側の意向や都合を確かめて、訪ねる要件や日取りを決めてから、支出予定を立てるべきでしょう!」という意味に取ることができるからである。
そして、もしその理解に立つならば、亀井志乃の「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)や「展覧会支出予定」(甲32号証の3)はまさにそういう手順を踏みながら――日取りを決めるまでは至らなかったが――作られていたのである。
いずれにせよ、太田弁護士は自信満々で、「でも、あなたの書いていること、文脈どおり読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。」と自分の解釈を押しつけようとし、逆に亀井志乃から、「ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか。」と聞き返されると、急に慌てて、亀井志乃の問いをはぐらかし、「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。」と話題を変えてしまった。
「速記録」には現れていないが、亀井志乃の記憶によると、太田弁護士は急に話題を変える直前、「いや、それをやると議論になるから……」と言っていた。「そんな議論するつもりはないんだわ。」というわけであろう。
もし平成18年9月26日における寺嶋弘道の発話の「文脈」にこだわるならば、彼の「それは、打合せの後でしょう!」における「打合せ」とは、この9月26日の打合せの意味なのか、それとも相手先との打合せの意味なのか、その確定から始めなければならない。だが多分、太田弁護士にはその点を亀井志乃と論じ合う自信がなかったのである。
しかも、実際は、寺嶋弘道は「準備書面(2)」の中で、太田弁護士の「理解」を裏づけるようなことは一言も書いていなかった。
この時点で、彼は、先ほど引用した亀井志乃の記述に関して、「会話の文言やその意図するところは否認する。」(被告「準備書面(2)」7ページ)と書いてはいた。だが、亀井志乃から「展覧会支出予定」(甲32号証の3)の読み方の不正確と不誠実を指摘され、次のように反撃されてしまった。
《引用》
被告は「しかし、前項7の9月13日以降、この事案について業務課との間で協議がなされていなかったため、原告の計画した出張予定を展覧会事業費の総体の中で実現可能かについて検討したものである。」と言うが、それは後日の言い逃れで会って、この日の被告の発言はそのようなものではない。次から次へと原告に辻妻の合わないことを言い立てて、原告が戸惑っていると、あたかも原告が呑み込みの悪い人間であるかのごとくに怒鳴り立てた(原告「準備書面」)。これはとうてい話し合いによって合意を作り出そうと心掛ける人間に態度とは言えない。そもそも「展覧会事業費の総体」を狂わせてしまったのは、「石川啄木展」に介入してS社会教育主事と大幅な予算超過をしてしまった被告自身である。
川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言ったのは、原告の「出張予定(亀井)」が当初予算(150万円強)の範囲に収まるだろうと見込まれたからにほかならない。それだけでなく、その場の雰囲気と発話のニュアンスから見て、川崎業務課長の言葉は明らかに、被告が自分の責任(「石川啄木展」の予算超過)を考えず、原告の予算にまで手を出そうとする越権行為をたしなめるものだった。被告は今に至るまで、そのことに思い当っていないらしい。(原告「準備書面(Ⅱ)―1」30ページ。太字は引用者)
この指摘には、寺嶋弘道も太田弁護士も一言もなかったらしい。亀井志乃の記述を「否認」するならば、寺嶋弘道の記録と記憶に基づいて、当日の会話の流れを再現して、亀井志乃の記述に対置しなければならないはずだが、彼らにはそういう形での反論ができなかったのである。そこで彼らは亀井志乃の記述を前提として、――ということはつまり、当日の会話は亀井志乃が記述した通りであることを認めたことになるわけだが、――会話の文脈と語の理解を争う策戦に出たのであろう。
その経緯から分かるように、寺嶋弘道は「準備書面(2)」で、太田弁護士の「理解」を裏づけるようなことは書いていなかった。要するに、「今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる、そういう寺嶋さんの側の言い分」というのは、太田弁護士の嘘、ハッタリだったのである。
○太田弁護士の策戦ミス
亀井志乃の文章の引用で、私が太字にした箇所は次のような意味を持っていたのだが、太田弁護士は一言の反論もできなかった。
道立文学館に駐在する公務員の寺嶋弘道は、副担当の亀井志乃に無断で石川啄木展に介入した上、大幅な予算超過という失態まで仕出かして、財団の予算執行を狂わせてしまった。予算の調整は財団の業務課の仕事であるが、寺嶋弘道は財団の経理問題にも介入する形で、亀井志乃に「展覧会支出予定」の提出を求め、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と、亀井志乃の予算を削り、亀井志乃の出張を制限する意味の発言を続けた。9月26日の場面では、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と取りなしてくれたが、結果的に亀井志乃は当初予算150万円の半額に支出を抑えねばならなかった(「北海道文学館のたくらみ(44)」の「亀井志乃の『陳述書』その2」参照)。
これは北海道教育委員会の公務員が与えられた職務の範囲を超えて財団の運営に介入し、かつ財団の職員の業務に容喙して、その業務の遂行を妨げ、あるいは業務の規模の縮小を余儀なくさせた、業務妨害の違法行為である。
太田弁護士は亀井志乃のこの主張にも反論できなかったわけだが、よほど悔しかったのであろう。そこで、10月31日の亀井志乃に対する尋問では「容喙とはどんな意味か」などと、変に謎めかした質問をし、「財団法人文学館、いわゆる主体である企画展に、財団法人の人間なり、財団法人の運営にかかわる者が口出しをしては、なぜ悪いんですか。」などと、寺嶋弘道の身分、立場、職務範囲をことさら曖昧にぼかして、亀井志乃から「寺嶋弘道は財団の運営にかかわっていた」という言質を引き出す策戦に出たらしい。
ところが、亀井志乃にその策戦を見抜かれた形で、「運営にかかわっているという言い方は不正確なのではないでしょうか。」と、痛いところを衝かれてしまった。
こんなふうに策戦は失敗し、やけくそになって、つい「そんな議論するつもりないんだわ」と口走ってしまったのだろう。
○この被告にしてこの弁護士あり。
自分で話題を支配し、声を張り上げて自分の意見を押しつけ、相手の事情説明を聞こうともしない。先ほどの引用した尋問の中でも、太田弁護士は「それで、今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる、そういう寺嶋さんの側の言い分を前提にして9月26日の会話を読み返したときに、それでも、寺嶋さんが何を言っているか理解できませんか。」と質問した。
裁判では、証人席に座った人間は自分の書いたものや書証(証拠文書)を読みながら答えることを許されず、原則として自分の記憶だけで答えなければならない。そういう決まりが裁判にはあるらしい。その意味で、証人席の人間は尋問者に対して不利な立場にあるわけだが、太田弁護士はその点を利用して、存在もしない「寺嶋さんの言い分」をちらつかせながら、「そういう寺嶋さんの側の言い分を前提にして9月26日の会話を読み返したときに」と、ハッタリの質問をしたのであろう。
それに対して、亀井志乃のほうは、太田弁護士が「今訴訟になって、寺嶋さんのほうでいろんなことを言ってる」という、その文書を見ることができない。その文書を読んだ上で、「9月26日の会話を読み返」すこともできない。そこで亀井志乃は、「はい。訴訟を……」と言いかけたが、太田弁護士は亀井志乃の言葉を遮って、「理解できるかどうかだけでいい。」
これもまた、「寺嶋さんでもいい、だれでもいいや」と同様、前提を曖昧にしたまま、あるいは前提となる文書を見せずに、返事を要求する手口と言えるだろう。
こんなふうに、苛立った口調で短兵急に応対を迫り、形勢不利と見るや急に別な話題を持ち出す。
これらの手口は、寺嶋弘道が亀井志乃に言いがかりをつけるやり方とそっくりそのままだったのである。
○救いがたい無知
しかし太田弁護士としては、まだ自分の「理解」に未練があり、亀井志乃から急所を突かれそうになって慌てて話題を変えた悔しさもあったのだろう、寺嶋弘道に対する尋問でこんなやりとりをしていた。
《引用》
太田弁護士:それで、9月26日にいろいろと亀井さんとの間でやり取りがあって、亀井さんはあなたの言っていることが全く理解できないとおっしゃっているんですね。それで、こういう発言をあなたしたことがありますか。相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょうと、こういう発言がある。
寺嶋被告:はい、そのとおり発言したと思います。
太田弁護士:これはどういう趣旨で言ったんですか。
寺嶋被告:調査に行きたいんですけど、いつがいいんですかと言えば、もう相手に対して行くということを伝えてしまうことになりますので、その前に、内部の了解を得ておかなければならないという趣旨です。
太田弁護士:要は、相手方に先に言っちゃっている以上、行かざるを得ないでしょうという趣旨ですね。
寺嶋被告:そうです。相手に言ってしまったんなら、それを今更行けなくなりましたということにならないという意味です。
太田弁護士:逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。
寺嶋被告:はい、そのとおりです。 (被告調書「速記録」11~12ページ)
下手な掛け合い漫才みたいに、それこそ「事前に」打ち合わせた台本通りに仲むつまじく頷き合っていたわけだが、太田弁護士の引用した寺嶋弘道の発話が、亀井志乃の「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)の時点の言葉なのか、それとも「展覧会支出予定」(甲32号証の3)の時点の言葉なのか、故意に無視してしまっている。
そういう小ずるさが見え見えの掛け合いでしかない。だが、それはそれとして、太田弁護士はもちろん、寺嶋弘道までも、いかに二人が文学館の仕事に無知であったか、ものの見事にさらけ出してしまった。その意味でも注目に値する箇所と言えるだろう。
文学館の業務は、前年度末には事務分掌が決まり、予算もついている。展覧会の主担当と副担当は既に職員の間では了解されている構想に従って準備に取りかかるわけだが、亀井志乃の場合で言えば、まず自分の構想を具体的に展示設計図の形で描いてみて、それを関係の方々や研究者に送って、アポイントを取って足を運んだり、手紙のやりとりをしたりしながら、今回の取り上げ方について理解を求め、展示の方法について意見を聞き、そのように信頼関係を作りつつ、資料の便宜を図ってもらう内諾を得ておく。そういう手順を踏み、ある程度見通しが立った段階で、例えば「出張予定(亀井)」(甲32号証の2)のような資料を配付、説明して、出張の理解を求めるのである。
それが展示を担当する学芸員の基本的な心構えであって、もし太田弁護士や寺嶋弘道が言うように、まず展示の内容を決定し、出張先とその日程を決めた上で、「事前に」皆の了解を取ってから、出張の予算をつけてもらい、さてその後に相手先と連絡を取る。そういう手順を踏み、ところが、相手先から資料や作品の貸し出しを断られたり、日程が合わないからお目にかかることはできないと断られたりしたら、一体どうなるか。ニッチもサッチも行かなくなって、展覧会そのものがご破算になってしまうだろう。特に貴重な資料や作品は他の文学館からの借用申し込みが多く、数年前から手を打っておかなければ、貸してもらうことは出来ない。太田弁護士と寺嶋弘道が掛け合い漫才よろしく頷き合っていた手順論など、何のリアリティもないのである。
○自分の首を絞めるだけ
その上、もし太田弁護士や寺嶋弘道の手順論が正しいならば、それを無視してしまった筆頭は寺嶋弘道自身であった。
彼は、亀井志乃が副担当の石川啄木展に無断で介入し、S社会教育主事と日本近代文学館まで、2度も出張しているが、なぜこの2人の組み合わせで行くのか/行かねばならないのか、「事前に」亀井志乃たち職員に相談したわけではない。また、日本近代文学館へ行く日取りも、「事前に」打合せ会で予定を諮ったわけではない。文字通り無断で事を進めてしまったのである。
彼は池沢夏樹展の主担当だったが、池沢夏樹関係のイベントをいつやるのか、何回行うか、職員に一度も相談したことはなかった。札幌の道立近代美術館や帯広の美術館と会場借用の交渉を開始するに先立っても、「事前に」職員と相談し、了解を取ることをしなかった。
そんなわけで、太田弁護士や寺嶋弘道が彼らの手順論に固執すればするだけ、それは寺嶋弘道自身の首を絞める結果にしかならないのである。
○信じがたい無恥
ところが、全く信じがたいことに、寺嶋弘道は本気で自分の手順論が通用すると思っていたし、現在も思っているらしい。寺嶋弘道は平成18年度、自分が主担当だった「栗田和久・写真コレクション」展を中止にしてしまった。そのことについて、彼は、田口裁判長から「被告自身には何の落ち度というか責任というか、不手際はなかったんですか。」と質問され、「栗田さんに作品を貸してほしいというお電話をしたのは私ですので、私が電話をしたところが、………御本人から、作品を貸し出すことはできないと言われましたので、それを平原副館長にお伝えして、対処をどうするかという相談を致しました。」(被告調書「速記録」24ページ)と答えている。
この説明は、寺嶋弘道と平原一良が企画検討委員会で行った説明(「北海道文学館のたくらみ(5)」)と異なっており、要するに彼はその都度、自分の都合がいいように嘘を吐き続けているとしか考えられないのだが、ただ一点、これは極めて高い確率で推測できることがある。それは、この寺嶋弘道という学芸員は自分が主担当の栗田和久氏に早くから接触を取り、展示のコンセプトなどの打合せをすることもなく、電話一本で貴重なコレクションを貸して貰えると、そのように展覧会事業を見くびっていたことである。それは展覧会のテーマとなった作者や作品を見くびっていたことにほかならない。
栗田コレクション展は年度の当初から決まっており、文学館の公式ホームページにも、文学館発行のパンフレットにも載せてある。それをキャンセルするとは、始末書どころではない、進退伺いものの大失態であるが、寺嶋弘道の学習能力は一体どうなっているのか。太田弁護士の誘導尋問に乗って、ホイホイと「はい、そのとおり発言したと思います。」などと相づちを打っていた。
しかも寺嶋弘道は、「このポスターの作り直しとか、企画の中止、こういったことに対しては、被告自身はどのように対処されたんですか。」という田口裁判長の質問には、「それを判断するのは財団の方で、その展覧会を実施する、しない、あるいはポスターの作り直しを財団で決めなければならないことですので、意見を求められれば私は言ったかもしれませんが、決めたのは財団で決めたことです。」(同前)と答えていた。つまり、自分が負うべき責任を、全て財団に押しつけてしまう。
そんなわけで、田口裁判長の「そういった中止とかポスターの作り直しとかで、予算とか時間とか、何らかのマイナスになったことはあったんですか。」という質問には、「…ポスターの作り直しに追加費用が発生したのではないかと思いますが、それ以外は………格別マイナスなところはなかったと思います。」(同前)
ここでは煩雑になるので引用しなかったが、ポスターの作り直しは、寺嶋弘道によれば、S社会教育主事が作成に失敗し、平原「副館長」が作り直しを決めたのだそうである(彼は、平原が「学芸副館長」だった時のことも、「副館長」と呼んでいた)。
それ以外のマイナスとしては、栗田和久さんとの信頼関係の崩壊、栗田コレクション展の準備のために支出した予算の無駄、栗田コレクション展を期待していた市民に対する裏切り、道立文学館の信用失墜など、いくつも考えられるのであるが、寺嶋弘道によれば、「格別マイナスなところはなかったと思います。」
それにしても、自分が失敗をしてしまったのに、「意見を求められれば私は言ったかもしれませんが、」と、あたかも他人事みたいな言い方をしている。この人物の頭の中で、責任という観念はどうなっているのだろうか。
○「速記録」の特徴
なお、「速記録」を読んでいて、面白いことに気がついた。
太田弁護士が亀井志乃に「はい」か「いいえ」で答えてくださいと執拗に要求したことや、彼が急に話題を変える時、「いや、それをやると議論になるから……」と呟いたことは、残念ながら「速記録に」反映されていなかった。
また、亀井志乃の寺嶋弘道に対する質問が法律上最も重要なポイントに差しかかり、寺嶋弘道が答えに窮して、しどろもどろになった時、太田弁護士が急に口を挟んで、自分の都合を言い、裁判長に「時間通り」に終わるよう求めて、亀井志乃の質問に水を差した。このことも、残念ながら反映されていなかった。太田弁護士のあの介入のおかげで、亀井志乃は質問のリズムを崩されてしまったのである。
だが、その反面、太田弁護士の言葉づかいがかなりヴィヴィッドに再現されており、寺嶋弘道が「目くばせ」とトチッたところを「目配り」と直しておくなど、細かく神経を行き届かせていた。
ただし私が「面白い」と言ったのは、それらについてではない。面白かったのは、……(リーダー)という記号の使い方である。
私たちはしばしば、沈黙を現すために、……を使う。裁判所の速記者もそうしているのだが、ちょっと返事に間があいた程度の時は「…」と短い。だいぶ沈黙が続いた時は「………」と3字分の長さで表記している。
私はそれに従って引用していたわけだが、太田弁護士から「その同じ日(平成18年10月28日)の会話の中で、私がこの学芸班を管理しているんだと、そうした決まりを守らないなら組織の中でやってはいけないよと、こういう話を(原告の亀井志乃)にしたことありますか。」と質問されて、寺嶋弘道は「管理という言葉を使ったかどうかははっきり覚えていませんが、………………組織の中で、…やっていけないよという発言をしたと思います。」と答えた(被告尋問「速記録」15ページ)。
……が6字分も続いたわけだが、実際この時の寺嶋弘道は完全にフリーズ状態に陥り、裁判長も「どうしました?」という表情を浮かべたほど、黙り込んでいたのである。
できれば、その点を踏まえて、もう一度「速記録」からの引用を読み直してもらいたい。
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