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北海道文学館のたくらみ(44)

亀井志乃「陳述書」その2


【亀井志乃は平成20年8月11日、「陳述書」を札幌地方裁判所に提出した。8月29日の公判において、田口紀子裁判長の確認があり、被告代理人の太田三夫弁護士も「原告の『陳述書』として受理する」旨の発言があった。この手続きによって亀井志乃の「陳述書」は法的に有効なものとなったわけで、ここでは、本人の了解の下に、その「陳述書」を3回に分けて紹介する。道立文学館における組織と業務の実態や、被告・寺嶋弘道学芸主幹が駐在道職員として着任するに至った制度上の変化と、被告の着任後に生じた変化と混乱が具体的に述べられており、裁判の背景や、これまで私が書いてきたことの内的な関連をより具体的に理解して貰える。そう考えたからである。
 裁判はようやく証人尋問の段階に到達し、10月31日(金)の午後1時30分から、被告・寺嶋弘道と原告・亀井志乃の本人尋問が行われる予定だが、特に今回紹介する「陳述書」の内容は、尋問の応答と深い関わりが出てくるものと思われる。少し長い引用になるが、おつき合いをお願いする。
 なお、引用文における文字の色や、人名の表記に関する方針は、「その1」で説明した通りである。2008年10月26日0時25分】

《引用》
Ⅲ章 寺嶋学芸主幹の「着任」
1.いわゆる「北海道方式」について
 慣れ親しんだ8名もの同僚が一遍に異動・退職していった翌日、寺嶋弘道主幹が道立文学館に来ました。(この4月1日の出勤が〈着任〉ではない理由は、私の「準備書面(Ⅱ)―1」11ページ及び甲37号証の1・2・3参照)。寺嶋学芸主幹はその時の意気ごみを、「陳述書」(
乙1号証)において、以下のように述べています。
 
 
「平成18年4月から当館に導入された指定管理者制度は、公の施設の運営を民間に委ね、経費の効率的な執行とサービスの向上をめざす新しい制度です。しかしながら、年月を要す調査研究活動を基盤とし中長期的な運営が必要となる美術館や文学館などの博物館施設においてこの制度が有効かどうかが社会的な議論となり、北海道教育委員会では博物館に適した仕組みとするために、学芸部門の職員については直接配置するという駐在制を導入し、この年から実施に移されました。北海道方式とも呼ばれる新制度は全国から注目され、私が文学館に着任した時はまさに耳目を集める時期にあたっていました。
 注目された点の一つは、二つの組織が協働して施設運営を行うにあたり、それぞれの組織に属する職員の業務内容と指揮命令系統がどのように両立されるかという点にありました。つまり二つの組織によって一体的に運営される一つの博物館のあり方について関心が寄せられていたのです
。」(1ページ 下線は引用者)

 寺嶋学芸主幹は、指定管理者制度下の道立文学館の「全国的」な意義をこのように説明した上で、私が当館への着任にあたって最重要課題としたのは、指定管理者との連携・協働を円滑に進め、職員相互の理解を図り、組織体としての文学館の運営、とりわけ学芸業務に関して滞留なく遂行するということでした(1~2ページ)と、あたかも「北海道方式」推進のミッションを帯びて着任したかのように、自分の着任を意味づけていました。
 そこで早速、
指揮命令をどうするか、連携・協働をどう進めるかについては、毛利正彦館長(当時)とも4月当初から数度にわたって協議を行(2ページ)ったということになるわけですが、しかし、「北海道方式」という言葉は本当に上のような意味だったのか、寺嶋学芸主幹の立場がそのようなものであったのか、疑問がないわけではありません。
 
 まず寺嶋学芸主幹が「全国から注目され」「耳目を集め」ていたと語る「北海道方式とも呼ばれる新制度」についてですが、「北海道方式」という言葉は、平成17年12月15日の北海道新聞の記事(
甲114号証)では次のように使われていました。
 
 
「(前略)道立文化施設の場合、十月に道議会で改正された施設の設置条例には、道が引き続き学芸員を配置すると明記された。それでも不安をぬぐえないのは、条例や指定管理者の募集要項に学芸員の役割を縮小するような記述があるからだ。資料の収集・保管・展示・閲覧、展覧会開催などの業務は今後、指定管理者が主担当となり、学芸員は収蔵資料の『専門的、技術的な調査研究』『保管、展示に関する技術的研究』に徹する。指定管理者に対して『意見を述べる』『求めに応じて専門的事項を行う』という位置付けだ。
 学芸員と指定管理者の関係は
、今春すでに制度を導入した自治体ではどうか。島根県立美術館や岩手県立美術館では、指定管理者が任されたのは施設の管理業務のみ。県の学芸員が引き続き行う学芸業務と完全分離する方式をとった。道内の美術館・博物館でいち早く制度を導入し、地元のビル管理会社が指定管理者となった北見文化センターもこの方式。他方、長崎県と長崎市が出資する歴史文化博物館は、学芸員を含めて施設を丸ごと指定管理者に委ねた初めての例という。
 ほぼ全国一斉の制度導入で「正解」が見えにくいため、決め方は自治体により異なる。道条例は両極の中間的な形態で「北海道方式」とも言える。学芸員は施設運営の責任を負う指定管理者の指揮下ではないが、逆に学芸業務を監督する立場とも言えない。事業の方針が指定管理者との間で食い違う場合、学芸員の意見は尊重されるのか、という不安から、『学芸業務が分割されるだけで利点があるとは考えにくい』と断じる学芸員もいる。」

(平成17年12月15日『北海道新聞』夕刊 下線は引用者)
 
 この記事によれば、要するに「北海道方式」とは、施設の管理業務だけを指定管理者に任せて学芸業務は県の学芸員が引き続き行うという、島根県立美術館の完全分離方式に近いわけですが、ただ、「北海道方式」は指定管理者に運営業務をも任せる形になっており、その点が異なる。この点に注目して、北海道新聞は〈道立文学館に駐在する学芸員は、指定管理者の指揮下に入るわけではないけれども、指定管理者の運営業務の一環である学芸業務を監督する立場ではない。それ故、もし事業の方針が食い違った場合、果たして学芸員の意見が受け入れられるかどうか〉と問題点を指摘したわけです。
 北海道新聞のこの記事のもとになっていたのは、おそらく、道議会の質疑応答を記録した『北海道通信』だったと思われます。というのは、『北海道通信』平成17年10月4日号によれば、平成17年9月20日の道議会で、真下紀子議員が
「『専門的・技術的な事項に関するものは道教委直属で行う』としながら、専門家として配置されている司書も引き上げるとしている。/結局、専門的・技術的な事項についても縮小が懸念されるが、教育長の見解を伺う。」と質問し、それに対して相馬秋夫教育長(当時)が、制度の導入に当たっては、資料に関する調査研究や展示等に関する専門的・技術的事項については、道教委が学芸員を配置して行い、施設の管理運営のための要因については、指定管理者が確保することとし、文学館の設置の目的に沿った運営がなされるよう対応していく。」と答えているからです(甲115号証)。
 こうしてみると、先の北海道新聞の視点と懸念は、真下道議会議員の発言を踏まえたものと見ることができるわけですが、それに対して相馬秋夫教育長(平成14から17年まで教育長。平成18年から北海道立近代美術館館長、現在に至る)は、先のような回答と同じ趣旨のことを、更に2度も重ねて繰り返していました。教育委員会としては、ここが譲れぬ一線だったのでしょう。
 北海道教育委員会が提示した「北海道立博物館条例改正案(素案)」では、「指定管理者が行う業務」として①資料の収集、保管、展示及び閲覧に関すること。②展覧会、講演会等の開催、及び他の行うそれらの催しに協力することなど、8項目を挙げていました。が、大変に特徴的なことは、以上の8項目の下に、わざわざ「※教育委員会は、次の博物館が行う事業に関する業務を行う」という断りを書きをして、①資料に関する専門的、技術的な調査研究を行うこと。②資料の保管、展示等に関する技術的研究を行うこと、の2点を挙げていました
(この場合の「博物館」に道立文学館が含まれることは言うまでもありません)。
 
 教育委員会としてはまだ、それだけでは安心できなかったらしく、「北海道立博物館条例改正案(素案)」の末尾においても
「※ 教育委員会では、この施設が教育・学術・文化の振興を目指す教育機関として機能を円滑に発揮し、さらには、指定管理者制度導入後の施設の住民サービスにおける公平性・中立性を維持していくため、指定管理者が管理運営する博物館に専門的職員を配置し、調査研究等を実施するとともに事業の企画等に係る専門的・技術的な事項に関する業務を行うことを検討しております。」とことわっていました(甲116号証)。要するに相馬秋夫教育長は、道議会で、このような箇所をただ復誦していただけだったわけですが、結局はそれで押し切ってしまったのでしょう。『北海道公報』号外第19号(平成17年10月16日)に掲載された「北海道条例第115号 北海道立博物館条例の一部を改正する条例」の第5条は、相馬秋夫教育長の説明をそのまま生かした形になっています(甲117号証)。

2.財団の提案
 そうなりますと、それでは道が文学館に駐在させる学芸員の位置はどうなるのか、という疑問が生まれ、そこで北海道新聞のような「学芸員は施設運営の責任を負う指定管理者の指揮下ではないが、逆に学芸業務を監督する立場とも言えない」という解釈(あるいは不安、批判)が出てきたわけですが、その点に関して一つの解答を示したのが財団だったと言えそうです。なぜなら財団は、指定管理者として立候補するに当たり、
財団法人北海道文学館は、多くの専門研究員や実作者を組織的に擁しながら長年活動を続けてきた団体である利点を生かし、学芸員に対し最大限の専門的知見と必要な情報、またノウハウを提供することにより、文学館事業の水準を高度に保つべく、連携・協力関係を構築していく。(「北海道立文学館業務計画書」)と、学芸員に対する財団の指導性を強調していたからです(甲118号証)。
 もし、指定管理者選定委員会がこの提案を含む「業務計画書」を選ぶならば、〈道立文学館に駐在する学芸員は、財団の専門的知見と必要な情報、またノウハウの提供を受けつつ、資料に関する専門的、技術的な調査研究や、資料の保管、展示等に関する技術的研究を行うことになり、その業務は財団の運営事業に包摂される〉ことになるわけです。
 
 財団は、相馬教育長の意向に沿う形の組織を構想し、また、教育庁の局長と課長が加わっている指定管理者選定委員会がその構想を受け入れやすいように、組織上の配慮もしていました(
甲118号証参照)。
 1つ目には、財団側の職員であるO学芸員を司書に変えて、嘱託の研究員である亀井と組み合わせ、財団の業務課に属する〈学芸班〉とする。
 2つ目は、駐在の学芸員3人で〈道直轄組織〉を作る。この構想は、後日、A司書を学芸員に変え、S社会教育主事(平成17年度までは主任研究員)と、さらにもう1人、原田学芸課長の後任に当たる学芸員と組み合わせて一つのグループにする形で具体化されました(北海道教育庁の内部では、「文学館グループ」としてカテゴライズされています)。
 指定管理者選定委員会が財団を指定管理者に選び、道がその結論に従ったということは、以上のような財団の提案を北海道教育委員会が受け入れたことを意味します。こうして両者の合意の下に出来たのが、「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」
(平成18年4月1日現在)甲2号証)でした。それを見れば分かるように、業務内容と命令指揮系統に混乱が起こらないように整備されています。
 
(それが、私が文学館を雇止めされた直後の平成19年4月1日付け組織図(甲119号証)からは、財団が雇用しているはずの学芸員と司書各1名が、あたかも〈学芸主幹〉の直属であるかのように、図が書き直されてしまっています。これが、平成20年度発行の年報(乙4号証)になると、さらに、財団の学芸員と司書が、財団の業務課と、「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ」の両方に属するかのように書き換えられています。)
 
 ちなみに、平成18年4月1日以降、指定管理者制度を導入した道立の博物館施設は、釧路芸術館〔NTT北海道グループ(テルウェル北海道・NTT―F北海道)〕と、北方民族博物館〔財団法人北方文化振興協会〕と、文学館〔財団法人北海道文学館〕の3つでしたが、釧路芸術館(
甲120号証)においても、北方民族博物館(甲121号証)においても、指定管理者の組織と駐在道職員とは決して一体的にまとめられてはいません。むしろ、平成20年の今日(こんにち)に至るまで、完全に切り離した形で記されています。たとえば北方民族博物館では、財団法人北方文化振興協会の方にも「博物館課」はありますが、道職員が上司・財団職員が部下といった序列関係がつけられていたりはしません。
 
 そのようなわけで、以上の経緯に照らしてみるかぎり、学芸員(駐在道職員)の位置づけと任務について、相馬教育長(道教委)と財団との間に理解の食い違いはなかったと思われます。『北海道立文学館の管理に関する協定書』(以下、『協定書』と略)の別紙には、「(学芸員が)指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」が明記されていますが、当然これも両者の合意の下に決められたことだったと思われます(
甲35号証)。
 別な言い方をすれば、両者の合意の下に、学芸員(駐在道職員)の立場は「指定管理者の求めに応ずる」立場と規定され、その業務は「専門的事項」に限定されていたことになります。
 1つ、ポイントとして押さえておきたいのは、これまで紹介した議論のどの段階においても、寺嶋学芸主幹が言う
「二つの組織が協働して施設運営を行うにあたり、それぞれの組織に属する職員の業務内容と指揮命令系統がどのように両立されるか」というような問題が論じられた形跡は、少なくとも私の知るかぎり、どこにも見当たらなかったということです。
 北海道新聞は、「学芸員は施設運営の責任を負う指定管理者の指揮下ではないが、逆に学芸業務を監督する立場とも言えない」と、学芸員の位置づけを問題にしていましたが、どうやらフォーマルな形での議論にはならなかったようです。多分財団の提案や、『協定書』の合意事項によって問題は解消した、と見なされたからでしょう。
 なぜなら、北海道教育委員会の職階制における〈主幹〉は、〈グループリーダー〉として位置づけられているからです(
甲122号証)。それ故、道の学芸員である学芸主幹は、同じく道立文学館に駐在する〈文学館グループ〉の学芸員らが、財団の求めに応じた「専門的事項」の業務を遂行するにあたってのグループリーダーでありさえすれば、それで任務は充分に果たしているはずだからです。
 この原則に立つならば、〈文学館グループ〉の業務内容や方針が、財団のそれらとバッティングして、指揮命令系統の問題が起こったりするはずがありません。
 
 なお、念のため付言しますが、先ほどの北海道新聞の記事における「指定管理者に対して『意見を述べる』『求めに応じて専門的事項を行う』という位置づけだ」という文章の前半、「指定管理者に対して『意見を述べる』」は、誤解を招くおそれがないでもありません。なぜなら、このまま額面通り受け取りますと、駐在道職員の学芸員は業務課の仕事や施設の運営と管理に関しても、指定管理者(この場合は財団)に「意見を述べる」ことができることになるからです。しかし、この「意見を述べる」には、『協定書』の第14条によって、次のような縛りがかけられることになりました。
 
「甲(道)は、本施設の事業を円滑に実施するため、乙(財団)が行う文学資料の収集、保管、展示、その他これと関連する事業に関する専門的事項について意見を述べるものとする。」第14条 下線は引用者)甲35号証
 つまり、学芸員が「意見を述べる」ことができるのは、あくまでも「乙(財団)が行う文学資料の収集、保管、展示、その他これと関連する事業に関する専門的事項」に関してであり、財団の組織や、財団の業務課が所管する事項はその範囲には入っていないわけです。
 
3.裏付けのない「北海道方式」
 寺嶋学芸主幹が言う「北海道方式」が、財団と北海道教育委員会とで合意されたものと同じであったならば、寺嶋学芸主幹の立場と任務は既に決まっていました。それは、〈道立文学館に駐在する学芸員は財団の専門的知見と必要な情報、またノウハウの提供を受けつつ、資料に関する専門的、技術的な調査研究や、資料の保管、展示等に関する技術的研究を行う〉ことであり、それ以外でも、それ以上でもなかったはずです。
 ところが寺嶋学芸主幹は、平成18年4月4日に着任するや、まず取りかかったのが「指揮命令をどうするか、連携・協働をどう進めるかについては、毛利正彦館長(当時)とも4月当初から数度にわたって協議を行い、」(乙1号証「陳述書」2ページ)という、組織いじりともいうべき組織介入でした。  
 寺嶋学芸主幹の立場から言えば、“この変革なくして「北海道方式」の実現なし”、ということになるのかもしれませんが、しかしこの組織介入には、ある重要な前提が欠けていました。それは前年度までのやり方に関する評価です。
 
 前にも述べましたように、平成17年度まで、派遣道職員と財団職員との連携・協働は十分にうまく行っていました。また、「平成16年度学芸課事務分掌表」(乙9号証)や「2005年度学芸課事務分掌(案)」(同前)を見れば分かるように、職員が2人1組になって、それぞれの分掌の業務を担当していました。この2人1組のチームは、他のチームとも互いに連絡を取りあい、時には手助けしながら各自の業務を遂行していて、その間、「指揮命令をどうするか」などという問題が起こったことはありませんでした。また、「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)は平成17年度の末には既に出来ていたものですが、それ以前のものと較べて分かるように、財団業務課学芸班の職員と道の学芸員との組み合わせをさらに一そう有機的なものとしており、連携・協働がスムーズに行われるように配慮されています。
 ですから、もし寺嶋学芸主幹が、“従来のやり方には不都合な点が多かった”、また、“従来のやり方を発展させた「平成18年度 学芸部門事務分掌」には問題点が多い”、と判断したならば、まずそれらの点を具体的に明示しておく必要があったはずです。それらの点を具体的に示しもせずに、駐在の学芸員がいきなり組織改変に着手するなどというのは、越権的独走の謗りを免れません。
 寺嶋学芸主幹はどのように過年度のやり方を理解し、どのような不都合があったと判断したのでしょうか。
 
 寺嶋学芸主幹の組織介入は、その前提となるべき重要な条件を無視して、いきなり「指揮命令をどうするか、連携・協働をどう進めるかについて」、毛利正彦館長(当時)とトップ交渉に入ったと称していますが、なぜそんなに焦ったのか。多分その動機をみずから暴露してしまったのが、被告側の「準備書面(2)」の「着任日には、被告(寺嶋学芸主幹)は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、「二組のデュオ展」を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。」(2ページ)という文章です。
 ここで問題なのは、寺嶋学芸主幹が「当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。」と自分の立場(あるいは身分、地位)を主張しているにもかかわらず、この主張を裏づけとなるものが、被告側の「準備書面(2)」はもちろん、太田弁護士によって提出された「証拠物写」(乙第1号証~乙第12号証)のどこにも存在しないことです。
 いや、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)がある。寺嶋学芸主幹はそう反論するかもしれません。
 しかし、この文書は非合法な文書です。なぜなら、手続き的には「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」の第7条に違反しており、しかも法的、制度的な観点から見れば、地方公務員の二重身分(北海道教育委員会の公務員が民間の財団の職員の上司となること)を認める、違法なものだったからです。そしてもう一つ、この「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」なる文書は、寺嶋学芸主幹自身が「陳述書」(2ページ)で認めているように4月18日に慌ただしく作文されたものであり、ですから「着任日」には、実はまだ存在しなかったということになります。
 
 その意味で、「当該年度に計画されたいずれも事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。」という寺嶋学芸主幹の主張は、裏づけを欠いたものでしかなかった可能性が極めて高いと言えます。さらに遡って言えば、私が当館への着任にあたって最重要課題としたのは、指定管理者との連携・協働を円滑に進め、職員間の理解を図り、組織体としての文学館の運営、とりわけ学芸業務に関して滞留なく遂行するということでした」というミッションも、北海道教育委員会から与えられたフォーマルなものではなく、寺嶋学芸主幹が自分の立場と任務を逸脱してしまった事実をとりつくろうための作文だった可能性が高い。なぜなら、平成18年度の1年間に、寺嶋学芸主幹はどれだけ「指定管理者との連携・協働を円滑に進め」たか、どのように「職員間の理解を図り」、「学芸業務に関して滞留なく遂行」したか、そう問うてみた時、肯定的な答えを見出すことはほとんどできないからです。
 また、先ほど整理しておいた、道と財団とによって合意された学芸員(駐在道職員)の立場と任務に関して言えば、寺嶋学芸主幹は業務課の仕事にまで越権的に介入し、しかし「資料に関する専門的又は技術的な調査研究」や「保管、展示等に関する技術的な研究」(「北海道条例」第115号)等の任務に集中している様子は一向に見られませんでした。

Ⅳ章 平成18年度の新たな状況
 指定管理者という新しい制度の実施と共に、私には理解しがたい、不都合な事態が幾つか起こって来ました。その代表的なものを以下、4点紹介します。
 
1.きめ細かな対応の低下
 その1つは、先に述べましたように、主に受付を担当していた4名の女性職員が職を失ったことです。日常面・接客面における館の状況をもっともよく把握し、しかも小回りの利く立場だった4名を欠いたことで、以降、文学館は、様々な業務の支障に直面せざるを得なくなりました。
 財団は新たに民間の派遣会社に依頼して、4名の受付係を派遣してもらうことにしました。と言うと、一応数的には従前と変わりなく見えますが、それまで1日3名・1つの時間帯毎に受付2名のローテーションだったのに対し、新年度からは1日2名・1つの時間帯毎に受付1名
(ただし昼前後の2時間程のみ2人の勤務が重なる)に変わってしまいました。これは、化粧室にもおちおち行けないような最少人数のシフトです。
 派遣されて来た人たちは、人柄や応対の良さこそ以前の受付係と遜色ありませんでしたが、如何せん、前年度までの文学館のシステムや業務内容に通じているわけではありません。来館者からの質問にとまどい、事務室に内線で問い合わせてくることも少なくありませんでした。また、文学館の方としても、契約内容の範囲が〈受付業務〉に限られていたため、もう受付係の人にイベントを手伝ってもらったり、細かい事務仕事をお願いすることは不可能になってしまいました。
 
 このように、指定管理者制度導入のために〈受付〉の体制を変えたことで、結果的には他の職員が多大な業務のしわよせと負担をこうむることとなり、きめ細かな来客サービスの提供も困難になってしまったわけですが、なぜかこういう点に関しては、寺嶋学芸主幹も、館長・副館長も、対策の一つも講じず、問題提起すらしようとしませんでした。のみならず、いつの間にか、受付業務も他のメンテナンス業務と同じく、年度変わりには“公平に”入札を行い、違う派遣会社から新たな人たちを派遣してもらう、という形式が採られることになってしまいました。こうした入札方式を採る限り、今後、受付係の人が1年以上の経験や知識を蓄積することは、まず、望むべくもないということになってしまいます。文化施設にとって〈受付〉とは、外部の方々と間近に接してご質問・ご意見等を真っ先に受けるセクションであり、その責務は学芸員に匹敵するほど重要だと思うのですが、結局、文学館は、そこで“ベテラン”は育たないように、システムを改変してしまったわけです。
 
2.合意的事項の破棄
 2つ目は、それまでに職員間で合意されていたことが、合理的な説明もなく、簡単に破棄される事態が起こってきたことです。
 平成17年度の学芸課長だったH氏は、転出に際して、何点か早急に解決すべき事項を挙げましたが、その中に「資料について、受入手続・薫蒸・リスト作成・装備の済んだものから、図書分類に従って順次配架していく(現在の配架位置の変更が必要)」、「重複の明確な資料については、原則として資料番号を抹消し廃棄する手続きをとる。」という提案がありました
(「引き継ぎ事項について」 平成18年3月29日 課内打合せ書類)甲47―1号証)。何故そのような提案がなされたかと言えば、従来の道立文学館の図書資料の配架方法はジャンル別の配架だったため、様々に不便な点があったからです。
 
 例えば伊藤整の文学的活動は詩・小説・評論・文学史・翻訳等、幾つものジャンルに及んでおり、そのため彼の著書は、それぞれ異なるジャンルの書架に別けて配架されています。他方、中野重治の『夜明け前のさよなら
(改造社 昭和5年)のように詩・短編小説・エッセイで編集されている単行本は、どのジャンルの棚に置くか、実は確たる基準がありません。さらには、〈個人文庫〉として、愛書家や研究者の蒐書が一括して置かれている書架が何本もあり、その中には幅広いジャンルの書物が混在しています。そのため、閲覧室勤務の職員が御客様の請求に応じて書物を取り出すのに手間どったり、逆に、新着図書を登録して、さて配架となった際に、どこに置くべきか、専門の司書でも悩むことがしばしばあり、職員の間では懸案となっていました。
 また、文学館には同じ作品が何冊も所蔵されている場合が多く(これは購入図書と寄贈・寄託資料とが重複することがあるため)、その上、棚には未整理の寄贈資料を入れたままの段ボール箱が何十となく押し込まれていて、スペースを圧迫していました。このままでは、数年を経ずして、深刻な収蔵問題に直面するのは明らかでした。
 H課長はそれらの問題を解決するために、収蔵庫のデッドスペースを徹底調査した上で、転出前の3月29日、課内打合せの席にて〈書庫内資料のリダクションの必要〉性を学芸課職員に提案しました(
甲123号証 甲47―1号証の続き)。提案の骨子は、主に、〈図書分類法に従って配架し直すこと〉と〈重複本は初版本・再版本など版の異なるものはそれぞれ1部ずつ残し、同じ版のものが複数存在する場合は重複するものを処分すること〉でした。提案は、学芸課の職員全員により了承されました。
 またそのためには、未整理の寄贈資料も組み込んだ、正確なデータベースの作成が不可欠です。H課長は、作業に必要な人員(アルバイト)・日数・費用を、未登録資料の概数に基づいて算出しました(
甲123号証参照)。また、業務課のK主査らは、H課長の調査結果を参照した上で、平成18年度予算の「資料収集保存等事業費」として9,220,000円(前年度予算額は6,485,000円)を計上しました(甲124号証)。付言しますと、この予算額は、単にH課長やK主査の判断のみで恣意的に配分されたわけではありません。もともと、指定管理者制度導入の第1年目は、館内の資料整理のために例年より多めの予算を確保することになっており、彼らは要するに、そこに調査の裏付けと根拠がある金額を割り振ったわけです。
 H課長が書庫内のリダクションを提案した打合せ会には平原学芸副館長も同席しており、甲123号証の資料に対して「これだけ詳しいものがあれば、実際の作業をする上でも大変参考になる。ありがとう、ありがとう」と何度も御礼を述べていました(
甲125号証)。
 ところが、それから16日後の4月14日(金)、私は、平原学芸副館長と寺嶋学芸主幹によって会議室に呼び出され、〈4月13日の打合会〉の結論として、「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」という事務分掌を手伝うように
(「準備書面(Ⅱ)-2」5ページ参照)依頼を受けましたが、その時、平原学芸副館長は「ここからは、雑談と思ってほしいんだけどね」との前置きで、突然、図書資料の配架替えに関する合意事項を「チャラにする」と言い出しました。その理由は、以下のようなものでした。
 「H君は、10進分類法で配架することを提案していたけれど、ここはあくまで文学館であって、図書館じゃないんだ。」
 「H君はね、去年、司書の資格を取りに行ったわけですよ。そして、司書のアタマになって帰って来たわけだ。それで、10進分類法が如何にすごいかって思って帰って来たわけなんだけど、ぼくは、10進分類法がそんなにいいものだ、なんて思っていないんだよね。」
 「ぼくは、Hさんのアイデアを聞いたとき、わかった、とは言ったが、いいよ、とは一つも言っていないわけよ。」
 しかし、文学館の配架方式とはどういう考え方に基づいているのか、なぜ文学館の業務にとっては現在の配架のほうが望ましいのか。また、この「チャラにする」方針が実際に〈4月13日の打合会〉で了承されたことなのかどうか。それらの事柄については、何らの説明もありませんでした。私は、“今年度は資料整理の予算が大幅についているが、来年にはそれはないと聞いていたので、どんな配架方式にせよ、今年はアルバイトを雇って資料整理をある程度進めた方がよいのではないだろうか”と尋ねてみましたが、平原氏は「今年整理しなくても、予算は4年間でついているのだから、金は来年以降も使える」と言い、再考する様子はありませんでした(以上、
甲125号証参照)。
 ところが寺嶋主幹は、ことが〈書籍資料の保管と活用〉という、学芸員にとっては最も重要な専門的事項の問題であったにも関わらず、一言の意見も述べることなく、平原氏と私のやりとりを、ただ側で黙って見ているだけでした。
 
 もう一例を挙げるならば、先述したように、財団法人北海道文学館は北海道教育委員会に『北海道立文学館業務計画書』を提出したわけですが、その計画によれば、平成19年度の特別企画展は「八木義徳と北海道の作家たち」と「作家は自然をどうとらえたか―『描かれた北海道』からの問い―」であり、企画展は「遥かなるサハリン~極北をめざした作家たち~」となっていました。ところが、道立文学館の幹部職員は平成18年の段階で、19年度の予定を「太宰治の青春~津島修治であったころ~」と「目で見る川柳250年」、及び「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿画」に代えてしまいました。
 八木義徳展やサハリン関連の展示は、指定管理者の選定委員会によって
「北海道にゆかりのふかい文学者や文芸作品を中心とした、時代を超えた多様な視点からの問題提起的で魅力的な文学に関する展示(平成18年度)、北方文学に影響を与えたサハリン関連文学に関する展示(平成19年度)を始めとする指定期間における展示計画などの提案内容が優れており」と評価された、いわば、財団が指定管理者に選ばれる決め手となった展示計画だったと言っても過言ではありません(甲126号証)。ところが、そのかなめというべき展示案が、北海道とはほとんどかかわりのない太宰治展や、川柳展に差し替えられてしまったのです。
 この変更は、複数の理事と評議員によって構成される企画検討委員会に諮られ、一応の手続きを経て承認されました。ですから、表面上は何の問題もなかったように見えますが、もし平成17年度までのやり方が守られていれば、当然こうした重要な変更は、何より先に、職員全体会議あるいは学芸課の課内打合せ会で諮られたはずでした。しかし、企画検討委員会に出席する幹部職員はその手順を踏まず、逆に、企画検討委員会の結論を職員に押しつける形を取ったのです。
 寺嶋学芸主幹は駐在道職員の最年長者であり、であればこそ本来は、道と財団が契約した展示計画の実現に最も力を尽くすべき立場の人であるはずです。ですから、例えば、このように安易な企画変更が行われそうになった場合にこそ、「教育委員会と道民に対する約束違反ではないか」と、財団の幹部職員か企画検討委員会の委員に対して、異議申し立てをするべきでした。またそれこそが、指定管理者に対して〈意見を述べる〉という役割の本旨だったはずです。私はそう考えますが、しかし、主幹はまったくそういう行動を取ることなく、財団の、道教委と道民に対する不誠実なやり方に同調してしまったようです。

3.意思決定プロセスのブラックボックス化
 以上のことからも分かるように、平成18年度には、職員の合意を形成する手続きがおろそかになり、文学館としての意思決定のプロセスがブラックボックス化されてしまいました。これが、3つ目の重大な問題点です。
 
 平成17年度までは、これまでにも「準備書面(Ⅱ)―3」や本陳述書で触れてきたように、毎月の学芸職員による打合せ会が持たれたのですが、平成18年度からはそれが廃止になり、毎週火曜日の〈朝の打合せ会〉に変更されてしまいました。
 当初、この変更については「打合せ会が毎月単位では、様々な変更があった場合に皆への周知がおいつかず、きめ細かな対応が出来ない。だから毎週打合せ会をもつことにして、誰もが仕事をかかえこむことなく、透明性が高く風通しのいいやり方にしてゆきたい」と、平原学芸副館長から説明されていました。私自身は、本陳述書Ⅰ章の3、およびⅢ章の3でも述べましたように、従来の在り方でなんらの不都合も感じたことはありませんでしたので、この変更を少し怪訝に思いましたが、それでも、以前よりよくなるのであれば構わないだろうと、黙って従っていました。
 ところで、業務スケジュールや業務内容の重要な変更などは、普通、そうそう1週間ごとに出てくるものではありません。従って最初のうちは、実際、各人の年休や出張の連絡があるくらいで、ほとんど打合せらしい打合せにはなりませんでした。
 ところが結果的には、いつしかそのやり方が、〈既定路線〉にすり替えられる口実を作ってしまっていたのでしょう。気がついた時には、寺嶋学芸主幹が
「打合せ会は、すでに決まったことを報告するところ」(原告「準備書面」15ページ)と平気で公言するまでに簡略な内容のものに変質してしまっていたのです。本当は、その時点でさえ、会の司会だったS社会教育主事が言うように「どんなことを言っていいとかいけないとか、何も決まりや申し合わせはありません」(同前 16ページ10~11行目)ということだったはずです。また決して「毎週1回5分程度の打合会がその週の日程確認を主とした連絡の場だからであって、事務事業に関して協議する場とはなっていなかった」(被告側「準備書面(2)」6ページ)というような時間制限などなかったはずなのですが、結局は、寺嶋学芸主幹の方針に押し切られた形となってしまいました。
 
 このような寺嶋学芸主幹のやり方は、〈決定過程のブラックボックス化(より正しくは、合意形成手続きの無視)による「決まったこと」の押しつけ〉と呼ぶことができると思います。寺嶋主幹は、平成18年10月28日、私に対して、5月2日の時点で私(亀井)が文学碑の写真を撮りに行くことに決まっていたなどと、そもそもその席で話題にすらならなかったことを持ち出し、私の「怠慢」を非難しましたが、これなどは、「決まったこと」として押しつけるやり方の、最も悪質な例と言えるでしょう。
 逆に、寺嶋主幹自身のことで言えば、主幹は自分が主担当の「聖と性、そして生」(平成19年1月13日~27日)という企画展を中止にしてしまいましたが、職員に対する経緯説明等は、一切行いませんでした。また、平成19年1月31日には、特別展示室の入口を塞いで「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(2月3日~8日)という写真展を設営し、そのため私とA学芸員は「二組のデュオ」展(2月17日~3月18日)の準備期間を大幅に削られてしまいましたが、この時も、寺嶋主幹は、事前には何一つ職員に周知せず、写真展を開始した翌週火曜日の朝の打合せ会になって、やっと「写真展をやることになりました。……今、やっております」と、不明瞭な口調で報告したに過ぎませんでした。

4.恣意的な予算執行
 4番目には、出来るだけ決められた予算内で自分の仕事を進めようとする心がけが薄れ、他の事務分掌に割り当てられた予算を尊重するルールが失われたことです。
 
 平成18年5月12日(金)、寺嶋学芸主幹は私とA学芸員を呼んで、「『啄木展』のところで予算を大幅に超過している。『啄木展』と『池澤夏樹展』であとどれだけ予算が使えるかを出すために、急遽、支出予定の内訳を算定してもらわなければならない」と言い、来週までに「二組のデュオ」展の支出予定の内訳を文学館のサーバー内の所定の場所にアップしておくように、と指示しました(
甲27号証)。本来「啄木展」の担当はS社会教育主事と私だったのですが、主幹は私に一言のことわりもなく「啄木展」に介入して私を排除し、しかも、本来、平原学芸副館長か川崎業務課長が扱うべき予算面のことにまで介入して、自分と鈴木主事とが出した赤字を埋め合わせるため、私が主担当の「二組のデュオ」展の予算にまで手を出そうとする。そうした横暴なやり方が、まるで大義名分に基づいた正論であるかのようにまかり通るようになったわけです。
 
 この「啄木展」は、当初は3,712,000円を組んであったのですが、最終的には5,399,027円を支出し、180万円ほど超過してしまいました。その一番の原因は、日本近代文学館から資料を借りる資料借入費が当初の見積りでは100万円だったところ、実際には315万円に跳ね上がったためです(
甲28号証)。
 この大幅な増額については、他の職員も、当然疑問を感じたのでしょう。平成18年6月7日には、平原副館長(当時)・S社会教育主事・川崎業務課長・N主査らが集まり、事務室において、啄木展予算に関する打合せ会を行いました
(なお、私は「啄木展」から疎外されてしまった立場で、この時もまったく声がかかりませんでしたので、参加はしませんでしたが、自席で業務を続けながら聞くともなしに聞いておりました。打合せ会は事務室中心部の来客ソファーがある場所で行われましたので、彼らには、内容を極秘にする意図はなかったと思われます。)
 
 この時、平原副館長は、「当初予算の3,712,000円という見積り額は、前年度2月頃の段階で、当時のK主査が決めてしまった額だ」と言い、「貸借料の315万円は高いようだが、アイデア料も、キャプションの文案も、パネルもすべて込みの金額で、決して高くない」と説明していました(
甲127号証)。
 しかし、一般に博物館(文学館・美術館を含む)同士で資料の貸し借りをする場合は、基本的に貸借料は無料です。文化施設同士は文化振興のためには資料協力等を惜しまない、という精神がベースにあるからです。そのため、貸借の際には、通常、輸送の最中および展示中の万一の事故のための保険料がかかる程度です。
 ただ、財団法人日本近代文学館は元々地方自治体などの支援を受けておらず、手持ちの資料を、単価いくらという有料で貸し出して運営資金としています。そのため、道立文学館も貸借に際してある程度まとまった金額を支払うことになったわけですが、それにしても、アイデア料やキャプションの文案代まで込みで支払うなど、常識的にはあり得ない話です。
 平原副館長は、日本近代文学館から借りる資料の多くが〈本道初公開〉の〈お宝〉であることをしきりに強調していました。しかし、実は、その半数以上が、昭和61年に市立小樽文学館が開催した「石川啄木・小樽―北の旅」展で既に公開されていたものでした。当時、それらの資料はさる啄木研究家の個人蔵だったのですが、後に、それらがまとまって日本近代文学館の手に渡りました。それを今度は、道立文学館が、常識外の金額で日本近代文学館から借りることになったわけです。
 なお、後日のことですが、N主査はさすがに長年経理事務に携わってきた人ですから、6月28日にも、「貸借でこれだけ料金がかかるからには、明細はちゃんとあるのでしょう?」としきりに気にして寺嶋学芸主幹に問いかけていました。しかし、寺嶋主幹は、“それは要するにパッケージ代だ”“同じ展覧会を他の文学館が日本近代文学館から借りてやっていたとしても、ケースバイケースだから、皆(料金の)条件は違う”と質問をかわし、挙げ句の果てには
(この時の啄木展のパッケージについて)それは、要するに、デパートなんかでやる展覧会と一緒で、全部一まとめにしてお貸しするから、頭を使う必要はないですよ、っていう事の自嘲を込めて(当館が)言っていることじゃあないですか?」と、平原副館長が採用したパッケージ方式そのものを鼻先であしらうような言い方をして、N主査を黙り込ませていました(甲128号証)。
 
 再び、話を6月7日の啄木展予算に関する打合せ会の時に戻しますが、この時平原副館長は、さらに講演料に関しても、「今までは年に2つの特別企画展に14万円の講師料がつき、1回(1人)につき7万円だったが、しかし、『なぜ7万円か』という問題も起こる。3段階くらい、ランク付けを行わないとならない。『啄木展』で講演してもらうのは、日本近代文学館の理事長・中村稔氏なので、15万円。『池澤夏樹展』の池澤夏樹氏は“バリバリの現役”だから、当然それより高い。また、高い金額でないと来てくれない」と主張し、結局、その言い分が通ってしまいました(
甲127号証)。また、この時の合意をもとに新しい「財団法人北海道文学館の事業等に係る講師等謝礼(金)等の基準」(甲129号証)という文書が作られましたが、その日付の箇所には「平成18年4月1日理事長決定(ゴチは引用者)と記されています。しかし、実際の作成月日は6月7日以降であり、また、私の知る限り、決定過程に神谷理事長は関わっていません。多分、知らせたとしても、事後承諾だったと思われます。
 
 このように、平成18年度の道立文学館の中では、極めてご都合主義的・恣意的に出費の方針を決めてしまう体質が生まれ、「人生を奏でる二組のデュオ」展の主担当だった私も、否応なくその渦中に巻き込まれてゆきました。「二組のデュオ展」の予算も、当初は1,516,000円という金額がついていたのですが、結局は、その半分近くにまで予算執行を抑えざるを得ませんでした。余った金額は、おそらく他の展覧会の赤字補填にまわったのだと思われます。
 しかしながら、「二組のデュオ」展からまわすことが出来た金額は、僅かに70万円強にすぎません。多分、それ以外は「資料収集保存等事業費」から流用したのではないかと思います。なぜなら、先に「2.合意的事項の破棄」で述べたように、平成18年度は図書資料整理のため、小松主査が算段して、前年度よりも270万円ほど多い922万円を「資料収集保存等事業費」に当てていたからです。ところが一方、4月14日の時点で、平原学芸副館長(当時)は、寺嶋主幹同席のもと、私に面と向かって、図書資料の配架替えは「チャラにする」と宣言しました。おそらく、既に2人は、早くもこの時、「資料収集保存等事業費」に目を付けていたのでしょう。
 
 ちなみに、平成18年2月23日(木)の理事会・評議員会で決定された、平成18年度「指定管理業務特別会計
(『北海道文学館報』第65号 平成18年4月25日発行)甲124号証)によれば、
 「資料収集保存等事業費」の予算額は9,220,000円(前年度予算額は6,485,000円)、
 特別企画展①(啄木展)の予算額は3,712,000円(前年度予算額は3,034,000円)、
 特別企画展②(池澤展)の予算額は3,612,000円(前年度予算額は3,052,000円)、
 企画展(二組のデュオ展)の予算額は1,516,000円(前年度予算額は1,141,000円)
となっていました。
 ところが「平成18年度収支計算書(指定管理業務特別会計)」
(『北海道文学館報』第69号 平成19年6月15日発行)甲130号証)によれば、
 「資料収集保存等事業費」の予算額は7,620,000円(決算額は6,564,748円)
 特別企画展①(啄木展)の予算額は5,490,000円(決算額は5,399,027円)
 特別企画展②(池澤展)の予算額は3,630,000円(決算額は3,574,012円)
 企画展(二組のデュオ展)の予算額は820,000円(決算額は778,301円)
となっています。つまり、平成18年度直前に決まった予算額と、平成18年度後の収支計算書における当初予算額とは大幅に異なっており、数字の操作が行われたことは明らかです。この誤魔化しによって、文学館は、対外的に、当初の予算額をオーバーすることなく支出が行われたかのように装うことが出来たのだと言えるでしょう。
         《「その2」の引用終わり。なお、本文中傍点の箇所はゴチック体に改めた》
 

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コメント

(43),(44)は、事の展開が時間順に記述されているので、すんなり頭に入りました。
(44)の下記につき、一瞬、啄木展などに、前年度!予算が何故あるのだろうかと疑問を抱きました。
「資料収集保存等事業費」の予算額は9,220,000円(前年度予算額は6,485,000円)、
 特別企画展①(啄木展)の予算額は3,712,000円(前年度予算額は3,034,000円)、
 特別企画展②(池澤展)の予算額は3,612,000円(前年度予算額は3,052,000円)、
 企画展(二組のデュオ展)の予算額は1,516,000円(前年度予算額は1,141,000円)
しかし、これらは、それぞれ前年度の特別企画展①、特別企画展②、企画展に相当する別企画であると、納得しました。

投稿: 直感子 | 2008年10月26日 (日) 02時58分

直感子様

お読み取り下さってありがとうございます。
亀井志乃の「陳述書」は、一緒に提出した「証拠」資料を前提に書いてありますので、「証拠」資料が手元にない皆さんには、不親切な引用だったかもしれません。引用の後に、一言、「前年度予算」の意味をことわっておくべきだったと反省しています。

それはそれとして、寺嶋弘道被告が主担当だった「池澤展」の決算額は色んな問題を含んでいるように思います。
財団法人北海道文学館は北海道教育委員会に「業務報告書」を出すのですが、念のため情報公開の手続きを取って「業務報告書」を入手し、目を通して見たところ、寺嶋弘道学芸主幹が主担当だった「池澤展」には、「特別企画展の概要」という報告が付いていませんでした。
たとえば亀井志乃が主担当だった「二組のデュオ展」の場合、まず「企画展の概要」で、ポスター400枚、ちらし4,000枚、図録、販売物実績などを報告し、その後に、報告を裏づける資料として、ポスターやちらしのコピー、展覧会場のスナップ写真、新聞記事のコピー等がつけてあります。これは他の展覧会についても同様なのですが、寺嶋弘道学芸主幹が主担当の「池澤展」にかぎって、「特別企画展の概要」という報告がついていませんでした。
これは前にもブログに書いたことですが、「池澤展」は図録を作らず、『koyote』という雑誌の池澤特集号を買って、「図録」と称していました。その点を理事会で私に指摘され、川崎業務課長が、『koyote』をまとめ買いして、それを「図録」に代えたことを認めています。
では、『koyote』を何部、いくらで買い取ったのか。その販売実績はどうだったのか。当然その報告があるべきなのですが、平原一良副館長も川崎学芸課長もそれをしたがらない。私がその報告を求めたところ、理事会では、YMやAKなどの理事に総会屋はだしの発言をさせて、隠し通してしまいました。
これはその一例なのですが、「池澤展」には明らかにできないことがたくさんあるようです。

そこで私は、そんなやり方が北海道教育委員会に通用するはずがない、教育委員会への「業務報告書」には誤魔化しのない報告がなされているだろう、と「業務報告書」を取り寄せてみたわけです。ところが、先ほども言いましたように、「池澤展」に関する箇所では「特別企画展の概要」が欠けていました。

こんな杜撰な「業務報告書」を北海道教育委員会が受け取るとは! と呆れましたが、寺嶋弘道学芸主幹は北海道教育委員会のお役人です。北海道教育委員会は、仲間の手抜き仕事は大目に見ることにして、お目こぼししたのでしょう。
10月26日昼
亀井秀雄


投稿: 亀井秀雄 | 2008年10月26日 (日) 12時25分

わざわざレスをいただきありがとうございます。自浄機能不在の組織で、マスコミも取り上げないとなると、会計検査院のような機関による監査が待たれます。とはいえ、時間はかかっても最後には道理が通ずるで、かかる組織は別要因で内部から倒壊していくものと信じます。

投稿: 直感子 | 2008年10月26日 (日) 13時39分

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