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北海道文学館のたくらみ(41)

弁護士の文章

○寺嶋弘道被告、いよいよ登場
 8月29日(金)、第6回の公判が行われた。予定は10時半からだったが、前の公判が延びたため、実際に始まったのは10時45分から。まず、8月11日に亀井志乃が提出した『陳述書』の確認が行われ、次に、亀井志乃が「陳述書」に添えた証拠物の原本確認に入った。
 その後、次回の公判の打ち合わせに入ったわけだが、いよいよ次回の10月31日(金)に、被告・寺嶋弘道と原告・亀井志乃の本人尋問が行われる。被告の代理人・太田三夫弁護士は寺嶋弘道の尋問に60分を要すると申請しており、もしその通りならば、亀井志乃の側の寺嶋弘道に対する反対尋問にも60分が保障される。
 ただし、太田弁護士は「できるだけ簡潔に(済ませたい)」と言っており、太田弁護士の寺嶋弘道に対する本人尋問は30分程度で終わるかもしれない。
 
 ところで、今私は「亀井志乃の側の寺嶋弘道に対する」と言い方をした。なぜそういう言い方をしたかと言えば、寺嶋弘道に対する反対尋問は亀井志乃だけが行うわけではないからである。亀井志乃は、裁判長からの勧めに従って、彼女に代わって裁判長から寺嶋に対する反対尋問をしてもらうことにし、8月11日、尋問してもらいたい項目を裁判所に届けておいた。裁判長がそれに基づいて寺嶋に対する反対尋問を行い、その後、亀井志乃が改めて自分の聞きたいことを尋問するわけである。

 他方、原告亀井志乃に対する本人尋問に関しては、彼女は裁判長に本人尋問をお願いしており、所要時間は40分。その後、太田弁護士及び寺嶋弘道による亀井志乃に対する反対尋問が行われるわけだが、これも同程度の時間をかけることになるだろう。
 なお、田口紀子裁判長によれば、前回の『陳述書』で言い足りなかったことがあり、補足の希望があれば、9月29日(月)までに届けて欲しいということであった。

 そんなわけで、10月31日はかなり長丁場になる見込みであり、裁判長は1時半から4時半までを予定してくれた。田口裁判長によれば、原告・亀井志乃に対する尋問を先に行う、という。これがルールらしい。

○ジャルゴンの問題
 10月31日、ハロウィーンの日に、いよいよ寺嶋弘道ご本人の出現か。なんか面白い巡り合わせだね。私たちはそんなふうに楽しみしているわけだが、本番までに2ヶ月も間がある。これを機会に、司法の言語や、司法関係者の文章について考えてみたい。
 
 というのは、今年の2月、「北海道文学館のたくらみ(25)」を載せたところ、知り合いのSさんから次のような一節を含む手紙を貰ったからである。
《引用》
 
私は○○大で経営法学という、法律の真似事のようなものを勉強しましたが、弁護士を雇わずに訴訟を起こすというのは無理であると習ったような気がします。もし、訴訟に勝つ積りがあるのならば弁護士を雇うほうがいいのではないかと思います。(中略)
 法律の世界には法律の世界のジャルゴンがあります。文学の世界に文学のジャルゴンがあるように、まずそのジャルゴンが判らないと文学の世界でも法律の世界でも、共通の話題についての話ができない。相手の弁護士や裁判官が言ってることはそういうことだと思います。
 たぶん弁護士を雇わないでこのまま行くと、遅かれ早かれ裁判自体を維持できなくなるのではないかと思います。ここでも相手の弁護士と裁判官が結託して素人を裁判自体から排除しようとするだろうからです。パワハラ的な事態が反復されることになりかねません。

 Sさんはちょっと誤解をしているらしい。たしかに当時の阿部裁判長は亀井志乃に「弁護士に依頼をしたらどうか」という助言をしたが、相手の弁護士、太田三夫さんはそのようなことは言わなかった。私も、そのようなことは書いていない。
 が、それはともかく、いま、念のために補足説明をするならば、Sさんが言う「ジャルゴン」(jargon)とは、それぞれの言説領域において独特な意味で使われる専門用語、というほどの意味だろう。
 もちろん文学に関する理論/研究の言説領域においてもジャルゴンと呼ぶべき専門用語(あるいは業界用語)があり、例えば私たちが「ドナー(贈与者)」という場合、その意味は医学界における「ドナー(贈与者)」とは全く異なる。
 私は今年、市立小樽文学館で、4回にわたって「現代文学理論用語の基礎知識」という、堅苦しいタイトルの講座を開き、読書行為論や言語行為論に由来する専門用語を、具体的に作品を読解しながら説明をした。Sさんふうに言えば、文学の世界のジャルゴンを解説したわけである。

 司法の世界でも同様であって、「擬制」という言葉は「みなし」というほどの意味で使い、例えば未成年者であっても、結婚をしている場合は成人と見なす、すなわち成人に擬制する。つまりこの場合、「擬制」は法的な判断の仕方を意味する言葉であって、私たちが日常的に、「見せかけ」とか、「紛いもの」とかいう意味で使うような、倫理的な観点による否定的なニュアンスは取り除けてあるわけである。
 その点で、Sさんが言うジャルゴンの問題はたしかに重要な事柄なのだが、しかし裁判員制度が現実の問題になりつつある現在、弁護士や裁判官が仲間内の隠語めいた業界用語に固執するはずがない。市民の言語感覚に近づくよう努力するはずであり、それでもまだ埋められないギャップについては、こちらの勉強で克服して行けばいい。
 そう考えて、あまり気に病まないことにした。

○励まされた言葉
 ただし、Sさんが心配して下さったのは、ジャルゴン自体の問題ではなく、
たぶん弁護士を雇わないでこのまま行くと、遅かれ早かれ裁判自体を維持できなくなるのではないかと思います。ここでも相手の弁護士と裁判官が結託して素人を裁判自体から排除しようとするだろうからです。」という事態であろう。
 Sさんが心配されるような事態が、かつてはあったのかもしれない。大変にありがたい助言であり、常に念頭に置いて裁判を見てきたわけだが、少なくとも私の見る限り、今回の裁判ではその心配はないように思う。田口裁判長に、亀井志乃を裁判から排除するような言動は見られないからである。というより、田口裁判長はむしろ亀井志乃が積極的な姿勢で裁判の維持をするように、適切に助言してくれているからである。
 私はその様子を見ながら、伊東乾(いとう・いぬい)の『弁論主義』(学陽書房、昭和50年)の中の、次のような言葉を思い出した。
《引用》
 
そうして、第四に、訴訟当事者は、もともと、法的判断の利益と資格とを具えている。法が、個人の尊厳に発し、私人に支えられて、私人のために、存するのだからである。もとより、法典や解釈学の技術的構成を、国民の多くが知っているはずがなく、また、知らなければならないはずもない。だが、法典や解釈学の技術的構成が法なのではなく、これらをも“法的”用具たらしめているものが法であり、法の主人公は私人である。必要なものは、研ぎすまされた法意識と、これを自分なりに理由づけて主張する能力、他の主張および説得を理解する能力と、説得に納得しえないかぎり退かない姿勢とだけであろう。これを予定しないで法ないし法制度を語ることは意味がないとともに、これだけのことならば、通常の成人に対し、期待しうべく、また要求すべきことである。
 
 これは今から35年も前の意見であり、当時としては抽象的な理念でしかなかったかも知れない。だが、現在の法制度は確実にこの理念を実現する方向に進んでいる。私はそのように理解し、勇気づけられた。亀井志乃が裁判に踏み切ろうとした時、一個の自立した私人として、
研ぎすまされた法意識と、これを自分なりに理由づけて主張する能力、他の主張および説得を理解する能力と、説得に納得しえないかぎり退かない姿勢」だけは失わずに、一緒に頑張ろう。そう決意したのである。
 
○訴訟における「事実」
 私が伊東乾の『弁論主義』から学んだのはそれだけではない。
 亀井志乃は昨年の12月21日に「訴状」を裁判所に提出したわけだが、今年の2月13日の公判で、太田三夫弁護士が「(原告の)『訴状』の書き方が、原告の評価による事実主張となっているため、反論の書き方がむずかしい」という意味のクレームをつけた。そこで亀井志乃は、改めて3月5日、「準備書面」を提出したわけだが(「北海道文学館のたくらみ(25)」)、その時私は、この弁護士、妙なことを言うな、と不思議に思った。
 その理由を説明するため、いま「訴状」の一節を引用してみよう。
《引用》
 
原告は自分が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」を平成19年2月17日より特別展示室で開催するため、同年1月31日(水)から展示設営に取りかかる予定を立て、職員の了解も取っていた。ところが被告はその直前に突然、文学館の年間計画になかった「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(平成19年2月3日~2月8日)という展示を割り込ませて、特別展示室の入り口付近も使うという理由で、入り口を塞ぎ、しかも配電盤の上に附箋を貼って、ライティングレール上の点灯しか使えない設定にしてしまった。2月9日にイーゴリ展は撤去されたが、原告は2月9日、岩内の木田金次郎記念館と道立近代美術館から作品を借用し、10日は地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事を予定していた。このため2月11日まで特別展示室での設営に取りかかることができなかった。原告はやむをえず、2月17日の展覧会オープン前日まで、文学館の休館日を除く全ての非出勤日を返上して、夜遅くまで作業をし、それでもまだ足らないため、2月14日と15日の2日間、札幌のホテルに泊まり、午後の10時近くまで作業を続けた。

 この表現のどのような点を指して、太田弁護士は「原告の評価による事実主張」と呼んだのであろうか。
 そのようなクレームをつける以上、太田弁護士は原告の法的な評価に基づかない、完全純粋な客観的な事実、つまり「裸の事実」を前提にしていたことになる。だが、本当に太田さんは事実と評価とは区別され得るものと考えているのだろうか。
 私がそういう疑問を抱いたのは、伊東乾の『弁論主義』の次のような考え方に共感を覚えていたからである。
《引用》
 
もともと、事実のそとに法はなく、法との関係で事実と呼ぶに値するものは、そのものとして法の評価を経ている。事実のそとに立つ当為は観念であって法ではなく、他方、事実は事実そのものとして識別の基準を持たないからである。すなわち、「法」と「事実」とは、現実態としては、互いに区別できない一体をなす。だから、訴訟当事者が或る「事実」を主張するとすれば、それは、みずから法的に評価した事実を持ち出すということであり、事実を媒体として法を主張するということ、事実に化体せられた法を主張すること、法と事実とをあわせて主張するということであって、法的評価の資格を否定せられれば、事実主張はおよそ不可能になる
 
 伊東さんの文章はいかにも一時代前の法学者らしく、固苦しい言い方が多い。「事実に化体せられた法」などという言い回しは、それこそS さんが言う「法律の世界のジャルゴン」ということになりそうだが、前後の文脈から判断して十分に意味は通るだろう。
 亀井志乃は平成19年の2月1日から2月16日までの間、昼食に何を食べたか、往復の電車の中でどんな本を読んでいたか、そのような事柄については全く言及していない。これらの事柄は、彼女の日常が問題になる場合は重要な意味を持つ「事実」になるかも知れないが、この『訴状』において亀井志乃が主張しようとしたのは、寺嶋弘道によって業務の遂行を妨害されたこと、及び、その妨害の結果、嘱託職員の自分が勤務時間外の労働を強いられたという労働基準法違反についてであった。当然のことながら昼食に何を食べたかとか、どんな本を読んでいたかということは、業務妨害及び労働基準条違反という法的な評価の対象にならない。だからこそ彼女はそれらの事柄に言及しなかったのである。
 ということから分かるように、亀井志乃が上記引用の形で事実を挙げたのは、寺嶋弘道による業務妨害と労働基準法違反という、一定の法的な評価に基づいたからにほかならない。
 私の理解によれば、「事実に化体せられた法」という言い方は、このような法的評価に基づいて摘出提示された事実に関して、事実の摘出提示に働いた法的な評価の側面を捉えた表現なのである。
 
 そんなわけで、太田弁護士が亀井志乃の「訴状」の書き方に、「原告の評価による事実主張となっているため、反論の書き方がむずかしい」とクレームをつけたことは、すなわち「原告には事実を法的に評価する能力(または資格)がない」と評価したことになる。
 
 そうではなくて、もし太田弁護士が「原告が挙げた事実は、被告が業務妨害を行い、かつ労働基準法に違反したという法的評価の対象となりえない」と主張したかったのならば、何も遠慮することはない。さっさとその主張を前面に押し出した「反論」を書けばよかったのである。だが、太田弁護士はそうしなかった。

○書き換えられた訴訟文
 ところが、当時の阿部裁判長は太田弁護士のクレームを認め、亀井志乃に『訴状』の書き換えを求めた。亀井志乃はそれによって裁判が長引くことを懸念したが、何事も勉強と割り切って、「訴状」を書き換え、「準備書面」として提出した。
 先ほど引用した箇所は、次のように書き換えられている。
《引用》
 
1月27日(土曜日)、「中山展」が終わり(次に予定されていた「栗田展」が中止されたため期間延長)、その撤収作業が28日(日曜日)と30日(火曜日)に行われた。 そして翌日の31日から、原告は自分が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の展示準備を始める予定だった。この予定については、職員の了解も取っていた。30日(火曜日)の朝の打合せ会において、2月の予定に関する変更の連絡は一切なかった(甲21号証)。
 
ところが31日、原告が午前中に自宅から小樽文学館へ直行し、借用資料を受けとって、午後から道立文学館へ戻ったところ、「人生を奏でる二組のデュオ」展の副担当のA学芸員が原告のもとに来て、「なんだか、急に写真展が開かれるようになったようですね。特別展示室の入口が塞がれて、準備できないんです」と知らせてきた。驚いて確かめに行くと、特別展示室の入口は移動壁が凹字型に組まれ、すでに「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(期間・平成19年2月3日~2月8日 以下「イーゴリ展」と略)(甲22号証)という展示の写真額が展示されていた。
 
一般に文学館の展示作業は、入口を起点として、来館者の目線を想定しながら展示物の配置を決めて行く。その入口を塞がれては、展示準備に入ることができない。
 原告とA学芸員は、奥のほうで出来る仕事(例えばガラスケース内の展示装備)だけでも先に進めておくことはできないかと考え、特別展示室脇の電気室の入口から特別展示室に入ろうとした。だが、配電盤に上には、被告の名前を付した「照明はライティングレールのみ点灯に変更しました」という付箋が貼ってあった(甲23の1~3号証)。それは、特別展示室入り口のライティングレール上のみは展示写真を照らすために灯りが点くが、それ以外は特別展示室内の照明は使えない設定にされてしまったことを意味した。

 
以上の、特別展示室の入口を移動壁で塞いで写真展覧会の写真額をそこに掛ける行為、および配電盤の照明設定を変更し、その上から付箋を貼って、暗黙のうちに、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意志を知らせる行為を行ったのは被告であった。そのことは、2月6日(火曜日)の朝の打合せ会で、被告が自分から発言を求め、「イーゴリ展をやることになりました…もう、やっております」と事後承諾を求めたことからも明らかである。
 特別展示室入口を塞いだイーゴリ展は2月9日に撤去されたが、原告は2月9日、岩内の木田金次郎記念館と道立近代美術館から作品を借用し、10日は札幌市営地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事を予定していた。このため2月11日まで特別展示室での設営に取りかかることができなかった。原告はやむをえず、2月17日の展覧会オープン前日まで、文学館の休館日を除く原告の非出勤日を返上して、全143点に及ぶ展示品の展示作業を行った。14・15・16日の3日間は、作業は10時近くまで及んだ。14日夜と15日夜は天候状態も悪かったので、やむなくホテルに泊まりながら展示作業に当たった(甲24号証の1~2)。17日のオープンを控えた16日、原告が展示を完成して帰宅したのは午後11時過ぎだった。
(下線は引用者)
 
 較べて分かるように、書き換えを求められて提出した「準備書面」の記述のほうが遥かに具体性が高く、ある意味では、「原告の評価による事実主張」の性格がより強まったと言えるだろう。なぜなら、下線を引いた箇所は明らかに、寺嶋弘道の亀井志乃に対する業務妨害が極めて意図的であったという法的な評価をより強く打ち出す記述となっているからである。
  
 ところが太田弁護士は、このような記述を含む亀井志乃の「準備書面」に関して、「原告の評価による事実主張となっているため、反論の書き方がむずかしい」という意味のクレームをつけなかった。その理由はよく分からない。これは単なる想像に過ぎないが、どうやら太田さんは、「訴状」の如く、贅肉を削ぎ落としたような文章を苦手にしているらしい。それに較べて「準備書面」のほうは遥かに細部が豊かになっている。ここまで細かく記述させれば、矛盾点は間違いを探しやすい。そこから亀井志乃の主張を覆すきっかけを掴めば、反論は容易だ。そう考えたのであろう。
 事実、亀井志乃の「準備書面」に対する、太田弁護士の反論「準備書面(2)」は、亀井志乃の記述の細部をあげつらい、問題点を横ずらしさせながら、揚げ足をとるやり方に終始していたからである。

○太田三夫弁護士の文章
 ただ、困ったことに、太田弁護士は訴訟における「事実」の概念をど忘れしてしまったらしい
 改めて原則を確認するならば、亀井志乃が平成19年の1月31日の午前中、小樽文学館へ資料を借りに出かけて、お昼にソイジョイを食べたことや、電車の中で木田金次郎の書簡のコピーを読んでいたことと、午後、道立文学館へ出たところ、寺嶋弘道の手によって特別展示室の入口が塞がれていたことは、生活上の事実それ自体としては何の違いもない。伊東乾ふうに言えば、
事実は事実そのものとして識別の基準を持たない」のである。
 しかし、特別展示室の入口を塞がれてしまっては、自分たちが担当する企画展(「二組のデュオ」展)の準備に差し支える。自分たち担当者に事前の相談もなければ、何のことわりもなしに、こんなことをしたのは業務妨害ではないか。そういう法的な評価に基づいて事態を捉えた時、寺嶋弘道が特別展示室の入口を塞いでしまった事実が、業務妨害の「事実」として摘出され提示されたわけだが、――当然のことながら、ソイジョイを食べたことや木田金次郎の書簡を読んでいたことは摘出提示されない――それが訴訟上の「事実」であるためには、証拠によって裏づけられなければならない。亀井志乃は先に引用した文章の中で、7点の証拠物を挙げていた。証拠に裏づけられない「事実」は、訴訟の対象として摘出された「事実」としては極めて弱いのである。
 
 ところが太田弁護士は、亀井志乃の「準備書面」に対する被告側の反論「準備書面(2)」(平成20年4月9日)の中で、う~ん、弁護士がこんな書き方をしていいのかな、と首を傾げたくなるような書き方をしていた。
《引用》
 
原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実もない。
 
なお、原告は岩見沢市幌向の自宅から、鉄道で30.4 キロメートルを普通列車で40分以上かけ、さらに札幌駅から地下鉄を利用して遠距離通勤をしていた。そのような通勤は、原告自身の選択であって、被告あるいは財団が強制したものではない。また、財団は原告に対し、平成18年度1年間で約22万5千円の通勤手当を支給していた。また、22時以降の札幌発岩見沢行きの普通列車は22時台で3本、23時台で2本あり、最終は札幌発23時59分発であった。
 
したがって、原告は、被告の妨害により「午後10時過ぎまで文学館に残って準備作業を行い」、そのため「札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた」と主張しているが、その原因を「午後10時過ぎまでの時間外勤務」だけに帰するのは不当である。
 
 なぜこれが、とうてい弁護士の文章とは思えない書き方なのか。それは訴訟の対象として摘出提示された「事実」には何一つふれていない文章だからである。
 
○「事実」とその証拠
 もう一度言えば、寺嶋弘道が平成19年1月31日に、事前の相談もなしに、無断で特別展示室の入口を塞ぎ、2月の行事予定表になかった「イーゴリ」展を実施してしまった。亀井志乃は寺嶋弘道のこの行為事実を業務妨害と見なし、またその結果余儀なくされた時間外勤務を労働基準法の観点から捉えて、訴訟上の「事実」として摘出し提示をしたのである。
 また、その「事実」を裏づける証拠物を7点挙げておいた。
 
 ところが太田弁護士は、その「事実」を覆すに足るだけの、自分の側の証拠を提出していない。原告が摘出提示した事実に反論するには、被告側の証拠をもってするのがルールであるが、それが出来なかったのである。もしそれが出来ないならば、せめて原告が提出した証拠物の読み換えによって、原告が言う「事実」について別な見方が可能であることを証明するしかない。だが、太田弁護士はそれさえもしていなかった。
 その代わりに太田弁護士は、
原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実もない。」ゴチックは引用者)と反論していたが、これは極めて姑息な空とぼけと言うほかはないだろう。
 なぜなら、ここで被告に求められているのは、実際はこれこれであったとポジティヴに主張できる「事実」と、それを裏づける証拠だったはずである。だが、太田弁護士は「申し出は……これまで一切だされていない」とか、「命令した事実はない」とか、「宿泊することを命じたり承認したりした事実もない」とかと、ネガティヴな(すなわち非存在の)事柄を列挙するだけであり、そうすることによって亀井志乃の主張する「事実」を空無化してみせようと、足掻いているにすぎない。
 換言すれば、訴訟における「事実」とその証拠に関する法的なルールをはぐらかしているだけなのである。

○空証文
 同じことは、通勤電車云々についても言えるだろう。
 太田弁護士は財団法人北海道文学館が嘱託職員の亀井志乃に通勤費を払っていたことを持ち出しているが、通勤費の支給は亀井志乃が財団で働くことになった契約当初から決まっていたことであり、今ここでそれを持ち出しても、今回の訴訟に関しては何の意味も持たない。労働者災害補償保険に入っていない(入れてもらっていない)嘱託職員が時間外勤務を余儀なくされた。これは労働基準法違反ではないか。亀井志乃の、そういう法的評価に基づく「事実」の摘出提示に対して、通勤費云々は反論にもならなければ反証にもならないからである。わざとはぐらかしているのだ、と言われても仕方あるまい。
 
 次の
22時以降の札幌発岩見沢行きの普通列車は22時台で3本、23時台で2本あり、最終は札幌発23時59分発であった。」に至っては、これはもう噴飯ものでしかない。
 太田弁護士としては、「2月14日も15日も、亀井志乃は帰宅しようと思えば、電車はあったはずだ」と主張するつもりだったのだろう。
 ここは辣腕弁護士としての腕の見せどころであり、亀井志乃の主張の虚を衝く思いがけない証拠を持ち出す。その上で、したたかな弁護士の証拠揃えとはこういうものだとばかりに、多少ハッタリめくのはやむを得ないが、とにかく格違いのところを見せつければ、大底の素人は凹んでしまう。太田さんにはそういう計算があったのかもしれないが、ただ気の毒なことに、ここで致命的な手抜かりを犯してしまった。それは2月14日と15日の気象状況の記録を手に入れておかなかったことである。せっかく亀井志乃が「準備書面」の中で、
14日夜と15日夜は天候状態も悪かったので、やむなくホテルに泊まりながら」と書いておいたのに、太田さんはその事実の確認を怠り、せいぜい『時刻表』をめくる程度のお手軽な証拠調べをして、「よし、これでいける」と速断してしまったらしい。おまけに、『時刻表』を証物として提出することを忘れている。
 所詮相手は素人だと、多寡を括っていたわけでもあるまいが、上手の手から水が漏れてしまったのである。
 ともあれ、そんなことのために、亀井志乃はもう一度、
平成19年の2月14、15、16日は低気圧が連続して通過し(甲58号証の2)、各地で吹雪や突風による被害が起こっていた(甲58号証の1・3)。それ故原告は、ダイヤの混乱によって作業が滞ることを恐れて、札幌市内のホテルに泊まったのである。」と説明しなければならなかった。もちろん証拠は添えてある。岩見沢に帰れるような状況ではなかったのである。
 
 ただし、仮に太田弁護士が当時の気象状況と、JRの実際の運転記録を手に入れて、「亀井志乃は岩見沢の自宅に帰ろうとすれば帰れたはずだ」と主張できたとしても、そんなことで、亀井志乃が摘出提示した「事実」を覆すことができるはずがない。亀井志乃は自宅に帰ろうとすれば帰れたはずだということを証明したからと言って、それをもって、「寺嶋弘道が業務妨害を行った」ことや、「寺嶋弘道の業務妨害が労働基準法違反を結果した」ことを否定する根拠とすることはできないからである。
 もしほんのわずかでも亀井志乃が摘出提示した「事実」にくさびを打ち込む手だてがあるとすれば、それは、〈亀井志乃が2月の14日と15日に札幌のホテルに泊まったのは、時間外勤務を余儀なくされたためでもなければ、気象状況が悪かったためでもなく、全く別な理由だった〉という事実を、有無を言わせぬ証拠に基づいて証明することであろう。太田三夫弁護士はそれをしなかった。――思いつかなかったのかもしれない。――それをせずに、通勤手当を払っていたとか、札幌を23時59分に発車する電車があったとか、訴訟上の「事実」とは何の関係もない空証文を振りまわしていただけなのである。
 
○「事実」の捏造
 太田三夫弁護士の「事実」に関する認識は以上の如くであったわけだが、そう言えば太田弁護士は「準備書面(2)」の中で、寺嶋弘道は亀井志乃の「事実上の上司だった」と、繰り返し主張していた。
 寺島弘道は北海道教育委員会に所属する公務員であり、公務員が民間の財団で働く嘱託職員を部下にすることは、法的に許されることではない。また、寺嶋弘道はいかなる意味においても亀井志乃の上司ではなかった。その意味で、太田弁護士は法的に許されず、実際においても決してなかったことを、敢えて繰り返し主張するという、まことに弁護士からぬ行為によって、寺嶋弘道を法律違反者に仕立ててしまった。しかも自分では、寺嶋弘道を弁護しているつもりらしい。だが、そもそも「事実上の上司だった」という文言における「事実」とは、一体どんな「事実」なのであろうか。
 
 太田弁護士は、亀井志乃が摘出提示した訴訟上の「事実」に対する反論または反証として、「事実上の上司」を持ち出してきた。そうである以上、太田弁護士は一定の法的な評価に基づいて、この「事実」を持ち出してきたはずである。
 だが太田弁護士は、いかなる事柄を、どのような法的な評価を経て、訴訟上の「事実」として摘出提示したのか、一言半句も説明していない。これは「事実」の捏造と言うほかはないであろう。

○教育委員会の怖い人たち
 最後に、もう一度、太田三夫弁護士署名の「準備書面(2)」における、
しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実もない。」という個所にもどってみよう。
 もともと亀井志乃はホテル代や時間外勤務手当を請求するために訴訟を起こしたわけではない。繰り返し言えば、業務妨害や労働基準違反なども含む人格権の侵害に対する損害賠償の訴訟を起こしたのであって、それを太田弁護士はわざと矮小化し、訴訟の本質をはぐらかそうとしたわけだが、それを確認した上で、太田弁護士の言い分そのものを検討してみよう。では、太田弁護士は、〈もし亀井志乃が時間外勤務を申し出、ホテル代などの費用を請求したならば、寺嶋弘道や財団はそれに応じたはずだ〉と考えていたのだろうか。
 どうもそういうことになるらしい。もしそう考えていたのでないならば、先のような言い方は生まれるはずがないからである。「したがって」という接続詞(繋辞)の機能を見れば、そのことがよく分かるだろう。
 ということはすなわち、太田三夫という弁護士は、公務員・寺嶋弘道に成り代わって、――ついでに、財団法人北海道文学館にも成り代わって――労災に入っていない嘱託職員に時間外勤務をさせるという、労働基準法違反を肯定していたことになる。
 こういう弁護士のコンプライアンスや人権感覚はどうなっているのだろう。
 
 北海道教育委員会に所属する公務員・寺嶋弘道も同様だった。彼は「陳述書」の中で次のように書いていた。
《引用》
 
例をあげれば、「石川啄木展」開幕前日の7月21日(金)の勤務に関して、時間外勤務を原告から拒否された一件を挙げることができます。この日は『カルチャーナイト』という札幌市全域で展開された共通イベントの日で、当館もこれに連携して夜間開館し、原告が副担当である「石川啄木展」のプレオープン、常設展の一般公開をはじめ、舞踊公演や手作り講座などのイベントを夜間に集中して開催する計画になっていました。職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当を伝達したのですが、原告は、「私は職員ではありませんから」と言って勤務を拒否し、当日も平然と帰宅してしまったのです。
 
 これが真っ赤な嘘であることは、前回(「北海道文学館のたくらみ(40)」)に指摘しておいた。ただ、嘘の中でついホンネを洩らしてしまうことがあり、それは
「職員総掛かりでの人員配置を検討していた川崎業務課長からの要請により、私は事前に当日の残業と手当を伝達したのですが」という個所に見られる。彼はこんなふうに、労災に入っていない嘱託職員に残業(時間外勤務)を求めることに何の疑問も感ずることなく、「手当を出すんだからいいんじゃないか」程度の軽い気持ちで、先のような嘘のエピソードをでっち上げていたのである。公務員でありながら、人権感覚の欠けらも見られない。
 俗にいう「嘘吐きがケツを割る」とは、こういうことを指すのだろう。
 
 北海道教育委員会の中には、こういう公務員がいる。最近、大分県では、県教育委員会の幹部職員がやった教員採用試験の不正事件が明るみに出て、社会問題となっている。怖しいことだ。
 
○教育委員会のケジメ
 マスメディアの報ずるところによれば、大分県教育委員会は採用試験の不正なやり方によって合格した21人の教師を退職させることにした、という。その21人のほとんどは、自分が採用試験の不正な操作によって合格したことを知らなかったと言うが、私の判断によれば、採用試験の不正を知っていた人を含めて、そのまま教員を続けさせるべきである。この21人が採用試験でカンニングをやり、これが露顕したのならば退職はやむを得ない。だが、県の教育委員会の責任において合格させた以上、たとえ採用試験の過程で不正が行われた事実が明らかになったとしても、それは21人の責任ではなく、県教委の責任である。県教委は自己の責任において、一たん合格させた人に教員を続けてもらわなければならない。そうではなくて、21人を退職させるのは、これは明らかに名誉棄損を伴う不当解雇であり、生活権の侵害である。
 
 NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、県の教育関係者だったか、どこかの大学の教育学者だったかが、「一番の被害者はこどもたちですからねェ」などと、憂い顔で言っていた。こどもを口実にした、こういう見せかけの良識論ほど悪影響を及ぼすものはない。正面切って反論はしにくく、だが放っておけば、事柄の本質から目を逸らさせてしまうからである。
 この問題で一番の被害者は、合格点を取っていながら、採用試験関係者の不正な操作によって不合格にされてしまった人たちであり、それに次ぐ被害者は、あの21人の中のほとんど人たちだろう。なぜならこの21人のほとんどの人たちは、自分のあずかり知らぬところで不正な操作が行われた結果合格者となり/合格者にされてしまい、今度は不正な手段で合格したかのような汚名を着せられて辞職予定者のリストに入れられてしまったからである。この点を見落としてはならない。大分県の教職員組合は何をやっているのだ。当然県教委に辞職勧告の撤回を申し込み、事と次第によっては裁判で争うべき事柄なのである。

 同じくNHKの「クローズアップ現代」によれば、県の教育委員会に呼び出されて辞職の勧告を受けた一人が、自分は不正に合格したとは知らなかった、自分に関してどんな不正があったのか教えてほしい、と質問したところ、大分県教育委員会の幹部職員は「ここは意見を言う場ではない」と突き放したらしい。もし本当ならば、何という傲慢さだろう。……大分の教育委員会の幹部連中は、てめえ達が仕出かした不始末の尻拭いを若い教員に押しつけ、質問も許さねえのか。人間の権利を何だと思ってるんだ。……聞いていて、無性に腹が立ってきた。

 この21人を採用するため、本来採用されるべき点数を取っていたにもかかわらず、不合格とされた人もいる。その数も21人だった、という。大分県の教育委員会は早急にこの21人に謝罪し、本人が今もなお教職に就くことを希望するならば、直ちに採用すべきだろう。
 当初採用の21人の大半が残り、新たに採用を希望する人も全部入れたら、教員がダブついてしまい、配置が難しい。人件費も嵩む。新年度に採用する人の数を減らさなければならない。そういうわけ知り顔の、小賢しい反論が出てくることは、当然予想される。しかし人件費くらいは教育委員会の年間予算で何とか捻出できるはずであり、人剰りについては、教員採用試験にかかわった幹部職員の全員が辞職をすればいい。今度の事件の一番の、そして唯一の責任者は、金品の誘惑や、外部の政治家やOB上がりの大学教授の圧力を撥ねつけることができなかった、教員採用試験にかかわる幹部職員だからである。
 不正の責任というものは、そういう形でケジメをつけるべきものなのである。
 

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