北海道文学館のたくらみ(39)
太田三夫弁護士の苦しい立場
○平原副館長はついに応答せず
道立文学館の平原一良副館長の返答はまだ来ない。多分もう来ることはないだろう。なぜなら7月4日、朝9時30分過ぎ、太田三夫弁護士事務所からファックスで、次のような「事務連絡書」が届いたからである。
《引用》
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1、2、3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。
要するに被告側は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」と「準備書面(Ⅱ)-2」、「準備書面(Ⅱ)-3」に対する反論をギブアップしてしまった。断念をしてしまったわけだが、「準備書面(Ⅱ)-3」は平原一良の「陳述書」に対する反論だった。当然のことながら、平原は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-3」に対する再反論の責任と義務を負っていたはずであるが、彼は再反論の自信が持てなかったのだろう。
亀井志乃に対する再反論を放棄して、私の公開質問状にだけは返事することは、ちょっと考えにくい。そんなわけで、もう返事をして来ることはないだろうと判断したわけだが、もちろん返答はいつでも歓迎する。
○被告側の反論放棄
太田弁護士の連絡も期日通りではなかった。
5月23日の公判は、亀井志乃が提出した証拠物の原本調べに終始し、だが証拠物が全部で150点を超えていたため、原本調べは半分程度しか進まなかった。田口紀子裁判長が公判の時間を、30分しか取っていなかったためである。
そこで、田口裁判長は「次回はもっと時間を取るように致します。原告の準備書面がかなり大部なので、じっくりと読ませていただくことにします」と言って、1ヶ月半ほどの余裕を取り、次回の公判は7月9日の午後2時にした。裁判長が太田弁護士の意向を尋ねると、「結構です。私のほうも、反論を出すか否かの検討を含めて、じっくりと読ませていただきます」という返事だった。田口裁判長は「では、次回公判は7月9日に開きます。被告側の反論の締め切りは7月2日にさせていただきます」。
そんなわけで、遅くとも7月3日には反論の写しが裁判所から送付されてくるだろう。私たちはそう予想していたのだが、結局7月3日には届かなかった。
「太田弁護士や、寺嶋、平原たちがこちらの「準備書面」を受取った日から計算すれば、もう1ヶ月半を超えている。こちらの準備書面は全部合わせて135ページ近いけれど、一人一人対しては50ページに達していない。特に平原の「陳述書」に対する反論の「準備書面(Ⅱ)-3」の場合、40ページにもならないんだから、まさかそれに対する平原の反論の時間が足りないなんてことはないだろう。それに、太田弁護士は、まあ言ってみれば「反論」のプロなんだし……」。
そんな話をしていたところ、翌朝の9時半過ぎ、上記のような情けない内容のファックス便が1枚だけ届いた。「本件訴訟における争点との関係を考え、」と、妙に含みのある言い方をしているけれど、端的に言ってしまえば、被告側の3人は反論の機会と権利を放棄した、ということになるだろう。
○だが、逃げるわけにはいきまんよ
その理由、分からないでもない。私は「北海道文学館のたくらみ」の(31)から(35)まで、寺嶋や平原による事実の歪曲や虚偽陳述を幾つか指摘しておいた。
亀井志乃は寺嶋の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)-2」と、平原の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)-3」の中で、もっと詳細、緻密に彼らの虚偽陳述を指摘している。
彼らがそれに対して、自分の側の証拠を挙げ、再反論をすることは、これは極めて難しい。いや、全く不可能なことだったに違いない。
結局この二人は反論の機会と権利を放棄する形で、自分の陳述の大半が虚偽であることを認めたわけだが、とすれば、この二人の「陳述書」を証拠物とする太田弁護士署名の「準備書面(2)」も、虚偽に基づいて書かれていたことになる。太田弁護士も亀井志乃の「準備書面(Ⅱ-1)」に対する反論の機会と権利を放棄するよりほかはなかったわけである。
だが、自分の側の嘘がバレたから、「反論の準備書面を提出する予定はありません」。そんなことで済むはずがない。偽証、証拠の捏造、それを通して新たに亀井志乃に加えられた人格権の侵害などの違法性が問われる。これは覚悟しておかなければなるまい。
○「訴え」の変更
亀井志乃は「訴え」の内容を変更することにして、7月7日、「平成19年(ワ)第3595号損害賠償等請求事件について、原告は次のとおりに請求の趣旨を追加的に変更する。」という「申立書」を札幌地方裁判所へ持って行った。
なぜ「訴え」を変更することにしたのか。彼女は「請求原因の追加」を次のように書いている。
《引用》
訴状記載請求の原因に次のとおり追加する。
被告は訴状記載のとおり、平成18年度内に原告に対して行った人格権侵害の違法行為に対して(中略)損害賠償の債務と謝罪義務を負うものであるところ、裁判の過程において虚偽の陳述を行い、かつ原告の人格と能力と業務態度を中傷誹謗する、人格権侵害の違法行為を行った。
より具体的に言えば、①被告は平成20年4月9日付けの「準備書面(2)」において原告の人格や、原告の文学館業務に関する知識を貶める記述をなしていた。しかも「準備書面(2)」の主張を裏づける「証拠物」(同年4月15日付け)として提出された乙1号証(被告本人の「陳述書」)及び乙12号証(平原一良北海道立文学館副館長による「陳述書」)は虚偽の陳述に満ちており、このような書証を証拠物として提出することは偽証的、あるいは証拠捏造的違法行為にほかならない。
②被告は乙1号証(被告本人の「陳述書」)で20数カ所に及ぶ虚偽の陳述を行い、原告の人格と能力と業務態度を誹謗中傷した。その意図は明らかに原告の社会的信用を失墜させ、裁判官に対して原告に関するネガティヴな印象を与えることにある。これは法廷において原告に対して行われた、極めて悪質な人格権の侵害のセカンド・ハラスメントであり、違法行為であることは言うまでもない。
③また被告が乙1号証と共に提出した乙12号証(平原一良北海道立文学館副館長による「陳述書」)においても、原告に関する陳述だけでも20数カ所に及ぶ虚偽の陳述が見られ、原告の父のブログをあげつらった箇所における虚偽の陳述を含めれば25カ所を超える。その意図は明らかに原告の人格と能力と業務態度を誹謗中傷するのみならず、原告の父の人格をも中傷して、原告とその父の社会的信用を失墜させ、裁判官に原告に関するネガティヴな印象を与えることにある。これもまた法廷において原告に対して行われた、極めて悪質な人格権の侵害のセカンド・ハラスメントであり、違法行為であることは言うまでもない。その違法行為は原告の父にまで及んでいる。
よって原告は被告に対し、以上の3点に関して、(中略)原告に対する虚偽記載に基づく人格権侵害行為の損害賠償金として追加請求をする。
分かるように、当初の「訴え」は平成18年度に寺嶋弘道が亀井志乃の人格権を侵害した違法行為に関するものだったが、更に今回、裁判の過程で亀井志乃に加えられた人格権侵害に対して損害賠償を追加請求することにしたわけである。
このような「訴えの変更」は、民事訴訟法第143条が保証している。それは何故かと言えば、当初の「訴え」とは別個に、新たに今回の人格権侵害に対する「訴え」を起こすとすれば、二重手間となる。原告にとっても、被告にとっても、時間的、金銭的(訴訟費用)な負担が多くなってしまうからである。
ただし、このような「変更」は決して無制限ではない。当初の「訴え」とは無関係な「訴え」を追加しようとしても、これは裁判官によって却下されてしまう。裁判を混乱させ、いたずらに長引かせることになってしまうためである。しかし亀井志乃の追加請求は、旧請求を維持しつつ新しい請求を加えるものであり、法的には何ら問題はないだろう。
しかも最高裁は、昭和39年7月10日の判決で、「相手側の陳述した事実を請求原因とする新請求について、仮に請求の基礎を変更する訴えの変更であっても、相手方はこれに異議を唱えて訴えの変更を許されないことを主張することはできない」としている(大島明著『民事訴訟の実務』民事法研究会、平成9年発行)。
亀井志乃の追加請求は、まさしく「相手側の陳述した事実を請求原因とする新請求」であり、相手側、つまり寺嶋弘道側はこれに対して異議を唱えることはできないのである。
亀井志乃は以上のような考え方に基づいて、「訴え変更の申立書」を裁判所に持参したわけだが、応対した書記官は、「これを受理するかどうかは、7月9日の公判で裁判長が決めることになります」という意味のことを言って、「申立書」を受け取った。
○逃げ道を塞ぐために
亀井志乃がこのような手続きを取った理由はもう一つある。
ひょっとしたら太田弁護士は、〈寺嶋と平原の「陳述書」は亀井志乃の業務態度について述べたものであって、本件の争点とは直接にはかかわらない〉という理屈を立てて、当初の「訴え」に関する議論から、寺嶋と平原の「陳述書」を切り離そうとするかもしれない。
つまり、亀井志乃に関する嘘と悪口をたっぷりと書かせておいて、亀井志乃の反論、反撃を受けるや、それに対する再反論のメドが立たず、これはマズイと、二人の「陳述書」を反古にしてしまう。そういう手口を使うことも、予想しておかなければならない。
亀井志乃はそういう逃げ道を塞いでおくためにも、「訴え変更の申立書」の手続きを取ることにしたのである。
○訳の分からない「否認」
さて、第5回公判の7月9日、法廷に入った亀井志乃は書記官から何か文書らしいものを1枚渡された。太田弁護士も田口紀子裁判長もまだ法廷には姿を見せていない。傍聴席の妻と私に、亀井志乃がその文書を見せたので、大急ぎで目を走らせてみると、太田弁護士署名の、被告側「準備書面(3)」で、日付は7月9日。
多分7月8日に、裁判所から亀井志乃の「訴え変更の申立書」を送付され、取り急ぎ被告の寺嶋弘道と相談した結論なのであろう、次のような文言が記されていた。
《引用》
第1 請求の趣旨の拡張に関する答弁
1 原告の請求を棄却する
2 訴訟費用は、原告の負担とする
との判決を求める。
第2 追加された請求の原因に対する認否
全て否認ないし争う。
要するに被告側としては、「訴えの変更」は認めない、だから裁判所はこれを「棄却」して欲しいということらしいのだが、民事訴訟法第143条に照らして言えば、こんな「準備書面(3)」の主張こそ棄却されなければならない。
おまけに、「追加された請求の原因」について、「全て否認ないし争う」とは一体どういうつもりなのか。何だか訳が分からない。亀井志乃が追加請求をすることになった「原因」は、太田弁護士署名の「準備書面(2)」、及び寺嶋と平原の「陳述書」である。とするならば、太田弁護士や寺嶋被告は自分たちが書いたこれらの文書そのものについて、「全て否認ないし争う」というわけだが、……う~ん、まさか自分たちの文書を否認したりするわけじゃないだろうナ。
○弁護の破産
そんな疑問が私の頭の中でちらちらと点滅している間に、太田弁護士が部屋に入って来、田口裁判長が登場して、まず亀井志乃が提出した証拠物の原本調べに入り、これが20分ほどかかった。
その後、田口裁判長は太田弁護士に7月4日付けの「事務連絡書」の内容を確認し、次に亀井志乃の「訴え変更の申立書」について1ヵ所、書式上の訂正を助言し、その上で、太田弁護士にこの「申立書」を受理するか否かを確認した。太田弁護士は「受理します」と答え、私はまた一瞬、えっ? と混乱した。太田さんは、「原告の請求を棄却する……との判決を求め」ているのじゃなかったのか。……しかし、すぐに私は自分の勘違いに思い当った。ああそうか、太田さんは民事訴訟法第143条や最高裁の判例に従って受理するけれども、しかし判決の段階では原告の請求が棄却されることを求める。そういうことであるらしい。
だが、私の混乱とは別な次元で、田口裁判長も太田弁護士の主張に、何か腑に落ちないものを感じたらしい。被告側は、原告によって「追加された請求の原因」について「全て否認または争う」ということだが、新たな証拠や反論を用意しているのか。そういう意味の質問を田口裁判長がしたところ、太田弁護士は「いえ、ありません」。
ん????……。いや、この疑問符は田口裁判長のものではない。私の頭の中の疑問符なのだが、新たな証拠や反論なしに、どうやって「全て否認または争う」つもりなのだろうか。要するに、「私はそんなこと認めないよ」と駄々を捏ねているだけではないか。
釈迦に説法みたいなことだが、裁判において、こちらが証拠に基づいて主張したことを、相手側が「否認」する場合、相手側はこちらの証拠を覆し得る証拠を挙げて反論しなければならない。太田弁護士はこの大原則を百も承知しているはずだが、証拠も反論もなしに「全て否認または争う」という。これはもう弁護の破産というほかはないだろう。
○打つ手がない?
続けて田口裁判長が何か質問をし、太田弁護士は「それは評価とか、そういうようなことです」。どうやらそんな意味のことを、もぞもぞと言っていた。
私は最近とみに耳が遠くなって、うまく聞き取れない。家に帰って、亀井志乃に聞いて見ると、「う~ん、私にもよく分からなかったのだけれど、太田さんが言ったのは、被告側の「準備書面(2)」や、被告と平原副館長の「陳述書」について、人格権の侵害だというのは、書かれた内容ではなくて、書き方に関する評価の問題だから、第3者が読んで、原告と同じくこれは人格権の侵害だと受け取るかどうかは分からない。そこに争う余地がある。そんな意味だったんじゃないかしら」。
なるほどなあ、寺嶋や平原の「陳述書」は嘘ばかりだが、もし亀井志乃を褒めそやしていたとすれば、人格権の侵害にはならないはずだ。だから、書き方に注目してほしい。そういう理屈になるらしい。とするならば、彼らがついた嘘と、亀井志乃に対する人格権の侵害とが、どれだけ密接不可分に有機的に結びついているか。それを証明する形で「争う」ことになるわけだ。
だが、もしそうならば、亀井志乃は既に「準備書面(Ⅱ)-2」や「準備書面(Ⅱ)-3」の中で、彼らの嘘と、亀井志乃に対する人格権の侵害がいかに密接不可分であるかを詳細に分析し、証明している。だからそれと「争う」ためには、自分の側の証拠を挙げて反論しなければならないはずだが、ところが、太田弁護士署名の「事務連絡書」によれば、「反論の準備書面を提出する予定はありません」。昨日(7月9日)の公判においても、新たな証拠や反論は用意していない、と言っていた。
では、被告側は、どうやって「全て否認または争う」つもりなのだろうか。
こんなふうに考えを詰めて行くと、結局は元の黙阿弥、先ほどの疑問に戻ってしまうわけだが、要するに被告側はもはや打つ手がない。仕方がないから、取りあえず「全て否認または争う」と言って、様子見をしていよう。そんな魂胆なのであろう。
○事実と評価
そこで思い出したのだが、太田弁護士は第1回の公判で、「原告の「訴状」は事実と評価とが別れていないため、反論を書くことはできない」と注文を付けていた。そのため亀井志乃は改めて「訴状」を書き直し、それを「準備書面」として提出することになったわけだが、多分太田さんは、「いま雨が降っている」という事実と、「天気が悪い」という評価とを厳密に区別したいタイプの弁護士なのだろう。では、「いま雨が激しく降っている」と言う場合、「激しく」は事実に属することなのだろうか、それとも評価なのだろうか。
亀井志乃の「準備書面」に対する、被告側の反論「準備書面(2)」が届いた時、実はその点に関心を持ちながら私は読んでみたのだが、どうやら太田さんにとって「激しく」は評価の領域に入るらしい。太田弁護士の反論はもっぱら「激しく」のレベルにこだわり、揚げ足を取るだけであって、「天気が悪い」という、言わば法的な判断の領域には決して踏み込まないからである。
それが太田弁護士の「争う」スタイルらしいのだが、他方、自分のほうは、亀井志乃が平成18年4月7日の出来事に言及し、「4月4日(火)に被告が駐在道職員として道立文学館に着任した、その4日目の事柄である」と書いたことを取り上げ、まるで鬼の首でも取ったかのように、得々と次のように勝鬨を上げていた。
《引用》
被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。
太田弁護士としては、「してやったり!」と得意満面だっただろう。しかし、それじゃあ太田さん、この記述の後半は事実のレベルなのですか、それとも評価なのですか。そう訊かれたら、太田弁護士はどう答えるか。隗より始めよ。太田さん、まずあなたのほうが、事実と評価をきちんと書き別ける手本を示して下さい。
おまけに、太田弁護士のこの得意満面な口調はまことに滑稽であって、その理由は、〈確かに道立文学館は4月1日の土曜日にも開館していたが、官公庁は休日だった〉事実を見落としてしまったことである。北海道教育庁は4月1日(土)と2日(日)は休み。ところが、道立文学館は4月3日の月曜日が休館日。辞令交付の着任式が行われたのは4月4日のことだったのである。
そのような次第で、気の毒ながら太田弁護士は亀井志乃から次のような反論を受けてしまった。
《引用》
この文章の前段は被告の記憶の誤り、すなわち錯覚であって、原告が先の「準備書面」で言及しておいたように、被告が着任したのは4月4日であった(甲37号証の1・2・3)。この日付の勘違いによって明らかなのは、今般の被告「準備書面(2)」の記載内容が被告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。
太田弁護士のこの「準備書面」に限らず、寺嶋弘道の「陳述書」も平原一良の「陳述書」も事実の歪曲や虚偽の証言に満ちており、彼らはそれらの延長として亀井志乃の人格や業務態度を貶める言説を書き連ねている。このような文書に関して、事実と評価をどのように区別できるのか。太田弁護士はその肝心な点は棚に上げて、「評価」レベルでは「争う」余地があるかのように取り繕おうとしたのだろう。
苦しい言い逃れだが、もし太田弁護士を窮地から救い出すことができる人間を探すとすれば、それは寺嶋弘道被告しか考えられない。寺島弘道が証人台でしっかりと証言すればいいのである。
○本人尋問の仕方
田口裁判長もそう考えたかどうか、その辺の事情は分からないが、太田弁護士のもぞもぞとした説明は深追いせず、話題を証人尋問のほうに持っていった。
当事者の尋問は、当事者が予め提出した「陳述書」に基づいて行われるわけだが、被告・寺嶋弘道の「陳述書」は既に出ている。田口裁判長は亀井志乃に「原告の「陳述書」を出していただきたいのですが、時間はどの程度取りますか。1ヵ月、いや2ヵ月ほど掛っても差し支えありかせんが……」。亀井志乃はちょっと考えて、「では、1ヶ月ほど時間を下さい」。
そこで、亀井志乃の「陳述書」の提出締め切りは8月11日ということになり、次回の第6回公判は8月29日、10時半からに決まった。
ただ、被告・寺嶋弘道の尋問は被告代理人の太田弁護士が行うが、原告の亀井志乃には代理人がいない。このような場合は、裁判長に尋問をお願いすることになっており、田口裁判長が引き受けてくれた。「それでは、どのような点を質問してもらいたいか、「陳述書」と一緒に、質問の項目を書いたものも届けて下さい。そのために必要な証拠物があれば、一緒に出して下さって結構です」。もちろん田口裁判長の本人尋問が終わった後、太田弁護士の反対尋問が行われる。
では、被告の寺嶋弘道に対する太田弁護士の尋問が終わった後、原告からの反対尋問はどうするか。亀井志乃が「私が被告の反対尋問をするについて、どのくらいの時間をいただけるのでしょうか」と訊いた。田口裁判長は「そうですねえ……。被告代理人からの申し出は「尋問時間、約60分」となっていますから、原告の反対尋問も同じくらいの時間を見なければならないわけですが」。すると太田弁護士が、「「証拠の申出書」には約60分と書いておきましたが、そんなには時間を取らない、もっと短くて済むと思います」。
そこで、田口裁判長は、「それならば、原告の反対尋問の時間は一応40分くらいと見ておきましょう。原告はこの時間全部を使って反対尋問を行って差し支えないわけですけれど、もう一つの方法として、原告がこれだけは訊いておきたいという要点の尋問を裁判長に依頼し、その尋問と被告の返事を聞いた上で、原告本人が補足の尋問をするというやり方もあります。どちらの方法を取るか、検討してみて下さい。要点の尋問は裁判長に依頼したいということになりましたら、要点の質問を整理したものを届けて下さい」。
昨日(7月9日)の公判はこのように終わった。
○被告本人の尋問は地雷原
このようにして、漸く裁判が尋問に向かって動き出すことになったわけだが、当事者本人の尋問は、予め本人が提出した「陳述書」の内容に即して行われ、しかも本人尋問を行う場合は、事前に「尋問事項」を出しておく必要があるらしい。太田弁護士が提出した「証拠の申出書」(平成20年4月15日付け)によれば、予定している「尋問事項」は次のようであった。
《引用》
(1) 北海道立文学館(以下「文学館」という)における財団法人北海道文学館の職員と北海道教育委員会からの駐在職員の事務分掌について。
(2) 文学館における被告と原告の職務上の関係
(3) 原告から指摘されている被告の各行為に対する事実関係はいかなるものか。
(4) 原告の文学館における事務に対する考え、態度はどの様なものか。
(5) その他関連事項の一切
先ほども言ったように、被告の寺嶋弘道は既に「陳述書」を出しており、この尋問事項はそれに即して質問されるわけだが、当然のことながら寺嶋弘道は「陳述書」と矛盾するような証言をすることはできない。ところがその「陳述書」は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-2」によって、20数ヵ所に及ぶ虚偽や事実の歪曲が指摘されている。寺島弘道は亀井志乃の指摘が間違いであることを証明しつつ、太田弁護士の尋問に答えなければならない。更には裁判長あるいは亀井志乃の反対尋問にも耐えられなければならない。
もし「陳述書」と矛盾することを答えてしまったり、亀井志乃の指摘を認めざるをえない結果になったりすれば、彼の証言の信憑性はたちまち吹っ飛んでしまう。その意味でこの尋問は、まるで地雷原に踏み込んでしまったみたいにスリリングなものになるだろう。
ただ、太田弁護士や寺嶋被告に一つ有利な点があり、それは既に亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)-2」で、反対尋問の手の内を見せてしまったことである。二人はそれを念頭に置き、亀井志乃が衝いてくるだろうポイントを外しならが、太田弁護士は寺嶋被告が発言ミスを犯さないように質問の言葉を選び、寺嶋被告の答えを安全地帯にまで導いて行けばいい。その点では、あちこちに露呈している地雷の雷管を踏まないよう慎重にことを運ぶならば、不用意なミスを犯さずに済むわけだが、それにしても太田弁護士は「原告の文学館における事務に対する考え」まで、被告から聞き出すつもりらしい。被告の寺嶋弘道は一体何を根拠として、原告・亀井志乃の「考え」を説明することができるだろうか。ともあれ、この尋問が厳しい緊張の時間となることは間違いない。
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