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北海道文学館のたくらみ(38)

平原一良氏への公開質問状

○公開質問状とする理由
 今回は財団法人北海道文学館の副館長・平原一良氏に対する公開質問状としたい。
 理由は簡単明瞭である。平原一良副館長は裁判の「陳述書」において、亀井志乃の勤務状態が如何なるものであったか、縷々述べているが、その中で3回私のブログに言及している。そのブログは、一つは私のHP(http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/)に再掲載した「文学館の見え方」であり、二つには、現在こうして書き進めている「北海道文学館のたくらみ」である。それ故、このブログを読んで下さっている人たちには、平原副館長の書くことと私の書くことのいずれが真であり、いずれが偽であるか、直ちに検証することができる。これが公開質問状とした第一の理由である。

 第二に、このブログにはコメント欄があり、また、「北海道文学館のたくらみ(26)」で述べたような事情により、直接私にメールを送ることができる。それ故、平原一良副館長が質問に答える上で、何ら煩瑣な手続きは要らない。ただ、「北海道文学館のたくらみ(26)」でことわっておいたように、答えがメールで送られてきた場合には、「当ブログの内容について頂戴した用件や意見は、名前と共に、当ブログに引用させてもらう場合があります」。

 第三に、平原一良副館長の「陳述書」は被告側の「準備書面(2)」の証拠物として書かれたものであり、上記の内容に相違ないことを誓います。」と結んで、署名し、捺印している。それ故、平原一良副館長の答えは、自分の「陳述書」に述べたことが真であることを、証拠を挙げて証明するだけでよい。それ以外の、弁解や事情説明は一切不要であり、回答としての意味を持たない。

 第四に、平原一良副館長の「陳述書」は、原告の亀井志乃が財団法人北海道文学館の嘱託として働いていた期間の勤務状態を述べたものであり、それ故私の質問に対する答えも、亀井志乃が嘱託として働いていた期間内の事柄に絞ることができる。また、そうしなければならない。その意味でも平原一良副館長が答えに要する労力は少なくて済むはずである。

○又しても平原一良の虚言
 さて、平原一良副館長は「陳述書」の中で3回私のブログに言及していたが、1回目の言及については、前回の「北海道文学館のたくらみ(37)」で検討し、彼の言うことが如何にいい加減であり、偽りであるかを明らかにしておいた。2回目は次のようであった。
《引用》
 このころ、幹部間の協議を経て、亀井志乃氏は学芸スタッフの座るブロックから、同じ事務室内の業務課のブロックへと席を移し、業務上の相談などは私が直接受けるという緊急避難的な対策がとられました。これ以上、事務室内の空気をおかしくしたくないと判断した結果でした。このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました。毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました(5ページ29~37行目)
 
 ここで平原副館長が言っている「このころ」とは、その前の段落との続きで言えば、「やがて、12月を迎え」、次年度(平成19年度)の職員募集要項が財団のHPに載せられた頃のことである。だが、ここでもまた彼は嘘を吐いている。亀井志乃の事務室における席が変わったのは、平成18年11月10日(金)、毛利館長(当時)および平原副館長と亀井志乃が話し合った結果であり、平原が言う「このころ」の1ヶ月以上も前のことであった。このことは「文学館のたくらみ・資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「資料2」に載せた、「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(平成19年1月22日掲載)を見てもらえれば、直ちに明らかだろう。
 また、同じく「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」を見れば、亀井志乃の席換えは決して「緊急避難的な対策」ではなかったことも分かるだろう。毛利館長と平原副館長が、亀井志乃の「自分の席を、学芸班の位置から、自分が所属している業務課の側の席に移してほしい」という要求を正当なものと認めた、その結果の席換えだったからである。
 
 亀井志乃は「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」を、毛利館長や平原副館長に渡したが、彼らは一言も訂正を要求してこなかった。この点も確認しておきたい。

○質問その①
 そのことを一つ確認し、さて私のブログの問題に進むならば、平原一良は「亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」と言う。この「ブログ」は現に私が掲載を継続している「北海道文学館のたくらみ」を指すものと思うが、私が掲載を始めたのは平成18年12月28日のことであって、「文学館の見え方」の再開ではない。平原一良は「当財団への仮借ない糾弾」「再開」されたのだ、と主張するかもしれないが、「文学館の見え方」と「北海道文学館のたくらみ」とはモティーフもテーマも異なっている。
 もともと亀井志乃が寺嶋弘道を告訴した裁判において、被告側証人の平原一良がその「陳述」の中で、私のブログを持ち出すのは筋違いなのである。まして平原が言う「「ハラスメント」問題ばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題」に関する私のブログは、「北海道文学館のたくらみ」だけであり、それらの問題と関係ない時期に書かれた「文学館の見え方」まで持ち出すのは、お門違いもはなはだしい。そうであればこそ私は、議論が錯綜することを防ぐために、二つのブログを切り離すことにし、前回は「文学館の見え方」に関する平原一良の虚偽証言を取り上げた。そして今回は、「北海道文学館のたくらみ」に関する平原の陳述を分析、批判することにしたのである。
 そのことをことわった上で、さて、平原副館長に質問しよう。平成28年12月28日に始まった「北海道文学館のたくらみ」のどこが、当財団への仮借ない糾弾」なのか。平原一良は具体例を挙げて、私のブログにおける発言が「当財団(財団法人北海道文学館)に対する「仮借ない糾弾」であることを立証しなければならない。
 
○質問その②
 続けて平原副館長は、毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。」と言っているが、毛利館長が亀井志乃に対して、私のブログについて質問したのは、いつ、どのような場面においてであったか。また、平原副館長が毛利館長からそのことを聞いたのは、いつ、どのような場面においてであったか。それを明らかにしてもらいたい。

 実を言えば、平原副館長は何を言いたくて、毛利館長が亀井志乃氏に訊ねたところ、同氏もそれを知っているとのことでした。」という一文をここに書き込んだのか、その理由が私にはよく分からない。ただ、こういう文章がある以上、私はその真偽を判断しなければならないわけだが、私は毛利館長が亀井志乃に、私のブログに関して何事かを訊いた事実はなかったと思う。亀井志乃も記憶にないと言っているが、私がそう判断した理由はそれだけではない。私がそう判断した一番の理由は、平成19年1月17日、毛利館長自身が亀井志乃に次のような文章を渡しているからである。
《引用》
 こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけるあなたの行動は極めて不誠実であり、強く抗議します。
 平成19年1月17日

 この文章は、私の「北海道文学館のたくらみ(6)」(平成19年1月25日掲載)に引用しておいた。「文学館のたくらみ・資料編」の「資料7」(平成19年1月28日掲載)にも載せてある。それ故、こうした要求・質問を私どもに対し行い」という毛利館長の文言が何を指しているのかについての説明は省略するが、少なくとも平成19年1月17日の時点で、毛利館長は、「北海道文学館のたくらみ」というブログを書いているのは亀井志乃だという認識に立っていた。なぜなら毛利館長は、こうした要求・質問を私どもに対し行い、一方ではインターネット上の父親のブログで、父娘関係をあえて伏せたまま」から、名誉と人権を不当に傷つける」までを、全て「あなた(亀井志乃)の行動」と見なしているからである。
 
 毛利館長は、まるで亀井志乃が亀井秀雄署名のブログを隠れ蓑に使ってきたかのような関係妄想に基づいて、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけ」たと、亀井志乃に「強く抗議」している。だが、彼は「根拠のない誹謗・中傷をくりかえし」と断言する根拠を、何一つ具体的に明示していない。ということはすなわち、毛利館長のほうが亀井志乃に対して、根拠のない誹謗・中傷をしたことになるだろう。同時に、私に対してもそれは根拠のない誹謗・中傷となっている。なぜなら、具体的な事例に基づいて北海道文学館のあり方を論じてきた私のブログを、根拠のない誹謗・中傷をくりかえし、財団法人北海道文学館及び北海道立文学館並びに関係する個人の名誉と人権を不当に傷つけ」たと決めつけ、貶めたことになるからである。
 毛利館長はこの文書は冒頭に、財団と館の意思として申し上げます。」と書いてある。その意味では財団法人北海道文学館と道立文学館とが結託共謀して、亀井志乃に対して根拠のない誹謗と中傷を行い、私に対しても根拠なく誹謗と中傷を行ったわけである。
 
 亀井志乃は「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」(平成19年1月21日付け)の中で、毛利館長のこの文章に対する批判と反論を行い、「文学館のたくらみ・資料編」の「資料7」(平成19年1月28日掲載)に載せた。私も「北海道文学館のたくらみ(6)」に引用しておいた。だが、それだけでこの問題は決着したわけではない。毛利館長が財団法人北海道文学館と道立文学館の名において、――あるいは財団法人北海道文学館と道立文学館が結託共謀し、毛利館長を通して――亀井志乃に対して根拠なき誹謗と中傷の人格権侵害を行った事実は、依然として残っている。私に関する誹謗と中傷の人格権侵害に関しても同断である。
 
 それにしても、平原副館長の亀井志乃の人格と能力に関する、虚偽証言を交えた、根拠なき中傷と、私のブログを引き合いに出すやり方は、毛利館長のあの文章に驚くほどよく似ている。ひょっとしたら同一人物の作文かもしれない。もしそうでないとしても、財団法人北海道文学館という組織は平気で虚偽証言をし、根拠なき中傷・誹謗によって、自分たちに都合の悪い人間を排除してしまう体質を濃厚に持っている。そう判断して差し支えないだろう。

○質問その③
 更に平原副館長は、更にブログでは、上記の「ハラスメント」問題についてばかりでなく、亀井志乃氏の任用問題などについても、父君によるあられもない言及がなされるようになりました。」と言っているが、亀井志乃の任用問題に関する私の言及はどのようなものであり、なぜそれは「あられもない言及」なのか。その点を明らかにしてもらいたい。
 
 念のために、私が「北海道文学館のたくらみ」を書くに至った経緯を説明しておこう。
 亀井志乃は平成18年10月31日、寺嶋弘道学芸主幹の度重なる嫌がらせに耐えかねて、彼のパワー・ハラスメントを財団の幹部職員にアピールした。だがその時期、私はブログに書く意志を持っていなかった。
 また亀井志乃は平成18年12月2日、川崎業務課長より、12月6日(水)に毛利館長による職員面接があるからと、「自己申告書」というマル秘マークの文書を渡され、12月5日、必要な事項を記入して川崎業務課長に提出した。亀井志乃としては次年度も雇用が続くための必要な手続きと思っていたが、翌12月6日、館長室における毛利館長との面談において、館長から「来年は、財団としては嘱託職員を任用する意向がない」という意味のことを告げられた。これはダマシ討ちに類するやり方だが、亀井志乃は「納得できない」旨の返事をして退出した。その上で、毛利館長との面接を「面談記録」の形にまとめ、「毛利正彦館長が通告した「任用方針」の撤回を要求する」(平成18年12月12日付け)と一緒に、神谷理事長、毛利館長以下、財団の幹部職員に渡した。(平成19年1月22日掲載の「文学館のたくらみ・資料編」の「資料3」を参照)
 もちろん私はその間の事情を亀井志乃から聞いていたが、ブログを書く意志は持たなかった。
 
 しかし、平成18年12月27日、毛利正彦文学館長と平原一良副館長が亀井志乃に対して、極めて不誠実な「回答書」を返してきた(平成19年1月24日掲載「文学館のたくらみ・資料編」の「資料5」参照)。その翌日、私は直ちにブログでハラスメント問題を取り上げることにしたのである。
 私は次のように書き出している。
《引用》
 北海道文学館では現在、常識では考えられない不当なことが行なわれている。
 道立北海道文学館のTという50歳台の学芸主幹が、女性の嘱託職員に対して、侮蔑的な言動による、執拗ないやがらせを続けた。嘱託職員はついに堪りかねて、これは〈人権侵害のパワー・ハラスメントに当たる行為ではないか〉と、Tに対してだけでなく、神谷忠孝理事長や毛利正彦館長、平原一良副館長、K業務課長にもアピールした。これだけでも無視できない、――無視してはならない――大きな問題であるが、神谷以下の幹部たちはその問題をまともに取り上げることをしなかった。その代わりに、毛利正彦の口を通して、被害を訴える嘱託職員の解雇を通告してきた。
 いわば加害者のTのほうを庇い、嘱託職員を文学館から排除してしまう形で、問題の揉み消しを図ったのである
(「北海道文学館のたくらみ(1)」平成18年12月28日掲載)
 
 私はこのように書き始め、これ以後は、基本的には亀井志乃のアピール文や「面談記録」を紹介し、その内容を分析する形で進めてきた。そのどこが「仮借ない糾弾」なのか。また、このような表現のどこが、亀井志乃の任用問題に関する「あられもない言及」なのか。
 
 ちなみに亀井志乃が財団から解雇されるまでの期間、私が亀井志乃の任用問題に言及した頻度と内容・表現は、僅かに次のような程度のものでしかなかった。
《引用》
 しかし、K嘱託職員のアピールは正当に取り扱われることがなく、逆にアピールに対する報復としか考えられない解雇通知を、毛利正彦文学館長から告げられた。そこでK嘱託職員は、「駐在道職員の高圧的な態度について」ほか、幾つかの記録文を、理事や評議員に(住所の分かる範囲で)配布することにした。道立北海道文学館のなかで何が起っているかをアピールするためである(「北海道文学館のたくらみ(3)」平成19年1月4日掲載)

 それ以前から、寺嶋に侮蔑的な言葉を吐きかけられ、大学図書館へ閲覧に出かけるだけでも文書の書き直しをさせられる。これはパワー・ハラスメントではないかとアピールし、職場環境の改善を求めたところ、12月の6日、文学館長の毛利正彦から突然、来年度は雇用しない「方針」を言い渡された。展示の準備が胸突き八丁に指しかかった時期である(「北海道文学館のたくらみ(9)」平成19年2月20日掲載」)

 私が思い当るのは以上だけであるが、もちろん私の見落としということもあり得る。それ故、平原副館長は遠慮なく私の見落とした箇所をも指摘して、その上で、私の書き方のどこが「あられもない言及」なのか、この質問に答えてもらいたい。

 平原副館長は「いや、自分が問題にしたのは亀井志乃が辞めるまでのブログ記事だけでない。それ以後の記事も含めてのことなのだ」と主張するかもしれない。だったら、もちろん遠慮は不要。この「北海道文学館のたくらみ(38)」に至るまで、私が亀井志乃の任用問題に言及した箇所において、その表現のどこが「あられもない」のか、平原副館長は明確に答えるべきである。

○質問その④
 平原副館長は更に、先の文章の中で、そこでアップされている情報のうちには、当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました。」と言っているが、道立文学館という職場の中で「亀井志乃しか知り得ない情報」とは何か。亀井志乃しか知り得ない情報であるならば、なぜ平原副館長はそれを「亀井志乃しか知り得ない情報」と知ることができたのか。

 平原副館長としては、いやそういう意味ではなくて、亀井家の中では「亀井志乃しか知り得ない情報」という意味なのだ、と訂正を求めるかもしれない。もちろんそれならば、それでもいい。ただ、私は当時、財団法人北海道文学館の理事だった。だけでなく、財団法人北海道文学館の理事や評議員の中には私の知人もいれば、北大教師時代の教え子もいる。同じく、北海道教育委員会の中にも、道立近代美術館の職員の中にも知人もいれば、教え子もいる。私がそういう人たちを通して得ているかもしれない情報を計算に入れて、それでもなお亀井の家では「亀井志乃しか知り得ない情報」とは何か。平原副館長に答えてもらいたいのは、その点である。

 おそらく平原副館長は「当館に勤務する同氏しか知り得ない情報も含まれていました。」という言い方で、「亀井志乃は守秘義務を守らず、道立文学館の中で部外秘とされていることを父親に洩らしていたのだ」という印象を裁判官に与えるつもりだったのであろう。
 何とも姑息な企みであるが、しかし、勤務中に知ったことが何から何まで守秘義務の対象になるわけではない。実際に守秘義務として守らなければならない事柄はかなり限定されており、それらは「実質秘」または「形式秘」と呼ばれている。では、「実質秘」や「形式秘」の範囲と性質はどのようなものか。私は「北海道文学館のたくらみ(11)」(平成19年3月14日掲載)で検討しておいた。平原副館長にはそれらのことを踏まえた上で、次の問いに答えてもらいたい。私は寺嶋弘道の亀井志乃に対するハラスメントの実態と、亀井志乃のアピールを受けた後の財団幹部職員の対応、及び亀井志乃の任用問題に関して、このブログの中で何回か言及してきたが、その文言の中で、当館に勤務する同氏(亀井志乃)しか知り得ない情報」に基づいていると判断できる表現は、具体的にはどの個所なのか。
 
 平原副館長はこの点に関して、証拠を挙げて答えなければならない。もしそれをしない/できないならば、当然彼は亀井秀雄のみならず、亀井志乃をも中傷したことになる。

○またまた平原一良の事実隠蔽的虚言
 平原副館長が「陳述書」の中で3回、私のブログに言及したわけだが、3回目の個所は次のようであった。
《引用》
 この種の持ち込み貸し館の企画は珍しいことではなく、過去にも例のあることでしたが、そのへんの事情を十分に知らない亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による「自分の展示」への妨害だと受け取ったようでした(6ページ10~11行目)

 「北海道文学館のたくらみ(9)」(平成19年2月20日掲載)で紹介したように、亀井志乃を主担当とする「人生を奏でる二組のデュオ」展(平成19年2月17日~3月18日)が展示の設営準備に入ろうとした直前、寺嶋弘道が突然、何のことわりもなしに「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(平成19年2月3日~2月8日)という展示を割り込ませ、「二組のデュオ」展の準備を大幅に遅らせてしまった。
 亀井志乃はやむを得ず、2月の11日(日)、12日(月)、15日(木)の非出勤日を返上する形で出勤し、14日(水)、15日(木)、16日(金)の3日間は、作業は午後10時近くまで及んだ。特に14日と15日の夜は、その年2月最大の低気圧通過による猛吹雪だったため、JRのダイヤの混乱を懸念して、札幌市のホテルに泊まることになった。当然のことながら亀井志乃は、寺嶋弘道による「イーゴリ」展の割り込みを、「二組のデュオ」展の準備に対する業務妨害と考え、寺嶋弘道に対する「訴状」の中に加えた。
 それに対して寺嶋弘道は、太田弁護士署名の「準備書面(2)」と、自分自身の署名を附した「陳述書」の中で、業務妨害ではないと主張し、その理由を縷々述べていた。だが、その内容と、それに対する亀井志乃の反論については、機会を改めて紹介したい。
 
 ただ、平原副館長の主張だけは、次の質問の必要上、ここに紹介することにしたわけだが、彼は上記引用の如く、「イーゴリ」展は貸し館企画であり、この種の持ち込み貸し館の企画は珍しいことではなく、過去にも例のあることでした」と、寺嶋擁護を試みている。つまり、彼は貸し館論一般にすり替えることで、寺嶋弘道が特別展示室の入口を塞ぎ、特別展示室の一部を「イーゴリ」展に使い、次の「二組のデュオ」展の準備を大幅に遅らせてしまった事実を隠しているわけだが、彼の証言のウソ臭さはそれだけではない。
 彼が狙っていたのは、亀井志乃に関して次のような印象を与えることだったのだろう。つまり、「亀井志乃は自分が主担当の役割を与えられ『二組のデュオ』展に執着して、『自分の展示』として私物化し、他方、貸し館の企画に関しては前例や慣例を知ろうともしない、そういう自己中心的な人間だったのだ」と。
 
 だが、「イーゴリ」展のやり方は、果たして貸し館の前例に倣っていたかどうか。まずその問題から検討してみよう。
 その点に関して、亀井志乃は平原の「陳述書」に対する反論、「準備書面(Ⅱ-3)」の中で、次のように指摘している。
《引用》
 年度当初の予定にない外部からの持ち込みの〈貸し館〉展覧会が存在することは、私も充分承知しています。例を挙げれば、工藤正廣理事が持ち込んだ「タンザニアの美と詩」展(平成17年6月21~30日。主催:タンザニア連合共和国大使館、タンザニア文化交流実行委員会)や、原子修理事が企画を持ち込んだ「~北の潮騒が聞こえる~ 利尻…詩と海藻押し葉展」(平成18年1月21日~2月5日。主催:利尻海藻おしばの里づくり実行委員会、NPO法人アーティスティック・アコード・アソシエーション)などがあります。
 特に「海藻押し葉展」の方は、真冬の閑散期で来館者も少なかったので、私は担当者ではなかったものの、「海藻押し葉しおり作り」イベントに自ら参加し、観客に作成を勧めるなどの協力もしてきました。
 それと共に私は、業務の進捗状況を知らない財団理事らが年間予定にない展覧会を突然持ち込んでくる事で、学芸職員も業務課も口には出さねどどれほど迷惑に思っていたか。そういう現場の状況をつぶさに目撃してきました。
 ただし、どんなに「突然」だと皆が困惑するような持ち込み企画でも、平成17年度までは、少なくとも10日から2週間以上前には皆に知らされていたし、段取りも話し合われていました。「タンザニアの美と詩」展は開催13日前(6月8日)に学芸課内打合せの議題に挙
がっていた(甲104号証。「海藻押し葉展」は、前の月の課内打合せ(平成17年12月27日)ですでに事業予定に入っていました(甲59号証参照。また、開催月の「行事予定表」にも組み込まれていました(甲105・106号証
 ですから、「イーゴリ展」のように、開催日(平成18年2月3日)の4日前に作成・配布された「行事予定表
(甲21号証)にも記されておらず、次回展覧会の主担当にも副担当にも一言のことわりもなく設営されてしまった「持ち込み貸し館の企画」は、平原氏の言うところの「珍しいことではなく」どころではありません。むしろ、展示企画の入れ方としては前代未聞のことだったのです。
 
 こうしてみると、貸し館の実態を知らなかったのは、どうやら平原副館長のほうだった。が、それはともあれ、平原副館長の貸し館論に対する反論としては、十分に委曲を尽くした反論と言えるだろう。平原副館長はここでもまた虚偽の証言をしていたのである。
 
○質問その⑤
 ただし、私がその点について質問しようとしたわけではない。私が訊いてみたかったのは、先の文言に続く「そのへんの事情を十分に知らない亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による『自分の展示』への妨害だと受け取ったようでした。」という個所についてであった。一体どの箇所で私は、亀井志乃が「二組のデュオ」展を「自分の展示」と呼んでいるような書き方をしていたか。
 亀井志乃も同じ疑問を感じたらしく、「準備書面(Ⅱ-3)」で次のように反論している。
《引用》
 もう一つ、細かい点ですが、私は「人生を奏でる二組のデュオ展」のことを、「自分の展示」などと公私混同した表現で言いあらわしたことはありません。私は、例え企画原案自体は自分が作ったものでも、展示事業の実行自体は道立文学館から委嘱されたものだという事をわきまえて仕事を進めてきました。また、平原氏の文章中には、「(父君のブログによりますと)」とありますが、亀井秀雄が執筆したブログの中で、そのような短絡的な表現が用いられた箇所は一つもないはずです。
 私が確かめた限りでいえば、
「それまで亀井志乃の構想や準備の進め方には関心がなく、展示予定のリストを見せて意見を求めても、ただパラパラとめくるだけで、突き返してきた。その連中が、急に〈展示は皆のものだから〉と言い出し、では、手助けをするかと言えば、そうではない。依然として構想や内容には関心を示すことなく、だが、まるで亀井志乃が自分の仕事を抱え込んでしまっているみたいな、トゲのある言葉を織り交ぜながら、杓子定規に「決まり」を適用して、彼女の行動や経費に細かいチェックを入れてくる。」(「北海道文学館のたくらみ(9)」)
と書いているだけでした。

 「まるで亀井志乃が自分の仕事を抱え込んでしまっているみたいな、トゲのある言葉」という表現から分かるように、平原氏たちのほうが公私混同的に私の仕事ぶりを評していたわけです。私が展示予定のリストを見せて意見を求めても、ただパラパラとめくるだけで、突き返してきたのは、言うまでもなく平原氏でした。
 平原氏の私の仕事に対する高括りと、自らの不勉強が宮様の前で恥を晒す結果となった。それが3月9日の事件だったと言えるでしょう。

 
 私も亀井志乃の言うとおりだと思う。私は、平原副館長の言うごとく「亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による『自分の展示』への妨害だと受け取ったようでした。」と解釈されるような書き方をした記憶を持たない。念のため「北海道文学館のたくらみ」を読み直してみたが、該当するような表現は見当たらなかった。
 そこで、平原副館長への質問だが、私の「北海道文学館のたくらみ」のどこに、亀井志乃氏は、(父君のブログによりますと)これを寺嶋氏による『自分の展示』への妨害だと受け取ったようでした。」と解釈できる表現があるのか、それを明示してもらいたい。

 もしこのブログを読んでくれている人や裁判官、いやそれだけでなく、平原一良自身が、インターネットのGoogleに「北海道文学館のたくらみ」と「「自分の展示」」という言葉を入れ、検索してみたらどうなるだろう。案外ヒットするのは、今回私が引用した平原一良の文章だけだったということになれば、これはもう大笑いだろう。

○念のために
 私の平原副館長に対する質問は、以上の5点である。
 亀井志乃は「訴状」や「準備書面(Ⅰ)」「準備書面(Ⅱ)」の中で、私のブログには一言半句言及していない。裁判の争点はあくまでも、北海道教育委員会の公務員である寺嶋弘道が民間人の亀井志乃に対して繰り返し人格権侵害の違法行為を働いた事実の確定と、その行為の違法性の指摘にあるからである。
 ところが、平原副館長はその「陳述書」の中で、敢えて私のブログに言及し、12月ごろから同氏の父君によるブログを通じての当財団の活動や関係者への攻撃的な言及が開始されました」、「このような動きが内部で進むなか、亀井氏の父君による当財団への仮借ない糾弾がブログで再開されました」と、自分たちのほうが被害者であるかのような言い回しで、私のブログをあげつらった。そうである以上、この「平原一良氏への公開質問状」も目にするはずであり、いや、質問状なんて知らなかった、気がつかなかったなどと言い出したとすれば、それは責任回避の言い逃れとしか見られないであろう。
 そのような次第で、平原副館長が必ず回答することを、私は要求する。平原副館長によってああいう書き方をされたからには、私には回答を求める権利があり、平原副館長には答える義務と責任がある。

 初めにも書いたように、平原副館長はこれらの問いに答える上で、格別の労力は必要としない。彼が必要とする証拠物は「北海道文学館のたくらみ」と題したこの連載記事のみであり、彼は回答をこのブログのコメント欄に書く。それだけで十分に用は足りるはずである。
 そこで改めて念を押しておくならば、言い訳や事情説明は全く不要である。裁判において、上記の内容に相違ないことを誓います。」と誓った以上、私の質問に対して、自分の「陳述書」の内容が真であることを証明する。それが彼のなすべきことの全てである。
 
 もし平原副館長が、彼自身の「陳述」について、それが真であることを証明できなかった場合、彼は裁判において虚偽の証言を行っただけでなく、亀井秀雄を根拠なく中傷し、名誉を傷つけたことになる。平原副館長はそのことを十分に承知した上で、亀井秀雄のブログにも言及し、確固たる自信をもって「上記の内容に相違ないことを誓います。」と誓ったはずである。それならば、回答をためらう理由はどこにもないであろう。

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