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北海道文学館のたくらみ(34)

雉も鳴かずば撃たれまい(中―3)

○「指示」と「依頼」の間
 ところで、さて、寺嶋学芸主幹が平成18年4月13日に作ったと主張する「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日付け)と、実際には既に平成18年の3月中に出来ていた「平成18年度 学芸部門事務分掌」との違いに関する、亀井志乃のかかわりはどうであったか。今回はその点を手掛かりに、寺嶋弘道と平原一良の嘘の吐き方を検討してみたい。

 寺嶋弘道はその「陳述書」の中で出席者は私を含む駐在職員3名、原告(亀井志乃)を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名」の打合会によって、「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日付け)が決まったと主張したわけだが、亀井志乃はこの日は非出勤日で文学館には出ていない。もちろん寺嶋が言う打合会は知らなかった。このことは前回、指摘しておいた。
 翌日の4月14日、亀井志乃が出勤したところ、10時30分頃に、平原学芸副館長に呼ばれた。部屋に入ると、寺嶋弘道学芸主幹が同席している。
 平原学芸副館長はその場で、――のちに寺嶋弘道が大嘘を吐くことになるとは予想もせずに――「昨日、課内での話し合いがあったので、今日はその『おさらい』として亀井さんにも伝える」という意味のことを言い、事務分掌の中の「新刊図書の収集・整理・保管に関すること」を手伝って欲しい、と言った。
 亀井志乃の記憶によると、平原一良という人間はこういう場合、決して「手伝うように」と指示を出したり、命令を下したりする言い方はしない。つまり、後でそのことが問題になった時は「私は命令したわけではない」とか「指示を与えたわけではない」と言い抜けることができるように、あくまでも「依頼する」といったニュアンスの言葉づかいで仕事を言いつける。
 ただし亀井志乃としては、他の職員の仕事を手伝って欲しい、手を貸してやって欲しいと頼まれて、これを否む理由はない。嫌がる理由もない。ただ、少々怪訝な気がした。

○閲覧室勤務の事情
 この時亀井志乃の頭の中にあった事務分掌表は、もちろん3月段階で出来ていた「平成18年度 学芸部門事務分掌」のほうであって、――4月14日には平原も寺嶋も「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日付け)を亀井志乃には渡さなかった。そういうものが新たに出来たとも言わなかった――その「収集保管」分野の項目と担当者は次のようになっていた。
 
4、新刊図書の収集、整理、保管に関すること(主担当はA学芸員、副担当はO 司書)
5、古書、寄贈図書の収集、整理、保管に関すること(主担当はO司書、副担当はA学芸員)
6、特別資料の収集、整理、保管に関すること(主担当はA学芸員、副担当はO司書)
7、著作権の管理に関すること(主担当はO司書、副担当は寺嶋学芸主幹)

 つまり、亀井志乃は「4」に関する業務を手伝って欲しいと依頼されたわけだが、平原学芸副館長は、亀井志乃に依頼する理由として、「O司書にはキャパシティとアビリティの問題があるから」と言った。
 亀井志乃は自分が閲覧室勤務に就くようになった経緯を説明する証拠物として、この前後の日記を裁判所に提出したが、その日記に平原のこの言葉がメモされている。平原のO司書に対する侮辱とも言える言葉に強い印象を覚えたのである。
 
 そして4月18日(火)、亀井志乃は「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日付け)を渡されたわけだが、その「収集保管」の分野には、次の二つが追加されていた。別の言い方をすれば、3月段階の「平成18年度 学芸部門事務分掌」と、4月13日に決まったと寺嶋が言う「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日付け)との違いは、後者に次の2項目が追加されただけであり、言わばO司書とA学芸員と亀井志乃の仕事が増えただけなのである。

※ 購入図書情報の収集および選書に関すること(主担当はO司書、副担当はA学芸員)
※ 定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること(主担当はA学芸員、副担当は亀井志乃)

 このような経緯があって、亀井志乃は年度当初の予定になかった、新刊図書の収集・整理・保管というO司書とA学芸員の毎日のルーティンワークの一部を肩代わり(具体的には寄贈雑誌のデータベース登録作業)することになった。更には、以上のような変更との絡みで、結果的には、閲覧室における来客対応をA学芸員・O司書との3交代で手伝うこととなったのである。

○平原一良副館長の大ポカ
 ところが、平原一良は次のような大ポカをやってしまったのである。
 平原一良の記述によれば、平成17年11月2日に常設展示室をリニューアルオープンした頃、亀井志乃について、好ましからぬ噂を聞くようになったという。
《引用》
 
ただ、学芸課内での分掌をめぐって、同氏に委ねた寄贈資料の開封整理作業や閲覧室番業務(ローテーションに従い複数で担当)に不満を覚えているとの話は、一部学芸課員から耳にしていました(3ページ18~20行目)
 
 彼もまた寺嶋弘道と同様、「一部学芸員」などと曖昧で思わせぶりな書き方をしているが、いま指摘したいのはそのことだけではない。もう一度言えば、平原はここで平成17年度、つまり寺嶋が美術館から文学館に異動してくる前の年度のこととして、亀井志乃の勤務ぶりを上のように書いたのである。
 しかし、平原一良には気の毒だが、亀井志乃はこの年度は「閲覧室番業務」に就いてはいなかった。就いてもいない業務について「不満」を語るなんて、そんな器用なことができるはずがない。もっと正確に言えば、平成17年度に亀井志乃は「閲覧室番」の勤務に就いていなかっただけではなく、そもそも誰も「閲覧室番」の勤務には就いていなかったのである。
 
 亀井志乃の手元にある「2005年度学芸課事務分掌(案)」という文書をみると、「閲覧室運営に関すること」という分掌があり、A司書(当時、平成18年度は学芸員)が主担当に、H学芸課長(当時)が副担当に当てられていた。だが、A司書は図書の登録作業に追われ、H学芸課長は特別企画展一つと、企画展を二つ抱えて、閲覧室は事実上、無人状態だった。ただ、全くお客様に対応できないということがないように、学芸職員がいない時は、ロビーの受付職員(道から派遣された業務主事4名)が、合間を見ては、何とかカバーをしてくれていた。
 H学芸課長はそのことに責任感を覚えていたのであろう。平成17年度一杯で他の部署(道教委の)に転出するに当たって、「引き継ぎ事項について」という文書を残していったが、その中で次のような問題点を指摘していた。
閲覧室対応:現状は無人であり、必要時に内線電話を受けて職員が赴くという形になっている。しかし、4月(平成18年)より1階ロビーが完全無人化となり、来館者へのサービス(含・コピー料金支払い)という観点で考えると、職員が常駐すべきであると考えられる。資料の窃盗、PCへのいたずらなどを考えると現状は危険であり、早急な対応が望まれる。(中略)なお、無人状態は試行的にH14から始めたものであり、以前は昼休みを含め職員が常駐していた。」
 分かるように、平成17年度の「閲覧室番業務」は亀井志乃が就いていなかっただけでなく、誰も就いてはいなかったのである。H学芸課長の上のような指摘を受けて、平成18年度にはO司書(主担当)とA学芸員(副担当)が閲覧室勤務に就くことになった。それを亀井志乃が手助けすることになったのである。

 平原一良が亀井志乃の閲覧室勤務の年度を1年繰り上げてしまったのは、単なる物忘れか、それとも「亀井志乃は「不満」を口にしやすい性格であって、それが早くも平成17年度から現われていた」ことを仄めかす、意図的な操作だったのか、その理由は分からない。ただ、いずれにせよ、亀井志乃を貶めるためにはなりふり構わず嘘を吐いていたことだけは明らかであろう。

○「与謝野晶子百首屏風」の翻刻
 平原一良はもう一つ、平成17年度、亀井志乃が「寄贈資料の開封整理作業」という事務分掌を担当し、これにも「不満」を抱いていたかのように書いている。だが、これも真っ赤な嘘であって、そもそも「2005年度学芸課事務分掌(案)」に「寄贈資料の開封整理作業」という項目はなかった。平原は多分、各年度の分掌表を確認することもなく、うろ覚えで「陳述書」を書いたのであろう。先の引用文で彼が書いているのは、常設展示のリニューアル作業が済み、平成17年11月2日に道立文学館10周年記念行事が行われた時期のことなのであるが、その頃亀井志乃が取り組んでいたのは、与謝野晶子百首屏風の翻刻だった。
 
 「与謝野晶子百首屏風」というのは、平出修(作家・弁護士。大逆事件で幸徳秋水の弁護を引き受けた)の後輩にあたる人物が、平出の所持していた屏風を買い取り、それを北海道立文学館に寄託してくれたのである。文学館は開館10周年記念行事の一環としてその屏風を常設展示室において一般公開し、その後、同年12月17日に研修室(1階和室)に一時的に収納することになった。
 屏風はそれまで未公表・未公開のものであり、晶子の直筆で103首の短歌が散らし書きされているが、その筆字は所持者によっても、文学館の職員によっても、未だ解読されていなかった。平原一良学芸副館長(当時)は屏風を収納する際、「屏風はいったん展示から引き下げるが、寄託して下さった方の厚意に応えるためにも、字はきちんと解読し、その上で改めて展示し直さなければならない」と、亀井志乃に解読・翻刻作業を依頼した。当時は亀井志乃がもっぱら肉筆資料の解読や翻刻に当たっていたからである。
 そこで亀井志乃はデジタルカメラでその全表面を撮影し、外勤で藤女子大学図書館に通い、しばしば現物の屏風そのものも参照しながら、約3ヶ月かけて103首の与謝野晶子短歌すべてを解読し、あとは、その研究内容の発表をどのような形で行うかを決定するだけというところにまで、作業を進めて行った。
 亀井志乃はこのような作業が嫌いでなく、むしろこういう仕事ができることを文学館で働く楽しみの一つとして、喜んで翻字をやっていた。「不満」を口にすることなど、思いもよらぬことだったのである。

 そして、その作業がほぼ終わった頃に年度が変わり、4月1日(土)に寺嶋弘道が顔を出した時は、A学芸員(17年度までは司書)と一緒に館内を案内し、「与謝野晶子百首屏風」についても説明して、これから再公開する必要がある旨を告げておいた。その数日後、亀井志乃は事務室で、平原一良に作業の進捗状態を説明して、屏風の小冊子(パンフレット)案を記した書類を渡した。その時は寺嶋弘道も平原学芸副館長のそばにおり、当然のことながら亀井志乃と平原とのやりとりを聞いていたはずである。

○握りつぶされた成果
 ところが、「与謝野晶子百首屏風」の件は、その後、平原と寺嶋によって完全に無視された形となり、そして屏風自体、いつの間にか、亀井志乃に一言の連絡もなく、梱包されて収蔵庫にしまい込まれてしまった。
 つまり、亀井志乃の翻刻の成果は握りつぶされてしまったわけだが、それだけではない。寺嶋弘道は「陳述書」の中で次のように書き、亀井志乃を非協調的で、怠慢な人間として印象づけようとしたのである。
《引用》
 
今般の訴状において、原告が自分の業務成果として記している第(5)項の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」はそのうちの一業務にすぎず、担当者として主体的に取り組まなければならない主担当業務だけを取り上げても、第(6)項の収蔵目録・報告書の発行、および第(8)項の文学資料の解読・翻刻については何一つ職場内で打合せをすることもなく、確たる成果や業務報告のないまま年度末を迎え、平成19年3月に当館を退職しているというのが実情です(3ページ15~20行目)
 
 寺嶋弘道はここでもまた真っ赤な嘘を吐いている。第一に、亀井志乃は「訴状」の中で自分の業務成果を挙げたりはしていない。なぜなら、前回にも言ったように、今度の裁判の争点は、北海道の公務員である寺嶋弘道が、駐在先の文学館において、民間の財団法人で働く市民の亀井志乃に対して名誉毀損や業務妨害のハラスメントを繰り返したことにある。それ故亀井志乃の「訴状」と「準備書面」は、寺嶋弘道の行為事実の確定と、その違法性の指摘に集中していたからである。
 
 ただ、彼がうっかりこう書いてしまった動機は、分からないでもない。
 彼は文学館に着任して最初に手掛けた写真家の綿引幸造の展覧会(4月19日~6月4日)のポスター作成でポカをやり、300枚を刷り直した。4月の11日と12日、彼は主担当の鈴木社会教育主事とあたふたと走りまわり、そして彼の主張によれば、翌13日に
「私を含む駐在職員3名、原告を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名」で打合会を開き、2時間も議論したことになっているが、少なくとも原告(亀井志乃)が出席していたというのは大嘘である。
 続いて彼は、「石川啄木展」(7月22日~8月27日)の副担当だった亀井志乃を押しのけて、自分が主担当の鈴木社会教育主事と準備を進めてしまい、早くも5月12日の段階で、啄木展の当初予算(3,712,000円)を大幅に超過する支出をしてしまった。彼はこのことを、亀井志乃の「準備書面」で指摘されて、ポスター作り直しの件については、彼自身の「準備書面(2)」(亀井の「準備書面」に対する反論)のなかで、「増刷り」などと言葉のすり替えをやっていた。だが、「増刷り」とは完成したポスターを追加印刷することである。綿引幸造からクレームがつき、慌てて作り直したのとは意味が違う。
 こんなふうに彼は、実にキメ細かく嘘を吐いているわけだが、ともかく彼は、亀井志乃から痛いところを衝かれ、苦しい言い逃れを考えていた。そうこうしているうちに、たぶん彼は、亀井志乃の「二組のデュオ展」の業績によって自分が追い詰められている錯覚に陥ってしまったのであろう。
 
 だが、それはともかく、寺嶋が吐いた第二の嘘は、亀井志乃が「与謝野晶子百首屏風」を翻刻したことを無視、黙殺したことだけではない。亀井志乃が「人生を奏でる二組のデュオ」展に伴って刊行した図録(2007年2月17日)においても、未発表の書簡資料10点を翻刻し、また、これまで部分的にしか紹介されていなかった書簡資料3点の全文翻刻と、全集未収録の有島武郎の書簡1点の翻刻も行った。寺嶋弘道はこの事実もまた無視、黙殺して、
確たる成果や業務報告のないまま年度末を迎え、」と決めつけたのである。

○寺嶋弘道のセカンド・ハラスメント
 寺嶋弘道は自分が主担当だった「池澤夏樹展」では、『koyote』という市販雑誌の池澤夏樹特集号をまとめ買いして、これを図録に代えるという、姑息なやり方でお茶を濁してきた。そんな引け目も手伝って、亀井志乃がA学芸員の協力を得て作成した『人生を奏でる二組のデュオ』という図録を開いてみる勇気がなかったのだろう。
 ただ、その動機が何であれ、他人の業績を無視し、黙殺して、業績などなかったことにしてしまうことは、それもまたハラスメントなのである。先に引用したごとく、彼は、平成18年度に彼が亀井志乃に対して繰り返し行ったハラスメントを誤魔化すために、亀井志乃はやるべきことをやらなかったという言い方で、彼女の成果を無化してしまった。これは裁判の過程で加えられた、新たなハラスメント、すなわちセカンド・ハラスメントと言うべきであろう。
 
 それに、寺嶋弘道は、自分が主担当だった「池澤夏樹展」の「実施報告書」を未だに出していない。実施報告がないまま、もう2年近く経っている。一体どういうつもりなんだ。そういう自分の手落ちを隠して、
確たる成果や業務報告のないまま年度末を迎え、平成19年3月に当館を退職しているというのが実情です」と亀井志乃を決めつける。これは「顧みて他を言う」類の、最も恥ずべき行為と言わねばならない。

○「批難」したのは誰か
 では、寺嶋弘道が亀井志乃の閲覧室業務をどう見ていたか、次にはその点を確認しておきたい。
《引用》
 
前年度までの仕事が主に別室で進められていたという習慣もあってのことか、原告は18年4月以降も事務室内の学芸班の自席で執務することが少なく、そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告(亀井志乃)の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました(6ページ20~23行目)
 
 この文章の前半もこれまた真っ赤な嘘であって、平成17年度の亀井志乃の仕事はほとんど事務室内で行われた。「別室」で行っていたわけではない。
 そして平成18年度初頭から、亀井志乃は閲覧室と収蔵庫で仕事をすることが多くなったが、これは先ほど説明したように、平原一良から「4、新刊図書の収集、整理、保管に関すること」を手伝って欲しいと頼まれたからにほかならない。その場には寺嶋も同席していた。忘れたわけではあるまい。
 ただ、実際に「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」を通して司書に仕事を行っていれば(A学芸員も前年度までは司書だった)、おのずから閲覧室・共同研究室の運営や文学資料の閲覧に関する業務にもかかわらざるをえない。結局A学芸員とO 司書と亀井志乃の3人が相談して、ローテンションを組んで閲覧室業務に当たることになった。A学芸員がそのローテンションを一覧表化した「閲覧室担当表」を作り、3人がそれぞれ持っているだけでなく、事務室に貼っておいた。職員ならば誰でもその事情を知っているはずである。
 ただ、O 司書は平成18年度一杯で定年退職することが決まっており、特に年度の後半は「私は目いっぱい年休を使わせてもらうわ」と休むことが多く、そういう時は主に亀井志乃が彼女の肩代わりをした。
 その意味では、年度の後半、亀井志乃が閲覧室に詰めている日が多かったわけだが、その種のことは事務室では、誰もが知っている、ごく当たり前の動きにすぎなかった。亀井志乃が閲覧室勤務に就く時には、Na主査が開けてくれた金庫の中から、必ずコピー用のお釣りが入った箱を取り出して、「それでは、下におりています」と挨拶して、閲覧室に向かう。当然のことながらNa主査は亀井志乃の用向きを知っていたはずなのだが、寺嶋弘道によれば、
やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始め」たのだそうである。
 
 寺嶋は例によって、誰が非難の声をあげたのか、曖昧にぼかして書いているが、亀井志乃にローテンションに入ってもらったA学芸員とO 司書が、そのことで亀井志乃を非難するとは思えない。では、非難の声を挙げたのは誰だったのだろうか。
 可能性として考えられるのは、鈴木社会教育主事と、業務課の川崎業務課長及びNa 主査とNi主任であるが、「なるほどなあ、あの人たちが、事情を知っていながら、寺嶋弘道をつかまえて亀井志乃を非難していたわけだ。Naさんも含めてね、……とても信じられないけれど、人は見かけによらないもんだな。」

○御殿女中式
 まるで御殿女中の世界だな。私は二人の「陳述書」を読んで、ほとほと感心してしまった。
会議終了後、数人の委員やスタッフから、唐突な氏の行動を是としない(例えば「あれはスタンドプレーに等しいではないか」)との声が寄せられました。」、「一部学芸課員から耳にしていました」。これが平原一良の書き方である。やがて同年の夏頃には原告(亀井志乃)の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました。」、「この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした」。これが寺嶋弘道の書き方である。彼らは申し合わせたように同じ口調で、亀井志乃に関する非難・悪口に耳を傾け、得々とそれを取り次いでみせる。この二人の精神構造が御殿女中的なのである。
 
 言葉を換えれば、平原と寺嶋は自分と一緒に仕事をしている人間を、匿名の存在に変えてしまった。名前を奪い、実体を消去し、単なる集合的な非難・悪口の声そのものに変えてしまったのである。
 もちろんそれは、平原や寺嶋が同僚の「声」を装って、亀井志乃を中傷・誹謗するためであり、逆に言えば、平原や寺嶋は亀井志乃に対する中傷・誹謗の責任を同僚に押しつけてしまったわけであるが、結局平原と寺嶋にとって文学館で働く職員はそれ以外の存在ではなかったのであろう。
 
 分かるように、平原や寺嶋がああいう御殿女中式を始めたならば、それは彼らが嘘を吐こうとしている兆候なのであって、「では、寺嶋さん、亀井志乃の自席不在が非難を招くようになったとすれば、彼女が一体どこで、何をやっていたからなのですか」。そういう質問に答えられるように、彼は書いていない。書いていないのは、書く根拠を持っていないからなのである。
 もし、亀井志乃が自席を離れて行なっていることが、正当な業務であり、非難に値しないことであるならば、誰も彼女が自席を離れていることを非難はしないだろう。とするならば、寺嶋弘道は
「やがて同年の夏頃には原告(亀井志乃)の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました。」と書いた以上、当然彼は具体的に、亀井志乃が自席以外の場所で行なっていたのはどういう行為だったのか、なぜその行為は非難に値することだったのかを証明しなければならない。だが、彼はそれをしていない。それをしていない陳述など、裁判においては一文の価値もないのである。
 
 いや、一文の価値もないだけではない。彼は裁判の「陳述書」という取り消し不可能な文書の中で、嘘、でたらめを書き連ね、同僚の「声」を装って亀井志乃を中傷し誹謗した。この事実だけは、それこそ取り消し不可能な形で、しっかりと残るのである。
 
 

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