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北海道文学館のたくらみ(33)

雉も鳴かずば撃たれまい(中―2)
 
○又しても二つの偽証
 裁判はたしかに辛気臭いが、面白みがないわけではない。相手側が争点をずらして泥仕合化するために、なりふり構わず嘘を書きたてて、亀井志乃の人格を貶めようとする。その策略に付き合い続けるのは、気骨が折れる作業だが、嘘のパターンを見出してしまえば、対策はちゃんと立つのである。
 被告の寺嶋弘道の「陳述書」から一例を挙げてみょう。
 彼は平成18年4月4日に道立文学館に着任したわけだが、彼の「陳述書」によれば、4月13日、次のような打合会があったという。
《引用》
 
毛利館長の訓辞に先立つ4月13日(木)には、学芸部門の職員による打合会がもたれました。出席者は私を含む駐在職員3名、原告を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名で、協議内容は平成18年度の学芸部門の事務分掌について意見を交換し、問題点等を整理することでした。2時間を超えた会議では一人ひとりの担当業務を確認し、その結果は「平成18年度学芸業務の事務分掌」として4月1日にさかのぼって施行されています。  
 原告も確認し、組織決定されたこの事務分掌表に明記された私の職務の第一は、「学芸部門の統括および業務課との調整」です。学芸庶務、収集保管、展示、資料の利用、教育普及、出版、対外協力、調査研究の学芸業務の各分野にわたって、必要な調整を行い統括することが私の役割です。
(2ページ、29~38行目)
 
 ここには二つの嘘が含まれている。一つは、この日、4月13日の木曜日は、原告の亀井志乃の非出勤日であり、もちろん文学館には出ていなかった
「出席者は私を含む駐在職員3名、原告(亀井志乃)を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名」などということはあり得なかったのである。亀井志乃はこの年度の勤務割振表と、同年4月の学芸職員の勤務割当表を持っており、寺嶋の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)-2」に添えて、裁判所に提出した。寺嶋の陳述の虚偽を証明するためである。寺嶋がこの反論を再反論するためには、彼がいう「打合会」の時間、場所、議題、結論等を書いた議事録を提出し、この会合に亀井志乃が出席していた事実を証明しなければならないだろう。
 しかし、そもそも4月13日に、2時間にも及ぶ打合会が実際に持たれたのだろうか。この疑問は二つ目の嘘と関係する。

 寺嶋弘道によれば「協議内容は平成18年度の学芸部門の事務分掌について意見を交換し、問題点等を整理することでした。2時間を超えた会議では一人ひとりの担当業務を確認し、その結果は「平成18年度学芸業務の事務分掌」として4月1日にさかのぼって施行されています。」というわけだが、ちょっと待ってもらいたい。道立文学館は月曜日が休館日だから、4月1日の土曜日も、4月2日の日曜日ももちろん開館していた。「そうすると寺嶋さん、あれですか、道立文学館は4月1日から13日まで、誰がどの事務分掌を担当するかも決めないで開館してきたわけですか。」
 一読して、私も亀井志乃もこの記述のおかしさに気がついたわけだが、公共の文学館や美術館に関係する者ならば、誰でも真っ先に抱く疑問だろう。寺嶋弘道という人は長年道立の美術館の学芸員を勤めて、すでに50歳を越えている。だったら、もう少ししっかりした嘘を吐くことができそうなものだが、とても学芸員をやってきた/やっている人とは思えない、ちゃちな嘘を吐いている。本人としては、これで裁判官を誤魔化せるとタカを括ったのかもしれないが、こんなに失礼な話はない。
 それに第一、4月13日に決めた事務分掌を4月1日に遡って施行するなんて、そんな摩訶不思議な芸当を、いったい誰がどうやって出来るのだろうか。

○法は既往に遡及せず
 もう50年以上も前のことだが、私が大学に入った頃、「日本国憲法」という必修科目があった。松沢先生という、クラーク博士を尊敬して止まない法学博士の教授が担当だったが、私は中央講堂で松沢先生から、「法は既往に遡及せず」という言葉を聞き、「ああ、俺は大学に入ったんだ」と新鮮な感動を覚えた。その感動は今も消えないで残っている。要するに、ある法律が新たに制定されたとして、その法律を過去に遡って適用することはしないという意味だが、群馬県の高等学校で『ファーブル昆虫記』や『中谷宇吉郎随筆集』や『大菩薩峠』などを読み耽っていた私にとって、この言葉は「なるほど、法律というのはこういう考え方で自己を律するものなんだな」と、目からウロコが落ちるような感動だった。松沢先生からは、更に、「ただし、その法律の被適用者に利益を与える場合はその限りではない」という考え方を教わり、これまた痛く感銘を受けた。
 
 そんなわけで私は、2004年(平成16年)、韓国で「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」という法律が成立したことをニュースで知り、韓国の人たちの法感覚に深刻な不信感を覚え、この不信感は今でも消えない。韓国の若い研究者の中には、文学者だった祖父の研究をしていたところ、その祖父が「親日派」のレッテルを貼られたため、国内での研究が難しくなり、アメリカへ渡った人がいる。アメリカで自国の韓国文学を研究しているわけで、一般論的に言えば、アメリカへ渡って日本文学の研究を続けている日本の研究者と変わらないわけだが、しかしそれとこれとでは同一に論じられない。自国の研究者をこんなふうに追い詰める法律はよくないと、私は今でも腹を立てているのである。
 韓国のこの特別法は「法は既往に遡及せず」という大原則から見ても、「ただし、その法律の被適用者に利益を与える場合はその限りではない」という精神から見ても、悪法だと私は思うが、しかし翻って考えるならば、法律というものは過去に遡って施行することもあり得る。しかし、4月13日に決まった事務分掌を4月1日に遡って施行するとは、一体どういうことなんだろう。

○日付のトリック
 実際には、平成18年4月1日以前、既に事務分掌表は出来ていたのである。
 いまその経緯を、亀井志乃の手元にある証拠物によって説明すれば、平成17年12月27日(火)に「課内打ち合わせ」の会議が開かれた。「2006年度学芸課事務分掌(案)」という文書を叩き台にして、平成18(2006)年度の事務分掌をどのように組み、どの係が担当するか、を相談するためである。この言い方は少し分かりにくいかもしれない。正確に言えば、この時点では、道から派遣されていた学芸職員は全員が異動されられることが前提となっていた。そのため、財団職員のO学芸員(当時、平成18年度からは司書)と亀井志乃だけは次年度も業務に就くことがほぼ確実だったが、その他は新たに着任するだろう駐在道職員を「学芸員」「司書」「学芸課長」等と想定しながら、業務の割振りを相談したのである。
 ともあれ、その会議の意見を基に「平成18年度 学芸部門事務分掌」が作られて、3月末までに職員に配布されていた。4月1日からの開館に支障が生じなかったのは、この分掌表があったからにほかならない。
 
 そして、3月中に作られた「平成18年度 学芸部門事務分掌」と、寺嶋弘道がいう「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日)とを較べてみると、前者には日付が入ってないだけで、ほとんど両者に違いはない。ただ、後者には新たに事務分掌が2項目だけ追加されている。――この2項目の意味については次回にふれる――だから正確を期するならば、寺嶋弘道がいう「平成18年度学芸業務の事務分掌」の日付は、「平成18年4月1日施行。平成18年4月13日、一部改正」とすべきだった。ところが寺嶋弘道は、4月13日に決まった文書に「平成18年4月1日」の日付を入れ、
4月1日にさかのぼって施行されています。」と説明したのである。
 なぜ、彼はそんなに手の混んだことをやらなければならなかったのだろうか。

○匂いづけ
 たぶんその狙いは
原告も確認し、組織決定されたこの事務分掌に明記された私の職務の第一は、「学芸部門の統括および業務課との調整」です。学芸庶務、収集保管、展示、資料の利用、教育普及、出版、対外協力、調査研究の学芸業務の各分野にわたって、必要な調整を行い統括することが私の役割です。」という主張をもっともらしく見せかけることにあった。
 寺嶋弘道は
「原告も確認し」と言うが、亀井志乃は4月13日には出ていなかったのだから、これが寺嶋の嘘であることは言うまでもない。
 それに
組織決定された」とはどういうことなのか、どうも意味が不明である。
 ただ、「平成18年度学芸業務の事務分掌」の第1項目が、「学芸部門の統括および業務課との調整に関すること」であったことは間違いなく、その事務分掌の主担当は寺嶋、副担当は鈴木社会教育主事(道駐在職員)となっていた。ただし、3月段階で決まっていた「平成18年度 学芸部門事務分掌」も、その点では同じだったのである。
 
 だからその点に関するかぎり、何もわざわざ4月13日に打合会を開くような、二重手間をかける必要はなかったはずなのだが、3月段階の「平成18年度 学芸部門事務分掌」における「学芸部門の統括および業務課との調整に関すること」の意味は、平成17年12月27日以来の議論の流れからして、「学芸関系の職員のまとめ役と業務課との調整役」というほどの意味だった。
 もちろんそれで問題は全くないはずであり、実際4月1日から「平成18年度 学芸部門事務分掌」によって文学館の業務は始動している。ところが寺嶋弘道は、自分と平原学芸副館長(当時)とが会議を主催し、自分も決定に参加し、自分の意思が反映したものとして、「平成18年度 学芸業務の事務分掌」に作り直させた。つまり、自分の立場を
「学芸庶務、収集保管、展示、資料の利用、教育普及、出版、対外協力、調査研究の学芸業務の各分野にわたって、必要な調整を行い統括すること」という強力な立場に見せかけ、「学芸部門は俺が統括し、仕切っているんだ」という形にしたかったのである。
 動物学的に見れば、これは匂いづけの一種だろう。
 ……う~ん、そうすると、副担当の鈴木社会教育主事がその後を随いて行くわけか。
 
 亀井志乃としては、自分の知らない打合会に出席していたことにされるのは、迷惑この上もない。その上「原告も確認し」などと、自分が知らない内に承諾までしていたことにさせられるなんて、まっぴら御免である。

○裁判の面白さ
 裁判というのは、こんなふうに相手側の嘘を、証拠物に基づいて一つひとつ潰して行かなければならない。初めに「裁判は辛気臭い」と言ったのは、こういう手間がかかることを指してのことだが、亀井志乃が自分の証拠物に照らして見出した嘘や事実の歪曲は、寺嶋弘道の「陳述書」で27箇所、平原一良の「陳述書」で21箇所もあったという。まるで嘘で固めたような「陳述書」だったわけだが、「なに、見え透いた嘘を言ってるんだろう」と笑いながら放っておくと、やっかいなことになる。相手側の弁護士が、「原告が反論をしなかったのは被告の言い分を認めたことからだ」などと言い出しかねないからである。そこで煩を厭わず、嘘を一つひとつ潰して行くことになるわけだが、そうしていると相手側の嘘のパターンが見えてくる。そこが裁判の「面白い」ところなのである。

 先ほどの寺嶋弘道の文章の中で言えば、2時間を超えた会議で一人ひとりの担当業務を確認し、その結果は「平成18年度学芸業務の事務分掌」として4月1日にさかのぼって施行されています。」という会議が、何時から何時までかかったのか、それが書いてない。つまり、肝心なところを曖昧にぼかしてしまう。これが彼の――そして平原一良の――基本的な手口であって、そもそも開館時間中に、つまり観覧者も来れば業者も来る時間帯に、学芸関系の職員が全員各自の持ち場を離れて、2時間も会議をやっている。そんな非常識を、彼らは本当にやっていたのか。多分「打合会」の実態は、平原一良と寺嶋弘道が駐在道職員の二人と、財団のO司書を呼んで、自分たちの考えを押しつけ、早々に切り上げる、そんな程度のことであっただろう。それとも、閉館後、全員が残って、2時間も議論したのだろうか。
 この疑問をクリアするためにも、はやり寺嶋弘道は4月13日の会議の記録を提出し、かつ、亀井志乃が出席していたことを証明しなければならないだろう。
 
 もう一例を挙げてみよう。
《引用》
 
また、この「二組のデュオ展」では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告(亀井志乃)はこれを持参せず、後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。

 これは前回も引用した、寺嶋弘道の「陳述書」の一節であるが、これが事実無根であることを証明することは、特に難しいことではない。亀井志乃は平成19年2月9日に、岩内の木田金次郎美術館と、道立近代美術館に、作品の借用に出かけたわけだが、借用の交渉の過程で二つの美術館の学芸員と交わしたメールの記録や、「借用書」や「収蔵作品管理ファイル」のコピーを証拠物として、法廷に提出する。それで、寺嶋の「陳述書」のこの個所に対する反論は済むのである。
 それに対して、寺嶋弘道は自分の陳述が真実であることを証明するためには、まず「道内美術館」なる美術館がこの世に存在することを証明しなければならない。次に彼は、彼がお詫びの電話を入れたという「道内美術館」の関係者を明らかにしなければならない。その上で彼は、その「道内美術館」から出ているらしい「作品図録カード」なるものを提出しなければならない。真実のみを述べることを誓った「陳述書」において、「道内美術館」なる美術館が存在することを前提として、彼は上記の如く書いたはずである。そうである以上、寺嶋弘道は自分の言葉に責任を持たなければならない。
 もし彼が「道内美術館」なる美術館の存在を証明できなければ、彼は偽証をしたことになる。事実に関して厳しい態度を要求される裁判において、具体的な事実を指示できない、曖昧な言い方を選んで、亀井志乃の経験と知識の欠如をほのめかし、亀井志乃の学芸員としての能力を貶めようと企んだ。当然彼はそれだけの責任を負わなければならないのである。

○脇が甘い
 それにしても、なぜ太田三夫弁護士は、以上のような「陳述書」を証拠物として提出したのだろうか。

 その狙い自体は、分からないでもない。多分太田弁護士の策戦としては、裁判の争点をずらし、人格非難の泥試合に持ち込んでしまうことにあったのだろう。
 これまで述べてきたことの繰り返しになるが、この裁判で争われているのは、北海道の公務員である寺嶋弘道が、駐在先の文学館において、民間の財団法人で働く市民の亀井志乃に対して名誉毀損や業務妨害のハラスメントを繰り返した事実を確定することと、その違法性を判断することである。仮に寺島弘道と亀井志乃が同じ組織に属して、上司と部下の関係にあったとしても、寺嶋弘道が亀井志乃に対して行ってきた名誉毀損や業務妨害は、明らかに人格権侵害のハラスメントと言える。しかし今回のケースは、寺嶋弘道と亀井志乃は法的、制度的、組織的に見て決して上司と部下の関係たり得ない、また、もし寺島弘道が自分と亀井志乃との関係を上司と部下の関係に擬制したとすれば、それだけで寺嶋弘道は地方公務員法を犯したことになってしまう。そういう関係の下で起こった人格権侵害のハラスメントなのである。
 太田弁護士としては、何としてでも地方公務員の民間人に対する人格権侵害の側面は隠してしまいたい。それと同時に、寺嶋弘道が亀井志乃に対して取った態度はハラスメントではなくて、上司としての指導だったのだと言いくるめてしまいたい。このあたりの狙いは、北海道教育委員会の内々の意向でもあるのだろう。
 
 ともあれ彼は、たぶん上のような計算によって、「準備書面(2)」では、地方公務員の民間人に対する人格権侵害の側面には全く言及せず、ひたすら頬かぶりしてすり抜けようと、知らぬ顔の半兵衛をきめこんでいる。また、上司と部下の関係について言えば、うっかり寺嶋弘道は亀井志乃の上司だったと断言してしまえば、これまた地方公務員法違反を認めてしまうことになる。彼はそこを何とか言い抜けようと、もっぱら亀井志乃の「準備書面」の揚げ足取りに終始し、法律問題には一切踏み込もうとしない。
 そして、おそらくその策戦の一環として、寺嶋弘道と平原一良に亀井志乃の人格と能力を貶める「陳述書」を書かせたのであろう。もし亀井志乃がそれに吊られて、寺嶋や平原に対する人格非難を開始したら、争点を拡散させ、水掛け論の泥試合に引きずりこむことができる。
 しかし、あまりにもその下心が見え見えなので、その手は桑名の焼き蛤。亀井志乃は太田三夫弁護士作文の「準備書面(2)」に対しては「準備書面(Ⅱ)-1」を書いて、徹底的に争点の闡明に集中した。寺嶋弘道と平原一良の「陳述書」に対しては「準備書面(Ⅱ)-2」と「準備書面(Ⅱ)-3」を書き、証拠に基づく事実の確定に議論を限定して、彼らの虚偽と事実の歪曲を明らかにし、5月14日(水)、3通の準備書面を裁判所に届けてきた。その3通に添えて、新たに提出した「証拠物」は112点。前回までに提出した証拠と合わせると、その数は155点に及ぶ。
 
 太田弁護士が寺嶋と平原に「陳述書」を書いてもらった意図は、おそらく以上のようなものだったと思うが、しかし、いま一つすらりと飲み込めないことがある。なぜ彼はこんなに不出来な「陳述書」を証拠物として提出したのか。
 証拠物というのは、亀井志乃の側で言えば、平成18年度の「勤務割振表」や、「平成18年度 学芸部門事務分掌」と「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日)のように、客観的な証拠として自分の主張を裏づけ得る文書類のことである。ところが太田弁護士は自分が署名した「準備書面(2)」の主張を裏づける証拠物として、寺嶋や平原の「陳述書」を出してきた。その証拠物が客観的に見て嘘っぱちに満ちており、とするならば、太田弁護士署名の「準備書面(2)」もまた客観的に見て嘘っぱちばかりということになってしまう。
 「太田さんは、二人の「陳述書」をロクに読まないで、証拠物に使ってしまったのかな」。
 「まさかそんなことはないでしょう。太田さんとしては、よもや二人がこんなに嘘ばかり書いているとは思わなかった。その点は二人を信用していたんじゃないかしら。信用が裏目に出てしまったわけネ」。
 「そうかも知れない。でもネ、仮にも太田さんは弁護士だからナ
その結果は「平成18年度学芸業務の事務分掌」として4月1日にさかのぼって施行されています。」なんて書き方を読んだら、こいつは怪しいぜって気がついたはずだよ」。
 そんなふうに私たちは不思議がったが、一つ言えることは、「準備書面(2)」の雑っぽい書き方から見て、太田弁護士はこの裁判に気が入っていない。そんなことを言うと、太田さん、ムッとするかもしれないが、とにかく素人の私から見ても、その仕事ぶりはどうも脇が甘いように思う。

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