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北海道文学館のたくらみ(29)

駐在道職員の業務実態とその違法性

○「違法性」の問題
 ところで、亀井志乃が原告「準備書面」に挙げていた「被害の事実」のうち、平成18年5月2日に起った「事実」については、前々回(「北海道文学館のたくらみ(27)」)に紹介しておいた。彼女はそのことについて、次のように、被告・寺嶋弘道の違法性を指摘している。
《引用》

(b)違法性
、北海道教育委員会の駐在道職員である被告が思いついたケータイ・フォトコンテストは、平成18年度の過密スケジュールに追われている財団法人北海道文学館の業務課と学芸班の両方に大きな負担を強いる企画である。駐在道職員の被告は、年度途中に、財団法人北海道文学館の嘱託である原告に、原告が業務を担当することを前提として、企画作りを強圧的な態度で要求した。これは、財団に対しては、北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱して、「地方公務員法」第32条に反して行われた干渉行為であり、他の業務を抱えた原告に対しては業務強制の人権侵害の違法行為である。

、財団法人北海道文学館の「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在)によれば、特別企画展「石川啄木―貧苦と挫折を越えて」(期間・平成18年7月22日~8月27日 以下、「啄木展」と略)の主担当は鈴木浩社会教育主事であり、副担当は原告であった。被告はその「事務分掌」を無視して「啄木展」に介入し、原告を疎外し、他方、自分が思いついたケータイ・フォトコンテストの企画作り(原告の実施を前提とする)を原告に押しつけようとした。これは前項で指摘した規律違反であるだけでなく、原告に対しては業務の不当なすり替えであると共に、「啄木展」副担当という責任を原告に果たさせまいとした点で、「刑法」第234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である

 亀井志乃は更に2つ、被告・寺嶋弘道の違法性を挙げているが、ここでは省略する。少しくどい印象を受けた人がいるかもしれないが、太田弁護士が求めるように、「事実」と「違法性」とを別け、一つ々々の事実に関してその違法性を指摘するならば、当然こういう書き方にならざるをえないのである。

○過密スケジュール
 被告・寺嶋弘道と太田三夫弁護士はこの違法性の指摘については「争う」、つまり寺嶋弘道の行為は法的に見て格別の問題はなかったと主張するつもりらしい。その主張がどんな内容か、まだ分からないので、ここでは原告が言及している事柄について二つ、三つ補足的に説明しておきたい。

 まず、項で言う「平成18年度の過密スケジュール」のことであるが、年間を通して次のようなことが企画されていた。
企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」(平成18年4月29日~6月4日)
企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」(6月1日~7月9日)
特別企画展「石川啄木~貧苦と挫折を超えて~」(7月22日~8月28日)
特別企画展「池澤夏樹のトポス~旅する作家と世界の出会い~」(10月14日~11月26日)企画展「書房の余滴~中山周三旧蔵資料から~」(12月9日~同24日)
企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(平成19年1月13日~同27日)
企画展「人生を奏でる二組のデュオ~有島武郎と木田金次郎・里見弴と中戸川吉二~」(2月17日~3月18日)
このように行事が続き、その間、ファミリー文学館「知床の自然を描く~関屋敏隆原画展~」(平成18年9月9日~10月1日)が組まれていた。
 その他、子供対象の「―わくわく―こどもランド」が11回組まれ、「映像作品鑑賞のつどい」が4回ある。
 
 そしてこれは絶対に書き落としてはならないことだが、新たに購入または寄贈された資料の整理、登録、利用希望者への対応、そして文学資料の解読と翻刻、調査研究報告書の編集と発行など、文学館の根幹にかかわる学芸業務を日常的に行わなければならない。
 これだけの膨大な業務を、財団に所属する岡本司書と亀井研究員、駐在道職員の3人の計5人でこなさなければならなかったのである。

 こういう状態のなかで、「さあケータイ・フォトコンテストもやりましょう」などと言い出すことが、どんなに無謀なことか。少しでも想像力があれば、直ちに分かることであろう。

○学芸業務・事務分掌の実態
 ただし、被告の寺嶋弘道学芸主幹に限っていえば、それだけの時間的な余裕があったと言えるかもしれない。というのは、地味ではあるが日常的に根気よく処理して行かなければならない文学館の基幹的な学芸業務を、彼は免除されていたからである。

 先ほど引用した「(b)違法性」の項で、亀井志乃は「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在)に言及していたが、この「事務分掌」は全部で37項目あり、例えば13の特別企画展「石川啄木」の主担当は鈴木(社会教育主事/駐在道職員)、副担当は亀井(研究員)となっている。
 つまり道立文学館の業務は、各分掌ごとに、主担当1人、副担当1人を割り当て、2人1組で分掌業務を遂行するシステムになっていたのである。
 その分掌表の中で、原告の亀井志乃は、
28「収蔵資料目録、調査研究報告書の編集、発行に関すること」の主担当(副担当は岡本司書)
34「文学資料の解読、翻刻に関すること」の主担当(副担当は阿部学芸員/駐在道職員)となっていた。実際問題として、書簡や色紙、短冊などの肉筆文献を解読、翻刻できるのは亀井志乃だけであった。
 そして8「定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること」は、阿部学芸員が主担当、亀井志乃が副担当だったが、しかし、
20「閲覧室・共同研究室の運営および文学資料の閲覧に関すること」(主担当は岡本司書、副担当は阿部学芸員)
21「文学資料の貸し出しおよび特別利用に関すること」(同前)に関しても、平原学芸副館長(当時)の依頼により、4月中旬から協力することになった。
 
 その上で亀井志乃は、18の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の主担当(副担当は阿部学芸員)を勤め、13の特別企画展「石川啄木」の副担当(主担当は鈴木社会教育主事)だったわけである。

○被告・寺嶋弘道学芸主幹の業務ぶり
 文学館で最も目立つ業務は展覧会事業であり、外部の関心と評価もそこに向けられやすい。被告の寺嶋主幹は主にこの分野を担当し、
11の企画展「写・文 交響」の副担当(主担当は鈴木社会教育主事)
12の企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」の主担当(副担当は阿部学芸員)
15の特別企画展「池澤夏樹」の主担当(副担当は鈴木社会教育主事)
17の企画展「栗田和久・写真コレクション」の主担当(副担当は鈴木社会教育主事)だった。

 こうしてみると、寺嶋弘道学芸主幹はずいぶん沢山の展示を手がけていたようだが、しかし少しでも文学館業務の実態を知る者ならば、いかに寺嶋学芸主幹が手厚い配慮を受けていたか、直ちに察しただろう。
 なぜなら、12の企画展は、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示品として出すか等についてはあらかじめ決まっており、文学館の学芸員は展示の手伝いをするだけだったからである。
 11は写真家・綿引幸造がこれまで撮りためていた写真の展示であり、いずれも既にフレームに入った状態になっていた。学芸員はポスターとチラシを作り、作品搬入と会場設営を手伝うだけだった。
 15の特別企画展は前年度中に、平原学芸副館長(当時)と池澤夏樹との間で交渉が進み、基本的な構想の合意ができていた。
 17の企画展「栗田和久・写真コレクション」も、11に近い状態だった。
 
 被告の寺嶋弘道はこれだけ楽な仕事を回してもらいながら、11の写真展では、ポスターの作成に失敗して慌てて刷り直すという、美術館畑を歩いてきた学芸員らしからぬミスを犯した。
 おまけに彼は、17の企画展「栗田和久・写真コレクション」を中止してしまったのである(「北海道文学館のたくらみ(5)」参照)。
 
 これは、職員が〈今年はこれこれの展示をやろうか〉と内々で申し合わせていた企画の一つを中止したという、そんな程度の軽いミスではない。年度当初、文学館の年間行事として、パンフレットやホーム・ページを通して広く市民に対する周知をはかってきた。その行事を取りやめてしまったのであり、これはもう前代未聞の失態と言うほかはないだろう。

 しかも以上のことは、単に一人の学芸員が幾つかのミスを犯したということではない。その本質は、財団に駐在する北海道教育委員会の職員、つまり公務員が、財団の求めに応じて手がけた専門的事項で失敗を仕出かして、財団に損失をかけ、コレクション提供者との信頼関係を損ない、財団の信用を傷つけたということなのである。

○北海道教育委員会職員による二重の業務妨害
 当然のことながら彼は、公務員として始末書や進退伺いを書かなければならない失態を犯したことになる。
 しかし彼は、自分の分掌に責任を持ち、他の人の分掌を尊重するという、公務員としての自覚に欠けるところがあったのだろう。彼は年度が始まって間もなく、自分が主担当でもなければ副担当でもない特別企画展の「石川啄木」展に手を出し、副担当の亀井志乃には何のことわりもなく、主担当の鈴木社会教育主事と啄木展の仕事を進めてしまった。
 しかも、彼自身が思いついたケータイ・フォトコンテストについては、自分が責任をもって起案し、他の職員にその計画の承認を求めることをせずに、企画の立案から実施までを亀井志乃に押しつけようとしたのである。
 
 それに対して亀井志乃は、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」嘱託の立場にあった。
 被告・寺嶋弘道はそういう立場の亀井志乃から業務の一つを奪い、他方では、年間スケジュールにない仕事を亀井志乃の業務に割り込ませようとした。
 言うまでもなくこれは、北海道教育委員会職員である公務員が、民間の財団で働く嘱託職員の業務を奪い、つまり業務を妨害したことにほかならない。その点を取り上げて、原告の亀井志乃は
「原告に対しては業務の不当なすり替えであると共に、「啄木展」副担当という責任を原告に果たさせまいとした点で、「刑法」第234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である」と指摘したのである。
 
○主担当の役割
 では、文学館の事務分掌における主担当と副担当はどういう関係なのか。先ほどの紹介でも分かるように、それは上司と部下との関係ではない。副担当のほうがより経験を積んでおり、業務をリードしてゆく場合もあるからである。

 ただ、展覧会業務の場合、慣例として、その展覧会のテーマを提案した学芸員が主担当となる。テーマ提案者のコンセプトと構想なしには準備を進めることがむずかしいからである。
 亀井志乃は嘱託の研究員の立場だったが、平成17年度に「亀井さんも案を出して下さい」と言われて、平成18年度の展覧会案としては「人生を奏でる二組のデュオ~有島武郎と木田金次郎・里見弴と中戸川吉二~」を提案し、企画検討委員会で採用された。
 有島武郎と木田金次郎との関係は、これまで研究や文学館で何回か取り上げられてきた。だが、有島武郎と里見弴という兄弟と北海道とのかかわりに注目し、更に釧路で育った小説家・中戸川吉二と里見弴との関係にまで視野を拡げて、広域的・多元的視野で北海道の表現者たちに照明を当てる。その意味でオリジナリティに富む企画だったと言えるが、その実現が提案者に任されたのである。

 亀井志乃はこうして一つの企画展の主担当となり、もちろん副担当と相談し、サポートしてはもらうが、基本的には自分が責任を持つコンセプトを実現するため、必要な資料(書簡や軸物の書、写真、絵画、初版本、初出雑誌や新聞など)の所在を調査し、資料の所蔵者(他の文学館、美術館、図書館、個人など)とアポイントメントを取って、実際に足を運んで見せてもらう。
 その間、新たに得た情報を基に、それまで予定になかった資料の所蔵者と連絡を取って、また足を運んで見せてもらい、それによって展示の全体構想を修正し、密度と精度を高め、特別展示室のスペースの下図を書いて展示品の配置を決める。
 
 それと並行して、資料の所蔵者に貸与をお願いし、図録用の画像を選択する。また、道立文学館に所蔵されている関係資料の写真を撮っておく。その一方で、展示テーマに関係の深い人に原稿を依頼し、自分も原稿を書く。こうして編集した図録の写真と原稿を印刷所に渡して、見本刷りの写真や絵画の色構成や色調を検討し、原稿の校正を綿密に行って、展覧会のオープンまでに『図録』を完成する。もちろんポスターやチラシは早めに作って、配布しておく。
 更にまたその間、貸してもらえる資料の集荷に出かけ、集まった資料を実際に展示し、パネルやキャプションを作って観覧者の理解に供する。
 それは体力だけでなく神経も磨り減るような作業であった。

○「嘱託職員の権利」を無視
 そのような仕事に較べれば、特別企画展「石川啄木」の副担当という立場は、気持の上でも、体力的にも負担はそれほど大きくない。一応そうは言えるわけだが、亀井志乃は以前、小樽啄木会から講演を依頼されたことがある。その関係もあって、5月9日の朝の打ち合わせ会で、「5月13日に小樽の啄木忌の行われる講演会に出席するため、午後から早退したい」意向を述べて、職員の了解をえた。副担当として、当然の心がけであろう。
 
 ところが、被告の寺嶋弘道は翌日の10日、原告の亀井志乃をつかまえて、「何時間、年休を取るのか」「何のために年休を取るのか」と、しつっこく問い詰めはじめた。亀井志乃は〈嘱託職員には年休がないから、早退させてもらうのだ〉という意味の説明をしたのだが、寺嶋弘道はなかなか納得しない。やむを得ず彼女は、安藤副館長(当時)に頼んで説明をしてもらわなければならなかった。
 すると、被告の寺嶋弘道は話題を変えて、5月2日と同じく、「(原告は)財団の立派な職員だ。財団の一員だ」と言い始め、時間契約で働いている亀井志乃の退勤時間が来たにもかかわらず、30分も足止めをして説教を続けたのである。まるで自分が財団の管理職であるかのような口調で……(「北海道文学館のたくらみ(3)」参照)。
 
 しかし亀井志乃には、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」嘱託としての誇りがある。この誇りは自分の分をきちんと守り、期待された以上の成果を挙げることから生れ、維持される。その意味で嘱託には嘱託としての責任と権利があり、その尊重を相手に求める権利もある。そのことを無視して、「財団の立派な職員だ」とか、「館のスタッフだ」(平原学芸副館長)とかいう概念の曖昧な言葉で、なしくずしにケジメを失わせてしまう。これは亀井志乃の責任と権利の侵害にほかならない。
 嘱託の亀井志乃には年休がなく、ボーナスもつかず、労災にも入っていない。だが、その代わり、契約時間外の行動について、財団から干渉は受けない。まして北海道教育委員会の公務員が干渉できる筋合いではない。契約時間外の時間をどのように使おうと、本人の自由であり、それは嘱託職員の権利なのである。
 北海道教育委員会の公務員たる被告の寺嶋弘道はそういう考え方、人間の生き方が全く理解できなかったのだろう。彼はこの時以外にも亀井志乃を退勤時間外まで拘束し、亀井志乃の業務には不必要な書類の作成を強制した。これも亀井志乃の権利の侵害にほかならない。彼女は「訴状」や、原告「準備書面」でそれを指摘したのだが、被告の寺嶋弘道も太田三夫弁護士も「争う」と言う。
 どうやら彼らは基本的な人権の主張に対して「争う」つもりらしい。
 
 それも興味あるところだが、もう一度今回の主題にもどるならば、被告の寺嶋弘道は、啄木に関して知見を増やそうとする亀井志乃の姿勢がが、よほど気になったのだろう。
 
○再び被告・寺嶋弘道学芸主幹の業務ぶり
 さて、事情説明が少し長くなったが、およそ以上が、5月2日のケータイ・フォトコンテスト問題に関する、業務システム上の背景だった。この問題一つを取り上げただけでも、初めに紹介したような法律上の問題が幾つか浮かんで来る。
 被告の寺嶋弘道も、太田三夫弁護士も、その問題について「争う」と言うわけだが、しかし私がこれまで紹介した『北海道文学館の管理に関する協定書』以下、「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日現在)などの文書の存在を「否認」することは、これはとうていできないだろう。では、それらの文書から論理的に帰結する制度的、業務システム的原則について「否認」は可能だろうか。
 彼らの反論のポイントはこの辺にありそうだが、これ以上の推測は控え、最後に一つだけ、被告の寺嶋弘道学芸主幹が勝手に手を出した「石川啄木」展と、彼自身が主担当だった特別企画展の「池澤夏樹」展はどうであったか、簡単に紹介しておきたい。
 
 「石川啄木」展に関しては、コンセプト作りも資料調査も必要がないという、全く安易なやり方だった。日本近代文学館が運営資金稼ぎのため、啄木関係の手持ち資料をセット化して、高知県立文学館や姫路文学館に貸し出した。寺嶋弘道学芸主幹と鈴木社会教育主事は、その資料と構成をそのまま借りることにしたからである。
 この場合、寺嶋弘道学芸主幹と鈴木社会教育主事のどちらがイニシアティヴを取っていたか、よく分からないが、ともかく学芸員としての見識も誇りもない、まことに安直なやり方だった。ついでに図録用の画像も借り、説明文まで借用する。要するに出来合いの啄木像をなぞるだけで、新しい資料の発掘すら見られない。市販の文学アルバムに毛が生えた程度、いや、市販の文学アルバムに毛が3本足りない、猿真似みたいなものでしかなかった。
 
 また、「池澤夏樹」展に関して言えば、先ほども言ったように、平原学芸副館長(当時)と池澤夏樹との間で交渉が進み、基本的な構想の合意ができていた。私の記憶によれば、もともとこの企画は福永武彦と池澤夏樹の親子の文学業績を取り上げる予定だったはずだが、いつの間にか池澤夏樹が中心化され、彼が世界各地で取った、セミプロ程度の写真が、ただ地域別に配列してあるだけ。文学史的には父親の福永武彦のほうが遥かに重要なのだが、ほんの添え物程度の扱いでしかなく、推理小説作家・加田伶太郎や、SF作家・船田学の側面にはほとんど目が向いていなかった。
 おまけに、図録はなし。当時たまたま『coyote(コヨーテ)』という市販雑誌が池澤夏樹の特集号を出した。それを500部購入して、「図録」に代える。そういう、信じられないような出鱈目さだった。
 財団法人北海道文学館は『北海道立文学館の管理に関する協定書』に基づいて、毎年、年に4回、道に「業務報告書」を出すことになっている。平成18年度の「報告書」では、各展覧会の「実施報告書」が附いているのだが、「池澤夏樹」展については、それも見当たらないのである。

○次回は4月16日
 さて、3月14日の第2回公判の開廷は午後1時半からだったが、実際に始まったのは1時50分だった。
 太田弁護士は今回は遅刻しなかったが、被告は姿を見せず。開始早々、太田弁護士は4月8日までに、原告の「準備書面」に対する答弁(被告側「準備書面」)を裁判所に届けることを約束した。
 阿部雅彦裁判長はそれを聞いて、〈被告の答弁書を読んで、更に原告からの反論が必要かどうかを判断させてもらう〉という意味のことを言った。
 ただし、被告側から反論らしい反論が出るのは、5月8が初めてなわけで、それに対する再反論のチャンスを原告に与えないということはあり得ないだろう。もっとも、被告側の反論なり陳述書なりが箸にも棒にもかからない内容だったならば、これはまた別な話になるだろうが……。
 
 そんなふうに考えながら私は傍聴していたわけだが、裁判長はてきぱきと話を進め、原告と、被告代理人の双方の都合を確かめ、次回の公判は4月16日(水)の午前11時からと決めた。
 原告はそれが決まった後、裁判長に、〈被告の準備書面(答弁・反論)を見て、こちらの反論を4月16日までに用意すべきかどうか〉という意味のことを訊いてみた。それに対する裁判長の答えは、「いや、反論をするか否かを考え、気持を固めてくるだけでいいです。実際問題として、被告側が(4月8日に)出した書面に、(4月16日までに)反論を書くのはむずかしいでしょう。原告側の反論は次の次の回になると思います」ということだった。
 
 そんなわけで、この日の公判は、原告が出した証拠40点の原本調べのみで終った。2時08分。被告側からはまだ1つも証拠物が出されていないが、もし4月8日に出るならば、4月16日にはその原本調べも行われるだろう。

 

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