« 北海道文学館のたくらみ(27) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(29) »

北海道文学館のたくらみ(28)

駐在道職員とは何者か

○「駐在道職員」という制度
 「あなたのブログを読んでいると、時々「駐在道職員」という言い方が出てきますが、駐在道職員の寺嶋弘道学芸主幹ていう人は、財団法人北海道文学館の管理職なんですか」。
 そう訊かれたことがある。「いえ、いえ、とんでもない。もしそんなことになったら、それこそ自分で自分の首を絞めるようなものですよ」。
 そう答えたが、そう言えば、駐在道職員とは何者か、きちんと説明していなかったな。そんな反省が湧いてきた。
 
 なぜ財団法人北海道文学館が指定管理者として管理と運営に当っている道立文学館に、北海道教育委員会の職員(公務員)が駐在しているのだろうか。
 
 今更念を押す必要はないかもしれないが、財団法人北海道文学館はいわゆる道の外郭団体ではない。道立文学館の管理と運営のために、道から1年に1億4千万円以上の「道負担金」(道民の税金)を受け取っている。だが、財団はもちろん財団としての財産を持ち、会員からの会費収入等に基づく自主財源によって朗読会やウイークエンド・カレッジなどの事業を行って、事業収入をはかり、公課費(消費税)を払っている。
 ただし、この自主財源による年間予算は、平成17年度は1,150万円、平成18年度は990万円、平成19年度は800万円、平成20年度は760万円と、右肩下がりの傾向が続いている。
 
 つまり、それだけ道から受け取る「道負担金」に対する依存度が高くなってきたわけであるが、しかし財団法人北海道文学館は北海道教育委員会から独立した事業体であり、道立文学館の管理と運営の主体であることに変りはない。その道立文学館に、北海道教育委員会が職員を「駐在」させている。
 ある意味で、今回の裁判の根本的な原因はそこにあったのだが、なぜ「駐在」などという制度を作ったのか。
 財団法人北海道文学館と道との間に交わされた『北海道文学館の管理に関する協定書』の中に、次のような条文があるからである。
《引用》
 第14条 甲(北海道)は、本施設の事業を円滑に実施するため、乙(財団法人北海道文学館)が行う文学資料の収集、保管、展示、その他これと関連する事業に関する専門的事項について意見を述べるものとする。
 2 乙は前項の規定による意見を尊重するものとする。この場合において、乙は、甲に対し、当該専門的事項に関する業務の遂行について協力を求めることができる。
 3 甲は、乙から前項の協力を求められたときは、本施設に配置する学芸員に当該専門的事項に関する業務の全部又は一部を遂行させることができる。この場合において、乙は、当学芸員が遂行する業務に係る経費を負担するものとする。
 4 乙は、指定管理業務の遂行に当たり、甲が行う調査研究が円滑に行われるよう配慮するものとする。
5 前各項までに定めるもののほか、本施設の事業を円滑に実施するために必要な事項は、甲及び乙が、別記6に定める方法により定期に協議して定める。

 
 ちなみに、この第
5項で言う「別記6」とは「日常的な各部門間の情報の共有化や定期的な職員全体会議(職員全員参加)の開催により、円滑な館の管理運営を行っていくほか、必要に応じて適宜協議の場をもち、協働連携を図ることとする。」となっている。
 ところが、道立文学館という施設に配置された、北海道教育委員会の職員・寺嶋弘道は
「日常的な各部門間の情報の共有化や定期的な職員全体会議(職員全員参加)」というルールを全く無視して「日常的な各部門間の情報の共有化」を心がける亀井志乃のやり方に難癖をつけ続けたのである。

○駐在道職員の立場
 ともあれ、以上のような約束に基づいて、財団法人北海道文学館の神谷忠孝理事長が北海道教育委員会教育長に
「別添に掲げる業務に関して、北海道教育委員会が駐在させる学芸員に協力を求めたいので、その可否について回答願います」という協力要請の文書を送った。北海道教育委員会教育長はそれを受けて、従来から道立文学館に学芸員相当として派遣していた鈴木社会教育主事(道職員)をそのまま駐在させ、ついでに阿部司書(道職員)を「学芸員」に変えた。その上更に、寺嶋弘道学芸主幹を道立近代美術館から移して、学芸員として駐在させることにしたわけである。

 以上のような事情から分かるように、駐在道職員は道立文学館の中ではで何をやっても許される、というわけではない。神谷理事長が言う「別添の業務」を示す別紙を見ると、17の項目が挙げられており、それは「指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」と表現されている。つまり、駐在道職員はあくまでも財団法人北海道文学館が求める専門的事項に関して協力をする立場にあり、当然のことながら、財団の業務課の仕事に干渉していいなんてことは一言も書かれていない。いわんや財団の職員に向って上司かぜを吹かせてもいいとか、怒鳴りつけてもいいとか、そんなことが許されるはずもなかった。

 しかも、もう一枚の別紙、「主な業務内容」の一覧表には76項目が挙げられているが、駐在の教育委員会職員がかかわることができるのは36項目であり、そのうち駐在の教育委員会職員も「業務主体」となり得るのは僅かに12項目のみ。残る24項目は、「業務協力」と位置づけられている。
 特に注目すべきは
「主な業務内容」「収集業務」に、「作品台帳・データベースの作成・更新」という項目があり、だが駐在道職員の学芸員はその「業務主体」として位置づけられていなかった。「業務協力」としてさえも位置づけられていなかったのである。

 要するに、文学碑のデータベース管理や更新、画像の収集などの業務は寺嶋弘道が口を挟む事柄ではなかった。もし彼が、本当にケータイ・フォトコンテストによって画像の収集に協力したかったならば、自分できっちりと企画を立て「定期的な職員全体会議(職員全員参加)の開催により、円滑な館の管理運営を行っていくほか、必要に応じて適宜協議の場をもち、協働連携を図ることとする。」という手順を経て、皆に提案すべきであっただろう。

○財団北海道文学館の条例違反
 ちなみに、私は北海道情報公開条例の手続きに従って、北海道教育庁総務政策局総務課から『北海道文学館の管理に関する協定書』を手に入れた。
 本来ならば財団に請求しても、同じ公文書を開示してもらえるはずなのだが、毛利正彦館長(当時)も平原一良副館長も川崎信雄業務課長も見せたがらない。毛利正彦は「開示した情報の適正使用のこともありますし、私どもは情報管理の責任がございまして」などと、情報公開法の趣旨に反することをぬけぬけと喋っていた。北大教授(当時)の工藤正廣も「どんなことに使われるか分からない心配がある時、(情報の)使用目的を確かめるのは当たり前ではないか」などと一党独裁国家の官僚みたいなことを言って、財団の幹部職員の隠蔽工作に手を貸していた(「北海道文学館のたくらみ(12)」参照)。

 こういう手合いが北海道では自称文学者としてまかり通っているんだからな……。私はあきれ返って、北海道教育庁総務政策局総務課を通して欲しい情報を手に入れることにしたわけだが、『北海道文学館の管理に関する協定書』の第30条は、こうなっている。
《引用》
第30条 乙(財団法人北海道文学館)は、北海道情報公開条例(平成10年北海道条例第28号。)第27条の2の規定に基づき、乙が管理している文書等の公開に努めるとともに、当該文書の公開の申出があったときは、同条第2項の規定により甲(道)が定める要綱等に基づき、当該申出に対し適切に対応するものとする。
 
 要するに財団法人北海道文学館は、道のやり方に準じて公文書の開示請求に応ずる約束をしているわけだが、財団は『協定書』の約束を無視してきた。残念ながら財団法人北海道文学館は平気で道との約束を踏みにじり、北海道の条例に違反することをやってきたのである。

 なお、『協定書』を開示してもらう時、私は係の人に、「道は駐在職員を任命する時は特別な権限を与えるとか、何かそういう種類の特例を設けているのですか。もしそうだったら、そのことを定めた文書も開示してもらいたのですが、……」と訊いてみた。係の人の返事は、「いいえ、駐在道職員と言っても、要するに仕事の机が駐在先にあるというだけのことで、他の道職員と何も変りはありません」ということだった。

○寺嶋弘道被告の自己認識
 そのことを一つことわって、その上で更にもう一つ情報を提供するならば、財団法人北海道文学館は道立文学館の指定管理者に選ばれるため、北海道教育委員会に「北海道立文学館業務計画書」を提出したわけだが、その中の「学芸員との協働・連携についての考え方」で、次のようなことを述べていた。
《引用》
 
指定博物館としての文学館にあっては、……美術館や歴史系・民族学系博物館の学芸員とは異なる職務内容も多く含まれる。(中略)このことを踏まえ、財団法人北海道文学館は、多くの専門研究者や実作者を組織的に擁しならが長年活動を続けてきた団体である利点を生かし、学芸員に対し最大限の専門的知見と必要な情報、またノウハウを提供することにより、文学館事業の水準を高度に保つべく、連携・協力関係を構築していく。
 
 この「学芸員」が、文学館内に駐在する北海道教育委員会の職員を指すことは言うまでもない。
 
 この提案が前提となって、先ほど紹介した『北海道文学館の管理に関する協定書』の第14条の取り決めが出来た、と考えられるわけだが、分かるように、美術館関係の仕事をしてきた寺嶋弘道学芸主幹は文学館業務のノウハウの提供を受けるために道立文学館に駐在することになった。そう考えるべきだろう。
 少なくとも彼は道立文学館に駐在するに当って、『北海道文学館の管理に関する協定書』を読み
「指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」「主な業務内容」の一覧表を手渡されていたはずである。それによって自分の立場と、業務範囲を弁えていたはずだが、5月2日「文学碑データベースの画像がないものについて、ケータイ・フォトコンテストによって写真を集める話をした」場面では、亀井志乃に対して、まるで財団法人北海道文学館の幹部職員みたいな口の利きかたをしていたのである(北海道文学館のたくらみ(28)参照)。
 この人は何か根本的な勘違いをしているらしい。

 そのような人間がどんなことを仕出かしたか。亀井志乃が指摘する、この人物の「違法性」と、それはどんなふうに絡んでいたか。次はその点を紹介したい。

|

« 北海道文学館のたくらみ(27) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(29) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

最近の文学館の事業が悲しいほど薄っぺらなのは、美術畑の学芸主幹や学芸員相当(?)の社会教育主事など、文学館学芸員の資質に欠けるインチキな人間が道職員として駐在しているからなのだということが、今回のお話でよくわかりました。
道教委は、よほど人材不足なのでしょう。

投稿: 文学館ファン | 2008年4月 3日 (木) 23時08分

寺嶋弘道さんを検索エンジンで調べるといろいろな役職をしているのですね。文学館の仕事も大変な業務ですが、美術関係の仕事とつなげて文学との繋がりも考えながら模索している新しい事をやっているので北海道では大変珍しい学芸員だと思います。そんな優秀な方を育てていかねばならないと考えますが。いかがでしょうか?

投稿: bunbun | 2008年4月 6日 (日) 08時46分

文学館ファン様

「北海道文学館のたくらみ(29)」の原稿を書いていたため、返事が遅れました。申し訳ありません。

日本の文学館の中には、現存する文学者を顕彰する文学館があります。が、これは主に私設の文学館だと言えるでしょう。
他方、公立の文学館の場合、関係者の間では、一種暗黙の了解事項として、「よほど特別な事情がない限り、現役の文学者を展示のテーマにはしない」という考えがあります。その文学者が亡くなって数年後、一定の客観的な見方が出来るようになってから取り上げる。そういう傾向が強いのは、その現れだと言えるでしょう。
私は2000年の6月から文学館に関係するようになったため、当初の事情は分からないのですが、「公立の文学館が展示企画に取り上げるのは、その人の業績を公的に評価したからだ。そういう印象を与えやすい。それだけに、現役、現存の文学者を取り上げる場合、本人の意向だけでなく、身内・肉親の思惑、その文学者の仲間、あるいはライバル意識を持つ文学者たちの感情的なリアクションなどが働いて、なかなか客観性が保てない。むしろ禍根を残すことが多い」。私はそう理解しています。

財団法人北海道文学館は民間の団体ですが、道から運営資金を得て、「道立文学館」という公共の建物の中で展示を行う。ですから事情は上の場合と変らないと言えるでしょう。
それだけに、展示企画は慎重でなければいけないのですが、―そして、出発当初はそういう配慮があったようですが―平成14年度に谷川俊太郎展をやって、大当たりした。たぶんその旨味が忘れないためでしょう、最近は、困った時の「有名」文学者頼みとも言うべき傾向が生まれ、平成17年度には原田康子展、平成18年度には池澤夏樹展と続くことになりました。但し、谷川俊太郎と原田康子、池澤夏樹では、ポピュラリティの規模も質も違う。大当たりどころか、小当たりにもならなかったようです。

池澤展の場合、私の記憶では、福永武彦展→「福永武彦・池澤夏樹」親子展→池澤夏樹のトポス、と変って行き、結局池澤夏樹の写真が展示の中心となりました。
平成19年度の場合も、当初は船山馨の文学を中心に展示を組む予定だったはずですが、「船山馨のDNA」というおかしなサブタイトルで、船山滋生の彫刻と挿絵が中心の展示となってしまいました。船山滋生も現役の彫刻家・挿絵画家であること、言うまでもありません。
その意味で、現役の表現者への依存度が強まると共に、写真や彫刻など、ヴィジュアルな作品への依存度も強まってきたと言えるでしょう。

文学という言語表現の物質的な存在形態は「文字」(時には「音声」)というシンプルなものでしかありません。ですから、そのもの自体を展示して、多くの人の関心を喚起し、持続させるには、大きな限界があります。そのため、ついヴィジュアルなもの(挿絵、写真、彫刻)や、アコスティックなもの(音楽)に頼りたくなってしまうのですが、文学としての言語表現が内包する世界や、喚起するイメージに対する深い理解に基づき、それらと呼応(コレスポンド)するヴィジュアルなもの(挿絵、写真、彫刻)や、アコスティックなもの(音楽)を見出し、相呼応するもの相互の新しい意味を発見させる。それが大事であって、その努力を欠いた、あるいは放棄した、現存表現者への依存や、ヴィジュアルなものへの依存は、どうしても薄っぺらなもになってしまう。

最近の道立文学館の展示は、派手なイヴェントを組み、見かけは賑やかですが、内実は衰退に向っている。私もそんなふうに感じています。

亀井 秀雄


投稿: 亀井 秀雄 | 2008年4月 7日 (月) 10時51分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北海道文学館のたくらみ(28):

« 北海道文学館のたくらみ(27) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(29) »