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北海道文学館のたくらみ(17)

労働審判始まる

○神谷理事長は姿を見せず
 平成19年7月24日、労働審判が始まった。
 私は沢山の資料を抱えた亀井志乃と札幌地方裁判所まで同行し、弁護士のTさんとエレベーターに乗るのを見送って、玄関のほうを振り向いた。ちょうどその時、北海道文学館の清原新館長と平原副館長と川崎業務課長の3人が、文学館側のOM弁護士と一緒に入ってきた。
 弁護士のTさんは、「亀井志乃さんが労働審判を申し立てる相手側は、財団法人北海道文学館ですからね、神谷忠孝理事長が出てくるとは限りませんよ」と言っていた。なるほど理事長の神谷は〈遠慮〉して、幹部職員3人を送り込んできたわけだ……。

 審判は午前10時から2時間を予定していた。Tさんも一緒に、3人で昼食を摂る約束だったので、一階のロビーで藤沢周平を読んでいた。気がつくと、玄関の外に、テレビ局のカメラマンが何人も集まっている。おや、今日はメディア注目の裁判があるのかな。そう思って外を見ていたが、どうもそれらしい人がなかなか現れない。すると、男性が一人、やあ遅くなって、どうもどうも、などと言いながら、小走りに駆け込んできて、カメラマンはぞろぞろ引き上げっていった。
 何だかスカされた感じで、すこしぼんやりしていると、12時半近く、Tさんと亀井志乃がエレベーターから出てきた。別にむずかしい局面があったふうでもなく、笑顔でやってくる。
 
 訊いてみると、もうすでに労働審判の審判委員会から解決案の提示があったという。亀井志乃のほうに異議はなかったが、文学館側が〈理事会を開かなければならない〉という理由で返答を避け、そのため8月末に第2回目の労働審判を行うことになった。
 神谷忠孝が出ていたならば、理事長、館長が揃ったことになり、当然責任ある返事をしなければならない。大慌てしたところだろう。理事長を隠したおかげで、何とか言質を取られずに済んだわけだ……。
 
○これからの書き方
 そんなわけで、現段階ではまだ書けないことが多い。隔靴掻痒の物足らなさを覚える人も多いと思うが、労働審判に踏み切ってみて、この制度が亀井志乃のような立場の人間にとって大変に有効な制度であることが分った。
 亀井志乃が労働審判に踏み切った事実を知っただけでも、勇気づけられた。そんな声も届いている。そういう人たちに、労働審判はどんなふうに進められるのか。その点を紹介しながら、可能な範囲で審判の経過にも言及する。これから暫らくは、そういうやり方で進めて行きたい。

○「あっせん」と労働審判
 前回も言ったように、労働審判という制度は、労働審判法が平成16年5月12日に公布され、平成18年4月1日から実施されることになった。そのやり方は労働局の「あっせん」や調停に似ていなくもない。3回を限度とする審判の過程で、審判委員会が解決案を提示して調停を試みることもあり得るからである。
 
 ただ、「あっせん」の主眼は、当事者が話し合いによって自主的に解決するのを手助けすることにある。その解決のために、あっせん員が双方の主張を調整したり、双方に助言したり、時には和解案を提案する場合もあるが、あくまでも現実的に妥当と思われる試案であり、その和解案は拘束力を持っていない。
 
 それに対して、労働審判は双方が代理人(原則的には弁護士)を立て、「権利関係」について主張を争う。そのことから分るように、これは裁判であって、だから地方裁判所が行う。審判委員会は労働審判官(裁判官)1名と、労働問題に関する専門的な知識・経験を持つ労働審判員2名によって構成され、その委員会が審判を下す。北海道文学館が更に返事の引き延ばしを図ったとしても、第3回目には審判が下り、それは法的な強制力を持つのである。
 
 亀井志乃は当初、労働局が世話する「あっせん」の場で解決をしたいと考えていた。だが、当時の館長の毛利正彦は3月15日、「あっせん」に関する労働局の口頭助言を退けてしまった。しかも翌日の3月16日、館長室に亀井志乃を呼んで、「今年の3月31日をもって雇用が切れる」ことを通告し、亀井志乃の異議を無視して、職員に亀井志乃の退職を公表してしまった。(「北海道文学館のたくらみ(12)」及び「同(16)」)
 
 そこで亀井志乃は労働審判を選ぶことにしたわけだが、念にために一つことわっておけば、「あっせん」は労働審判を受ける前提条件ではない。亀井志乃の場合は、「あっせん」不調から労働審判へと進んだが、「あっせん」を選択肢に入れず、真直ぐに労働審判を選んでも一向に差支えないのである。

○契約まで
 さてそこで、亀井志乃は札幌弁護士会の法律相談センターに出かけて、Tさんを紹介してもらい、電話でアポイントを取った。約束の日には、これまでの経過と自分の主張をまとめた文章、それから文学館の幹部職員に手渡したアピール文や要求書、相手側の〈回答〉などを揃えて持参し、依頼したいことの概要を語った。
 弁護士のTさんは亀井志乃より若く見える人だが、――実際もそうだと思う――丁寧に耳を傾けてくれた。そして、実際に労働審判が成り立つ事例かどうか、亀井志乃が持参した文書を読んで検討してみたいと言い、次に会う日時を約束してくれた。
 次の時は、Tさんは亀井志乃が書いた文章の細部に渉って、詳細に質問をし、主張を裏づける証拠資料があるかどうかを確かめた。Tさんは熱心に訊き、約束の時間を30分以上も超えるほどだった。
 亀井志乃はTさんの誠実さに信頼感を覚え、申立ての代理人をお願いするかどうか、念のため家に帰って相談したいと言い、次回の日時を約束してもらった。気持の中では、既にお願いするつもりになっていたのである。
 3回目は、Tさんが必要とする証拠資料を持参し、申立の代理人を引き受けてもらう条件を確かめた上で、正式に代理人をお願いすることにした。
 
 こうして契約が成立したわけだが、このプロセスを煩わしいと感ずるかどうか。どうも自分には苦手だと考える人は、また別な方法を探るしかないわけだが、私個人としては、あまり億劫がらずに、まず足を運んでみるほうがいいと思う。
 また、以上のプロセスの間、最初の打診や、もう少し立ち入った事情説明を聞いてもらう際には、1時間にいくらと相談料を払う。契約を結んでからは、打合せ等に要する時間のお金は、「着手金」の中に含まれる。その金額をここで明かすことはできないが、ある程度まとまった額となることは否定できない。
 ただ、現在の状態から考えて、いつ自分が亀井志乃のような状況に立たされるか分らない。そういう危惧を感じている人には、ぜひ心がけておくことを勧めたい。日常的な心がけで、決して用意できない金額ではないからである。
 
○準備の手順
 ともあれこうして準備が始まり、弁護士のTさんが亀井志乃の文章や証拠資料を基に「労働審判手続申立書」を書き、札幌地方裁判所に提出した。正確な日付けは分らないが、6月3日(日)から始まる週の前半には、財団法人北海道文学館に届いたはずである。
 それに対して、相手側の「答弁書」(平成19年7月11日付け)が13日(金)に届いた。ただし、相手側のOM弁護士から郵送されてきたわけではない。OM弁護士が札幌地方裁判所に届け、そのコピーが裁判所からTさんに届いたのだろう。郵送してくれたのはTさんだった。
 
 ただこの日は、亀井志乃は札幌へ出ていた。私自身は翌日の文学散歩の準備に追われて、「答弁書」に目を通す余裕がなかった。
 翌日の14日(土)、私は小樽の皆さんと一緒に、当別、月形、北村(岩見沢)、江別を周る文学散歩に出かけ、亀井志乃もアシスタントを兼ねて参加した。そんなわけで、亀井志乃と私が「答弁書」に目を通したのは、15日になってからだった。
 
 裁判の面白さは、相手側の証拠文書をこちら側も使うことが出来ることだろう。相手側が「答弁書」に添えて提出した証拠文書には、いったい何のために出してきたのか、意味の分らないものが多かった。ただ、幸いなことに、亀井志乃が相手側の幹部職員に渡した「要求書」や、毛利正彦や神谷忠孝の「回答」まで添えてある。おかげで、相手側が出した証拠文書も使って反論を組み立てることができた。
 
 内容的にも、「答弁書」に反論すること自体は、さほど難しいことではなかった。
 15日と16日、亀井志乃と私は手分けして反論を書いたわけだが、困ったことにだんだん腹が立ってきた。質の悪い文章の反論を書いていると、こちらの精神も荒んでゆくらしい。
 17日、二人が書いた反論を持って、Tさんと会った。Tさんも弁護士の立場で反論をデッサンしている。Tさんから反論の細部について質問があり、反論を裏づける証拠文書の有無の確認があり、そして次回は「答弁書」の各項目について、反論のポイントを簡潔にまとめた文書を用意することになった。
 18日、私が反論のポイントをまとめたものを作り、亀井志乃はそれらのポイントについて、議論が詳細に及んだ場合、直ちに反応できるよう、二人で作った「反論」を項目別に整理し直す。足らないところは補足して、労働審判に備えることにした。
 20日、亀井志乃は反論ポイント書を持ってTさんの事務所に出かけた。Tさんはそれらを参考に、自分が用意している「主張書面」を補強し、更に必要な証拠文書の相談をした。
 21日と22日、亀井志乃は新に見つかった証拠文書をファックスで送って、Tさんの判断を求め、電話で「主張書面」の細部の修正を相談した。
 23日、Tさんは完成した「主張書面」を札幌地方裁判所に届けた。
 
 私自身は19日、小樽文学館へ出、市役所の記者クラブで、新に始める連続講座のレクチャーをした。20日は連続講座第1回目の準備に追われ、21日、小樽文学館で、ロシア・フォルマリズムの理論や、その思想史的な意味について話をした。
 
○第1回目の重要性
 このようにして労働審判が始まったわけだが、労働審判に関する多くの解説書が、第1回目が非常に大事だと教えている。その意味は、以上の経緯からもほぼ見当がつくだろう。
 
 申立人の「労働審判手続申立書」、それに対する相手側の「答弁書」、その「答弁書」に対する反論とも言うべき申立人の「主張書面」。この三つの文書で、主要な争点はほぼ尽されており、双方の主張を裏づける証拠文書も出尽している。労働審判はどうやら円卓方式で行われるようだが、審判官と審判員は以上の文章や証拠文書に目を通し、更に確かめたいことがあれば、双方に質問する。既に判断の材料は揃っており、極端な言い方をすれば、始まった時にはもう終っている。1、2時間の審理で、早くも委員会から解決案が示されたわけだが、それは十分に可能だったのである。
 その意味で、自分の主張がどこまで理解してもらえるか、それの決め手は準備の仕方にかかっている。そう言っても過言ではないだろう。

 この間、私がキツイ思いをしたのは、「答弁書」が届いてから「主張書面」を完成するまでの10日間ほどだった。これは文学散歩の準備と実施、連続講座の準備と実施というハードな仕事が重なったためであるが、亀井志乃はもっとクールに作業を進めていた。
 彼女は文学館の仕事に就いて以来、〈今後人事異動などで入ってくるだろう職員の人たちに対して、自信をもって仕事の性質や要領の説明が出来るように〉と考え、職員に配られた文書や、前副館長や前業務課長から手渡されたメモ類などを保存していた。仕事に関して気がついたことは日記につけていた。今となってみれば、〈後から来る人たちへの伝達〉云々は空しい心がけとなってしまった。だが、思いがけない形で、相手側「答弁書」に反論する有力な資料が残ったことになる。クールに反論を書き進めることができたのは、そのおかげである。
 
○痛感したこと
 以上の経験の中で、一つ痛感したことは、〈依頼人は弁護士に嘘をつかない、弁護士は依頼人の秘密を守る〉という、この信頼関係なしには準備も進まないし、自信をもって裁判に臨むこともできないことである。
 依頼人が弁護士に嘘をついたり、弁護士に嘘を書かせたりしたら、いずれその理屈は破綻し、みじめな結果に陥ってしまうだろう。

Dancing

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