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北海道文学館のたくらみ(16)

新たな土俵で

○労働審判という制度
 亀井志乃は、財団法人北海道文学館の一方的な解雇の問題を、労働審判によって解決することにした。

 労働審判という制度は、労働審判法が平成16年5月12日に公布され、平成18年4月1日から実施されることになった、「労働紛争解決制度」であるが、なぜそういう制度が生れたのか。
 これまで事業主と個々の労働者との間に、給料の不払いや解雇などのトラブルが生じた場合、訴訟を起し、裁判で争う以外に、法的な解決策はなかった。だが、裁判で結論(判決)が出るまでには1年、2年と時間を要するケースが多い。収入の途を断たれ、早急に解決を図りたい労働者にとって、この間どのように生活を維持してゆくか。これが大きな難問になって、結局裁判を諦めてしまう。そのような形で労働者に泣き寝入りをさせることがないように
「紛争の実情に即した迅速、適正かつ実効的な解決を図ることを目的」(首相官邸ホームページ「労働審判法の概要」)として作られたのが、この労働審判制度なのである。
 
 そんなわけで労働審判は裁判の一種であり、当然その「審判」は法的な強制力を持つが、では、どの点が一般の裁判と異なるのか。
 労働審判においては、紛争の一方の当事者が地方裁判所に「申し立て」を行った場合、地方裁判所は裁判官(労働審判官)1人と、労働関係の専門的な知識経験を持つ人(労働審判員)を2人選んで、「労働審判委員会」を組織する。この委員会が原則として3回以内の――つまり多くても3回まで――「審理」を行い、「審判」を下すのである。
 
 亀井志乃はこの制度による解決を図り、弁護士と相談をし、弁護士を通して、札幌地方裁判所に「労働審判手続申立書」を提出した。
 第1回の審理は7月6日を予定していた。

○韓国にて
 亀井志乃の「申立書」が、札幌地方裁判所から財団法人北海道文学館(代表者 神谷忠孝理事長)に届くころ、私は韓国へ向った。高麗大学校の大学院で集中講義をするためである。テーマは「日本の近代詩――初発期における詩形式と詩的表現の諸相―」。
 
 高麗大学校は、森林と呼んでもいいような広大な林の中に、いずれも明るい灰色の石を組んだ、ヨーロッパ中世の城郭を思わせる建物が点在している。景観が美しく、学生の質も高く、韓国では現在、最も人気の高い私立大学だという。
 2週続きの集中講義は、現在の私にとって肉体的には厳しかったが、担当の先生がうまく時間を配分し、生活の面でもきめ細かく配慮して下さった。おかげで、それほど疲れなかった。
 それだけでなく、久しぶりに単行本一冊に相当する、まとまった講義をすることができ、学生さんは熱心に耳を傾け、先生方も聞いてくれたおかげで、私は乗りにのっていた。精神的には、かえってパワーを喚起され、疲れも吹っ飛ぶほどだった。
 この講義をテープから起こし、韓国語に翻訳して出版したい、と言ってもらえた。

 高麗大学校は昨年、私の『明治文学史』(岩波書店、2000年)の翻訳を出してくれた。その前から、何人かのスタッフが私のホームページを読んでくれていたらしい。昨年、翻訳の出版記念会に招かれた時も、その話しが出た。当然のことながら、今回も、このブログが話題に上がった。昨年の出版記念の講演原稿も私のホームページに載せてある。そのホームページからこのブログにアクセスできるからである。
 集中講義が終った翌日の土曜日、金春美先生が、金孝順さんご夫妻や水野達郎先生と一緒に、茶山丁若庸の記念館を案内し、近くの料亭で鰻の蒲焼をメイン・デッシュとする、豊饒な韓国料理をご馳走して下さった。別れ際に、「お嬢さんの裁判がうまく行きますように祈っています」と励まして下さった。

 北大に留学したことのある人も何人か訪ねてくれた。
 建国大学校の申寅燮さんが、私が着いた翌日、夕食に誘ってくれた。談たまたま私のブログに及び、「私が北海道文学館の問題を取り上げて、毛利正彦や神谷忠孝の娘に対する対応を批判していることについて、〈あれは亀井が神谷忠孝に嫉妬しているからだ〉なんて、一見わけ知り顔の、穿った意見を、北海道新聞の記者に吹き込んだりしている人間がいるらしいよ」。
 私がそう言うと、温厚な申さんがいきなり、ワッハハ、ハッと、弾けるような大声で笑い出した。「だって、そりゃ先生、むちゃくちゃですよ。……先生が小樽文学館に腰を据えて市民の文学的関心と真直ぐに向き合い、積極的に語りかけてきたことや、ここ韓国だけでなく、アメリカでも講義を引き受けたり、講演をなさったりしている。どこで、どんな人たちに話す時でも、決して手を抜いたり、レベルを落とすようなことはしていない。私たちは発言の内容からだけでなく、そういう活動からも強いメッセージ性を受け取ってきました。大学を辞めた後の生き方として、新しい方向を開いて見せていらっしゃる。……それなのに、そういう面を全く無視して、あの神谷さんに対する嫉妬だなんて、そりゃ笑っちゃいますよ」。
 「そう言ってもらえると嬉しいけれど、……それはそれとして、一つ見方を変えるとネ、ああいう卑俗な動機論で私の発言の全体を矮小化してみせる俗論は、意外と俗耳に受けやすい。本人もそれが得意だったりして。……それに、ああいう俗論は、北大の国語国文の人間関係や、私と神谷の関係を知らない人間じゃないと、なかなか思いつかない。そう考えてみるとネ、あんな俗論をでっち上げた人間は、どんな奴だったか、かなり具体的に絞られてくる。顔まで見えてくる感じで、そこが何とも可笑しい」。

○北海道文学館の遅延工作?
 6月24日、私は北海道に帰って、澤田誠一さんが亡くなったことを知った。ミートホープ事件も知った。
 そして財団法人北海道文学館の弁護士からの要請で、第1回の「審理」が7月24日に延びたことを聞いた。

 澤田誠一さんの文学については別な感想もあるが、彼が関係した『北海道文学全集』(立風書房)はミートホープみたいなところがあったな。そんな感想が浮かんできた。(HP掲載『文学館の見え方』の「再掲載のための序文」や「文学館の見え方(その6)」を参照)。

 財団法人北海道文学館の弁護士がどんな人なのか、私は名前も知らない。
 ただ一つ、かなり確実に推測できることは、神谷忠孝理事長と清原登志夫新文学館長が札幌地方裁判所から届いた亀井志乃の「申立書」を見て、平原一良副館長と川崎信雄業務課長を呼び、前館長の毛利正彦にも来てもらって、よりより鳩首凝議。しかしどのように対応してよいか分らず、北海道教育委員会の智慧を借りることにして、併せて弁護士も紹介してもらった。そう考えても大過はないだろう。
 
 先ほども言ったように、労働審判の制度は昨年の4月に発足したばかりの、まだ若い制度であるが、弁護士である以上
「迅速、適正かつ実効的な解決を図る」という趣旨は充分に弁えているであろう。
 念のために、亀井志乃の「申立書」が財団法人北海道文学館(相手側)に届いた時点からの流れを、『労働審判制度 基本趣旨と法令解釈』(菅野和夫・山川隆一・齊藤友嘉・定塚誠・男澤聡子の共著。弘文社、平成17年10月)によって説明してみよう。
《引用》
 
相手方(財団法人北海道文学館)は、労働審判官が定めた提出期限までに答弁書を作成して提出する必要がある(規則16条)。申立てから40日以内の日に第1回期日が指定され(規則13条)、その1週間ないし10日程度前に答弁書の提出期限が設定されると考えられるから(規則14条2項参照)、申立書受理から期日指定までの期間や呼出状が送付されるまでの期日を考えると1ヶ月を切る期間しか残されていないであろう。そして、答弁書は、原則として相手側(財団法人北海道文学館)にとって提出が予定されている最初で最後の書面である(規則17条1項)から、そこには充実した記載がなされている必要がある太字は亀井)

 このようなテンポで進行するはずなのだが、財団法人北海道文学館は第1回の「審理」を20日近くも遅らせた。故意に引き延ばしを図ったと言われても仕方あるまい。もしそうでないならば、神谷忠孝や清原登志夫は労働審判という制度の理解に手間取り、自分たちに何の用意もないことに気がついて、パニックに陥ってしまったのである。

○労働審判の選択
 亀井志乃は労働審判という制度ができたことを、労働局で知った。
 ただし、北海道労働局で亀井志乃に応対してくれた職員が労働審判を薦めたわけではない。それは担当職員の権限を越えている。
 
 亀井志乃に応対した職員は親身に亀井志乃の言い分に耳を傾けてくれたが、その人の権限内で出来ることは、財団法人北海道文学館に対して口頭助言を行うことだった。
 「口頭助言」とは、労働局の職員がトラブルの一方の当事者である財団法人北海道文学館に対して、亀井志乃と話し合うことを勧めることであり、〈もし当事者だけの話し合いで結論を出すのが難しいのであれば、「あっせん」という場を設けることができる。その場で双方の意見を出し合い、合意点を見出す努力をしたらどうか〉と勧めることである。
 
 亀井志乃は3月15日、労働局に赴き、労働局から財団法人北海道文学館に「口頭助言」をしてもらいたい、と依頼した。労働局の職員は早速、毛利正彦館長に電話で「口頭助言」をしてくれたが、毛利正彦はニベもない態度で話し合いや「あっせん」の助言を断ってしまった。(「北海道文学館のたくらみ(12)」参照)
 そうである以上、亀井志乃としては諦めて泣き寝入りをするか、裁判に訴えるか、労働審判の制度を活用するか、いずれかを選ぶしかない。そこで、亀井志乃は労働審判という土俵で争うことを選んだのである。

○毛利正彦の不勉強と傲慢
 どうやら毛利正彦は「口頭助言」の制度も知らず、それを断ることがどんな事態につながるか、全く認識がなかったらしい。
 
 彼は「口頭助言」があった翌日の3月16日、亀井志乃を館長室に呼び、口頭で「今年の3月31日をもって雇用が切れる」ことを通知し、それを職員の前で発表すると言った。
 毛利正彦としては、亀井志乃が公的な機関を通して話し合いを求めたことに腹を立て、〈ここでは、そんな手口は通用しない。あんたが残る可能性はもうないんだ〉と引導を渡し、権威を見せつけるつもりだったのかもしれない。
 その際、労働局の口頭助言が話題になったが、それについて彼は、「労働局だかの相談コーナーというところから電話があった」、「何とか助言とか言っていたが、よく聞き取れなかった」と、労働局の助言など問題じゃないと言わんばかりに軽んじて見せ、全く意に介さない態度だった、という。
 それだけでなく、亀井志乃が「解雇の理由についての証明書があるのか」と質問したところ、毛利正彦は「口頭で伝えればいいことだ」と言い、「解雇の理由についての証明書」を出す意志がないことを表明した。
 
 また亀井志乃が、「年度初めに雇用が切れることをあらかじめ伝えておらず、理事会でも現職員は原則として4年間は働いてもらうつもりだと館長自身が言った以上、こちらには継続を期待する〈期待権〉というものがある。そのことは、口頭助言でも伝えられていたはずだが」と確認を求めたところ、「あの時は、理事からの質問そのものが、正職員についてはどうかというものだったのだ」と、事実に反するばかりでなく、これまで一度も言ったことがない新たな主張を持ち出してきた。亀井志乃が、「では、そのことは議事録に記載されているのか」と訊くと、「そんな議事録はない」と答えた。自分が資料的に裏づけのないことを言っている事実には、全く気がつかない様子だった。
 その上「期待権」に関しては、「期待するのはあなたの自由だが、それは、この場合、正当な権利ではない」と言い放った。亀井志乃が驚いて「権利は正当でしょう」と聞き返すと、「ああ、そうか。権利は正当ですよね」と言い直したが、自分の認識の過誤の重大さには思い至らないらしく、にやにやとしていたという。
 
 「解雇の理由についての説明書(雇用を更新しない理由の明示)」や「期待権」という言葉は、「労働基準法」第14条に関する厚生労働大臣の告示、「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」(平成15年10月22日、基発1022001号)の運用に伴って生れた用語であるが、毛利正彦は労働審判制度だけでなく、大臣告示に関しても全く不勉強だったのであろう。
 
 亀井志乃は毛利正彦の解雇通告には納得できないことを伝えて退室した。しかしその数分後、毛利正彦はそうした亀井志乃の意思表明を全く無視して、職員の前で、亀井志乃(と、もう一人の定年退職者)は3月31日をもって勤めを終えると発表し、亀井志乃の〈退職〉を既成事実化してしまった。

○毛利正彦の無駄な悪あがき
 ところが毛利正彦は、3月23日の理事会・評議員会の席上で、私から、北海道労働局の口頭助言に対する対応の件で釘を差された。そのことについて、彼は、ことの重大さを誰かから指摘され、あるいは3月26日の私のブログを読んで、自分が拙いことをやってしまったらしいことに気がつき、不安に駆られたのであろう。川崎信雄を伴って労働局へ出かけ、そして3月30日、亀井志乃を呼んで、〈自分たちの立場と考え方を労働局で説明し、理解してもらった〉という意味のことを言った。
 続けて毛利正彦は、〈要するに亀井さんが納得してくれれば、それですべて解決する〉と、例によって自分たちだけに都合のいい要求を押しつけようとした。もちろん亀井志乃は「納得するつもりはない」と断ったが、一体この人の頭の中はどうなっているんだろう。そういう疑問を禁じえなかったという。
 
 おそらく労働局の職員は、丁重に毛利や川崎に応対したと思う。だが、仮に毛利や川崎の〈言い分〉に3分の理を認めたとしても、〈分りました。あなたたちのやったことは合法的です〉などと、肯定的な返事をするはずがない。是非を判断し、それを口にする立場にはないからである。もちろん〈分りました。私から亀井志乃さんに、諦めて泣き寝入りするよう口頭助言してみましょう〉なんて言うはずもない。
 
 毛利が口頭助言を拒絶した時点で、すでに問題は労働局の手を離れてしまっている。亀井志乃が裁判を選ぶか、労働審判を選ぶか、それとも泣き寝入りするかについて、労働局の職員が助言するはずがなく、助言できるはずもないからである。
 当然のことながら、労働局の職員は亀井志乃に対して、毛利や川崎が押しかけて来た事実さえも伝えてこなかった。
 
 そんなわけで、毛利と川崎の行動は何の意味もない、単なる悪あがきに過ぎなかったことになる。毛利としては、自分は何の努力もしなかったわけではないという言い逃れ、取り繕いのために、アリバイ作りを試みたのであろう。
 
○回避はできない「答弁書」
 先ほども言ったように、労働審判は
「迅速、適正かつ実効的な解決を図る」ことを目的とし、それ故第1回目の「審理」が重要な意味を持ってくる。亀井志乃は自分の主張を述べた「申立書」と、それを裏づける資料を揃えて、札幌地方裁判所に提出した。それが財団法人北海道文学館へ送付されたわけだが、それから40日以内に第1回の「審理」を行うことになっている。
 とういうことはつまり、財団法人北海道文学館は少なくとも第1回の審理の1週間から10日前に、亀井志乃の「申し立て」に対する「答弁書」と、答弁を裏づける資料を亀井志乃に届ける義務を負ったことになる。
 北海道文学館はこれまで亀井志乃の質問や要求をまともに取り合おうとせず、黙殺し、握り潰してきた。だが、今度こそは筋道だった「答弁」を書かなければならないのである。
 その「答弁書」は、最終的には財団法人北海道文学館の弁護士が作文することになるかもしれないが、その土台となる文章は神谷忠孝なり平原一良なりが用意しなければならないだろう。
 
 彼らが第1回の審理の日程を20日も遅らせたのは、その辺に原因があったのかもしれないが、ともあれ北海道文学館はまずこの点について、それが故意の遅延行為でなかった理由を、十分に筋の通った形で説明しなければならない。

○毛利正彦の辞職は無意味
 亀井志乃と彼女の弁護士は、これまでの経緯から見て、毛利正彦が財団法人北海道文学館の代表として出てくるだろうと予測していた。ところが毛利正彦は5月末日をもって辞めてしまった。つまり北海道文学館は毛利に逃げられてしまったわけだが、とするならば、神谷忠孝が代表となる他はないだろう。

 毛利正彦自身、自分の辞職をどう意味づけているか、それは分らない。また、財団法人北海道文学館と北海道教育委員会がどう意味づけているか、それも分らない。
 ただ一つ明らかなのは、どんな意味づけも所詮は彼らだけの仲間内的な意味づけにすぎず、傍から見れば単なる毛利正彦の責任回避でしかないことである。
 何故ならば、毛利正彦の辞職は財団法人北海道文学館の亀井志乃に対する無責任な対応の問題を何一つ解決しないし、いささかも軽減しないからである。彼が辞職してしまった事実が、労働審判の場で、北海道文学館のために有利な主張材料となるとは考えられない。その意味で彼の辞職は無意味だったことになる。

○神谷忠孝の正念場
 そんなわけで神谷忠孝は、毛利正彦から全責任を丸投げされた形で、労働審判に臨むことになった。彼は財団の理事長であり、かつて亀井志乃に次のような返事を書き、毛利正彦の発言については、神谷自身が責任を負うことを明言していたからである。(「北海道文学館のたくらみ(8)」参照)
《引用》
 
前略 平成十九年一月二十二日消印の理事長宛文書を受け取りました。二月六日までに回答書を直接渡してくださいとの要望ですが、本務校の入試業務に専心しているため手紙で回答します。
 この件については、一月十七日に毛利正彦館長から回答させた通りです。
  平成十九年二月四日
   財団法人北海道文学館理事長
        神谷忠孝 印
 亀井志乃殿

 「毛利正彦館長に回答させた」とは、まるで毛利正彦をパシリに使ってきたみたいに聞える言い方だが、ここまで言い切った以上、神谷忠孝が労働審判の場で、〈それは毛利正彦前館長の独断だった〉とか、〈自分は聞いていなかった〉とか、その種の言い逃れをすることは許されない。彼は全てが自分の責任の範囲内で、自分の指示または承認の下に行われたこととして、説明責任を果さなければならない。もちろん審判の結果や、それに伴う責任も引き受けなければならない。
 当然のことながら、この責任を清原登志夫新館長や平原一良副館長に肩代わりさせることはできない。もしそんなことをやったら、神谷忠孝は最低の無責任男に転落することになる。

 亀井志乃は、客観的な判断力を持つ第三者の立ち合いの下で、毛利正彦と決着をつけるために、労働審判という方法を選んだ。その毛利正彦が辞職したことを知り、肩透かしをくった感じで、ちょっとガッカリしたらしいが、直ぐに気持ちを切り替え、神谷忠孝を相手に論じ合うのも悪くないと、この事態を「前向き」に捉えている。

○最近の北海道文学館について
 ところで、道立文学館の企画展「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿画」の図録はどうなったのであろう。「北海道文学館のたくらみ(15)」で書いたように、5月25日(金)の時点ではまだ出ていなかった。この企画展は6月17日(日)に終ったはずだが、未だに図録が届かない。
 念のために道立文学館のホームページを調べてみたが、この展示の図録については何の記事もなかった。

 この企画展が終了してほぼ2週間が経ち、6月30日(土)、特別企画展「太宰治の青春 津島修治であったころ」が始まった。私が韓国にいる間に、そのチラシが届いていた。
 詰襟の学生服を着た津島修治が、籐椅子に腰掛け、右手の親指と人差し指で下あごを支え、頭髪を前に垂らして、三白眼でカメラを睨んでいる。芥川龍之介の写真のポーズを真似たのだろうが、まさか「天才文学者 芥川龍之介」のカリカチュアを演じたわけでもあるまい。もしそうならば、どこかにいたずらっぽさが出ているはずだが、ヤンキーも引くほどマジに陰険な顔つき。「うえ~ッ! 趣味が悪いな」。
 そう感じたのは私一人だけではなかったらしい。6月30日、小樽からの帰り、用事があって札幌に寄ったのだが、地下鉄駅の構内、いつもは道立文学館のポスターが貼られているコーナーに、太宰展のポスターが見えない。おかしいな……、たしか今日は太宰展のオープニングの日で、もうとっくにポスターが出来ていなければならないのだが……。ひょっとしたら、どこからか〈印象が悪い〉とクレームがついて、ポスターを作り直しているのかもしれない。
 もしそうなら、すごい失態だな。
 
 平成18年度の決算については、これも「北海道文学館のたくらみ(15)」で書いたように、業務課が作った決算と、亀井志乃の手持ちの記録とが食い違っていた。亀井志乃が納得できるように、直接本人に説明してくれ、と要望しておいたのだが、未だに何の説明もない。
 ただ、このブログに「北海道文学館のたくらみ(15)」が載った直後、業務課から亀井志乃宛にファックスが届き、「亀井志乃の手持ちの記録を見せて欲しい」という意味の要求が書いてあった。しかし、これまで北海道文学館がやってきた誤魔化し、粉飾の手口から見て、亀井志乃の記録を見た上で辻褄合せの説明を捏造する公算が極めて大きい。亀井志乃はそう考えて、要求に応えなかった。
 そもそもこの問題は、まず北海道文学館のほうが、亀井志乃に対して、自分の記録に基づいた説明をして、亀井志乃の理解を求め、あるいは反論を待つべき事柄であろう。

Ojizo1_5

EMIKO・画

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コメント

亀井先生、
ご無沙汰しておりました。志乃さんはついに裁判をされることになったのですね。24日ですね。心より応援いたします。

投稿: デイ典子 | 2007年7月15日 (日) 14時54分

労働審判が下された場合、当事者は2週間以内に異議を申立てることができ、適法な異議の申立てがあったときには審判は効力を失い(21条1項、3項)、事件は自動的に通常訴訟に移行します。しかし、このブログを読む限り、北海道文学館が”適法な異議の申し立て”を行なうことは殆ど不可能と考えます。

投稿: 直感子 | 2007年7月20日 (金) 21時53分

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