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北海道文学館のたくらみ(15)

館長の交替と粉飾決算

○毛利正彦館長の辞職
 5月21日、北海道文学館から、5月25日(金)に開催する理事会・評議会の会議資料が送られてきた。
 議題の一つは「理事、監事、評議員の補欠選任について」となっており、その資料によれば、毛利正彦副理事長兼道立文学館長から、5月31日をもって「辞任」したい旨の申し出があった。理由は「一身上の都合」ということなので、それ以上の推測は慎みたいと思う。
 
 後任の候補者には、北海道立図書館長の清原登志夫氏の名が挙がっていた。指定管理者制度になったとはいえ、依然として副理事長兼文学館長の人事は、北海道教育委員会の支配下にあるのだろう。
 
○粉飾決算
 もう一つの議題は、「平成18年度事業報告・収支決算報告」であり、その資料として、「平成18年度 収支計算書(案)」が同封してあった。
 今回は主にこれを取り上げたいと思うが、これは「平成18年度 収支計算書(案)」であり、当然のことながら、平成18年の「予算額」と、同年の「決算額」とが併記してある。
 一例として、石川啄木をテーマとした「特別企画展①」を挙げてみよう。この「収支決算書(案)」だけを見るかぎり、「予算額」は5,490,000円で、「決算額」は5,399,027円となっており、9万円ほど節約できたことになっている。
 
 常識的に考えれば、この「平成18年度 収支計算書(案)」に記載された平成18年度の「予算額」は、平成18年2月21日に理事会と評議員会で承認された「平成18年度 収支予算書」の「予算額」と同じでなければならない。今回届いた「平成18年度 収支計算書(案)」は、昨年2月に承認された「平成18年度 収支予算書」に基づいて事業を進めてきた、その結果を数字で報告したものだからである。
 
 ただ、この二つの文書はタイトルが似ていて、読む人の混乱を招きかねない。それを避けるため、今ここでは、平成18年2月の理事会と評議員会で承認された「平成18年度 収支予算書」のほうを、文書Aと呼び、今回届いた「平成18年度 収支計算書(案)」を文書Bと呼びたいと思う。
 
 その上で両者を照合してみると、文書Aにおける、石川啄木テーマの「特別企画展①」の「予算額」は、実は3,712,000円だった。この数字が、文書Bの「予算額」の欄に入っているはずなのだが、その欄には何と! 5,490,000円という数字が入っていたのである。その間には、177万8千円ほどの開きがある。換言すれば、文書Bの「予算額」は、文書Aの「予算額」に177万8千円を上乗せした数字が記載されているのである。
 
 これは「特別企画展①」の担当者が、文書Aの予算額から177万8千円も足を出してしまったことを意味する。これは責任を問われても仕方がないほど大きな失態と言うべきだろう。
 多分それを糊塗し、誤魔化すために、文学館の業務課は、年度当初から5,490,000円の予算が組んであったかのように、文書Bを作ったのである。
 私の認識では、こういうやり方を粉飾決算と言う。

○粉飾の具体例
 くどいようだが、「特別企画展①」の項目別に、文書Aの予算額文書Bで粉飾された予算額、それに対応する文書Bの決算額を対照させてみよう。
            
                  文書A  文書Bの予算額   文書Bの決算額
賃金              112,000        
   0           0
旅費              200,000      
530,000       529,380
需用費            800,000      
550,000       507,937
役務費           1,600,000     
1,250,000      1,210,360
使用料及び賃借料  1,000,000      3,160,000      3,151,350
合      計       3,712,000     
5,490,000      5,399,027
 
 一見して分るように、
文書Bの予算額と、文書Bの決算額とはそれなりに整合しており、この文書Bだけを見る限り、誰もが健全な予算執行だと思うだろう。しかし文書Aと 文書Bの決算額とではまるで辻褄が合わない。
 
 文書Aの「賃金」は、「展示室監視員」に支払う予定の金額で、これが0で済んだことは、まことに結構なことだと言えるかもしれない。(但し、「使用料及び賃借料」を300万円以上も支払う展示品を借りながら、その展示室に監視員を配置しなかったとすれば、これはまたそれ自体が問題となるだろう。)
 しかし、仮にそのおかげで11万2千円が浮いたとしても、「旅費」や「使用料及び賃借料」は、到底そんなことでは穴が埋まらないほどの支出オーバーだった。
 特にひどいのは、「使用料及び賃借料」であって、年度当初は100万円を組んで置いたのだが、実際にはその3倍以上を使っているのである。

○粉飾の理由(その1)
 ちなみに、平成18年度の初め、職員の間で合意された職務分担表において、この「特別企画展①」の主担当は駐在道職員の鈴木主事だった。ところが、寺嶋弘道主幹がこの仕事に割り込んできて、むしろ鈴木主事を指揮下に置く形で、この仕事を仕切ってきたのである。
 道直轄組織の学芸課職員である、この二人が大ポカをやったわけだが、その原因が馬鹿げている。315万という「使用料及び賃借料」のほとんどが、日本近代文学館に払われているのである。
 
 一般に文学館が所蔵する資料を、お互いに貸し借りをする場合は、よほど特別な事情の資料でないかぎり、借用料を払ったり、賃貸料を貰ったりはしない。そういうルールが慣例的に出来上がっているのであるが、日本近代文学館は使用料を取っている。道立文学館の場合、北海道が年に1億4千万円以上ものお金を出して、財団法人北海道文学館に管理と運営を任せているわけだが、日本近代文学館はそういう財政上のバックアップを持たず、純粋に民間の財団法人としてやっている。使用料を貰わなければ運営が成り立たない。
 そういう事情があるためだが、それにしても315万は高い。なぜそんなことになったのか。
 
 実は北海道文学館には、啄木関係の資料らしい資料は一つもない。僅かに一つ、啄木の「手紙」があるのだが、手紙そのものはなく、封筒だけなのである。ただ、もし学芸員に独自の構想力があり、小まめに文学館や個人と交渉を重ねて資料を整える意欲があるならば、たとえ当初予算(文書A)の100万円だけだったとしても、十分に見応えのある展示が可能だっただろう。
 ところが北海道文学館の学芸員は、日本近代文学館が啄木展用にセット化しておいた資料を、そのまま一括して借り出し、展示構想のアイデア料込みという妙な名目をつけて、300万円も払うことにした。つまり、展示品の9割以上が日本近代文学館からの借り物であり、しかも実際は「複製」品が何点も混じっていたわけだが、道直轄組織の学芸課の二人の職員は、学芸員としての誇りも主体性もどこへやら、アイデアまでも借用に及んだのである。
 
 要するにこの啄木展は、金さえあれば素人でも出来るイージーな展示だった。「使用料及び賃借料」315万という金額の3分の2は、学芸員が不見識で怠け者だった結果に他ならない。

○粉飾の理由(その2)
 資料の借り出しの経費は、それだけではなかった。借り出す資料の一つひとつに保険をかけ、美術品を運搬する特別仕立ての車をチャーターして運んでくる。
 このことについて、平原は当初、寺嶋と鈴木がジェラルミンケースに入れて運んでくるから、輸送費を節約できると言っていた。しかし実際には予想よりも分量が多く、確かに二人が運んできたものもあったが、全部は持ちきれなかった。ばかりでなく、空港から文学館の間の輸送の問題もある。結果的には美専車に頼ることになったはずである。

 「役務費」というのは、以上のような経費や広告代を見込んだ項目であるが、実際に支出した121万円のうち、――私の推定では――約半分の60万円が、この運搬費にかかっている。残り半分が北海道新聞などに払った広告代である。
 
 また、先ほどのような事情もあって、寺嶋と鈴木の出張旅費も当初予算(文書A)を35万円もオーバーすることになり、その結果、
文書Bの予算額のような粉飾をする羽目になったのだろう。

○もう一つの具体例
 平成18年度の特別企画展は「池澤夏樹のトポス」だったが、これは寺嶋弘道が主担当だった。ついでに、その「収支計算書」も見ておきたい。
            
                    文書A  
文書Bの予算額   文書Bの決算額
賃金                 112,000          
0               0
旅費                 150,000      
260,000          253,560
需用費               750,000    
1,600,000        1,573,520
役務費             1,600,000       
650,000          638,452
使用料及び賃借料   1,000,000       1,120,000         1,108,480
合             計      3,612,000    
3,630,000         3,574,012
 
 やはり
文書Bの予算額と 文書Bの決算額とを較べた限りで言えば、それなりに辻褄は合わせてある。当初予算(文書A)の総額と、文書Bの決算額の間にも、それほど大きな違いはなく、内容的に言えば、役務費で浮いた96万円のうち、82万円ほどを需用費に廻したことになる。
 
 その意味では、わざわざ
文書Bの予算額のような数字合わせをやる必要はなかったわけだが、需用費(ポスター・チケット・チラシ印刷、パネル、プレート、看板、展示室内造作)が153万円以上に跳ね上がっている。これはチラシを10万枚も刷るという野放図で、無計算なやり方の結果と見るべきだろう。

○旅費と講演料の問題
 ただ、もともとこの特別展は、福永武彦と池澤夏樹を取り上げる予定だった。ところが、いつの間にか池澤が中心となり、実際に展示を見た人は分ると思うが、池澤の父親の福永武彦に関する展示は、ほんの申し訳の添え物程度でしかなかった。展示の大半は池澤が撮った写真と、彼の著書で占められていた。「使用料及び賃借料」(資料借用料、著作権使用料等)の110万円強は、ほとんど全額、池澤に支払われたと見て差し支えない。(福永関係の展示品は文学館所蔵のもので、使用料等はかかっていなかったはず。)
 
 ただしこの金額は講師謝金や講師の旅費とは別であり、その点を見落としてはならない。「文芸講演会」の報償費(講師謝金)と旅費(講師旅費)についても、上の形で整理してみよう。
            
              文書A  
文書Bの予算額   文書Bの決算額
報償費        400,000        
350,000       350,000
旅費          300,000        
960,000       955,280
需用費          50,000        
30,000         19,232
役務費          10,000        
40,000         30,720
使用料及び賃借料 100,000         60,000         50,000
 合            計   860,000       
1,440,000       1,405,232

 この文芸講演会は、啄木関係では中村稔に講演を依頼した。池澤関係では、池澤夏樹自身が「世界との出会い」という講演をしている。
 講師個人別のデータがないので、ここは推測が入るのだが、講師旅費が当初予算(文書A)の30万円から、
文書Bの決算額95万5千円と、3倍に跳ね上がっている。これは池澤をフランスから呼んだからであろう。
 私の推定では、中村稔の旅費は、宿泊費を含めて、10~15万円程度。それを除いたお金が、池澤夏樹に旅費として渡されたはずである。

 講師謝金については、私の記憶するかぎり、従来は、〈年間14万円を組み、年に2度、特別展に合わせて講師を招き、一人当たり7万円を払う〉という考え方をしていた。しかし平成18年度は一挙に3倍近くにまで引き上げて、それぞれ20万円ずつを予定し、実際は中村に15万円、池澤に20万円と割り振ったのだろう。

 ただし池澤夏樹は上記の講演だけでなく、朗読会もやり、道立近代美術館で講演をやり、帯広では小説家の佐々木譲と公開の対談をやっている。
 また、北海道文学館は池澤と福永に関する連続講座を4回開き、田口耕平と花崎皋平に講師を依頼している。
 ただ、これらは財団法人北海道文学館が行う「財団企画事業」であり、これまで検討してきた「道負担金事業」とは別会計になっている。しかし不思議なことに、「財団企画事業」に関する「収支計算書」はどこにも見えない。そんなわけで、池澤に対する朗読会や講演の謝礼、帯広までの旅費、佐々木譲の旅費や謝礼、田口さんや花崎さんへの講師料については、全く判断の手がかりがなかった。

○「二組のデュオ」展の場合
 亀井志乃が担当した企画展「人生を奏でる二組のデュオ」展は、啄木展や池澤展と同じく「道負担金事業」であり、もちろん「収支計算書」が載っていた。

                  文書A  文書Bの予算額  文書Bの決算額
 賃金               56,000           
0              0
 旅費               70,000     
130,000         123,890
 需用費           340,000     
390,000          386,911
 役務費           750,000     
200,000          177,500
 使用料及び賃借料   300,000     100,000            90,000
  合計            1,516,000    
 820,000          778,301

 つまり、亀井志乃が担当した企画展は、当初予算(文書A)では、1,516,000円が組まれていたのだが、文書Bの予算額では、初めから820、000円しか組んでいなかったことになってしまったのである。
 啄木展や池澤展の担当者が当初予算をはるかに上回る支出をしてしまったのに対して、亀井志乃は外勤や資料借用費などについて意地悪い干渉を受けながら、何とか支出を抑えるように努力して、半分近い金額で済ませることができた。
 しかしそれだからと言って、この企画展の内容が啄木展や池澤展に較べて見劣りしたわけではない。それは実際の展示や、亀井志乃の作成した図録を見ればよく分かるだろう。
 
 ただし、これはあくまでも文書Aと、
文書Bの決算額から導き出した結論であって、亀井志乃は業者の見積りなどもきちんとコピーを取り、自分なりの記録を取っていた。その記録によれば、文書Bの決算額は、亀井志乃が実際に支出したよりも151,441円多い、という。細かく言えば、旅費が3,070円、需用費は105,361円、役務費が43,010円多く記載されている。
 つまり亀井志乃は、実際には、626,860円で、あの企画展を実現したのである。
 
 毛利正彦や平原一良や川崎信雄たちは、亀井志乃がそのように努力して浮かせたお金を、寺嶋や鈴木が仕出かした大ポカの補填に充てたのだろう。
 
○実績評価
 これを別な角度から見れば、啄木をテーマとする「特別企画展①」の当初予算は371万2千円だった。だが寺嶋と鈴木は、講師の旅費や謝金も含めるならば、それより200万円ほど多い、570万円ほど使っている。
 期間は7月22日から8月27日まで。中島公園が最も散策者で賑わい、しかも夏休みの時期を割り当ててもらって、観覧者は2,756人。つまり観覧者1人につき、2,000円強の経費がかかったことになる。
 
 また、池澤夏樹をテーマとする「特別企画展②」の当初予算は361万2千円だった。だが寺嶋弘道は、同じく講師旅費や謝金も含めるならば、それより80万円ほど多い、440万前後のお金を使っている。
 期間は10月14日から11月26日まで。中島公園が紅葉で美しく彩られる季節を割り当ててもらって、観覧者は1,967名。つまり観覧者1人につき、2,200円強の経費がかかったわけである。池澤夏樹自身が聞いたら、これはかなりがっくりと落ち込む数字だろう。
 
 それに対して、有島と木田、里見と中戸川をテーマとする「企画展」の当初予算は151万6千円だった。ところが亀井志乃は、それより89万円近くも少ない、62万円ほどで実現している。
 端的に言えば、啄木展の9分の1、池澤展の7分の1程度の金額で、質量共に遜色ない展示を実現したわけだが、啄木展や池澤展のように北海道新聞に有料広告を出して、大々的に宣伝してもらったわけではない。NHKのテレビで取り上げてもらえるように、館が取り計らってくれたわけでもない。
 「有名な」講師を招く講演会を開かせてもらったわけでもなく、無償の講演を自分で行った。しかも割り当てられた期間は2月17日から3月18日まで。厳寒の季節、地下鉄の駅から文学館までの路は、途中からは除雪されておらず、寒風に晒されながら300メートルも歩いて行かねばならない。そういう最悪な条件の季節に実施して、観覧者は609名。観覧者1人につき1,000円強の経費しか掛からなかった。
 
 北海道文学館の職員は一体どこを見て、それぞれの実績を評価しているのだろうか。
 
○根拠のない会議資料
 おまけにもう一つ奇怪なことがある。今年の2月23日、理事会・評議員会が開かれ、議題は「平成19年度事業計画(案)」と「平成19年度収支予算(案)」だった。それを文書Cと呼ぶことにしよう。
 私は文書Cを検討する席上、〈仮に暫定的であっても、平成18年度の事業結果を教えてもらいたい。それがなければ、この「案」の是非を判断することができない〉。そういう意味のことを発言しようとしたところ、総会屋みたいな凸凹コンビが私の発言を封じようとした。このことについては、「北海道文学館のたくらみ(12)――北海道文学館と情報公開―」で報告しておいたから、ここでは繰り返さない。
 
 それでは、そのとき議題になった「平成19年度収支予算(案)」の「平成19年度 収支予算書(案)」に記載された「前年度予算額」は、つまり平成18年度の予算額は、いったい文書Aのそれだったのか、それとも
文書Bの予算額だったのか。言うまでもなくそれは、平成18年2月21日の理事会と評議員会で承認された文書Aの予算額だった。
 とすると、ますます訳が分らなくなってしまった。
文書Bの予算額文書Aにも裏づけを持たず、文書Cにも裏づけを持たない。つまり一度も理事会・評議員会でオーソライズされたことがない「予算額」なのである。
 それならば、
文書Bの予算額は何を根拠とした数字であり、どんな理由で挙げられた数字なのだろうか。

○誤魔化し決算の常習化
 さて5月25日、私は以上のような疑問をもって理事会・評議員会に出席した。
 出席したのは理事が13名で、評議員が9名。それに対して、書面で意志を表明してきた理事が7名、評議員は42名。要するに欠席者の「意志」によって、既に議案は可決されてしまっているわけだが、とにかく私は、以上の疑問のポイントを挙げて、
文書Bの予算額は一体何に裏づけを持つ数字なのか、と聞いてみた。業務課長の返事によれば、〈予算の執行途中で変更を行った、その変更後の予算額〉なのだそうである。

 しかしその変更額は、きちんとした会議の場に諮られ、オーソライズされたものでない。本来ならば、オーソライズされた「予算額」を書き、それに対する「支出額」を書くべきなのだが、その「予算額」を、オーソライズされていない「変更額」と勝手に差し替えてしまった。これは粉飾決算と言われても仕方がないのではないか。私はそういう意味の指摘をしたのだが、何の返事もなかった。
 それだけでなく、この「変更後の予算額」は、恐らく実際は「予算の執行途中で行った変更」の金額ではない。本当のところは、全ての結果が出てから、その結果を誤魔化すために、逆算してひねり出した数字なのではないか。そういう意味の私の質問に対しても、何の返事もなかった。

 ただ、業務課長によれば、「このような収支計算書の作り方は指定管理者制度になってからではなく、それ以前からもやっていた」という。ついうっかり、ぽろっとホンネを吐いてしまったのだろう。ということはつまり、これが粉飾決算であり、数字の上の辻褄合わせだったことを間接的に認めたことになる。間接的にその事実を認めた上で、しかし自分が始めたことではないと、苦しい言い訳に及んだのである。

○「死に体」の文学館
 私はだんだん薄気味悪くなってきた。
 私は5月の初め、この会議の案内をもらい、改めて平原一良と川崎業務課長に、「どうやら平成18年度の事業の整理と収支決算がついたようだから、かねて希望していたデータを見せてほしい」という意味の葉書を出した。
 それに対して5月12日、二人の連名による、次のような文面の葉書が届いた
「平成十八年度の会計及び事業結果につきましては、近々監査委員の監査を受けた上で、議案資料として各理事のお手許にお送りすることになっておりますので、その資料をご覧の上、当日、ご質疑等をいただければと存じます。」
 どうやら私に対しては徹底的に情報開示を拒否するつもりだな。私はそう受け取った。そうである以上、彼らは十分にスキのない会議資料を作り、質問に対しては練り上げた返答をするにちがいない。そう考えたのだが、私の買いかぶりだったらしい。届いた資料には粉飾バレバレの数字が並び、私の質問に対してはまともな返答一つ出来ない。平原一良は不幸があったため会議には姿を見せなかったが、毛利正彦も神谷忠孝も知らぬ顔の半兵衛を決めこみ、理事も評議員もケソッとした顔で聞いている。
 この人たち、ウソをつくことに何のためらいもなく、現実に目の前で自分たちに対するウソがあばかれても、何の感情的なリアクションも起こらない。この倫理的不感症は、本当に薄気味悪い。

 「刊行物編集・刊行事業費」に関する川崎業務課長の説明によれば、啄木展の図録は500部、池澤展の図録も500部、「二組のデュオ」展の図録は400部作ったという。
 池澤展の図録? 池澤展の図録が出たとは聞いたことがない。ただ、池澤展が始まるころ、『コヨーテ』という雑誌が池澤特集をやり、それが刊行物紹介の棚に置いてあった。そのことは承知している。図録の刊行とはそのことを指すのか。そう訊いてみたところ、「そうだ」という返事だった。
 「じゃあ、北海道文学館があの特集号の編集をやり、出版費を持ったんですか?」、「いえ、買い取りです」。「何部買い取ったのですか?」、「500部です」。
 そういうのを図録刊行とは言わないのじゃないか。私はそう思うのだが、業務課長にはウソをついた意識はないらしく、理事や評議員はやはりケソッとした顔で聞いている。3月の会議のとき、私の発言を封じようとした凸凹コンビも出ていたが、何も言わない。
 
 これはもう職員だけじゃない、理事・評議員を含めて、文学館全体がもはや「死に体」だな。

○ここにも北海道教育委員会の影
 もう一つダメ押しをしておくならば、川崎業務課長の説明によると、「二組のデュオ」展の図録は400部ということだったが、実際は啄木展の図録と同じく500部だった。なぜこんなことにまでウソをつくのだろう。
 一つ言えるのは、今や文学館をあげて亀井志乃の実績をことごとに無視するか、矮小化してしまう作戦に出ていることであり、二つに言えることは、平成18年度に業務課に入った川崎課長と、もう1人の職員も、実は北海道教育委員会のOB職員、OG職員だということである。OG職員のほうは毛利正彦と同じ職場にいたこともあるらしい。

 「二組のデュオ」展の図録に要した経費は438,900円だった。
 啄木展の図録は85万円近くかかり、池澤特集の『コヨーテ』と一緒に、刊行物販売コーナーに見本が置いてある。まだ売れ残っているのだろう。
 「二組のデュオ」展の図録の見本は置いていない。売り切れてしまったからである。

○まだまだ頑張る寺嶋さん
 ちなみに、道立文学館では現在、寺嶋弘道が担当する企画展「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿絵」(4月28日~6月17日)をやっているが、5月25日の会議に出かけた折、図録を求めておこうと、受付で注文したところ、「申し訳ありません。もう出来てるはずなんですが、まだ届いておりません」。
 開催期間をすでに3分の2を過ぎてしまったのに、まだ図録が出来ていないとは……。寺嶋弘道さん、相変わらず頑張って粉飾決算のタネを蒔いているようですね。

 船山滋生の彫刻は、彫刻と言うより、「モダン・アートしている細工物」という感じだった。

○要求二つ
 私は財団法人北海道文学館の理事だが、徹底的に第一次資料の開示を拒んでいる平原や川崎に対する強制力を持っているわけではない。
 このブログを読んで下さっている直感子さんが、前回の「道フラクション」について
、「裏金問題で道民の信頼を損ねた道警は、本件の捜査に早急に着手してほしい。また裏金問題で積極的取材活動を行なった道新の徹底的取材を希望します。」というコメントを寄せてくれた。
 まことにその通り、我が意を得たことを言ってもらえた。そう思って、大変に嬉しかったが、以前私のところへ取材にきた道新の記者は、かなり文学館側の「言い分」をマに受けている感じだった。道新の学芸部とは、昔から相性がよくない。そんなわけで、私は道新には期待はせず、ブログというメディアの可能性に賭けて、1人で戦い続けてきたわけが、確かに個人の力には限界がある。今回のような経理問題に関しては、公権力を持つ調査機関が関心を持ってくれることを期待するほかはないのではないか。ライブドア問題や夕張状態を思い浮かべながら、私はそう考えている。

 ただ、僅かに一つだけだが、相手側のオウンゴール(自殺点)とも言うべき発言を引き出すことができた。それは川崎業務課長が、「法人の中には年度途中で補正予算の会議を持ち、収支計算書にそれらの数字も盛り込んだ報告を行っているところがある。そうしたほうがいいと言うのなら、次からはそうしたい」と約束したことである。
 私は是非そうしてくれと要求しておいた。たったその程度のことで、ぬけぬけと粉飾決算をして恥じない体質が変わるとは思えない。だが、少なくとも年に一度は、年度途中で予算執行の状態をチェックする理事会・評議員会が開かれることになる。年度末の結果から逆算して「予算額」をデッチ上げるやり方にも、多少は意識の躊躇いを喚起することができるだろう。
 
 亀井志乃の担当した企画展の決算額が本人の記録と食い違っている点については、「亀井志乃本人に対して、本人が納得できる説明をしてくれ」と要求しておいた。

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北海道文学館のたくらみ(14)

道フラクション

○真っ黒な開示文書
 北海道立文学館の指定管理者に3つの団体が手を上げ、財団法人北海道文学館が選ばれた。このことは既に何回も触れて来た。
 財団法人北海道文学館が提出した「業務計画書」からどんなことが読み取れるか。前回、その一つを紹介しておいた。
 
 財団法人北海道文学館以外の2つの団体、つまりサントリーパブリシティサービス連合体と、NTTグループのテルウェル東日本北海道支社連合体の「業務計画書」が、最近手に入った。道の情報公開条例の手続きに従って、開示してもらったのであるが、開示の仕方が凄い! 「事業計画書」の書式に団体が書き込んだ本文の4分の3近くが、――4分の1ではない!――真っ黒に塗りつぶされているのである。

○黒塗りの具体例
 まず団体名が塗りつぶされている。その理由は、〈指定管理者に選ばれなかった団体については、その名前を明らかにすること自体、団体の社会的信用を損ねる惧れがある〉ということだった。
 確かにその心配がないわけではない。その点は納得できたのだが、そのおかげで、どちらの「業務計画書」がサントリーパブリシティサービス連合体のもので、どちらがNTTグループのテルウェル東日本北海道支社連合体のものか、まるで見当がつかない。取りあえずここでは、一方をAと呼び、他方をBと呼び別けて、話を進めて行こう。

 塗りつぶされたのは、もちろん団体名だけではない。資料編(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「資料10」に挙げた画像で分るように、ABの「業務計画に沿った管理を安定して行う能力について」は、どのような職員の組織を予定しているか、完全に塗りつぶされている。
 
 また、企画展や特別展についても、ABの「施設の特性」の画像で分るように、展示のタイトル・テーマを塗りつぶしてしまった。しかもAの場合、「企画展について(別紙資料1)」とあるのだが、その「別紙資料」は5ページに亘って完全に塗りつぶされているのである。
 
○教育委員会の作戦
 財団法人北海道文学館は「業務計画書」を作成した段階で、既に道直轄組織の学芸課を予定していた。このことは前回、指摘しておいた。
 
 また私は前々回
、「私の記憶によれば、財団北海道文学館が指定管理者の選定に応募して出した4年間の事業計画のうちで、平成19年度の展示事業の目玉は八木義徳であり、もう一つは寒川光太郎の作品など、樺太(サハリン)関連の文学だった」と指摘しておいた。その直後、私は北海道教育庁生涯学習部生涯学習推進局の文化・スポーツ課から財団の「業務計画書」の開示文書を受取ったのだが、それを見て私は、自分の記憶が間違っていないことを確認した。
 なぜ私がその点にこだわったかと言えば、財団が3月23日の理事会のために送ってきた「平成19年度の事業(案)」では、先の予定が完全にキャンセルされていたからである。八木義徳展や樺太(サハリン)関連の企画に代って、平成19年度には、特別企画展「太宰治の青春~津島修治であったころ~」と「目で識る川柳250年」、企画展「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿画」と「遊んで学んだ、あの時代 新発見! 100年前の児童雑誌」と「探求者の魂―山田昭夫の書斎から」が予定されていた。

 もし公共事業を請け負った民間の建設会社が、2年目にいきなり契約時の図面と工事プランを変えてしまったとすれば、これは契約に反する行為であり、当然行政処分を受け、場合によっては刑事事件にまで発展することになるだろう。
 前々回も指摘しておいたように、八木義徳展やサハリン関連の展示は、指定管理者の選定委員会によって
、「北海道にゆかりのふかい文学者や文芸作品を中心とした、時代を超えた多様な視点からの問題提起的で魅力的な文学に関する展示(平成18年度)、北方文学に影響を与えたサハリン関連文学に関する展示(平成19年度)を始めとする指定期間における展示計画などの提案内容が優れており」と評価され、財団法人北海道文学館が選ばれる決め手となる展示計画だった。選定の根幹とも言うべきこの計画を、北海道やサハリンと特に関係が深いわけではない太宰治や川柳の展示に変えてしまう。これは、教育委員会と道民に対する背信行為と言っても過言ではない。
 
 ただ、あまり性急な判断に走らないためにも、出来ればサントリーパブリシティサービス連合体と、NTTグループのテルウェル東日本北海道支社連合体の「業務計画書」を見ておきたい。そう考えて、改めて公文書開示の手続きを取ったのだが、送られてきたのは真っ黒くろ助の黒塗り文書だったのである。
 
 北海道教育委員会が私のブログを気にして、神経を尖らせているらしいことは、人づてに私の耳にも入っている。タテマエ上は公文書開示の請求を断ることはできない。しかし
、「事業計画書は法人として創意工夫した企画提案書であることから、本文、写真、図、表等における法人の内部管理上の情報やこれまでの経験等から得たノウハウを基に作成した情報については、当該記述を開示した場合、当該法人の事業活動、競走上の地位が不当に損なわれると認められるため。」(「北海道情報公開条例第10条第1項第2号」法人等に関する情報に該当)ということを理由にすれば、片っ端から黒塗りしてしまうことができる。多分そういう作戦に出たのであろう。

○教育委員会のおかしな屁理屈
 そしてその際、この公文書開示の担当者が拠り所にしたのは、「北海道情報公開条例第10条第1項第2号」だったわけだが、その条文の正確な表現は次のようであった。
《引用》
 
法人その他の団体(国及び地方公共団体を除く。以下「法人等」という。)に関する情報及び事業を営む個人の当該事業に関する情報であって、開示することにより、当該法人等及び当該事業を営む個人の競争上若しくは事業運営上の地位又は社会的な地位が不当に損なわれると認められるもの

 つまり、この条文に該当する文書(又はその一部)は非開示情報とすることができる。それが第10条の趣旨であるが、先の文章と較べてみれば分るように、「事業計画書は法人として創意工夫した企画提案書であることから、本文、写真、図、表等における法人の内部管理上の情報やこれまでの経験等から得たノウハウを基に作成した情報については」という言い方は、この条例のどこにもない。公文書開示の担当者が、自分(たち)の解釈で敷衍的に付け加えた作文なのである。

 なぜそう判断するのか。公文書開示の担当者は、サントリーとNTTに開示の了解を取り、それと共に〈開示されては困る箇所があるとすれば、それはどの部分か〉を問い合わせたはずである。
 だが、おそらく回答そのままの形で、非開示部分を黒塗りして、私に送付したのではない。もし回答そのままの形だったとすれば、非開示部分に関するサントリーとNTTの考え方の違いを反映して、黒塗りの箇所の不一致や、精粗のばらつきが出たはずだからである。また、非開示とする理由を述べた文言も決して同じではなかったはずである。
 ところが、私が受取った二つの文書は、ほぼ同じ箇所が共通に塗りつぶされている。この開示担当者は、ひょっとしたら、サントリーが「ここは非開示にして下さい」と指定した箇所を塗りつぶす時、NTTの文書についても、それに該当する箇所を塗りつぶすことにした。またその逆に、NTTが指定した箇所はサントリーにも適用して、その結果あの真っ黒くろ助の開示文書になってしまったのかもしれない。そんなことも考えられるのだが、ともあれ、塗りつぶしに関しては、開示担当者がかなり積極的にイニシアティーヴを取ったにちがいなく、それを理由づけるために、先ほど引用したような文言を作文したのである。
 
 多分そのためだろう
「これまでの経験等から得たノウハウを基に作成した情報」などと、妙な言い方をしていた。
 う~ん、「ノウハウを基に作成した情報」ねえ……なんだろう、これ? これが気象情報についてならば、確かにこういう言い方もできる。ただし、もしNHKの職員が出てきて、「これまでの経験等から得たノウハウを基に作成した天気予報でございますところから、非開示とさせていただきます」なんて言ったら、あの半井小絵さん、柳眉を逆立てて憤慨するにちがいない。もちろん私はNHKの受信料の支払いを即座に止めてしまう。
 
 そんなわけで、もしそれを言うなら、
これまでの経験等から得たノウハウを基に作成した企画(または計画)でなくてはなるまい。
 そしてたぶん多くの人が私の意見に賛成してくれると思うが、平成18年度から21年度まで、4年間の企画展や特別展のタイトルやテーマを明らかにしたからと言って、そのために、あらかじめ団体名を伏せておいた法人の
「事業活動、競走上の地位が不当に損なわれる」とは考えられない。企画展や特別展を具体的にどう展開するか。そのことに言及して始めて、その法人の手法やノウハウに触れることになる。だが、各団体が教育委員会に提出する「業務計画書」には、そこまで立ち入ったことを書く項目もない。もちろん記述欄もなかった。
 その意味でこれらの文言は、担当者の一方的な思惑と思い込みで書き加えられたものと見るしかないだろう。

 だいいち、それまでの経験等から得たノウハウに基づかない企画などというものがあり得るだろうか。そう考えてみれば分るように、どんな企画であっても、大抵の場合、それまでの経験等から得たノウハウに基づいて作られる。
 そんなわけで、もし先のような教育委員会の職員の理屈が通るならば、官公庁や法人が保有する企画書の類は全て非開示とすることができるし、また、非開示としなければならなくなってしまう。ということはつまり、これを逆に言えば、「それまでの経験等から得たノウハウ」などという非開示の理由そのものが、情報公開条例(または情報公開法)に違反しているのである。

○「学芸員」はどこの人間か
イ、団体Aの場合
 このように、隠すより現わるるはなし。俗に言えば、頭隠して尻隠さず。黒塗りすればするほど、別な正体が見えてしまうわけだが、次に、「学芸員」という言葉が出てくる箇所に注目したい。
 その箇所を引用するに当たっては、黒塗りの箇所はその長短を問わず、全て■■■で示しておいた。資料編の画像を見れば分るように、この■■■は、時には2ページにも及ぶほど長い場合もある。また、特に注目して欲しい箇所はゴチック体で強調しておいた。

 そこでまずAにおける「学芸員」を紹介するが、引用はだいぶ長い。「学芸員」に関する言葉づかいにも注意を払いながら読んでもらいたいためである。
《引用》
 
学芸員と協議・連携し、本施設の機能を発揮することはもとより、日常的に従業員と一体となった活動を実施することにより、資料の取り扱い方や資料の収集・保存方法、展示の手法等、従業員のスキル向上と文学の知識向上を図って行きたいと考えます。また、学芸員を通じて他の文学館との交流を推進するとともに情報収集を推進していきます。

 学芸員と連携を図り、文学に関する教育委員会所有及び財団法人北海道文学館から受託した文学資料により管理運営を行うとともに、資料の所有者である財団法人北海道文学館の意思が尊重されるよう協議し、連携します。以上は、p3の「施設管理の基本方針を踏まえた業務遂行の考え方について」より)

 専門的な知識をもつ学芸員の活動は、北海道の風土に根ざした北方文学の掘り起こしと振興に欠くことのできないものであることを認識し、■■■
 
また、企画・展示にあたっては、学芸員に相談しその指示を仰ぎながら進めることとともに、調査研究、資料収集にあたっては、学芸員の活動を支援しながら、可能な限り一体的に運営することとし、学芸員を通じて他の文学館との交流も図り、情報収集を推進していきます。以上は、p17の「学芸員との協働・連携についての考え方」より)

 ■■■取り組みます。
 また、
■■■促進します。
 開館以来の施策、整理・保存方法を継承しつつ、
■■■努めます。
■■■学芸員と連携して収集保管業務にあたります。
 (ア)資料収集にあたっては収集品の選定を行うため、「北海道立文学館収集資料選定評価専門委員会」を設置し、寄贈・寄託資料の評価及び購入価格の適正な価格評価等について、指導、助言を受けることとします。
以下略。以上は、p28の「事業の企画、実施等に関する業務について」より)

 以上のうち、3っ目の引用は、黒塗りのおかげで、一体何を言っているのかさっぱり分らないが、それはともかく、ここで言う「学芸員」とはどこの人間なのだろうか。ゴチックで強調した文言や、「従業員」と「学芸員」を区別した言い方から判断するに、この「学芸員」はどう考えても団体Aの職員とは思えない。では、財団法人北海道文学館の学芸員なのであろうか。一見したところ、そう思えなくもない。だが、実際にそうならば、「学芸員と連携を図り、文学に関する教育委員会所有及び財団法人北海道文学館から受託した文学資料により管理運営を行うとともに」などと持って廻ったような、意味の通りにくくい言い方はしなかったはずである。

ロ、団体Bの場合
 次ににおける「学芸員」を見てみよう。
《引用》
 
『北海道立文学館』は、教育委員会および財団法人北海道文学館から文学資料を受託して運営されます。また■■■指定管理者と学芸員が協働・連携して業務を遂行する体制です。スムーズな運営には密な意思疎通が大切です。■■■(以上は、p3~4の「施設管理の基本方針を踏まえた業務遂行の考え方について」より)

 日常のミーティング、定期的な業務報告会などを通して、情報交換を密にします。■■■は、現場で日々、起こっていることやご利用者のヴィヴィッドな反応、感想を学芸員のみなさんに伝えます。学芸員はその知識や経験を活かして、職員の■■■■■■などに協力していただきます。コミュニケーションの場を数多く設定することで、組織の縦割りや情報の遮断が起こるのを防ぎます

 文学資料については、学芸員の専門的知識を活用して幅広く情報を収集し、「北海道立文学館収集資料選定評価専門委員会」の指導・助言を受けて適切に購入します。
 貴重な資料の取扱いは基本的に学芸員が行い、適切な環境と手順が守られていることを常に確認します。
 展覧会事業・教育普及事業においても、学芸員の専門的な助言を活かしつつ、ご利用者のニーズを汲んだ内容を構成します。
以上は、p23「施設の運営に関する業務の考え方について」より)

 常設展は、『北海道立文学館』の所有する文学資料により構成され、収集と調査研究の成果を公開するためのものと考えています。指定管理者に内定した折には、資料について熟知されている学芸員および財団と綿密な意見交換を重ねて来年度以降の常設展示を企画したいと考えます。学芸員および財団との役割・責任についてはすでに述べたとおりと理解しています。以上は、p32「事業の企画、実施等に関する業務について」より)

 敬語法的に一種別格の扱いをうけている、この「学芸員」もまた、団体Bの職員ではない。財団法人北海道文学館の学芸員でもない。実際には黒塗りの箇所に明記されていたことと思うが、この「学芸員」は北海道教育委員会が団体Bに駐在させる、道直轄組織の学芸課の職員を指す。そう考えて間違いないだろう。

○「学芸員」は取り引き材料
 私は先ほど、財団法人北海道文学館は「業務計画書」を作成した段階で、既に道直轄組織の学芸課を予定していたことを指摘しておいた。
 これが財団法人北海道文学館の側から発想された構想だったのか、それとも北海道教育委員会の要求に基づくことなのか、どちらの場合であっても問題は極めて大きい。そう考えていた。サントリーとNTTの「業務計画書」の開示を請求したのは、それを確かめたいためでもあったわけだが、どうやら教育委員会のほうが押しつけた条件だったのである。
 
 念のために私は、「北海道公の施設に係る指定管理者の指定の手続等に関する条例施行規則」(平成16年11月26日)や、北海道教育庁生涯学習部文化課の「北海道立文学館指定管理者候補者決定基準」(平成17年10月)を調べてみた。しかしもちろん、〈指定管理者となるためには、教育委員会の直轄組織である学芸課を置き、教育委員会の学芸員を受け容れなければならない〉という種類の文言は出てこなかった。
 しかし教育委員会は、団体A
「学芸員に相談しその指示を仰ぎながら」と言わせ、団体B「資料について熟知されている学芸員」学芸員のみなさん」「協力していただきます」と言わせるほど、強い姿勢をもって学芸員の受け入れを条件づけていたのであろう。
 
 それだけでない
。「資料収集にあたっては収集品の選定を行うため、「北海道立文学館収集資料選定評価専門委員会」を設置し、寄贈・寄託資料の評価及び購入価格の適正な価格評価等について、指導、助言を受けることとします。」団体A)や、「文学資料については、学芸員の専門的知識を活用して幅広く情報を収集し、「北海道立文学館収集資料選定評価専門委員会」の指導・助言を受けて適切に購入します。」団体B)のように、まるで申し合わせたように同じ名称の委員会を設置し、その指導と助言を受けることを約束している。これも教育委員会の指示なしにはありあえなかったはずである。
 
 私は、サントリーとNTTが指定管理者に立候補したと聞いた時、いずれの団体も独自に、実績ある学芸員を数人、そのスタッフの中に用意しているだろうと考えた。財団法人北海道文学館もそうあるべきであり、またそうであればこそ公平な競争原理による選択が行われ、民間の活力も生きてくるはずだ。そう考えていたのである。
 しかし、どうやら実際はそうでなかった。
 そうでないとすれば、以前から教育委員会の派遣職員を受け容れていた財団法人北海道文学館が圧倒的に有利である事実は動かない。端的露骨に言えば、サントリーパブリシティサービス連合体も、NTTグループのテルウェル東日本北海道支社連合体も、アテ馬に使われただけではないか。そういう疑問は禁じえない。

○「道フラクション」という支配手法
 そう考えてきて、なるほどそうだったのかと、私はもう一つ思い当たった。
 道立文学館は平成18年度に入って、それまで学芸関係の仕事をしてきた財団職員を、司書に廻した。と同時に、それまで司書として教育委員会から派遣されていた職員を、道直轄組織の学芸課に廻して、学芸員とした。なぜ俄かに、そんな配置転換を行ったのか。
 道直轄組織の学芸課の問題については、前回取り上げておいたが、ともあれ、このような配置転換によって、学芸課を道職員で固めたのである。
 教育委員会の目論見によれば、この学芸課が文学館運営の主導権を握る。いわば教育委員会から文学館に送り込まれた「道フラクション」と言えるだろう。
 
 「フラクション」とはfractionのことで、例えば戦前、非合法の共産党が大衆組織の指導部の中にひそかに覆面の党員を送り込み、それを通して大衆組織を内側から支配する戦略を取った。送り込まれた党員グループを、当時は「党フラクション」と呼んだ。「道フラクション」とは、それになぞらえて私が作った言葉であるが、時は移り世は巡り、現在では北海道教育委員会が非合法時代の共産党の手法を模倣し始めたのである。
 この「道フラクション」のメンバーが、プチ・スターリン主義的な組織論を振り回して(「北海道文学館のたくらみ(2)および(4)参照
)、「学芸員に相談しその指示を仰ぎながら」みたいな服従的な態度を強要する。その体質もこのような経緯から生れたのであろう。
 
 たぶん財団法人北海道文学館も、教育委員会の意向を汲みながら、現場の人間の意志や都合はかえりみずに、先のような配置転換を行ったわけだが、財団の中にはまだ一人、学芸関係の専門能力によって雇われた嘱託職員がいる。それが亀井志乃だったのである。
 

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