北海道文学館のたくらみ(15)
館長の交替と粉飾決算
○毛利正彦館長の辞職
5月21日、北海道文学館から、5月25日(金)に開催する理事会・評議会の会議資料が送られてきた。
議題の一つは「理事、監事、評議員の補欠選任について」となっており、その資料によれば、毛利正彦副理事長兼道立文学館長から、5月31日をもって「辞任」したい旨の申し出があった。理由は「一身上の都合」ということなので、それ以上の推測は慎みたいと思う。
後任の候補者には、北海道立図書館長の清原登志夫氏の名が挙がっていた。指定管理者制度になったとはいえ、依然として副理事長兼文学館長の人事は、北海道教育委員会の支配下にあるのだろう。
○粉飾決算
もう一つの議題は、「平成18年度事業報告・収支決算報告」であり、その資料として、「平成18年度 収支計算書(案)」が同封してあった。
今回は主にこれを取り上げたいと思うが、これは「平成18年度 収支計算書(案)」であり、当然のことながら、平成18年の「予算額」と、同年の「決算額」とが併記してある。
一例として、石川啄木をテーマとした「特別企画展①」を挙げてみよう。この「収支決算書(案)」だけを見るかぎり、「予算額」は5,490,000円で、「決算額」は5,399,027円となっており、9万円ほど節約できたことになっている。
常識的に考えれば、この「平成18年度 収支計算書(案)」に記載された平成18年度の「予算額」は、平成18年2月21日に理事会と評議員会で承認された「平成18年度 収支予算書」の「予算額」と同じでなければならない。今回届いた「平成18年度 収支計算書(案)」は、昨年2月に承認された「平成18年度 収支予算書」に基づいて事業を進めてきた、その結果を数字で報告したものだからである。
ただ、この二つの文書はタイトルが似ていて、読む人の混乱を招きかねない。それを避けるため、今ここでは、平成18年2月の理事会と評議員会で承認された「平成18年度 収支予算書」のほうを、文書Aと呼び、今回届いた「平成18年度 収支計算書(案)」を文書Bと呼びたいと思う。
その上で両者を照合してみると、文書Aにおける、石川啄木テーマの「特別企画展①」の「予算額」は、実は3,712,000円だった。この数字が、文書Bの「予算額」の欄に入っているはずなのだが、その欄には何と! 5,490,000円という数字が入っていたのである。その間には、177万8千円ほどの開きがある。換言すれば、文書Bの「予算額」は、文書Aの「予算額」に177万8千円を上乗せした数字が記載されているのである。
これは「特別企画展①」の担当者が、文書Aの予算額から177万8千円も足を出してしまったことを意味する。これは責任を問われても仕方がないほど大きな失態と言うべきだろう。
多分それを糊塗し、誤魔化すために、文学館の業務課は、年度当初から5,490,000円の予算が組んであったかのように、文書Bを作ったのである。
私の認識では、こういうやり方を粉飾決算と言う。
○粉飾の具体例
くどいようだが、「特別企画展①」の項目別に、文書Aの予算額、文書Bで粉飾された予算額、それに対応する文書Bの決算額を対照させてみよう。
文書A 文書Bの予算額 文書Bの決算額
賃金 112,000 0 0
旅費 200,000 530,000 529,380
需用費 800,000 550,000 507,937
役務費 1,600,000 1,250,000 1,210,360
使用料及び賃借料 1,000,000 3,160,000 3,151,350
合 計 3,712,000 5,490,000 5,399,027
一見して分るように、文書Bの予算額と、文書Bの決算額とはそれなりに整合しており、この文書Bだけを見る限り、誰もが健全な予算執行だと思うだろう。しかし文書Aと 文書Bの決算額とではまるで辻褄が合わない。
文書Aの「賃金」は、「展示室監視員」に支払う予定の金額で、これが0で済んだことは、まことに結構なことだと言えるかもしれない。(但し、「使用料及び賃借料」を300万円以上も支払う展示品を借りながら、その展示室に監視員を配置しなかったとすれば、これはまたそれ自体が問題となるだろう。)
しかし、仮にそのおかげで11万2千円が浮いたとしても、「旅費」や「使用料及び賃借料」は、到底そんなことでは穴が埋まらないほどの支出オーバーだった。
特にひどいのは、「使用料及び賃借料」であって、年度当初は100万円を組んで置いたのだが、実際にはその3倍以上を使っているのである。
○粉飾の理由(その1)
ちなみに、平成18年度の初め、職員の間で合意された職務分担表において、この「特別企画展①」の主担当は駐在道職員の鈴木主事だった。ところが、寺嶋弘道主幹がこの仕事に割り込んできて、むしろ鈴木主事を指揮下に置く形で、この仕事を仕切ってきたのである。
道直轄組織の学芸課職員である、この二人が大ポカをやったわけだが、その原因が馬鹿げている。315万という「使用料及び賃借料」のほとんどが、日本近代文学館に払われているのである。
一般に文学館が所蔵する資料を、お互いに貸し借りをする場合は、よほど特別な事情の資料でないかぎり、借用料を払ったり、賃貸料を貰ったりはしない。そういうルールが慣例的に出来上がっているのであるが、日本近代文学館は使用料を取っている。道立文学館の場合、北海道が年に1億4千万円以上ものお金を出して、財団法人北海道文学館に管理と運営を任せているわけだが、日本近代文学館はそういう財政上のバックアップを持たず、純粋に民間の財団法人としてやっている。使用料を貰わなければ運営が成り立たない。
そういう事情があるためだが、それにしても315万は高い。なぜそんなことになったのか。
実は北海道文学館には、啄木関係の資料らしい資料は一つもない。僅かに一つ、啄木の「手紙」があるのだが、手紙そのものはなく、封筒だけなのである。ただ、もし学芸員に独自の構想力があり、小まめに文学館や個人と交渉を重ねて資料を整える意欲があるならば、たとえ当初予算(文書A)の100万円だけだったとしても、十分に見応えのある展示が可能だっただろう。
ところが北海道文学館の学芸員は、日本近代文学館が啄木展用にセット化しておいた資料を、そのまま一括して借り出し、展示構想のアイデア料込みという妙な名目をつけて、300万円も払うことにした。つまり、展示品の9割以上が日本近代文学館からの借り物であり、しかも実際は「複製」品が何点も混じっていたわけだが、道直轄組織の学芸課の二人の職員は、学芸員としての誇りも主体性もどこへやら、アイデアまでも借用に及んだのである。
要するにこの啄木展は、金さえあれば素人でも出来るイージーな展示だった。「使用料及び賃借料」315万という金額の3分の2は、学芸員が不見識で怠け者だった結果に他ならない。
○粉飾の理由(その2)
資料の借り出しの経費は、それだけではなかった。借り出す資料の一つひとつに保険をかけ、美術品を運搬する特別仕立ての車をチャーターして運んでくる。
このことについて、平原は当初、寺嶋と鈴木がジェラルミンケースに入れて運んでくるから、輸送費を節約できると言っていた。しかし実際には予想よりも分量が多く、確かに二人が運んできたものもあったが、全部は持ちきれなかった。ばかりでなく、空港から文学館の間の輸送の問題もある。結果的には美専車に頼ることになったはずである。
「役務費」というのは、以上のような経費や広告代を見込んだ項目であるが、実際に支出した121万円のうち、――私の推定では――約半分の60万円が、この運搬費にかかっている。残り半分が北海道新聞などに払った広告代である。
また、先ほどのような事情もあって、寺嶋と鈴木の出張旅費も当初予算(文書A)を35万円もオーバーすることになり、その結果、文書Bの予算額のような粉飾をする羽目になったのだろう。
○もう一つの具体例
平成18年度の特別企画展は「池澤夏樹のトポス」だったが、これは寺嶋弘道が主担当だった。ついでに、その「収支計算書」も見ておきたい。
文書A 文書Bの予算額 文書Bの決算額
賃金 112,000 0 0
旅費 150,000 260,000 253,560
需用費 750,000 1,600,000 1,573,520
役務費 1,600,000 650,000 638,452
使用料及び賃借料 1,000,000 1,120,000 1,108,480
合 計 3,612,000 3,630,000 3,574,012
やはり文書Bの予算額と 文書Bの決算額とを較べた限りで言えば、それなりに辻褄は合わせてある。当初予算(文書A)の総額と、文書Bの決算額の間にも、それほど大きな違いはなく、内容的に言えば、役務費で浮いた96万円のうち、82万円ほどを需用費に廻したことになる。
その意味では、わざわざ文書Bの予算額のような数字合わせをやる必要はなかったわけだが、需用費(ポスター・チケット・チラシ印刷、パネル、プレート、看板、展示室内造作)が153万円以上に跳ね上がっている。これはチラシを10万枚も刷るという野放図で、無計算なやり方の結果と見るべきだろう。
○旅費と講演料の問題
ただ、もともとこの特別展は、福永武彦と池澤夏樹を取り上げる予定だった。ところが、いつの間にか池澤が中心となり、実際に展示を見た人は分ると思うが、池澤の父親の福永武彦に関する展示は、ほんの申し訳の添え物程度でしかなかった。展示の大半は池澤が撮った写真と、彼の著書で占められていた。「使用料及び賃借料」(資料借用料、著作権使用料等)の110万円強は、ほとんど全額、池澤に支払われたと見て差し支えない。(福永関係の展示品は文学館所蔵のもので、使用料等はかかっていなかったはず。)
ただしこの金額は講師謝金や講師の旅費とは別であり、その点を見落としてはならない。「文芸講演会」の報償費(講師謝金)と旅費(講師旅費)についても、上の形で整理してみよう。
文書A 文書Bの予算額 文書Bの決算額
報償費 400,000 350,000 350,000
旅費 300,000 960,000 955,280
需用費 50,000 30,000 19,232
役務費 10,000 40,000 30,720
使用料及び賃借料 100,000 60,000 50,000
合 計 860,000 1,440,000 1,405,232
この文芸講演会は、啄木関係では中村稔に講演を依頼した。池澤関係では、池澤夏樹自身が「世界との出会い」という講演をしている。
講師個人別のデータがないので、ここは推測が入るのだが、講師旅費が当初予算(文書A)の30万円から、文書Bの決算額、95万5千円と、3倍に跳ね上がっている。これは池澤をフランスから呼んだからであろう。
私の推定では、中村稔の旅費は、宿泊費を含めて、10~15万円程度。それを除いたお金が、池澤夏樹に旅費として渡されたはずである。
講師謝金については、私の記憶するかぎり、従来は、〈年間14万円を組み、年に2度、特別展に合わせて講師を招き、一人当たり7万円を払う〉という考え方をしていた。しかし平成18年度は一挙に3倍近くにまで引き上げて、それぞれ20万円ずつを予定し、実際は中村に15万円、池澤に20万円と割り振ったのだろう。
ただし池澤夏樹は上記の講演だけでなく、朗読会もやり、道立近代美術館で講演をやり、帯広では小説家の佐々木譲と公開の対談をやっている。
また、北海道文学館は池澤と福永に関する連続講座を4回開き、田口耕平と花崎皋平に講師を依頼している。
ただ、これらは財団法人北海道文学館が行う「財団企画事業」であり、これまで検討してきた「道負担金事業」とは別会計になっている。しかし不思議なことに、「財団企画事業」に関する「収支計算書」はどこにも見えない。そんなわけで、池澤に対する朗読会や講演の謝礼、帯広までの旅費、佐々木譲の旅費や謝礼、田口さんや花崎さんへの講師料については、全く判断の手がかりがなかった。
○「二組のデュオ」展の場合
亀井志乃が担当した企画展「人生を奏でる二組のデュオ」展は、啄木展や池澤展と同じく「道負担金事業」であり、もちろん「収支計算書」が載っていた。
文書A 文書Bの予算額 文書Bの決算額
賃金 56,000 0 0
旅費 70,000 130,000 123,890
需用費 340,000 390,000 386,911
役務費 750,000 200,000 177,500
使用料及び賃借料 300,000 100,000 90,000
合計 1,516,000 820,000 778,301
つまり、亀井志乃が担当した企画展は、当初予算(文書A)では、1,516,000円が組まれていたのだが、文書Bの予算額では、初めから820、000円しか組んでいなかったことになってしまったのである。
啄木展や池澤展の担当者が当初予算をはるかに上回る支出をしてしまったのに対して、亀井志乃は外勤や資料借用費などについて意地悪い干渉を受けながら、何とか支出を抑えるように努力して、半分近い金額で済ませることができた。
しかしそれだからと言って、この企画展の内容が啄木展や池澤展に較べて見劣りしたわけではない。それは実際の展示や、亀井志乃の作成した図録を見ればよく分かるだろう。
ただし、これはあくまでも文書Aと、文書Bの決算額から導き出した結論であって、亀井志乃は業者の見積りなどもきちんとコピーを取り、自分なりの記録を取っていた。その記録によれば、文書Bの決算額は、亀井志乃が実際に支出したよりも151,441円多い、という。細かく言えば、旅費が3,070円、需用費は105,361円、役務費が43,010円多く記載されている。
つまり亀井志乃は、実際には、626,860円で、あの企画展を実現したのである。
毛利正彦や平原一良や川崎信雄たちは、亀井志乃がそのように努力して浮かせたお金を、寺嶋や鈴木が仕出かした大ポカの補填に充てたのだろう。
○実績評価
これを別な角度から見れば、啄木をテーマとする「特別企画展①」の当初予算は371万2千円だった。だが寺嶋と鈴木は、講師の旅費や謝金も含めるならば、それより200万円ほど多い、570万円ほど使っている。
期間は7月22日から8月27日まで。中島公園が最も散策者で賑わい、しかも夏休みの時期を割り当ててもらって、観覧者は2,756人。つまり観覧者1人につき、2,000円強の経費がかかったことになる。
また、池澤夏樹をテーマとする「特別企画展②」の当初予算は361万2千円だった。だが寺嶋弘道は、同じく講師旅費や謝金も含めるならば、それより80万円ほど多い、440万前後のお金を使っている。
期間は10月14日から11月26日まで。中島公園が紅葉で美しく彩られる季節を割り当ててもらって、観覧者は1,967名。つまり観覧者1人につき、2,200円強の経費がかかったわけである。池澤夏樹自身が聞いたら、これはかなりがっくりと落ち込む数字だろう。
それに対して、有島と木田、里見と中戸川をテーマとする「企画展」の当初予算は151万6千円だった。ところが亀井志乃は、それより89万円近くも少ない、62万円ほどで実現している。
端的に言えば、啄木展の9分の1、池澤展の7分の1程度の金額で、質量共に遜色ない展示を実現したわけだが、啄木展や池澤展のように北海道新聞に有料広告を出して、大々的に宣伝してもらったわけではない。NHKのテレビで取り上げてもらえるように、館が取り計らってくれたわけでもない。
「有名な」講師を招く講演会を開かせてもらったわけでもなく、無償の講演を自分で行った。しかも割り当てられた期間は2月17日から3月18日まで。厳寒の季節、地下鉄の駅から文学館までの路は、途中からは除雪されておらず、寒風に晒されながら300メートルも歩いて行かねばならない。そういう最悪な条件の季節に実施して、観覧者は609名。観覧者1人につき1,000円強の経費しか掛からなかった。
北海道文学館の職員は一体どこを見て、それぞれの実績を評価しているのだろうか。
○根拠のない会議資料
おまけにもう一つ奇怪なことがある。今年の2月23日、理事会・評議員会が開かれ、議題は「平成19年度事業計画(案)」と「平成19年度収支予算(案)」だった。それを文書Cと呼ぶことにしよう。
私は文書Cを検討する席上、〈仮に暫定的であっても、平成18年度の事業結果を教えてもらいたい。それがなければ、この「案」の是非を判断することができない〉。そういう意味のことを発言しようとしたところ、総会屋みたいな凸凹コンビが私の発言を封じようとした。このことについては、「北海道文学館のたくらみ(12)――北海道文学館と情報公開―」で報告しておいたから、ここでは繰り返さない。
それでは、そのとき議題になった「平成19年度収支予算(案)」の「平成19年度 収支予算書(案)」に記載された「前年度予算額」は、つまり平成18年度の予算額は、いったい文書Aのそれだったのか、それとも文書Bの予算額だったのか。言うまでもなくそれは、平成18年2月21日の理事会と評議員会で承認された文書Aの予算額だった。
とすると、ますます訳が分らなくなってしまった。文書Bの予算額は文書Aにも裏づけを持たず、文書Cにも裏づけを持たない。つまり一度も理事会・評議員会でオーソライズされたことがない「予算額」なのである。
それならば、文書Bの予算額は何を根拠とした数字であり、どんな理由で挙げられた数字なのだろうか。
○誤魔化し決算の常習化
さて5月25日、私は以上のような疑問をもって理事会・評議員会に出席した。
出席したのは理事が13名で、評議員が9名。それに対して、書面で意志を表明してきた理事が7名、評議員は42名。要するに欠席者の「意志」によって、既に議案は可決されてしまっているわけだが、とにかく私は、以上の疑問のポイントを挙げて、文書Bの予算額は一体何に裏づけを持つ数字なのか、と聞いてみた。業務課長の返事によれば、〈予算の執行途中で変更を行った、その変更後の予算額〉なのだそうである。
しかしその変更額は、きちんとした会議の場に諮られ、オーソライズされたものでない。本来ならば、オーソライズされた「予算額」を書き、それに対する「支出額」を書くべきなのだが、その「予算額」を、オーソライズされていない「変更額」と勝手に差し替えてしまった。これは粉飾決算と言われても仕方がないのではないか。私はそういう意味の指摘をしたのだが、何の返事もなかった。
それだけでなく、この「変更後の予算額」は、恐らく実際は「予算の執行途中で行った変更」の金額ではない。本当のところは、全ての結果が出てから、その結果を誤魔化すために、逆算してひねり出した数字なのではないか。そういう意味の私の質問に対しても、何の返事もなかった。
ただ、業務課長によれば、「このような収支計算書の作り方は指定管理者制度になってからではなく、それ以前からもやっていた」という。ついうっかり、ぽろっとホンネを吐いてしまったのだろう。ということはつまり、これが粉飾決算であり、数字の上の辻褄合わせだったことを間接的に認めたことになる。間接的にその事実を認めた上で、しかし自分が始めたことではないと、苦しい言い訳に及んだのである。
○「死に体」の文学館
私はだんだん薄気味悪くなってきた。
私は5月の初め、この会議の案内をもらい、改めて平原一良と川崎業務課長に、「どうやら平成18年度の事業の整理と収支決算がついたようだから、かねて希望していたデータを見せてほしい」という意味の葉書を出した。
それに対して5月12日、二人の連名による、次のような文面の葉書が届いた。「平成十八年度の会計及び事業結果につきましては、近々監査委員の監査を受けた上で、議案資料として各理事のお手許にお送りすることになっておりますので、その資料をご覧の上、当日、ご質疑等をいただければと存じます。」
どうやら私に対しては徹底的に情報開示を拒否するつもりだな。私はそう受け取った。そうである以上、彼らは十分にスキのない会議資料を作り、質問に対しては練り上げた返答をするにちがいない。そう考えたのだが、私の買いかぶりだったらしい。届いた資料には粉飾バレバレの数字が並び、私の質問に対してはまともな返答一つ出来ない。平原一良は不幸があったため会議には姿を見せなかったが、毛利正彦も神谷忠孝も知らぬ顔の半兵衛を決めこみ、理事も評議員もケソッとした顔で聞いている。
この人たち、ウソをつくことに何のためらいもなく、現実に目の前で自分たちに対するウソがあばかれても、何の感情的なリアクションも起こらない。この倫理的不感症は、本当に薄気味悪い。
「刊行物編集・刊行事業費」に関する川崎業務課長の説明によれば、啄木展の図録は500部、池澤展の図録も500部、「二組のデュオ」展の図録は400部作ったという。
池澤展の図録? 池澤展の図録が出たとは聞いたことがない。ただ、池澤展が始まるころ、『コヨーテ』という雑誌が池澤特集をやり、それが刊行物紹介の棚に置いてあった。そのことは承知している。図録の刊行とはそのことを指すのか。そう訊いてみたところ、「そうだ」という返事だった。
「じゃあ、北海道文学館があの特集号の編集をやり、出版費を持ったんですか?」、「いえ、買い取りです」。「何部買い取ったのですか?」、「500部です」。
そういうのを図録刊行とは言わないのじゃないか。私はそう思うのだが、業務課長にはウソをついた意識はないらしく、理事や評議員はやはりケソッとした顔で聞いている。3月の会議のとき、私の発言を封じようとした凸凹コンビも出ていたが、何も言わない。
これはもう職員だけじゃない、理事・評議員を含めて、文学館全体がもはや「死に体」だな。
○ここにも北海道教育委員会の影
もう一つダメ押しをしておくならば、川崎業務課長の説明によると、「二組のデュオ」展の図録は400部ということだったが、実際は啄木展の図録と同じく500部だった。なぜこんなことにまでウソをつくのだろう。
一つ言えるのは、今や文学館をあげて亀井志乃の実績をことごとに無視するか、矮小化してしまう作戦に出ていることであり、二つに言えることは、平成18年度に業務課に入った川崎課長と、もう1人の職員も、実は北海道教育委員会のOB職員、OG職員だということである。OG職員のほうは毛利正彦と同じ職場にいたこともあるらしい。
「二組のデュオ」展の図録に要した経費は438,900円だった。
啄木展の図録は85万円近くかかり、池澤特集の『コヨーテ』と一緒に、刊行物販売コーナーに見本が置いてある。まだ売れ残っているのだろう。
「二組のデュオ」展の図録の見本は置いていない。売り切れてしまったからである。
○まだまだ頑張る寺嶋さん
ちなみに、道立文学館では現在、寺嶋弘道が担当する企画展「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿絵」(4月28日~6月17日)をやっているが、5月25日の会議に出かけた折、図録を求めておこうと、受付で注文したところ、「申し訳ありません。もう出来てるはずなんですが、まだ届いておりません」。
開催期間をすでに3分の2を過ぎてしまったのに、まだ図録が出来ていないとは……。寺嶋弘道さん、相変わらず頑張って粉飾決算のタネを蒔いているようですね。
船山滋生の彫刻は、彫刻と言うより、「モダン・アートしている細工物」という感じだった。
○要求二つ
私は財団法人北海道文学館の理事だが、徹底的に第一次資料の開示を拒んでいる平原や川崎に対する強制力を持っているわけではない。
このブログを読んで下さっている直感子さんが、前回の「道フラクション」について、「裏金問題で道民の信頼を損ねた道警は、本件の捜査に早急に着手してほしい。また裏金問題で積極的取材活動を行なった道新の徹底的取材を希望します。」というコメントを寄せてくれた。
まことにその通り、我が意を得たことを言ってもらえた。そう思って、大変に嬉しかったが、以前私のところへ取材にきた道新の記者は、かなり文学館側の「言い分」をマに受けている感じだった。道新の学芸部とは、昔から相性がよくない。そんなわけで、私は道新には期待はせず、ブログというメディアの可能性に賭けて、1人で戦い続けてきたわけが、確かに個人の力には限界がある。今回のような経理問題に関しては、公権力を持つ調査機関が関心を持ってくれることを期待するほかはないのではないか。ライブドア問題や夕張状態を思い浮かべながら、私はそう考えている。
ただ、僅かに一つだけだが、相手側のオウンゴール(自殺点)とも言うべき発言を引き出すことができた。それは川崎業務課長が、「法人の中には年度途中で補正予算の会議を持ち、収支計算書にそれらの数字も盛り込んだ報告を行っているところがある。そうしたほうがいいと言うのなら、次からはそうしたい」と約束したことである。
私は是非そうしてくれと要求しておいた。たったその程度のことで、ぬけぬけと粉飾決算をして恥じない体質が変わるとは思えない。だが、少なくとも年に一度は、年度途中で予算執行の状態をチェックする理事会・評議員会が開かれることになる。年度末の結果から逆算して「予算額」をデッチ上げるやり方にも、多少は意識の躊躇いを喚起することができるだろう。
亀井志乃の担当した企画展の決算額が本人の記録と食い違っている点については、「亀井志乃本人に対して、本人が納得できる説明をしてくれ」と要求しておいた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント