北海道文学館のたくらみ(13)
指定管理者のからくり
○開示された公文書
最近私は、財団法人北海道文学館の『北海道立文学館業務計画書』を手に入れた。2005年(平成17年)の秋、財団法人北海道文学館が道立文学館の指定管理者の候補に名乗りを上げた時、北海道教育委員会に出した「業務計画書」である。
〈手に入れた〉とは言っても、「使用目的をうかがってから」などと平気で法律違反を犯している毛利正彦や平原一良を譲歩させたわけではない。自己保身に凝り固まった連中と押し問答を続ける手間を省いて、北海道情報公開条例の手続きに従い、北海道教育委員会が保有している公文書を開示してもらったのである。
当然のことながら北海道教育委員会は「使用目的をうかがって」などとは言わなかった。
その間、亀井志乃は3月16日、毛利正彦から館長室に呼ばれ、3月31日で雇用期間が切れる旨を「通告」された。だが亀井志乃は、納得しないと答えてって来た。その後、文学館では送別会やら離任式やらをやったらしいが、亀井志乃は「納得していない」という理由で出なかった。
それに関することは暫らく措き、上記の文書が手に入り、事柄の背景や本質がより明瞭に見えてきた。今回はその点を中心に報告をしておきたい。
○見えてきた構図
イ、公務員の人権侵害
事態の本質を知るために、いま次のような場面を仮定してみよう。〈北海道教育委員会の公務員が、業務を委託している民間企業の、しかも格別に手落ちのない職員に対して、「あんた」呼ばわりしながら、その業務態度を高圧的な態度で叱責し、サボタージュの汚名を着せた〉。
もちろんその公務員は、公務員としての適性を疑われるだけでなく、公務員の立場を笠に着た人権侵害として摘発されることになるだろう。
亀井志乃がアピールした寺嶋弘道のパワー・ハラスメントは、現象的には、同じ職場の同僚の間で起ったハラスメントのように見える。毛利正彦や平原一良はその現象的な見え方を利用し、しかも一つ職場にありがちな反目、仲たがいのように言い繕ってきた。
外部の人は何となくその説明で納得してしまいがちなのだが、寺嶋弘道の亀井志乃に対するハラスメントはまさに上のような事態だったのであり、しかもそれが執拗に繰り返されたのである。
なぜそんなことが起り、歯止めが利かなかったのか。ある意味で、『北海道立文学館業務計画書』の「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」が端的にその理由を語っている。少なくとも原因の一つはここにあった、と言えるだろう。
ロ、「道直轄組織」の不思議
その組織図を見て、私は驚き、あきれ、憤慨した。憤慨した理由は後に触れることにして、なぜ驚き、あきれたのか。財団法人北海道文学館と北海道教育委員会との関係が、ここでは、「館長のリーダーシップのもと、道教委直轄の専門部門(学芸課)と、財団職員の管理部門との情報共有、連携・協力を前提とした運営組織とする」とされていたからである。
文学館の仕事に立ち入った経験のない人には、これだけでは未だピント来ないかもしれない。そのため、あえて念を押させてもらうならば、財団法人北海道文学館は民間の文学館である。その民間の文学館が、自分の業務の要となる学芸関連の仕事を、「道教委直轄の専門部門(学芸課)」に任せてしまおうとしている。随分奇妙な、倒錯した発想だが、これはそういう話なのである。
そして事実、その組織図を見るならば、「専門部門(学芸課)」は次のように、「道直轄職員」として、学芸課長(予定)と2名の学芸員が配置されることになっていた。
《道直轄組織》
学芸課長(予定)――学芸員(2名)
今この組織図に、平成18年度のメンバーを当てはめるならば、「学芸課長(予定)」のところに寺嶋弘道学芸主幹が入る。そして彼に「直属」する学芸員は、鈴木社会教育主事と阿部学芸員であり、この3人は言うまでもなく北海道教育委員会の職員(公務員)である。
道立近代美術館の学芸第3課の課長だった寺嶋弘道が、なぜ平成18年度から道立文学館の学芸主幹に配置転換されたのか。その理由は分らない。
ただ、北海道教育委員会の側から見るならば、「民間の活力を生かす」ことを目的とする指定管理者制度の導入と共に、それまで教育委員会が道立文学館へ派遣していた職員を全員引き上げなければならない。これが指定管理者制度導入のタテマエ論であり、おそらく北海道教育委員会もどう対応するか、頭を悩ましていた。
ところが、わざわざ財団法人北海道文学館のほうから「学芸課のほうはお宅の職員3名のお任せしたいと思います」と願い出てくれた。これはもう渡りに船だっただろう。
ハ、財団法人北海道文学館は「管理部門」?
それに対して財団法人北海道文学館という民間団体の職員組織は次のようになっていた。「専門部門(学芸課)」を道直轄組織にお任せした財団法人北海道文学館は、自分たちのこの組織を「管理部門」と位置づけている。
これはもう謙虚を通り越して、卑屈と言うほかはない。
もともと自分のほうから言い出して、道直轄組織に入ってもらう発想自体に問題があるのだが、それは一まず傍に置いておき、取り敢えず直轄組織そのものの存在を認めるとしよう。平原一良は口を開けば、財団法人北海道文学館の専門性を強調する。それならば、「専門部門(学芸課)」にこそ専門的な能力の高い財団職員を配置すべきだろう。
文学館の建物は道のものであり、道から毎年1億4千万円以上の税金を貰っている。その関係もあって、「管理部門」に2人ほど道職員を配置してもらう。そういう考え方ならまだ納得できるのだが、毛利正彦を始めとする幹部職員は財団を「管理部門」に限定してしまった。まるで見識というものがない。
《財団職員組織図》
館長(非常勤)――副館長(常勤)――業務課長(常勤)――主任(2人、常勤))
|―― 司書(常勤) ―― 研究員(非常勤)
ともあれ、財団職員で構成される「管理部門」は上の如くであり、亀井志乃はこの組織図の「研究員」に位置する。
つまり寺嶋弘道の部下でも何でもなく、民間の財団から業務を委託された嘱託職員であり、その上で一つ強調しておけば、亀井志乃はこの7名の財団職員の中で唯一人、学芸関係の仕事の担当者だった、――司書の女性も平成17年度までは学芸関係の仕事をしてきたが、平成18年度は司書の仕事が中心となった。――そうであればこそ企画展の「人生を奏でる二組のデュオ」を任されたわけだが、そのことから分るように亀井志乃は寺嶋弘道の部下ではなく、厳密に言えば同僚でさえない。「連携・協力」し合う、対等の協働者なのである。
それにもかかわらず、寺嶋弘道は亀井志乃を「あんた」呼ばわりしながら、その業務態度を高圧的な態度で叱責し、サボタージュの汚名を着せた。先ほど〈公務員の立場を笠に着た人権侵害〉と言ったのは、この意味にほかならない。
○見せかけのシームレスな組織図
ただ、私が驚き、あきれ、憤慨したのは、組織関係を無視した寺嶋弘道の思い上がりについてだけではない。
私が驚き、憤慨したのは、上のような組織図を、毛利正彦や平原一良や神谷忠孝は、理事会や評議員会に諮ることなく、北海道教育委員会に提出してしまった。それだけでなく指定管理者に選ばれた後においても、理事会や評議員会に紹介し、承認を得ることをしなかったのである。
2006年(平成18年)3月3日の理事会・評議員会で、私たちに提案された『財団法人北海道文学館事務局組織規程の一部改正について』の「改正案」の組織図は、先の組織図とはまるで似ても似つかぬものだった。
その改正案によれば、「事務局に業務課を置き、課内に学芸班を置く」となっており、組織は次のように編成されていた。
《改正案組織図》
館長
副館長
業務課 課長
主査
主任
主事
学芸班 学芸員
研究員
司書
念のために説明すれば、館長と副館長以外の職員は全て「業務課」に属するわけだが、その業務課の中に「学芸班」が置かれ、その中に、道直轄組織の学芸課の3名と、財団職員の研究員1名と司書1名の、計5名が属するわけである。
もう一つ念のために説明しておけば、この表における「主事」に相当する職員は、現実には存在しない。道直轄組織の学芸員の中に「社会教育主事」の肩書きを持つ人がいる。だが彼は、この表における「主事」ではない。なぜこんな紛らわしい組織図を作ったのか、その理由はよく分からないが、あたふたと取り繕ったらしいことだけは容易に推測できるだろう。
ともあれこれが理事会、評議員会で紹介され、承認された組織であり、一見したところ、道直轄組織の学芸課と、財団の研究員と司書との区別が消えて、「学芸班」に一元化されたように見える。
つまり、毛利や平原たちは、指定管理者制度の理念から見れば極めて不自然な、――端的に言えば、指定管理者制度の理念と矛盾する形で――学芸課の職員ポストを北海道教育委員会に譲ってしまった。この組織図は、そのからくりが露呈しないよう、二枚舌的に、一見シームレスな組織図に作り変えたものであった。
ただし全く伏せてしまうことはできない。毛利正彦たちはそう考えたらしい。そこで、アリバイ作り的に、「第五条 業務課学芸班においては、北海道文学館に配置される職員と連携して、次の各号に掲げる事務をつかさどる。」という文言を加えておいた。だが、何という姑息な誤魔化しだろう! この「職員」はどこから「配置された」、どんな性質の「職員」なのか、全く説明がない。もちろんその「職員」が、上の組織図のどこに配置されているか、それも説明がないのである。
それだけではない。館長の毛利正彦が北海道教育委員会の役人だったことは、前に指摘しておいた。ところが、この組織図における業務課長も主査も道職員のOBとして、財団法人北海道文学館の正職員に採用された。そんなわけで、この3人と、道直轄組織たる学芸課の3人を加えるならば、道立文学館は依然として、――いや、むしろ指定管理者制度となってからのほうが、より強く――北海道教育委員会の影響下にあることがわかるだろう。
○毛利正彦の計算
亀井志乃が寺嶋弘道のパワー・ハラスメントをアピールした時、毛利正彦は亀井志乃に対して、「皆に聞いたが、誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていた」、「みんな、亀井さんがそこまで反応する事はないと言っていた」と言って、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントを否定した。だが、亀井志乃が事務室で確かめたところ、二人の学芸員も、司書も、館長からは何も訊かれておらず、事情も知らないという返事だった。亀井志乃が数日後、毛利正彦にその事を問いただすと、「いやあ、まあ、それはあんた……」と言葉をにごして、にやにやしていた。
そういう場面を亀井志乃は「面談記録」(「文学館のたくらみ・資料編」の資料3)に書いている。おそらく毛利正彦のにやにや笑いは、仲間の数を頼んだ「高括り」だったのだろう。なぜなら、〈なあに、いざとなれば、業務課長も主査も学芸員もみんな口裏を合わせて、寺嶋の亀井に対するパワー・ハラスメントなんて見なかったと言ってくれるはず〉だからである。
○平原一良の計算
〈ケータイフォトコンテスト〉の件で、急に寺嶋弘道が居丈高に亀井志乃を詰問した。亀井は自分の立場を説明したが、寺嶋が耳を貸そうとしないため、やむを得ず平原一良に、寺嶋弘道への説明を求めた。しかし平原一良は、〈前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は、仕事の上で明確に《道》だ《財団》 だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担しようという事になった〉と言った(「文学館のたくらみ・資料編」の「駐在道職員の高圧的な態度について(その2)」」。
要するに、〈誰は道職員で、誰は財団職員だなどと区別をせず、シームレスでやってゆこうよ〉ということだろう。ただ、この時点の平原は、必ずしも単なる取り繕いではなく、〈出来ればそうありたい〉という彼なりの理念を語っていた。私はそう理解している。
ただ、平原にとって誤算だったのは、寺嶋弘道という人間がまるで空気の読めない権力主義者で、学芸班(「学芸課」ではない)の管理職みたいに振舞い始めたことであろう。
だから、もし本当に平原が「仕事の上で明確に《道》だ《財団》 だという線引きはしない」シームレスの関係を作り上げ、それを大切に育てたいならば、寺嶋に向かって「あなたの役目は、学芸班の皆が協力して仕事がしやすいように関係を調整するまとめ役だ。組織図を見れば分るように「主幹」なんて地位はない。自分を管理職だなんて勘違いしないでくれ」と言えばよかったのである。
ところが彼は、そうするだけの見識も度胸もなかった。そのため彼は寺嶋の言動を追認しながら、この組織図を利用して、寺嶋弘道の亀井志乃に対する人権侵害的な言動を、あたかも学芸班における職員間の反目のようにすり替えてしまった。つまり、公務員の民間人に対する人権侵害である本質を隠してしまったのである。
また、それが、外部の人間に対して一番通りやすい説明方法でもあっただろう。外部の一般の人たちは、道立文学館の組織が財団職員と道直轄職員の二重構造である事実を知らないからである。私のところへ取材に来た北海道新聞の記者も、その問題を深く考える視点は持っていなかったらしい。
そして多分北海道教育委員会にとっても、道立文学館における職員間の反目・仲たがいという説明で済ませてもらえるならば、こんなに都合のいいことはない。問題が教育委員会にまで波及し、責任を問われる心配がないからである。
○シームレスの綻び
毛利正彦を始めとする幹部職員はこのように、北海道教育委員会に提出した組織図を伏せてしまい、一見シームレスな形にアレンジした組織図を「規程」化したわけだが、ある意味でその規程を一番正直に信じたのが亀井志乃だった。
この組織図を信ずるかぎり、亀井志乃は学芸班に属する。寺嶋弘道学芸主幹も同じ班に属するわけだが、「主幹」という地位はどこにもない。「主幹」が班長を務めるとか、管理職であるとかということも、どこにも書かれていない。つまり寺嶋弘道が亀井志乃に対して管理者づらをする根拠はどこにもなく、あくまでも「連携」の関係なのである。
するならば、亀井志乃が仕事の指示を受けたり、報告したりする相手は、業務課長か、そうでないならば副館長だろう。
「駐在道職員の高圧的な態度について」を読み直してみれば分るように、亀井志乃が幹部職員に繰り返し問いかけたのは、そういう理解の是非についてだった。
ただし、亀井志乃が先にそういうことを言い出し、それが寺嶋弘道を刺激して、苛立たせたというわけではない。そうではなくて、寺嶋弘道の高圧的な言いがかりを迷惑に思い、組織上の関係ではこうなるのではないかと疑問を語った。ところが、平原一良は当たり障りのないことしか言わない。寺嶋弘道はますますいきり立って、自分と亀井志乃の関係を上司と部下の関係に擬制して、あたかもそうする権力と権利があるかのような高圧的な態度で、亀井志乃のやることなすことに難癖をつけ、言いがかりの嫌がらせを繰り返した。
大変に逆説的なことだが、亀井志乃の正直さが、かえって一見シームレスな組織図のシーム(縫い目)を露呈させてしまう結果となった。
道立文学館の幹部連中にとって亀井志乃が都合の悪い、邪魔な存在になった理由は幾つか考えられるが、これもその一つだったといえるだろう。
〔私のホームページ「亀井秀雄の発言」http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/は暫らく更新できない状態だったが、つい先日、韓国の学会における講演を二本掲載した。このような問題にも関心を持っていただけるとありがたい。〕
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