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北海道文学館のたくらみ(12)

北海道文学館と情報公開
○万人に与えられた権利
 まず情報公開法について基本的なことを確認しておきたい。

 日本の情報公開法(「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」平成11年5月14日法律第42号)の大きな特徴は、「何人も、この法律の定めるところにより、行政機関の長……に対し、当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる」(第3条、「開示請求権」)と、全世界の人に、日本の行政文書の開示を請求する権利を与えたことである。
 
 その理念は行政の公開性と透明性を高めることにあるわけだが、私の経験的理解に即して言えば、情報公開法が出来る以前にも、多くの市町村が独自に情報公開条例を作っていた。
 ただ、行政文書(公文書)の開示請求権の範囲については、その市町村の住民に限るところがあり、しかしそれでは、別な土地からその市の職場や学校に通う人間の権利はどうなるのか。そんな議論が起って、そもそも請求権の範囲を限ることはできないし、限ること自体が差別ではないか、ということになった。
 日本の場合で言えば、この国には日本国籍の人だけでなく、在日の人もいれば、外国から働きに来ている人もいる。留学生もいる。旅行者もいる。逆に日本国籍で、外国に住んでいる人もいる。そういう人たちに差別なく権利を与えるとすれば、結局この地球の全ての人に権利を与えることこそが望ましいだろう。そういう議論を踏まえて、「
何人も……行政文書の開示を請求することができる。」となったわけである。
 もちろん地球のどこからでもインターネットやファックスを使って請求することができる。
 
 これは日本が全世界に先駆けて行ったことかどうか、その点は分らないが、日本の法律としては極めて画期的なものだったことだけは確かだろう。

○使用目的を問うことは権利の侵害
 この情報公開法のもう一つの特徴は、開示請求の権利を制限する条文がないことである。それはそうだろう。もし行政が開示請求者に「開示を求める目的は何ですか」と質問し、「ああ、そういう目的では開示できません」などとやったら、結局行政のほうが勝手に開示の基準を作って、権利を制限することになる。これでは情報公開法の趣旨、目的、精神は失われてしまう。その意味で、開示請求の目的を問うこと自体が権利の侵害なのである。
 私は、身﨑壽に教えられるまでもなく、既に北海道教育委員会が保有する公文書(行政文書)の開示の手続きを取っていた。応対してくれた職員は感じがよく、もちろん使用目的を問うなんてことはなかった。

 ただし、私が請求した文書全体が開示されたわけでない。「開示しない部分の概要及びその理由」ということわりがあり、今その「理由」だけを紹介すれば、「(前略)については、開示することにより、犯罪を誘発し、又はほう助するおそれのある情報と認められるため。(「北海道情報公開条例第10条第1項第3号」公共の安全等に関する情報に該当)とある。
 一見これは権利の制限のようだが、そうではない。公文書を保有管理する行政が負うべき安全配慮義務の表現と見るべきであって、個人情報のある部分を非開示とする場合が多いことはよく知られている。それも、その個人に関する安全配慮の処置なのである。

○公文書(行政文書)の範囲
 しかもこの公文書の範囲は極めて広い。情報公開法の「定義」は、「
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう」となっていて、一読しただけでは何のことか分りにくい。
 どうしてこんなに回りくどい定義が必要になったのか。
 
 かつて「公文書」の開示と言えば、もっぱら決済や供覧を経た文書だけに限られていたらしい。ということはつまり、「公文書」ならざる文書や記録がやたらと多かったわけで、例えばその中にHIVの治療薬のデータがあったとする。それを「公文書」とせず、開示の対象としなかったために、悲劇的な薬害の蔓延を防ぐことができなかった。そういう反省に立って、先のような包括的な定義がなされることになったのである。
 
 その意図が行政の公開性を高めることにあったことは、言うまでもない。別な言い方をすれば、行政が勝手に内部基準を作って、公文書と非公文書とに腑分けをし、「これは非公文書の内部資料でございますから、開示することはできません」などと隠蔽を企むことが起らないようにするためなのである。
 
 後でもう一度ふれるが、毛利正彦は先日(3月23日)の理事会、評議員会で、「私共には情報管理の責任がございまして」などと言っていた。とんでもない話だ。彼は一時代前のお役人根性でそんなことを言っていたのだろうが、行政に情報管理を任せたら、たちまち勝手な内部基準による情報操作が始まる。私は「情報管理ではない、必要なのは公文書の管理なのだ」と言った。必要なのは上のような定義の公文書をしっかりと作成し、いつでも開示請求に応えられるように管理しておくことなのである。
 
○北海道文学館の変則的な議題
 ところで私は先日来、北海道文学館に資料と記録の開示を求めてきた。「文学館のたくらみ・資料編」(
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の資料9「北海道文学館の隠蔽体質」で紹介した、【資料C】の資料と記録である。
 資料9を通して読んでもらえれば、私の要求が決して無理難題ではないことは分ってもらえると思う。

 その要求は必ずしも3月23日の理事会、評議員会を前提にしたものではなかったが、理事会、評議員会の議題を知って、特に見ておきたい資料と記録が出てきた。それは、23日の議題が、「(1)議案第1号、平成19年度事業計画(案)について/(2)議案第2号 平成19年度収支予算(案)について」だったからである。
 分るように、この議題には、平成18年度の決算や事業報告がない。常識的には今年度の決算と事業の報告があり、審議決定を踏まえて、平成19年度の事業案と予算案の検討に入るはずなのだが、踏まえるべき前提が落ちているのである。

○約束に反する事業計画
 ただし私は、このやり方がおかしいから議題には反対だ、と言おうとしていたわけではない。変則的であることはやむを得ないが、そうであるだけに事前に知っておきたいことがあった。
 その一つは、平成19年度の事業(案)で、特別企画展が「太宰治の青春~津島修治であったころ~」と「目で識る川柳250年」、企画展が「父・船山馨のDNA 船山滋生の彫刻と挿画」と「遊んで学んだ、あの時代 新発見! 100年前の児童雑誌」と「探求者の魂―山田昭夫の書斎から」となっていることである。
 その一つ一つについての意見もあるが、まずこれを見て驚いたのは、「なんだよ! これは。これでは北海道教育委員会に対する約束違反じゃないか? 結局それは道民を欺くことではないか!」ということであった。
 
 私の記憶によれば、財団北海道文学館が指定管理者の選定に応募して出した4年間の事業計画のうちで、平成19年度の展示事業の目玉は八木義徳であり、もう一つは寒川光太郎の作品など、樺太(サハリン)関連の文学だった。そういう企画であればこそ、身﨑壽を委員長とする選定委員会も、「
北方文学に影響を与えたサハリン関連文学に関する展示(平成19年度)を始めとする指定期間における展示計画などの提案内容が優れており、指定管理者の候補者として選定することにした。と評価したのだろう。ところが、その肝心な企画がぽっかりと抜けている。
 また私の記憶によれば、平成18年度の当初、19年度に太宰展も川柳展も山田展も話題になかった。身﨑の委員会の「
指定期間における展示計画などの提案内容が優れており」という言い方から判断するに、財団法人北海道文学だけでなく、NTTグループもサントリー・グループも、それぞれ4年間の構想を提出し、その優劣によって選ばれたはずである。
 ところが北海道文学館は早くも1年目で栗田コレクション展をキャンセルして、「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」なんて企画を割り込ませる。2年目には、それによって財団法人北海道文学館が選定されたと言っても過言ではない展示を吹っ飛ばしてしまう。フレキシビリティも必要だが、これではちと気まぐれが過ぎはしないか。
 身﨑壽もその点をうすうす感じ取って、「
守秘義務がございますところから、審議内容にかかわる御照会の事項につきましては、小生からお答えはいたしかねます」などと、慇懃無礼に責任逃れを図ったのかもしれない。
 
 もう一度言うが、これは北海道教育委員会に対する約束違反であり、一年に1億4千万円以上も税金を使われている道民に対する背信行為だと思う。選定委員会の委員だった福田誠行・生涯学習部長生涯学習推進局長や、古俣芳晴・生涯学習部文化部長も同じ意見だろう。

○無計画な浪費の疑い
 もう一つ私が知りたかったのは、平成19年度の主要な事業にどれだけの経費をかけ、どれだけの実績を挙げたかの報告である。「資料編」(
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の資料9に紹介した【資料C】の質問を読んでもらえば分るように、ああいう質問をした人間としてこれは当然の要求だろう。
 
 23日の会議資料として送られてきた「平成19年度 収支予算書(案)」を見ると、「予算額」と「前年度予算額」とが併記されている。その数字を見る限り、一見何の問題もないように見える。だが、今年度の予算額が妥当か否かを判断するには、「前年度予算額」ではなくて、「前年度決算」がなければならない。

 例えば平成18年度の石川啄木展の当初予算は371万2千円だった。ところが、展示資料の95%が日本近代文学館からの借り物で、借用料を払わなければならない。平原一良によれば、借りてくる資料を全部合わせると時価(?)で3億円を超える、お宝ばかりだと言う。その借用料は評価額の100分の1程度と聞いたことがあるが、そうしてみると資料を借りるだけで300万円前後となってしまう。
 その他、借用に立ち会う職員の出張旅費や、高い保険金をかけて専門車で運んでもらう運送費がかかったはずであり、講師の中村稔の旅費と講演料がある。実際の展示パネルを見ると、やたらに「中村稔」の署名が入っており、これにも著作権料も払ったのだろう。
 その上さらに北海道新聞に広告料を払い、看板を作り、ポスターとビラを刷り、図録を作り、少なく見積もってもおそらく総額550万円は下らない。それだけ頑張って、観覧者は2,800名前後と聞いていた。(3月23日の報告では2,756人)。

 そういう実績をどう評価するか。せめてその程度の資料は欲しいと思ったのだが、「資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の資料9の【資料A】のように、平原一良と毛利正彦は、「予め使用目的をうかがいまして」などと逃げを打っている。これは情報公開法の趣旨と目的に反する、権利の侵害に当たる。彼らはそのことを全く自覚していないのである。

○発言妨害
 さてところで、私は3月23日、これという資料を手に入れることができずに理事会、評議員会に出かけた。私は原案に一々異議を唱えるつもりはない。
 だいいちこの会議で原案をひっくり返すなんてことはできない。というのは、事務局は予め理事や評議員に原案と、表決書や委任状を送っておく。会議に出席できない人は表決書の(賛成・反対)のいずれかに○印を付けて返送するわけだが、大抵の場合「賛成」に○がつく。それを出席、意思表明と認めるわけだから、23日の場合、理事の出席は13、欠席は8。評議員の出席は18、欠席は34なのだが、会議は成立し、欠席者の表決書で既に原案は可決されてしまう。そういうカラクリによって運営されているのである。

 ただし、言うべきことは言っておかなければならない。そこで私は発言を求め、「情報公開法の点から見て、予め使用目的を問うのは権利の侵害になるのではないか」という意味のことを言い始めたところ、身体の大きい、何だかむくんだ感じに太った理事が、いきなり「そんな法律論なんか聞きたくない、やりたかったら会議が終ってからやってくれ」と大きな声で、私の発言を中断した。「これは平成18年度の決算を飛び越えた審議なのだから、暫定的にでも平成18年度の事業結果を知りたいと思うのは当然ではではないか」という私の意見に対しては、「平成18年度の決算と事業報告は5月にやることになっている。国会でも同じようなことをやる。あんたはそんなことも知らないのか」と、嵩にかかって言い募った。
 
 私はその大柄な理事の名前は知らないのだが、彼の脇に座っていた工藤正廣も「どんなことに使われるか分らない心配がある時、使用目的を確かめるのは当たり前ではないか」みたいなことを言いはじめた。〈すげえ傲慢な監視意識だな。それでいいのか、工藤さん、昔の情報局のお役人みたいなことを言って。……それとも、亀井志乃が展示準備に入る直前、いきなり「ロシア人のみた日本」なんて展示の企画を持ち込んだ引け目を誤魔化すためかしら〉。そんな感想を抱きつつ、私は文学館の根幹にかかわる本質的な問題だと考え、さらに説明をしようとしたのだが、「議事進行!」と叫ぶ声があり、議長も神谷忠孝も私の発言を中断させようとする。
 要するに、亀井にはものを言わせるな、言い始めたら遮ってしまえ、そんな人間が数人いて、私を押さえ込もうとしたのである。

 私は普段は至極おだやかな人間なのだが、殴りかかってきたら殴り返せ、嵩にかかって言いがかりをつけてきたら遠慮なく怒鳴り返せ、という流儀で生きてきた。もちろん私は怒鳴り返し、すると得たり賢しと私の揚げ足取りをする人間が出てきて、工藤正廣もさっそく尻馬に乗り、顔を赤くして憤慨してみせる。その途端私は、そう言えば昔、タイムボカンシリーズとかいうアニメに、セコビッチとドワルスキーいう凸凹コンビが出ていたっけ、と思い出し、つい笑い顔をしながら「失言でした、申し訳ありません」とお詫びした。
 にこにこしながら詫びているので、かえって気味が悪かったかもしれない。申し訳ないことをしてしまった。

○惨澹たる池澤夏樹展
 しかし、さすがにそういうやり取りを聞き苦しく感じたのか、ある人から「現在分る範囲で平成18年度の実績を紹介したらどうか」という発言があり、取りあえず業務課長が入館者の数だけを紹介した。池澤夏樹展の入館者は1,967人。えっ! 私は絶句した。
 池澤展の当初予算は361万2千円だった。
 現役バリバリの文学者という触れ込みで、彼をフランスから呼んで、札幌で講演会を2回、朗読の集いを3回、帯広でもトークの夕べと、朗読の集いをやる。その航空券代や道内での移動と宿泊の費用、同伴する職員の出張旅費、そして7回に及ぶ講演や朗読の集いの講演料。文学館内の池澤展は、実際は池澤夏樹が旅の先々で撮った写真展だったが、それ相応の著作権料も払っただろう。
 その上、宣伝広告が後世の語り草になるほどド派手だった。当然新聞広告を出し、チラシだけでも10万枚作ったという。それやこれやで、経費が当初予算内で納まったとはとうてい考えられない。
 とにかくそれだけ力を入れ、10月14日から11月26日までのロングランの入館者か僅かに1,967人だって。野球で言えば、コールド負けの惨敗じゃないか。

 実際に訪れた人はよく分ると思うが、道立文学館は季節々々の景観が美しい中島公園の一角にあり、春から秋の終わりまで遊歩道の散策を楽しむ人が絶えない。
 ところが冬には条件が一変して、ほとんど人通りがなくなってしまう。文学館の前の散策路はカントリースキーの練習コースとなり、除雪車が入らない。そのため、ひどく歩きにくい。特に亀井志乃が担当した企画展の、2月半ばから3月半ばまでの頃は、日中でも氷点下の日が多く、雪も降り、よほど強い動機でもないかぎり、地下鉄駅から文学館まで何百メートルの距離を歩く気になれないだろう。文学館は新聞に有料広告を出したり、テレビ局に取材してもらったりすることもしなかった。
 そんなわけで、例年の実績から見ても、この時期の企画展は1日平均20人以上の観覧者がいれば、まずは成功と評価できるところであるが、――ちなみに亀井志乃が担当した企画展は30日(閉館日込み)で607人――啄木展や池澤展は季節の条件、金のかけ方から見て、1日平均少なくとも80人は観覧者がいなければならない。う~ん、それなのに1,967人、一日平均45人程度とはねえ……。
 
 私は助け舟を出すつもりで、こんなことを言った。池澤展の場合、道立近代美術館で講演したり、帯広でも催しがあったり、そこに集まった人たちの数も観覧者に数えてもいいのではないか。それも実績なのだから……。
 ところが、業務課長も毛利正彦も平原一良も死んだような無表情で、じっと黙っている。それじゃあ、なにか? 実際はそういう人の数まで入れて1,967人か……なるほどそれで、未だに収支決算の実績報告が出来ないわけだ。「予め使用目的をうかがってから」なんて、要するに不手際隠しの口実じゃないか。

○理事会、評議員会の実態
 私が驚いたのは、そういう数字を聞いても、私以外の誰も意見を言わず、並び大名みたいに黙っていたことである。この人たち、亀井には食ってかかり、文学だ、文学者の会議だなどと大口叩きながら、権利の侵害の問題意識もない。毛利や平原の言いなりになっている、ただの骨抜き中年と、腰抜け老人ばかりじゃないか。
 私に向かって、「あんたも理事なんだから、理事らしく責任を持て」みたいに高飛車な言い方をした男も、「理事会こそが決定機関で、理事であればこそ検討材料を求めるのが当然ではないか」という意味の私の発言以来、何も言わない。まさか〈亀井に向かって、一吠えナンボ〉で雇われてきたわけではあるまい。江戸時代には田舎老人多田爺(いなかろうじん・ただのじじい)という骨っぽい人もいたんだがなぁ。
 
 要するに毛利正彦も平原一良も運営能力は落第、神谷忠彦他の理事たちは自分たちが決定主体である自覚がない。
 工藤正廣も平原一良も、毛利正彦と一緒に「使用目的」なんて言いたいのなら、もう文学者づらは止めたほうがいい。権利の侵害を平気で容認したり、発言封じにいっちょ噛みしたり、それがどんなにおぞましくも滑稽なプチ・ファシストぶりか、それに気がつかなくなったら、もう終ってるよ。
 
 こういう実態は市民の皆さんも、北海道教育委員会の職員もよく知ってもらいたい。北海道新聞の記者もその辺から洗い出したらどうだろう。

○毛利正彦の無理解
 そんな次第で、私は多勢に一人、発言を遮られたり、材料を持たない私が不用意なことを見越して「では、平成19年度案のどことどこに疑問をお持ちですか」みたいな質問をしかけられたり、しかし結局言いたいことは言わせてもらった。
 会議の終わり近く、私は初めに述べたような情報公開の考え方も念入りに確認したわけだが、毛利正彦という人はよほど飲み込みが悪いのか、それとも往生際が悪いのか、まだ「開示した情報の適正使用のこともありますし、私どもには情報管理の責任がございまして」なんてやっている。
 北海道教育委員会の誰か、この人に教えてやってくれませんか。
 
 北海道公開情報条例の前文には、「
新しい情報の公開制度は、だれもが知りたいときに自由に知り得るよう知る権利を明らかにするとともに、道政の諸活動について説明する責任を全うすることにより、その公開性を高め、及び道民参加を促進するものでなければならない。」とその理念が謳われている。
 その理念に基づいて、第1条(目的)は、「
この条例は、公文書の開示を請求する権利を明らかにするとともに、公文書の開示及び情報提供の推進に関し必要な事項を定めることにより、開かれた道政を一層推進し、もって地方自治の本旨に即した道政の発展に寄与することを目的とする。となっている。
 そして第5条(情報の適正使用)は、「この
条例の定めるところにより公文書の開示又は情報の提供を受けたものは、これによって得た情報をこの条例の目的に即して適正に使用しなければならない」となっている。

 分るかな、毛利さん。情報を得た市民がそれに基づいて行政のあり方に疑問を抱いたならば、それを率直に表明して、時には批判し、時には多くの人に知らせて、行政の質を高めるよう働きかける。これは条例の理念と目的に照らして、最も適正な使用なのですよ。
 あなたが他人の使用目的を詮索するなど、越権行為もなははだしい。もう一度言うが、「だれもが知りたいときに自由に知り得るよう知る権利」に嘴を挟む、権利の侵害なのです。
 あなたがなすべきなのは、第4条(公文書の管理等)の「
実施機関は、この条例に定める情報公開制度の的確な運用を図るよう、公文書の分類、保存、廃棄等公文書の管理を適切に行うとともに、公文書の検索に必要な資料を作成するものとする。ということなのです。あなたが早急にやるべきなのは、啄木展や池澤展の会計と実績を記録して、開示の請求に応じられるよう適切に管理しておくことなのです。
 キャンセルした栗田展のキャンセル理由や責任の所在を明らかにした始末書も、もちろん作成しておかなければなりません。
 
○情報公開法についての補足
 なお、ついでに言っておけば、私が情報公開の委員をしていたころ、情報公開と守秘義務との関係が問題になったが、情報公開法(または情報公開条例)に従って行う開示は、守秘義務違反にはならない。これが法律学者の見解だった。現在でも変わらないと思う。

 そんなわけで、情報公開法は守秘義務との関係に言及していない。ただ、「情報公開法」の第5条の2項、3項、4項、5項、6項を丁寧に読めば、前回に指摘した実質秘や形式秘と内容的に重なっていることに気がつくと思う。

 また、公務員の個人情報についても、こんな議論があった。〈それぞれの機関の意思決定にかかわる地位にある職員の個人情報は、一定の範囲で開示すべきではないか〉と。ただ、それを形式的に管理職と一般職員に別けることはむずかしい。例えば国立大学の教授と助教授は、教授会という意思決定機関に参加し、また、それぞれ学生に単位を与える権限を持っている。それに対して、助手は教授会の構成員ではないし、単位認定権も持っていない(最近は制度変更があったようだが)。助教授以上が全て管理職とは言えないが、以上の意味では助手とは区別され、職や地位を開示しなければならないだろう。
 前回も今回も言及した「北海道立文学館の指定管理者の候補者の選定について」においても、身﨑壽以下の委員については職や地位が明示されていた。だが、会議の書記などを務めた職員、事務員の名前や職、地位は出てこない。当然そこにも、一定の基準が働いていたはずである。
 ともかくそんな議論があり、「情報公開法」第5条1項のイ「
法令の規定により又は慣行として公にされ、又は公にされることが予定されている情報」は開示情報とする、という箇所に、それが反映された。また、同条同項のハによれば、〈当該個人が公務員や独立行政法人の役員及び職員である場合、地方公務員や地方独立行政法人の役員や職員である場合において、当該情報がその職務の遂行に係る情報であるときは、当該情報のうち、当該公務員の職及び当該職務遂行の内容に係る部分〉は開示情報とする(この箇所の表現は亀井が簡略化した)。そういう箇所にも反映されたわけである。
 
 もしお役人がやたら守秘義務や、個人情報の保護を言い立てたならば、この辺を頭に置いて対応するのがいいだろう。

○亀井志乃の戦いの現段階
 さて、23日の会議の終了間際、毛利正彦がA4版1ページ半ほどの、亀井志乃の取り扱いに関する経緯書を配布し、読み上げる自信がなかったのか、ぐずぐずと歯切れ悪く説明した。
 それに対して、私は次のように釘をさして置いた。
①札幌中央労働基準監督署は、毛利正彦が亀井志乃の雇用の更新拒否をした一連の行為について、厚生労働大臣が定めた「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」に従っていない、つまり大臣告示に違反している、と判断している。
②北海道労働局も同じ判断に立ち、毛利正彦に口頭助言を行った。労働局の「この事例は館側が考えているほど安易なものではない。有期ではなく、無期の雇用だったと考えられる可能性が大である。それ故、亀井志乃とは改めて話し合ったらどうか」という助言に対して、毛利正彦は「あの事例は要するに任期満了なのだから、亀井志乃と話し合う意志はない」と助言を拒否した。また、「直接に話し合うのがむずかしいのであれば、「あっせん」という場を設けることもできる。利用する気はないか」という助言に関しても、その意志はないと即座に拒否した。
  寺嶋弘道の亀井志乃に対するパワー・ハラスメントについては、「亀井さんが言うようなことはあっただろうが、我々はパワー・ハラスメントと考えていない」と否定した。
③法務局の人権擁護関係の職員は、寺嶋弘道の亀井志乃に対するパワー・ハラスメントが、北海道教育委員会の職員である公務員の、一民間人の嘱託職員に対する人権侵害の行為であることに関心を持っている。それは日本国憲法第17条にかかわる問題となりうる。
 毛利正彦を代表とする幹部職員が、亀井志乃の再三にわたる寺嶋弘道のパワー・ハラスメントの訴えや、事実の調査の要求を無視し、問題の解決を放棄してきたことは、寺嶋弘道のパワー・ハラスメントの隠蔽であり、寺嶋行動のパワー・ハラスメントの擁護と幇助という共犯的な行為となる。それ自体もまたパワー・ハラスメントと言い得る。その点にも法務省は関心を持っている。

 私のこの発言に対しては、毛利正彦も神谷忠孝も、それ以外の幹部職員も、何も言わなかった。出席していた理事も評議員も、亀井志乃の問題には何も発言しなかった。

 理事や評議員は一体何をするために雁首を揃えているのだろう。(2007年3月25日午後11時半)
 
 

  

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コメント

池澤展、案外人入らなかったんですねー。
池澤センセイがフランスから手弁当で駆けつけて…くれるはずもないですしねー。
てゆーか亀井先生は北海道文学館の理事だったんですね。おつかれさまです。
まーたしかに、ウッカリ情報見せたら「何に使われるかわからない」っていうのはなんとなくわかりますねw 「何されるかわかんねぇ!」っていうかw m9(^Д^)プギャー
職務上知りえた事柄(秘密?)を関係ない人にばらしたらクビにされてもおかしくないっていうのは情報公開とは関係…ないか。あれれ
んあー、法律って難しいですにゃー(´・ω・`)
頭ぐるぐるしまっせ!

投稿: HANA | 2007年3月26日 (月) 11時21分

事態の成り行きをずっと見守っていました。
志乃さんは3月31日を持って不当解雇になってしまわれたのでしょうか?
先日出ていた募集が出ていたのでもしやと思っておりましたが、
その補填のための人員だったのでしょうか。
なんだかこんな状況だと本当に適切な選考が行われたのかすら怪しく思えてきます…
納税者としてとても腹立たしい。
もはや文学館に自浄効果を期待しても駄目そうですね。

投稿: 道産子未来 | 2007年4月11日 (水) 01時40分

道産子未来様

関心をお持ち下さって、ありがとうございます。3月16日に毛利正彦が亀井志乃を館長室に呼んで、3月31日で雇用期間が切れる旨を「通告した」つもりのようですが、亀井志乃は納得しないと答えて帰って来ました。その後、文学館では送別会やら離任式やらをやったようですが、亀井志乃は「納得していない」という理由で出ませんでした。
ただ、亀井志乃の「後任」は4月1日から出ているようです。「ようです」「ようです」と曖昧な言い方をして申し訳ありませんが、亀井志乃のその後の対応については、もうしばらく「伏せた状態」にさせて下さい。
ただ、道立文学館に関しては、それとは別な――しかし、決して無関係ではない――ことが分ってきました。やや迂遠なやり方ですが、そのことは近日中に報告できると思います。
亀井秀雄

投稿: 亀井 秀雄 | 2007年4月11日 (水) 21時28分

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