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北海道文学館のたくらみ(10)

新聞とブログ

○文学館側の〈言い分〉?
 一昨々日(2月27日)、北海道新聞社の記者から電話があった。〈亀井秀雄のブログで、北海道文学館で起ったパワー・ハラスメントのアピールほか、一連の記述を読み、文学館に問い合わせたところ、パワー・ハラスメントはなかったという返事だった。文学館の言い分とは食い違う点があるので、もっと事情を知りたい。もう一つ、なぜブログを使ったのか、その理由も知りたい〉。そんな主旨だった。
 
 新聞記者としては当然の配慮だろう。だから私は、べつに悪意に受け取ったわけではないが、「文学館の言い分」という言い方にカチンと来たので、つい言葉がきつくなってしまった。
 それは〈言い分〉ではなくて、〈言い訳〉〈言い逃れ〉〈誤魔化し〉ではないか。
 亀井志乃はきちんと事実を挙げ、条理明らかな形で質問をし、要求をしてきた。ところが文学館側は、亀井志乃が挙げた事実と認識に対して、何一つ反証していない。また、亀井志乃が問いかけた「任用方針」の決定のプロセスや、決定の正当性について、文学館側は全く答えようとしていない。はぐらかし、拒否し、その後は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。これは、文学館側には何の〈言い分〉もない証拠ではないか。
 
 もし文学館側が亀井志乃の挙げる事実を具体的に検討し、亀井志乃の論理と認識に対応し/対抗し得る論理と認識を主張し、それでもまだ互いに納得できない点が残るならば、「双方に〈言い分〉がある」と言うことも出来るだろう。つまり対等の〈言い分〉と扱うことが許されるだろう。
 しかし、拉致被害者の家族の訴えと主張と、北朝鮮の反応を見て、両者双方に対等の〈言い分〉があると考える人はまずいないだろう。仮に北朝鮮がモスクワや北京に対して何か説明らしい言辞を弄したとしても、そんなことは横田さん夫妻にとって――そして全地球の大部分の人にとっても――何の〈言い分〉にもならないのである。

 私は以上のようなことを、そのままそっくり道新の記者に言つたわけではない。ただ、私が「北海道文学館の側には〈言い分〉などない」と言つた理由は分ってもらえたと思う。
 丸山真男の「「である」ことと「する」こと」の言い方を借りるようだが、事実を挙げ、条理を通そうとする言説実践(実績)なしに〈言い分〉は生まれないのである。

○ブログの効用――空間性―
 そしてその翌日、つまり一昨日(2月28日)、その記者が小樽文学館に私を訪ねてきた。記事にする方向で取材をしている、という。印象のよい人で、質問も当を得ており、私もできるだけ率直に答えた。
 それが記事にどう反映されるか。それを待つことにして、具体的な応答の紹介は省略したいと思う。ただ、前日の質問にあったことでもあり、私のブログの使い方について語った内容だけは、ここに紹介しておきたい。私はあらましこんなふうに答えた。

 いま仮に私がブログを使わない人間だとしよう。その状態で、亀井志乃が去年から経験してきた事態が起ったとすれば、どんなに亀井志乃がパワー・ハラスメントをアピールし、解雇の不当性を訴えても、これまでの経過で明らかなように、文学館側ははぐらかしたり、黙殺したりして、訴えや要求を握りつぶし、なし崩しに時間稼ぎをして、最後は雇用期間切れを理由で追い出してしまうだろう。
 その経過をよく知らない人が、何かの機会に、亀井志乃が辞めた理由を聞いたとしても、「いや、あの人はむずかしい性格の人だったので」とか、「臨時で働いてもらった仕事が一応終りましたので」とか、文学館に都合のいい理屈で言いくるめられてしまう。そういう結果は目に見えている。
 
 私は初めからブログで取り上げたわけでなく、文学館側が誠実に対応することを期待して、様子を見ていた。だが昨年末の12月27日、館長毛利正彦の名による「回答」を読み、その不誠実な対応から、毛利以下の幹部職員がほとんど問答無用で亀井志乃を追い出そうとしている意図を察知した。そこで、北海道文学館でどんなに理不尽なことが行われようとしているか、ことの経緯を、ブログで明らかにすることにした。
 
 この記事については、アメリカや韓国からもメールや手紙が届いているが、日本の大学は言うまでもなく、アメリカや韓国の大学でも、若くて立場の弱い研究者たちがパワー・ハラスメントやアカデミック・ハラスメントに苦しめられ、しかし効果的な対応策も立てられないまま、泣き寝入りを強いられている。ブログによる、こういう戦い方もあるのだと、教えられ、勇気づけられた。そういう反響が来ている。

○ブログの効用――時間性―
 ブログというメディアの有利な点は、このように空間的に国際的な拡がりを持ち得ることだが、「時間」的にも独特な強みを持っている。
 その一つは時間的に素早く対応できることであって、ペーパーメディアを通して何事かをアピールする場合、編集者に事情を聞いてもらったり、原稿を送って掲載の可否を判断してもらったり、活字になるまで時間がかかる。いや、活字にしてもらう以前に、ありふれた話として聞き流されたり、原稿がボツになったり、結局空振りに終ってしまうかもしれない。
 ブログはそれに対して、事態の動きに同時進行的に対応しながら、現場感覚で事情を説明したり、意見を述べたりすることができる。
 今日(2月28日)取材したことが記事になり、それを拝見して私が何らかの意見を持った場合、それを北海道新聞に書かせてくれと要求することがあるかもしれないが、そんな歯がゆいことは飛ばして、むしろブログで即座に反応する方法を選ぶだろう。そんな意味のことも語った

 ブログには必ずその記事をアップした日時が明示され、しかも他者の意見や反論が書き込めるように「開かれている」。その書き込みの日時も明示される。
 その意味で、時間的な記録性、あるいは証拠能力が極めて高い。
 「北海道文学館のたくらみ」という一連の記事も、何時の時点でアップしたか、ちゃんと記録されている。また、今年の1月18日から「資料編」を始めたわけだが、資料に書かれた日付けだけでなく、その資料をブログに紹介した日時も明示されている。
 このように形成された記録のリアリティに、もし文学館側が対抗したいならば、文学館のブログを開くか、または私のブログにコメントを書きつける形で、自分たちが何時どのようなことを行い、それをどの時点で相手に伝えたかを明記するしかない。その時系列的な対応関係に裏づけられない〈言い訳〉を、どんなにもっともらしく新聞記者にしゃべっても、それは何のリアリティも持たないし、効力も持ち得ないだろう。

○瞬時の現前性
 ブログの記事は、いつでも鮮度の高い情報を伝えることができる。ペーパーメディアの記事は、時間の経過とともに、紙の堆積の中に埋もれてしまい、よほど高い関心の持ち主でないかぎり、わざわざ埃を払い、ページをめくって読もうとはしないだろう。まして何日か間を置いて、飛び飛びに書かれた関連記事や、週刊誌記事や、月刊誌記事など、全部を探し出して目を通そうという人は、ごく稀にしかいない。
 ところがブログの記事は、そのURLをクリックするだけで、何ヶ月前、何年前の記事も、瞬時に現前し、鮮度はいささかも失われていない。連載記事も続けて読むことができ、事態の推移や書き手の考え方を容易に辿ることができる。
 
 私のブログは現在、1日平均250くらいのアクセスがある。(ホーム・ページのほうは、最近更新をしていないので、1日に平均60前後。)何百万という発行部数を誇る新聞に較べれば、ごくごく僅かな人の目にしか触れないわけだが、しかし見方を変えれば、250の何倍かの人が積極的な関心を持ち、半月か一ヶ月に一遍くらいの頻度で読みに来てくれる。これほど心強いことはない。
 その中には私に批判的な人もいるだろうが、にもかかわらず関心を持続してもらえることの意義は大きい。
 もし私が北海道新聞に書かせてもらうならば、その文章は何百万かの人の目に触れる可能性があるわけだが、文化欄に目を通す人はその何百分の1程度だろう。仮に目を通したとしても、そんなこともあるんだな、と読み流してしまう。北海道文学館の現状に関心を喚起され、問題意識を抱いてくれる人は、またその何百分の1程度かもしれない。もちろんそのメリットは大きいが、私自身としては、継続的に私のURLをクリックしてくれる人を大切にし、その人たちの理解に賭けたいと思う。
 
○北海道情報公開条例の保証
 私は1月25日の「北海道文学館のたくらみ(6)」から、寺嶋弘道主幹や、川崎信雄業務課長の実名を出すことにした。もともと彼らは対外的な責任を負う管理職であり、特に寺嶋弘道は自分を管理職扱いにすることを高圧的に強要してきた男であるから(「北海道文学館のたくらみ(4)」参照)、実名を出すことに何の問題もない。いや、実名を出さないで、彼のプライドを傷つけていたかもしれない。
 ただ、私の当面の狙いは、神谷理事長や毛利館長や平原副館長の対応を糾すことだった。そのため、寺嶋や川崎の実名は伏せておいたのだが、「北海道文学館のたくらみ(6)」で書いたように、毛利正彦の筋違いな言いがかりがあり、それならば亀井志乃の名前を出す。同時に寺嶋や川崎の名前も出させてもらうぞ、ということになったわけである。

 理由はそれだけではない。「北海道情報公開条例」の第11条に、「実施機関は、開示請求に係る公文書に非開示情報が記録されている場合であっても、当該情報を開示することが人の生命、身体、健康又は生活の保護のため公益上必要があると認めるときは、当該公文書に係る公文書の開示をするものとする。」とある。
 仮に寺嶋弘道や川崎信雄の実名が非開示の個人情報であるとしても、文学館内の人権侵害や、一方的な生活権の侵害を止めさせ、文学館内の風紀を正すことが、そのまま公益を守り、高めることにつながる以上、彼らの実名が記された公文書――亀井志乃のアピール文や質問・要求文、それに対する毛利正彦や神谷忠孝の「回答」「返答」も公文書であること、言うまでもない――の開示は可能であり、開示すべきなのである。

○できれば私のURLを
 私は以上のほかにも、私におけるブログの意味について語ったが、少し自慢話も混じっているので紹介は遠慮したい。どういう記事になるのか、もちろん分らないが、一つ希望を言えば、私のブログのURLを紹介してもらいたい。できるだけたくさんの人に、私の記事と資料編をきちんと読み通し、その上で是非を判断してもらいたいからである。
 

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