北海道文学館のたくらみ(8)
神谷忠孝の致命的な失態
○神谷忠孝の奇妙な返書
前回に紹介したように、今年の1月17日、文学館長の毛利正彦から嘱託職員・亀井志乃に「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」という文書が渡された。しかし亀井志乃は「これは回答の体をなしていない」と批判し、理事長の神谷忠孝に「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」という要求書を送った。(「要求書」の全文は、資料編http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/の資料7を参照されたい)。
それに対して、神谷忠孝からペン書きの返書が、2月6日、亀井志乃に郵送されてきた。次に紹介するように、それは形式、内容、いずれも整わず、何か無残な荒廃を感じさせるものだった。
《引用》
前略 平成十九年一月二十二日消印の理事長宛文書を受け取りました。二月六日までに回答書を直接渡してくださいとの要望ですが、本務校の入試業務に専心しているため手紙で回答します。
この件については、一月十七日に毛利正彦館長から回答させた通りです。
平成十九年二月四日
財団法人北海道文学館理事長
神谷忠孝 印
亀井志乃殿
これを公的な文書と見れば、文書のタイトルが明記されていない。毛利正彦の「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」もひどい文章だったが、さすがにタイトルをつけることは忘れていなかった。ところが神谷の返書は「前略」と始まり、おまけに「この件」が何を指すか、この文書内では特定できない。「この件」とは、亀井志乃の「神谷忠孝理事長の責任ある回答を要求する」の内容と要求事項を指すのだろうが、その意味で神谷の返事は他人の文章に依存した、片手落ちの、非自立的な文章でしかないのである。
この依存性は、「一月十七日に毛利正彦館長から回答させた通りです」にも現われている。自分の言葉で説明し、回答する意志も自信もなかったのであろう。
では、これは私信なのか。しかし彼は、館内で起った出来事の事実認識や、財団の人事に関する質問や要求への返答としてこれを書き、しかも北海道文学館における自分の地位、肩書きを明記して、署名・捺印している。公文書として受け取り、扱うほかはない。
そこで、公文書・書式マニアの寺嶋弘道さん、一つ相談なのだが、立場の弱い嘱託職員にばかり威張らないで、おたくの上司たる毛利館長や神谷理事長に、まともな文章で、形式整った文書が作成できるよう、助言してやってくれませんか。お願いします。
○公文書とは
しかし、まだ私には疑問が残る。
神谷忠孝が亀井志乃に送った先ほどの文書は、一人の私人の立場で、もう一人の私人に送った私信ではない。一人の公人(財団法人北海道文学館理事長)の立場で、もう一人の公人(財団法人北海道文学館嘱託職員)に送った、公文書なのである。
当然それは公文書として記録に残り、だから第三者が公文書として開示を求めた場合、それを開示しなければならない。この大事な原則を、神谷忠孝はどこまで自覚していただろうか。
公文書や情報公開の問題は、私の今後の記述や行動と深く関係するので、あえて寄り道をさせてもらうならば、どうやら一般的には、〈情報公開法で言う「情報公開」とは、行政の方針や決定事項を一般に周知させることだ〉という程度に理解されているらしい。
確かにそれも情報公開の一部ではあるが、むしろそれは行政の広報活動と言うべきだろう。情報公開法の趣旨は、行政が何ごとか方針を決定する場合のプロセスや、その実施過程を透明化することであり、だから情報公開とは、そのプロセスを示す/プロセスで用いられた公文書を開示することなのである。
しかもこの場合の「公文書」は、単にペーパー文書だけを意味するわけではない。「北海道情報公開条例」に従うならば、「実施機関(知事や教育委員会など、行政の主要な機関)が作成し、又は取得した文書、図画及び写真(これらを撮影したマイクロフィルムを含む。)並びに電子計算機による処理に使用された磁気テープ、磁気ディスクその他一定の事項を記録しておくことのできるこれらに類する物であって、実施機関が管理しているもの」(第二条三項)、これらが全て公文書に入るわけである。
毛利正彦が亀井志乃に渡した「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」は、明らかにパソコンから刷り出したものであり、多分彼のパソコンにはそのデータが残っている。それも公文書であること、言うまでもない。
ところが神谷忠孝が亀井志乃に送った文書は、便箋1枚に万年筆で手書きされたものであり、もし彼がその複写を手元に残しておかなかったならば、彼は自分の行為を公文書によって説明する手段を失ったことになる。
○公文書の開示
もう少し具体的に説明してみよう。
たとえば独立行政法人の国立大学が教員を採用する場合、現在は公募制を取ることが多い。
その一般的なやり方は、まず教授会が選考委員会を作ることを決定し、選考委員を選出する。こうして結成された選考委員会が、教員候補者の募集方針を決めて、これを広く公表し、それに応募した人が提出した履歴書や研究業績一覧や、著書・研究論文などを審査して、教授会に審査結果を報告する。
教授会はその報告を受けて、質疑応答を行い、次回の教授会で投票して採否を決めるわけだが、この決定に至るまでの文書(応募者から提出された履歴書や著書・研究論文、審査結果の報告書、教授会義理録など)や、議事録などを、国立大学では「法人文書」と読んでいる。それに相当するものを、北海道庁では「公文書」と呼ぶらしい。
この法人文書は、公募に応じた応募者だけでなく、たとえ第三者からであっても、開示の請求がある時は、その請求に応じなければならないのである。
私は北海道大学の情報公開の方針を策定する委員会の委員をしたことがあるが、その委員会でどんな議論をしていたか。最も分りやすい具体例を、もう一つ二つ挙げるならば、私たち教師は教授会で、学生の取得単位や成績一覧表を見て、教養課程から専門課程への進級を決定したり、卒業要件を満たしているかどうかを判断したりする。この場合の取得単位表や成績一覧は教授会資料として配布されたものであり、当然公文書(現在では法人文書)として保管される。
だが、それだけでない。この取得単位や成績には、学生の答案やレポートに関する教員の評価(採点)が反映されている。それによって私たちは進級を認めたり、卒業予定者を決定したりするわけだが、そうである以上、答案やレポートも公文書(法人文書)に入るだろう。
また、一つの講義課目を複数の教員が担当し、学生の成績評価に関して、電子メールで意見の交換を行う場合もあり得る。この電子メールは成績評価の合意が形成される過程の記録であり、もちろん公文書(法人文書)に数えなければならない。
そうなると、誰が責任をもってその公文書(法人文書)を管理するかが問題になる。教授会資料や議事録は事務部が保管・管理するわけだが、学生の答案やレポートなどは「教員保有文書」として、個々の教員に保管・管理させるのが妥当だろう。
ただ、そのやり方をそのまま進めると、「教員保有文書」が膨大なものになりかねない。だから、次善の策として、一定の年限までは答案やレポートなどの保管を義務づけ、その期間を過ぎたものについては、保有するか廃棄するか、教員の判断に任せてもいいのではないか。
では、誰が答案やレポートの開示を請求できるだろうか。点数や成績評価は個人情報として護られなければならず、だから原則として「不開示」(「北海道情報公開条例」では「非開示」)とすべきだが、本人自身から請求があった場合は、「本人情報」として開示すべきだろう。入学試験の結果に関する、受験生自身の請求も同様に扱うべきではないか。
私たちはそんなふうに、想定できる様々な事例を一つ一つ検討してきた。私自身は成案ができる前に、文学部を代表する評議員の任期が終わり、それと共に情報公開に関する委員会も退いた。それから間もなくして定年退職となったわけだが、その4年後の平成16年に、「国立大学法人北海道大学情報公開規定」や「同文書管理規定」が評議会決定された。私たちの議論はこれらの規定や、これらの運用に関する申し合わせに反映されていると思う。
○「北海道情報公開条例」の場合
以上のような経験を持つ私から見ると、「北海道情報公開条例」はまだかなり粗っぽい印象が強い。しかしもちろん個人のプライバシーを保護する条文は含まれており、「非開示情報」については、次のように定義している。
《引用》
個人の思想、宗教、身体的特徴、健康状態、家族構成、学歴、職歴、住所、所属団体、財産、所得等に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、特定の個人が識別され得るもののうち、通常他人に知られたくないと認められるもの(第十条一項)。
ただし、ここに列挙されたもの全てが「非開示情報」となるわけではない。もしそんなことになれば、マスメディアは何も書けなくなってしまうだろう。
平成13年に出来た「独立行政法人等の保有する情報の公開に関する法律」は、国立大学法人の情報公開規定の〈親規定〉とも言うべき法律であるが、公務員や独立行政法人の職員の場合、その役職や職務内容の情報は「不開示情報」から除外し、開示されるべきものとている。
その条文はやたらに挿入句が多く、文脈が辿りにくいので、私なりに分りやすく砕いていえば、〈その個人が国家公務員や、独立行政法人等の役員や職員である場合、または地方公務員や、地方独立行政法人の役員や職員である場合は、その個人がどんな職に就き、どんな内容の職務を遂行しているかは、「不開示情報」に含まれない。つまり開示できるし、開示の請求を拒んではならない〉(第五条一項のハ)。
それはそうだろう。どんな名前の人間が、どんな仕事をしているか、不開示(非開示)のお役所なんてものがあったら、それこそカフカの世界になってしまう。
そんなわけで、先ほどの例にもどって言えば、教員公募に応募した人――特に教員候補者に選ばれず、落とされた人――の個人情報はどこまで守られなければならないか。私が情報公開の方針に関する委員会の委員だった時、そんなことも話題になった。個人情報が含まれているからという理由で、先のような公文書を全て非開示情報にすれば、情報公開の趣旨に反してしまう。応募者の個人名、性別、年齢などは読み取れないようにして――例えば該当箇所を墨で塗りつぶして――それ以外は全て開示すべきだろう。
私たちはそんな議論をしたわけだが、現在は、全国の国立大学法人だけでなく、各地の自治体も、ほぼ同じ基準になっていると思う。次に引用するのは、「北海道情報公開条例」の考え方である。
《引用》
実施機関は、開示請求に係る文書に、非開示情報とそれ以外の情報が記録されている場合において、非開示情報とそれ以外の情報とを容易に、かつ、開示請求の趣旨が損なわれない程度に分離することができるときには、……当該非開示情報が記録されている部分を除いて、当該公文書に係る公文書の開示をしなければならない(第十条七項の2)。
冒頭の「実施機関」は分りにくい言葉であるが、第二条の規定によれば知事、教育委員会、選挙管理委員会、監査委員会、人事委員会など、行政の主要な機関を指す。
○財団法人北海道文学館の情報公開義務
このような条例は当然のことながら財団法人北海道文学館も拘束する。次の条文の「実施機関」を、「北海道教育委員会」と置き換えれば、その意味するところがよく分かるだろう。
《引用》
道が出資その他の財政上の援助を行う法人等であって、実施機関が定めるもの(以下「出資法人」という。)は、経営状況を説明する文書等その保有する文書の公開に努めるものとする。(「北海道情報公開条例」第二十七条一項)。
実施機関は、出資法人等が保有する文書であって、実施機関が管理していないものについて、その閲覧又はその写しの申し出があったときは、出資法人等に対して当該文書を実施機関に提出するよう求めるものとする。(同前第二十七条二項)
要するに私たちは、財団法人北海道文学館に直接公文書の開示を求めることができるし、北海道教育委員会の情報公開窓口を通して、財団法人北海道文学館の公文書の開示を求めることも出来る。言葉を換えれば、北海道教育委員会は財団法人北海道文学館の情報開示を仲介する義務と責任を負っているのである。
駐在道職員の寺嶋弘道は、やたらと公文書の書き方に見識を見せていたようだが、公文書の書式に大きな違いがあるわけではない。財団のフォーマットがあるならば、それに従えばいいのであって、重要なのは、道民に対する責任として、道民への開示に耐えられる公文書をきちんと作成し、保管しておくことだろう。もし意志決定の手続きや、事業の実施とその結果にかかわる記録を残さず、情報の開示の請求に応じられないなんて羽目になったら、道職員もヘッタクレもない、そもそも公務員として失格なのである。
ところが神谷忠孝は、そのヘッタクレもないことを、自ら率先してやってしまった。私は教授会で何回も情報公開の問題を説明し、全学的に理解してもらわねばならない文学部の特殊な事情があるとすれば、それは何か、意見を求めたりした。しかし神谷はどこ吹く風の上の空、いい加減な気持で聞き流していたのだろう。
○墓穴を掘った神谷忠孝
私は、毛利正彦の「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」を見た時、毛利や神谷はずいぶん早々と白旗を掲げてしまったな、と思った。
彼らは亀井志乃の質問や要求に全く答えることができない。その敗北宣言としか読めなかったからである。
亀井志乃の質問の一つに、〈意思決定の正当性を、決定に至るプロセスとそれを示す公文書によって証明してくれ〉という意味のものがあった。だが、毛利たちはそれに答えることができなかった。それはきちんとしたプロセスを踏まなかったためと思われるが、ひょっとしたら、そもそも質問の発想それ自体が理解できなかったためかもしれない。
もっとも、彼らは〈なあに、人事権は自分たちが握っている。だから亀井志乃の言うことなど一切無視して、時間を稼ぎ、4月に締め出しを食らわせれば、それで一件落着さ〉と、陰険な権力者意識で敗北感を糊塗しながら、「これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません」などと突き放しにかかったのだろう。
それでも敗北感は癒し切れず、亀井志乃と私に、悔し紛れの厭味を述べ立てたわけだが、前々回(「北海道文学館のたくらみ(6)」)で紹介した毛利の文章の、「こうした要求・質問を私どもに対し行い……」以下を、もう一度読んでみて貰いたい。その厭味な言いがかりが〈ナントカの最後っ屁〉みたいで、何だかみっともない。私は可笑しかった。
しかし亀井志乃の立場では、ただ可笑しがっているわけにもゆかず、彼女は毛利の文章を懇切丁寧に分析、批評して、神谷忠孝に送り、改めて回答を求めた。(資料編「資料7」参照)
それに対する神谷の返事が、初めに紹介した蒟蒻文だったわけだが、本人としては「こんなことは、私が取り合う筋ではない」と大いに見識を見せたつもりかもしれない。「この件については、一月十七日に毛利正彦館長から回答させた通りです」と、毛利正彦を格下扱いにした、尊大、横柄な返答。しかし実は、舌足らずの恥の上塗り。
なぜ恥の上塗りか。毛利正彦の敗北宣言と、見当違いな言いがかりをただ追認しているだけだからである。
ただしこの場合は、単なる追認では済まされない。神谷忠孝は、亀井志乃の毛利の文書に対する批判を承知の上で、毛利の「回答」は自分の意志から出たものであることを認めた。あれは私が毛利館長に「回答」させたものだ、と。
ということはつまり、神谷は、亀井志乃の次のような批判を、自分に向けられたものと認め、異論もなく納得した。これは「亀井志乃の権利を侵害した」事実を、神谷自身が引き受ける意志を表明したことにほかならない。
《引用》
(財)北海道文学館副理事長にして北海道立文学館館長である毛利正彦氏は、先ほど紹介した主文において、「これ以上、あなたの要求・質問にお答えするつもりはありません。」と答えています。また、口頭でも、「あんたへの回答は、この前の、12月27日の返事でつきていると私は思うよ。財団は、何より、いま現にやらなければならない仕事をやっていかなくちゃならないんだ」と、私に言い渡しました。
しかし私は、一方的に解雇通告を受けた被雇用者として、その理由と経緯について質問をする権利を持っており、毛利正彦氏または(財)北海道文学館理事長の神谷忠孝氏はそれに答える責任と義務を負っています。にもかかわらず、このように回答拒否の姿勢を示すことは、自分(たち)の責任と義務の放棄であり、私の権利の侵害を意味します。(「神谷理事長の回答を要求する」。資料編・資料7)
神谷はこのような批判を自分の責任において引き受けたわけだが、それをずっと手繰って行けば、毛利たち幹部職員がとってきた一連の対応の責任を、今後、神谷が一手に引き受けることになったという意味になる。毛利や平原や寺嶋がそれに気がついたら、シメタ!! とばかり手を拍って喜ぶだろう。
神谷の返書に対して亀井志乃がどんな対応をしたか。それは近日中に、「資料8」として資料編に紹介するつもりだが、ともあれ、自己保身術に長けたあの神谷忠孝が、こんなふうに自ら墓穴を掘ってしまったのである。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 北海道から沖縄独立を考える(2015.10.18)
- わが歴史感覚(2015.09.29)
- 安保国会の「戦争」概念(2015.09.16)
- 歴史研究者の言語感覚(2015.08.31)
- 日本文学協会の奇怪な「近代文学史」観(2015.07.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
国文畑同士の悪口合戦をみているようで面白いですw
投稿: HANA | 2007年2月15日 (木) 11時14分