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北海道文学館のたくらみ(7)

パワー・ハラスメントの実態(下)

○財団・北海道文学館と北海道教育委員会との関係
 さて、少し間が空いてしまったが、話をパワー・ハラスメントに戻すならば、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃嘱託職員をいびるために利用した、もう一つのハラスメント・パターンは、ことある毎に書類の書き方にケチをつけるやり方だった。
 そのやり方には、一種マニヤックな権力顕示の嗜好さえ感じられる。どうやらそれは、〈自分は道立文学館に駐在する北海道教育委員会の職員だ〉という自負から生じたらしい。その点を理解するために、まず道立文学館と財団・北海道文学館の関係を整理しておこう。

 現在、札幌市の中島公園に立っている北海道立文学館は、言うまでもなく道立の公共施設であって、機構上は北海道教育委員会に属する。
 ただし、北海道教育委員会が直接それを管理運営してきたわけではない。道教委はその管理運営を、昨年度(2005年度)まで、民間の有志が立ち上げた財団・北海道文学館に委託してきた。
 その委託事業費として、道は毎年、財団・北海道文学館にお金を渡してきたわけだが、その金額は1年に約1億7千5百万円。それに対して、財団・北海道文学館が自分の基金から捻出できる事業費は、年間、わずかに1千万円強でしかない。
 財団・北海道文学館はその二つを併せ、さらに札幌市等から、年に3百万円ほどの補助金を貰い、年間約1億9千万円ほどの予算で、道立文学館を管理運営してきた。要するに年間予算の92%を道から貰ってきたわけで、予算面の依存度が如何に大きいか、よく分かるだろう。
 逆に言えば、民間の財団法人で、これほど美味しい仕事をちょうだいしてきた財団は滅多にないだろう。

○指定管理者制度の旨味
 ただ、今年度(2006年度)から、美味しさの質が少し変わってきた。今年度から道が文化施設の管理運営に指定管理者制度を導入することになり、財団・北海道文学館を道立文学館の管理者に指定したからである。
 この新しいやり方と、従来の委託制度とどこが違うのか。
 従来の単年度会計と違って、道は道立文学館の運営の負担金として、財団に、今後4年間で総額5億6千937万円(『北海道新聞』2006年1月6日)を渡して、その使い方は財団に任せる。そして4年後に、指定管理者の見直しを行うことになった。
 これを表面的に見れば、道から出るお金は年に平均して3千万円ほど減り、しかも4年単位でその実績を評価される。「文学という精神的、文化的な営みの成果は長期的なスパンでなければ見えてこない。それを4年単位で実績評価し、予算は1年に3千万円も減らされる。これは文化の抑圧じゃないか」。そんなふうに憤慨してみせる〈文化人〉も多かった。
 しかし、そういう見識ぶった〈文学者〉や〈文化人〉の正論には、どこか胡散臭さが感じられる。「1年に1億7千万円であれ、1億4千万円であれ、とにかく道民の税金をたくさん使わせてもらっているわけだが、そもそも文学とか文学館とかに、それだけのお金を使う意味があるのか。文学館はどのようにして道民に「文学」を還元することができるのか」。そういう発想を欠いた見識など、要するに「やらずぶったくり」の隠れ蓑でしかないからである。道民に「文学」を還元するとは、「北海道文学を普及することだ」なんて議論は、もうとっくに破産している。
 
 ただし、そういう言い方に抵抗を感ずる人も多いだろう。もし異議があるならば、私のHP「亀井秀雄の発言」(
http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/)の「文学館を考える―その外延と内包―」や「文学館の見え方」を読んでもらえるとありがたい。
 いずれこのブログでも、北海道文学館の今年度の実績に基づいて、もう一度じっくりと考えてみたいと思っているが、差し当たり一つ、財団・北海道文学館の道に対する依存度がどれほど大きいなものか、頭に入れておいてもらいたい。その財団が、北海道教育委員会からの民間委託という形で、4年間という時間と、5億7千万円に近いお金を保証された。時間とお金の使い方を任されたのである。
 そこで早速、今年度は、企画展のドタ・キャン(「北海道文学館のたくらみ(5)」参照)という大ポカをやらかして、しかしどうやらお咎めなし。財団の職員にとって、こんな美味しい仕事は滅多にないだろう。

○駐在道職員の〈蚤取りまなこ、あら探し〉
 またしても横道に逸れかけてしまったが、ともあれ以上のような制度変化に伴って、寺嶋弘道が北海道教育委員会から駐在道職員の学芸主幹として送り込まれてきたのである。
 もちろん前年度(2005年度)まで、つまり「委託」時代にも、道からの「派遣」職員がいなかったわけではない。年度末に出た『2006 資料情報と研究』(北海道立文学館、2006年3月25日)を見れば分かるように、翻刻や資料紹介など、学芸員として不可欠の基礎的な作業をしている。ところが、「委託」から「指定管理者」制度に変わると共に、――どういう理由か分からないが――その職員たちは文学館以外の部署に移され、その代りに、寺嶋弘道という、道職員根性のバリバリ男が「駐在」することになったのである。
 
 なぜ道職員根性バリバリ男なのか。指定管理者制度に変わった以上、道立文学館の運営の主体は財団・北海道文学館に一元化され、事務上の書式も財団のそれに準ずることになったはずである。また、たとえまだ二重システム的な面が残っているとしても、財団の職員が財団の仕事に関する書類を作るに当っては、財団の書式に従う。これは至極当然なやり方だと思われるのだが、寺嶋弘道はあえてそれに干渉してきた。自分には、道職員の流儀を押しつけることが許されている、いや、それが自分の使命だ、と思い上がり/思い詰めているのだろう。
 
 財団の嘱託職員の亀井志乃は、書類作成の面でも駐在道職員の寺嶋弘道からさまざまな干渉を受けて来たが、その一例を、「質問状に対する意見交換」(資料編・http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「資料2」参照)で、次のように書いている。
《引用》
 
もう一つは、書式自体の問題である。鈴木社会教育主事・阿部学芸員の双方からかつて別々の機会に指摘があった事だが、道の書類の書式と財団のそれとは、決して同一ではない。だから、財団のものとして作成し、財団に保存されてゆく書類は、基本的に、財団の書式をクリアしていれば何も問題は生じないこととなる。
 亀井も、それが道理と思ったので、たとえば明治大学図書館に提出する〈職員派遣依頼書〉については、まず作成してから、川崎課長・永野主査・丹伊田主任に目を通していただいた。その時点で、誰からも異論は出なかった。レイアウトだけは、多少、永野主査からの直しが入った。ちなみにこの時下敷きにしたのは、文学館のサーバーに残されていた、青柳文吉事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)である。これはもちろん、この形式でその時に承認された書類であろうと思われる。

 
だが、寺嶋主幹は、レイアウトや標題を訂正するのみならず、「四」を「4」と直し、「申し上げる次第です」を「申し上げます」、「伺う日時」を「調査日時」とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を行い、その書類を亀井に差し戻した(寺嶋主幹の訂正例(3))。
 
 亀井は、その時点(10月7日)では、誰の残した書類を参考にし、誰の訂正を受けたのか、いちいち言上げすることは責任転嫁になりかねないと考え、黙っていた。しかし、もし、寺嶋主幹の訂正が、本質的に重要かつ重大な訂正ならば、主幹は、それと同じ修正を、少なくとも亀井にしたのと同じやり方と言い方で、上に挙げた諸氏にも要求、または強制しなければならないだろう。そうでなければ、館長・副館長・主幹らが常日頃主張するところの〈平等〉や〈公平性〉を、自ら裏切っている事になる。

 
また、そうではないとするならば、財団(嘱託)職員の亀井が、本質的でもない事について、ほとんど常に、道の主幹から少なくとも二回は書類を作り直させられ、起案の承認をそのつど遅らせられている実態を、この館の責任者諸氏は一体どのように考え、説明づけるのであろうか。この事に関して、こうして亀井が声をあげない限り、書類作りや業務の遂行が遅いのはいつも亀井の責任となり、対外的にも、亀井の信用が損なわれることになってしまうのである。
                                 《引用、終わり》
 こうして見ると、寺嶋弘道はその道職員バリバリ根性を、もっぱら亀井志乃嘱託職員をターゲットに発揮していたらしい。
 このブログでは紹介を省略したが、亀井志乃は何種類も寺嶋弘道が「添削(?)」した書類を手元に置いてある。この時問題となった「
明治大学図書館に提出する〈職員派遣依頼書〉」についても、毛利正彦文学館長や平原一良副館長の求めに応じて、そのコピーを、「質問状に対する意見交換」と一緒に、渡しておいた。
 
 そんなわけで、ここでは亀井志乃の説明に基づいて、検討を進めることになるわけだが、たとえ役所に勤めたことがなくても、役所と交渉がある仕事をしてきた/している人ならば、誰でも知っているように、この種の文書はフォーマットが決まっていて、本人が書き込む箇所はごく少ない。文言もほぼ決まっている。
 亀井志乃は財団の文書の前例を参照してそれを書いた。業務課ではレイアウトに一寸した手直しがあっただけで、特に問題点を指摘されることなく承認されたのだが、寺嶋弘道はマニヤックなまでに細かく字句を穿鑿して、17箇所も修正点を見つけ出し、亀井志乃に書き直しを求めた。そのやり方は、蚤取りまなこのアラ探し。これはもう小姑的な過干渉と言うほかはないだろう。
 
 そう言えば、先の北海道教育委員会の大物管理職・毛利正彦文学館長も、亀井志乃の言葉尻を捉えては、逆ねじを喰らわせる。だが、本質論には決して相渉ろうとしない。その文章力は、前回に紹介した「亀井志乃嘱託員からの再度の要求・質問について」の如し。北海道教育委員会が管理職を選ぶ基準が、何となく分かるような気がする。
 
○大学図書館のルールと寺嶋弘道
 だが、そこがバリバリ男の勇み足と言うべきだろう。もともと明治大学図書館は「職員派遣依頼書」など求めてはいなかったのである。
 亀井志乃は平成19年の2月17日から始まる企画展「人生を奏でる二組のデュオ~有島武郎と木田金次郎 里見弴と中戸川吉二展~」(~3月18日)の主担当として、準備にかかっていた。早めに目を通しておきたい資料が、明治大学の図書館にあることが分かり、電話で「見せてもらえるかどうか」と問い合わせたところ、図書館が快く応じ、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい」という返事だった。
 要するに明治大学の図書館が求めたのは「紹介状」であり、本人がそれを持参することだったのである。

 私も大学の教師だった時代、よく学生から、「この大学の図書館に、北大では見られない資料があるので、紹介状を書いて欲しい」と頼まれた。その場合の紹介状には、特に決まった書式があるわけではない。その大学の図書館に宛てて、①自分がこの紹介状を持参する学生の指導教官であること、②この学生の研究テーマはこれこれであること、③その研究のため、貴図書館が所蔵する書籍等を閲覧させて欲しいこと、つまり「人物紹介」「用件」「依頼」を簡潔に書き、その上で私の職・氏名を記し、捺印する。
 大学の図書館が求める「紹介状」とはそういうものであって、なぜ閲覧を希望する本人が持参しなければならないか。本人がそれを持参した事実によって、「本人確認」が可能となる。また、もし万一資料を破損された場合、最終的に誰がその責任を負ってくれるのか、それを確認するためである。

 亀井志乃は、明大図書館がいう「紹介状」とは、そういうものと理解した。それならば、「人物紹介」「用件」「依頼」を簡潔に書き、職場の長の氏名に公印を押してもらい、自分が持ってゆけばよいのである。
 ところが、それを聞いた寺嶋弘道は、「職員派遣依頼書」という書類を作り、事前に明治大学の図書館へ送っておかなければならないと言い出した。この寺嶋弘道という駐在道職員の学芸主幹は、大学図書館を利用したことがなかったのかもしれない。
 いくら亀井志乃が、「先方が求めたのは「紹介状」であり、自分が持参しなければ「本人確認」の意味をなさない」と説明しても、耳を貸そうとしない。「紹介状」を「職員派遣依頼状」と勘違いしたまま、――あるいは、わざと「紹介状」を「職員派遣依頼状」にすり替えて――「送るんだよ! これは公文書なんだから、先に相手側に送っておくんだよ! 10月20日に派遣するという書類を、当日持っていったってしょうがないだろ!」と怒鳴り始めた、という。
 依頼状であれ、紹介状であれ、そういう書類と本人が別々に行ったら、図書館側ではアイデンティファイに困るだろう。その理屈が寺嶋弘道には飲み込めない。飲み込むつもりもない。やむを得ず亀井志乃は前例を参照して、「職員派遣依頼書」を作ったところ、今度は字句の穿鑿でケチをつけ始めた。
  
 寺嶋弘道としては、自分は北海道教育委員会ふうに礼を尽くした公文書の書き方を教えてやっただけだ、と言い逃れするかもしれない。だが、果たしてそうならば、亀井志乃が指摘するように、「
もし、寺嶋主幹の訂正が、本質的に重要かつ重大な訂正ならば、主幹は、それと同じ修正を、少なくとも亀井にしたのと同じやり方と言い方で、上に挙げた諸氏にも要求、または強制しなければならないだろう。
 「
上に挙げた諸氏」とは鈴木社会教育主事であり、阿部学芸員であり、川崎課長であり、永野主査であり、丹伊田主任であるが、なぜ寺嶋弘道は嘱託職員の亀井志乃をターゲットに選び、これら正職員には要求も強制もしないのか。これでは、「館長・副館長・主幹らが常日頃主張するところの〈平等〉や〈公平性〉を、自ら裏切っている事になる」だろう。

○亀井志乃の態度
 以上は、書類作成に関する過干渉の一例にすぎず、亀井志乃は「質問状に対する意見交換」でなお幾つかの事例を挙げている。関心のある人は、資料編の「資料2」を見てもらいたい。見てもらえば、寺嶋弘道がどんな態度で何を目論んで干渉していたか、おおよその察しがつくだろう。亀井志乃はそれ以外にも、寺嶋弘道の過干渉を物語る「添削(?)」例を持っており、彼女の側からすれば、「
本質的でもない事について、ほとんど常に、道の主幹から少なくとも二回は書類を作り直させられ、起案の承認をそのつど遅らせられている」。それほど執拗だったのである。
 
 このような干渉が繰り返され、そして「パワー・ハラスメントの実態(上)」、「同(中)」で指摘したような、これ見よがしの、居丈高で侮蔑的な嫌がらせを繰り返す。寺嶋弘道学芸主幹の亀井志乃嘱託職員に対する嫌がらせは、日常的に常習化していた。そう言うしかないだろう。
 ところが、他の職員は見て見ぬ振りをしている。亀井志乃は「駐在道職員の高圧的な態度について」(資料編・「駐在道職員の高圧的な態度について(その3)」参照)において、次のように関心を喚起していた。
《引用》
 
今まで亀井は幾度か他の職員に事情を話し、一方、職員のうちの幾人かも、亀井が主幹に上記のような扱いを受けている場面をしばしば見かける機会があった。それにも関わらず、これまで何ら有効な対応もなされてこなかったということは、もしかするとこの〈北海道立文学館〉という組織そのものに、ハラスメントの素地があると言えるのではないだろうか。

 今度の場合も次のように、関心を促していた。
《引用》
 
(これまで述べてきたような)実態を、この館の責任者諸氏は一体どのように考え、説明づけるのであろうか。この事に関して、こうして亀井が声をあげない限り、書類作りや業務の遂行が遅いのはいつも亀井の責任となり、対外的にも、亀井の信用が損なわれることになってしまうのである。

 ただし、亀井志乃はこの問題に関しても、寺嶋弘道の処分を求めたわけではない。自分が経験したことを一般化し、どこの官公庁でも起りかねない問題として普遍化しながら、次のようなことを期待しただけなのである。
《引用》
 
しかし公文書は、公式記録として保存されるものであるため書き方に一通りの心得が必要なものである。それだけに、記入の不備を理由に、侮蔑的な態度をとったり言葉を投げかけるなどして、繰り返し書き直しを要求するような行為は、組織の上位者が最も行いやすい嫌がらせ(ハラスメント)の一つであるといえる。今回の事例以外でも、今後、そのような行為が当館で行われないよう、ここに切に願うものである。

○神谷、毛利たちの頬かむり
 しかし神谷忠孝理事長も、毛利正彦文学館長も、平原一良副館長も、川﨑信雄業務課長も、寺嶋弘道学芸主幹も、文学館の体質にかかわる、職員共通の問題として、彼女のアピールと要望を取り上げることをしなかった。
 もし取り上げるならば、寺嶋弘道の行為に何らかの判断を下さざるをえない。だが、その結果、大金主たる北海道教育委員会のご機嫌を損ねたらどうしよう。何もわざわざ虎の尻尾を踏むような危険を冒さなくてもいいじゃないか。そんな警戒と怯えがあったのだろう。

○新たなテーマ
 亀井志乃が寺嶋弘道のパワー・ハラスメントをアピールせずにいられなかった実態は、およそ以上の如くであった。
 彼女は当時も、そして現在も、自分が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ~有島武郎と木田金次郎 里見弴と中戸川吉二~」の準備に追われているわけだが、それでは、毛利正彦が言う「任用方針」の撤回を求めて以来、彼女がどんな状況の中に置かれているか。次回はそこから入ってゆきたい。

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