« 北海道文学館のたくらみ(4) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(6) »

北海道文学館のたくらみ(5)

パワー・ハラスメントの実態(「中」の補足)
――「いい人」たち――

○不二家事件の視点から
 私はK嘱託職員の「駐在道職員の高圧的な態度について」の次の箇所を読み、いかにも平原らしい〈たくらみ〉だなあと、改めて平原一良副館長の人となりに感じ入った。
 T学芸主幹がケータイフォトコンテストを思いつき、K嘱託職員と平原一良副館長とT学芸主幹の3人が「館長室」で相談した、あの場面である。
《引用》

“〈企画〉を立てる”という事に対するあいまいさについて

・私(K嘱託職員)は、〈フォトコンテスト形式にするなら、予算的な絡みも出て来るし、そういう事は一存で決められないと思う〉と言った。
すると主幹は、〈私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている〉と言った。
(その時はじめて。)

・私は、〈私の立場で(前年度から碑の仕事をしているものとして)意見を言えばいいのか〉と言った。すると主幹は、〈意見ではない〉という。あくまでも〈企画〉だと言う。

・学芸副館長(平原一良副館長の当時の肩書き)と主幹は、〈要するにアイディアを出して欲しい。アイディアが出て来て、そのテーブルプランによって、業者との金銭的な絡みが出て来るところはT主幹が、画像のアップでインターネットに関わるところはSさん(社会教育主事)がやることになる。Kさんは自由にアイディアを出して欲しい〉と言った。アイディアは〈皆でもむ〉とも言った。

私は、〈では私は、基本になるアイディアを出すのであって、それを館の人が検討して、実際のプランを固めるのか〉ときいた。
すると、〈いや、Kさんに柱となってやって欲しい〉と言った。

・そして主幹は、私に、日程的な面でもプランを立ててくれ、と頼んだ。
私は、〈日程も立てるのか? 私が日程を立てれば、他の人たちとのスケジュールのバッティングもあり得るが、そういう所はどう調整するのか〉とたずねた。
すると、〈それは皆で話し合うからいい〉という事だった。
 

・しかし私が、〈それでは、アイディアが出来たら提出して、それを皆さんに見てもらって話し合って、それで具体的な仕事も日程も決まる、とそういう事か〉と改めてたずねると、学芸副館長は、〈いや、別に、全員という事でなくてもいい。なぜなら、必ず文句を言う人間は出て来るから、僕とTさんとが見て、これで良さそうだという事になれば、そこでKさんに進めていって欲しい〉と言った。

 このように書き出して見ると、皆(学芸)でもむ、皆で話し合うといいながら、“文句を言う人間をあらかじめ避けるために、平原とTの2人だけで見て計画を許可する事があり得る”という含みをあらかじめ匂わせておいたりして、不自然。

 そして、この着想自体はT主幹のものなのだから、私は〈Tさんの方から企画が出る、という事はないのか〉とたずねた。
だがなぜか、主幹は、〈なぜ私がやるのか。文学碑の事はKさんの仕事ではないか〉と言った。

 そもそも勤務先のイベント企画を出すのは、まさに正規の職員(駐在の道職員であっても正規の職員であるには違いないだろう)のすることであって、私が出す・出さないに関わらず、着想があれば主幹自身が立案・提起しても何も問題ないはずである。
ところが、学芸副館長・主幹共に、〈企画〉は絶対に私の方から出させなくては気がすまないように見える。これは、あくまで、“K自身が言いだした事”にしたいためか? そしてこれらは、“最終的には、結局、企画の収拾は全てKが負う事にしておきたい”という考えのもとの伏線作りのように思われる。(現時点における推測)

 私はこの箇所を引用しながら、最近テレビが大きく取り上げている「不二家」の事件を思い出した。大手菓子メーカーの不二家が、消費期限切れの牛乳を使った事件であるが、テレビの報ずるところによれば、安全管理のマニュアルがなく、しかも元菓子職人のパート社員に原料の仕込みを任せていたという。そのパート職員は、安全か否かの識別を、原料の色や匂いで判断していたらしく、もしそうならば、これはもう言語道断の杜撰さだったと言うほかはないだろう。
 パート社員の無神経はもちろん非難されなければならない。だが、責任そのものは会社にある。なぜなら、安全管理マニュアルを用意し、正社員の責任範囲を明らかにするシステムを、会社が作って来なかったからである。

 このように整理してみれば、K嘱託職員が求めたのは、責任範囲の明確化だったことが分かる。
 T学芸主幹は、K嘱託職員からフォトコンテストの形式に必要な条件を指摘されて、「
私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている」と腰砕けしてしまった。自分の思いつきがリアリティに欠けていることに気がついたのかもしれない。それなばら、自分の思いつきを取り下げればいいのだが、「文学碑の事はKさんの仕事ではないか」と、文学碑の問題にすり替えながら、あくまでもK嘱託職員に押しつけようとしていた。(現在から振り返って見れば、ここに、T学芸主幹がK嘱託職員に「サボタージュ」の汚名を着せる伏線があったことになる。)
 それに対してK嘱託職員は、〈もともとこれは正職員のT学芸主幹が思いついた企画でもあり、だから正職員の責任と権限の範囲で、こちらが仕事できる前提条件を作り、大綱を立ててみてくれ〉と言っているにすぎない。
 要するにこれはヤル気があるかないかの問題ではない。不二家のような、なし崩しのまる投げ状態による、無責任な体制に陥ることを防ぐ、ケジメの問題なのである。どちらがマトモなのか、一目瞭然だろう。
 ところが、T学芸主幹はそれを理解しない。あるいは、理解できない。平原一良副館長も理解しない。ひたすらT学芸主幹の側に立ち、K嘱託職員を何とか言いくるめて、Tの仕事の肩代わりをさせようとしている。
 どうやらこれが彼らの得意とする組織論の正体なのである。
 
○「必ず文句を言う人間」
 ただし、私がいかにも平原らしいと感じたのは、以上のことだけではない。特に私が強くそれを感じたのは、「
しかし私が、〈それでは、アイディアが出来たら提出して、それを皆さんに見てもらって話し合って、それで具体的な仕事も日程も決まる、とそういう事か〉と改めてたずねると、学芸副館長は、〈いや、別に、全員という事でなくてもいい。なぜなら、必ず文句を言う人間は出て来るから、僕とTさんとが見て、これで良さそうだという事になれば、そこでKさんに進めていって欲しい〉と言った。という下りである。
 平原が言う「必ず文句を言う人間」とは、どんな人間なのだろうか。「
いや、別に、全員という事でなくてもいい。……僕とTさんとが見て、これで良さそうだという事になれば、そこでKさんに進めていって欲しいという言葉から判断するに、平原一良副館長は文学館内部の人間を想定して、そう言ったのだろう。

 現在の北海道文学館は、館長と副館長の外に、職員は8人しかいない。そのうちの3人は業務課で、この人たちが学芸課の企画に「必ず文句を言う」はずがない。残る5人のうち、T学芸主幹とK嘱託職員は現にここで話し合っている。してみるならば、S教育社会主事とA学芸員とO司書が「必ず文句を言う人間」の候補となるわけだが、SとAはT学芸主幹と同じく駐在道職員であって、年齢も若く、平原やTが立てた(承認した)企画に「必ず文句を言う」ような立場ではない。
 
 こんなふうに消去法で該当者を絞って行くならば、O司書だけが残る。彼女は現在でこそ司書の身分だが、道立文学館が開設した当初から学芸員的な仕事をしてきた非常勤職員で、今年の4月には定年で辞めるらしい。
 
○良識人・平原一良
 ただし私自身は、O司書が「必ず文句を言う」タイプの人間だとは思っていない。確かに彼女の仕事ぶりには問題がある。それは、彼女のわがままを、まるで腫れ物にさわるみたいに大目に見てきた、神谷忠孝理事長や毛利正彦文学館長や平原一良副館長の問題でもある。
 だがその問題は、いずれこの文章のテーマに取り上げることとして、差し当たり関心を平原一良副館長の言葉に絞って言えば、O司書は良くも悪くも他人の企画に積極的に関心を持つタイプではない。自分が特別に思い入れを抱いている某研究者に関する資料や、その研究者の人間関係にかかわることだけが大事で、以外のことは、誰が何をしていようがほとんど無頓着なのである。

 そして多分、平原一良副館長も決して表立っては、O司書が「必ず文句を言う人間」だとは明言しないだろう。ただ、文学館内部の人間構成を知っている人間が、あの場面に立ち会っていれば、まず間違いなくO司書を思い浮かべてしまう。
そこが彼の巧みな「良識人」的な処世術なのであるが、何かことがうまく運んでいない/いなかった理由を説明する時、彼はほとんど必ず「口うるさい人がいる/いたから」、「誰それの息がかかった人間がいる/いたから」、「文学館と図書館の違いも分からない人間がいる/いたから」というような言い方をする。〈私(平原)自身は別なやり方を考えていたのですが、そういう人間に妨げられてうまくゆかなかった。しかし、そういう人間がいなくなれば/いなくなったから、皆さんのご希望を生かした線で進めることができると思いますよ〉というわけである。

 そこで、少し様子を知っている人は、――むしろ少し様子を知っているだけに――ついその思わせぶりにひっかかって、自分も顔見知りの、特定の人を思い浮かべながら、「口うるさい人」や「誰それの息がかかった人間」や「文学館と図書館の違いも分からない人間」に当てはめる。そして、「ふ~ん、彼/彼女ってそんな人間だったのか」という悪印象を作ってしまう。
 私は、一時期彼がしきりに「アンシャン・レジーム」を連発して、一世代上の文学館関係者を暗に貶めようとしているのに気がつき、眉に唾をつけて聞くようになったが、とにかく彼の仄めかしや思わせぶりにはそういう怖さがある。警戒するに越したことはない。

○「いい人」は怖い
 私が北大の教師だった頃、和田謹吾という15歳ほど年長の同僚がいて、良識人として大変に評判がよかった。その理由は私にもよく分かった。何か大事なことがあって相談に行くと、この人は決して「私は反対だ」とは言わない。「私はそれでよいと思うが、誰それさんが何と言うかな~。きっと一言あると思うよ」などと返事をする。そういう目配りの広さというか、気配りのよさというか、とくかく穏やかで良識に富んだ人物として評判が高かったのである。
 しかし、いい人というのは怖い。「誰それさんって、そんなに難しい、意地の悪い人なのか」と、マイナスのイメージを喚起されてしまうからである。ところが実際に会ってみると、案ずるより生むがやすし、話がするすると通ったりする。

 ある時、相談があるとの伝言があって、教養部の研究室に行ってみると、藤女子大の小笠原克も同席していた。相談というのは、〈今年の夏、近代文学会の北海道支部と東北支部の合同大会を北海道で開きたいのだが、君(亀井)の研究室で事務的なこと一切を引き受けてくれないか〉ということだった。
 教養教育担当の教授の和田謹吾には、助手もいないし、彼を指導教官とする学生もいない。数人の大学院生が彼のゼミに出ているだけだった。だから、〈亀井の研究室で〉ということは、文学部の国文学講座の助手や大学院生を動員して、という意味であり、私は「分かりました、やりましょう」と返事をした。すると、和田謹吾はクックッと特徴ある笑い方をして、「野田さんが怒るぞう」。
 制度的に言えば、学部の国文学講座は、近世文学を専門とする野田寿雄が教授を務め、私はその下の助教授だった。翌年の春、野田さんは定年で退官する。だからその年は、野田さんが北大の教壇に立つ最後の年だった。私たちは先生の業績を顕彰する行事の一つとして、――その他に記念論文集を出した――日本近世文学会という全国学会を北大で開くことにした。もちろん学会の主役は野田さんである。私は近世文学会の会員ではないが、同じ国文学講座の助教授として、全国学会開催の中心になっていた。
 そういう私の立場を分かっていながら、和田謹吾と小笠原克は近代文学会の支部合同大会を割り込ませて、私が引き受けると、「野田さんが怒るぞう」と嬉しがっている。
野田さんは、私が秋の大掛かりな学会の準備を進めながら、その間、中規模の研究集会の世話役を勤めたからと言って、ヘソを曲げるような人じゃない。それなのに和田という人は、野田さんが感情を損ねるかもしれないと、思わせぶりに仄めかす。こうなると、いい人を演じ続けて、もはや見境なし、病膏盲だな。

 平原一良は北大の学生時代、和田謹吾の授業を取ったはずであり、ひょっとしたら彼の研究室に出入りしていたかもしれない。
 「いい人」は伝染する。だから怖い。

○「いい人」の意見操作
 私がもう一つ怖いと思ったのは、〈
いや、別に、全員という事でなくてもいい。なぜなら、必ず文句を言う人間は出て来るから、僕とTさんとが見て、これで良さそうだという事になれば、そこでKさんに進めていって欲しい〉という言い方で、平原は、ことさらコミュニケーションの壁を作り、人間関係を分断化したがっていることである。
 平原がそういう言葉を発した瞬間、彼は、3人が相談している館長室を、一種の密室に変えてしまった。あるいは3人の相談を、一種の密議に変えてしまった。なぜなら、その時館長室は、「必ず文句を言う」誰かに対して閉ざされた空間になってしまったからである。こういう分断化は「必ず文句を言う」誰かだけでなく、他の職員に対しても同様な作用を及ぼす。怖い男だ。

 彼の場合も、習い性が悪癖となって、ああいう毒を含んだ言葉を、自己抑制もなく口にしてしまったのだろう。そうだとすれば一そうおぞましいことだが、彼は口先では組織内のコミュニケーションを重んずる振りをしながら、実はこのような毒のある言葉で、巧妙にコミュニケーションの分断化を図り、調整役みたいな顔をして意見を操作してゆく。
 そして、聞いている人間が特定の誰かを連想するような言葉を、さりげなく織り込みながら、「ああいう人に引っ掻き回されないように、まず我々だけで意見を固めておこう」みたいなことを言い、仲間内で都合のいい方針を作って、会議の場では、もう変更困難な既定方針に見せかけた説明をする。そういう形で、特定の誰かだけでなく、事情をよく知らない出席者の口までも封じながら、各種委員会や理事会を操ってゆく。多分それが彼の文学館渡世の方法であった。

 平原お気に入りのT学芸主幹も同じようなタイプなのだろう。そういう人間にとっては、週一回の朝の打ち合わせ会のような連絡会でさえ、自由な情報交換の場であることが許せない。平原一良副館長から預かった大切なシマだ、俺が立派に仕切ってみせますぜと大張り切り、〈事前に俺が承知したこと以外には何も言うな〉と、見せしめ的にK嘱託職員をいたぶって見せたのである。

 K嘱託職員は、しかしそういう場数を踏んできただけに、平原一良副館長の言葉に潜む毒々しいたくらみを直感してしまった。それはよほど印象的だったのだろう、次のように書き加えていた。
《引用》

このように書き出して見ると、皆(学芸)でもむ、皆で話し合うといいながら、"文句を言う人間をあらかじめ避けるために、平原とTの2人だけで見て計画を許可する事があり得る"という含みをあらかじめ匂わせておいたりして、不自然。

 そして多分、このような直感の働くK嘱託職員は、平原にとってもTにとっても煙たい存在となり、邪魔になったのである。

○栗田コレクション展中止の怪
 さて、ところで、去年の暮も押し詰まったころ、――郵便局のスタンプは「06.12.22.12-」となっている――財団・北海道文学館から、一枚の葉書が来た。平成19年1月13日(土)から同27日(土)まで開催する予定だった、「『聖と性、そして生』~栗田和久・写真コレクションから~」が中止になった、という。
 なぜ、開催間近になって、急に中止となったのか。その葉書によれば、「資料提供者の事情により中止となった」のだそうである。

 この企画展は年度当初から予定していた。だから、すでにその時点で、かなり明確な構想を立て、栗田和久のコレクションから借りる作品の候補もリストアップしてあったはずである。それから半年以上も経ち、開催まであと一ヶ月という直に、急きょご破算となる。公共の文学館や美術館の関係者ならば直ぐに気がつくことだが、これは普通には考えられない異常な事態であり、担当者の責任は重い。
 この企画展で、栗田和久さんの窓口となったのは平原一良副館長であり、担当はT学芸主幹だった。

 その中止の少し前、文学館では企画検討委員会を開いている。私はその委員会の委員ではなく、もちろん出席はしていない。だが、当日出席した人の話によれば、まずT学芸主幹が〈栗田和久さんが肺炎になったから〉という意味の説明をし、平原一良副館長がそれを引き取って、〈栗田さんは以前、肺結核を患い、もう完治したのだが、最近体調を崩されたから〉と補足したらしい。
 私は、栗田さんが体調を崩したことまで疑うわけではない。しかしこの説明は納得できない。年度当初に実施が決まってから半年、基本的な準備を進めていれば、たとえ栗田さんが最近体調を崩したとしても、展示の実施に支障が生ずるはずがないからである。
 企画検討委員会は、子供だましみたいな説明で納得してしまったわけだが、まあ、皆さん、みんな「いい人」なのだろう。だが、これでは委員会としての機能を果たしていると到底言うことはできない。

 ところが、文学館の葉書は更にその辺の事情をぼかして、「資料提供者の事情により中止」と、資料提供者(の事情)の側だけに中止の責任があるかのような言い方をしている。では、この「資料提供者」は栗田さんを指し、「事情」は栗田さんの病気なのだろうか。それが納得しがたいことは今も指摘したことだが、じつは別なふうに考えることができる。この企画展で展示を予定していたのは、栗田さんの作品というより、栗田さんが所蔵するコレクションだった。当然その中には、栗田さん以外の人の著作権や肖像権にかかわる作品もあっただろう。あるいは、そういう人の何人かから展示を拒否されたのかもしれない。

 そういう可能性もある事態として、この問題は今後も取り上げたいと思うが、いずれにせよ、年度当初から予定していた企画展を一つキャンセルする羽目になった。これは文学館として重大な失態というほかはない。

(付記。このたび、「北海道文学館のたくらみ・資料編」( http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)を開きました。合せてご覧下さい。2007年1月18日午後10時45分)
 

|

« 北海道文学館のたくらみ(4) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(6) »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

”企画展 聖と性、そして生”の中止は随分唐突に感じていました。ところで今調べてみたところ、”広報資料1月分”には、いまだなお掲載されております。
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/ksk/kouhou/kouhou-siryou/hk-1901.htm
それほどまでドタキャンだったということですね。
亀井先生の言説に触れるにつれ、北海道教育委員会は胡散臭い組織に思えてきます。

投稿: 直感子 | 2007年1月18日 (木) 14時44分

昨年、小沢浩 著『ザ学長―退き口の戦いを終えて』(経書房、2003)を読みました。富山大学の騒動を、当事者の元学長が記したものです。日本の政治風土と、そこで繰り広げられる「政治」の恰好の事例という読後感でした。おそらく北大もその例に漏れずか???

投稿: 直感子 | 2007年1月18日 (木) 15時17分

前述”広報資料1月分”から、”企画展 聖と性、そして生”は消去されました。本日午後9時10分現在での確認です。
察するに多くの関係者が、このウェッブサイトに注目しているようです。

投稿: | 2007年1月18日 (木) 21時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127704/13559430

この記事へのトラックバック一覧です: 北海道文学館のたくらみ(5):

« 北海道文学館のたくらみ(4) | トップページ | 北海道文学館のたくらみ(6) »