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北海道文学館のたくらみ(3)

パワー・ハラスメントの実態(上)

○K嘱託職員のアピール文について
 K嘱託職員は、T学芸主幹から受けたパワー・ハラスメントをアピールするために、10月31日付の、「駐在道職員の高圧的な態度について」(「北海道文学館のたくらみ(1)」参照)という文章を書き、神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長、K業務課長、T学芸主幹の5人に渡した。
 しかし、K嘱託職員のアピールは正当に取り扱われることがなく、逆にアピールに対する報復としか考えられない解雇通知を、毛利正彦文学館長から告げられた。そこでK嘱託職員は、「駐在道職員の高圧的な態度について」ほか、幾つかの記録文を、理事や評議員に(住所の分かる範囲で)配布することにした。道立北海道文学館のなかで何が起っているかをアピールするためである。

 それを読む限り、K嘱託職員はT学芸主幹の処分を求めているわけではない。極めて冷静に具体的な事実を挙げて、パワー・ハラスメントと考えざるをえない理由を述べているだけなのだが、そういう記述態度のおかげで、かえってよく見えてきたことがある。それはK嘱託職員が自分の立場をどうように理解し、どう弁えているかを、T学芸主幹や平原一良副館長が決して理解しようとしないことである。

○K嘱託職員の仕事ぶり
 K嘱託職員は、〈自分が雇用されたのは、文学館の仕事を処理する上で自分の知識や能力が必要とされたからだ〉と考え、その契約を果たすために、できるだけ質の高い仕事をしようと心掛けていた。それと共に、〈そういう契約関係で仕事をしているのだから、フルタイムの正職員とは仕事の範囲や、責任の範囲が異なっているはずだ〉と考えていた。
 K嘱託職員のこのような考えは、もちろんやっかいな仕事はしたくないとか、責任を負いたくないとかということではない。次は「面談記録」(「北海道文学館のたくらみ(2)」参照)からの引用であるが、それを見れば彼女の取り組み方や、責任感がよく分かるだろう。
 彼女は毛利正彦文学館長から「
あんたは常設展の助っ人で入った人だ」と言われ、自分がやってきた仕事を、このように説明している。
《引用》
 
確かに私は平成16年7月に、平成17年には常設展を全面的にリニューアルする予定だから協力して欲しいと依頼されて、嘱託職員となった。(中略)私自身は平成16年7月に任用されて以来、依頼された仕事の手を抜いたことはなかった。常設展関係の業務にしても、「展示内容を決めてゆく会議の資料に必要だから」と平原学芸副館長(当時。現在は副館長)に言われて、全道(主に道央)の大学図書館と札幌市内の公立図書館における北海道関係図書の収蔵状況を調査し、データベース化した。また、同じ理由から、常設展に関わる〈委員〉(主に財団役員等で構成されていた)から届いた文学各ジャンルの年表も、パソコンですべて図表化した。そして完成した時には、そのつど、学芸副館長に現物を見せて報告した。だが、私の知る限り、常設展の〈委員〉が一堂に集まっての会議は、一度も行われなかった。少なくとも、それらの会議資料が使われた事は一度もなかった。
 それ以外にも、外国からの観覧者のために常設展の英語キャプションを試作し、学芸副館長に提示していた。しかし、学芸副館長は、文面のチェックを依頼した英文専門の大学教授が家庭の事情で出来なくなった事を理由にそのプロジェクトを中断し(平成17年10月16日)、現在に至っている。また、一時常設展に展示されていた〈与謝野晶子百首屏風〉についても、いったん引き下げたものの、再び出す予定もあるとの事だったので、私が全文翻刻を行い、解読が完成したことを学芸副館長に告げていた。このように、私自身は、自分なりの立場で常設展の充実を図ろうと、ずっと基礎的な作業を続けていた。作業の結果は、私の使用しているパソコンにも、サーバーの方にもデータとして入っているし、プリントアウトしたもの(すべて報告済み)も私の手元にある。にもかかわらず、平原副館長は、どういう理由でなのか、いずれの場合も、それを棚上げにしたまま、その後、話題にすらのぼらせる事はない。

 K嘱託職員はこのように、自分が依頼された以上の仕事をしようとしてきた。
 K嘱託職員はまた、別な箇所でも、「
他の職員や外部から、毛筆及び手書き文献の翻刻、漢詩文の解読等に関する不時の依頼があった時も、私が対応してきた。毛利館長はそういう事実を無視して、「常設展の助っ人」などと、ことさら私の立場と能力を貶めた言い方をしている。しかし、私の行った作業の大半を棚上げにしたまま有効活用していないのは、この文学館の方ではないのか」と書いている。
 つまりK嘱託職員は、他の職員や外部の人から、「
毛筆及び手書き文献の翻刻、漢詩文の解読等」に関する能力をアテにされ、それに応えてきたのである。逆に言えば、K嘱託職員以外の、他の職員は「毛筆及び手書き文献の翻刻、漢詩文の解読等」がはなはだ不得手であるか、もしそうでないならば、能力がないのである。
 
 念のために説明すれば、〈与謝野晶子百首屏風〉というのは、与謝野晶子が自分の歌・百首を毛筆で書いた屏風のことである。北海道文学館は常設展のリニューアルに合わせて、それを新たに展示した。だが、達筆な筆字のため必ずしも読みやすいとは言えない。きちんとしたキャプションもついていない。そこでK嘱託職員は、その屏風が一たん引き下げられたのを機に、「
再び出す予定もあるとの事だったので、全文翻刻を行い、解読」しておくことにした。
 英語キャプションの試作も、観覧者に対するサービスの向上を図ってのことであろう。

 ところが平原一良副館長はそれらの結果を「棚上げにしたまま、その後、話題にすらのぼらせる事はない」。K嘱託職員は「どういう理由でなのか」と、婉曲な疑問に止めているが、私にはその理由が推測できる。ただ、それはいずれ回を改めて、彼の人格と研究業績を検討する時に取り上げることとし、差し当たりここでは、いかに平原一良副館長がK嘱託職員の能力と努力を軽視し、無視する態度を取り続けてきたかを確認しておきたい。

○K嘱託職員と文学碑データベース
 そのことを一つ確認して、T学芸主幹のパワー・ハラスメントの具体例に入るならば、ことは「文学碑データ」にかかわってくる。

 K嘱託職員は平成16年8月から北海道文学館で、週に4日、働くようになったが、依頼された仕事の一つが道内の文学碑に関するデータベースを作ることだった。彼女は各市町村の役場の文化課に情報提供を依頼したり、自分でも写真を取りに出かけたりして、750基ほどの文学碑のデータを集めて、データベースを作成した。現在それは、『ガイド 北海道の文学』(北海道立文学館・財団法人北海道文学館発行、平成17年11月)に載っており、北海道文学館に行けば検索して見ることができる。

 K嘱託職員はこの仕事を終えた後も、新しい情報が入り次第、データを更新する心づもりだった。
 新しいデータとは、例えば小樽の水天宮の境内の脇にあった石川啄木の文学碑が、昨年、水天宮の境内に移されたとか、小樽駅の近く、三角市場の傍らに、新しく石川啄木の文学碑が建ったとか、そういう情報を指す。
 
 あるいは、宗谷に岡崎古艸の句碑があり、これまで「北海道文学」の研究者は、「
たんぽぽや会津藩士の墓いづこ」と読んできた。だが、K嘱託職員の調査によれば、「たんぽぽや会津藩士の墓はここ」だった。「墓いづこ」と「墓はここ」とでは、まるで意味が違う。K嘱託職員は自分の調査結果をデータベースに載せておいたのだが、しかし彼女は必ずしも先輩研究者が間違っていたと考えているわけではない。ひょっとしたら、以前は「たんぽぽや会津藩士の墓いづこ」だったが、その墓が見つかって、新たに「墓はここ」と建て替えたかもしれない。
 もしそうならば、文学碑自体がドラマティックな歴史を持つことになる。そういう情報も、分かり次第、データを更新したいと考えていたのである。

○T学芸主幹の思いつき
 しかし、T学芸主幹は文学碑のデータベースというものの意味を理解できなかった、いや、失礼、理解する気がなかったらしい。
 
 K嘱託職員は自分の立場と、自分に依頼される仕事の性質をよく弁えておくために、「道立近代文学館覚え書」という記録を取っている。おかげで、「駐在道職員の高圧的な態度について」を書く場合も、極めて具体的な記述が可能となったわけだが、それによれば、今年度(2006年度)に入ったばかりの、4月7日、K嘱託職員が、道立近代美術館から新たに赴任したT学芸主幹に文学碑データ検索機を説明したところ、T学芸主幹は〈ケータイで一般の人たちに写真を撮ってもらい、いい写真をえらんで、検索機にのせますからどんどん応募して下さいと言って、画像を集めればよい〉、〈そうすれば、館の人間がわざわざ写真を撮りにゆかなくとも、画像は向こうから集まってくる〉という意味のことを言い、「ケータイによる文学碑写真コンテスト」というアイデアを語った。
 その後、4月28日、日本博物館協会から「ケータイフォトコンテスト」のポスターが届き、それをきっかけに、T学芸主幹は「あの企画は進めなければならない」と言った。
 そして5月2日、T学芸主幹からK嘱託職員に、「Kさんと文学碑の写真の事について話をしとかなきゃいけい」という打ち合わせの申し入れがあり、平原一良学芸副館長(当時、のち副館長となる)と3人で打ち合わせをすることになった。

○K嘱託職員の懸念
 その席上、T学芸主幹が提案したのは、「文学碑検索機のデータの、画像がないものについて写真を集めたい。一般の人に足を運んでもらい、写真を撮ってもらう。このことについて、K嘱託職員に企画書を書いてもらいたい。また、K嘱託職員が中心になってその仕事を推進してほしい」という内容のことだった。
 K嘱託職員は、いきなり「自分が中心に」と言われて驚いた。これはT学芸主幹のアイデアであり、だから当然、T学芸主幹が「企画書」を書き、中心になって推進するものと思っていたからである。そこでK嘱託職員は、二つの疑問点を確かめることにした。
 一つは、文学碑のデータベース作りと、フォトコンテストとは性質が異なるのではないか、という疑問である。
 二つには、年度途中に、かなり大きなプロジェクトとなりそうな新企画を、急に立案し、しかも嘱託職員の自分が「中心」になるとすれば、他の(人の)仕事との兼ね合いや、予算の面で支障が生じないか、という懸念である。

 実際の話し合いは、この二つが錯綜して進んでいったと思われるが、問題点を明らかにするため、まず一つ目の疑問を取り上げてみよう。
 私たち素人の目から見ても、K嘱託職員の疑問はよく理解できる。なぜなら、文学碑のデータベースは、文学碑に関心がある市民にどのような情報を提供するか、それについて一定のコンセプトと方針によって作られているからである。例えば画像のあり方一つを取り上げてみても、それは正面から撮り、碑の文字が鮮明に写っているものが望ましい。
 それに対してフォトコンテストの写真は、もっと自由な角度や距離からのものも含まれる。それでなければ「いい写真」は取れないし、だいいちコンテストに応募してくれる人も少ないだろう。その意味では「いい写真」と、情報として望ましい写真とは必ずしも一致しない。
 そこでK嘱託職員は、フォトコンテストをやるのなら、データベースのための資料集めとは切り離して、フォトコンテストとしての独自なコンセプトをもってやったほうがいいのではいか、と言つた。
 するとT学芸主幹は急にこれまでの主張を変えて、〈私は、コンテストに別にしなくてもいいと考えている。要は、一般の市民に写真を提供して下さいと働きかければいいのだ〉と言い出した。

○T学芸主幹の「まる投げ」
 つまりT学芸主幹は、〈文学館が作るデータベースの情報価とは何か〉という一番基本的な問題について、何の認識も持たなかったのであろう。何の認識もないまま、〈写真を集める〉という現象的な共通点に目をつけて、フォトコンテストを思いつき、その思いつきをK嘱託職員にまる投げしようとした。だが、K嘱託職員から考え方の曖昧さを指摘されて、俄かに考えを変えてしまったのである。

 K嘱託職員は、じつは4月29日の時点で、フォトコンテストに関する〈意見書〉を書き上げていた。――これも「駐在道職員の高圧的な態度について」と一緒に、〔参考資料1〕として、毛利正彦文学館長以下の幹部職員に渡してある――だが、それをこの時(5月2日)は、直ぐに出さなかった。T学芸主幹の「打ち合わせ」の申し入れが唐突であり、また、話の流れが彼女の考えていたこととは別な方に行ってしまったからである。
 
○T学芸主幹の高圧的な態度
 多分T学芸主幹は、K嘱託職員の慎重な態度を見て、〈Kは自分のアイデアを実行に移すのを渋っている〉と(ひがんで?)解釈したのであろう。フォトコンテストの話題を有耶無耶にしたまま、次にT学芸主幹は、K嘱託職員の出した二つ目の懸念にこだわり、K嘱託職員に対して攻撃的な態度をとり始めた。
 その時の様子は、K嘱託職員が「駐在道職員の高圧的な態度について」のなかで生きいきと描いている。少し長いがそのまま引用したい。
《引用》

 文学館職員の過剰な情緒的反応について
 私(K)がこの企画について意見を述べるにあたって、まず、
○私は、どういう立場で、この話に関与すればよいかという事
○私は、館のこうした企画について、中心的なポジションにつく事の出来る人間なのかどうか、という事。なぜなら、もし、コンテスト形式にするなら、改めて金銭的な動きも出て来るし、他の業務との絡みも出て来る。それを私が一存で事を推進していいのかという事。
以上2点をその時念頭において、学芸副館長(平原一良副館長の当時の職名)及び主幹の前で明確に確認しておきたいと思った。

 ところが、私が「私はそういう事が出来る立場では…」と言いかけたとたん、主幹は、
「そういう立場って、いったいどういう事だ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と、まるで、その(私の)言葉自体が、何者かに対する私の否定(もしくは反抗)であるかのような強い口調で問いつめた。

 その直後、もちろん私は、自分が嘱託であるから、という事をはっきりと説明した。しかし主幹は、〈職員ではないとはどういう事か。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか〉という主張を続けた。
 私は、私の置かれた立場について、学芸副館長に、主幹への説明を求めた。それは、平原副館長こそ、私を〈嘱託〉として館に呼んだ当人であり、これまでの経緯を最も良く知る人物だと思ったからである。

 しかし、学芸副館長は、〈前年度までは確かにそうだったが、この春からは、Kさんは館のスタッフとなった。そして我々は、仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担しようという事になった〉と言った。

 ただし、私は、この時に至るまで、私の扱いが前年度に比べて少しでも変わったとは、誰からも、一言も説明をされていない。
 〈スタッフ〉という言葉も、文学館のどういう規約にもそうした役職名があるわけではなく、ただ単に学芸副館長が英単語を使ってみただけと思われる。
一方、前年度末の3月に、A副館長(平原副館長の前任者)からは、従来通りの嘱託に関する規約を示され、「Kさんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われた。

 仮に、もしも私が、“今年度からの、嘱託に対するこの館の扱いの変化や申し合わせを知らなかった”という場合を想定してみても、その事だけで、主幹が、まるで私が重大な過失でも犯しているかのように声を大きくするのは理屈に合わず、不自然。
                                              《引用終り》
 K嘱託職員がどのような発想で自分の立場に言及しようとしたか。先ほど紹介した彼女の「仕事ぶり」から、その点は十分に推測がつくと思う。
 彼女のそういう発想から生まれた懸念は、常識的に見てごく当り前の懸念だったと思われるが、T学芸主幹はそれを理解しようとせず、いきなり居丈高な態度で彼女の懸念の押さえ込みにかかった。
 やむを得ずK嘱託職員は、平原一良(学芸)副館長に説明を求めたところ、平原はT学芸主幹の態度をたしなめようともせず、「
前年度までは確かにそうだったが、この春からは、Kさんは館のスタッフとなった。そして我々は、仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担しようという事になった」と、問題をすり替えてしまった。
 K嘱託職員が説明を求めたのは、正職員と嘱託職員との立場の違いについてだったはずだが、平原一良副館長は、財団法人・北海道文学館の正職員と、駐在道職員との関係に問題に限定し、「
線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担しよう」などと、優等生管理職の答弁みたいな言い方で、問題をイナしてしまったのである。
 これでは、まるでK嘱託職員が「
一緒にやろう、一緒に負担しようという事」を拒んでいるように響く。平原一良(学芸)副館長はそういう言い方で、T学芸主幹の態度を支持していたのである。

○平原一良副館長の英語好き
 K嘱託職員は別な箇所でも、平原一良副館長の曖昧な態度に言及している。
《引用》
 
しかしこの時、Kから提示された〈嘱託職員という立場でそうした仕事を主体となって進めていいのか〉〈なぜ、T主幹の思いつきなのに、主幹の企画として起案しないのか〉という疑問については、主幹が、終始高圧的な態度で押さえ込みにかかり、平原学芸副館長(当時)が“スタッフ”“テーブルプラン”等の曖昧な言葉に言い換えたにとどまり、充分な説明にはなり得ていなかった。その意味でこれ(5月2日の打ち合わせ)は、未完の問題を含みながら形だけ結論をつけた、尻切れ的な打ち合わせだったと言える。

 平原一良副館長は英語に言い換えると、ものごとがクリアに解決したかに思える、あの二世代ほど前の、幸せな、進歩的、文化的おインテリの一人なのであろう。

○「あなたは嘱託ではない、立派な財団職員だ」の押しつけ
 T学芸主幹は、この平原一良(学芸)副館長の支持に勢いを得たのか、この頃から正職員も嘱託職員も違いはないという主張を執拗に繰り返すようになった。もう一例を、K嘱託職員の「駐在道職員の高圧的な態度について」から挙げてみよう。
《引用》
 
・5月10日(水)
 5月13日に小樽の啄木忌に出席するのに午後から早退する旨、前日9日の打ち合わせ時に出席者に連絡し、了承された(その時点ではT主幹は休み)。補足しておくと、嘱託であるKには、本来〈年休〉はない。昨年までは一応形式上〈年休〉扱いとなっていたが、今年度からは本来的な扱いが徹底される事となった。その旨については、年度当初に、A副館長(当時)から直接伝えられていた。

 しかしこの10日、Kは、T主幹から、“あなたはこの〈年休〉を何時間取ると思っているのか”という事から始まり、私の休みは〈年休〉であると強調された。KはA副館長に相談し、副館長は、Kに〈年休〉はない旨、T主幹に伝えてくれた。
 ところが、この同日、16:30分頃に再び主幹が事務室のKの机の前に来て、「それでは(年休がないなら)、何で休むかについては僕が聞いておかなくてはならないね」と言い、Kが、休みの場合は通常〈私事〉とだけ書く、と述べたところ、

「それじゃ、何で休むかは聞かない。でも、業務に差し支えないかどうかは確認しておかなければならない」と言った。しかし、休暇届けの台帳に記載する以外、通常、他の職員は、わざわざ口頭での申告を求められたりしない。
 また、この日は、この直後から「あなたは嘱託ではない、立派な財団職員だ」(とKが認めよ)という5月2日の主張の蒸し返しとなり、退勤時間外(17:30頃)まで足止めされた。
(なお、その後、休みを取る理由について特に主幹に問われた事はない。しかし、では、なぜ、結局チェックしもせず、する必要もない事についてわざわざこの時言ったりしたのか、疑問が残る。)

                                             《引用終わり》
 平原一良副館長やT学芸主幹は、自分たちは嘱託職員と正職員とを差別せず、同じ「財団職員」として扱ってやろうとしているのだ、と言いたいのかもしれない。
 しかし、そういう思い上がった発想自体が既に差別なのであり、上のような事例から察するに、T学芸主幹は「
あなたは嘱託ではない、立派な財団職員だ」という恩着せがましい言い方で、自分とK嘱託職員との関係を、上司と部下の関係に擬制したかったのであろう。だがK嘱託職員の側からすれば、一定の能力を買われて契約を結んでいる嘱託職員であればこそ、文学館のどの正職員とも対等の関係にある。もちろん仕事そのものは、責任ある正職員の指示に従う場合が多いのだが、少なくともその関係は「上司の命令に部下が服する」関係とは異なるはずなのである。

 K嘱託職員はそういう基本的な考え方を、何度かT学芸主幹に説明しようとしたのだが、T学芸主幹は高圧的な態度でK嘱託職員の言葉を遮ってしまう。やむを得ずK嘱託職員は、平原一良(学芸)副館長や、A副館長から、嘱託職員の立場を説明してもらうことにしたが、平原一良(学芸)副館長は先ほどのようにT学芸主幹の態度を容認し、支持している。そしてA副館長の説明については、T学芸主幹は間もなく定年で辞めるA副館長の言葉に身を入れて耳を傾けるつもりはなかったのであろう。

○似非「一視同仁」イデオロギー
 私は昭和18年に国民学校に入り、敗戦の時は国民学校の3年生だった。だから、たくさんのことを見聞しているわけではない。だが、それでも、在郷軍人や隣保班の班長が半島出身の人(当時の朝鮮人の、一般的な呼び方)に対して、「お前たちも日本人だろう? 日本人にしてもらったんだろう? 日本人と差別しないで扱ってもらえることになったんだろう? それについて何か不服があるのか? あるんなら言ってみろ。言うことがないんなら、そんな不平たらしい面なんかしてないで、さっさと日本人らしくしろ!」と、恩着せがましく威嚇している場面を見てきた。戦後も、小説やドキュメントの中で、そういう場面を読んできた。
 子供心にもそれは何ともイヤな場面だったが、K嘱託職員の記録のT学芸主幹や平原一良副館長に関する箇所を読み、卒然とその場面を思い出した。

 私は一般論としては、一視同仁ということを否定的に考えているわけではない。しかし一視同仁のヒューマニズムを装った、恩着せがましい「平等」の押しつけは、これを心から唾棄する。

○執拗な嫌がらせとつきまとい
 ところが、先のように自分を上司に擬した、T学芸主幹の高圧的な言動は、更に次のように続いてゆく。今度の引用もだいぶ長いが、ぜひおつき合いを願いたい。
《引用》
 
・8月29日(火)
 「人生を奏でる二組のデュオ展」(K嘱託職員が担当する企画展)のための資料調査のため、8月30日にニセコの有島記念館に行って展示中の資料を見て来たいと思い、朝の打ち合わせ会でその予定について話した。K業務課長は了承し、「それでは出張計画を出してください」と言った。しかし、打ち合わせが終わった後、T主幹は、
「あなたがそういう動きをする事は、誰が知っているの。」
と言い、「今日、ここで初めて言った事です」と言うと、
「平原さんが知っていなければ、誰があなたに対して、そういう動きをしていいと承認するの」と詰問口調でたたみかけた。

業務課長が「(それを承認するのは)T主幹です」と言うと、さらにKに向かい、
「そういう動きの事は、前もって私に言うべきだ」
「私が、学芸班内における動きを知らないというのはおかしい」、
さらには
「組織で働く人間として、そもそも、なっていない」
「〈スタンドプレーだ〉と言われないようにしなさい」と叱責した。

 ・9月13日(水)
 8月29日の例を受け、Kは、それならば予定は早めに館の職員皆に伝えておこうと考え、9月12日(火)の朝の打ち合わせ会の際に「これからの動き」というプリントを提示し、外勤・出張の可能性のある所とその時期について出席者に説明した。

 ところが13日、昼過ぎ、階段の降り口のそばでT主幹から、
「昨日の出張の件については、業務課の方とはもう話がついているの」と問われ、
「いえ、昨日、初めてお話しした事ですから」と答えると、
「打ち合わせ会というのは、すでに決まった事を報告するところだから、こうしたいという事を話すところではない」と言われた。

 
しかし、そんな主旨の合意について、一度も聞いたことがなかったので、「そんな風に決まったのですか」と尋ねると、主幹は、「いや、そうなんだ」と答えた。
 そして、Tが出張でどのように動くかについては、主幹とK課長が協議して決めるのだと言った。

 なお、この直後、Kは平原副館長に会い、〈私が主担当の展覧会なのに、出張先に行けるか行けないかについて、なぜ、主幹と業務課長とが決めなければならないのか〉と尋ねた。すると副館長は、
〈そのような事はない。どこへ行くかはKさんが相手先と話した上で決める事で、Tさんはそれを聞き、「こういう事で学芸の人間が動くからよろしく」と業務課に伝えるだけだ〉と言った。そして、〈このことについては、いずれ、Tさんともゆっくり話し合うから〉とも言った。
 また、朝の打ち合わせ会の趣旨や内容の決まりについては、この日夕刻頃、通常司会をつとめているS社会教育主事に尋ねた。しかし、主事は、「別に、どんな事を言っていいとかいけないとかについて、何も別に決まりや申し合わせはありません」と答えた。

 この2日後の9月15日(金)、K業務課長が閲覧室に来た時に、Kは、〈展示計画を進めるにあたっては、打ち合わせにはT主幹だけではなく、業務課長も平原副館長も入って欲しいのですが〉と伝えたところ、課長は快諾してくれた。
 また、〈計画を提出する際に、課長と主幹と、どちらかに先に出さなくてはならないという事はあるのだろうか〉と尋ねると、〈それは全く気にしなくてよい〉との答えだった。

 ・10月3日(火)
 出張計画がおよそ固まったので、朝の打ち合わせ会の時、「人生を奏でる二組のデュオ展・出張予定(10月)」と題したプリントを皆に配布し、内容を説明した。なお、この時行ったのは、あくまでも〈説明〉であって、特にその場での承認を求めたものではなかった。最後に「ほぼ、こんなところですが。よろしいでしょうか」と声がけをしたのも、質問等はないだろうか、という意味であり、ごく普通の締めくくりであった。

 しかし、打ち合わせ会が終わってから、T主幹は、
「なぜ、先に話し合いをしないの」

「何度同じ事を言わせるの」
「こんなところで予定を言って、“よろしいでしょうか”って言ったって、誰も、いいなんて言えないんだよ!」と声を荒げた。そして
「あんた、みんなに、いいって言って欲しいんでしょう。だったら、やることちゃんとやんなさい!」とKを叱責した。
「ならば、話し合いというのは、いつ、したらいいんでしょうか」と聞くと、
「いつでもいいんだよ!」との答えだった。
                                             《引用終わり》
 K嘱託職員は、毎週火曜日に行われる、朝の打ち合わせ会を、情報を交換し共有する大切な場と考え、自分の仕事の進捗状態や出張予定などを話題にした。
 ところがT学芸主幹は、その都度、恣意的に打ち合わせ会の性格を言い換えながら、K嘱託職員のやることなすことに難癖をつけてくる。上司の指導を装った、この難癖は、故意にK嘱託職員の仕事の妨害をたくらんだ行為と解釈するほかはない。それだけでなく、打ち合わせが終った後や、階段の降り口のそばなど、人がいないところを見計らって、――あるいは、第三者が口を挟みにくい、個人的な会話の形を装って――詰問を始める。最早これは悪質なつきまといであり、嫌がらせと言うしかないであろう。

 こう引用するだけでも、T学芸主幹の執拗な嫌がらせは紛れもないが、以上はK嘱託職員が「駐在道職員の高圧的な態度について」で挙げた事例の半分程度でしかない。しかも「駐在道職員の高圧的な態度について」は、K嘱託職員が記録している「道立近代文学館覚え書」からの抜粋であり、だから嫌がらせの総数は、おそらくここに紹介した事例の何倍かに達する。

 ともあれ、そういうことが重なった後、10月28日、T学芸主幹がK嘱託職員の仕事ぶりを「サボタージュ」と侮蔑的に評した。ついにK嘱託職員はこれ以上誇りを傷つけられることに堪えられず、T学芸主幹から受けた一連のいやがらせを、パワー・ハラスメントとしてアピールすることにしたのである。(以下は次回)

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