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北海道文学館のたくらみ(2)

いかにも北海道教育委員会的な? 対応

○T学芸主幹は「駐在道職員」
 このところ、各地の教育委員会のいじめ問題に対する対応の不手際が露呈して、市民やマスメディアの批判を招いている。そんな時、教育委員会の職員自身にハラスメント行為があった事実が表沙汰になるならば、どんな非難を浴びるか分からない。
 K嘱託職員からハラスメントのアピール文を受け取って、毛利正彦文学館館長や平原一良副館長が一番に恐れたのは、――私が見るところ、理事長の神谷忠孝という人物は良くも悪くも、そんなふうに頭が回る人間ではない――そういう事態が起ることだっただろう。

 なぜなら、K嘱託職員のアピール文を読むかぎり、彼女はT学芸主幹に対する処分を求めているわけではない。にもかかわらず、彼らがK嘱託職員を排除する形で、事なかれ主義的に問題を隠そうとしている。これは、心理的なパニックに駆られた行動としか考えられないからである。

 前回書いたことで、私の言葉が足りないところが一つあった。それはT学芸主幹の「駐在」という立場(身分?)に関することであるが、もう少し具体的に説明するならば、前回書いたように、毛利正彦は北海道教育委員会の役人を定年で辞めて、財団・北海道文学館の館長に天下った。それに対して、T学芸主幹は北海道教育委員会の役人として、今年度(2006年度)から財団・北海道文学館に駐在することになったのである。このような場合を「駐在道職員」とか「道教委(北海道教育委員会)の駐在職員」とかと呼ぶらしい。

 分かるように、T学芸主幹は現役ぱりぱりの道職員(北海道教育委員会の役人)なのであって、だから、T学芸主幹が嘱託職員にパワー・ハラスメントを働いたことを認めることは、現役ぱりぱりの道職員にパワー・ハラスメントの過失があったことを認めることにほかならない。
 当然それは北海道教育委員会の長に報告されなければならない。ことは道教委の職員が惹き起こしたトラブルだからである。

○北海道教育委員会と財団法人・北海道文学館との思惑
 しかし北海道教育委員会としては、出先機関で起こした職員の不始末の尻拭いなど、そんなに厄介な問題を持ち込んで欲しくない。マスメディアや市民の目もあれば、耳もある。それだけでなく、内部事情の面から見ても、前々年度(2004年度)、前年度(2005年度)と相次いで、それまで文学館の仕事をきちんとこなしてきた二人のベテラン道職員(学芸員)を外へ出して、トウの立った50男を畑違いの美術館から文学館へ押し込む。それについては、内部の派閥的な人脈の対立と、財団・北海道文学館の神谷忠孝理事長や毛利正彦館長や平原一良副館長の思惑がからみ、かなり鬱陶しい駆け引きや取り引きがあったと思われるが、そのT駐在道教委職員がわずか半年たらずでパワー・ハラスメントのトラブルを起した。そうなれば、当然「一体だれがあんな人事をしたのだ」という非難の声が出てくる。これは避けがたいところだろう。

 一方、T駐在道教委職員にしてみれば、せっかく主幹の肩書きを貰って文学館へ乗り込んだのに、ハラスメントと認定されてしまえば、最低でも進退伺いを出して、反省の意を表し、処分を待たなければならない。馘首にはならないかもしれないが、経歴に傷がつく。これは避けたい。

 そして他方、北海道文学館の毛利正彦館長や平原一良副館長には、T道教委職員を呼んだ責任があり、――私の見るところ、理事長の神谷忠孝は良くも悪くも、自分の責任を気に病むようなタイプの人間ではない――教育委員会やT道教委職員の意を汲みつつ、同時に恩を売りながら、対策を立てなければならない。とすれば、彼らに残された選択肢はただ一つ。それは教育委員会の役人や校長にお決まりの、例の台詞で、問題を有耶無耶のうちに揉み潰してしまうことである。「私どもの調査したかぎりでは、パワー・ハラスメントがあった証拠は見つかりませんでした」。あるいは「現段階では、パワー・ハラスメントがあったとは認識しておりません」と。

○毛利正彦文学館長の魂胆
 ところで、毛利正彦文学館長以下の幹部職員は、文書による回答を拒否したが、回答期限の11月10日(金)、毛利正彦館長と平原一良副館長はK嘱託職員を館長室に呼んで、文書による回答を拒否する理由を説明した。
 K嘱託職員はその時の内容を、「11月10日に館長室にて行われたKの質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」(以下「質問状に対する意見交換」と略記)という文書にまとめ、11月14日(火)、北海道文学館の幹部職員と、駐在道教委職員のT学芸主幹に渡し、のちに北海道文学館の理事と評議員に配布した。
 それによれば、毛利正彦文学館長が文書による回答を拒否した理由は、次のようなものだった。
《引用》
 
その後、10日当日の午前10時30分頃、館長室より呼び出しがあり、Kは、毛利館長と平原副館長から、文書「去る10月28日に…」に対する回答を聞く機会を得た。ただ、K自身は、この文書に関する意見なり取り決めは文書の形で保存したいと思い、館長にその旨を説明したが、館長は「それはただKが聞いて承諾すればよい事で、文書にしなければならないとも思わないし、その必要もない。組織のためのプラスにもならない」と文書回答を拒否し、あくまで口頭での回答をするとの姿勢を崩さなかった。

 そこでKは、依然として文書による回答を求める意志に変わりはないものの、とりあえず、その時に受けた回答及び交わされた取り決めを、自ら文章の形で心覚えとして残す事にした。

 このようなまとめに対して、毛利正彦文学館長や平原一良副館長から、文言や内容の訂正の申し入れは出なかった。ということはつまり、彼らはこのまとめを承認したことを意味するわけだが、そうである以上、彼らは現在もなお、依然として文書による回答を求める意志に変わりはないというKの要求に答えるべき義務を負っている。また彼ら自身、それを承知していることになるはずである

 そのことを確認した上で、もう一つ指摘すれば、「組織のためのプラスにもならない」の一句に、毛利正彦文学館長の魂胆がよく現われている。この「組織」のところに、T学芸主幹や神谷忠孝理事長や毛利正彦文学館長や平原一良副館長を置いてみれば、彼の魂胆がよく分かるだろう。「組織のためのプラスにもならないとは、要するに彼らのためにならない、彼らにとって都合が悪い、ということだったのである
 では、毛利正彦文学館長は、この「組織」のなかにK嘱託職員を含めていただろうか。しかし、もしK嘱託職員を組織のなかに含めているならば、その組織の一員から出されたアピールや要求を正当に取り上げ、きちんと対応しなければなるまい。きちんと対応してこそ、「組織のためのプラスが生まれるはずだからである。
 しかし、毛利正彦文学館長以下の幹部職員はそうしなかった。そうすることは、K嘱託職員にとって都合がよく、プラスになるわけだが、逆に毛利正彦文学館長以下の幹部職員にとっては都合が悪く、プラスにならないからであろう。

 そう整理してみれば分かるように、毛利正彦文学館長の一見もっともらしい「組織」論は、その裏側にK嘱託職員排除の意図を隠していたことになる。
 それだけではない。この「組織」のところにK嘱託職員を置いてみれば、これはK嘱託職員に対する暗黙の脅迫でもあったことが分かるだろう。
そんなことを要求すると/そんな文書を残せば)お前さんのためにもならないよ」と。

○スターリン主義
 神谷忠孝理事長や毛利正彦文学館長や平原一良副館長やT学芸主幹のこういうやり方を、スターリン主義と言う。
 平原一良副館長は1970年前後、大学「紛争」にかかわったことを、現在でも一つ話の「売り」にしているらしいが、それならばスターリン主義とは何か、自分のやっていることがスターリン主義でないか否かについては、十分に承知しているはずである。

○毛利正彦文学館長の強権主義
 それにしても、K嘱託職員の文書回答の要求に対する、毛利正彦文学館長の
それはただKが聞いて承諾すればよい事で、文書にしなければならないとも思わないし、その必要もないという対応は、横柄で、傲慢としか言いようがない。
 だが、この点に関してはK嘱託職員が「面談記録」(12月12日付け)できちんと指摘し、分析しているので、それをここでは紹介しておく。
 この「面談記録」の経緯については回を改めて紹介するつもりであるが、K嘱託職員はその「面談記録」も神谷忠孝理事長、毛利正彦文学館長、平原一良副館長や駐在道教委職員のT学芸主幹に渡し、のちに北海道文学館の理事と評議員にも配布している。当然のことながら、毛利正彦文学館長や平原一良副館長はそれに目を通し、内容を承認しているはずである。

《引用》
 私は、現在の業務が普通に出来るようになったからと言って、T学芸主幹のパワー・ハラスメントの問題が解決したとは思っていない。神谷忠孝理事長も毛利正彦館長も平原一良副館長もT学芸主幹も、私が文書による返事を要求した質問に、まだ一言も返答をしていない。毛利館長は、私に口頭で回答したが、その内容には納得できなかったので、きちんと検討したいから文書の形にして欲しいと、改めて要求した。しかし、なぜか毛利館長は「その必要はない」と頑なに拒んでいる。まるで毛利館長に、「必要があるかないか」を決める権限があるような言い方だった。だが、一人の弱い立場にある人間が、職場環境の問題を、職場の責任ある地位の人間に提起し、その改善を求めて、文書による回答を求めたのに対して、責任ある地位の人間が「必要ない」と拒んだとすれば、強権主義的に握りつぶしを図っていると見られても仕方がないと思う。

○毛利正彦文学館長の笑い
 K嘱託職員は「面談記録」のなかで、続けて書いている。
《引用》

 また、ハラスメント問題の口頭による回答そのものについても、毛利館長は「皆に聞いたが、誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていた」、「みんな、Kさんがそこまで反応する事はないと言っていた」と言ったが、事務室で確かめたところ、A学芸員も、S社会教育主事も、O司書も、館長からは何も訊かれておらず、事情も知らないという返事だった。私が数日後、毛利館長にその事を問いただすと、「いやあ、まあ、それはあんた……」と言葉をにごして、にやにやしているのみであった。

 毛利正彦文学館長や平原一良副館長が、意図的にそうしたのかどうか、それは分からないが、彼らは肝心な点を手抜きしている。それは、K嘱託職員が「駐在道職員の高圧的な態度について」(「北海道文学館のたくらみ(1)」参照)で挙げたパワー・ハラスメントの事例に即して、第三者の立会いの下に、T駐在道教委職員から事情聴取を行い、その後それぞれ二人の言い分を整理し、検討することである。そして、その記録を取っておくことである。
 その肝心な点を飛ばして、「
皆に聞いた」としても、客観的な事実がつかめるはずがない。こんないい加減な〈調査〉を裏づけとして、「誰もハラスメントに当たるようなことはないと言っていたと結論を押しつける。しかも、実際はそんな〈調査〉さえも、まともにしていなかった。なぜなら、文学館の職員は館長と副館長を除いて8人いるのだが、この8人から当事者たるTとKを除き、更に管理職たるK業務課長を除けば、5人となる。そのうちの3人がK嘱託職員の確認に対して、「館長からは何も訊かれておらず、事情も知らない」と答えたとすれば、毛利正彦文学館長が言う「皆」は根拠を失ってしまうからである。
 ところが毛利正彦文学館長は、K嘱託職員からそのことを指摘されると、今度はにやにやと笑いながら言葉を濁している。破廉恥極まりない、無責任な対応と言うしかないだろう。

 最近テレビで、校長や教育委員会の役人がいじめ問題に関して、こんな切り口上の答弁をしている場面をよく見かける。「私どもの調査したかぎりでは、いじめがあった証拠は見つかりませんでした」、「現段階では、いじめがあったとは認識しておりません」と。
 こういう答弁における「調査」や「認識」は、毛利正彦文学館長のそれと本質的に同じなのではないか。毛利正彦文学館長は北海道教育委員会の役人だった。それだけに、毛利正彦文学館長の対応からその実態を垣間見た印象が強く、つい懐疑的になってしまったのである。

○見抜かれた茶番劇
 K嘱託職員は「面談記録」のなかで、もう一箇所、「意見交換」に言及していた。
《引用》

 平原副館長も、私がT学芸主幹のハラスメントをアピールして以来、急に「いやあ、TさんもKさんの能力を高く評価していましたよ」などと、とってつけたように「評価」の安売りを始めた。どう考えてもこれは、私を宥めすかして、T学芸主幹を庇うためとしか思えない。
 「Tさんも悩んでいたんですよ」、「彼も、なかなかうまくコミュニケーションがとれないんで、だんだん、あんな風(に暴言を吐く)ようになっちゃったんじゃないかなあ」というのが、その時の、毛利館長と平原副館長の息の合ったやりとりであった。これは、たえ難いほど迷惑を受けてきた女性が、その不快感をアピールした時、上司がしばしば行いがちなレトリックであると思われるが、実際は、事態をきちんと把握し、迷惑をかけている人間に対して厳しい態度を取るのが怖いだけであろう。そのため、このように一見客観的で物分かりのよさそうな、「大人の常識論」に逃げ込んでしまう。そして、その自分の無責任な逃げ腰を
取り繕うため、第三者に対しては、迷惑を受けた女性にも、いや、女性のほうにこそ根本的な問題があったように説明する。私はそういう例を、大学や前の職場で幾つも見てきた。

 私はこの箇所を読んで、危うく自分の常識が崩れそうになった。だって、ここで問題になっているTという男は、50歳を過ぎているんだろう? それなのに、毛利と平原のこの庇い方! まるで小学生扱いじゃないか。…………しかし、やがて私は納得した。そう言えば、毛利正彦文学館長も平原一良副館長も、T道教委職員の「従順」を見込んで学芸主幹に抜擢したんだっけ。道理で、Tから事情聴取するなんて思いもよらなかったはずだ。

 「いやあ、彼は本当はあなたが好きなんじゃないかと思いますよ。でも、ああいう不器用な男ですからね。そこで、つい自分の気持ちと裏腹な行動を取ってしまう。そのところを察して、広い心で接してやってもらえないかな……」、「う~ん。でもねえ~。加害者は加害者なりに苦しんでいるんですよ。問題はそういう人間の心の闇をどう理解するか、……ですよネ」。職場や学校でハラスメントやいじめのアピールがあった時、上司や教師はしばしばこの種の分かったふうな台詞を口にする。しかし、通俗心理学をこねあわせたような、こういう安っぽい良識を持ち出したとしたら、それは上司が逃げ腰になっている徴候と見たほうがよい。K嘱託職員が見抜いたように、「実際は、事態をきちんと把握し、迷惑をかけている人間に対して厳しい態度を取るのが怖い……そのため、このように一見客観的で物分かりのよさそうな、「大人の常識論」に逃げ込んでしまっている」だけだからである。

  同じくK嘱託職員によれば、そういう小ずるい上司に限って、「自分の無責任な逃げ腰を取り繕うため、第三者に対しては、迷惑を受けた女性にも、いや、女性のほうにこそ根本的な問題があったように説明する」。なるほどなあ。では、神谷忠孝理事長や毛利正彦文学館長や平原一良副館長や、そしてT学芸主幹自身は、どうなんだろう。見抜かれているとも気がつかずに、今ごろせっせと、第三者向けの物語作りに励んでいるかもしれない。

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北海道文学館のたくらみ(1)

パワー・ハラスメントと揉み消し
○問題の概要
  北海道文学館では現在、常識では考えられない不当なことが行なわれている。
  道立北海道文学館のTという50歳台の学芸主幹が、女性の嘱託職員に対して、侮蔑的な言動による、執拗ないやがらせを続けた。嘱託職員はついに堪りかねて、これは〈人権侵害のパワー・ハラスメントに当たる行為ではないか〉と、Tに対してだけでなく、神谷忠孝理事長や毛利正彦館長、平原一良副館長、K業務課長にもアピールした。これだけでも無視できない、――無視してはならない――大きな問題であるが、神谷以下の幹部たちはその問題をまともに取り上げることをしなかった。その代わりに、毛利正彦の口を通して、被害を訴える嘱託職員の解雇を通告してきた。
  いわば加害者のTのほうを庇い、嘱託職員を文学館から排除してしまう形で、問題の揉み消しを図ったのである。

○「「芸術」の見え方」との関係
 私はこれから暫く、この問題に集中するつもりであるが、以前から私は「「芸術」の見え方」というタイトルで、和田義彦の盗作疑惑や、「芸術」をめぐる美術館館長や学芸員の言説の問題を取り上げてきた。だが、10月8日に、「「芸術」の見え方(3)」を載せたまま、その後、中断している。
 もちろん中断するつもりはなかったが、韓国の二つの大学が11月と12月に、相継いで私の『「小説」論――「小説神髄」と近代―』と、『明治文学史』の翻訳を出版し、記念の学会を開いてくれた。この上なく名誉なことであり、私はそれに応えるべく、講演原稿の作成に集中していたのである。この二本の講演原稿は、年が明けたら、なるべく早いうちに私のホーム・ページ「亀井秀雄の発言」に載せたい、と思っている。
 その他、ケンブリッジ大学から共同執筆で出版する『日本文学史』の私の担当「20世紀前期の文学」の最終的な完成稿を作る仕事があり――その基本構想は2005年4月、私のホーム・ページに載せておいた、――右文書院から出る論文集の原稿の仕事があり、なかなか「「芸術」の見え方」にもどることができなかったのである。

 ただ、今回の問題と、「「芸術」の見え方」で取り上げてきた問題とは、必ずしも無関係ではない。Tという北海道文学館の学芸主幹は、これまで長く道立近代美術館の学芸員を勤め、工藤欣弥と共著の形で『三岸好太郎――夭折のモダニスト』(北海道新聞社、昭和63年4月)という、新書版の冊子を出しているからである。
 Tの執筆は全165ページのうち、P.75からP.129までの、約55ページ。400字の原稿用紙に換算して54枚程度。論文とも言えぬ、入門的概説にすぎないが、それにもかかわらず、いや、そうであればこそ、美術館学芸員的な言説パターンが顕著に現われている。
 とするならば、彼が書いたものにまで関心を拡げることで、文学館と美術館に共通する問題を引き出すことも可能だろう。

 Tは今年度(2006年度)の4月、道立近代美術館から道立北海道文学館へ移ったわけだが、北海道の教育委員会はどういう人事構想をもってこの移動を決めたのか。その点にも問題があるかもしれない。

○毛利正彦館長という人物
 ところで私は、T学芸主幹、K業務課長と書いて、実名を明かさなかった。しかしもちろん、事態の成り行きによっては、彼らの名前や、そのほかの文学館の職員、そしてハラスメントをアピールした嘱託職員の名前を出すつもりでいる。
 それに対して、神谷忠孝と毛利正彦と平原一良の3人については、今さら名前を伏せておくまでもないだろう。彼らはそれぞれ、北海道文学館の理事長や館長や副館長の肩書きで色んな会合に出席し、時には挨拶などもし、よく知られた人物だからである。名前を伏せたら、かえって失礼かもしれない。

 私は神谷忠孝理事長と平原一良副館長については、その経歴や研究実績を一通り承知している。ただ残念ながら、毛利正彦館長については、その経歴も、文学館長たるべき実績についてもよく知ってはいない。文学館長として、普段どんな仕事をしているのか、それもよく分からない。
 ただ一つ、よく分かったことがある。それは、この人は相手の質問には答えようとせず、しかし自分の要求だけは倦まずたゆまず繰り返すことができる、その意味で稀有の執拗さを備えた人物だということである。
  私は以前このブログに、「文学館の見え方」という文章を連載した。後にそれをまとめて、ホーム・ページ(「亀井秀雄の発言」)に載せたわけだが、なぜそんなことをしたか。再掲載のための「序文」で書いたように、文学館の関係者の中に私のブログの削除をしつっこく求める人間がいたからにほかならない。その関係者というのが、じつは毛利正彦館長だった。
 
私は彼の削除要求に対して、あらまし次のように答えた。
《引用》
 
道立文学館の運営が「惨澹たる状態」にあることは、私が言い始めたことではない。当の文学館が発行した『北海道文学館のあゆみ』のなかで、中村稔が指摘したことなのである。私がそれを踏まえて、一方では運営の惨状と、他方では中村稔の無責任や不見識を批判したわけで、そのこと自体の責任を回避するつもりはない。ただ、惨状を指摘されることが不本意であり、迷惑だと言うのならば、まず中村稔に抗議し、次に中村の文章を唯々諾々と掲載した「北海道文学館のあゆみ」編集刊行委員会の責任を問うべきだ。
それらを不問に附して、私に削除を求めるのは、お門違いというものだろう。
  北海道文学館の運動や運営を進めてきた人たちの文学観が、カビの生えたものでしかないことについては、縷々説明をしてある。異存があるなら、反論してくれればいい
(『文学館の見え方』の「再掲載のための序文」より)

 しかし毛利正彦館長は決して話題を中村稔の文章や、編集刊行委員会の責任のほうへは持ってゆかない。私が書いた文章について、どの点に誤解や過ちがあり、訂正を求めるのか。それが指摘されれば、私としても対応のしようがあるのだが、彼はそういう問題にも触れようとしない。とにかく話題がそういう方向へ進むことを極力回避しながら、ただただ「文学研究者であり、北海道文学館の理事でもある亀井さんによって批判を書かれるのは、自分たちにとってはなはだ迷惑であり、都合が悪い。だから削除してくれ」の一点張りだった。
  どうやらこの人は、他人の言葉を、その意図や論理に即して理解することができない、いや失礼、理解する気持ちがない、その意味でこれまた稀有なほど自己中心的な人物であるらしい。要するに彼の関心は、自分(たち)にとって都合がいいか悪いかだけであって、都合の悪いことは隠してしまうか、それができないならば、排除してしまいたいのである。
 
 彼はそういう一方的な要求を1時間半も繰り返しながら、その間、しきりに「この文学館には外部の人に言えないこともある」とか、「私は文学の素人だから」「文学は私の専門外だから」とかを強調していた。その強調があまりにも度を超えているため、謙虚というより、何かに触れられたくないため、必死に煙幕を張っている感じだった。
 数多い文学館の館長のなかには、文学研究者だったわけでもなければ、文学館の仕事に従事してきたわけでもない人がいる。私は何人か、そういう人を知っているが、毛利正彦道立北海道文学館長みたいに臆面もなく文学の「素人」や「専門外」を吹聴している文学館長は本当に珍しい。彼は全国文学館協議会が出している『会報』も読んでいなかった。

○毛利正彦館長とT
 道立北海道文学館の館長となる前の毛利正彦は、北海道教育委員会の文化部長だったという。つまり彼は教育委員会を退職して、「道立北海道文学館」の事業を請負っている「財団法人・北海道文学館」の館長となったわけで、名前が似ているため同じ組織内の人事異動に錯覚しやすいのだが、要するに彼は、道職員から財団へ、世に言う「天下り」館長となったのである。それならば、教育委員会の役人時代、それなりの功績があったはずだ。まさか文化部長時代にも「素人」や「専門外」を振り回していたわけではあるまい。そんな疑問が湧いてきて、その点も追々と調べてみたいのだが、一つ言えることは、以前から彼とT学芸主幹とは繋がりがあったらしいことである。

 これは北海道の文化施設によく出入りしている人から聞いたことだが、毛利正彦文学館長は道立近代美術館の副館長だったこともあるという。このことから察するに、彼はかつてTと時期を同じくして、道立近代美術館に上司と部下として一緒に勤めたことがあり、多分その縁故で、2006年の4月から自分の職場へ「駐在」してもらうことにしたのではないか。そう推測することができる。

 これまた聞くところによれば、毛利正彦館長は4月からTが来ることについて、当時の職員たちに向い、「今度来る人は、平原さんには従順な人なので、大丈夫だ」と太鼓判を捺していたらしい。50歳を過ぎて一番のセールスポイントが「上司への従順」とは、〈情けない〉を通り越して、なんか気の毒な男だな。というより、そんな貧しい基準でしか部下を評価できない毛利正彦という人物に見込まれるなんて、男の生き様としては最低で、最悪だな。
 ついそんな同情さえ覚えてしまったが、ともあれそういう点から判断するに、毛利館長と平原副館長とT学芸主幹とは前々から面識があり、Tは平原副館長に対して、毛利館長から「従順」と評価されるような言動を見せていたのであろう。

○文学館幹部職員によるパワー・ハラスメントの黙認
 Kという嘱託職員はTの執拗ないやがらせにほとほと困じ果て、10月31日、「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明/及び、北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(以後「駐在道職員の高圧的な態度について」と略記)というアピール文を、Tのほか、神谷理事長、毛利館長、平原副館長、K業務課長に渡した。
 K嘱託職員はのちに、北海道文学館の理事に宛てて「北海道文学館の来年度の任用方針の撤回とアンケート回答のお願い」(12月13日)というアピール文を送ったが、その参考資料として「駐在道職員の高圧的な態度について」が添えてあった。

 それを読むかぎり、K嘱託職員はいささかも感情的な言い方はしていない。T学芸主幹のいやがらせが如何に意図的に行なわれたものであるかを、幾つかの事例を挙げて説明し、次のような結論を導き出しているだけであった。(なお、引用文中のKは、K嘱託職員自身を指している。)
《引用》
 
(Tが)このような(高圧的な)言い方で自分を特権的に扱う事を、しかも、雇用身分が最も不安定な者にのみ強要することは、きわめて悪質なパワー・ハラスメント(上司の部下に対する言葉や態度による暴力)に相当するのではないか。また、今までKは幾度か他の職員に事情を話し、一方、職員のうちの幾人かも、Kが主幹に上記のような扱いを受けている場面をしばしば見かける機会があった。それにも関わらず、これまで何ら有効な対応もなされてこなかったということは、もしかするとこの〈北海道立文学館〉という組織そのものに、ハラスメントの素地があると言えるのではないだろうか。Kは、そのように考える。

 こういう穏やかなもの言いで「結論」を出したのち、K嘱託職員が「要求」したことは、次のように条理に適った、極めて穏当なものであった。
《引用》
 
○以上の点については、T主幹以下、それぞれの関係者から、反論もしくは別の視点からの意見も提出される事もあろう。また、内容をお認めになるという場合もあるだろう。そうしたご意見・ご回答は、すべて文書の形で、Kにお渡しいただきたい。これは、Kとしても、より正確な記録を残しながら、今後の対応を続けていきたいためである。
例えば、
 ・Kには、実際これまで、身勝手かつ無責任な行為、またはサボタージュ行為等によって、館の職員もしくは来客に迷惑をかけた例がある(ボランティア時代からを含めても可)
 ・Kには、多少上司が圧力をかけてでも、その未然防止につとめなければならないような問題的な性癖・行動がみられる。あるいは、明らかに〈普通ではない〉と認められるような異常性がある
というようなご意見がある場合には、是非とも、具体的な事例や証言を添えて、K当人にお渡し下さるよう、切にお願いしたい。
 なお、文書でのご意見・ご回答は、11月10日(金)までにお渡しいただきたい。

 ○もし、上記の〔結論〕に対して、11月10日までに反論等が文書の形で上がらなかった場合には、「当文学館においては、嘱託職員・Kに対するパワー・ハラスメントが行われていた」という〔結論〕に対して、異論が出なかったものと判断させていただくこととする。

 だがK嘱託職員によれば、11月10日になっても、T主幹や神谷忠孝理事長、毛利正彦館長、平原一良副館長、K業務課長は回答をしてこなかった。
 T主幹は回答期限の前、痔の手術のために入院してしまったらしい。しかし彼は10月31日から入院するまでの間、何日かは出勤していたそうだから、回答する時間的な余裕はあったはずである。入院中はもっと時間の余裕があったはずである。にもかかわらず彼は、自分自身にかかわる問題について一言半句も反論しなければ、意見を述べようともしなかった。ということはつまり、「
11月10日までに反論等が文書の形で上がらなかった場合には、「当文学館においては、嘱託職員・Kに対するパワー・ハラスメントが行われていた」という〔結論〕に対して、異論が出なかったものと判断させていただくこととする」というK嘱託職員の言い分を認めたことになる。
 神谷理事長、毛利館長、平原副館長、K業務課長の無回答についても、もちろん同様の意味に解釈できるし、またそれが唯一正当な解釈であるべきだろう。

 そうである以上、次に彼らが行なうべきことは、当然、パワー・ハラスメントのような人権侵害的な行為を館内から一掃することでなければなるまい。ところが次に彼らが企てたことは、パワー・ハラスメントをアピールした嘱託職員を排除することだった。
 言葉を換えれば、彼らはその無回答の態度によって、T学芸主幹のパワー・ハラスメントを黙認し、T主幹を庇うことを企んでいたのである。
 更に言葉を換えて言えば、毛利正彦館長から「従順」と評価されたT学芸主幹は、毛利正彦館長や平原一良副館長の陰に隠れて、自分が仕出かしたことの尻拭いをしてもらうことにしたのである。

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