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唄は世につれ

○ざれ唄を一つ

〈東京青ヶ島の飯島夕雁(ゆかり)女史が、北海道で立候補したと聞いて詠める〉

夕雁さん、雁(かり)か、雁(がん)かと訊いたらば

わたしゃ本当は雁もどき

○脳みその具合

 私はあと半年ほどで69歳になる。これだけ生きていれば、自分がどういう人間か、あらかた承知しているつもりなのだが、脳みその働き具合だけは、我ながらよく分からない。

 「総選挙の見え方」や「選挙結果の見え方」で書いたように、小泉執行部のやり方に私は腹を立てていた。今も立てている。危機感も抱いている。頭に血が上るような思いだったのだが、にもかかわらず、上のようなざれ唄が、ふと浮かんでしまったのである。

 すると、それならば唄の連作をやってみようか、という気になって、

〈北海道では鴎をゴメともウミネコとも言う〉

沖のかもめに潮どき問えば

わたしゃウミネコ、ゴメんなさいナ

夕雁さん、雁かゴメかと訊いたらば

わたしゃウミネコ、猫だまし

         

この「猫だまし」のところは、「猫じゃらし」や「猫いらず」や「猫やなぎ」や「招き猫」や、「んにゃ、と鳴く」など、いろいろ浮かんでくるのだが、一人合点で言えば、「猫だまし」が一番穿っていて、語呂も悪くない。そんな気がする。

○「見立て」と「こじつけ」

 一人合点と言えば、ある人が、先日の選挙結果ついて、婦人参政権運動の流れでとらえることもできるのではないか、と書いてきた。なるほどそういう見方もあるのか、と感心しつつ、でも、何だか「雀、海に落ちて蛤となる」みたいな話ですね、と返事をした。どうも言葉足らずの一人合点だったな、と反省している。

 昔、東京中央図書館の特別研究室で、江戸時代の黄表紙を出して貰って読んでいたところ、瀧沢馬琴の「カチカチ山後日譚」(正確な題名は失念)という作品があった。その冒頭に、「雀、海に落ちて蛤となり、山の芋、変じてうなぎとなる」という格言めかした、面白い対句があり、すっかり気に入って覚えていたのである。

 要するに「根も葉もないこじつけだけれど、しかしそう言われてみると、形と言い、美味なところと言い、まんざら似ていなくもないナ」と、つい納得してしまう。そういう面白さがある。江戸時代の人は、こういう「こじつけ」のレトリックを、言語文化として尊重し、楽しんでいたらしい。

 例えば江戸時代の物語作者・都賀庭鐘は、『古今奇談 英(はなぶさ)草紙』(寛延2年)という読本のなかで、南北朝時代の新田義貞は、じつは源平時代の源義経の生まれ変わりだ、という「見立て」をやっていた。もう少し詳しく言えば、「源義経は平氏を討ち、帝の心を安んじた功績によって、新田義貞に生まれ変わり、足利尊氏と共に鎌倉の北条氏を亡ぼして、天下を二分するほどの勢力を得た。だが、終りをまっとうすることができなかった。というのは、義経には不義の行跡があり、陰徳を損じていたからだ」というわけである。

 他方、源範頼は上将として、平家追討に功績があり、楠正成に生まれ変わって、一時は新田・足利と三鼎(さんてい)の勢いをなした。だが、結局は自分の作戦が用いられず、みずから選んで戦死を遂げた。これは前世に弟の義経をねたみ、義経の軍略を妨げる行為があったためである。

 では、天下を掌中に収めることができた足利尊氏は、いったい誰の生まれ変わりであったのか……

 都賀庭鐘はこんなふうに、『平家物語』の人物群と、『太平記』の人物群とをうまく重ね合わせて、一種の歴史的評価を行ったわけだが、このような知的な「見立て」を、もう少し俗に砕いた形で、冗談に変えれば「こじつけ」となる。

 一見おふざけのようだが、現在流行の「歴史認識」だってこれ以上に上等なことをやっているわけではない。むしろ江戸時代の人のほうが、歴史認識とは本来的に「見立て」や「こじつけ」にほかならないことを十分に承知していた。その意味では精神的な余裕があり、ずっと奥が深かったと言えるだろう。

○カチカチ山後日譚

 閑話休題。いや、この文章は閑話以外の何ものでもないのだが、さて、馬琴の「カチカチ山後日譚」にもどるならば、カチカチ山の兎の奴、さんざんに悪知恵を働かせ、卑怯なやり方で、狸をだまし討ち。それにもかかわらず、恩人の仇を討った善人づら。世間の拍手喝采を利用して、うまく大名に取り入り、武士に取り立ててもらった。

 さあ、腹の虫が収まらないのは、狸の息子。何とか父親の恨みを晴らそうと、臥薪嘗胆、ついに苦労の甲斐あって、憎い兎と仇討ちの勝負ができることになった。公明正大、晴れの場で、「エイッ!」と胴を真っ二つ。すると、兎の上半身は黒い鳥に、下半身は白い鳥に化して、いずこともなく飛び去った。それ以来、黒い鳥を「う」と呼び、白い鳥を「さぎ」と呼ぶようになったトサ。

 

 あははは、私は思わず吹き出した。ホームページの「もののけ・ことば」でも披露したように、私はこういうあっけらかんとした与太話が嫌いじゃない。いい人だったんだなあ、馬琴って……。

カチカチ山のうさぎさん

狸に切られて「鵜」と「鷺」に

鵞鳥、駝鳥に化けそこね

毟(と)られた羽根は、「蛾」と「蝶」に

○カルト・チルドレン

 小泉首相もそうだが、今度の「刺客」作戦で当選した代議士たちも、総じて兎っぽい。この人たちは最近小泉チルドレンと呼ばれ、また自ら喜んでそう自称している人もいるらしいのだが、顔かたちは変っても、不思議に目つきがみんな似ている。何かに憑かれているみたいで、「これ、小泉カルト集団じゃない?」と、わが家では気味悪がっている。

 グレムリンみたいだ、という説もある。

小泉さん小池さん小沢さん小林さん

小杉さん小松さん松本さん焼香さん(一部変換ミス?)

小泉さん小池さん小沢さん小林さん

小松さん小杉さん杉村さん、はしゃぎ杉(同前)

コイズミさん子狐さん、タケベさん狸さん

丹波さん篠山さん額賀さん、お猿さん(同前)

ある昼下がり、アヒルが三羽

サンバ・マンボで踊ってる

昨日見かけた、着たきり雀

涼み浴衣で盆踊り

小泉さんちのチルドレン

踊れん、歌えん、でろれん祭文(さいもん)

小泉さんちのチルドレン

チルドで送ったが、痛んでた

かもめのジョナサン、カゴメの夕雁さん

後ろの正面、杉村さん

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