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ハリケーン災害の見え方

○質の悪いアメリカ・テレビ

 先日、大麻駅から電車に乗った二人づれの男性が、私が掛けている席の脇に立って、「今時住民票の制度がないなんて、考えられないな」などと話を始めた。

 どうやら超大型ハリケーンの被災者のことらしい。

 私たち家族も他人事でなく、被災者の身の上を案じながらテレビを見ていた。町中が二階まで潮水に浸されているにもかかわらず、避難をしようとしない人たちが沢山いる。「なかには、せっかく手に入れた自分の家から離れられない人もいるだろうけど、ビザのない人も多いだろうし、ひょっとしたらパスポートさえ持っていない人も交じっているだろうね」。そんなふうに、私たちは見ていた。「うっかり避難所なんかに行ったら、そのまま逮捕、強制送還なんて羽目になりかねない。今回に限りその点は不問に附す。仮にマイクでそう呼びかけたとしても、自分の立場に不安を抱えて生きてきた人間は、疑い深くなっているから、耳を貸さないだろう」。

 同じころ、NHKがアメリカのテレビ・ニュースを放映していたが、ニュース・キャスターが、現地の災害対策責任者に向って、「しかし、自動車も買えない貧しい人が10万人近くもいたことは、前から分かっていたことでしょう?!」などと、底意地の悪い目つきで問い詰めている。

「ヤナ奴だな……アメリカのテレビって、つくづく質が悪いネ。こんな厭味を言うために、忙しい責任者を、わざわざカメラの前に引っ張り出したりして……」。

このニュース・キャスター、ニューオーリンズの「貧しい人」が避難できなかったのは、単なる金の問題だけじゃないことくらい、十分に承知しているはずだ。だが、全くそんな問題はなかった顔をして、被災者を、当局の不手際が招いた災害の被害者に仕立ててみせる。連中がよく使う手口で、いまさら批判にも値しない。そうも言えるが、要するに被災者の側に立つ振りをしているだけ。当面なにが必要なのか、親身に訊いてやる気持なんて、まるっきり持ち合わせていない。

○ソーシャル・セキュリティについて

 私はアメリカ合衆国のソーシャル・セキュリティ・ナンバー(SSナンバー)を持っている。1995年、コーネル大学の客員教授になり、J-Ⅰビザでアメリカへ渡ったからである。

もちろんこれは市民権とは異なる。だが、このナンバーを持たないと、アパートを借りたり、電話番号を貰ったり、銀行の口座を開いたり、自動車をレンタルしたりできない。全くできないわけではないらしいが、いろいろ難しい条件がつき、契約に時間がかかる。その意味でこのナンバーは、普通に市民生活を送る上で不可欠な身分証明書の番号みたいなもので、江戸時代の人別帳に近い。

江戸時代における公民としての「人」とは、この人別帳に名前が記載されている人間を指す。もし何かの事情で、人別帳から名前を削られてしまえば、つまり「帳(面)外し」にされてしまえば、家土地を手に入れたり、宿屋に泊まったり、そういう当り前の権利を一切奪われてしまうのである。

 私は日本の運転免許証を持たなかったが、ニューヨーク州の講習を受け、コーチに就いて、ドライバー・ライセンスを取ることができた。SSナンバーを書いた、身分保証書のカードを持っていたおかげである。

 

 もしビザもなく、SSカードも持たずに、アメリカで生きようとしたら、どんなに難しいことが待っているか。私たちはビザなし渡航で90日間、アメリカで過ごすことができるが、その期限が切れれば不法滞在者となる。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで働いたりすれば、不法就労となってしまう。

ところがアメリカには、そういう立場の人が沢山いる。ばかりでなく、パスポートなしに渡って来た密入国者も多い。

ブッシュ政権が発足したばかりのころ、女性の高官が辞職した。たしかその理由は、不法就労者をメイドに雇っていることが発覚したためだった。政府の高官がそういう不用意な「過ち」にはまってしまうほど、その数は多いのである。

○闇売買されるソーシャル・セキュリティ

SSカードは郵送されてきた。顔写真もついていない。スーパー・マーケットが発行するポイント・カードよりもお手軽な感じの「身分保証書」であるが、知人から、「くれぐれも他人の手に渡らないようにきちんと管理して下さい」と注意された。「不用意にナンバーを他人に教えたりしない」。その点も注意された。「いつ、どこで悪用されるかも知れないからだ」という。

 一見お粗末な、このカードが、しかし悪質な連中の暗躍によって、意外に高額な値段で闇取引されている。そういう噂も耳にした。

もちろん需用が大きいからで、シアトルのワシントン州立大学で聞いた話によれば、シアトルや周辺の市民が、北京政府の中国から、学生のホームステイを引き受けることにした。大学の斡旋により、50名を超える北京中国の学生が、それぞれホームステイの家庭に別れ、数ヶ月の後、指定された場所と時間に集合することになっていたが、当日その場所には一人も現われなかった。アメリカ大陸に散らばり、姿を晦ませてしまったのである。

 これに類する話は、後にロサンゼルスのUCLAで客員教授となった時にも耳にした。

 要するにこの人たちにとって、北京中国は、国籍を棄て、名前を棄て、過去を偽っても二度と帰りたくない国だったわけだが、では、どうやって生きてゆくか。

 他人になりすまして生きるしかなく、出来ればきちんとした経歴の人間のSSカードを手に入れて、その人間になりすませたい。その支払いのために、下積みの労働を2年、3年と続けることになるとしても、咽喉から手が出るほど欲しいカードだろう。

そこに中国マフィアがつけこむ。「自分の国へ帰れば、もうこんなカードは要らないな」。そう考えている人間から、甘言をもって安く買取り、それを、不法滞在や、密入国の弱みを抱えた人間に、法外な金額で売りつける。

 

その時、買い取る相手としては、日本人が目をつけられやすい。アメリカでは、日本国籍を持つ人間の信用度が高い。しかもアメリカの大半の市民にとって、日本人と中国人との区別などつくはずがないからである。

そんなわけで、ついうっかり甘言に乗ってSSカードを手放したりすると、後でとんでもないトラブルに巻き込まれかねない。SSカードを買わねばならない人間は、好むと好まざるとにかかわらず、不法な行為にかかわり、犯罪に巻き込まれやすい。このため、SSカードを手放した人間は、アメリカで自分になりすました、別な人間の犯罪の責任を背負い込む羽目に落ちてしまうのである。

○戸籍と「魂」の預かり所

 さて、ここで住民票の問題にもどるならば、アメリカでは、日本の戸籍に相当する制度がない。

 シェークスピアや、その時代の文学者に関する研究を読んでいると、時々、「彼が生れた土地の教会の記録を調べたところ……」というような記述に出会う。つまり、かつて西欧のキリスト教社会では、教会が出生の記録を司っていた。その教会の教区の人間は、子供が生れたら洗礼を受けに連れてゆく。そこでクリスチャン・ネームが与えられ、それと共に出生が記録されたらしい。クリスチャン・ネームを持たないと、死後、魂が救われない。そういう信仰があったから、両親は必ず子供を洗礼に連れてゆく。いわばクリスチャン・ネームを貰ってはじめて「人間」として認知、登録され、死後の魂の面倒も見てもらうことができるのである。

 これは日本の江戸時代における「人別帳」の制度とよく似ているが、日本の政府は明治5年、人別帳を廃して、戸籍を作ることにした。つまり国家が国民の「出生と死亡」の公的な記録を作り、管理することにしたわけで、この年が壬申(みずのえさる)に当ることから、歴史家は壬申(じんしん)戸籍と呼んでいる。

 ただ、所属する人間の出生を認知し、死後の魂の安息を保障してやることは、キリスト教社会や日本だけでなく、どんな共同体にも必要不可欠なことだった。それを果たさなければ共同体が崩壊してしまう。それほど重要な役割だった。

日本は江戸時代を通じてお寺に任せてきたわけだが、明治に入ってそれを廃して、昔からの氏神/氏子の制度を復活し、強化させた。出生と死亡の記録は政府の責任とし、魂の救済は神さまにお願いすることにしたわけである。

ただし、氏神祭を盛んにすることは、ある程度成功したが、宗教と信仰を一元化する政策はさほど成功せず、敗戦によって崩壊してしまった。その結果、死後の魂の問題は、神道であれ、仏教であれ、それ以外の宗教であれ、皆さん各自ご勝手にと、かなり投げやりな状態に放置し、ただ戦争で亡くなった兵士と軍人の魂は、靖国神社に祀ることにした。

○戸籍法なき国の問題

 ところが、かつてのキリスト教国家は、そしてアメリカ合衆国も、「出生と死亡」の記録は国家が管理することにしたが、日本のような戸籍制度は採らなかった。もちろん住民標もなく、だから住民票に相当する英語もない。

アメリカ合衆国は、アメリカの市民権を持つ両親の間に生れた子供に市民権を与える。両親がアメリカ市民でなくても、アメリカ国内で生れた子供には、将来もし望むならばアメリカ国民となり得る権利を与える。そういうやり方でやってきた。

 従来、日本の知識人は、このやり方を、より成熟した市民社会の原理に基づく、より開かれた国家のあり方として評価してきたが、現在は、かえってそのやり方が裏目に出ているのではないか。

 

外国人に発行したSSカードが、密かに売買され、それを目当てに不法滞在者や不法就労者、あるいは密入国者が入り込んでくる。アメリカ西海岸の場合、そういう人間の多くはアジア系、メキシコ系のようだが、ルイジアナ州やミシシッピー州はもっと多様な民族を含んでいるだろう。

 災害に乗じて、略奪を働く。そういう人間の映像も繰り返し放映された。アメリカにおける人心の荒廃を剥き出しに見せつけられた感じで、同情も何もいっぺんに吹っ飛んでしまう。そこまで彼らを追い詰めたものは何か。そんなお悧巧を言う気にもならない。

その全てが以上のような人たちの仕業だとは言えないが、深いかかわりがあると見てさしつかえないだろう。SSカードを持たずに避難所へ赴き、怯えて暮らすよりは、イチかバチか金目のものを奪って逃げ出そう。おそらくそう考える人間が出てもおかしくない状況になっていたのである。

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選挙結果の見え方

○北海道10区の結果

昨日(11日)の衆議院選挙で、私の住む北海道10区は、次のような結果となった。(『北海道新聞』912日、朝刊)

当選 小平忠正(民主) 109,422

     山下貴史(無所属) 78,604

比例 飯島夕雁(自民)  62,100

     谷 建夫(共産)  17,617

 山下貴史はつい先日まで自民党の議員だったが、郵政民営化法案に反対したため、公認を得られなかった。

飯島夕雁の「夕雁」は「ゆかり」と読む。彼女は2週間ほど前まで、東京都の青ヶ島という、人口200名の小さな離島の教育長だったが、小泉自民党執行部の「刺客」公募に応じて、恐らくこれまで縁も夕雁、いや失礼、ゆかりもなかった北海道10で立候補した。得票は山下より1万五千票ほど少ない、第3位だったが、比例代表の1位にランクされていたおかげで、当選したわけである。

○北海道10区と青ヶ島

北海道10区は、空知地方から留萌地方に及んで、40近い市町村を含み、その広さは本州の1県に匹敵する。おそらく日本で最も広い小選挙区であり、札幌のベットタウン化した地区と農業地帯、さらに漁業地域、旧炭坑の過疎地帯と、利害が複雑に錯綜する地域事情を抱えている。飯島夕雁は人口200の青ヶ島から来て、その広さと複雑さに驚いただろうが、しかし案外、「青ヶ島に較べたらずっと便利じゃありませんか」と、比例代表1位のランクに安心して、郵政民営化を説いてまわったのかもしれない。

念のため、インターネットで「青ヶ島 郵便局」を検索してみたところ、青ヶ島は銀行がないため、お金の管理は郵便局に頼るしかない。銀行がないのだから、もちろんキャッシング・カードなんて役に立たない。郵便局にはATMがあるが、日曜日は使えない。宅配のシステムも及んでいないから、郵パックが頼みの綱。そういう所らしい。

つまり郵便局がなければ暮らしは成り立たないわけだが、もし郵政を民営化しても、政府が責任をもってこれらの機能を確実に残す、あるいはもっと便利にする。そういう固い約束を基に、彼女は青ヶ島を去ったのであろう。

もしそうでなかったならば、「政治家」としてはなはだ無責任なことになる。いや、はなはだ無責任に/な政治家を選択したことになる。

○「刺客」成功の得失

ともあれ彼女は比例1位のランクだから、まず当落を気に病む必要はなく、山下貴史の票を食って、落選させる役割を果たした。逆に山下貴史の側から見れば、政治の経験もなく、地元の事情にも通じていない「くノ一」にしてやられてしまったわけだが、もう一人、貧乏くじを引かされた政治家に、北海道7区の北村直人がいる。彼は小選挙区で、民主党の仲野博子に1万票足らずの差で破れ、比例代表のポストにも手が届かず、落選の憂き目を見てしまった。

こうして北海道内に限って言えば、自民党は郵政民営化の反対派を追い落とすため、一人の未経験な「刺客」と引き換えに、ベテラン議員と、もともとは自民党寄りだった中堅議員の二人を失ったのである。

○見方の見え方

 小泉執行部の選挙手法の「功罪」については、また違う視点と論理で評価しなければならない。だが、少なくとも「自民党にとっての得失」はこのような見方で捉える必要があるだろう。

 小泉執行部の選挙手法のパラドックスは、仮に「刺客」手段が100%成功したとしても、自民党議員の顔ぶれを入れ替えるだけで、議席数を増やすことにならない点である。

 もちろんこれは初めから承知だったであろうが、実際にふたを開けてみたら、いわゆる造反議員の半数近くが当選している。単純計算すれば、議員総数を減らしたことになり、失敗なのである。

 

 それにもかかわらず、自民党は40以上も議席を増やした。理由は単純で、民主党が60以上も議席を吐き出したからにほかならない。

 なぜこういう結果になったのか。自民党のスペア以上の存在感を、民主党が持っていなかったからだと思う。もっと端的に言えば、国民の目に、スペアのほうがかえって脆弱に見え、恐くて取り替える気にならなかったのである。

 そんなふうに思いつつ、『北海道新聞』をめくっていると、「作家・猪瀬直樹氏の話」と、「「アイドル政治家症候群」の著書がある臨床心理士矢幡洋氏の話」という二つの談話記事が載っていた。猪瀬直樹の「自民内の“政権交代”」という意見は、要するに分かったふうな党内事情論を一歩も出ていないが、矢幡洋の「単純な主張を支持」はもっとひどい。

今回の選挙はオリンピック時の国民の熱狂ぶりに近く、エンターテイメントとして終った。その中で小泉首相の郵政一本やりの主張が支持された。昔は単純なスローガンは疑いの目が向けられたと思うが、今はひたすら分かりやすさが求められる。複雑な思考ができなくなっている。社会全体に一種の「知的衰弱」がある気がしてならない。

 選挙結果も恐いが、こういう意見も私には恐い。この矢幡洋という人がどんな所に住み、何を見て暮らしているのか、私は知らない。ただ、私の知るかぎり、国民は熱狂などしていなかった。熱狂していた(振りをしていた)のは、マスメディアだけではないのか。ヤラセめいた映像を適当に編集して、「激戦区の過熱振り」を報道する、と見せかけながら。

 小泉執行部は明らかにそういうマスメディアの手口を計算に入れていたが、それを批判もせずに受け容れて、現象を「ひたすら分かりやすく」単純化し、「知的衰弱」などというありふれた現代人批評に収斂させてゆく。そういう「心理士」と国民のどちらが、「複雑な思考」に耐えられなくなっているか。私には前者としか思えなかった。

 

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総選挙の見え方

○翼賛体制への狂奔

 誰でも気がついていると思うが、小泉自民党執行部は郵政民営化という「改革」を口実に、党内反対派の排除に取りかかっている。その手段が衆議院の総選挙であって、郵政民営化に反対した議員の公認を拒んだだけでなく、その選挙区に対抗馬を送り込んで、反対派潰しを謀った。「刺客」という言葉は、誰が言い出したのか分からないが、図らずもこの言葉は、小泉自民党執行部のやり方が一種の粛清にほかならないことを暗示している。

 弁証法で言う「矛盾論」から見れば、党内(組織内)の反対意見者に「敵対者」のレッテルを貼りつけ、「奴は敵だ。敵は倒せ」とばかりに反対者の抹消を正当化するやり方が、粛清だからである。

 小泉自民党執行部はなりふり構わず、そういう粛清を通して、党内に翼賛体制を布こうとしているのだろう。

 ある人間が何を言っているかは、一つのことである。その人間が何をしているかは、また別なことである。この両面から、人を見なければならない。

 重要なのは、何を言っているのかを理解することと、何をしているかを知ることを、きちんと兼ね合わせることなのだが、そのことを含めて、私たち家族はそういう見方を心がけている。

 

 そういう私たちの眼に、小泉自民党執行部は以上のように映ったわけだが、そんなことを話しているうちに、私は、1970年前後、学生運動の政治セクトがはまり込んだ、内ゲバとか総括とかいう陰惨な手口を思い出した。

小泉純一郎もその世代に属する。彼や、現在の自民党執行部のメンバーが、その時期どんなスタンスを取っていたか、それは分らない。だが、「改革」をオールマイティみたいに振りかざしたり、公務員の問題を官僚支配の問題にすり替えて、目の敵に攻撃して見せたり、「私が自民党をぶっ壊す」などと内部変革者を気取ってみたり、セクト内の問題を国民全体の問題みたいに誇大視してみたり、その言動パターンに世代的共通性が認められる。

 

○小泉の「くノ一」

 「小泉と自民党執行部が選んだ「刺客」って、ほとんどが女でしょ。女をそんなふうに利用するってことが、私は何だかとても嫌な気がして……ところが、利用されてる女たちが、揃いも揃って「小泉さんにお声をかけていただいて、とても光栄です」なんて、はしたなく悦んでいる。見るに耐えない……」。

「ホント、事柄の全体が、不謹慎なことを見境もなく人目に曝している感じで、思わず顔を背けてしまう。でも、案外あの女たち、自分じゃ華麗な「くノ一」のつもりなんだろうナ」。

「私は、衆議院選挙そのものを馬鹿にしていると思う。私たちのところにも、刺客のお姐さんとやらが来たらしいけど、この土地のことを全く知らないわけでしょ。それが不愉快なだけじゃなく、女を送り込めば票が集まるだろう、票を集めて議席を増やせば、それが政治の勝ちなんだって、そういうやり方が、国政選挙と有権者をナメている、侮辱している。だから、この選挙で小泉を勝たせてしまうと、何か気がつかないところで日本の選挙と政治が変質して行くんじゃないかって、私はそれが怖い」。

「ただ、彼女たち、選挙に必ず受かる保障はないわけよネ。小泉だって大統領じゃないんだから、自分も立候補して受からなければならないんだし、ひょっとしたら横須賀市民にそっぽ向かれて、落ちてしまうかもしれない。当然その辺は承知の上なんでしょうけど」。

「たぶん小泉執行部も、あの女たちも、選挙結果については、あんまり期待してないと思うヨ。もちろん小泉たちは、彼女たちを立候補させる時は、自民党の総力を挙げて応援するとか、万が一当選できなくても、自民党が責任をもって然るべきポストの仕事を用意致しますとか、口約束だけじゃなくて、証文の一通くらいは書いていると思うけど、本音のところは、45人も受かればメッケもん位に計算してるんじゃないか。あと34人、比例で拾ってやってネ……それだけ議席をとれば大成功、というところだろうナ」。

「これはまたこれで怖いことネ。それでは、使い捨ての憂き目を見る女性も出るかも……」。

「かも知れないよ。小泉や執行部は、送り込んだ刺客と相打ち、共倒れでいいから、とにかく郵政民営化に反対した元党員を落選させる。それが狙いだろう。亀井静香のところは、さすがに、そんじょそこらの女ではとても太刀打ちできそうもない。そう分っているから、堀江とかいう話題性の高い男を送り込んだわけだけど、あれを見ると「亀井憎し」で凝り固まっているとしか思えない。新党国民を作ったメンバーは、自分の選挙地盤に自信があるからだろうけど、逆に言えば、小泉のああいう肌寒くなるような、執念深さに怯まなかった男たちってことになるわけだ」。

○コンコルドの教訓

 「「コンコルドの誤り」という諺と言うか、教訓があってネ」。

 「ええ?」。

 「長谷川真理子って人が書いてるんだけど、コンコルドっていう、超音速の旅客機があっただろう? フランスとイギリスが共同開発した。……ところが、あれは、開発の途中で、たとえこれが完成しても、採算がとれっこないってことが、分ってしまったんだって」。

 「ええ?」。

 「だけど、フランスとイギリスの政府は、これだけ膨大な投資をしたのだから、いまさら止めると全てが無駄になってしまう。そういう理屈で開発を続けて、出来上がったのはいいが、やっぱり使い物にならなかった」。

 「それに、すごい事故を起したでしょ。……いま思い出したけど」。

 「小泉ってコンコルドの、あの顔の部分に似てないか?」。

 「ああ、そうか。郵政民営化の引っ込みがつけられなくて……」。

 「長谷川さんに言わせると、ああいう精神の硬直化は、これまでこんなに頑張ってきたのにっていう、物惜しみ根性のセイだけではないんだって」。

 「というと?」

 「これを中止して、では、他に何ができるか。そういうオルタナティヴを構想する能力がない人間が、得てしてああいう硬直にはまり込むんだそうだ」。

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