判決とテロル(9)

深層構造論の視点で(その2)

○「なまら」と「んでないかい」
 テレビやラジオで仕事をしているタレントにとって、代表的な北海道言葉は「なまら」と「いんでないかい」になっているらしい。彼らは北海道への親しさを表現するつもりで、やたらと「なまら」や「んでないかい」を乱発する。聞いていて、ん? と疑問を感ずることが多く、何となく気分がざらついてくる。

 私は18歳で北海道に渡り、それ以来50年以上も経つ。だから、これらの言葉のニュアンスや、それを使っていい場面と、使わないほうがいい場合との違いも分からないわけではない。だが、自分の言葉として「なまら」や「いんでないかい」を使うことはなかった。当初は、相手を小馬鹿にしたようなニュアンスになじめなかったためだが、最近はそれらを口にしてきた北海道人のほうが、逆に電波メディアの住人たちから小馬鹿にされている感じで、やはりなじめない。それだけ私が北海道人化している証拠なのだろう。

 私の理解によれば、「なまら」を使う地域や世代はそう広くはない。それに、「なまら」という副詞は、もともと「なまら面白い」とか「なまら旨い」とかと、肯定的な事柄を強調する時には使わなかった。むしろ、「なまらおっかねえ」とか「なまらやべえ」とかと、否定的なことの程度がはなはだしい時に使っていた。その用法が逆転したのは、この言葉が電波メディアでよく取り上げられるようになった頃とちょうど重なる。

 では、「んでないかい」はどうだろう。これも私の理解によれば、「それはいいことですね」と肯定的、積極的に賛意を表現する場合には使わない。むしろ「自分はそうしたいと思わないが、あなたがやると言うのならば、あえて反対はしないよ」という意味合いで使う。私たちは、〈もうこれ以上話し合うまでもない〉という気持ちで、「ま、それでいいでしょう」と切り上げる場合があるが、その言い方にもうちょっとトゲを含ませた言葉。そう受け取っておけば、間違いないだろう。

○「んでないかい」のストラテジィ(戦術)
 それにしても、「んでないかい」の「ない」や「かい」は一体どんな働きをする言葉なのだろうか。
 いまこの言い方を「〈それで〉いいのではないか(い)」と改めてみるならば、「ない」は打消しの助動詞、「か(い)」は疑問または反語の終助詞ということになる。
 ただし、普通私たちは、打消しの気持ちを込めて「それはまずいよ」と反対する場合、「〈それで〉いいのではない」とか、「いいんでない」とかと言わない。「〈それは〉よくない」と言う。北海道育ちの人ならば、「うまくねえ」とか、「まずいんでないか、それ」とかと言うところだろう。
 とするならば、この「ない」からは打消しの働き(機能)がほとんど消え去り、ある事柄を強調する終助詞に転化してしまったのではないか。そういう疑問も湧いてくる。つまり「んでない」と「いいんだ」とは同義となるわけで、北海道育ちでない人が「んでないかい」を肯定、賛成の意味に取ってしまったのは、多分このためだったのである。
 それはまた、「いいんでないかい」の「かい」の理解にもかかわってくる。
 私たちが「そうか、そういうことだったんかい」と言う場合、この「か」や「かい」は疑問や反語を表さない。むしろ長年の疑問が氷解した安堵感(感動)の表出や、相手の説明に納得し、承諾した気持ちの伝達に用いる。この「か(い)」の働き(機能)の中に、「ない」の打消し的機能が吸収されてしまったのだ。そう見ることもできるだろう。
 
 こんなふうに、従来の日本語文法で解釈するかぎり、「んでないかい」の理解は、北海道育ちでない人のほうに傾いてしまうわけだが、かえってこれでは北海道育ちの使い方から外れてしまう。では、前回に紹介した、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの共著『イデオロギーとしての言語』(1993)の視点に立ったならばどう解釈できるだろうか。
 この2人の方法に従って、「んでないかい」を主語と述語の整った文に直してみよう。
 もし機械的に、主語を補ってみるならば、「君の言うことは、んでないかい」となるわけだが、じつはこれは事態に即した文とは言えない。なぜなら、「君が言う」という事柄に関して、「んでないかい」と判断する主体(発話者)は、決して「君」ではない。「私」だからである。
 その点を踏まえて整理してみるならば、「私は(君が言うことに関して)『んではないかい』と言う」となるだろう。
 
 このような構造の言葉を使う人間のストラテジィは、次のように解釈できる。すなわち、この言葉を発する人間は、相手の「いい」提案を直接には反対しない。しかし、それを打消したい動機をもって聞いていた。その気持ちを「ない」という言葉で明示しながら、「かい」という反問の形で相手の再考を促す。そうすることによって、相手の意欲を削ぎ、相手の気持ちを萎えさせる。結局相手が諦め、その意図を放棄するように仕向けているのである。

○一休みしていた理由
 ところで、私はこのところ、池田壽夫というプロレタリア文学運動の理論家の論文探しに追われていた。池田壽夫は本名を横山敏男と言い、昭和2年に東京帝国大学の農学部(農業経済専攻)に入ったが、翌年、高見順たちと『大学左派』という雑誌を出し、マルクス・レーニン主義の文芸理論家の道を歩み始めた。その人のご遺族が市立小樽文学館に、700点に及ぶ、大変に貴重な文献や資料を寄贈して下さった。小樽文学館ではこれを記念して、7月4日(土)から特別企画展を開いて寄贈された文献や資料を公開する。それと関連して、私が6月6日(土)と6月27日(土)、7月18日(土)の3回、講座を開くことになった。
 そのこともあって、池田壽夫が書いた論文や評論を集め始めたのだが、警察の追求を逃れて地下活動に入ってからは、坂井映一、大場文夫、藤村喬、瀧澤俊太などの名前で論文を書き、それを探すのに手間取ってしまった。しかも池田壽夫は、当時のプロレタリア文学運動家としては珍しく沢山の映画論を書いている。ところが困ったことに、サイレント映画からトーキー映画に変わった時代の映画雑誌や映画論を揃えている図書館はごく少ない。
 それやこれやで、このブログを書く時間的な余裕がなかったのだが、北大や藤女子大に足を運んだり、用事で東京に出た時は、時間を作って東大図書館に寄ったりして、漸く論文探しの峠が見えてきた。ほっと一安心。気になっていた、もう一つの仕事にもどることができたわけだが、今回は雨が上がって、中断していた試合を再開。マウンドに立って、プレーボールの声がかかるまで何球か投げてみる。そんな調子で書いていきたい。
 
○語るに落ちた寺嶋弘道被告のホンネ
 さて、亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)で、次のように書いた。
《引用》

第1、原告が被告から受けた被害
(1)平成18年4月7日(金曜日)
(a)被害の事実
 原告は被告の前の勤務先が道立近代美術館だったことを知り、「近々道立近代美術館へ行って、木田金次郎の作品を見せてもらい、学芸員の話を聞かせてもらいたいと思っているところです」と予定を語った。すると被告は突然、「いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」と言いつのった。
 原告は平成18年度の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」(期間・平成19年2月17日~3月18日)の主担当であり、木田金次郎は企画展で取り上げる主要な作家・画家の一人だった。それゆえ原告は、3月18日から道立近代美術館のK学芸員としばしばコンタクトを取り、4月5日には、ほぼ面会する日時も決まっていた。 
 また原告は、木田金次郎の展示に関する大まかな構想を、すでに「2006年度展示原案(コンセプト稿)人生を奏でる二組のデュオ」(2005年6月16日 前学芸課長に提出 甲25号証)という文書にまとめてあり、その文書を被告に、「実は、この内容に関することでK学芸員にお話を伺うことになっています。このように、構想もすでに立っています」と見せようとした。ところが被告は手にも取らずに、「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」と嘲笑的な口調で言い、無関心な態度を示した。
 なお、念のために付記すれば、以上のことは、4月4日(火)に被告が駐在道職員として道立文学館に着任した、その4日目の事柄である
(1~2p。太字は引用者)

 寺嶋弘道被告はこれに対して、したがって被告には『二組のデュオ展』の進行を阻害する意図などあり得るはずもなく」云々(「準備書面(2)」2p)と反論していたが、「問うに答えず、語るに落ちる」とはこのことだろう。なぜなら亀井志乃は、「平成18年4月7日(金)」に関する箇所で、「二組のデュオ展」の進行を阻害されたという意味のことは一言も言っていないからである。にもかかわらず、寺嶋弘道被告はあのように反論した。ついホンネがぽろっと出てしまったのだろう。
 なるほど彼が言うような視点で整理してみると、彼が道立文学館に着任して早々の4月7日から、翌年の1月末まで、亀井志乃の出張にクレームをつけたり、「二組のデュオ展」の予算を削ろうとしたり、何のことわりもなく「イーゴリ展」を割り込ませて、「二組のデュオ展」の準備を妨害するなど、ほぼ10ヶ月間、実に根気よく亀井志乃の仕事に干渉を続けた。その
「意図」がはっきりと浮かんで来るのである。

○「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」に対する注目
 ただし、今回私がこの箇所を引用したのは、
いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話に注意を促すためであった。
 この言葉が、「んでないかい」と同様な意味合いで発せられたことは、既に明らかだろう。
 寺嶋弘道被告はこの点に関して、次のように反論している。
《引用》
 
近代美術館のK学芸員は被告の前職場での直属の部下であり、被告は文学館への転勤以前の3月、同学芸員から原告の意向について報告を受けていたため、この4月7日の原告の申し出は初めて聞く話題ではなかった。K学芸員から被告への報告内容は、原告からK学芸員宛ての書簡の内容が散漫としていて調査事項が不明瞭であり困惑しているとの相談であったため、被告はK学芸員に対し、先方に対して具体的な調査内容を問い合わせ意向にそって対処するよう指導していたものである(中略)
 
また、「いいじゃない、やりなさい」と積極的に肯定した被告の発言を「いいじゃん、やれば」と否定的に用語転換し、「嘲笑的」「無関心な態度」だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である(1~2P)

 「用語転換し」とは不思議な言い方だが、多分「ニュアンスを変えてしまい」というほどの意味なのであろう。
 そもそも同じ職場で連携協働することになったばかりの人間に対して、「いいじゃない、やりなさい」という口を利くこと自体、思い上がりもはなはだしい。どうにもならない無神経さであるが、それは差し措くとしても、もし本当に寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の企画を理解し、積極的、肯定的に評価していたならば、
いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ。ただ話をだらだらしたって、相手になってくれる人間はいないよ。そんな時間はないんだ」などと言うはずがない。「いい企画ですね、ぜひ実現して下さい。私は今まで道立近代美術館で仕事してきましたし、K学芸員とも親しくしてますから、私からもKさんに連絡して、出来るだけ協力してもらえるように依頼しておきましょう」という言い方になったはずである。
 ところが寺嶋弘道学芸主幹はこの件にかぎらず、1年間を通して、ただの一度も亀井志乃に協力的な態度を取ることがなかった。寺嶋弘道被告自身、その「準備書面」や「陳述書」の中で、「自分は亀井志乃の事実上の上司だった」「上司として指導したのだ」という意味のことを繰り返すだけで、「自分はこれこれの形で亀井志乃の業務に協力してきた」と証明できる事柄は、ただの一度も挙げることが出来なかったのである。

○道理にかなった田口紀子裁判長の尋問
 田口紀子裁判長もその点は疑問に感じたらしく、10月31日の本人尋問では、寺嶋弘道被告と次のような質疑と応答を交わしている。
《引用》

田口紀子裁判長:ちょっと話変わります。先ほど、原告の準備書面、日付を追って聞かれて(書かれて?)おりましたので、そのことに関してちょっと伺いますけれど、まず、18年4月7日の事実として、いきなり訪ねていったって、美術館の学芸員は忙しいんだ、ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよ、そんな時間はないんだというようなことは、言ったということでよろしいんですね
寺嶋弘道被告はい
田口紀子裁判長:それで、先ほどの話ですと、K学芸員からこの話については事前にちょっと聞かされていたということでしたね。
寺嶋弘道被告:はい
田口紀子裁判長:Kさんの話だと、調査内容がはっきりしないんですという話だったということですね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:そうであれば、原告に対して、聞いた話だと、何か調査内容がよく分かってなかったみたいだから、だから、この点についてこういうふうにしたほうがいいよとか、そういう言い方をすればよかったんじゃないんですか。
寺嶋弘道被告:……………ええ、そのとおりだと思います。
田口紀子裁判長:ただ話をだらだらしたって相手になってくれる人間はいないよって言ったって、抽象的で全然分からないですよね。
寺嶋弘道被告:(うなずく)
田口紀子裁判長:原告としても、どうしたらいいかこれだけでは分からないということになるんじゃないですか。
寺嶋弘道被告:ですので、だらだら話をしてもというその次の話、次の段階で、調査項目をまとめてというのを伝えたほうがよかったと、今になって思います。
田口紀子裁判長これは、4月7日で、着任してもう早々の話ですね
寺嶋弘道被告(うなずく)
田口紀子裁判長その段階でそのような話し方をして、人間関係が壊れたというようなことはありませんか。
寺嶋弘道被告:そのようには思っていません
(被告調書26~27p。下線は引用者)

 この時の田口紀子裁判長の質問は至極道理にかなった質問であり、それに対する寺嶋弘道被告の返事から判断するに、もともと彼には亀井志乃の企画を理解したり、「積極的に肯定」したりする意図などなかった。そもそも寺嶋弘道被告は、良好な人間関係を作り、それを維持して行こうという気持ちなど、初めから持っていなかった。そう言えるだろう。

○亀井志乃の道理にかなった反論
 また、亀井志乃自身も、田口紀子裁判長による寺嶋弘道被告の尋問に先立つこと5ヶ月以上も前に、「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)の中で、次のように反論していた。 
《引用》

(2)同第2段
 被告と道立近代美術館のK学芸員とが如何なる関係にあったかは、本訴訟の争点に直接かかわらない故、原告の関知するところではない。ただ、被告に対するK学芸員の「相談」が被告の原告に対する態度に何らかの影響を与えたと主張するのであるならば、
① 原告がK学芸員の送った手紙を証拠物として提出し、原告の手紙の如何なる部分が
「内容が散漫としていて調査事項が不明瞭」であったかを証明しなければならない。
② 被告がK学芸員から相談を受けた日時、場所を可能なかぎり明示しなければならない。
 もし以上のことができないならば、被告側「準備書面(2)」におけるこの個所の記述は、要するに被告がK学芸員の言葉によってある種の予断を触発され、偏見をもって原告に対した事実を露呈したことにしかならない。それだけでなく、被告は、原告に対する自分の態度の責任を、K学芸員に押しつけたことになる。
 被告は
「したがって、近代美術館への原告の訪問調査を否定するいかなる理由も被告にはなく、むしろ調査が適切に遂行されるように指導する立場であった。」と言うが、原告は「被告が原告の訪問調査を否定した」という意味のことは書いていない。被告の誤読である。(中略)
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告は、
この時の被告の発言は、原告が同館を訪れ指導を受ける場合には、事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておくことが適切である旨を告げたものであって、被告から原告に対し通常の指導を行ったのみの適切な行為である。」と言うが、もし本当に被告が、前段で言うごとく、K学芸員から被告の手紙の内容を聞いていたならば、このような記述はありえない。なぜなら、原告がK学芸員の送った手紙はまさに「事前に先方の都合を聞き、調査事項や内容を整理し、あらかじめ相手方に依頼しておく」内容のものだったからである(甲38号証)。その点でこの段と前段との記述は整合せず、被告の記述自体の信憑性が疑われる(9~10P)

 それに対する寺嶋弘道被告の対応は、被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)というものであった。

○「いいじゃん、やれば」のストラテジィ
 そのような次第で、寺嶋弘道被告は自分を良識人として印象づけるために、わざわざ「いいじゃない、やりなさい」と書き換えてみせたのだろうが、前後の文脈に照らしてそんな書き換えは成り立たない。そのことは既に明らかだろう。
 それ故、ここでは、寺嶋弘道学芸主幹の
「いいじゃん、いいじゃん、やれば。やんなさい」という発話を中心に考察を進めることにするが、ホッジとクレスが指摘するように、疑問形(または反問形)の発話は、――特に否定(打消し)の言葉を区踏む疑問形(または反語形)の発話の意味作用は――文脈とイントネーションに大きく作用される。しかも、「いいじゃん」の「じゃん」は、「(いい)ではないか」→「(いい)じゃないか」→「(いい)じゃん」と語形変化したものではあるが、現在では「反発」と「促し」という相反する意味を持つ、両義的な終助詞として使われることが多い。
 例えば「いいじゃん」と「いい」にアクセントを置く形が、発話者自身の行為に関して用いられる場合は、「自分がそのようにしても特に不都合は生じないはずだ、放っておいてくれ(干渉しないでくれ)」という反発の意味が生まれる。だが、若い娘が「いいじゃん、いいじゃん!」と力を込めて言う場合には、「それっていいね、やろうよ」という促し、誘いの意味が生まれる。
 
 寺嶋弘道学芸主幹の「いいじゃん、いいじゃん」は、一見若い娘たちの「いいじゃん、いいじゃん!」に似ている。だが、それに続く言葉は「それっていいね、やろうよ」ではなくて、「やれば。やんなさい」だった。つまり、彼が言った「いいじゃん、いいじゃん、やれば」は、「(おまえさんが)やれば、いいじゃん」の倒置法であり、「(おまえさんが)勝手にやればよい、自分は関係ないよ」と無関係を強調する、突き放した意味となる。
 彼の発話はこのように、「やれば、いいじゃん」の倒置法であり、
いいじゃない、やりなさい」と書き換えることはできないのである。
 
 その上この発話には、「やんなさい」と、全くとりつく島もないようなニュアンスの、命令言葉が続いていた。相手から「やば。やんない」と言われて、「ああ、相手は賛成してくれたんだな」とは受け取る人は、まずいないだろう。この言い方は、語彙のレベルでは賛成していると見せかけながら、ニュアンス的にはむしろ相手がそうすることを咎め、やらせまいとする。そういうダブルバインドの働きを持ち、どうしたらよいか分からない心理的な状況に相手を追い詰める効果を狙った言い方なのである。
 
○言葉のダブルバインド
 寺嶋弘道という人物の得意技は、言葉のダブルバインドをかけることであるらしい。4月7日には先のようなことがあり、5月2日には、ケータイフォトコンテストの話を持ち出した。
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり、念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、『私はそういうことが出来る立場では…』と言いかけた。/ところが、その途端、(寺嶋弘道)被告が原告の言葉を遮り、『そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!』 と問い詰めはじめた(亀井志乃、3月5日付「準備書面」4p)。
 
 もしこれが私だったら、「人の話を遮っておきながら、『最後までちゃんと言ってみなさい』とは、一体お前さんは何様のつもりなんだ」と怒鳴り返すところだろう。
 だが、亀井志乃はそのように感情的にはならず、平原一良学芸副館長に、雇用者の立場で説明してくれるように依頼した。しかし、前回の引用で分かるように、平原学芸副館長は言葉の言い換えに終始するだけだった。

○平成18年10月28日の場合
 だがそれはそれとして、前回私は、亀井志乃の5月2日の記述に関して、田口紀子裁判長が肝心な箇所を削除してしまったこと、及び、5月2日の話し合いはケータイフォトコンテストとその企画書に関する話に終始し、亀井志乃が自分で写真を撮りに行く話は一切なかったこと、この2点を確認しておいた。

 そのことを改めてことわった上で、次に、亀井志乃の平成18年10月28日に関する記述を引用しよう。
《引用》
 
(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てた。更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた。
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した
(23~24p。下線は引用者)

 この表現についても、私は前回、田口紀子裁判長がどのような書き換えをやり、どの箇所を削除してしまったかを指摘しておいた。書き換えについては前回の引用を参照してもらうことにして、今回は、「しかし、5月2日の話題」以後の下線を引いた部分、つまり田口紀子裁判長が削除してしまった部分に注目してもらいたい。
 寺嶋弘道学芸主幹が
「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言い、それを聞いて亀井志乃が、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと考え、分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。亀井志乃のこの対応は至極当然な行為であろう。
 ところが、寺嶋弘道学芸主幹は、
なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言って、亀井志乃の行動を阻んでしまったのである。

 改めて彼の発話を並べてみよう。
イ、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」
ロ、「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」
 つまりこの時も彼は、亀井志乃にダブルバインドをかけ、対応不可能な状況に追い詰めようとしていたのである。

 それをもう少し細かく検討するならば、イの発話は、「理事長も館長もあんたが文学碑の写真を撮りに行ってくるものと思っている。だが、あんたは文学碑の写真を撮りに行っていない。あんたはその責任をどう取るつもりか」という疑問形になるだろう。見方を変えれば、寺嶋弘道学芸主幹は、この疑問形の裏側に、「どのような経緯で、理事長や館長は亀井志乃が文学碑の写真を撮ってくると思うことになったのか」、あるいは「一体誰が、理事長や館長にそこことを伝えたのか」という、行為者の問題を隠してしまったのである。
 当然のことながら、亀井志乃は自分の仕事に関する理事長や館長の誤解を正そうとしたわけだが、彼は「理事長や館長に説明をする人間は別にいる。なぜあんたが直接理事長や館長に会って説明しなければならないのか」という疑問形によって、亀井志乃の行動を阻止した。この疑問形の裏側に隠されているのは、「理事長や館長に直接説明できる資格を持つのは自分であって、あんたはその資格も持たないし、説明する理由もないはずだ」という、差別的な階層意識であろう。彼はこの差別意識によって、亀井志乃の説明資格と、自己の名誉を守る権利とを否定したのである。
 その点を押さえて、亀井志乃は、
被告は、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した。これは、自分の行動の正当性を主張しようとする原告の権利を侵害して、憲法が保障する基本的人権の実現を妨げる、人格権侵害の違法行為である(3月5日付「準備書面」25p)と、寺嶋弘道被告の違法性を告発したのだった。

○田口紀子裁判長の奇妙な理屈
 ところが、以上の問題に関する田口紀子裁判長の法的な判断は以下のようなものであった。
《引用》

(サ)原告は、平成18年10月28日、被告が、閲覧室という不特定多数の来館者に開かれた空間で、原告がサボタージュを行っていると決めつけて、原告の業務遂行態度を非難し、原告が定められた業務に手抜きをするいい加減な人間であるかのような印象を与えて、原告の名誉を毀損し、社会的信用を失わせた旨、また、原告が理事長や館長に事情説明をして誤解を解き、自己の名誉を守ろうとする極めて正当な行動を阻止した旨主張する。閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが、被告の言動の内容が、原告の社会的評価を低下させ、名誉・信用を毀損したものとまでは認められない。また、被告の発言の仕方が、原告に不快感を与えたとしても、上司としての許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したものとまで認めることはできはい。
(中略。この箇所は10月28日の午後の出来事に関する訴えの判決であるため、引用者注
 なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない
(22~23p。太字は引用者)
 
 またしても
「上司としての許容限度を逸脱する様態のものとまで認めることはできない」の一点張りであるが、田口紀子裁判長の「上司」概念がいかにインチキであるか、これまでも繰り返し指摘してきた。今回も後にもう一度取り上げるつもりであるが、私はこの下りを読んで田口紀子裁判長の想像力と理解力に深刻な疑問を抱いた。
 田口紀子裁判長は亀井志乃があれだけ証拠を揃えて事実を証明し、寺嶋弘道被告の違法性や虚偽を指摘したにもかかわらず、それらを無視、黙殺しておきながら、ここでは
「閲覧室内の状況については、証拠上明確ではないが」などと、証拠を求めている。いや、証拠を求める振りをしていた、と言うべきだろう。
 一体田口紀子裁判長は、閲覧室内の状況について、どんな証拠が必要だと考えているのか。閲覧室とは、不特定多数の市民が自由に入って来て、閲覧室に備えている図書類を自由に閲覧し、必要があれば、閲覧室に勤務している職員に頼んで、書庫内の図書資料を持ってきてもらい、閲覧をしていく、そういう開かれた空間である。それ以外に、どんな室内状況の証拠が必要なのか。
 閲覧室に勤務する職員は、そういう人たちの問い合わせや依頼に直ちに応じることができる位置で作業をしている。その意味では、衆目に晒される位置にいるわけだが、その職員に向かって、別な職員が「文学碑の仕事はどうなっているの。」「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と問い詰め、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」という意味の指摘を始める。事情を知らない閲覧者は当然、閲覧室勤務の職員に手落ちがあり、それを今咎められているのだ、と受け取るだろう。そういう誤解を招きやすい言いがかりをつけること。それは閲覧室勤務についていいた職員の尊厳を傷つける、名誉毀損の行為以外ではありえない。そのどこに「許容範囲」などというものがあり得るのか。
 
 札幌地方裁判所に、市民に開かれた閲覧室や資料室があるかどうか、私は知らない。ただし、一回のロビーに続く廊下に案内の席があり、廊下を挟んでエレベーターの出入り口と向かい合っている。たまたま田口紀子裁判官がそういう場で、市民から質問を受けている時、別な職員がやってきて、寺嶋弘道被告が亀井志乃に言い募ったような言葉を吐きかけたらどうなるか。10月28日の出来事は、そういうふうに想像的理解を働かせるべき事柄なのである。

○田口紀子裁判長の奇怪なレトリック
 ただし、私が田口紀子裁判長の想像力と理解力に疑問を抱いたのは、その箇所だけについてではない。
なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えていることからしても、原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止されたとも認められない。」という下りを読んで、私は更に深刻な疑問に囚われてしまった。
 
 亀井志乃は神谷忠孝理事長には文書を郵送したが、毛利館長以下の幹部職員には直接手渡しており、「送って」はいない。その程度のことは、亀井志乃の文章を流し読みしただけでも分かるはずである。しかも呆れたことに、田口紀子裁判長の理解によれば、〈亀井志乃は理事長や館長に文書を送り、寺嶋弘道被告の言動の不当性を訴えた。だから、自分の名誉を守ろうとする行動を寺嶋弘道被告から阻止されたことにはならない〉のだそうである。
 どういう理解力からこんな結論が出て来るのであろうか。
 
 いや、その前に、田口紀子裁判長のこの判決文が、いかに姑息な責任逃れの言い回しでしかないかを証明しておこう。
 まず田口紀子裁判長は、「寺嶋弘道学芸主幹が原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」と、行為者(寺嶋弘道)を明示する行為文で書くべきところを、
原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止された」と受身形で書き、判決文の表層構造から行為者を消し去ってしまった。(これまでの数多い引用文から分かるように、亀井志乃自身は、基本的には、行為者を明示する行為文によって記述している。)
 次に田口紀子裁判長は
「……阻止されたとも認めらない」と書いているが、この「れ(終止形は「る」)」という助動詞を可能の意味で使ったのか、受け身の意味で使ったのか、曖昧にぼかしてしまった。田口紀子裁判長はそれ以外の箇所で、しばしば「認めることはできない」と書いており、この場合の「認める/認めることできない」という判断の行為者は田口紀子裁判官自身であろう。田口紀子裁判長はほぼ一貫して自分が判断行為の主体であることを判決文の表層構造から消してしまっている。が、判断行為の主体を明示する行為文に書き直すならば、「なお、後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている。この事実から自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」となる。
 
 このように整理してみれば分かるように、この文の前段(「後日、原告は、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えている」)の事実は、後段(「自分(田口紀子裁判長)が判断しても、被告が原告の自己の名誉を守ろうとする行動が阻止したとも認めることができない。」)という結論の前提とはなりえないし、条件ともなりえない。
 むしろ事実の時間的な前後関係に基づいて整理するならば、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実(前提、条件)があったからこそ、「原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えざるを得なかったのだ」となるはずである。
 
 田口紀子裁判長の判決文には、そのような逃げ腰のレトリックが認められるが、要するに田口紀子裁判長は、「被告が、原告の自己の名誉を守ろうとする行動を阻止した」という事実があり、「(それ故)原告は、後日、理事長や館長あてに、文書を送り、被告の言動の不当性について訴えた」という事実関係の認識を回避したかったのであろう。
 しかし、もし田口紀子裁判長の理屈が通るならば、「なお、後日、原告は民事裁判を起こし、被告の原告に対する人格権侵害を訴えていることからしても、原告の人格権が侵されたとも認められない」という理屈も成り立つことになる。誰の目から見ても、これが逆立ちした屁理屈でしかないことは明らかだろう。日本の裁判ではこういう倒錯した屁理屈がまかり通っているのである。

○田口紀子裁判長の出鱈目な判決文
 そういう裁判官が書いた判決文だ。今回の初めに紹介された「平成18年4月7日」について、どんな判断が下されたか。是非読んでみたい。そういう関心をかき立てられた人もいるかもしれない。その人たちのために紹介しておこう。
《引用》
 
原告は、被告が、原告が業務遂行のため道立近代美術館を訪れる行動を、ただ道立近代美術館の学芸員を煩わせ、迷惑をかけるだけの行動であるかのように貶める言い方で評価し、また、原告の構想に対して関心を持つに値しないもののごとく侮蔑的な態度であしらった旨主張するが、被告の言動は、客観的には、被告が、原告の上司として業務指導の一環として行われたものと認められるし、そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告を侮辱する意図のもとに行われた、許容限度を超えた違法な言動とまで認めることはできない(17P。太字は引用者)

 田口紀子裁判長はこのような場合、「客観的」という言葉を使うべきではない。田口紀子裁判長はこの箇所に関するかぎり、「客観的」という言葉を使う資格も権利も持っていない。
 10月31日の本人尋問であれほど筋の通った尋問を行っていた田口紀子裁判長が、それからおよそ4ヶ月後、このようにクロをシロと言いくるめるような、出鱈目な判決文を書いている。その間、一体何があったのか。

○田口紀子裁判長の明白な虚偽
 既に何回も指摘したことだが、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を理由に、寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司であったと断定した。亀井志乃はこの文書は手続き的にも内容的にも問題があり、寺嶋被告が亀井志乃に上司だったとする根拠にはならないと主張したが、田口紀子裁判長は亀井志乃の主張を退ける理由も示すことさえせずに、彼女の主張を無視してしまった。しかも、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)には記載されていないことを、自分で虚構し、自分の虚構に基づいて寺嶋弘道被告が亀井志乃の上司だったと断定してしまったのである。
 だが、今はその問題を、一まず脇に置いておこう。
 寺嶋弘道被告の「陳述書」によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)は、平成18年4月18日に、彼の財団法人北海道文学館の幹部職員が協議をして作ったものだった。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告は
「それが決まるのが4月18日の全体会議の直前の幹部の打合せだったんですけど、それまで、………20日近く、そのことを………議論をしていました。議論というのは、毛利館長と話をしていました。(被告調書34p)と、物理的に不可能なこと言い、亀井志乃はその点を「最終準備書面」で指摘したが、田口紀子裁判長はこれもまた、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と無視してしまった。だが、その点もまた、一まず脇に置いておこう。
 とにかく寺嶋弘道被告の言い分によれば、運用上彼が亀井志乃の上司となったのは、4月18日に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)を職員に配布した時からであり、――被告側が提出した平成18年4月18日付「平成18年度第1回 北海道文学館全体職員会議」(乙3号証)で分かるように、乙2号証は当日の議題でもなければ連絡事項でもなかった。ただ職員に配布されたにすぎない。――田口紀子裁判長もその言い分に従っている。そうであるならば、4月7日の時点で寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の上司だったことは、「客観的には」ありえない。田口紀子裁判長の判決は、その点については全く虚偽なのである。
 4月7日の時点における寺嶋弘道学芸主幹との亀井志乃との関係は、「客観的には」、連携協働して文学館の業務に当たる道職員と財団嘱託職員の関係以外ではなかった。田口紀子裁判長の判断は、「客観的に」見て、明らかに矛盾し、間違っているのである。
 
 その判決文から判断するに、田口紀子裁判長は、自分の判断には致命的な矛盾があることに気がつかなかったらしい。もし気がついていたならば、相矛盾する二つの事柄の一方が虚偽であるか、あるいは二つとも虚偽であることに思い当たったはずである。
 その点で私は、田口紀子裁判官の論理能力と文章能力にも深刻な疑問を抱かざるをえない。

 それとも、田口紀子裁判長は自分の矛盾に気がついていた。気がついてはいたが、しかし亀井志乃が抗告をした場合には、同僚の裁判官から「田口裁判官に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と押し切ってもらうつもりだったのだろうか。
 

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判決とテロル(8)

深層構造論の視点で(その1)

○予備的な考察(1)
 あるデモ行進の取材に出掛けたレポーターが、実際に見聞した出来事について、「デモ隊が警官隊と対峙した」と書くことは十分にあり得るだろう。だが、「警官隊がデモ隊と対峙した」と書くかもしれない。
 また、そのレポーターはデモ隊を暴徒と呼び、「暴徒が警官隊を襲った」と書くこともあれば、「警官隊が暴徒集団を襲った」と書く場合もある。そして、その結果については、「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」と見るかもしれないし、「暴徒が四散する(riot disperses)」と見るかもしれない。

 ロバート・ホッジとガンサー・クレスの2人は、共著『イデオロギーとしての言語』(Robert Hodge and Gunther Kress, “Language as Ideology.” Second Edition, 1993)という独創的な言語研究の中で、以上のような例を挙げて、次のようなことを指摘した。
《敷衍的要旨》
 このように、同じ事件に遭遇した新聞記者たちの誰もが、同じ言葉を選ぶとは限らない。また、その事件の行為主体の――デモ隊、または警官隊――どちらを主語に選んで記述するかについても、決して一定はしていない。ただ、先ほどの例で分かるように、言葉の選び方や、主語の選び方によって、それぞれの記者の事件に対する見方や評価が表出される。このことは明らかだろう。私たち新聞の読者は、どの新聞がどんな見方や評価をするか、おおよその傾向を知っている。そこで、事件に関する自分の推定を逆撫でしないだろう傾向の新聞を購入し、その報道を元に「実際に起こった現実」を議論したり、考察したりしているわけだ。

 この《敷衍的要旨》の前半は、私が前後の文脈から補った意見だが、ホッジとクレスの趣旨を失ってはいないと思う。
 ただ、少し困ったのは、ホッジとクレスの2人がdisperseという言葉を、”police disperse rioters”、”riot disperses”と、現在形の例文を使っていたことである。この言葉は英語では他動詞にも自動詞にも使うわけだが、日本語では「四散させる」、「四散する」と使い分ける。だから、実際の出来事に即した日本語としては、「警官隊が暴徒を追い払う」、「暴徒は追い払われる」とするほうが自然な言い方に聞こえるだろう。だが、そういうふうに訳してしまうと、ホッジとクレスの趣旨から外れてしまう。その理由は後ほど説明することとして、取りあえずは上記の例文を前提として考察を進めさせてもらいたい。

○言語表現とイデオロギー
 さて、以上の簡単な紹介からもある程度推測ができるように、私たちが現実の出来事を見、それを言葉に現すとき、何らかのイデオロギー的な意味づけを行っている。全くイデオロギー的な意味づけを行わず、中立的な立場で見、無色な透明な記述を行うことはできない。ホッジとクレスの2人はそう考えたのである。
 デモ隊の要求を正当な主張だと考える新聞社の記者は、「デモ隊の行進を警官隊が阻み、暴力的に追い散らした」という方向で書くだろう。その反対に、デモ隊の要求ばかりでなく、デモという行為自体も好ましくないと考える新聞社の記者は、「警官隊がデモ隊の行動を規制しようとしたが、デモ隊が規制に反する行動に出て、暴力を伴う衝突になったため、暴徒化したデモ隊を追い払った」という方向で書くだろう。
 いずれの場合も新聞社のイデオロギー的な立場は明瞭であり、それが記事に反映したわけだが、それでは、そのいずれにも属さず、いずれの立場からも中立的な距離を取りたいと考える新聞社があったとして、その中立的な立場を反映する書き方とはどのような書き方になるだろうか。
 
 いや、そんなことを問う以前に、まずホッジとクレスの例文の挙げ方そのものを問題にすべきだ。なぜなら、この2人はデモ隊を暴徒と呼ぶ例を挙げたが、警官隊を国家権力の暴力装置と呼ぶ例文を挙げなかった。そこにこそ、2人のイデオロギーが隠されていたと言うべきで、これが彼らの学問の中立性を損ねているかもしれない。そういう疑問も生まれてくるだろう。
 
○言説規則と言語表現の客観性
 こんなふうに考え始めると、そもそも中立、客観的な言語表現とは可能だろうかというやっかいな問題に突き当たってしまうわけだが、私個人の考えでは、全ての言説ジャンルに通ずる中立、客観的な言語表現はありえない。なぜなら、どのような言語表現も、その表現を行う人の対象的な認識の現れであり、それと共に、その人の生活意識を反映してしまうからである。
 ただしこのことは、決して〈だから中立、客観的な言語表現など不可能だ〉というペシミズムを意味するわけではない。どのような言説ジャンルにも、その言説ジャンルに参加する人たちが習得し、共有する言説規則がある。その言説規則に従うかぎり、お互いに中立的で客観的な表現だと了解することが可能な、そういう表現態というものがある。その言説規則がどこまで開かれたものであるか、その言説ジャンルの参加者によって言説規則の妥当性がどこまでラジカルに自覚され、実践されているか。そのことによって、言語表現の中立性や客観性の質が決まってくるのである。
 
○見せかけの中立性
 裁判という言説ジャンル、法廷という言説空間における発話もその例外ではない。
 亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で次のように書いた。これまでの引用から分かるように、下線を引いた箇所は田口紀子裁判長が「判決文」から削除した部分であり、( )内の青い文字の文章は田口紀子裁判長が書き換えた表現である。
《引用》

(11-1)平成18年10月28日(土曜日)
(a)被害の事実(甲17号証を参照のこと)
 原告が朝から1人で閲覧室の業務を行っていると、午前11時頃、被告が閲覧室に来て印刷作業をし、帰り際に、原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、原告はデータの更新を行っていなかった。原告は「いいえ、特に何もやっていませんでした」と答えた。すると、
被告は、平成18年10月28日、閲覧室で業務を行っていた原告に対して、「文学碑の仕事はどうなっているの。」と聞いた。文学碑データベースについては、各市町村・自治体から特に新たな情報は入っていなかったので、データの更新を行っていなかったことから、原告は、「いいえ、特に何もやっていませんでした。」と答えると、)被告は、「やってないって、どういうこと。文学碑のデータベースを充実させるのは、あんたの仕事でしょ。どうするの? もう、雪降っちゃうよ」と、原告を急き立てたと言い、)更に被告は、「5月2日の話し合いで、原告が文学碑のデータベースをより充実させ、問題点があれば見直しをはかり、さらに、原告が碑の写真を撮ってつけ加えてゆく作業をすることに決まった」、「これらは、原告が主体となって執り行うべき業務である。それを現在まで行わなかったのは、原告のサボタージュに当たる」という二点を挙げて、原告を責めた(等と言った)
 しかし、5月2日の話題((2)の項参照)はケータイ・フォトコンテスト、または文学碑写真の公募という点に終始し、被告が言うような決定や申し合わせはなされていなかった。そこで原告は、「そのようなことは決まっていません」と反論したが、被告はあくまで「決まっていた」と主張し、「どうするの。理事長も館長も、あんたがやるって思ってるよ」と言った。 それを聞いて原告は、おそらく誤った情報が理事長や館長に伝わっているのだろうと思い、「分りました。では、私が理事長と館長にご説明します」と言った。被告は慌てて「なぜ、あんたが理事長や館長に説明しなきゃなんないの」と言い、原告の行動を阻止した。(23~24p。太字は引用者)

 田口紀子裁判長は「しかし、5月2日の」以降を全て削除してしまった。このことにも重要な問題が含まれているのであるが、その点はいずれ取り上げることとして、ここでは下線を引いた太字の箇所に注目してもらいたい。
 亀井志乃は、寺嶋弘道被告が原告(亀井志乃)を
「急き立てた」「二点を挙げて、……責めた」と書いたわけだが、田口紀子裁判長はいずれも「言った」と書き換えている。田口紀子裁判長としては、亀井志乃の書き方は感情的であり、それを取り除いた形で、事態を客観的に記述し直すつもりだったのであろう。

○亀井志乃の表現が尊重されるべき理由
 ちなみに私は、亀井志乃の文章を基盤としてこのブログを書き進めてきた。要するにそれは、ただ一方的に亀井志乃の言い分を押しつけているだけではないか。そういう疑問を覚えた人もいるらしい。ずっと以前だが、そういう口ぶりの書き込みをした人がいる。
 だが、事情は決してそうではない。
 亀井志乃の3月5日付の「準備書面」に対して、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」(平成20年4月9日付)を提出し
「『いいじゃない、やりなさい』と積極的に肯定した被告の発言を『いいじゃん、やれば』と否定的に用語転換し、『嘲笑的』『無関心な態度』だとする準備書面の文言は、原告が今般の訴訟に際して悪意をもって記述した意図的な作文である。」2p)とか「被告が駐在道職員として文学館に着任したのは4月4日(火)ではなく4月1日(土)である。この日付の間違いによって明らかなのは、今般の準備書面の記載内容が原告のあいまいな記憶に基づく後日の作為的な記述であるということである。」2P)とかと、反論をしてきた。
 それに対して亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」(5月14日)で物的な証拠を挙げ、また状況証拠となりうるだけの記述態度によって事情説明をして、〈それでもまだ被告の言い分が正しいと主張したいならば、それを裏づける証拠を提出し、状況説明をすべきだ〉という意味の反論をした。
 ところが、それに対する被告の対応は、――繰り返し引用することになるが
――「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということだった。
 寺嶋弘道被告としては〈反論はしないが、それは必ずしも原告の言い分を認めたことを意味しない〉と言いたいところかもしれない。だが、反論を放棄した事実は残る。
 田口紀子裁判長はこの事実を尊重すべきであり、亀井志乃の表現に手を加えてはならなかったのである。

○裁判官の中立的、客観的な態度に反した田口紀子裁判長
 それに、もし田口紀子裁判長も亀井志乃の記述に疑問を感じたならば、10月31日の本人尋問や、その他の機会に確かめることができたはずである。だが、田口紀子裁判長はそうしなかった。10月31日に本人尋問があり、亀井志乃が「最終準備書面」を12月12日に提出してから、田口紀子裁判長が今年の2月27日に判決を下すまで、2ヶ月半近くの時間があった。田口紀子裁判長には亀井志乃の主張を検討する時間的な余裕が十分にあったわけで、もし亀井志乃の主張に矛盾や間違い、虚偽を見出したらなら、それを判決文で指摘できたはずである。だが、判決文にそのような指摘は1箇所もなかった。
 
 以上の意味で、亀井志乃が裁判で提出した文章は寺嶋弘道被告と太田三夫弁護士、及び田口紀子裁判長の検証を経たものであり、当事者によって承認された客観的な文章と見て差し支えない。
 別な言い方をすれば、田口紀子裁判長は、亀井志乃の主張について、その表現の細部まで尊重し、これを勝手に改変してはならない。それが裁判における裁判官の中立的、客観的な態度なのである。
 
 他方、亀井志乃は寺嶋弘道被告の「準備書面」と「陳述書」及び10月31日の証言、さらには平原一良の「陳述書」について、その虚偽を何点も指摘しておいた。ところが田口紀子裁判長は、何の根拠も示さずに、
被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。(25p)の一点張りで、亀井志乃の指摘を無効にしてしまった。これはとうてい中立的、客観的な裁判官の態度と言い得ないだろう。
 
○田口紀子裁判長の作為
 分かるように、田口紀子裁判長が亀井志乃の
「急き立てた」「言った」と書き換え、二点を挙げて、……責めた」「言った」と書き換えたこと自体が、裁判官としての中立、客観を犯す行為だったわけだが、実は、この書き換えは、もっと手の込んだ作為に基づいていたのである。
 10月28日に寺嶋弘道被告と亀井志乃との間で争われた、5月2日の出来事にもどってみよう。
《引用》
 
(2)平成18年5月2日(火曜日)
(a)被害の事実(甲13号証を参照のこと)
 原告は平成17年度、平原一良学芸副館長(当時、のち副館長)の依頼で、北海道の文学碑に関するデータベースを作った。平成18年4月7日
(1)の事柄があった直前、原告は被告に文学碑データ検索機を見せたが、その時被告は「ケータイ(携帯端末機)で一般の人たちに写真を撮ってもらい、いい写真をえらんで、検索機にのせますからどんどん募集して下さいと言って、画像を集めればよい」、「そうすれば、館の人間がわざわざ写真を撮りに行かなくとも、画像は向こうから集まってくる」というアイデアを口にした(という提案をした)。 
 それから
約1ヶ月後の5月2日(火曜日)、原告は被告から「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」と声をかけられ、館長室で、学芸副館長を交え、三人で話し合った。被告が持ち出した話は(の話しは「文学碑検索機のデータベースの、画像がないものについて写真を集めたい。原告が企画書を書き、中心となって、その仕事を進めて欲しい」という内容で、写真の集め方は明らかにケータイ・フォトコンテストを前提にしていた。
 しかし、そのデータベースは市販のパソコンソフトを利用したものではなく、業者に発注してプログラミングしてもらったものであり、使用画像の大きさ・画素数や、データ1件の画像数を1枚とする等のフォーマットが、あらかじめ決まっていた。

 
フォトコンテストを行なうとすれば、まだ画像のない文学碑のフォトだけでなく、むしろ人気の高い文学碑のフォトがたくさん集まる可能性が高い。また、携帯端末機に付随する写真機の性能によっては、画像の画素数もまちまちとなる。それらの応募画像を検索機に載せることになれば、再び業者にフォーマットを作り変えてもらわなければならず、少なからぬ経費が必要となる。また、コンテスト自体、おそらく文学館にとって大きなイベントとなり、予算をつけなければならない(つけなければならないことになると考え、(以上、この段落の内容については甲14号証を参照のこと)
 
原告には、果たして嘱託職員の自分がそういう企画の中心的なポジションにつくことが出来る立場なのかどうか、という疑問があり(疑問を持ったことから念のため予算問題やスケジュール問題を確認しておこうと、「私はそういうことが出来る立場では…」と言いかけた。
 
ところが、その途端、被告が原告の言葉を遮り、「そういう立場って、いったいどういうことだ。最後までちゃんと言ってみなさい!」 と問い詰めはじめた(と言った)原告は、自分の立場は嘱託職員であることを説明した。だが被告は、「職員ではないとはどういうことか。立派な職員ではないか。財団の一員ではないか」と主張をした。
 
原告は学芸副館長に、原告の立場を被告に説明してくれるように頼んだ。学芸副館長は「前年度までは確かにそうだったが、この春からは、亀井さんは館のスタッフとなった。そして我々は仕事の上で明確に《道》だ《財団》だという線引きはせず、みんなで一緒にやろう、一緒に負担をしようということになった」と言った。しかし原告は、前年度の3月に、安藤副館長から、従来通りの嘱託員に関する規約を示され、「亀井さんは、実績さえあげてくれればいい人だから」と言われ、それ以後誰からも、原告の身分が変わったと伝えられたことはなかった。学芸副館長がいう「スタッフ」という役職名は財団法人北海道文学館の規程のどこにも見られない。その意味で、学芸副館長の説明は嘱託職員の実態を適切に説明したものとは言えなかった。
 
原告は嘱託職員の立場を、「一定の専門的な能力を評価され、時間契約によって文学館の業務を手伝い、あるいは文学館の業務の一部を請け負って、求められた成果を挙げる」立場と理解していた。そのため、改めてその立場を確認しながら、「原告の立場で(前年度から文学碑データベースの作成を請け負ってきたものとして)意見を言えばいいのか」と聞いた。だが、学芸副館長と被告は、「意見」ではなく、「アイデア」を出してほしいと言い、「アイデア」だけでなく「プラン」も立ててほしいと言った。しかし結局、副館長と被告の主張は、概念規定も曖昧なまま「テーブルプラン」「アイデアのコンテンツ」など言葉の言い換えに終始し、何をどこまで原告にしてもらいたいのか曖昧なまま、話し合いは終わった。35p。下線、太字は引用者)

 田口紀子裁判長は又しても大事な箇所を大幅に削除してしまったが、さし当たりここでは、〈平原一良学芸副館長と寺嶋弘道学芸主幹はひたすら言葉を言い換えるだけで、事態を詰めて考えることから逃げていた〉ことを指摘し、〈亀井志乃が文学碑の写真を撮って来る話は一切出ていなかった〉ことを確認するに止めたい。
 
 むしろ私が注意を促したいのは、亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』という
アイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えたことである。
 「アイデアを口にした」ことを「提案をした」と書き換えることは、事態の客観性を高めることにはならないし、裁判官の中立性を保証することにもならない。その意味では全く無意味な差し出口でしかなかったが、なぜ田口紀子裁判長はこのように余計な書き換えをしたのであろうか。

○田口紀子裁判長が気づくべきだったこと
 唯一考えられる理由は、〈寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃にフォトコンテストを「提案」したのであって、10月28日の閲覧室における会話も、亀井志乃に仕事の進捗状況を確かめただけであり、決して「急き立てたり」、「責めたり」はしなかった〉。田口紀子裁判長は、そういう紳士的な常識人に、寺嶋弘道被告を仕立てたかったのであろう。
 これまで私が指摘してきた、田口紀子裁判長のリライトの傾向から判断して、田口紀子裁判長は一貫して寺嶋弘道被告から紳士的な良識人の印象を受けていたらしい。それはまあ「……も好きずき」と見るべきで、他人がとやかく言う筋合いではない。だが、これほど露骨に判決文に反映されると、果たして裁判官としてはいかがなものか。そういう疑問は禁じ得ない。

 そもそも寺嶋弘道学芸主幹は4月7日、提案などしなかった。もし提案だったならば、5月2日、亀井志乃に「文学碑の写真のことについて話をしとかなきゃいけない」などと声をかけるはずがない。「先日提案しておいたこと、どうなりましたか。そろそろ相談したいのですが」という意味の言葉をかけたはずである。その意味で、もし田口紀子裁判長が普通に「文脈」ということを心得ている裁判官ならば、当然「提案した」と書き換えた時に生じる矛盾に気がつくべきであった。

○虚偽に荷担した田口紀子裁判長
 それだけではない。寺嶋弘道被告は4月13日に、自分が中心になって「事務分掌」を取り決めたと主張し、亀井志乃がその主張の幾つかの点に関して疑問を提出してきたにもかかわらず、田口紀子裁判長は――その根拠を示さず、ただ一方的に――寺嶋弘道被告の主張を支持した。いま仮に寺嶋弘道被告の主張が正しいとするならば、なぜ彼は4月13日の打合せ会に先立って、あるいは4月13日の翌日、平原学芸副館長と一緒に亀井志乃と会った時、フォトコンテストに関する企画立案が平成18年度の亀井志乃の業務の一つであることを告げ、亀井志乃の了解を取らなかったのか。もしその手順を踏んでいれば、5月2日の話し合いはあのような展開にならなかったはずである。

 田口紀子裁判長が普通の注意力をもって原告と被告の主張を読み、証拠物を検討していれば、裁判長自身が「4月7日、寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えることは、4月13日に自分が中心となって決めたと寺嶋弘道被告の主張する「事務分掌」の内容や、5月2日の話し合いにおける寺嶋弘道学芸主幹の言動とは、決して整合しない。大きな齟齬があることに気がついたはずである。
 だが、田口紀子裁判長はそれを無視して
「(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。」(17p)と判決を下した。
 この判決文自体にも問題があるのだが、そもそもこのような判決に至るまでの間、田口紀子裁判長は意図的に亀井志乃の記述を歪めて、虚偽の記述を行い、あるいは寺嶋弘道被告の虚偽に荷担していた。
 田口紀子裁判長はこのようにして、みずから裁判官としての中立性と客観性を損ねてしまったのである。
 
○予備的な考察(2)
 ところで、今回の初めに紹介した言語表現に関する分析は、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの言語研究のごく初歩的な考察にすぎない。
 彼らの独創的な点は、ノーアム・チョムスキー(Noam Chomsky)の変形生成文法の理論を作り替えながら、一つの文を表層構造または表層形式(surface structure or surface form)と、深層構造(deep structure)とに別けて捉え、隠れたイデオロギー的機能を明らかにする方法を拓いたことにある。
 彼らはその方法を説明するために、まず「文」を大きく、「A 行為文(actionals)」と「B 定義文(relationals)」に別け、前者については更に「①処置文(transactive)」と「②非処置文(non-transactive)」に、そして後者については「④命題文(equative)」と「④特性文(attributive)」とに別けた。
 私のこのような訳語に疑問を感ずる人も多いと思うが、日本語としての分かりやすさを意図したものであり、その点は了解してもらいたい。改めて図表化すれば、次のようになるだろう。

A 行為文 ①処置文  中島がボールを打つ
      ②非処置文 中島が走る
B 定義文 ③命題文  中島は野球選手だ
      ④特性文  中島は早い

 つまり、①処置文とは、〈行為者(中島)がどんな対象(ボール)に対してどのような行為(打つ)をするか〉を述べる文であるが、②非処置文は行為者と行為のみを述べて、対象を伏せている。ただし、①と②の違いは、行為に関する動詞が他動詞であるか、自動詞であるかの違いではない。行為の対象が明示されているか否かの違いであって、中島が何を飲むかを明示せずに、「中島が飲む」と言えば、それは②に属するわけである。

 それに対して③と④の違いは特に説明の必要はないだろう。③は主語がいかなる存在であるかを述べた構文であり、④はその主語の属性を述べた文であって、その属性は形容詞で表される。

○表層構造と深層構造
 しかし、なぜそのような分類が必要なのか。
 いま仮にアナウンサーが「打球が高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」と実況放送したとしよう。この文の表層構造は、「打球」という行為者(主語)が、「上がる」「伸びず」「収まる」という行為をしたことになり、文型としてはA―②に属する。だが、実際は「中島が(ダルビッシュの投げた)球を打つ」「中島はバットの芯で球を捉えそこねた」「森本がフライを捕る」と、A―①の文型を3つ含んでいるわけで、深層構造における行為者は「中島」と「森本」となるはずである。
 同様なことは、最初に挙げた「暴徒が四散する(riot disperses)」という例文についても言える。これはA―②の形を取っているが、実際はA―①の「警官隊が暴徒を追い払う(police disperse rioters)」という行為の結果だとするならば、「暴徒が四散する((riot disperses)」の表現は、本当の行為者(警官隊)を文の表層構造から消去してしまい、深層構造の中に隠したことになるだろう。

 亀井志乃が、「寺嶋弘道被告は『……』というアイデアを口にした」と書いたところを、わざわざ田口紀子裁判長が「寺嶋弘道被告は『……』という提案をした」と書き換えた。これは上の事例とは逆の操作であって、亀井志乃はA―②の文型で書いたにもかかわらず、田口紀子裁判長はA―①に文型に書き換えた。そうすることによって、寺嶋弘道被告を良識的な学芸員に仕立て上げたわけだが、その裏の操作として、「(寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃を)急き立てた」「言った」と書き換え、「(寺嶋弘道主観は)二点を挙げて、……(亀井志乃を)責めた」「言った」と書き換えている。裁判官にはこういう恣意的な書き換えが許されている、と田口紀子裁判長は考えたらしいが、それは裁判官の思い上がりというものである。

○寺嶋弘道被告の深層
 そう言えば、寺嶋弘道被告は「陳述書」の中で、
逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して(a)強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした。/また、この『二組のデュオ展』では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず(b)後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした。」5p。/は改行。下線は引用者)という言い方をしていた。
 (a)の場合、寺嶋弘道被告は「強い非難の声」を行為者(主語)として、A―②の構文を作ったわけだが、もちろん「強い非難の声」が勝手に「渦巻いてしまう」はずがない。彼はこの表層構造によって、「文学館の職員数人が亀井志乃の行動を非難していた」「自分はその声を聞いた」という〈事実〉をほのめかしながら、しかし具体的、明示的にそれを記述することを避けてしまった。
 また(b)の場合も、「亀井志乃は『道内美術館』とかいう施設に、作品図版カードなるものを持参しなかった」「『道内美術館』とかいう施設が亀井志乃の行動を批判した」「寺嶋弘道学芸主幹がその言葉を聞いた」「寺嶋弘道学芸主幹が『道内美術館』に電話をして、詫びた」という深層構造をほのめかしながら、しかし深層構造自体の出来事を具体的、明示的に記述することはできなかったのである。(これも前に紹介したことだが、寺嶋弘道被告は、亀井志乃から「道内美術館」はどこにあるのか、「作品図版カード」とは如何なるものなのか、と反論されて、答えることが出来なかった。
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。
 
○田口紀子裁判長の深層
 田口紀子裁判長もまた曖昧な言い方を得意としていた。以上の視点で、先ほど引用した文章を読み直してみよう。
《引用》
 
(平成18年5月2日の被告の言動について)そのいい方が、原告に不快な印象を与える点があったとしても、原告の職務を妨害する意図や、原告を侮辱する意図のもとに行われたとまでは認められず、許容限度を超えた違法な行為とまで認めることはできない。17p)

 こういう言い回しに接した時、特に眉に唾を附けて読む必要があるのは、「……としても」という助詞の使い方であろう。一見これは仮定法のようにみえるが、しかし仮定法ではありえない。なぜなら、「たとえ……としても」という仮定法は、相手の論理の矛盾を指摘したり、隠された真実を明らかにする方法であるが、この文章の場合はそれとは異なり、事実に関する認識を導き出すための前提を挙げる形になっているからである。つまり、この場合の「……としても」は、「……であるが、しかし」の意味なのである。
 更にもう一つ、この文章が曖昧なのは、
その言い方が」という表層構造における主語に対して、その述語部分が不明瞭な点にある。「その言い方が、……原告に不快な印象を与え、……意図のもとに行われ、……許容限度をこえた」となるのか、それとも「その言い方が、……認められず、……認めることはできない。」となるのか。
 それを明らかにするためには、深層構造における行為者(主語)を明示して、次のように整理するほかはないだろう。

イ、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした。
ロ、田口紀子裁判官は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない。
ハ、田口紀子裁判長は寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない。

 このように、ロやハに該当する表現を、A―①の形に整理して見るならば、その中には更に「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」というA―①の文章や、「寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法行為」というB―③の文章が含まれている。そのことが分かるだろう。
 事実に関する叙述のレベルで言えば、「寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に不快な印象を与える言い方をした」「寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った」「寺嶋弘道被告の行為が許容限度を超えた違法行為」となる。
 それに対する判断のレベルは、「田口紀子裁判長は、……とまでは認めない」となるわけだが、田口紀子裁判長はその判決文の表層構造から、判断主体(行為者=田口紀子裁判長自身)を消し去り、深層構造のほうに追いやって、みずからの行為(判断)の責任を曖昧にしてしまう。それと併せて、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告が亀井志乃の職務を妨害する意図や、亀井志乃を侮辱する意図をもって行った)とまでは認めない」のか、なぜ「寺嶋弘道学芸主幹の言い方を(寺嶋弘道被告の行為は許容限度を超えた違法な行為)とまで認めない」のか、その判断基準や判断の根拠を明示せず、曖昧に誤魔化してしまったのである。

○ホッジとクレスの理論の可能性
 以上の紹介だけでも、ロバート・ホッジとガンサー・クレスの『イデオロギーとしての言語』の重要さが分かるだろう。その着想が拓いた可能性は、エドィン・ジェントラーの『翻訳理論の現在』(Edwin Gentzler, “Contemporary Translation Theories.” 1993)に見られるような、最近の英語圏における翻訳論とも連動している。先ほどの田口紀子裁判長の判決文を、そのまま直訳的に英文に逐語訳したらどんな文章になるか。とんでもなく意味不明な文章になってしまうはずで、適切な翻訳を得るためには、一たん深層構造に整理し直して、その上でしっかりと内容を伝える英文に直すほかはないのである。

 ただしこのやり方では、「打球は高く上がりましたが、もう一つ伸びず、森本のグラブに収まりました」という実況放送のような、生きた表現を失ってしまう。翻訳ではなくて、通訳の場合、ある程度内容伝達の正確さを犠牲にしてでも、A―②の構文に従うほかはないだろう。その場合には、通訳する人がどれだけ英語表現におけるA―②の言い回しに通じているか。それが大きな条件になる。

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判決とテロル(7)

ウジは「ハエの幼虫」?

○寺嶋弘道学芸主幹の「職務の範囲」
 今回は、寺嶋弘道学芸主幹の「業務」について確認をしておきたい。
 
 亀井志乃が彼女の「陳述書」で詳述したように(「北海道文学館のたくらみ(44)」)、北海道教育委員会の学芸員は財団法人北海道文学館と連携協働するために、道立文学館に駐在することになったわけだが、その業務の範囲は学芸関係の専門的事項に限られている。
 具体的にそれはどんな職務であったか。念のために、財団と道教委との間で合意された「指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」(甲35号証)を紹介しておこう。
 
1 資料の収集、保存、管理、閲覧に関すること
○資料の収集の計画及び調査の専門的事項に関すること ○資料の受入、保管、貸出等の専門的事項に関すること ○資料の保存、修復に関する専門的事項に関すること ○資料(図書、新聞、文献等)の収集、保管に係る専門的事項に関すること ○資料、文献に係る検索業務の専門的事項に関すること(司書業務以外)
2 事業の企画及び実施に関すること
(展示事業)○展示に関する企画及び実施に係る専門的事項に関すること 
(教育普及事業)○文学に関する講演会等の企画及び実施に係る専門的事項に関すること ○親子、子ども向け普及事業の企画及び実施に係る専門的事項に関すること ○資料、文献の解読 ○その他教育普及事業の企画及び実施に係る専門的事項に関すること 
3 解説資料、図録、要覧等の刊行物の作成に関すること
○刊行物の作成に係る専門的事項に関すること
4 広報活動に関すること
○広報内容の専門的事項に関する情報提供・取材協力
5 その他事業の専門的事項に関すること
  ○利用者への文学に関する相談(説明、助言)における専門的事項に関すること
  ○著作権の管理に関すること(司書業務以外)
  ○地域文化団体、学校への指導、協力における専門的事項に関すること
  ○他の文学館、博物館、研究機関等との連携協力における専門的事項に関すること
  ○その他文学館の事業に伴う専門的事項に関すること

 これが寺嶋弘道学芸主幹をはじめとする、駐在道職員3名の職務の範囲だった。分かるように、その業務は学芸員としての専門的事項に限られ、財団の業務課の仕事には手を出さないことになっている。
 寺嶋弘道学芸主幹は平成18年4月、道立文学館の駐在として着任するに当たり、「指定管理者の求めに応じて行う専門的事項」(甲35号証)の他に、もう一種「別紙」を渡されていたはずであるが、それによれば「施設運営業務」のうち、「観覧券販売促進に係る広報」「年間スケジュール等に関する文学館運営に関する広報」「文書収受・発送」「文書管理」「利用状況報告業務」「上記業務に付随する総括的業務・事務」などは指定管理者のみが行う。また「定期的な内部協議の実施」は指定管理者が主体となって実施することになっていたのである。
 その点から見ても、亀井志乃が業務課と相談しながら書類を作成したことには、何の手落ちもなかった。極めて正当な行為だったことが分かるだろう。それにもかかわらず、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃の退勤間際に文学館に顔を出して、亀井志乃に書類の書き直しを強いた。「判決とテロル(4)」で指摘しておいたように、それは駐在の道職員としては全くの反則行為であり、パワー・ハラスメントだったのである。

○寺嶋弘道学芸主幹の「事務分掌」
 ただし、以上のことは駐在の道職員に課せられた職務の枠組みでしかない。この枠組みの中で、実際に寺嶋弘道学芸主幹に割り当てられた業務は、具体的にどのようなものであったか。
 亀井志乃が提出した「平成18年度 学芸部門事務分掌」(甲60号証)によれば、平成18年の3月、当時の職員が相談して、4月に着任する寺嶋弘道学芸主幹に割り当てた「事務分掌」のうち、彼が主担当の業務は次の9項目であった。

1 学芸部門の統括及び業務課との調整に関すること(副担当はS社会教育主事)
2 事業計画案および予算編成案の作成に関すること(副担当はS社会教育主事)
3 企画展〔デルス・ウザーラー絵物語展〕の企画、実施に関すること(副担当はA学芸員)
4 特別企画展〔池澤夏樹のトポス〕の企画、実施に関すること(副担当はS社会教育主事)
5 企画展〔聖と性、そして生―栗田和久写真コレクションから〕の企画、実施に関すること(副担当はS社会教育主事)
6 地域の市民団体、関係機関等の展覧会企画に対する指導、助言に関すること(副担当はS社会教育主事)
7 他の文学館、図書館、美術館、博物館、研究機関等との連携、協力に関すること(副担当はS社会教育主事)
8 博物館実習に関すること(副担当はA学芸員)
9 その他、文学館の事業に係わる専門的事項に関すること(副担当はS社会教育主事)

 また、寺嶋弘道学芸主幹が副担当に割り当てられた「事務分掌」は、次の6項目だった。

10 学芸会議の開催および調整に関すること(主担当はS社会教育主事)
11 著作権の管理に関すること(主担当はO司書)
12 企画展〔写・文交響―写真家・綿引幸造の世界から〕の企画、実施に関すること(主担当はS社会教育主事)
13 ホームページの運用、更新に関すること(主担当はS社会教育主事)
14 広報の専門的事項に関すること(主担当はS社会教育主事)
15 年報、年間事業案内等の編集、発行に関すること(主担当はS社会教育主事)

 亀井志乃はこのような事務分掌が作られた経緯を、「準備書面(Ⅱ)―2」で次のように説明している。
《引用》
 
事実を言えば、4月1日の時点で既に事務分掌が決まっていました。平成18年4月1日からの分掌をどうするか。この問題については、平成17年12月27日(火)に「課内打ち合わせ」の会議が開かれ、もちろん私も出席していましたが、その時「2006年度学芸課事務分掌(案)」が議題となりました(甲59号証)。この「案」と「平成18年度学芸業務の事務分掌」(平成18年4月1日。甲3号証)とは表の形式が違いますが、前者が後者の原型だったことは一見して明らかでしょう。一つの違いは、「案」の段階では、かなり年配の学芸課長が着任するという情報があり、それを前提として事務分掌が図られたことです。その時点では、新たに着任する年長の学芸課長に全体のまとめ役と、業務課との連絡調整役をやっていただくことが前提となっていました。その後、3月に入ってから、新たに着任するのは年長の学芸課長ではなく、道職員の寺嶋学芸主幹であることが分かり、12月27日の「案」の議論を踏まえた、「平成18年度 学芸業務の事務分掌(正しくは「学芸部門事務分掌」)」(甲60号証。日付なしの分掌表)が作成されました。3月末までに職員に配布されていたのはこの表です。4月1日からの開館に支障が生じなかったのは、この分掌表があったからにほかなりません。
 この表の第1項は、「学芸部門の統括及び業務課との調整に関すること」とあり、主担当は寺嶋、副担当はSとなっていました。つまり、被告が着任する以前の、3月中に合意された分掌表におけるこの文言は、先ほどの経緯から分かるように、「学芸関係の職員の全体のまとめ役と、業務課との連絡調整役」というほどの意味だったわけです。
2~3p。太字は引用者)

 寺嶋弘道学芸主幹の「事務分掌」は、以上の経緯によって、平成18年4月1日以前に作られていたのである。
 
 少しでも常識を備えているならば、まさにそれはそうあるべきことだったことが分かるだろう。もし4月1日以前に作られていなければ、4月1日から誰がどの業務に就くべきか、混乱が生じて、公共の施設としての機能を果たすことができなくなってしまうからである。
 
○田口紀子裁判長の不思議な判断
 ところが田口紀子裁判長は、まことに不思議なことだが、その「判決文」の中で、この「平成18年度 学芸業部門事務分掌」(甲60号証)を無視してしまったのである。
《引用》
 
なお、事務分掌を定めるに当たっては、平成18年4月13日に学芸部門の打合せ会において話合いがなされたが、同日の打合せ会には原告は出席しておらず、その後に原告に示された。もっとも、平成18年度の事務分掌の素案は、平成17年12月の段階で、原告も加わって、概ねの話し合いがなされていた(甲3、59、原告本人、被告本人)。4p)

 つまり田口紀子裁判長によれば、〈平成18年度の事務分掌は、平成17年12月の段階で素案について話し合いがあった。だが実際に決まったのは、平成18年度がスタートしてから約2週間後の「打合せ会」においてだった〉ということになるわけである。
 こんなことがあり得るだろうか。田口紀子裁判長は札幌地方裁判所に勤務する国家公務員であるが、どうやら札幌地方裁判所というお役所は、新年度がスタートして半月近く経ってから、漸く役割分担を決めるらしい。大変にのどかで、まことに結構なお役所であるが、実態的には半月近く業務を放棄していることにしかならないだろう。
 これを学校の例で説明すれば、〈4月7日に入学式を済ませ、翌日から授業が始まった。年間行事予定表も出来ているし、講義の時間割も学生に周知している。だが、それぞれの講義を誰が担当するか、4月の半ばまで決まっていない〉なんてことは、決してあり得ないからである。

○寺嶋弘道被告の証言の非常識
 なぜ田口紀子裁判長はああいう非常識ことを言い出したのか。寺嶋弘道被告が自分の側の証拠物として「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(乙6号証。「
平成18年4月1日現在」の日付あり)を提出し、彼の「陳述書」の中で、次のような説明をしていた。どうやら田口紀子裁判長はそれを鵜呑みにしてしまったらしいのである。
《引用》
 
毛利館長の訓辞に先立つ4月13日(木)には、学芸部門の職員による打合会がもたれました。出席者は私を含む駐在職員3名、原告を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名で、協議内容は平成18年度の学芸部門の事務分掌について意見を交換し、問題点等を整理することでした。2時間を超えたこの会議では一人ひとりの担当業務を確認し、その結果は「平成18年度学芸業務の事務分掌」として4月1日にさかのぼって施行されています。
 原告も確認し、組織決定されたこの事務分掌に明記された私の職務の第一は、「学芸部門の統括および業務課との調整」です
(2p。太字は引用者)

 要するに寺嶋弘道被告は、〈平成18年の4月に自分が着任した段階では、まだ職員の業務体制が整っていなかった。4月13日、自分が加わった打合せ会で「平成18年度学芸業務の事務分掌」が決まったのだ〉と主張したわけだが、その主張には疑わしい点が幾つもある。亀井志乃はその点を次のように指摘し、寺嶋弘道被告の主張には根拠がないことを証明した。
《引用》
 
この記述には明らかな間違いが少なくとも2つ含まれています。第一に、私は4月13日(木)には文学館に出勤していません。当日は私の非出勤日だったからです。それ故「出席者は私を含む駐在職員3名、原告を含む財団学芸職員2名、平原学芸副館長の計6名」ということはありえないことです(甲56号証「平成18年度職員勤務割振」)。
 第二に、仮に4月13日に、私を含まない、「学芸部門の職員による打合会」が開かれたとしても、その結果「平成18年度学芸業務の事務分掌」が決まったということもありえないことです。なぜなら、平成18年4月1日は土曜日、2日は日曜日でしたが、文学館は開館し、業務を行っていたからです。川崎業務課長や永野主査、被告の着任式は4月4日(火)に行われましたが、4月1日も2日も開館する以上、誰がどの事務分掌につくか、分担が決まっていないはずがありません。被告の「陳述書」によれば、4月13日の打合会で事務分掌を決定し、4月1日に遡って施行したことになっていますが、では、4月1日から4月13日まで、誰がどういう事務分掌で業務を行っていたのか。実際に公共の博物館業務に従事してきた人間ならば、新年度が始まって2週間近くも事務分掌が決まっていないなどということはあり得ないし、あってはならないことである程度のことは十分に承知しているはずです。被告が「陳述書」で述べたことは全くナンセンスというほかはありません
(「準備書面(Ⅱ)―2」2p。太字、下線は引用者)

 亀井志乃の証拠と記憶に照らしてみれば、寺嶋弘道被告の主張は以上の如く怪しいところばかりだったのであるが、念のために亀井志乃が提出した甲60号証と、寺嶋弘道被告が提出した乙6号証とではどこが違うのか。その点を確認しておこう。
 平成18年3月(前年度)の時点で決まっていた甲60号証の事務分掌は35項目あり、寺嶋弘道被告が平成18年4月13日(当年度)に決まったと主張する乙6号証の事務分掌は37項目になっていた。つまり、僅かに2項目だけ増えたわけだが、その項目は「収集保管」という分野における、

購入図書情報の収集および選書に関すること(主担当はA学芸員、副担当はO司書)
定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること(主担当はA学芸員、副担当は亀井)

という項目であった。それ以外は、どの項目を誰が担当するか、その割り振りも甲60号証と変わらなかったのである(1、2の項目で、細かい文言の修正はあったが)。

 そんなわけで、もし仮に寺嶋弘道被告が主張するように、4月13日(木)に「学芸部門の職員による打合会」が開かれたとしても、この日は開館日だった。開館日に学芸部門の全職員が持ち場を離れて――例えば閲覧室勤務は閲覧希望者に専門的な知識をもって対応する重要な業務であるが、学芸関係者がその場所を離れて――「2時間を超え」るような打合せ会を開くということは、これまた常識的にありえない。もし開かれたとしても、せいぜい甲60号証に明記された事務分掌を確認する程度のことであっただろう。

○寺嶋弘道被告と平原一良副館長の卑劣
 しかし、それならば、なぜ乙6号証で2項目が増えたのか。それなりの議論があったのではないか。そういう疑問を抱く人もいるだろう。その点に関しては、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で次のように証言している。
《引用》
 
私の記録によれば、被告が「学芸部門の職員による打合会がもたれた」という4月13日の翌日、すなわち4月14日(金)10時30分頃に、私は被告と平原一良副館長(当時)の2人に会議室に呼び出され、「前日、課内での話し合いがあったので、今日はその『おさらい』として原告に伝える」と言われて、――このことをもってしても、私が4月13日の打合会に出席していたという被告の主張が虚偽であったことは明らかです――「新刊図書の収集、整理、保管に関すること」(甲60号証 番号4:主担当・A学芸員 副担当・O司書)も原告が手伝うようにとの依頼を受けました(甲62号証)。この事により、私は、この年度当初の予定になかった、新刊図書の収集・整理・保管というO司書とA学芸員の毎日のルーティンワークの一部を肩代わり(具体的には寄贈雑誌のデータベース登録作業)することになりました。こうした変更の結果が反映されているのが、甲3号証(被告提出の乙6号証と同じもの。引用者注)の「平成18年度 学芸業務の事務分掌」における「収集・保管」の分野です。ここでは項目が4つから6つに増やされ(甲60号証参照)、「番号8:定期刊行物、同人誌、他館情報資料の収受、登録、整理、保管に関すること」の担当に原告が新たに付け加えられています(主担当・A学芸員 副担当・原告)。さらにまた、こうした変更の絡みで、原告は結果的に、閲覧室における来客対応をA学芸員・O司書との3交代で手伝うこととなりました
 もしこの業務が新たにつけ加わっていなければ、10月28日、被告が閲覧室勤務に就いている原告のところに来て、フォト・コンテスト問題を云々する場面は起こらなかったはずです。
(5p。下線は引用者)

 このような経緯があり、いわば事後承諾の形で亀井志乃の「事務分掌」が増えた。その上、亀井志乃はO司書やA学芸員のルーティンワークを手伝うことになり、3人交代で閲覧室勤務に就くようになったのである。
 つまり、その分だけ亀井志乃が事務室で仕事をする時間は減ったわけだが、その現象面だけを捉えて、寺嶋弘道被告は
「前年度までの仕事が主に別室で進められていたという習慣もあってのことか、原告は18年4月以降も事務室内の学芸班の自席で執務することが少なく、そのため職員との会話の機会もまばらであったという日常でしたが、やがて同年の夏頃には原告の自席不在の執務態度を非難する声が聞こえ始めました。」寺嶋弘道「陳述書」6p)と、亀井志乃の業務態度をあげつらった。
 おまけに、平原一良副館長までが
「そのうち、亀井氏は、寺嶋氏が席に居るときには、事務室に極力とどまらずに席を空けていることがたびたびであることに気づきました。」平原一良「陳述書」4p)と、まるで亀井志乃が寺嶋弘道学芸主幹と同席することを避けて、姿をくらませていたかのような書き方をしている。自分たち二人が、亀井志乃にO司書やA学芸員のルーティンワークを手伝うように依頼しておきながら、そんなことはなかったみたいに口を拭って、亀井志乃の業務態度や対人関係を非難し始めたのである。
 なんとも男の腐ったような、陰険、陰湿な人格攻撃であるが、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ―2)」と「準備書面(Ⅱ)-3」で反論をしており、詳細は「文学館のたくらみ・資料編」(
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)で確かめていただきたい(亀井志乃の仕事に関する、寺嶋被告の「前年度までの仕事が主に別室で進められていた」という証言自体が虚偽であったことも分かるだろう)
 ともあれ、寺嶋弘道被告の「陳述」がいかにあやふやなものでしかなかったか、以上の紹介からだけでもよく分かるだろう。

 ちなみに、亀井志乃の以上のような反論と主張に関する、寺嶋弘道被告の対応は、被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。

○寺嶋弘道被告の逃れられない証言
 ただ、さすがに太田三夫弁護士は、このままではまずいと考えたらしい。そこで、たぶん寺嶋弘道被告と事前に打ち合わせをしたのだろう。10月31日の本人尋問においは、次のように一部嘘があったことを認めることにした。
《引用》

太田三夫弁護士:陳述書ということで、あなたの記名押印がありますが、これ、あなたが作成したものですね。
寺嶋弘道被告:はい、私が作成いたしました。
太田三夫弁護士:この陳述書の中で、誤りがある点がありますか。
寺嶋弘道被告:記憶違いで書いたところが1か所あるかもしれません。
太田三夫弁護士:どこでしょうか。
寺嶋弘道被告:学芸部門の事務分掌について打合せをした日にちについて、亀井さんがお休みの日に打合せをしている…ように私書いてしまいましたけれども、そこは、亀井さんからの反論のとおり、別な日にそのことをお話をし、いずれにしても亀井さんの了解を得ているんですが、別な日かもしれません。
太田三夫弁護士:それ以外は、本件で問題となっている事柄に関しては、この乙1号証の陳述書に書かれてあるとおりというふうに聞いていいですか。
寺嶋弘道被告:はい、それ以外はありません
(被告調書1p)

 つまり、4月13日の打合せ会に亀井志乃は出ていなかった。この点だけは「誤りだった」と認めよう。だが、乙6号証の「平成18年度学芸業務の事務分掌」はあくまでも4月13日に決定され、それを4月1日に遡って施行されたことにする。言葉を換えれば、4月1日の時点で、亀井志乃が提出した甲60号証の「事務分掌」表は存在しなかったことにする。そういう策戦に出て、寺嶋弘道被告が「はい、それ以外は(誤りは)ありません」と証言したのであろう。
 ということはすなわち、〈4月13日の打合せ会に亀井志乃は出ていなかった〉という1点を除き、寺嶋弘道被告の「陳述書」は全て真実を述べものだと、被告自身が法廷で証言したことになる。もしそれ以外の嘘が見つかったら、それは寺嶋弘道被告が偽証をした証拠となる。当然田口紀子裁判長は、偽証として扱わなければならなかったはずである。

○田口紀子裁判長が甲60号証を抹殺した理由
 このように整理をしてみると、田口紀子裁判長が寺嶋弘道被告の主張のみを認めて、その「判決文」から甲60号証の存在を消してしまった理由が見えてくる。
 なぜなら、10月31日の本人尋問で、田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告に対して〈(4月13日は)原告が出席していなかったにもかかわらず、なぜ打合せ会を行ったのか〉という意味の質問をし、次のような証言を引き出してしまったからである。
《引用》
 
………4月も半ばに入っていましたので、だれがどの展覧会を実際に担当するのか、それはなるべく年度が早い時期に、一番いいのは前年度のうちに決まっているのがいいんだと思うんですけれども、それが決まっておりませんでしたので、私はなるべく早く決めたいと思っていました。その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので、それを早く決めなければ、年度の仕事がスムーズに進まないと思っていましたので、ですので、なるべく早く、…学芸班の職員全員の了解を得たいというふうに思ったからです(被告調書20p。太字は引用者)

 さあ大変、寺嶋弘道被告はこのようにはっきりと、〈4月当初にはまだ展覧会の事務分掌が決まっていなかった。自分の最初の仕事は平成18年度の事務分掌の原案を作ることだった〉と明言してしまったのである。
 田口紀子裁判長は判決文の中で、
なお、事務分掌を定めるに当たっては、平成18年4月13日に学芸部門の打合せ会において話合いがなされた」と書いた。つまり、寺嶋弘道被告の証言を全的に肯定する形で、判決を作文したわけだが、これを「争いのない事実及び証拠により容易に確認できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)」(「判決文」2p)とするためには、亀井志乃提出の甲60号証の存在は極めて都合が悪い。田口裁判長としては、そういう文書はなかったことにするほかはなかったのであろう。
 
 こうして田口紀子裁判長は、以上のように不正確で、不正直な判決文を書き、結果的には寺嶋弘道被告の嘘に荷担した。そう判断されても仕方がないような、きわどい作文を、田口紀子裁判長はしていたのである。

○亀井志乃の寺嶋証言虚偽の論証
 だが、田口紀子裁判長にはさらにやっかいな証言がつきつけられていた。それは、亀井志乃が「最終準備書面」の中で、先の寺嶋弘道被告の証言の偽証性を、次のように指摘したからである。引用は少し長い。
《引用》
 
この証言の偽証性については、Ⅰ章Cの②および⑤で明らかにしておきましたが、以下の点から見ても信憑性に欠けており、明らかに虚偽を含んでいます。
 

①もしも、事実が仮に被告の証言通りだったとしましょう。すると、平成18年度の当初、文学館の幹部及び職員は、4月29日に「写・文交響」展(綿引幸造写真展)の開催を控えていたにも関わらず、同月13日まで、その担当者を決定していなかったということになります。
 しかし現実的にいって、展覧会開催が16日後に迫るまで、文学館が、担当者未定のまま、展示品貸借先と打合せや交渉を行うことはあり得ません。また、担当者未定のまま、ポスター印刷の打合せ・色校正や印刷業者との交渉をするという話もあり得ません。このような動きには、必ず、契約事項や予算執行に関する起案・決裁等の事務処理がつきものだからです。担当者が決まっていなければ、では誰が、それらの書類を作成し、責任をひきうけるのでしょうか。

(なお、被告とS社会教育主事が綿引展の担当者としてポスター印刷のトラブルを引き起こしたのは、4月13日の会議に先立つ11~12日のことでした。詳しくはⅡ章第2項「D.綿引幸造写真展」および甲30号証参照。)
 また、被告は、“綿引展は前年度中に仮担当が決まっていた”と主張するつもりかも知れません。しかし、そこだけ仮担当を決めておくくらいであれば、他の展覧会の担当も、当然、前年度中に決めておくはずです。少なくとも、決めずにおく合理的な理由は考えられません。
②その一方で、被告は、原告が行った反対尋問の中での〈被告に「指揮命令」の立場を与えたのは毛利館長なのか。それ以前に平原学芸副館長と話をしていたという被告の主張は、「指揮命令」の立場とは特に関係がなかったのか〉という質問に対しては、このように答えています。

  いえ、そんなことはありません。毛利館長……も……………学芸班が、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については、平原副館長が専決事項として決めており、また、その内容にも精通しておりましたので、平原副館長から、4月1日のときに、その事務事業の概要について説明を受けたものです(被告調書34p)

先には「その事務分掌の原案を作るのは私の最初の仕事でしたので」と、あたかも事務分掌の内容そのものが白紙状態だったからその原案を作成したかのような証言をしておきながら、次に、質問内容が自分の文学館における身分・立場の問題に絡んでくると、学芸部門の一つ一つの事業や展覧会の実際的な内容については」すでに平原学芸副館長(「平原副館長」は誤り)の専決事項として決まっていて、自分はその説明を年度初めに真っ先に受けたのだと、証言の内容を変えています。
 
では、仮に平原学芸副館長が前年中に学芸関係事業や展覧会の「実際的な内容」までも決定していたとして、それなら、なぜ平原学芸副館長は、各事業の担当者を新年度までまったく決めずにいたのか、という疑問が生じます。その点について、おそらく被告は合理的な説明ができないでしょうし、また、客観的に考えても、そのようなことは起こり得ません。ちなみに、原告の経験からいいますと、展覧会の内容やイベントの予定は、前もって、誰が担当し、どのように計画を進めてゆけるかという具体的な見込みが立たない限り、けっして細部まで詰めてゆくことは出来ません。具体的な人間(職員)の在り方と切り離された計画などというものは、少なくとも文学館には存在しません。
 (中略)
 
以上の諸点に照らして、被告のBの証言が偽証であったことは間違いありません(21~22P。下線は原文のママ)
 
 亀井志乃は寺嶋弘道被告に対する田口紀子裁判長の尋問から、ここまで明瞭に寺嶋弘道被告の証言の矛盾と虚偽を引き出してきたわけだが、この指摘もまた田口紀子裁判長には大変に都合が悪かったらしい。その証拠に、田口紀子裁判長は亀井志乃のこのような指摘を一切無視、黙殺して、
被告に虚偽の陳述があったとまでは認めるに足りる証拠はない。」(「判決文」25p)と言い切っているからである。
 たぶん田口紀子裁判長は嘘と不正直をと上手に使い別けているつもりだろうが、どうやら嘘と不正直との線引きが、その都度変わるらしい。

○田口紀子裁判長の虚偽
 ここでもう一度、田口紀子裁判長の
「なお、事務分掌を定めるに当たっては、平成18年4月13日に学芸部門の打合せ会において話合いがなされたが、同日の打合せ会には原告は出席しておらず、その後に原告に示された。もっとも、平成18年度の事務分掌の素案は、平成17年12月の段階で、原告も加わって、概ねの話し合いがなされていた。(甲3、59、原告本人、被告本人)。(4p。太字は引用者)という判決文を見てもらいたい。
 この文章の( )内の文言は、田口紀子裁判長が
「争いのない事実及び証拠により容易に確認できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)」と判断した、その「証拠」を挙げたものであるが、田口紀子裁判長は亀井志乃提出の甲60号証を「証拠」から落としてしまった。もし田口紀子裁判長が甲60号証は信ずるに足りないと判断したならば、その判断理由を明記すべきだろう
 問題はそれだけではない。先の「最終準備書面」でも明らかなように、原告・亀井志乃は決して
「事務分掌を定めるに当たっては、平成18年4月13日に学芸部門の打合せ会において話し合いがなされた」という意味の寺嶋弘道被告の主張を認めていない。ところが田口紀子裁判長は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」や「最終準備書面」の主張を無視、黙殺した。無視、黙殺した上で、事務分掌を定めるに当たっては、平成18年4月13日に学芸部門の打合せ会において話し合いがなされた」という自分の判断を裏づける「証拠」として、「原告本人(亀井志乃)」を証拠に数え上げた。これは明白な虚偽である。

○ウジを見たらウジと呼ぼう
 先日私は、小樽文学館のプロレタリア文学に関する講座の準備のために、サイレント映画の古典、エイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』のDVDを見ていた。映画が始まって間もなく、水兵たちが、〈腐った肉なんか食えるものか〉と騒ぎ出したところ、戦艦付きの医者が通りかかる。水兵が「ウジが目にはいらんですか」。すると、艦医は眼鏡を拡大鏡代わりに使って牛肉をしげしげと点検し、「ウジじゃない。ハエの幼虫だ。塩水で流せば大丈夫だ」。
 いけしゃあしゃあと屁理屈を述べ立てる、いかにも憎さげな名演技に、私は思わずプッと吹き出しながら、何だか似ているなあ。こうして私は寺嶋弘道被告や平原一良副館長を思い出し、太田三夫弁護士を思い出し、田口紀子裁判長を思い出したわけだが、しかし考えてみると、ウジを「ハエの幼虫」と呼ぶことは必ずしも虚言ではない。してみるならば、あの艦医はこの人たちよりもまだマシなわけだ。ただし、ウジを「ハエの幼虫」だと言い換えながら、ウジが湧くほど腐った肉の問題をやり過ごそうとする。このやり方はいただけない。
 といった次第で、ウジを見たら、やはりウジと呼ぶ。これが望ましい良識というものであろう。

○寺嶋弘道被告の脱「職務範囲」
 ただし、今回私が寺嶋弘道被告の平成18年度における「業務」を整理したのは、以上のことを指摘するためだけではない。
 先ほど紹介した「最終準備書面」の、省略した箇所で、亀井志乃は、次のように寺嶋弘道学芸主幹における「事務分掌」からの逸脱行為と、寺嶋弘道被告の証言の矛盾点を指摘している。
《引用》

 ④もし仮に、被告が証言した通りに、乙6号証の原案は被告が作成したものであるならば、被告はこの時、被告自身の何らかの合理的な判断に基づいて、原告を石川啄木展の副担当に当てたはずです。
 それにもかかわらず、被告は啄木展に介入し、原告を啄木展から疎外しました。被告は5月12日の段階で啄木展の予算超過を原告に告げ(甲27号証)、日本近代文学館との打合せや展示品貸借・返却に際しては主担当のS社会教育主事と行動を共にしました(甲41号証参照)。
23p)
 
 この指摘と合わせて、亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)の次の箇所を読んでもらいたい。
《引用》

(4)平成18年5月12日(金曜日)
(a)被害の事実(甲27号証・甲28号証を参照のこと)
 この日、閲覧室で勤務していた原告は、内線電話で、被告から「今年担当の展覧会について打合せをしたい」と呼ばれ、事務室に向かった。打合せには、A学芸員(駐在道職員のうちの1人)が同席した。なお、原告は企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の主担当であり、A学芸員は副担当だった。
 それゆえ、原告は企画展に関する打合せと思っていたが、実際はそうではなく、被告より一方的な形で展覧会事業の予算配分の変更を通告された。その理由は、概略すれば、次の2点だった。

① 現在、「写・文交響―写真家・綿引幸造の世界から」展(期間・平成18年4月29日~6月4日 以下、「綿引展」と略)、「デルス・ウザーラ―絵物語展」(期間・平成18年6月10日~7月9日)、「啄木展」(期間・平成18年7月22日~8月27日)についてはすでに予算が執行されているが、「啄木展」のところで予算を大幅に超過している。
② 指定管理者制度の下では、予算は4年間の間に使い回ししてよいことになっていたが、やはり単年度計算でなくてはならないということに一昨日(5月10日)に決まった。そのため、特別企画展「啄木展」と「池澤夏樹のトポス」展(期間・平成18年10月14日~11月26日 以下、「池澤展」と略)とであとどれだけ予算が使えるかを出すために、急遽、他の展示の担当者たちに、支出予定の内訳を算定してもらわなければならない。

 被告はそういう事情説明をした上で、「支出予定の内訳は、来週までに作成し、文学館のサーバー内の所定の場所にアップしておくように」と原告らに命令した(甲29号証)。
 だが、平成18年4月1日の日付を持つ「平成18年度 学芸業務の事務分掌」に明記されている如く、特別企画展「啄木展」の主担当は鈴木浩社会教育主事(駐在道職員のうちの1人)であり、原告が副担当だった。ところが被告は、原告に何のことわりもなく、主担当の鈴木社会教育主事と準備に取りかかり、日本近代文学館からの展示資料の借用などの主要な業務を、原告を全く無視する形で進めた。その結果、「啄木展」の当初予算の3,712,000円を大幅に超過してしまった(甲28号証)。
 原告は「啄木展」の業務からほとんど疎外されており、予算超過についても、この時まで一切知らされていなかった。だが被告は、予算超過の事情を説明することはなかった。被告はまた「池澤展」の主担当であり、その展示事業費として3,612,000円の予算がついていたが、なぜ「啄木展」の予算超過を「池澤展」の予算で調整しないのか、その点の説明もなかった。
 そして被告は、「〈企画展〉の財布は一つしかない。だから、原告が主担当の『人生を奏でる二組のデュオ』展の予算1,516,000円は、他の2つの展示『書房の余滴―中山周三旧蔵資料から』(期間・平成18年12月9日~24日 以下、「中山展」と略)と『聖と性、そして生―栗田和久写真コレクションから』(期間・平成19年1月13日~1月27日 以下、「栗田展」と略)とでシェアしなければならない」と主張した
(9~10p)

 一読して明らかなように、寺嶋弘道学芸主幹は駐在道職員の「職務の範囲」を超え、自分が中心になって作成したと主張する「平成18年度 学芸業務の事務分掌」(乙6号証)の「事務分掌」から逸脱して、亀井志乃の「事務分掌」に手を出し、亀井志乃の業務から排除してしまったのである。
  亀井志乃のこの主張に関して、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」で、半ページほどの反論を試みたが、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」で再反論をされ、その結果、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということになってしまった。(なお、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」については、「文資料編」(http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)をご覧いただきたい)。

○田口紀子裁判長のいい加減な事実の認識
 だがそれはそれとして、今私がここで問題にしたいのは、田口紀子裁判長がこの箇所を、「判決文」の中でどのように書き直し、どのような法的判断を下したか、ということである。
 田口紀子裁判長の書き直しは次のようであった。
《引用》
 
(4)原告は、平成18年5月12日、被告から、デュオ展の事業予算配分の変更を行うようにと指示された。その理由は、特別企画展「石川啄木~貧苦と挫折を越えて」(以下、「啄木展」という。)(期間・平成18年7月22日~8月27日)において予算を大幅に超過している、予算は単年度計算で行わなければならなくかったから、というものであった。そして、被告は、「支出予算の内訳は、来週までに作成し、文学館のサーバー内の所定の場所にアップしておくように。」と原告に指示した。(甲27、28、原告本人)。8p)

 田口紀子裁判長はこのように簡略化してしまったわけだが、これまた一読して明らかなように、田口紀子裁判長は次のような事実を無視してしまった。〈亀井志乃は石川啄木展の副担当であったが、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃を排除する形で啄木展に介入し、早くも5月12日の時点で予算を大幅に超過してしまい、その尻ぬぐいのために亀井志乃とA学芸員とが担当の「デュオ展」の予算を削ろうとした〉。
 おまけに田口紀子裁判長は、この短い文章の中でさえ、きわめてイージーな間違いを犯していた。亀井志乃とA学芸員は寺嶋弘道学芸主幹から、
デュオ展の事業予算配分の変更を行うようにと指示された」わけではない。田口紀子裁判長が言う「デュオ展の事業予算配分の変更」は、〈当初予算の1,516,000円の範囲内で、旅費や展示資料の借用料や原稿謝礼や図録印刷費などの配分を変える〉という意味になるはずだが、実際はそうではなく、寺嶋弘道学芸主幹から「一方的な形で展覧会事業の予算配分の変更を通告された、つまり当初予算1,516,000円の削減を通告されたのである。
 
 田口紀子裁判長が言う
「争いのない事実及び証拠より容易に認定できる事実」とは、こんなふうにいい加減なものであったわけだが、このいい加減な「事実」認識に基づいて、田口紀子裁判長は、次のような法的判断を下した。
《引用》
 
(エ)被告は、平成18年5月12日、被告自身の行った失敗のための予算不足を補うため、原告に対し、原告担当の企画展に割り当てられた予算の支出予定の内訳を算定させ、その後、原告の企画展に割り当てられた当初予算を切り詰めさせて、その結果、原告は、原告の展示構想を縮小するという不当な実害を蒙り、業務妨害された旨主張する。しかしながら、予算配分の調整等については、被告の業務の範囲内の行為と認められるし、特に、原告の業務を妨害する意図のもとに行ったものと認めるに足りる証拠はなく、上記被告の言動を持って(以て?)、被告の不法行為と認めることはできない(18p)

 明治初期、裁判制度の近代化に伴って、代言人(弁護士)の制度が生まれた。当時出版された『代言人規則』(明治9年3月)や『代言人規則注解』(明治13年6月)などを読むと、一定の条件が整えば誰でも代言人(弁護士)になることができたらしい。ただ、当時の代言人の中には、服部撫松が『東京新繁昌記 六篇』(明治9年4月)の「代言人社」で描いたように、依頼人の無知につけ込んで依頼人の財産をむしり取ってしまう、悪質な代言人もいた。
 そこから「三百代言」という言葉が生まれたわけだが、しかし「三百判事」という言葉は生まれなかった。それだけ当時の判事は、原告・被告の言い分をよく聞き、些細な嘘も見逃さない、厳しい存在として畏怖されていたのだろう。そんな感想を抱きながら、私は念のために、亀井志乃が
「(4)平成18年5月12日(金曜日)」の事実に関して、どんなふうに「違法性」を指摘していたか、読み直して見た。
《引用》
 
(b)違法性
イ、被告は嘱託という契約職員である原告の重要な業務の一つを奪った。これは北海道教育委員会の公務員(被告)が、民間の財団法人北海道文学館に嘱託で働いている市民(原告)に対して行った、「刑法」第234条に該当する業務妨害であると共に、原告と財団との間に結ばれた契約を侵害する「地方公務員法」第29条、第32条に該当する違法な越権行為である。
ロ、北海道教育委員会の職員である被告は、4月11日、自分が副担当の「綿引幸造」展で、ポスター作成に失敗して、ポスター300枚の作り直しをし(甲30号証)、啄木展では5月12日の段階ですでに当初予算を大幅に超える支出を行うなど、「地方公務員法」第33条に違反し、「地方公務員法」第28条または第29条に問われるべき失敗を重ねた。
 もし年間の展覧会事業に割り当てられた予算の再配分が必要ならば、財団職員の副館長あるいは業務課長からその必要性と理由の説明がなされるべきである。ところが被告は、北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱し、自らが再配分の権利を持っているかのごとき言い方で、原告の企画展に割り当てられ予算の支出に干渉した。これは「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に違反する行為である。
 また、被告は敢えて倫理規程の違反を犯してでも原告の予算の一部を流用して自己の失敗を隠蔽し、自分の責任が問われることを回避しようとした。これは原告に対してなされた、「刑法」第233条、234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である。
 その結果原告は当初予算を切り詰め、展示構想を縮小するという不当な実害を蒙った
(10~11P)

 分かるように、寺嶋弘道学芸主幹の「違法性」に関する亀井志乃の主張の眼目は、にあった。
 また、
について言えば、もし年間の展覧会事業に割り当てられた予算の再配分が必要ならば、財団職員の副館長あるいは業務課長からその必要性と理由の説明がなされるべきである。ところが被告は、北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱し、自らが再配分の権利を持っているかのごとき言い方で、原告の企画展に割り当てられ予算の支出に干渉した。これは「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に違反する行為である。」ということにある。
 ところが田口紀子裁判長はそれらの主張を全く無視して、法的な判断を回避し、
しかしながら、予算配分の調整等については、被告の業務の範囲内の行為と認められる」と、事の本質をすり替えてしまったのである。

○再び田口紀子裁判長の不思議な判断
 では、田口紀子裁判長はどのような証拠に基づいて、
予算配分の調整等については、被告の業務の範囲内の行為と認められる」という判断を引き出してきたのであろうか。
 既に見てきたように、予算配分に関与する権限は、駐在の道職員に認められていない。そもそも寺嶋弘道被告自身が、
文学館の支出事務は財団の業務課が担当しており、被告はその事務処理に直接関与する立場にない(被告「準備書面(2)」4p)と認めていた。つまり、亀井志乃の「もし年間の展覧会事業に割り当てられた予算の再配分が必要ならば、財団職員の副館長あるいは業務課長からその必要性と理由の説明がなされるべきである。」という主張が正当であることを認めていたのである。
 ただ、これをすんなり認めてしまえば、亀井志乃が指摘した「違法性」も認めざるをえない。そこで寺嶋弘道被告は、何とかその「違法性」の指摘から逃れようと、
被告はその事務処理に直接関与する立場にないが、適切な予算執行を考慮し、先の見通しを持って事務事業を遂行することは、財団職員、駐在職員の如何を問わず組織人として当然のことであり、なんら法令に違反するものではない。」同前、4~5p)と、苦しい言い訳をひねり出してきた。
 
 自分が勝手に「啄木展」に介入し、大幅な予算超過をしでかしてしまいながら、
適切な予算執行を考慮し、先の見通しを持って事務事業を遂行することは」云々と自分の失態を棚に上げて、職員一般の心構え論にすり替えている。
 よくまあ抜け抜けと、こんな白々しいことが言えるもんだな。その厚かましさには呆れるほかはないが、亀井志乃によって
「『組織人』とは如何なる概念か、曖昧である。公務員としての職務に励み分限をわきまえるという鉄則を無視し、他人の権利を侵し、組織に損失を与えて、責任を取ろうともしない人間が、被告の言う『組織人』とすれば、そのような人間が存在すべきであるとも、必要だとも考えられない。のみならず、被告の予算執行が『適切な予算執行を考慮』したものであったとはとうてい考えることができない。」(「準備書面(Ⅱ)-1」23p)と一蹴されてしまった。
 この反論に関しても、寺嶋弘道被告の対応は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。

 田口紀子裁判長は、これら一連の応酬に目を通してしていたはずである。にもかかわらず、田口紀子裁判長は「しかしながら、予算配分の調整等については、被告の業務の範囲内の行為と認められる」という判断を下した。
 そうである以上、田口紀子裁判長はそう判断する根拠を示さなければならない。だが、田口紀子裁判長はどこにもその根拠を示していなかった。もし強いてその根拠を挙げるとすれば、それは「事務分掌」表における、「2 事業計画案および予算編成案の作成に関すること(副担当はS社会教育主事)」という文言であろう。
 しかし田口紀子裁判長には気の毒だが、この文言は亀井志乃が提出した甲60号証にも見られる。寺嶋弘道被告が4月13日に作成したと主張する乙6号証にはじめて出てきた文言ではない。さあ、どう判断するか。
 もし田口紀子裁判長が亀井志乃の提出した甲60号証を選ぶならば、既に平成18年3月の時点で18年度の事業計画も予算編成も出来上がっていたことを認めざるを得ない。とするならば、当然のことながら、「2 事業計画案および予算編成案の作成」は次年度、つまり平成19年度の原案作りという意味になる。
 それに対して、乙6号証を選び、寺嶋弘道被告の言い分に従うならば、財団法人北海道文学館は平成18年度の事業が始まってもまだ「事務分掌」が決まっていないほどルーズな事業体だった。それに合わせて言うならば、「2 事業計画案および予算編成案の作成」の中には当年度、つまり平成18年度の事業計画や予算編成も含まれるはずだ、という屁理屈が成り立たないでもない。
 ただし、その理屈が成り立つためには、「2 事業実施および予算執行の調整」という表現でなければならないだろう。もし寺嶋弘道被告が主張するように、乙6号証は彼が中心となって作成して、〈平成18年度の予算配分の調整等は寺嶋弘道学芸主幹の業務の範囲内だ〉という意見を述べ、他の職員の同意を得ていたならば、当然このような表現となったはずである。だが、乙6号証の表現はそうなっていなかった。
 
 そんなわけで、事実は亀井志乃が甲60号証に基づいて主張したとおりであり、常識も「『2 事業計画案および予算編成案の作成』は次年度、つまり平成19年度の原案作りという意味」に理解すると思うが、田口紀子裁判長はこれを無視、黙殺して、屁理屈のほうを選んだのである。

○ソフィストもどきの理屈
 そのような次第で、田口紀子裁判長が好んで使う「社会通念上許される限度」という言葉の「社会通念」を、私たちはどの程度信用することができるのか。そんな不安が生まれてくるところであるが、最後にもう一つ、寺嶋弘道学芸主幹における「業務」からの逸脱行為に関する、田口紀子裁判長の判断を確認しておきたい。
《引用》
 
なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨の主張を行っているが、被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない(「判決文」16~17p)

 しかしこれは、どう考えても言葉の詐術としか言いようがない。
 私はプラトンが描いたソクラテスのファンで、どうも最近は頭が固くなったなと感ずる時など、頭の体操を兼ねてソクラテスのダイアローグを開いてみる。裁判の途中もそうしてきたのだが、上の判決文を見て、ソクラテスの時代に栄えていたソフィストの一人に出会ったような気がしてきた。

 田口紀子裁判長は亀井志乃の訴えを故意にすり替えている。
 田口紀子裁判長は、あたかも亀井志乃が「被告の行為によって文学館の業務が妨害された」事実を挙げ、それをもって、「原告に対する不法行為」の証拠としたかの如くに、亀井志乃の主張をでっち上げた。そうしておいて、自らでっち上げた主張を「不法行為を認める理由とはならない」と否定してみせたのである。だが、それは田口紀子裁判長の小賢しい自作自演でしかない。
 なぜなら、亀井志乃は〈寺嶋弘道学芸主幹が文学館の業務を妨害した〉ことを理由に訴訟を起こしたのではないからである。亀井志乃は、〈寺嶋弘道学芸主幹は数度にわたって亀井志乃の業務を妨害した。しかもその業務妨害は、寺嶋弘道学芸主幹が駐在道職員としての職務を逸脱し、また、「事務分掌」という取り決めを破る形でなされていた〉という事実を挙げて、パワー・ハラスメントを含む人格権侵害の訴訟を起こした。田口紀子裁判長が、亀井志乃の主張を正確に踏まえたならば、
原告に対する不法行為」の箇所は、「原告に対する業務妨害と人格権侵害の不法行為」となるはずである。
 それを踏まえて、田口紀子裁判長の判決文を「正確に」書き換えてみよう。
 「なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が事務分掌を逸脱し、原告の業務を妨害した旨の主張を行っているが、被告の行為によって、原告の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する業務妨害と人格権侵害の不法行為を認める理由とはならない。」
 田口紀子裁判長の文章はこうなるはずである。
 
 だが田口紀子裁判官は、私が整理し直したような文章を書く自信も勇気もなかったのだろう。これでは理屈が成り立たず、結局亀井志乃の主張を認めるほかはないからである。そこで、「事実」に関する双方の主張をきちんと整理分析することをせず、地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例に関する法的な判断を回避し、そして、亀井志乃の主張を〈寺嶋弘道被告による文学館の業務妨害〉という形に歪曲し、矮小化して、
被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない。」と、寺嶋弘道被告に免罪符を与えてしまった。
 『戦艦ポチョムキン』の艦医の理屈は、〈ウジはハエの幼虫だが、それをもって、肉が食えないと認める理由とはならない〉であったが、田口紀子裁判長の理屈はこうなるだろう。〈ウジがハエの幼虫であったとしても、そのことをもって、肉が腐っていると認める理由とはならない〉。
 
 田口紀子裁判長は以上述べてきたようなやり方で、亀井志乃の主張を無視、黙殺し、あるいは論点をはぐらかしてきた。ひょっとしたら田口紀子裁判長は、弁護士を立てなかった亀井志乃を、法律の素人と見くびっていたのかもしれない。田口裁判長の一貫して不誠実な態度から、そういう印象を受けざるをえないのだが、もし私の印象が正しいならば、田口紀子裁判長は民事訴訟の趣旨と精神を失っているのである。

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判決とテロル(6)

田口紀子裁判長とJudge

○城島の退場
 先日、WBCの日本対韓国の試合で、三振となった城島がバットを置いたままベンチに引き上げたところ、球審が退場を命じた。
 その時は理由がよく分からなかった。リプレイを見ると、城島が、三振の判定(judge)の直後、球審に背中を向けて何か言っている。「あれがストライクかよ!」とか、その種の不満を口にしたため、球審に対する侮辱行為と見なされたのかな。そう思って見ていたのだが、後にインターネットを検索してみたところ、スポニチの記事を紹介しているブログが見つかった。
 そのブログが紹介するスポニチの記事によれば、WBCの試合にはMLBの「アンパイア・マニュアル」が適用されており、そのセクション4に「投球の軌道を土に描いての抗議や、2死(ツーアウト)の場合を除き、打席に用具を置いてベンチに戻ることは球審への侮辱とみなし、退場処分とする」と明文化されている、という。
 たしかに、その場面の動画を見てみると、球審は城島が置いていったバットを指さし、それから退場を命じている。城島がバットを持ち帰らなかった行為が退場処分の対象となったのである。
 日曜日に関口宏が司会する番組でも、大沢親分こと大沢啓二さんと、ハリさんこと張本勲さんが、同じことを指摘していた。

 なるほど、審判というのは厳しいもんだな。
 
○草野球の思い出
 ただし、私が「厳しい」と感じたのは、あの試合の球審のjudgeに関してではない。

 私は今年の2月に72歳になった老人だが、今は昔、60年ほど前は、ご多分に漏れず野球に夢中だった。近所の仲間とチームを作って、あちこちの「小字」(こあざ。60年前の群馬県の農村では、まだ「小字」と呼ばれる集落の単位が歴然と残っており、生産だけでなく、子どもの祭りの単位としても機能していた)のチームと試合をして回った。
 とはいえ、まともなグランドがあったわけではなく、グラブやミットは掌のところだけ皮を張った布製のもの。試合途中でバットが折れたら、代わりはなし。大急ぎで、折れた箇所を釘でつなぎ、細いシュロ縄をきつく巻いて何とか使えるように工夫をしたが、それが駄目なら、試合は中止。そんな具合だった。草野球にも数々あるが、これはもう草野球の原点と呼ぶしかない。そういうお粗末な野球だった。
 
 しかし、試合を進めるルールは、かのアメリカの大リーグのルールと変わらない。バッターに許されたバッティング・チャンスは2ストライク、3ボールまで。ピッチャーが投げた球を打ったバッターは、右のファーストに向かって走る。アウトが3つ重ねれば、攻守ところを変えた。これらのルールに関する限り、私たちの草野球は大リーグのルールと較べて何ら遜色はなかった!!
 もちろん審判がいたわけでなく、要するに攻撃側の選手から球審、塁審が出て判定を下したわけだから、ボールかストライクか、セーフかアウトかをめぐって時々言い合いが始まった。だが、言い合いの根底にある、私たちの共通のルールは、かの大リーグのルールと全く同じだった!!
 あまりしつっこく言い合っていると試合そのものが成り立たなくなってしまう。だから、ほどほどのところで折れ合い、試合を続行した。

○審判の役割
 では、そういう草野球と大リーグとの根本的な違いはどこにあるだろうか。もちろんこれは、個々の選手のパワーや技術レベルの決定的な違いを脇に置いての話である。その違いを脇に置いて、両者を較べてみるならば、私たちの草野球には審判(Judge)がいなかったが、大リーグには公認の審判(Judge)が存在し、ゲームの進行を司る(主催する)。そこに根本的な違いがある。

 H・L・A・ハートの『法の概念』(矢崎光圀監訳。みすず書房、1976年。H・L・A・Hart, The Concept of Law. 1961)は、現代の法理論や法哲学に大きな影響を与えた理論書であるが、彼はゲームにおける審判のあり方から裁判における裁判官の役割を論ずる着想によって、その理論を展開していた。
 
 その考え方を、いま私ふうにアレンジして言えば、私たちの草野球には試合を進めるルールがあるにすぎない。それに対して、アメリカ大リーグから高等学校、リトル・リーグに至るまで、公認の審判が司る公式の試合には、試合を進めるルールだけでなく、審判に関するルールがある。WBCの球審はこのルールに従って、城島に退場を命じたのである。
 
 この審判は選手ではないから、もちろん試合には参加していない。その意味では、試合の外にあり、第三者的な立場にあるわけだが、プレーボールを宣言してから、ゲームセットを告げるまで、選手が試合のルールに従ってプレーをするように指示を与え、ルールに反する行動にはペナルティを課す。そういう権限と、権限を行使して試合をスムーズに進めさせる責任を担っている。その限りでは、選手が従うべきルールに審判自身も従わなければならない。と同時に、自分がこの試合の審判を務める資格を持っていなければならず、その資格を得るためのルールもあるわけだが、審判はこの資格に基づいて、試合のルールを守らない選手に注意を与え、ペナルティを課す権限を行使して、審判としての責任を果たす。そのために作られたのが「アンパイア・マニュアル」というルールであり、審判は当然このルールに従わなければならない。審判がこのルールをよく守ってこそ、試合における選手のプレーや試合の結果が公認のものとなるのである。

○ルールとメタ・ルール
 いま審判員制度のために作られたこのルールを、試合のルールに対するメタ・ルール(または二次的ルール)と呼ぶとしよう。
 草野球的な目でみれば、三振を食った選手が腹を立て、バットを放り出してベンチに引き上げる程度のことは、しばしば見かけることであり、その選手がそれ以上プレーを続けることを禁止するなんてことはまず起こらない。
 しかし、公認の審判が司る公式の試合に関しては、審判の権威と権限と責任を明記したメタ・ルールがあり、あのWBCの球審はそのメタ・ルールに従って城島に退場を命じた。あるいはメタ・ルールに従って城島に退場を命じなければならかった。
 
 私が「審判というのは厳しいもんだな」と感じたのは、そういう意味である。
 
○裁判のメタ・ルール
 ところで、一般に裁判というのは、例えばAがBに関して、「Bはこれこれの違法なことを行った」と言い、Bがそれに対して「いや、Aの言うことは間違っている」と反論する、その争いだと見られている。
 確かにそれはそうなのだが、むしろそれは草野球のレベルのことであって、一たん裁判を起こし、裁判官というJudgeに双方の主張に関する判断を委ねる段階に入ると、Aは「『Bはこれこれの違法なことを行った』という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という形で主張を行わなければならない。当然のことながら、Bの反論も「『Aの言うことは間違っている』という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張を行わなければならない。
 もちろんこのような主張は、「Bはこれこれの違法なことを行った」、「いや、Aの言うことは間違っている」という争いの段階で、既にナイーヴな形で素描(rough sketch)されていたと言えるのだが、裁判ではきちんと整序されていることが求められる。裁判官に明確な判断材料を提供しなければならないからである。
 
 そんなわけで、裁判官に課せられた責務は、AとBとの双方の「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という部分を比較、検討して、いずれの主張に合理性が認められるか(合理性が高いか)を判断する。その判断に基づいて「Bはこれこれの違法なことを行った」という主張、あるいは「いや、Aの言うことは間違っている」という反論のいずれを支持することができるかを判定することなのである。
 
 裁判官の課せられたメタ・ルールはそれだけではない。A,Bのいずれかの、「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張が、もともとの争点から逸脱している場合には、もとのルールにもどるように指示する。特にその逸脱の度合いがはなはだしく、虚偽の主張や相手の名誉を傷つける言辞に満ちている場合は、しかるべき警告を発するか、又は、もともとの主張をみずから損ねたものとして扱う。それもまた裁判官としての権限と責任を果たすように課せられた、裁判官のメタ・ルールの一つと言えるだろう。

○寺嶋弘道被告の証言におけるルール感覚
 前回私は、亀井志乃が主担当の「二組のデュオ」点の設営準備に入ろうとする直前、寺嶋弘道学芸主幹が無断で別な展覧会を割り込ませ、亀井志乃の準備を遅らせた出来事を紹介した。
 寺嶋弘道被告はその件について、彼の「陳述書」(平成20年4月8日付、実際の提出は4月16日)の中で、次のように証言している。
《引用》
 
また、この「二組のデュオ展」では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、後日そのことを伝え聞いた私は当該美術館にお詫びの電話を入れ、原告にとっては初めての美術品借用であった旨を伝えて釈明したのでした(5p)
 
 要するに、寺嶋弘道被告は〈亀井志乃は美術館から作品を借用するに当たって、学芸員としての基本的な手続きさえも知らなかった〉と言いたかったわけだが、この証言は次のような点で既に失点をしていた。
 第一に、寺嶋弘道学芸主幹の行為は亀井志乃に対する業務妨害であったという亀井志乃の主張に関して、反論にならない、無関係な事柄を持ち出して来た。これはルールから逸脱でしかない。
 第二に、寺嶋弘道被告は、「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という主張を裏づける証拠を何も出していないことである。
 亀井志乃は「寺嶋弘道被告は業務妨害と労働基準法無視の違法行為を行った」という意味の主張を裏づけるために、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定表」(甲21号証)と、「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」というビラ(甲22号証)、寺嶋弘道被告の筆跡で「証明はライティングレールのみの点灯に変更しました 寺嶋」と書かれ、配電盤の上に貼ってあった付箋の写真(甲23の1~3号証)、及び2月15日と16日に泊まった東横インの領収書(甲24号証の1~2)の、計4種7点の証拠物を提出した。
 寺嶋弘道被告は少なくとも「作品図版カード」の写しを提出し、彼がお詫びの電話を入れたという日にちと、「道内美術館」の職員の名前を明記すべきであった。その裏づけがなければ、彼は根拠のないことを証言したことになってしまうだろう。

○亀井志乃のルール感覚
 亀井志乃は明らかに本筋を離れた、この証言にどう対応するか、やや迷っていたが、「準備書面(Ⅱ)―2」(平成20年5月14日付)の形で反論をすることにした。次の文章はその反論の冒頭である。
《引用》
 
本訴訟における原告は、平成18年度に民間の財団法人北海道文学館に嘱託職員として働いていた民間人であり、被告は道立文学館に駐在する北海道教育委員会の職員であって、訴訟の焦点は公務員である被告が民間人である原告に対して繰り返し人格権侵害の違法行為を働いたことにあります。故に私は「訴状」においても「準備書面」においても、被告が原告に働いた人格権侵害の行為事実の確定と、その行為の違法性の指摘に集中してきました。その間私は、被告の人格を論じ、被告の人間性を批判し非難する表現は謹んできました。それが訴訟におけるルールだと考えたからです。
 しかるに、去る4月16日の法廷において渡された被告の「陳述書」は本訴訟の基本的な争点には一切言及せず、いわば故意に無視する形で、問題を上司と部下との関係にすり替え、その記述は原告の業務態度や遂行能力及び原告に人格に関する中傷に終始していました。しかもその内容たるや、虚偽や事実の歪曲、根拠なき断定に満ちています
 被告のこのような書き方が、本訴訟事件の争点を明確にする上で果たしてどれだけ有効であるか、極めで疑わしい。とは言え、被告の意図は明らかに原告に関するネガティヴな印象を裁判官に与えることにあり、原告としてはとうてい看過し得ないところです。のみならず、被告の「陳述書」に書き込まれた原告に関する数々の中傷的言辞は、裁判の過程で行われた新たな人格権侵害行為であり、原告にはこれを告訴する権利があると考えます。
(1p。下線、太字は引用者)
 
 亀井志乃は「準備書面」(平成20年3月5日付)や、この「準備書面(Ⅱ)―2」において、被告・寺嶋弘道の人格を論じたり、人間性を批判し非難したりするような表現は一切行っていない。太田三夫弁護士署名の「準備書面(2)」への反論「準備書面(Ⅱ)―1」においても、平原一良副館長の「陳述書」に対する反論「準備書面(Ⅱ)―3」においても、そのようなことはしなかった。相手の人格を論じ、人間性を批判し非難したりすることは、訴訟のルールに反するだけでなく、一般的な市民同士の関係においても慎まなければならないことだからである。今回、これらの文章を全文、「文学館のたくらみ・資料編」(
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)に、「『判決とテロル』資料1」~「『判決とテロル』資料4」として掲載した。目を通してもらえればありがたい。
 
 亀井志乃はその他にも、彼女自身の「陳述書」と「最終準備書面」とを書いているが、「陳述書」は「北海道文学館のたくらみ(43)」~「同(45)」で全文を紹介しておいた。「最終準備書面」のほうは、「北海道文学館のたくらみ(48)」~「同(57)」に分載してある。
 
○検証可能な記述
 亀井志乃は先のような自分のルールを守りながら、次のように反論した。引用は少し長い。筋道を立てて「……という私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」ことを証明するためには、おのずから言葉が多くならざるをえない。
《引用》
 
被告が言う「道内美術館」とは、一体どこにあるのでしょうか。私は「二組のデュオ展」に際して、平成19年(2007)2月9日に、絵画の現物を木田金次郎美術館と北海道立近代美術館から借用し、北海道立文学館に搬入していますが、被告が言うところの「道内美術館」には行ったことはありません。
 それに私は、上記のどちらの美術館の職員からも、
作品図版カード」なるものの持参を求められたことはありません。実際の手続きは以下の如くでした。
a)私は木田金次郎美術館のO学芸員と平成18年(2006)5月25日から電話で連絡をとりはじめ(甲76号証の1)、6月3日には最初の出張におもむいて、「二組のデュオ展」のコンセプトの大略を伝えました(甲76号証の2)。美術品の借用・輸送に関する凡その方法も、この時、O学芸員から説明を受けています。
 そして、9月からは再びO氏とメールのやりとりを開始し(甲76号証の3)、11月29日には再び木田金次郎美術館に出張しました(甲76号証の4)。この時には、借用したい絵画を、北海道立文学館に所蔵されていた木田金次郎の画集からコピーして持参し、所蔵を確認して、O学芸員からは貸出には問題がない旨の返事をもらっています。さらにその後、フィルム画像借用・著作権の許諾問題等で12月21日・12月26日・1月26日・2月3日とメールで打合せを重ね(甲76号証の5)、2月9日、絵画を借用することになったわけです。
 借用に際しては、O学芸員が予め「木田金次郎美術館 収蔵作品管理ファイル」(甲76号証の6)のコピーを用意し、私と共に作品の状態をチェックしてそのコピーに記入したあと、さらにそれをコピーして、私に渡してくれました。これは、その時点での作品の〈状態の記録〉を正しく私と共有するためです。そしてO学芸員は、
返却の際にはこちらをお持ちください」と私に言いました。
 私は、O学芸員の求めどおり、同年3月20日の作品返却の際には「木田金次郎美術館 収蔵作品管理ファイル」のコピーを木田金次郎美術館に持参して、再び共に作品の状態をチェックし、
大丈夫です。OKです」と告げられたのち、篤く御礼を述べて館を辞去しました。
 以上、約10ヶ月の間、私はO学芸員から
「作品図版カード」を持参するようにとの指示は受けていません。またそれがないからという理由で、交渉に問題は生じたこともありませんでした。

b)私は平成18年(2006)11月26日以降から、北海道立近代美術館の学芸第一課所属・T学芸員と、木田金次郎作品の貸借についての問い合わせを開始しています(甲77号証の1)。
 まず展示予定作品の「風景(下谷あたり)」について、展覧会図録に図版を入れる予定があったため、同年12月19~20日にその所蔵を確認し(甲77号証の2・3)、翌年の平成19年(2007)1月16日に、同作品の35㎜カラーポジスライドフィルムを借用しました(甲77号証の4)。またそれと平行して、12月28日、T学芸員が私に、現物貸借の際に必要な書類の書式をメールに添付して送付してくれましたので、私はそれに所定の事項を記入し、1月23日に申請書を近代美術館に郵送しました。
 また、T学芸員が私に、1月23日付のメールで、
借用書のほうは、集荷時にお持ちください」と指定してきましたので(甲77号証の5)、私は2月9日の借用当日に借用書(甲77号証の6)を持参しましたが、T学芸員は、それ以外には特に何も原告が持参することを求めて来ませんでした。その後の3月20日の作品返却を含め、交渉の全体を通じても特に問題は生じていません。
 
 亀井志乃はこのように、2種類13点の証拠物を添えて、自分が2つの美術館から作品を借用し、また返却した経緯を、客観的に記述している。これを読んだ人の中には、「しかし、結局これは亀井志乃の一方的な主張に過ぎないではないか」と疑う人もいるかもしれない。ただ、そういう人であっても、亀井志乃が検証可能な形で記述していることだけは認めざるをえないだろう。
 「検証可能な記述」とは、もしこれを確かめたいと思うならば、亀井志乃が提出した証拠物を調べ、更に2つの美術館に〈亀井志乃の言うことが事実であったか否か〉を問い合わせることが出来る、そういう形で記述しているということである。それが証言の客観性を保証する第一歩であることは言うまでもない。

○寺嶋弘道被告の反論放棄
 亀井志乃はこのように「検証可能な記述」を心がけた上で、次のように反論した。
《引用》
 
上のように、私はどちらの美術館の職員からも、一度も「作品図版カード」なるものの持参を求められたことはありません。そもそも借用する側が、借用する以前の時点で用意し持参する「作品図版カード」とはいかなるものか。被告の主張から判断するに、その「作品図版カード」は北海道立文学館の側が予め所持していなければならないことになります。しかし私は、他の職員からそういうものが存在することを教えられたことはありませんし、借用に出かける際には持参するように注意されたこともありませんでした。
 もし被告があくまでも、「原告はこうした場合「作品図版カード」を持参すべきであった」、もしくは「原告が「作品図版カード」を持参しなかったことで「道内美術館」からクレームがついた」と主張するのであるならば、被告は、私が持参すべきだった「作品図版カード」の現物を提示し、合わせて、道内のどこの美術館の誰からクレームがついたのか、被告が「お詫びの電話を入れ」「釈明した」相手は何という人だったのかを明らかにしなければなりません。もしそれができなければ、被告は、私の学芸研究員として自覚と知識を貶め、名誉を毀損するために、虚偽の陳述を行ったことになります
(「準備書面(Ⅱ)-2」19~21p。下線、太字は引用者)

 さあ今度は、寺嶋弘道被告が、「私の主張は、しかじかの証拠と論理によって正当である」という再反論を行う番である。
 だが、寺嶋弘道被告の対応は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。
 つまり、再反論を行う機会を持っていたにもかかわらず、みずから反論を放棄してしまったわけで、言葉を換えれば、亀井志乃の
「被告は、私の学芸研究員として自覚と知識を貶め、名誉を毀損するために、虚偽の陳述を行ったことになります。」という指摘に異議を申し立てる機会と権利を放棄してしまったことになるだろう。

○寺嶋弘道被告の記述の特徴
 寺嶋弘道被告は、亀井志乃が主担当の「二組のデュオ」展の設営に関してこんなことも言っていた。
《引用》
 
実際、展覧会業務に関する原告の経験のなさは、「二組のデュオ展」の準備業務の遅延や作品借用の際のトラブルとなって露呈してしまいました。原告がホテル宿泊を強いられたと主張しているこの展覧会の展示作業においては、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず、連日、皆待機を余儀なくされていたというのがその実情でした。すなわち、展示作業に入る以前の準備が滞留していたにもかかわらず、原告は訴状において、直前の貸館事業「シナリオ作家イゴーリ(ママ)のまなざし」(以下、「イゴーリ展」)のために展示設営に取りかかることができず、「夜遅くまで作業し、それでもまだ足らないため、2月14日と15日の2日間、札幌のホテルに泊まり、午後の10時近くまで作業を続けた」と、自らの責任を棚上げして結果のみを記述しているのです。逆にこの時、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした(寺嶋弘道「陳述書」5P。下線、太字は引用者)
 
 要するに〈亀井志乃の展示設営準備が遅れたのは、自分が設営した「イーゴリ展」のためではなく、亀井志乃自身がロクに準備をしていなかったからであり、亀井志乃の一連の行動に関しては、他の職員から「強い非難の声が渦巻く」ほどだった〉というわけである。寺嶋弘道被告にとって、「イーゴリ」展に関する亀井志乃の指摘は、よほど脅威だったのであろう。証拠を揃えてきちんと反論することができない。そこで、亀井志乃の業務能力や対人関係をあげつらって、亀井志乃を挑発する策戦に出たらしい。

○再び亀井志乃の「検証可能な記述」例
 だが、亀井志乃はそのテには乗らず、「準備書面(Ⅱ)-2」の中で、次のように反論をした。
《引用》
 
この記述も全く実情に即していません。私はすでに、平成19年(2007)2月8日(木)以前の段階で展示設計を終えていました。――なお、直前に割り込んできた「イーゴリ展」の会期は2月3日(土)~8日(木)。――私は2月8日(木)が非出勤日であり、翌9日には岩内・木田金次郎美術館に絵画の借用に行かなければならなかったため、副担当のA学芸員とFAXで連絡を取り合い、取り急ぎ移動壁の配置と、展示ケースやパネルの配置、挨拶文とコーナーサインの掲示を頼んでいます(甲74号証)。
 この頃、キャプションはすでに刷り上がっており、あとはのり付きパネルに貼って仕上げるまでの段階まで来ていました。解説パネルやコーナーサインの内容も、パソコンへの打ち込みは完了していました。なぜなら原告は、資料研究をしながら、自力で半年程かけて資料キャプション235点分の打ち込みを完成していたからです(甲75号証の1)。そして、展示設計をしながら展示品を絞り込み、解説文を作り、同じキャプションや解説文を図録にも流用しました(甲75号証の2・3)。これは、図録と展示との説明内容が齟齬しないようにと配慮したからです。
 それだけでなく、私は平成19年1月18日夕刻に、印刷会社・アイワードに図録原稿を入稿しています(甲48号証の2 手帖参照)。1月18日に入稿して校正も経ているからこそ、図録は展覧会オープン当日の2月17日に完成し、納品されたわけです。

 
それ故「原告がなすべき展示設計や解説パネルが出来上がっておらず」という被告の主張は、まったく事実に反しています。被告は「連日、皆待機を余儀なくされた」と言っていますが、「待機」の意味が、「準備が整うまで、なすこともなく、腕をこまねいて待っている」のことならば、そういう意味の「待機」は全くありませんでした。そもそも「2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」という言い方も不正確な言い方で、確かに14日、15日、16日は財団職員のO司書、N主査、N主任が遅くまで残って設営作業を手伝ってくれました。このような協力は「二組のデュオ展」に限ったことではなく、平原副館長の「陳述書」に対する反論で詳述する予定ですが、平原一良学芸副館長(当時)が主体となって行った「常設展」リニューアル作業でも行われたことであり、例外的なことではありません。「二組のデュオ展」では川崎業務課長も不測の事態に備えて午後8時近くまで残ってくれました。この設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。

 この時もまた、亀井志乃は、寺嶋弘道被告の証言がいかに虚偽に満ちているか、を明らかにするために、3種類7点の証拠物を添え、仕事の流れを具体的かつ詳細に説明した。これもまた「検証可能な記述」と言えるだろう。

○再び寺嶋弘道被告の反論放棄
 亀井志乃は以上の説明を踏まえて、次のように主張した。
《引用》
 
ただ、駐在道職員に関して言えば、A学芸員は「二組にデュオ展」の副担当であり、主担当の私と共に責任を負っていたわけですから、加勢」とか「待機」には当たりません。もう一人のS社会教育主事は、15日には個人的な事情があって皆より早めに帰りましたが、手伝ってくれたことは間違いありません。そして少なくとも私の立場からみる限り、原告とA学芸員の準備不足のために、財団職員の3名とS社会教育主事がなすこともなく腕をこまねいて「待機」していることはなかったと思います。
 
なお、もう一言付言しておけば、215.42平方メートルの特別展示室をフルに使用した、展示品143点に及ぶ展覧会において、もしも被告が主張している如く、オープニング(2月17日)直前の15日・16日の段階で「連日、皆待機を余儀なくされた」のならば、その当然の帰結として、17日のオープニングには展示は間に合わないという事態が出来(しゅったい)したはずです。しかも被告は、構想者であり主担当である原告が、応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってし」まったと言う(乙1号証5ページ31行目)。では、残された人々によって、展示の完成は、いかにして可能となったのだろうか。この興味深い点について、ぜひとも原告は、証人台に立つ被告の口から、証拠に基づく状況の再構成による詳細な説明を聞きたいと考えています(18~19p)
 
 寺嶋弘道被告が、それでもまだ自分の主張のほうが筋が通っており、それを裏づける証拠もあるというのであれば、それを証明しなければならない。
 だが、寺嶋弘道被告の対応は
「被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。
つまり、再反論を行う機会を持っていたにもかかわらず、みずから反論する権利を放棄してしまったわけである。
 
 言葉を変えれば、先ほどの作品借用の件と言い、この件と言い、結局寺嶋弘道被告は、自分の陳述が亀井志乃の検証に耐えられなかったことを、みずから認めてしまったことになる。それはそうだろう、「道内美術館」なんて曖昧な言い方は、自分のいい加減さを自白しているようなものなのである。なお、寺嶋弘道被告は、「二組のデュオ展」問題に関連する「イーゴリ展」についても、亀井志乃に対する挑発的な逆襲を試みたが、亀井志乃の検証に耐えられなかった。その辺の経緯は、「文学館のたくらみ・資料編」(
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/wagaya/)の「『判決とテロル』資料3」をお読みいただきたい。
 
○太田三夫弁護士の勇み足
 しかし太田三夫弁護士は
(寺嶋弘道被告が)15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらった」という主張にまだ未練があったのだろう。10月31日の本人尋問に際して、亀井志乃との間にこんなやりとりがあった。
《引用》
太田三夫弁護士:それで、あなたが主担当の「二組のデュオ展」、この企画展に向けてAさんとSさん、この方が2月15日と2月16日に時間外勤務をしていることを知ってますか。
亀井志乃:はい、知っています。
太田三夫弁護士:これは、どなたが頼んだんですか。
亀井志乃:存じません。
太田三夫弁護士:あなたが頼んだんではないんですか。
亀井志乃:Aさんにつきましては、頼むというのではなく、彼女が副担当でしたから、副担当として残ってくれたものだと思って感謝しています。Sさんのほうについては存じません。

(原告調書31~32p)

 とくかく太田三夫弁護士としては、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の業務妨害をしたわけでなく、むしろ同じ道職員のS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じて、亀井志乃の作業を手伝わせたのだ〉という主張を、亀井志乃に認めさせたかったのであろう。
 太田三夫弁護士はその主張を裏づけるつもりで、「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」というタイトルの文書を2通、
乙10号証の1乙10号証の2として提出したわけだが、気の毒なことにこれは完全な勇み足であり、みずから墓穴を掘る羽目に陥ってしまった。
 亀井志乃は「最終準備書面」で次のように指摘している。
《引用》
(前略)
②乙10号証の1および乙10号証の2の記載者は、その文字の特徴から見て、A学芸員だったと判断できますが、A学芸員は「二組のデュオ展」の副担当であり、自発的に時間外勤務を希望したものと思われます。S社会教育主事もその仲間意識によって――〈仲間意識〉を結局一度たりとも見せなかった被告とは異なり――自発的に時間外勤務を志願してくれたものと思われます。(ただしS社会教育主事は、15日には、個人的な事情があって、皆より早めに帰りました。原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p参照。)
 その手続きは、書類への記入状況から見て、A学芸員が「時間外勤務、休日勤務及び夜間勤務命令簿」に必要な事項を記入し、しかる後に駐在道職員の「文学館グループ」のグループリーダである被告の承認印を押してもらう、という流れになっていたと推測されます。単に、書類の記入欄と確認印の欄だけを見れば、被告がA学芸員とS社会教育主事に時間外勤務を命令したように見えますが、決してそうではありません。
 なぜなら、平成19年2月15日の分(乙10号証の1)には、欄外に、A学芸員の文字で
「15日分は、原主査にtelの後、FAXしました」と書いてあるからです。この日は被告が出張で不在だったため、A学芸員は書類に必要な事項を記入して、北海道教育委員会・生涯学習部文化課のH主査にFaxで送ったわけです。この15日の書類の左側「所属の長の印」の欄に、被告の印が押されていないのはそのためです。もし、被告の方が時間外勤務を命じたのであるならば、必要な事項は被告が出張の前にあらかじめ書いたはずであり、また、A学芸員がわざわざ道教委の生涯学習部文化課のH主査に書類をFaxで送る必要もなかったはずです。
(中略)

⑤被告はおそらく、〈文学館グループ〉職員の作成した乙10号証の1と乙10号証の2は見ていたが、財団職員の時間外勤務に関する書類を見ていなかった。そのため、2月13日(火)以降、駐在職員2名のほか財団職員2名が加勢し、さらに15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの」と、あたかも15日・16日には時間外勤務をした職員は2人だけであったかのような虚偽の証言を行ってしまったと判断できます。

  以上の点により、乙10号証の1および乙10号証の2の存在をもって〈被告が、駐在職員2名に時間外勤務を命じて展示設営の応援に入ってもらった〉という証言の裏づけとすることは不可能であり、また、被告の「陳述書」における証言が虚偽であったことも明らかです(88~89p)

 要するに、被告側が提出した乙10号証の1乙10号証の2は、〈寺嶋弘道学芸主幹がS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じた〉という主張の証拠とはなりえない。乙10号証の1乙10号証の2に記載された文字とその内容が告げている事実は、〈「二組のデュオ」展の副担当であるA学芸員が、自発的に時間外勤務の手続きを取り、S社会教育主事も一緒に残って、亀井志乃とA学芸員の作業を手伝うことにした〉ということだったのである。
 A学芸員が自分とS社会教育主事の時間外勤務の手続きをした2月15日は、寺嶋弘道学芸員は出張のため文学館にいなかった。実はこの2月15日と16日は、財団の女性職員3名も残って亀井志乃とA学芸員の作業を手伝ってくれたのだが、寺嶋弘道被告はその実態も知らなかったため、A学芸員とS社会教育主事だけが残ったと思いこんでいた。そのこともまた亀井志乃によって暴かれてしまったわけである。
 太田三夫弁護士が被告側の証拠物に選んだ
乙10号証の1乙10号証の2をよく読んでいれば、以上のことは簡単に気がつき、〈寺嶋弘道学芸主幹がS社会教育主事とA学芸員に時間外勤務を命じた〉という主張の証拠には使えないことが分かったはずである。それに気がつかないとは、何とも迂闊な話で、こんなありさまで「検証に耐えられる文章」を書くのは、とうてい無理であろう。

○太田三夫弁護士が掘ったもう一つの墓穴
 太田三夫弁護士が迂闊だったのはそれだけではない。
乙10号証の1乙10号証の2の欄外には、「別記第3号様式(第15条関係)」と印刷してあり、その様式から判断して、明らかにこれは北海道教育委員会の書式だった。
 亀井志乃が、〈寺嶋弘道学芸主幹が強制した書類作成の仕方は、公務員の立場を越えた違法なものではないか〉という意味の指摘をしたのに対して、彼は「準備書面(2)」で、
また、本件の決定書の作成における『合議』を『主管』に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案責任者として起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている(8p)と反論してきた(「判決とテロル(4)」参照)。
 ところが、彼自身が提出した
乙10号証の1乙10号証の2は、北海道教育委員会の書式に基づく文書であった。つまり、この点に関しても、寺嶋弘道被告はその場かぎりの言い逃れのために嘘を吐いていたわけで、亀井志乃の「最終準備書面」によって、そもそも、『時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿』の欄外『別記第3号様式(第15条関係)』や、記入欄内の『所属部局課(室) 生涯学習部文化課』の文字を見ても、この書類が道庁の規程に従って書式が決定されたものであり、財団法人北海道文学館の書類の書式とは統一され得ないものであることは明らかです。」と指摘されてしまったのである。

○田口紀子裁判長がみずから確かめたこと(その1)
 そしてここが重要なのだが、田口紀子裁判長はこの一連の応酬を、自分の耳で聞き、自分の目で読んでいただけではない。10月31日の本人尋問において、寺嶋弘道被告に対して、田口紀子裁判長自身が次のように尋問していた。
《引用》
 
原告の準備書面によると、原告はこれらの書面を作るに当たって、甲10の3を参考にして、甲の10の4で、要するに、業務主任と業務課長の目を通してもらって、直してもらって、それでいいよということで、さらに、甲10の5でN主査の添削を受けて、それで被告のほうに持っていったということで書かれているんですが、そのような流れで、これは間違いありませんか(被告調書31P)
 
 田口紀子裁判長のこの質問は、亀井志乃の3月5日付「準備書書面」における「(10)平成18年10月7日(土曜日)」の記述に基づいており、寺嶋弘道被告の
「いや、そうだと思います。」という証言を得ている。
 その質問内容をもう少し補足するならば、もし寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に書き直しを強制した理由が、彼の主張するように
「学芸班の統括者である被告を起案責任者として起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくもの」であるならば、亀井志乃から書類作成の相談を受けた段階で、川崎業務課長なりN主査なりがその「事務処理の要領」に基づいてアドバイスをしたはずである。だが、亀井志乃が財団のサーバーに残されていた前例に従って書類を作成し、業務課で見てもらったところ、特に大きな修正を受けなかった。文書の作成や管理に当たっている業務課が「よし」と判断したにもかかわらず、なぜ寺嶋弘道学芸主幹は書き直しを強制したのか。彼が主張する「事務処理の要領」には根拠がないのではないか。亀井志乃はそういう疑問をもって「被告は自己の行為を正当化するために、『財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領』なるものを持ち出しているが、そのような『要領』を明記した『合意書』を被告は証拠物として提出していない。すなわち証拠によって裏づけられていない(「準備書面(Ⅱ)-1」34p)と反論した。
 田口紀子裁判長も同様な疑問を持ったのであろう。

○田口紀子裁判長の不思議な判決(その1)
 そこで、先のような尋問をしたわけだが、寺嶋弘道被告の
「いや、そうだと思います。」という証言を受けて、さらに「それにもかかわらず、これだけ被告のところで手が入る(亀井志乃の作成した書類に書き込みをし、書類を作り直させる)というのは、どういったことからだというふうに考えられますか。」と尋問を続けた。
 ところが寺嶋弘道被告はその尋問には直接答えず、
この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、……」と話を逸らし、田口紀子裁判長の質問をはぐらかしてしまった。
 
 しかも、寺嶋弘道被告の
「この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、……」云々も矛盾と虚偽に満ちていた。亀井志乃は「最終準備書面」のⅡ章の第2項のGで、その点を克明に指摘している(「北海道文学館のたくらみ(50)」)。
 
 寺嶋弘道被告の「陳述書」はこのように、
15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらった」という証言一つを取り上げてみても、嘘・偽りが次から次へと、芋づる式に現れてくる。その中には田口紀子裁判長自身がみずから一役買って、引き出した嘘も含まれていた。
 ところが田口紀子裁判長の判決は、何と! 
「被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」25p)ということであった。

○田口紀子裁判長がみずから確かめたこと(その2)
 以上のことに関連して、田口紀子裁判長が自分の耳で聞き、自分の目で確かめたはずのことを、もう一つ挙げておこう。

 先ほど引用したように、寺嶋弘道被告は「陳述書」の中で、亀井志乃の行動に関して、この、仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でした」と証言していた。それについて亀井志乃は次のように反論している。
《引用》
こういう見え透いた嘘をついてまで被告は私を貶めたいのか、とただただ呆れるばかりですが、もちろん私が展示設営を手伝ってくれた他の職員を残して先に帰宅したという事実はありません。
 このことは原告の「準備書面(Ⅱ)―1」でもある程度言及しておきましたが、私が「二組のデュオ展」における主担当であることは、北海道立文学館の警備員にも周知の事実でした。また、通常の仕事の段取りとして、その日の展示作業が終わった際には、現場責任者(主担当)が警備員(1階警備員室に勤務)に「今日の作業は終わりました」と挨拶に行き、警備員はそこで階下に下りて、特別展示室を消灯し、シャッターを閉めるという手順になっていました。ですから最後は、主担当の原告が必ず警備員に連絡しなければならない。もし何らかの都合で副担当が連絡に行ったり、或いは主担当が不在、もしくは先に帰ってしまったなどという常ならぬ状況があったとすれば、必ずや警備員の注意をひくはずです。第一私は14日と15日は札幌のホテルに泊まっています。ホテルに宿を取っている人間が、手伝ってくれている職員を残して、先に帰ってしまう理由があるでしょうか。
 もしあくまでも被告が、私が他の職員を残し、展示設営現場を放棄して先に帰宅したと主張するのであれば、他の職員の証言・証拠に加えて、当時の警備員からの証言・証拠をも提示する必要があると考えます
(「準備書面(Ⅱ)-2」19p)

 田口紀子裁判長は10月31日、以上のことに関連して、寺嶋弘道被告に以下のような質問をした。
《引用》
田口紀子裁判長:今「二組のデュオ展」について出たんですけれども、今の話とはちょっとずれますけれども、この点に関して、被告の陳述書の中に、原告は応援に加わった職員らを展示室に残したまま先に帰ってしまい、この仲間意識を踏みにじる原告の行動に対して強い非難の声が渦巻いてしまったというのが実際の状況でしたということで、5ページに書かれているんですかれども、被告自身もこの設営作業に加わっていたんですか。
寺嶋弘道被告:いえ、私は加わっていません。その不満が渦巻いていたというのは、私は当日出張へ出ておりましたので、戻ってきたら事務室の雰囲気がちょっと違っていたので、不満を口にしている職員がいたということです。
田口紀子裁判長:それは同じ日のことなんですか。
寺嶋弘道被告:同じ日というか…。
田口紀子裁判長:出張に出ていたんですよね。
寺嶋弘道被告:戻った日ですね。
田口紀子裁判長:戻った日というのは、いつのことになるんですか。この展示設営作業が行われていた日があって、戻った日は、それからどのぐらいたったときですか。
寺嶋弘道被告:いえ、ほとんど、………出張に出たのは水曜日か木曜日ですので、展覧会のオープン前日ぐらいだと思います。あるいは、出張の翌日といいますか。

(被告調書25~26p)

 要するに寺嶋弘道被告は、その「陳述書」の中で、あたかも亀井志乃が他の職員に対して手ひどい背信行為を行ったかのように書いておきながら、その裏づけを求められると、全くしどろもどろ、自分がいつ「原告の行動に対して強い非難の声」を聞いたのか、その日時を明らかにすることさえ出来なかったのである。

○田口紀子裁判長の不思議な判決(その2)
 亀井志乃はその点を踏まえ、「最終準備書面」の中で、次のように指摘した。
《引用》
 
被告は、このように曖昧な証言を繰り返すだけで、明確な答えができませんでした。
 
①被告が出張した日がいつであったか、結局曖昧なままでしたが、一つ明らかなことは、被告はただ事務室に顔を出しただけで、展示室の作業状況を見ていなかったことです。
②「二組のデュオ展」がオープンしたのは2月17日(土)です。ですから、16日(金)には準備が完了していました。もし被告が出張から帰って、事務室に顔を出したのが「展覧会のオープン前日」、すなわち2月16日(金)であったとすれば、原告以外の職員が
「待機」の状態であったり、強い非難の声が渦巻いて」いたりするはずがありません。準備完了後、作業に従事していた職員は、原告と一緒に文学館を出たからです(原告「準備書面(Ⅱ)―2」19p)。
③被告は、
15日(木)、16日(金)の両日は駐在職員2名に時間外勤務を命じて応援に入ってもらったものの、」と証言し、しかし10月31日の田口裁判長に質問に対しては「3人がその話(「私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」という話)をしていました」と証言しています。これでは数が合いません。実際は、14、15、16日の3日間は、財団職員のO司書、N主査、N主任も遅くまで残って手伝ってくれました。原告は14日と15日は札幌のホテルに宿を取っており(甲24号証の1・2)、ですから、これらの人たちを残して先に帰ってしまう理由がありません(原告「準備書面(Ⅱ)―2」18p)。原告の「準備書面(Ⅱ)―2」19pで説明したような手順でその日の作業を終え、皆と一緒に文学館を出ました。ですから、被告が出張から戻ったのが2月16日ではなく、2月14日か15日であったとしても、事務室で3人の職員が「待機」の状態にあり、私たちを残して亀井さんが先に帰っちゃったんだから」と非難の声を渦巻かせていたなどということは起こり得ません。
 ちなみに、設営作業の間、顔を出さなかったのは被告と平原副館長だけでした。
④被告が提出した「時間外勤務・休日勤務及び夜間勤務命令簿」(平成19年2月15日付・乙10号証の1)の欄外に、被告の筆跡で「(2/15は寺嶋出張につき不在のため)」と書いてあります。また、「所属の長の印」に押印の跡はありません。一方、2月16日付の同書類(乙10号証の2)にはそうした書き込みはなく、「所属の長の印」の欄にも被告の押印があります。これらの証拠から推察するに、被告が出張したのは、実は2月15日だったはずです。そして、16日には平常通り出勤していたはずです。結局、被告は、自分で乙10号証の1と2を証拠として提出していながら、それにまつわる自分自身の行動さえも整理して弁
(わきま)えておかなかったわけです。

 以上の点によって、被告の偽証は明らかです(48~49p)

  田口紀子裁判長の尋問は、このように、亀井志乃によって寺嶋弘道被告の偽証性を証明される方向で引き継がれることになった。だが、どうやらそれは、必ずしも田口紀子裁判長の求めるところではなかったらしい。その判決は、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」だったのである。

 田口紀子裁判長が考える「虚偽の陳述」とは、一体どういうレベルの嘘なのであろうか。

○田口紀子裁判長の「反則」容認
 既に繰り返し紹介したことだが、寺嶋弘道被告の代理人・太田三夫弁護士は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同―2」「同―3」について、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)と返事してきた。
 太田三夫弁護士署名の「準備書面(2)」、寺嶋弘道被告署名の「陳述書」、平原一良副館長署名の「陳述書」で、彼らは数々の嘘を吐いていたわけだが、亀井志乃の反論を受けるや、そのことに関する議論は「や~めた」とばかりに、グランドに立とうともしない。これはもう、試合放棄と見なすしかないだろう。

 おまけに、試合相手たる亀井志乃に対して、あれだけひどい人格攻撃を行っている。もう20年以上も前のことだが、甲子園大会で高崎商業と対戦した九州の高校の選手のマナーが悪く、ヒットを打って塁に出れば、相手の一塁手に対して聞くに耐えない暴言を吐く。注意をした塁審に対しては、反抗的な態度を取る。高野連の役員会はその高校の関係者を呼んで、「マナーを改めなければ、出場停止にする」と厳重に警告をした。そういう話を聞いたことがある。
 つい最近では、今年の春の選抜大会で、宮城県の利府高校の選手の一人が、自分の携帯サイト上のブログに、一回戦で対戦した掛川西高校を侮辱する書き込みをした。それに気がついた高野連は、利府高校に口頭で厳重注意をした。
 それが大会の運営を司り、試合の進行を司る者の見識であり、責任であろう。

 ところが田口紀子裁判長が司る裁判において、被告側の太田三夫弁護士、寺嶋弘道被告、平原一良副館長の3人は、亀井志乃の知識、能力、業務態度、人格を貶める言葉を繰り返し発して、亀井志乃に侮辱を加えた。当然のことながら、亀井志乃はこの裁判の進行に責任を持つ田口紀子裁判長に、彼らのアンフェアな行為をアピールしたのだが、田口紀子裁判長は亀井志乃のアピールを黙殺し、彼らのアンフェアな行為を黙認してしまった。
 その判決文によれば、
被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。」25p)のだそうである。
 〈いいのかなあ。正当な訴訟活動の一環であるという名目さえ立つならば、その準備書面や陳述書の中で、数々の嘘を吐き、相手の人格を傷つける数々の中傷を行っても、その程度のことは全て「許容される範囲」のことになってしまう〉。誰にせよ、そういう疑問は禁じ得ないところだと思うが、田口紀子裁判長は、日本国における裁判官の資格において、そう断定したのである。

○Judgeの倫理
 先に紹介した『法の概念』の著者・ハートは、クリケットを念頭に置いてのことだと思うが、「『スコアラーの裁量』のゲーム」という言葉で、裁判の根幹にかかわる重要なことを指摘していた。いま野球に置き換えるならば、それはおおむね次のようなことだった。
〈野球の得点は、攻撃側のランナーがホームベースを踏み、球審がセーフと宣告して、はじめて得点と認められる。では、もし球審が自分の裁量で得点と認めるものの外に、得点に関するルールは何もない、となったら、どうなるだろうか。球審の裁量がある程度規則性をもって行使されるならば、そのゲームもそれなりに面白いかもしれない。だが、それは野球とは別なゲームになってしまうだろう。〉
 
 つまりハートが言いたかったことは、審判にもルールがあり、審判がルールであってはならないということであるが、田口紀子裁判長のjudgeは、寺嶋弘道被告側の失点は見逃してやり、そのルール違反も大目に見てやる。その逆に、亀井志乃がいくらルールを守って、相手の虚偽を暴き、証拠と具体的な経緯の説明に基づいて自分の主張の正当性を証明しても、決してそれを得点に数えることはしない。そんな性質のjudgeだった。
 日本の裁判では、幾つかの条件が整うならば、裁判官の裁量を認めている。私の見るところ、その裁量の余地は野球の審判マニュアルよりもずっと大きい。なぜなら、野球のルール・ブックは試合の開始から終了に至るまでの間に起こるだろう様々な事態を想定し、それに対応できるよう実に細かいところまでルールを設けている。だが、日本国の法体系は現実に起こりうる全ての事態を想定して細目を決めているわけではないからである。もしそんなことをすれば、市民の一挙手一投足まで法で束縛し、市民の自由を奪う結果になってしまう。そこで、基本的なルールだけを決めておき、現実の事態に適用する場合は、裁判官の裁量に任せる余地を残すことになったわけである。
 しかし、だからと言って、裁判官が自分に与えられた裁量権を恣意的に行使したり、乱用したりすることを認めているわけではない。
 
 野球の審判に与えられる権限は極めて大きい。だが、選手が実際にプレーしなければ、その権限は宙に浮いたままでしかない。その権限を行使するには、審判自身も選手が従うルールを守らなければならない。そこに同じルールという共通の土俵が生まれ、そうであればこそ選手が審判のjudgeに抗議することが許されるのである。もちろん選手が抗議をする場合でも、〈抗議が許されるのはキャプテンまたは監督に限る〉といったルールがある。それを守って抗議をしても、一たん下されたjudgeが取り消される可能性はごく少ない。とはいえ、サッカーのワールドカップが日本と韓国で共同開催された時、韓国で笛を吹いたレフェリーの一人が、韓国チーム寄りのjudgeを行った疑惑のため、懲戒処分を受けた。この事件は、まだ私たちの記憶に新しい。
 それはなぜか。審判の権限は、ルールに従って行われる選手のプレーを尊重し、公平、正確に判断することを前提として与えられるものだからである。審判がその自覚を欠くならば、「『スコアラーの裁量』のゲーム」のJudgeになってしまう。
 
 それと同じく、裁判に関するメタ・ルールや法を現実に適用する際の裁量は、その国の大半の市民が共有している「公平を求める感情」や「不正や不当な行為を忌む感情」を尊重する意識に基づいていなければならない。裁判官のjudgeに倫理が求められる理由が、そこにある。近代の法理論は、法と倫理の間に一線を画してきた。それはそれなりに理由のあることだが、法の適用は決して倫理感と無縁ではあり得ない。このこともまた、否定できない事柄であろう。

○不思議な暗合
 寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」を読んでいると、「俺が審判で、俺がルールなのだ」とばかりに、特別な裁量権が自分に与えられているかのような主張を繰り返していた。亀井志乃が〈被告は公務員としての分限を逸脱し、駐在の学芸員の立場を守ろうとしなかった〉と指摘したのは、まさにそういう言動があったからにほかならない。
 だが、田口裁判長には寺嶋弘道被告のような人間のほうが分かりやすく、ひょっとしたら親近感を覚えたのかもしれない。寺嶋弘道被告の「俺が審判で、審判がルールなのだ」と言わんばかりの言動を全て「許容の範囲」に回収し、裁判の過程におけるルール違反も黙認して、亀井志乃のアピールと主張を退けてしまう。私の目に、この裁判が「『スコアラーの裁量』のゲーム」に見えてしまったのはそのためである。
 

 

  

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判決とテロル(5)

裁判官による労働基準法違反・業務妨害の幇助―裁判員制度への警告―

○NHKテレビのニュースを聞いて
 今月の6日(月)、NHKのテレビが午後7時のニュースで、「厚生労働省は10年ぶりに労災認定の基準の見直しを行い、パワー・ハラスメントも労災の一つに数えることになった」という意味のニュースを伝えた。
 亀井志乃は用事で群馬から長野のほうへ出かけていたので、感想を聞くことはできなかったが、妻と私は「娘がああいう裁判を起こし、私が同時進行形で経過をブログに報告してきたのも、全くの無駄というわけではなかったようだネ」と喜んだ。

○田口紀子裁判長の時代逆行性
 ただし、今回見直されたのは、あくまでも鬱病などの精神的疾患や自殺の原因を認定する基準についてであって、亀井志乃は精神的にも肉体的にも目に見える疾患を抱えて訴訟を起こしたわけではない。その意味では、厚生労働省の基準が見直されたからと言って、それが直ちに田口紀子裁判長の判決の見直しに結びつくことはないだろう。
 田口紀子裁判長の判決文から推測するに、そもそも田口紀子裁判長は厚生労働省が言う「職場環境配慮義務」にはとんと無関心だったらしい。
 亀井志乃は平成18年10月31日、「去る10月28日に発生した〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明、及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」(甲17号証)というアピール文を、財団の幹部職員と寺嶋弘道学芸主幹に渡したわけだが、その時彼女が求めたのは寺嶋弘道学芸主幹のパワー・ハラスメントに対する処罰ではない。職場環境の改善だったのである。
《引用》
 
ところが寺嶋主幹は、亀井のそのような動きをすべて否定し、〈すべて、まず、第一に私を通せ。私がお前を管理している。〉という内容の発言を繰り返し、またたかがデータベースのことを)何で平原副館長や、川崎課長が揃ったところで説明しなければならないのだ〉と、聞きようによっては、財団職員をすべて自分より格下に見ているとしか受け取れない発言すらしている。 

 このような言い方で自分を特権的に扱う事を、しかも、雇用身分が最も不安定な者にのみ強要することは、きわめて悪質なパワー・ハラスメント(上司の部下に対する言葉や態度による暴力)に相当するのではないか。また、今まで亀井は幾度か他の職員に事情を話し、一方、職員のうちの幾人かも、亀井が主幹に上記のような扱いを受けている場面をしばしば見かける機会があった。それにも関わらず、これまで何ら有効な対応もなされてこなかったということは、もしかするとこの〈北海道立文学館〉という組織そのものに、ハラスメントの素地があると言えるのではないだろうか。亀井は、そのように考える(12P。太字は原文のママ)

 ところが、財団の幹部職員はこれを「職場環境」の問題として受け止めることはせず、むしろその逆に、12月6日、亀井志乃に対して「次年度に再雇用する予定はない」旨の、実質的な解雇通告をし、文学館から亀井志乃を排除する手段に出た。寺嶋弘道学芸主幹は、次年度から亀井志乃がいなくなることで一安心、更に欲しいままな気持ちに駆られたのであろう、一そう悪質な業務妨害を行った。
 その意味で、発端は確かに亀井志乃が「パワー・ハラスメント」のアピールにあったのだが、財団の幹部職員と寺嶋弘道学芸主幹の不適切な対応のために複雑な事態となり、「パワー・ハラスメント問題」には解消できないところにまで進んでしまったのである。

 財団が亀井志乃を排除するために、どのように違法な手段を使ったか。寺嶋弘道主幹がその違法な手段とどのようにかかわったのか。それらについては「判決とテロル(2)」で書いたばかりなので、重複は避けたいと思う。ともあれ田口紀子裁判長は、亀井志乃の主張や甲17号証に目を通していたはずであるが、職場環境配慮義務の問題などは「どこ吹く風」とばかりに無関心をよそおい、寺嶋弘道被告の亀井志乃に対する嫌がらせは、被告の言動が、原告に不快感をもたらすものであったとしても、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない」、「被告は、原告の勤務時間が超過する結果になることへの配慮に欠けていたと解されるところではあるが、原告が、帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできない(20~21P)という具合に、全てを許容することにしたのである。
 田口紀子裁判長の判決の時代逆行性は、昨日発表された厚生労働省の方針に照らしてみれば、ますます明らかだろう。

○亀井志乃の姿勢と判決の受け止め方
 田口紀子裁判長はこのように職場環境配慮義務を無視し、時代に逆行する判決を下したわけだが、どうしてそんなことができたのか。多分その理由の一つは、一見したところ精神的にも肉体的にも何の障害がない、健康な姿で、亀井志乃が法廷に現れたからである。
 平成18年度、亀井志乃が体調を崩しかけていなかったわけではない。ただ、寺嶋弘道の相次ぐ嫌がらせや、他の職員が見て見ぬ振りをしている中で、自分が弱っている気配はおくびにも出したくない。その意地で頑張り通してきた。
 心ならずも文学館の仕事から離れざるをえなくなり、仕方がない、これを機会に言葉の能力を磨いておこうと、発音矯正の教室に通うことから始めたが、さすがに先生は発声のプロ、「あなたは話をすることに、かなりひどい抑圧を受けてきたようですね」と指摘されたという。
 だが、何とか心的な障害を克服して、明るい声で話をすることができるようになった。もちろん文学館の仕事は気に入っており、もしチャンスがあればまた文学館の仕事に就きたいと考えている。

 そんなわけで、亀井志乃は今度の裁判においても被害を訴えて同情を買うやり方は避け、寺嶋弘道の言動がいかに理不尽であったかを、証拠と論理で証明する方法を選んだ。「このようなやり方で、〈人格権侵害の問題は、互いの人格を尊重し合う市民的ルールからの違反の問題なのだ〉という主張が通るならば、これまで告訴をためらっていた人の動機づけにもなるのではないか」。そういう意味のことを言っていた。
 そして事実、証拠と論理では自分のほうがはるかに勝っているという確信があり、田口紀子裁判長の判断に期待してしたのであるが、ああいう判決が出てがっかり落胆した。というより、腹の底から愛想が尽きてしまったらしく、「裁判官て、外部の圧力に判断が左右されないように、立場は保護されてるし、収入も一般の公務員よりは保証されているんでしょう。それなのに、司法の独立というか、裁判官の見識というか、そういう格調が感じられない、低調な文章……」と言って、二度と判決文を手に取ろうとしなかった。
 
 それを私ふうに言い換えれば、田口紀子裁判長の文章はどこか心事が濁っている。明晰さに欠けているのである。

○予定を変えて
 ところで私は、今回から、小畑清剛の『言語行為としての判決―法的自己組織性理論―』(昭和堂、1991)や、John M. Conleyと William M. O’Barr の共著“Just Words ―Law, Language and Power―”(Chicago. 1998)の第2版(2005)などを参照しながら、裁判の言説の理論的な検討に入る予定だった。
 
 ところが、NHKが労災認定の基準の見直しを伝えた、ちょうど同じ日に、大塚達也さんが「判決のテロル(4)」について、意味も意図もよく分からないコメントを寄せてくれた。大塚さんの読み方によれば
(田口)裁判長は(亀井志乃の)リテラルな格調の高いものをの(ママ)、オーラルなものに敷衍するのに腐心しているのだ」そうであるが、私にはそう思えない。
 もし田口裁判長が「腐心して」(心をくだいて)いる点があるとすれば、それは、亀井志乃の主張する「事実」を歪曲したり、削ったりしながら、争点をはぐらかして、寺嶋弘道被告の言動を全て「社会的許容限度」の中に収めて、免責してやることだったのではないか。私はそう思うのだが、議論をもっとオープンなものとするためには、更に田口紀子裁判長の「判決文」の特徴を紹介し、検討を加えておくべきだろう。
 そう考え、私は予定を変えて、なお2、3回、田口紀子裁判長の「判決文」の構造分析を続けることにした。皆さんのご海容をお願いする。

○亀井志乃の原文と田口紀子裁判長の削除
 亀井志乃は、自分が主担当の「二組のデュオ」展の設営準備の際、どんな事態に直面したか、3月5日付「準備書面」で次のように書いた。
 なお、今回は引用が多くなりそうなので、次の亀井志乃文章を、田口紀子裁判長が「判決文」でどのようにリライトしていたかは、省略する。ただ、前回までのやり方で分かると思うが、下線を引いた箇所は田口紀子裁判長が削ってしまった表現である。ただし、削った表現の代わりに、田口紀子裁判長が書き加えた文章もある。〈 〉内の青い文字がそれである。
《引用》

(14)平成19年1月31日(水曜日)
(a)被害の事実
 1月27日(土曜日)、「中山展」が終わり(次に予定されていた「栗田展」が中止されたため期間延長)、その撤収作業が28日(日曜日)と30日(火曜日)に行われた。 そして翌日の31日から、原告は自分が主担当の企画展「人生を奏でる二組のデュオ」の展示準備を始める予定だった。この予定については、職員の了解も取っていた。30日(火曜日)の朝の打合せ会において、2月の予定に関する変更の連絡は一切なかった(甲21号証)。
 ところが31日、原告が午前中に自宅から小樽文学館へ直行し、借用資料を受けとって、午後から道立文学館へ戻ったところ、「人生を奏でる二組のデュオ」展の副担当のA学芸員が原告のもとに来て、「なんだか、急に写真展が開かれるようになったようですね。特別展示室の入口が塞がれて、準備できないんです」と知らせてきた。驚いて確かめに行くと、特別展示室の入口は移動壁が凹字型に組まれ、すでに「ロシア人のみた日本 シナリオ作家イーゴリのまなざし」(期間・平成19年2月3日~2月8日 以下「イーゴリ展」と略)(甲22号証)という展示の写真額が展示されていた。
が、イーゴリ展が急きょ行われることになった。イーゴリ展が行われることを原告は同月31日になって初めてしった。〉
 一般に文学館の展示作業は、入口を起点として、来館者の目線を想定しながら展示物の配置を決めて行く。その入口を塞がれては、展示準備に入ることができない。
 原告とA学芸員は、奥のほうで出来る仕事(例えばガラスケース内の展示装備)だけでも先に進めておくことはできないかと考え、特別展示室脇の電気室の入口から特別展示室に入ろうとした。だが
〈イーゴリ展の展示のため、展示会場の入口は塞がれており、また、特別展示室脇の電気室の〉配電盤に(ママ)上には、被告の名前を付した「照明はライティングレールのみ点灯に変更しました」という付箋が貼ってあった(甲23の1~3号証)。それは、特別展示室入り口のライティングレール上のみは展示写真を照らすために灯りが点くが、それ以外は特別展示室内の照明は使えない設定にされてしまったことを意味した。〈(原告は)特別展示室内における準備もできず、原告はデュオ展の準備を同月31日から開始することができなかった(甲21、22、23の1ないし3、原告本人)〉。
 以上の、特別展示室の入口を移動壁で塞いで写真展覧会の写真額をそこに掛ける行為、および配電盤の照明設定を変更し、その上から付箋を貼って、暗黙のうちに、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意志を知らせる行為を行ったのは被告であった。そのことは、2月6日(火曜日)の朝の打合せ会で、被告が自分から発言を求め、「イーゴリ展をやることになりました…もう、やっております」と事後承諾を求めたことからも明らかである。
 特別展示室入口を塞いだイーゴリ展は2月9日に撤去されたが、原告は2月9日、岩内の木田金次郎記念館と道立近代美術館から作品を借用し、10日は札幌市営地下鉄の各駅にポスターを貼る仕事を予定ていた。このため2月11日まで特別展示室での設営に取りかかることができなかった
〈からデュオ展の設営に取りかかり、。原告はやむをえず、2月17日の展覧会オープン前日まで、文学館の休館日を除く原告の非出勤日を返上して、全143点に及ぶ展示品の展示作業を行った。14・15・16日の3日間は、作業は10時近くまで及んだ〈同月14日から16日までは、午後10時、11時まで展示作業に当たった。(甲24の1、2)〉。14日夜と15日夜は天候状態も悪かったので、やむなくホテルに泊まりながら展示作業に当たった(甲24号証の1~2)。17日のオープンを控えた16日、原告が展示を完成して帰宅したのは午後11時過ぎだった(29~31P。下線、〈 〉の挿入は引用者)

 少し読みにくい引用になってしまったが、亀井志乃の文章の下線を引いていない箇所と、〈 〉内の青い文字の文章とをつなげてもらいたい。そうしてもらえば、田口紀子裁判長の「判決文」における文章が浮かんでくる。田口紀子裁判長は例によって、寺嶋弘道被告の亀井志乃に対する具体的な業務妨害の事実を削除してしまう方向でリライトしていた。そのことが分かるだろう。

○田口「判決文」の矛盾撞着
 以上の事柄に関する田口紀子裁判長の法的な判断は、以下の如くであった。
《引用》

(セ)原告は、平成19年1月31日、被告が、イーゴリ展を他の職員に何の断りもなく割り込ませ、原告の主担当であるデュオ展の準備ができないようにして、原告の業務を妨害した旨主張する。しかしながら、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること、同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと、イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められないことなどからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない(23p)

 私はこの文章を読んで、日本にはこんな判決文を書く裁判官がいるのかと深く慨嘆し、日本の裁判官のレベルに深刻な危機感を抱いた。

 特に私が驚いたのは、同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと……などからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」の箇所である。
 これまで繰り返し指摘してきたように、田口紀子裁判長は、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった〉という前提に立って、寺嶋弘道学芸主幹の亀井志乃に対する言動は「業務の範囲内」と見なし、「社会的許容限度」を逸脱していないと判断してきた。ところが田口紀子裁判長は、平成19年2月3日、寺嶋弘道学芸主幹が他の職員に何の断りもなく「イーゴリ」展を実施した時点で、既に彼は亀井志乃の上司でなかったという。そうであるならば、彼がやったことは、紛れもなく亀井志乃の仕事に対する妨害行為だったことになるのではないか。
 
 もともと田口紀子裁判長が、〈寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった〉という判断の裏づけに持ち出した「組織図」は、田口紀子裁判長の虚構でしかなかった。ただ、もし仮に田口紀子裁判長の判断を正しいと受け入れたとしても、
被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」段階でその前提は崩れてしまい、別個な基準で判断しなければならないはずである。にもかかわらず、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない。」という結論は変わらない。普通に考える能力があるならば、中学生でもこんなに首尾一貫しない文章は書かないだろう。常識は、こういう文章を支離滅裂、矛盾撞着の屁理屈と言う。
 結局田口裁判長は、その場限りの理屈をこねてでも、とにかく寺嶋弘道被告を無罪放免にしたかった。そう受け取るほかはあるまい。

○寺嶋弘道被告の言い分を鵜呑みにした田口「判決文」
 では、田口紀子裁判長はどういう理由で、
同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」と判断したのであろうか。
 田口紀子裁判長は判断理由を次のように述べている。
《引用》

(8)原告は、平成18年10月31日付で、被告や文学館幹部職員に対し、「〈文学碑データベース作業サボタージュ問題〉についての説明及び北海道立文学館内における駐在道職員の高圧的な態度について」と題された文書(以下「意見書」という。)を送った。(甲17)
 意見書を受けて、文学館は、問題の解決を図り、業務を円滑に進めるため、執行体制の見直しを図り、被告は原告を監督する立場から離れ、また、原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、職務内容については、平原が直接原告の指揮を取るという事務の流れに変更された。(乙1、5、甲18
(4~5p)

 しかし、もし本当に文学館が「執行体制の見直しを図り、被告は原告を監督する立場を離れ」たのであるならば、これは大きな組織変更となったはずであり、それならば田口紀子裁判長が描いてきた「組織図」はどう変わったのか。当然そういう疑問が湧いてくるし、まず田口紀子裁判長自身がその問題に気がついて、新たな「組織図」を説明したはずである。だが、田口紀子裁判長は一言もその問題には言及していなかった。
 多分それは、寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」における次のような記述を鵜呑みにするだけだったからにほかならない。
《引用》
 
被告が原告からの10月31日付けのアピール文を受け取ったことは事実として認める。しかし、同文書は文学館の他の幹部職員にも送りつけられており、ただちに事実関係の調査と執行体制の見直しが図られることとなった。この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることになり、被告は原告との接触を控えるよう毛利館長から指示されていた(寺嶋弘道「準備書面(2)」10p)

 しかし、当館としては問題の解決を図り業務を円滑に進めるため、ただちに執行体制の見直しが図られることになりました。前述文書による原告の改善要求を受け、私は原告を監督する立場から離れ、また原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、業務内容については平原副館長が直接指揮を取るという事務の流れに変更されたのです。そして、この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることとなり、私は直接の接触を控えるよう毛利館長から指示を受けていました。
 ゆえに突然の文書抗議があった11月以降、業務の如何に関わらず私は原告との接触や一切の関与を断ちましたので、原告とはまったく話をすることもなく、日々が過ぎていきました
(寺嶋弘道「陳述書」8p)

○亀井志乃の反論を黙殺した田口「判決文」
 亀井志乃はアピール文を、寺嶋弘道学芸主幹にも財団の幹部職員にも直接手渡したのであって、「送りつけた」わけではない。そういう表現上の細かな嘘を含めて、田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告の言い分を丸呑みしてしまったわけだが、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)-2」で次のように反論した箇所は無視してしまった。
《引用》
 
私のアピール文が手渡されて、ただちに執行体制の見直しが図られ」と言っていますが、どういう人たちの間で、どのレベルの会議で執行体制の見直しが図られたのか、私自身は何の報告も聞いていません。ただ、平成18年11月10日、私が毛利館長及び平原副館長と話し合った結果合意された4点の「取り決め」(「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」甲18号証)を「見直し」の一環と考えるならば、この見直しは「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)への復帰であった。換言すれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)の廃棄だったことになります。つまりその時点で、被告が言う「事実上の上司」の架空性が露わになり、破産してしまったことを意味します。被告は上記引用文で「11月以降、業務の如何に関わらず私は原告との接触や一切の関与を断ちましたので、原告とはまったく話をすることもなく」と、信じられないほど情けないことを言っていますが、要するにこれは被告が自分の架空の立場を失い、その結果、私に対するどのような接触もできなくなってしまった事実を告白したことにほかなりません(32~33p)

 念のために補足すれば、亀井志乃が言う「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)は、平成18年4月1日の日付を持ち、これが平成18年度の正式な組織図であった。この組織図では、寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事とA学芸員の3人は、「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」として、財団の組織とは切り離された形で、点線(……)で囲んである。そして、この「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」と財団との関係は、「協働・連携」とされていた。この組織図は理事会で承認されており、正規な組織図であることは言うまでもない。
 
 それに対して、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)に基づいて、自分の「組織図」を描いたわけであるが、これは既に新年度の業務がスタートした平成18年4月18日の全体職員会議で配布されたものであり、何の説明もなかった。この組織図は手続き的にも、内容的にも何ら正当性がない。亀井志乃はそのことを指摘し、そのポイントは「北海道文学館のたくらみ(54)」や「判決とテロル(1)」で紹介しておいたが、改めてその組織図を紹介しておこう。
 この組織図は、副館長の下に「業務課」と「学芸班」とが独立・並立する形で並んでおり、この「学芸班」は「北海道教育庁文化・スポーツ課文学館グループ(道立文学館駐在)」によって構成されていた。そして、正規の「財団法人北海道文学館(事務局)組織図」(甲2号証)では業務課に属する財団職員の司書と研究員の2人が、この「学芸班」のほうに移されていたのである。
 
 少しややこしい印象を与えたかもしれないが、この
「財団法人北海道文学館(事務局)組織図(甲2号証)をざっと鉛筆でデッサンしてみた上で、田口紀子裁判長の「原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。」(判決文3p。太字は引用者)という組織図とを比べてみてもらいたい。田口紀子裁判長の組織図が如何に見当違いなものであったかが、よく分かるだろう。

○自分の間違いを隠蔽する田口紀子裁判長
 そんなわけで、亀井志乃の
「この見直しは『財団法人北海道文学館(事務局)組織図』(甲2号証)への復帰であった。換言すれば、『財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について』(乙2号証)の廃棄だったことになります。つまりその時点で、被告が言う「事実上の上司」の架空性が露わになり、破産してしまったことを意味します」という指摘は、二重の意味で、田口紀子裁判長には都合の悪いものだった。
 なぜなら、亀井志乃の指摘を認めるならば、寺嶋弘道被告の「自分が亀井志乃の事実上の上司だった」という主張が不正な組織図の上に成り立っていた事実を認めざるをえず、田口紀子裁判長自身の「寺嶋弘道被告は亀井志乃の上司だった」という判断もその根拠を失ってしまう。ばかりでなく、田口紀子裁判長の描く「組織図」は、この不正な組織図の誤読という二重の間違いに基づいていた事実が明らかになってしまうからである。
 田口紀子裁判長が亀井志乃の指摘を無視した理由はここにあったと言えるだろう。

○隔離されたのは寺嶋弘道学芸主幹
 さらに言えば、
原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し」という寺嶋弘道被告の言い分、それを受けた田口紀子裁判長の「原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し」という判断も決して正確ではない。
 先ほどの2種類の組織図を念頭に置いて、亀井志乃の次の文章を読んでもらいたい。
《引用》
 
学芸班は、席は一まとまりになっているものの、普段、その事によって緊密に相互連絡がはかられているわけではない。少なくとも、亀井が事務室にいる時間帯にはそのような様子は見えず、また亀井が閲覧室等に居る場合も、学芸班で話し合いがあるからとの連絡を受けたり、参加を促されたりしたこともない。(なお、週はじめの「朝の打ち合わせ会」は、学芸班の業務打ち合わせとは性格を異にする、事務室全体の連絡会である。)また、展示設営や資料発送等の具体的な作業がある場合は、亀井には、すべてS社会教育主事やA学芸員から依頼がなされていた。その連絡・依頼はたいてい事務室以外の場所でなされており、しかも、業務にはまったく何の支障もなかった。
 これらの事実を勘案するに、亀井が、学芸班の中に席をおかなければならない積極的な理由は何もない。それよりもむしろ、学芸の仕事に関与している者が皆〈学芸班〉という同じ場所に集められることで、道職員・財団職員・さらに財団の嘱託職員といったそれぞれの立場の違いが(おそらくは故意に)曖昧化されてしまった事。まさに、そこにこそ、今回問題となったパワー・ハラスメントの主要な一因があると考えられる。とすれば、互いの立場の違いをはっきりさせ、仕事の内容と責任範囲にけじめをつけて、再び道の主幹の嘱託職員に対する過干渉が起こることのないように対処するためにも、座席の位置は変えた方が妥当と思われる。亀井はあくまで座席変更を主張し、館長及び副館長も合意した。
平成18年11月14日付「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」2p)

 これは、田口紀子裁判長が先の判断を書いた際に、その証拠として上げた甲18号証の一節である。
 亀井志乃は毛利正彦館長と平原一良副館長との話し合いにおいて、「学芸班」という言葉を、取りあえず彼らが言う意味
(「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を前提とする)で使うことにしたが、彼女の意図は、〈この「学芸班」がパワー・ハラスメントの温床になっており、これを防ぐためには、組織関係を正規なものにもどす必要がある〉ということだった。そのことは一読して明らかだろう。
 毛利正彦館長も平原一良副館長もこの主張を正当なものと認めたからこそ、亀井志乃の座席の位置を財団の業務課のほうに移すことに同意したのである。
 
 ところが、寺嶋弘道被告はそういう経緯を無視して、
ただちに執行体制の見直しが図られることになりました。前述文書による原告の改善要求を受け、私は原告を監督する立場から離れ、また原告の執務席も学芸班から離れた場所に移し、」などと、あたかも財団のほうが積極的に「執行体制の見直し」を図り、亀井志乃の「執務席(何という大げさな言い方だろう!)を「学芸班」から離れた位置に隔離したような言い方をし、田口紀子裁判長もそれをマに受け(た振りをし)ていた。
 だが、実情はその反対であって、毛利館長や平原副館長のほうが話し合いの席上、亀井志乃の主張に服さざるをえなくなって、業務の進め方を2、3点、手直しをしたのであり、実態的には寺嶋弘道被告のほうが財団職員のO司書や亀井志乃研究員から隔離されたので
ある。
 
「この問題に対する原告への対応は毛利館長があたることになり、被告は原告との接触を控えるよう毛利館長から指示されていた(寺嶋弘道「準備書面(2)」10p)という証言が、図らずもその実情を告白してしまっていたと言えるだろう。
 
○「上司」でなくなれば、やったことまで帳消し?
 田口紀子裁判長は、自分の判断の証拠として、甲18号証(亀井志乃「11月10日に館長室にて行われた亀井志乃の質問状に対する意見交換とその結果決定された取り決めについて」)を挙げていた。そうであるならば、当然以上のような経緯を知ったはずである。だが、亀井志乃の側からの説明を無視し、寺嶋弘道被告の言い分に寄り添う形で、判決文を作文していた。
 しかし田口紀子さん、仮にあなたが言うように、「イーゴリ展」の時点では、既に寺嶋弘道学芸主幹は
「原告の上司としての立場から離れた状態になっていた」としても、それをもって寺嶋弘道学芸主幹の行為が亀井志乃の業務に重大な支障を与えた事実を帳消しにすることはできないし、被告に業務妨害の不法行為があったと認めることはできない」という判断の根拠とすることはできませんよ。

○あくまでも寺嶋弘道被告を庇い立てする田口紀子裁判長
 もっとも、田口紀子裁判長としては、次のように主張するかもしれない。〈いや、私は
「同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと」というフレーズに先立って、しかしながら、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること」とことわっている。この事実から、被告に業務妨害の不法行為があったと認定することはできない。」という結論を導いたのだ〉と。
 なるほど、もしそうならば、
同日には、既に、被告は原告の上司としての立場から離れた状態になっていたこと」というフレーズは不必要だったはずである。

 被告の寺嶋弘道にとっても、ここは何とか言い逃れをしたい急所だったのであろう、「準備書面(2)」で、しかし、同展(イーゴリ展)は、『イーゴリ・ジュギリョフ展実行委員会』が文学館の指定管理者である財団の使用許可を得て文学館の施設の一部を借りて実施したものであって、文学館の企画展ではないのである。財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」11p)と言い訳をしていた。
 
 あれ、寺嶋弘道さん、確かあなたは、
着任日には、被告は平原一良学芸副館長(当時)から平成18年度の事務事業について説明を受けており、『二組のデュオ展』を含め当該年度に計画されたいずれの事業をも着実に推進すべく指揮監督する立場に被告は着任したのである。(2p)と主張をしてましたよネ。ところが、「イーゴリ」展のことでは、急に無関係になってしまったんですか。そういう突っ込みは、この際、ほどほどにしておこう。
 
 ただ、「イーゴリ・ジュギリョフ展実行委員会」などというもっともらしい名前を名乗ってはいるが、要するに理事の工藤正広と副館長の平原一良のほか、2、3人が、それこそ「急きょ」ひねり出した実行委員会でしかなく、寺嶋弘道学芸主幹が一枚噛んでいなかった保証はない。少なくとも寺嶋弘道学芸主幹が実際に「イーゴリ展」の展示を手がけ、特別展示室の入口をコの字型に塞いでしまったり、配電盤の照明設定を変更し、その上から付箋を貼って、暗黙のうちに、照明設定の再変更もしくは復元を禁止する意志を知らせる行為を行ったりしたことは、紛れもない事実である。
 亀井志乃から隔離されてしまった元「上司」が思いつきそうな、陰険な嫌がらせと言えるだろう。ともあれ、あの杜撰な調査報告しかできなかった札幌法務局のO調査救済係長でさえ、寺嶋弘道学芸主幹が「イーゴリ展」の実行者であったことを認めている(「北海道文学館のたくらみ(25)」)。
 それらの点を踏まえて、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」で次のように反論した。
《引用》

「イーゴリ展」が実行された経緯については、本訴訟に直接関係することではなく、原告の関知するところではない。ただ、被告の手によって実行されたことは明らかな事実であり、原告にとって重要な意味を持つ。
 
また、被告は、財団は、イーゴリ氏及び同実行委員会から文学館において『イーゴリ展』を実施したい旨の相談を受け、協議の結果、平成18年12月中には、平成19年2月3日から同月8日までの間、同実行委員会に施設の一部を貸し出す旨内定し、職員にも周知している。」と言うが、極めて疑わしい。平成18年12月中には内定していたのであれば、「平成18年度 北海道文学館 2月行事予定」(甲21号証)に記載されたはずであるが、記載されていない。予定表はその月の職員の動きや館内の使用状況を皆に周知してもらうためのものであり、貸館だからといって表に加えないなどということはあり得ないのである(甲54号証・甲55号証参照)。しかも被告は、2月6日(火)の朝の打合せ会で、イーゴリ展をやることになりました……もう、やっております」と、職員に事後承諾を求めている。この事実は、原告の「準備書面」で指摘しておいた。被告が2月6日(火)に職員の事後承諾を求めたという事実は、被告自らが、前年の12月中旬から一度も職員に周知をはかったことがない事実を認めたことにほかならない(45p)

 この反論に対する寺嶋弘道被告の対応は、被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。(平成20年7月4日付「事務連絡書」)

 田口紀子裁判長はこれら双方の主張に目を通していたはずであるが、寺嶋弘道被告の行為事実は一切なかったことにし、イーゴリ展の開催は被告のみで決定できるものではなく、文学館の了承のもとに行われたものであること、」という、空とぼけた一言で、実際に行われたことを「ナシ」にしてしまおうとしたのである。

○田口紀子裁判長の実情無視
 それよりももっとあきれたのは、
イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められないことなどからすれば、被告に業務妨害の不法行為があったと認定することはできない。」太字は引用者)という箇所である。
「イーゴリ展」が撤去された翌日から、「デュオ展」の設営が終わる16日まで、亀井志乃に与えられた時間は7日間しかなかったわけだが、亀井志乃は2月の9日からすぐに「デュオ展」の設営準備に入れたわけではない。漸く設営準備にかかることができたのは12日(月)からであり、嘱託職員としての非出勤日と、毎週月曜日の休館日を除けば3日間しか余裕がない。彼女はそこまで日程的に追い詰められ、やむを得ず非出勤日を返上し、14日、15日、16日の3日間は午後10時近くまで残業することを強いられた。
 だが、田口紀子裁判長は、先に引用した亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)の原文から、以上の事情を述べた箇所を全部削ってしまった。おまけに、文学館には休館日も休日もないという前提で、単純に日数だけをカウントして、
イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められない」の一言で済ませてしまったのである。

○田口紀子裁判長の法的判断の回避
 田口紀子裁判長は以上のように実情を無視した判断を、自信をもって下したわけだが、この自信の根底には、寺嶋弘道被告の次のような主張があったからかもしれない。
《引用》
 
「イーゴリ展」は2月9日には撤収されており、「二組のデュオ展」の会場設営のためには7日間の期間があり、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行い、会場設営には通常長くても5日間程度しか要しないことから、決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった(「準備書面(2)」11p)

 だが、この主張は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」によって、あっさりと覆されてしまった。
《引用》
 
また、被告は「『イーゴリ展』は2月9日には撤収されており〔中略〕決して原告に過剰な負担を強いるものではなかった。」と言うが、全く実情に合わない。被告によれば、他の企画展では事前準備を会場以外の場所で行う」ことになっているが、これは文学館の展示業務を知っている者の言葉とは思えない。ただ、強いて被告の側に立って考えてみれば、被告が平成18年度に着任して担当した企画展「写・文 交響~写真家・綿引幸造の世界から~」の場合、作品はすでに綿引幸造氏のアトリエでフレームに入った状態にまで出来上がっていた。彼が担当したもう一つの企画展「〈デルス・ウザーラ〉絵物語展」も、北海道北方博物館交流協会という財団法人が主催し、何を展示するか等については予め決まっていた。要するに被告はすでに出来上がった作品を搬入し、展示室に配列しただけであって、それならば5日程度の作業で間に合っただろう。(被告は更にもう一つ、企画展「聖と性、そして生~栗田和久・写真コレクションから~」(甲55号証参照)を担当することになっており、これも写真を借りてくるだけの作業だったが、被告が中止してしまった)。
 しかし、「二組のデュオ展」のようにさまざまなところから展示資料や作品を借り、オリジナルな構想に従って配置を決め、説明のパネルを用意する展示の場合は、準備は文学館内で行い、2週間近い準備期間を予定する。被告が言うような
「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」などということはあり得ないのである。また、仮に原告が2月10日(土)から設営作業に入ったとしても、実際に作業ができるのは、僅かに2月10日(土)、14日(水)、16日(金)の3日間だけであった。なぜなら、嘱託職員の原告の勤務日は週に火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の4日間だけであり、2月11日(日)は非勤務日、12日(月)は建国記念日で原告は休日、13日(火)は12日の振替休日による休館、15日(木)は非勤務日だったからである(甲56号証参照。なお、17日は「二組のデュオ展」のオープニング)。被告は「会場設営には通常長くても5日間程度しか要しない」と非常識なことを主張しているが、仮にこの非常識な言い分を前提にしてさえも、原告に与えられた日数は5日間より2日少ない、3日間でしかなかった。この一事をもってしてだけでも、被告の原告の展示業務に対する妨害意図は明らかであろう(45~46p。〔中略〕は亀井秀雄)

 つまり、寺嶋弘道被告が平成18年度に担当した展示は貸館または貸館レベルのものでしかなく、しかもその1つをキャンセルしてしまった。その作業と、亀井志乃が担当した「デュオ展」のように書簡、原稿、初版本、初出雑誌、絵画、写真などで立体的に構成し、多量の説明パネルを必要とする展示とでは、作業の質量が全く異なる。田口紀子裁判長は当然これらの応酬を目にしていたはずである。だが、全く無視してしまった。それはなぜか。
 亀井志乃がこの非出勤日の返上と残業の問題に関して、その違法性を次のように指摘していたからである(3月5日付「準備書面」)。
《引用》

ロ、被告は、原告が19年1月31日から特別展示室の展示準備に入る予定だったことを知っていたにもかかわらず、その直前に、イーゴリ展のために特別準備室の入口を塞ぎ、原告が準備作業に入れないようにした。
これは原告の準備を大幅に遅らせて、企画展の開催日(2月17日)に間に合わないかもしれないという危機的な状況に追い詰めた点で、「刑法」第234条に該当する、極めて悪質な業務妨害の違法行為である。
ハ、原告は被告によって準備を遅延させられたため、2月11日以後、毎夜、午後10過ぎまで文学館に残って準備作業を行い、14日と15日は札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた。その結果、労災に入っていない嘱託職員の原告は、契約勤務時間外の災害については何の保証もない状態で、過重な契約時間外労働とそれに伴う出費を5日間にわたって強いられた。これは原告が被告の妨害によって「労働基準法」第32条に反する長時間労働を余儀なくされ、また、財団側がその事実に関しては、「労働安全衛生法」第71条の2項に反して何の配慮もしなかったことを意味する。そういう結果をもたらし、原告に不当な過重負担を強いたのは、被告が原告に対して行った「刑法」第234条に該当する悪質な業務妨害である
(31~32P。太字は引用者)

 田口紀子裁判長は、裁判官の責任において、この指摘の是非に関する法的な判断を下すべきであった。亀井志乃の訴えが「刑法」になじまないというのであるならば、それを説明すれば、亀井志乃も納得するところがあっただろう。だが田口紀子裁判長は、「判決文」の中で、上記の指摘については一言半句言及せず、無視してしまった。イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、デュオ展の準備ができないという期間であったとまでは認められない」などと、実情に合わないことは自信たっぷりに語っておきながら、これらの法的な判断からは逃げてしまったのである。

○労働基準法違反の黙認
 この件に関しては、さらに寺嶋弘道被告は見苦しい言い訳を重ねていた。だが、亀井志乃の反論(「準備書面(Ⅱ)―1」)の中に過不足なく引用されているので、亀井志乃の文章のみを紹介する。
《引用》
 
原告は嘱託職員であり、労災に入っていない。それ故財団は、原告に契約時間外の勤務を強いないように配慮する義務があり、被告もすでに平成18年5月10日の時点で原告の勤務条件を理解したはずだった。それにもかかわらず被告は、原告が契約時間外の超過勤務や札幌での宿泊を余儀なくされたことについて、次のように主張している。原告は「二組のデュオ展」に係る会場設営の期間が短くなったため、時間外勤務を強いられ、さらに札幌市内のホテルに宿泊した旨主張している。しかし、原告から被告や財団に対して、時間外勤務の申し出やホテルに宿泊し出費がかさむ旨の申し出は、この時点はもちろん、これまで一切出されていない。したがって、被告や財団が原告に対し時間外勤務を命令した事実はないし、また、札幌市内のホテルに宿泊することを命じたり承認したりした事実はない。」要するに被告は、労働基準法に違反する勤務を原告に強いる状況を作っておきながら、原告が自分の判断で非出勤日を返上し、午後10近くまで作業を行い、ホテルに泊まったのであるから、被告に責任はないと開き直ったのである。これは、一人の労働者を過酷な勤務条件の中に追い詰めながら、その労働者が自殺しても、あれは自分から死んだので、こちらに責任はないと言い張るのと同じ論法である。この被告の主張は、被告が犯した労働基準法違反や人権侵害を平然と肯定した発言として銘記されるべきであろう
 続けて被告は、原告の住む岩見沢市と道立文学館の距離や、JRのダイヤに言及し、
平成18年度1年間で約22万5千円もの通勤手当を支給していた。」と恩着せがましい言い方をしているが、これは被告の原告に対する業務妨害や労働基準法違反の問題の本質とは関係ない。
 さらに被告は、次のように結んでいるが、これは被告の本音が見え隠れしている表現と言えるだろう。
したがって、原告は、被告の妨害により『午後10時過ぎまで文学館に残って準備作業を行い』、そのため『札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた』と主張しているが、その原因を『午後10時過ぎまでの時間外勤務』だけに帰するのは不当である。」たしかに原告は、札幌市内のホテルに泊まることを余儀なくされた原因を、午後10時過ぎまでの勤務時間外」だけに求めたわけではない。被告も「被告の妨害により」と書きこんでいたように、そもそも原告が午後10時近くまで残業をし、ホテルに2泊せざるをえなかった根本の「原因」を作ったのは、被告の妨害」だったのである。それに加えて、2月中旬は最も天候が悪く、吹雪などによりJRのダイヤが混乱し、しばしば列車の運休事故が発生する。しかも平成19年の2月14、15、16日は低気圧が連続して通過し(甲58号証の2)、各地で吹雪や突風による被害が起こっていた(甲58号証の1・3)。それ故原告は、ダイヤの混乱によって作業が滞ることを恐れて、札幌市内のホテルに泊まったのである(47~48p。太字は引用者)

 この応酬もまた田口紀子裁判長は目にしていたはずである。だが、労働基準法違反や職場環境配慮義務の問題など全くなかったかの如く、黙殺してしまった。
 
○田口紀子裁判長の結果主義
 この田口紀子という裁判官は、たぶん結果主義の論理が得意なのだろう。
 平成18年9月26日、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃主担当の企画展についていた予算をむしり取ろうと支離滅裂な難癖をつけたことは、前々回に紹介したが、田口紀子裁判長はその部分を切り捨てて、
しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いが終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。(20P)と済ませてしまった。要するに、〈結果的には川崎業務課長の取りなしでその場が収まったのだから、問題はなかったんじゃないですか〉というわけである。
 しかし、亀井志乃はその後も寺嶋弘道学芸主幹の干渉を受け、割り当てられた予算の半分程度で企画展を実施しなければならなかった。亀井志乃はそのことも3月5日付「準備書面」その他で指摘しているのだが、これもまた田口紀子裁判長は無視してしまったのである。

 このような論法を他の時にも使っており、田口紀子裁判官が寺嶋弘道被告に代わって開き直ってやったに等しい、唖然とするような屁理屈であったが、その紹介は次回以降に譲る。ともあれこの「二組のデュオ」展の設営に関しても、〈要するに間に合ったのだから、被害なんてなかったことになるんじゃないですか〉という理屈だったのであろう。
 
○裁判官における想像力の問題
 ここで私に、一つの根本的な疑問が湧いてくる。それは、裁判官と想像力の関係に関する疑問である。想像力は裁判官には不要なのだろうか。
 亀井志乃が企画展の設営準備に従事することができるのは実質的には3日間しかなかった。そのため、もし2月17日のオープンに間に合わなかったならば、亀井志乃の立場はどうなったか。
 そういう場合を想像することなど、田口紀子裁判長には思いもよらぬことだったのかもしれない。
 
 亀井志乃は平成18年12月6日、毛利正彦館長(当時)から、来年度の雇用の打ち切りを宣告された。亀井志乃は、財団がその方針を決める手続きに問題があることや、新規採用の募集要項が法律に違反している事実を指摘して、抗議を行ったが、財団は誠意をもって対応することをしない。言を左右しながら時間を稼ぎ、その間に、亀井志乃の次年度の解雇を既定方針化してしまった。
 寺嶋弘道学芸主幹は、亀井志乃がそういう立場に追い詰められたことを十分に承知した上で、さらに亀井志乃に追い打ちをかける形で、亀井志乃の設営準備が日程的に不可能な状況を作ってしまったのである。
 そういう状況の中で、もし亀井志乃が企画展の設営を2月17日のオープンに間に合わせることができなかったならば、寺嶋弘道学芸主幹も、毛利正彦館長や平原一良副館長も、「それみたことか」と亀井志乃の無能をあげつらい、亀井志乃を解雇する方針に間違いはなかったと、自己正当化の口実に使うだろう。
 亀井志乃にはそういう事態が十分に予想できた。だからこそ、どんな無理をしてでも16日一杯で設営準備を完了しようと頑張ったわけで、事実17日のオープンに間に合わせたからこそ、彼女は業務妨害や労働基準法違反や職場環境配慮義務の問題で訴訟を起こすことができたのである。
 もし亀井志乃が企画展の設営を2月17日のオープンに間に合わせることができなかったならば、彼女がそれらの問題で訴訟を起こそうとしても、果たして裁判所が受理してくれたかどうか。所詮は自分の失敗を他人の所為(せい)にしているだけの、被害妄想の訴えとしか受け取らなかったにちがいない。また、仮に裁判所がその訴えを受理したとしても、寺嶋弘道被告や太田三夫弁護士は、ここを先途と亀井志乃の無能と被害妄想を責め立てる策戦に出て、裁判を有利に運ぶことができただろう。
 だが、彼らはそうすることが出来ず、亀井志乃の証拠と論理に追い詰められ、見苦しい言い訳に終始していた。亀井志乃が自分の誇りを賭けて17日のオープンに間に合わせ、その間の経緯を証拠と論理に基づいて明らかにしたからである。言葉を換えれば、相手に無能と被害妄想の口実を与えないだけの結果を出した、その実績と自信をもって、人格権侵害の訴えに踏み切ったからである。
 
 だが田口紀子裁判長は、亀井志乃が直面したあの危機的な状況と、それを乗り越えてきた誇りを想像することができなかったらしい。あるいは想像する必要を認めなかったらしい。

○田口紀子裁判長による労働基準法無視と業務妨害の間接的幇助
 寺嶋弘道被告は、
二組のデュオ展」の会場設営のためには7日間の期間があり、」と主張した。この「7日間」という日数は、文学館の休館日や建国記念日(2月12日)を抜き去った数ではない。それらを含めての数である。つまり亀井志乃が休館日や国民的休日にも出勤して準備に当たることを前提としていたわけで、この一事をもってしても、寺嶋弘道被告の労働基準法無視と、業務妨害意図は明らかであろう。
 ところが田口紀子裁判長はその点に目を向けず、むしろ寺嶋弘道被告の日数計算を水増しする形で、
イーゴリ展終了から、デュオ展開催までには、9日間あり、」と被告の言い分を援助してやっているのである。問題は、亀井志乃に残された展示設営の日数であり、寺嶋弘道被告は休館日や休日まで含めて7日と計算したわけだが、田口紀子裁判長はわざわざ「イーゴリ展」の撤収に要した日と、「デュオ展」オープンの日まで数えて、デュオ展開催までには、9日間あり」と、いかにも亀井志乃には十分な時間が与えられていたかのように印象づける。そういう表現の操作を行っていた。
 ここには、亀井志乃が直面した危機的状況や、もしその状況を乗り越えられなかったらどんな結果が待っていたかに関する想像力は、かけらも見られない。
 
 田口紀子裁判長のこのような書き方は、意図的に表現の操作を通して行った、寺嶋弘道被告の労働基準法無視と業務妨害に対する間接的幇助と言うべきであろう。

○裁判員制度への警告
 近く日本では裁判員制度が始まる。私の考えでは、出来るだけ裁判員になることはお断りをしたほうがいい。裁判員制度が行われるのは主に刑事事件であって、民事事件ではないらしいが、裁判官の中には以上のように微妙な表現上の作為によって、巧妙に印象操作を行う裁判官もいる。うっかりすると、気がつかないうちに印象操作に巻き込まれ、必ずしも妥当とはいえない判決を下してしまうかもしれない。
 知らないうちに、間違った判決の共犯者なっていた。そんな場合もありえるだろう。用心をするに越したことはない。

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判決とテロル(4)

嫌がらせは業務の範囲――田口「判決文」の意味するもの―

○権力としての判決文
 裁判所の判決は規範化される。田口紀子裁判長は、もちろんこのことを百も承知していたはずである。
 今回の民事訴訟事件で田口紀子裁判長が下した判決文には、例えば次のような箇所があった。
《引用》

(ニ)原告は、平成18年10月6日及び同月7日、被告が、原告の明治大学図書館との交渉に容喙して、相手側の求めていない「職員派遣願」の作成を原告に強制し、また、原告に「開催要項」まで作らせて「職員派遣願」に添付させて、原告の業務に干渉し、業務妨害した旨、また、原告に不正な書き方を強制して、不正行為への加担を強要した旨、被告が、無知な人間に「教えてやる」かのごとき言葉で、原告を拘束して書類の書き直しを強制し、原告の能力を貶め、無知な人間扱いをして名誉を傷つけた旨、被告は、原告の退勤時間が過ぎたにもかかわらず、原告と財団との間に結ばれた契約を無視して原告を拘束した旨主張する。しかしながら、被告の言動は、業務の範囲内の事柄であると認められ、仮に、明治大学図書館における求めが、「紹介状」であり、「職員派遣願」作成が、無駄な作業であったとしても、原告の職務への干渉、業務妨害とまで認めることはできない。また、被告の言動が、原告に不快感をもたらすものであったとしても、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできないし、故意に原告を侮辱し、原告の名誉感情を毀損したとまで認めることはできない。被告の言動は退勤時間の直前に行われており、その結果原告の勤務時間が約30分超過することになったことが認められ、被告は、原告の勤務時間が超過する結果になることへの配慮に欠けていたと解されるところではあるが、原告が、帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできないし、話し合いの内容は職務に関するものであったと認められることからすれば、被告の同日の言動が、不法行為を構成する違法なものであったとまで認めることはできない(20~21P。下線、太字は引用者)

 この判決が、亀井志乃の訴えのどの事例に下されたものか、その判断の中にはどんな問題が含まれているかは、後に問題にしたい。
 ただ、取りあえず、この判決自体に関していえば、これはただ単に寺嶋弘道被告の言動に関して
「被告の同日の言動が、不法行為を構成する違法なものであったとまで認めることはできない」と判断を下し、許容しただけではない。日本の司法官僚機構によって保証された判例として、類似の事例に関しても適用される。平成18年10月6日から7日にかけて、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃研究員に対して取ったと同様な言動が、不法行為を構成する違法なものであったとまで認めることはできない」と許容されることになるのである。
 このように規範化される判例は、当然のことながら、その引用に際しては一言一句も改変してはならない。その意味で裁判官の判決文は司法官僚機構によって保護されているわけだが、このことと、規範としての機能とを併せて捉えてみればどうなるか。直ちに分かるように、裁判官の判決文は権力なのである。

 ここに判決文という言説の特殊な性格がある。
 
 簡単に言えば、先のような文章を太田三夫弁護士が書いたとしても、類似な民事訴訟を扱う裁判官の判断を拘束することはない。――大変に明晰な論理に貫かれた名論として影響を受ける裁判官も存在するかもしれないが、判例として重んずる義務を負うわけではない。――だが、先の文章は田口紀子裁判官の判決文であり、一たんこのような判決が下された以上、もちろん類似な民事訴訟事件を扱う裁判官はこれを無視することができない。判断の参照枠として重んじなければならないのである。

○田口紀子裁判長のさりげない印象操作
 では、先ほど引用した判決文は、亀井志乃のどのような訴えに対して下されたものだったのか。このブログをずっと読んで下さった人は既にお分かりのように、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃研究員に、「職員派遣願」という不必要な文書の作成を強制した事件に関するものであった(「最終準備書面」100~101p。「北海道文学館のたくらみ(57)」)。
 
 その意味では、くどい印象を抱く人もいることとは思うが、田口紀子裁判官がどのような手口によって権力化された言説を作り出したか。そのプロセスを確認するために、今回は亀井志乃が平成18年10月6日と7日の出来事を「準備書面」(平成20年3月5日付)に描いた、その全文を紹介することにしたい。
《引用》

(a)被害の事実(甲9号証を参照のこと)
 原告は企画展の準備のため、明治大学の図書館に資料閲覧の諾否を問い合わせた。同図書館は快く応じ、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい」という返事だった(甲35号証)。ただしこの用件での出張の可否は、(9)の項で述べた時のことがあって以来棚上げになっていた。

 
しかし10月6日(金曜日)、原告が出勤すると、出張の書類はN業務主査が整えて、被告の許可をもらっておいてくれた。原告はN主査に礼を言い、明治大学へ持参する紹介状について、事務室で二人で相談した。すると、少し離れた自席に座っていた被告が、「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる」と言った。被告は原告に対して、一方的に「それでいいね?」と言い、「書類、出来上がったら私に見せて」と言った
 
原告は北海道大学大学院文学研究科で博士の学位を取ったのち、文学部言語情報学講座の助手を勤めただけでなく、文学部図書室の非常勤職員だったこともあり、大学図書館が言うところの〈閲覧希望者が持参する紹介状〉の書式には通じていた。普通は、簡潔に用件と、持参した者が確かに紹介状を発行した組織に属するという意味の文言と、所属長の判があれば十分である。それゆえ原告は、被告がなぜ〈紹介状〉とは別の書類を作らなければならないと言い出したのか、内心疑問に思った。
 
しかし原告は、その時は敢えて反論せず、被告が言う「職員派遣願」を作成することにして、文学館のサーバーに残されていた事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)(甲10号証の3)を参考にした。起案に必要な「決定書」の書式はA学芸員が見せてくれた。また、下書きの段階でN業務主任と川崎業務課長に目を通してもらった(甲10号証の4)。業務課長は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。原告は更にN主査の添削を受け(甲10号証の5)、6日の退勤間際に書類が出来たので、被告に直接渡して帰った(20~21p。下線、太字は引用者)

 これが10月6日の出来事である。それを田口紀子裁判長は次のようにリライトしている。
《引用》

(10)原告は、企画展の準備のため、明治大学の図書館に資料閲覧の諾否を問い合わせたところ、同図書館から、「お出でになる時、できれば現在の仕事先の紹介状をお持ち下さい。」という返事があったことから、平成18年10月6日、N主査と明治大学へ持参する紹介状について、事務室で相談していたところ、被告が、「それは、こちらから職員の派遣願を出すことになる。」と言い、「書類、出来上がったら私に見せて。」等と指示した。原告は、被告の指示に従い、「職員派遣願」を作成することとし、文学館のサーバーに残されていた事業課主査(当時)の、小樽文学館に対する職員派遣依頼書類(平成12年11月16日付)を参考にし、起案に必要な「決定書」の書式をA学芸員に見せてもらい、また、下書きの段階でN業務主任と川崎に目を通してもらった。川崎は「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言ったことから、原告は更にN主査の添削を受け、平成18年10月6日の退勤間際に職員派遣願ができたので、被告に直接渡して退勤した(11p。同上)

 一見したところ、大きな違いはないようにみえる。
 ただ、田口紀子裁判長は、「判決とテロル(1)」以来、繰り返し指摘してきたように、
原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。(判決文3p)と、虚構の組織を作り上げ、〈寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃研究員は同一組織内の上司と部下の関係にあった〉と勝手に決め込んでいた。
 太字の箇所を読み比べれば分かるように、田口紀子裁判長はこの虚構に基づいて、あるいはこの虚構を裏づけるために、亀井志乃が「被告が言った」「被告が言う」と書いたところを、さりげなく、しかし極めて意図的に「被告が指示した」「原告は、被告の指示に従い」と書き換えてしまった。亀井志乃の「準備書面」を読まず、この判決文だけを読む人は、寺嶋弘道被告が「指示する」立場にあったと思いこんでしまうだろう。
 
 では、なぜ私は、田口紀子裁判長のこの書き換えを、「極めて意図的に」と評したのか。後にもう一度引用するが、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」の中で、
自分が)職員派遣による協力要請文書の作成を指示した」という言い方をしていた。つまり田口紀子裁判長は、亀井志乃の文章をリライトするに当たって、寺嶋弘道被告の言葉で書き換えたのである。
 しかも田口紀子裁判長は、亀井志乃の原文における下線の箇所を省いてしまったわけだが、それはこの操作を隠すためであったと見ることができよう。

○田口紀子裁判長の露骨な被告庇い
 しかし、10月7日の出来事に関しては、田口紀子裁判長の作為はもっと露骨だった。
《引用》
 
翌日の10月7日(土曜日)は被告の休みの日であった。被告は、原告の書類を手直ししたものを、原告の机上に戻していなかった。被告の机の上にもなかった
 ところが、原告の退勤間際の4時50分頃、被告が突然事務室に現れた。そして原告を、「教えてあげるから、ちょっとおいで」と自席に呼びつけた被告は原告の目の前で、書類(甲10号証の1)に鉛筆で書きなぐるように手を加えながら、その都度教え込むような口調で、「開催要項をつけなければならない」、「展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」と注文をつけ、その間、原告に対して「観覧料は分かる?」と質問し、原告が「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、それは要らないな」と目の前で〈観覧料〉という文字を消してみせるなど、原告を嬲(なぶ)るような言い方を繰り返した。そして、レイアウトや標題を訂正するのみならず、「申し上げる次第です」を「申し上げます」、「伺う日時」を「調査日時」とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を行い、それを原告に返して、書き直しを求めた。
 結局全面的な手直しとなったので、原告が被告に「では、休み明けの提出でいいですか?」と聞いたところ、被告は「いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし」と言った。原告は驚き、「なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです」と言ったが、被告は「送るんだよ!これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ!」などと原告を怒鳴りつけた
 原告は「先方が求めたのは〈紹介状〉であり、自分が持参しなければ〈本人確認〉の意味をなさない」という意味の説明をしたが、被告は耳を貸そうとせず、原告が事前に郵送することを承諾するまで、原告を帰さなかった原告が被告から解放されたのは午後5時半過ぎだった
(平成20年3月5日付「準備書面」20~22p。同上)

 これが亀井志乃の原文であるが、田口紀子裁判長のリライトは次のように作為的だった。
《引用》
 
翌7日は被告の休みの日であったが、被告は、原告の退勤間際の4時50分頃、事務室に現れ、原告に対して、「教えてあげるから、ちょっとおいで」と自席に呼び、甲10号証の1のとおり、鉛筆で加除訂正し、「開催要項をつけなければならない」、「展覧会概要として会期、会場、主催者、観覧料等を知らせなければならない」と指摘し、その間、原告に対して「観覧料は分かる。」と質問し、原告が「はい、分かっています。」と答えると、「じゃあ、それは要らないな。」と目の前で「観覧料」という文字を消してみせるなどの訂正を繰り返し、さらに「申し上げる次第です。」を「申し上げます。」、「伺う日時」を「調査日時」とするなど、約17箇所にもわたる細かい修正を行い、それを原告に返して、書き直しを求めた。原告が、「休み明けの提出でいいですか。」と聞いたところ、被告は「いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし。」と言った。原告は、同書類は送るのではなく、持参するつもりであったことから、「なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです。」と言ったが、被告は「送るんだよ。これは公文書なんだから。先に、相手側に送っておくんだよ。」などと答えた同日、原告と被告の話が終了し、退勤したのは、午後5時半過ぎだった。(甲9,10の1ないし5、33,原告本人、被告本人(11~12p。同上)
 
 田口紀子裁判長は、亀井志乃の
「被告は原告の目の前で、書類(甲10号証の1)に鉛筆で書きなぐるように手を加えながら、その都度教え込むような口調で」という表現を、鉛筆で加除訂正し」と簡略化し、亀井志乃の「原告は『先方が求めたのは〈紹介状〉であり、自分が持参しなければ〈本人確認〉の意味をなさない』という意味の説明をしたが、被告は耳を貸そうとせず、原告が事前に郵送することを承諾するまで、原告を帰さなかった。」を削ってしまった。
 亀井志乃が、「無駄な書類作成の強制」、「書類の作成も満足に出来ない無知な人間としての扱い(名誉毀損)」、「時間契約で働く嘱託職員に対する勤務時間外の拘束」などを訴えた、まさにそのポイントを、田口紀子裁判長は削ってしまったのである。
 
 そのことを確認した上で、初めに引用した田口紀子裁判長の「判決文」を読み直してもらいたい。
 この時の寺嶋弘道学芸主幹の言動は「業務の範囲内」のことと言えるであろうか。その日は休んでいた寺嶋弘道学芸主幹が、亀井志乃の退勤間際に突然顔を出し、亀井志乃を足止めして、亀井志乃が前日に渡しておいた書類になぐり書きを加えた行為。及び、寺嶋弘道学生主幹が亀井志乃に言った言葉や、亀井志乃に強制したことなど。果たしてそれらを「話し合い」と呼び、その内容を「職務に関するもの」と見なすことができるであろうか。
 もし出来るとすれば、それは完全に寺嶋弘道被告の側に立ち、理も否もなく寺嶋弘道被告を庇おうとする人間以外にはいないであろう。

○田口紀子裁判長の歪曲
 田口紀子裁判長の判決はそういう特徴を持つのであるが、おまけに田口紀子裁判長は亀井志乃が主張しないことまで加えていた。それは、
原告に不正な書き方を強制して、不正行為への加担を強要した旨……主張する」という箇所である。田口紀子裁判長のリライトだけを読んで、「なるほどそんなものかな」と思った人も、この箇所が何を問題にしているか、さっぱり分からなかっただろう。
 そもそも亀井志乃は
「原告に不正な書き方を強制して、不正行為への加担を強要した」なんて言い方はしていない。では、具体的にはどういうことだったのか。
 亀井志乃は上記引用の出来事に関して、被告の行為の「違法性」として次のことを指摘した。
《引用》

ハ、被告が原告に強いた書類の書き方は、駐在の道職員である被告の位置を「合議」の欄から「主管」の欄に変えさせるものであった。
 これは被告が北海道教育委員会の公務員であると同時に民間の財団法人北海道文学館の職員を兼任しているかのごとく印象づける不正な行為である。被告は原告に不正な書き方を強制することによって、財団の公文書の中で自分が財団の職員として記載されている事実を作り、財団の管理職であることの既成事実化を図った。これは「地方公務員法」第38条に違反する行為であり、この不正行為への加担を原告に強要した点で、二重に違法行為である
(23p)

 分かるように、「財団法人 北海道文学館」のネームが入った財団の文書の記載に関して、寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃に、「合議」欄に位置づけられた自分の名前を、「主管」欄に記入させた。それだけでなく、「主管」欄に位置づけられた川崎教務課長を、「合議」欄に移させた。そのことを指して、亀井志乃は「被告が北海道教育委員会の公務員であると同時に民間の財団法人北海道文学館の職員を兼任しているかのごとく印象づける不正な行為」と言い、財団の管理職であることの既成事実化を図った」と指摘したのである。

 寺嶋弘道被告にとって、これは痛いところを衝かれる指摘だったらしい。彼の「準備書面(2)」で、また、本件の決定書の作成における『合議』を『主管』に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案責任者として起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている。これは駐在職員と指定管理者職員との連携と協働を書式化したものであり、これを不正行為だとする原告は、いまだにそのことを理解していない証である。(8p)と反論してきた。
 だが、寺嶋弘道被告が言うような文書作成の取り決めはなされていなかった。もし本当になされていたならば、亀井志乃が過年度の職員派遣願書類を参考にして素案を書き、川崎業務課長やN業務主任に回覧し、N業務主査に添削してもらった段階で、チェックが入ったはずだからである(N業務主任とN業務主査は別人物)。

 亀井志乃はその点を踏まえ、「準備書面(Ⅱ)―1」の中で次のように再反論をした。
《引用》
 
また、被告は「本件の決定書の作成における『合議』を『主管』に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案者として、起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている。」と言うが、もし被告が言う「学芸班」が「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)における「学芸班」を意味するものであるならば、そのような組織は根拠を持たない、架空なものでしかない。なぜなら「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」なる文書自体が何ら合理性も正当性を持たないからであり、そのことは「(イ―3)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」についての疑問点」で明らかにしておいた。被告自身による「学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告」という自己規定も根拠が曖昧なことは、「(ロ)文意の混乱及び曖昧さの指摘」で明らかにしておいた。被告は自己の行為を正当化するために、財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領」なるものを持ち出しているが、そのような「要領」を明記した「合意書」を被告は証拠物として提出していない。すなわち証拠によって裏づけられていない。
 ところが先の「職員の派遣願い」について、被告が原告に書き換えを強いた箇所を見ると、
業務課学芸班研究員 亀井志乃」「当館学芸班研究員 亀井志乃」に直させ業務課)」「(学芸班)」に直させている。それほど被告は、架空の「学芸班」に執着していたのである。
 また、被告は、
これらの指導にあたって、被告は原告の業務を妨害しようとする意図はなく、また原告の名誉や人格権を侵害する行為は一切行っていない。」と言うが、「職員の派遣願い」という不必要な文書だけでなく、それに添付する「開催要項」の作成までも強いること自体がすでに業務妨害なのである。また原告が作成し、業務課の目を通して問題ないとされた文書について、高圧的、嘲笑的な言辞をもって書き直しを強いることは原告の名誉や人格権を侵害する行為以外の何物でもない(34~35p。太字は原文のママ)

 亀井志乃のこの再反論に対する、寺嶋弘道の対応は、被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということであった。

 田口紀子裁判長は当然のことながら、以上のような双方の主張と、亀井志乃が提出した証拠物を見ていたはずである。しかし田口紀子裁判長は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」の主張を無視し、平成20年3月5日付「準備書面」の文言を歪曲して、あたかも亀井志乃が「原告は……被告が……原告に不正な書き方を強制して、不正行為への加担を強要した旨……主張する。」と訳の分からない主張をしたかのようにすり替えてしまった。
 もし亀井志乃の主張を正当に取り上げるならば、寺嶋弘道被告の公務員としての分限の問題に踏み込まざるをえない。田口紀子裁判長はそれを避けたのであろう。

 ともあれ、以上のようなすり替えも、田口紀子裁判長によって意図的になされた、亀井志乃に関する印象操作と見ることができよう。

○田口紀子裁判長の組織図のパラドックス
 だが、それはそれとして、亀井志乃が甲10号証によって証明したように、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃に、「合議」欄に位置づけられた自分の名前を、「主管」欄に記入させ、逆に「主管」欄に位置づけられた川崎教務課長を、「合議」欄に記入させた事実、および
「業務課学芸班研究員 亀井志乃」「当館学芸班研究員 亀井志乃」に直させ「(業務課)」「(学芸班)」に直させた事実を思い出してもらいたい。
 また、それについて、寺嶋弘道被告が、
本件の決定書の作成における『合議』を『主管』に修整した点については、学芸業務を主管する学芸班の統括者である被告を起案者として、起案文書を回付するよう財団との間で年度当初に協議した事務処理の要領に基づくものであり、年度内のすべての起案文書が同様の体裁となっている。」と主張した事実も思い出してもらいたい。

 そしてこのことと、田口紀子裁判長の「原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された(判決文3p)という組織図とを比べてみてもらいたい。

 比べて分かるように、寺嶋弘道被告自身は、自分がその「統括者」であったと主張する「学芸業務を主管する学芸班」を、財団の業務課に属する組織とは考えていなかった。むしろ財団の業務課から独立し、業務課を「合議」者の位置に置こうとしていたのである。
 その意味で、田口紀子裁判長は被告の寺嶋弘道さえも主張していなかった組織を描いてていたことになる。つまり田口紀子裁判長苦心の組織図は、寺嶋弘道被告からも否定されてしまっていたのである。
 もちろん原告の亀井志乃も田口紀子裁判長の描いたような組織を主張したことはない。もともと寺嶋弘道被告の主張には何ら合理的な根拠はないのであるが、その寺嶋弘道被告自身も田口紀子裁判長が描いたような組織図を主張してはいなかった。田口紀子裁判長が拠り所としているらしい「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」にも、田口紀子裁判長が描いたような組織図は見られない。
 田口紀子裁判長はあの組織図をどこから引き出してきたのだろうか。

○「あなた」の立場で
 ただし今回の目的は、田口紀子裁判長のあざとい作為を指摘することだけにあったわけではない。田口紀子裁判長の判決が規範化された言説としてどのような影響をもたらすかを検討することでもあった。それを進める上で、いま仮に「あなた」の経験を描いてみよう。

(1) あなたはA会社と契約した非正規職員であり、自分が中心になって進めることになった展覧会のために、B社が保存する資料を見せて貰いたいと連絡を取ったところ、B社は快諾し、「では、あなたの職場の長の紹介状を持参して下さい」と言った。
(2) あなたはA社の業務課の職員のNに「紹介状」の作成を依頼した。
(3) あなたとは別な仕事を担当しているTがそれを耳にして、「それは、こちらから職員派遣願を出すことになる」と口を挟み、「書類、出来上がったら私に見せて」と言った。
(4) TはA社のスポンサーに当たる会社から、この春に出向してきたばかりの、年長の男性職員だった。Tは出向して間もなく、あなたに任された仕事を無断で横取りし、大幅に予算を超過する失態をしでかしていた。
(5) あなたは何故「職員派遣願」なのか、少しいぶかしく思ったが、あえて反対することもないと考え、「職員派遣願」を作ることにした。
(6) あなたはA社の業務課のサーバーに保存されている「職員派遣願」を参考に、素案を作り、A社の文書を取り扱っている業務課の課長と係の社員に見て貰った。
(7) 業務課の課長が「文章は私の見たところ、申し分ないと思う。ただ、細かいところはNさんに聞くといいよ」と言った。あなたは、直接の担当者のNに添削をしてもらった後、「職員派遣願」を書き上げた。
(8) 「決定書」の作例は、Aが見せてくれた。AはTと同じく、スポンサー会社から出向してきた職員であるが、出向はTよりも1年半早かった。
(9) Aが見せてくれた「決定書」の書式は、「主管」欄にA社の上級管理職と、業務課長以下、業務課の職員の名前を書き、「合議」欄にTやAなど、スポンサー会社からの出向職員の名前を書くことになっていた。
(10) あなたは作成した書類をTに渡して帰った。
(11) 翌日、Tは休みだった。しかしあなたの机の上に、Tに渡しておいた書類はもどっていなかった。
(12) ところが、夕方5時近くになって、突然Tが会社に現れ、「教えてあげるから、ちょっとおいで」と、Tの席に呼びつけた。
(13) あなたは時間契約で働く非正規の職員であり、労災に入っていなかった。それ故、A社の管理職から「退勤時間が来たら、すみやかに帰って下さい」と言われていた。
(14) だが、Tはそんなことにはお構いなく、あなたを足止めして、「決定書」に関しては、「主管」欄にTやAの名前を書き、「合議」欄にA社の職員である業務課長の名前を書くことを求めた。
(15) 「職員派遣願」に関しては、Tはあなたの目の前で、鉛筆で乱暴になぐり書きしながら、「申し上げる次第です」を「申し上げます」に、「伺う日時」を「調査日時」に変えるなど、細かな点、10数ヶ所の添削を続けた。レイアウトも変えてしまった。
(16) さらにTはあなたに対して、「職員派遣願」には展覧会の「開催要項」をつけなければならないと言い、「職員派遣願」の空白部分に「開催要項の添付」と書き込んだ。それに続けて、「5、『展覧会概要』として、会期、会場、主催者、観覧料等を知らせる」と書き込んだ。
(17) Tはそれらを書き込みながら、あなたに「観覧料は分かる?」と訊き、あなたが「はい、分かっています」と答えると、「じゃあ、それは要らないな」と言って、「観覧料」という文字に鉛筆で棒線を引いた。(しかし、何故あなたが「観覧料」のことを承知していれば、B社に「観覧料」のことを知らせる必要がなくなるのか。Tはその理由を説明しなかった)。
(18) あなたがTに、「では、休み明けの提出でいいですか?」と聞いたところ、Tは「いいんじゃないの、休み明けに出来て承認されれば、向こうに送るのに間に合うし」と言った。
(19) あなたは驚いて、「なぜ送るんですか。持って行く書類が必要なんです」と言ったが、Tは「送るんだよ! これは依頼状なんだから、先に、相手側に送っておくんだよ!」と怒鳴った。
(20) あなたは、「もともと先方が求めたのは『紹介状』であって、本人が持参することだった。なぜ本人の持参が必要かと言えば、相手側はそれによって本人確認をするためで、だから自分が持参しなければ意味をなさない」という意味の説明をしたが、Tは耳を貸そうとしなかった。
(21) Tは、あなたが「開催要項」も作成し、それを「職員派遣願」に添えて郵送することを承知するまで、あなたを帰さなかった。

 さて、このような経験をしたあなたは、Tが要求したことや、それをめぐる応答を、「職務に関するもの」だったと考えるだろうか。それとも、自分の職務に関することではなく、Tの職務に関することでもない、と考えるだろうか。
 「職員派遣願」や「開催要項」を作らされたことについて、あなたは、「B社が必要としたのは『紹介状』であり、Tが言う『職員派遣願』の作成は結局無駄な作業であったとしても、Tがやったことは自分の職務への干渉、業務妨害とまで認めることはできない。」と受け取ることができるだろうか。それとも、不必要な干渉であり、おかげで業務の進行を遅らされてしまったと受け取るだろうか。
 また、あなたは、「Tの言動が、自分に不快感をもたらすものであったとしても、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない」と辛抱することができるだろうか。それとも、こんなふうに不快感を与えること自体、職場においてはあってはならないことであり、不快感の「許容限度」という問題の立て方自体がおかしい、と考えるだろうか。
 さらには、「Tの行為は、自分の勤務時間が超過する結果になることへの配慮に欠けていたと解されるところではあるが、自分が、帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできない」と、納得することができるだろうか。それとも、勤務時間を過ぎたらすみやかに帰すべきところを、書類作りを理由に足止めをするのは、労働基準法違反だ、と判断するであろうか。
 
 たぶん田口紀子裁判長は、たとえ自分が「あなた」の立場に置かれたとしても、全てを「職務に関すること」として受け取り、辛抱し、納得し、許容することができる人なのであろう。

 しかし、仮に田口紀子裁判長が辛抱し、納得できるとしても、それを安直に一般化して、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない」とか、「帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできない」とかと判断されては困る。

○田口「判決文」の不条理
 では、なぜ田口紀子裁判長の判断は、「安直な一般化」なのか。田口紀子裁判長は、
被告の言動が、原告に不快感をもたらすものであった」事実を認めておきながら、どの程度の不快感までを「許容限度」とするか、その基準を示していないからである。
 あるいはまた、田口紀子裁判長は、寺嶋弘道学芸主幹が自分の席に亀井志乃を呼びつけ、
原告(亀井志乃)の勤務時間が超過する結果になること」も構わずに書類の書き直しを強いた事実を認めながら、なぜ「帰宅する自由を完全に束縛されていたとまでは認めることはできない」と判断したのか、その理由を述べていないからである。
 まさか田口紀子裁判長は、寺嶋弘道学芸主幹が部屋の鍵をかけてしまったわけではないとか、亀井志乃を縛ったわけではないとか、そんなことを基準にして判決を下したわけではあるまい。
 
 田口紀子裁判長は、「いいえ、私個人としては、あのようなことをされても辛抱したり、納得して許容したりはしません」と言うかもしれない。もしそうならば、田口紀子裁判長の判決は悪質な人権侵害というほかはない。なぜなら田口紀子裁判長は自分では辛抱も許容もできない不快感を、亀井志乃や「あなた」たちには辛抱させ、許容させることになるからである。

○田口「判決文」のもたらすもの
 だが、寺嶋弘道の亀井志乃に対する嫌がらせを、先のように整理した理由は、以上のことを言いたいためだけではない。私が言いたいのは次のことである。
 
 もしあなたが、Tから受けたようなハラスメントを、A社の管理職に訴えたとしよう。A社の管理職は、「いや、平成20年2月27日に、札幌地方裁判所の田口紀子裁判長が下した判決によれば、Tさんがやった程度のことは業務の範囲内のこととして、許容限度を逸脱していないことになったんですよ」と突き放し、取り合おうとはしない。田口紀子裁判長の判決は、そういう形で社会規範化されて行く可能性が強いのである。
 
 あなたはそれでは納得できず、証拠を揃えて、民事裁判を起こしたとしよう。被告の弁護士は田口紀子裁判長を有力な判例として、あなたの訴えの棄却を主張する。
 裁判官も同じく田口紀子裁判長の判決を前例として、「原告が被告から書類の作成を強いられたことが、無駄な作業であったとしても、原告の職務への干渉、業務妨害とまで認めることはできない。」とか、「被告の言動が、原告に不快感をもたらすものであったとしても、許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない」とかという結論で済まされてしまう。田口紀子裁判長の判決はそういう結果を生む形で下されていたのである。
 
 結局あなたはこう考えるかもしれない。「亀井志乃という人は、あれだけの証拠を揃え、筋道の立った主張をしたのに、結局は棄却されてしまった。相手の被告が(15)から(17)に相当することをやった時は、亀井さんを嬲るような口調を繰り返したという(3月5日付「準備書面」)。また(19)や(20)のような場合、『その粘っこい執拗さに、言いようのない不快感を覚え、全身の震えを抑えることが出来ないほどだった』という(「最終準備書面」104P。「北海道文学館のたくらみ(57)」)。ところが田口紀子裁判長は、上司気取りの男のいやらしい干渉のほうは捨象してしまい、亀井さんの精神的、感性的苦痛を無視して、『許容限度を逸脱する態様のものとまで認めることはできない』と、訴えを退けてしまった。日本の裁判官は、被害を受けた人が大病をするか、自殺でもしないかぎり、まともに取り上げてくれないのではないか。どんな苦痛を感じても、精神的に参ってしまわないように頑張り続けると、結局『あなた、頑張れたんだから、許容できる程度だったんでしょ』で済まされてしまう。だったら、訴えても無駄。諦めよう」。
 私が心配するのは、こう考えてしまう人が出て来ることであり、多分それを防ぐことは出来ないだろう。
 その意味で田口紀子裁判長の判決は、ハラスメント問題、人権問題に関する市民の取組を足踏みさせ、20年も30年も遅らせてしまいかねない。そういう怖い判決だったのである。
 
 また、公務員の民間人に対するハラスメント問題については、「運営上、上司と部下の関係とみなしていたのだ」という言い訳さえ作っておけば、地方公務員法や公務員の倫理規程を無視しても、一向にお構いなし。田口紀子裁判長がそういうお墨付きをくれたことになる。北海道教育委員会だけでなく、全国の公務員諸氏も、「やったあ!!」とばかりに、諸手を挙げて大歓迎。躍り上がって喜んでいることだろう。

○田口「判決文」の社会規範化を阻止するために
 司法官僚機構によって権力化された裁判官の判決(言説)は、このように社会規範化されて行く。田口紀子裁判長の判決に異議を申し立てるとは、このような社会規範が形成されて行く流れを阻止しようとすることにほかならない。
 田口紀子裁判長の言説が作り出す社会規範がくつがえる場合があるとすれば、それは、別な裁判所の裁判官が、亀井志乃が起こしたのと同様な人格権侵害の訴訟に関して、全く異なる判決を下した時である。
 だが、それまで黙していることはできない。そうであるならば、一方では、田口紀子裁判長の判決の妥当性や適切性を根本から、徹底的に洗い直す。他方では、あの寺嶋弘道被告の言動に基づいて新たなテーマの訴訟を構想するほかはないだろう。

○田口紀子裁判長の判断の不透明さ
 ちなみに、寺嶋弘道被告は「準備書面(2)」の中で、自分が亀井志乃の仕事に口を挟んで「職員派遣願」なる文書を作成させた理由を、次のように主張した。
《引用》

(1)「(a)被害の事実」の第1段
原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。
(2)同第2段
紹介状の作成について、原告とN主査が相談していた事実は認める。その際、N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子であったため、被告が発言し、紹介状に代えて職員派遣による協力要請文書の作成を指示したものである
(7~8p。下線、太字は引用者)

 だが、この主張は、亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)-1」で次のように覆されてしまった。
《引用》
 
(1)「(a)被害の事実」の第1段
 被告は、
原告からの伝聞として、明治大学から紹介状を求められたことは認める。」と言うが、文意が不明である。誰が明治大学から紹介状を求められたのか。原告から伝聞した」とは、どういうことなのか。考えられる、唯一まともな文章は、「原告が明治大学から紹介状求められたことを被告は伝聞した。」であろうが、被告は「伝聞」したのではない。原告とN主査の会話を小耳に挟んで口を入れたのである。
(2)同第2段
 明治大学図書館が求めたのは「紹介状」と「身分証明書」であり、それを本人が持参することだった(甲33号証)。原告は業務課に属し、原告の紹介状は業務課で作成する。原告はN主査に明治大学からの依頼について説明し、「紹介状をよろしくお願いします」と言った。だが、平成18年度の4月から財団に勤務し、まだ半年ほどだったN主査は一瞬ためらい、「紹介状という書式があったかしら」と言いさした。そこへすかさず被告が口を挟んだのである。被告は、
N主査が自分の所管事務に直接関わらない本件について相談されたために困惑している様子だったため、」と言うが、「紹介状」の発行はN主査の所管事務である。N主査は自分の所管事務に関わらないことを相談されて「困惑」していたわけではない。被告は「紹介状」云々を小耳に挟んで、「職員の派遣願い」と勘違いした。勘違いをしたこと自体を原告は咎めるつもりはないが、被告は自分の勘違いに気がついたら、固執すべきでなかった(32~33p。下線は引用者)

 寺嶋弘道被告はこのように反論されて、結局「本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」平成20年7月4日付「事務連絡書」)と、再反論を放棄してしまったわけだが、ともかく1つ確かなことは、寺嶋弘道学芸主幹が「職員派遣願」のことで口を挟んだのが平成18年10月6日だったこと、これは寺嶋弘道被告も認めているところである。
 
 ところが彼は、平成20年10月31日の法廷で、とんでもないことを証言してしまった。
 この本人尋問で、田口紀子裁判長は、亀井志乃が「職員派遣願」を作成して、寺嶋弘道学芸主幹に渡して帰宅するまでの経緯を、亀井志乃の「準備書面」(3月5日付)に従って確認した。それに対して、寺嶋弘道被告は
「いや、そうだと思います。」と肯定した。そこで、田口紀子裁判長が「それにもかかわらず、これだけ被告のところで手が入るというのは、どういったことからだというふうに考えられますか。」と質問したところ、寺嶋弘道被告は、以下のように証言した。
《引用》
 
この赤字、別な人が手を入れてた、これは恐らく業務課のN主査等だと思いますが、………N主査と亀井さんが打合せやっている場面を、私は自分の席から見えていましたので、Nさんが困ったふうでしたので、私がそこに言葉を発して、派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょうということにしたものです(被告調書31p)
 
 しかしこれは、いつの時点でのことであろうか。
 このようなことが10月6日に起こるはずがない。このことは、これまでの経緯で明らかだろう。また、論理的に考えても、もし10月6日の時点で、寺嶋弘道学芸主幹が
「派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょう」と手を貸し、彼の求める書き方で「職員派遣願」が作成されたのであるならば、翌日、亀井志乃を「教えてあげるから、ちょっとおいで」と自席に呼びつける必要はなかったはずである。
 では、10月7日に、彼はN主査に
「派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょう」と申し出たのであろうか。
 しかし、これまた寺嶋弘道被告自身も認めているように、彼はこの日は休みであった。ところが、亀井志乃の退勤間際に文学館に顔を出し、亀井志乃を自席に呼びつけた。この日は、
N主査と亀井さんが打合せやっている場面」はなく、仮にあったとしても、午後5時近くまで文学館にいなかった寺嶋弘道学芸主幹が、私は自分の席から見えていました」ということはあり得ない。もちろん彼がN主査に「派遣の依頼文書の文面を私の方で修正しましょう」と申し出るなどいうことは起こり得なかったのである。
 亀井志乃はこのような寺嶋弘道被告の証言の矛盾を踏まえて、
これもまた、明らかなタイムパラドックスであり、意図的な虚構の場面の捏造です。」(「最終準備書面」35p。太字は原文のママ)と主張した。だれが見ても寺嶋弘道被告の偽証は明らかであり、亀井志乃の主張は筋の通った主張と言えるだろう。
 
 だが、田口紀子裁判長の判決は、
また、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張には理由がない。」25p)
 では、田口紀子裁判長はどういう証拠が揃えば、「虚偽の証言」、「偽証」と判断するのであろうか。

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判決とテロル(3)

田口紀子裁判長の作為

○田口「判決文」における論理の逆立
 田口紀子裁判長は、寺嶋弘道被告が北海道教育委員会の公務員である事実に全く言及しなかったわけではい。田口紀子裁判長の「判決文」はA4版で25ページの分量だったが、1回だけ、次のような言い方をしていた。
《引用》
 
なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨の主張を行っているが、被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない(16~17p)

 「なお、原告は……」というような書き方は、「なおなお(尚尚)書き」とか、「おって(追而)書き」とかと呼び、主要な事項を述べた後、ついでに、補足的な事柄を言い足す場合に使う。手紙で言えば、「追伸」に当たる。田口紀子裁判長としては、寺嶋弘道被告が公務員である事実の問題は、その程度の事柄として軽く捌いてしまいたかったのであろう。

 しかしこの文章はなんだかおかしい。亀井志乃が「今年の1月3日はひどく寒かった」と言ったところ、「今年の冬は暖冬だったとされていることから、1月3日が寒かったと認める理由にはならない」とはぐらかす。そんな書き方だからである。
 
 そのはぐらかしを明らかにするために、まず、
被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない。」という後半の部分を整理してみよう。亀井志乃は〈寺嶋弘道学芸主幹が文学館の業務を妨害し、それは自分に対する不法行為だった〉と解釈できるような主張をしたことはなかった。そうではなくて、〈自分は寺嶋弘道学芸主幹から何度も業務妨害の嫌がらせを受けたが、寺嶋弘道学芸主幹の業務妨害の中には、道立文学館に駐在する道の学芸員の分限を越えた行為もあり、あるいは地方公務員法に違反する行為もあった〉と主張したのである。
 それに、田口紀子裁判長は
「被告の行為によって、文学館の業務が妨害されたことがあったとしても」という仮定法を取っているが、なぜそのことから、そのことをもって、原告に対する不法行為を認める理由とはならない。」という結論を導き出すことができるのか。
 駐在道職員の寺嶋弘道学芸主幹が、民間の財団法人北海道文学館が経営する文学館の業務を妨害したとすれば、それは公務員・寺嶋弘道学芸主幹の「不法行為」でなければならない。その「不法行為」の中には、財団の嘱託職員である亀井志乃に対する業務妨害も含まれているかも知れないではないか。その可能性は、田口紀子裁判長の仮定法をもってしても、否定できないはずである。
 
 そのことを確認した上で、
なお、原告は、被告の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨主張し、これによって、被告が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨の主張を行っているが、」という前半の文章にもどってみよう。亀井志乃はこのようなことを主張したことはなかった。
 亀井志乃の主張に近づくためには、「これによって」の前と後ろを入れ替える必要がある。〈亀井志乃は、寺嶋弘道学芸主幹が文学館の業務を妨害したり、文学館に対する越権行為を行った旨を指摘し、これによって、寺嶋弘道学芸主幹の行為が地方公務員法や北海道職員の公務員倫理に関する条例等に違反する旨の主張をした〉。このように順序を変えるならば、亀井志乃が主張してきたことにかなり近い(必ずしも正確ではないが)、と言うことができるだろう。
 
 田口紀子裁判長の文章は、前提と結論がひっくり返っているのである。
 
○亀井志乃の原文
 ところで、いま私は、「亀井志乃が主張してきたことにかなり近い(必ずしも正確ではないが)」という言い方をした。なぜそういう「含み」をもたせた言い方をしたか。
 それは、「判決文」の中で、田口紀子裁判証は、ほぼ全面にわたって亀井志乃の「準備書面」をリライトしているのだが、そのリライトの仕方が「当たらずといえども遠からず」というよりは、「遠からずといえども当たらず」という、微妙にポイントをずらすやり方だった。そうすることによって、田口紀子裁判長は非常に巧妙に亀井志乃の主張を無化、あるいは無効化して、寺嶋弘道被告の言動に関する法的な判断を回避し、結局は
「原告に対する不法行為を認める理由にはならない。」という結論を引き出していたからである。

 分かりやすい例を挙げてみよう。
 亀井志乃は平成20年5月3日付の「準備書面」で、次のように述べている。

(8)平成18年9月26日(火曜日)
(a)被害の事実(甲32号証を参照のこと)
 原告は事務室における朝の打合せ会で、「出張予定(亀井)」(甲33号証)と題した予定表を配布し、「人生を奏でる二組のデュオ」展の準備に関係する今後の出張予定とおおよその足取りを説明しようとした。すると、被告がそれを遮って、「あ、そのことについては、このあと打合せ会をやるから」と言ったため、朝の打合せ会の直後、原告と被告と川崎業務課長の3人で、事務室の来客ソファーの所で話し合った。(この日の朝の打合せ会は出席者が少なく、学芸班の原告とO司書と被告、及び業務課の川崎課長のみであった)。
 原告が「出張予定(亀井)」の説明を終えると、原告は「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して」と言った。原告は、念のために、あらかじめ「展覧会支出予定」(甲34号証)という文書を作って来ていたので、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを手元に持っているので、コピーしてお渡ししますね」と言い、事務室内のコピー機の方に立っていった。
 すると、被告が突然、「それは、打合せの後でしょう!」と声を荒げた原告はその意味が分からず、「どこと打合せした後なんですか?」と訊いた。被告は「相手側とどんな話になるか、決めてからでしょう!」と、更に語気を強めた。原告は、「じゃ、これはまだいいんですか?」と、コピーをやめようとした。ところが被告は、「よくないよ、いいんでしょう!」と怒鳴った。原告は、被告が一体何を言いたいのか、戸惑っていると、被告は「だから、相手先と打合せしてからって言ったら、行かなきゃならないでしょう! だから、今コピーしていいんだよ!」と、更に声を強めて、辻褄の合わないことを言った
 その後、原告がコピーを渡すと、被告はやや落ち着きを取り戻し、原告が主担当の企画展について、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と、原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた。これらの点については、川崎業務課長が「まあ、この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言い、打合せは終了した
(17~18p。下線は引用者)

 このブログをずっと読んで下さった方は、この箇所の記憶があると思う。「北海道文学館のたくらみ(46)」でこの箇所と一緒に、10月31日の公判で太田三夫弁護士が行った尋問を引用し、太田三夫弁護士が亀井志乃に対してどんなにあざとい言葉の駆け引きを仕掛けていたかを指摘しておいたからである。
 
○田口紀子裁判長による作為的なリライト
 その太田弁護士の駆け引きがどんな結果を招いたか。その点については、この回の最後にふれることにして、まず田口紀子裁判長が、その「判決文」の中で、上記の文章をどのようにリライトしていたかを見ておこう。
《引用》

(8)原告は、平成18年9月26日、朝の打合せ会で、「出張予定(亀井)」と題した予定表を配布し、デュオ展の準備に関係する今後の出張予定等を説明しようとした。すると、被告がそれを遮って、「そのことについては、このあと打合せ会をやるから」と言い、朝の打合せ会の直後、原告と被告と川崎の3人で話し合うことになった。同話合いにおいて、原告が出張予定の説明を終えると、原告は「それじゃあ、あとで、自分の展覧会についてどのくらいの支出を考えているか、ちょっとさ、まとめて出して。」と言った。原告は、あらかじめ「展覧会支出予定」という文書を作ってきていたことから、「それでは、今、一応そのことについて作ったものを手元に持っているので、コピーしてお渡ししますね。」と言い、事務室内のコピー機の方に行ったところ、被告は「それは、打合せの後でしょう。」と遮りさらに原告とのやりとりの後、被告は、原告が主担当の企画展について、「この展覧会には、予算はあまりついていないんだよね」、「他の展覧会との間で、金額を調整しないとならない」、「本州へ行く出張旅費なんて、全然考えられていなかったしね」と話した。川崎が「この範囲内(150万円以内)で収まるなら、これでいいでしょう」と言い、話合いは終了した。(甲32の1ないし3、原告本人、被告本人(10P。下線は引用者)

 田口紀子裁判長はこのように、亀井志乃の原文における下線の箇所を削ってしまったわけだが、較べて分かるように、その箇所は亀井志乃が寺嶋弘道被告の違法性を主張する上で根拠となるべき、肝心要の箇所であった。つまり、田口紀子裁判長は寺嶋弘道被告の違法性が問われる、肝心な箇所を抹消してしまったのである。

○寺嶋弘道被告の偽証隠し
 理由は2つ考えられる。
 その1つは、寺嶋弘道被告を、偽証性の問題から解放し、救い出してやることである。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道被告の「陳述書」における虚偽の記述を20ヵ所以上も指摘し、「最終準備書面」では10月31日の公判における寺嶋弘道被告の証言から少なく見積もっても、10ヵ所は確実に偽証と言える発言を指摘した。ところが田口紀子裁判長はそれらを個別に検討することなく、言わば十把一絡げに
「被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない(25p)と切り捨ててしまった。
 要するに、10月31日の法廷における寺嶋弘道の偽証に関する亀井志乃の指摘を黙殺し、寺嶋弘道被告の「準備書面」「陳述書」のみを取り上げて、その中に見られる虚偽の記述に関しては、不問に附してしまったのである。
 田口紀子裁判長にとって、このような作為を行う上でも、先に引用した亀井志乃の「陳述書における下線の箇所ははなはだ都合が悪い。この箇所に言及すれば、亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―2」や「最終準備書面」で主張した事柄を取り上げざるをえなくなるからである。下線の箇所を抹消したのは、そういう問題を回避するためであったのだろう。

○法律問題回避の手口
 もう一つ考えられる理由は、次のような亀井志乃の主張をやり過ごしてしまうことであった。
《引用》

(b)違法性
イ、被告は、自分のほうから打合せ会を申し出ながら、原告に対して一方的に矛盾した指示を次々と出し、原告が対応に戸惑っていると、あたかも原告が呑み込みの悪い人間であるかのように、苛立った態度で怒鳴りつけた。これは原告の能力を貶め、名誉を毀損した、「民法」第710条に該当する、人格権侵害の違法行為である
(18p)

 ちなみに「民法」第709条(不法行為による損害賠償)」は、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」となっており、第710条(財産以外の損害の賠償)はそれを受けて、他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。」となっている。
  
 それ故、田口裁判長が行うべきことは、あの平成18年9月26日の場面における、寺嶋弘道被告の下線部のごとき言動が、「民法」第710条の
「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合」として評価出来るか否か、それについて判断を下すことだったはずである。
  ところが田口紀子裁判長は、亀井志乃の原文をリライトするに当たって、原文の下線部を、あたかも何事もなかったかのように
「原告とのやりとりの後」と、さりげなく簡略化し、次のような判決を下した。
 《引用》

(ク)原告は、平成18年9月26日、被告との出張予定についてのやりとりにおいて、被告が、原告の能力を貶め、名誉を毀損する発言をし、また、原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙し、本州へ出張することを制限して、業務妨害した旨主張する。しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いが終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない(20P)

 分かるように、田口裁判長は亀井志乃の原文を先ほどのようにリライトした上で、原告は、平成18年9月26日、被告との出張予定についてのやりとりにおいて、被告が、原告の能力を貶め、名誉を毀損する発言をした……旨主張する。」と、亀井志乃の主張を記述した。つまり、亀井志乃がなぜそのように主張したかの根拠を示さず、ただ亀井志乃の主張だけを紹介するというやり方を取ったわけである。田口紀子裁判長の「判決文」しか読まない人にしれみれば、〈なんで亀井志乃という女性は、自分が「展覧会支出予定」のコピーを取って手渡そうとしたところ、寺嶋弘道学芸主幹が「それは、打合せの後でしょう。」と遮った、という程度のことで、名誉を毀損されたなどと考えたのか〉と、そう疑問に思うだろう。
 田口紀子裁判長はこのように、亀井志乃の主張に対する疑問を喚起し、亀井志乃が言うことにはまともな根拠がないと思わせる操作を施す。そういう作為によって、
名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」という自分の判決を正当化しようとしたのである。

○改ざんと著作権侵害の疑い
 私が長年たずさわってきた文学評論や文学研究の世界で、もしこのような操作を施して自分の判断を正当化しようと目論む人間がいたとすれば、当然その原著者から「それは原文の改ざんだ」という抗議が出るだろう。場合によっては「著作権の侵害」の訴えに発展するかもしれない。
 
 では、もし仮に亀井志乃がこの「判決文」の書き方に抗議を申し込んだらどうなるだろう。「当該判決文は、原告の記述の要点を摘記したものであることから、原文の改ざんと認めることはできず、諸作権の侵害と認めるに足りる証拠はない」。
 そんな切り口上の返答で、抗議は却下されてしまいそうだな。何だか、あの鹿爪らしい口調まで想像されて、つい私はクスクス笑ってしまったが、これまでの経験から見て、弁護士や裁判官の間では、私たちが他人の言語表現を尊重する市民的ルールが通用しないらしい。そこから「法と言語」の問題や「裁判と言語行為」の問題が起こってくるわけで、いずれはそれらの問題に踏み込むことになるだろう。

○田口紀子裁判長によるポイント削除
 それはそれとして、もう一度、特に後半の部分に注目しながら、亀井志乃の原文と、田口紀子裁判長のリライトを読み比べてもらいたい。亀井志乃の原文から、
原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」という1文が抜き取られていることに気がつくだろう。
 この1文は、亀井志乃が次のように主張する、重要なポイントだったのである。
《引用》

ロ、被告は、財団の嘱託である原告が主担当の企画展に割り当てられた予算の執行に容喙した。これは被告が、北海道教育委員会から駐在道職員に指示された業務事項を逸脱して原告の権限を侵すことであり、「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に反し、「地方公務員法」第29条に問われるべき越権行為であり、業務妨害の違法行為である。
ハ、被告は、財団の嘱託である原告が自分の企画展に割り当てられた予算の範囲内で本州へ出張することに干渉し、なぜ本州への出張が必要かを確かめることなく、出張を制限しようとした。これは被告が、北海道教育委員会から駐在道職員に指示された業務事項を逸脱して原告の業務に干渉したことにより、「北海道職員の公務員倫理に関する条例」第3条~第7条に反し、「地方公務員法」第29条に問われるべき業務妨害の違法行為である(18p)

 これだけでは、ちょっと分かりにくい点があるかもしれない。
 その点を補足するならば、亀井志乃は「(4)平成18年5月12日(金曜日)」の項で、次のような意味の指摘をしている。〈亀井志乃は特別企画展「啄木展」の副担当だったが、寺嶋弘道学芸主幹が何のことわりもなしに「啄木展」に手を出し、亀井志乃を疎外して、主担当のS社会教育主事と勝手にことを進めてしまった。これは亀井志乃の業務を奪う、業務妨害の行為である〉と。
 しかもこれは、単に〈同僚の一人が女性職員の仕事に手を出した〉というような単純な業務上のトラブルではない。亀井志乃はその専門的な能力を買われて財団法人北海道文学館の業務を請け負う契約を結んだ嘱託職員、つまり非正規職員だった。その契約上の仕事を、財団の職員ではなく北海道教育委員会の職員である寺嶋弘道学芸主幹が無断、勝手に横から手を出して、奪ってしまったのである。
 亀井志乃は財団と契約した仕事の実行を阻まれた。現象的に見れば、亀井志乃は契約した仕事の一部を果たさなかったことになる。財団はそのことを理由に、亀井志乃に対して、次年度の契約をキャンセルするかもしれない。その意味では生活権の侵害に至りかねない妨害でもあったのである。
 おまけに、寺嶋弘道学芸主幹はS社会教育主事とことを進めて、年度当初に「啄木展」に割り当てられていた予算を大幅に超過してしまった。彼はその穴埋めに、亀井志乃が主担当の企画展「二組のデュオ展」の予算を削り取ろうとした。
 亀井志乃はもちろんこのことについても、業務妨害の違法行為と主張したわけだが、以上のような文脈のもとで、上の引用文を読むならば、
原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」という1文がいかに重要な意味を担っているか、その重さがよく分かるだろう。

○田口紀子裁判長が虚構した「学芸班」の伏線的な意味
 ところが、田口紀子裁判長はこの重要な1文を削ってしまい、先ほども引用したように、

しかしながら、被告の言動は、原告と被告のみでなく、川崎も同席していた中での、業務に関する話し合いであり、話合いの結果、川崎は被告の意見ではなく、原告の計画を受け入れて、話し合いは終了しているのであるから、名誉ないし名誉感情が毀損された、また、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」20P)という判決を下したのである。

 私はこれを読んで、まるでスカ屁みたいな文章だな、と思った。川崎業務課長がその場に同席していたからと言って、寺嶋弘道被告が亀井志乃に支離滅裂、辻褄の合わない言いがかりをつけた事実が消えるわけではあるまい。
 確かに川崎業務課長の取りなしで、その場は収まったが、しかしその間、寺嶋弘道学芸主幹が
「原告の予算を削り、原告の出張を制限する意味の発言を続けた」事実を帳消しにする理由にはならないはずである。

 この連載の初め(「判決とテロル(1)」)に指摘しておいたように、田口紀子裁判長は、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。(「判決文」3p)と、現実には存在しなかった組織を虚構していた。しかも田口紀子裁判長は、この虚構の「学芸班」を理由として、寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃研究員との関係は、同一組織内の上司と部下の関係だったと、事実を歪める判断を下していた。
 その動機は、以上の経緯から見ても、かなり明らかになったと言えるだろう。
 田口紀子裁判長はこの虚構の「学芸班」を楯にとって、〈要するに寺嶋弘道被告が亀井志乃副担当の「啄木展」に手を出したのは、上司と部下との間に起こった事柄であって、業務妨害だとか、越権行為だとかには当たらない〉と処理してしまおうとしたのである。 
 先の判決において、わざわざ
「川崎も同席していた」事実を挙げていたのも、同様な意図に基づく強調であって、〈その場には、「学芸班(虚構の)が属する業務課の川崎課長が同席していた。その下での話し合いであるから、寺嶋弘道学芸主幹が亀井志乃の出張予定に容喙し、制限を加えようとしたと聞こえる発言も、実際は上司が部下に業務上の意見を述べたにすぎなかったのだ〉。おそらく田口紀子裁判長は、そういう口実を用意しながら、業務を妨害された旨の原告の主張は理由がない。」という判決を下したのであろう。

○田口紀子裁判長における「虚偽」「偽証」許容の論理
 ちなみに、平成18年9月26日の寺嶋弘道学芸主幹の支離滅裂な言動について、太田三夫弁護士は〈これは何とか取り繕ってやらねば〉と考えたのだろう。10月31日の公判における本人尋問で、亀井志乃に
「こういうことを寺嶋さんは言ったんではないの。どこかに行くという連絡を、その相手方と先に連絡を取っちゃって、その後寺嶋さんたちにここへ行きますよと言ったって、それはもう行くしかないでしょうと。それを我々としては、もう駄目だということは言えないんですよと。だから、事前に我々に話をしてくださいと、そういうことを言ったんではないの、9月26日。」と質問をした。
 言わば「鎌を掛けた」わけだが、

亀井志乃:いいえ、そのようにはおっしゃいませんでした。
太田弁護士:
そのように理解できませんか。
亀井志乃:
理解できるも何も、そのような文脈でそのような言葉でおっしゃらなかったからです。
太田弁護士:
でも、あなたの書いていること、文脈どおり読めたら、私はすぐそういうふうに理解したけど。
亀井志乃:
ああ、どのようでしょうか。お教えいただけますか(原告調書27p)

と、逆に亀井志乃から質問をされ、形勢不利と見たのか、太田弁護士は「それから、10月28日のことをちょっと聞きますね。」と話題を変え、返答を避けてしまった。
 しかし、太田弁護士はまだ未練があったらしく、寺嶋弘道被告にも同じような質問をし、
そうです。相手に言ってしまったんなら、それを今更行けなくなりましたということにはならいという意味です。」という返事を聞いて、我が意を得たりとばかりに、逆に言えば、だからこそ事前に話をしてくれと、こういう話になるんですな。」と念を押していた(被告調書12p)。
 
 だが、太田弁護士苦心のクサいお芝居も、亀井志乃の「最終準備書面」で綿密に分析され、
この証言は前年度(平成17年度)3月の理事会決定をまったく無視した偽証であり、非常識きわまりない話です。」(「最終準備書面」58~59p)と、その虚偽を指摘されてしまった。それだけでなく、このような(太田と寺嶋が相づちを打ち合ったような)手順では、相手側から『もう貸出には先約があります』『今お貸しできる状況にはありません』等と断られたら、そこで企画は白紙になってしまいます。また、仮に相手側に会っていただけるにしても、先に相手の都合も聞かずにこちらの日程を切り出すというのは、ビジネス全般の常識から見てもきわめて無礼な行為と言えるでしょう。この意味で、被告の証言はリアリティがなく、偽りに満ちている上に、被告の社会常識をも疑わせるような内容の証言だと言えます。(同前60p。「北海道文学館のたくらみ(53)」)と、もう一つの虚偽までも暴かれてしまった。     
 他方、太田弁護士の「鎌かけ」は、
以上の点から見て、被告代理人が虚偽の発言をしたことは明らかです。しかも被告代理人は、明らかに自分が虚偽の発言をしていることを意識していました(同前93p、下線は原文のママ。「北海道文学館のたくらみ(56)」)と、その虚偽を証明されてしまった。
 
 要するに太田弁護士も、寺嶋弘道被告も嘘を吐いていたわけだが、しかしこれらの虚偽に関しても、田口紀子裁判長の判決はこうであった。
《引用》
 
(2) 争点(2)(裁判の過程において被告の不法行為があったか)について
 上記のとおり、被告には不法行為責任は認められないところ、被告は、本件の訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張には理由がない
(25p)
 
 果たして
「被告には不法行為責任は認められない」と断定できるかどうか、この点はこれからも追求することになるだろう。
 だからその点はひとまず措いておくが、確かに準備書面を書き、陳述書を提出すること自体は、正当な訴訟活動の一環として許容されなければならない。しかし、それだからと言って、寺嶋弘道被告が「準備書面(2)」や「陳述書」に虚偽を書き連ねたことまでが許容されるとは考えられない。亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―1」や「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道被告の虚偽の陳述を20点以上も指摘した。しかも、その指摘を裏づける証拠物を100点も添えて。
 それに対する被告の対応は、
被告は、原告提出にかかる平成20年5月14日付準備書面(Ⅱ)-1.2.3に対しては、本件訴訟における争点との関係を考え、反論の準備書面を提出する予定はありません。」(平成20年7月4日付「事務連絡書」)ということだった。つまり、反論を放棄してしまったわけで、換言すれば「正当な訴訟活動」を放棄したことになる。

 にもかかわらず、田口紀子裁判長は「被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない。」と断定する。そうであるならば、田口紀子裁判長は、被告の反論放棄が「正当な訴訟活動」である理由を説明し、かつ、亀井志乃が寺嶋弘道被告の陳述における虚偽と指摘した事柄について、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない」と判断する根拠を示さなければなるまい。
 だが、田口紀子裁判長はその最も大切な問題については、何もふれていない。知らぬ顔の半兵衛をきめこんでしまったのである。これではまるで、寺嶋弘道被告の言いたい放題の嘘までも、
正当な訴訟活動」と大目に見て、許容しているようなものであろう。

○田口紀子裁判長の責任
 亀井志乃が寺嶋弘道被告の「準備書面(2)」や「陳述書」における虚偽の記述、――それと併せて平原一良副館長の「陳述書」における虚偽の記述――を指摘したのは、もちろん彼らの偽証を証明するためであったが、それだけではない。その虚偽の記述が、亀井志乃の業務態度や性格を貶め、名誉を傷つける、人格権の侵害と密接に結びついていたからである。
 この人格権の侵害は、田口紀子裁判長が責任をもって主催する裁判の過程で起こった事件である。田口紀子裁判長としては、自分が虚構した業務課「学芸班」という組織論で処理したつもりかもしれない。だが、この事件はその組織論には解消できない、全く別個な人格権侵害の事件であった。何故かと言えば、まさにこれは田口紀子裁判長の責任範囲の中で起こった事件であり、この時点における亀井志乃と寺嶋弘道被告とは如何なる意味でも組織関係を持っていなかったからである。その意味で、田口紀子裁判長の責任は極めて大きい。
 ところが田口紀子裁判長は、
「(2) 争点(2)(裁判の過程において被告の不法行為があったか)について」という項目を立てたにもかかわらず、寺嶋弘道被告の虚偽の陳述の問題にのみ争点を絞って、被告に虚偽の証言があったとまで認めるに足りる証拠はない」と、寺嶋弘道被告の虚偽を放任する判決を下した。しかも、裁判の過程で起こった人格権侵害(セカンド・ハラスメント)の問題は黙殺してしまった。本来的に問われるべき「被告の不法行為」については、これをパスしてしまったのである。
 これは羊頭狗肉の判決というしかなく、判決の名に値しない。
 田口紀子裁判長は自分が主催する裁判の中で起こった人格権侵害の事件から目をそらし、自己の責任を回避した、と批判されても仕方がないであろう。

 それに加えて、田口紀子裁判長は、10月31日の本人尋問における寺嶋弘道被告の偽証に関しては、言及することすらしなかった。これも不問に付してしまったのである。
 
 田口紀子裁判長は本人尋問を始めるに際して、亀井志乃原告に対しても、寺嶋弘道被告に対しても、「真実のみを述べるように。偽証を行った場合は、科料が課されることがあります」という意味のことを告げ、「宣誓書」に署名をさせた。裁判所の『速記録』にも、その表紙に
「裁判長(官)が、宣誓の趣旨を説明し、本人が虚偽の陳述をした場合の制裁を告げ、別紙宣誓書を読み上げさせてその誓いをさせた。」とある。このことはどうなったのか。田口紀子裁判長は自分が告げたことを食言し、みずからの責任を果たさなかったことになるのではないか。

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判決とテロル(2)

田口紀子裁判長の虚構

○月にかぐや姫は住んでいたか
 田口紀子裁判長は「判決文」の中でおかしなことを言っていた。それも1つや2つでない。中には鳥肌が立つような箇所も見られるのだが、いきなりそれを紹介すると衝撃が強すぎるだろう。今回はそれを避け、私が言う「おかしな」の意味が伝わりやすく、衝撃の度合いも低い事例から入って行きたい。
 次はその分かりやすい1例である。田口紀子裁判長は、「イ 原告の主張する被告の各不法行為についての検討」という章の(ス)の項で、こんなことを言っていた。
《引用》
(ス)原告は、平成18年12月6日、被告が、文学館が行った高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない違法な正職員採用の募集要項の決定に加わり、文学館の違法行為に加担した旨主張する。同募集要項の決裁欄に被告の押印も認められるものの、あくまでも、同募集の主体は文学館であり、被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められないから、この点に関する原告の主張は認められない(23p。下線は引用者)

 これが(ス)項の全文であるが、多分この箇所を読んだ人は、亀井志乃は次のように主張したのだと思うだろう。「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」と。なぜなら、田口紀子裁判長の判決文は、亀井志乃がそのように「主張」したことを前提として組み立てられており、〈しかし亀井志乃が「主張」するような事実はなく、だから亀井志乃の「主張」を認めることができない〉と、亀井志乃の「主張」を退ける。そういう構造になっているからである。
 だが、亀井志乃が一度もそのようなことを「主張」してはいない。つまり、この「主張」は田口紀子裁判長が虚構したものだったのである。

 たとえば亀井志乃が、月に生命体が存在した痕跡について論じたところ、田口紀子さんが出てきて、「いや、月にかぐや姫が存在した事実はありません。だから亀井さんの主張は認めることはできません」と断定したとしよう。大抵の人から見て、この田口紀子さんの断定は、「田口さん、それはおかしいですよ」ということになるだろう。
 田口紀子裁判長が言う亀井志乃の「主張」は、月のかぐや姫みたいなものだったのである。

 裁判官がその判決文の中で、原告が一度も主張したことがない事柄を虚構して、原告の主張を退ける理由に使う。日本の裁判ではそのようなことが許されるらしい。考えてみれば、これは恐ろしいことだ。

○亀井志乃が言う「生命体の痕跡」
 では、亀井志乃は、実際には、どのようなことを主張していたのであろうか。
 亀井志乃は平成20年3月5日付の「準備書面」で、次のように書いている。
《引用》
(13)平成18年12月6日(水曜日)
(a)被害の事実
 原告は12月2日(土曜日)、川崎業務課長から、12月6日(水曜日)に毛利正彦館長(当時)による職員面談があるからと、「自己申告書」という書類を渡され、必要事項を書いて、5日(火曜日)に提出した。
 そして12月6日午前11時30分頃、館長室に呼ばれ、毛利正彦館長(当時)から、平成19年度の雇用を更新しないという財団法人北海道文学館の方針を告げられた。
 財団は更に、原告の異議申し立てを無視して、12月12日、北海道立文学館公式ホームページ等において、正職員の学芸員と司書を採用する募集要項(「学芸員、司書の募集について」甲19号証)を公示した。募集要項には、「1971(昭和46)年4月1日以降に生れた者」という年令制限が設けてあり、その制限を越えた年令の原告は改めて応募する機会を与えられず、平成19年3月31日をもって職を失った。被告は原告に対して、「自分は財団の人事と関係ない」と言っていたが、「平成19年度 財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」(12月12日決定)では、被告は募集要項決定の合議に加わっていた(甲20号証)。
(b)違法性
イ、財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない、違法な募集要項だった。原告はこの違法な募集要項のため、財団と再雇用の契約を結ぶ機会も、この募集に応募する機会も失った。被告はこの違法な募集要項の決定に加わり、財団法人北海道文学館の違法行為に加担した。これは「地方公務員法」第29条に該当する違法行為である。
ロ、被告は北海道教育委員会が駐在道職員に指示した業務事項を逸脱して、財団法人北海道文学館の人事にかかわり、財団の違法な募集要項の決定に加わった。これは「地方公務員法」第38条に反する違法行為である
(28~29p。下線は引用者)

 先ほど引用した田口紀子裁判長の判決文は、この亀井志乃の主張に対して下されたものだった。だが、一読して分かるように、亀井志乃は「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」という意味のことは言っていない。亀井志乃はこの「準備書面」以外にも、幾つかの文書を裁判所に提出したが、その文書のどこにおいても、このような意味のことは一言も書いてはいないのである。

 亀井志乃の主張のポイントは下線を引いた箇所にある。彼女はその証拠として、財団法人北海道文学館が作成した、「平成19年度 財団法人北海道文学館職員採用選考について」という議題の「決定書」(甲20号証)を提出した。この「決定書」の「合議」欄に寺嶋弘道の印が押してある。つまり、公務員の寺嶋弘道学芸主幹が、財団法人の人事方針の決定に加わっていたのである。
 
 この指摘に対して、被告・寺嶋弘道は
「原告の任用や学芸員及び司書の採用に係る事項については、財団の進めていた事項であり、北海道教育委員会職員である被告の権限、責任の及ばざるところであり、財団の対応も含めて被告の責めに帰するとする原告の主張は失当である。」(平成20年4月9日付「準備書面(2)」10p)と反論してきた。
 被告の反論はこれだけであり、「北海道教育委員会職員である被告(寺嶋弘道)」が財団の「決定書」の「合議」欄に押印していた事実から逃げている。
 それに対して亀井志乃は次のように再反論した。
《引用》
 
被告はこの違法な募集要項を決定した「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」(12月12日決定。甲20号証)の「合議」の欄に押印している。これは北海道教育委員会の職員である被告が、民間の財団法人の人事に関する方針の決定に加わったことを意味し、公務員として違法な行為である。しかも財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。それにもかかわらず、被告はそれを阻止せずに、違法行為に加担した。その意味で二重に違法行為を行ったことになる。かつ被告は、この募集要項が実施されるならば、原告が応募の機会を失うことを承知していたはずであるが、あえて公務員としての分限を越えて、原告を失職に追い詰める違法行為に加担した。
 これは前項で指摘した、財団の人権侵害行為との共犯関係に新たに加えられた、被告と財団との共犯的違法行為である
(5月14日付「準備書面(Ⅱ)-1」44p。下線は引用者)
 これはごく筋の通った再反論と言えるだろう。
 亀井志乃のこの反駁に対して、被告側は沈黙をしたままだった。

○田口紀子裁判長による「痕跡」の無視
 ところが、田口紀子裁判長は以上の経緯を無視し、あたかも亀井志乃が「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」と主張したかのように虚構し、それだけが争点であったかのごとく歪曲し、矮小化してしまったのである。
 
 ちなみに、平成18年12月6日は、亀井志乃の「準備書面」で分かるように、
亀井志乃が)館長室に呼ばれ、毛利正彦館長(当時)から、平成19年度の雇用を更新しないという財団法人北海道文学館の方針を告げられた」日であった。ところが、田口紀子裁判長は事態の経緯を単純化し原告は、平成18年12月6日、被告が、文学館が行った高齢者雇用安定法が指示する『年齢制限を設けた理由の明示』に従わない違法な正職員採用の募集要項の決定に加わり、文学館の違法行為に加担した旨主張する」と解釈している。だが、亀井志乃は「平成18年12月6日、被告(寺嶋弘道)が……募集要項の決定に加わり」(下線は引用者)とは言っていない。亀井志乃が証拠として提出した「決定書」(甲20号証)も、起案年月日/18・2・8、決定年月日/18・12・12となっている。これも田口紀子裁判長が亀井志乃の「準備書面」や甲20号証をきちんと読んでいなかった証拠であろう。

○裁判官の鉄則
 素人の私がこんなことを言うのは、「釈迦に説法」ということになりかねないのだが、日本における裁判のルールは、〈裁判官は、原告と被告の双方が主張する「事実」に関しては、双方が提出した証拠物を吟味し、吟味した結果に基づいて「事実」を明らかにして、その範囲内で法的な判断を下さなければならない〉ことになっている。別な言い方をすれば、〈判断の範囲は、原告と被告の双方、またはそのいずれかが主張したことと、そのために提出された証拠物に限られており、それを越えた「事実」や証拠物を持ち出して判決を下してはならない〉のである。
 
 そうであればこそ、裁判官は〈どれほど自明な事実と見えようとも、原告と被告の双方、またはそのいずれかが、審理(法廷における証言だけでなく、「準備書面」や「陳述書」を含む。以下同じ)の過程において、その事実を主張しないならば、それは裁判における「事実」としては存在しない〉という方針を堅持しなければならない。またそうであればこそ、〈裁判官は自分が見つけ出した事実や、法廷の外で見聞した事柄を、判決の材料に用いてはならない〉のである。

○田口紀子裁判長のルール違反
 そんなわけで、まず初めに田口紀子裁判長がしなければならないのは、財団法人北海道文学館の「決定書」(甲20号証)の「合議」欄に、「寺嶋」の印が押してあり、これをどのように解釈するか、ということであった。
 亀井志乃はこれを、「寺嶋弘道学芸主幹がこの募集要項の決定に加わった」事実の証拠と見た。亀井志乃が主張する「事実」はそれだけである。
 では、田口紀子裁判長は法廷における審理のどの時点で、「『被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた』と亀井志乃が主張した」という事実を知ったのであろうか。「決定書」の「合議」欄に「寺嶋」の印が押してあった「事実」に関する、被告側の主張は先ほど引用した如くであり、被告側もまた「被告の寺嶋弘道学芸主幹は文学館に対して、亀井志乃が応募できないように、正職員の募集要項に年齢制限を加えるよう働きかけた」という意味のことは言っていない。
 とするならば、田口紀子裁判長は
「被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実」があったか否かについて、何らかの情報を、法廷における審理の外で得たことになるだろう。だが、もし仮に田口紀子裁判長が法廷における審理の外で、寺嶋弘道被告や太田三夫弁護士から「決定書」の会議内容を聞く機会があったとしても、それを判決の材料としてはならないはずである。
 その意味で、田口裁判長の
「被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められない」という断定は、「事実」の裏づけを欠いた、恣意的な判断でしかない。
 このような判断に基づいて、
この点に関する原告の主張は認められない。」と亀井志乃の主張を退ける。これは裁判のルールを踏みにじる、不当な判決と言うほかはないであろう。

○田口裁判長の手抜き
 次に田口紀子裁判長が行うべきは、
財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する『年齢制限を設けた理由の明示』に従わない、違法な募集要項だった。原告はこの違法な募集要項のため、財団と再雇用の契約を結ぶ機会も、この募集に応募する機会も失った。被告はこの違法な募集要項の決定に加わり、財団法人北海道文学館の違法行為に加担した。これは『地方公務員法』第29条に該当する違法行為である。」という亀井志乃の主張を検討し、裁判官としての法的な判断を明示することだった。

 財団法人北海道文学館が行った正職員採用の募集要項は、高齢者雇用安定法が指示する「年齢制限を設けた理由の明示」に従わない、違法な募集要項だった。この指摘に関しては、田口紀子裁判長も異存はないところであろう。
 その違法な募集要項を決定した「決定書」の「合議」欄に、北海道教育委員会職員の寺嶋弘道学芸主幹が押印しているのである。亀井志乃が、
財団法人の募集要項は違法なものであり、公務員である被告はコンプライアンスの観点からそれを阻止しなければならない立場にあった。」と指摘したように、これは財団のコンプライアンスだけでなく、寺嶋弘道の公務員としてのコンプライアンスが問われる、重要な過失であった。その点を踏まえて、亀井志乃は「地方公務員法」第29条に該当する違法行為と見なしたわけだが、念のために「地方公務員法」第29条(懲戒)を紹介すれば、それは次の如くである。
《引用》
 第29条 職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。
1.この法律若しくは第57条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合
2.職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
3.全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合

(以下略)

 もし田口紀子裁判長が、裁判官としての責任において、寺嶋弘道被告の行動は、この第29条のいずれの項にも該当しないと判断し、それ故被告の行動に違法性はなかった、と亀井志乃の訴えを棄却したのであるならば、その判断理由を明記すべきであった。特にコンプライアンスの問題は、裁判官が見過ごしにしてはならない問題だったはずである。
 ところが田口紀子裁判長は、
あくまでも、同募集の主体は文学館であり、被告が、原告が応募できないように、年齢制限を加えるように文学館に働きかけたといった事実は認められないから、この点に関する原告の主張は認められない。」という虚構の理由を設けて、亀井志乃が指摘した事実とそれに関する「違法性」の判断を無視してしまった。
 これは判決文としての実質を欠き、原告の亀井志乃に対しては不誠実な対応と言うしかないが、田口紀子裁判長としては、裁判のルールを無視してでも、寺嶋弘道の行動が公務員としての違法であるか否かの法的判断を回避したかったのであろう。

○再び田口紀子裁判長による「痕跡」の無視
 亀井志乃が指摘する「地方公務員法」第38条(営利企業等の従事制限)の問題も同様であった。
《引用》

第38条 職員は、任命権者の許可を受けなければ、営利を目的とする私企業を営むことを目的とする会社その他の団体の役員その他人事委員会規則(人事委員会を置かない地方公共団体においては、地方公共団体の規則)で定める地位を兼ね、若しくは自ら営利を目的とする私企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない。
2 人事委員会は、人事委員会規則により前項の場合における任命権者の許可の基準を定めることができる。

 寺嶋弘道学芸主幹が財団の人事方針の合議に加わったが、それはこの条文にも違反する行為でもあったはずだ。亀井志乃はそう考えたわけだが、もしその主張に疑問を抱く人がいるとすれば、それは、〈果たして財団法人北海道文学は「営利を目的とする団体」に該当すると言えるだろうか〉という疑問だろう。
 
 確かに平成17年度までは、財団法人北海道文学館は道の依託を受けて道立文学館の運営に当たる、非営利的な財団だった。
 しかし平成18年度から指定管理者制度が導入され、指定管理者に選ばれた財団は、1年に1億4千万円を超える税金を、経営資本として道から受け取っている、れっきとした営利団体なのである。道立文学館には、財団と連携協働するために道の公務員である寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事と、A学芸員の3人が駐在しており、3人の給料は道から出ているが、館長や副館長、業務課の職員(業務課の学芸班の司書と研究員)の給料は、財団が道立文学館を経営して得た収益から支払われている。財団はそういう形で、道から独立した、民間の営利団体なのであり、それ故、その収益に対しては税金が課されているのである。
 
 そういう民間の営利団体たる財団の人事に、駐在の道職員がかかわることが許されるかどうか。寺嶋弘道学芸主幹は財団の人事の方針を決める「決定書」の「合議」欄に押印しているが、彼は「任命権者の許可を受けていた」か否か。田口紀子裁判長はそれらの点に関して法的な判断を示すべきだったが、それを避けてしまった。
 
 亀井志乃は「最終準備書面」においても、次のように問題を提起している。
《引用》
 
しかし、この逆のケースを考えてみたらどうでしょう。仮に、北海道教育委員会が、道立文学館に駐在させている学芸員の異動や、学芸員の新採用を構想した時、その起案書の合議欄に、民間の財団法人の神谷理事長なり毛利館長なりの押印を求めることがあり得るでしょうか。もちろん、こうした場合、この起案書の合議欄に神谷理事長なり毛利館長なりの押印がなければ、起案が決定されたことにはならず、その意味では北海道教育委員会の人事に民間の財団法人の理事長や館長がかかわることになるわけです。北海道教育委員会が、そのような違法な手続きを取るとは考えられません。
 
そのように考えれば分かるように、被告が財団の「平成19年度財団法人北海道文学館職員採用選考」に関する「決定書」の「合議」の欄に押印していたという事実は、北海道教育委員会の公務員である被告が民間の財団の人事に加わっていた事実の明白な証拠にほかなりません。もし、被告が本当に、財団の人事には加わっていなかったならば、被告は「決定書」の回覧に目を通すだけで済んだはずです
 被告は根拠なき〈上司〉意識、〈指揮監督(命令)の立場〉の自己主張によって、原告に対して人格権の侵害を繰り返しました。加えて被告は、上記のような法律違反を犯しています。以上のような意味で、被告の法律違反は全て確信犯的な行為であったと言えます
17p。太字は原文のママ。下線は引用者)
 
 だが、田口紀子裁判長はこの最終的な主張についても、何ら判断を示さず、黙殺してしまった。そうして「月にかぐや姫はいなかった」みたいな話を持ち出して、争点を誤魔化してしまう。これは原告を愚弄するものと言うしかないだろう。

 ○月にかぐや姫は住んでいた
 これは前回(「判決とテロル(1)」)に指摘したことだが、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という文書を根拠として、「寺嶋弘道学芸主幹は亀井志乃研究員の上司だった」と断定した。
 任命権者が異なり、給料の出所も異なる寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃研究員との間に、なぜ上司と部下の関係が成立し得るのか。亀井志乃は一貫してこの問題を取り上げてきたのだが、田口紀子裁判長はこの件については、今度は「月にかぐや姫は存在した」みたいな虚構を持ち出して、黒を白と言いくるめようとした。
原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。」と(3p)。
 
 つまり、田口紀子裁判長によれば、〈財団の業務課の中に設けられた学芸班に、駐在道職員の寺嶋弘道学芸主幹とS社会教育主事とA学芸員が繰り込まれた〉となるわけだが、しかし「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の中には、上記のような田口紀子裁判長の組織理解を可能とする文言はなかった。もちろん平成18年度、道立文学館の中にそんな組織はなかった。にもかかわらず、田口紀子裁判長は、ここでは、「月にかぐや姫は存在した」みたいな虚構をでっち上げた。なぜそんな虚構をでっち上げたのか。

○田口紀子裁判長の上手な読み違い
 その問題も、今回の流れの中に置いてみるならば、更にその問題点やでっち上げの理由がよく見えてくるだろう。要するに、〈寺嶋弘道学芸主幹はこの「学芸班」の中で、次年度に定年退職となる女性のO司書を除けば、最年長であり、たとえ「任命権者の許可」がなくても、財団の「運用」として、亀井志乃の上司とすることができる〉ということにしたかったのである。
 それだけではない。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が描いている「学芸班」は、田口紀子裁判長が描いてみせた「学芸班」組織とはまるで異なっていた。それは財団の業務課からは独立し、並立する組織として構想され、その中心メンバーは北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名で構成する。そしてその中に、財団業務課学芸班の司書と研究員(財団の職員)を移す(配置する)ことにした。
 その際、この学芸班の最初に「学芸主幹」という職名を置き、学芸班全体の「上司」であるかのように見せかけたわけだが、それについて、亀井志乃が〈では、この学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない〉(「準備書面(Ⅱ)-1」)という意味の疑問を呈したところ、寺嶋弘道被告も太田三夫弁護士も答えられなかった。もし答えるとすれば、学芸主幹(被告)が属する、北海道教育委員会の「文化・スポーツ課」の課長の名前を挙げるしかないわけだが、そうすると、財団職員の司書と研究員(亀井志乃)も「文化・スポーツ課」の課長の部下ということになってしまう。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の描く組織図の学芸班はそういうジレンマを抱えており、寺嶋弘道学芸主幹も太田三夫弁護士も返答に窮して、亀井志乃の疑問を黙殺してきた。
 しかし、田口紀子裁判長が虚構した組織ならば、〈寺嶋学芸主幹の上司は川崎業務課長です〉と取り繕うことができる。さらにこの虚構の組織図の便利なところは、〈亀井志乃の組織上の上司は川崎業務課長だが、学芸の仕事に関する事実上の上司は寺嶋弘道学芸主幹だった〉と言い繕うことができることである。
 被告側にしてみれば、田口紀子裁判長が「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を読み違え、虚構の組織を作ってくれたおかげで大助かりというところだろう。
 
 その意味で田口紀子裁判長の「月にかぐや姫は存在した」みたいな作り話は、巧妙なトリックだったわけで、そうしてみると田口紀子裁判長は随分上手に読み違えをすることができる、知恵のまわる人なんだなぁ……。まさか誰かの入れ知恵ということはないだろう。

○再び田口紀子裁判長のルール違反
 だが、この「寺嶋弘道上司説」に関しては、田口紀子裁判長が責任をもって答えなければならない問題が、まだ残っている。
 それは、被告が一度も主張しなかったにもかかわらず、なぜ田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨を定めた」文書と受け取ったのか、という問題である。
  
 確かに被告は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」というA4版1枚の文書と、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」というA4版2枚の文書を、「乙第2号証」として提出し、「証拠説明書(乙号証)」(平成20年4月15日)の「立証趣旨欄」に、「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対する上司であること。」と書いている。
 だが亀井志乃は、この文書の違法性を指摘する批判するに当たって、まず次のようにことわっておかなければならなかった。
《引用》
 
被告側は平成20年4月16日の法廷において「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(乙2号証)という文書を提出した。この文書と被告「準備書面(2)」との関係については何の説明もなかったが、「証拠説明書(乙号証)」の立証趣旨に「財団と被告ら駐在職員との組織体制について。被告が原告に対して上司であること。」と説明されており、それ故ここではとりあえずこの文書が、「事実上の上司」という被告の主張の根拠をなすべく提出されたものとして受け取っておく(5p。太字は引用者)
 
 亀井志乃がこのようにことわらざるを得なかったことから分かるように、被告は法廷における審理(「準備書面」や「陳述書」を含む)の中で、ただの一度も〈被告は原告の事実上の上司だったが、それを裏づける証拠物は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」だ〉という意味の主張をしたことはなかった。つまり、「被告は原告の事実上の上司だった」という主張を裏づける証拠物については一度も明示的に言及することなく、ただやみくもに「被告は原告の事実上の上司だった」というお題目を唱えていただけなのである。
 
 ただ一度だけ被告側がこの文書の一部分に言及したことがある。それは10月31日の本人尋問の時であるが、太田三夫弁護士がこの文書の「※ 財団事務局組織等規程の業務課、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、規程の定めにかかわらず学芸主幹とする」という箇所を読み上げ、亀井志乃に対して
「ここにいう研究員とは誰ですか。端的に言ってください。」と尋問した。だが、亀井志乃から「この「※」印の意味がはっきりしないので、判然とは申せません。」と突き放されてしまった。
 そこで、太田三夫弁護士は寺嶋弘道被告に対して同じ箇所を読み上げ、
これを素直に読む限り、あなたをヘッドにして、鈴木さん、阿部さん、岡本さん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよと、こういうふうに読めるんですが、そういうことでしたか」と尋問し、被告の寺嶋弘道から「はい、そのとおりです」という返事を得た。
 太田三夫弁護士は自分の誘導尋問に被告がうまく乗ってくれたことに安心したらしく、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に関する尋問を打ち切ってしまった。要するに
「あなたをヘッドにして、鈴木さん、阿部さん、岡本さん、亀井さん、こういう方々が、いわゆる学芸班を組織するよ」と読むことができるという、たわいない事柄を確認しただけであり、だからどうなんだ? 亀井志乃が「はい、そのとおりです」と肯定したのならばそれなりに重い意味を持ってくるだろうが、被告の寺嶋弘道と一緒に「素直に読めば、こういうことになりますよね」と相づちを打ち合ったところで、クサイ芝居を演じただけの話じゃないか。ここで打ち切ってしまっては、太田三夫弁護士と寺嶋弘道被告が「被告は原告の事実上の上司だった」と主張したことにはならない。つまり、法廷の審理における主張にはなっていないのである。
 
 他方、亀井志乃は、仮に「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が「被告は原告の事実上の上司だった」という主張の裏づけのつもりだったと仮定しても、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は手続き的にも内容的にも問題があり、被告側の主張の根拠となりえないと、法廷の審理において繰り返し主張してきた。
 
 そうである以上、田口紀子裁判長はまず法廷の審理において正当に主張された、亀井志乃の主張の取り上げ、これを吟味し、もし彼女の主張が当を得ていないと判断したならば、それを明示すべきであっただろう。
 だが田口紀子裁判長は、きちんとした手続きを踏んで正当になされた亀井志乃の主張を取り上げることをしなかった。
 亀井志乃は太田三夫弁護士が言う「素直な」読み方に関しても、「最終準備書面」で批判している(「北海道文学館のたくらみ(54)」参照)。だが、田口紀子裁判長はそれも無視してしまった。
 そして田口紀子裁判長は、法廷の審理(「準備書面」や「陳述書」を含む)においてただの一度もきちんと主張することをしなかった被告には極めて好意的に、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨を定めた」ものと判断してやったのである。
 
○ウーソ、ウーソ、カーワウソ
 もう一度言えば、被告は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」との関連において、「被告は原告の事実上の上司だった」と主張した事実はなかった。また、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書自体、手続き的にも内容的にも違法なものと言うしかない。
 にもかかわらず、被告側は相変わらず「被告は原告の事実上の上司だった」を繰り返している。それならば、寺嶋弘道被告はそう主張し得る権限について、「任命権者の許可を受けた」のだろうか。亀井志乃はその点を確かめるために、10月31日の本人尋問で、直接寺嶋弘道被告に訊いてみることにした。
 その際の寺嶋弘道被告の返事は支離滅裂、しどろもどろ。その辺の様子は裁判所の記録(被告調書)に活写されており、亀井志乃が「最終準備書面」で引用している。是非読んでもらいたい(「北海道文学館のたくらみ(48)」参照)。寺嶋弘道被告の証言の中には、北海道教育委員会の教育長や、「文化・スポーツ課」の管理職の責任が問われかねない発言もあり、もし北海道教育委員会の関係者が彼の「尋問調書」や、彼の証言を分析した亀井志乃の「最終準備書面」を手にしたとすれば、かなり慌てふためいたことであろう。
 
 その証言の中には、一読して「まさかそれはないだろう」と、直ちにその嘘を見抜くことができる発言も混じっていた。
 寺嶋弘道被告の確かな証言によれば、平成18年4月1日、道立文学館へ出るようになってから、4月18日までの間に、駐在道職員3名と財団の業務課学芸班2名との「指揮命令系統」について、毛利館長と
「20日近く、そのことを……議論をしていた」のだそうである。
 寺嶋弘道は4月1日、職員として初めて道立文学館に顔を出したらしいが、駐在道職員の学芸主幹として正式に紹介されたのは、4月4日の着任式の時だった。なぜそうなったかと言えば、毛利正彦文学館長(当時)は非常勤の嘱託であり、4月1日(土)と2日(日)は非出勤日、3日(月)は休館日。そこで毛利館長が出勤する4日(火)に着任式が行われたのである。
 ということから分かるように、たとえ寺嶋弘道学芸主幹が毛利館長の出勤日にはかならず「議論」したとしても、4月4日から数えて18日(火)まで、「議論」できる可能性があったのは10日足らずだった。そもそも4月に着任してから4月18日までの間に、
20日近く、そのことを……議論した」なんて証言すること自体、今時の女子高生ならば、「うっそー、ありえない!」と声を張り上げ、最近リバイバルを果たした、ギャグ・アニメの傑作『ヤッターマン』シリーズなら、川獺が3匹、顔を出して「ウーソ、ウーソ、カーワウソ」とハモるところだろう。これを名づけて、嘘カワウソと呼ぶ。
 法廷における偽証として、これほど明らかなものはないはずなのだが、田口紀子裁判長の「判決文」によれば、
被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない」(25p)。
 
 すごい裁判だったなあと、改めて感じ入ってしまったが、その「判決文」の全体から見れば、こんなのはまだ程度の軽い、序の口でしかない。
 もちろん検討はまだまだ続く。

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判決とテロル(1)

新たな土俵

○判決以後
 2月27日に田口紀子裁判長の判決が下り、その結果は「北海道文学館のたくらみ(58)」に報告しておいた。
 その後、『市立小樽文学館報』に40枚ほどの原稿を書き、学士会の会報に14枚ほどのエッセイを書いた。WBCの野球もテレビ観戦した。日本と中国との1戦について言えば、「1番のイチローは、たとえヒットを打てなくても、フォアボールを選んで出塁し、盗塁をする。これが彼の仕事なんだが、自分の役割を忘れている。その代わりに2番の中島が3回もフォアボールを選んで、盗塁も決めて、イチローに取って代わる仕事をした。守備もいい。今日の殊勲者は中島じゃないか」。

 その間、裁判の結果について1、2の人がコメントを寄せて下さった。
 私のブログは、「北海道文学館のたくらみ(58)」を載せて以来、1日平均200くらいのアクセスがある。判決に関心を持って下さる人が多い証拠だろう。
 
 もともと私がこのブログを開いたのは5、6年前だったと思うが、それ以来、1日のアクセス数は平均110程度。ただし、「北海道文学館のたくらみ」を連載するようになってから1日平均150ほどに伸び、亀井志乃の「陳述書」を3回に別けて紹介した時は連日250を超えていた。
 だが、「最終準備書面」を10回に別け、私のコメントもつけて連載するようになってからは、アクセス数は半減し、100を割る日も多くなった。多分その理由は、記述の内容が細部にわたっており、私のコメントを加えると、1回当たりの分量がかなり多い。おまけに、3、4日の間隔で立て続けに掲載したため、よほど関心の強い人でなければ、その分量とテンポにはつき合いきれなかったためであろう。その点では、掲載方法をもっと工夫すべきだったと反省している。
 ただ、別な見方をすれば、1回平均A4版15枚以上の文章を、3、4日の間隔で掲載しても、必ずつき合って下さる人がおり、どんなに少なく見積もっても100人は超えていることになる。なぜなら、3、4日の間隔のアクセスはほぼ250を数え、訪問者数はその半分くらいだからである。その他にも、断続的にではあるが、あれはどうなっているかな、とブログを覗いてくれた人も多かっただろう。このことは、1日平均110というアクセス数が物語っている。
 
 もちろんその中には財団法人北海道文学館の職員や、北海道教育委員会の職員もおり、ひょっとしたら太田弁護士事務所や札幌地方裁判所の職員もいて、決して「北海道文学館のたくらみ」に好意的でない人も存在したと思う。だが、そういう人もまた細心の注意を持って目を通してくれたはずであり、愛読者ではないかもしれないが、精読者でいてくれたことだけはまちがいない。
 しかし大半の人は亀井志乃の立場と主張に同情と共感を持って下さった。それは色んな反応から推定できる。その中の何人かが2月27日、わざわざ札幌地方裁判所まで足を運んで下さったわけで、ありがたいことだ。感謝に堪えない。
 そして、その方々を含めて、これまで関心を持って下さった全ての方に、お礼を申し上げる。

○もう一つの裁判を?
 では、今後どうするか。もちろん常識的には、「控訴」が妥当だろう。
 それを1案として、私たち家族はもう一つ別な案を、現在検討している。それは、寺嶋弘道学芸主幹の「陳述書」と平原一良副館長の「陳述書」を対象として、名誉毀損の人格権侵害の訴訟を新たに起こすことである。平原一良副館長の「陳述書」には、亀井秀雄の名誉を傷つける記述が含まれている。それ故、亀井秀雄も原告となり得るわけである。
 
 寺嶋弘道学芸主幹と平原一良副館長の「陳述書」を告訴の対象とするならば、亀井志乃は、前回の裁判では出さなかった証拠物を新たに出すことができる。亀井秀雄も原告に加わる。つまり、前回とは別個な裁判を起こす条件は十分に整うはずである。

○田口「判決文」の食言と虚偽(その1)
 なぜ、そういう案を考えたのか。
 田口紀子裁判長の「判決文」にその理由を語ってもらおう。
《引用》

(5) 文学館の事務局その他の組織に関し必要な事項を定める財団法人北海道文学館事務局組織等規程(以下、「組織規定」という。)が、平成18年6月1日改定され、施行されたが(平成18年4月1日から同年5月31日までの間は、経過措置として、同様の運用が取り決められた。)、原告が研究員として所属する文学館の業務課には、文学館の職員である課長、主査、主任、主事が配置され、業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された。組織規程では、学芸員、研究員の職務内容は、「上司の命を受け、調査、研究、展示等に係る事務をつかさどる。」旨定められた(組織規程3条)が、運用について定めた、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」(以下、「運用規程」という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた。(乙2(3p。下線は亀井)

 田口裁判長はここで3点、根拠のないことを述べている。
 まず第1に、財団法人北海道文学館には、平成18年度、
主事」の肩書きを持つ職員は存在しなかった。北海道教育委員会の職員3名が、財団と連携協力するために道立文学館に駐在し、その中に社会教育主事の肩書きを持つ職員がいたが、この「社会教育主事」と財団における「主事」は同じではない。もちろん「社会教育主事」の肩書きを持つ教育委員会職員のSさんは、財団の「主事」ではなかった。
 しかも、田口紀子裁判長は、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、」と書いているが、指定管理者制度の体制となった平成18年度の財団には、「学芸員」はいなかった。(田口紀子裁判長がいう「経過措置」の期間には「学芸副館長」が存在したが、6月1日から「学芸副館長」は「副館長」に昇格し、いかなる意味でも「学芸員」は存在しなくなった)。田口紀子裁判長は証拠物をきちんと読んでいないのではないか。

 第2に、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名が、財団の業務課の中に設けられた「学芸班」に配置された事実は全くなかった。
 田口裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」に基づいて、二つ目の下線部のように判断したらしいが、その「運用規程」のどこを見ても、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された」と解釈できるような組織図もなければ、文言もない。
 「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はそれ自体が問題のある文書なのだが、――その点は、次にふれる――仮にこれを前提として考えてみても、その組織図は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名で構成される「文学館グループ」を学芸班と名づけて、財団の業務課からは独立し、並立する組織とした。しかも、財団の業務課の中に設けられた学芸班の司書と研究員(財団の職員)を、「文学館グループ」の学芸班のほうに移して(配置して)しまった。つまり、現実の「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は、田口紀子裁判長のような理解を許さない、むしろ田口紀子裁判長が描いたのとは反対の組織図だったのである。
 
 分かるように、
業務課の中にさらに学芸班が設けられ、学芸班には、学芸員、研究員、司書が置かれるとともに、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)、社会教育主事、学芸員の3名も配置された」という組織のあり方は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を根拠に持たず、また、先の裁判を通じて、被告の寺嶋弘道学芸主幹も太田三夫弁護士も1度も主張することはなかった。その意味でこの組織は、田口裁判長の虚構によるもの、すなわち虚偽のものでしかなかったのである。
 田口紀子裁判長は、その「判決文」の中で、自分の判決が
「2 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実については、証拠を掲記した。)(2p)に基づいていることを明言している。しかし、田口紀子裁判長が描いた組織図は、その裏づけとなるべき「争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」を持たなかった。これは田口紀子裁判長の自分が明言したことを守っていない、田口紀子裁判長の食言と言うべきであろう。

○田口「判決文」の食言と虚偽(その2)
 田口紀子裁判長はこのように、現実には存在しなかった組織を虚構したわけだが、なぜそんなことをしたのか。多分田口紀子裁判長は、何としてでも寺嶋弘道学芸主幹を亀井志乃の「上司」に位置づける必要があったのであろう。なぜなら、もし北海道教育委員会から派遣された学芸主幹(被告)が財団の業務課の学芸班に配置されたとするならば、
組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた」という三つ目の下線部について、これは学芸班の内部処置だったと見せかけることが可能となるからである。
 別の言い方をすれば、田口裁判長は、この見せかけのもとで、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の問題を回避しようとしたわけだが、ここに第3の問題がある。
 
「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」という文書には、内容的にも手続き的にも問題点が多く、廃棄されるべきであることは、既に亀井志乃が「準備書面(Ⅱ)―1」で詳細に論じておいた。「北海道文学館のたくらみ(54)」でその概要を紹介しておいた。だが、今回から「判決とテロル」という新しいテーマに入ったので、念のために、手続き論の箇所をもう一度引用させてもらう。
《引用》

 C 手続きについて
a)「財団法人北海道文学館事務局組織等規程」(乙2号証)の第7条は
「この規程に定るもののほか、事務局その他の組織に関し必要な事項は、理事長が定める。」となっている。だが、平成20年4月16日に提出された被告の「陳述書」(乙1号証)によれば、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は平成18年4月18日の全体職員会議に先立って、毛利館長、安藤副館長、平原学芸副館長、川崎業務課長、及び被告本人の間で決められたものであって、規程に定められた手続きを経てオーソライズされたものではない。その意味で、先の*の「規程の定めにかかわらず」という文言に表出された規程の否定または拒否の発想は、第7条にまで及んでいたと見ることができ、これは理事長によって代表される理事会の主体性の否定につながる。言葉を換えれば、上記5名は理事長及び理事会を無視して、財団法人北海道文学館を恣意的に運営できるように組織を変えてしまったのである。「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」はこのように違法なやり方で作られたものであり、その中に盛り込まれた「上司」の概念に何の合理性も正当性もないことは明らかである。
(中略)

e)学芸主幹の上司は誰なのか。組織上、一職員たる学芸主幹に上司が存在しないことはあり得ない。北海道教育委員会のどのような規程に基づいて、北海道教育委員会の職員が財団法人北海道文学館の事務局組織の中で財団職員の部下となり、財団職員の上司となることを認められたのか。北海道教育委員会の規程及び被告に対する適用の手続きが明らかでない(6~7p。下線は引用者)

 このように、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」は手続き論的にみて違法なものでしかなく、その中に盛り込まれた「上司」の概念は何の合理性も正当性も持たない、恣意的なものでしかなかった。
 田口紀子裁判長はこのような反論を読んでいたはずであるが、それを黙殺してしまった。その一番の理由は、亀井志乃の反論とまともに向き合い、その上で亀井志乃の反論を「根拠なし」として退けるには、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」を決定した主体と手続きの問題を避けて通ることができない。そう判断したからであろう。先ほど引用した「判決文」で分かるように、田口紀子裁判長は「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の決定主体と手続きの問題を曖昧にぼかしていた。これはすなわち
「組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨」を定めた主体と手続きの問題を曖昧にぼかしたことにほかならない。
 そのため田口紀子裁判長は、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」が正当な運営規程である理由を、
争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実」に基づいて明らかにすることができなかったのである。
 その意味でも田口紀子裁判長は、みずからの基本方針を裏切り、偽っている。そう言われても仕方がないところであろう。
 
 ただし、実際的には、田口紀子裁判長が虚構した組織や、「財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について」の組織図は、いずれにせよ道と財団とが結んだ「協定」の趣旨から外れたものであり、また寺嶋弘道が北海道教育委員会の職員(公務員)である事実に照らしても許されがたいものであった。
 亀井志乃はその点を「陳述書」と証拠物によって明らかにした(「北海道文学館のたくらみ(44)」)。さらに10月31日の本人尋問を分析した「最終準備書面」によっても明らかにした(「北海道文学館のたくらみ(48)」)。だが、田口紀子裁判長は亀井志乃のそれらの主張も黙殺してしまったのである。

○法をめぐる権力のトライアングル
 以上のように、田口紀子裁判長は極めて強い意志をもって、寺嶋弘道学芸主幹が公務員である事実を不問に付そうとしているわけだが、それは北海道の司法関係者の共通の意志であるように、私には思われる。

 亀井志乃が財団法人を解雇された問題について、北海道労働局の職員は大変親身に相談に乗り、助言をしてくれたが、人権侵害の調査の依頼に関する札幌法務局のO調査救済係長の対応は、不誠実きわまりないものだった。
 調査時間をずるずると引き延ばす。調査内容については、「守秘義務」を理由に答えない。その実態は「北海道文学館のたくらみ(24)」「同(25)」で紹介しておいたので、ごく簡略にまとめて言うならば、亀井志乃は、財団が指定管理者として指定を受けるに当たって道に提出した『北海道文学館業務計画書』の「(事務局)組織図」をO調査救済係長に手渡し、それに基づいて、〈道職員の寺嶋弘道学芸主幹と財団の嘱託職員である亀井志乃とは決して上司と部下の関係ではありえない〉理由を説明した。もちろん詳細に説明した文書も渡しておいた。にもかかわらず、O調査救済係長の結論は「寺嶋弘道学芸主幹と亀井志乃嘱託職員は上司と部下の関係だった」ということだった。驚いてその理由を訊いたが、O調査救済係長は口を閉ざして答えない。「普通の市民同士の関係で考えれば、寺嶋の亀井志乃に対する態度は無礼であり、侮辱を加えている。いわれのない人権侵犯として考えるほかはないと思うが、職場において同様なことが行われているにもかかわらず、職場ならば『人権侵犯に当たらない』と判断する理由は何か」という質問に対しても、O調査救済係長は口を閉ざして答えなかった。
 
 過日、NHKテレビが、「このたび法務局では人権侵害の110番を設けることになった」と報道し、女性の職員が電話で対応している映像を流した。取りあえず結構な話ではあるが、亀井志乃と私の経験に即して言えば、札幌法務局はあまりアテにはならない。調査する気概も、救済する姿勢も、まるで感じられなかったからである。
 
 ともあれ、そのようなこともあって訴訟に踏み切ったわけだが、被告の代理人・太田三夫弁護士は「事実上の上司」を繰り返し、だが、「公務員が民間人の上司となることは許されないのではないか」という批判を含む亀井志乃の反論に対しては、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、全く答えようとしなかった。
 そして10月31日の本人尋問となったわけだが、現に田口紀子裁判長は、「事実上の上司」という被告側の主張が何ら根拠を持たないことを目の当たりに見ていたはずである。亀井志乃はその時の記録をもとに「最終準備書面」を書き、再度「事実上の上司」という被告の主張には根拠がないことを証明しておいた(「北海道文学館のたくらみ(48)」)。
 他方、被告側は「準備書面(4)」で、またしても没論理的に「事実上の上司」を乱発するだけであったが、結局田口紀子裁判長は亀井志乃の問題提起と主張を無視して、太田三夫弁護士の没論理的な主張に寄り添う形で、
運用について定めた、『財団法人北海道文学館事務局組織等規程の運用について』(以下、『運用規程』という。)において、組織規程にかかわらず、学芸班に所属する司書、研究員の上司は、北海道教育委員会から派遣された学芸主幹とする旨定められた」と、この問題をいなしてしまった。
 もし田口紀子裁判長が「寺嶋弘道学芸主幹は公務員であるが、道立文学館に駐在する立場にあるかぎり、民間の財団の嘱託職員である亀井志乃の上司となることができる」と判断するのであるならば、その判断根拠を明示すべきではないか。それが語の正しい意味での裁判官の判決文というものであろう。
 
 私は、この人たちが一つ穴のムジナだと考えているわけではない。ただ、これだけ北海道の法律関係の人間が、まるで申し合わせたみたいに、道の公務員の行為に関する法的な判断には手心を加えようとする。そのやり方を見ていると、北海道の司法関係者の間では、一種暗黙の了解事項みたいなものがあるのではないか。太田三夫弁護士はその辺の空気を読み切っていたからこそ、平気で没論理的な主張を繰り返し、亀井志乃に対するセカンド・ハラスメントとも言うべき言動も辞さなかったのだろう。そういう疑問を私は禁じ得なかった。
 黒古一夫さんのブログによると、『北海道新聞』の文化部の記者諸氏は、亀井志乃が起こした裁判に関しては、「触らぬ神にたたりなし」と傍観しているらしいが(「北海道文学館のたくらみ(42)」)、なるほどこんなところにその理由があったわけだ……。 
 
 もちろん亀井志乃が控訴すれば、田口紀子裁判官とは別な裁判官が担当することになるだろう。だが、亀井志乃がこれまでと同じ主張を述べたとして、果たしてきちんと目を通し、事実認識と論理構成に過不足のない判決を下してくれるかどうか。ひょっとしたら、暗黙のお約束による結論が先にあり、それに辻褄を合わせたような奇妙な判決文を、もう一度読まされるだけのことではないか。

○やはりもう一つ裁判の準備を
 私たちは亀井志乃の勝訴を確信しており、この判決は全く納得できなかったが、ある意味で亀井志乃が一番冷静で、醒めていた。「結局、目立たないところで職もなく生きている一人の女の人権を取るか、道の文化施設の安定を取るか、そんなふうに天秤に掛けてみて、皆さんに良識的な判断と評価して貰えるような判決を出したんでしょうね」。
 
 寺嶋弘道主幹に人格権侵害の有罪判決が出た場合、北海道教育委員会が彼にペナルティを課すかどうか、それは分からないが、少なくとも道立文学館の駐在制度について見直しをはかる必要が出て来るだろうし、議論は指定管理者制度そのものの是非にまで及ぶかもしれない。そうなると、道の文化施設に混乱が生じ、文化行政自体にまで波及して、北海道教育委員会の文化スポーツ課の管理職だけでなく、教育長が対応せざるをえなくなるだろう。それに対して、亀井志乃には精神的、肉体的な障害を受けた様子は見られない。また、たとえ亀井志乃の訴えを棄却したとしても、亀井志乃を有罪とするわけではないから、亀井志乃が損害、実害を受けることはない。それやこれやを勘案するに、ここは行政の混乱を防ぐことを優先すべきではないか。
 この一見もっともらしい、訳知り顔の理屈は、世のお利口さんが飛びつきやすい「良識論」であるが、えてしてそういう良識派は、亀井志乃がどんな苦痛を強いられてきたかには目を向けず、ことが亀井志乃の人権にかかわり、ひいては生活権の侵害にまで及んでいる事実を見逃してしまう。田口紀子裁判長も結局はこのお良識の路線に乗ってしまったらしい。本当はそういう弱い立場の人間一人ひとりの人権と生活権を守るために憲法があるなずなのだが。
 以上は私なりのリライトであるが、亀井志乃はこの判決をそのようにとらえ、もう一つの裁判の可能性を探ることにしたのである。
 
○新たな土俵で
 ただ、以上のこととは別に、だがそれと並行して、私は「判決とテロル」というテーマで、今回の判決文をつぶさに検討することにした。その中には現在の言説論や言語行為論の方法と理論で田口判決文を読み解く試みも含まれている。
 
 私は若い頃、アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』(1941年)という共産主義国家の裁判をテーマとした小説を読み、深い感銘を受けた。平野謙がこの作品と正面から取り組んだ「粛清(チーストカ)とはなにか」(1957年)という論文を書いており、その熱っぽい語り口に惹かれて反復熟読した。フランスでは、メルロ=ポンティが同じ作品を俎上に据えて『ヒューマニズムとテロル』(1947年)という長大な論文を書いており、森本和夫の翻訳(現代思潮社、1965年)を読んで、もし機会があったらこれらの作品や論文を参考に「裁判とテロル」という問題を論じてみたい、と考えた。平野謙もメルロ=ポンティも、いずれも私が敬愛してやまぬ評論家であり、思想家だからである。
 
 もちろん亀井志乃の訴えを却下した田口紀子裁判長の「判決文」と、『真昼の暗黒』とでは内容、スケールともに大きな違いがある。だが、捉え方によってはこの裁判と判決の隠れた本質が明らかになってくるかもしれない。その過程では、当然太田三夫弁護士の文章や、寺嶋弘道学芸主幹や平原一良副館長の文章も参考にさせてもらう。
 その意味で、田口紀子裁判長を含め、これらの人たちからはいい材料を貰ったと思っている。

 

 

 
 
 

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北海道文学館のたくらみ(58)

判決下る

○判決は敗訴
 今日(2月27日)の午後1時10分、札幌地方裁判所7階8号法廷で、判決が下った。傍聴席には、顔見知りの人を含めて、9人ほどの方が来て下さった。思いがけないことで、大変にありがたかったが、田口紀子裁判長の下した判決は「1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。」だった。亀井志乃が敗訴したわけである。

○判決文の奇妙なロジック
 これからどうするか。手交された判決文を丁寧に検討して決めることになるだろう。ただ、私自身は判決文を逐条審議的に分析して、納得できない点があれば、このブログで取り上げるつもりであり、今日は、まずざっと目を通した範囲で気がついたことを指摘しておきたい。

 そこで第一に指摘しておきたいのは、田口紀子裁判長は亀井志乃の「準備書面(Ⅱ)―1」「同―2」「同―3」(「北海道文学館のたくらみ(31)」~「同(35)」)、および「陳述書」(「北海道文学館のたくらみ(43)」~「同(45)」)、「最終準備書面」(「北海道文学館のたくらみ(48)」~「同(57)」)の主張を全く無視、黙殺してしまったことである。
 「陳述書」の無視に関しては、次の問題との関連で改めて取り上げるが、亀井志乃は「準備書面(Ⅱ)―2」で、寺嶋弘道の「陳述書」が如何に虚偽に充ちているか、証拠を挙げて詳細に指摘した。また、「最終準備書面」では寺嶋弘道の法廷における偽証を詳細に証明しておいた。ところが、田口紀子裁判長によれば、
被告は、本件訴訟活動の一環として、準備書面、陳述書等を提出したと認められ、被告に正当な訴訟活動として許容される範囲を逸脱した行為があったとは認められない。また、被告に虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はない。よって、原告の主張は理由がない。」(判決文25p。太字は引用者)となってしまったのである。
 
 ふ~ん、なるほどなあ。嘘を指摘されても、知らぬ顔の半兵衛を決め込み、反論をしないでおくならば、裁判所の理屈では、
虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はないということになるわけか。
 寺嶋弘道は
「この『二組のデュオ展』では、2月9日(金)の道内美術館からの作品借用業務において、通常、作品図版カードを持参して双方職員による点検を行うところ、原告はこれを持参せず、」(寺嶋「陳述書」5p)と書き、亀井志乃によってそれが虚偽の記述でしかないことを指摘された(亀井「準備書面(Ⅱ)―2」19~21p)。当然寺嶋弘道は自分の記述の正しさを証明する責任があり、そのためには最低の証拠として「作品図版カード」なるものを提出する必要があったわけだが、彼は頬かぶりしてやり過ごしてしまった。そういう横着なやり方を取っていると、日本の裁判では、虚偽の陳述があったとまで認めるに足りる証拠はないということにしてもらえるらしいのである。

○意図的な混同
 さて、次は、「準備書面(Ⅱ)―1」や「陳述書」に関することであるが、田口紀子裁判長の判決文によれば、被告・寺嶋弘道の地位は次のごとくであった。
《引用》
 
文学館が指定管理者制度を採用し、平成18年度は、組織規程及び運用規程の改定により、平成17年度までの指揮命令系統が変更になり、業務課学芸班に所属する司書、研究員の上司は、学芸主幹とする旨定められたことから、被告が研究員である原告の上司という立場にあったと認められるから、上司として行われた、前記被告の原告に対する言動が、原告に対する不法行為に当たるかが問題となる。
 この点に関し、原告は、被告が、原告の業務に関して命令や意見を述べること、文学館の業務課が問題としない点について被告が干渉してくることなどの被告の行為の違法を主張するが、上記のとおり、原告の採用権者である文学館において、その組織規程及び運用規程において、指揮命令系統を定め、被告が原告の上司とされたことは明らかである
(15~16p)

 一読して明らかなように、田口紀子裁判長は、道の施設としての道立文学館と、財団法人北海道文学館とを故意に混同している。引用した文章の冒