変な言葉
〇戦犯
スポーツは時々、言葉の奇妙な使い方を生み出す。
先日、オーストラリア戦に負けた後、2chのあちこちに「戦犯」という言葉が見られた。もちろん「敗戦責任者」の意味だろうが、犯罪者扱いにするのはどうかな。
その点で私は、この言葉に違和感があるのだが、しかし考えてみれば、靖国神社に関連してよく耳にする「戦犯」も、妙な言葉と言えなくもない。
東条英機たちが問われたのは「敗戦責任」というより、むしろ「開戦責任」だったからである。
敗戦の責任を問うことは、発想として分りやすい。時には必要でもあるだろう。だが、実際の戦争であれ、サッカーの試合であれ、それは必ずしも/決して罪を問うこととは直結しない。
では、開戦の責任は? もちろんサッカーの場合、開戦の責任など成立するはずがない。では、実際の戦争の場合は? 敗戦の結果に至った戦争を開始した場合にだけ、開戦の責任が「犯罪」として問われるのだろうか?
こう考えてみると、政治用語としての「戦犯」は、事柄を曖昧にしてしまう危険を含んでいることに気がつく。「開戦責任」とは何か。「責任」と「罪」とが重なり合う条件とは何か。誰がそれを問い、確定することができるのか。それらの問題から考え直す必要がある。
〇柳沢の大ポカ
閑話(?)休題。一昨日のクロアチア戦、後半のあの決定的なチャンスで、柳沢はゴールキーパーの動きに釣られてしまったのだろう。
加地の動きに釣られて、クロアチアのキーパーがゴールポストのエリアから飛び出す。エリアはがら空き。誰が見ても「いただき!!」の場面で、柳沢は加地から送られたボールを左足で軽く抑え、ゴール内にちょんと蹴り込む。それで1点、「ごっつあんです!」のはずだった。
にもかかわらず、柳沢は飛び出したキーパーを目掛け、思い切りシュート。鮮やかに(!!)股間を抜いたのだが、その先にゴールはない。これはもう「釣られた」と言うほかはないだろう。
私自身はサッカーをやったことがなく、だから、ここは勘で言うしかないのだが、オーストラリア戦の時から、日本の選手は身体の余裕がなかった。相手選手と身体が接触し合う、密集戦の場面になると、どこへ向けて、誰に対して蹴るのか、その瞬間的な判断ができない。ただ機械的、反射的に蹴っている。私にはそう見えた。
野球の場合、バッターは相手投手が最も得意とする球か、あるいは速球を念頭に置いて、バットを構え、もし緩いカーブが来たら、腰の回転を一瞬遅らせてバットを出す。そういう何分の1秒かの間の、瞬間的な腰の「矯め」、つまり咄嗟の判断と身体的な対応。それを私は「余裕」と呼んだわけだが、それを失うと、ただ来た球を強振するだけの、単調で、無策なバッティングになってしまう。日本の選手の動きは、そんな具合だった。
状況に「呑まれて」しまったのである。
○耳に痛い
2chの「群馬の高校野球を語るスレ」を読んでいたいたら、6月19日付けで、「これからの時期、強豪校は練習がだんだん軽くなっていく。へぼチームほど、練習がきつくなっていく」という言葉があった。
〇三都主のお尻
前半、開始早々、宮本がファールを取られ、相手にPKの権利を与えてしまった。失点は誰しも覚悟したところだが、川口の見事なセーヴで、相手に得点を許さなかった。さあ、今日はいけるぞ。気持ちは乗りにのったはずで、今度は日本がフリーキックのチャンスを迎えた。
中村が蹴る。球は低い弾道を描いて、相手選手の「壁」の間を抜け、ゴールネットを向う。ところが「壁」の脇に立った三都主が、その瞬間、何を考えたのか、ひょいと小腰を屈めた。おかげで中村の球は三都主のお尻に当り、ゴールの外へ逸れて、中村は苦笑い、天を仰いで慨嘆した。
「だめだよ、三都主、こんな時にマリリン・モンローの真似をするなんて!」。私は思わず叫んだ。妻と娘が笑って、「お父さん、そんな古い話を持ち出しても、今の人には何のことか分りませんよ」。
〇首の皮一枚
昨日(6月19日)、私は調べごとで札幌に出かけた。藤女子大の図書館を出た後、そば屋に入り、北海道新聞を見ると、「首の皮一枚残っている」云々と書いていた。要するに、数字の上だけで言えば、まだ完全に可能性が絶たれてしまったわけではない、と言いたいのだろう。嫌な言葉だな。
まだ長島がジャイアンツの監督の頃だったと思うが、マスメディアの人間がしきりにこの言葉を使った。「もし中日が残り9試合を、2勝7敗。ジャイアンツが残り8試合で7勝すれば、ジャイアンツの勝率が1分上回る。まだ首の皮一枚残っているわけですね」などと、つまらない数字遊びをやって、はしゃいでいた。
死刑にかかわる言葉を、無神経に振り回す。そこまでしても、お前さんたちは読売におもねりたいのか、長島に媚を売っているのか、ジャイアンツ・ファンに色目を使っているのか。みじめな連中だな。
そんなことを思い出しながら、そば屋を出て、北大の図書館へ行き、必要な資料のコピーを取って、一休み。毎日新聞を広げてみると、川淵三郎の談話が載っていた。この度は、川淵が「首の皮一枚」云々を言い出したらしい。いまさら念を押すまでもないことかもしれないが、川淵さん、北海道新聞さん、「首の皮一枚」云々は、もう首を斬られ、その首が胸元へ落ちかかっているという意味なんですョ。
むごい話を喩えに使ったものだな。
最近のコメント