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2006年W杯(5)

○ようやく落ち着きが

 昨日の朝、居間に入ると、テレビに中田たちが映っていた。ドイツの合宿所にもどって2日目の練習風景らしい。中田をはじめ、皆、何か吹っ切れたように、さっぱりとした顔をしている。笑顔もよくなった。呪縛が解けたみたいで、安心した。

 ジーコの指示は指示として、いったんグランドに立ったら俺たちのプレーをしようぜ。暗黙のうちに、そういう意思統一が出来たのだろう。

 マスメディアもようやく少し落ち着きが出てきたようだ。これまでは、アナウンサーも解説者も――小島を除いて――、何かにつけて世界ランキングだ、格下だ、格上だと、分かったふうにぺちゃぺちゃと囀り、その上ずった調子が見苦しく、聞き苦しかった。だが、どうやら、憑いていた狐が落ちたらしい。(松木はまだかな)

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2006年W杯(4)

変な言葉
〇戦犯
 スポーツは時々、言葉の奇妙な使い方を生み出す。
 先日、オーストラリア戦に負けた後、2chのあちこちに「戦犯」という言葉が見られた。もちろん「敗戦責任者」の意味だろうが、犯罪者扱いにするのはどうかな。
その点で私は、この言葉に違和感があるのだが、しかし考えてみれば、靖国神社に関連してよく耳にする「戦犯」も、妙な言葉と言えなくもない。
 東条英機たちが問われたのは「敗戦責任」というより、むしろ「開戦責任」だったからである。
 
 敗戦の責任を問うことは、発想として分りやすい。時には必要でもあるだろう。だが、実際の戦争であれ、サッカーの試合であれ、それは必ずしも/決して罪を問うこととは直結しない。
 では、開戦の責任は? もちろんサッカーの場合、開戦の責任など成立するはずがない。では、実際の戦争の場合は? 敗戦の結果に至った戦争を開始した場合にだけ、開戦の責任が「犯罪」として問われるのだろうか?
 
 こう考えてみると、政治用語としての「戦犯」は、事柄を曖昧にしてしまう危険を含んでいることに気がつく。「開戦責任」とは何か。「責任」と「罪」とが重なり合う条件とは何か。誰がそれを問い、確定することができるのか。それらの問題から考え直す必要がある。

〇柳沢の大ポカ
 閑話(?)休題。一昨日のクロアチア戦、後半のあの決定的なチャンスで、柳沢はゴールキーパーの動きに釣られてしまったのだろう。
 加地の動きに釣られて、クロアチアのキーパーがゴールポストのエリアから飛び出す。エリアはがら空き。誰が見ても「いただき!!」の場面で、柳沢は加地から送られたボールを左足で軽く抑え、ゴール内にちょんと蹴り込む。それで1点、「ごっつあんです!」のはずだった。
 にもかかわらず、柳沢は飛び出したキーパーを目掛け、思い切りシュート。鮮やかに(!!)股間を抜いたのだが、その先にゴールはない。これはもう「釣られた」と言うほかはないだろう。

 私自身はサッカーをやったことがなく、だから、ここは勘で言うしかないのだが、オーストラリア戦の時から、日本の選手は身体の余裕がなかった。相手選手と身体が接触し合う、密集戦の場面になると、どこへ向けて、誰に対して蹴るのか、その瞬間的な判断ができない。ただ機械的、反射的に蹴っている。私にはそう見えた。
 野球の場合、バッターは相手投手が最も得意とする球か、あるいは速球を念頭に置いて、バットを構え、もし緩いカーブが来たら、腰の回転を一瞬遅らせてバットを出す。そういう何分の1秒かの間の、瞬間的な腰の「矯め」、つまり咄嗟の判断と身体的な対応。それを私は「余裕」と呼んだわけだが、それを失うと、ただ来た球を強振するだけの、単調で、無策なバッティングになってしまう。日本の選手の動きは、そんな具合だった。
 状況に「呑まれて」しまったのである。

○耳に痛い
 2chの「群馬の高校野球を語るスレ」を読んでいたいたら、6月19日付けで、「これからの時期、強豪校は練習がだんだん軽くなっていく。へぼチームほど、練習がきつくなっていく」という言葉があった。

〇三都主のお尻
 前半、開始早々、宮本がファールを取られ、相手にPKの権利を与えてしまった。失点は誰しも覚悟したところだが、川口の見事なセーヴで、相手に得点を許さなかった。さあ、今日はいけるぞ。気持ちは乗りにのったはずで、今度は日本がフリーキックのチャンスを迎えた。
 中村が蹴る。球は低い弾道を描いて、相手選手の「壁」の間を抜け、ゴールネットを向う。ところが「壁」の脇に立った三都主が、その瞬間、何を考えたのか、ひょいと小腰を屈めた。おかげで中村の球は三都主のお尻に当り、ゴールの外へ逸れて、中村は苦笑い、天を仰いで慨嘆した。

 「だめだよ、三都主、こんな時にマリリン・モンローの真似をするなんて!」。私は思わず叫んだ。妻と娘が笑って、「お父さん、そんな古い話を持ち出しても、今の人には何のことか分りませんよ」。

〇首の皮一枚
 昨日(6月19日)、私は調べごとで札幌に出かけた。藤女子大の図書館を出た後、そば屋に入り、北海道新聞を見ると、「首の皮一枚残っている」云々と書いていた。要するに、数字の上だけで言えば、まだ完全に可能性が絶たれてしまったわけではない、と言いたいのだろう。嫌な言葉だな。

 まだ長島がジャイアンツの監督の頃だったと思うが、マスメディアの人間がしきりにこの言葉を使った。「もし中日が残り9試合を、2勝7敗。ジャイアンツが残り8試合で7勝すれば、ジャイアンツの勝率が1分上回る。まだ首の皮一枚残っているわけですね」などと、つまらない数字遊びをやって、はしゃいでいた。
死刑にかかわる言葉を、無神経に振り回す。そこまでしても、お前さんたちは読売におもねりたいのか、長島に媚を売っているのか、ジャイアンツ・ファンに色目を使っているのか。みじめな連中だな。

 そんなことを思い出しながら、そば屋を出て、北大の図書館へ行き、必要な資料のコピーを取って、一休み。毎日新聞を広げてみると、川淵三郎の談話が載っていた。この度は、川淵が「首の皮一枚」云々を言い出したらしい。いまさら念を押すまでもないことかもしれないが、川淵さん、北海道新聞さん、「首の皮一枚」云々は、もう首を斬られ、その首が胸元へ落ちかかっているという意味なんですョ。
 むごい話を喩えに使ったものだな。

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2006年W杯(3)

○一億一心、サッカーだ?!

昨夜遅く、寝る前に歯を磨きながらテレビを入れると、どの局も対クロアチア戦の予想をやっていた。例によってアナウンサーが喉に力を入れ、大袈裟な言葉で煽っている。日本が一つになる。運命の一戦。負けられない一戦。後がない! 絶対に勝つ。勝ちに行く。

「日本が一つになる」は、W杯の開幕前からNHKがやっていた。オーストラリア戦に負けた翌朝の、ある民放では「借りは絶対返す!」。クロアチアもつまらないとばっちりを喰わされることになりそうだな。しかしオーストラリアに負けた腹いせを、クロアチアにぶつけるなんて、とんだお門違いと言うものだろう。

私はスポーツ好きだから、もちろん今晩の試合も見る。日本に勝ってほしい。だがアナウンサーや、サポーターの、あのわざとらしい「熱狂」にはつき合いかねる。今回もテレビの音量を落とし、時々2chを覗きながら「観戦」することになるだろう。2chのほうがずっとクールで、適切な批評や分析が見られるからである。

「日本が一つになる!」……か。そう言えば子供の頃、「一億一心、火の玉だ!」という標語があった。「一億一心、人魂だ!」とやって、近所のおじさんに不謹慎だと叱られた。

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2006年サッカーW杯(その2)

ドイツという会場
〇ミュンヘンの奇習(?)
 日本の選手には、ドイツの水が合わないのかな。日本の選手の顔はツヤもなければ、張りもない。妻とそんな話をしている時、たまたま大黒の顔がアップで映り、吹き出物が出ているみたいで、びっくりした。

 もう20年近く前だが、私たち家族3人は、西ドイツ(当時)のミュンヘンに3ヶ月ほど滞在していた。5月から6月上旬にかけて、天候は不安定だった。朝よく晴れているので、安心して出かけると、午後、俄に黒雲が空をおおい、大粒の雨どころか、雹が降ってきた。南ドイツの5月は、一日で四季を経験できる。土地の人がそう教えてくれたが、確かにその通りだった。
 
そうかと思うと、やたら暑い日があった。ミュンヘンの市民は、小さな茣蓙のようなものを、丸めて持ち歩いている。陽射しのよい日は、公園の芝生の上に広げて、日光浴をするためである。
 アルプスの北側の人間は、よほど太陽に飢えているのだろう。少し日が照ると、さあ、日光浴だ、とばかり、遠慮会釈なくパンツ一枚になって――なかにはスッポンポンの丸裸で、――茣蓙に寝そべっている。女性もパンツ一枚。ミュンヘン大学近くのエンゲリッシェ・ガルテンを通りかかったところ、途方もなく広大な公園の一面に、裸の人間が転がっている。
壮観! とも言える眺めだったが、何千頭というアザラシの群れが日向ぼっこしているみたいで、気持ちが悪かった。

 公園の一角に日本庭園があり、茶室が設けてある。私たちはそこへ出かけたのだが、庭園に人工の川が流れ、木橋が掛かっている。その欄干にも、パンツ一枚の、まだ若い女性が凭れかかって日光浴。ごめんなさいと、恐縮しながら通り抜ける私たちを、薄目を開けて煩(うるさ)そうに見ていた。
 現在もあんな奇習(?)が残っているのかしら。

 羞恥心とか、プライバシーの観念にも文化の違いがあるらしい。ミュンヘンの市民は、あれだけ臆面もなく自分の裸体を人目に晒して、平然としている。にもかかわらず、自分の部屋に関しては閉鎖的で、朝、私はキッチンでコーヒーを淹れ――ダルマイヤーのコーヒーは美味しかった、――カップを片手に、窓際まで行ってみる。すると、中庭を挟んだ、向かいの部屋の窓が、ピシャリと閉まる。
 こんなに広い中庭を挟んで、おまけに部屋のなかは暗い。見えるわけないだろっ?! と思うのだが、ホント、ピシャッという音が響いてくるくらい、烈しい勢いで窓を閉めた。
 ひょっとしたら、向うがこっちを窺っていたのかな?

〇「水」に用心
そんなことを思い出したが、さて、問題は「水」だった。ビールは旨かったが、水は怖い。水質が違うらしい。もちろん水道の水は、そのまま飲まない。必ず沸かして飲む。
名前は忘れたが、携帯用の、棒状の煮沸器があり、電流はコンセントから取る。コップに水を汲み、これを差し込んで、スイッチを押すと、2、3分で沸騰した。小さな旅行の場合も、忘れずに持っていった。
これはドイツ生活の基本的な心構えだが、レストラントの水も安心できなかった。

アパートに落ちついて間もない頃、マリエンプラッツの近くのカフェで一休み、ビールとソーセージを注文したところ、まず水の入ったコップを置いていってくれた。おや、お冷だ! 珍しいね。それまで、こんなサービスを受けたことがなかった。私はすっかり嬉しくなり、妻が止めるのも聞かず、「お店で出してくれたんだから、心配ないだろう」と飲み干した。
ところが、これが大失敗。その晩、ひどい下痢になった。
口が賎しいおかげで、つまらない失敗をしたわけだが、それにしてもあのカフェ、どうして「お冷や」を出してくれたのだろう。未だに理由がよく分からない。

そういう失敗もあって、私たちは、いったん水道の水を沸騰し、それを冷ました水を、食べ物の煮炊きに使った。日本から米と乾麺を送っておいたが、もちろん現地にも美味しい食材が沢山あり、快適な食生活を送ることが出来た。

〇栃木高校野球スレ状態の懸念
今日(6月17日)の練習を見ると、少し精悍さのもどった選手もいる。だが、中田や中村は相変わらず表情が冴えない。外国暮らしは慣れているはずで、体調の管理に失敗したとは思えないが、とするならば、よほど水質が合わないのだろう。

それやこれや、心配の種が多いのだが、とにかくクロアチア戦には勝って欲しい。
私は2chのスポーツ板を時々のぞくのだが、高校野球、春の関東大会が栃木県で行なわれた。地元開催ということで、他県は2校だったが、栃木県は4校出場した。ところが、4校とも初戦で敗れてしまい、すると、「栃木県の高校野球について語るスレ」の書き込みが俄にトーンダウンし、口数も少ない。これが北海道や横浜や埼玉、東京などの場合、かえって悔し紛れの、ドギツイ言葉があふれ始めるのだが、栃木の高校野球ファンは、根が素直で、正直なのだろう。オイ、大丈夫かと声をかけたくなるほど、すっかり落ち込んでしまった。
群馬代表は2校とも初戦を勝ち、準決勝には進めなかったのだが、「群馬の高校野球を語るスレ」のほうは依然としてローカルな話題で盛り上がっている。
 その対照があまりにも鮮やかで、もし1勝も出来なかったとなれば、日本のサッカー人気そのものが、栃木高校野球スレ状態になりかねない。それが心配だ。

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2006年サッカーW杯

〇アンドウ・ミキ状態
う~ン、やっぱりアンドウ・ミキ状態だったようだな。
サッカーで日本がオーストラリアに1対3で負け、私たちは腹が立つとか、ガッカリするとかではなく、すっかり白けてしまった。

アンドウ・ミキとは言うまでもなく、トリノ・オリンピックの女子フィギュア・スケートの日本代表選手を指す。
彼女は4回転ジャンプを「売り」に、トリノに派遣されたわけだが、練習と調整の様子を伝える、現地のテレビレポートを見ていると、4回転を試みては、転んでいる。
このことについては、以前このブログで書いたと記憶しているが、「いくら練習だと言っても、本番近くになって、こんなに転んだら、身体にダメージが溜まってゆくだろう。本人が固執しているのか、コーチの指示なのか分らないけど、4回転にこだわらないで、もっと違うワザでアピールする方向に切り換えたほうがいいんじゃないか」と、私たち家族は心配していた。
案の定、彼女は本番でも思うようにジャンプが決まらず、演技全体が生彩を欠いていた。

W杯の日本代表チームがドイツに入ってからのレポートを見て、私たちは、まるでアンドウ・ミキ状態だね、と言っていた。
ドイツとの調整マッチはいい試合だったらしいが、マルタとの調整マッチは1対0の辛勝。本番を控えた選手とは思えないほど動きにキレがなく、覇気もない。アップで映る中田や中村の顔は、すっかり頬がこけて、生気がない。
うわッ! 高橋尚子の時よりひどい!!
高橋尚子がオリンピック代表の選考を兼ねた、東京国際マラソンに出場するため、たしかアメリカのトレーニングから帰ってきた時は、身体を「絞った」なんて生易しいものじゃない。筋(すじ)しか残っていないような痩せ方だった。
これでフルマラソンは無理じゃないか。私たちはそう懸念していたが、これまた案の定、最後の10キロで優勝争いから脱落してしまった。

〇爺むさいジーコ
本番を控えた、待ったなしのこの期に及んで、何でこんなに身体をイジメルんだろう。ジーコに余裕がないのか。

代表選手を選ぶころから、ジーコの表情がイジイジと神経質そうになり、やたら暗い。戦う指揮官らしい快活さもなければ、どっしりと落ち着いた態度で周囲を安心させる雰囲気もない。クール・ビズのつもりかもしれないが、よれた背広にノーネクタイ、無精ひげ、未練たらしく薄く残った、もじゃもじゃの髪。これじゃあ士気が挙がるはずがない。

〇利いたボディ・ブロー
専門家の解説によれば、日本は後半の半ばまで、いい戦い方をしていた、という。確かにゴール前に攻め込んでくるオーストラリアのボールを落ちついて捌いていた。また、オーストラリアもオーストラリアで、何とかの一つ覚え、ポーンとロングパスを前線に送る、ワンパターンの攻撃を繰り返している。
この状態で、カウンターアタック。もう1点取れば、日本の勝ちは確実だな。

私はそう見ていたのだが、おや?! オーストラリアのあのワンパターン攻撃が、じわじわとボディ・ブローみたいに利きはじめたらしい。これもオーストラリアの作戦なのか?
日本の選手が、ゴール前で奪ったボールを、相手陣内で待っている味方に送るのだが、日本選手の反応が鈍い。スタートを切りかかるのだが、結局はボールを見送って、あっさりとオーストラリアの選手に渡してしまう。足が動かない。そういう場面が目立ってきた。

それもあるが、日本のディフェンス陣が明らかに余裕を失ってきた。奪ったボールを、とにかく遠くへ蹴り返すのが精一杯。どこに味方が待っているか、見極めてからボールを蹴る。それだけの余裕さえ見えない。だから、すぐにボールを取り返されてしまう。
これはマズイぞ。引き分けで終われるならば、御の字というところだな。そう娘と話していたところ、立て続けに3点も奪われてしまった。

試合前のインターヴュで、中田が「走り勝つ」みたいなことを言っていたけれど、結果はその逆だった。

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