〇素敵な砂絵
トリノのオリンピックが始まった。BSのおかげで、外国のチーム同士の対戦もじっくり見ることができ、新しい競技種目の見どころも理解できるようになった。世界のトップレベルの凄さもよく分った。スポーツ好きの人間にとって、これこそがオリンピックの醍醐味と言えるだろう。
夕方の7時半から始まる、NHK第1「オリンピック・セレクション」のオープニングの、砂絵(?)もすばらしい。雰囲気がある。トリノの開会式が無暗に盛り沢山で、統一感がなく、おまけに、銀色の蜘蛛の群れがごそごそと壁を這ってゆく、インベーダーゲームみたいな趣向も加わって、いよいよ訳が分らなかった。
それに較べて、わずか10秒足らずの砂絵のほうがはるかにすっきりとして、印象が強い。今回のオリンピック関連の企画のなかで、一番のヒットと言えるのではないか。
〇ファイナリスト賞と奨学金
今日現在(2月19日)、日本の選手はまだ誰もメダルを取っていない。日本の心理学者や教育学者のストレス理論が古臭い上に、間違っているから……。娘はそう見ている。
「〈惜しい、惜しい、惜しいな〉で、何だかオシイ星人が出てきそうだナ」。「すると、日本人ってアクダマンというわけね」。私たちのほうも、そんな正味期限切れの冗談を言いながら観戦しているのだが、それはともあれ、私は以前から、8位以内に入賞した選手には、「世界ファイナリスト賞」を出すようにしたいと願ってきた。
メダルは確かに素晴らしいご褒美だが、そればかりにこだわったマス・メディアの報道を見ていると、人品が賎しく見えて、何とも情けない。世界で8位以内に残るほど見事な業を発揮した人に、心からの敬意を表する。オリンピックはそういう心性を養う、かけがえのないチャンスなのではないか。
世界ファイナリスト賞には、副賞として、大学か大学院で学ぶ奨学金の権利を添える。この奨学金には返還の義務をつけない。無償とする。
もちろん選手のなかには、既に職業を持ち、あるいはそのスポーツそのものを職業としており、そういう権利を必要としない人もいるだろう。それはそれで一向に差支えない。ただ、若くして特定のスポーツに打ち込んできた人は、おそらく一度は人生の転機に直面する。その時、自分の新しい可能性を求めて大学へ進みたい、大学院で専門性を高めたいと考えるならば、その権利を生かせばよい。
これが成熟した社会の、よく努力した若者に対する報償というものだろう。
私が金を持っていて、独自に表彰してよいものならば、必ずそうする。えっ? スポーツばかりやってた人間が、奨学金もらって、勉強もせずに、遊んでいたら、どうするって? いいんじゃないか、それでも。4年間も5年間も、気を抜かずにぶらぶらしてるなんて、これはこれでなかなか大変な修業だと思うよ。
〇チープで、イージーな民放
そんなふうに考えながら、私はオリンピックを楽しんでおり、そんなわけで、日本と世界のレベルの差よりも、むしろNHKと民放のレベル差のほうが、強く目についた。現在の民放の質の低下は、これはもう惨澹たる状態と評するほかはない。
去年の不祥事以来、NHKも予算面ではなかなか厳しい状態のようだが、民放もここ数年来、よほど予算が苦しいらしい。何故そんなふうに想像するのか。しっかりと企画を立て、時間をかけてじっくりと作ったと思われる、コクのある番組が一つもないからである。
その代わり、お粗末な企画で、内容も安っぽいクイズ番組や、ヴァラエティ番組がやたら多い。どの番組もタレントやコメディアン、俳優、文化人(?)など、出演者の顔ぶれが似たり寄ったりで、一向に替り映えがしない。
そういう番組では、数人の売れっ子タレントだけがペラペラとおしゃべりし、大半の若いタレントは、1時間番組のうち、わずか30秒か1分ほどしか発言のチャンスを与えられない。あとは枯れ木の山の賑やかし、わざとらしく笑ったり、わめいたり、出演料も高の知れたものだろう。気の毒に。おまけに、そういう番組は、海千山千の、すれっからしタレントや、コメディアン上がりの司会が多く、何を思い上がっているのか、若いタレントを見下したような態度をチラつかせる。
何だか見るに耐えないね。そう言って、私たち家族は最近、もっぱらNHKやBSばかりを見ている。
〇くさい報道
もう一つ、民放の予算不足を窺わせる番組に、長距離競技の実況放送がある。ニューイヤー駅伝や、大学の箱根駅伝の場合は、それなりに周到な準備を感じさせるが、それ以外のマラソンや駅伝は、カメラ車の台数を節約して、ほとんど先頭集団しか映さない。
そのため、後方から追い上げてくる選手や、上位を窺う選手の姿を随所に織り込んで、競技の緊迫感をドラマティックに盛り上げることができず、多分その手薄さをカバーするためだろう、先頭集団の日本選手をやたらにアップし、アナウンサーが咽喉に力をいれて、声を励まして、予め用意した大袈裟なキャッチ・フレーズを連発し、激走を演出する。それでもまだ足りない。そんな不安があるらしく、家族物語やら人生秘話やらを持ち出して、この戦いがどんなドラマを秘めているかを強調し、感動を押しつけてくる。
何とも鬱陶しく、私の見るところ、この傾向はテレビ朝日が一番強い。ついに私たちは、音量を極小にして、映像だけを見ることにした。
アテネオリンピックの放送は、民放とNHKの共同制作だったらしく、NHKのアナウンサーも民放アナウンサーのくさい話術に感染し、咽喉に力を入れて、わざとらしく残念がったり、はしゃいだり、かえってそのため、各国の選手が見せてくれる素晴らしいプレーの感動が半減してしまった。
今回はそのやり方を止めたのだろう。NHK第1やBSの放送はだいぶ見やすくなった。だが、民放のほうは相変わらずで、特に北海道の民放の場合、地元からたくさんの選手が出ているため、さあ盛り上がろうと、アナウンサーのボルテージはすさまじく、声励まして選手の好調を強調し、メダルの期待を熱っぽく語っている。そのはしたないはしゃぎ方に、思わず私は、ホリエモンの手を固く握って「息子だ」「弟だ」と絶叫していた、あの武部幹事長を思い出した。
〇競技種目への疑問
ただ、これまで見た範囲でいえば、スケートのショートトラックと、雪上のスノーボード・クロスは、競技種目として不適当なのではないか。同時スタートでスピードを競う競技としては、あまりにも身体の接触による転倒アクシデントの確率が高すぎるからである。
勝っても負けても後味が悪い。遺恨が残りかねない。
これは、例えば札幌雪祭りのイベントなどで楽しむ競技だろう。
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