北海道から沖縄独立を考える

北海道から沖縄独立を考える 亀井秀雄のチャージ(10) ○北海道独立論の時代  ...

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わが歴史感覚

わが歴史感覚 ――亀井秀雄のチャージ(その9)――   ○占領のうっと...

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安保国会の「戦争」概念

安保国会の「戦争」概念 ――亀井秀雄のチャージ(その8)―― ○素朴な疑問 &#...

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歴史研究者の言語感覚

歴史研究者の言語感覚 ――亀井秀雄のチャージ(その6)――   ○歴史...

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日本文学協会の奇怪な「近代文学史」観

日本文学協会の奇怪な「近代文学史」観 ――亀井秀雄のチャージ(その6)―― &#...

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ありがたい反響

ありがたい反響 ――亀井秀雄のチャージ(その5)―― ○「テクストの無意識」の読...

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オピニオン・ランチャー社発売成功

オピニオン・ランチャー社発売成功 ――亀井秀雄のチャージ(その4)―― ○出版に...

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オピニオン・ランチャー社事業開始

オピニオン・ランチャー社事業開始 ――亀井秀雄のチャージ(その3)―― ○『増補...

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日本人はこの戦争には負けない

亀井秀雄のチャージ(その2)

ーー日本人はこの戦争には負けないー

○0点を取った記憶
 私は昭和12年の2月生まれで、昭和18年、数え7歳で国民学校に入り、3年生の夏、日本の敗戦を知った。

 
 
 その頃、どんな教科書を使ったか、よく覚えていない。当時は、何事にも倹約を旨としていたから、私のように兄や姉を持つ子供は、ほとんど「お下がり」で済まされていた。新品のものを買ってもらえることは滅多になかった。教科書も多分2歳年上の姉のお下がりだったはずで、愛着がなかったのであろう。

 ただ、文房具のことはよく覚えている。帳面は粗悪なザラ紙だった。鉛筆は、親指と人差し指と中指でつまんで書かねばならないほど、短くなるまで使った。消しゴムなんて気の利いたものはなく、どこからかタイヤの欠片を手に入れて、間違ったところを消そうとした。だが、粗悪なザラ紙はただ黒く汚れるばかり。少し強くこすると、たちまち紙が破れてしまった(もう一つ、飛行機の防弾ガラスの破片も手に入れた。これで紙をこすると、とてもいい匂いがした)。

 多分3年生の春だったと思う。先生がこれから「かけ算」の試験をすると言って、はがき大のザラ紙を配った。先生が「3×2は?」と聞いたら、答えの「6」だけを紙に書く。そういう試験だった。
 私たちは朝礼が終わったあと、教室へ入るあいだ、必ず歩調を揃えて声高く「九九」を暗唱することになっていた。だから、かけ算の試験は決して難しくない。
 ところが、私は変な勘違いをして、先生の問いかけに合わせて「3×2=」、「3×5=」と書き始めた。答えはその後で書けばよい、と思いこんでしまったのである。もちろんそんなことをやっていては、先生の質問に追いつけない。それに、ザラ紙の答案用紙の表だけでは間に合わず、裏返しをして「7×3=」とやっていた。「あっ、間違えた」と思って、急いで「消しゴム」を使うと、たちまち紙面が薄汚れてしまう。結局私の点数は0点だった。
 私は正直にその答案を母に見せた。母はショックを受けたらしく、「うちの子が0点を取るなんて……」とため息をついたまま、黙ってしまった。それを見て、私はショックを受けた。
 私自身は答案を見ても驚かなかった。私は先生の問いかけに答えられなかったわけではなく、ただ答えの書き方を間違っただけだ。そう考えて、0点に納得していたのである。

 ただ、私のこういうトンチンカンな癖はついに直らなかった。大学生の時も、高校教師と時も、大学教師の時も、時々間抜けな間違いを冒し、後で苦笑いをしたり、冷や汗をかいたりした。

○「戦争」の理解
 私はそういう子供だったが、子供なりに「日本人はこの戦争には負けない」という考え方を理解していたように思う。

 「日本人はこの戦争には負けない」とは、こういうことである。
 日本はいま大事な戦争を戦っている。世界を押さえつけている米英を負かして、弱い国々を助け出し、皆で一緒に手を組んでゆくために戦っている。米英はすごい武器を持っている。ひょっとしたら、「戦闘」では日本は負けるかもしれない。だが、信念では米英に負けない。「戦闘」では日本が負け、日本人は皆死んで、一人も残らないことになるかもしれないが、たとえそうなっても、信念は残る。そうなれば、米英はこの信念と戦うことなるわけだが、信念を銃で撃ったり、爆弾を落としたりして、打ち負かすことはできない。だから日本は信念で米英に勝っているのだ。

 今から考えると、ずいぶんと屈折した、ある意味では倒錯した考え方だったように思う。しかし私は子供の時、この戦争はそういう戦争だと思っていた。戦後は、戦後なりの厳しい言論統制があり、「この戦争はそういう戦争だ」なんて種類の発言は禁句だった。だから、戦後になって、私が「そういう戦争だった」と知る機会はなかったはずで、多分私は、戦争中の色んな言説の断片を寄せ集めて、おぼろげながら上のような考え方をするようになっていたのだろう。
 今思えば、これが私なりに理解した「一億玉砕」の思想だったわけで、私の頭のなかでは「一億玉砕」と「不敗神話」とが、こういう形で結びついていたのである。

 靖国神社とは、私にとって、そういう信念を抱いて死んでいった人たちの霊を祀る神社、少なくともそういう信念を抱いて死んでいった人たちの霊をも祀る神社なのである。

○新憲法の理解
 以上のような私の理解は、「3×2=」と同じたぐいの、トンチンカンな勘違いだったのかもしれない。しかし、今の私は、自分のそういう癖が気に入っている。
 私が新憲法を学んだのは、昭和24年、新制中学校に入ってからだった。私の同世代の多くは、戦争放棄、平和憲法の理想に感動したと言う。しかし、私は自分の記憶のどこを探っても、そういう理想に感銘を受けた覚えはない。中学校の社会科の先生は角田先生と言ったが、私は角田先生の「民法」の説明には目が覚める思いだった。私は家族のあり方や、相続の考え方など、「民法」の具体的な説明を通して、「人権」と「平等」の思想を、深い感銘をもって理解した。(8月15日深夜)

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